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第1章「作品の情報」に頼らずに鑑賞する

目次

「アート」と「アート作品」は違う

みなさんは「アート」という言葉に、どのようなイメージを持っているでしょうか?私が行っている対話型鑑賞のコンセプトをより正確に理解していただくために、まずは、「アート」という言葉から説明をしたいと思います。

私が行う研修では、アーティストが制作した実際の作品のことを「アート作品」と呼び、「アート」という言葉と区別しています。

それぞれの言葉の定義は、次の通りです。

アート作品を見たとき、自分自身の中に沸き上がる感情や考え、疑問は、見る人によって、それぞれ異なります。同じアート作品を見たとしても、好きだと思う人もいれば、苦手だなと思う人もいます。

「この作品の意味することは何だろう?」と考える人もいれば、「なんだかよくわからない」と考える人、あるいは、作品を見ることによってインスピレーションを受ける人もいるでしょう。

「アート」には、「こう感じなければならない」「こう考えなければならない」という〝正解〟はないということです。

「知識」に頼らずアート作品を見る

「作者の制作意図を理解しようと努めることが美術鑑賞である」という考え方もあります。対話型鑑賞においては、作者の制作意図を知ることは必ずしも前提になりません。

どちらが正解ということではなく、あくまで、アート作品に対するアプローチの仕方が違うということです。

たとえば、江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎の代表作『冨嶽三十六景』に「神奈川沖浪裏」という作品があります。

激しく高く逆巻く大波と、その波に翻弄される3艘の小船、そして、はるか彼方に名峰・富士山が悠然とそびえているという構図は、日本のみならず、海外でも高い評価を得ています。

まさに、北斎の代表作といえる作品です。

この北斎の「神奈川沖浪裏」について、2011年3月の東日本大震災後、作品から受ける印象が大きく変わったという人が増えたようです。

以前は「神奈川沖浪裏」を見ても何も思わなかったのに、東日本大震災を経験したことによって、作品に描かれている激しい波を震災時の津波に重ね、様々な感情が喚起されるようになった、というのです。

当然、北斎は、東日本大震災を前提に「神奈川沖浪裏」を描いたわけではなく、作者の「制作意図」は昔もいまも変わっていません。

変化したのは、鑑賞する側の物事の見方や価値観です。

つまり、東日本大震災を経験したことによって、「神奈川沖浪裏」と鑑賞者の間に起こるコミュニケーションに変化が起こったのです。

ほかにも、たとえば、『ひまわり』『糸杉』『タンギー爺さん』『星月夜』など、数多くの有名な作品を残しているゴッホは、死後に高い評価を受けています。

しかし、ゴッホの作品自体は、ゴッホの生前と死後で何も変わっていません。

ゴッホが評価されなかったのは、ゴッホと同時代に生きた人たちにゴッホの作品の価値を見抜く審美眼がなかったからではないかと考えることもできます。

ですが、ゴッホが生きていた頃と死後で、人々の価値観や考え方に何かしらの変化が起こり、鑑賞者がゴッホの作品から受け取るものが変わったともいえるでしょう。

作品を制作したのは、アーティストです。

しかし、作品に価値を見出すのは鑑賞者、作品を生かすも殺すも、鑑賞者次第なのです。

もちろん、作者や作品にまつわる情報が鑑賞を深める助けになることはありますが、対話型鑑賞では、まずは「アート作品そのもの」にスポットを当てて鑑賞しよう、と提唱しているのです。

私の研修では、「知識より、まず意識を持って見る」と説明しています。

対話型鑑賞を通して身に付く力

次に、対話型鑑賞によって伸ばすことができる力について、アート作品が持つ特徴にも触れながら説明します。

対話型鑑賞で用いるアート作品は、たとえば次のようなものです。アート作品には、私たちにとって馴染みのある題材が描かれています。

基本的に誰でもそれを認識することができる。つまり、見る人すべてにオープンなものです。ただ同時に、よく見ると不可解なところが見つかります。

「左右で靴紐の通し方が違うように見えるのはなぜ?」「どうして靴だけを描いているんだろう?」「この場所はどこだろう?屋外、それとも屋内?」アート作品には平易と不可解の両方を感じさせる要素が含まれています。

そのことによって、見る人の興味をそそり、様々な「問い」を沸き上がらせます。つまり、アート作品は私たちに「答え」ではなく、「問い」を投げかけているのです。

アート作品の分類の仕方は様々ですが、分類方法の1つとして、次のようなものがあります。

  1. 「現状肯定派」→鑑賞する人にYES or NOで答えられる「問い」を投げかけている
  2. 「現状否定派(現状疑問派)」→答えのない「問い」を投げかけている

1の「現状肯定派」のアート作品としては、たとえば銭湯の壁に描かれている富士山の絵が挙げられます。このようなアート作品から投げかけられるのは、基本的に「素晴らしい富士山」に賛同するか否か、という「問い」です。

一方、2の「現状否定派(現状疑問派)」の作品が投げかけてくる「問い」に唯一の答えはありません。こうした作品を見ることで、「正解のない問題に取り組む力」を磨くことができるのです。

さらに、作品から自ら問いを立てる力と自分なりの答えを導き出す力、つまり、「問題発見能力」と「問題解決能力」も伸ばすことができます。

アート作品は、比喩の宝庫です。

何かの象徴や主張であり、ときには概念を意味することもあります。

この作品に描かれているのは靴です。ただ、もしかすると、この靴の持ち主の性格や職業、歩んできた人生をも表しているかもしれません。

こうした奥深い意味を読み解くには、「論理的かつ体系的な思考力」を駆使することが求められます。

「温かそうでありながら冷たそう」にも見えたり、「雑に扱われているようでありながら愛着を持っているよう」にも見えたり、アート作品は正反対の意見があって当たり前です。

アート作品の前で、私たち鑑賞者の関係性はフラットなのです。

そこから「多様性の受容」、つまり、「他者とともに生きていくための基礎」を学ぶこともできます。さらに、アート作品はときとして、見る人を映す〝鏡〟になります。

たとえば、「この作品いいな」と思ったとします。より正確な言い方をすれば「この作品をいいと思う、私がいる」ということです。

私たちが「アート作品を見ている」ときに見ているものは、「自分自身の価値観」でもあるのです。そのことから、「自己理解と他者理解」が進みます。

アート作品が私たちに及ぼす力はほかにもありますが、ここではこれくらいにしておきましょう。

しかし、作品を〝ただ眺める〟だけでは、こうした力は身に付きません。

次章からは、「アート作品を見る」ということについて、説明をしていきたいと思います。

[こちら]フィンセント・ファン・ゴッホ『靴』1886年ファン・ゴッホ美術館所蔵

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