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第2章じつは、私たちは「アート作品」を見ているようで見ていない?

目次

あなたの目に、本当に作品が〝ありのまま〟に映っていますか?

アート作品の鑑賞で大切なのは、「目の前の作品をしっかりと見る」ということです。

「作品をしっかりと見るなんて、当たり前じゃないか!」と思った方が多いかもしれません。

次に掲載されている作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』です。多くの人が、一度は目にしたことがあると思います。

では、『モナ・リザ』について、本当に、私たちは〝しっかり見ている〟といえるでしょうか?ここで1つ、質問をしたいと思います。

Q.『モナ・リザ』には、眼鏡橋のようなアーチを持つ小さな橋が描かれています。どこに描かれているでしょうか?前に戻らずに、少し考えてみてください。

正解は、「人物の、向かって右の肩の上」です。わからなかったとしても、落ち込む必要はありません。私が行っている研修で同様の質問をすると、ほとんどの方がわからないと答えます。

このように、じつは、多くの人がアート作品をしっかりと見ているようで、見ていないのです。

たとえ自分の目にアート作品が映っていたとしても、それがそのまま「しっかり見ている」とは限らないということです。

多くの方が『モナ・リザ』のことはご存知のはずです。ただ、まだ見たことのない部分が存在している。

じつは、私たちは「知っている」と思ったら、それ以上見なくなるという傾向があるのです。

前にお伝えした、「知識より、意識を持って見る」ことの大切さを、ここでもご理解いただけるかと思います。

ある研究によると、私たちが外部環境から五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)で受ける情報量は、1秒間に約1100万ビットだそうです。

しかも、約1100万ビットの情報量のうち、約1000万ビットは、おもに視覚から受け取っているそうです。

つまり、私たちは、9割以上の情報を目から得ているということです。

ところが、私たち人間が1秒間に意識できる情報量は、少ない場合で1ビット、多い場合でも16ビットといわれています(数字については、諸説あります)。

したがって、私たちは、外部から得られる情報の1000万分の1から100万分の1しか認識していないことになるのです。

前に、美術館に来る人の多くが、10秒程度しか、作品を見ていないとお伝えしました。

ということは、美術館に足を運ぶ人の多くは、作品についてほとんど情報を得られていないということになります。

科学的にも、アート作品を10秒以内という短い時間の中で〝眺めた〟だけでは、じつは、作品のほとんどが見えていないといえるのです。

「見る」ためには「学習」が必要

「知識より、意識を持って見る」ことがなぜ重要なのか、もう少し説明します。私たちの脳には様々な「思い込み」が存在しています。

次のイラストを見てください。

みなさんは、2本の線のうち、どちらのほうが長く見えますか?有名な錯覚画像なので、ご存知の方も多いかもしれませんが、2本の線はまったく同じ長さです。しかし、「上のほうが長く見える」と思った方が多いと思います。

私たちは「これまでの経験」から、2本の線のうち、「遠くにある線」と「近くにある線」の長さが変わらないのであれば、「遠くにある線」のほうが長いはずだということを理解しています。

つまり、私たちは「遠近感」という経験の蓄積によって、同じ長さのはずの上の線が長く見えてしまうわけです。これは、いわゆる「錯覚」の例ですが、ほかにも、私たちはたくさんの経験に基づいて物事を見ています。

生まれつき全盲の方が、開眼手術をすることによって目が見えるようになる場合、最初に見えるのは、家族やお医者さんの顔ではなく、光の強弱だけで、訓練を積むことによって私たちと同じようにものが見えるようになるそうです。

何かを見るためには、経験による学習が必要なのです。

よって、アート作品の鑑賞に必要な観察力も「目の前の作品をしっかりと見る」という経験を積むことで高めることができるのです。

「見る」とは「解釈する」こと

私たちは、過去の経験や価値観の違いによって、たとえ同じものを見ていたとしても、見方・感じ方・考え方が異なります。

みなさんは、次の絵に、何が描かれていると思いますか?

私の研修で同じ質問をすると、「後ろに顔を向けている、白いスカーフのようなものを被った若い女性」という答えが多いようです。

たしかに、その通りなのですが、この絵には、別の見方もあります。

女性の耳の部分を「目」と考えると、鷲鼻の「老婆の横顔」に見えてきませんか?この絵は『妻と義母』というタイトルのついた、W・E・ヒル作のいわゆる「だまし絵」です。

もしかしたら、みなさんの中には、最初から老婆が見えたという方もいるかもしれません。婦人、老婆、そのいずれにも見えますが、若い女性と老婆の姿を同時に見ることはできません。

同時に見えると思われた方は、おそらくすばやく見方を切り替えながら見ているはずです。

じつは、私たちが何かを「見ているとき」、それは別の可能性を「見ていない」ということも意味します。

「百聞は一見に如かず」「一目瞭然」こうした言葉が存在するように、私たちは「見る」ということを絶対視しがちです。

職場などで「見ればわかるだろ」という言葉を聞いたことがある、もしかすると使ったことがある方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、「見ればわかるだろ」は、通用しないのです。

たとえ同じものを見ていても、そもそもまったく別の見方をしている可能性があるのです。

ここまでの話で、「見る」という行為は、案外不確実で複雑であるということがおわかりいただけたでしょうか?では、「アート作品をしっかりと見る」ためにはどうすればよいか、次章から説明していきたいと思います。

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