はじめに
一生懸命考えているつもりで、実際は立ち止まっている、という人が意外に多い。前に進まない。あるいは、空回りする。
気になることがあると、頭がうまく働かず、考えがなかなか深くならない。考えようとしても、目の前の別の課題が目に浮かぶ。
集中して考えることができない。行ったり来たりで結論を出せず、時間をかけても深掘りできず、堂々巡りすることになる。
深く考えるという以前に、少しでも前向きに考えられればまだましだ。迷う時は、ああでもない、こうでもない、と課題の入口で思い悩み、深く考えるどころか一歩も前に進まない。
ずいぶん考えた、考え疲れたと思っても、少しも前進できていない。そもそも、大半の人は、どうすれば「深く考える」ことができるのかがよくわかっていない。
「もっとよく考えてください」「この考えは浅いね」などと言われ、深く考えることを要求されていることはわかる。
深く考えられると、なんだか素晴らしいことができそうな気もするが、みなその具体的な方法論を知らない。こうかな、と思ってもあまり自信がない。
思い起こしてみれば、日本では小学校の時から、考える訓練、効果的に考えをまとめる訓練がほとんどなされていない。
自分の考えをどのように深めていくのか、という教育は若干の作文の時間以外ほとんどなされない。
授業中の発言も、教師からの質問に答えることが大半だ。米国のように意見を戦わせることもほとんどない。
ましてや、考えるプロセスや悩みへの対処法などは到底カバーされていない。私は、普通に会話をしたり、本を読んだり、インターネットを利用できるような人は、本来的にみな頭がよいと考えている。
ストレスやプレッシャーに弱い人はいるが、誰でも自分の意見を持っており、安心できる環境であれば発言できる。適切な判断力も持っている。
確かに考えの浅い、深いはあるが、これもやり取りする中で改善していく。年齢、学歴、性別、経験などによる差はほとんどない。
ところが、驚くほど多くの人が自分に自信をもてず、せっかくの能力が宝の持ち腐れとなっている。これはあまりにももったいない。
心の整理をし、考えをまとめ、深める方法があったら、誰でも別人のように成長できる。仕事ができるようになる。
コミュニケーションの悩みも減り、不必要な苦しみから少なからず解放されて生きていくことができる。
私はコンサルティング・ファームのマッキンゼーで14年間、経営改革に携わり、2000年からはベンチャーの共同創業、経営支援に取り組んできた。
経営改革というのは、企業が直面する経営課題に対して真っ向から切り込み、収益改善、組織改革、新事業立ち上げ、人材育成等を進めることだ。社長、事業部長、部長、課長などのリーダー層と協力して意識・行動改革を進めていく。
社員の戦闘力が会社の将来を大きく左右するから、一人ひとりの人材がより深く物事を考え、解決策を立案し、徹底して実行するように成長してもらわねばならない。
並行して、ビジネスプランコンテストや、大学でのベンチャー関連の講義で学生の相談に乗ったり、さまざまな出会いを通じて知り合った方々とお話ししたりする機会が頻繁にあった。
そうした取り組みや多くの人との関わりの中で幸運にも編み出すことのできた、考えを深め、心を整理する効果的な方法がある。
小学生でも大学生でも社会人でも、男性でも女性でも、学歴があってもなくても関係ない。国籍も関係ない。誰にでも驚くほどの効果がある。
それは、頭に浮かぶことを次々とメモに書くだけだ。ただ、ノートやパソコン上ではなく、A4の紙に1件1ページで書く。
ゆっくり時間をかけるのではなく、1ページを1分以内にさっと書く。毎日10ページ書き、フォルダに投げ込んで瞬時に整理する。
それだけで、マッキンゼーのプログラムでも十分に教えていない、最も基本的な「考える力」を鍛えられる。
深く考えることができるだけでなく、「ゼロ秒思考」と言える究極のレベルに近づける。心のコントロールの達人にもなり、ストレスや不安、恐怖が軽減される。前向きに明るく生きることができるようになる。
しかも、お金はほとんどかからず、わずか3週間ほどでかなりの効果を体感できるはずだ。これから、その具体的な方法を紹介する。
なお、本書の第1章と第2章は、考えるためのヒントと「ゼロ秒思考」について解説している。
一刻も早くメモ書きを実践したい、「ゼロ秒思考」に近づきたいという方は、第3章から読み始めてもらってもかまわない。
第1章「考える」ためのヒント
頭に浮かぶイメージ、感覚を言葉にする
まず、思考と言葉の関係について、強く意識してもらいたい。「思考は言葉によってなされる」ということ、そして「感情も言葉にできる」ということだ。
そのうえで、頭に浮かぶイメージ、感覚を言葉にしてみよう。頭の中はもやもやしていることが多い。
いろいろな言葉が浮かぶ。言葉にならない言葉が浮かんでは消える。それを頑張って言葉にしてみる。浮かんだ瞬間に言葉にしてみる。
言葉にしてみると言っても、頭で考えているだけだとふわふわしたままで明確にならないので、紙に書き出す。あれこれよからぬことが浮かんでも、かまわず書く。
「かまわず」というのは、人の名前も、欲望も憎しみも悔しさも、全部そのまま書くという意味だ。
なんとなく嫌な気持ちの時でも、頑張って書き出してみる。そうすると、全部はき出した後、不思議と少しだけは前向きになれる。
たとえばこんな感じになる。どうして上司は私にあのプロジェクトをやらせてくれないのだろう。
何か私に不満でもあるのかな?前も、やりたいと手を挙げたプロジェクトを任せてくれなかった。任せてくれたら絶対うまくやったのに。なぜやらせてくれなかったのかな。今回も、どうして任せてくれないんだろう。
この分野ではあんまり期待されていないのかな。でも、昨日は結構ほめてくれたな。珍しいな。意外に評価してくれているのかな。やらせてくれないのは、別の理由があるのかな。
あれ、もしかしたら、もう一つ別のプロジェクトを考えてくれているのかもしれない。
そうか。考えすぎかな。でもなあ。くよくよしててもしょうがないか。明日、こちらから言ってみよう!
あるいは、こんなふうに。
彼とどうして言い争いになっちゃったのかな?彼が頑張って買ってくれたお誕生日のプレゼントをあんまり喜ばなかったからかな。でも、ちょっと趣味じゃなかったし。あんなのを買うことないんじゃない?前も変なプレゼントだったなあ。
でも、お誕生日や初めてのデートの日を忘れないのは、男の子としては結構頑張ってくれてるのかな。私のこと、真面目に考えてくれてるみたいだし。
バイトをずいぶんやって、頑張って買ってくれたって言ってたな。ちょっと言い過ぎちゃったかな。あやまってみようかな。でも、私が悪いんじゃないし。私の趣味じゃないし。
でも、試験の準備が忙しいのに、無理してバイトして買ってくれたんだよな。あれで結構真面目だから、勉強とバイトの両立って大変だっただろうな。
うーん。センスが今いちなんだよな。でもなあ。ごめんなさいってメールしてみようかな。あ、返事が来た。きっと待ってたんだろうな。メールしてよかった!どんなに書いても気分が変わらないこともあるだろう。
ただ多くの場合、なんの遠慮もなく書き出していくと、最後の頃には少しだけ気分が晴れる。
こう言ったらどう思われるかとか、誰に遠慮することもなく言いたいことを書き出していくため、すっきりしていくのだ。
ひどい失恋をしても数万粒の涙を流すと前を向いて歩けるようになる、というのと同様だ。こんなことまで書いていいのだろうかと最初は戸惑うものの、すぐ慣れる。人に見られないところにしまっておけばよい。
誰に見られるわけではないので、気にすることはない。
こんなこと書くのかなあ、恥ずかしいなあと思いながらも、無理にでも書き出してみると意外にできることに気づく。
言葉を紡ぐという表現があるが、まさにそんな感じだ。物語を紡ぐのではなく、自分の気持ちを紡いでいく。誰に遠慮することもないので、どんどん引っ張りだしていく。
頭に浮かぶ端から書き出していけば、文章を書くのが苦手だと思っていた人でも、結構できるものだ。
きれいに書こうとするから書けないだけで、順番も表現も気にしなければいくらでも書ける。人目を気にしなければなんでも書ける。特に嫌な気分の時は際限なく書ける。誰だって、起きている間、いつでも何かを感じている。
何かを考え、なんらかのイメージが浮かんでいる。ただ、それがすぐ消えてしまう。言葉を認識する以前に、もやっとした感情のまま、それが何かを特定しないまま消えてしまう。
いったん忘れるが、もやもやの原因が解決するわけではない。もやもやが自然に消えるわけでもない。なので、気分はどんどん滅入ってくる。
「なんだか気持ち悪い、気分が悪い」「どうとは言えないがむずむずする」「なんだか嫌だが、どうなるものではないので忘れてしまおう」——こういう気分になったことは誰にでもあるだろう。
というか、毎日何回かそういうことはあるだろう。その場は忘れてしまうこともあるが、心の底にたまり、どんどん重くなる。私のお勧めは、それを言葉にし、遠慮なく書いてみることだ。
もやもやを外に出してしまうことだ。誰に見せるわけではない。遠慮はまったくいらない。
もやもやを書いたからといって、それが現実化するわけでもないし、何か悪いことが起こるわけでもない。
怒り、不満、不安などは、もやもやより感情が明確なぶん認識しやすく、わかりやすく、言葉にしやすい。書くことさえ躊躇しなければ、誰でも自由に書くことができるようになる。書くことに慣れるかどうかだ。
「愚痴は言いたくない」「人の悪口も言いたくない」という主義の方も多いだろう。そう思うのは大変立派なことだ。
でも、だからと言って、そのままきれいに流してしまうことは容易ではない。消化できる人はまずいない。そういう感情に目をつぶろうとか、無理にしまっておこうとしても必ず吹き出してくる。
当の本人にぶつけられない場合は、他の人に当たってしまうなど、悪い形で結局は出てしまう。それだったら、むしろ気にせず、紙にはき出してしまうほうがいい(もちろん、人には見せない。決して見られない場所にしまっておく)。
また、毎日の生活や仕事の中で、こうしたらという思い、アイデアが生まれる一方で、「でも、だめじゃないか」「そんなの無理に決まっている」「自分にはとてもできない」という気持ちも湧き起こってくる。
不安が湧いてくる。これも全部書き出すとよい。かまわず全部書く。きれいにまとめようとせずに、そのまま言葉にして書き出していく。
そうすると、こうしたらという思い、アイデアの全貌が目の前に浮かび上がってくる。実は気になるところも、いいと思っていることも、全部はき出されていく。何かが気になって次のレベルまで考えられなかったところにも、気を配れるようになる。
上司に見せる企画書ではないので、見た目などまったく気にせず、気になるところ、気づいたところから書き出していく。
言葉を自由に、的確に使うことを目指す
イメージや感覚を言葉にすることに慣れてくると、だんだん自分の気持ちや思っていることをあまり苦労せずに表現できるようになる。
言いたいことがすぐ出てくるので、ストレスがない。言葉選び等にあまり迷わず、書いて表現することができる。続けていくと、さらにスムーズに表現できるようになる。
スムーズな表現ができるようになると、仕事上やプライベートのコミュニケーションも相手に伝わりやすい。すぐにわかってもらえる。
こちらもリラックスして書いたり話したりできるようになるので、普段の自分を出すことができ、安心してもらえる。すると相手もリラックスし、理解力も上がる。
コミュニケーションは、お互い平常心で相手のことを思いやって行なう時が一番効果的だ。意思疎通が進みやすいし、もちろん喧嘩にもなりにくい。
相手側に質問がある場合も、こちらの状況をうまく説明したうえでの疑問になるため、話が前に進みやすい。そうすると、やり取りが楽しく、一歩進んだ説明やディスカッションになる。
的のはずれた質問が出にくいので、お互い会話を楽しみながら、気持ちよく質問と説明を続けることができる。
こういうコミュニケーションができるようになると、ミーティングに自然体で臨めるので、気持ちを押し殺したり過剰に背伸びしたりせず、一層自然に、うまく伝えることができるようになる。
感情のぶつけ合い、どなりあいではなく、「ご質問の点につきましては、両社にとってよい結果が出るように、納期と費用について十分確認しながら進めていきたいと思います」であったり、「費用と納期の点で少しむずかしいと思いますので、先日追加提案のあった機能については、第2フェーズに延期させてもらえると非常にありがたいのですが」と、丁寧かつ率直に伝えることができるようになる。
もう少しむずかしい状況の場合でも、こんな感じだ。
「先週の企画会議でのディスカッションの件、行き違いがあって少し困ったのですが、今回の特別の事情を話したら上司にもうまく納得してもらえました。
これからは、事前確認をぜひよろしくお願いしますね」。
あるいは、「エンジニアをご紹介いただく件、何度かご連絡してお返事をいただけなかったので、他にあたることにしました。
一応よい候補も見つかりましたので、今回はもうご紹介いただかなくても大丈夫です」といった、丁寧で率直な言い方だ。
相手の立場を尊重しつつ、妥協せず、卑屈な態度でもない。
相手の機嫌を損ねたらどうしようとか、言い争いになりそうでとても伝えられないと思っていたことをスムーズに伝えられるようになると、ミーティングが建設的に進むので、余計なしこりが生じにくい。
妙な遠慮やつじつま合わせがないので、気分もよい。
意識しすぎ、遠慮しすぎてこじれてしまう前に問題解決できることが増えるので、仕事がうまく回るようになる。
複雑な込み入った問題に対しても、うまくコントロールできるようになる。
多くの仕事は、一つひとつの会話、メールのやり取りの積み重ねにより進んでいく。それらが正確に、余計な遠慮なくできれば前向きに進みやすい。
往々にして問題が悪化するのは、過度の遠慮や躊躇によって対策が遅れ、早期に解決できる問題・すれ違いが放置されるからだ。
放置さえしなければ、それなりに必要なアクションを打つことができる。言葉を自由に、的確に使うことができるようになると、これらもすべてうまくいくようになる。
丁寧ではあっても過度の遠慮をせずにコミュニケーションする、ということに対して、最初はしっくりこないかもしれない。
多分、違和感もあるはずだ。多くの人が、過去の失敗体験などもあり、思ったことを伝えないようにして仕事をこなしている。
「おまえは空気が読めない」などと言われないよう、過剰に空気を読んできたのではないだろうか。友達同士でも、思ったまま伝えたらひどい問題が起きた。あるいは、起きると思っていた。
だから言いたいことがあっても飲み込んだり、何を言いたいのかもあまりはっきりさせず、水に流そうとしてきたのではないだろうか。
確かに、相手がどう取るか考えず、思ったままを口にすると喧嘩になることが多い。
ただ、それは思ったことを伝えた、という以前に、その内容がやや一方的であったり、偏った見方だったりすることが多いのではないか。
結果として、思ったことを口にすることへの躊躇がさらに強まってくる。そういう気持ちでいると、表現自体がうまくできなくなってくる。
表現がうまくできなくなると、考えてもしょうがないというあきらめの気持ちも出てきて、考えること自体しなくなってくる。
頭を使わない状況で成長することはない。考えて物事を整理し、問題点を解決していかなければ、気持ちも晴れることがない。
やる気もだんだん低下し、仕事も面白くなくなり、結果も出にくくなっていく。そういった状況にいるとしたら、すぐにも自分を解き放たなくてはならない。
イメージや感覚を言葉にしようとする回数を重ねていくと、それほど抵抗なく形にできるようになる。
言葉にすることへの躊躇がなくなってくる。すっと書けるようになる。意外に苦労せずに書いたり話したりできるようになり、相手の気分を損ねずに伝えることができるようになる。
ここまできて、ようやく本当の意味で「言葉に慣れてきた、言葉を使える」という段階に近づく。
食事をしたりテレビを見たりできるように、言葉を自然とうまく使えるようになる。言葉への抵抗や躊躇がなくなり、自由に、的確に使えるようになる。気兼ねしすぎて頭や感受性を麻痺させていた状態から大きく踏み出したことになる。
言葉の中心的意味と揺らぎをとらえる
思考の言語化においてもコミュニケーションにおいても、言葉の意味の揺らぎに関しては注意が必要だ。
一つひとつの言葉には、それぞれ中心的な意味がある。
その地域、時代、コミュニティ・仲間内で誰もがだいたい思い描く、理解にあまりギャップのない意味がある。
「朝」と言えば、だいたいは正午よりも前を指す。ほとんどの日本人はお昼前までのことだと理解するだろう。
朝は午後2時過ぎまでだという方も業界によってはいるかもしれないが、大勢ではない。「朝がいつまでか」にはあまりぶれがない。ただ、朝が何時から始まるかは人によってかなり幅がある。
午前3時くらいから起きだして朝の仕事が始まる人は少なくない。
一方、6時くらいからが朝だと考える人も、9時半過ぎまで寝ているのでそこからが朝だと考える人もいるだろう。
「学校」「仕事」「自転車」など物・コトの表現は、比較的共通の意味を持つことが多い。その言葉で指す実際の物には、新しいものも古いものもあるが、それほどの誤解、齟齬はない。
「そこの新しい自転車」や「物置に置いてある、私が小学校の時に乗っていた自転車」などと説明を加えればいいからだ。意味は一義的に決まっている。
また、「つらい」「悲しい」「愛してる」といった感情表現も、あいまいなようでいて、大半の人には比較的似たような意味を持つ。
物・コト表現ほどではないが、比較的近い概念を意味している。一方、「全力で」「責任感」「必ずやります」といった言葉の場合は、人によって意味がかなり異なる。
それぞれの基準、価値観、背景、成功体験、失敗体験等に基づいてかなり幅があるからだ。みな自分の基準で言葉の意味を決めており、それをあまり意識せずに言葉を交わす。
「全力で」というのが、10時から18時までの努力を指す人もいれば、1日18時間以上頑張る人もいる。
徹夜が当然だと思う人もいれば、徹夜などあり得ない、という人もいる。
あり得ないという場合も、そこまで頑張る意味がわからない、という理由の人や、徹夜したら翌日の能率が上がらないから全力で取り組んでいても絶対に徹夜はしないという理由の人もいる。
「責任感」は、人によっては、「何がなんでも絶対に実行しなければならないという思い。
自分の名誉や命にかけても絶対に実行してみせる」というレベルから、「やらないといけないことになっているから、なんとかできる範囲でやろうかな」というレベルまである。
もっとひどい場合は、言葉の意味についてほとんど考えないようにしているということも十分あり得る。
このように、すべての言葉にはその地域、時代、コミュニティの大半の人が通常理解している中心的な意味と、個人やサブコミュニティ間の振れ幅がある。
また、言葉によって、振れ幅が狭いものと広いものがある。同じ言葉でも中心的な意味合いが違っている場合すらある。
白が白ではなく、グレーや、もっとひどい場合は黒を意味することもあり得るのだ。
ということを踏まえれば、自分や他人の言葉が正確には何を意味しているか、何を意図して発言されたものか、意識的に言っているのか、それとも無意識なのか、をいつも考え、より深く理解することが必要になる。
さらに、それぞれの言葉の意味にどういう幅があるのか、普通に使う意味からどういうふうにぶれることがあるのか、人によってどんな解釈の幅があるのか、をいつも考え、より深く理解することが仕事上もプライベートでも非常に役立つ。
ただ役立つだけではない。時には決定的な重要さを持つこともある。
こうした意味の揺らぎがあるため、言葉への鋭い感覚を持ち、その場にあった的確な言葉使いをする人の話は非常にわかりやすい。
定義が明確で、何を言っているかがよくわかり、一つひとつの説明が抵抗なくすっと頭に入ってくるからだ。
言葉にぶれがない。言おうとしていることがピタ、ピタッと理解できる。
この人は何を言おうとしているのだろうか、どういう意味で言っているのかと悩むこともない。
誤解することもない。コミュニケーションが効果的に行なわれる。
身の回りでわかりやすい話をする人がいたら、ぜひ彼らの言葉への感覚、言葉使い等に注目してもらいたい。
彼らの一つひとつの言葉がすっと頭に入ってくる。無造作に話しているようでいて言葉選びが的確で、ぶれがないことに気づくだろう。
説明がわかりやすいだけではなく、そういう場合、話している内容そのものにも違和感を感じにくい。
新しい概念を説明している場合でも、「なるほど、なるほどねえ。そうだったのか」と実によくわかる。
一つひとつの言葉の意味が的確で、こちらの理解している通りの使い方をし、あるいは違うならどう違うのかを説明してくれる。無理がなく、話が途中で飛んだりすることもない。
そういう人は、言葉使いだけではなく視点、ポイントが明確なので、仕事もできることが多い。
自分自身が混乱することがなく、一緒に仕事をする人にも混乱を起こすことなく、すべてが整然と進むからだ。言葉にあいまいさがなく、かつ率直なので、好感も持たれやすい。
不適切な言い方をすることもなく、言い過ぎることもないので、人のやる気を不必要に削ぐことがない。当然、人望があり、優れたリーダーになる。
いつも概念がシャープで、しかも苦労せずに言いたいことが言えるため、ストレスもあまりない。自分の意思を伝えたり感情を伝えることが容易にできる。
ストレスがないと自然体でコミュニケーションでき、そうなると聞く側もリラックスできるので、頭に入りやすい。それがリーダーシップの源泉になる。
頭がいい、仕事ができるという時、実は言葉への感覚が鋭く、そのためにコミュニケーション能力の高さが光って見えることが多いのだ。では、言葉の感覚が鈍い人はどうなのか。
そういう人は、言葉使いが微妙でわかりにくいだけではなく、考えそのものがあやふやで、あいまいになりがちだ。
自分でしゃべっていてもどんどんぶれるし、あせって意味のないことをしゃべり続ける。誰かが止めないと、数十分しゃべり続ける人もいる。
浅い思考、空回りの思考を避ける
自分は言葉への感覚が鋭い、そのうえでよく考えている、と思っている人は多いかもしれない。
では、どういう状況でも現状を素早く把握し、「これがこうだからこうなる、その理由は多分こうだ」「これに対して緊急対策はこうすべきで、中期的にはこうしないといけないはずだ」と考えを整理し、説明できるかというと、そういう人はかなり少数だ。
たとえば、チームの生産性を上げようという話の場合、「チームの生産性を上げるために、会議時間の短縮を進めたいと思います。
会議といえば、会議室を使ったら後片付けをちゃんとしてくれないと困ります。会議には、みなさん週平均で何回くらい出ていますか?今はだいたい1時間半から2時間くらいかかっていますよね。
発言する人も決まっています。発言しない人は全然発言しませんよね。ともかく、みなちゃんと出席して生産性を上げましょう」何が何だかよくわからない。
「生産性」が何を意味するか、どう発言を締めくくるのか深く考えていない。
そのため、生産性を上げようと言い出して、アクションとしては「ちゃんと出席しましょう」というずれた発言で終わっている。
言葉の意味はもちろんだいたいわかっているはずだが、普段からあまり深く考えていないので、非常に情緒的だ。
一つひとつの言葉の持つ意味を正確に把握しておらず、話しながらぶれていることに気づかず、結論までうまく続けることができない。周囲はもちろんついていけないので、仕事がうまく進まない。
こういう人は話すポイントがあいまいで周囲を混乱させるだけではなく、なんとか伝えようとして言い過ぎて人を不用意に傷つけたり、面白みのない冗談を言って場を取り繕おうとして逆に興ざめさせたりと、人と接するうえで何かと問題を起こしがちだ。
みなさんの周囲にも思い当たる人が何人かいないだろうか。あるいはもしかしたら、みなさん自身がそういった人ではないか。
一方、論点がずれない人の話だとこうなる。
「チームの生産性を上げるために、会議時間の短縮を進めたいと思います。現在、1時間半以上かかる会議が全体の半分以上を占めています。下手をすると、2時間以上かかっている会議もかなりありそうです。会議時間がなぜ長いかを考えてみますと、大きな理由がいくつか考えられます。
第一に、会議の目的が明確でなく、だらだらと話し続けること第二に、その結果、途中でディスカッションが大きくずれてしまうこと第三に、一人ひとりの発言が非常に長く、かつ結論が不明確なこと第四に、誰も会議コストの概念がなく、集まって話をすればよいと考えていることなどです。
では、一つひとつ対策を考えてみたいと思います。
第一の問題点ですが、多くの会議を開催する目的が実はそれほど明確ではなく、参加者も何を達成すべきかよくわからないので、だらだらと話し続けることが多く見られます。
これについては、今後は、会議を招集する際に、会議開催目的、討議すべき課題、予定終了時刻の三つを明確にして進めたいと思います。
それにより、どのくらい改善できたかを次回レビューしたいと思います。第二の問題点ですが〜」このように話せばわかりやすいし、論点がずれることもない。
もとより言葉のぶれもない。自然にリーダーシップを発揮し、問題解決がうまく進む。成功体験が増え、本人はさらに優れたリーダーになっていく。
以上のように、普通の人は、自分ではよく考えていると思っても、実際は「考えが浅く」「空回り」することが多い。
頭がいい悪いというよりは、考える訓練がほとんどできていなからだ。「考えが浅い」というのは、文字通り深く考えておらず、表面的にしか考えていない状況だ。
考えていないので「それはどういう意味ですか?」と聞かれると、すぐ詰まってしまう。
自分の使った言葉がどういう意味なのか、相手にどう受け取られるのか、どう説明するといいのかを考えておらず突っ込みどころ満載だ。
こういう場合、説明に窮する以前に、そもそも考え自体が間違っていることも多い。
「空回り」というのは、一つの課題について深く考え、より質の高い問題解決をすることなく、表面をなでて終わってしまうことだ。
会議時間を削減しようという議論の中で、なぜ会議時間が長いのか、どの部分が長いのか、短くできないボトルネックは何なのか、どうやって短くするかを質問してもらい、深く考えていけば空回りしない。
遅かれ早かれ本質的な課題に迫っていくことができる。ところが多くの人は質問を躊躇する。質問することは失礼だと思う文化や空気感がまだ日本にはあるようだ。
欧米でははるかに活発な質疑応答がされるので、留学生が最初に戸惑うのはこの点だろう。
さらには、質問を躊躇する以前に、問題意識が低く、質問があまり頭に浮かんでこない、というもっと悪い問題もある。
思考やディスカッションが空回りすると、時間ばかりかけても、考えが前に進まない。深まらない。
したがって、表面的なありきたりの案で止まってしまう。なぜこういうことが起きるのか。
残念ながら、日本では「深く考える訓練」「真剣に・本当に考える訓練」は、小学校から大学までほとんど行なわれてこなかったからだ。
学校教育での不足は本書の冒頭で述べたが、実は、私が14年鍛えられたマッキンゼーでも、課題整理、分析、戦略立案については徹底的にたたき込まれたものの、「素早く深く考える方法論」「心を穏やかに保ち、気持ちを整理しつつ、頭を最高速で回転させる方法論」はほとんど教えられなかった。
おそらく、個人技に属するところ、極めて基礎的だと考えられたことは、当然身についている、という前提だったのだろう。
ただ、どう考えてもその部分の個人差は大きかったし、「心を穏やかに保ち、気持ちを整理」できている人は決して多くなかったと思う。
考えをどんどん深めていくこと、選択肢をあげ尽くし、それを評価して優先順位をつけることなどは、実はウェイトトレーニングと同じで、鍛えれば鍛えるほど力がつく。
本書を読み終え、1日10ページのメモ書きを始められた人には、ウェイトトレーニング的な効果を数週間で実感してもらえる。
このトレーニングの結果、飛躍的に頭が整理され、的確な言葉使いができるようになる。トレーニング次第で誰でもだ。学歴、職歴、経験、立場などにはまったく関係しない。もちろん性別や国籍、年齢にも関係ない。
そうやって強化できることであるのに、知らずに空回りの思考をしている人がほとんどだ。もちろん、そうした努力とは無縁の「思考の天才」と言える人も世の中には存在する。
非言語的な思考、たとえばプロ棋士などはその典型だ。プロ棋士は100手以上の先を読み、それを何年も後まで覚えている。ただ、言葉による思考はそれとは違う。
きちんと考え、適切に言葉を使ってコミュニケーションすることに彼らほどの頭脳はまったく必要ない。
我々全員、トレーニング次第で今より数倍深く考え、言葉の意味を的確に理解して使いこなすことができるようになる。
「沈思黙考」も「話すだけ」もむずかしい
少し違う角度から見てみよう。「沈思黙考」という言葉があるが、ひたすら考えを巡らせ、ああでもないこうでもないと考えるだけで思考が進むことはあまりない。多くの場合、時間の浪費になる。
黙考して考えがどんどん深まればいいが、ほとんどの人にとってはちょっとしたアイデアや不安が浮かんでは消え、浮かんでは消えで、ほとんど形になっていかない。
書き留めないので蓄積されないし、アイデアも深まらない。
すっきりしないままネットで関連記事を検索し、あまりよいアイデアが見つからず、不安に思いながらあっという間に1、2時間が過ぎていく。あるアイデアがよいと思い、調べてみるとそうでもないと思う。
また調べてみると別のアイデアがよいかもしれないと思い、もっと調べてみると欠点が見えてくる。
一人でもんもんとして結局考えあぐね、堂々巡りをして疲れ果てたうえで、元のところに戻ってくる。一方、何かを思いついたらすぐ他人に話す人がいる。
何でも全部話してしまう。話すと自分でもいろいろ見えてくるし、話しながら新しいことを思いつくことも多い。
これはこれでよい方法ではあるが、アイデアを話してある程度反応がわかったら、話し続けるよりは一度モードを変え、そこまでの考えを書き留め、仮説をさらに深めていくほうが、たいていの場合早く結果が出る。
書くことで頭を一度整理し、そのうえでまた話をしてみる。PDCA(プラン、ドゥー、チェック、アクション)を素早く回す形だ。
人に話をするうえで一点気をつけなければならないのは、冷静ならまだよいが、感情の赴くまま話してしまうことだ。
感情をぶつけたり、支離滅裂に話すほうはすっきりして、「聞いてくれてありがとう!」「なんだかやる気が出てきたから、また頑張るね」となるが、相手はたまったものではない。どんなに仲がよくてもだんだん敬遠される。何より、自分で考え、課題を整理し、進むべき方向を明らかにする、という重要なスキルがいつまでたっても身につかない。
そこで、お勧めなのは考えをすべて書き留めることだ。考えのステップ、頭に浮かんだことを書き留めると、堂々巡りがほぼなくなる。単純に感情をぶつけるようなことがなくなる。
書き留めたものが目の前にあると、自然にもう一歩前に進む。苦労せずに考えが進んでいく。誰でもだ。
「どうすれば会議を短くすることができるか」と空で考えても堂々巡りしがちだが、書き留めていけば現状を整理し、なぜ会議が長いかを分析し、短くする方法を複数あげ、具体的なアクションをリストアップしていくことが可能になる。
書き留める際に言葉を選ぼうとしすぎると、思考が止まってしまう。それよりは、浮かんだ言葉をあまり深く考えず、次々に書き留めていくほうがずっといい。
「それができたら苦労しない」と思っている人、苦手意識のある人も多いようだが、実はむずかしくない。
やると決めたら割とすぐできる。ちょっとした慣れの問題だ。この本を読み終わるまでに、必ずある程度以上できるようになっている。
頭がいくらでも動くようになる。安心して読み進めてほしい。ある程度悩みをはき出した後は、気持ちが軽くなって、意外なほどアイデアが出て、考えが深まるようになる。
それまで見えなかった全体像がどんどん間近に見えてくる。
全体像が見えやすくなるとは、言いかえれば「全体がどういうものかわかる」「どちらに向かっているかわかる」「全体構成が整理できる」ということだ。資料で言えば、「目次ができる」ということになる。
最初に何を言って、次は何を言って、その次はどうで、最後にはどうまとめる、という体系化ができる。
そうすると、自分の頭がさらに整理できるし、もっとアイデアが湧いてくるし、考えていくうえでの漏れも減る。
説明を聞く相手にとっても非常にわかりやすいものになる。
企画書、提案書、報告書などを書く際も、最初はうんうんうなっても、なんとか目次が固まれば後はアイデアがどんどん出てきて書いていくだけ、ということを経験した人も多いだろう。
それをもっと意識的に早める工夫ができる、ということだ。
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