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第1章 読書をする人だけがたどり着ける「深さ」とは

目次

まえがき

いまこそ本を読むべきだ。読書の楽しみや効用について、私はこれまでも繰り返し語ってきました。いつの時代も、読書は素晴らしいものです。

思考力を伸ばし、想像力を豊かにし、苦しいときも前進する力をくれる。自己を形成し、人生を豊かにするのに欠かせないのが読書です。

その価値はずっと変わらないのですが、あえて「いまこそ」と言いたいと思います。「本を読まなくなった」とはずいぶん前から言われていることです。もう耳にタコができているという人もいるでしょう。

それで耳が痛いというならまだいいですが、「それがどうかしましたか?」と開き直っている人があまりにも多い印象です。先日、恐ろしいデータを目にしました。

「読書時間ゼロ」の大学生が過半数を超えた、というものです(第53回全国大学生活協同組合連合会による学生生活実態調査。53・1%が1日の読書時間を「ゼロ分」と回答)。大学で教鞭をとっている者としてうすうすわかっていたことですが、数字を見るとやはり衝撃でした。

理系の学生が本ではなく論文を読んでいて、実験や計算に多くの時間を使っているというのならまだ理解できますが、文系の学生も本を読まないというのですから驚きです。

では実際、本を読まずに、何をしているのでしょうか?

ネットで文章を読むことと、本を読むことは違う

読書をしていないとはいっても、文字を読んでいないわけではありません。むしろ、大量に読んでいる。

その多くはインターネットだったり、SNSだったりするわけです。「本を読まなくても、ネットでいいじゃん」と言う人はいるかもしれません。「すべてネットの中にあるではないか」と言われれば、まぁ、その通りです。

毎日膨大な量の情報が追加されているネット上には、最近のニュースだけでなく古今東西のあらゆる物語や解釈や反応が含まれています。ネットの「青空文庫」では、著作権の切れた作品を無料で読むこともできます。

ですから、わざわざ本を読まなくてもネットでいいじゃないかという意見も見当違いなものではありません。

しかし、ネットで読むことと読書には重大な違いがあります。それは「向かい方」です。

ネットで何か読もうというときは、そこにあるコンテンツにじっくり向き合うというより、パッパッと短時間で次へいこうとします。より面白そうなもの、アイキャッチ的なものへ視線が流れますね。

ネット上には大量の情報とともに気になるキャッチコピーや画像があふれています。それで、ますます一つのコンテンツに向き合う時間は短くなってしまう。

最近は音楽もネットを介して聴くことが多くなっていますが、ネットでの「向かい方」ではイントロを聴いていることができません。我慢できなくて次の曲を探しはじめてしまいます。

そこで、いきなりサビから入るような曲のつくり方をしているという話を、あるアーティストの方から聞きました。

現代人の集中力が低下していることを示す研究もあります。2015年にマイクロソフトが発表したところによると、現代人のアテンション・スパン(一つのことに集中できる時間)はたった8秒。

2000年には12秒だったものが4秒も縮み、いまや金魚の9秒より短いと言います。これは間違いなくインターネットの影響でしょう。

とくにスマホが普及して、スマートフォンで常にいろいろな情報にアクセスしたり、SNSで常に短いやりとりをしたりするようになったことで、ある意味で「適応」した結果です。

「読者」がいなくなった時代

このようにネット上の情報を読むのと、読書とは行為として全然違います。ネットで文章を読むとき、私たちは「読者」ではありません。「消費者」なのです。

こちらが主導権を握っていて、より面白いものを選ぶ。「これはない」「つまらない」とどんどん切り捨て、「こっちは面白かった」と消費していく感じです。

消費しているだけでは、積み重ねができにくい。せわしく情報にアクセスしているわりに、どこかフワフワとして何も身についていない。

そのときは「へえ」と思ったけれど、すぐに忘れてしまいます。浅い情報は常にいくつか持っているかもしれませんが、「人生が深くなる」ことはありません。

これは情報の内容やツールの問題というより、「構え」の問題です。著者をリスペクトして「さあこの本を読もう」というときは、じっくり腰を据えて話を聞くような構えになります。

著者と二人きりで四畳半の部屋にこもり、延々と話を聞くようなものです。ちょっと退屈な場面があっても簡単に逃げるわけにはいきません。辛抱強く話を聞き続けます。

相手が天才的な作家だと、「早く続きが聞きたい」と言って寝る間も惜しんで読書をすることもあるでしょう。

しかしドストエフスキーと二人きりになって3か月も話を聞かされ続けたりしたら、大概の人は逃げ出したくなります(やってみると最高なのですが)。実際、みんな逃げ出しつつあるわけです。

逃げ出さずに最後まで話を聞くとどうなるか。それは「体験」としてしっかりと刻み込まれます。読書は「体験」なのです。

実際、読書で登場人物に感情移入しているときの脳は、体験しているときの脳と近い動きをしているという話もあります。

体験は人格形成に影響します。あなたもきっと「いまの自分をつくっているのは、こういう体験だ」と思うような体験があるでしょう。

辛く悲しい体験も、それがあったからこそ人の気持ちがわかるようになったり、それを乗り越えたことで強さや自信になったりします。

大きな病気になったり命の尊さを感じる出来事があれば、いまこの瞬間を大事に思えるようになるなど、人格に変化をもたらします。

自分一人の体験には限界がありますが、読書で疑似体験をすることもできます。読書によって人生観、人間観を深め、想像力を豊かにし、人格を大きくしていくことができるのです。

読書よりも実際の体験が大事だと言う人もいます。実際に体験することが大事なのはその通りです。でも、私は読書と体験は矛盾しないと考えています。

本を読むことで、「これこれを体験してみたい」というモチベーションになることはありますし、それ以上に、言葉にできなかった自分の体験の意味に気づくことができます。

実際の体験を何十倍にも生かすことができるようになるのです。

本書では、「読書が人生の深みをつくる」との前提のもと、ネットやSNSも活用しながら、どんな本をどう読むかお話ししていきます。

読書好きな人も、最近あまり本を読んでいないという人も、読書の素晴らしさを再発見する一助となれば幸いです。

2018年12日齋藤孝

◉もくじまえがきいまこそ本を読むべきだ。

序章なぜ、いま本を読むのか「ネットでいいじゃん」と思っている人に

情報化社会と言われながら、有用な情報にはあまり接していない私たち専門バカになってはいけない「AIに負けない」なんて本末転倒人類の未来のために

第1章読書をする人だけがたどり着ける「深さ」とは「深い人」「浅い人」は何が違うか

コミュニケーション能力は文字で磨かれる「魅力的な人」とはどんな人か?深みは読書でつくられるテレビは役に立たないか?知性は万人に開かれている教養のある人生と、教養のない人生。どちらがいいですか?

第2章深くなる読書浅くなる読書何をどう読むか

一流の人の「認識力」を身につける深い認識はあらゆる分野でつながる情報としての読書人格としての読書物語で身につく「映像化」する力「著者の目」で物事を見てみる「著者月間」をつくろう一冊の本から、連綿と続く「精神文化」につながるクラッとするのも含めて読書

第3章思考力を深める本の読み方読書で思考力を磨く

『星の王子さま』の「狐」は誰か?感情をのせて読む思考の浅い・深いは「読書感想文」でわかる思考を深める「対話」「レビュー」の活用法読んだ本のポップを書いてみよう好きな文章を3つ選ぶニーチェにもツッコミを思考の回転を速める「予測読み」思考力を高める名著10

第4章知識を深める本の読み方知識を持つほど世界が広がる理由

「驚く」ことが知のはじまり知識は細胞分裂のように増える1テーマ5冊読めば「ランクA」「つながり」を意識すれば、知識が取り出しやすくなる新しい本との出合いで知識を広げる「ベストセラー」は読む・読まない?出合い頭で知識を広げる図鑑や百科事典で「全体像」を手に入れる現代に必要な知識が持てる名著10

第5章人格を深める本の読み方

偉大な人の器に触れる「時代を超えた普遍性」を読み解く自分だけの名言を見つける人生の機微に触れる名著4

第6章人生を深める本の読み方勝ち負けよりも生き方

生きるとは何か?ドストエフスキーやフランクルが出した答え東洋のアイデンティティにつながる一度きりの人生をいかに豊かにするか人生を深める名著6

第7章難しい本の読み方あえて本物を選ぼう

本を読むのに才能はいらない集中力を鍛えるには、まずレベルの高い本からクライマックスは登場人物になりきる本・ドラマ・映画・コミックをグルグル回す「わからない」ところがあっていい古典で楽しむ「名言ピックアップ読み」「どっぷり読書」と「批判的読書」難しくても挑戦したい不朽の名著10参考文献

 

序章なぜ、いま本を読むのか

「ネットでいいじゃん」と思っている人に

情報化社会と言われながら、有用な情報にはあまり接していない

私たち現代は情報化社会と言われていて、あたかも私たちは毎日大量の情報に触れているかのように思っています。確かにインターネット上にある情報の量はすごい。その気になれば、何でもいくらでも調べられます。

しかし、意外にみんなそれほど情報を摂取していないというのが私の印象です。いつもスマホをいじっているのに、あれも知らない、これも知らない。

「最近こういうニュースが話題だけど……」と話を振っても、「そのキーワードは聞いたことがあるんですが、どんな内容なんですか?」と聞かれてしまいます。

どうやら、表面だけサーッと撫でてキーワードだけ拾っており、詳しいところまでは読んでいないようなのです。

「まとめサイトしか見ていない」という人もいます。知りたいことが簡単にまとめてあって、それでわかった気になる。わかった気になったけれど、聞かれると答えられない。

間違って読んでいたり、すぐに忘れてしまったりします。インターネットの海と言いますが、ほとんどの人は浅瀬で貝殻をとっているようなもの。

深いところへ潜りにいく人はあまりいません。潜れば、まだ見たことのない深海魚に出合えるかもしれないし、知らなかった世界が広がっているのに、です。

同じ海を目の前にしても、やることは人によって違うわけです。

専門バカになってはいけない

後ほどお話ししますが、読書は人に「深さ」をつくります。この本でお伝えしたい「深さ」とは、一つのことを突き詰めただけの深さではありません。専門分野について突き詰めていても、他がまったくダメというのではバランスを欠いています。深さは全人格的なもの、総合的なものです。

大学生が本を読まなくなった話をしましたが、実は大学の先生も教養のための幅広い読書をしなくなっている印象があります。私は大学の採用面接でこんな質問をしています。

あなた自身の教養になった3冊を専門以外で教えていただけますか?」専門以外というのがポイントで、幅広い教養のある人なのかを確認する質問です。

学生に対して教養を身につけさせるには、先生自身に教養がなければなりません。

ところが、急に言葉に詰まってしまう人が多くなっています。

「数え切れなくて言えません」というのならわかります。「3冊に絞るのは難しいので、10冊言わせてください」くらい言ってほしい。

でも、残念ながら「専門ならすぐ言えるのですけど……」という人が増えているのです。専門分野は当然詳しいのでしょうが、そのバックグラウンドとして一般教養があるべきだと私は思っています。

哲学なしに科学をやるとか、文学的なものを知らずに経済学をやるというのは危険なことです。だから大学1年生には教養課程があります。それがリベラルアーツというものです。

リベラルアーツの概念は古代ギリシャで生まれました。「自由になるための全人的技芸」という教育原理が起源です。

人間が偏見や習慣を含めた呪縛から解放され、自分の意思で生きていくために、幅広く実践的な知識が必要とされたのです。

その後中世ヨーロッパに受け継がれ、「文法・論理・修辞・算術・幾何・天文・音楽」という「自由七科」として定義づけられました。

そして、これがのちに神学・医学・法律といった専門教育ができたときに、それより前に学ぶべきものとなったのです。

現代のリベラルアーツはその流れを汲みながら、近代に発達した経済学や自然科学などが含められてさらに幅広くなっています。

近年リベラルアーツが重要視されるようになっていますが、グローバル化が進み、社会問題が複雑化する中で、問題解決には専門分野を超えた柔軟性が必要だと強く認識されているからでしょう。専門分野の知識が豊富にあっても、その知識を生かすうえでは多角的な視点がなければ難しい。

たとえば遺伝子工学を学んで、遺伝子操作の技術がわかったとしても、生命倫理とどう折り合いをつけるべきかという難しい問題に対処していくには歴史や宗教、哲学など幅広い知識が必要とされます。

ですから、ますます教養が重要とされている時代なのに、本を読んでいないというおかしなことが起こっているのです。

「AIに負けない」なんて本末転倒

いま、AI(人工知能)に関心が集まっています。2017年、AIが囲碁で世界トップ棋士に勝利したというニュースがありました。

囲碁は将棋やチェスに比べて盤が広くて手順が長く、場面によって石の価値が変わるという特徴があります。チェスなら可能だった、「すべての手を覚え、計算して最適解を出す」というやり方が通用しづらいのです。だから囲碁では、コンピューターが人間に勝つのはまだ先だと思われていました。

ところが、2017年10月に発表されたグーグル傘下のディープマインドによる「アルファゼロ」は、お手本となる先人の棋譜データすら使わず、ひたすら自己学習により強くなっているとのことです。

しかも、囲碁だけでなく他のゲームもできます。もはや人間の手を離れて、コンピューターが自分で学習・成長しているのです。このようにすさまじいスピードで進化しているAI。

この分野の権威であるレイ・カーツワイルは2045年にシンギュラリティ(技術的特異点)に到達すると言っています。

人工知能が人間の脳を超え、世界が大きく変化するというのです。AIに仕事を奪われないためには何を身につけておくべきか、AIにできないことをできるようにしておくためにはどうすればいいのかといった議論も盛んです。

しかし私に言わせればそれはナンセンスです。「AIにできないこと」を予測したって簡単に覆るでしょう。現在の進化のスピードを見ても、普通の人間の想像をはるかに超える変化が起こるはずです。

そこで「AIにできることは学ばなくていい、AIにできないことだけ一生懸命学ぶ」という考えはリスクにはなりこそすれ、人生を豊かにはしてくれません。

AIに負けないことを目的に据えて生きるなんて本末転倒です。それこそAIに人生を明け渡してしまったようなものです。

AIが出てこようが出てこなかろうが、「自分の人生をいかに深く生きるか」が重要なのではないでしょうか。人生を深めるために、AIや未来予測についての本を読むのはとても有意義だと思います。

たとえば「人間の脳を超えた知性を持つAIがいた場合、人間らしいやりとりをすることだって簡単だろう。それでは何が人間を人間たらしめるのだろうか?自分は人間に何を求めているだろうか?」などと本を片手に思考を深めていくことで、人生を豊かにしていくことはできるはずです。

人類の未来のために

私たち人類は「ホモ・サピエンス=知的な人」です。知を多くの人と共有し、後世にも伝えていくことができるのがホモ・サピエンスのすごいところです。

書店や図書館に行けば、古今東西の知が所狭しと並んでいます。偉大な人が人生をかけて真理を探究し、あるいは身を削って文学の形に昇華させ、それを本の形にして誰でも読めるようにしている。だから知を進化させていくことができます。

家族や友達とおしゃべりするだけなら、サルも犬もやっています。アリだってやっているでしょう(声を出してのおしゃべりではないかもしれませんが、さまざまなコミュニケーションはとっています)。

でも、動物や虫たちは地域や時代を超えたところにいたものたちが、何を考えていたかを知ることができません。本を読まないのは、ホモ・サピエンスとしての誇りを失った状態。

集中力もさらに低下して、いよいよ「本を読まない」ではなく「読めない」ようになってしまったら、人類の未来は明るくないのではないかとすら思えてきます。

繰り返しますが、ネット、SNSが悪いと言っているのではありません。この素晴らしいツールも人類の知が生み出したもの。うまく活用しない手はないでしょう。

ただ、軸足を完全にそちらに移してしまって、読書の喜びを忘れてしまうのはあまりにももったいない。

読書は人間に生まれたからこそ味わえる喜びです。自分で自分の人生を深めていける最高のものです。ネット、SNS全盛の現代だからこそ、あらためて本と向き合うことが重要だと思うのです。

第1章読書をする人だけがたどり着ける「深さ」とは

「深い人」「浅い人」は何が違うか

私は大学の講義のほか、一般向けの講演も行なっており、幅広く質問を受ける機会があります。

メディアからの取材もあります。そこで、本質的なものに触れる深い質問ができる人、表面的な部分にとらわれた浅い質問しかできない人がいます。

浅い質問には、「それはこうです」と答えて、はいおしまい。簡単です。そこからさらに話が広がったり内容が深まったりすることはあまりありません。

深い質問の場合は、こちらの頭も回転させなければなりません。質問が刺激となって思考が深まります。その答えによって質問者の考えも深まるし、実りの多い時間となります。

映画を見た感想やニュースに対するコメントにしても、聞く人が刺激される面白い話ができる人と、みんなが言っているような一般的なことしか言えない人がいます。

浅い人と深い人。どちらの人の話を聞きたいか、聞くまでもありませんね。では、その浅い・深いはどこから来ているのでしょうか。

それは一言で言えば、教養です。教養とは、雑学や豆知識のようなものではありません。自分の中に取り込んで統合し、血肉となるような幅広い知識です。カギとなるのは、物事の「本質」を捉えて理解することです。

バラバラとした知識がたくさんあっても、それを総合的に使いこなすことができないのでは意味がない。単なる「物知り」は「深い人」ではないのです。

教養が人格や人生にまで生きている人が「深い人」です。深い人になるには、読書ほど適したものはありません。本を読むことで知識を深め、思考を深め、人格を深めることができます。

たとえば西郷隆盛は「深い人」です。西郷が生きた幕末・明治時代から人格者として慕われ、ものすごく人望がありました。亡くなってからも多くの人が西郷に惹かれて研究し、時代ごとに評価されてきました。現代も人気は衰えていません。

それでは、生まれたときから人格者で、「深い人」だったのかというと、そういうわけではないでしょう。西郷は多くの本を読んでいました。とくに影響を受けたのは儒学者佐藤一斎の『言志四録』です。

流された島でも、これを熟読し、とくに心に残った101の言葉を抜き出し、常に読み返していたと言います。座右の銘としていた「敬天愛人」もそこから生まれたものです。常に本を読み、自らを培っていったのです。

コミュニケーション能力は文字で磨かれる

コミュニケーションにも浅い・深いがあります。表面的なやりとりに終始し、信頼感も生まれにくいのが浅いコミュニケーション。

コンビニで飲み物を買ったときに、店員さんと目も合わさずに「お願いします」「ありがとうございました」と言葉を交わしているのだってコミュニケーションには違いありませんが、ものすごく浅いレベルのものです。そのコミュニケーションが記憶に残ることはないでしょう。

しかし、同じようなシーンでも深いコミュニケーションは可能です。私は、コンビニで外国人の店員さんと話をする間柄になって、彼が彼女と別れたということまで聞いていました。相手の状況を認識して、心のこもった言葉をかければ途端に深くなります。「深い部分に触れた」感覚はいいものです。

短い会話でも、それが1日を気分よく過ごすきっかけになるかもしれません。家族、恋人、友人であっても、常に深いコミュニケーションができているとは限りません。

深い部分にある心理、感情の動きに触れることなく、表面ばかりを見ていれば浅いコミュニケーションになってしまいます。愛情を感じるのは、深いコミュニケーションができているときです。

仕事をするうえでもコミュニケーションは重要です。深いレベルでコミュニケーションができていると、言葉数は少なく短時間でも、クリエイティブに物事が運ぶことはよくあります。

一方、コミュニケーションがうまくとれていなければ、ごく簡単なことでもミスが起こったり手間が増えたりして滞る。ほとんどの方は経験があることでしょう。

コミュニケーション能力の根底には「認識力」があります。相手の状況や感情、言動を認識する。言動それぞれに、その場の文脈というものがあります。

「期待しているよ」という言葉が、「あなたを信頼しているから、ぜひ頑張ってね」という意味のこともあれば「いい加減成果を出してくれないと困る、最後のチャンスだぞ」という意味のこともあるかもしれません。

人の「複雑な感情」を瞬時に理解するのも認識力です。嬉しい、悲しい、悔しいと単純に言えない、表現しにくい感情。

そうしたものを消化したり感じ取ったりすることができれば、より深いコミュニケーションにつながるでしょう。文学にはそういった複雑な感情が描かれています。

文学を読むことで、複雑な感情を感じ取ったり言語化したりする能力を身につけることができます。さらに、言葉で応答したり働きかける際にも、認識力は重要です。

言いたいことがうまく表現できないとき、それは自分の中にあるモヤモヤした思考を言語化できていないのかもしれません。

「魅力的な人」とはどんな人か?

『なぜ美人ばかりが得をするのか』(ナンシー・エトコフ/著木村博江/訳草思社)は認知科学と進化心理学の知見をもとに「美」の謎を解き明かすという本ですが、この本によれば、進化の過程の中で、「生殖能力が高く、健康で、種の存続に最も適した姿形を美しいと感じる」ようになっているそうです。

要するに、「美しい人=種の存続に有利な人」と判断されているのです。ですから、生物として美にこだわるのはもっともなことで、逃れられないものかもしれません。

しかし、それを何とか克服してきたのが人間の文化です。美しさだけなら、虎にも美しい虎がいるし、鹿にも美しい鹿がいる。でも、文化は生まれません。

人間は美しく生まれつかなくても、魅力を出せる道があるのです。ソクラテスは美男子ではありませんでしたが、若者たちにとても人気がありました。その知性・教養、人格の豊かさで人を惹きつけていました。

平安時代の恋愛は、実際に顔を見る前に手紙のやりとりをして「素敵な人だ」と思っていました。見た目がよくなくても頑張って教養を身につけて魅力を出していた。

「やはりあの人は育ちが違うわね、教養があるわね」なんて言われたわけです。実際、周囲で魅力的な人を思い浮かべてみると、見た目だけではないはずです。

話が面白く、深いコミュニケーションができる人、人間性が高い人、深みのある人が魅力的だと思うのです。

深みは読書でつくられる

では、どうしたら深くなれるのか。先ほど、多くの人はインターネットの浅瀬にいると話しましたが、インターネットでは、深く潜るのだって実は難しくありません。クリックして3回とべばいい。

最初にたどり着いたページだけ読んで終わらせるのではなく、関連するページや、他の角度から見たページを探して読めばいいのです。それだけで、情報にも厚みや深みが出ます。

ただ、どこをどう潜るのか、というところは人によって差ができるでしょう。まずは3回クリックするだけで深くはなりますが、もっともっと知識を深めるには潜る能力が必要なのです。

その「潜る能力」は、読書によって鍛えられるというのが私の考えです。

SNSはコミュニケーションのツールとしてとても優れていますが、情報摂取の観点から言うとあまり役立ちません。友達とのコミュニケーションからは、基本的に「新情報」は出てこないもの。

お互いに知っている物事、身近な物事について情報交換をしていることが多く、新情報へのきっかけはあるとしても、深く知ることは難しいでしょう。

もちろん友達は大事ですから、友達とのコミュニケーションの時間をとるのはいいことです。心置きなく話ができるのはとてもありがたいですし、軽いおしゃべりも気晴らしに必要です。

ただ、友達依存症のようになって1日中SNSを見ているのでは、深い次元が入り込む余地がありません。せめて寝る前1時間は読書にあててはいかがでしょうか。

すると、毎日少しでも深い時間を過ごすことができます。日中は浅いコミュニケーションに終始している人も、突如深くなれます。いったいどうしたんだと言いたくなるくらい、考えも顔つきも深遠な感じになるでしょう。

この「突如深くなる」感覚がいいのです。海が突如深くなれば、そこでしか獲れない桜えびのようなものが獲れることがあります。

静岡出身の私は桜えびが大好きですが、生で食べられる桜えびは世界中でも数か所でしか獲ることができません。

それは急にとてつもなく深くなる駿河湾の特殊な地形と関係があるのですね。常に深くなくても構いません。ふだんは浅くても、突如深くなる時間を持とうということです。

偉大なものに触れて感動したり心を大きく揺さぶられたりすることで、人生をじっくりと味わえるのです。歌手のJUJUさんはコンサートなどで各地へ行くとき、必ず本屋に立ち寄るそうです。

「本っていうのはドラえもんのどこでもドアみたいなもの。その本がそれぞれの世界に連れていってくれる」ということをテレビで話されていて、その通りだなぁと思いました。

電車で文庫本を開くと、周りでは日常のいろいろな会話があっても、自分だけ19世紀ロシアにいるとか2000年前のローマにいるような感じになれます。

JUJUさんは移動時間や寝る前の時間、いつも本を手放さないという読書家です。だからこそ歌にも深い表現力が加わるのではないでしょうか。

テレビは役に立たないか?

テレビは一般的に、浅いメディアだと言われます。流れてくるものをそのまま何となく見ているだけなら、確かに深まりにくいでしょう。

ぼんやりしていても話を見失わないようにつくられていますし、そもそも小難しいものはあまり放映されていません。気楽に見ることができるエンターテイメントが多いのです。

しかしドキュメンタリーや一流の人へのインタビュー、「100分de名著」(NHKEテレ)といった教養系の番組など、深めることができるものはたくさんあります。

それに、エンターテイメント系の番組であっても、見方によっては深めることができます。見どころはあるのです。

私はテレビの仕事をしていることもあって、テレビをよく見ます。一日に3~4時間は見ています。よく見る番組の一つに「家、ついて行ってイイですか?」(テレビ東京)があります。

深夜、終電を逃した人に「タクシー代を払う代わりに、家についていっていいですか?」と声をかけ、家に行って話を聞くという番組です。

たとえば居酒屋で酔っ払っている20代の女性が、話を聞くうちにそれまでと違った表情を見せます。「お仕事は何をしているんですか?」「特別支援学校の先生です」。やさしくて大好きだった兄は知的障がいがありました。

自分の誕生日を祝いに来てくれた数日後、その兄が突然病気で亡くなってしまった。それをきっかけに通信で学び直して、特別支援学校の先生になったのだ──。

赤い顔をして陽気にお酒を飲んでいる姿からは想像できなかった人生がそこにはありました。自分の知らないどこかの街の人も、みんなそれぞれに人生を一生懸命生きているのだなぁ。そんな感慨を覚えるのです。

番組は登場する人の人生の、ごくごく一部を切り取ったに過ぎないけれども、そこから想像を広げていくことはできます。

ふだんあまり関わりのない年代、職業、地域の人の人生はうまく想像することができなかったり、偏見の目で見てしまったりしがちです。

それを壊し、想像を広げて豊かな人間観、人生観を育んでいくことができるのが、こういう番組の良いところです。

「深みを感じ取る力」のある人には、こういった人生が垣間見えるような番組は学びが多い。

お涙頂戴番組のように、「どうぞ感動してください」とわかりやすく提供されたものに反応するだけなら、深みは出ません。浅いレベルの内容であっても、泣くことは十分できます。

深さとは、単純に感情が動くかどうかではないのです。そしてそうした「深みを感じ取る力」も、読書から得られるものだと思うのです。

知性は万人に開かれている

一般的に「知的」とは、知識が豊富で、言語的な認識力が高い人のことを言います。同じ事柄を読んだり聞いたりしたときにも人によってどう捉えるかは違います。認識力の高い人は、より多く、より深く情報を捉え、理解することができます。

一方で、「センスのある人」もいます。知識とは無関係に、感覚的にできてしまう人のことですね。デザインのセンスがある人、音楽のセンスがある人、料理のセンスがある人。とくにきちんと教わったわけではないのに、秀でている場合にそういう言い方をします。それはそれで素晴らしいことです。

ここでのポイントは、知性は万人に開かれているということです。センスのほうは、残念ながら努力ではなかなか変えられない部分が大きいのです。

たとえば音痴で音楽のセンスがない。そうすると、歌ったり演奏したりすることで音楽から大きな喜びを得るのが難しいかもしれません。

しかし、言語は多くの人に開かれているもので、センスをあまり要求されません。誰でも知識を増やし、深める中で知的になることができます。

それに、知的好奇心や知的な欲求は誰もが持っているものです。私は長年にわたり小学生を集めて教えていたのでわかるのですが、小学生で本が嫌いな子はまずいません。

みんな「もっと読みたい、もっと読みたい」と言います。誰もが自然な知的欲求を持っていることを感じます。

たとえば小学生に人気のある本に『ぼくらの七日間戦争』(宗田理/著角川文庫)があります。これは内容も濃くて、展開にも深みのある面白い本です。戦争や学生運動のことも描かれています。

大筋は、管理教育に抑圧された子どもたちが、マスコミも使って大人に対し主義主張をしていく物語です。簡単にぱっと読める感じではなく、けっこう難しいところもあるのですが、小学生は普通に読んでいます。

「ぼくらの」シリーズはなんと累計1700万部を超えているのですからすごい。それだけの子どもたちが、読んでいるわけです。小学生には読む力があるし、読みたい気持ちがあるのです。年間100冊くらい読む子はザラにいます。

このままいけば言語的な認識能力はどんどん高くなっていく……はずが、多くの人は本を読まなくなっていき、大学生ともなれば月に1冊も読まないという状態。

成長とともに読書の楽しみを忘れてしまっているようです。読書の楽しみは、その本のワールドをじっくり味わうことです。いわば「味読」です。

深い世界に触れて、それを楽しむ心が必要なのです。そういう心がないと、それだけの時間とエネルギーを割けないでしょう。

誰もが本来持っている知的な欲求に基づき、深い世界に触れて楽しむという心を持つことが最初です。

教養のある人生と、教養のない人生。どちらがいいですか?

私の授業をとる大学1年生には、最初にこういう話をします。

「ここで道が二つに分かれています。教養のある人生と、教養のない人生。どちらがいいですか」『論語』やデカルトの『方法序説』、ニーチェ、福沢諭吉、さまざまなものを読みクリエイティブな課題に応えていく中で、「知的で教養のある人生は素晴らしい」という生き方を選ぶのか。

「デカルトなんて知らないし」などと言いながら生きていく、非知的な人生を選ぶのか。そう問いかけるともちろんみんな「教養のある人生がいい」と言います。

実際、本をたくさん読みはじめると「本を読むようになってよかった」「本を読まないままでいたらと思うと恐ろしい」と言いはじめます。

ポテンシャルは高いのです。ただ読書の習慣がなかっただけです。本を多く読んでいると、教養のある人の話をより面白く感じることができます。

たとえば黒澤明監督の「蜘蛛巣城」という映画は戦国時代の武将の話ですが、シェイクスピアの『マクベス』を下敷きとしています。

『マクベス』を知らなくても楽しめますが、知っていれば「あのマクベスを戦国武将でやるとこうなるのか。なるほど、さすが黒澤明だ」と唸ってしまう。深く楽しめます。

古今東西の名著を引用するというのは、映画や本だけで行なわれているのではありません。ジョーク、雑談だってそうです。教養があれば、何かを踏まえて笑い合うことができます。「あれはマクベス夫人のようだね」と言って笑い合えるわけです。

逆に、「これはマキャヴェリズムだよね」と言ったときに「は?」と返されてしまうと、もうそれ以上深く話すことはできなくなってしまいます。本を読むほどに、世界が楽しみであふれます。普通なら気に留めないものでも、「面白い!」と感じるのです。

たとえば、「漢字ってなんてすごいんだろう!」と気づきます。何気なく日常で使っている漢字ですが、一つひとつの成り立ちにはとても奥深い世界があります。漢字の語源、由来についての研究で知られる白川静さんの本を読むと、本当に面白く感動します。

さらには、漢字と身体を結びつけて考えたのが野口三千三さんです。漢字の成り立ちを身体で探っていくという不思議なことをされています。

「足」という漢字をつくった人たちの感覚を、足の感覚でたどろうとするのです。深い身体感覚と漢字の文化を結びつけて捉えるとは、なんと面白いことをしているのでしょう。

知的なことを面白がれる人は、こういうことが楽しいのです。知的で教養のある人生を選ばない人にとっては、何をしているのかわけがわからないと思います。

その分、人生の楽しみが減ってしまうのですが、それに気づいていません。単純な、いかにも「面白がってください」というエンターテイメントに慣れて、複雑な楽しみがわからなくなってしまいます。

端的に言えば、「教養のある人のほうが、人生が面白くなる」ということです。この世はもっともっと複雑な楽しみにあふれています。その複雑な楽しみに気づき、面白がることができるようになるのです。

 

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