MENU

第1章逆境のときに勝敗が決まる

待っていてはならない。誰も助けには来ないのだから。

人間力とはどれだけできない理由があったとしても、決めたことを成し遂げる能力。先が見えない暗闇のなかだったとしても、周りから信頼される人格。この2つを持つ人が、人間力のある人。

はじめに

僕はずっと、単なるモチベーションや夢ではなく、生涯を通じて成し遂げたいことを求めてきた。それこそが真剣な生き様だと思うからだ。

どんな状況にいたとしても、「このままで終わりたくない」と思っているのであれば、必要なのは、変わるために勇気を持って踏み出すことだ。

これまでの日々は、自分との真剣勝負に勝てるかどうか、それを問題にしてきた。

何を達成したかよりも、どんな生き方をしているかを大事にしてきた。その勝負をずっとしてきた。

僕は昨日よりも、一つでも成長している自分でいたいと思って生きてきた。そのために必要なことなら、何でも貪欲に求めていきたいと思ってきた。

壁を乗り越えること。自問自答を繰り返すこと。尊敬する人から学ぶこと。教養を高めること。レベルの高い土俵で真剣勝負をすること。

それには覚悟が必要だった。目指していたものを成し遂げられないときは、自分の無力感を感じた。何度も敗北し、自分を嫌いになり、諦めそうになった。

「ダメかもしれない……でも、やる!」と決めて成し遂げたとき、わずかだが、僕は誇りを持てるようになった。

誇りを手に入れるためには、孤独な真剣勝負を繰り返すしかなかった。

誇りが持てないとき、僕は自信がなかった。毎日がつまらなかった。誇りを持つためには、自分の甘さを乗り越え、成すべきことを成さなければならなかった。

誰と比べても誇りを感じられる自分になることは、一朝一夕にできることではなかった。

誇りを持つことは難しかった。

だから簡単に手に入る優越感を求めていた。周りを見下したり、知識を振りかざしたりして、自分の弱さを守ろうとした。簡単に変わりたかったが、それは僕の弱さを反映した淡い希望だった。

一回で、簡単に、楽に変わることを求めつづけた。そして、苦しみから抜け出せなかった。

苦しいとき僕に勇気を与えてくれたのは、「モチベーションアップ」ではなく、「何のために生きるのか」という生きることへの問いだった。

挫けそうになるとき、尊敬する人たちを思い出した。そこには、もっと厳しい生き方があった。僕よりも遥かに高い基準だった。

尊敬する人たちに一歩でも近づきたくて、毎日、目指す姿に向かって自分を高めてきた。自分のなかの甘さを排除して、行動していく努力をした。1年後の自分自身が、いまの自分に感謝したくなるような日々を送る。

そう自分自身に誓って、僕の一日は始まる。自分がこれからどんな努力をするのか。それが未来の結果をつくると信じている。この本は人間力を磨くためのノウハウ本ではない。

僕が自分自身と日々向き合い、乗り越えるなかで何を考え、何をしてきたのかを書いたものだ。

いま置かれている状況がどんな状況であれ、諦めるのではなく前進するために、大切にしてきたことを書いたものだ。

誰一人としてまったく同じ人生を歩んでいる人はいない。同じ環境で育った双子ですら、考え方は違うようになる。自分の思うところに当てはめて、これを読んでほしい。

書くあいだは、とにかく誠実であることに細心の注意を払った。

一つは自分に対して誠実であること。思ってもいないこと、実行してもいないことを書くことはしなかった。そんなことをすると自分を嫌いになる。

もう一つは読者に対して誠実であること。

伝えるべきことのために、自分をさらけ出すことを躊躇するのをやめた。それは読んでくれる人に失礼だ。偽りなく、自分の思うことを出すのは難しかったし、とても時間がかかった。誠実であることが、これほどまでに大変だと改めて痛感した。

ただ、自分に誠実であれば、周りがどう思おうとも構わないと知った。媚びへつらうことをしなければ、人の目は気にならないとわかった。

思いを綴るプロセスは孤独だったが、本音で生きれば、同じ想いの人とつながれるとも確信した。

この本では天に向かって叫ぶごとく、これまで死に物狂いで研究してきた、その結果を一つに紡いだ。

この本は次の7つの章から成り立っている。

第1章逆境のときに勝敗が決まる

第2章省みて自らの道を正す

第3章偉人・尊敬する人に磨かれる

第4章学びを通じて生き方を定める

第5章仕事で誠実さを磨く

第6章壁を乗り越える7つの規律

終章貫きたい生き方が覚悟を磨く

これまで自分が伝えたかったことを飾らず書いた。

僕はどう思われても構わない。

この本を書くときに、正しく立派な人間だと思われることは諦めた。

ただ、真剣に毎日を生きる人たちが、何かを成し遂げる力になれるなら本望だ。

どうか目を通していただけたら幸いです。

第1章逆境のときに勝敗が決まる

逆境とは、思うようにならず苦労の多い境遇。順境とは、万事が都合よく運んでいる境遇。恵まれた幸せな境遇。────『広辞苑』より

目次

自分の力で越えると決める

毎日、思うようにならないことばかりだ。それでも、目の前の壁へ勝負することをやめるわけにはいかない。

繰り返される日々は、うまくいったと思うことよりも、うまくいかなかったと思うことが多い。

一日を思い返しながら、ダメだったところばかり考えてしまう。もっとうまくできたんじゃないかという思いでいっぱいになった。

これまでの僕は気持ちばかりが焦り、行動が伴わなかった。新たな一歩を踏み出すことができないまま、ただ月日だけがたってしまっていた。

このままではいけないと思いながら、同じことの繰り返しだ。平凡な日常が嫌になる。いつかは楽になると思いながらも、重苦しい気持ちはなくならなかった。

「ダメだなぁ俺は。何をやっているんだろう」そう思うとき、現実から逃げたくなった。わざわざ大変な状況に身を置く自分が馬鹿らしくなった。

「別に逃げてもいいじゃないか」僕は弱い人間だった。うまくいかないとき、現実から目を逸らすものを探していた。

漫画やゲームで現実から目を逸らしたり、慰めてくれる人と話すことで気を紛らわせようとした。

たしかにしばらくは、嫌な気持ちを忘れることができる。しかし、心は晴れやかになれない。現実に戻れば、何も変わっていないからだ。

現実から逃げることはたやすい。世の中は現実から目を背けさせるものがあふれている。

しかし、現実を放置して最後に苦しむのは自分自身だ。息が苦しく、からだが重たい。周りから圧迫されているように感じた。

何とかしたいと思いながら、現状に進展がないとき、逆境だと僕は思った。壁を乗り越えようとするとき、周りは関係がない。僕個人の問題だ。

壁は独りで乗り越えなければならない。孤独な闘いだった。

壁の側で応援してくれたり、アドバイスをしたり、慰めてくれる人はいた。しかし、どれだけ泣いても、壁の向こう側まで僕を運んでくれる人はいなかった。

僕が弱い心を振り払い、自らの強い意志を呼び起こし、自分の力で壁を越えなければならなかった。

自分の不運を嘆いても、自分の無力を嘆いても、誰も代わりはいない。人生を代わりに歩んでもらうことはできない。いつだってぶつかっている問題は、僕が招いたものだ。たとえ不運に見えるものでも、原因が自分のなかにある。

僕がいまの苦しさを招いている、と認められたとき、僕は自分自身の何かを変えなければならないと思えた。変わらなければ、壁を越えることはできない。

やり方がわからないなかで、ただ、変わらなければいけないことだけがわかっている。そこからしか、人生は変えられなかった。

ここで終わるわけにはいかない。その思いだけが、僕を前に進ませつづけた。

どれだけ自分が無知で無力だとしても、世間から見たら取るに足らない存在だとしても、自分自身を否定してしまうわけにはいかなかった。

周りの人たちに、たとえ馬鹿にされても、言い返してはならない。そんなことをしたら同じレベルに堕ちてしまう。

だから、僕はただ自分の目の前の壁を乗り越えると決める。いま僕の手元にあるごくわずかなもので、人生に向かって勝負するしかないと覚悟した。

逆境とは心が環境に屈すること

逆境は、思うようにならないからこそ、思いの強さを試されているのだ。誰の人生にだって、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。

がんばっても力んでもうまくいかない時期もあると思えば、たいしてがんばっているつもりがないのに、どんどん事が好転していくこともある。僕は物事がうまく運びだすと、「これで苦しまなくてすむ」と安心した。

しかし、逆境になれば、この苦しさ、孤独、藤が永遠に続くようだった。そして、このようなつらいときこそ、自分が磨かれる。

渦中にいるとき、ただただ、早くこの災難が去ってほしいと思うときほど、あとから見れば僕の性根が叩き直された。

苦しめばいいのではなかった。ただ苦しんでいても強くなれなかった。自分が何を苦しいと感じているのかを、ハッキリと認めることが僕を強くした。

逆境といっても、大きなものから小さなものまであるだろう。僕が経験したことのないような、大変な思いをされて生きている人もいるに違いない。

僕の友人にも、1億円の借金から人生を再スタートさせた人もいるし、身体に障害を持っている人もいれば、末期がんに冒された人もいた。

そうした外部の環境や健康や肉体に関することは、たしかにその人の人生に何かしらの制限をかけるかもしれない。でも、それはどんな人だったとしても同じ。

視力が2・0の人から見れば、視力が0・1の人は制限されているだろう。料理が得意な人からすれば、料理が苦手な人は人生を損していると思うかもしれない。

必ずしも、他人が逆境だと思うことが、その人にとって逆境になっているかといえば、そうとは言いきれないと僕は思う。

自分の心の状態が、環境に屈していれば、それは逆境になる。

でも、その苦境を越える覚悟を持てば、たとえ何かが制限されていても、心が制限されるわけではない。

逆境が人間を進化させるのは、不自由を経験させ、それでも進みつづけるための明るさ、忍耐力や、謙虚さ、勇気、柔軟性を身につけさせて人間性を磨くからだ。

うまくいかない状況は必ずしも、災難のように降りかかってくるものだけではない。わざわざ大変なことに突き進んでいくことも、逆境を招くことにつながる。

波風を立てないように生きていくことが大切なときもあった。新しくどこかの仲間に入ったり、新しい環境へいったとき、周りに合わせようというすごいパワーが働いた。

その環境に受け入れてもらうためには、何が必要かと考えた。

しかし、僕は、環境にばかり配慮していると、いつしかぬるま湯に浸かるようになった。「こうやっておけば大丈夫」という無難な発想に陥ってしまっていた。

最初はそれで、その場に溶け込むのだからよかった。

でも、「いまはこのままでいい」と思っているうちに、あっという間に一生が終わってしまうかもしれない。

その怖れが僕を刺し、ぬるま湯から出る力となった。

なぜ、わざわざ波風を立てる必要がある?なぜ、わざわざ居心地の良いところから出る?やっとの思いで手に入れたこの安定、この地位、立場を、なぜ自分から危険な目にさらす必要がある?そういう人たちもいた。

たしかにその通りだ。でも、ごく一部の人たちだけが、「このままではいけない」と立ち上がってきた。波風を立てるのだ。その環境にいる人たちとは違った世界を見ようとする。

みんなが暗黙の了解にしていることに疑問を投げた。そうした先人たちが歴史を変え、新しい世界をつくってきた。僕は何も考えずに、現状を受け入れる訳にはいかない。

「なぜ変えてはいけない?」という問いを放置できなくなったとき、それが人生の変わり目になった。

逆境は自らが招いているものだと知る

時間が解決したり、救いの手が差し伸べられるのを待つのではなく、できうるかぎり自分自身が成長することによって、その状況を脱したかった。

逆境にいると、息が苦しく、ぬめっとした空気が自分を包み込む。酸素が薄くなったように感じる。

逆境というのはいろいろな形がある。

  • 経済的な逆境
  • 人間関係の逆境
  • 健康の逆境
  • 仕事のなかでの逆境

逆境はすべての人に訪れるから、問題は、そのときにどうするのか、ということだ。僕は上手くいかない時の選択こそ、人生を左右するとずっと思ってきた。自分の未来が見えなくなるときもあった。

いま自分がどこにいて、これからどこに向かっていくのか、どこへ踏み出したらいいかの確信が奪われていく。それが苦しさや不安へとつながっていく。

僕はなるべく安易に解決したいなぁ、という甘えがあった。

未来が見えないとき、現実に向き合ったり、抵抗したり、あがくのでなく、心理学やコーチングのスキルでチョチョイと不安が解消できるのではないかと思っていた。

しかし、そういうときほど、不安は募るばかりだった。

ますます気分が暗くなることばかり考えたり、ネガティブな情報ばかりを集めてしまって、これで大丈夫なのか、このままだと危ないのではないか、と何度も不安に襲われて動けなくなった。

心理スキルは逃げるために使っても効果がないんだと痛感した。学生の頃は友人と、過去に戻れたらいいのに、という話ばかりしている人間だった。

いま、目の前に置かれている状況をどう打破するか、見えない未来をどう明るくしていくのか、それを考えるのではなかった。卑屈になっていた。

いまの目の前の状況から、これからの暗い未来から逃れる話題ばかりしていた。それを話したからと言って、目の前がバラ色になるわけではない。

いま抱えている苦しさから少し逃避できるだけだ。苦しさが少しでも忘れられるのであれば、そこにしがみついていたかった。目が覚めたらこの苦しさが夢であったらいいのにと願ったこともある。

人生で起きるすべてのことには意味がある、とわかったようなふりをしたら楽かもしれない。でも、何も解決していないし、問題はそのままだ。

僕はとても弱かった。それを認めることができなかった。一からやり直したい。

どうせ戻ることができないのであれば、もう一度人生をやり直したいと何度も思った。思い詰めると、そういう思考をしていった。

しかし、僕が目の前のことから逃げる弱さを克服しないかぎり、何度人生をやり直しても、また同じことの繰り返しになってしまうのは明らかだった。

本の執筆がまったく進まないときがあった。

前に進もうとペンをとっても、自分のなかから、それを否定する声が出てくる。

  • 「こんなんじゃダメだ」
  • 「こんなことならやっても意味がない」

周囲がどれだけ褒めてくれても、自分が、それを良しとすることができない。

この苦しみを理解できるのは誰もいない。自分だけだった。だから、自分で乗り越えるしかない。そう決断しなければ、何も変わることはなかった。

僕が変われるかどうかは、目の前の状況から逃げたくなるような場面で、誰も頼らずに自分で決断できるかどうかにかかっていた。

逆境は、自分の弱さに直面させてくれる。目を背けてきた自分の甘さが明らかになる。甘さを捨て切れない限り逆境はどこまでも続くのだ。

自分が変わるというのは簡単にできることではなかったが、自分が変わることで、周囲の環境に影響を与えることができた。

具体的に何かが変わったとき、僕は実感として自分が成長したことを知る。息苦しい状況から、抜け出したとき、爽快感と共に、自分が変わったことを感じたのだった。

勇気を持って決断する

うまくいく方法を探していたときは苦しかった。でも、うまくいくまで決断しつづければいいだけだと割り切ったとき勇気が湧いた。

逆境を生き抜いた人の言葉は、どれだけシンプルなものだとしても胸を打つ。逆に、巧みな言葉で飾られたとしても、中身がないものはすぐにわかる。「つまらない」と思うからだ

(と書きながらつまらないと思われているかもしれない、という怖れを僕は持つ。まぁそれでもいいか、信じるものを伝えることを怖がって、それを黙っているほうが苦しいから。信じていることを言わずに、何を話しても、真に話すべきことではないから)。

本物の言葉を知るために、その人がどんな大変な思いをしたのか、どれだけ苦しく悲しい経験をしたのかを具体的に知っている必要はない。

感じるものがあるからだ。裏打ちされたものがある言葉は、真に迫る。僕に何かを突きつけてくる。自分の胸に熱く、たしかに響き、力が湧く──それが信念の言葉だ。

僕だったら諦めたくなるような数々の困難な場面があったとき、それでも前に進み、やり遂げられるのは、その人が信じるものを持っているからだ。

信念のある人は逆境のときに強い。激しいトレーニングにも、孤独な闘いにも耐え抜くことができる。無謀だと言われても、できると確信することができる。結果的に、やっぱりその信念が正しかったと言えるところまでやり抜くことができる。

うまくいく方法を求めているときは、苦しかった。知識が増えるほど、迷いが深まった。迷っていて、力強く行動ができるはずがない。

何が正しい方法なのかを探しているとき、一歩を踏み出すことができず、とてもつらかった。僕に必要なのは、信念だった。

壁にぶつかり、それを乗り越えるために必要なのは、正しい方法なのだとずっと思っていた。

しかし、どれだけ優れた方法をたくさん知っていても、信念がなければ、やり抜くことはできない。

たとえ始めることができても、中途半端になってしまう。何を成し遂げているのか、どんな人生を歩んでいるのか。それらは、何を信じているのかということの反映にしかすぎなかった。それから僕は信念を養うことを心がけた。

うまくいかないとき、やり方や方法を考える前に、「自分は何をもっとも大切にしていきたいのか?」ということを繰り返し意識した。

それが何のために挑むのかを明らかにしてくれ、僕の決意を新たにしてくれた。

たくさんの人に長く愛されている本は、信念の宝庫だ。

科学的に正しいかどうかではなく、それを知ることで胸が熱くなり、生きる勇気が湧いてくるか、それが僕にとっての信念だ。

何を信じるかは、理屈ではなかった。理屈を求めているとき、心には不安が芽生えはじめていた。不安は証明されたものを求めてしまう。保証を求めてしまう。科学的だと言われるとつい安心してしまった。

学者になるならばそれでもいいのだろうけれど、僕は実践者でありたかった。実践者として生きるとき、求めるのは弱さを克服し、歩み続ける強さだ。

自分を強くしてくれる力だ。安心ではなく、勇気を奮い立たせるものだった。何かを学び、「なぜ?どうして?」と考えるときは、「理解」を目的としていた。実践をしようと思っているときではなかった。

根っこに不安や疑心があると、いつまでたっても信念は生まれない。

学んでも、「なぜ?どうして?」と疑い、「まだ足りない、わからない、僕には合わない」と決めつけて不安になる。

知識が足りないのではなく、自分のなかの信念が弱くなっているからだ。

「人間には無限の可能性がある。限界はない」と聞いたとき、以前の僕は、「なぜ?どうして?僕は違うんじゃないの?なぜ僕もそうだと言えるの?」と思った。

何を知っても、「じゃあこの場合は?あの場合は?」と粗探しをしていた。

それでは何も変わらなかった。いまはそういう思考にならないように気をつけている。

「僕のやろうとしていることで必ず成功する、と言えるのか?」ということを科学的に証明されるまで待っている時間はない。

誰にだって、そんな時間はないと思う。

「そうだ!よしやるぞ!」と僕がなるなら、単純だと思われるかもしれないが、それで十分だ。

知識で満足しようとすると、つい証明を求めてしまいがちになる。ただ、僕がそれで力が湧く、という事実が大事だった。それが僕に必要な信じることだった。

逆境は、行動しないかぎり抜け出せない。実践へのこだわりを強く持つための、最高のシチュエーションだと僕は思う。

こだわり抜く道を選択する

どれだけ追い込まれても、悔しくても、諦めたくなかった。絶対やるんだって心を決めなければならなかった。逃げたくない、負けたくない。

その気持ちがどれだけ疲れていても、大変でも、諦めさせないし、こだわり抜かせようとしてくれた。

うまくいかないとき、もっとハイレベルな闘いのなかで大変な思いをしている人の姿を思い出した。尊敬する人に負けたくない。人を尊敬するためには、その人と対等でなければならない。自分が恥ずかしいことはできない、と強く思った。

おかげで、どれだけ大変なことでも、自分の問題は、本当は小さなことにすぎないんだと気づくことができるようになった。

もっと高く、ハイプレッシャーなところへ進まなければならないと決意することができた。

僕は、自分に対してとても甘い。自分を甘やかしてしまう。それが大変な状況を招く。自分を甘やかす原因は、過去に何かがあったのかもしれないけれど、覚えていない。

説明することはできるけれど、どこかこじつけてしまっているように思う。

自分を甘やかしたくない。それは情けないし、恥ずかしい。それらの感情は僕のなかを突き上げてくる衝動だった。

目の前に自分が取り組まなければならない課題が生まれたとき、自分の甘さが、それから逃げさせる。

僕自身にとって最大の壁であり、最大の乗り越えるべき弱さは自分の甘えであり、欲だった。

いつか自分は、甘えや欲で滅んでしまうのではないかと怯えていた。

ずっと危機感も持たずに生きてきてしまった。これまでの生き方への負い目や、後悔があった。自分は怠けやすく、言い訳で表面を取り繕いやすい、と自覚していた。

とくに、追い込まれるほど、そんな情けない自分が顔を出す。だから、追い込まれることを避けてきた。白黒がハッキリしてしまうことはずっと避けてきた。

白黒がハッキリしなければ、捉え方・解釈の仕方によって、いくらでも「前向き」に考えることができる。自分を守ることができる。僕はそうやってきた。

実際は、前にまったく進んでいなくても、口先で自分自身を納得させようとしてきた。環境のせいにしたり、自分の年齢のせいにしたり、経験の少なさのせいにしたり、能力の低さのせいにしてきた。

「○○さえあれば俺だって……」そうして心のどこかで、責任を何かになすりつけてしまっていた。

心は悩みの長期保存に向いていない。気づかぬふりをしても、心のなかに隠しておけない。それに気がつくと恥ずかしいし、自分が情けなくなる。

そして、いつも戻ってくるのは、「着飾っていても始まらない。いまここにあるところから始めていくしかない」という諦めだ。

そこまで行けば、いま何が足りなくても、覚悟ができる。どうするべきか、前へ進むしかないと決意できる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次