本書を書いた私の想いホテルで日本刀を振り上げられて「お客様に、私は殺せません!」なぜ、「歌舞伎町のジャンヌ・ダルク」なのか?ヤクザの姐さんが私の顔を見にきた「バックに大物がついているに違いない」おもてなしとは、命を張ること誰もがみんなさびしい相手が怒っていても、こちらはやさしさで返す「ドアの前で立ってろ!」事件「あんたは、ちゃんとそこに立ってた」――クレーマーがファンに変わる瞬間「イチ、ニのサン!ドーン」まるでドラマのような逮捕劇「カネなし、コネなし、資格なし」の私が、銀座から歌舞伎町へ歌舞伎町を任された私着任早々、ホテルで〝カツアゲ〟が横行!?ブルブル震えている女性スタッフを見て……「犯罪者が泊まってるホテルでしょ」――新宿署からも見放されていたヤクザが占有するホテルからスタッフを守りたい!安心して勤められる職場にしたい私の顔めがけて、大きな財布が飛んできたやさしさは、怒鳴り声よりも強いものランドセルを背負った謎の長期滞在者の正体現場検証に立ち会い、わかった衝撃の事実不法駐車のヤクザに、署名入り「駐車禁止」の貼り紙で対抗間一髪で命拾い!小説より怖い捕物劇実は陰ながら見守ってくれた新宿署の人たち私がスタッフを守る!辞職を決意したある日のできごと信念が、理不尽な状況から自分を救う「一本の強い幹」になる「クレーム処理」と「クレーム対応」の違いヤクザを泊めない、クレーマーにお金を渡さないホテルある日突然、〝強制送還〟されてきた女性とクレーマーの母「今日泊まれる宿を、一緒に探しましょう」スケベ心にご用心!現金を抜いて逃げた女と〝言えない〟男ママはホストクラブへ?子ども5人で保育園状態に夜の歌舞伎町は遊園地?子ども5人をつれて深夜のコンビニへ「歌舞伎町駆けこみ寺」玄さんのひと言――「あんたはオンナ玄さんや」「MVP賞受賞」の瞬間に起こったことある日突然、労働基準監督署の査察が前代見聞!5人の部下が、労基署に涙の訴えヤクザ全員が整列して私に最敬礼
第1章全国No.1!日本一のクレーマー地帯で、なぜ日本一の支配人になれたのか?
本書を書いた私の想いこれからお話しさせていただく私自身の数々のエピソードは、こんな私でも信念を持ってやればできる、ということを知っていただくために書いたものです。忘れもしない2011年3月11日の東日本大震災。いまだ復興も道半ばで、がれきも散在するなか、被災地の方々の心痛はいかばかりか、想像するに余りあります。でも、一人ひとりがほんの少しずつやさしさを持てば、世の中は変わってくると信じています。人が人を救えるのだと思います。身に覚えがあると思いますが、つらく苦しいときのやさしいひと言は、2倍にも3倍にもうれしいものです。逆に、つらく苦しいときの心ないひと言は、2倍、3倍にも落ち込む要因となり、時には立ち直れない場合もあります。やさしさを私自身が求めているからこそ、私は前へ前へと、向かっていくのかもしれません。人はそれぞれ大小にかかわらず、悩みを抱えて生きているのでしょう。ほんの少しのやさしさをみんなが持てば、つらいことも乗り切っていけるのではないでしょうか。絶望の淵にあっても光を見出せれば、生きていく糧になるのではないでしょうか。私は偉くなりたいとか出世したいとか、そのような思いは皆無です。ただいつも人を信じているだけで、怖さも顧みず一歩前へ進んでしまいます。私自身、この本では、ほんの少しのおもいやりとやさしさという〝心〟を常に持っていれば無敵だということを、僭越ながらお話しさせていただきたいのです。ホテルで日本刀を振り上げられてこれは支配人として赴任し、すぐのできごとです。最上階で作業していた私の携帯が突然鳴り出しました。電話の向こうは、1階にいるフロントスタッフ。このホテルのスタッフは私をはじめとして、ほとんどが女性です。
「支配人、すぐ来てくださいっ!大変ですっ」かなり切迫した声でした。状況をおおまかに説明してもらい、私はエレベータに乗り込みます。12階、11階、10、9、8、。滑るようにエレベータが降りていく間、私はスカートのシワを直し、ネクタイを締め直しました。1階に着くのがいつもより長く感じられます。やがて「チン」と音がして、音もなくドアが開くと、そこには190センチはあろうかという大柄なスキンヘッドの男が紙袋を持って、私を待ち構えていました。この男には見覚えが。以前、素性がヤクザであることを知って、宿泊をお断りしたのです。エレベータを降りて、男と向かい合いました。思わず足が震えました。私の背は160センチ足らず。ヒールのある靴を履いていましたが、それでも男の胸ぐらくらいしかありません。男は、私に向かって凄みます。「こらァ、オンナ。お前が支配人だと?ふざけんな!俺を泊めないとはいい度胸だな。ぶっ殺されてぇのかよ、オイ!」ドスのきいた耳をつんざくような怒声に、ビリビリとその場の空気が震えました。「いいえ。しかし、当ホテルではお客様のような方はお泊まりできないようになっております」「俺がヤクザだからかよ。ああ、差別かよ、おい。客に向かって失礼だろうが、オラ」「大変申し訳ありません。お泊めすることはどうしてもできないのです」エレベータホールに仁王立ちになった男の眼だけが異様に光り、みるみるそれが血走っていきます。嫌な予感がしました。男が茶色い紙袋からすらりと出したのは、抜き身の日本刀でした。一気に全身から血の気がうせ、冷たいものが背筋を走りました。「お客様に、私は殺せません!」でも、男がそれを構えたとき、私は後退りするどころか、一歩前へ歩んでいたのです。性分なのでしょう。私はこういうとき、なぜか後ろに下がることができないのです。フロントスタッフが私を待っているそう思ったら、引き下がることができませんでした。
こういうときは、人間というより動物同士の間合いの取り方に近いものがあります。私はまばたきもせずに、男の目をジッと見つめて前へと進みます。懐に入ってくる格好になった私に、驚いたのは男のほうでした。「オイ。怖くねえのかよ。俺が怖くねえのかよ」「怖くありません」本当は怖いです。足元は震えていました。「なんで、なんで、おまえ怖がらねえんだよ」男は聞きます。とっさのとき、人間というのは何をしゃべるかわからないものです。私は、そこで思わずこう言っていました。「お客様に、私は殺せません!」自分で言いながら頭のどこかで冷静なもう一人の自分がいます。私の意外な言葉に、驚いたのはむしろ相手のほうでした。「おう、俺におまえが殺せねえっていうのかよ。オイ、試してみようか」今度は、落ち着いた声で私は再びこう言います。「いいえ、お客様には私は殺せません」ひとりでに口に出た言葉でした。しかし、結果的に私は人を信じていたということになります。一つ対応を間違ったら、私の身体はまっぷたつでした。その日も満室で、400名近くのお客様がこのホテルにいるはずなのに、気持ちが悪いほどホテルは静まり返っています。やや間があって、私の言葉に気勢をそがれたかのように、男は振り上げた刀を下ろしました。やがて、ホッと男の息が漏れ、肩の力が抜けたのがわかります。「なあ、支配人さん聞かせてくれよ。あんた、なんでそんなに勇気があるんだい?」「いえ、私は人間を信じているだけです」自分でこのセリフを反芻しながら、ああ、そうだ。私は人間を信じていて、ここでホテルの支配人をしているのだ、と思いました。人に刃物を向けられても、怒鳴られても、私は、結局のところ、人間を信じている。身
体が、いままでとはまったく違う感動で震えました。男の表情が緩みます。「支配人さん、あんたすげえな」彼はいったいどういう心境になったのでしょう。私にもこの人の心のうちはわかりませんが、その後、彼は私に訥々と身の上話を始めました。聞けば、組を破門になったばかりで自暴自棄になっていたそうです。これからの人生への不安や、たった一人放り出されてしまった孤独が、社会に対して刃を振り回したくなった理由でしょうか。その後、2、3時間は話をお聞きしたかもしれません。落ち着いたようでしたので、最後は歌舞伎町を歩いて、私は歌舞伎町の雑踏のなかで彼と別れました。考えてみれば不思議な縁です。私は、ほんの数時間前まで自分を殺そうとしていた人の話を聞き、その人は命を奪おうとした人間に自分の身の上話を語っていたのです。「どうかがんばってくださいね」「おう。支配人さんも、体に気をつけてな」確かに、ヤクザを私のホテルに泊めることはできません。でも、それを離れれば、私たちはただの人間同士なのです。組を破門され、自暴自棄になっていた彼は、感情の赴くまま行動に出てしまったのでしょう。でも、過度におびえることのない私の「素」の態度に、どうやら我に返ったようでした。私は人を信じていますから、当然の態度を示しただけなのです。なぜ、「歌舞伎町のジャンヌ・ダルク」なのか?申し遅れました。私は新宿歌舞伎町にあるホテルの支配人、三輪康子と申します。私は、歌舞伎町という街をこよなく愛する一人の区民でもあります。当ホテルは、新宿という場所のよさに恵まれただけではなく、スタッフ一同の鉄壁のチームワーク、新宿署員や歌舞伎町の地域のみなさんのおかげで、当グループ内での過去の売上は何度も日本一になることができました。そして、もう一つ。私は、ヤクザとの粘り強い交渉をしていたことから、警察から「保
護対象者」として守っていただいています。このような指定を受けているのは、全国でも稀だそうです。そして私は、新宿署のみなさんから、このような愛称で呼ばれています。「歌舞伎町のジャンヌ・ダルク」たった一人、何の力もない女性が革命を起こしたという理由だそうです。この呼び名には少々異論があります。「闘う女」というより、私はどちらかというと、愛の人「エンジェル三輪」だと思うのですが、どういうわけか「エンジェル三輪」のほうはなかなか定着しません。「ほら、私ってエンジェル三輪だから」とみんなに言うと、「ハイハイ」と適当にあしらわれ、どうもしっくりこないようです。近頃は「三輪さんの話を聞くと元気が出る」と言ってくださる人が増え、いろいろな方が私のホテルにいらっしゃいます。某有名ホテルの方も、ここにお忍びで視察にいらっしゃいましたし、政治家の方々やマスコミの方なども私のことを訪ねていらっしゃるようになりました。みなさん私の話を聞くとびっくりされるのですが、私は大真面目に、ホテルとしてはありえない「正義は勝つ」をモットーにしています。「悪」に屈することなく、前へ進んでいくのです。ほとんどの方がそれを聞いて、思わず吹き出してしまうようですが、こんな私の発言はなぜかみんなに元気をあげることができるようです。ヤクザの姐さんが私の顔を見にきためずらしい方も訪ねてきたことがあります。ヤクザの姐さんです。「どんな人か顔を見にきた」とフロントにいらっしゃったときには、さすがに何事かと驚きました。その方によると、私がクレーム対応したときのお客様がこの姐さんの弟分だったそうなのです。お話をお聞きしてみますと、確かにその方の弟分には記憶がありました。なにしろ過日このホテルに宿泊された際、お部屋に大量の「免許証」を忘れていかれた方ですから。一人でそんなにたくさんの「免許証」をお持ちになっているはずもありません。「こんなにたくさんの人の免許証これは本人のものではない」と思った私は、それを遺失物として警察に届けました。そのあと、男性は大事な忘れ物に気づき、大急ぎでホテルに取りに戻ってきたというわ
けです。そこで私とひと悶着がありました。私が、「免許証はすでに警察署に届けてある」と告げると、男はみずから警察に出向くこともできずよっぽど困ったのでしょう。烈火のごとく怒り、こうおっしゃったのです。「なんで警察になんか持っていくんだよ!お前が勝手に警察に届けたんだ。おまわりのとこへ行って取り返してこい!」筋の通らない要求ですので、私は断固「NO」を繰り返します。「お客様、申し訳ございませんが、あれはどう見てもお客様の免許証ではありません。もし、どうしても取り返したいとおっしゃるなら、直接警察に行って返してもらってください」あとはどんなに怒鳴り散らされようと、私は頑として意見を曲げませんでした。男性は怒鳴ったら、私がおびえると思ったのでしょう。おそろしげな表情をしてぬうっと顔を近づけてきます。しかし、そこは私のこと。おびえるどころか一歩前へ出ました。意表をつかれたのでしょう。男性は、びっくりしたように逆に一歩、後退りしたのです。そこで私はさらに一歩前へ行きました。「な、なんで近寄ってくるんだよ!」気味悪がっているのが伝わってきました。「お客様との距離を保つためです」男性は、どう思ったのか、それを見て急に怖くなったようです。急いでタクシーをつかまえて、当ホテルから消えようとしていました。そのときです。私は、その人の携帯がフロントの上に置いてあるのに気づきました。あの人に届けなければ!あわてて外に出ると、弟分はちょうどタクシーに乗り込むところでした。「携帯、お忘れですよ〜!」私が、そう言いながらタクシーを追いかけると、どうしたことか、タクシーはますます急加速して離れていきます。「待って〜」私は車で逃げるヤクザを走りながら追いかけていました。私の振り回す携帯に気づいたのか、男性は渋々タクシーから降りて、携帯を受け取り、帰っていきました。「バックに大物がついているに違いない」そういえば、そんなこともあったと思い出していると、そこにいる姐さんの弟分は、こ
んなことを口走っていたというのです。「俺はあんなに怖い目にあったことがない!」〈自分では結構弱いところもあると思っているのですが、妙ですね〉さらに姐さんは私をジーッと見据えてこんなことを言ったのです。「あんたほど度胸があるからには、きっとバックに大物がついているに違いない」「エッ?」そんなふうに見えるのでしょうか。あわてて否定します。「そんなものはついておりません!」しかし、相手はがんばります。「しらばっくれないで教えてよ。あんた、どんな後ろ盾がいるんだい?」「いいえ、私には何の後ろ盾もありません」組の姐さんという人は、まったく人の話を何も聞かずに、挙句の果てにキッパリと断言しました。「いいや、あんたには絶対黒幕がいる!」いったい私はどんなふうに見られているのでしょう。スタッフからは、「さすが支配人」と、ほめ言葉にならない言葉をもらいました。ここでも私は、怖さを感じることなく自然に行動に出てしまっただけなのです。「追い出そう」などと相手を思いやることなく行動していたら、違う結果になっていたと思います。私はいつもどおり人を信じているからこそ、冷静沈着に前へ進むことができたのです。おもてなしとは、命を張ることある日は、とうとう暴力団の幹部が私に会いにいらっしゃいました。その方は、独特の威厳を持った静かな声でこうおっしゃるのです。「支配人さん、歌舞伎町の者が迷惑をかけたね」そうひと言告げると、背筋を伸ばしたその人は、たくさんの舎弟を引き連れて、帰っていかれました。確認しておきますが、私は極道の妻でも、レディースの総長でもなく、ただの「ホテルの支配人」です。この間は、「歌舞伎町未来会議」という歌舞伎町商店街の会議があり、そこでお話しさせていただきました。そのなかで、「三輪さんにとって、おもてなしとは何ですか?」と聞かれたので、「命を張ることです!」と答えたら、みなさん苦笑なさっていました。
ビジネスに命を張るなんて大げさなと思うのでしょうね。でも、「命を張る」という言葉、実際に誇張でも何でもないんです。誰に聞かれてもこうお答えします。おもてなしとは、命を張ることです。おもてなしと命を張ることとは、普通であれば結びつくはずがありません。なぜ、私は断言できるのかというと、究極の命をかけてまでも人を信じて対応するということから発しているからです。誰もがみんなさびしいこのホテルには、さまざまな方々が一夜の眠りを求め、朝になるとどこかへ旅立っていきます。誰もがさまざまな事情を持ち、喜んだり、悲しんだりしながら生きていることを支配人として数千、数万と見てまいりました。当ホテルが目指しているのは、「自分の家に帰るような普段着の宿」です。観光地に行くような特別な宿ではなく、仕事から疲れて帰ってきて、ホッとネクタイを緩められるような場所にしたいそれがスタッフ全員の思いです。私のホテルはビジネスマンの方がたくさんお泊まりになります。なかには、立派な身なりをしていても、ホテルでは人が変わったように、溜め込んでいた感情を全部ぶちまける方もいらっしゃいます。もちろん、私たちの不手際が原因であるときには、誠心誠意お詫びし、なんとか怒りを収めていただくように、手を尽くします。でも、常識を超えたクレームを言ってくるお客様もいて、その人たちは最後には何を怒っているのか、ときどきお客様ご自身でもわからなくなっていることもあります。やりきれなさ、報われなさ、さびしさ、孤立感、恨み、嫉妬その入り混じった暗い感情が、何かをきっかけに暴発し、それが私たちに一気に向かうのです。結果として、明らかにホテルに対するものではない怒りや苛立ちまで、私たちは対処しなければなりません。相手が怒っていても、こちらはやさしさで返す最近は実感として、そういうケースがとても増えています。私は、深夜に延々と怒鳴り続けている人を見ながら、ときどきこう思うのです。僭越かもしれませんが、誰もがみんなさびしいんだなと。大変なストレスのなか、仕事をしても報われず、誰かにやさしくされることもない。
上司にも、家族にも、同僚にも、ぶつけることのできない理解されない思いを、私どもにぶつけてくる。都会のなかの深い孤独を見るようでした。「この人は、いまどんな気持ちでいるのだろう?この人のために、いま何をしたら、この人はうれしいんだろう?」私はいつもそう思うのです。おのずと、相手は怒っていても、こちらは怒れないという気持ちになります。こちらの精一杯のやさしさでお返しすることしかできません。あちらが怒っていても、こちらはやさしさで返す。こうすると、世の中がほんの少しずつでも変わっていくような気がするのです。怒っているときには楽しい思いとはかけ離れた状態にいますので、「やさしさ」で返されたら思いのほか我に返り、やさしさが身に染みると思うのです。「ドアの前で立ってろ!」事件ある年の暮れのことです。私のところにこんな内線電話が飛び込んできました。「エレベータの乗降客の声がうるさくて眠れない。部屋を替えろ!」その人の部屋は、エレベータのすぐ近く。折しも忘年会シーズンで、遅くまで遊んでいたお客様が、廊下を騒ぎながら歩いていったようなのです。しかし、あいにくその日は満室で、代わりになる部屋は一室もありませんでした。急いでその方の部屋へ行きます。出てきたのは、不機嫌な顔をしたビジネスマン風の男性でした。私は早速謝ります。「申し訳ございません、お客様。当ホテルはただいま満室でして、あいにくこの部屋しか空いておりません。お休みのところご心痛だったと思います。大変失礼いたしました」お客様はすでにかなりの剣幕でした。「何言ってるんだ!部屋を替えろ。いますぐ用意しろ!」「申し訳ありません。本日は満室でして」私は重ねて謝ります。しかしその男性は、湧き上がる感情を止めることができませんでした。「ほかのヤツを追い出せ!部屋をいますぐ用意しろっ!」確かに、廊下を歩くお客様の声がうるさかったのかもしれません。しかし、ホテルである以上、多少の生活音は我慢していただかなくてはならない場合もあります。お客様は、こう叫んでいました。
「じゃあ、値引きしろ!俺だけうるさい部屋で不公平だろうが!当然サービスしてくれるんだろ?」「本当に申し訳ないのですが、当ホテルではそういったことはしておりません」「ふざけるなっ!」私は、お客様の様子を見て、こう申し上げました。「それでは私がドアの前に立って、エレベータから降りるお客様に、静かにするように注意しますので」そのひと言で言質を取ったと思ったのでしょう。お客様の目の色が変わりました。「そうか、あんたドアの前に立って注意してくれるって言うんだな。でも、いつ客が騒ぐかわかんないよな。そうしたらあんた、どう責任取ってくれるの?」もう人通りも絶えて、廊下はひっそりとしていました。私は、怒りに息が上がっているお客様に向かって、「もう大丈夫ですよ」そう言いたくなりましたが、お客様は世の中のことをもう何一つ信じられず、少しの我慢もできないようでした。そこで私は、こう請け負いました。「それでは、私がひと晩中、ドアの前で通行される方に注意いたしましょう」お客様は一瞬驚いたようでした。しかし、すぐに私に対してこう念押ししました。「いい加減なこと言うな!ひと晩中だぞ!ひと晩中なんだぞ。本当に立っているんだな?」私は言葉を続けます。「はい。お約束いたします。でも、一つだけお願いがございます」「何だ?」「トイレは我慢できません。トイレにだけは行かせてください」お客様はあっけに取られたようです。「フン、できるって言うんだな!できなかったら、あとでどうなるかわかってんだろうな!」「はい、お約束いたします」「見張ってるからな!ひと晩中立ってろ!」そういうわけで私は、お客様のドアの前に立ち続けることにしたのです。お客様は、荒々しく部屋のドアを閉めました。私は言われたとおり、お客様のドア前に立ち続けました。ここは東洋一の歓楽街、眠らない街・新宿歌舞伎町。人が酒を飲んで騒ぎ、憂さを晴らすところ。きっと通りに出れば、いまも酒に頬を染めた人たちが、楽しそうに歩いているでしょう。でも、この街の片隅にあるホテルから眺めれば、老いも若きも金持ちも貧乏人も、みん
などこか一人ぼっちです。このホテルはその夜も満室で、400名以上が滞在していました。でも、静まり返った夜の廊下からは何一つ物音が聞こえず、まるで広い宇宙に一人きり取り残されたような気がします。3時間たったあたりから、足が痺れ始めました。ハイヒールを片方ずつ脱いで、ときどき足を休ませたりしながら、私は朝まで一睡もせずにドアの前に立ち続けました。「あんたは、ちゃんとそこに立ってた」クレーマーがファンに変わる瞬間朝の7時くらいでしたでしょうか。お客様がドアを開けて部屋の外に出ていらっしゃいます。夜の怒りはすっかり収まっていたようでした。「おはようございます、お客様!」私がにっこり挨拶すると、お客様は伏し目がちな表情で、こうおっしゃいました。「あんた、どうしてそこまでできるの?」私は答えました。「お客様とのお約束ですから」この夜中、私は2人の人間に信頼を問われていました。2人の人間とは、お客様、そして、私です。私も昼間は立ちっぱなしの仕事ですから、夜中ドアの前に立ち続ける自信があったわけではありません。でも、私は約束しました。もちろん、こういう苦情が出たからといって、毎回ドアの前に立つわけではありません。でも今回私は、お客様の表情を見て、お声を聞いて、私がこうするのが一番いいと思ったのです。これは、肉体的にできるかできないかではなく、やらなければならない、と思ってしたことでした。お客様は、少し間を置いて、こう切り出されました。「外のあんたが気になって、ドアの覗き穴からときどき覗いて見ていたよ。どうせ、あの女は適当なことを言ってんだろう。きっと俺が寝た頃を見計らってドアの前からいなくなるに違いないと、俺は思った。真夜中の2時に覗いてみた。
あんたはちゃんとそこに立っていた。それだけでも驚いた。でも、きっとそれからすぐにいなくなると思った。人間なんてそんなもんだからな。それから30分もしないうちに、俺はもう一度外を見た。やっぱりいた。俺は、もう寝ていられなかった。4時にも見たし、4時半にも見た。さすがに、眠くなって寝入ってしまい、起きたらこの時間だ。そうしてこのドアを開けたら、やっぱりあんたは立ってた」そこまで言うと、お客様は、初めてすがすがしい笑顔を見せて、こう言いました。「支配人さん、あんたは大したもんだ。今年の最後の最後になって、いいものを見せてもらったよ。きっとまた、このホテルに泊まらせてもらうよ」この方が、ご家庭や職場に何を持って帰られたのでしょう?お金をお返しすることや、値引きをすることでは得られないものをお持ち帰りになったのではないでしょうか。私はお客様の柔らかな笑顔を見て、「きっとその笑顔が誰かをやさしい気持ちにするに違いない」と、想像してうれしい気持ちになりました。私はただ人を信じることを知ってほしかっただけなのです。「イチ、ニのサン!ドーン」まるでドラマのような逮捕劇以前、私が警察へ出向いて、「薬物事犯がどうやらこの店舗に潜伏しているらしい」と通報したことがありました。数時間後、捜査令状を持ってホテルに数人の警官がドカドカと入ってきます。やはりホテル内には、薬物中毒患者がいるようだ、ということでした。極めて冷静に部屋へと案内します。その階のフロアにつくと、捜査員たちは頭を低くしながら容疑者のいる部屋へと、音も立てずにソロソロと進んでいきました。犯人潜伏先のドアにまず一人がそっと近づき、なかの様子を確認。その捜査員が振り返り、残りの捜査員に手で合図を送ります。すると、全員がさっとドアに取りつくと、ドアを覗き込むような形で頭を下から上へと順に並べました。6つの頭が、ドアのヘリに沿って、ポンポンポンときれいに積み重ねられたような格好です。テレビドラマとまるで一緒でした。
いえ、現実とまるで同じにつくってあるのがドラマなのでしょう。捜査員は、お互いうなずき合うと、素早くカギを開け、特殊なペンチでチェーンを切ります。「イチ、ニのサン!」ドーンとドアをぶち開けると、目にもとまらぬ速さで、捜査員はなかへと突入していきます。「警察だ!」私も、急いで部屋のなかを覗き込みます。すると、なんと容疑者は、部屋の窓を全開しており(通常は全開できないようになっています)、いままさに空に向かって飛ぼうとしていました。しかし、そこは高層階ですし、重力の問題もあります。このままでは空ではなく、地面へまっさかさまです。「あっ、死なないで!」私は心のなかで叫びました。目の前で人がこの世を去ろうとしている。心臓がつぶれそうでした。しかし幸運なことに、容疑者よりも一歩捜査員たちが早かったのです。彼らはガバッと飛びついて、その男を床へと組み伏せました。床にドッと倒れる容疑者。そこに飛び乗る捜査員。「確保っ!」「確保ーっ!」捜査員の低く野太い声が聞こえました。容疑者は、力なく数人の捜査員に抑え込まれていました。「とにかく容疑者が、死ななくてよかった」というのが本心ですが、ホテルとしても死人が出てはとても困るのです。というより、歌舞伎町だからこそ、避けたいのです。それから数時間たって、捜査員は、容疑者を連行していきました。みずから勇気を持って、「正義は勝つ」のモットーを実践した結果でした。その間、どこで聞きつけてきたのか、組事務所の幹部が1階のエレベータ前で私を待っていました。そして私がエレベータから降りると、その男は足音もさせずに私の側に近づいてきてひと言、耳元でこうささやきます。「捕まっちゃったヤツ、俺のかわいい弟分だったのになぁ」「そうなんですか」そして男は、私を一瞥すると、帰っていきました。警察からの発表が、「匿名の女性からの通報」となっていたようなのです。〈「女性」って限定したら、私しかいないのに〉後日、警察に今後は「匿名」とだけ言うようにお願いしました。
自分の目の前で繰り広げられる、まったく現実感のない現実に、興奮状態がなかなか収まりませんでした。これが赴任当時のホテルと歌舞伎町の現状でした。無数の人々が行き交い、喜びも、悲しみも目撃する場。私は、不特定多数のお客様をお迎えするホテルの最高責任者、支配人なのです。「カネなし、コネなし、資格なし」の私が、銀座から歌舞伎町へ私がいるホテルは、グループ中でも常にトップクラスの売上を出している店舗です。稼働率は、2008年秋のリーマンショック以降少し下がりましたが、それでも年平均90%以上をキープしていて、連日満室ということも少なくありません。しかし、この繁盛店をきっちりマネジメントしていくには、スタッフの協力が欠かせません。フロント業務が滞りなく行われ、清掃スタッフが店内を磨き上げてくれる血液が絶えず循環していなければ人間の身体が死んでしまうように、スタッフの仕事が細部まで円滑に行われなければ、ホテルは立ち行かなくなります。ホテルを守るスタッフたちのがんばりで、私の店舗は支えられています。ですから、スタッフの安全と安心を守って、気持ちよく働いてもらうことや、質のいいサービスをしてもらうのは、私の役目なのです。このホテルの現場を知り尽くしたスタッフは、何よりこのホテルの宝物です。辞めずに長くいてもらうことの重要さは、強調してもしすぎることはありません。私自身、実はまったくの異業種からの転職でした。私が最初の職に就いたのは、銀座の画廊でした。ショーウィンドウから通りを見ると、高級品を身につけた奥様方や芸能人が、普通に歩いているような場所です。そこでは、ぶらっと訪ねてきて、気に入った絵があると、ポンと現金で100万円出して衝動買いされるような、お客様相手の商売でした。この頃の私は、銀座の昼と夜の顔を見ていた、自称〝銀座の女〟でした。ですから、いまの仕事とは、180度違う環境です。もっとも、ときおり歌舞伎町でタクシーを拾い、「以前は銀座にいたんですよ」という話をすると、タクシーの運転手さんは、なにやらわけ知り顔に首を縦に振りながら、「ああ、お客さんも落ちたもんだね、銀座から歌舞伎町なんて」
と、よくつぶやいたりするので、銀座から歌舞伎町への転職は、めずらしいことではないようです。画廊の次は、アパレル関係の会社に転職。数か月で店長になり、洋服を販売したり、人事採用、新店舗の立ち上げに関わる仕事をしていました。私自身、親がホテルを経営しているわけでも、現場のたたき上げでもありません。コネも、資格もない私が支配人として配属されたのが、新宿歌舞伎町でした。誤解してほしくないのですが、歌舞伎町とはいえ、普通に暮らしている分には、めったに怖い目にあうことはありません。警察はほかの繁華街よりずっとたくさん配備されていて、その分むしろ安全といえるでしょう。働く女性も主婦も、ルールを守って遊ぶ分には、これほど楽しい街もないのです。しかし、歓楽街に店を構える者には、それ相応の覚悟が必要です。いったんつけ込まれてしまうと、とことん狙われてしまうのも、歓楽街の特徴といえるでしょう。歌舞伎町を任された私そんな歌舞伎町のホテルの支配人に着任したのは、2004年9月のことです。一般的には、クロークやドアマンなどの現場修業を経て、支配人に昇進すると思われがちですが、このホテルグループでは支配人は支配人採用として別枠を設けています。もっとも、面接直後には、すでに首脳陣から「三輪に歌舞伎町を任せてみよう」と言われていたそうです。いま思えば、当時の面接官は、私の性格をよく見抜いていたのでしょう。あるいは、面接だというのに黒のワンピースにピンクのジャケットを着て、面接に臨む私にインパクトがあったのかもしれません。1か月の研修後、いよいよこのホテルに配属されました。忙しかったのもありますが、私もズボラなので、自分の着任するホテルを見にきたこともありませんでした。見上げれば立派な外観をしています。押しも押されもせぬ大型ホテルでした。「今日から、私がここの支配人!」私は記念すべき一歩を踏み出したのです。これからの私は前途洋々。そう思っていました。着任早々、ホテルで〝カツアゲ〟が横行!
しかし、そこで私を待ち構えていたのは、想像を絶する光景だったのです。当時、歌舞伎町は、いまのように安全な街ではありませんでした。日中にもかかわらず、普通の人たちが目に入らないくらい、往来する人たちがヤクザ風の人ばかりだったので、銀座しか知らなかった私には驚きだったのです。歌舞伎町のあるガソリンスタンドで、ヤクザ風の人たちに「1000円で満タンと洗車ね」と言われた店長がそれを一度許してしまったところ、それ以降、そのガソリンスタンドがヤクザの駐車場と化してしまい、店長はノイローゼになって店を閉めることになりました。その直後の歌舞伎町に、私は足を踏み入れたのでした。ホテルのホールにたむろしていたのは、十数人の目つきの悪い極道の男たち。ホールは本来、お客様の憩いの場であるはずです。ところが、ここでくつろいでいたのは、ド派手なスーツに、スキンヘッド、鼻ピアスに眉毛なしのヤクザだったのです。なかには、ホールの椅子を勝手に並べてごろごろしている人も。状況が飲み込めず、私がそれを呆然と眺めていると、「何、見てんだよ!」と凄まれて、縮みあがりました。「何、これ?」しかもホールの隅では、〝カツアゲ〟が行われていたのです。「私のホテルで冗談じゃない!」飛んでいっていますぐやめさせたいのですが、やはり足がすくみます。もちろん、身体の危険も感じました。ここでおそらく一番大人な対応は、見て見ぬ振りをすること。しかし、そんなわけにはいきません!私は「エンジェル三輪」なのですから!ジッとこちらを見張っている眉毛のないヤクザは、「お前、何にも見なかったことにしておくのが身のためだぞ」という表情をしていました。ブルブル震えている女性スタッフを見て私の視界に入ったのは、女性のフロントスタッフでした。どうすることもできずに、ブルブル震えて泣いています。そしてヤクザの人垣のなかに、きっと被害者が囲まれているはずです。それが逃げようとして浮足立つ私を、なんとかここに踏みとどまらせました。「この人たちを置いては、逃げられない!」私がここで逃げたとしても、誰かがこれを止めなければならないのです。私が止めなければ、スタッフがやらなければならないのですから、立ち去るわけにも、
知らんぷりをするわけにもいきませんでした。あまりの恐怖に、気分が悪くなりながらも、一歩踏み出します。足がもつれてうまく歩けませんでした。でも、怖がっていると余計怖くなるのです。と、細かく描写するとそうなのでしょうが、私の場合、恐怖が頭のなかに浮かぶ前に、まず身体が動いてしまうのです。いつも、ふと気づくとヤクザの懐に飛び込んでいました。いろいろな人にそのときの心境を尋ねられるのですが、その瞬間は無心なのです。もし、「怖がっている人」が、「怖がらせようとしている人」のなかへと飛び込んでいったとしたら、たぶん、私のような非力な女性など、ひとたまりもなくグシャッとやられていることでしょう。私は経験から、そう請け負います。あとからスタッフがその光景を見て、「あの支配人、どういう度胸してんだろう?」と信じられなかったと話しています。私はスタスタと人垣のなかへと入りました。入っていくと、そこで覚悟が決まります。私はグッとあごを引きました。囲まれていたのは、一人の男性でした。私がひょいと輪のなかへと入っていって、非常に驚いたのは、むしろヤクザのほうでした。ポカン、としていたという表現が正しいかもしれません。「何だ?」「申し遅れました。わたくし、支配人の三輪と申します」「はあ?そりゃご苦労さん」ヤクザの輪のなかに入ると、まるで大人を見上げる子どものような体格差でした。平手打ち一つで、私など遠くまで飛んでいってしまいそうです。ドラマでは、女性が屈強な男性相手に大立ち回りを演じていますが、そんなことはとても無理だとすぐにわかります。そんなヤクザの輪のなかに入っていくのですから、ヤクザもびっくりするでしょう。「あのー、みなさんこちらで何をされているのでしょうか?」「何でもいいだろうがよー、オイコラ、どきな、邪魔なんだよ」「どうぞ、気になさらないでお続けください!私のホテルなので、申し訳ございませんが、ここにいさせてもらいます」「なんだとー?死にてえのかよ、コラァァーーーッ!」「いいえ、死にたくはございませんっ!」大勢のヤクザに囲まれて、いまにも危害を加えられそうになりながら数時間。恐怖に身を硬くしながらも、私はテコでもそこを動きませんでした。動くわけにはいかなかったのです。
自分のこの頑固さは、いったいどこから来ているのか。自分でも、説明がつきません。これは父の血でしょうか、母の血でしょうか。でも、これだけはわかります。私がいなくなったら、世界は1ミリも変わらない。逃げたらきっと後悔する。逃げる後悔と逃げない後悔、どっちがいいかといわれたら、答えは昔から決まっていました。逃げない後悔です。さすがに拍子抜けしたのか、あるいは、いい加減バカらしくなったのでしょう。ヤクザたちは、「ケッ」と声をあげると、「おう、また来るからな!」と捨てゼリフを残して、唾を吹きかけながらぞろぞろとその場を離れていきました。緊張が解けると、腰が抜けそうになりました。「ありがとうございました!」一人ひとりに深々とお辞儀をして、全員出ていくのを見届けました。私の支配人としてのキャリアは、こんなドラマチックな幕開けとなりました。この話をすると、よく「っぽくてリアルさが足りないよ」と言われますが、これが現実なのですからしかたありません。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものですが、もう一つ言うなら「事実は、テレビドラマよりはるかにドラマチック」でした。しかし、感心している場合ではありません。私は、さらに自分の置かれている状況が、いっそう深刻であることを思い知らされることになるのです。このときも人を信じて、話せばわかり合えると信じて前へと進んでいたのです。そして、のちに全面的に協力してくれた新宿署とも関わり始めました。「犯罪者が泊まってるホテルでしょ」新宿署からも見放されていた私のホテルはビジネスホテルですが、地域との連携を何より大切にしています。特にすぐそばに歓楽街がありますので、警察との連絡は密に取らねばならないと思い、着任後、早速新宿署に電話をかけました。「わたくし、このたび新宿歌舞伎町店に着任いたしました、支配人の三輪と申しますが、一度ご挨拶に伺いたいのですが」すると、相手はこう言います。「ああ、あそこのホテルね。あそこはヤクザとつるんでいると評判だからねぇ」「え?あのちょっと、つるんでいるだなんて」「追っているヤクザは、みーんなあそこから出てきて、あそこに帰っていくんだよね
言われた瞬間、さすがに愕然としました。あとになって思えば、警察の方がおっしゃったことは当時の状況そのままだったのですから当然の返答だと納得するところがあります。場所柄、また、不特定多数のお客様を受け入れるホテルとしてもいたし方ない状況だったことも事実でした。しかし、その当時は、汚名を着せられたと思い込んでいましたので、自分たちでやるしかない、行動で示して信じてもらうしかない、と思わざるをえませんでした。そこで、私はこう啖呵を切っていたのです。「わかりました。私を見ていてください!」「エッ?」電話の向こうの驚きが伝わってきましたが、結局あまり相手にもされずに切られてしまいました。なぜ、警官にあんなことを言われてしまうんだろう。私は、自分のホテルとなった新宿歌舞伎町店をうろうろと歩きながら考えました。ヤクザの我が物顔の振る舞いや、スタッフたちの言動、洩れ聞こえてくる小出しの情報などを、少しずつつなぎ合わせて、ホテルの全貌をつかもうとしました。「どうして、ヤクザがあんなふうに言うの?」「いつから、あんな感じの人たちが来るようになったの?」関係者のいろいろな証言を総合すると、確かに、警察の言うことは一面では真実をついていたのです。のちに警察から教えていただいたのですが、すでに辞めた女性スタッフの一人は、ヤクザの女になっていたことがわかりました。でも、ヤクザに凄まれる恐怖を身をもって体験した私には、この状況をとても責める気にはなれませんでした。恐怖を感じたあとの自分は、普通の精神状態になるまでしばらく時間がかかります。スタッフたちは、恐怖に耐えながら懸命に業務をこなしていたのです。毎日、毎日、怖い思いをしているうちにいつしかそうやって洗脳され、このホテル全体がコントロールを失い、結果としてその人はダークサイドに転んでしまったのかもしれないのです。これが、結局、警察の協力をも遠ざけていました。この状況に出くわした人でなければ理解できない恐怖心、誰も責められない現状。私は立ち向かわざるをえませんでした。ヤクザが占有するホテルからスタッフを守りたい!安心して勤められる職場にしたい
当時、最上階をヤクザが長期占有し、彼らはホテル内を我が物顔でうろついていました。ときどきフロントに電話がかかってきて、いかつい声で「ちょっと包丁持ってきて」といった、ありえない要求をされることさえあったのです。ホテルの部屋にはキッチンなどはありません。いったい包丁で何をするつもりなのでしょう。もちろん直接、私がお断りしました。前途多難ということは一目瞭然でした。それでも、前に進むしかありません。当時、私の原動力といえば、ホテルのためにというよりも、まず何よりもスタッフを守ってあげたいという気持ちだったような気がします。売上アップやおもてなしの質を上げるとか、いろいろな目的でスタッフを大事にしろ、とは、マニュアル本によく書いてあることです。しかし、過酷な現場に来てみれば、そんなことは二の次、三の次でした。なりふりかまっていられない現場では、その人の〝地〟が出ます。心から思ってもいないことなど、すぐにメッキがはがれてしまいます。結局、いろいろな外面はすべて落ちて、素の部分でスタッフと向き合うほかありませんでした。私は、まずスタッフが安心して勤められる職場にしたかったのです。一生懸命働いているのに、恐怖で震えなければならないなんて、あまりに理不尽です。当時残っていたスタッフはみんな仲間思いの、責任感のある人たちばかりでした。ただ、誰もが内心辞めたがっていました。でも、過酷な職場で自分が辞めてしまえば、ほかのスタッフに迷惑がかかる。だからこそ、踏みとどまって自分ががんばる。そういう人たちばかりでした。そんな志のあるスタッフたちが、同僚が少なくなって負担が増えるなか、怒鳴られれば縮みあがり、目を真っ赤にしてブルブル震えます。誰もが極限状態にあるのは明らかだったのです。私だって、そうでなかったとはいいません。でも、スタッフたちのがんばりに応えるには、どうしたらいいだろうと考えた挙句、すべてのクレームは私に回すように、スタッフに指示を出しました。やると決めた以上、「やっぱりやめた」と放り出すことのできない重責でした。「三輪さん、クレーム対応には最初に出ちゃダメだ」と、アドバイスしてくれる企業の危機管理担当者もいらっしゃいます。でも、部下を最前線に押し出して、自分は安全なところにいる指揮官など、誰が信用してくれるだろうか、と疑問に思うのです。人のエゴはよく見えます。上司って、いったい何でしょう?
そう考えたときに、最初に出ていき、背中を見せることなくして、何が上司でしょうか。そう意気込んでみたものの、やはり人に怒られたこともなく育った非力な人間にとっては、苦労の連続だったことを告白しておかねばなりません。当然、相手が相手ですから、ヤクザにお引き取り願うための交渉は、熾烈を極めました。ヤクザのみなさんに個人的な恨みはありません。でも、ホールで怒鳴ったり、〝カツアゲ〟をされては困ります。やはり、お引き取り願うしかありませんでした。彼らに注意するたびに、激しい恫喝で鼓膜が破れそうになります。「申し訳ありません。当ホテルにお客様をお泊めすることはできません」宿泊を拒否すると、フロントの前でみるみるうちに数人の大きな男に囲まれます。私はそんななか、何度も誠意をこめて粘り強くお願いし、ヤクザのみなさんにお引き取り願うしかなかったのです。男たちに間合いを詰められると、男たちの体臭、タバコのにおい、香水などが混ざり合ってツーンと鼻をつきます。五感に感じるものすべてが恐怖を醸し出すのに十分でした。「おう、泊めねえっていうのかよ。このオンナ。なめとんのか!」私が赴任するまで、ずっとここに住んでいた人もいるのです。相手も今回は引き下がりません。私の顔めがけて、大きな財布が飛んできた「泊めろ!黙って泊めればいいんだよ。ここらへん2度と歩けないようにしてやろうか」「申し訳ありません。お泊めするわけには」「オーーッ、オラオラ泊めろー。これ以上揉めごと起こしたくねえだろー?」「申し訳」そう言っているさなか、怒りで顔を真っ赤にした男が突然叫びました。「カネさえ払えばいいんだろうがァ!」顔に向かって何かが飛んできました。とっさによけましたが、頬をかすめて「ブン!」と大きな音がします。足元に落ちたのは大きな財布でした。顔にまともに当たったら顔の骨が完全に折れていたでしょう。「ほら、やるよ!カネが欲しいんだろ!」私はそれを拾って男に手渡します。「お金が欲しいわけではありません!!」
ペッ!そんな音がして顔にネバッとしたものが飛びます。ブレザーの袖でぬぐうと、そこについていたのは、男の吐いた白い唾でした。そこにいた数人が数時間、怒鳴り散らすと、その人たちは帰っていきます。そしてまた、新しい数人が来て、私を囲みます。そして、初めから恫喝が始まるのです。やさしさは、怒鳴り声よりも強いもの気が遠くなるような長い時間、私は怒号のなかにいました。1秒を争う毎日、いまの状況を解決するために、よっぽどのことがなければ警察には電話をしないで処理してきましたが、時にスタッフは見かねて、ボロボロ泣きながら警察に電話をかけていました。「怖い思いをさせてかわいそうだな」と思いました。そんな毎日に耐えられた理由は何でしょう。たぶん、「やさしさは怒鳴り声よりも強いものだ。正しいことは、貫かれなければならない」という私にとってのお守りのような信念があったからだと思います。実際に、医者だった私の父を動かしていたのは、屈強な身体ではなく、屈強な信念でした。細くて小さなこの私を動かしているのも、紛れもなく心の強さだったように思います。もし、私がここで負けてしまったら。それは、私の信念の敗北でした。のちに述べますが、いま警察官たちが私のことを必死になって守ってくれるのも、たぶんまったく同じ理由だと思います。私は信念のためにも、自分の弱気の虫に負けるわけにはいかなかったのです。ランドセルを背負った謎の長期滞在者の正体さて、ヤクザのほかには、めったにお目にかかれないお客様もいらっしゃいました。半年以上こちらに長期滞在されていた方なのですが、ちょっと不思議な姿をしていました。仮に、「ウラタさん」とお呼びしておきましょう。顔はまったくの男性で、背は低くてきゃしゃな体格。髪はおかっぱ風のロングヘアーでした。ズボンは履いていましたが、身のこなしはまるで女の子そのもの。でも、彼を最も印象的にしていたのは、背中にしょった〝ランドセル〟でした。ランドセルの彼が内股でちょこちょこ歩いてくると、さすがに人種のルツボである歌舞伎町でも、とても目立ちました。
宿泊料金は毎日きちんと払いますし、毎日定時に出ていって、夜更けには帰ります。どんなお仕事をしているのだろうと、私たちは不思議でしかたありませんでした。「おはようございます」「おかえりなさいませ」そのうち、ウラタさんを知らないスタッフはいなくなりました。「お仕事は何されていらっしゃるんですか?」ある日、話のついでにこうお聞きすると、ウラタさんはオドオドしながらこう答えます。「あのね、僕はね。東京ディズニーランドで働いているの」「東京ディズニーランド?」「うん、そう。僕はね。ディズニーランドでぬいぐるみを着ているんです」なるほど!すごく納得しました。小さな体はぬいぐるみを着るのにピッタリでしょう。私は、ディズニーのキャラクターをあれやこれやと想像して、ウラタさんがパレードのみこしに乗っている姿を思い浮かべていました。また、ウラタさんは、結構なお金持ちでもありました。彼は液晶テレビの大きな箱を小さな体でちょこちょこ運び、大型家電をよく買い込んでいました。そのウラタさんが、ある日唐突に、部屋に荷物を残したままパッタリと姿を見せなくなったのです。長い間暮らしていてチェックインしたままでしたから、かなりの量の荷物がそのまま置かれていました。何かあったとしか思えませんでした。「ねえねえ、支配人。ウラタさん、どうしちゃったんでしょうね」フロントスタッフたちが私に尋ねます。「ウラタさん、弱々しい見かけだから、きっとそこらへんで因縁つけられて、どっかに連れていかれちゃったのかしらね」ウラタさんがヤクザに囲まれ、どこかへ拉致される様子を想像して、暗い気持ちになりました。ちょっと風変わりでしたが、長い間顔を合わせていたので、半分家族みたいになっていたウラタさんのことが気がかりでした。それから、しばらくしてのことです。警察からウラタさんについて電話がかかってきました。「支配人、ウラタさんについてだそうです」電話を受けたスタッフと顔を見合わせてため息をつきました。〈ああやっぱり、東京湾かどこかから死体があがって。お気の毒に〉
一瞬そう考えます。しかし、電話口で告げられたのはあまりに意外な言葉でした。「いま、ウラタという男を留置場に確保しています。これからそちらに証拠品の押収に伺いたいのですが」「えっ?ウラタさん何をしたんですか?」「のちほどお話ししますので」なんとウラタさんは犯罪者だったのです!ウラタさんが東京ディズニーランドで働いていたのはではありませんでした。でも、私たちが思っていたのと少々「働き方」が違っていたのです。ウラタさんは、ディズニーのパレードに夢中になっている人の手荷物から財布を盗んでいました。ウラタさんが当たってきたのに気づいても、まさかランドセルをしょったおかっぱ頭の小さな男が、スリだとは思わなかったようです。「えっと、えっと」と身をくねらせているウラタさんを、それ以上問い詰めることができる人がいるとは思えません。そうやって「まさかこの人が作戦」で、長い間捕まらずに窃盗稼業を続けていたのです。ウラタさんはまた、海浜地帯の倉庫から高価な家電製品を狙って窃盗を繰り返していたようです。うちのホテルにせっせと運び込んでいたのは、大胆にもすべて窃盗品だったというわけです。現場検証に立ち会い、わかった衝撃の事実私も警察に言われるがまま、現場検証に立ち会いました。ウラタさんの部屋には毎回見るたびにビックリさせられます。まるで、ワンルームの個人宅のような状態でした。1週間のお部屋替え、3日に一度の清掃をしていたのにもかかわらず、素早く部屋の模様替えをしていたのです。これまで何度となく、お部屋替え、清掃のたびにウラタさんにご宿泊いただくうえでのマナーをお願いしてきて、勝手に部屋を模様替えしないようにと言ってきたのに、ドアの前には毛足の長いラグが敷かれ、ベッドの前にはプラズマテレビが置かれて、きちんと配線されて映るようになっています。洋服ダンスの代わりに積み重ねられたダンボールの上には、バリエーションの異なる数種類のランドセルが、きれいに並べてありました。そのランドセルが、主の不在を濃厚に漂わせていました。ウラタさんは幼い頃母親と別れ、祖母一人に育てられたそうです。そして、何かの障が
いがあって小学校入学がかなわず、養護施設に通っていたということです。ウラタさんは、心の底で女の子になりたがっていたともいいます。それで彼はロングヘアーだったようです。ディズニーランドでのスリも、倉庫での窃盗も、知能犯そのものではないかと思いますが、いったい小さい頃の彼に何の障がいがあったのか、私にはわかりません。ウラタさんの願いは、ランドセルをしょって小学校に行くことでした。みんなと一緒に小学校へ。その願いをかなえたくて、いまでも彼はランドセルをしょって東京ディズニーランドに通学していたのです。つかの間でも、ウラタさんの願いはかなったのでしょうか。大好きな夢の国東京ディズニーランドへ行って、子どもたちと一緒にパレードを見て、このホテルへと帰ってくる彼は、うれしかったのでしょうか。私は部屋に並べられたランドセルを眺めました。捜査員は、ウラタさんを待つ田舎の祖母のところへ会いにいったといいます。列車の車窓にどこまでも続く田んぼを見つめながら、捜査員は彼の半生を考えたそうです。捜査員からウラタさんの逮捕を聞いて、彼を手塩にかけて育てたはずのおばあさんは泣き崩れました。ウラタさんはいま頃どうしているのでしょうか。私はいつもスタッフたちに「相手の立場になって物事を考えてね」と言います。このときばかりは相手というより私自身がウラタさんの心情になってしまったくらいでした。そして、このホテルには、今夜もいろいろなお客様が泊まっていらっしゃるのです。不法駐車のヤクザに、署名入り「駐車禁止」の貼り紙で対抗安全なホテルを実現するために、私が取り組んだのは、素行の悪い方の宿泊をお断りすることとともに、不法駐車を一掃することでした。私が赴任して以来、宿泊客ではない車が当ホテルの駐車場に勝手に駐車しているのです。やはり車の主は、ヤクザらしき人でした。車を勝手に停めてそこを去ろうとしている人を追いかけて、私は注意します。「申し訳ありません。ここは宿泊されるお客様のための駐車場です。ここに停めないでください」すると、巨体の男はこう凄みます。「ふざけんなよ、おい、おまえ!俺たちは騒音を我慢してやったんだよ!貸しがある
んだよ!」「貸しですか?」もちろんそんなものに心当たりはありません。「ああ、そうだ。おまえが来るずっと前の話だ。このホテルはなあ、建築中にひでえ騒音立てたんだよ。それで話合いの末に、お詫び代わりにこの場所に駐車してもいいってことにしてくれたんだ。不法駐車じゃねえんだ。貸しがあるんだよ、貸しが!」どうやら建設中に何か約束をしたということなのですが、いまとなっては私には何もわかりません。たぶん、誰もそんな約束はしていない、と私は思いました。やはり車をどかしていただかなければなりません。「誠に申し訳ありません。私はそのお話を承っておりません。私はあなたたちに借りはございません!宿泊されるお客様しかここには停められないのです。お車をどかしていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。支配人の私がダメと言ったらダメなんです!」「このオンナ!」数十分揉めて、男は車をどけました。「オイ、ただですむと思うなよ。オンナ!」私は顔色を変えず、まばたきもせずに、その方々をお見送りしました。その日は30分ごとに別の組員が数回、私との交渉に来ました。「何度、どなたが来られようとお断りいたします!私がダメと言ったらダメなんです!お引き取りください!」それからが始まりでした。いたちごっこ、という言葉がピッタリでした。不法駐車を見つけると、私は駐車禁止の貼り紙をしました。それにはきちんと「支配人三輪康子」と署名してあります。名前を書いたのは、ほかのスタッフに不測の事態が起こらないようにという配慮からでした。文句があるなら、私に言ってほしい。ほかのスタッフには、関係ない。私がやっていることで、スタッフに危険が及ぶのはどうしても避けたいことでした。当然、この貼り紙で、車の持ち主としばしば揉めました。それでも私は曲げません。ここで曲げてしまったら、何もしないよりもっと事態は悪くなるのです。私は例外をつくりませんでした。駐車場にポールをつくって彼らの進入を防ごうともしましたが、そのたびにポールは、なぎ倒され、ねじ曲げられました。その間わずか数時間。すると、私は駐車場に出て、ポールを立て直します。それをまた倒されて壊されます。
私は、それをまた立てて直しました。車にも相変わらず私の署名で貼り紙をし、それに対して怒鳴り込まれる。そういう日常がしばらく続きました。ここでこの姿勢をやめたら、初めからやらないよりもずっと悪い。私は愚直にやり続けなければなりませんでした。間一髪で命拾い!小説より怖い捕物劇そして、ある夜のことでした。また駐車場のポールが壊れているという報告を受けたので、私は工具を持って一人で外に出ました。薄暗い駐車場の隅からホテルを見上げると、いくつもの窓に明かりが灯っていました。あそこにたくさんのお客様がいて、私の大事なスタッフたちが頼もしく働いている。それは私の気持ちをホッとあたたかくさせました。そこに暗闇のなかから、不法駐車の車の持ち主がぬうっと現れました。私はいつものように、駐車をしないように注意します。また激しい言い争いになりました。しかし、この日はいつもと様子が違っています。男がいつにない興奮状態に陥っているのを感じ取ったのです。目が充血し、力の入った顔が赤みを帯びて膨らんでいます。いろいろな場面で怒った相手を見てきた私が感じたのは、ひと言で言うなら「殺気」でした。その後、男のうなるような声が聞こえます。「このヤロウ、いい加減にしろよ」男は私に向かって突進してきました。殴られるのか、刺されるのか。スローモーションでグングン男の顔が迫ってきます。それはもはや人の形相には見えません。そこにいたのは、「鬼」でした。全身の皮膚に寒気が走り、総毛立ちます。やられる!もう死ぬんだ。これで終わりだ、と思いました。でも、私はいつものごとく一歩前に進むしかありませんでした。目はつぶりません。つぶることができませんでした。何が起こるか、見届けなければ!私はカッと目を開いたままでした。時間が止まったように感じました。次の瞬間です。「キキキーッ」と荒々しい車のブレーキ音と、ドアを開ける音がして、かけ寄ってきたのは、車のライトに照らされ、逆光になった2人の私服警官でした。
刑事ドラマそのままの、奇跡的なタイミングでした。「そこまでだっ!新宿署だ」瞬く間に警官は男の両脇を挟み、襟首をつかんでいます。男は、恨みがましい顔をしてこちらを一瞥していました。クルクルと回る赤色灯に照らされて、警官がつかつかと私に近づいてきます。へなへなと脱力した私に、「大変でしたね、大丈夫ですか?」とでも、気を遣ってくれるのかと思いきや、警官が最初に発した言葉は私に向かってのお説教でした。「三輪さん、あんた無茶なんだよ!」あとにわかったことですが、この人たちが当時歌舞伎町浄化作戦に命をかけていた警部補でした。歌舞伎町を愛する同志との運命的な出会いでした。「支配人、まだ死にたくないだろう?仕事熱心なのはわかるが、命を大切にしなきゃダメだ」警官たちはしばらくお説教したあと、覆面パトカーに乗って去っていきました。私はそれを見送りながら、「まるで西部警察みたいだ」と思いました。「正義は勝つ」と言い続けながら行動は命がけでしたが、このときの想いは、たとえその結果死ぬことになっても無駄だと思わないほどの強いものであったと、私はみずから確信しています。実は陰ながら見守ってくれた新宿署の人たち間一髪で警察がやってきたなんてつくり話のように聞こえますよね。でも実は、この絶妙のタイミングには理由があったのです。以前、私から電話がかかってきたときに、冷たい対応をしたものの、それからずっと気になって見張ってくれていたようなのです。いま思い返してみれば、困ったときに何度かパトロール中の警官に助けられました。偶然だと思っていましたが、どうやら知らないうちに私は守られていたようなのです。開口一番、私にお説教したのも納得できます。私の向こう見ずなやり方に、遠くで見守りながら気を揉んでいたのでしょう。でも、この一件で学んだことがありました。私は、知らないうちに支えられていたのです。たった一人でヤクザに立ち向かっていたはずが、いつのまにか警察に見守られ、危ないときには助けてもらっていました。歌舞伎町にも中途半端な対応で、店をつぶされてしまったところはいくつもあります。私が生き残ってこられたのは、陰で支えてくれた人がいたからでした。その後、警察から電話がかかってきました。それによると、留置場で、何人かがこう叫んでいるそうなのです。
「三輪、絶対ぶっ殺す!」警視庁本庁からはこうアドバイスをいただきました。「支配人を恨んでいる者がいるから帰り道はルートを変えるなど、工夫してください。くれぐれも気をつけて」なぜ帰り道を変える必要があるのでしょう。私は私の仕事をしているだけです。私がスタッフを守る!このホテルは、並々ならぬスタッフの努力によって支えられています。サービス業は、スタッフのスムーズな対応と、機転によって動かし続けなければ、通常の業務が破たんしてしまいます。さらに、その通常業務に加えて当ホテルの特殊状況が、スタッフたちに負荷をかけていました。真夜中に響く怒声は、スタッフたちを疲弊させます。問題が起こりやすい夜の時間帯には、私はなるべくホテルに残ってスタッフが安心して働ける環境を整えます。戦場のような毎日のなか、スタッフとは徐々に固い絆ができていました。次第に、スタッフは「辞めたい」と言い出さなくなっていたのです。「支配人がいるから、この職場が好きだ」と言ってくれるようなスタッフまで現れました。うれしかったです。少しずつホテルの雰囲気が変わっていくのを感じました。清掃スタッフたちの顔つきも変わっていました。次のシフトのスタッフのために、自分が少しだけ多くのことをやってあげよう。おもいやりを持って、この部屋を磨きあげよう。そう思い始めたスタッフたちの顔には、誇りがあふれていました。清掃スタッフには、外国人もたくさんいます。もちろん、日本人と同じ待遇ですが、気の毒なことに、客室の清掃担当の名刺から外国人とわかると、理不尽な言いがかりをつけられることがあります。あるとき、「お宅のガイジンが部屋のものを盗んだ!」そう吹っかけられることがありました。日本人のスタッフだったら、指を差してあからさまに犯罪者扱いするでしょうか。私は即座にこうお答えします。「お客様のお間違えではありませんでしょうか?当ホテルには盗みを働く者など一人もおりません」すると、お客様は逆上します。「お前、こっちは客だぞ!そっちのガイジンと客とどっちを信じるんだ?」
即座に、こうお答えします。「もちろん、スタッフです。お客様」スタッフを信じなくて、何が支配人でしょうか。このホテルにとって清掃スタッフこそ宝です。ホテルにとって商品は、みなさまにお貸しする客室です。この客室の価値を上げてくれる者こそ、スタッフなのです。スタッフは、私の身体の一部のようなもの。その身体がやっていることを私は信じます。しつこく苦情を言う方には、こう申し上げます。「お疑いなら警察をお呼びください。当ホテルのスタッフに、ものを盗む者などただの一人もおりませんから」辞職を決意したある日のできごとスタッフに信念を持って接してきた私ですが、弱気になった時期がありました。実は、あるとき辞職を決意したことがあります。私は身の程知らずにも、本社の幹部に、言いたいことを言ってしまったのです。こんなことをしでかしてしまった以上は、辞職するしかないと覚悟をしていました。しかし、こうやってスタッフとも信頼関係を築き、誠心誠意勤めてきたホテルを去らなければならないのは、私にとって無念としか言いようがありませんでした。明日から支配人ではなくなるのか。そう思うと、スタッフたちにすまない気持ちでいっぱいになります。辞表を書きあげて、朝を迎えました。私が悶々とした思いで出勤したにもかかわらず、なぜか笑顔で「おはよう」と言える自分がいます。スタッフたちになんとお別れを言えばいいのだろう?と思っていながら時間はすぎて夜になりました。その日も、チェックインされたお客様たちでホテルはにぎわっています。そんなとき、フロントスタッフから、「お客様からお電話が。ユニットバスが水浸しだそうです!」との声がかかりました。センチメンタルな気持ちでいる時間はありません。「わかった、何号室?いま工具箱持っていくから!」正直、私が行って直せるものかどうか不安でしたが、満室の状況のなかお部屋替えをしていただくことができませんでしたから、直すしかないのです。フロントスタッフには、「大丈夫、私がいるから!」と言ったはいいものの、ドキドキしながらエレベータに乗りました。途中でエレベータが止まり、お客様が乗ってきます。「あなた、マッサージの方?」
即座に、こうお答えします。「もちろん、スタッフです。お客様」スタッフを信じなくて、何が支配人でしょうか。このホテルにとって清掃スタッフこそ宝です。ホテルにとって商品は、みなさまにお貸しする客室です。この客室の価値を上げてくれる者こそ、スタッフなのです。スタッフは、私の身体の一部のようなもの。その身体がやっていることを私は信じます。しつこく苦情を言う方には、こう申し上げます。「お疑いなら警察をお呼びください。当ホテルのスタッフに、ものを盗む者などただの一人もおりませんから」辞職を決意したある日のできごとスタッフに信念を持って接してきた私ですが、弱気になった時期がありました。実は、あるとき辞職を決意したことがあります。私は身の程知らずにも、本社の幹部に、言いたいことを言ってしまったのです。こんなことをしでかしてしまった以上は、辞職するしかないと覚悟をしていました。しかし、こうやってスタッフとも信頼関係を築き、誠心誠意勤めてきたホテルを去らなければならないのは、私にとって無念としか言いようがありませんでした。明日から支配人ではなくなるのか。そう思うと、スタッフたちにすまない気持ちでいっぱいになります。辞表を書きあげて、朝を迎えました。私が悶々とした思いで出勤したにもかかわらず、なぜか笑顔で「おはよう」と言える自分がいます。スタッフたちになんとお別れを言えばいいのだろう?と思っていながら時間はすぎて夜になりました。その日も、チェックインされたお客様たちでホテルはにぎわっています。そんなとき、フロントスタッフから、「お客様からお電話が。ユニットバスが水浸しだそうです!」との声がかかりました。センチメンタルな気持ちでいる時間はありません。「わかった、何号室?いま工具箱持っていくから!」正直、私が行って直せるものかどうか不安でしたが、満室の状況のなかお部屋替えをしていただくことができませんでしたから、直すしかないのです。フロントスタッフには、「大丈夫、私がいるから!」と言ったはいいものの、ドキドキしながらエレベータに乗りました。途中でエレベータが止まり、お客様が乗ってきます。「あなた、マッサージの方?」
こんな格好だし、今日はそういうことにしましょ〉笑顔で返しました。そして、エレベータを降りた私は、一目散に水浸しのお部屋へ伺い、早速排水管を覗き込みます。〈大丈夫!できるできる。できないと思えばできない。できると思えばできる〉技術よりも信念!私は深呼吸して、水漏れをしているパイプの修理にとりかかりました。そして、30分後、無事直したのです。「大変、申し訳ございませんでした。もうお使いになれますのでご安心くださいませ」「ありがとう」このホテルグループの支配人たちは私に限らず、みんな修理も心得ておりますが、ここでも大事なのが「絶対直せるんだ」という度胸とハッタリです。そんななか、お客様の感謝の言葉「ありがとう」は、思いもかけない報酬でした。結局、私は辞表を出すこともなく、そのまま業務に戻ることができたのです。会社によっては、会社の秩序を乱す行為は、それだけで左遷です。私が、ある意味自由に自分の裁量を発揮できるのも、本社がそれに対して「許して」くれているからだと思います。集団のなかでは、個性は邪魔だと思われています。グループ店ではなおさらです。なにしろ、1店舗がその他すべての店舗の看板を代表しているのですから。それでも、私の個性を「リスク」「やっかいごと」と取らずに、歌舞伎町という場で思う存分発揮させてくれる人事があるからこそ、私は生かされているのだと思っています。だからこそ、縁あって私を採用してくれた会社にできる限りの貢献をしていきたいと思うのです。信念が、理不尽な状況から自分を救う「」どんなことでも、結果が出るには長い時間がかかるものです。正しいと思って行動したことで、余計ホテルが荒れたこともありました。ヤクザを泊める泊めないで揉めたとき、このホテルのいままでを知らない、あるベテランの警官が来てとっさに言ったことはこうでした。「まあ、まあ、支配人、落ち着いて。あんたが、泊めないから暴れるんだ。客なんだから泊めれば問題ないでしょう?和解すればすむ話なんだからね」
たぶん、とっさに私の身の安全を第一に考えた発言だったと思います。普通だったら、常識的な応急処置であったでしょう。でも、必死になって断り続けていた私にとって、この言葉には、思わず涙が出そうになりました。必死になっていいホテルにしようとがんばっているのに。さらにヤクザも調子に乗って私にこんな言葉を投げつけます。「警察の人が言うとおりなんだよっ!!おまえがおかしいんだよ!」いままでの努力すべてが無駄になったような気がしました。それでも私は、その後もあきらめないで、粘り強く、根気強く、断り続けました。長時間の押し問答の末、ヤクザは捨てゼリフを残して帰りました。「歌舞伎町にいさせなくしてやるっ!!」と。でも私は、身の安全より私なりの原則を大切にしようと思っていました。この人は怒鳴り込んできたから泊める。でも、別の人は泊めない。それでは通りません。一度でも例外をつくったら、怒鳴り込んできたヤクザはすべてお泊めしなければならないようになってしまいます。それは避けなければなりません。正しいことをしようという確固たる信念は、状況を変えます。状況に自分を明け渡してはいけません。それが本当に大切だと思ったら、信じ続けることです。言っておきますが、ヤクザと闘えと言っているわけではありません。危ないことをすることはお勧めできません。生兵法はケガのもとです。少しでもおじけづいたら、そこを狙われ、ガッとつぶされます。ただ、私がヤクザと交渉するときに、強い信念がこの身体を一歩前に押し出す力になるように、誰にでも、闘う状況があるはずだと思うのです。会社で不法なことをやらされそうになったとき、誰かがいじめられているとき、「やさしさ」が人を無敵にすることがあるはずです。信念が理不尽な状況から自分を救う一本の強い幹になる、と言いたいのです。「クレーム処理」と「クレーム対応」の違いクレーム対応でも、人間を信じるという気持ちが私を支えてくれます。クレーム対応とは、クレームに対応することではありません。まず、全力で人の気持ちを理解すること。つまり、人への対応です。それを「クレーム処理」と考えてしまうと、安易にお金やもので解決しようとしてしまいます。
お金で解決することは、基本的に問題の解決ではなく、問題の放棄です。お金を払うことは、その状況を何も変えません。人にアプローチしなければダメなのです。まず、お客様の言葉に対してしっかりと耳を傾ける。お客様の気持ちに寄り添う。そして怒りの原因をすべて出し切ってもらう。それがクレーム対応なのです。一度でも、怒鳴り声に圧倒されて、金銭を渡したとしましょう。その人はまた確実にやってきます。そうやって解決することを知った、ほかの客も同じようにやってきます。すると、一度の例外が原則になってしまうのも時間の問題なのです。根気よく、粘り強く、お客様の気持ちに寄り添う。それがクレーム対応の基本です。一人ひとりには膨大な時間がかかります。一見、とても効率が悪いように見えます。でも、わかったのです。たった一人の一つのクレームに対してとことん向き合うことが、次のクレームをなくし、ほかの人のクレームもなくすのです。お客様の怒りの原因を、私たちが真摯に受け止めれば、ホテルにとってクレームが財産になります。また、モンスターともいえるクレーマーに対して、安易な解決方法を取らないと決めれば、次のクレームを防げるのです。さらに現代は、ネット社会。「あそこのホテルがお金で解決する」と聞けば、10人のクレーマーがやってきて、同じクレームをつけ始めるでしょう。雪崩を止めるには、小さなものから一つひとつ解決しなければなりません。ニューヨークのジュリアーニ元市長は、荒れ果てた街を立ち直らせるとき、割れた窓ガラスを直すことから始めたといいます。どんな職場の問題も、みな同じです。一つの問題への対応が、ほかの問題の発生を防ぎます。一見、気の遠くなるような時間のかかる問題解決が、結局は最も効率のいい解決方法なのです。ヤクザを泊めない、クレーマーにお金を渡さないホテル「このホテルは、ヤクザをお泊めしないホテル。クレーマーにはお金を渡さないホテル」そういうものだと明確にわかれば、周囲の人はそのルールを理解します。それが、ホテルを変え、人を変えていくのです。ある日、こんなことがありました。かつて私が宿泊を拒否したヤクザがいました。彼はその日偶然、別のクレーマーがフロントスタッフを怒鳴りつけているところに遭遇したのです。彼はそれを見て、何と言った
と思いますか?「よう、よう。フロントの姉ちゃんが、かわいそうだろうが。そんなふうに、怒鳴るもんじゃねえよ」警察の方は、その話を聞いてこうおっしゃいます。「いい人ならヤクザなんかやってないよ」このヤクザは、フロントスタッフをかばったその日に、原宿で〝恐喝〟をしていたそうです。でも、だからといってその人まるごと100%が悪いとは限りません。人間一人のなかにいい人も悪い人もいる。もしかしたら小さな頃の環境がその人を変えたのかもしれませんし、何か事情があったのかもしれません。だから私は信じます。その人がヤクザだろうが、クレーマーだろうが、どんな職業だろうが、きっと想いは通じる。ホテルに流れる風が徐々に変わってきていました。ある日突然、〝強制送還〟されてきた女性とクレーマーの母さて、ここは、東洋一の歓楽街・新宿歌舞伎町。わけありの女性にもお会いする機会があります。ある日、こんなお客様をお迎えいたしました。チェックインされたのは20代くらいの金髪女性。彼女は都内にある、某シティホテルに長いこと住んでいたそうです。しかし、宿泊代が払えなくなり、そのホテルから、追い出されたようでした。そのホテルのドアマンは、彼女の荷物をなんと私のホテルまで運んできていました。もちろん、そのホテルに私の知り合いは一人もおりません。お金のない宿泊者を路上に放り出すわけにもいかず、当ホテルに送り込まれたのでしょうか。そのホテルとしてもやむをえない状況だったのは、察しがつきます。案の定、日を追うにつれ、当ホテルでも彼女の支払いは滞ってきました。それにもかかわらず、泊まっていない彼女の母親がわざわざ当ホテルまで出向いてくると、なんだかんだとクレームをつけてきて、ロビーで別の対応をしている私に大声で怒鳴るのです。「シカトするなよ!支配人!」と。「シカトなんかしていません!もうしばらくお待ちください!」思えば、これがこの彼女の母親との出会いでした。
それからというもの、支払いの件でこの親子とはよく話合いをしました。法学部出身だとをつく娘と、ぬいぐるみを抱いて私に話しかける母親。ぬいぐるみは、この母親の問いかけに答えるはずももちろんありません。「支配人さんが怖いの?、かわいそうに、ほら泣いているよ」「!?」「おしっこしたいのね?よしよし」「!?」〈ぬいぐるみが泣いたり、おしっこするわけないのに!?〉でも、あまりに自然に会話しているので、見ているうちに私のほうがおかしいんじゃないかという錯覚に襲われました。結局、宿泊代を支払えないので、出ていっていただくことにしました。私はグジャグジャになっている彼女の客室へダンボールを持っていき、荷造りをしました。当時、私は、宿泊代を支払えない別のお客様からも切実な話を聞いていました。涙ながらにそのお客様は身の上話を始めます。若い頃から身体を売って暮らしてきたその人は、年齢が上がって、次第にお客がつかなくなったというのです。街で小耳に挟むのは、街娼ひと晩の値段の暴落です。接待費が削られ、給料が削られ、歓楽街に人の足が向かなくなって、久しくなりました。長引く不況は歓楽街を真っ先に直撃し、彼女たちの生活を成り立たなくしていたのです。もちろん、当ホテルで、客引きをしている方はいらっしゃいませんし、見つけたら即、チェックインをお断りしています。そのお客様もお金にだいぶ困っていたようでした。私がこのホテルのオーナーでしたら、「部屋をひと晩だけでもお貸ししましょう」とでも言いたいところですが、あいにくお部屋は商品です。宿泊代をいただかずにお貸しすることは、いくら支配人とはいえできません。そのお客様にも、チェックアウトしてもらったばかりでした。送り込まれた女性も、支払いができない以上、出ていってもらうほかはありません。この、東洋一の繁華街でも、確実に不況が人々の暮らしを直撃していました。「今日泊まれる宿を、一緒に探しましょう」前述の荷造りした荷物を台車でロビーまで運び、「ちょっと待っていてくださいね」と
言ってスタッフに外に出てくることを告げ、制服から私服に着替えて彼女のところへと戻ってきました。「行きましょう。今日泊まれる宿を一緒に探しましょう」彼女は驚いたように、私を見ました。「さあ、早く!」私は彼女の大きな荷物を台車に載せて、一緒に歩き始めました。彼女と一緒に、ひと晩寝られる場所を探すことに決めたのです。事情を知って、路上に放り出すわけにも、ババ抜きのようにほかのホテルにたらい回しにするわけにもいきません。「あと払いでいいから」と言ってくれるところ。彼女のような行き場のない人を引き受けてくれるところ。そんな場所はないかと、一軒、一軒、私たちは訪ねることにしたのです。そこでは、私も売春婦のように扱われ、門前払いされました。「泊められるわけないでしょ。帰って、帰って」世間は、冷たいものでした。私たちは疲れ果て、夕方、ファミレスに入りました。彼女はお金を持っていないので、「いつか生活が整ったら返してね」と出世払いで、ごちそうすることにしたのです。すると彼女は、泣き出しました。「いままで、ずっと親切にしてもらったことなんかなかった」ここはファミレスだというのに、ファミリーの姿は見当たりません。所在なげに、ぼんやりと座る連れのない人々が、時間をつぶしていました。私はその店で、彼女の長い半生を雨の音と一緒に聞いていました。その後、何軒目かに当たった韓国人の経営する宿が、事情をすべて知ったうえでやっと彼女を引き受けてくれました。いまはどうしているのでしょう?元気で暮らしていてほしいと祈るばかりです。彼女と一緒に行動してよかったと心から思います。なぜなら一緒に行動を取らなければ、彼女の想いも私は薄っぺらい感情でしか理解できなかったと思うからです。スケベ心にご用心!現金を抜いて逃げた女と〝言えない〟男もう一つ。夜の街ならではのお話をしましょう。朝のホールで、困り顔の中年男性が、ぼんやり座っていました。私がそこを通りかかると、その方は、私に「おいで、おいで」をしています。「お客様、どうなさいました?」お客様は、いかにもバツの悪そうな顔をして、私にこう言いました。
「いや、ね。このホテルのせいじゃないんだ。支配人のせいじゃないんだよ。でもね、どうしても言いたくなって」と言いながら、なおも言い淀んでいます。「はい?」「いやー、実はね」このホテルでの売春はもちろんご法度です。客引きなどの行為があったらすぐに、退去してもらうのは当然のことです。しかし、この男性は久しぶりの出張で東京に来て、街で女性に声をかけられたそうです。気持ちが緩んでいたのでしょう。ついついスケベ心を出して、女性を当ホテルに連れ込んだのだそうです。「お願い。先にシャワーを浴びてきて」あとはお察しのとおりです。ワクワクして浴室から出たときには、その女性は財布のなかの現金と一緒に煙のようにドロンと消えてしまっていたというわけです。「警察にご相談なさいます?」お客様は、めっそうもないという顔で首を横に振ると、「今回は、高い授業料だと思って帰るよ。こんなこと、恥ずかしくて同僚にも言えないし、家族にも絶対に言えない家庭崩壊になるよりマシだ」そして、一つ大きなため息をつくと、こう続けました。「それでも、誰かに聞いて欲しくてね。支配人に話したら少しスッキリしたよ」私が微笑みながらうなずくと、男性は頭をかきながら、帰宅の途へつかれました。お客様は、私に話したことでほんの少し救われたようでした。お客様を直接、お助けすることはできませんでしたが、話を伺うことでお客様のお気持ちを少しでも分かち合えたような気がしました。ママはホストクラブへ?子ども5人で保育園状態に歌舞伎町ならではの、こんなかわいらしいお客様もいらっしゃいました。ある日の午後9時すぎのことです。ロビーの片隅に、8歳くらいの女の子が所在なげに佇んでいます。「あら、お嬢さんどうしました?」私が声をかけると、女の子は、「あーあ、お母さんにだまされちゃった」そう言って口をとがらせます。「?」「あのね、お母さん、おいしいご飯を買いにいくって行ったまま、帰ってこないの」
お母さんは、こんな小さい子を置いて、どこへ行ってしまったのでしょう。「お嬢さん、一人で待っていたの?」その子は、ううん、と首を横に振りました。「弟がいる友達も」その子の部屋に足を踏み入れて驚きました!そこには、8歳のその子を筆頭に、5歳、3歳と総勢5人が、ぐるぐるかけ回り、ベッドをトランポリン代わりにして、ピョンピョン飛び跳ねていました。「ハア?」よくよく聞いてみると、この子たちは2家族。お母さん2人が、子どもを引き連れて地方都市から泊まりがけで遊びにきたようなのです。そして、お母さんたちは「ごはんを買ってくるから待っててね」と言い残し、子どもたちを置いて2時間ばかり帰ってこないというのです。部屋に足を踏み入れると、パリパリッと足元で軽い音がします。よく見ると、床にはスナック菓子が細かく割れて散乱していました。「わっ」お母さんたちは、子どもたちが騒がないように、お菓子を袋のままでいくつも置いていったようなのです。それが床にたくさんこぼれ、その上をバタバタと子どもたちが走り回っています。ビスケットや、スナックはすでに跡形もなく粉々になって、じゅうたんに黄色やベージュの模様をつけていました。「ちょ、ちょっと」子どもたちを止めると、今度はベッドの上に飛び乗り、全員でベッドの上を飛び跳ねます。「スプリングがっ。やめようねー。ちょっと静かにしようねー」「キャッハハハハ」やめるどころか、私が止めるのを見て、ますますはしゃいで飛び回ります。客室は、まるで保育園状態でした。ピンとくるものがありましたので、早速お母さんに電話をかけてみました。しつこくかけると、何コール目かにぞんざいな調子で女性の声がしました。「はぃ?なぁ〜に?」「もしもしわたくしお泊りいただいているホテルの」すると後ろからは、大音響でシャンパン・コールが聞こえてきます。「ドーンペリッ、ドーンペリッ」大盛り上がりのようでした。思ったとおりです。お母さんたちは、子どもたちを置いて夜の街に繰り出していたのです。彼女たちがいまいるのは、まず間違いなくホストクラブ。「もしっもしもしーっ!!」
私は声を張りあげます。「わたくし、お泊りいただいているホテルの三輪と申しますー!お子様だけで置いておくのは、危ないので、お帰りになるまでお預かりしておりますっ。なるべく早めにお帰りくださいっ」「あぁ、じゃあね」プー。答えにならない言葉で携帯を切られてしまいました。私はため息をつきました。夜の歌舞伎町は遊園地?子ども5人をつれて深夜のコンビニへ夜のホテル前に、子どもたちを整列させます。「みんな、お腹すいた?何食べたいですか?」「焼肉!!食べたい!」私は自分の財布の中身を見て〈焼肉!?無理〉「さあ、じゃあみんな行きますよ〜」私はぞろぞろと子どもを連れて、近くのコンビニへ行きました。そこで、好きなお弁当を選ばせます。ホテルのある場所は歌舞伎町のなかでも静かな場所ですが、それでもピカピカと派手なネオンを見て、子どもたちは「遊園地みたい」と無邪気な感想を言い合っていました。確かに、歌舞伎町は遊園地みたいな場所です。もっともそれは大人限定の遊園地ですが。街の人も驚いたことでしょう。小さい子たちがその時間帯に集団でぞろぞろ歩いていたのですから。ホテルに帰ってくると、ロビーで遅い夜食をとらせます。「いただきまーす!」子どもたちは元気よく声をあげると、ご飯をたいらげました。お母さんたちはなかなか帰ってきませんでしたが、私はもう一度電話をかけるのをやめました。きっと、普段は自由に遊べないお母さんたちが、たったひと晩、浮世の憂さを晴らすために、決死の覚悟で夫に内緒で遊びにきたのでしょう。たまには、思う存分遊ばせて差し上げよう。そう心に決めました。ロビーで、子どもたちと一緒にご飯を食べて、子どもたちを客室へ連れていったあと、お母さんたちは帰っていらっしゃいました。特に、お母さんたちからの挨拶はありませんでしたが、いいんです。子どもたちは無事にひと晩すごすことができたのですから。
それにしても、朝起きたとき、子どもたちは不思議な気持ちだったでしょうね。あの夜のことが、現実だったのか、夢だったのか。ひょっとすると区別がついていないかもしれません。このときは、お客様へ伝わらなくてもいいとサンタクロースの気分でした。「歌舞伎町駆けこみ寺」玄さんのひと言「あんたはオンナ玄さんや」新宿歌舞伎町には、面白い方がたくさんいらっしゃいます。そのなかでも、ひときわ大きな存在感を持って活動しているのが「歌舞伎町駆けこみ寺」の玄秀盛さん。出会ったのは2008年でした。歌舞伎町商店街振興組合のマサさんという方に、紹介してもらったのがきっかけです。みなさんは、「歌舞伎町駆けこみ寺」の玄さんという方をご存じでしょうか。ときどきテレビで紹介されているので、見かけたという方も多いでしょう。玄さんは、過去に20数種の仕事を経験し、大阪西成でヤクザと闘いながら、青年実業家としてひと財産を築きます。しかし、白血病ウイルスのキャリアであることを知り、すべての財産を捨てて、この歌舞伎町に人助けのための「歌舞伎町駆けこみ寺」を開設するのです。それから9年。玄さんは、ストーカー、虐待、多重債務などで苦しむ多くの人を救ってきました。玄さんと会ったときの衝撃は忘れられません。「同じ魂を持った人が、この世にもう一人いた!」という驚きでした。恐怖や、保身、世の中の評判。そんなことなど一切構わずに、ポンと命を投げ出して、気がつくと身体のほうが考えるより先に動いている。そして、「できっこない」と思われるようなことを、悲壮感もなく、時にはユーモアを持って、やり抜いているところに、私は言葉にならない感銘を受けました。そこには、自分のことなど何も考えずに、人を救おうとする無私の心がありました。私がそうなりたいと思った理想の人物像があったのです。驚くことに、その玄さんに、私はこう言っていただいたのです。「あんたがどこにいようと関係ない。どんなところでも、人助けはできる。たとえ企業人でも、営利団体でも、関係ない。人を想い、人を救う気持ちがあれば、片隅を照らす灯になれる。あんたは、オンナ玄さんや。応援してるで。がんばりや」父の背中を見て育ち、人を救う仕事をしたかった私が、長い、長い、遠回りをしてたどり着いたのは、どんな場所でも、人のために役立つ仕事ができるという事実でした。
私はホテルの支配人。でも、少しでも人のお役に立てる仕事ができる。世間の常識では、人の役に立つことはお金にならない、営利に反するといわれます。しかし、スタッフや地域のみなさんに支えていただいて、私はその年も、全国売上日本一の成績を残すことができました。本当に感謝しています。「MVP賞受賞」の瞬間に起こったことそして、めぐってきたその年の社員総会。当ホテルの清掃チーフが、私の着任当時のことをこんなふうに語っていました。「支配人が着任するまで、どんな支配人が来るのかみんなで話をしていたんですよ。三輪支配人は想像していた人とは違っていた。三輪支配人は、清掃スタッフをクレーマーからかばってくれるだけでなく、ここ何年もつき合っているのに一度たりとも自分の感情だけで怒鳴ったり、怒ったりしなかった。支配人は、こう言ってくれましたよね。『人は、みんなミスをしたくてしているわけではない。ミスは次にしないように気をつければいいんだ。だから私は、絶対に自分の感情で怒ったりはしない。もし感情だけで怒られたらやる気をなくして余計、ミスのもとになるからね』ってね。支配人が来て以来、私も清掃スタッフを怒らなくなりましたよ。怒る必要ないんだなってわかったから。それに、みんなものびのびしてきました。このホテルのスタッフは誰一人、辞めたいとは言わないですよ。みんな、支配人が大好きだから」いよいよ発表のときです。ダダダダダダ。ドラムロールが繰り返され、頭上をグルグルとスポットライトが回ります。「今年度、MVP賞は、新宿歌舞伎町」そう聞こえた瞬間、大きな声をあげたのは、私ではなく、一緒に来てくれたフロントスタッフでした。「うれしいーーーーっ!」彼女は、私のために目を真っ赤にして号泣してくれていました。私の上にスポットライトが止まり、私が光のなかに立っています。「三輪康子さん!」〈この私がまさか〉司会者の声に、大きな拍手を送ってくれたのは、多くの同僚の支配人、そして元社長ら
幹部でした。私は大きな、大きな、拍手の輪のなかに佇んでいました。フロントスタッフは、受賞の際、挨拶でこう言っています。「私は、新宿歌舞伎町店が大好きです。私は三輪支配人が大好きです!」彼女は、私が知らない間に店舗へ電話をかけてスタッフたちへ教えていたそうです。翌日、出勤するとフロントたちが涙ながらに、「おめでとうございますうれしい!」と、清掃チーフも私の顔を見るなり、涙で言葉が出ない状態でした。「昨日、支配人が賞をもらったことを聞いて、うれしくてひと晩中、眠れなかったおめでとうございます」歌舞伎町のスタッフたちの涙を見て、こんなにも私のことを思ってくれていることに感激し、一緒に泣いてしまいました。この日は私にとって人生最良の日になりました。「怒鳴られても、やさしさで返す」なんて、幼稚園児が言うような正論だ、理想論にすぎないと、ずいぶんいろいろな人たちから言われ続けました。やさしさでは食っていけない、とも揶揄されます。でも、やさしさは何よりも「強い」のです。なぜなら、やさしさを嫌いな人間なんて一人もいません。クレーマーもヤクザも、スタッフも警察官も、地域の人も、すべての人たちが、みんながやさしさを望んでいます。だから、もしやさしさが正しく使われれば、きちんと結果が出ると、私はこの身をもって証明できたのです。しかしもしこの結果を求めて、やさしさを振り回していたら、おそらくつぶれていたでしょう。スタッフが安心して、楽しく働いてくれる職場を実現したかった。それを、ただ、追求してきただけなのです。ホテルで、困っている人がいれば、少しでも手助けがしたかった。望みはそんなものでした。でも、「おもいやり」や「やさしさ」を大切にしていれば、この生き馬の目を抜くようなビジネス界では結果が残せないという近頃の常識を覆すことができました。考えてみれば、戦後の日本はすべて、スタッフを守りたい、お客様に少しでもいいものを提供したい、地域に貢献したい、というシンプルな思いから発展したのではないでしょうか。私のやり方は時代遅れじゃない、ということを、みなさんが証明してくださったことが何よりのご褒美でした。つらいときも、あきらめないでスタッフや仲間を信じ切ることです。
ある日突然、労働基準監督署の査察がさて、受賞のうれしさに興奮さめやらないある日、私のがんばりは、思わぬところから問題になってしまいました。ある日、労働基準監督署の職員が訪ねてきたのです。「三輪さんのがんばりは歌舞伎町でも有名です。警察署も、区役所も、地域の人たちもみんな、あなたのことを知っています。歌舞伎町であなたの噂を聞かない日はありません。でもね、だからこそあなたの身体が心配なんです。残業しすぎているんじゃないですか?」そう指摘されて愕然としました。確かに気がつけば、私はホテルにいる時間が長かったのかもしれません。私が帰ろうとすると、ヤクザに怒鳴り込まれたり、クレームがあったりして、その対応をします。ここは日本一の不夜城の歓楽街、新宿歌舞伎町。危ない人たちが活動する時間帯は一般人と昼夜、逆転しています。でも、怒鳴り込んでいる人を前に、ちらちら時計を見て、「業務時間が終わりましたので、帰らせていただきます」というわけにはなかなかいかなかったのです。とことん、目の前にいる人につき合い、問題の解決を図る。それが私のやり方です。時間の概念がふっ飛んでいました。もはや私にとって人とじっくり向き合うことは人生そのものになっていました。私はお役人に、こう訴えていました。「私はこのホテルが好きでいるんです。働いているという意識はまったくありませんでした。法律は労働者を守るためにあるんじゃないんでしょうか?本社からは再三早く帰るように言われているのにもかかわらず、私はこのホテルが、好きで、好きで、つい長くいてしまったんです。でも、この世の中には、働きたくないのにつらい思いをして、無理やり働かされている労働者がいっぱいいます。それを取り締まってあげてください。」いつのまにか、涙声になっていました。好きで働いているのに注意される。私には、とても残念なことに思えたのです。前代見聞!5人の部下が、労基署に涙の訴え労働基準監督署の訪問があったことを知ったスタッフたちは、夜勤明けに、みんなで集まっていました。みんな誰に言われるまでもなく、私のために集まってくれたそうです。
総勢5人が、お昼すぎの労基署にゾロゾロ入っていきました。驚いたのは役所の人たちだったようです。「責任者を出してください」「支配人は悪いことをしていません!私たちが好きで働かせていただいているのです!」「支配人に何かあったら、どうしてくれるんですか?」いったい何事が起こったのか、その場にいた役人全員が呆然と見ていたといいます。とにかく、労基署始まって以来の珍事だったことは間違いありません。あとでお役人さんはこう言いました。「三輪さん、部下に愛されていますね。三輪さんがいかにスタッフに慕われているのかがよくわかりましたよ」その騒動があって以来、私はスタッフに心配をかけないように、残業には十分注意して働いています。クレーマーの肩越しに、スタッフが時計を指差してジェスチャーをするので、私はウィンクしてうなずきます。よりいっそう熱を持って交渉に当たりますので、心なしか、早めに解決できているような気がしています。労基署の帰りに私は、スタッフたちにファミレスに呼び出され、事の末を知りました。私に知らせずにいたのは、私の耳に入れてしまうと、私の差し金だと思われてしまうと恐れたからだそうです。スタッフたちは、私の顔を見て言いました。「みんな、三輪支配人の味方だから。三輪支配人のことは、みんなで守るから」見回すと、スタッフ全員が私の顔を見てうなずいています。私は泣きました。新宿署からは、感謝状をいただきましたし、本社からはMVP賞をいただきました。でも、私が一番うれしかったのは、スタッフの気持ちでした。私が、彼らを支えているつもりでしたが、それは私の思いあがりでした。スタッフ、一人ひとりが、私を支えていてくれたのです。その話を聞いて、八戸の母は電話口で涙声になってこう言いました。「まるで忠臣蔵ね。康子は幸せ者ですよ。たとえ上司を守りたいという気持ちがあっても、行動に起こそうとする人なんかそうそういるもんじゃありません。そうやって行動にして表してくれるなんて、ありがたいわね」過去、いくつかの賞をもらいました。たくさんのほめ言葉をもらいました。でも、何にも代えがたい勲章は、部下の揺るぎない信頼だったのです。私は、「歌舞伎町のジャンヌ・ダルク」と呼ばれています。でも、たった一人ではありません。スタッフがいます。お客様がいます。新宿署や、地域の人々が私を支えてくれています。
これからも、いろいろなことがあるでしょうが、私はここ歌舞伎町で、お客様の喜びと悲しみと一緒にいます。「やさしさで返す」私がスタッフにやさしさで返してもらった紛れもない事実でした。そして、これまでの成果を実感する日が来たのです。ヤクザ全員が整列して私に最敬礼ある日、駐車場係の男性スタッフたちがホテルにあわててかけ込んできました。そして私を見つけると、こう呼びとめました。「支配人、支配人〜!」何だろう?と男性スタッフたちのほうへ歩いていくと、こう言うのです。「ちょっと道に停まっている車、見てくださいよ。お客様の車が入れなくて」私が外を覗くと、数台の黒塗りの車が路上駐車していて、お客様駐車場への出入口をふさいでいます。誰の車かは一目瞭然でした。「注意したらいいのに〈無理だよなぁ〉無理だよね?」私がそう言うと、男性スタッフは首をすくめます。「怖くて、怖くて、とてもそんなこと言えません。それより、あの路上駐車の人たち、『今日は女ボスいないの?』って聞いていましたよ」つくづく感心するようにそのスタッフは唸りました。「いや〜、さすが支配人ですねえ。ヤクザに『女ボス』って呼ばれてんですからねえ」女ボスって、猿山じゃないんですから。私は、大きくうなずいてこう言います。「わかった。お願いしてくるね」私は、ヒールの音をかつかつと響かせながらホテルを出ます。いつもと同じように歌舞伎町の風が頬に当たります。たむろしているヤクザの前で私が歩みを止めると、数台の車のなかから十数人のヤクザがバラバラと出てきました。私はその人たちに声をかけます。「申し訳ありません。あのー、車をどかしていただけないでしょうか」言い終わるか終らないかのうちに、ザッと全員が私の前に一列に整列します。その後、何が起こったか想像できるでしょうか。人を信じるという信念がどんな奇跡を起こしたか、みなさんおわかりになりますか?ヤクザ全員が並んで私に向かって最敬礼したのです。「申し訳ありません!いま車をどかしますので!」「そうしていただけますか?ありがとうございます!」
私は頭を下げました。ヤクザはきびきびと車に乗り込むと、ものの数十秒で走り去っていきました。私の後ろからは、こんな声があがりました。「支配人、カッコイ〜イ!すご〜い!」振り向くと、スタッフたちが一斉に拍手しています。図に乗りやすい私は「やっぱり?」と言いながらも内心、自分でも驚いていました。〈極妻みたい!でも、なんでこんなにいとも簡単に〉いつからだったでしょうか。ぴたりと違法駐車はやみました。路上駐車も、すぐにどかしてくれるようになったのです。それどころか、私と会うと挨拶までしてくれるようになりました。ヤクザのみなさんの事情はわかりません。でも、これが彼らの仁義なのでしょうか。ありがたいことです。私は思うのです。人は信じる心が一番、大事なのではないかと。私は信じる心があるから相手構わず、恐れず向かっていくのではないかと。私は子どもの頃からいじめを見ると、自分からその輪のなかに飛び込んでいきました。どうして同じ人間同士なのに、人が人を追い込んでしまうのか?なぜ、誰もがやさしさを求めているはずなのに、このような事態になってしまうのか?だったら自分から始めようと思うようになったのです。これまでのエピソードもこれからお話しするエピソードも、すべて「自分から始めよう」という発想から来ています。一人ひとりが勇気を持って少しずつおもいやりとやさしさを持てば、世の中は変わっていくのではないでしょうか。そして、私は今日も、スタッフとともにお客様をお迎えする準備をするのです。私たちは、いつでもお客様のお越しを心よりお待ちいたしております。
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