はじめにハッピー・ビジネス創設に燃えた、私の青春。
「味なこと」をするマクドナルド『論語』のなかには、次のような言葉ある。
「それを知る者はそれを好む者に如(し)かず、それを好む者はそれを楽しむ者に如(し)かず」ただ知っているだけの人よりも、好んでやっている人にはかなわない。
更に楽しんでやっている人にはとてもかなわない。
どんな時代にも楽しんでやっている人にはかなわない。
これは、孔子が弟子に向けて、学問に対する基本的な考え方や態度を表明したものだ。
また、実業家として活躍し、「日本マクドナルド株式会社」を創業した藤田田氏は、次のように語っている。
「水と文化は高きから低きに流れる。
日本の文化は東京。
東京は、銀座からだ。
だから、マクドナルド一号店は、銀座三越から起業した」このような思考を持ってビジネスに取り組んでいた藤田社長は、メイクマネーの天才だった。
文化を起こし、人を動かす才能を持った彼の周りには、お金が生まれた。
時代が変わっても、孔子と藤田社長が語る言葉の意味するところは、同じである。
ビジネスを成功させるヒントは、「自らの仕事を楽しむ」ことにあるのだ。
ところで、「仕事を楽しむ」ことを体験できる施設が、東京・豊洲にあることをご存知だろうか。
豊洲にある体験型商業施設「キッザニア東京」では、3~15歳のこどもを対象に、楽しみながら社会のしくみが学べるようになっている。
聞けば、およそ100種類もの仕事やサービスを体験できるらしい。
ここでは、子供が「働くことの楽しさ」を体験でき、さらに賃金までもらえる仕組みが確立されている。
子供たちは、自分たちがキッザニアで働いて得た賃金によって、施設内で買い物したり、食事したりできるのだ。
こう聞くと、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンが「働いて得た1ドルは、貰った5ドルより価値がある」と語っていたことを思い出す人がいるかもしれない。
キッザニアと同じように、現在16万4千人もの従業員が「社会に貢献するための訓練」ができる日本マクドナルドという会社は、「大人版の職業訓練施設」と言えるだろう。
しかも、「世界一誇れる企業」というバリューも持っている。
聞けば、アメリカでは「10人中1人はマクドナルドで働いた経験がある」というほど、その名は世界に知れ渡っているのだ。
1971年、私はそのマクドナルドに入社して、およそ20年間働き続けた。
マクドナルド入社前は、大手電機メーカーで勤務し、「オンライン・データ通信のバンキング・システム」のプロジェクトチームに携わっていた。
激務のすえ、ようやくそのプロジェクトが完了し、チームは解散した。
この2年間で経験したことは、のちにマクドナルドでの「システム思考」や、販売時点の売上実績を単品単位で集計する「POS開発」で大いに役立った。
当時25才だった私は、バンキング・システムのプロジェクトチームを経験したあと、自分自身を変えるために、他業種への転職を考えるようになった。
変化し続ける時代は、否応なしにそんな私の背中を押してくれたのだ。
当時は、ジャンボジェット機『ボーイング747』が、東京・羽田とホノルル間で就航した時代である。
テレビで、ボーイング747の姿を見た私は、そのジャンボジェットがまるで「大きな夢を実現してくれる夢の運び屋』のようにさえ感じた。
そして、ある決断をした。
「南へ飛んで、大きく飛躍しよう。
大きな事業を遠い地で成功させてみせる!」。
私は、自分自身を大きく変えるために、大手電機メーカーを退職して、大学の夏季留学制度を利用し、ハワイに向かうことにした。
1971年7月、大学の夏季留学制度を利用してハワイに向かった私は、ジャンボジェット機に乗り込んだ。
ジャンボジェット機で日付変更線をまたぐとき、感慨深い気持ちになったことを、今でも鮮明に覚えている。
そして、機内で「憧れの華」ともいえる女性の客室乗務員に言われた言葉が、私の運命を大きく変えることになった。
彼女が、私をこんなふうに誘ってくれたのだ。
「今夜いいところに行きましょう。
フレンチフライが、とってもおいしいのよ」と─。
彼女が連れて行ってくれた場所は、ワイキキのマクドナルドだった。
私は、飛行機から降りて時差ボケのまま、まばゆいばかりに光を放つ、夢のワイキキに立ち、そこではじめて「マクドナルド」を目にすることとなったのだ。
ワイキキのマクドナルドの店内はきらびやかで、まるで印象派の絵画を想わせるような内装だった。
ただ、注文しようにも、はじめて利用する店なので、注文の仕方がわからない。
なんとか注文して、マクドナルドのハンバーガーとフレンチフライを食べながら、息をのむ雰囲気と、海の彼方の夕陽を眺めた。
それは、まさに「人生のご馳走」が一気に押し寄せたような感覚である。
そのとき、私は「これが青春だ」とはっきりと感じた。
夏季留学から帰った1971年9月。
なんと、同年の7月20日に、ワイキキで経験した〝あのマクドナルド〟が銀座三越にオープンしたことを知った。
さらに新聞記事を何気なく読んでいると、「マクドナルドの店長代理の求人」を見つけたのだ。
私は、ワイキキで感じた、あの青春が忘れられず、まっさきにその求人に申し込んでいた。
当時のマクドナルドの1次試験は、一般常識と英語、小論文が主で、これをパスすると速達で1次試験の合格通知がやってくる。
1次試験をパスした私は、2次試験のクレペリン検査と身体検査もパスして、最終試験である「社長面接」の案内を速達で受け取った。
緊張こそしていたものの、私は楽しんで最終試験を受けていた。
面接中は、「日本マクドナルドが、アメリカからやってきた今世紀最大のビジネスになるだろう」という話や「コンピュートピア(コンピューターの発達によってもたらされるという理想的な未来社会)」のこと、そして「出店店舗のロケーション」の話などを藤田社長と話したことを覚えている。
1971年11月5日、そんな最終試験をパスして、私は晴れて日本マクドナルド株式会社に入社した。
父親はじめ、家族全員がマクドナルドへの入社を喜んでくれて、うれしかった。
実は、あとで聞いた話ではあるのだが、応募者2千4百人のなかから書類選考で800人、1次試験では240人が合格し、最終的には6人だけが合格したそうだ。
また、マクドナルドに入社してからしばらく経ったころ、近所に住んでいた小学校の恩師から「(マクドナルドが雇ったであろう)興信所が来たよ」と言われた。
驚いたことに、入社試験には素行調査も含まれていたのである。
マクドナルドに入社した私は、そのような厳しい採用試験が当たり前であることを痛感した。
マクドナルドの店舗を運営するためには、多くの人員を使い、毎日何十万円、何百万円という現金を扱わないといけないからである。
そして翌年の1972年4月5日、留学先のハワイで、ハワイ大学の夏期留学生だった妻と知り合い、結婚することとなった。
私の一生を支え続けてくれている妻には、頭が上がらないほど感謝している。
もちろん、マクドナルドだけではなく、妻とも出会わせてくれた「ハワイ」にも感謝しかない。
私たちの結婚式では、藤田社長から「2千年もの間、米と魚を食べていた日本人は背が低く、貧弱である。
世界に伍していくには、牛肉も食べねばならない。
1千年後の日本人を金髪にしてみせる」と来賓代表の祝辞を頂戴した。
その言葉を聞いて、結婚式に参列していた全員が、一斉に驚いていた。
また、新婚旅行も藤田社長にお力添え頂いた。
そして、新婚旅行から帰ると、藤田社長の秘書から私の勤務していた店舗に電話があり、社長からランチに誘われたのだ。
私は、大丸百貨店で購入した「トロージャン」のグレンチェックのスーツに着替えて、藤田社長とのランチに向かった。
銀座8丁目周辺で、藤田社長と藤田社長の秘書と3人でランチを食べ、藤田社長から皿うどんを御馳走になった。
のちほど、藤田社長からは「婚礼御礼の挨拶状が立派な文章だった。
まるでお父さんが書いた文章だな」と私の文章の格調高さを褒めていただいた。
日本語と漢字に厳しく、漢字研究家でもあった社長からの言葉は、ことさら励みになった。
また、マクドナルドで働いていた現役時代、20年間およそ4万5千時間もの時間において、私は2足のわらじを履いてきた。
それは、「マクドナルド社で勤務する」ことと並行しながら、休日は地下足袋を履いて自宅の百姓で汗し、普段はスーツを着たビジネスマン、いわゆる白洲次郎のような「カントリー・ジェントルマン」という働き方だ。
この2つの仕事への取り組みは、誰よりも真剣だったと自負している。
そして、私の身体に染み込んでいる、この2つの経験が、いよいよ発酵しはじめたのだ。
もちろん、マクドナルドで働いていた時代には、不遇なときも経験した。
しかし、仕事の光や陰は、あとになってみないと、それが起きた意味を理解できない。
不遇なときを、いかに心して働くかによって、つらい経験を生かせるものである。
「人の情」や「割り切り」を殊のほか感じられるようになったのも、マクドナルドで不遇な時代をも経験したおかげだろう。
大きな困難に合い、苦しみ悩んだ経験を乗り越えたことは、私の人生の宝といえる。
20年間、4万5千時間もの時間をマクドナルドで働き、ほかでは得られない経験とノウハウを蓄積することができたおかげで、マクドナルドを退社して30年近く経った今も、私はコンサルタントとして生計を立てられているのだ。
本書を手に取った方のなかには、仕事を楽しむ藤田社長のもとで、1971年11月からマクドナルドに携わってきた私が、「なぜ今、マクドナルドを語るのか?」と疑問を感じる人がいるかもしれない。
古希を過ぎた私が、本書を執筆しようと思った理由は、若き日に一緒に働いた藤田社長はじめ、多くの仲間たちが、次々とこの世を去ったことがきっかけである。
私は、今でもマクドナルドで働くことで出会った、藤田社長や多くの知人、友人に感謝している。
これまで、ともに働いた仲間たちを代表し、「まだ私の命があるうちに、これまでマクドナルドで培った数々の実践的なノウハウを、この世で語らなければならない」と思い至ったのだ。
今振り返ってみても、マクドナルドで働いた20年間、マクドナルドのハッピービジネスに夢中で取り組めたことに感謝している。
その経験のなかで、今の私を形づくってくれたノウハウや考え方を、できるだけ多くの方に知っていただきたい。
そして、これからの時代を変えるようなノウハウを身につけていただき、あなたの人生や今後のビジネスモデルの創造に、お役立ていただければ幸いである。
はじめに
ハッピー・ビジネス創設に燃えた、私の青春。
「味なこと」をするマクドナルド
第1章人材有機養成と百姓魂「カントリー・ジェントルマン」/「人材有機養成」という考えなぜ「人材有機養成」を重視するのか/「ビック戦略」としてのハンバーガー大学「たったひとつのハンバーガー」が会社を変える団塊世代に贈る、鬼才レイ・クロック氏の人生哲学/クロック氏の「志」
「カントリー・ジェントルマン」私は、マクドナルドで働いていた現役時代、「カントリー・ジェントルマン」と2足のわらじを履いてきたが、それには理由がある。
みなさんもご存知のとおり、ハンバーガーに挟み込むレタスやトマト、フレンチフライに使うジャガイモなど、マクドナルドを支えているものは、大量の「農産物」だ。
農産物の生産を行なう百姓は、天候をよみながら種を蒔き、作物を育て、成果物を刈り取っている。
これは、「Plan(計画)」→「Do(実行)」→「Check(評価)」→「Action(改善)」というPDCAサイクルの中で、大自然において自ら蓄積してきた技能を駆使して、生産しているのだ。
マクドナルドの仕組みは、天候にこそ左右されるが、同じく科学的管理法に基づいたシステム経営をしている。
つまり、根底には同じ「科学的管理法」が根付いている。
もともと私は、1946年に神奈川県で、農家の長男として生まれ育った。
そして、先述したとおり、日本マクドナルド創業の1971年から20年間、巨大なハンバーガー食文化の発展に携わってきた。
そして、マクドナルド社に勤務して10年目を迎えた1981年12月、当時35才だった私は、突序、自分の父親を亡くした。
もともと休日は農業にあてていたのだが、父親を亡くしてからは、休日の100%を農業に使うようになった。
農業に、休日の100%を使うようになってから、厳しい時間との戦いがはじまった。
一つひとつの作物に手間暇をかけることができないし、消毒などをしている暇さえない。
母が元気だったうちは、虫取りや草むしりなどを手伝ってもらい助かっていた。
また、会社から帰った月夜には、妻とサツマイモの苗を植える日もあった。
このような状況が続き、私はしだいに「完全有機栽培」の野菜づくりを行なうようになっていた。
その完全有機栽培でつくられたサツマイモは、近所の幼稚園児450人が「芋掘り」を楽しみにしてくれた。
完全有機栽培でつくられた生産物は、放っておいても力強く育ち、虫にも負けない。
しかも、信じられないほど、おいしい野菜だったのだ。
その一方で、広告宣伝部長として勤務していたマクドナルドでは、日本マクドナルドの人材養成機関「ハンバーガー大学」の学長に任命された。
社員数1500人、アルバイトやパートが2万5千人いるなかで、人材養成の使命を担うことになったのである。
「百姓」と「人材養成機関」の学長という、2足のわらじを履いていた私は、頭のなかで最先端の食文化の夢を思い描きつつも、畑に立って大地をしっかりと踏みしめると、地下足袋の下から「土が命だ、かまけるな!かまければ、これまでの完全有機栽培は、徒労に終わる」という先祖の想いを感じとった。
まさに、大地を司る、志ある百姓魂が「カントリー・ジェントルマン」としても生きる私を奮い立たせてくれたのだ。
「魂」とは、正しいことに正しく立ち向かう、崇高な精神と気魄のことである。
百姓は、天候と相談しながら、四季を通してゆるぎなく自然の恵みを生かし、適格な判断をしなければ収穫はおぼつかない。
こうして、作物はつくり続けられる。
この輪廻がうまくいくように、自然にも神が宿り、その神を崇め奉る。
そして、五穀豊穣を祈るのだ。
自然はいつもやさしく私たちを出迎えてくれるが、ときには怖いオヤジのような存在にも変貌する。
厳しい気候や風土、風雪に従い、自然の力を「教訓」として生かす。
自らを鍛え、ほかを助長する「温かい心の年輪」のような人間風度が「百姓魂」となる。
だからかもしれない、百姓は、皆、実にいい顔をしているのだ。
いま振り返ってみても、カントリー・ジェントルマンとして大地とコミュニケーションしていたことが仕事のストレス発散となり、今日まで健康に過ごせているのだろう。
「人材有機養成」という考え私自身がカントリー・ジェントルマンを体現しているからこそ、「人材有機養成」という考えが頭から離れない。
おもしろいことに、有機栽培は、野菜や果物だけに限ったことではなく、人材育成にも有用である、と確信している。
有機栽培を簡単に定義すると、「毒さず、環境や風土を生かし、それぞれの生命体が本来持っている潜在力を引き出す」ことだ。
有機栽培を目指すときは、その原点となる「土壌をつくる」ことが肝心な仕事となる。
たとえば、おいしい料理は、それぞれの素材が本来持っている「持ち味」や「独特の旨み」を引き出すことによって生まれる。
これが料理の「風味」というものだ。
同じように人材が育つためには、3つの要素「知識」「環境」そして、人間が本来持っている「やる気」を引き出すことが大事である、と私は考えた。
私はハンバーガー大学で、人材が育つために必要な3要素「知識」「環境」そして「やる気」を引き出すことに軸足を置き、理念と人間風度の育成による「人を通じて成功をマネジメントできる店舗運営」の神髄を教えてきた。
藤田社長も、「われわれはハンバーガーを売っているのではない。
日本に全く新しい食文化を売るのだ。
そして我々は、ハッピー・ビジネスの推進者なのだ」とマクドナルドで働く社員が、社会的使命に邁進することを強調している。
私は、この藤田社長の言葉を聞いたとき、世間の企業が、もっと売れ、コストを減らせという悪いジレンマに陥っていることを否定し、マクドナルド自身で新しい波を起こそうとしている企業風土に魅力を感じた。
人材有機養成の持つ、しなやかで強い人材を磨く仕組みこそが、マクドナルドのような意志の強い、やる気に満ちた企業風土をつくりあげている。
ただ、最近のマクドナルドは、どうも短期に経営指標を求め過ぎて、歪みが出てきた時期もあった。
人材有機養成をする場所については、研修生が行き交いやすい場所が望ましいだろう。
有料老人ホームなどの施設でも、通いやすい場所にないと、家族や職員にとって不便である。
老人は亡くなる前から、わざわざ遠いところに行く必要はないのだ。
実際、企業のなかには地方の山の中や海の見える場所に、贅沢ともいえる研修施設を設けているが、その多くは廃墟と化してしまっている。
マクドナルドも会社規模が大きくなりはじめた1983年頃、「ハンバーガー大学を富士山麓に移転しよう」という話が持ち上がった。
しかし私は、多くの企業が郊外で研修を行っていることに疑問を持っていたこともあり、藤田社長に「移転しないほうがいい」と反対の意向を進言している。
「グローバル企業であるマクドナルドが、富士山麓で霞を食べるようなことをしていてはならぬ」と考えたのだ。
すると藤田社長は、私のその言葉を了解してくれた。
その結果、ハンバーガー大学は、東京・新宿にあるビルの超高層44階で開講が続けられた。
そのビルの隣には都庁があり、窓からは丹沢山系と富士山を眺めることができたので、「この場所が最適だ」としみじみと実感したものだ。
しかも、東京の中心にあるそのビルは、日本全国からやってくる研修生が行き交う場所として、アクセスが抜群だった。
さらに言えば、ビジネスのメッカとも言える場所で、「リアルな社会学」を実感できた。
なにも、私の唱える「人材有機養成」は「郊外の畑ですべし」という意味ではない。
人間として、いかにまともに考えることができ、新しい食文化を消化して吸収できるかを意味している。
当時、日本のハンバーガー大学の卒業式は、東京都心のホテルで執り行われ、藤田社長も参加した。
卒業生たちに、藤田社長と私のサインが入った卒業証書「ハンバーガー学士・修士の称号」を授与し、立派なフルコースとおいしいワインを飲みながら、明日から各地で活躍がはじまるクルーたちのコメンスメント(学位授与式)をメンバー全員で祝うのだ。
この時間ほど、みなの笑顔と、ほどよい疲れを心地よく感じたことはない。
まさに至福の時間といえる。
「育てる」ことが、いかにお客様によろこばれ、会社の成長と収益を育むことになるか。
このプロセスを度外視して、企業は成功を語れないであろう。
なぜ「人材有機養成」を重視するのか
私は、どこまでも人材有機養成を推し進めたい。
なぜなら、世の中で一般的とされる人材育成では、こと足りない大きな理由があるからだ。
刻一刻と変化を続ける社会では、「AI(人工知能)」や「IoT(モノのインターネット)」などの技術革新が進んでいる。
そんな時代の複雑な対人関係に加え、何かを成すために十分な時間が足りず、人々はストレスを抱えて自分を失い、退廃的な精神状態になっていくことが多い。
その結果、信じられない事件が引き起こされているように思う。
働き方改革や生産性向上が叫ばれている昨近、私は20年以上に渡り、「3K(きつい、汚い、危険)」と言われ続ける、介護企業の仕事に携わってきた。
そのなかで、何度も介護業界の悲惨なニュースを耳にしてきた。
そのたびに「人材有機養成が実践されていたならば」と悔やまれてならない。
つまり、これまでの人材育成だけでは、高度IT社会のなかで歪んでいく「人間の弱さ」に対応することができないのだ。
私は、人間力の高い人材を養成して、これ以上、悲惨な事故が起きないように、「世の中で働くすべての人がハッピー・ビジネスを実現しなければならない」と考えている。
人材育成が有機的なあり方になることで、精神的に豊かで、芯の強い人間の育成ができると確信しているのだ。
人材有機養成を成功させるには、畑の土壌づくりと同じように、しっかりとした企業の組織風土づくりが重要となる。
たとえば、農薬や化学肥料を使った野菜や果物は、外見的な見栄えがよくて形も揃っているが、おいしさに欠ける。
その一方で、有機農法でつくられた野菜や果物がおいしいことは、世界のオーガニックフードが証明している。
人間も、しっかりとした企業の組織土壌に育まれれば、有機養成によって「個人の能力」や「やる気」が内面から引き出されるはずだ。
そして、芯から強く、人間味溢れる人材になれる。
そうすれば、社内組織にはよい風が吹き、規律ある社風がみなぎる。
そのなかで、個人は心頭がしっかりとした自己主体観や自己効力観が培われ、どんな困難や修羅場に直面しても、能動的で果敢に取り組める「人間力の高い人材」を実現できるだろう。
有機養成とは、すなわち人間が育つための環境をつくり、成長しようとする人に外的強制をせず、環境そのものが成長を助長し、自らの力で「育つ力」を身につけることである。
「ビック戦略」としてのハンバーガー大学1971年、高度経済成長が勢いを増すなかで、「銀座のユダヤ人」こと藤田田は「日本マクドナルド株式会社」を創業した。
藤田社長は、「わが国は2千年もの間、米と魚を食べてきた。
この伝統的食習慣の国民に米国の、牛肉を挟んだハンバーガーを食べさせ、貧弱な身体を欧米に伍して戦える人間にする。
そして、1千年後の日本人の髪の毛を金髪にする」と豪語し、レストラン革命を開始したのである。
ただ、藤田社長が、日本でこの革命的なビジネスを実行しようとしたとき、どこの銀行も融資してくれなかった。
銀行の支店長たちはは、「藤田さん。
売上100億円はおろか、10億円も売らんうちに〝アメリカの肉マン〟のビジネスは潰れますよ」と一笑されたという。
それに対して藤田社長は、「駅前の一等地で、銀行は15時が来ればシャッターを閉ざし、土日は休んでいる。
そんなビジネスが21世紀にはいかがなものか」と言った。
そんないきさつがあったことを、ホテルオークラ東京で開催された「マクドナルド売上100億円達成記念パーティ」の冒頭挨拶で、藤田社長は「頭のよい者が勝つ」と誇らしく挨拶していた。
世の中は欧米化し、簡便でスピードを求められる時代となった。
「変革」と「グローバルである」ことが当たり前になった時代で、文化性のないものはすぐに廃れていく。
そのなかで、売上100億円を達成するようにもなったマクドナルドは、「ハンバーガー」を売ってきたのではなく、「食文化」を売ってきたのである。
藤田社長は、「売上1000億円を早く売らなければ外食産業とはいえない」とマクドナルドの社員たちを鼓舞し続けていた。
働き方改革を目指す企業に必要なことは「リーダーの明快なビジョン」であり、「社員と夢の実現に向けた共有」である。
日本マクドナルドは、日本一の外食産業になって、日本一の給料を出す─。
そのためには、全社員が大学を卒業し、さらにハンバーガー大学を卒業したという証「ハンバーガー学士と修士」の資格を持ち、店舗運営をマネジメントしなければならない。
そのような考えのもと、マクドナルド日本第1号店目をオープンする前に、ハンバーガー大学が立ち上げられた。
藤田社長がイメージしていた「マクドナルド」というビジネスは、大風呂敷ではなく、ビッグ戦略だったのである。
「たったひとつのハンバーガー」が会社を変えるマクドナルドが日本に上陸し、盛り上がりを見せていた当時、残念なことに世の中の経営者は、マクドナルドに目もくれなかった。
ハンバーガーをひとつも食べたことがなく、「自分には関係のない世界だ」と思っていたからだ。
なかには、食べたことのないハンバーガーのことを、無頓着に「ハンバーグ」と言う人もいた。
この日本で、毎日400万人ものお客様が来店していて、世界で冠たる「オペレーショナル・エキセレント・カンパニー」であるマクドナルドの店に立ち寄り、「一体、なぜこんなに売れているのだろう?」と思いをめぐらすことさえしない。
これは、ほんとうにもったいないことだった。
頭から「ファースト・フードだ」と馬鹿にして、自らが食べるものとは考えていない。
「ホット」「スピード」「スマイル」の本質や、自分の家族たちに「スマイル」があるかどうかを意識していない人も多かった。
その一方で、賢い経営者はマクドナルドの掴んだ本質を理解し、「マクドナルドのようになりたい」と私にコンサルタントの依頼をかけ、自分たちの事業を大きくしようとした。
そして私は、フードビジネス、フィルムビジネス(カメラ、DPE)、ファッションビジネス、フォームビジネス(建築、リフォーム)、ファンビジネス(遊戯施設)、フォークビジネス(人々=介護)など「6Fのカテゴリー」分野で、コンサルティングや顧問としてアドバイスする機会を与えられてきた。
その結果、多くの会社が短期間で10倍以上のスピードで、10倍以上の会社規模に成長を遂げ、今なお成長し続けている。
私が携わってきた会社は、のちに上場、または冠たる中堅企業として、一流企業へと成長したのだ。
それぞれの経営者の個性は強く、実に人間的な魅力に満ちている。
何よりも、その個性と人間的な魅力を根底にしたリーダーシップは、超一流である。
ビジョンを持っていて、いわゆるビジョナリーカンパニーでいう「第5水準のリーダーシップ」であった。
みな、自身が創業者であり、または2世であった。
2世は創業者を宝にして、さらに大きなよい企業へと成長させている。
「うちはハンバーガー屋なんかじゃない」と一笑していれば、そこで成長は止まってしまう。
世界を見据えている経営者が私を雇っても、その会社の幹部のなかには、「なぜ社長はハンバーガー屋をコンサルタントに呼んだのだ」と憤慨し、私が彼らに何かをアドバイスすれば「先生!そんなこと言ったって、うちはハンバーガー屋じゃないんだ!」と言った人もいる。
そんなとき私は、「今、皆さんはそんなことを言っているけれど、近い将来みなさんは大企業の役員になる人ですよ。
ハンバーガーは、チンパンジーやゴリラに食べさせているわけではありません。
いかなる企業といえども、人が人のためにビジネスをしているのです。
モノをつくって売っていても、サービスを提供していても、人を動かし組織を動かして、お客様によろこばれる仕事をするのは、みんな同じことなんです」と言ってきかせた。
すると、その言葉を聞いてお客様のために努力した人たちは、会社が大きく発展したあと、幹部役員へと昇格していったのだ。
団塊世代に贈る、鬼才レイ・クロック氏の人生哲学ミルクシェイクを作るミキサーのセールスマンとして、全米各地を車で売り歩いていたレイ・クロック氏が、マクドナルド兄弟のビジネスに目をつけ、1955年に52才で「マクドナルド・システム」という会社を起業したチャレンジ精神と、フランチャイズビジネスを思いついた鬼才には、あらためて驚嘆するものがある。
やはり、アメリカ人のパイオニア・スピリッツは力強い。
未来を自ら読みとろうとする精神と、アントレプレナー(起業家)精神は、アメリカ人の魂のな
かに生き続けているのであろう。
そもそも、マクドナルド兄弟が経営していた「マクドナルド」は、メニューを絞った経営をしていたので、ファースト・フード店として最適だった。
しかし、全米チェーン化には規格化やマニュアル化が必要である。
そこで、クロック氏が最初のマニュアルを作って、標準化の手助けをしたという。
出店開発や製造システム、販売システムなど、フランチャイズ構想を具現化していったのだ。
そして、クロック氏が立ち上げた第1号店の運営責任を任されたフレッド・ターナー氏は、そのマニュアルを充実させることに努めた。
そう、今日で世界最大級のチェーン・ビジネスを確立した要諦は「マニュアル」にあったのだ。
とかく、日本では「スキルは教わるものではなく盗め」と言われ、マニュアルの歴史はほとんどない。
どちらかといえば、「紋切型だ」「応用ができない」などと、マニュアルを馬鹿にする傾向が見られる。
しかし、マクドナルドに来店する毎日400万人ものお客様に、よりよいサービスが提供できるのは、マニュアルがあってこそなのだ。
私は、「マニュアルを嘲う者は成功しない」と何度も力強く訴えたい。
マニュアルは、成功の要諦そのものだ。
マニュアルによって一定の水準を維持することができ、「マニュアルの基準どおりに遂行できているか」「決められた基準を守っているか」をチェックできる機能とシステムを持つことが、成功の鍵となる。
ちなみに、マニュアルは思弁論ではなく「行動科学」そのものである。
誰がそのマニュアルを実行しても、基準どおりに仕事ができる、ベストな方法を取らないといけない。
そのため、真のマニュアルは、人が考えているほど、ちっぽけなものではない。
それが、アメリカのシステム思考である。
マニュアルは、「標準化」「専門化」そして「単純化」されていなければならない。
複雑であってはならず、いつもアップ・トゥー・デートされていて、最新であることが求められる。
世の常で、システムやマニュアルが陳腐化し、複雑化して「機能の罠」にはまってしまい、使い物にならないことがある。
しかし、そうではなかったクロック氏の成功哲学は、巨大ビジネスの構想の「魂」を打ち立てた。
マクドナルド社の神髄は、次のとおりである。
・「BeDaring(大胆不敵・勇猛果敢)」・「BeFirst(迅速)」・「BeDifferent(差異化)」つまり、誰よりも勇猛果敢に、誰よりも速く、そして圧倒的な差異化を持って、誰もしていないことをする─。
これが、マクドナルド社の思考と行動の神髄であり、成功哲学なのだ。
実に明快で、壮大な戦略思考の哲学ではないだろうか。
そもそも、マクドナルドを世界最大のレストランチェーンへと導いたクロック氏は、マクドナルドを運営するまで、レストランのなかで働くコックでもなければ、レストランの経営者でもなかった。
彼のひらめきと人との出会い、そして自身の強い信念に基づく哲学に、誰よりも真剣に取り組んだからこそ成功した。
ここで言えるのは、人生において大切なのは、「出会いをつくり、出会いをチャンスに変える」ことだ。
米スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱した「キャリア理論」のなかに「計画された偶発性理論」(PlannedHappenstanceTheory)という言葉がある。
これは、「個人のキャリア形成が、予期せぬ偶発的な出来事に大きく影響され、その偶然に対して最善を尽くして、より積極的な対応を積み重ねることによってステップアップできる」という考え方だ。
まさに、本人のたゆまぬ努力と、人との関係の質によって成功したクロック氏は、この理論を体現している。
また、クロック氏はマニュアル巻頭『成功への道』のなかで、次のように述べている。
「ラウンドを終わって帰ってきた1流のゴルファーは、プレー中にうまくいかなかったことを嘆くのではなく、直ちに練習をして完璧を期す。
しかしながら、2流のゴルファーは控え室で失敗を嘆くだけだ」この言葉は、まさにマクドナルドで取り組むべき姿勢を、見事に表現している。
クロック氏の最強の右腕であるターナー氏も、マニュアルの巻頭『マクドナルド社の基本理念』のなかで、消費者に対応するには、次の3つを持たなければならない、と述べた。
・良心・注意力・差別化をつまり、常に消費者に目を向けよ、と私たち自身の革新を要請しているのだ。
私は、そんな辣腕のターナー氏に、何度も面会する機会に恵まれたのだが、その鋭い眼光は人の心を読み透かし、何ものにも妥協しない「強い信念」を持っていることを感じさせた。
だからこそ、彼は社の命である「Q:クオリティー(品質)」「S:サービス(サービス)」「C:クリンリネス(清潔さ)」「V:バリュー(価値)」という「QSC&V理念」を妥協しなかったのだ。
クロック氏の「志」クロック氏は、自身の志を示す、このようなフレーズを残してくれた。
「Aslongasyouaregreen,youaregrowing,assoonasyouareripe,youstattorot..」(人生は、いつまでも青い気持ちを持ち続けるならば、成長し続けることができる。
しかしながら、紅く熟してしまえば、たちまち朽ちてしまうであろう)私は毎年4月になると、新卒者など関係ある若者に、この言葉を贈っている─。
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