はじめに
「ボストンコンサルティンググループ(以下、BCG)のコンサルタントは仕事が速い」と顧客の方からいわれたことがある。
コンサルタントは日ごろから、分析力や論理的にものを考える力を身につけるようトレーニングしているし、似たような仕事の経験も豊富だから仕事が速いのだろう、と当初は考えていた。
ところが、多くの同僚の仕事ぶりを注意深く見ていると、分析力のある人がコンサルタントとして大成するかというと、必ずしもそうではない。
優秀なコンサルタントでも、分析力はいまひとつではないかと思う人もいる。ただし、優秀な人は総じて問題を素早く発見したり、解決策にたどり着くのが早い。
どうやら分析力や情報収集といったスキルの問題ではなく、ものの考え方や仕事の進め方に差がありそうだ。
筆者はそう考えるにいたった。自分の新人コンサルタント時代を振り返ってみると、合点がいく。当時、筆者は「枝葉の男」と評されていた。
細かい分析は得意だし、ちょっとしたアイデアをすぐ思いついた。
しかし、幹の仕事、つまりコンサルタントとしてのもっとも大事な仕事である問題解決の全体像が描けないでいた。
手当たり次第に情報収集を行ない、人一倍に分析作業を行なうものの、有益な分析結果が少ない、ゆえにさらなる情報収集・分析が必要になるという悪循環に陥っていた。
問題の本質に到達するのに、膨大な時間を必要とした。ときには、問題の本質に到達する前に時間切れになったことさえあった。
この悪循環から筆者を救ってくれたのは、先輩コンサルタントから学んだ仮説思考であった。
仮説とは、情報収集の途中や分析作業以前にもつ「仮の答え」のことである。
そして、仮説思考とは情報が少ない段階から、常に問題の全体像や結論を考える思考スタイル、あるいは習慣ともいうべきものである。
読者の方には耳慣れない言葉かもしれないが、BCGの社内はもちろん、コンサルタントの世界ではごく当たり前に「仮説」という言葉が使われている。
ディスカッションをする際には、「きみの仮説は何だ?」「私の仮説は……です」というやり取りが飛び交っている。
仮説思考を実践すると、不思議なことに、仕事がスムーズに進むようになり、同時に仕事の正確性も増した。
情報を闇雲に集めると、仕事を遅くすることはあっても、正確性が増すことは少ないと気づいた。情報洪水に埋もれてしまっていたのである。
経験があるビジネスパーソンだから、あるいは訓練されたコンサルタントだからこういうやり方ができるのであって、自分には無理と考える読者もいるだろう。
しかし、筆者にいわせるなら、経験を積まないと、あるいは、コンサルタントとしての経験がないと、早い段階で結論を考える力(仮説思考力)がつかないと思っているうちは、いつまでも進歩しない。
仮説思考は実践していくことで身についていくものである。最初は立てた仮説が的外れなものになることも多いはずだ。
しかし、人間というものはおもしろいもので、失敗するとそこから学べる。なぜ失敗したか、うまくいかなかったかを考え、次はあそこを変えてみよう、今度は別のやり方を取り入れてみようと試行錯誤しながら、進歩していくのである。失敗を積み重ねながら、仮説思考は進化していく。
本書が、ビジネス経験がまだ少なく、仕事の進め方が遅い、判断ができないと思っている方々、あるいは、ビジネスの経験はそれなりに積んでいるのにいつまでも先を見通せず、思い切った意思決定ができずに、リーダーとして力不足と悩んでいる方々の一助となれば幸いである。
二〇〇六年三月内田和成
序章 仮説思考とは何か
□情報が多ければ正しい意思決定ができる?
ビジネスパーソンは日々、問題解決を迫られている。
「収益を向上させるにはどうしたらよいか?」、「研究開発の生産性を高めるにはどうしたらよいか?」、「グローバルで勝ち残るにはどうしたらよいか?」、「社内を活性化するにはどうしたらよいか?」など、企業には多くの経営課題がある。
多くのビジネスパーソンは、情報は多ければ多いほど、よい意思決定、間違いのない意思決定ができると信じている。
そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集めてから物事の本質を見極め、さらに、そこで明らかになった問題に答えを出すために、また必要な情報を集める、という作業を繰り返す。
これはある意味で、コンピューターが将棋を指す場合のやり方に似ている。その時点で考えられるすべての打ち手を読み尽くし、最も優れた手を打とうという考え方である。
コンピューターのようにありとあらゆる手を検討し尽くすのが得意な機械でさえ、将棋では人間の名人には勝てない。
名人の経験に裏打ちされた直感やひらめきにはかなわないのである。
すべての手を読み尽くそうとしても、現在のコンピューターの計算処理能力では手が進むたびに展開を読み直していると、いずれ持ち時間を使い切り、読み切れなくなって、名人の直感やひらめきに屈してしまう。
ビジネスにおいても、人間がコンピューターと同じような戦い方、すなわちすべてを調べ尽くすという仕事の進め方をしてもうまくいくわけがない。
□早い段階で仮説をもてばうまくいく
実際に何が起こるかといえば、情報収集しているうちにどんどん時間が過ぎていき、結局、肝心の意思決定は「エイヤーッ」でやらざるを得なくなったり、いざ物事を決める段階になって、必要なデータがそろっていないことに気づいたりする。
要するに、あらゆる情報を網羅的に調べてから答えを出していくには、時間的にも資源的にも無理があるということである。
実は仕事ができる人は、人より答えを出すのが早いのである。まだ十分な材料が集まっていない段階、あるいは分析が進んでいない段階で、自分なりの答えをもつ。
こうした仮の答えを、われわれは仮説と呼ぶのだが、その仮説をもつ段階が早ければ早いほど、仕事はスムーズに進む。
もう少しくわしくいえば、仕事の速い人は限られた情報をベースに、人より早くかつ正確に問題点を発見でき、かつ解決策につなげることのできる思考法を身につけているのである。
一方で、仕事が遅い人の特徴は、とにかくたくさんの情報を集めたがることだ。
どちらがニワトリでどちらが卵かわからないが、情報がたくさんないと、どうにも意思決定できないのである。
□現時点で「最も答えに近い」と思われる答え
さて本書でとり上げていく「仮説」という言葉──われわれコンサルタントの間では日常的に飛びかっている言葉だが、一般的にはあまりなじみがないかもしれない。
学生時代の実験や卒業論文以来という人も多いのではなかろうか。
仮説とは読んで字のごとく「仮の説」であり、われわれコンサルタントの世界では、「まだ証明はしていないが、最も答えに近いと思われる答え」である。
答えといっても、それが問題の場合もあれば、解決策の場合もある。
というのも、ビジネスの世界は学校の勉強とは違って、前もって、課題は「これである」とはっきりしていることはまれであり、まずは問題から見つけださなければならないケースが多い。
この課題設定を間違えると、いかに立派な答えを出してみても、本質的な課題解決にはつながらない。このような話をしていると身構えてしまう人もいるかもしれないが、実はそうでもない。
仮説というと「なじみ薄」と感じる人でも、普段の生活ではけっこう仮説を使って暮らしていることが多いのだ。
たとえば、「雨が降った日には、みんな外に出かけるのがいやだから、レストランもすいているはずだ」という読みを立て、家族でレストランに出かけることがあるだろう。
そして、実際に出かけてみてレストランがすいていれば、自分の仮説は当たっていたことになり、次からも「雨の日にはレストランがすいている」という前提で行動することになる。
一方、行ってみたら案に相違してレストランが混んでいたということもあるかもしれない。
この場合は、自分が立てた「雨の日にはレストランはすいている」という仮説は間違いで、みんなが同じように考えるので逆に「雨の日にはレストランは混んでいる」のかもしれないし、あるいは「天候とレストランの混み具合は関係ない」のかもしれない。
これが仮説思考である。
□仮説思考を身につけるために
仮説を使う思考方法(以下、仮説思考)は、ビジネスパーソンにとって最も大切な能力のひとつだ。
仮説思考を身につけることによって、迅速かつ正確に課題の本質を解明し、解決策を導きだすことができるようになる。
本書では以下の四点についてできるかぎり具体的に述べたい。
- 仮説思考を身につけることによって、どんなメリットがあるのか?
- どうしたら仮説を構築することができるのか?
- 立てた仮説を検証し、進化させていくにはどうしたらいいのか?
- 仮説思考力を高めていくには日常どんなことをしたらいいのか?
何も実行しないことが大きなリスクになる今日、いつまでも選択肢を拡げる情報収集を続け、意思決定のタイミングを遅らせるわけにはいかない。
網羅的に情報を収集するのではなく、限られた情報をもとに、仮説思考によって最適な意思決定をすべきなのだ。
少ない情報で答えを出してしまうというと、一見常識への挑戦にも見えるが、この思考法こそが、実はビジネスを成功させる上での王道というべきものである。
第1章まず、仮説ありき
1なぜ仮説思考が必要なのか
□問題解決のスピードが格段に速くなる
仮説思考とは、物事を答えから考えることだ。ベストな解を最短で探す方法ともいえる。
仕事をしていると、毎日さまざまな問題に直面する。それらの問題を解決しようとするとき、考えられるあらゆる原因、そして、それぞれの原因に応じた解決方法を網羅的に調査するのは事実上難しい。
問題を解決すべき時間が限られている場合に、そのような仕事の仕方をすると、結果を出せないまま時間切れになってしまう。
したがって、あらかじめ答えを絞り込むこと、つまり仮説を立てることが重要になる。
仕事の進め方で大事なことは答えから発想することだ。課題を分析して答えを出すのではなく、まず答えを出し、それを分析して証明するのである。
よく、経営コンサルタントは仕事が速いといわれるし、実際に速い。ただ、それはコンサルタントが先天的に頭脳明晰だからというわけではない。特別に脳の回転が速いというわけでもない。
コンサルタントとして鍛えられていく中で、後天的に仮説思考の方法を身につけるために、問題解決のスピードが格段に速くなる。
コンサルタントは、「自分の仮説をもて」ということを厳しく叩き込まれる。また常に「あなたの仮説は何か」と問われ続ける。
それは経験的に、仮説を構築した上で具体的な作業を進めるほうが、スピーディーで、かつ質の高い答えに到達できる方法だということがわかっているからだ。
具体的には仮説を立てることで、やるべきことがクリアになり、論点を深く考えることができる。つまり、コンサルタントは、仕事の進め方を知っているから、仕事が速いのだといえる。
「はじめに」にも書いたように、実は私自身、経験的にそれを実感している。新人コンサルタント時代、私は「枝葉の男」と評されていた。
細かい分析は得意だし、ちょっとしたアイデアをすぐ思いつく。一方で、肝心の問題全体がどんな構造になっていて、どの課題が最も重要であり、そこから手をつけて解決を図るべきだというような大きな話、すなわち幹の話がつくれないでいた。
幹がなくて、枝葉ばかりというわけだ。
思いつくかぎりの課題をすべて並べて順番に力任せに検証したり、問題をあらゆる角度から分析しようとし、関連する情報を網羅的に収集したりしていたために、問題の本質を見極めるのに膨大な時間を必要とした。
費やした時間の割に成果が出せない。いや、問題の本質に到達する前に時間切れになったことさえある。これではいけない。仕事のやり方を変える必要があると痛感した。
そして先輩コンサルタントたちから学んで、仮説思考の方法を身につけるにしたがい、答えをスムーズに導きだすことができるようになっていった。
問題解決はコンサルタントの独壇場ではない。ビジネスパーソンは日々、問題解決を迫られている。そのとき、あらゆるケースをすべて調べまくってから答えを出すのは時間的にも資源的にも無理だ。
仮説思考は、すべてのビジネスパーソンにとって重要なスキルといえる。
限られた時間、少ない情報でベストな解を探すことができれば、ビジネスでの成功確率は確実に高まるはずだ。
□見ただけで答えがわかってしまう
コンサルタントが経験を積むと、仮説思考力が高まり、短期間で答えが出せるようになるという例を紹介しよう。
営業不振で悩んでいる企業の経営者から、売上げが不振なので助けてほしいと依頼を受けたとする。この場合、営業不振の理由として考えられることは山ほどある。
たとえば、製品に力がなく競争相手に負けていたり、消費者の支持を失っている場合、あるいは、品質に問題があって取引先や消費者から避けられている場合、価格が高いために競争に負けている場合、広告宣伝に問題がある場合、営業体制に課題がある場合……。
これらのほかに、経営者自身が問題を引き起こしているケースもあれば、業界全体が構造不況に陥っている場合もある。
コンサルタントも経験が少ないうちは、あらゆる可能性をすべて調べてどれが本当の原因かをはっきりさせないと気持ち悪さが残る。
しかし、コンサルティングの経験を積んでいくと、こうした問題も、経営者に一度話を聞いて、現場を一度見れば、かなりの確率で何が問題かがはっきりする。
実際にコンサルティングを始める前に答えがわかるのである。
たとえばわれわれは、その業界がいま成長産業なのか、成熟化しているのか、あるいはグローバルでどんな潮流があるのかといったことはあらかじめ頭に入っているので、不振が業界全体の動きからきているかどうかは、新たに調べる必要はない。
一方で、その他の問題は、どれが真因かは企業個別の理由なので、通常はじっくり調べないとわからないはずである。
ところが、何度も企業のコンサルティングを続けていくうちに、ちょっとした現象や特徴から、何が問題かは見当がつくことが多い。
たとえば、現場に行ってみて、社員に元気があり、商品もきちんと在庫されていて、品切れがないのにもかかわらず、ものが売れない場合は、商品の競争力に問題があるケースが多い。競争相手にやられているのである。
一方で、商品には一見問題がなさそうなのにものが売れていないときには、流通チャネル政策に失敗しているケースが多い。たとえば、価格政策を間違えたり、物流体制に問題があったりする。
これも経営者に少し話を聞いて、現場に行ってみると、おおよそ見当がつく。
もちろん経営者や本社の幹部と話をして、リーダーシップやマネジメント体制が問題だと気づくこともある。
カルロス・ゴーンが来る前の日産に行ってみれば、そう感じたに違いない。
□現場からの刺激と経験を組み合わせる
ただし、どれもがそれが唯一の原因かどうかはわからないはずだ。しかし、これも、長年やっていると勘が働いて見当がついてしまう。
もちろん、それはまったくの当てずっぽうではない。
頭の中に引き出しがいろいろあって、経営者とやりとりをしたり、現場を見ることでその引き出しが刺激される。
これまでの経験といま見聞きしていることが組み合わされて、答えが出てくるわけだ。単なる経験だけでもなければ、ただの思いつきでもない。
その両方が組み合わさって答えが出てくるといえばよいかもしれない。もちろん全部が正解なわけではなく、間違うことも多い。
そうした成功も失敗もすべて蓄積されることで、勘がさらによく働くようになるのである。これが仮説思考の積み重ねの成果だといえる。
2先見力と決断力を支える
□先行き不透明な中で必要とされるもの
ビジネスパーソンにとって大切な能力は、先見性、決断力、実行力の三つである。
とりわけ経営者は、先行き不透明な経営環境の中で、ある程度の「読み」をもって、日々、意思決定し、実行していかなくてはならない。
先行き不透明で自社の将来を見通すのが難しいからといって、結果がわかるまで意思決定を延ばしておくわけにはいかない。
そんなことをすれば、競争に後れをとったり、社員が会社の先行きに不安をもってしまう。
となると、いまわかっている情報で先を読む力、すなわち先見性というものがまずリーダーの資質として重要となる。
先が読めたとしても、ものを決めるというのは勇気のいることであり、リスクを伴う。とりわけ先行きが不透明であればあるほど不安になるのも無理はない。
それでも、最後は自分ひとりで意思決定すなわち決断するのがリーダーの二つめの要件である。いくらリーダーが意思決定しても、組織が動かなければ企業は変わらないし、前に進まない。
したがって、組織を動かす力、すなわち実行力が重要となる。
今日と同じような、先が読めない混迷の時代に要求されるリーダーシップ論を説いたプロイセン(現在のドイツ)の将軍カルル・フォン・クラウゼヴィッツも、同様のことをいっている。
彼は、プロイセンがナポレオンとの戦いに敗れた原因や、ナポレオンの没落などを分析することで、戦争に勝つための方策、あるいは政治的目的を達成する手段としての戦争などについて研究し、その成果は、彼の死後、一八三二年にVomKriege(邦訳は『戦争論』。
清水多吉訳の中公文庫BIBLIOS版と日本クラウゼヴィッツ学会訳の芙蓉書房出版のものが、それぞれ出版されている)として出版された。『戦争論』は西洋の軍隊参謀の必読文献であった。
この中でクラウゼヴィッツは、不確実な環境下で組織を導くリーダーに必要なものとして、こんなことをいっている。
「精神が予想外の事態を乗り越えてこの不断の戦いに勝つためには、二つの特性を必要とする。ひとつは、暗黒においても内なる光を灯し続け、真実を追究する知性であり、もうひとつは、そのかすかな光が照らすところに進もうとする勇気である」(ティーハ・フォン・ギーツィー、ボルコ・フォン・アーティンガー、クリストファー・バスフォード編著『クラウゼヴィッツの戦略思考──『戦争論』に学ぶリーダーシップと決断の本質』ボストンコンサルティンググループ訳、ダイヤモンド社)この二つの特性をいい換えれば、先見性、決断力、実行力ということになるだろう。
そして、先見性、決断力、実行力の三つの能力のうち、先見性と決断力の二つは、仮説思考と密接な関係がある。
すなわち不透明な霧の中でもわかり得ることは見通しておくクセをつけ、意思決定していくことが必要なのだ。
□オフト・マジックは仮説思考から生まれた
先見性に優れたリーダーとして思いだすのは、一九九三年に行なわれたサッカー・ワールドカップ・アメリカ大会アジア予選で、監督として日本代表チームを率いたハンス・オフトだ。
彼の采配は「オフト・マジック」と呼ばれた。
というのも、ゲーム開始前に、その日のゲーム展開や結果について選手や記者団に語り、それが的中することがたびたびあったからだ。
この「オフト・マジック」の秘密について、彼は『日本サッカーの挑戦』(講談社)という著書の中で言及している。
一九九二年に開催されたダイナスティカップの対中国戦。このゲームは日本代表にとってアウェー(敵地)の北京で行なわれた。このときオフトは選手にこんな指示をしたという。
「試合が始まると中国が一気に攻めてくる。劣勢に立たされるが、この時間帯は耐え抜いて守れ。そのうちに中国の攻撃が緩むだろう。そこで前半三〇分すぎから逆襲に転じ、得点し、前半は一対〇で終わる。
後半になると、再び中国が巻き返しを図る。だから後半も最初の一五分くらいは耐える時間帯になる。その時間帯をしのぎ、後半終了間際にもう一点とり、結果として二対〇で勝つ」
オフトの読みの正しさは、数時間後、その場にいたすべての人が知ることになる。
周囲はオフトの予測能力の高さに舌を巻いたが、オフトは、予測ではなく科学だといっている。
実はオフトは事前に中国戦を偵察し、中国選手の特性を見極めていた。中国選手は身体能力に優れ、勢いづくと止めるのは容易ではない。しかし、相手が攻撃に耐えていると、気が緩んでくる。そうした特性から判断し、この試合は二対〇で勝つという仮説を立てたのである。
□天才棋士・羽生は一瞬で打ち手を絞り込む
プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの世界に進んでいたとしても、かなりの確率で成功を収めたに違いない。
なぜ、そんなことをいうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。
羽生の棋風はオールラウンドで幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。
奇しくもオフトと同様、「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書『決断力』(角川書店)で言及している。
羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、それでも「あとはなるようになれ」という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を支えているのが仮説思考である。
将棋には、ひとつの局面に八〇通りくらいの指し手の可能性があるが、その八〇をひとつひとつ、つぶさに検証するのではなく、まず大部分を捨ててしまう。
八〇のうちの七七、七八については、これまでの経験から、考える必要がないと瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」と思える二、三手に候補手を絞る。
これはまさに仮説思考だ。八〇のうちから、よさそうな三つの答えを出す。そして、その三つについて頭の中に描いた将棋盤で駒を動かして、検証する。
網羅的にすべての手を検証してから意思決定しているのではなく、大胆な仮説を立て、「これがよいのではないか」と指しているのだ。
羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。
直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、「こういうケースの場合はこう対応したほうがいい」という無意識の流れに沿って浮かび上がってくるものだと思う、と羽生はいう。
こんなこともいっている。
「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」
将棋の対局の経験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。
ビジネスにおいても、問題の原因と解決策について、あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って仮説を立てることが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、それは、経験に裏打ちされた直感力、勘によるものだ。
3情報は集めるよりも捨てるのが大事
□情報が多すぎると意思決定は遅くなる
ビジネスパーソンが仮説思考を身につけ、使いこなせるようになると、日常の仕事を行なう上で、大きく三つのメリットがある。
ひとつ目は、情報洪水に溺れなくなること。二つ目は、問題解決に役立つこと。そして三つ目は、大局観をもって仕事ができることだ。
いずれもそれによって、仕事の効率が高まり、質の向上にもつながる。
二つ目の問題解決に仮説をどう使うかについては、第2章で詳述するとして、ここでは、情報洪水に溺れなくなること、大局観をもって仕事ができることについて解説したい。
まずは、情報洪水からの回避について、考えてみたい。仕事で大切なのは意思決定だ。社長でも部長でも、組織のリーダーでも担当者でも、必ず意思決定をしなくてはならない。
では意思決定には何が必要か。そう尋ねると多くの人が「情報」と答える。しかし、それは錯覚だ。
たしかにある程度の情報は必要なのだが、情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができるというのは、間違った思い込みである。
情報理論の世界では、不確実性が高いことを「エントロピーが大きい」と表現する。すなわち新しい情報が加わって不確実性が低くなれば、エントロピーは小さくなる。
たとえば、得意先の接待に和食とフランス料理のどちらがふさわしいか悩んでいたとする。
このときに、「先方の社長はフランス料理が好きだ」とか、「先方は翌日に和食の予定が入っていて、和食にすると二日続きになってしまう」といった情報が手に入ったとしよう。
こうした情報があれば和食とフランス料理という二つの選択肢のうちのひとつを消すことができるので、意思決定が簡単になる。
エントロピーが明らかに小さくなる例である。
ところが誰かに相談したところ、「いまどき寿司や天ぷらははやらない。私の知っているイタリア料理の店を紹介しよう」などといわれたら、エントロピーは大きくなり、意思決定は、より困難になる。
つまり意思決定をするときには、いますでにある選択肢を狭めてくれる情報だけが役立つのだ。企業の意思決定でも同じだ。
たとえば、新製品のマーケティング戦略で、テレビ、新聞、雑誌などの広告媒体から、さまざまな観点で最適なものを絞り込み、「新聞広告と雑誌広告のいずれにすべきか」で悩んでいるとしよう。
このときに、「やっぱりテレビコマーシャルはどうか」といった意見は、戦略を再度ゼロから見直すことになり、戦略実行上の遅れや迷いをもたらす。すなわちエントロピーが増大する。
余談ではあるが、世の中にはこうした思いつきの意見をいって仕事のやり直しを命じる上司が多く、部下が苦労している。
それに対して、「この商品のターゲットユーザーである二〇代男性は、新聞はほとんど読まないが、自分の好きなことは雑誌を買ってまで熱心に勉強する」という意見は、新聞広告という選択肢を消しやすくする。
すなわち、エントロピーが下がって確実性が増すという意味で、大変有益な情報である。
□情報コレクターではアクションにつながらない
企業が意思決定する場合に、闇雲に情報を収集するのは、明らかな間違いだ。企業が活動すると非常にたくさんの情報が集まる。
たとえば自社に関する情報だけでも、損益計算書、貸借対照表(バランスシート)、支店別の業績表、月別の売上推移や原価計算表など、さまざまなものがある。
あるいは、競争相手の業績や市場シェアについての情報もあるし、業界団体が出している情報誌、あるいは学術論文から得られる情報もある。さらに顧客や消費者にインタビューして得られる情報も山ほどある。
しかしその情報を、定量情報であればエクセルに入力し、定性情報であればワードで入力し、分厚い報告書をつくったとしても、報告書をつくる手間だけでも大変だし、結局は実際のアクションにつながらない、意味のない報告書になることが多い。
それどころか、意思決定を遅らせる元凶にもなり得る。一般に企業は、できるだけたくさんの情報を集めてから、意思決定しようとする傾向が強い。経営陣から社員まで大半が情報コレクターになっている。
残念なことに、こうした企業の多くが意思決定に時間がかかりすぎて、必要な施策の実行が手遅れになる。
あるいは、新たな情報を求めて選択肢が増えてしまったり、知らなかった新事実が出てきたりして、ぐずぐずしたまま意思決定できないケースが多い。
迅速な意思決定のためには、いまある選択肢をいかに絞り込むかという視点で情報収集すべきなのだ。
意思決定に使える時間には限りがあり、完璧な答えが出るまで意思決定を先送りしたくても、相手は待ってはくれない。
となると、いかに限られた情報をもとに最適な意思決定をするかがカギとなる。
何も実行しないことが大きなリスクになる今日、いつまでも選択肢を拡げる情報収集を続けて意思決定のタイミングを遅らせるわけにはいかない。
網羅的に情報を収集するのではなく、限られた情報をもとに、仮説思考によって最適な意思決定をすべきなのだ。
□網羅思考は非効率
しかし、実際のところ、考え得るさまざまな局面から調査・分析を行ない、その結果をベースに結論を組み立てる人が多い。これを網羅思考と呼ぶ。
※必要な情報を考える。①まず業界は伸びているか成長していくか②3C分析で勝てるかどうか査定。③5F分析で業界内を査定
この場合、最初の段階ではストーリーの全体像は見えない。これが仮説思考との大きな違いだ。
まず、すでにわかっている情報から問題の一部分についての結論をつくり、それをベースにさらに新しい情報や分析を追加しながら新たな結論を導きだし、ストーリーを増やしていく。
それを繰り返すうちにストーリーの全体像が見え、最後にようやくひとつのストーリーが完成し、問題の解決策が導きだされる。
積み上げ型の思考なので、途中で一回でも結論を間違えた場合には、それをベースにした次のストーリーも間違えることになる。
だからなるべく多くの証拠や情報を集め、できるだけ確実な結論をそのつど導きだした上で、ストーリーを進めていかねばならない。
情報をできるだけ集め、数多くの分析を行なわなくてはならないので、時間が無限にかかるという欠点がある。
たとえば三カ月とか六カ月という限られた期間内に課題を発見し、解決策を策定していく場合には、網羅思考では非常に効率が悪く、間に合わないこともある。
さらにプロジェクトを行なう場合でも、終盤になってようやく全体像が見えてくるので、ここが重点領域だから深く掘り下げようと思っても時間切れになったり、あるいは間違いに気がついたときには手遅れになっていたりする危険性も高い。
意外に思うかもしれないが、頭のよい人が多い企業、たとえば伝統的大企業ほど網羅思考の傾向が強い。結果として理屈先行で、意思決定に時間がかかったり、人の提案にはまず批判やあら探しから入る傾向がある。
もちろん本人は悪気があるわけではなく、完璧を期しているつもりなので、余計たちが悪い。コンサルタントをやっていてだめな企業だなと感じるのは、この手の企業だ。
□実行案志向のアプローチで前に進もう
網羅思考型の企業でよく見られる傾向として次のような現象がある。たとえば、メーカーが業績不振を立て直すために事業戦略を構築したとする。
この場合、最初にすべての課題をリストアップしようとする。
その中には問題の根幹をなしそうな大きな問題から、仮に解決したところで大勢に影響がないような小さな問題までが、ごちゃごちゃになって、てんこ盛りにされる。
製品開発に関わる問題、特許件数、競争相手の製品とのスペック(性能)比較、生産コストの問題、在庫の過不足の問題、製品の品質、広告宣伝の中身、流通への販売促進費、営業担当の数、同じく質、IT投資の額と効果、さらには組織の問題までリストアップして考えようとする。
次に出てきた課題に順番をつけたがる。それぞれの要因がどれだけ業績不振に悪影響をおよぼしているのか、あるいはどの要素とどの要素がどういう関係にあるのかをはっきりさせたがる。
おまけにどこまでも細かく課題を分解し、深掘りしていかないと気がすまない。これらを全部調べているうちに期限が過ぎてしまう。
しかもビジネスだから、すべての要素が数学のようにきちんと説明がつく関係にはなっていない。
もちろん解決策についても、すべての課題について、それぞれいくつもの改善策を提案することになり、結局一〇以上の課題について、合計で三〇くらいの打ち手が提案されることになる。
もちろん実行するのは容易ではないし、ひとつひとつの課題解決に十分な時間と資源が使われず、成果も上がらない。
これぞまさに網羅思考の弊害だ。
このような方法ではなく、解決策につながるいくつかの課題=仮説にフォーカスして、それを検証することにエネルギーを使ったほうが効率がよい。
もちろん解決策を提示できない課題もいくつかあるだろうが、それでも企業の業績は早期によくなる。
すべての課題を整理してから手を打とうとすると、半年や一年は優にかかってしまい、そうこうしているうちに環境が変わって、また違う課題が発生してしまう。
つまり、いつまでたっても業績不振を解決することができない。
ゴルフのスウィングを矯正する場合を思い浮かべてほしい。すべての部位、たとえば頭、肩、腰、グリップ、手の動き、体重移動、膝の曲げ方、スウィングの軌道などをすべて同時に直せといわれたら、結局まったくうまくいかないだろう。
労多くして報われないパターンだ。
それよりも、まず一カ所だけ直し、それがうまくいくようになってから次のポイントを直していったほうが早く上達する。
企業も同じで、同時にあれこれ手をつけるよりも、ここだけは直さなくてはという一点に集中して、そこを手直ししていったほうがうまくいくものである。
要するに網羅思考とは、すべてを理解しないと前に進めない人たちがとりがちなやり方だ。
現実にすべてを究め尽くすことが困難であるとすれば、ここまでやったのだからこれ以上はわからなくても仕方がない、時間切れだから仕方がないと、自分のために言い訳を探し求める人たちの思考方法といえるかもしれない。
いうまでもなく、ビジネスに客観的な答えなどない。
もしあるとすれば、何をやっても、ありとあらゆる経営資源を備えたGEやトヨタやマイクロソフトのような企業が成功するということになってしまう。
すべては相対的であり、自社が何をするかによって、相手の動きも変わる。
となれば、数学のような答えを求めるよりは、自社がこう動くと取引先や消費者はどう動き、それに対して競争相手がどう反応するかということを読み解くことにカギがある。
そうであれば、自分がこう動くという実行案志向、すなわち答えの仮説から入るアプローチを取るべきであろう。
そして、それに対して相手がどう動くのかを読む。頭の中で、仮説の検証を行なうのである。
4大きなストーリーが描けるようになる
□実験する前に論文を書く
先日、『日本経済新聞』の「私の履歴書」を読んでいたら、大変興味深いコメントが載っていた。
免疫学の世界で国際的に有名な石坂公成先生(ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長)が、アメリカのカリフォルニア工科大学化学部研究員だったころ、恩師であるダン・キャンベル先生から「実験する前に論文を書け」といわれ驚いたそうだ。
その話が石坂先生の回想として『生命誌ジャーナル』(三五号)にくわしく載っている。
「ある時などは、私が次にこういう実験がしたいといったら、実験を始める前に論文を書けという。御冗談でしょうといったら、ランドシュタイナー(抗原の構造と特異性の関係を系統的に解明した学者で、ノーベル賞受賞者)はいつもそうしていた、今のお前にはそれができるはずだというのです。
仕方がないので、先生の言葉にしたがって、予測のもとに論文を書いてから実験をしましたが、これは大変なアドバイスだったと思います。
書いてから実験をすると、結論を出すために必要な対照は完壁に取れることになりますから、期待どおりの結果が出なかった時でも、その実験は無駄にならない。
その当時は、抗原抗体結合物の仕事もポピュラーになり、大きなグループがわれわれを追いかけてきていましたから、失敗などはしていられない状況でした。
要するに、キャンベル先生は、仕事が軌道に乗った時、競争に勝つ方法を教えてくれたのです。
そのような指導を受けて、抗原抗体結合物はモルモットにアレルギー性皮膚反応を起こすが、一分子の抗体に抗原が結合したものは活性がなく、二分子の抗体が同一の抗原に結合して初めて活性が現れることを明らかにすることができました。
しかも、活性が出るか出ないかは抗原の化学的性質とは無関係で、抗体の性質(種類)で決まることもわかりました。
明快な方法を教えてもらったので、はっきりした結果が出せたのだと思います」(生命誌35号ScientistLibrary「免疫とアレルギーのしくみを探る~常識に合わない現象には未知の真実がある~」石坂公成)免疫学だけでなくあらゆる学問の研究では、まずは数多くの実験を試み、その結果を上下左右さまざまな方向から分析し、論文をまとめていく。
これが一般的なやり方だ。しかし、実はこれが、普通の人が陥りがちな罠でもある。
一般的には、分析した結果をベースに結論を組み立てることが多いが、これでは答えもストーリーの全体像もなかなか見えてこない。
ランドシュタイナーや石坂公成は、頭の中に、「きっとAという答えが出るはずだ」という仮説をはじめにもち、全体のストーリーを描いた上で、その仮説が正しいかどうかを実験で検証するという方法で研究論文を書いていた。
一般的なアプローチとはまったく反対である。私はこの話を知ったとき、仮説思考は分野を越えて活用することができるのだと実感した。
□わずかな情報から全体像を考える
仮説思考を使えば、手元にあるわずかな情報だけで、最初にストーリーの全体構成をつくることができる。
※情報からストーリーを最初に描く
証拠が不十分でも、「真の問題はここにあり、その答えはこういうことだ」と全体的なストーリーを考えることができる。具体的には、まずストーリー構成を考える。
たとえば、「現状分析をするとこういう分析結果が得られるだろう。その中でもこの問題の真の原因はこれで、その結果としていくつかの戦略が考えられるが、最も効果的なのはこの戦略だ」ということを、十分な分析や証拠のない段階でつくり上げる。
つまり、問題に対する解決策や戦略まで踏み込んで、全体のストーリーをつくってしまう。
そうすると、ごく一部の証拠は揃っているけれども、大半は証拠がない状態になり、そこから証拠集めを開始することになる。
その場合には、自分がつくったストーリー、つまり仮説を検証するために必要な証拠だけを集めればいいので、無駄な分析や情報収集の必要がなくなり、非常に効率がよくなる。
こういうと、「いろいろな可能性が考えられる段階で、大胆にひとつのストーリーをつくり上げたりしたら、重大なことを見逃し、間違ったストーリーをつくってしまうのではないか」と心配する人がいる。
だが、それは杞憂だ。そのような場合には、ストーリーの正しさを証明するために、証拠集めを始めた段階で、仮説を肯定するような証拠がなかなか集まらない。
そのため自分のつくったストーリーが間違いであることにすぐに気がつく。
初期段階で間違いに気づくので、余裕をもって軌道修正することが可能だ。
したがって、仮説思考で最初から自分なりにある程度まで踏み込んだストーリーを組み立て、それが正しいかどうか調べ、間違いに気がついたらただちに軌道修正し、あらためて他のストーリーを考える。この方法が最も効率的だ。
経験不足のうちは、わずかな情報でストーリーをつくろうとしてもなかなかうまくつくれないだろう。だが、仮説思考を使い慣れてくると、ストーリーがつくれるようになり、効率よく仕事が進められるようになる。
実際、意思決定が早く、環境変化への対応力がある企業は、仮説思考型の仕事の仕方をしているケースが多い。やってだめなら、他のやり方を試せばよいという発想で、まず仮説を立てる。
そして、その仮説を事前に徹底的に調べるのではなく、ある程度めどが立った段階で、後は実施して検証したほうが早いという考え方が、個人だけでなく組織の中に浸透しているのだ。
そうしたことの繰り返しの結果、仮説の精度や実行スピードも上がっていく。
□間違った仮説でも効用がある
経験を積めば間違いが少なくなるとはいえ、せっかく立てた仮説が、仕事が進むにつれて、実は間違っていたとわかることは、実際にはよくある。
また、仮説思考に慣れていない最初のころは、自信をもって立てた仮説がずれていたとか、まったく逆だったということも頻繁に起こる。
そのような場合にはどうするのかという話を、ここでしておきたい。まず、筆者でも間違うのかと問われれば、けっこう間違う。しかし、致命的な間違いはほとんどない。これは経験からくるものだろう。
一方で、ちょっとした仮説の間違いはよくあるし、違っていれば平気で訂正する。
また、誰もが考えつかないような思い切った仮説をよく考えるが、こちらはいまだに合っていることより違っていることのほうが多い。
また、一カ月もしたころに仮説が違っていたら、また一からやり直しになって大変ではないのかとよく聞かれる。
しかし、まず一カ月もの間、間違った仮説を追い続けることは、きわめて少ない。
仮説が大きくずれていた場合、たとえば、営業不振という経営課題を扱っていて、本来はマーケティング部門の商品企画に問題があったのに、営業サイドの押し込み販売が問題だと勘違いして仮説を立てていたとしよう。
こうした場合は、初期に営業現場や取引先にインタビューしたり、押し込み販売の額と企業全体の売上げ・利益へのインパクトの分析をしたりするので、その段階ですぐに押し込み販売だけでは全体の不振が説明できないことがわかる。
せいぜい一~二週間の話である。だから、その段階で間違いに気づき、新たな仮説をつくればよい。
もともとの仮説が否定される段階で、新しい仮説の芽は発見されていることが多いので、大したロスにはならない。もっと小さな仮説の間違いはしょっちゅうある。
それでは、結局、網羅的に見たほうが早いのではないかと思うかもしれないが、そうではない。
たとえば全体で一〇〇の課題があるときに、たとえ二つ、三つの仮説が間違っていたとしても、四つめに正解にたどり着けば、最初から一〇〇を網羅的に見るよりははるかに速い。
これは、将棋の羽生善治がいっている、八〇手の可能性のうちくわしく検討するのは二、三手であるという話と同じである。
それでは、最初に立てた大きな仮説が、万が一、一カ月後に全否定された場合はどうだろうか。こうしたことは数少ないが、コンサルティングでも通常のビジネスでも十分起こり得る話ではある。
それでも私は、仮説思考のほうが網羅的アプローチより早いと断言できる。
たとえば三カ月で結論を出さなくてはならない経営課題を解決するために、よくマクロの日本経済から始まって、業界を取り巻く環境、自社の経営指標、競争相手の動向、さらには顧客・取引先の問題意識、はたまた自社の現場で起きている問題点などを羅列したレポートをよく見るが、それぞれが結局浅い分析にならざるを得ない上に、重要な論点もそうでない論点も同じレベルで分析されている。
それよりは、ある一点を深く調べたレポートのほうが、問題の本質に迫れる可能性が高い上に、経営上の打ち手につながりやすい。
ということは、たとえ一カ月後からやり直したとしても、最初から間違わなかった場合に比べると、やや質は落ちるかもしれないが、三カ月後の結論は網羅的アプローチよりは質が高いものができる。
□仮説をひとりで抱え込むのは禁物
実践的な話をすれば、みなさんが仮説を立てる場合に最終責任者であることはどれくらいであろう。
もし、あなた自身が社長で間違いが許されないとすれば、判断は慎重にすべきだが、社長になるような人は通常仮説構築力が経験から身についていることが多いので、そんなに心配はないだろう。
一方で、あなた自身はまだスタッフであるとしよう。これは大変ラッキーである。というのも自分が立てた仮説を最初から最後まで自分で検証しなくてもすむからだ。
最初に立てた仮説をまず身近な人で試してみればよい。
もちろん多少仮説思考に慣れた人であれば、まずその仮説の良し悪しの第一印象をいってくれるだろうし、その後でなぜそう思うかの説明をつけ加えてくれるはずだ。
中には、「君は何を証拠にそんなことをいうのか。証拠をもってこい」という人もいるかもしれないが、そうした人とのやりとりは時間の無駄だ。
また、たとえ仮説思考になじんでいない人でも、「どうもしっくりこないな」とか、「それよりこちらのほうが正解じゃない」といってくれる人がいれば、最初の検証としては上出来である。
さらに仮説の検証をある程度やった後で、上司や顧客からこういう点はおかしいのではないか、それはこんなふうに解釈すると逆の結果になるのではないか、といってもらえば、さらに仮説は進化する。
上司や先輩が仮説思考にたけた人であれば、彼らがより進化した仮説を出してくれる可能性も高い。
要するに、立てた仮説を後生大事に自分ひとりで抱え込むということさえしなければ、間違いや不十分なことをおそれる心配はないのである。
□分析力よりも仮説思考力が大事
仮説思考という概念があまり世の中で知られていないのに対し、分析力は多くの人に知られている。
ビジネスマンにとって重要な能力と位置づけられ、分析力を高めるために、スクールや書籍で勉強する人も多い。
しかし実際には、分析が苦手でも仮説が立てられれば、ビジネスの世界では通用する。反対に、いくら分析が得意でも仮説が立てられなければ、大きな仕事はできない。
分析は本来、意思決定を早めるために利用すべきものだ。課題に直面したとき、最初に分析を行ない、新しい情報を次々に拾い上げると情報洪水に溺れる危険性がある。
そうではなく、先に仮説を構築して強い問題意識をもち、問題解決に必要な分析を選択して、その情報だけを拾い上げていくことが重要だ。
□三カ月のプロジェクトの答えを二週間で出す
仮説思考を実践すれば、情報の洪水に溺れることなく、全体観をもって、迅速かつ効果的に問題解決を図ることができる。
このような考え方で仕事のやり方を見直してみることを勧める。
たとえばプロジェクトのスケジュールを組むときも、きちんと積み上げていって終了間際にゴールに到達するようなスケジュールはよいとはいえない。
むしろ与えられた期間の半分くらいのところで、大まかに全体を結論づけてしまうことだ。それでその後に、部分を改善していく。
このような考え方を取り入れていくことで、仕事の質と効率の両面を著しく高めていくことができよう。
実際、三、四カ月のプロジェクトを行なう場合、私は、プロジェクトリーダーには二週間で答えを出すよう求める。
プロジェクトリーダーは最初こそ戸惑うが、二週間で大枠の仮説を出してくる。
この方法に慣れてくると、二週間で出した仮説と、四カ月間じっくり考えてたどり着いた答えとで、大枠の部分に限っていえば大きな差はなくなる。
二週間で仮説を出せると、プロジェクトはスムーズに進む。
残りの時間を、検証、チェック、顧客とのディスカッション、さらには顧客に完全に納得してもらえるようにするプロセスに充てられるからだ。
当然仕事の質が高まり、作業もはるかに楽になる。
□幹の話があれば仕事もスムーズに進む
大きなストーリー、すなわち幹の話が描けると、仕事もスムーズに進むことが多い。
たとえば企業を改革していくとき、個別の解決策あるいは戦略を一〇も二〇も考えるよりは、「我が社はキャッシュフロー経営をしていこう」などと大きなストーリーをつくるほうが効果的だ。
よくある例だが、営業では顧客満足度向上、生産では品質改善、物流は在庫削減、開発部門は開発テーマの絞り込み、などと各部門で目標を設定すると、ひとつひとつは立派な改革案でも、全社という視点で進捗をモニターしたり、成果を横比較したりするのが難しくなってしまう。
それより、最初から「全部門が一丸となってキャッシュフローを改善しよう」という幹のストーリーがあれば、みんなで同じ目標に向かってアクションを起こすという意味で全社のベクトルを合わせやすい。
たとえば、営業現場では店頭の在庫が常に適量であるように調節するとか、経理部門では売掛金を早期回収するとか、生産現場における仕掛かり在庫や原材料を極力削減していく、などといった具体的な施策につなげやすい。
しかも、どの施策も直接的にキャッシュフロー改善につながるのが誰にでもわかる。
結果として、徹底した実行につながりやすいのはいうまでもない。
ビジネスのスピードがどんどん速くなっていく中で、いかに効率的に仕事を進めていくかがビジネスの現場でますます重要になっている。
仮説思考を身につけると、迅速にやるべきことを整理し、目的、目標に向けて意識、動きをフォーカスしていくことができる。
仮説思考を身につける効用は実に大きいのである。
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