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第1章大人の男の気遣いはここが違う!

はじめに外見がずば抜けて優れているわけでもない。押しが強いわけでもない。巧みな話術で、女性を笑わせているわけでもない。それにもかかわらず、ワンランク上の「いい女」を引き寄せる謎の男が世の中には多数存在する。一度交流を持った人たちすべてを中毒にさせてしまう〝癖になる〟男。そんな男たちの存在を認識するようになったのは、僕がまだ22歳のときだった。当時、僕は毎晩のように夜の街へと繰り出しては、女の子たちと一晩中酒を飲み明かし、踊り明かしては派手に遊んでいた。正式に付き合うという形に発展した女性もいたし、遊びの関係を楽しんだ女性も多数いた。当時の僕は、自分自身を「モテる側の男」だと一片たりとも疑うことがなかった。しかし、そんな日々を過ごすうちに、ふと、ある事実に気付いた。僕らは当時、読者モデルやキャビンアテンダント、あるいは職業に関係なく〝きれいどころ〟と言われる女性と友好関係を楽しんでいた。年の何度か彼女達と自由恋愛の関係になったり、あるいは真剣な恋愛をすることがあった。しかし、当時30歳~50歳の先輩方は、僕らの3倍~5倍のペースで彼女達と自由恋愛の関係をつくっていった。僕らがなんとか本命の彼女にしていたレベルの女性を、10も20も年齢が上の〝オジサン〟が、いとも簡単に自由恋愛の相手として複数同時に落としていったのだ。先輩方は遊び尽くしてきた風格を持ち、それでいて落ち着いており、独特のオーラを身に纏っていた。お金や肩書き、遊び方、ファッション、どれをとっても何ひとつ叶わない先輩方。彼らに、オスの力の差をまざまざと見せつけられたのである。「俺たちが先輩の真似をして、渋くて落ち着いた男のふりをしたって、目立たずに埋もれて終わるだけだな。どうすればいいんだろう?」そんなふうに当時の悪友たちと作戦会議をしていたことを今でも鮮明に覚えている。僕の目の前で、根こそぎ魅力的な女性をかっさらっていく大人の男たちに、「お前は、〝その他大勢の男〟に過ぎない」と、鼻で笑われている気がした。自分と彼らは、いったい何が違ったのか。嫉妬と羨望の入り混じった眼差しで、彼らを観察し続け、25年の月日が流れた。あの日からモテるオヤジの秘密について考えたり、取材をしたりして研究を続けた。かつての「ただのイケイケ少年」が25年を経るうちに「モテる魔力をもった中年」に育ってゆくシーンを垣間見たり、噓のような奇跡のロマンストーリーも無数に見させてもらった。そしてひとつの結論にたどり着いた。彼らは、社会的なステータスを見せびらかしていたわけでも、金にものを言わせて相手を従わせていたわけでもなかった。秘密は、彼らの「小さな気遣い」にあったのだ。その内容は、一般的な女性への気遣いとは正反対のものも多く、驚く読者の方が多いかもしれない。たとえば、女性と会話をするときに、相手との距離を縮めようとして「いじる」ことがあると思う。しかし、大人の男は、女性をいじることよりも、女性に自分をいじらせるように仕向ける。また、冷たく接しないほうがよい場面であえて相手を突き放したり、ときに強い言葉を言い放ったりもする。こういった一風変わった気遣いが、「その他大勢の男」とは一線を画した、大人の男の魅力を放つ源泉になっているのだ。本書では、42の気遣いの仕方を紹介している。この本で書かれている内容は、22歳から現在まで約25年以上の年月にわたり、僕が大人の現場に赴き、試行錯誤を重ねて身に付けた「大人の男」の気遣いの集大成である。いま、僕は羨望の眼差しで背中を追いかけていた「大人の男たち」に仲間入りする年齢となっている。22歳の僕は、今の僕を果たして認めてくれるだろうか。そんな自戒の念を込めながら、筆を進めた。22歳のころの僕のように、「その他大勢の男」から脱け出したい、そんな悩みを抱えている人たちに本書が少しでも役立てば幸いである。本書は、女性が身を委ねたくなるような大人の魅力をもつ男になることだけを目的とする本ではない。「大人の気遣い」ができれば、自然に男からも好かれ、成功者からも信頼され、人生に上昇気流を巻き起こすことができる。一度きりの人生を楽しく、自分の風を吹かせながら過ごすことができるのである。あなたからの朗報をお待ちしたい。潮凪洋介

大人の男の気遣い目次第1章大人の男の気遣いはここが違う!01いじるのではなく、いじらせてあげる02「酔ったふり」の役者になれる03大勢では回し役、2人きりでは聞き役04「冷たくする気遣い」ができる05「正論」を言わない06「もらい泣き」ができる07「女性が褒める男」を一緒に讃える08苦しそうな背中に「絶好調でしょ?」と声をかける第2章「大人の気遣い」ができる男の話し方09「低すぎる自己評価」を正してあげる10他の女性の話は「さあ、思い出せないね」とお茶を濁す11ときに、女性に強く言うことができる12相手が誇りに思う「いじり」を捧げる13小学生にもわかるように自分の仕事を語る14「この瞬間の特別な気持ち」を言葉にする15相手の「強み」を言葉にして伝える16「弱虫だったのに偉人になった人」の話をする第3章「大人の気遣い」ができる男の聞き方17怒れる女性には自分の頰を差し出す18「すべった人」をきちんと介錯する19連歌を奏でるようにバカ話でじゃれ合う20「長くてつまらない話」から女性を〝引きはがす〟21女性からの「セクシャル話」には「俺話」でかぶせる22「正反対の意見」を肯定語にして伝える23相手の仕事の社会的な意義を1つだけ伝える24相手の夢や野望は最後まで聞く第4章「大人の気遣い」ができる男の遊び方25「こんないい女と飲めて幸せ」と言える26「抱かれる言い訳」を贈呈する27「遊びだよ」と最初に伝える28ラグジュアリーホテルのラウンジで会う29自分から振られてあげる30追いかけない、責めない、執着しない31前向きな別れができる32無駄に期待をさせない第5章「大人の気遣い」ができる男の人間関係のつくり方33人に期待しないが、人情は捨てない34「大和撫子」を強要しない35「大人の仲違い」におせっかいを焼く36「クソ」を「味噌」に混ぜ込まない37相手が本当に欲しているものを徹底的に調べる383回までは過去の不義理を忘れる39「共通の思い出」を繰り返し話題にする40いじって、居場所をつくってあげる41不愉快なメールは右から左42月日が経っても受けた恩は何度も口にする

芸能人や芸人でいえば、「いじられる」ことはありがたい職務技能の1つである。「いじりOK」だけで、芸能人、芸人としての価値は格段に上がる。それは、一般人とて同じこと。初対面、あるいはまだ打ち解けていない状態のときに、あえて女性に「いじりのチャンス」を与える。たとえば、「俺、お腹、ぽっちゃりさんなんだよなあ……」というネタを提供するだけで、女性はあなたと数倍話しやすくなる。「あ、お腹ぽっちゃりさん、そんなに食べていいの?(笑)」と、彼女があなたのお腹をさすりながら会話を投げかけることができる。大人の男は、みな「いじらす」のが上手である。自分からいじりのネタをうまく提供して「いじりの誘い水」を向ける。相手を褒めたり、レディーファーストを徹底したり、あるいはさっと会計を済ましたり、といったことばかりが大人の気遣いではない。東京の六本木に、大人の社交場と言われる「R(仮称)」という店がある。毎週数百人のきらびやかな男女が集う。その店に通う50代のある男は、このいじらせの天才である。毎週、店で出会った麗しい女性をまたたくまに自分の膝の上に載せ、お戯れになる。女性も腕を絡め、殿方とスキンシップをとっている。その合間に「もうバカなんだから!」と、女性が男をからかういじりの言葉が聞こえてくる。そして、フレンチキスをして体を反らして笑っている。いじりのネタも聞こえていたが、下ネタだったのでここでは割愛する。美しいキャリアレディと出会い、1時間もしないうちにその状態に仕上げる力をその殿方は持っている。金の力でも媚薬の力でもなく、まさに「いじらせ技」の賜物である。僕も、自分のパーティーの冒頭ではちゃんとした挨拶をしたり、正しいコミュニケーションをする。しかし、途中からは「いじらせネタ」を提供する。たとえば、「あわよくばオヤジと言われるんだよね~。下心なんかまったくないのに(笑)!」と僕がいうと、女性が「あわよくばさん」と呼んでくる。不名誉なので「下心なんか持たないから!(笑)」と返すと「いーえ、あるでしょ?」と女性が返す。さらに「ない」「ある」のシーソートークになり、後は「わかった、わかった、〝下心ある〟でいいよ」となる。他にも、「今日も15歳以上の頭は使わないからねえ」と僕が言うと、女性から「中学生オヤジ」といじられる。これだけの気遣いで、女性は瞬く間にリラックスして、ワイルドなドランカーへと変貌する。そして、いたずらっ子のような目で殿方を玩具のように弄ぶ。これが大人の色気男、繁殖力が強い40代から50代の男の週末の宴事情である。女性側だって、本命の彼氏にしようなどとは微塵も思っていない。あくまで、ガス抜き代わりの、逃避行的夜遊びである。女性にモテようとして、格好をつけても空回るだけ。相手の女性だって緊張してしまう。自分をいじらせれば、彼女の魂はあなたにグッと近づく。しかも、勝手に女性の乱舞が始まる。いじらせの先にこそ、大人の男のパラダイスが待っているのである。

「さあ、みんなで飲みましょう!」そんなときに「いや僕は飲めないので……」と言うと、周囲がしらける。体調が優れなかったり、あるいは後に仕事が控えていたり、自動車で来ていたりするなど「飲めない状況」は誰にでもある。体質的に飲めない人もいるだろう。けっして、禁酒行為自体が間違いというわけではない。ただ、「酒を飲み、酔って話す楽しみを知っている人」からすれば「楽しみを共有できないのか……」と少々寂しくなってしまうのである。あるいは、一人だけ醒めている人がいることで、楽しむことを抑制してしまう人もいる。接待や仕事関係の宴の場合、「ああ、悪いことをしたなあ、お酒が飲めないことを知らずに誘ってしまった……」と相手に反省させてしまうことになる。デート中にも、少なからず影響が生じる。女性が「今日は少し酔って楽しく過ごしたいな」という日でも「自分だけ酔ったら悪いかな……」「冷静な人の前で自分だけ酔っている姿を見せるのは恥ずかしい……」と思わせてしまう。これが人間関係の機会損失につながる。心のタガを外して相手と向き合うチャンスを放棄することになるのだ。そんなときに、大人の男は気遣いを見せる。酒を飲んでいないという空気を一切漂わせないのである。まず、酔っている人よりもその場を楽しむ姿を見せる。会話をリードし、よく笑い、そして明るく振る舞う。バカを言ったり、やったりもする。すると、周囲は、その人が飲んでいないことをすっかり忘れてしまうのである。上級者になると、乾杯のときはビールを頼んで少しだけ口をつけ、2杯目からはこっそりウーロン茶にしたり、ノンアルコールビールにしたりする。店員にこっそり耳打ちをして、ノンアルコールを持ってきてもらう気遣いを見せる人もいる。僕自身、毎週、東京の芝浦で開催している大人の海辺の社交場で〝禁酒〟を実践している。誰もが「えっ?テンションがそんなに高いのに、飲んでいないんですか!?」と驚く。主催者として、場の隅々まで目を配るためである。酒を飲まないことで、よいことはたくさんある。まず、疲れが溜まらない。酒を飲むと、その場ではスカッとして楽しいが、やはり翌日にけだるさが残ってしまう。酒を飲まないことで、健康になったり、瘦せたりもする。まだまだある。それは酒の席における大切な話を忘れないということだ。酒を飲まないからこそ、好きな女性を車で送ることができる。看板のない口説きバーに移動して、2人きりの3次会もできる。このように、禁酒のメリットは非常に大きい。そんな甘い蜜にも期待しながら、酒を飲まないときは、周囲にしっかり大人の気遣いを見せたいものである。

複数でいるときはその場を盛り上げる中心人物、2人きりのときは聞き役の達人。そんな大人の男に、女性は目がない。皆の前で場を盛り上げる男は「皆の共有物」だ。ステージ上のアイドル、あるいは俳優と同じで、独占できない。しかし、その遠い距離だった相手が、1対1のときは聞き役に回る。この瞬間に女性は大きなときめきを抱く。自分の話で、その男を独占できる。このまさかの展開が、女性の潜在的な征服欲を無意識のうちに満たす。女性は、こんなメッセージを感じ取る。「この時間をあなたのために使いますよ。あなたが主役ですよ。僕はあなたのものですよ」男側としてはただ、話を聞くだけでいい。しかも女性がこのように解釈をして大満足してくれるから嬉しい。とくに、お互いに関係が浅いときに大きな効果が期待できる。グループ、イベントの中でリーダーシップをとっている男を、年下の女性は過大評価してしまう傾向があるからだ。流れで2人で会うことになったときにも、女性側は無意味に緊張をしてしてしまう。そこでゆったりと柔和に話を聞くスタンスで接する。この一転しての「聞き役姿勢」が女性をよい意味で拍子抜けさせる。「この人は、私の前では素の飾らない自分を見せてくれた」「私のことをたくさん理解してくれた」と思う。大人の男は皆、この法則に気づいている。では、もし仮に2人きりのときも、回し役のような物腰で接してしまったらどうなるか。その場合、残念ながら観客1人の一方的な講演会になってしまう可能性がある。女性はつねに緊張し、男側はずっとステージの上の状態を崩せない。この状況をつくってしまった男は決まって「魅力的な人だけど、なんだか自然体になれない」という感想を女性に抱かせる。モテそうなのにモテない、面白いのにモテない、自信満々なのにモテない。そんな男は、決まって二人きりのときでも、自分をステージの上に置きがちだ。女性もいつまでも観客なのだ。10代から20代前半の頃はこれでもよかった。むしろ、このほうが上手くいった経験が僕にもあった。しかし、あるときから、このやり方は大人の男女間では通用しないことがわかったのだ。モテる先輩たちは、みなこの「大勢では回し役、2人では聞き役」という法則を貫いていた。ステージや人前で輝く先輩に、周囲の女性は目を輝かせて話しかけた。ところが、先輩たちは質問に答えるのをやめ、女性たちの私生活に関する質問をはじめた。その後の会話の比率は先輩が3割、女性が7割へと推移した。女性たちはどんどんエキサイトし、お酒もすすんだ。時折、先輩が打つ合いの手や突っ込み、激励に彼女たちは感嘆し、ますます自己開示をしていた。こうして、先輩は複数の女性ファンをつかんでいった。このあと日を変えてバーで待ち合わせをし、話の続きを展開するのは簡単だ。この流れを先輩は無数につくっていた。そして40代の後半になった今でも、20歳以上年の離れた女性にはじまり、40代まで多くのファンに囲まれている。大勢では回し役、2人きりでは聞き役。あなたもぜひこの気遣いを実行し、その成果をたしかめてみてほしい。

大人の男の恋は、たいてい複雑な事情をはらむ。お互いに恋人がいたり、離婚調停中だったり、どちらかが子持ちであったりするケースも珍しくない。さらには法律上、倫理上、さまざまな障壁やリスク、不自由さをはらむケースも多い。それは独身同士でも同じこと。職場の上司・部下であったり、あるいは取引先同士だったりすることもある。大人の恋は、「世を忍ぶ恋」の確率が非常に高いのである。色恋沙汰の発覚が原因で、お互いに転落人生を歩んでしまうこともある。だからこそ、男性主導による「冷静になる」というブレーキが必要だ。「今は会えない」「互いにうまく距離を置こう」「重荷になる関係はやめよう」そんな言葉を適宜、淡々と女性に伝えることで、恋愛による事故や弊害を防ぐ責任が大人の男にはあるのだ。ある女性は、こんなふうに言う。「私は恋愛にのめり込んでしまう性格なので、ときには男性から冷静に『今週は会えない』とハッキリ言ってもらったほうがいい。叶わぬ恋だと知っているから。冷たい言葉をもらったほうが心おだやかです」男性主導のブレーキがあるからこそ、女性は大船に乗った気持ちで恋の蜜を摂取できる。たとえ独身同士の社内恋愛であっても、年の差や職位の差があるケースでは公にしにくい。そんなときも、男側が最大の配慮をしなければならない。男にその気遣いがあるからこそ、女性側も暴走せず、節度をわきまえ、自分の気持ちにブレーキをかけることができる。以前、40代の上司と交際する20代の女性からこんな意見を聞いたことがある。「互いに独身同士だけれど、彼は会社の上司。だから、社内では付き合っていないことになっています」彼女は、彼から、「会社では付き合っていないことにしてほしい。それと、会社では親し気に話しかけないこと。僕に対して敬語もきちんと使ってほしい」と言われたという。その禁欲的、冷徹な彼の言動が、彼女の気持ちを沸き立たせ、恋の妙味となる。秘密の恋の味が苦く甘く五臓六腑に沁みわたる。大人の恋においては、男側が冷静になることが、大人の気遣いといえる。ふたりの間に燃え上がる恋愛感情に冷静に水をかける。そして、現実を思い知る言葉を、何のためらいもなく相手に突きつける。感情の赴くままに恋に興じてしまえば、大人の男のビジネスライフ、そしてプライベートは簡単に崩壊してしまうだろう。そんな姿は、彼女の目にもカッコよくは映らない。たくさんの愛で恋人を包み込みたい。恋人に寂しい思いをさせたくない。その誠意は正しい。しかし、大人の男が情におぼれて恋愛中心の生活を送ることはゆるされない。あくまで、仕事あっての恋、社会的役割あっての恋である。自分のためにも、彼女のためにも、あえて「冷たくする」という気遣いを忘れてはならない。

「あ、それ違うんじゃない?」「でもさ、それって◯◯だよね」このように、会話の途中で、いちいち話の腰を折り、細かい反論をぶつけてしまう人をときどき見かける。この正論が会話をつまらなくする。葉を見て幹を見ず。話し手は、木の幹について話をしているのに、細かな葉の表現をいちいち訂正する。そのたびに話の流れが止まる。幹の話をしているということを察して、多少の葉の話の間違いも聞き流し、幹の部分の会話を汲み取り、盛り上げる。それが、大人の男の気遣いである。話の流れを止めてまで、枝葉にこだわり、細かい正論で話の腰を折る人間には、大人の気遣いが欠けている。細部を逐一正しく言い直したとしても、そこに大人の男の魅力が宿ることはない。それどころかノイジーである。もちろん、仕事の細かな報告であれば話は別だが、遊びの場所だったり、仕事でもブレーンストーミングの場所だったりすれば、この細かい訂正は「うっとうしい雑音」でしかなくなる。目の前の誰かが、突拍子もないことを言い出したら、その突拍子のなさを許容し、適度にいじりながらもっと楽しい内容へと育て上げる会話を心がけたい。この場合は、確信犯的にかぶいた方向に会話を膨らますのも大人の気遣いである。たとえば、プライベートの遊びの場で、「今度ねえ、移動カフェを車でやってみたいの」と、女性が言ったとする。そのときに、「お~いいねえ、どこでやるの?本を売ったり、音楽もかけて、カフェカーの前で踊ったりなんかしたら、さらにクレイジーだね(笑)」と返すのが、大人の男だ。反対に、「それって免許の申請をしないと無理じゃない?」「ビジネスモデル的に厳しいんじゃない?」と正論を言ってしまう人は、重度の「正論病」にかかっている。正しいのは確かだが、大人の男の余裕とセンスと遊び心がまったくない。「不快感」だけを女性に印象づけて、その場を台無しにしてしまう。当然、女性にモテるのは前者で、嫌われるのは後者である。これはあくまで、遊びの話である。しかも、彼女は会社の自分の部下ではないし、同僚でもない。わざわざシリアスな空気を漂わせてまで、正論を言う必要はまったくないのだ。しかし、「正論マン」は「あえて言いにくいことを言う」というスタンスに酔っているから厄介だ。言いにくいことはタイミングを見て、必要以上のショックを相手に与えずにスマートに伝え、かつ改善策とセットでさらりと伝えるのが大人の男の気遣いである。それをはきちがえている大人の男が大勢いることが今の日本社会の残念な点である。

相手の話に耳を傾け、理解する。「聞き上手」という言葉があるが、大人の男は「聞くこと」のプロフェッショナルでなければならない。相手に何かをしてあげることを考える前に、まずは、相手の話を聞き、正しく理解することが肝要だ。目の前の人、とくに異性が何に心を痛め、どんな種類の痛みを胸に抱いているのか。その心の痛みの種類を明確に把握し、共感すること。「正しく理解して共感する」ことができたら、相手の心の痛みを半減させることができたと言っても過言ではない。口下手なのに、なぜか女性が癖になってしまうタイプの男がいる。彼らには、この共感力が備わっている。相手を理解したうえで、同じ気持ちになったとき、その人は目の前の人と同じ呼吸、同じ心の周波数になるのだ。下心満載で〝聞いているフリ〟をしているだけの男を、女性は一瞬で見抜く。共感していない、理解していない男の異質な周波数を女性は本能的に判別して、受け入れを拒むのだ。さらには男側の「こうしたほうがいいんじゃないか?」などという勇み足のアドバイス。これが実は女性にとって余計なお世話になっていて、「話の聞けない男」「共感してくれない男」「理解してくれない男」というレッテルを貼られる原因になる。過去に、僕は何百回とこの失敗を繰り返してきた。今でも、女性の心の痛みに寄り添った後、解決策を言わないと気が済まないときもある。若い頃は「そんなの○○すれば解決できるよ!よし俺がなんとかしてあげるよ!」と、女性の話を何百回もぶった切ったものだ。過去に交際相手に「今日は聞いてほしいだけだったんだ。そんなに怒ってアドバイスしないでよ……」と泣かれてしまったこともあった。僕も、過去に散々、良かれと思って独りよがりの気遣いをしてきた。女性が、大人の男に望む理想像をけっしてはき違えてはいけない。女性が大人の男に望むのは、心の底からの共感である。こちらがもらい泣きをするぐらいの共感を求めている。逆に言えば、言葉は最小限でかまわない。傷ついた心の痛みの状態、痛みの種類を理解し、同じ周波数を分かち合ってほしい。これが女性の望む「傾聴」なのである。秀逸なアドバイスでも、彼女を称賛する美辞麗句でもなく、彼女と同じ気持ちになって、思わず感極まりそうになる心と、冷静に保とうと、感情をおさえようとしている表情、あるいは一緒に流す涙こそが、彼女の心に寄り添う究極の「非言語癒しコミュニケーション」であり、癖になる男の条件であることを覚えておいてほしい。すると、会話の運びは、必然的に「もっと理解するための会話」になり、質問形式になる。1つでも多くの情報を集めるための会話運びとなるのだ。男は、解決策を5個や10個とアドバイスしてもらうほうが心地よい。反対に解決策の出ない話を嫌う傾向がある。しかし女性は違う。共感が9割なのである。まずは徹底的に女性に感情移入して共感する。一緒に涙を流す。この気遣いを忘れてはならない。とくに特別な関係になりたいのであれば、なおさらである。秀逸なアドバイスを年の功からズバッと言いたくもなるだろうが、それはもう二呼吸あとにとっておこう。女性だっていつまでも泣いていられない。解決策を講じて動き出さなければならないときが、必ずやってくるのだから。

女性曰く、同性を素直に褒め讃えられる男に大人の余裕と安定感、冷静さを感じるという。とくに、共通の知人の名前を女性が口にしたとき、嫉妬せずに「あの人はいい男だよね!カッコイイ」と言える男こそ、女性の心を摑むことができる。恋の予感をはらんだ男女が向き合ったとき、モテる女性であれば、魅力的な男友達や恋愛進行中の男が複数いてもおかしくない。とはいえ、自分も恋人候補の1人になりたいと思っていれば、他の男の話など聞きたくはない。それなのに、自分と親しい男友達や恋人候補を淡々と褒める余裕がある。そんな男に、女性は底知れぬ奥行きを感じる。「私をどうにかしようと思っているはずなのに、他のオスを褒める余裕がある。どういうつもりなのかしら……」このように、同性を褒め称えることで、卓越した自信と客観的な心を持つ強い男であることの証明になるのだ。ここで「いや、あんな男、たいしたことないよ」「でもさ、オヤジじゃねえ?あの人」などと言ってしまえばそこで終了。あなたはその他大勢に埋もれ、彼女が過去に見てきた「嫉妬で地団駄を踏む余裕のない男」に格下げされてしまう。もちろん、このように嫉妬する男は、何かしらで他の男よりも抜きんでたいという気概を持っている。そして、魅力的な女性をデートに誘ったり、2人で会うために声をかけたりする多少なりともの自信を持つ男である。また、女性もそれに応じて「会っている」ということは「そこそこの魅力がある男性」ということになる。こういう、なまじっか自信がある男だからこそ、他の男に嫉妬したリ、ライバル心を抱く。しかし、同時に小粒がゆえに「その他大勢」に埋もれてしまいやすい。「素敵な男性が他の男性を〝あいつはカッコイイ〟とか〝あ~、彼はいい男だよね〟と褒めるのを見ると、〝この人のほうがいい男〟と思ってしまう」これは実際に僕が聞いた女性の意見である。いい女で、かつ自由恋愛主義者で、自分の人生に正直な女性ほど「いい男のコレクション願望」が強い。彼女たちは、仕事場やその他のコミュニティにおいて魅力のある男をコレクションしようとする。複数の男と男女の関係になる猛者もいれば、友人という体裁で心の中だけでときめくだけの人もいる。彼女が話題に登場させた他の男を素直に褒め、讃えるという行為は彼女たちの本能、ライフスタイル、嗜好を肯定し、許容するということも意味する。男側にも豊富な魅力のある女性人脈があってこそのなせる技である。もし、あなたが魅力的な異性の人脈を持っていなかったとしたら。女性のストックに余裕がなかったとしたら。そんなときも、ここはグッと我慢だ。彼女が讃えた男を心の底から褒めること。そのやせ我慢が、あなたを大人の色男へと育ててくれる。

どんなにつらくても、人前で笑顔を保ち、やせ我慢をする人がいる。そのような人の不調に、経験豊富な大人の男なら気付く。あなたならどうするだろうか。「顔色が悪いよ」「負のオーラが出ているよ」などと心配をしながら、忠告してあげるだろうか。答えは否だ。ただでさえ不調なのに、内心が外に溢れ出て、周囲にも気づかれた本人のショックは計り知れない。「疲れきっているね、仕事がうまくいかないの?大丈夫?」と心配されることは、「魅力も能力もないんですね」と言われるに等しい。第三者の心配と指摘がセルフイメージを下げ、不運を呼び寄せるトリガーになってしまいかねない。負けず嫌いで、弱音を吐かない相手にとって、その指摘は地獄に堕ちたに等しい出来事である。仕事もそれほど好調ではない、なんらかの悩みや問題を抱えているであろう相手に対しては、不調な雰囲気を感じつつも、あえて気づかないふりをする。それが大人の気遣いである。そして、思っていることと正反対の言葉をかける。「絶好調でしょ!」と笑顔で声をかけるのだ。その一言が、本人を励ますことになる。「そうか!自分は絶好調に見えているのか!よし、その調子だ!もう少し頑張るぞ!」と本人は心を奮い立たせる。絶好調のように振る舞わなくてはいけなくなり、言動も前向きなまま保たれる。「いや~絶好調じゃないの?ノってるねえ!」と言われると、「あなたは魅力も能力も、溢れ出んばかりですねえ!」と褒められたような気持ちになる。僕にも、経験がある。あるとき、「顔色悪いですね、死相がでていますよ」「そんなにがんばっていたら死にますよ」「心配です……、大丈夫?」と言われたことがある。当時、アマチュアの格闘技の試合前ということで減量をしていたが、不健康だという自覚はなかった。顔の黒さは海遊びのせいでもあった。たしかに、新しいプロジェクトに挑戦し、なかなかうまくいかない時期ではあったが、その言葉がとても居心地が悪かった。一瞬だが、やる気を失った記憶がある。そんな折り、ある女性から、正反対のことを言われた。その途端、やる気が漲り、仕事も遊びも家族サービスも楽しむ心持ちに切り替わったのだ。「いつもオーラが出ていて、人生を楽しんでいる。本を書き上げた後はげっそりしているときもあるけれど、リングに上がる前の感じみたい。その動物っぽい殺気がいいよね」これが最大の称賛に聞こえた。言葉ひとつで人は勇気づけられたり、やる気をなくしたりする。知人、友人、大切な異性が、少々満身創痍だったとしても、戦っている最中は「絶好調だよな!」と声をかけてあげよう。そのほうが本人は最善の努力をする。強いままの自分で堂々とあなたの前で笑っていられるのだから。

「私って女らしくないから……」「え、そんなことないでしょ。どう見ても色気の塊みたいに思うけど(笑)」このようにレッテルをはがし、正しいレッテルを貼ってあげる。本当に色気のかけらもない人には言えないが、本当は色気があるのに、ないと思い込んでいる女性に対しては、思い切りその負のレッテルを引きはがしてあげたほうがいい。人には、それぞれ所属するコミュニティや組織におけるレッテルがある。そのレッテルが、本来持ち得る長所と異なっていることがある。本当は積極的な性格なのに、就職した会社の環境では求められないため、本性を隠し、小さくまとまろうとする。そして、その「控えめな集団」の中のイニシアチブパーソンに「キミは控えめで真面目だな」とレッテルを貼られる。控えめな人生を歩んできたイニシアチブパーソンは、彼女の演技に気づけない。その結果、間違ったレッテルを使用され続ける。あるいは、職場で活躍できない人は、卓越した魅力、センス、能力を持っていても「デキない人」のレッテルをプライベートまで引きずりがちである。最悪なのは、「いじめられっ子」というレッテルだ。こんなレッテルは、1秒でも早く引きはがしたいものである。誰もが、本来自分が望むものとは異なるレッテルをどこかで貼られている。そのレッテルが暗い影を引きずり、足を引っ張る。間違ったレッテルという亡霊に悩まされる人は少なくない。そのレッテルが醸し出す雰囲気を感じ取り、あえてそのレッテルをはがすような言葉を相手にかけてあげるのだ。その人に見え隠れする魅力や能力、輝きの片鱗に焦点を当て、正しいレッテルを貼ってあげる。同時に過去の悪しきレッテルの痕跡を根絶やしにしてあげる。女性の中には、間違ったレッテルによって人生を不自由にしている人がいる。そこそこの美人であるにもかかわらず、自信を持つことができない女性がじつに多いのだ。もし、女性が自分の負のレッテルを口にしたら、そのときは「誰が言ったの?」「どうしてそう思うの?」と質問をしてみてほしい。その後、その判断がいかに間違いであるかを強く主張するのだ。「瘦せているから、グラマラスじゃないの……」「私、ぽっちゃりだから……」「もうおばさんだし……」「人見知りだしね……」どう見てもそんなことはないと思ったら、正しいレッテルを貼ってあげよう。間違ったセルフイメージを正してあげることで、本当の人生を取り戻すお手伝いをしてあげる。きっと、あなたは彼女の魅力を開拓したような気分になるだろう。男として誇るべき瞬間の1つである。彼女は、本当の魅力を引き出し、希望をくれたあなたに特別な感情を抱きはじめる。未来にときめく瞬間が共有できて、お互いにいいことずくめである。

大人の恋愛の場合、お互い、相手が一人とは限らない。相手の女性としての魅力が優れていればいるほど、ライバルは多くなる。男とて同じこと。男の場合、その本能の特性上から、より複数の人とより深い関係になるケースが多い。「古来英雄、色を好む」ということわざがあるように、魅力と力を持った男の繁殖力はいつの時代も健在である。世の中にいかに草食男子がはびころうと、「強いオスの繁殖文化」はしぶとく持続する。最近では、仕事も、美貌も、お金も持った女性が、強いオスと同じようなライフスタイルを楽しむケースも増えている。もちろん、昔からあったのだろうが、そういう女性が明るみに出てきた。僕の周囲にもそういった類の30代、40代女性が何人かいる。未婚既婚、彼氏アリ、ナシに関係なく、複数の異性と恋愛を楽しむ女性たちだ。さて、そんな繁殖女子を含む女性たちが、男友達に対して、あるセリフを口にすることがある。「最近、他の女性とはどうなの?」自分以外の女性との情事について聞きたがるのだ。相手の男が魅力的で、一人の女性に収まる存在ではないことを理解したうえでこの言葉をかける。さて、ここでほいほいと、他の女性との情事についてモテ自慢をしてしまう人は、まだ大人の男としての配慮が足らない。大人の男は、ここでちょっとした気遣いを見せる。「さあ……、思い出せないね(笑)」と答えるのだ。これが、相手女性への礼儀であり、大人の男の嗜みである。それでも好奇心の強い女性は、「ねえ、教えてよ……」と食い下がる。そのときは、「いまこの瞬間だけは、目の前にいるあなたとの時間を大切にしたい。だから他の女性の話はしません」と断る。「同じ時間を過ごすなら、お互いを大切に扱うほうが有意義だから。ただのセフレといった安っぽい関係とは違う」そんなふうに、ある40代男性は語る。彼は現在、不動産会社に勤務、1回離婚し、今は独身。複数の女性と自由な恋を楽しんでいる。しかし、ただの「セフレの関係」ではつまらない。自分も彼女もそれでは、時間の無駄になると考えている。ただし、彼曰く、例外が一定層存在するという。他の女性との情事を聞くことが、心地よく、そして自分の刺激にもなると考える女性がいるのだ。女性同士は、男と比べて、自由恋愛の情報を交換するケースが少ない。だから、他の情報を心底知りたいと思うそうだ。そういう女性には、もちろん話してあげればいい。そうはいっても、一般的に、女性には「さあ……、思い出せないね(笑)」とお茶を濁すほうがよいだろう。たとえ自由恋愛だとしても、相手一人ひとりに自己重要感をしっかりと与える。それが大人の男の気遣いだ。

「男は女性に優しくあるべきだ」いたるところで、この言葉を耳にする。「優しいほうがモテる」「優しくすれば相手から勝手に恋に落ちてくれる」しかし、本当に、優しくさえしていれば、女性の恋心に火をつけ、切っても切れない関係になれるのだろうか?傾聴能力は年齢が上がれば上がるほど男が持ち合わせていなければいけない素養だ。これができなければ、恋愛、職場、交友関係、あるいはパーティや交流会で女性から好まれたり、この人いいなと思われたりすることはまずない。いつも笑顔で柔和な物腰で接すること、いつも加点主義で、ポジティブな言葉で包み込む。この能力が男に必要なことは否定できない。とくに女性が30代後半から40代になると、「おだやかな男性」との結婚を求めるようになる。「相手が成功者で卓越した能力、尊敬に値する個性を持つ場合」も同様だ。女性は一定の年齢を過ぎると、相手が最低限の社会的能力を持っていることを前提に穏やかな普通の男を選ぶ傾向が増える。「男性にただおだやかに傍らでたたずんでほしい」が第一優先となる。包容力のある優しい男が女性を虜にする。もう耳にたこができるほど聞いた言葉である。しかし、この包容力や優しさは、弱さや自信のなさの裏返しであってはならない。女性はその本質をすぐに見抜く。「優しさ」は人の何倍もあるが、その優しさが弱さと自信のなさの裏返しで「優しくするしかない」という男性は選ばない。腰が引けて出会いの場所に行かない。行っても女性の記憶に残らず忘れられる。いなかったことと同じ扱いを受ける。これが現実だからだ。普通の女性ですらも「優しいだけ」の「弱い男」を選ぼうとはしない。とくに「いい女」と言われる部類の女性、売れ時の女性が「優しいだけ」の男を選ぶことは200%ない。暖簾に腕押し男に対し、旬な女性がその唇を近づけ、味わうことはまずない。万が一、交際に至ったとしても悲劇が待っている。その頼りなさがゆえに彼女の性格までゆがめてしまうのだ。僕も20代前半にその経験がある。年上の姉御肌の女性と交際したときのことだ。彼女は僕に対し「優しくしてくれそうだから」とアプローチしてきた。そのせいで僕は「過剰に優しいスタンス」を崩せなくなってしまった。そのうち彼女は「優しいだけ」の僕を甘く見てバカにするようになった。わがまま言いたい放題、最後には「あなたを見ているとイライラする。そしてイライラする自分も嫌いなの……」と。「あなたが今一生懸命にやっているイベント活動なんてバカバカしいわ」と頭ごなしに言ってきた。その瞬間、ファミレスで折った割箸を投げつけ、「ナメんな!」と叫んでその場を去った。彼女とはそれ以来、会っていない。自分が振られる前に、半ば半ギレ状態で僕は身を引いた。「優しいだけ」は、女性にナメられる。女性を凶暴にし、暴走させる。普段から「そういう言い方は腹立つからやめろよ!」などと小出しに言っていれば、こうはならなかった。それが言えない僕に、きっと彼女は愛想をつかし、暴走したのだと思う。彼女をそうさせてしまったのは僕の頼りなさが原因であった。大人の気遣いができなかった頃の反省体験である。もちろん「優しさ」に重点を置くなとは言わない。ただ、優しいだけで、自分のなかの「男」をあるいは「人間」を潰してしまうのは間違いであると言いたい。没個性的な優しさを持った男は記憶にも残らないし、軽く見られる。対女性というだけでなく、人間関係全般で忘れられる。そして女性の心をも壊してしまうのだ。心当たりのある人のために「優しいだけ」の生き方を打ち破る「前向きな強い言葉」を用意した。たとえば、こんなふうに女性に強めの言葉をかけてみる。「人としてやっぱりちゃんと筋を通したほうがいいと思う」「感情的になって筋違いの攻撃をしたらバカだと思われるから、やめなよ」「人を利用するだけの女と思われないように、ケアしたほうがいい」「そんなに自分を殺す必要はないんじゃない?」「そんなに会社で苦しんで耐え、尊厳を失うために生きているんじゃないよな」十分な愛と気遣いがこもった言葉、強い言葉でもある。もし、この程度のフレーズを言えない相手なら、ウマの合わない女と思って間違いない。寂しいから、モテたいから、かわいいから。たった、それだけで彼女に執着しているだけ。嫌いな女から好かれようとしても意味はない。ここは賭けに出てもいい。きつく言って本当の自分を出して良い関係になるか?あるいは関係を終わらせるか?あるいは親友になるか?強く言ってあげることで、相手の真意がわかる。相手の心を壊さないためにも、あなた自身が強い意見を言えるようになるべきである。

人は皆、自尊心を宿している。人から尊敬されたい願望を持っている。それがプライドや誇りという言葉に置き換わり、仕事に向き合う動機のひとつにもなっている。だが、「自分はすごいですよ」などとは、けっして自分から言いたくはない。自慢の満悦感と引き換えに、周囲から「残念男」のレッテルを貼られてしまうからだ。ならば、友達同士互いに称え合えばよいのだがこれも一長一短。初対面の宴において「◎◎さんは××という上場ベンチャーの社長で、たった6年で上場してすごい人なんですよ」などという紹介も、五分五分である。トピックになる場合と、自慢の公害の発生元になる確率は半々だ。紹介、コメントをする人の心根も大事になる。単に「こんなにすごいやつの友達なんだ」と自慢したいだけの場合、その賞賛は「不快な味」となる。ビジネスで成功することに価値を置く人々の間では「前向きな刺激剤」になるが、そうではなく逆にビジネスにコンプレックスを持つメンバーの間では「だからどうした?自慢かよ?」と反感を買ってしまう。出会って間もない大勢の中で嫌みなく尊敬され、周囲も喜ばせるのはなかなか難しい。そこで、とっておきの方法がある。「相手が誇りに思っていることを前向きにいじる」のだ。ストレートに褒めたり、称えるとわざとらしくなったり、自慢気になってしまう長所をあえて「いじり崩す」のである。この崩すという部分がポイントである。「もう、会社が急成長しすぎて、この前、自分の会社の社員と間違って合コンしちゃって、デートしましたからね~。気まずいですねえ、社員の名前をちゃんと覚えなさいよ、あんた!」このようにいじりながら褒めれば、相手も身の振り方に困ることなく、自然体でそのまま会話で戯れ続けることができる。多少のいじりは、情味のこもった円滑な人間関係を楽しむのに必要だ。よりよき関係をつくるためにあえて愛情をこめていじる。恋愛関係においても同じである。紳士的にそっけなく接するだけでなく、ときに間合いを詰めて、爽やかな、それでいて相手が自分に誇りを持てるようないじりを見せたい。いじるにしても、相手の能力の高さ、社会的影響力の強さ、あるいは女性であればその美貌と、稀に見る唯一無二の魅力をいじるのである。「あなたと出会った男は、いちいちドキドキして仕事に集中できなくて、商売あがったりなんじゃないの?困った人だね!」といったふうに。僕も以前「潮凪さん、本をたくさん書きすぎて自分で書いたことを覚えていない(笑)」といじられたことがある。実績を称えながらも、いじりの対象として料理してくれる。自慢気に聞こえないので、その場に居づらくもない。とても調和された空気になった。尊敬しながらいじり崩す。ぜひ、試していただきたい。

声高らかに自分の仕事について語る男がいる。一方、話の内容がよくわからないのに「そうですか、すごいですね」と答える女性が同じ数だけ存在している。とくに年下の女性は、よく話を理解しないまま、闇雲にただ「すごいですね」と答えてしまう人が多い。「なんとなくすごそうに聞こえるから」「すごいと言っておけば、相手が喜んでくれるから」と、「すごいですね」を連発する。間違いなくお互いにとっての小さな悲劇である。結果的に、互いに理解し合えないまま無駄な時間を過ごす羽目になる。こんな無駄な時間を過ごすくらいなら、褌一丁で、ドジョウ掬いの宴会芸でもやってあげたほうが、よっぽど有意義な時間となる。自分がどんな仕事をしているのかわかりやすく解説できない。そこに、この問題の根本的な原因が潜む。大人の男は、この無駄な時間を「有益な時間」に変える術を知っている。彼らは、自分の仕事の内容をわかりやすく、楽しく翻訳して話す技術を持っているのだ。自分の業界の話を業界外の人にするときは、小学校五年生くらいの子供を相手に解説するつもりで話す。「ああ、この人はわかりやすく話せる親切で賢い人なんだな……」それだけで互いに楽しい時間を過ごすことができ、好印象を与えることができる。人は相手の話が理解できないとき、自分が悪くなくとも、自責の念を感じるものだからだ。とくに若い時分は自身の経験のなさや、知識不足を責めてしまいがちである。その類のストレスを相手に与えない気遣いが大切なのだ。デート中は、なおさらだ。「話が理解できないって世間知らずなのかな……」と、思った瞬間、女性の態度に萎縮がはじまる。結果、「つまらなかった」という思い出を刻ませてしまう。僕も書籍の執筆、イベントプロデュース、講演、出版プロデュース、著者養成学校、広告系の仕事、不動産投資など、たくさんの複雑な肩書きがある。しかし、ひと言、「本を書く仕事」と「そこから生まれた好きな仕事をしています」と、シンプルに言う。それで最初は十分なのだ。初対面の女性と話すときは、小学校5年生くらいの子供に自分の仕事を説明するつもりで嚙み砕いて話す。そこに1つの疑問も残らない状態で世間話にうつる。ぜひ試していただければ幸いである。

「目の前の人は、いま僕と一緒にいて本当に楽しいのだろうか……」「僕と一緒にご飯を食べることに、本当は飽きているんじゃないか……」そんなふうに相手に申し訳ない気持ちを抱いたことはないだろうか。とかく自分に自信がない人は、このように思いがちである。自分に自信があったとしても、自分自身が相手にマンネリ感を抱き始めたりすると、「相手もそう思っていたら嫌だな……」と思うものである。また、楽しいデートコースを用意できなかった男が女性をそのように勘ぐったりもするものだ。反対に、自分が心の底からその場を楽しんでいればこんなことにはならない。意気揚々と楽し気に相手と接するはずだ。このような不安を抱えているのは、あなただけではない。相手だって、同じようにそう感じている。余裕のある大人の男は、その不安さえ、こちらから払拭してあげるための気遣いを見せることができる。具体的にどうするのか。「本当に楽しい!最高だ!」「この時間は俺にとって特別な時間だ。ありがとう」「本当に癒される。もう帰りたくない」そんな言葉をサラリと口にする。すると、「ああ、私と過ごして退屈じゃないだろうか?不機嫌じゃないだろうか?」という相手の不安が吹き飛ぶ。一緒に心の扉を開き、新鮮な一体感を楽しむことができるのだ。あなたという人間に引き込まれ、近い距離で接しようとする態度に変わってゆく。仮に相手が本当に退屈さを感じていたとしても、先ほどの言葉により、気分が持ち直されて、気分が高揚してしまうのである。これらの言葉は、マンネリ化しがちな人間関係を活性化させる、大人の気遣いの1つと言える。僕も、知人や友人と出かけるときは、空気が低迷する前に「いや~、楽しいね。これだね」というセリフをなるべく口にするようにしている。あるいは、イベントで人の集まりが悪いときに「今日はスタッフが楽しもう。じっくり語って過ごそう!」と楽しがる。それによって、自分の気持ちもスタッフの気持ちも高揚するのだ。「あ、今日は空気が低迷しそうだな……」そう思うときこそ、言葉にしてみるといい。これらのフレーズを発しているうちに、本当に楽しくなってくるから不思議である。何より、自分が楽しもうという気持ちになれる。そして、あなたが楽しめば、周囲も感化されてどんどん気持ちが高まっていくのである。

交流会やビジネスの現場、あるいはパーティーなどで出会った相手の中には、自分の仕事にプライドを持っている人が大勢いる。日夜エネルギーを注ぎ、顧客や社会に貢献しようと職務に従事しているのだから、そうなるのはある意味当然のことだ。ビジネスを含む出会いの場所で彼らに共通するのは、認められたい、尊敬されたい、自分のことを覚えてもらいたい、という三大欲求を持つことである。ところが、多くの人は、自分が期待するほど自分のことを覚えてはもらえない。「あ、保険のセールスの人ね」「あ、メーカーの人ね」「あ、建設会社の人ね……」と、〝なんとなく〟しか覚えてもらえない。仕方のないことではあるが、本人にとっては実にショックな話である。覚えてもらえなかったり、尊敬されなかったり、忘れられたことがあまりにもショックで、人が集まる場所に行きたがらなくなる人もいるほどだ。とくに、仕事以外で強みやアイデンティティを持たない人、あるいは社内で認められた人のショックは大きい。印象に残らないことで、全面的に自分を否定されたような気持ちになってしまう。そんな人々の心を穏やかにしてあげる気遣いがある。もっと親密になりたいと思う相手には、たった1つ、相手の仕事の強みを覚え、それを次回から口に出すようにする。名刺交換をしただけでは、相手の強みはわからない。だから、1回目でしっかり相手の活動について質問して聞き出し、その内容を名刺にメモしておくのである。たった1つでいい。相手の強みを覚えておき、次回会ったときに言葉にする。さらに、その場で人に紹介するときに「この方は〇〇のプロフェショナルなんです」と吹聴する。たったそれだけで、相手は感激してくれる。一番努力をしていること、一番の強みを的確に言葉にして広めてくれることほどうれしく、そして居場所が得られる瞬間はない。しかも、1度か2度しか会ったことがない人にそのような行動をされると、相手の自尊心が心の底から満たされる。たった1つの強みであれば、5人分、10人分だって簡単に覚えられる。これだけで相手を喜ばせることができるのだから、やらない手はない。相手が女性であっても同じことだ。かわいいだけ、綺麗なだけではなく「プロの仕事」を覚えてもらえることは、間違いなく嬉しい。仕事を大切にしている女性の「仕事」をリスペクトすること。それはすなわち、彼女の魂を称えたのと同じこと。そんなことをしてくれた男とは、夜を徹して何時間でも語り合いたいと思うはずだ。出会った人の「強み」を言語化して記憶し、次回会ったときに言葉にして言ってあげる。その気遣いが、お互いに心地良い関係を築くことに必ずつながる。

誰かを勇気づけたり、励ましたり、落ち込んだ心を癒したりする場面に遭遇することがある。部下だったり、プライベートの後輩だったり、あるいは友人、家族の場合もある。なかには、恋人や伴侶を励ますこともある。しかし、どんなに気持ちを込めて励ましてみても、なかなかうまくいかない。そのときは「うん、わかった……。がんばってみる」と言っても、数日たつとまた落ち込んだ状態に戻ってしまう。そして、「私にはダメみたい。うまくいかないわ」という短いメールが届く。そこで「あきらめるな!」と強く言っても本人は落ち込むだけ。「そうなんだね」などと寄り添ってみても、こちらに徒労感がどっと押し寄せる。「キミだって強くなれる!」そう相手に信じ込ませるには「弱虫から偉人になった人」の話をするのがいい。歴史上、弱虫から偉人になった人は大勢いる。かの坂本竜馬も、幼少期は泣き虫で周囲から心配されたという。そんな話を例に出し、「だからキミもきっと変われる」と思い込ませる。相手は自分を信じられるようになり、同時にあなたの徒労感もなくなる。心が弱い人は「自分のような弱い人間が人生の勝者になれるはずはない」と思っている。何をやってもダメで、ずっと一生、弱者ゾーンから出られないと思い込んでいるのだ。だから、通常のセオリーどおりに慰めても他人事としか思わない。彼らの頭の中の敗北のシナリオを書き替えないことには埒が明かない。そこで自分と同じ弱虫だったけれど、偉くなった実在の人物の存在に触れる。弱虫だった人、虐げられていた人、能力が低いと言われていたにもかかわらず、成功した、あるいは自己実現した人の「ストーリー」を頭の中に映写させるのだ。これによりシンプルに「自分にもできる」と思うことができる。「キミはここが弱いから、強くしなければダメ」とダメ出しをしたところで、彼らは強くする術を知らないし、思いつきもしない。あるいは「昨日のその行動はこうするべきだったな」と一つひとつの枝葉を矯正しようとしても、余計にショックを感じてしまう。壊れたセルフイメージのまま、行動だけ変えても改善の速度は遅い。彼らの心の弱さをより早く補修し、自信を持ってもらうためには、自分と同じ境遇から強くなった人と、自分との共通点を見つけてもらうのが早い。ある大成功した芸術家は「自分のなかに傷つきやすい繊細さ」があったから成功できたと語る。もし、彼が「ただの強い人」であったならば、無名で終わっていた。「弱さ」を武器に変え、いや、正確に言えば武器と思い込んで進む。「弱いのに成功できた誰か」と自分を重ねて努力することに意味がある。僕自身にも心当たりがある。かつて、「社会不適合者ではないか?」と自分を疑ったとき、成功した芸術家、著述家、経営者、タレントを調べたことがある。皆、はみだし者だった。それが自己肯定の絶好の機会になった。人生を強く生きるには、ときに屁理屈や居直りを前提とする「自己肯定」が必要なのである。弱い人の心を慰め、やる気になってもらいたいと思うときのワンランク上の励まし方である。

彼女や妻を傷つけて、怒らせてしまった。ちょっとやそっとでは怒りがおさまりそうもない。女性がこのように心の底から激怒しているときは、何を言っても、どんなに筋道を立てて話をしようとしても、心に届くことはない。慰めようと言葉を発しても、逆に相手に言葉尻をとらえられて叫ばれる。かといって、「いい加減にしろ!」と女性を怒鳴りつけてしまえば、極端な場合、相手が物を投げてきたり、自傷行為に移ったりすることもある。暴れる体を押さえつけようとすれば、DVだと言い放たれる。こんなときは、黙って自分の頰を差し出す。「殴れよ!殴ってすっきりしろよ!」そして、女性に潔く数発殴らせてあげるのだ。この行動で、女性の怒りは徐々におさまり始める。彼女の心には、怒りの感情が渦巻いている。要は、その怒りが去ればよいのである。顔を殴らせれば、こちらが諭す必要もなく、自然に鎮まる。怒りの対象は、こちらに向いているのだから、四の五の言わずに、静かに頰を差し出せばいい。大切な人なのだから、殴らせてあげればいい。このとき、大切なことが1つある。それは、殴らせた後に相手をそっと抱きしめるということだ。相手はあなたの愛が欲しいのだから、それを惜しみなく与える。顔面の殴打も、あなたのことが好きだからこそだ。殴らせて、抱きしめる。これが成熟した強いオスが荒ぶる恋人や伴侶に施すべき気遣いである。さらに、ちょっとしたコツもある。女性に殴られるときは、歯を食いしばり、唇をぎゅっとつむり、歯で唇が切れないようにする。目に指が入らないように目をつむる。首にしっかりと力を入れて、首を前に差し出す。鼻血が出るのは、仕方がないだろう。鼻が折れてさえいなければ、ティッシュでも詰めておけばいい。この方法は、ある先輩が実際に使っていたやり方である。そして、僕にも実践した経験がある。実際、相当の効き目があった。口の中が切れて翌日まで辛い物は食べられないが、それぐらいで彼女の怒りがおさまるのだから安いものだ。絶対にやってはいけないのは、自分で頰を殴らせておいて、逆ギレして手を出すという行為である。そんなことをしてしまっては、元も子もない。傷害罪で自分の立場を失う危険性すらある。しっかりと自分の感情をおさえ、耐え抜く。あなたの顔の傷はすぐに治るが、彼女の心の傷は1年、いや2年経っても癒えない。傷の浅いあなたのほうが、こらえるべきなのだ。あなたを殴った後、相手の心に罪悪感が生まれることもある。あなたに対して愛があれば、彼女の中に慈悲の心が沸き上がる。そこからお互いに歩み寄りが生まれ、再び仲睦まじい関係へと修復の階段を昇ることができるかもしれない。もしくは、女性側も十分に気が済むことで、平和で前向きな別れへと進めるかもしれない。いずれにしても建設的な進展が待っている。

他人の発言に対して、「寒いな」「すべってるな」と感じるときがある。そんなとき、一般的には友人、知人、隣人、他人の発言を肯定的に、温情を持って受け止めなければいけない。しかし、この体のよい気遣いが、すべった本人をむしろ奈落の底に落としかねない。すべったことにより、周囲から「会話の〝介護〟が必要な存在」と見られてしまうからである。すべっている相手を容認して笑ったフリをしたり、おべっかを使ったりすると、重苦しい空気が漂ってしまうことがあるので、くれぐれも気を付けたい。ましてや、「寒いギャグ」や「自慢話」に本気で盛り上がって同調してしまうと、その場にいる第三者が腹を立ててしまうことも珍しくない。「なんだ、この集まりは?もう2度と来ない。こんな人たちに同化したくない」と思われてしまう。過去に、僕も「こんなトークセンスの悪い場所にはもう来たくない」「ああ、ここはそういう人間たちが集まる場所か……」と誰とも話さずに途中退席した会合がある。では、すべっている人を見て、いたたまれない気持ちになったり、寒い感じがしたりしたらどうするべきか。底の浅いギャグやダジャレには「いまのはないだろ?(笑)」、下衆なセクハラ発言をする相手には「ジジイ、黙れ!(笑)」、自慢三昧の相手には「どうしてくれる、この空気(笑)」、マウンティングを伴う長い解説をする輩には、「いいから飲んどけ(笑)」と言ってあげよう。その後、必ず笑いが起きるので、その場にバランスが取り戻される。もちろん、その場の何人かが「大丈夫?あんなこと言って」と顔を見合わせるが、それでいい。すべった人にイライラするぐらいなら、しっかりと発言を拾って、いじってあげ、どこが寒いかを指摘してその人を放置しないことだ。寒い空気の発端となった彼、もしくは彼女が「裸の王様」になることを免れることができるし、グループカーストの底辺に落ちたり、いじめの対象や、仲間外れになったりすることからも救出される。ここで放置したら空気は凍り付き、本人は孤独のオーラを纏うことになる。そうならないように「ただのすべり屋」を「いじられキャラのスター」に仕立てて上げるのだ。「あの人、寒いよね」と、陰で悪口を言うくらいなら、しっかりとその場で「いじる」「さわる」「コメントする」ことで大人の気遣いを見せたい。もちろん、せわしなく突っ込みを入れ、会話を妨害し、潰すなどというのは迷惑行為なのでやめておこう。かつて寒いギャグの巣窟のような会社の社員だったことがある。その中で、腹が立つ寒いギャグや自慢話にやむなく迎合するフリをする日々が続いた。しかし、プライベートの友人のひとりが僕にこんなコメントをくれた。「おまえ、プライベートでもつくり笑いをするなよ。昔だったら、もっと相手に突っ込んでいたよな。つまらない奴になったな」会社のつくり笑い生活のせいで、「滑る人間」「寒い空気をつくる人」をいじり、突っこみ、場の空気を矯正するセンスがあやうく枯れ果てるところだった。その友人には、今でも感謝している。

女性がバカ話をして勝手に盛り上がっているときに、話を合わせて合いの手を打つ。固まったり、反論したり、鼻で笑ったりせずに、笑顔で同調する。そんな男を嫌いな女性はいない。「バカ話をして申し訳ないな」と思っているのに、その話を受け入れ、一緒に悪ふざけしてくれる男に女性は身を乗り出し、自己開示欲を高めるのである。どんなくだらないふざけ話にも話を合わせられる。これは、大人の男の気遣いを通り越した、卓越した「おもてなし力」といえる。言葉にすると陳腐だが、この能力は、実はさまざまな条件が重ならないと生まれない。まずは、仕事のストレスが溜まっていないこと。頭の中が快適だからこそ、一緒にふざけるためのフレーズがポンポンと飛び出してくるのである。さらには、自分の適性にあった仕事に意欲的に向き合っているということもある。また、職場の人間関係も良好であること。これは仕事場でイニシアチブをとっている証拠でもある。会社での人間関係がぎくしゃくし、あるいは虐げられている人は、やはりプライベートのコミュニケーションもぎこちない。何もかもうまくいかず、不満や自責の念や負の感情を抱いている人が、くだらない話にとことん陶酔できる可能性は低いのである。もちろん、そういう積極的な現実逃避が得意な人もいるが、ごく少数である。僕自身も、思えば会社員時代に上司から理不尽に怒られ、劣悪な人間関係の会社で働いていたときは、この「くだらない話に合わせる」ことが今ほどはできなかった。休日であれば、完全に会社を切り離すことができるので、いくらでもふざけられたが、平日は会社でのストレスや憤りなどがあり、深酒でもしない限り、バカ話で心の底から戯れることが難しかった。今でも、「仕事が終わらない」「仕事がうまくいかない」「トラブルに巻き込まれそうになった」「ありえない態度の人間に物申そうかと思っている」ときなどは、くだらない話に乗っかってふざけられないものだ。表面上では合わせられても、感情が乗らない。その感情は女性にも伝わってしまい、やはり相手も楽しくない気持ちにさせてしまうのである。くだらない話に合わせ、寄り添い、ときに自分も乗っかって相手の無邪気な心を引き出す。これは心の豊かさが成せる技であり、「生きることを楽しむ大人の男」の象徴的な能力なのである。もっともっと〝くだらなさ〟を深掘りし、女性と連歌を奏でるように言葉のじゃれあいを楽しみたいものである。

大人はどんなときもおおらかに、ゆったりと、包容力を持って人と対話すべきだという考え方がある。この考えが正解である場合、長くてつまらない話をする相手にも笑顔で接し、寛容に接するべきかという疑問が浮かぶ。それは正論ではあるだろう。しかし、実際のところはどうか。仕事ならまだしも、プライベートの時間において長くてつまらない話を聞き続けることは正直耐えがたいものがある。ただでさえ貴重な休日。時間だって限られている。それなのに、つくり笑顔で、面白くもない話に耳を傾けるのは、人生の無駄遣いでしかない。話す側の人にとっては昇華となり、さぞかし快感であろう。話を聞いてもらったことで自己重要感を満たすこともできる。しかし、聞かされるほうはたまったものではない。それが正直な本音だ。仕事とは直接関係がない場所で長くてつまらない話を我慢して聞き続けること。あるいは、そのように長々と話し続ける相手を放置すること。さらには、その状況に巻き込まれている女性を視界に入れながらも静観する。大人の男は、このような態度を絶対にとらない。大人の男は、長くてつまらない話に巻き込まれている女性を、颯爽と救い出してあげることができる。たとえば、知人が集まって行なわれるパーティーに参加したとしよう。年長の男が、年下の女性に向けて、長々と難しい解説を一方的にするシーンを見かける。女性は他の男とも話したいのにそれが叶わず、辟易としている。そのようなとき、別の男がその状況から女性を救い出すシーンを見かける。うまく逃れた女性は、水を得た魚のように小走りでドリンクを取りに行ったり、少し離れた場所で他のメンバーと会話を楽しみはじめる。手慣れた幹事が「引きはがし役」を上手に買って出る場合もある。大人の気遣いができる男は、これを上手にやってのける。あなたもぜひこの「引きはがし役」を買って出て見てはどうだろうか。とくに自分が運営側の場合、「あちらにドリンクあるから、どうぞ」「食事もぜひどんどんとってくださいね」と案内したり「ちょっと紹介したい人がいます」などと言って、引きはがすことができる。オフィシャルな立場だからこそ、なせる技である。僕の場合、他人のパーティーでも、「長い話につかまってしまい、他の人と話したそうなオーラを発している女性」がいると、その小グループに近づき、グラスを皆と合わせて「どうもです」と言って、短い話で割って入り、長い話ができないリズムをつくる。話のリズムが小気味よく変わることもあれば、そのタイミングで女性が別の場所に移ることもある。「さっきはありがとうございます。つかまってしまってどうしようかと思っていました」と女性にお礼を言われる場合もある。ひきはがされた男からすれば、少々むごい話ではあるが、これは人助けである。小さな陰徳を積んでまわるという楽しみは、これまた妙味である。少々自画自賛になってしまったが、人助けが好きな人はぜひ実践してみてほしい。

デート中に、女性がつい言い放ってしまった大胆な性的描写。それにいちいちたじろがないことだ。顔色を変えたり、茶化したりせずに堂々と受け答えする。これもまた大人の男の気遣いである。女性の話を受けて、女性よりもすこし大胆に、オープンにその話をリードしてあげる。すると、女性の「フライングしてしまった!」という気恥ずかしさが消える。女性側がその手の話を「自分がリードしている」と感じてしまうと、我に返り、気恥ずかしさで自爆してしまう。その会話をやめてしまうのである。そうならないように、あなたがリードしている体にしてひっくり返す。あなたの秘密の話をあっけらかんとしてあげるといい。これにより女性は数秒前に放ってしまった大胆なセクシャルフレーズを飲み込まず、そのまま会話を楽しく展開できる。自分のほうが鼻息が荒いと気づいてしまった瞬間が、女性にとって一番恥ずかしい。だから、鼻先一寸だけ、あなたがセクシャルな会話をリードする。女性からすれば、セクシャルな話をオープンにできる男友達、先輩、兄貴分、あるいは友達以上恋人未満の男は貴重である。2人きりのときに女性からセクシャルな話を持ち出すということは「私はあなたに対して多少なりとも性的にオープンですよ」という内心の表れでもある。その会話の延長上で、艶やかな展開が待っていないとも限らない。そんなファンタジーに一抹の期待を抱きながらも、セクシャル話をややマウンティング気味にリードしてあげる。何度も言うが、絶対にやってはいけないのが「変に照れる」というアクションだ。「いや~〇〇さんの口からそんな言葉が出るとは思わなくて……」「〇〇ちゃんもそういう話するんだね」「いや~、今焦ってしまいました。すみません」こんな無粋な返しはない。その瞬間、女性は死ぬほど恥ずかしい思いをする。ここはしっかり大人の男の気遣いを見せたい。ぜったいにたじろいだりしてはいけない。また、そこから下衆モード全開になり、スケベな目で相手を舐め回すように見たり、堰を切ったようにAV用語などを並べて、オヤジトークの周波数になることも許されない。女性からの「セクシャル話」に「俺話」を淡々とそして力強く、ほんの少しリードする気持ちで被せる。その後、彼女が経験豊富なあなたを頼り、いろいろなセクシャルな相談をもちかける可能性は高い。その「秘密の相談」の数だけ、彼女とあなたの間の「秘密のパラダイスの発生確率」は高まる。

自分の意見を言えること。これは大人の男として最低限の能力だ。自分の意見やアイデアをしかるべき場所で言えないようでは大人の男とは到底言えないだろう。だからといって、意見をむやみに言い放つことがよいのかと言うと、そうとは言えない。効率的かつ大きな成果を生み出すアイデアを発言できたとしても、人の気持ちをむやみに踏みにじるような人は成功できない。なぜなら、人は人の力を借りなければ成功できないからである。誰も怒らせてばかりの人にわざわざ協力したり、応援したりしようとは思わない。その点、大人の男は、人と真逆の意見を言うときにも、悪い後味を残さない技術を心得ている。誰かに意見を求め、それを参考に自分主導のプロジェクトを進めるときは、たとえばこのように言う。「なるほど!アイデアをありがとうございます。いいですね。○○という方向にアレンジしてみたら、もうパーフェクトですね」この「〇〇という方向にアレンジしてみたら」の方向は、まるっきり逆方向でもいい。ただし、いったん、相手のアイデアを肯定し、一部取り入れたような空気感を出して受け答えすることに意味がある。また、横並びのメンバーのなかで上席や幹事に提案するときも、他人のアイデアをあからさまに否定するのは無駄に敵をつくるから賢くない。「個人的には、○○してみたらいいなと思います。その理由は○○だからです」と言って見せる。「個人的には」という言葉がポイントだ。これが他人に押し付けないための言い訳になる。これなら他者のアイデアの方向性とはまったく真逆のことを言ったとしても摩擦はおきない。アイデアは人それぞれだからね、という空気感に落ち着くだけである。つまりは、こういうことである。発言の際は常に「他者否定厳禁」を心がけるということ。そう決めただけで、臆せず「反対意見」が言えるようになる。相手に肯定的なスタンスで、「〇〇な点が素晴らしいですね。その方向で、さらに○○といったアレンジもしてみたらよいと僕は思いました」と反対の意見を述べるのだ。否定しないで話すことは不自由である。しかし、その不自由さのなかであなたは自力で肯定的な物言いを探り当てる。苦労して探し当てた言葉は、絶対に忘れないだろう。肯定的な言い方を用いれば、正反対の意見やアイデアだって何倍も言いやすくなる。大人の気遣いとは、正反対の意見を言わないことではない。正反対だろうが、あるいは少々異なる意見であろうが、肯定的な言い回しで自分の意見をしっかり言うことである。自分の意見を言うときに、相手を無用に傷つけたり、頭ごなしに否定したりするような雰囲気をつくらない。相手を肯定しながら、自分の意見も伝える。それが、デキる大人の気遣いである。人は感情の動物である。つまりは、「物言い」ですべてが決まる。言い方ひとつで気分が悪くなることもあれば、快く受け入れて協力してくれることもある生き物なのだ。相手にとって話をしていて気分がいいか、あるいは気分が悪いか。その違いが、あなたの人生を大きく変える。人の気分を快適に維持するという大人の気遣いは、巡り巡って自分の人生を幸せに導くのである。

「私の仕事なんか地味だし、たいしたことないから……」このように、自分の仕事にプライドを持てない人がいる。就職時の運命のいたずらで、こうなってしまう人は珍しくない。僕にも経験があるので、その気持ちは痛いほどわかる。もちろん、彼ら彼女らだって、職場では一生懸命がんばっている。今の世の中、適当に手を抜いてお金がもらえる仕事など存在しない。しかし、がんばっているけれど、そうやって自分の仕事を卑下してしまう。その原因はいくつかある。「その仕事が好きではない」「その仕事が得意ではない」「その会社での人間関係が思わしくない」「会社の名前がかっこ悪い」さまざまな理由で、仕事のことを語りたくないのである。彼ら、彼女たちにとっては会社、そして仕事はセルフイメージを下げる、あるいはアイデンティティを壊す忌まわしき存在なのだ。だから、仕事のことを言われると居心地が悪い。空気を察したときは、仕事の話題を避けるのが得策である。しかし、複数で話しているときに、話の方向転換が難しい場合もある。そんなときに大人の男はある気遣いを見せる。その人の従事する仕事が本来持つ、社会的な意義を1つだけ口にする。相手はそれだけで自分の就業時間の努力が浮かばれたような気分になる。地味で変化のない仕事ほど、世の中の根幹を担い、社会への貢献度が高いものだ。食品、不動産、電気、ガス、水道、医薬そのほか、それらがなければ世の中が回らない。本人は自分の職業の意義に気づけていない。だからそれに気づかせてあげる。自尊心を取り戻し、昼間の自分を好きになってもらうための気づきをプレゼントするのだ。世の中にはきらびやかな仕事もある。しかし、もっとも潤沢にお金が動き、世の中に貢献するのは「インフラ事業」である。インフラとは電気、ガス、水道、食品、そして通信網、道路、交通手段、エネルギーなどの世の中の屋台骨的産業を指す。一見地味ではあるが、日本の財閥などはこのインフラ事業で財を成してきた。また国の繁栄もインフラの発展なしにはありえない。芸能やクリエイティブといった一見聞こえのよい職業に憧れ、そうでなければ出会いの場所で仕事内容を語りにくい。その気持ちは痛いほどよくわかる。何を隠そう、かつての僕もそうだったからだ。仕事に誇りを感じることができない人に、その人の従事する仕事が本来持つ、社会的な意義を1つだけ口にする。それが社会とビジネスを知り、本当に成熟した大人のスタンスだ。相手が日々苦労し、辛酸をなめて向き合っている仕事の社会的意義について、本気で言葉にしようではないか。これは本当の意味で世の中を知る「完成されたビジネス観」を持つ大人の存在感を醸し出せる瞬間でもある。

情熱や思い入れがある他人の夢は、なるべく聞いたほうがいい。たとえロジックが破綻していたとしても、心の叫びとして聞こう。ロジックがあっても、構想がよかったとしても、熱意がない夢はけっして叶わない。ときに情熱は論理を凌駕する。失敗して心が痛むときには「心の麻酔」にもなるし、努力を継続するエネルギー源にもなる。また、心が痛むときの「痛み止め」にもなる。「論理を聞いたら、アラが見えて聞く気が失せた」これは、成功者が抱く感覚だ。しかし、あえて相手の情熱の言葉を「歌」だと思って聞く。芸術作品だと思って聞く。心を相手に重ね、ワクワクして聞いてあげる。このスタンスを拒めば、次第に夢を語る若者はあなたの周囲から消えていってしまう。ある真実をここで伝えたい。他人の野望や夢に耳を傾けられない人や、出来ない理由を並べて否定する人には、1つの共通点がある。たいていは、その人自身が本当の挑戦をしたことがなく、挑戦をあきらめ、そこそこ、ほどほどの賢い人生、あるいは賢いと思っている人生を歩んできた人だということだ。自分では賢いと思っているが、本当に賢いかどうかは怪しい。挑戦しない思考停止の状態で日々を過ごしてきた人が、賢くなるはずがない。使わない頭は錆びるし、情熱に沸き立たない心は枯れ、表情からはみずみずしさが消え失せる。そのような人に挑戦者を否定する根拠となる経験や権利などはない。女性との関係にも、この考え方は役に立つ。社会の厳しさを伝えたいがあまり、結果的に彼女の願望に水を差してしまい、あきらめるきっかけをつくってしまってはいないだろうか。彼女の夢の叶え方がリスクを伴うものであっても、その欲求を別の形で満たす方法がないか、考えてあげる余裕と気遣いを見せたい。単なる恋愛感情で結ばれた関係もいいが、好きな女性の願望をかなえてあげるべく知恵を絞ったり、エールを送ったりする関係はまた格別ではないだろうか。もちろん、自分の経験上や近しい人から聞いた話から「失敗する確率が高い場合」は、アドバイスしてあげたほうがいい。ただし、そのときも「○○したらうまくいくかもね」という言い方をしてあげたい。大人の男と付き合うことの女性側のメリットの1つは、夢の実現が加速することである。人生経験やノウハウ、リスクヘッジのアドバイスを受けながら、上手にやる気にさせてくれる。そんな大人の男とのドリームライフに期待する女性は多い。その期待を裏切り、がっかりさせてしまわないように、自分自身も常に人生に挑戦し、若い人に語れるノウハウや経験を吸収し続けたいものである。

魅力を感じた相手に対しては「こんないい女と飲めて幸せ」と言い切ろう。言われた側の女性は気分がよいだろうし、言葉を放った当人も自分の脳内を恋の予感で満たし、今宵ひとときの浪漫に浸ることができる。男は、いい女を惚れさせた回数だけ本能的自信を自分に刻む生き物だ。こんな気遣いなら、命朽ち果てるまで続けたいものである。しかし、1つ気を付けたいことがある。それはイケていない男が、女性を褒めると事故につながるということ。恋愛マニュアルに則って、相手の外見的特徴を褒め、ベットリした空気になる事故が後を絶たない。「髪がきれいですねとか、その細い指が素敵ですねとか、ネイルも素敵すぎますとか、○○さんに言われて本当に気持ちが悪かった。痴漢にあっているような気分よ……」残念ながら、女性にそんな言葉を何回か耳打ちされたことがある。実のところ水面下で男性の褒め言葉に悪寒を抱く女性は大勢いる。仲間を増やすため、あるいはストレス解消のためにパーティーに参加しているだけの女性に対して「僕はこういう場所は苦手で……」「どういう男性が好きなんですか?」といった「恋愛飢餓的ワード」をぶつける。それだけでも寒いのに、そのうえ「素敵な女性ですね」「こんなきれいな人と話したことがありません」などと言ってしまう。女性は、この男は自信がないと察知し、関わると面倒なことになるか、退屈な会話に付き合わされてしまうと判断し、距離を置く。こんな男性が「こんないい女と飲めて幸せ」と言ってしまうと、女性への冒瀆になってしまう。あくまで自分のレベルを知り、自分のレベルに合わせて褒めなければならない。思えば、僕も若い頃、年上の圧倒的ないい女に向けて、似つかわしくない褒め口説きをしておかしな雰囲気をつくってしまったことがある。外見をとにかく褒めまくった挙句「こんないい女と飲めて幸せ」と言ってみた。しかし、安い褒めセリフに辟易とした女性から「で、何食べる?」と会話をぶった切られてしまった。この瞬間の凍てついた空気の冷たさを今でも忘れない。「こんないい女と飲めて幸せ」というセリフは、言う人が言えば、抜群の効果がある。このセリフを言う資格のある人は、すくなくとも女性との会話をリードし、ふざけながら女性を笑わし、少々突っ込み、そしていじり、自分もリラックスしてソファにどっかり腰をかけられる。さらには、自分の失敗談を言ったり、バカにもなれたりすることができる大人の男だけである。お酒を飲みながら、あるいは宙を見上げながら、腕時計を見ながら、何かのついでに女性の顔も見ないで言えるからこそ、言葉に魔力が宿る。褒め言葉は、適切に使用しなければならないということを覚えておいてほしい。自分に自信がなければ、大げさな褒め言葉は言わないほうがいい。オクテなりの、たとたどしくても、オリジナリティに富んだ「女性を称賛する言葉」を、ビビりながら笑顔で、1分くらいかけて言うほうがよい。ただし、ストーカーっぽい空気、痴漢ぽい空気はいただけない。ポップな空気を漂わせる気遣いは忘れてはいけない。

大人の男は、女性に抱かれる「言い訳」を用意してあげるのがうまい。30代半ばから50代のモテる独身男性やバツイチ男性、あるいは妻帯者の自由恋愛主義者の男性のなかには、この手の男性が大勢いる。本当は抱かれたいのに、言い訳がないから恥ずかしい。そんな女心のストレスを緩和してあげる救世主である。彼らはたとえばこんな言い訳を女性に描かせる。「こんなにたくさん、おいしいものをたべさせてくれたから」「こんなにたくさん素敵なところに連れて行ってくれたから」「こんなにたくさん褒めてくれたから」「こんなに好きな気持ちにさせてくれたから」「もう酔ってしまって動けないから」「セックスが目的ではないし、一緒に語らうだけだから」「健全に添い寝をするだけだし」「私が女らしさを保つために、必要だから」「寂しさと虚無感を今夜だけでも埋めてみたいから」そんな言い訳が頭の中に並ぶようにしっかり催眠術をかけてあげる。男側がこれらのフレーズを努めて言葉に出してあげることが重要である。その次に、「そうかもしれない……」と言葉で同意させる。最後には彼女の口から願望を言わせる。それが大人の口説きであり、ミドルエイジのプレイボーイの流儀である。もちろん、女性にまったく魅力を感じさせることができない男が、いくら「抱かれる言い訳」を贈呈したところで女性をその手に抱くことは難しい。女性が〝抱かれたい〟と感じているにもかかわらず「言い訳を与えられなかった」ばかりに、くすぶったまま鎮火させてしまうケースは数えきれない。察しない男に爪を嚙む女性は後を絶たない。言い訳がすべて揃うと、女性は自分で自分自身を説得し始める。催眠術をかけるように「この人と触れ合うべきよ」と自分で自分に耳打ちし始める。そして程なく、自分の意思であなたの元に身を委ね始める。最終的な言い訳は「狭くて暗い空間」である。世の中には狭くて暗い空間が至るところにある。「狭くて暗い空間にいるから……」、その言い訳が、大脳の奥の奥にあるメスの本能に火をつけてくれるのである。

「この恋は本気じゃない、遊びだよ。遊びとして最高に楽しもう」そう最初から言い放つ。あるいは、そうと暗に理解できるコミュニケーションを心がける。これが大人の気遣いである。この気遣いなしに、あちこちで恋を仕掛ける男は、大人の男とはいえない。本気のつもりで始めた恋が、ふたを開けたら違っていたとなれば、女性は傷つく。そして、かならずトラブルになる。大人の男の気遣いは、そうならないためにおこなうものである。恋愛は、楽しむためにある。あなたがトラブルで苦しむことも、女性が傷ついて泣くことも快楽とは正反対。たとえ遊びであっても、そんな恋は恋じゃない。悲劇が発生する要因は、すべて取り除かなければならない。「遊びだなんていったら、女性がノってこないじゃないか!」そんなふうに思う人もいるかもしれない。しかし、そんなことはない。むしろそうしたほうが恋愛がうまくいくこともある。世の中には、「遊びたい」と常日頃から思っている女性が大勢いる。けれど、自分から「遊びたい」とは絶対に言えない。「軽い女」のレッテルを貼られるのが嫌だからだ。だからこそ、「遊びだけれど、本気で恋をしよう」「縛り合わない自由な恋をしよう、気まぐれな……」「一番大好きな『2番目契約』をお互いに結ぼう」と最初から提案する。同意した女性と自由恋愛を楽しむ分には、互いに傷つくことはない。しごく当たり前の論理である。僕の知人には、この良い例と悪い例の両方が存在する。先に良い例から紹介しよう。40代独身のある男性は、つねに4人の恋人をもち、その4人と平穏に過ごしている。しかも、4人とも自分が本命ではないことを知っている。さらに、半年に1回ほどでそのうちの1人は入れ替わる。入れ替わって恋人関係を解消した後でも友達、あるいはビジネス上の関係を維持している。トラブルの話も聞いたことがない。じつに調和された人生のひとときを過ごしている。彼は、もうこんな暮らしを7年も続けている。さて、もう1人はどうか。もう1人は、つねに女性とのトラブルが絶えず、彼が出席したパーティーの主催者のいくつかのグループで出禁をくらっている。なぜか。それは、彼が出会った女性を食事に誘うまではよいが、その女性全員に「交際しましょう!真剣に!」と言い寄り、関係を持つ。その後、何股もかけられていることに気づいた女性が怒り出し、1カ月以内に別れるといったことが繰り返されるからである。つまり、彼は女性に「遊びだよ」と言わずに「真剣交際」をにおわせながら関係を持ち、最初から「バレた段階で別れればいい」という魂胆なのだ。そのため、彼の悪い噂が蔓延して、ついには同性の友人たちからも交流を避けられるようになってしまった。この両者の違いは、ほんのわずかだ。しかし、ちょっとした気遣いの差により、人生の景色がまったく変わってしまった例である。誰からも愛される大人の男を目指して自由恋愛をしたいのであれば、やはり、きちんと「遊びである」というニュアンスをあらかじめ女性に伝えることをお薦めしたい。

「ちょっと2人で軽く会いましょう。お茶でもしましょう」こんなときは、ラグジュアリーホテルのラウンジを待ち合わせ場所に指定しよう。街のカフェや駅前のコーヒーショップなどにせず、あえてラグジュアリーホテルのラウンジにする。そして、柔らかいソファに腰をかけてゆったりと会話を楽しむ。できれば、会話音を吸収する絨毯敷のラウンジやカフェがいい。シークレットな話をするのにも向いている。ラグジュアリーホテルを選ぶ理由は、相手が「自己重要感」を抱けるからだ。「あなたのことを大切な人だと思っています」「あなたは重要人物ですよ」という思いが相手に伝わる。「あなたはホテルのラウンジのようなラグジュアリーな場所にふさわしい人間ですよ」「私はあなたの人間的なグレードをとても高く評価しています」というメッセージが伝わる。人間の心を摑むには、自己重要感を与えることが大切であるということが古今東西で言われている。男と女の関係に発展したい相手だからといってすぐにムードを演出したり、欲情を誘う意図で行動してはいけない。まずは相手の人生を敬うことが大切なのである。実際に出会ったばかりの女性から「お茶でも飲みましょう」と誘われることがある。しかし、指定されたカフェが駅前のフランチャイズカフェのときに、仕事でも恋愛でもよい関係に発展した試しがない。おそらく「大切な人とは思われていないという思い込み」がこちらに生まれたからである。こちらもやはり、それなりの「ファスト」な周波数で向き合うことになる。そうならないように、あえて白昼に、ホテルのラウンジでお茶を飲みながら1~2時間過ごす。それが、出会ったばかりの相手との未来を豊かにする気遣いといえる。もしあなたが駅前の小さなカフェを指定し、隣とぶつかりそうな席で、周囲の聞き耳を気にして話さなければいけない場所を指定してしまえば、会話自体もせせこましいものとなってしまう。そうなれば心の高鳴りも期待はできない。女性もまたラグジュアリーホテルでのお茶に誘われたほうが、その場所がふさわしいような振る舞い、物腰、言動を意識する。エレガントな女性になりきるのである。互いにラグジュアリーな空間のなかでエレガントな振る舞いに酔い、特別な時間を楽しみたいものだ。ふかふかのベットのようなソファの上で、午後のシエスタをともにするような時間を楽しもうではないか。

究極の「大人の自由恋愛の達人」は、自分から女性を振らない。一定期間の関係を楽しんだ後にかならず振られるのである。結果、トラブルが30年間ゼロという猛者もいる。トラブルが少ないから、彼らはいつまでも自由に恋を楽しめる。さまざまな場所で恋を成就させ、楽しい時間と思い出を提供する。そして頃合いを見計らって、上手に〝振らせる〟のだ。振った側の女性に〝名残惜しさ〟を感じさせながら振らせ、最終的には「大人の友達」として着地させる。ある50代後半のメガバンク勤務の男性は、地方支店の秘書と片っ端から〝良い仲〟になってきた。地方出張のたびにメイクラブをするのがライフワークであった。彼はまさに頃合いのよいところで綺麗に振られる達人であった。既婚者であること、さらにはコンプライアンスが厳しい企業ということで、公になるわけにはいかない。相手の女性は30代までの独身女性だという。もうすでに還暦を迎える御年だというのに、今でもお盛んなのだそうだ。奥様とも関係は良好で愛妻家だという。振る権利を女性に与えることで、女性の自尊心を傷つけない。これがこの方のポリシーなのである。「あの男、振ってやったわ。円満に終わらせてあげたの……」そんなふうに30代そこそこの女性に言わせる。目上も職位も上の男性を振ったと言える事実は、プライド高き女性にとって「誉れ高き勲章」にも匹敵する。。これで大満足して健全な独身男性と新たに出会い、結婚へのステップを昇ることができる。彼いわく、「俺みたいな既婚男は、バレると迷惑をかけるから、程よいところでフェイドアウトしてね」という相手に「リスクをイメージさせる」、この言葉も使い勝手がよいという。そうすると、女性は事が起こって裁判沙汰になるリスクを恐れ、親密すぎる関係を解消しようとする。いかに男前であっても、生活の安全と社会的立場をおびやかす相手は願い下げなのだ。もちろん、友達に戻った後でも普通に食事をしたり、語りあったりする分には問題ない。もともと好意を持った相手なので、昨日今日会った相手よりも深い時間が過ごせるし、心に響く会話もできる。女性からすれば「性別を越えた自分をよく知る親友」をキープしているような気分になる。「いい女」と言われる女性の中には、「男性コレクション欲」が強い女性も多い。チヤホヤしてくれる男性の存在も、日々を生きる刺激剤として必要なのである。大人の男はこのことを熟知しているため、女性に上手に振らせてあげるのである。自由恋愛をするなら、自分から恋を終わらせて遺恨を残すようなことは避けたい。せっかく出会った相手とケンカ別れしてしまうのは悲劇である。自分から上手にストーリーづくりをして、上手に身を引きたいものだ。これもまた大人の気遣いである。

約束を守らない取引相手、連絡をしても返事をよこさない友人、既読スルーの異性。そんな相手は、あえて放置する。決して追いかけず、責めず、執着しない。そして自分は自分のやるべきことをする。恋愛においても同じこと。相手が会いたいモードのときに会いに行く。会いたくないときは自分を押し付けない。間が持つように、恋はつねに複数する。交際という形をとらなくてもいい。異性の友達に心の中でこっそりときめけばよいのだ。心を潤す複数の異性を育てておく。それが大人の余裕を醸し出す秘訣だ。自分の気まぐれさを許してくれる殿方の余裕ある態度に心地よさを感じる女性は多い。真面目で、重くて、しつこくて一途なのは、彼女たちにとってノイジーな存在なのである。仕事でも同じだ。相手はもうやる気がない。確信犯でサボっている。そんな相手を無理やり復帰させても、必ずまた約束を破り、不義理をする。取引相手も同じ。やさしい言葉や、叱咤の言葉、期待の言葉をかけたりはするが、あまり深追いをしてはいけない。その縁を手放す可能性が高いし、そもそも潮時なのだ。大人の男はこれを「1つの縁が終焉し、その空席にまた新しい縁が流れ込む潮目」として受け取る。あなたを無視する相手のことも、恨まず、怒らず、互いの良かったことを思い出し、送り出してあげる。そうすることで、また何年後かに良縁となって舞い戻ってくることもある。そんなときに、心を瞬時に切り替えられる、とっておきの方法を紹介したい。指をパチンとはじきながら、心の中でこのように唱えればいい。「はい次!」そして、次のときめく出会いを求めて部屋を出る。友人の会合に参加したり、勉強会に参加したり、最近知り合った仕事関係の知り合いと食事に行ったりする。この地球上には、出会っても出会いきれないほどの「マブダチ候補」が潜んでいる。あるいはソウルメイトや恋人同士になれる女性だって無尽蔵に潜んでいるのだ。彼らと一人でも多く出会い、生涯をまっとうするほうが人間として幸せなのである。納得のいかない相手に対し、「あるべき論」を振りかざしたり、あるいはジクジクと相手のいけないところを内心で責めたりするために時間を割いてはならない。それは、まったくもってエネルギーの浪費でしかない。僕自身、もともとは友情に熱い人間である。そのおかげで、青春時代から20代、30代にかけて大変幸せな時間を過ごした。苦しいときに肩を叩き合い、一緒に夢を語り、恋をし、結婚を祝い合った。しかし、一連托生、ずっと仲間だと強く思いすぎていたからこその弊害も生まれた。絶対に許してはいけないことを何度も許しすぎてしまった。「まあ、友達だしな……」と何度も我慢した。それが相手を甘やかすことになり、本人のためにならない状態をつくってしまった。悲しいことに、それは単なる時間の無駄でしかなかった。僕という人間に対する尊重の念もない友人に構っている時間があれば、もっと他にやるべきことがある。そう考えるに至った。そう決めた日から、日々の精神状態がどんどん上向いていった。第一、余計なことで不快感を抱くことがなくなった。少し寂しい気もするが、それもまた「周波数」が異なりはじめた相手を尊重する大人の気遣いなのかもしれない。

ビジネスのアライアンスを組んだり、社外、ビジネス外のプロジェクトチームを数人、あるいは1対1で組んだりすることがある。とくにビジネスの場合、人の紹介や交流会、あるいは講演会などでこちらの「価値」「技能」「資産」を知った相手がアライアンスや業務提携を持ちかけてくることがある。しかし、そのアライアンスはお互いの性格や仕事の進め方、倫理観、空気感、人付き合いのスタンスを熟知したうえで「話し合い」が始まるわけではない。あくまでお互いの社会的バリューに興味を持ち、善意のもとにプロジェクトが始まる。その多くはレベニューシェア。つまりは成功報酬にてその利益を分けることとなる。もちろん、互いのバリューのバランスによっては、どちらかが先に契約金を支払う場合もある。相手のバリューに興味を持った同士がアライアンスを組んでレベニューシェアのビジネスを狙うとき、相手との様々なスタンス、つまり「ビジネススタンス」「条件」そしてなによりも「性格」がまったく異なることに途中で気づくことがある。実はその不協和音に気づいた段階で早めに撤退をしたほうがいい。それが相手に対する大人の気遣いである。しかしこれがなかなか難しい。とくにアライアンスビジネスをしたことがない、あるいは数か月先の収入に困っている、あるいは実績が欲しい。そう思っている人に限っては、互いの不協和音や、相手の、なんとなく嫌な予感のする態度やスタンスも、無駄に前向きにとらえてしまいがちなのである。「いっしょにやらないほうがよいかもしれない」という不安が少しでもよぎったら、その不安が的中する確率は高い。悲劇を避けるためにも話が本格的に動き出す前に、きっぱりと前向きな別離をする勇気が必要だ。もし継続するとすれば、相手が自らの改善策を申し出てきたときに限る。グズグズしていると、プロジェクトがどんどん進み、挙句は「不履行」で訴えられたり、組んだ相手が先行投資した分を請求されかねない。僕自身、過去に「もっと早くアライアンスを解消しておけばよかった」という経験がいくつかある。やはり経営状態が悪く金に困っている相手、あるいはビジネスマンとしてのパーソナリティやコミュニケーション能力、対人関係に問題があり、負のオーラを発し、近づきたくない感覚を抱いた相手とは関わるべきではなかった。そのような人の「よいところを見よう」と思ってはいけない。結果的に時間を無駄にしたり、嫌な思いをしたり、金銭的にも浪費したり、信用を失うことになる。こういう相手を自分でなんとかしてあげようなどとは決して思わないほうがいい。「お互いに、いろいろスタンスが合いませんね」と、互いに傷つかないためにも前向きな別離をしたほうがいいのだ。なんとなく嫌な気がすると感じる人と付き合うと、あなたの価値と運が下がり、前向きな思考回路が奪われ、人生がみじめになることにつながる。そのせいで久々に会った友人に「ああ、昔はあんなに輝いていたのに最近はなんだか色あせているなあ」と思われる。これもまた大きなマイナスである。友達だけではない。親兄弟、子供、親戚だって同じこと。あなたに期待し、応援している人、愛している人に落胆を与えてしまう。あなたが、ビジネスアライアンスで価値の交換をしようとしている。あるいはすでにしている。そんな相手でも、おかしいな、嫌な予感がするなと思ったら、組まない、距離を置く、あるいは仕事以上の関係にならない決断をできるかぎりしよう。「互いのスタンスが合いませんね」と、相手を責めずに距離を置くことこそが、周囲との関係を全方位型で考えた場合の最善の大人の気遣いとなる。

ある女性から言い寄られたとする。しかし、その女性とは本命としての恋愛や結婚はありえない。もしくはそれ以外の関係であったとしても一切「ありえない」という場合がある。そんなときは、相手の女性に無駄に期待を持たせてはいけない。もし、告白されたら「好きな人がいる」ときっぱり伝えたうえで、友達付き合いをするのがよい。そのほうが、相手の人生の時間を無駄に使わせなくて済む。女性の婚期は、男よりも短い。女性にモテている状態は気分がよい。しかし、「いつか本命になれるかも……」とにおわせるような振る舞いを続けるのは酷である。彼女に一刻でも早く本命の恋人探しの旅に出てもらったほうがよい。「ごめん、いま好きな人がいるんだ……」「妻を愛しているから……」もちろん、実際は好きな人などいなくたっていい。妻を愛していなくてもいい。それでもあえてそう伝えるのだ。実は女性の場合、そういわれるときっぱりあきらめがつく。では、最初から相手が自由な恋愛関係、縛らない関係、要は遊びの関係を望んできたときはどうすればよいか。遊びの関係を受け入れたい場合だとしても、「好きな人がいる」「本命がいる」ことを会話の中でさりげなく伝えるべきである。女性であっても、遊びの恋への憧れ、あるいは欲望を満たしたいという本能がある。孤独感を満たしたい、人肌感を味わいたいという本能がある。その欲求を満たすためだけの付き合いであることをお互いに明確にする。そして当然、本命の座を期待させない対応が必須である。ヘアサロンを経営する40代の男性は、さまざまな女性から言い寄られる。しかし、彼の場合、その気になれない女性には、「いま、俺は離婚して独身だけれど、好きな人がいるから……」ときっぱり伝えたうえで、友人関係を継続する。そればかりか、その女性を自分の仲間にも紹介し、出会いを提供するのだ。彼女は、同じ空間にいる大好きな彼を視界に入れながらも新しい恋の予感を手に入れられる時間を楽しんでいた。妹のようにかわいがってくれる彼との間には、恋愛感情と異なる絆が芽生え、互いの人生に花を添え合っている。男女の関係は恋、セクシャル、友情、仕事上の信頼だけではない。自分が振った女性を妹のようにかわいがり、新しい出会いを提供してあげる。そして、ときに自分も助けてもらうという持ちつ持たれつの関係の楽しみ方もある。〝つまみ食い〟をして相手を傷つけ、関係をぷっつり切る。もし、彼がそんなことをしていたら、有意義な関係は築けなかっただろう。大人の気遣いがつくり出す、ほほえましい人生の一小節と言える。仲間内で女性が男に告白した結果、振られてしまったときの女性の気まずさは筆舌に尽くしがたい。所属するコミュニティへの居づらさは、男の比ではない。1度でも自分に好意を寄せてきた相手が、どこかに消えてしまうことは男としても本望ではないはず。ただこちらを好きになっただけで、彼女に罪はない。彼女が報われるように、ここは大人の気遣いを見せたい。それが惚れさせた責任であり、モテる大人の男の責任でもある。

仕事においても、プライベートにおいても、人情は大切である。友愛の心を持って人と接するほうが人生は何倍も楽しいし、何事もうまくいきやすくなる。ところが、度を越して期待しすぎてしまうと、人生にひずみが生じる。過剰な期待があなたの心を壊し、自分の人生まで壊してしまうのだ。期待をしすぎるがゆえに誰も彼もが憎たらしくなり、文句を言いたくなってしまう。そうして相手と確執が生じて無駄な時間と労力を費やす。そうならないためには、「人に期待しすぎないこと」が重要だ。人間は失敗する生き物であり、自分の都合を第一優先で動く生き物である。誰にも縛られずに自由に生きる権利を持ち、よく生きるために他者への裏切りもよしとする。つまり、人はそもそもあなたの思ったとおりに動かない生命体なのだ。そんな人間に期待しすぎて一喜一憂することに時間を使うほうが愚かである。期待したことが上手くいかなかったり、裏切られたりしたときのことを想定もせずに信じ切る。その絆にしがみついてしまうこと自体がトラブルの火種を生む。恋愛とて同じこと。お互いに愛し合っていたとしても、相手の気持ちが変わったときを想定しておくべきである。女性に対して、裏切られるという可能性も視野に入れつつ、それもまたストーリーの一幕と割り切り、恋愛をする。これもまた大人の男の気遣いのひとつである。けっして、誰も信用せず、友情や愛を向けることもなく、冷め切った気持ちで他者と触れ合うのがよいと言っているわけではない。今度はそちらへ振り切ると、人生が砂漠のような不毛地帯へと一変してしまう。時に「もう誰も信じない。彼女に裏切られてから人は信用しないことにしている」というように心を閉ざす人に遭遇する。心変わり、裏切り、あるいは相手が約束通りに動いてくれないことで大きなショックを受けて「友達なんかいらない」という人がいる。あるいは失恋で「恋なんかしない!」と心に決める人もいる。しかし、完全に心を閉ざし、人に期待しないのは、人間関係から得られる恵みを一生分放棄するようなものである。冷めきった心で「こんな僕を見つけてください」と言っている男のもとに恋の機会がやってくるはずなんかない。過去に、異性にどんなに傷つけられようが、あるいは異性に怒りを抱こうが、弊害を恐れて、未来の恋愛の快楽までを手放すのは愚かである。冷め切ってすねた子供のような殿方と女性が恋をしたいと思うはずがないのだ。過去の傷やトラウマを抱えながら、いつなんどき同じ状態に出くわすとも限らないことを想定しながらも、しっかりと未来の恋の予感に情熱を抱くこと。その懲りない健気な心持ちこそが大人の男の嗜みといえる。もちろん、情が強すぎるのも駄目だ。恋の予感を抱く女性が他の友達と出かけたり、すぐに返信をくれないからといって急に怒ったり、相手を追いかけ回してもいけない。しつこいようだが、人は皆自分の都合で動くもの。だから、彼女が別の男を選ぶことも想定に入れて接するのである。そう思えば、彼女が一途な愛を向けてくれたときの喜びは格別なものとなる。好意を当たり前だと思わずに、ありがたく受け止めて感謝できる。さきほど、人は自分の都合で動くといったが、彼女にとってあなた自身が必要な存在になれば、彼女は自分の都合で必死にあなたを求め、手に入れようとしてくる。きっと、あなたの都合など考えずに、あなたに期待をするはずだ。その気持ちが、いつか冷めることを想定しながら、情熱的に感謝して受け止め、その恋を味わいたいものである。

日本特有の「女性はこうあるべき」という風習がある。「大和撫子」という言葉に代表される「控えめで、奥ゆかしい女性」が長らく魅力的とされてきた。時代が変わった今でも、自由恋愛主義の女性の感覚や生き方を道徳的に批判する風潮がなくなったわけではない。この窮屈な社会通念上の価値観を嫌う女性が大勢いることに気づかなければならない。世界各国の女性のようにもっと大胆に、自分の欲望に正直に自由に生きたい日本人女性が急増している。女性から男性を口説き、狩り獲る。本命の恋であれ、遊びの自由恋愛であれ、そういった女性があちこちで見られることは、女性が正直に生き、多様性を帯びてきていることの証拠でもある。そんな新しい価値観の女性たちの大きな障壁となる儀式。それが「結婚」である。「女は〇歳までに結婚して〇歳までに子供を産むべき」というイデオロギーが日本の30代以上の女性を苦しめている。現に40代で未婚の女性は、自らを「負け組」と自虐する。そうかと思えば、周囲からの言葉に敏感に反応して気分を害し、痛ましい感情に包まれながら周囲をにらみつける。しかし、生き方は多種多様でしかるべきである。「結婚しなくてもいい。途切れない恋愛があり、ときめきがあればそれでいい」「特定の彼氏をつくらずに、気に入った男性と複数仲良くしたい」このような生き方を好む女性だって大勢いる。そういう女性を色眼鏡で見たり、あるいは軽々しく揶揄したリ、落伍者のようにいじる行為は知見の狭さを表すもの以外何物でもない。社会通念に毒された面白味のない男であることを証明しているようなものである。現に結婚しない男性だって大勢いる。もちろん、「モテオヤジ」と「モテないおじさん」に別れるが、結婚しないという点では同じだ。女性の恋愛・結婚問題ひとつにおいても女性の本音を汲み取り、自由恋愛主義をはじめとする多様性を認める男を目指したい。この先、50代以上の再婚や事実婚、そして自由恋愛がどんどん増えてゆくのは目に見えている。恋愛、結婚観の多様性は今後確実に多様化する。だからこそ、女性に対し、短絡的に旧来の生き方の価値観を押し付けてはいけない。その前に必ず、女性側にどうしたいのかをたずねる。そのうえで、その人の気持ちのベクトルを後押しするアイデアや意見を述べることが肝要である。そう考えると、軽い気持ちで自由な恋愛関係になった女性に対し、「本命にしてあげないと失礼だ」と思うこと自体、不正解になることもある。四六時中一緒にいて大事にしなければいけない。そう勘違いして女性を拘束してはいけない。その女性は誰にも縛られない自由恋愛を好んでいるかもしれない。こういう場合も鑑み、彼女の気持ちに耳を傾けてから正しい心遣いをすべきだろう。では、結婚相手として選ぶ女性については、どう接すればよいか。やはり、結婚相手には貞操観念の高い、家庭的な側面を持ち得る女性を選びたいと思う男も多いだろう。しかし家庭においても、あまり女性を縛りつける発言は避けたほうがいい。出産後に子育てをしながら働きたい女性は急増している。日本古来のあるべき姿を求めるあまり、いざこざが絶えない家庭よりは、妥協点を見つけ、多様性をお互いに認める努力をしたほうが、笑顔が絶えない家庭になる。我々男側が、女性にどう接するべきか。多様性をどう許容すべきか。少子化問題の解決策も、そこに存在しているのではないか。男が女性の恋愛・結婚観・仕事観の多様性を許容することができれば、人口問題も解決に向かうのではないだろうか。

仲良しグループ内で仲違いが起きることがある。そんなとき、絶対に見て見ぬふりをしてはいけない。「大人だから……」と当事者間で解決させようと放置する。この行為が仲良しグループの破滅を招くことにつながる。それだけではない。あなたの助けを待っていた親友までも失ってしまいかねない。このような状況を目にしたら、おせっかいを焼いて審判を買って出るのが好ましい。「まあ、大人だし、お互いで解決するでしょう」と静観しすぎると、取返しのつかない事態にもなりかねない。本人は、あなたが思っている何倍も悩んでいる可能性が高い。そのまま放置すれば、「ああ、こんなに悩んでいるのに、放置するような冷たいグループなんだな……」「善悪のジャッジもし合えない希薄な関係なんだな……」と、そのグループを離れるきかっけになってしまう。だからこそ、友達ならば、しっかりとお互いの事情を聴き、当事者に対してあなたはここが悪い、あなたもここが悪いと明確に指摘すべきである。ただし、ここで絶対にやってはいけないことがある。最悪なパターンは、「まあまあ、2人とも大人なんだからやめなよ」とたしなめてしまうこと。これをやってしまったとたん、「まあまあじゃすまないだろう!」と被害者だと思っているほうは激怒してしまう。無理もない。真剣に怒り、悩んでいる人に対して「くだらないことで起こっていないで~」と言っているようなものだからだ。そして、もっと最悪なのが仲裁をしようとするまではよいが、判断を誤って「声をあげた被害者側が悪い」といった空気をつくってしまうことだ。その人はこのグループを離れるだけでなく、最悪の思い出を抱えながら、グループ全体を憎み続けることになる。こうなると、完全に関係は友だちよりも遠くなる。できれば会いたくない友人、会いたくない人々になってしまう。なかなか難しいこのプライベートのグループ内での仲違いフォロー。仲が良いからこそ越権行為やその種の発言が起こり、誰かが傷つき激怒することになる。これは会社では絶対に起こらない。なぜなら遠慮があるからだ。グループ内での仲違いは、少しおせっかいなぐらいでちょうどいい。しっかり善悪をジャッジし、一般常識に照らし合わせて「悪い」と判断したほうが素直に謝る空気をつくるべきだ。これが大人の少し高度な気遣いである。繰り返しになるが、放置して当事者の解決を望むことは得策ではない。大人の「仲違い」に助け船を出せる男になろう。生涯の友と支え合い、励まし合える。そんな有意義な人生を満喫し続けるためにも、あえて面倒くさいことに首を突っ込もうではないか。大切な仲間だからこそ、しっかりと心を寄せたいものである。

愛情を振りまいて生きることは素晴らしい。どんな人に対しても愛を注ぎ、奉仕の気持ちで接する生き方は、円熟した大人の自己実現の1つといえる。ただし、これも行き過ぎると害を招く。誰も彼も愛し、慈しみ、友情を育む。文字で書くと素晴らしいことだが、クソを味噌に混ぜてしまうことになりかねない。「クソを味噌に混ぜる」とはどういうことか。たとえば、あなたが主催する会合やコミュニティに選ばずに誰も彼も招き、集まった同士を紹介し、つながりをつくろうとしてしまうようなことだ。こういった行動は、少々危険である。しっかりと人を選んだうえで、引き合わせること。これが大人の気遣いといえる。はっきりと言ってしまえば、世の中には「上質な集まり」と、「上質ではない集まり」がある。もし、あなたが会合を開くとすれば、魅力的で人格的にも性格的にも良質な人々を選んで会を催すべきだ。残念ながら第三者に不快感を抱かせる可能性が高い人はけっして混ぜ込んではいけない。それが参加者へのリスペクトであり、真の愛情といえる。上質な者同士がつながれば、その場に集まった人々も皆幸せになる。とくに女性はそのあたりのセンスを厳しく見抜く。意中の彼女を誘うなら、くれぐれも選ばれしメンバーの中に誘うことだ。人脈や仲間は、自分自身を映す鏡である。人脈が素晴らしい人は、その本人も素晴らしいと判断される。誰も彼も受け入れて引き合わせようとするのは、大人の気遣いとは言えない。きちんと選別して魅力ある人だけを集めるのが大人の気遣いだ。もちろん、選定などといういやらしいことはせずに「みんな愛しているぜ!」といわんばかりにすべてをまぜこぜにしたほうが、聞こえはいいかもしれない。ところが、それが不協和音を生みだす。冗談の言い方も、笑うポイントも、会話のセンスも、良質なほうの人がいつも損をすることになってしまう。これが、10代から数百回のイベントを開催してきた僕の経験から汲み取った真実だ。自然界の生存競争原理にも似た残酷な真実でもある。クソを味噌に混ぜ込まない。そのほうがイベントの集客もかならずうまくいく。いつもより高い金額にしても瞬時に人が集まる。もちろん、どういう人が来るかをしっかりと告知する。「誰でも来ていいよ!」と告知したときの数倍早く、質のいい人がこぞって参加表明をしてくれる。僕自身、イベントで何度も実験しているが、必ずその通りになる。参加者には喜ばれ、満足した人がまた、素敵な人を連れてきてくれる。そんなプラスの連鎖が放射線状に広がってゆく様を何度も見てきた。男も女もクソを味噌に混ぜてはいけない。その掟が守れてこそ、真の大人の気遣いができる男と言える。

誰もが皆、自分が本当に欲しているものを口にしない。得られないことで体を壊すほど苦しいにもかかわらず、「かっこ悪いから」あるいは「恥ずかしいから」という理由で言わないのである。恋人が欲しい。結婚相手が欲しい。会社外に男女の友達、仲間が欲しい。そして、仕事が欲しい。究極は「お金が欲しい」。この「お金が欲しい」の裏側には「お金が足りない」という現実が存在する。カードの借金があったり、ショッピングローン、自動車のローン、あるいは食事に行くお金が足りない、服を買うお金がない、旅行に行きたいがお金がない、といったものなどさまざま。おそらく世の中のほとんどの人が「お金が足りない」と感じている。お金に困っていない人でも「生き甲斐が欲しい」と切願する人もいる。子供が欲しい。これもなかなか人に言えない強い願望である。名誉が欲しい、尊敬されたいという人もいる。やせ我慢をして、人には絶対言わない願望を誰もが抱えている。大人の男はこれを察し、さりげなくそれを得るための情報やサポートを差し出す。だから愛されるし、頼りにされるし、そばにいてほしい男になるのだ。相手が今人生において真剣に欲しいものを知って、それが手に入るように考えたり、サポートしたりして相手と接するのと、それをしないのとでは人間関係の親密度、情愛の濃さに大きな違いが現れる。今、相手が人生において真剣に欲しているものを知り、手に入るように助ける。すると、相手はあなたの虜になる。大人の男の気遣いを身につけたければ、兎にも角にも相手が欲しているものは何なのかを徹底的に知ることである。「お金」なのか「恋愛」「出会い」なのか、「ストレス解消」なのか「人肌感」なのか、「天職との出会い」なのか、あるいは「ダイエット」なのか。会話のなかでさりげなく相手が一番欲しているものを知るように心がける。僕の場合、著述業と会社運営をしている。本当に欲しいものは著作のヒットによる多くの人々との心の触れ合いである。そして印税。これがあることで僕は生命を健全に維持することができるし、新しい楽しいイベントプロジェクトにもどんどん挑戦できる。また自社施設である目黒クリエーターズハウスをもっと活性化できる。さらにもう1つ欲しいものがある。それは「持続的なキャッシュフローが得られるビジネスモデル」である。これにより会社が安泰になり、関係者に潤沢なキャッシュフローをつくることができる。まだまだある。それは世の中をよくするために何か大きな一石を投じたという実績も欲しい。そして、仲間と腹の底から笑いあえる楽しい時間も。僕はこれを常日頃、切願しているが、その真実を周囲はほとんど知らない。理由は明確、「恥ずかしいので口にしないから」である。もし僕の願いが叶えられる術を提示されたら、僕はその人の話に熱心に耳を傾け、ビジネスアライアンスを結び、何かお礼して差し上げようとあれこれ考えるだろう。ビジネスタイムにおいても、真っ先に優先して時間をつくるに違いない。相手が本当に欲している、普段は口に出さないことをプレゼントする。これが究極の大人の男の気遣いである。そしてそれこそが相手の心を鷲摑みにするためのトリガーとなるのである。

人は誰でも皆、小さな不義理を繰り返す。どんなに周囲に気を遣って過ごしたとしても、多忙になるとやはり小さな不義理を犯してしまう。あなたも、きっとどこかで誰かに不義理をしているはずだ。つまり、何が言いたいかというと、自分だけが「不義理をされている」と思うことなかれということだ。人に不義理をした記憶は残らないが、自分がされた不義理はとかく覚えているものである。大人の男は、許せる範囲の不義理であれば3回までは許す。そうすることで、生きやすくなることを知っているからである。「こちらから連絡しているのに、返事がこなかった」「1度やると言った仕事を放棄された」「マイナスな言葉を吐かれて、居直られてしまった」このような態度をとられた瞬間、人はだれでも不愉快になる。縁を切ろうと思えば、プライベートであれば簡単に切ることができる。仕事であっても、心のスイッチをオフにして、仕事以上の関係は持たないという決断もできる。上司であれば、何かの折りに相手の配置換えを行なうこともできる。しかし、これらの振る舞いが人生のさまざまな可能性を摘み取ることに気づかなければならない。まずは良好な人間関係を失う。相手もあなたを失うのだ。ここで相手を少々許し、不義理を忘れることで、あなたも、相手も快適に人生の時を過ごすことができるようになる。実は強い人間ほどこれができる。周囲の人間は、自分より能力も、精神力も自制心も弱く、情緒も不安定になる「困ったちゃん」であると、心のどこかで思えばいいのだ。人は簡単に壊れるのだからそう目くじらを立てることはない。自分がそうならなければいい。そんなふうに他者を突き放して考える。一方の、「人の不義理を気にしすぎる人」はどうか。彼らは人の不義理を鮮明に記憶しすぎる嫌いがある。過去の小さな不義理もずっと覚えているのである。「ま、いっか」と忘れる自由度がない。そう、これは「生きにくい不自由さ」を意味するのである。そういう人はまず、自分が苦しい。いつも怒りの感情に心が支配され、始終気分が憂鬱なのである。そして人をどんどん切ってゆくから、人間関係が残らないという致命傷も抱えている。僕も過去に不義理をする人をどんどん切っていた時期があった。ストレスは軽減されたものの、同時にその人の良いところまで切り捨てていることに気づいた。知り合いは増えず、嫌な人の顔ばかりが頭に刻まれた。「あんな些細なことでつながりを切ってしまった……」という罪悪感に似た感情もこみ上げてきた。その後、不義理に関しては3回まで許すという方針に変えた。すると、とても気分が楽になった。ラフな人には自分もラフに、ある意味、適当に接するようになった。不義理を水に流し、再び相手を信じた結果、長らく豊かな関係が築けるということも学べた。過去の不義理を水に流し、少しバカになったつもりで人の未来に賭ける。それもまた、大人の気遣いなのだ。あなたもそうやってどこかで誰かに過去を水に流して未来に賭けてもらっている。だからこそ、今がある。とくに女性との関係は、不義理の忘却の連続である。いちいち立腹して気分を害しても、あるいは相手に文句を言ったとしても、損をするのは間違いなくあなた自身だ。相手が手に入らないばかりか、変な噂まで流されてしまうのだから。

友人、恋人、妻、元妻、自由恋愛の相手など、これまで、あなたはいったい何人と疎遠になってきただろうか。せっかく仲良くなったのに。眩しい時を過ごしたのに。一生の付き合いだと思ったのに。別れの数を数えるたび、人生の空しさ、人間関係の切なさを感じざるを得ない。仏教に「会者定離」という言葉があるように、「出会った者は必ず袂を分かつ」。しかし、それがせめて死別の瞬間であってほしいと願うものである。あなたが抱く喪失感は、実は誰もが抱く感情である。もしそうならば、そうならないように手を打ちたい。ほんの少しの気遣いを積み重ね、失わないようにメンテナンスをしたい。むしろ関係を育てるといった前向きな姿勢で友情や愛情を、人生最後の日まで維持したいものだ。はたして、目の前の相手がどれだけこちらを慕い、必要としてくれているか、不安になることはないだろうか。口に出してはいちいち確認できないが、そういう感覚を胸に抱き過ごす一定時間がある。大人になればなるほど、こういう時の結論付けは破壊的になる。「まあ、そっとしておこう。会いたいと思ってくれているなら連絡がくるだろう」実は、この小さな積み重ねが、波が岩を削るように友情や愛情を侵食してしまう。やがては関係をなきものへと導いてしまうのだ。「自分はそんなに大切に思われてはいないんだろうな……」と思い込み、行き過ぎた気遣いで「あまり連絡をしたら申し訳ないだろう」とお互いが思ってしまったとき、悲劇の瞬間は訪れる。もう二度と連絡を取らなくなるのである。それをつなぐのが所属する「コミュニティ」なのだが、そのコミュニティを捨てた人はもう完全に疎遠になる。何千、何万、何億という「縁」がこうして世の中から消えて行く。どうにか残念な結末になるのを防ぎたいものである。ここでちょっとした気遣いをすると、この虚無的結末は防ぐことができる。あなたが大切に思っている相手との思い出を常に思い返し、常に言葉にしてみるということだ。「過去は振り返るな」というが、良い思い出は何度でも蒸し返したほうがいい。「思い出」こそが人生を生きた極上の作品であり、無形だからこそ絶対に色褪せない共通の宝物となるのである。「あの旅行は最高だったね。あのときの綺麗な夕日は今でも焼き付いてるよ」「いやあ、あの頃は最高だったな。あんなに楽しい毎日といったらないよ」「互いにバカをやってたね~。でも最高に楽しかったなあ」そうやって少々感傷的な要素も含みながら回顧し、言葉にする。この小刻みな繰り返しが、あなたと相手の友愛を一生モノにしてくれる。僕もこのことは常日頃、意識するようにしている。おかげで男女問わず50人以上の青春時代の仲間と変わらず、今も肩を叩き合うことができている。ノスタルジックでいて、青臭いほんの少しの大人の気遣い。それが人生を豊かにしてくれる。奥様や恋人にももちろん使わない手はない。相手はあなたの心の中に自分がきちんと存在していることを確認でき、「間違った大人の気遣い」で関係を冷ましてしまうこともなくなるのだ。心できちんとつながっていることを伝えるために、あえて「昔話」をしてみよう。定期的なこの気遣いの繰り返しが、恋心の再燃を、あるいは友情が恋愛に変わる瞬間を、さらには男同士の友情を、強く熱く育てるのである。

ホームパーティや交流会、合コンなどで、その場の会話に乗れない人がいる。そのような人をあえて親しげにいじって居場所をつくってあげる。「いじり」と言ったが、実はあからさまに気を遣ってしゃべられるよりも、いじってあげたほうが本人は地を出しやすい。しかも、周囲も屈託なく本人と関わることができるようになる。なぜか。「〇〇さんの趣味はなんですか?」「ええと、そう言われましても……、趣味なんていえるものは……」こんなたどたどしい会話が行なわれ、状況はますます悪化、話を振った人まで一緒に心中してしまうことになりかねない。その場の空気自体も白けることから免れられない。会話のオチ、つまりその場の空気がどうなるかの権限をその「乗れない人」に渡してしまうから、このようなリスクが生じてしまうのである。オチの権限は、けっして与えない。本人には、とても荷が重すぎる。小さな振りであっても本人にとっては無茶ぶりとなってしまう。慣れていない新人芸人がたまに話を振られて、絶対に滑ってはいけないプレッシャーを感じるのと同じ苦痛を味合わせることになる。だから、オチは最初からこちらでつくってあげる。それが「いじりながら話を振る」ということ。いじった瞬間にもう「オチ」はついており、その後、本人が何を話そうと空気は変わらない。安定した結論に導ける。では、どうやっていじればよいか。たとえば、似ている芸能人の名前で呼ぶのは手っ取り早い。あるいは「遊んでいる人であるかのように」もいい。「え~、今日もこのあと合コンに行く予定の○○さん」などは、地味で出会いが少なさそうなみじめなイメージを払拭しながら、本人に憎めない光を当てることができる。あるいは、「お金持ちであるかのようにいじる」のも決して不名誉にはならない。「え~、資産家の○○さん、ご意見をお願いします」なども使いやすい。また、「じゃあリケダン代表の○○さん、意見をどうぞ」などもいい。おとなしくて理系っぽい男性にあえて理系男性をポジティブに表す「リケダン」という言葉を使って光を当てる。すると、いかにもキレのいい左脳男子のようなイメージをつくってあげられる。酒好きには「酒豪の○○さん」というのもいい。こうやってポジティブかつ、わざとらしくないキャラ付けをすることで、居場所をつくってあげる。さらには互いにコミュニケーションがしやすいフレンドリーな空気をつくってあげるのである。たいしてイケメンではない人にイケメン風タレントのあだ名をつけたり、同じようにそれほど美人でもない女性に、ずば抜けて美人な女優のニックネームをつけたりすることはやめたほうがいい。本人が居ずらくなってしまうのと同時に、周囲も少々興ざめしてしまう。もっと等身大の親しみやすいいじりを仕掛ける。これが大人の男の気遣いと場の回しの極意である。

人は誰でも気持ちよく過ごしたいと思っている。人ともめごとを起こしたいなどと思う人はいない。そのはずなのに、いつでも人間関係が良好で毎日が快適という人は少なく、いつも誰かに腹を立てているという人のほうが圧倒的に多い。とくに「メール」によって引き起こされる「不愉快な出来事」が多いようだ。メールで誰かを不愉快にする人は、いつもたいてい決まっている。特定の誰かが、絶対的に少ない誰かが、いつもどこかで誰かの気分を害している。悲しいことに、多くの人が、いつもすがすがしいメールをくれる人よりも、不愉快なメールを送ってくる人のことばかりを思い出し、不愉快な気持ちを引きずって時間を無駄にしてしまっている。誰かの非常識かつ無礼で感情のコントロールを失った「人が変わったようなメール文章」。これにどれだけ冷静に向き合うか。生まれながらにしてメールやラインなどのデジタルコミュニケーションをしてきた小学校高学年の子供、あるいは中学生のほうが、この手の「不快なメールの送り主」に対する内面の処理の仕方は高度だ。彼らは「ジャンクなメール」の送り主に遭遇したとき、一気に感情のスイッチをオフにする。そして「相手が勝手に壊れた」という冷めた判断をする。ロボットが壊れたような感覚だ。あるいは「文章表現力が貧弱なかわいそうな人」と理解する。激怒するのは、「メール文化」を大人になってから享受した世代である。非常識かつ感情のコントロールができていないメール、それを見た瞬間に「感情のコントロールができていない情緒不安定な状態に勝手に陥ったな」と冷めた心で切り離し、まともに相手をしない。文字でケンカの形跡や、こちらも感情的になった形跡を残さない。これが大人の判断である。メールじゃないと、強くものを言えない、強くどころか自分の意見を言うこともできない。そういう人間にまともにメールで反撃しても意味はない。返すとしても、自分の正当性を箇条書きで返す程度。そして電話か、あるいは会って話す。そうすることにより、文字のコミュニケーションが生み出す怒りの感情の増幅を防ぐことができる。本人とぶつかって、不快な時間を過ごしたり、自分が悪いのではないかと落ち込んだりするのではなく、いち早く自身の心を安定させ、未来への希望を抱く。そして何事もなかったかのように過ごす。冷たいと言えば冷たいが、それがデジタル社会の「大人の気遣い」である。僕自身、十数年前に、友人20人のグループメールでヘタを打ったことがある。些細なことで常軌を逸した攻撃を仕掛けてきた高圧的な情緒不安定な相手に、まともにメールで攻撃を返してしまった。結果、全員集まっての話し合いになり、メンバーに迷惑をかけた。楽しい余暇を過ごしたいと思っていたメンバーには、とても迷惑だったと思う。最終的にどちらが正しいか多数決をとることになった。結果、「イベントプロジェクトのルールを決めるために、そんなに騒ぐこともなかったのではないか?」ということになり、辟易してメンバーから抜ける人も出た。今思えば、攻撃主に電話をし、落としどころを見つけて、また全体メールに静かに結論を流せばよかったのである。周囲を巻き込んでケンカをすると、周囲も体力を消耗してしまう。多くをメールで議論しない。ましてやグループメールでは絶対にしないこと。情緒不安定メールに攻撃されたときはもちろん、自分自身がこういう不毛で面倒くさい、揚げ足取り屋にならないためにも徹底したいものだ。

人は、「自分がしてもらったこと」を忘れてしまう生き物である。反対に、「自分がしてあげたこと」は覚えているものだ。この不均衡が人間関係の冷却や破綻の原因となる。よく見かけるのが、誰かの口添えがあってはじめてうまくいった仕事の手柄について、「実力であった」あるいは「自然発生したものだった」と都合良く真実を塗り変えて記憶しているビジネスマンだ。記憶が塗り変われば、発言も変わる。その口からは、自力でうまくいったというストーリーしか発せられない。裏側を知っている身としては、その人の本質が見えたような気がして、残念な気持ちになるものだ。その人のこれまでの人生がどういうものであって、そして、この先どうなってゆくのか、だいたい想像がつく。「あのとき助けてくれたから今の私があります!本当にありがとうございました!」このように、5年も10年も20年も前のことを思い出し、あえて言葉にし続ける。これが大人の男の気遣いの1つと言える。収入につながる人間関係を破綻させないためといった、打算でなく、人として本当に心から素直に過去10年、20年、30年の恩を言葉にしたいものだ。僕自身、完全にできているとは限らないが、それでもなるべく思い出し、直接本人の前で口にするようにしている。なにしろ口にした自分自身が気持ちがよい。不義理へのうしろめたさが消え、とたんに居心地がよくなる。そして言われた恩人のほうも心底喜ばしい気持ちになる。僕は人生においての究極の快楽は、人を育てることであり、後世にバトンを渡すことだと考えている。後進の成長の一翼を担えることは、至高の幸福としかいいようがない。後輩を育てたり、チャンスを与える側の人は、育てた人が幸せになり、そのことを感謝されることに至福の感情を抱く。今度はあなたが恩師を幸せにする番だ。御礼を言ったあなたも幸せな気分になる。全方位型に幸福感を充満させる気遣い。それが「大昔の恩を思い出し、何度もお礼を言う」ことなのである。今まであなたを応援して骨を折ってくれた人、人生の好転期を与えてくれた人を一人ひとり思い出してみてほしい。折を見て、葉書や手紙を書き、そのときの恩を明記し、御礼の気持ちを伝えよう。相手が年上だろうが、年下だろうが関係ない。今は音沙汰がなくなっているとしたら、それはあなたが恩を忘れているからかもしれない。彼らから、何かをしてもらおうとしてはいけない。まずは、過去の恩に心からお礼を言おう。30年経っていてもかまわない。あなたの魂が深層にある罪悪感から解放される。お礼は、何度も何度も口にしよう。命が続く限り。

著者略歴潮凪洋介(しおなぎ・ようすけ)エッセイスト・講演家。「自分流の人生を設計し、生き方に革命を起こす!」をテーマに講演やアドバイスを実施。主な著書に、「いい人」シリーズ累計21万部超の『もう「いい人」になるのはやめなさい!』『それでも「いい人」を続けますか?』(ともにKADOKAWA)、『「バカになれる男」の魅力』(三笠書房)などがある。東京山の手地区のクリエーターの化学反応基地「目黒クリエーターズハウス」館長。著者養成学校潮凪道場代表。パラレルワーク専門学校自由人生塾主宰。全国の地域活性化「婚活事業」にも講演やイベントプロデュースを通じて寄与。株式会社ハートランド代表取締役。早稲田大学社会科学部卒。潮凪洋介の自分革命Mail&MovieAcademyhttp://www.shionagiacademy.jp大人の海辺の社交場芝浦ハーバーラウンジhttp://hlinc.jp/harborparty/

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