はじめに私が「カリスマリーダー不要の組織づくり」を真正面から提案する初めての著書として、『リーダーシップからフォロワーシップへ』を上梓してから9年が経つ。
発行当時の世間からの反応は、決してポジティブなものばかりではなかった。
「リーダーにカリスマ性を求めないなんて、信じられない」「〝フォロワーシップ〟という言葉はインパクトに欠ける」「それで本当に部下はついてくるのか」「本当に組織の成長につながるのか、イメージできない」戸惑うのも無理はない。
当時の「リーダー」のイメージと言えば、強い牽引力のある言葉で、フォロワーがやるべきことを指示し、目に見える結果を早く出す能力に長けた指導者、というのが主流だった。
堂々とした風格、張りのある声と明確なディレクションといった、分かりやすい〝らしさ〟が求められていた時代。
一方で、そのような〝らしさ〟をまとったカリスマ性のある人物は日本ではなかなか現れにくいため、長らく「リーダー不在」が叫ばれていた。
日本の企業はカリスマ的リーダーシップを発揮できる数少ない人材をこぞって求めて配置し、部下に対して明確な目標をトップダウンで設定し、達成のための方法論まで手取り足取り指導する体制をつくろうとしてきた。
それは非常にうまく機能したはずだ、ごく短期的には。
「半年後までに売り上げ3000万円を達成する」といった短期目標には、トップダウン型のリーダーシップがうまくいく。
それで一時的な業績回復を遂げた企業もあっただろう。
しかし、限界はすぐにやってくる。
この方法では、部下が育たないからだ。
トップダウンの命令をただこなすだけの「指示待ち人間」ばかりが増え、リーダーのアイディアが枯渇した途端、組織の成長は停滞する。
「優秀なリーダーを据えているはずなのに、業績が伸びないのはなぜなのか」多くの経営者たちが壁に突き当たった、というのがこの10年で起きていたことではないだろうか。
私はたまたま自らの実践の中で、リーダーこそ「フォロワーシップ」の意識を持つことが重要であることを知っていた。
つまり、組織を構成する一人ひとりが自ら考え、行動し、成長しながら組織に貢献するための機会を提供し、環境を整える努力をすることだ(詳細は本編に譲るが、まずは「リーダー」「フォロワー」という〝役職〟と、「リーダーシップ」「フォロワーシップ」という〝役割〟を分けて考えることが出発点となる)。
丸の内にある大手シンクタンクに勤めていた2000年代前半から、わたしはこの「フォロワーシップ」の重要性を訴え続けていた。
当時はほとんど見向きもされなかったが、その後、早稲田大学ラグビー蹴球部の監督に就任してからも、監督が前面に出る指導ではなく、選手自らが考えて行動するチームづくりを徹底し、大学選手権連覇を達成した。
この私自身の実践をもとに本書をまとめたのが2009年のことであるかつて求められていたカリスマ的リーダーシップに限界があることを、経営者たちが気づき始めた頃だった。
あれから現在に至るまでの間に、だんだんと「自ら考える部下育成」「自走する組織」といった言葉が世に出回るようになり、「フォロワーシップ」による組織運営を好意的に受け止める流れが加速している。
それにはいくつかの背景があり、一つは、人材育成の科学的研究の進展である。
事例研究、およびその体系化によって、従来型の属人的なカリスマ性に依存したリーダーシップが組織を必ずしも成長させないことが分かってきた。
いや、成長させないどころか、部下に上から目標を押しつけるだけのリーダーは、むしろ「ディミニッシャー(消耗させる人)」として否定されるようにまでなってきた。
近年、人材育成の分野では、「あなた方の組織に、ディミニッシャーはいないか?」と警鐘を鳴らすことが珍しくない。
つまり、部下自身が目標を決めるチャンスや試行錯誤しながら学ぶチャンスを奪い、振り回して消耗させるだけの人。
かつて賞賛されていたはずのカリスマ的リーダーは、それほどネガティブな文脈で語られるようになったのである。
一方で、代わりに歓迎されているリーダー像は「マルチプライアー」、すなわち「増殖させる人」。
自分だけが存在感を発揮するのではなく、部下一人ひとりが自ら成長し、活躍の場を広げる手助けをするリーダーシップが、組織の永続的成長に不可欠と考えられるようになったのだ。
「産業をとりまく環境変化」という背景も大きい。
新商品をリリースすると同時にインターネット上で世界中に情報が拡散される時代において、どんなに斬新で革新的なアイディアでも、明日には世界のどこかで真似される。
たった一人の発想力で勝てる時代は過ぎ去ったのだ。
そこに集まった全員の知恵を出し合い、共有し、議論して、よりよいアイディアを磨き続ける。
そんな組織でなければ生き残れないという危機感を、多くの経営者たちが肌で感じている。
着実な長期的成果・成長を求める組織ほど、フォロワーシップを取り入れようという動きもある。
象徴的なのは、〝世界最高峰の少数精鋭チーム〟であるNASA(アメリカ航空宇宙局)が、宇宙飛行士に求められる重要な資質の一つとしてフォロワーシップを唱え始めたことだ。
ごく狭く、資源が限られたストレス空間の中では、明確な指示を的確なタイミングで発するリーダーシップだけでなく、いかに周囲の様子を注意深く観察し、他人の達成したい目標をすくい上げてサポートできるかというフォロワーシップの資質が欠かせないのだという。
ここにきて、世界のトップクラスの組織がフォロワーシップ型人材育成へとシフトしようとしているという潮目を感じる。
私が長年正しいと信じてきたことを科学的に証明する研究発表を目にしたり、「フォロワーシップについて教えてほしい」という依頼をいただいたりする機会
は、この9年で格段に増えた。
自分としては、ただ淡々とやってきたことに、いつの間にか世の中の流れも同調してきたという感覚でしかないのだが、「リーダーにはカリスマ性がなければならない」と思い込み、自信を持てずにいた人たちを少しでも勇気づけられるようならとても嬉しい。
私自身にも変化があった。
尊敬する同窓の先輩である名将・清宮克幸監督の後を引き継ぐ形で監督を引き受けた早稲田大学ラグビー蹴球部では、ありがたいことに2007年度、2008年度と2年連続で全国大学選手権を制覇することができた。
2010年2月に退任した後は、日本ラグビーフットボール協会の初代コーチングディレクターという役目をいただいた。
言うなれば、コーチを育てるコーチになった。
地方を回りながらフォロワーシップの概念を伝え歩く2年間は、私自身にとって大いに刺激と学びを得る日々であった。
2012年にU20(20歳以下)の日本代表監督に就任してからも、私なりのフォロワーシップのあり方を磨き続け、2015年にはワールドラグビーチャンピオンシップでトップ10入りという結果を残すことができた。
この頃、企業のリーダー育成に特化したプログラムの開発も進め、同年に株式会社チームボックスを設立。
「これまでのリーダー育成では限界を感じている」という経営者の悩みに寄り添い、私の経験に基づく中長期プログラムを提供している。
プログラムを実施した企業を追跡調査してみると、「優秀で信頼を集めるリーダーほどフォロワーシップを発揮している」という結果も見えてきた。
私が本書で伝えたいメッセージは大きく二つ。
リーダーシップの形は一つではないこと。
そして、強い組織をつくるリーダーには誰でもなれるということだ。
「あいつはリーダーに向いている、向いていない」という議論は、リーダーシップを一義的にしかとらえていない。
リーダーシップには様々なアプローチがあり、そのアプローチの中でも近年、有効性が評価されてきたのが「フォロワーシップ」の手法である。
「自分はリーダーに向いていないのに、役職を与えられてしまった」と不安に感じている人、あるいは「自分は組織のために頑張っているはずなのに、なぜか結果が出ない」と悩んでいる人にこそ、ぜひ本書を手にとってほしい。
新版として刊行するにあたり、巧みなフォロワーシップによって実績を挙げているコーチの具体的行動を紹介しながら、あらためて「いいリーダーの資質」についてまとめた終章を加えた(第1~7章は旧版をほぼそのまま踏襲している)。
「リーダーらしくないリーダー」と言われ続けてきた私だからこそ伝えられるノウハウを、本書で惜しみなく伝えたい。
目次はじめに第1章組織論の見直し組織論の定義と分類リーダーが考える「リーダーシップ」リーダーが考える「フォロワーシップ」フォロワーが考える「フォロワーシップ」フォロワーが考える「リーダーシップ」
組織論の定義と分類組織論を研究されている方々には非常に恐縮だが、本書では私の独断で組織論を整理してみたいと思う。
超専門的な話やその筋の権威の証言や歴史などを引用することはなるべく控え、一個人が組織論というものを現場で学ぼうとしたときに、どういう前提でどのような視点で組織論を考えていくかを示唆する。
そもそも、組織論とは何だろう。
普段、当たり前のように使っている言葉や頭の中ではなんとなく分かっている言葉を、あえて言語化して定義づけすることは、ものごとを理解していく上で、非常に重要なことである。
まず、考えなければならないことは、一般的に使われる「~~論」。
~~には、どんな言葉でも当てはまる。
簡単にいうと、「~~論」とは、1.~~とは何か2.~~はどうあるべきかを考えることである。
この場合は、組織論だ。
よって簡単に定義づけすれば、組織とは何か、組織とはどうあるべきかを考えることである。
では、現在の組織論の主流は一体何だろう。
世の中の主流を直接感じるには書店に足を運ぶのが手っ取り早い。
または、インターネットで検索することも一つの手だ。
どこの書店にも大体「組織論」のコーナーがある。
昔から変わらない三大テーマは1.マネジメントに関すること2.ビジネス・経営に関すること3.リーダーシップに関することである。
では、組織とは何だろう。
これも、誰しも普段良く使っている言葉であるが、なかなか定義づけは難しい。
複数の辞書から総括すると、次のようになる。
組織とは、意義を持って集まった二人以上の集団、といえる。
要素としては、「意義的」と「二人以上の集団」という部分が重要になる。
まず、意義的とは「ある目的やテーマのための必然性」があること。
漠然として分かりにくい表現であるので、具体的に整理するために、「意義的」とはどういうことかを検証したい。
例えば、あるカフェに偶然集まった人々や同じ車両に乗り合わせた人々を想像してほしい。
それぞれが、個人としてコーヒーを飲みに集まった、または、どこかの駅に向かうために乗り合わせた。
これは意義的とはいえない。
ただ、個人の目的やテーマのために、偶然集まった人々であるからだ。
よって、このケースは組織とはいえない。
組織の要素である「二人以上の集団」も整理しなければならない。
原則的には、構成条件はないのだが、知恵を備えた人間が行動していくと、ある種、普遍的な構造ができあがる。
人間に限らず、多くの動物もそうであるが、集団の中にパワーバランスが生まれる。
サルの集団にはボスザル、蜂の集団には女王蜂がいるように、人間の集団にも「リーダー」が現れる。
当然、リーダーが生まれない組織も稀に存在するし、あえてリーダーを作らない組織を意図的に作り、その効果を実験したプロジェクトも世の中には存在する。
しかし、組織行動が進むにつれて、通常はリーダーとそれ以外の二分化構造が生まれる。
その際、目を向けなければならないことは、例えばサル社会でいえばボスザル以外、蜂社会でいえば女王蜂以外のようなリーダー以外の個体数が圧倒的に多いという事実である。
もちろん、組織というものは、リーダーの影響が大きい。
だからこそ、先ほど組織論の主流で触れたように、これまでの組織論は「リーダー」に関することに偏ってきていたといえよう。
一方で、構成個数で考えると「リーダー以外」の存在は無視できない。
忠実に組織論を解いていくのであれば、「リーダー」のことだけでなく、「リーダー以外=フォロワー」のことを考える必要があるといえよう。
どうもこれまでは、「リーダー」のことばかりが先行してきたため、多くの問題が発生しているような気がする。
「リーダー不在」「リーダー待望」といった風潮を多くのメディアが煽っている。
そろそろ、「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」を同レベルで考えなければならない時代がやってきた。
「リーダー」と「リーダー以外」を分けて考えると、組織に対してそれぞれの立場で考えなければならないことが二つずつある。
簡単に整理すると四つに分類される。
①リーダーが考える自分自身のリーダーシップ②リーダーが考える自分以外のフォロワーシップ③フォロワーが考える自分自身のフォロワーシップ④フォロワーが考えるリーダーがとるべきリーダーシップこの四つのテーマについては、それぞれ詳しく述べていくが、まず簡単に説明をしておきたい。
①と③はそれぞれの立場で自分自身のことについて、②と④は自分とは違う立場の相手(リーダーであればフォロワー、フォロワーであればリーダー)のことを主眼に置いたテーマである。
リーダーが考える「リーダーシップ」この分野はいわゆる世間一般で言われるリーダーシップの話である。
既にリーダーという立場にある方か、または将来リーダーとなる方、なりたい方を対象としたテーマである。
リーダーが自分自身のリーダーシップのとり方について考えることであり、その人々のリーダーとしてのレベルアップや課題解決の話が中心となる。
リーダー自身が組織の中でどのようにリーダーシップを発揮し、ゴールに導くべきかを考えていく。
リーダーを目指す人が最も興味を抱くテーマである。
歴史上の著名なリーダーの生き様を描いた自伝や小説、研究論文などリーダーに関するストーリーなどが当てはまる。
例えば、アメリカ合衆国の歴代大統領の語録、第二次大戦時にイギリス首相だったチャーチルなどの思想・政策、スポーツにおける偉大な指導者の指導方針なども、いわゆる帝王学として、組織論の中でも歴史が深く、メジャーな分野といえよう。
詳しくは第2章で述べる。
リーダーが考える「フォロワーシップ」一方で②は本書で最も重点的に取り扱うテーマである。
リーダーが考えるフォロワーのあるべき姿についての話である。
若手指導に携わっている方、部下の指導に悩んでいる方の参考になればと思っている。
リーダーがとるべき若手育成ノウハウの蓄積や部下教育のレベルアップというより、若手や部下などのフォロワーの成長を主眼に置いている。
リーダーは往々にして、組織内の部下やメンバーの指導に携わるため、若手育成や指導は、リーダーにとってはごく普通のテーマではあるが、フォロワーシップは単なる「育成論・指導論」と大きく異なる。
極端にいえば、フォロワーシップとは、どうやって目の前の若者を教育すべきかを考えるのではなく、どうやったら彼らは自然と勝手に成長してくれるのかを、突き詰めて考え抜くことである。
要するに、リーダーとしての優れた育成スキルや教育手法を語るものではなく、あくまでも、フォローする側の視点に立ち、フォロワーがどうあるべきかをシンプルに考えるものである。
フォロワーシップの心構えや概念は、詳しくは第4章で取り扱う。
リーダーとフォロワーの役割分担やフォロワーシップのための環境整備についても言及する。
具体的なフォロワーシップの実践については第5章で触れるので、テキスト感覚で読んでいただきたい。
実際、著者が行っている個人面談の手法やフォロワーシップ実現のためのチームトークの様子を紹介する。
フォロワーが考える「フォロワーシップ」③はフォロワーが考える自分自身のフォロワーシップということで、現在リーダーという役回りではないが、組織への貢献のために、フォロワーという立場でうまく力を発揮したい方、または自主性や自律性を高めて、個としての力を高めたい方に向けたメッセージである。
実は、フォロワーが、組織においてどのように力を発揮するべきかという観点に立った知見はあまり世の中に蓄積されていない。
一つの理由は、通常はリーダーとフォロワーの間に格付けがあるからだ。
簡単に言えば、リーダーはフォロワーより、偉い。
いや、偉いというより、上下関係が成り立っているのが普通だ。
全ての組織に当てはまるとはいわないが、リーダーという立場は、全体をリードしていく役割が大きいため、組織の中ではリーダーはフォロワーよりも大切だという論理が当然成り立つ。
また、構成人数から見ても、リーダーの方が希少価値は高い。
10人の組織でいえば、リーダーが1名であればフォロワーは9名であり、500人の組織であれば、リーダーが1名であればフォロワーは499名となる。
もちろん、一人ひとりの人権は同格であるのは言わずもがなではあるが、組織内でリーダーとそれ以外に分かれる以上、リーダーであるのは誇らしいことである。
そこで、人間には誰しも向上心という本能があるという前提に立てば、例外はあるにしろ、多くの人はフォロワーより、リーダーを目指すことになるだろう。
そう考えれば、本人たちだけでなく、周りの世の中全体も、リーダーを求めるようになり、リーダーを目指すこと、または実際にリーダーになることが、暗黙のサクセスストーリーとなる。
極端に言えば、優秀なフォロワーを目指すよりも、ただ貪欲にリーダーという立場獲得を目指す人が、日に日に増えていくかもしれない。
そう考えると、フォロワーのためのフォロワーシップ論というのは、世間的にも求められていないという理屈も成り立つ。
先ほど、フォロワーのための知見は蓄積されていないと述べたが、理由はそこにある。
さらに、資本主義社会の原理でいえば、売れないものは、作らないので、フォロワーシップの書籍やドキュメントが市場に出ないのは、すんなり理解できる。
しかし、唯一、例外の領域がある。
それは、宗教の世界である。
フォロワーのためのフォロワーシップについて最も詳しく言及し、浸透しているのは神や仏を中心とした宗教の領域であろう。
全てとは言わないが、メジャーな宗教では、信者がいわゆるリーダーを目指す仕組みがない。
信者は一信者として、その宗教の教えを一生貫く姿勢をとる。
信者が日々査定を受け、企業原理のもとで昇進したり、報酬を受けたりすることはない。
勧誘活動をがんばったからといって、明日から突然、教祖になることはない。
だから、宗教の世界では、信者は最初からフォロワーはフォロワーのままでいる。
そう考えると、フォロワー自身が考えるフォロワーシップの叡智は、メジャー宗教に最もあるのだろう。
第6章では、残念ながら宗教の知見を探ることはしないが、フォロワーが優秀なフォロワーとして徹するための心構えや工夫を一緒に考えてみたいと思う。
フォロワーが考える「リーダーシップ」④はフォロワーが考えるリーダーシップであり、現在リーダーではないがフォロワーの立場で組織を活性化させたいと思っている方や、残念ながらダメなリーダーについてしまったがなんとか組織をうまくマネジメントしなければならない方のためのアドバイスを盛り込んだ。
リーダー不在の業界は、実は、よくあるケースで、ほとんどの人が理想的なリーダーに出会うことは少ない。
しかし、だからといって、ただ愚痴を言っていられる状況ではなく、自らがその上司や上役をコントロールしながら組織を支えていかなければならない方への声援になればと思う。
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