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第1章リーダーは部下を育ててはいけない

まえがきリーダーの仕事は「選別」が10割世の中のリーダーが陥りがちな勘違いに、「リーダーは部下を育てて一人前にすることが仕事だ」というものがある。

部下を「育てる」ためにしっかりと教え、手柄を立てればほめ、時には叱る。

これまでリーダーの大半が、良かれと思ってやってきたことである。

しかし、これらがかえって、リーダー自身の首を絞めている。

なぜなら、価値観も考え方も違う中で、部下全員が等しく「育つ」なんてことはありえないからである。

あなた自身がいくら手塩にかけて育てたところで、一向にパフォーマンスを発揮できない部下が生まれてくるというのは、残念ながら、いかなる組織であっても逃れることができない「宿命」である。

あるいは、手塩にかけて育てた部下があっさりと他社へ転職してしまうのも、今や当たり前の光景だ。

私自身もいろいろな会社をわたり歩き、上司として数多くの部下と接してきたが、すべての会社でこうした状況を経験した。

あなたの会社もおそらく同様だろう。

「2:6:2の法則」というものがあるが、これは真実である。

上位2割の優秀な部下がいて、その他6割はまあ普通(大幅な赤字は出さない程度の部下)、残り2割は「指示待ち部下」「仕事に対する責任感が乏しい部下」「指示に素直に従わない反抗的な部下」だ。

リーダーの仕事の要諦は、「選択と集中」である。

限りある時間の中で、あなたのチームの成果を最大化せねばならない以上、「育て甲斐のない部下」の育成にかける時間などはない。

貴重な時間を投資することで、リターンがありそうな見込みのある部下と、見込みのない部下を「選別」し、ダメな部下は組織内でほかの良い人材と取り替えるべきなのである。

どんな人にも必ず「適材適所」がある。

あなたのチームでパフォーマンスが低かったとしても、ほかのチームへ異動させたことで驚くほど成果を発揮しはじめることはよくある話だ。

それはあなたに「人を見る目がなかった」あるいは「育てる能力がなかった」わけではなく、あなたのチームに「合わなかった」だけのことである。

日本の会社では正社員をそう簡単にはクビにできないので、ダメな部下を「辞めさせる」ことは難しいが、組織内で人材を「トレード」することはたやすいのだ。

上司は「会社のため」に働くなこれからのリーダーは、「部下を育てる」というこれまで正しいと信じられてきた価値観から、真逆に転換しなければならない。

このように言うと、極論のように受け取る人もいるかもしれない。

しかし、私に言わせれば、「部下を育てる」という価値観は、終身雇用・年功序列が当たり前だった時代の「会社のために働く・貢献する」という古めかしい価値観が前提にあるものだ。

しかし今は、「これまでと同じようなかたちで会社のために働いていては、成果が出ない時代」が到来している。

「大企業の時代は終わった」と言われはじめて久しいが、昨年(2020年)から今年にかけてこの言葉を「ひょっとして、本当かもしれない」と実感したビジネスパーソンは多いのではないだろうか。

私が思うに、理由は2つだ。

1つは、新型コロナウイルス感染症の影響によってもたらされた世界的な経済危機の影響である。

あらゆる業種において業績が急速に悪化したことで、非正規社員の雇用が不安定になっただけでなく、電通やJT、ANAといった名だたる優良企業で、正社員を対象にした早期退職の募集を行っている。

こうしてかつての日本型長期雇用は完全に過去のものになった。

もう1つは、コロナ禍で多くの企業がテレワークに踏み切ったことである。

リモート勤務が常態になった企業では、「会社に来て仕事をしているフリ」が通用しなくなり、能力主義、成果主義へと舵を切った。

なかでもその存在意義が問われているのが、部長や課長などの中間管理職だ。

ここで、ちょっと想像してみてほしい。

会社と握手したことのある人はいるだろうか?会社とハグしたことのある人はいるだろうか?会社とキスしたことのある人はいるだろうか?会社から殴られた人はいるだろうか?もちろんいずれも「No」である。

「会社」というものは、皆の頭の中にある想像の産物に過ぎず、手で触れられるような実体はない。

にもかかわらず、これまで多くの人が「会社のために」と懸命に働いてきたのはなぜだろう?理由は、中間管理職がトップの指し示す方針を「代弁者」として部下に伝え、部下たちも中間管理職の言うことを「会社の方針」と信じて働いてきたからにほかならない。

このプロセスが機能していた理由は、部下自身もいずれは出世して中間管理職となり、自分の上司と同じようなことをやるようになると信じていたからだ。

だからこそ誰もが中間管理職の言葉を「会社の方針」と信じて、単なる使用人、従業員にもかかわらず、自分が勤める会社のことを「我が社」と思い、会社のために働くことができたのである。

しかし今や、会社そのものの存在すら危うくなってしまった。

伝書鳩だった中間管理職もいつ早期退職の対象となるかわからなくなった。

今や早期退職の対象は50代以上ではなく40代以上になっている。

そして、そもそも会社の方針にしても、今や中間管理職の言葉を借りて部下に伝える必要はない。

トップがZoomやTwitter、Clubhouseといったツールを使って、全社員に直接話しかければ済む話だ。

面倒で役立たずな伝言ゲームにうつつを抜かしている暇はない。

このような時代にあって、中間管理職にはこれまで「正しい」と信じられてきたリーダー像から大きく方向転換をしなければならないのである。

組織にとって真の脅威は「有能な敵」以上に「無能な身内」だ。

このまま「会社のために」と信じて、「無能な身内」であり続けるリーダーに、明るい未来はない。

そんな愚鈍なリーダーの道を選ぶのか、あるいは有能なリーダーの道を選ぶのか。

多くのリーダーは今、まさに選択を迫られている。

「組織人」であり、「突き抜けた個人」であれ「あなたの上司は誰ですか?」という質問に対し、あなたはどう答えるだろうか?たいていの人は「部長のAさん」や、「本部長のBさん」と、特定の個人名を挙げるだろう。

ここでどう答えるかは問題ではない。

私が伝えたいのは、「あなたはあなた自身の上司〝個人〟に仕えているわけではない」ということだ。

たとえば、アメリカの大統領がトランプからバイデンに代わったからといって、アメリカ軍がアメリカという国と、その国を率いる大統領に忠誠を誓うという構図が変わるわけではない。

アメリカ軍の軍人が忠誠を尽くしているのは、トランプやバイデンという特定の個人ではなく、国民に選ばれた「アメリカ大統領」という役職に対してである。

会社組織におけるリーダーにも同じことが言える。

たとえば、私がライブドアに入社した時のトップは堀江貴文さんだが、1年もしないうちにトップは交代している。

ZOZOでも入社した時のトップは前澤友作さんだが、やはり途中でトップが交代した。

私個人の観点では、堀江さんや前澤さんを見る目と、後任の社長を見る目は違っている。

まったくの別人なのだから、当然のことだ。

しかし、会社員としての私は、トップがどのような人物に代わったとしても、等しく敬意を持って接するようつとめた。

というのも私は、私自身の給料を社長個人のポケットマネーからもらっていたわけではないからだ。

リーダーは、所属組織のトップや上司などの「個人」ではなく、自らが掲げた「理念・理想」に仕えるべきだ。

これは一種の「職業的な倫理観」とも言える。

世の中のビジネスパーソンには、個人的な「親分」と制度化された「上司」、個人的な「子分」と制度化された「部下」の区別がついていない人が少なくない。

糸井重里さんは、かつて「弟子」と「部下」は違うのだと喝破された。

たしかにビジネスにおいては個人的な貸し借りや義理立ても大切だが、上司と部下の間柄だからといって、上層部の命令に何でもかんでも従うということはない。

ここを間違えると、チームリーダー、あるいは中間管理職であるあなた自身も、「会社のために」と自分に言い聞かせながら、間違った道を選んでしまうことにもなりうる。

このような危険性をはらんでいるにもかかわらず、上司やトップに対して、多くのサラリーマンが「No」を言えないのは、会社を辞めることや左遷されることへの恐れがあるからだ。

「会社をクビになったらどうしよう」「僻地に転勤命令が出されたらどうしよう」という恐れを抱いていると、上層部の理不尽な指示に従い、悪事の片棒を担がされてリーダーが個人としてのブランド価値や信頼を損なうことにもつながる。

このようなリスクは断じて負うべきではない。

本来、組織人であるリーダーに求められているのは成果を上げることであり、会社に対してただ闇雲に忠誠を尽くすことではない。

ましてや役立たずの部下を押しつけられ「何とか一人前にしろ」と言われて、そのために貴重な時間の大半を割く必然性などない。

求められているのは「成果を上げる」ことであり、見込みが薄い部下の面倒を見ることではないからだ。

これは多くの人が誤解しがちだが、「突き抜けた個人」であることと「組織人」であることは実は、まったく矛盾しないのである。

いつクビになっても困らないような「突き抜けた個人」だからこそ、社内政治の力学にからめ捕られずに、正論を貫ける。

そして、正論を貫けるからこそ、会社の企業価値やブランド、顧客からの信頼を守る、本当の意味での「組織人」としての責務を果たせるのだ。

コーポレート・ガバナンスとは、やたらと細かくルールを増やしたり、ナントカ委員会を作ったりすることではない。

空気を読まずに、正論を貫ける「突き抜けた個人」が、どれだけその会社にいるのか?これこそが本質だと私は思っている。

上司には「上司道」があるそんな突き抜けた個人、突き抜けたリーダーであるために身につけておきたいのが「サラリーマン道」であり、「上司道」である。

武士に「武士道」があり、商人に「商人道」があるように、サラリーマンには「サラリーマン道」があり、上司になれば、一階層上の「上司道」がある。

「武士道」は新渡戸稲造の著作によって世界的にも広く知られるようになったが、基本は武士が自分たちに課した生き方のルールだ。

なぜ、今日でも多くの人に読み継がれているのか。

それはおそらく、おおもとにある戦士特有の倫理観が、単なる武士という支配階級のそれではなく、「強く、誇り高く生きたい」「弱者を助けたい」という人として当たり前の「道」を、磨き抜かれた理想として体系化しているからだ。

サラリーマンにも、武士と同じく「道」がある。

「会社のため」ではなく、自分自身が掲げた理念や理想に向かって仕事をする。

上司には敬意を払うが、服従はしない。

部下を人として尊重はするが、「成果を上げる」うえで邪魔になる場合は時に非情になることもある。

サポートはするが、「プロ」である以上、1から10まで教え導く必要はないし、ましてや会社が求める「金太郎飴的な部下」を育てることはまったくない。

そして「サラリーマン道」の上にあるのが「上司道」。

マネージャーの道である。

上司に求められるのは、仕事の能力以前に、人としてどれだけ成熟しているか、どれだけ正しい行動ができるかだ。

これからの時代のリーダーには、リーダーに相応しい生き方のルールや行動の心得がある。

「会社のため」ではなく、自らの「理念・理想」のために仕事をするのがこれからの時代の真のリーダーだ。

部下に任せ、部下の能力を引き出し、自分が率いるチームの長として、社内外を問わず常に「あそこはすごい」と思われるほどのずば抜けた結果を出す。

本書では、そんな「一目置かれるリーダー」になるための上司力改革25箇条について語っていきたい。

『部下を育ててはいけない』

目次

まえがき

リーダーの仕事は「選別」が10割/上司は「会社のため」に働くな/「組織人」であり、「突き抜けた個人」であれ/上司には「上司道」がある

第1章リーダーは部下を育ててはいけない

上司力改革1

部下を育てる→部下を取り替える

育成が無理なら「選別」すればいい/部下全員が育つわけがない上司力改革2手柄をほめる→悪いことだけ報告させる「良い話」は後から必ず耳に入る/「ヤバい話」を引き出す力上司力改革3進捗を確認する→質問させる「部下からの報告」は免罪符になる/俳優になって、心をつかめ上司力改革4部下から好かれる→見せる顔を使い分ける好かれた方が効率的──リーダーは8割支持が鉄則/支持表明は好意だけじゃない上司力改革5こまめに声がけする→フラットに接する人を見て法を説け/冷たい上司と公平な上司のあいだ

第2章リーダーは人を動かしてはいけない上司力改革

6人を動かす→人が動き出すマネジメントは「管理」じゃない/手を動かすな。

ボトルネックを探せ上司力改革7監督する→応援する管理力よりも幹事力/時にはチアリーダー、時にはDJであれ上司力改革8やる気を出させる→ムードをつくるモチベーションは「ゲーム」で上げろ──肉の写真を貼れ!/達成会には2種類ある上司力改革9人間関係を良くする→割り切る「いい人間関係」は目標達成の単なる手段/年上部下には「教えてください」の建前で臨め

第3章リーダーは解決策を持たなくていい上司力改革10問題を解決する→示唆を与える答えなんて、ハナからわかるわけがない/解決の糸口をつかめばいい上司力改革11論理的に考え、決断する→土壇場で感覚に頼るマネジメントはスポーツである/信頼できる部下は「抜き打ちテスト」で見抜け上司力改革12責任を全うする→演技力を磨くビジネスの有事には「役者」が必要/「申し訳ありません」だけが謝罪じゃない上司力改革13冷静沈着であれ→ハートに火をつけろハッタリも貫き通せば真実になる/部下の心に火をつける上司力改革14リスクを回避する

→大勝負で「賭け金」を上げるいかに大勝ちさせるかが、腕の見せどころ/五分五分の勝負では、自分の胸に手をあてろ

第4章リーダーは管理してはいけない上司力改革15管理する→ポーズをとるリーダー業務は「ガス抜き」である/こまめに「換気」せよ上司力改革16細かく指示を出す→放任してしまう「信じて任せる」はコスパ最強/リモート時代のマネジメントは「性善説」で行け上司力改革17議書を入念にチェックする→部下に決裁印を預ける部下に捺印させたってかまわない/すべての書類に目を通してはいけない/「ババを引かない運」も実力のうち上司力改革18経費を節約する→正々堂々と経費を使う「会社の金を使う」発想を捨てろ/使った経費よりどれだけ稼げるかが勝負上司力改革19完璧にこなす→隙を見せるダメ上司ほど助け甲斐がある/部下に「刺せるネタ」を渡せ上司力改革20いい上司を目指す→上司像は部下に聞く「理想の上司」は絶対目指すな/マネジメントの答えは現場にある

第5章リーダーは好かれるだけが能じゃない上司力改革21友好関係を保つ→激論を戦わせるイケてない会社ほど、社内で戦わない/チームを野武士集団にする方法上司力改革22他部署の役職者に文句を言う→事前に保険をかける共通のレポートラインの一階層上を味方につけろ/社内のケンカは詰め将棋上司力改革23取引先と懇意にする→ケンカ上手になるリーダーの真価は「かまし」にひるまない力/交渉事はヤクザ映画に学べ上司力改革24人脈を広げる→要の人脈だけ押さえる人脈は広げなくていい/上司は「ホットライン」を持て上司力改革25相手の落ち度を指摘する→「お願い」で落とすクレームをつける上司は二流以下/一流はお願い上手あとがき

 

育成が無理なら「選別」すればいい

現代のリーダーは、さまざまな仕事を抱えて本当に忙しい。

なかでも悩ましいのが「部下が育たない」ことだ。

上からは「部下を育てろ」と言われるが、なかなかうまくいかないことも多い。

このような状況に対して、「自分の教え方に問題があるのだろうか?リーダーに向いていないのかもしれない」と自分を責める人がいるかもしれない。

しかし今や、「若い部下が育たない」のは職場環境の変化によるところが大きい、という見方が一般的である。

その背景にあるのが、「長期雇用」「年功序列」「緊密な職場関係」の3つが崩れたことだ。

長期雇用であれば、人はすぐに結果が出なくとも長い目で見てもらうことができるし、多少の失敗なら許される。

年功序列なら上司の背中を見て、上司と同じような生き方をすれは自然と出世できる。

人間関係が緊密な職場なら、上司と先輩が部下と長い時間を一緒に過ごすことになる。

これだけの環境が整っていれば、わざわざ時間と労力をかけて育てなくても、人は自然と育っていくものだ。

今やほぼ何の役にも立たない人事部主催の研修がかつては機能しているように見えたのも、それが役に立っていたわけではなく、人が勝手に育っていたからだ。

もちろんその人たちが全員、どんな会社でもずば抜けた結果を出せる超優秀な人材に育つかというとそうではないが、少なくともその企業が必要とする人材は育っていた。

ところが、今では「長期雇用」「年功序列」「緊密な職場関係」の3点セットは絵にかいた餅になってしまった。

企業に人を長期間雇用する余裕がなくなれば、人を育てる余裕がなくなるのも当然のことだ。

ましてや人材が多様化し、かつての日本企業にあった「正社員の育て方」「男性社員、女性社員の育て方」などといった杓子定規のマニュアル的な手法が通用するはずもない。

このような状況下では、いくら上から「人を育てろ」と言われたところで、「部下が育つ」ことはあり得ない。

そしてそもそも、「部下を育てる」ことと、「組織の目標を達成する」ことは短期的にはトレードオフの関係にあり、両立しにくい。

「部下を育てる」のには時間も手間もかかる。

にもかかわらず、リーダーが上の指示に従って「部下を育てる」ことに多くの時間を割く。

その結果として、部下は多少育ったかもしれないけれど、組織目標は達成できなかったとしたら、会社が「君は目標は未達だったが、部下を育てたのでよしとしよう」と言うかといえば、それはもちろんNoである。

こうした状況におけるリーダーとしての正しい選択は、「自分の限りある時間をある程度割いてでも指導する価値がある人間か否かを選別して、その価値のある人間だけを育てる」ことだと私は考える。

日本語で「学習」を示す単語、「エデュケーション(Education)」と「ラーニング(Learning)」の違いは、「エデュケーション」は教える方が主語になるのに対し、「ラーニング」は教わる方の生徒が主体になる。

ビジネスにおいて、「導管モデル」(学習とは「有能な人」から「有能でない人」に対する情報の「伝達」によって引き起こされる)という言い方があるように「エデュケーション」も全否定はしないが、リーダーが限りある時間を使って「育てる」とすれば、指示待ち型の人間ではなく、主体的に学ぼうという姿勢を持った人間だけを選別して育てる方が、はるかに効率的だ。

ソフトバンクホークス監督の工藤公康さんが「教えることなんてできない。

本人にその気がなければ何を言っても同じです」と言っていたが、これはビジネスパーソンも同様だ。

自ら学ぶ意欲のない部下を育てようというのははっきり言って時間の無駄。

リーダーに求められているのは部下を育てること以上に、チームで成果を出すことだ。

そのための「手段の1つ」として「部下を育てる」という方法があり、どうしても育てなければならないとしたら、主体的に学ぶ意欲のある部下だけを選別して、集中的に指導する方がいい。

部下全員が育つわけがない「育てる価値がある部下を選別する」と言うと、「日本では簡単に社員をクビにすることはできない」と反論する人がいる。

あるいは、「与えられた戦力を駆使してチームで成果を上げてこそ本物のリーダーである」という言い方をする人もいる。

たしかに、人材をクビにするにはある程度の制約がある。

しかし一方で、「部署を異動させる」「転勤させる」などということは日本企業でも当たり前に行われている。

育つ見込みが薄い人材を組織から退場させることは難しいとしても、組織内で人材を取り替えることは可能なのである。

それでは、「与えられた戦力を駆使してチームで成果を上げる」ことについてはどうだろうか。

企業が全社員を「自分で考えて動く人間」だけで揃えられるかというと、それは不可能だ。

当然、社員の中にも1から10まで指示が必要な人種もいて、指示待ち社員を「自分で考えて動ける」ようにするまで指導する労力を考えたら、そんなことに貴重な時間を使うよりも選別して、できればさっさと出ていってもらって、リーダーがいちいち指示を出さなくとも自分で考えて動くことのできる人間を採用しなおした方がはるかにいいのではないだろうか。

「指示待ち部下」を「自分で考えて動く部下」にするというのは、それくらい難しい。

そこに時間を割くくらいなら、指示待ち型人間でもやっていける部署に異動してもらう。

あるいは、その人が自らの手で他社という新天地を探した方が本人のためにもなるし、ひいてはチームのためにもなる。

動画配信大手のNetflixがかつて社員数120人だった頃、ネットバブルがはじけ、同社もそこまで優秀ではない40人の社員にクビを言い渡したことがある。

実に社員の1/3もの大リストラだ。

これは創業者のリード・ヘイスティングスにとっても辛い経験だった。

しかし数か月後、ヘイスティングスは残りの80人の社員が熱に浮かされたように仕事に熱中しており、自分自身も会社へ行くのが楽しくて仕方がなくなっていることに気づいた。

たしかに社員が大勢辞めて「能力の総和」は減った。

しかしその一方で、やる気に満ち溢れた人材ばかりで構成された組織に生まれ変わったことで、「能力の密度」が高まった。

こうして、優秀な社員にとって会社はワクワクするし、刺激を受けるし、最高に楽しい環境に変わったのだという。

それ以来、「チームにたとえ1人でもやる気がない人間がいると、全員のパフォーマンスが落ちてしまう」というのが、ヘイスティングスの信条になった。

人にはそれぞれにふさわしい場所がある。

向かない人を手塩にかけて育てるよりは、芽の出そうな部下を選別して育てる方がいい。

無能を並にするには、一流

を超一流にするよりはるかに多くのエネルギーを要するが、それによって得られる果実は少ないのだ。

そもそも「部下を育てる」というのは、生まれたばかりの赤ん坊を育てるとか、植物を育てるのとはわけが違う。

「育てる」と言うと、じっくり相手と向き合うイメージがあるが、指示待ち型の部下ならともかく、自分で考え動くことのできる部下であれば、教えるというよりも「育つ環境」を用意して「その人物の潜在能力を引き出す」ことが大事になる。

チームで目標達成するために、「部下」が成果を上げるうえでのボトルネックになっているなら、部下を育てることが必要だ。

しかし、育てることが無理な部下がいるなら、選別して芽の出そうな人材と取り替えればいい。

そのうえで見込みのある部下には「環境」を用意する。

そうすれば自分で考え動くことのできる部下は自分で育つことになるのである。

POINT素質のない部下の指導に無駄な時間を費やさず、芽の出そうな部下を選別して育てる。

「良い話」は後から必ず耳に入る「良いニュースと悪いニュースのどちらを先に聞きたいですか?」と聞いてくる人がいる。

当然、悪いニュースを聞きたい人はほとんど存在しないので、良いニュースの方ばかりを知りたがるわけだが、これをビジネスの現場でリーダーがやってしまうと厄介なことになる。

リーダーの多くは良いニュースが大好きだ。

商談をまとめたとか、新しい取引先を開拓したというニュースはとにかく早く知りたがる。

上司としてももちろんうれしいし、それを自分のチームの成果として上の人間に報告できることが何よりうれしいからだ。

反対に悪いニュースは大嫌いだ。

現場で問題が起きた、商談がまとまらなかった、あるいはお客さまのクレームがあったなどという悪いニュースはできることなら聞きたくない。

中には、自分が聞かなかったことにして、部下に「自分の力で何とかしろ」と指示して問題から逃げようとする人もいる。

世にこうした上司が多い中、リクルート時代に私の上司だった田中耕介さんの口癖はかなり変わっていた。

会社に週に2、3回、それも短い時間しか来ずに、毎日ゴルフばかりしている(田中さんのゴルフの腕前はプロ並みだった。

その後会社員を辞めて、本当にプロゴルファーに転向してしまった)田中さんに私たち部下が「あの会社から受注できました」といううれしい報告をすると、田中さんから返ってくるのは決まって次のような言葉だった。

「お前はサラリーマンだから、良いニュースを伝えて上司の俺から点数を稼ぎたいだけだろう。

それはわかっているから、何かバッドニュースはないんか?」良いニュースというのはわざわざ部下から聞き出さなくても後から自然と耳に入ってくる。

それに対して悪いニュース、特に仕事におけるミスやクレーム、お客さまとのトラブルなどはこちらから聞かない限り聞こえてこないものだ。

だからこそ田中さんは、部下にこのように問いかけることで部下から「バッドニュース」を引き出そうとしていたのだろう。

田中さんは続けて「お前ら、バッドニュースを隠していないよな?怒らんから、もしあるんだったら今すぐ言ってみ」と追い打ちをかけることで、部下が隠し持っているバッドニュースを知ろうとしたものだ。

「ヤバい話」を引き出す力リーダーがこれほどの努力をしない限り、バッドニュースというのは耳に入りにくい。

だから私自身も上司になって以来、部下を叱ることはあまりないし、叱ること自体があまりいいことだとは思っていない。

なぜなら叱れば叱るほど「バッドニュース」が上がってこなくなるからだ。

つまり、部下にとって都合の悪いことが上司である私の耳に入ってこなくなるため、重大な問題が起きているにもかかわらずその対応が遅れてしまううえ、正しい判断ができなくなってしまう。

その結果損をするのはリーダー自身である。

リーダーに必要なのは悪い話を早く知ることである。

火事と一緒で、初期段階で、素早く対応しないと、燃え広がった後からでは手がつけられない状態になってしまう。

だからこそ、すべてのリーダーは、部下の手柄をほめる暇があるなら、先ほど紹介した田中さんのように部下が悪い話を「すぐに」持ってこられるような環境づくりに日々、つとめるべきだ。

バッドニュースは、リーダーの姿勢次第で「迅速かつ正確に報告される」か「ねじ曲がったかたちで遅く報告される」か、それとも、隠しきれなくなるまで「まったく報告されない」かに分かれることになる。

できるリーダーほど部下にまずい話を報告させることに長けている。

もし、あなたの耳に、いい話しか部下から聞こえてこないとしたら、「リーダーとしての自分はヤバいかも」と思った方がいい。

POINT聞かずとも耳に入る「良い話」ではなく、放っておくと部下が隠しがちな「悪い話」だけを報告させる。

「部下からの報告」は免罪符になるマネージャーの役割が「人に仕事をさせること」である以上、マネージャーは前線ではなくベンチに座っているくらいがちょうどいい。

ところが、そうなるとやたらと部下の仕事ぶりが気になって社内にいる部下に頻繁に声がけをしたり、外に出かけている部下にもやたらと連絡をしたがる上司がいる。

部下に指示を出して、仕事を「任せた」はずがその進捗状況が気になって仕方がないというところだろうか。

実際、リーダーの中には「部下の背中を見れば、何を考えているのかわかる」と豪語する人もいるほどだから、こうしたリーダーにとっては部下の姿が「視界に入っている」ことは重要だろう。

部下の一挙手一投足に監視の目を光らせることがマネジメントしていることになるし、「自分がマネージャーとしてちゃんと仕事をしている」という安心感にもつながる。

このようなリーダーにとってマネジメントとは、部下の姿を見て、声を聞いて、仕事の進み具合を細かくチェックすることなのだから、昨今のコロナ禍で多くの社員がテレワークに移行すると途端に不安になってしまう。

テレワークでは部下の姿はせいぜいWeb会議での画面を通してでしか見ることはできない。

新卒者を対象にしたWeb面接などでは、ベテランの人事担当者でさえ「対面と違って画面を通してだと雰囲気がつかみにくくて」などと嘆くように、「画面だけ、それも一部だけ」の映像を通してのコミュニケーションには限界がある。

もちろん上司と部下のあいだには、学生相手と違ってそれ以前の人間関係があり、お互いをそれなりに理解しているわけだが、それでも上司が部下の席に行って、「〇〇さん、どう?進んでる?」「□□さん、何か困ったことはない?」と気軽に声をかけることはできないし、雰囲気から何かを察するのも対面時と比べると難しい。

そのため上司の中には部下がちゃんと仕事をしているのか、何かトラブルは起きていないのかといったことを確認しようと、チャットを使って頻繁に指示を出したり、定時での報告を何度も求めたりする人もいる。

経験の浅い新入社員ならこうしたやり方もあるかもしれないが、経験を積んだ社員にまで「〇〇さん、その後順調に進んでる?」といった頻繁な声がけは、邪魔なだけだ。

にもかかわらず、こうした行動に出てしまうのは、部下の姿が見えないことの不安に加え、上司自身が「仕事をしている」という実感が欲しいから、あるいは人が育ち、成果が出るのを「待つ」という辛抱が足りないからに過ぎない。

上司本人はそれでいいかもしれないが、細かく管理監督される部下はたまったものではないし、チームメンバーのモチベーションは下がる一方だ。

では、どうすればいいのだろうか?たとえば今、航空各社はコロナ禍で国内外ともに利用者が大幅に減少し、経営的にも厳しい状況にあるが、そんな航空会社から「今後どんなキャンペーンをしたらいいか提案してほしい」という依頼があったとする。

部下の1人にその仕事を依頼する場合、最初にある程度、方向性をサジェスト(提案)して「やってみてよ」と任せた後は、部下の席に行って頻繁に「どう、進んでる?」と声をかけたところでうるさがられるだけのことだ。

もちろん上司が部下をどれだけ信頼しているかにもよるが、私なら2週間後が締切の場合、半分の1週間が過ぎたくらいのタイミングで、「どう?進んでる?」「途中でいいから1回見せてくれる?」くらいは言うかもしれないが、それまでは基本的には「放し飼い」にする。

反対にもし部下の方から「ちょっとここで迷っています」といった報告あるいは相談があれば、それには応えようとする。

報連相(報告、連絡、相談)というのはたいていのビジネスパーソンは新入社員の頃に研修で習うものだ。

報連相を上司に言われてやるか、部下から率先して行うかには大きな違いがある。

ほとんどの上司にとって自分が指示した仕事がどうなっているか、問題は起きていないか、失敗していないかというのはとても気になることだ。

それだけに上司にとって要所要所で報告してくれる部下というのは、進捗状況も確認できるし、何か問題があれば、「それはこうした方がいいのでは」と相談に乗り、アドバイスできるので安心して任せられる存在になる。

部下にとっても、要所要所で上司に報告しておけば、後になって「これはこうじゃないんだよ」といったやり直しを避けることもできるし、「あいつはきちんと報告してくるし、安心して任せられる」という信頼も得ることができる。

いわば、部下にしてみれば上司への報告は、「私はいちいち聞きに来なくても要所ではきちんと報告しますから、過干渉にならずに放っておいてくださいね」という「サポート免罪符」にもなる。

当然、やる気も出る(なお余談だが、将来、昇進をさせたくなる部下というのは、付かず離れず、細か過ぎず、雑過ぎず、上司へ報告する内容とタイミングの加減がうまい部下である)。

部下に仕事を任せたものの、その進捗状況などが気になって仕方がないからと、部下の行動のひとつひとつに目を光らせ、管理しようとするのは二流のリーダーだ。

その代わりに上司は管理するのではなく、部下に報告や連絡、相談をさせればいい。

それも「この時間とこの時間に報告しろ」という強制的なものではなく、たとえばAかBかで迷うといったY字路に差し掛かった時や、問題が起きた時だけでいい。

上司に必要なのは「良いニュース」ではなく、「悪いニュース」の報告であり、「今、ちょっと迷ってますが、この懸念点は気にしなくてもいいでしょうか?」といった相談だ。

これさえ徹底できれば、上司は部下を信じて任せることができるようになる。

俳優になって、心をつかめ

上司はとかく「どうしたら部下を動かせるか」と考えがちだが、本来マネジメントで考えるべきことは「どうしたら部下が自分で考え自分で動き出すのか」だ。

自分の思い通りに動かそうとするから細かく指示を出そうとするし、細かく管理することにもなるのだが、そんなことをしなくてもリーダーがチームのモチベーションを上げ、部下を信じて任せれば、部下は細かく指示をされなくても自然と動くようになる。

あるレベルを超えれば、マネジメントとは「人間をどう扱うか」の仕事になるのだが、そのためにはリーダーは時に後述するDJやチアリーダーになり、時に部下に好かれたり弱みを見せたりといろんな引き出しを持って、それを臨機応変に「見せる顔」を俳優のように使い分けていくことが必要になる。

それさえできればチームのメンバーの心をつかむのは簡単だ。

中にはこうしたやり方を「嫌だな」と感じる人もいるかもしれない。

私自身も、好きか嫌いかと問われれば好きとは言い切れないが、やった方が絶対に効果的だし、実際に有効なのだから、使わなければ損ではないか、というのが私の考えだ。

POINT部下に見せる顔をたくさん持ち、それを俳優のように使い分けろ。

好かれた方が効率的──リーダーは8割支持が鉄則菅総理を筆頭に、最近の政界のリーダーは、かなり「支持率」を気にしているようだ。

各マスコミの世論調査を見ながら、支持率が高い時にはそれをバックに政治力を誇示するが、支持率が下がった途端に「見直すつもりはない」と強気で言い張っていた政策でさえあっという間に引っ込めてしまう。

私自身は政界と無縁の世界で生きているので、一概に「支持率なんて気にするな」と言うつもりはない。

しかし、どんな政策も「支持率次第」というのも困りものだ。

そもそも内閣総理大臣というのは、どんなに良くても世の中の40%くらいの人からは「あの人は何なんだ」と何かにつけて文句を言われる存在だ。

私のような「あの人、よくやってるな」と言う人が10〜20%いて、残る40%くらいが「まあ、これといって大きな不満はないし、今のままでいいか」と消極的な支持をしている。

結果、どんなに頑張ったとしても消極的な支持を含めてせいぜい50~60%の人が何となく支持をしてくれればそれで上出来というのが内閣総理大臣という職業だ。

国民の大半から支持されるなどということは、性質上あり得ないのである。

では、会社組織における上司の支持率はどうかというと、支持率が50%を切るようなら全然ダメで、80~90%でやっと合格、というのが私の持論だ。

このように言うと、「日本中に小泉旋風を巻き起こした小泉内閣だって、支持率は80%まで行かなかったんだから、そんなの不可能だ」と反論する人がいるかもしれない。

しかし、そのように言う人はビジネスの世界では政治の世界とは違って構成員の分母をいじることができるのを忘れている。

第46代アメリカ合衆国大統領に就任したジョー・バイデンは、民主党の指名受諾演説で「私は民主党の候補者ですが、アメリカ全国民のための大統領になることを約束します。

大統領はすべてのアメリカ国民のためにあります。

政党や党派、そして支持層のための存在ではありません」と強調した。

このことからもわかるように、トランプに投票した人たちに対して「トランプに投票した奴はこの国から出ていけ」と言うことはできない。

アメリカ国民という分母を大統領個人の手でいじることができないのだから、当たり前である。

トランプに投票した人も含めて、「私はみんなの大統領だ」と言うのが政治家にとって大事な建前であるのに対し、ビジネスの世界の場合は「リーダーとしての俺のやり方が気に食わないなら、そんな奴は、どうぞ出ていってくれ」と伝えることができる。

トランプは大統領時代に自分に批判的な政治家たちに対して、「嫌なら出ていけ」ということを平気で口にして散々非難されたが、ビジネスと違ってどんなに仕事ができない人でも、何にでも反対する人でも決して追い出すことができず、そうした人たちも含めて何とかするのが政治だから、ある程度の支持率を維持しようと思ったら、どうしても国民が支持してくれそうな、納得しそうな政策を打ち出さざるを得ないのである。

これとは逆に、ビジネスリーダーの場合は自分の支持率を上げるために支持しない人間から好かれようとするのはバカげている。

もちろん嫌われるよりは好かれている方がいいし、人望がないよりはあった方がいいには違いない。

LINEが上場する前、当時私が統括していた営業部門は前年比100%増くらいで急速に売り上げを伸ばしていたが、社長や役員からは「まだまだ全然足りない。

もっとやれ」とものすごいプレッシャーをかけられていた時期もあった。

しかし私は、組織から課せられた厳しい売り上げ目標を、そのまま部下に伝えることは決してしなかった。

ビジネスにはスマホゲームのようにある時期には前年比10倍といった驚異的な伸びを見せるものの、翌年には一気に半分になるという文字通り浮き沈みの激しいものもあれば、広告営業のように一気に何倍にはならないものの、毎年、40%、50%と売り上げを伸ばして、それを5年、10年と続けられる方がいいという性格のビジネスもある。

当時任されていたビジネスは、後者だと私自身は考えていた。

そのため、部下に対しては「みんな頑張っているし、正しい方向に向かっているんだから、無理せずこのままでいいよ」と、言わば「独り防波堤」の役割を果たそうと心がけていた。

手前味噌のようではあるが、当時の部下からの支持率はおそらく、8割以上だったのではないだろうか。

部下の支持率は高かったものの、会社の方針に反することをしていたので、クビや左遷のリスクはあった。

こんな時、人望のない上司だったら、部下は「あんな奴、さっさとクビになればいい」「あいつがいなくなったらせいせいするわ」となるところだが、幸い私は本当にメンバーに恵まれていた。

「このままじゃ、田端さんクビになっちゃうよ。

田端さんをクビにさせないためにももっともっと頑張らなきゃ」と、部下たちが空気を読み奮起してくれたお陰でクビにならずに済んだのかもしれない。

先ほども話したようにリーダーは「部下に好かれよう」とする必要はない。

しかし、好かれた方が仕事ははるかに効率的だし、人望があれば、どんなに厳しい状況になってもチームのモチベーションが下がることはない。

リーダーの役目は目標を達成することであり、リーダーは部下に「好かれる」ために存在しているわけではない。

しかし、だからといって、支持率が8割も行かないようなリーダーにいい仕事ができるはずもない。

「支持しない奴は、別の奴とトレードすればいい」という覚悟を持つべきなのだ。

支持表明は好意だけじゃないリーダーの支持率は最低でも8割から9割は欲しいところだが、「支持する=部下に好かれる」ということではないことを理解するのも大切だ。

大切なのは「好かれる」ことではなく、「支持される」ことだ。

部下の「支持する」にはいろんなパターンがある。

きめ細かに指導してくれる親切な上司を支持する部下もいれば、野心家でアグレッシブな部下にとっては「君の好きなようにやりなさい」と任せてくれる上司の方がありがたい。

たとえば、明治期の日本を舞台にした司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公の1人である秋山真之は、海軍兵学校を首席で卒業して、アメリカ留学の経験もある天才的な参謀だ。

年上の上官に対しても作戦について教えるほど鼻っ柱の強い人間だったが、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃つ作戦を立案した時には不安ばかりが脳裏をよぎる。

そんな秋山の作戦を信じて泰然自若ぶりを発揮したのが東郷平八郎である。

東郷は、一旦納得したらすべてを部下に任せ、自らは何かあった時には矢面に立って責任をとるという薩摩型リーダーと言えるが、このように信じて任せてくれる上司がいたからこそ秋山も持てる能力をフルに発揮できたと見ることができる。

この『坂の上の雲』の話を今風に言えば、優秀で、頭が切れて、最新の情報にも精通している、20代後半から30代半ばくらいの部下に任せて、上司は何もしない。

「とにかくお前に任せるから、お前の思う通りにやれ。

最終的な責任は俺がとるから、ビビらず、お前が正しいと思うことをとにかくやってくれ」と言って任せてくれる上司がいたら、優秀でやる気のある部下ほどありがたいと感じて、「わかりました、任せてください」となる。

いわゆる「意気に感じる」という状態だ。

こうしたアグレッシブなタイプの部下にとっては、細かいことまで口を出す上司よりは、自分よりは能力は劣るかもしれないけれど信頼して任せてくれる、そんな上司の方がはるかにありがたいし、支持できる。

結局のところ、上司と部下の関係は相互作用なので、「こうすれば部下に好かれる」なんていうマニュアルはなくて、部下の性格や能力、仕事のやり方や目指す目標次第でどんな上司を支持して、どんな上司を支持しないかが決まってくることになる。

それを忘れて、「すべての部下に好かれよう」なんて考えるのは、所詮は仕事を進めるための手段に過ぎない「好かれること」が目的化してしまっているし、一番大事な「好かれる」よりも「支持される」ことが大切だという視点が抜け落ちている。

リーダーは少なくとも8割以上の部下から支持されるのが当たり前だ。

そしてそのためには「どうすれば部下の能力を引き出せるか、どうすれば部下は能力を発揮しやすいのか」「誰を部下にするか、誰は部下にしてはいけないか」をいつも最優先にして考えていればいい。

POINT意に沿わぬ部下を取り替えられる組織のリーダーは、支持率8~9割を目指せ。

人を見て法を説け「人を見て法を説け」という言い方がある。

どんな相手にもフェアに目を向け、相手のキャラクターや能力を把握したうえで、それにふさわしいアドバイスをする、ということだ。

プロ野球の名監督だった野村克也さんは、「野村再生工場」と呼ばれた。

かつては活躍していたが今は力が衰えている選手を再生したり、二軍でくすぶったまま力が発揮できずにいる選手を発掘して、表舞台に引き上げる才能に長けていたからだ。

こうした選手を「その気」にさせるために野村さんが心がけていたのが、冒頭の「人を見て法を説け」である。

たとえば、かつて阪神の大エースだった江夏豊さんと、一軍での実績のなかった江本孟紀さんでは、実績も性格も違っている。

まったく異なるタイプの2人に同じ言葉を投げかけても、等しく心に響くはずはない。

そんな時、野村さんは「相手をよく見る」ことから始め、この選手はプライドをくすぐると燃えるのか、厳しい言葉で奮起するのか、はたまた励ますことでやる気を出すのかなどをじっくり見極めたうえでその人にふさわしい言葉をかけることで、潜在能力を発揮させることに成功した。

少し長くなるが、野村さんが、阪神を代表するエースピッチャーであった江夏さんを口説いて南海ホークス(現ソフトバンク)に移籍させるまでのエピソードを紹介したい。

次の文章は、江夏さんの手記からの抜粋である。

自分の青春時代は阪神とともにあった。

自分はあくまで縦じまのユニホームの28番であって、それを脱ぐときは野球を辞めるときなんだと思っていた。

気持ちにぽっかりと穴が開いていたところに、知り合いのスポーツ紙の記者から連絡があった。

「野村さんが一回食事をしようと言ってますが」ノムさんこと、南海の野村克也監督は同じ関西にいて、知らぬ仲ではない。

大阪・梅田のホテルプラザで、2時間ほど会食した。

「是非、南海に来てくれ」という言葉が聞けると思っていたのに、一切出ない。

ノムさんは出てきた料理に箸もつけず、ひたすら野球の話をした。

変なおっさんだなあ、と思いながら耳を傾けていると、前年のシーズン終盤の試合で2死満塁のピンチを迎えた時の話になった。

ここで自分はわざとフルカウントから、内角高めにボール球を放った。

見逃されたら押し出しだが、相手打者の心理を考えたら、ボール球でも絶対に振ってくる。

そう確信しての配球だった。

空振り三振。

ノムさんはたまたまテレビでこの試合を見ていたらしい。

「おまえ、あの場面、意識してボール球を放ったやろ」。

このおっさん、えらいところから切り込んできたな、と思ったときにはもう、引かれ始めていたのかもしれない。

ノムさんは配球の意図をお見通しだった。

そこまで見てくれている人がいたことが、うれしかった。

日本経済新聞〜江夏豊「私の履歴書」〜2017年12月22日「士は己を知る者の為に死す」という言葉がある。

それくらい、部下にとっては、上司が、自分のことを正しく理解してくれることは喜びなのだ。

野村監督と江夏投手の関係は、でき過ぎた話のように思えるかもしれない。

とはいえ、ビジネスの現場における部下も、プロ野球選手と同じく能力や個性がバラバラだ。

どんな相手であれ必ずこうしたら、絶対にうまくいくなどという方法は存在しない。

だからこそ、上司も部下もお互いに、相手がどういうタイプの人間なのか、できるだけ理解しよう、知ろうとつとめるべきである。

上司のタイプもさまざまで、本当に細かいところまで指示・把握しようとつとめる上司もいれば、前述した私の元上司・田中さんのように部下を信じて任せるが、最後の責任だけはとるという放任型の上司もいる。

細かく指示・指導するマイクロマネジメント型の上司は部下の仕事が気になってしようがないのか、たとえば部下である私が仕事をしているところにやってきて、こちらが求めてもいないのに「田端ちゃん、調子どう、何か困ったことはない?」などと聞いてくる。

もちろんそれをありがたいと感じる部下もいるだろうが、私などは「うるさいな、ちゃんとやることやってるんだから、放っておいてくださいよ」と反発していたものだ。

私自身、このような育ち方をしたせいか、上司となってから「自分ならこうしてほしい」というやり方をそのまま持ち込んで失敗をしたことがある。

これは『VOGUE』や『GQ』『WIRED』といった有名な雑誌タイトルを持つコンデナストという出版社に勤務していた時のことだが、「自分ならこうしてほしい」という感覚で部下をマネジメントしていたところ、『VOGUE』の編集部で働いている部下の女性たちから「No」を突き付けられた。

彼女たちの声は「上司の田端さんは個人でやっているTwitterや社外の講演ばかりに熱心で、自分たちに興味がないのか、放置されている」というものだった。

『VOGUE』で働いているのは9割が女性。

私としては、プレイヤー時代、上司に対して「求められればいくらでもサポートをするし、不都合が起これば責任はとるが、部下から求められてもおらず、聞かれもしないことにわざわざ口を出すのもどうだろう」と思っていたために、自分が上司になった際、部下に対して手厚い声がけや頻繁なコミュニケーションを遠慮していた。

しかしそれが部下からすれば「関心がない、期待されていない、放置されている」と受け取られてしまったのだ。

そんな私に対してエグゼクティブコーチが言ったのが「上司に放っておいてもらいたいというのは田端さん個人の気持ち、願望なだけで、それは誰に対してもあてはまる普遍的に正しいマネジメントスタイルではありません」という言葉だ。

上司に放っておいてもらいたい部下もいるにはいるが、一方で、手厚い声がけを「自分への関心、期待」として受け取る部下もいる。

たしかに部下の能力や性格は十人十色であるだけに、部下によってマネジメントのやり方を変えることは必要なことだ。

放っておいても自分からどんどんやれる部下のところに頻繁に顔を出して、「ちゃんとやっている?」「さぼってない?」などと余計な口出しをするのは愚かなことだが、そこまで能力が高くない部下や、ちゃんと見てるよ!というシグナルでモチベーションが上がるタイプの部下なら時に手取り足取り教えることも必要になる。

その意味では部下への手厚い声がけや、「1on1」的な細やかなコミュニケーションも手法としては大いにあってよいが、ここで気をつけるべきは特定の部

下に対してだけ熱心にサポートするとか、一部の部下にだけ熱心に声がけをするといった公平性を欠いた行為にならないようにするということだ。

もしこうしたバランスや公平さを欠いた時には上司にとって最も大切な「フェアネス」という資産を傷つけるだけに注意が必要だ。

冷たい上司と公平な上司のあいだ私が野球の野村さんについてすごいなと思ったのは、野村さんは監督時代、選手の仲人を絶対に引き受けなかったし、コーチや選手と個人的に食事に行くこともなければ、飲みに連れていくこともしなかったというリーダーとしての自分の律し方だ。

野村さんが選手時代の監督は「親分」とも呼ばれた鶴岡一人さん。

「親分」というだけに、監督と選手が親分・子分の関係をつくり、子分だけで結束する派閥をつくる傾向があったが、それでは派閥に入れなかった選手は疎外感を持つし、そこからチームの結束が乱れるもとになる。

そんな派閥人事の失敗を見てきただけに野村さんは監督になってからはコーチや選手との個人的な付き合いは控え、派閥をつくらないように気をつけた。

チームの結束を強めるという意味合いに加えて、「野村派の人間」というレッテルが一度貼られてしまうと、その選手やコーチの今後の進路を狭めることになる、という配慮によるものだ。

これは私としても同感で、ビジネスリーダーも部下との付き合い方を考え、派閥をつくらないのはもちろんのこと、できる限り部下に対して公平でなければならないというのが持論だ。

私自身、部下への声がけを否定はしないが、たとえば女性社員に対して「髪を切ったね」といった容姿に関わることは絶対に言わないと決めている。

もちろんセクハラへの配慮もあるが、じゃあ、部下が髪を切ったり、髪形を変えたりした時、全員の変化に気づけるかというと、それは難しいからだ。

すべての人に同じ対応ができないということは、フェアではない。

同様に、ランチなどについても、アポイントの道中で立ち寄るなどは別として、部下を誘って、個別に1対1でランチや飲みには行かないと決めている。

特定の部下だけをひいきにしている、とメンバーにとられると、全体のパフォーマンスの低下を招く。

例外は、優秀な部下が「辞めます」と言ってきた時に、慰留をする場合だけだ。

夫婦や恋人同士なら「気づかない=関心がない」としてケンカの原因になるかもしれないが、上司と部下の関係ならフェアネスに反することをするとチームの運営に大きな支障が出てしまうのだ。

「そこまでしなくてもいいのでは」と言う人がいるかもしれないが、上司にとって大切な資本であり、大事な資産である「部下に対するフェアネス、公平さ」を担保するためには日ごろの何気ない言動から気をつけて、周囲から疑いを持たれる行為は一切しないという心がけがリーダーには求められている。

ちょっとした声がけや、一緒にランチに行くといったことにまで神経を使う上司は部下からすれば、一見「冷たい上司」に映る。

そんな冷たい上司より日ごろから冗談を言って、ランチなども部下とわいわい楽しむ「優しい上司」の方が「好きだ」という部下もいるかもしれないが、果たして「怖くて冷たいけど公平な上司」と、「優しいけど不公平な上司」のどちらが組織にとって好ましいのだろうか?答えは改めて言うまでもない。

人間だからどうしても好き嫌いはある。

しかしそれでもつとめて「フェアに接する」ことを貫いてこそ、部下は「好き嫌い」抜きにして上司を信頼するものなのだ。

POINTリーダーはどんな部下に対しても、最大の資産とも言うべき「フェアネス」を貫け。

 

 

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