MENU

第四章日本美術、その鑑賞の流儀

目次

「日本美術」とは一体何か?

ではそろそろ、私の専門分野である「日本美術」の話に入ろう。

さて先ず、私が「貴方に取って日本(の)美術とは何ですか?」と聞いたら、一体何を想像しますか?恐らく焼物や漆器、刀や仏像等、千差万別の答えが返って来ると思う。

それは一口に「日本美術」と云っても、今云った様に数多の素材・様式・用途・種類の美術品が含まれている事が日本美術の特性のひとつだからだが、もうひとつの大きな理由は、通常我々が「日本美術」と呼んでいる美術品の多くが、嘗ては生活に密着した「道具」と呼ばれる「日用品」だった事による。

掛軸や版画は純粋鑑賞用だが、例えば皿や茶碗、壺等の「陶磁器」や、硯箱や小簞笥、重箱等の「漆器」は日々普通に使われていた物だし、「屛風」は大広間のディヴァイダー(間仕切り)だ。

また仏像・仏具は信仰に用いられ、刀や鎧は武士の実用品、能面は芸能舞台での道具であった。

そして身近に有った「道具」の中に、日本人は「美」を求め続け、例えば素材で云えば木、紙、絹、ブロンズ、象牙、鉄、土等を使い、サイズで云えば屛風や襖絵、大仏と云った巨大なものから印籠や根付、刀の鍔と云った極めて小さなもの迄、また技法も例えば絵で云えばミニマルでモノクロームの水墨画も有れば、極彩色の琳派や浮世絵版画の様に極めて装飾的意匠を施す物も有ると云う様に、「美しい道具を用いる為」にあらゆる試みをして来たのだ。

この試みの長い歴史の結果が、日本美術を一口では語り辛い物にしている反面、バラエティが有ると云うのは良い事である。

日本美術品を買う世界中の私の顧客も「絵画」のバイヤーは殆ど「漆器」を買わず、「根付」コレクターは「浮世絵」等を買わない事からしても、日本美術が如何に多岐に及び、それぞれ全く異なった「道具」として「日本美術」と云う一軒の家に有り続けたかが判るだろう……そしてこれこそが「日本美術」なのである。

世界は何故日本美術を評価するのか?

第二章の「『ニューヨークへ行きたいか?』」の項でも少し記した様に、父親とニューヨークで過ごした一年間によって、私の人生は「和」と「日本美術」の方向へ大きく舵を切った訳だが、当初の私の最大の疑問とは、こういう事だった。

「日本美術を所蔵するMET、ブルックリン、ボストン、シカゴ、ホノルル、更にはギメ(パリ)、ケルン東洋、ベルリン、大英等の世界の美術館・博物館が、何故こんなに大量の日本美術品を所蔵し、修復し、保存し、美術館に拠っては今でもお金を掛けて購入しているのか?」特にアメリカの美術館で、父に連れられて倉庫の中迄入り込み、其処に重要文化財・国宝級のクオリティだったり、状態が非常に良く保存されていたりした大量の日本美術作品を観た時には、「第二次世界大戦では敵国で、然も原爆を二発も落として迄コテンパンにやっつけた、太平洋の片隅の島国の美術品なんかを何で?」と真剣に思ったものだ。

先ず日本美術品を「投資」と考える人は、世界広しといえども本当に少ないのだが、もしかしたら戦勝国特有の、占領下にある国の金銀財宝や美術品の略奪行為が有ったのか……?それも否、戦前から日本美術品はアメリカの美術館に高額で買われていて、それは例えば一九二三年に東京美術俱楽部の業者だけのオークションに出品された、《吉備大臣入唐絵巻》が良い例だ。

二〇一二年に東京国立博物館で開催された「ボストン美術館日本美術の至宝展」にも出品されていたから、観た人も多いのではないか。

現在日本に在れば、確実に重要文化財や国宝に為っているであろう、如何にも「アニメ」の源と云える様なこの諧謔味に溢れる逸品絵巻は、前述の国内オークションで買った個人コレクターが転売しようとしたが、高過ぎて買い手が誰も見つからず、そんな状態で作品がウロウロしている内に、岡倉天心の後にボストン美術館の東洋部長と為った富田幸次郎によって、ボストンに買われて行って仕舞った。

それを後で知った国民や美術愛好家達は、富田を国賊の様に扱ったが、その取引自体は全く正当な物であった訳だから、仕事柄時折同じ様に云われる私としては、「そんなに大事なら、自分が買って残せば良かったじゃないか!」と強く弁護しておく。

そして、この一件によって、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」(一九三三年)が公布される事と為ったのは如何にも日本的で、謂わば後の項で述べる所の「海外流失」によって、初めて日本人の眼が開かれたとも云えるのである。

話が脇道に逸れたが、外国人や海外の美術館が日本美術を知り、その価値を見出し始めたのには、以前述べた一九世紀後半のジャポニスムや万国博覧会の影響が大きく、また二〇世紀に入ると交通手段の発達によって世界が段々と狭く為り、欧米の富豪達もアジアへ旅をし易くなった事もひとつの要因だろう。

そしてこれらの要因プラス、日本美術品がそもそも世界の如何なる美術品と比較しても美しく、繊細でバラエティに富み、技巧に優れ、世界中のコレクターや美術館を魅了する程のクオリティを持っているからに他ならない。

この事実こそが、「何故世界の有名美術館が、日本美術品を所蔵するのか?」の答えに為るのだと思う。

P・F・ドラッカーも日本美術の有名コレクターだった

日本美術品は、一六世紀から海を越えて世界に点在している。

江戸時代に輸出された陶磁器やそのパッキングに使われたとも云われる浮世絵から始まり、開国し明治期に入ってからは、アール・ヌーヴォーの大流行と共にディーラーの林忠正等がパリで売った日本美術品、またアメリカやヨーロッパの裕福なコレクターが日本に立ち寄った際に買って帰った品々も有った。

更に、矢張り幕末~明治期に参加し始めた「万国博覧会」への出展後の販売活動や、明治政府主導の殖産興業としての工芸品の輸出、第二次世界大戦後の進駐軍関係者に拠る蒐集等、日本美術品の海外への渡航は幾つもの機会が有った。

その美しさや精巧さ、時にミニマルで時にデコラティヴな表現力が外国人を魅了した結果、外国に多くの日本美術コレクターを誕生させると云う結果を生んだのである。

一九世紀だけを見てみても、画家なら、浮世絵版画の大コレクションを持っていたモネ、広重や英泉の浮世絵を油彩で模写したゴッホ、画壇小説『マネット・サロモン』『オクサイ』(北斎)を記したエドモン&ジュール・ド・ゴンクール兄弟等が有名だ(私は嘗て、このエドモンが持っていた歌麿の肉筆美人画を売った事が有る。

絵の中に、自分のサインを入れて仕舞っていたが……)。

一九世紀と云えば、その頃日本に居たシーボルトがオランダに持ち帰った日本美術品は、現在オランダのライデン国立民俗学博物館とシーボルト・ハウスで観る事が出来る。

そして現代。

オークション・ハウス・スペシャリストの仕事の中でも取り分け重要なのがクライアントとの付き合いなのだが、その中でも、個人コレクター程重要且つ面白い人達も居ない。

と云う事で、此処では私が今お付き合いしている、或いはもう亡くなってはいるが、読者の皆さんにもお馴染みと思われる近現代の「著名外国人の日本美術コレクター」を、何人か紹介してみたい。

フランク・ロイド・ライト(一八六七~一九五九)旧帝国ホテル(東京)やグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)の設計で有名な建築家ライトは、江戸期浮世絵版画の大コレクターであった。

現在ボストン美術館に保管される、世界最高品質の浮世絵版画コレクションである「スポルディング・コレクション」を蒐集したのはボストンの富豪、スポルディング兄弟だが、実はライトは帝国ホテルの仕事で日本に来ていた時、この兄弟の依頼によって浮世絵を買いアメリカに送っていた。

その内自分でもコレクションを始めたのである。

ライト自身が好んだ仏像や桃山・江戸期の屛風を、「室内装飾の道具」とする手法も卓越していて、例えば屛風をフラットに開いて壁画の様に掛けて飾る手法等は、現代のミニマルな居住空間に応用しても十分に通用するアイディアだ。

「日本美術と暮らす」と云うライフスタイルの一提案としても、非常に参考に為る。

ライトの屛風や仏像のコレクションは、現在アリゾナ州スコッツディールのフランク・ロイド・ライト財団に、そして浮世絵版画の多くはチェゼン美術館に所蔵されている。

P・F・ドラッカー(一九〇九~二〇〇五)『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』等で日本でも非常に有名な経営学者、ドラッカー博士は日本美術の大コレクターでもあった。

集めていたのは、室町時代から江戸時代の水墨画を中心とする日本絵画(主に掛軸)で、数々の重要な作品を含んでいる。

博士亡き後はドリス夫人がカリフォルニア州でコレクションを引き継ぎ、彼女の没後はコレクションの全一九七点を或る日本企業が取得し、千葉市美術館に寄託している。

このドラッカー・コレクションは、日本では八〇年代に東京の根津美術館や大阪市立美術館等で公開された事が有り、二〇一五年には千葉市美術館で展覧会が実現した。

日本の高度成長期の経営者に取って、或る意味「神」的な存在だった人物の眼が集めた、日本絵画の粋と云えるコレクションだ。

スティーブ・ジョブズ(一九五五~二〇一一)有名な「アップル」の共同設立者が、曹洞宗の禅を通して日本美術と出会い、作品を買っていた事をご存知の方も居るに違いない。

ジョブズ氏は室町時代の壺や、近代新版画の人気作家、川瀬巴水の叙情的な木版画等を購入していた。

ラリー・エリソン(一九四四~)エリソン氏はビジネス・ソフトウェア会社「オラクル」の共同ファウンダー(創立者)で、世界でも指折りの大富豪であるが、意外に知られていないのが、日本通である事。

日本美術に興味を持ったのは、シカゴ大学に在学中に、シカゴ美術館で美しい日本美術を観た事、また日本赴任時代に、京都の美しさに心を奪われたからだと云う。

そして、自宅に飾った日本美術品を自分で入れ替えたりする程に、日本美術を愛して止まないコレクターなのだ。

エリソン氏の日本美術コレクションは、古くは奈良・平安・鎌倉時代の仏像・神像から、桃山・江戸期の屛風、刀や甲冑、更には明治の工芸品迄と幅広い。

自分自身が気に入った作品しか購入しない、と云うシンプル且つトラディショナルな選択基準は「真の『コレクター気質』」と云える。

氏のコレクションは、二〇一三年にサンフランシスコ・アジア美術館で展示され、カタログも出版されている。

また、京都南禅寺近くの「何有荘」は、七代小川治兵衛(植治)による庭園も素晴らしい広大な別荘だが(滝が庭内に三つも有る!)、この別荘もクリスティーズ(インターナショナル・リアル・エステイト)の仲介によって、数年前にエリソン氏が購入している。

しかし、IT企業のファウンダー達が日本美術を好むのは何故だろうか?競争の激しいハードなデジタルビジネスの世界に居ると、ミニマルだったりデコラティヴだったりする日本美術、また時に厳しく時に優しく、時にユーモラスな日本美術に「癒し」を求めて仕舞うのかも知れない。

最後は外国人では無いが、「外国在住の日本人代表」として、世界的に高名な現代美術家で、私の重要顧客でも有る杉本博司氏に登場願おう。

杉本博司(一九四八~)杉本氏は生物も非生物も写っていない、唯水平線のみを撮影した超ミニマルな写真シリーズ《海景》の作者として知られ、近年は表参道の「オーク表参道」のエントランス等の店舗デザイン等の建築、ヨーロッパでも大好評だった「杉本文楽」の舞台演出や新作能の企画・監修、書き下ろし等、マルチに活躍されているニューヨーク在住のアーティストだ。

因みにクリスティーズジャパンのオフィス内装も氏による。

その杉本氏のコレクションは膨大で、古代の化石や土偶から始まり、仏教美術や神道美術、原爆関連品や軍歌レコード等の第二次世界大戦に関わる「戦争物」、自身のルーツに関わる古写真、医学関係、江戸絵画や近代日本画、レンブラントやフランシス・ベーコン等の西洋美術迄、博覧強記的に多岐にわたる。

が、全ては「人間の歴史」に関わる物で、氏のライフ・ワークである「人間史」の検証に於いても重要である事は間違いない。

未だ生活が十分に出来なかった頃、彼がニューヨークで古美術店を営んでいた事を知る人は意外に少ない。

その「MINGEI」と云う名の店には、ブライス・マーデンやジャスパー・ジョーンズ等、当時最先端のアメリカ現代美術家や、日本通の富裕層が集まり、氏が日本から持ち込んだ日本美術品の数々は飛ぶ様に売れたと云う。

そんな時代に鍛えた眼で杉本氏が集めた特に仏教・神道美術コレクションは、日に日にその重要性を増している。

杉本氏は二〇〇九年に「小田原文化財団」を設立し、二〇一七年には同財団によるアート複合施設「江之浦測候所」も公開が始まった。

自身のコレクションを財団に寄贈して、後世への作品保存を図る他、現在氏が積極的にアプローチしている、能や文楽と云った日本古典芸能の発表の場としての役割を果たしており(光学硝子でできた、海へ迫り出す能舞台や、国宝「待庵」写しの茶室も有る)、今では来日外国人アート・ファンに取っての「聖地」と迄為っている。

益々アーティスト杉本博司から眼が離せなく為りそうだ!他にも、日本好きのフランスでは、シラク元大統領は日本(&中国)の焼物が大好きだったし、嘗ての文化大臣アンドレ・マルローが持っていた「土偶」を私が売った事も有る。

フランス以外ではアクション俳優のスティーヴン・セガールは嘗て日本の刀剣を扱うディーラーだったし、同じく俳優のニコラス・ケイジは北斎の版画の大ファン、現代美術家ではアルマンが生前甲冑と兜のコレクターだったし、ドナルド・ジャッドやダン・フレイヴィン等も、日本美術を所持していた。

この様に、日本美術品は時と場所、立場を超えて世界の人を魅了し続けているのだ!

奇妙な縁で繫がる美術品の流転

さて、クリスティーズが日本美術品のオークションを外国で開催している以上、日本の作品が「海外流出」する事は必然である。

その片棒を担いでいるのが私な訳だが、前述のボストン美術館の逸話に登場した富田幸次郎程偉くも何とも無い私ですら、「日本文化を流失させている張本人」等と叩かれたりもする。

が、よく考えてみて欲しい。

これらの日本美術品は、決して「日本からのみ」出品されている訳では無い。

確かに「美術品は景気の悪い所から、良い所へ流れる」し、残念ながら「日本人の日本美術離れ」が進んでいるのも事実なので、今もし日本美術オークションを実施すると、恐らく出品作の六割から七割は、日本からの出品に為るに違いない。

だが、残りの三割か四割は、アメリカを中心に世界各国から集まって来ている訳で、もしその様な作品が日本人に買われて「里帰り」すれば、それは嘗て流出した日本美術品を、私が「(再)流入」させているとも云えるのではなかろうか!また、クリスティーズが日本(東洋)美術品を海外に輸出する際には、必ず事前に「古美術品輸出鑑査証明書」を文化庁から交付して貰う様にしている。

これは国宝・重要文化財に指定されている美術品は売買目的では輸出出来ない法律が有る為、文化庁が「当該美術品は〝指定品〟では無い」(……だから輸出して宜しい)と云うお墨付きを与える物。

つまりこの様にして日本美術史上最も重要である「指定品」は輸出出来ない訳だから、目くじらを立てる程でも無かろう、と云うのが私の正直な意見だ。

ただ此処で云っておきたい事が有って、それは「指定品」の再調査を国は早急に行うべきだ、と云う事である。

学問は日々進歩していて、日本美術史・東洋美術史も例外では無い。

それを考えると、作品のアトリビューションや制作年代の変更、重要性の高低の変更(指定ランクの変更)等は恥ずかしい事では無いのだから(むしろ間違いを正さない方が罪が重い)、指定の取り消しや変更は、例えば二〇年毎位にはやるべきではないだろうかと思う。

それに伴い、国公立の博物館・美術館による収蔵品の売買が出来る様に、早急にシステムを再構築すべきである。

コレクションを定期的に見直し、死蔵や重複収蔵している作品等を売却する事で、海外の館がそうして

いる様に、売り上げを作品の修復費に充てたり、その館に取ってより重要な作品を購入する費用の一部にしたり、また館の修繕費や改築費に充てたりする事が、何故出来ないのか?市民や国民の血税や入場料で運営している以上、彼等に最高のクオリティの美術品を観せるのがその使命だと思う……。

税金で買われた国公立美術館所蔵の美術品は、「国民・市民の共有財産」なのだから。

二〇一一年に東日本大震災が起きた後、私を含むニューヨークに住む美術関係者は、アートの世界に居る我々で何か出来ないかと模索・奔走した。

そしてその時、私は某国立博物館の方に、「有志の国公立の博物館・美術館から活用出来ずにいる作品を供出して〝チャリティー・オークション〟をクリスティーズで開催し、ウチは手数料は一切要らないから、その売上金を全て東北に寄付したらどうか?」と云う提案をした。

が、お察しの通り、その企画は実現しなかったのだが、外国で感じる「アートと生きる」感を日本の一般の人々に伝える、そして国公立の博物館・美術館が初めて「ディアクセション」を公的に行う最大の機会だったのではと、今でも非常に残念に感じているのである。

美術館が所蔵品を売る理由

美術館のディアクセションの話が出たので、実際に私が携わった例をひとつご紹介しておきたい。

日本の私立美術館で最も多くの国宝・重要文化財を収蔵している藤田美術館のケースである。

二〇一七年、同館はそのリニューアルを目的とし、ニューヨークのクリスティーズでコレクションの中から中国美術の名品三一点を出品した。

私自身、最初にその作品群と対峙した時は「これは凄いモノが来たな」と感じた程の素晴らしいクオリティだったが、日本では、この様に有名な美術館が名前を出して収蔵品を売る事が非常に珍しい。

この時は館の老朽化や通年開館と云った課題へ取り組む為の売却で、苦渋の決断でもあったと思う。

だが同時に、受け継いで来たコレクションの一部を手放す際に、それを引き続き大切にしてくれる買い手に譲りたいと云う強い願いも有った。

そうした背景も有り、この時は売却の仲介企業は我々クリスティーズだけでなく、先ず複数の業者に声がかかるコンペティション的な動きが有った。

例えば、企業広告等でもコンペがあり、複数の広告制作会社や代理店が、選りすぐりのプランを出して競い合う。

これと少し似た様な過程が、名品、逸品が登場するオークションの前段階で行われる事が有る。

私はこの仕事の前に広告会社にいた事も有り、この辺りのノウハウも割と判っているつもりだ。

うちの社だったらこう云う売り方をします、例えばデータではこう為っていますとか、時には或る種の「サクセス・ストーリー」を作る等もして、最終的には我々と一緒にやる事が最善だと云う信頼を勝ち取る事を目指すのだ。

藤田美術館の場合もこれが行われた。

或る意味、館の未来への希望を託す相手として最も相応しいパートナーを探す為の選抜でもあり、この時幸いにも我々クリスティーズを選んで頂いたのである。

具体的にどの様な競合相手が居たかは此処で詳らかにしないが、より一般的な話で云えば、約二六〇年間に渡るライヴァルと云っても過言ではないサザビーズとは各所で競い合う事が有るし、古美術であれば老舗の骨董美術業者と云う事もある。

こうした際にクリスティーズの特徴と云えるのは、先ず世界中にネットワークが有り、オークションを開催出来る会場が有ると云う事がひとつ。

藤田美術館のケースでは、取り扱い作品が中国美術なので、香港等で開催すると云う選択肢も有ったが、私はニューヨークがいいと判断した。

何故なら、世界のアート界を俯瞰した時、中国美術も含めてトップクラスのモノは、矢張りニューヨークに集まるからで、中国の有力コレクターも其処に注目している。

だからニューヨークでの開催を提案したし、この判断は当たったと思う。

戦略的な事を云えば、アートの世界のトップ市場であるニューヨークから自国の美術を「買い戻す」、そうした気合の入るコレクターも居るのではと云う考えが有った事も付け加えておこう。

もうひとつ、競合オークション・ハウス同士の比較で云えば、クリスティーズはカッコ良く云えば堅実派。

質実剛健で、モノに対して非常に綿密に調査をし、より詳しいカタログを作る等した上で、コンサヴァティヴな査定を付けてオークションに臨む傾向が強い。

これは安く売ろうと云う事では決して無く、確実な値付けをすると云う事だと私は捉えている(因みに、コンサヴァティヴな値段を付けた方が引き合いが強く為り、結果的に高く売れると云う経験値的統計も有ったりする)。

もうひとつは、売り手は矢張り何らかの事情が有って手放す事を決断しているので、売れないと云う結果が一番困るのではないか、と云う事をクリスティーズは何時も考えている。

昔から「サザビーズは貴族に為りたいビジネスマンで、クリスティーズはビジネスマンに為りたい貴族」等と云われる背景には、そうしたアプローチの差も有るのだろう。

売り手に寄り添うと云う気持ちは何方にも有ると思うが、その現れ方が違うと云う事かも知れない。

さて、結果はどうだったかと云うと、有り難い事に「如何なる東洋美術の一回のオークションに於ける、史上最高落札総額」を記録する結果を出し、現在、藤田美術館は、二〇二二年四月のリニューアルオープンに向けて準備を着実に進めている。

また私はこの時のセールで、同館に関心を持つ海外の美術ファンが増える様な事も有ればと願った次第である。

日本では美術館が作品を売る事にネガティヴなイメージを持たれる事も未だ多いが、美術館の未来の為、また美術品そのものの未来の為を思う時、必ずしも悪い事では無い、むしろ必要な事も有ると云う事への、理解がより進めばと思っている。

オークションに掛かった、「日本美術の名品」達

前述の通り、私は日本美術品の「流出」だけでは無く「流入」の双方に関わっている、と書いたので、此処では私が扱った幾つかの日本美術品を語りながら、その事を実証して行きたい。

①在るべき場所に里帰りした「襖絵」

何時も「流出させている」と責められる私としては、先ずは「里帰り」編から始めたい。

二〇一〇年九月、ニューヨークで開催された私の担当する日本・韓国美術オークションに於いて、嘗て京都の石庭で有名な龍安寺に在った《群仙図・琴棋書画図襖》の計六面が、一一五年振りにその「本来の場所」である龍安寺によって買い戻された(この襖絵はその後、二〇一三年に東京国立博物館で開催された特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」にも出展されたので、観た方も居るかも知れない)。

それでは、この歴史的襖絵が「本来の場所」に戻る迄の旅を、これから辿ってみよう。

龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺で、一四五〇年に室町幕府管領細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受け、その地に建立された。

応仁の乱で一度焼けたが、一四八八年に再興、しかし一七九七年に再び火災に遭って方丈等を焼失する。

其処からこの「襖絵」の長い旅は始まった。

火災で方丈を失った龍安寺は、西源院の方丈を移築した。

この西源院は龍安寺の塔頭(本寺の境内にある小寺)で、信長の弟織田信包が一六〇六年に建てた寺である。

この方丈には狩野派の絵師達による襖絵が在り、これこそがこの項の主役である。

時代は変わり、明治政府が一八六八年に出した「神仏分離令」に拠って起きた廃仏毀釈運動は、仏教寺院を経済的困窮に追い込んだが、龍安寺も例外では無かった。

方丈移築から約一〇〇年後の一八九五年、龍安寺は遂に方丈に在った七一面の襖絵を売って仕舞う。

売り先は、当時未だ経済的に余裕の有った東本願寺だったが、その後東本願寺も窮し、三井財閥の内の三井家五丁目家、三井高昶の仲介によって、九州の炭鉱王、伊藤伝右衛門に買われる事と為った。

伊藤に買われた龍安寺の襖絵は、その後一九三三年に大阪城天守閣で開催された展覧会で初めて世間の眼に触れた後、一九五一~一九五二年頃には伊藤家を離れていた事が判っている。

その後、元々在った七一面の多くは散逸し失われているが、幸いにも二七面が現存していて、二〇一七年時点の襖の収蔵先は、METに八面、シアトル美術館に四面、英国個人が九面、そして龍安寺の六面と為った。

METの八面は元々フロリダのコレクターがハワイで買った物で、一九八九年にMETに寄贈、だが当時はその襖絵が龍安寺に在った物だとは判っておらず、修復の際に当時METの修復家だった大場武光氏が裏紙の内側から来歴に関する文書を発見し、元龍安寺の襖だと判ったと云うエピソードも面白い。

そして二〇一〇年に龍安寺に里帰りした襖絵六面は、伊藤家を出た後、九州の有名温泉ホテルの所蔵と為っていたが、実は一度、私が二〇〇〇年の三月のオークションに出品、その時は個人コレクターの許へと売れて行った。

だが、最初に述べた様に二〇一〇年に再びオークションに出品され、「一一五年振り」に龍安寺に戻ったのであった!このオークションの後、私は龍安寺を訪れて、お寺の方と共に、人生で二度自分の手を通った襖絵との再会を果たした。

その時は流石に感慨無量で、それは「買い手を選べない」オークションと云う機会だったにもかかわらず、この襖絵が龍安寺に戻った事に感動したからだ。

そしてそれは、何処か美術品が「自分の意思」で本来の「在るべき場所」に戻った様な気がしたから、でもあったのだが、話は此処で終わらない……。

前述した「英国個人所蔵九面」を私はずっと追跡していたのだが、或る時日本の個人コレクターがその英国人から直接購入し、所蔵している事を突き止め、今度は「プライヴェート・セール」によって、二〇一八年末にこの九面も、一二三年振りに龍安寺さんにお戻しする事が出来たのである!モノとの「ご縁」とは、誠に不思議なモノだ。

②一〇九年間のアメリカ出張を終えた「香炉」

さて次も「里帰りモノ」だが、此方は長~いアメリカ出張の末に帰国した「香炉」のお話。

その香炉とは、尾形乾山作の《銹絵獅子香炉》と呼ばれる作品で、二〇一二年に開催された私担当のオークションに於いて、一九万四五〇〇ドルで落札された。

この「獅子香炉」の事を説明しておくと、中国明時代の香炉の型を模して、蓋には獅子を置き、色は宋時代の磁州窯を模した象嵌の白黒で、胴体周りには花卉文様を施してある。

恐らくは光琳・乾山兄弟が活躍した一八世紀の京都で流行していた、文人趣味の数寄者からの注文品だったと思われるが、最も重要な事は、乾山作品には稀な「年記」が入っている事で、その年とは「正徳五年」(一七一五)……それから一五〇年以上経った明治時代には、池田男爵家の所蔵と為っていた。

そして明治三六(一九〇三)年、遂にこの香炉の「長期アメリカ出張」が始まる。

この年、一八八五年に夫リーランドと共にスタンフォード大学を設立したアメリカ人大富豪ジェーン・スタンフォード夫人は二年間の外遊に出ていて、エジプト、インド、中国と旅をして来たジェーン夫人は、故国に帰る前に日本に立ち寄り、池田男爵からこの香炉を買い取ってアメリカに持ち帰ったのである。

その後夫人が大学に併設した美術館にこの香炉は凡そ七〇年に渡って展示されていたのだ。

が、このスタンフォード大学美術館は、香炉に取っての「終の住処」とは為らなかった。

或る頃から美術館の財政状態が悪く為り、七〇年代に売りに出されたこの香炉はアメリカ個人コレクターの所有と為るが、そのコレクターも死去。

後に香炉を相続した人がクリスティーズに持ち込んだのが、オークションに出た所以だ。

そして、私はこの香炉を日本での下見会に持って行ったので、香炉の「一時帰国」は為されたのだが、その後のオークションで日本人に落札された事によって、この香炉は「一〇九年間」の長~いアメリカ出張を終えたのであった。

さて、私がこの件でひとつ強く思ったのは、この香炉が七〇年間スタンフォード大学の美術館に在った時、この作品は謂わば「文化外交官」の役割を果たしていた訳で、これは「美術品の流失」の偉大なるメリットでは無いか、と云う事だった。

特にハーバード、イェール、プリンストン等、アメリカの一流大学に多い「大学美術館」に在ると云う事の、教育的・文化交流的な意義は大きい。

こう云う「流出」なら、誰も文句は無いですよね?

③再会した「チャイナドレスを着た女」

外国のオークションでは、日本の近代(明治以降)の絵画が出品される事は、非常に珍しい。

一番大きな理由は海外に「マーケットが無い」からなのだが、クリスティーズでもバブル期やその末期には、偶々フランスに長い年月埋もれていた黒田清輝の大名品(《木かげ》:現在ウッドワン美術館蔵)をロンドンのセールで売却したり、私も佐伯祐三や藤田嗣治等の洋画、加山又造や前田青邨等の日本画の名品を含んだ、「イトマン」旧蔵絵画の「コレクション・セール」を開催したりした事も有る。

が、此処で紹介する作品は、そう云った出自ではない……話は私がニューヨークに来る前、東京オフィス勤務時代の事だ。

或る日私は、私の旧知の人から紹介を受けたと云う未知の顧客から、「絵を急いで売りたいので、直ぐに来て査定をして欲しい」との連絡を受け取った。

約束の日に向かった顧客の家は、駅から一寸歩いた所で、呼び鈴を押し暫くすると、夫人らしき方が顔を出し、私は家に導かれた。

玄関を通り、応接間のソファに腰掛けると、何時もの様に周りを見渡す。

暫くするとご主人が来られたが、査定の方法を説明すると、「では、宜しく」と何処かへ行って仕舞う。

夫人が私を応接間から連れ出した先には、大量の「タトウ箱」(額装した絵を収納する、厚い段ボール箱)や掛軸の箱が並び、夫人は「どうぞ、この中から〝一点〟だけ選んで下さい」と私に告げた。

「こんなに在るのに、たったの一点だけか」……少々気落ちした私は、気を取り直して作品を観始めたのだが、しかしそれからの数時間は私に取って、今でも忘れられない「眼福の時間」と為ったのである!開ける箱、開ける箱が名品の連続で、眼を瞠る程の素晴らしい日本近代絵画のコレクション。

謂わば宝の山であった。

「ウーム、この中から一点だけを選ぶなんて、不可能では無いか?」と思いながら観続けていた時、一枚の作品に眼が止まった。

その額装された作品は、遠くに見える西洋風の風景を背景に、チャイナドレスを着た美しい日本女性のプロファイル(横顔)を描いた物で、よく観るとパネル(板)に油彩で描いている。

そして、この女性を「真横」から描いた構図には何処か見覚えが有り、「あぁ、ピエロ・デラ・フランチェスカとピサネロだ!」とイタリアン・オールドマスターの画家を思い出すと同時に、この作品は彼等へのオマージュ作品では無いかと即座に思った。

だが、これは一体誰の作品だろう?との疑問は消えなかった。

そして絵の左下に眼を走らせると、「T.FDiSiMA」とサインが有る。

「フディシマ?藤島武二か?」。

当時日本近代洋画に関して殆ど知識の無かった私には、正直全く訳の判らない絵とサインだったのだが、私のスペシャリストとしての「カン」は「これだ……。

これを逃すな!」と告げていて、気が付くと夫人に「この作品を、是非出品して下さい!」と大声でお願いをしていた。

交渉の結果、この作品が出品される事と為り、作品をオフィスに運び、調査を始めた。

そして調査を進めて行く内に、この作品のタイトルが《女の横顔》だと云う事、また藤島のイタリア留学後の作品だと云う事、一九四三年の「藤島武二遺作展」に出展されている事、そして一九六七年の「生誕百周年記念藤島武二展」で展覧されて以降、行方不明に為っていた事等が判り、作品の重要性・希少性はドンドン高まって行ったのだが、問題はセールの時期であった。

日本近代絵画なので、通常なら日本美術のオークションに出すのが相応しい。

が、その時その年の春の日本美術オークションは終わって仕舞っていて、がしかしオーナーは急いで売りたいと云っている。

当時クリスティーズ東京オフィスの社長だったHさんに相談すると、Hさんは即座に「〝印象派・近代絵画〟のセールで売りましょう」と云う。

「えっ、印象派?」……この絵は確かに近代絵画ではあるが、如何に重要な作品とは云え日本人作家の作品で、然も絵はイタリアン・ルネッサンス風と来ている。

大丈夫か?と思ったが、Hさんは当時ニューヨークの印象派部門のヘッドだったMに、さっさと連絡を取って仕舞っていた。

さて困ったのはこの私で、私が考えて付けたこの絵のエスティメイトは、四〇万~五〇万ドル……と云う事は「イヴニング・セール」(高額な重要作品のみを売る、夜開催のオークション)への出品と為る。

嘗て日本人近代画家で、エコール・ド・パリのメンバーとして認められていた藤田嗣治を除いて、クリスティーズの「印象派・近代絵画イヴニング・セール」に出たのは、前にも述べた黒田清輝の作品だけ。

この藤島の作品は、史上二番目の作品と為る訳だが、Mは唯でさえギョロギョロした大きな目を見開いて、「カツラ、売れなかったら唯では済まないからな!」と脅して来る始末。

が、賽は投げられたのだ!そして私はニューヨークに向かい、一九九六年四月三〇日に開催されたそのオークションに立ち会い、この《女の横顔》は最終的にふたりのビッダーの一騎打ちと為った末、結局エスティメイトの上限を遥かに超えた、六八万四五〇〇ドルで落札されたのだった。

その後この作品は、最終的にポーラ美術館のコレクションと為って現在に至るが、或る時、東京に出張に来た際地下鉄に乗ったら、当時ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)で開催されていた「描かれたチャイナドレス」の展覧会ポスターにこの《女の横顔》が使われているのを見て、京橋へと急ぎ、美しい「彼女」との久々の対面を果たしたのだった。

懐かしかったのは云う迄も無いが、この絵に出会った頃の若かった自分を思い出して、妙に恥ずかしい気持ちにも為ったのが不思議だった。

過去に出会った美しい女性、もとい、美術品との再会は、何時も何処となく切ない物なのである。

④中国生まれ、日本育ち、アメリカ在住の「茶壺」

今迄何度となく書いて来たから、皆さんには「耳タコ」かも知れないが、改めて云おう……美術品に取って「来歴」はかなり重要である。

そしてそれが「茶道具」の来歴と為ると尚更で、「利休所持」とか「雲州蔵帳」に載っているとか、関西風に云えば「喧しい」モノである。

さて、外国のオークションに茶道具が出る事は、滅多に無い。

時代も桃山と確り判って、然も来歴の有るモノと為ると、そもそも茶道の文化が発達していない外国ではその価格の高さのせいと云うよりも、基本的にマーケット自体が存在していないと云って良い。

だがそうは云っても、ニューヨークにもきちんとした「茶人」は居て、持っているタウンハウスの屋上に茶庭と茶室を作ったりするフランス人や、アパート内に茶室を作り、茶事に使う為のハイ・クオリティなコレクションを持つアメリカ人も居る。

また私もメンバーに為っていた茶道裏千家は、長い間マンハッタンのアッパー・イーストサイド、嘗て現代美術家マーク・ロスコのステュディオだった場所に素晴らしい「茶の湯センター」を構え、アメリカでの茶道の普及に貢献しているし、何年か前に武者小路千家家元後嗣の千宗屋氏が文化交流使としてニューヨークに来られて以来、武者小路千家ニューヨーク支部「隨縁会」もその活動を盛んにしているので、ニューヨークに限って云えば、茶の湯文化への理解が全く無い訳では無いのだが、それは茶道具が「オークション」で売れるか、と云う事とは、また別問題なのである。

そんな状況の中、二〇〇九年、私は日本で茶道具の個人コレクションをゲットした。

このコレクションの中には、益田鈍翁旧蔵の魚屋茶碗や、楽家歴代の茶碗、利休作の茶杓、玉舟宗璠の軸物、茶入や炉縁等約三〇点が含まれていたが、その中でも最も重要な作品は、何と云っても「大名物唐物茶壺《銘千種》」であった。

この《千種》の出自は南宋~元時代(一三~一四世紀)の中国南部だが、桃山時代に堺を中心として茶の湯が流行すると、中国の焼物としては価値の無かったこの手の「呂宋壺」の中で、「味」の有る物は茶人達によって茶壺として重用され、引き継がれていった。

そしてこの《千種》の重要性は、正しくその来歴に有るので、此処に記しておこう。

鳥居引拙―重宗甫―誉田屋徳隣―有馬頼旨―有馬則維―徳川綱吉(柳営御物:徳川将軍家の名物茶道具)―表千家久田家―藤田伝三郎―藤田家―個人コレクションそしてこの茶壺が「登場する」文書を挙げれば、『今井宗久茶湯書抜』『宗湛日記』『山上宗二記』『松屋会記』『徳川実紀』『柳営御道具寄帳』『寛政重修諸家譜』等、桃山時代から江戸期迄の文献が揃い、この茶壺が巷間に於いてかなり知られていた事が判る。

恐らくこの辺で読者の方々は、こんな疑問を強く感じたに違いない……。

「では何故こんなに重要な茶壺を、然も外国には茶道具のマーケットが無いにもかかわらず、ニューヨークのオークションに出品したのか?」そして勿論私には、その問いに対して用意した、ふたつの答えが有る。

先ず、この手の茶壺は、現代日本の茶の湯に於けるメインストリームである所の、「侘び茶」の小間には大き過ぎて使えないから。

次に、確かにアメリカには一般的茶道具のマーケットは無いかも知れないが、日本美術を蒐集しているアメリカの如何なる有名美術館・博物館も、これ程来歴が確りとした茶道具を未だ持っていない、と云う事だ。

そして私は、特に二番目の理由に執着したのだが、それはこの《千種》が持つ、本体以上に重要な「来歴」や、利休の文や書付、裂・紐等の「付属品」が、美術館や大学での展示を非常にエデュケーショナルな物とし、然も展示の幅を広げる可能性が大きいと思ったからで、個人コレクターも勿論だが、美術館からのビッドを取れるのでは無いかと踏んだからなのだ。

来歴と云うのは信頼性にも繫がるのだが、従来、海外の人達に取って日本美術の来歴と云うのは比較的評価対象に為り難いきらいが有った。

逆に云えばモノ重視、モノが良ければそれは最高だと云う考えは非常に合理的で良い面も有るが、少しずつこの来歴、すなわちモノの歴史に就いても考えられる様に為ってきたのである。

果たしてこの《千種》はセールに掛かり、一〇万~一五万ドルのエスティメイトに対して、何と六六万二五〇〇ドルで落札。

落札者はスミソニアン博物館群のひとつ、フリーア美術館であった。

そして近年、同ギャラリーは購入以来の《千種》研究を一段落させ、《千種》だけをフィーチャーした立派なカタログと書籍(日本語訳も出ている)を制作し、展覧会を開催したのである。

六〇〇年前に中国で作られ、四五〇年も日本で育てられた茶壺は、今アメリカの国立美術館によって「永住権」を与えられた。

美術品の流転とは、本当にロマンティックだと思いませんか?

アメリカの美術館が所蔵する「日本美術の名品達」

此処迄で大分お判りの様に、外国、特にアメリカの日本美術への愛は深い。

其処でその「愛の歴史」或いは「愛の結晶」とでも呼べそうな、在アメリカ美術館の珠玉の日本美術コレクションの中から、何点かの名品を挙げてみたい。

唯飽く迄も「私の趣味」での選択なので、「名品なら、もっと違う作品があるじゃないか!」と思われても仕方ないですから、悪しからず。

それと、これも云う迄も無いが、例えばパワーズ、ギッター各氏等の在アメリカの個人コレクションにも、かなりの質・数共に日本美術の優品が含まれている……が、一般の方には中々観る機会が無いと思うので、此処では美術館所蔵作品のみ(その代わり、と云っては何だが、有名アメリカ人コレクターによる寄贈品を含む)に限定したので、それも悪しからず、です。

シアトル美術館蔵《烏図屛風》(紙本金地著色・六曲一双)この江戸初期(一七世紀)と思われる、金箔地に黒一色の群烏を描いた屛風を初めて見た時の衝撃は大変な物だった。

何しろ山や岩、樹木等の背景が全く無く、唯金と黒の二色、そしてこれ以上無いのではないか、と云う程計算されつくした構図は、もうカッコ良いの一言……この画面構成を考えた絵師は、恐るべき天才だと思う。

飛び交い、地に蠢く烏の様は、最早烏個体個体の輪郭を潰して描かれ、或る種紋様化されたこのデザインは、屛風では醍醐寺所蔵の《松檜群鴉図屛風》(此方には「樹木」が有る)や、ニューヨーク・アジア・ソサエティのジョン・D・ロックフェラー三世コレクションに在る、野々村仁清作《色絵烏図茶壺》にも施されていて、此方は主に「白に黒」なのだが、矢張り「金に黒」の方がスタイリッシュだ。

そしてもうひとつ、この「烏図」らしきモノを或る映画の中で観て、再び吃驚したのだが、その映画とは『天河伝説殺人事件』(一九九一年、市川崑監督)である。

この映画は名探偵物の推理ドラマだが、殺人事件が起こる理由がお能の家元の跡継ぎの問題で、その家元の邸宅の広間にある襖が、この「烏図」を模した物だったのである。

これが映画のおどろおどろしい内容と中々旨くマッチしていて、「このセット担当者、知ってるなぁ」と思ったものだ。

装飾的でデザイン化された、如何にも外国人好みの作品だが、現代美術が好きな人にも、是非一度観て頂きたい作品だ。

MET蔵《金銅蔵王権現立像》世界に数ある蔵王権現(日本の山岳仏教である修験道の本尊)像の中でも、京都個人蔵のモノと双璧を為す、またMETの日本美術コレクションの中でも、最も重要且つ素晴らしい金銅仏だ。

平安中期(一一世紀)の作と思われるが、修験道に於ける蔵王信仰はこの頃始まったと考えられているので、その初期の作例と思われる事と、如何なる美術品もその発生「初期」に優品が多い様に、このお像もそれ程大きくないのにもかかわらず、実に強力な存在感を持つ傑作だと思う。

この作品はハリー・パッカードによってMETに寄贈されたものだが、このパッカードと云う人は、日本文学者のドナルド・キーン先生と同じ様に海軍日本語学校で学び、終戦後GHQの手伝いをしながら、そして時には日本古美術商としてディーリングをしながら、積極的に日本美術品の蒐集をしていた。

その顚末はご本人が記された『日本美術蒐集記』(新潮社)に詳しいので此処には長く書かないが、METの日本美術コレクションのクオリティの高さは、この人の作品群に拠っていると云っても過言では無い。

METで、いや在アメリカの如何なる日本美術の中でも私の大好きなもうひとつの作品、狩野山雪作《老梅図襖》も旧パッカード・コレクションであった。

「外国人なのに、全く以て目利き(+腕利き)も良い所だなぁ……」と、思わず溜息を漏らして仕舞う逸品です。

サンフランシスコ・アジア美術館蔵《四季山水図屛風》式部輝忠作(紙本墨画金彩・六曲一双)私が西海岸に出張中に、室町時代に描かれたこの屛風を初めてこの眼で観た時、余りの迫力と緻密さ、そして「バロック」的とでも呼びたい程の「これでもか!」な筆致に驚愕し、その晩の夢に出てきて魘された覚えがある、それ程に強烈な絵画だ。

元々瀟湘八景図(中国山水画の伝統的画題)の如き「中国山水」は、私に取って決して好きな画題では無いのだが、この作品だけはその異様とも云える執拗な「樹木」や「岩」の描写や、そしてこれも「魔」を感じる山々の描写迄、こう云っては何だが一寸「病んでる」感を覚える程の、迫力の有る描き込み描写が堪らない。

この屛風の作者、式部輝忠の生涯は詳しく判っていないが、恐らく天正年間位迄活動したと思われている。

仲安真康や祥啓に学んだとされ、関東狩野派との交流から得た狩野元信風のガッチリとした画面構成と、非常に独特な画風が魅力である。

また、この屛風は「アヴェリー・ブランデージ・コレクション」の中の主要作品で(一九六〇年代に寄贈)、このブランデージと云う人は、アメリカ人で唯一オリンピックの「IOC会長」を務めたアメリカ・スポーツ界の大物だった。

彼のコレクションは日本の根付から始まって、最終的には絵画・彫刻迄幅広く行き渡り、今でもサンフランシスコ・アジア美術館のコレクションの多くを占めており、その根幹と為っている。

本当に色々な人が日本美術を好きに為る物だ!そもそも室町期の屛風の数は少なく貴重なのだが、この式部の屛風は在アメリカの、室町時代の作品と云う以上に日本の屛風の白眉と云えると思う。

ブルックリン美術館蔵《桜狩遊楽図屛風》(紙本著色・四曲一隻)桃山~江戸初期の時代に、名前の判っていない絵師によって描かれたこの遊楽図は、「桜狩遊楽図」と呼ばれ、云ってみれば「花見」の宴会を描いている。

そしてこの屛風の画面に登場する女達は、例えば国宝《彦根屛風》や、大好きなMOA美術館所蔵の《湯女図》に通じる、独特な退廃的エロティシズムを持っていて、嘗て画家岸田劉生がこのタイプの絵画を「デロリ」と評した様に、私もこの「エロさ」に妙に惹かれるのである。

さて、この屛風が描かれたと思われる少し前、京の市井では出雲の阿国(安土桃山時代の女性芸能者)が後の歌舞伎の元と為る舞台舞踊を始めたが、彼女のファッションは「男装に、首から十字架」と云った、当時からするとブッ飛んだモノで、そんな彼女の出で立ちは、当時の所謂「傾く者」=「傾き者」と呼ばれていた者達に取って、ストリート・ファッションに於けるアイコンだったに違いない。

そんな「傾き」ファッションに身を固めた男女が登場する、この屛風中の女性達が持つ独特な「エロティシズム」は、勿論彼女らが「遊女」であろうから、と云う事も有るだろうが、それよりも何よりも、「時代」を映しているのだと思う。

江戸初期と云う、未だ戦乱の時代の残り香が漂う束の間感の蔓延る「一瞬」に生きる若者達は、デカダン且つ享楽的に為りながらも、そう云った時代だからこそ、新しい何かを作り出そうとするパワーを、何処かで放出せねば為らない……そんなパワーを、この屛風の作者である「絵師」が描き出したのを垣間見れる所が堪らない。

またこの屛風は、全米でも指折りのアート・建築・ファッション・デザインの学校である、「プラット・インスティテュート」の創立者であるフレデリック・B・プラット氏によって一九四二年にブルックリン美術館に寄贈されたのだが、大概の古い屛風がそうである様に元々この屛風が作られた時は「ペア」(一双)で、その片割れは嘗て岸田劉生が所蔵、現在は日本の個人コレクターが所蔵し、重要美術品の指定を受けている。

そしてそのもう片双には、ブルックリン本に描かれた、「逢引」する為に会いに向かっているであろう女を待ち受ける、ハンサムな若衆が描かれているのだ。

私は何度かこの「別居中」の二隻の屛風が同じ展覧会に出展され、元来の形で展覧されたのを観ているのだが、「人の恋路を邪魔する者は、犬に喰われて死んで仕舞え」と云う古人の警句を、僕は何時も尤もだ!と思っているので、何時の日か、この二隻の屛風が再び「同居」出来る(元来の一双と為る)日が来るのを、夢見て止まないのである。

クリーヴランド美術館蔵《木造男女神像一対》皆さんは全員「仏像」と云うモノはご存知だと思うが、「神像」を知っている人は、かなり少ないのでは無いだろうか?……端的に云えば、仏教のお像が「仏像」で、神道のお像が「神像」なのだが、元は仏教もそうだった様に、神道も長い間「偶像崇拝」を禁止していた。

だが仏教が仏像と共に日本に伝来し、その勢力が強く為るに連れ、神道も神様を偶像化し始める。

そして仏教の様に「儀軌」(経典に書かれた、仏様を描いたり造像したりする時等の規則)の無い神道は、顔や造作の無い神様の代わりに、その神社の神官や村の長老の顔を模して造像したと思われている。

なので、仏像も確かに素晴らしいが、神像の持つプリミティヴさと自由さに強く惹かれるのである。

さて、このクリーヴランド美術館所蔵の男女一対の神像も本当に美しい作風で、神像に有りがちな虫食いの痕も全く気に為らない程神々しく、観ていて本当に心がホッコリするお像である。

そしてその理由は、何も私が神主の孫だからと云うだけで無く、この両像が作られた一一世紀と云う時代と、恐らくは元々在ったと思われる高名な神社の所為だろうと思っているのだ。

この両像が在ったと思われるのは、日本で最も古い神社のひとつと云われている、大分県にある「八幡さま」の総本宮宇佐神宮。

だが、実はこの宇佐神宮に嘗て在ったと云われる神像は、このクリーヴランド美術館蔵のモノだけでは無く、日本では大和文華館所蔵の女神像、そしてアメリカでは旧バーク・コレクション(現MET)に入っている男女神像の一対が、クリーヴランドの神像と作行き(出来栄え)も非常に近く、またお像の持つ雰囲気もそっくりな事から、ルーツが同じと推察されている。

何とも優しく味の有る顔付きと姿に、思わず手を合わせたく為る「神様」なのである。

ミネアポリス美術館蔵《金小札紺糸褸紅縅二枚胴具足蟷螂立物》そもそも、日本の武具甲冑のマーケットは、アメリカよりヨーロッパの方が強かった。

それは例えば、映画の中に登場する西洋の城や富豪の館に置かれる西洋甲冑や、スポーツとしてのフェンシングのポピュラーさに顕れている、と云えば理解されると思う。

だが、此処一〇年間のアメリカでの特に「鎧」の人気は鰻登りで、これは口はばったいが、クリスティーズのオークションの所為も有る。

事の発端は映画で、古くは『スター・ウォーズ』の重要登場人物「ダース・ベイダー」の衣装デザインに始まり、最近では『ラストサムライ』や『キル・ビル』(何れも二〇〇三年)と云った刀、或いは甲冑を使用する主人公の映画がヒットした事が大きな切っ掛けだったのだが、刀は部屋で飾り辛い上にどうしても危険が伴うが、鎧や兜がアメリカの家でも非常に飾り映えがする、と云う事に気付いたからで、或る年から東京オフィスのI君とタッグを組んで、何領かの鎧や兜を毎回必ずオークションに出して行こう、と決めたのだった。

そしてその効果は少しずつ現れて来たのだが、二〇〇九年にMETがARTOFTHESAMURAIと云う、クオリティも規模も前代未聞な武具甲冑の展覧会を開催したのを機に、私達もニューヨークで初めてのARTOFTHESAMURAIセールを仕掛けたのだった。

そして、このセールには刀剣・甲冑以外にも、武将の消息(手紙)や、武士や合戦が描かれた絵画や漆工品も含まれていたのだが、その大メイン作品が現在ミネアポリス美術館の所蔵と為った鎧、《金小札紺糸褸紅縅

二枚胴具足蟷螂立物》であったのだ!さて、甲冑は日本美術工芸の粋、と云っても良い。

それは甲冑には金工・染色・木彫・漆工等の日本の伝統工芸技術が惜しみ無く使われているからで、この甲冑もその何処を取っても何しろ細部迄クオリティが高く、状態も大名鎧の名に相応しい……が、それはその筈で、この鎧は嘗て紀州徳川家に所有されていた上に出光美術館旧蔵と云う、恐るべき伝来を持った鎧だったからだ。

そしてそのルックスも、蟷螂の前立を持つ兜も豪華な、超ハンサム・ルッキング……私が扱った鎧の中でも、最高級のモノであった。

オークション時に付けたエスティメイトは、二五万~三〇万ドル……そして落札金額は、今でも甲冑としてのオークション史上最高価格である、六〇万二五〇〇ドルを記録した。

バイヤーは当然ミネアポリス美術館で、今は美術館の日本美術収蔵品全体のハイライトとして君臨している……。

私も鼻が高い、世界最高品質と価格の甲冑だ。

ボストン美術館蔵《百物語さらやし記》葛飾北斎作(中判錦絵)ご存知ボストン美術館には、日本に在れば国宝級の《吉備大臣入唐絵巻》や《平治物語絵巻》、仏像群、そして素晴らしいクオリティの曽我蕭白の絵画コレクション等、アーネスト・フェノロサやウィリアム・スタージス・ビゲローと云った有名コレクターが集めた、数多の素晴らしい日本美術品が収蔵されている。

だが、ボストン美術館の重要なコレクションはフェノロサやビゲローによるモノだけでは無い……。

世界ナンバー1のクオリティと状態を誇る、スポルディング兄弟の浮世絵版画コレクションを忘れては為らない。

ボストンの富豪スポルディング兄弟は、明治末から大正期に掛けて、帝国ホテルの建築の為に来日していた建築家フランク・ロイド・ライトに「発注」し、六五〇〇枚にも及ぶ浮世絵版画を蒐集したが、ボストン美術館への寄贈にあたり、世界で最も状態の良いこの版画コレクションを、保存上の理由から「決して一般公開しない」と云う条件を付したのだ!そしてその甲斐有って、今ではこのスポルディング・コレクションを、「浮世絵の〝正倉院〟」等と呼ぶ人も居る様に、昨日摺ったかの様な色と紙の状態を保っているので、当時の色等を研究する際にも、世界で最も貴重なコレクションと為っている。

私は、このコレクションの一部を「和の鉄人」であった父のお陰で観た事が有るのだが、その中で大好きな一枚を挙げるとすれば、葛飾北斎の《百物語さらやし記》(番町皿屋敷)に尽きる。

「世界で最も名の知られている日本人アーティスト」と云える北斎の版画作品にもっと有名な作品が有るのは承知だが、誰が何と云っても私はこの《百物語》と云う妖怪を描いたシリーズを評価していて、そのデッサンの素晴らしさと色使い、構図の凄さ、そして「題材の選び方」は、北斎、いや全浮世絵版画の中でも出色の作品だと思っている。

この《百物語》は北斎が七二歳位の時の作品だそうだが、《百物語》と云う位だから当然北斎は百枚描こうと思っていたと思う。

けれど、何故か五枚しか完成していない。

その五枚の中でも、この《さらやし記》と《こはだ小平二》の二枚が真の最高傑作だと思うが、個人的に《さらやし記》のお菊さんの(何故か)「轆轤首」的な首が「皿」に為っている所が面白いし、口から何やら煙の様な物を出しているのも奇々怪々である。

そしてこの版画のブルーの色の素晴らしい事!……「北斎、やっぱり凄い!」な逸品だ。

かなり個人的趣味に走って仕舞ったが、もう十分お判りの様に、アメリカの美術館は「日本美術品の宝庫」なのである!そして此処に挙げた美術館以外にも、スミソニアン博物館フリーア美術館やシカゴ美術館、ニューオリンズ美術館、ロサンジェルス郡立美術館、ホノルル美術館等には、質の高い日本美術コレクションが在るので、旅行・出張の際に是非とも訪れてみて頂きたい……。

外国で観る日本美術は、「中」に居ては気付かなかった事を、時にはハッと気付かせてくれるかも知れませんよ!

世界に誇れる日本

美術品は「文化外交官」である

此処迄の話でお判り頂ける通り、日本の美術品は広くアメリカの美術館に収蔵されているが、それはヨーロッパでも同様だ。

イギリスの大英博物館やヴィクトリア&アルバート博物館、フランスのギメ東洋美術館、ベルギーのブリュッセル王立美術館、ドイツのベルリン国立アジア美術館やケルン東洋美術館、イタリアのキヨッソーネ東洋美術館やトリノ東洋美術館、オランダのライデンにある国立民俗学博物館、ポルトガルの国立古美術館、スイスのリートベルク美術館、ロシアのエルミタージュ美術館やプーシキン美術館……、少なくともこれらの美術館は日本美術品を所蔵しているのである。

序でにオーストラリアのヴィクトリア国立美術館と、韓国の国立中央博物館、アラブ首長国連邦のルーブル・アブダビも追加しておきたい。

世界のこれだけの国に所蔵される日本美術だが、ではこの事実を、我々日本人は一体どう受け止めるべきなのだろうか?向こうさんが我々の国の美術品を勝手に気に入って、勝手に買って、勝手に展示している、で良いのだろうか?国や文化庁、国際交流基金等が後援・援助等をしている事は勿論承知しているが、私が此処で云いたいのは、日本人一人ひとりの事なのだ。

これだけ世界に認められている日本美術品に就いて、もし外国人から何か質問されたら、一体どれ位の日本人がそれに答えられるのだろう?これは広く云えば日本文化全般に云える事で、これに関しては私がロンドンで働いていた時、痛感した事がある。

それは、クリスティーズ・ロンドンの、いや世界の誰もが、日本から来た私に聞きたいのは、例えば「禅」や「茶道」、「神道」や「北斎」等の日本文化の事であって、誰もピカソやルノワールの事なんか聞きたくない、と云う事で、これは「人を知る前に己を知れ」と云う事。

そして自国の歴史や言語、文化を或る程度確り学んだら、今度は外国に出て、外から日本を見る。

これが「井の中の蛙大海を〝知る〟」と云う事だし、「人の振り見て、我が振り直せ」、そして世阿弥の「離見の見」に通じるのである。

この事が出来た時、初めて日本人一人ひとりが様々なレヴェルでの「外交官」に為る事が出来、より世界から尊敬されるに違いない。

これは理想である……。

だが、現実はそう旨くいかないので、其処で頼りにするのが所謂「外交官」の人達なのだが、私の経験から云うと、正直彼等も日本文化に関しては心許ない。

だが質の高い「美術品」は違う!全世界の人々が訪れる大美術館で、古代から現代迄の、世界に星の数程有る如何なるハイ・クオリティ・アートと共に並んでも、それらに負けずに燦然と光を放つ日本美術は、外国の人々に日本と云う国と文化のクオリティの高さを理解して貰える最高の「ツール」、云い換えれば最も優秀な「文化外交官」なのである。

例えば日本が中国と余り旨く行っていない中、中国には「国宝級の日本美術品」もそれを展示する美術館も無い(台湾の国立故宮博物院の展覧会を日本でしていても、台湾にすら無い)。

この場合、美術品を「文化外交官」と位置付け、日本の国宝や重要文化財の美術品群で、中国からの影響の強いモノ、或いは中国産の質の高いモノを、中国や台湾に「永久貸与」して、飾って貰ってはどうだろうか?日本にこれだけ重要な中国美術品が存在し、国宝や重要文化財に指定されているのに、あちらに日本国産の重要作品が無いのは不公平ではないか?これが先程「勝手に集めた」云々の話なのである。

「集めなかった方が悪い」とはせずに、持っている此方から渡して観て貰うのが、肝要だと思う。

そして延いては、世界の色々な国と「文化財の交換」をして、お互いに大事に美術館・博物館で展示し、お互いの国民に観て貰う。

そして日本側のその美術館・博物館は、「世界文化美術博物館」と為る。

これこそが日本美術品の持つ「世界最高レヴェルのクオリティ」を最大限に活かす方法のひとつだと思うが、如何だろうか。

変化し続ける日本美術のマーケット

では、そんな日本美術品の現在のマーケットはどんな具合に為っているのだろう?日本美術品のマーケットは、日本がバブル時代に矢張り高騰した。

それは印象派のフィールドだけで無く、日本美術の分野に於いても、個人コレクターや彼等が持つ私立美術館やその母体と為る企業が好景気だったからで、それに伴ってディーラー達やクリスティーズの様な海外オークション・ハウスも当然潤った。

しかし前にも書いた様に、私がこの業界に入った時は既にその「後始末」の時代だったので、九〇年代の後半以来暫く日本美術の価格が下がり続けている時代に、私はニューヨークへと来た訳だ。

なので、二〇〇〇年代初頭は作品集めにかなり苦しんだのだが、持ち前の運の強さで幾つかの美術館からの出品や、個人コレクションを扱う事が出来、一点で一億円以上する作品も何点も扱った。

しかし残念ながらマーケットはシュリンクし続けた。

それには色々な理由が有る。

最も大きい理由は当然日本経済力の著しい低下で、本来は人間に取って「必要品」である美術品が「贅沢品」と為り、不景気の中買い控えられた事。

次にこれも前にも書いたが、日本人の生活様式が極端に西洋化された事。

また海外のマーケットで云えば、一九七〇年代位から買い始めたアメリカ在住の日本美術のビッグ・コレクター達が年を取り、コレクションもそれなりに充実して仕舞い、購買意欲が減退した事と、日本経済の凋落により日本国に対する興味と共に、日本文化や美術品に興味を失った事、そしてその間に若年層のコレクターが育たなかった事。

或いは、そのビッグ・コレクター達のコレクションは、美術館へ寄贈される事が多く、その中のクオリティの高い作品がマーケットに出てこない為、新しいコレクター予備軍の眼を惹かない、等が考えられる。

もうひとつは、日本美術に於ける「トレンドの推移」だ。

今日本美術品を買っている人々は、実際世界各国に居る。

それはアメリカ、EU諸国、中東、中国、ロシア等だが、其処で買われるジャンルは非常に限られていて、端的に云えば、版画・甲冑・明治工芸(七宝・金工・一部の作家による漆工芸)、そして仏像である。

例えば最近だと、明治時代の工芸が海外でも非常に評価が高く、一寸したトレンドにさえ為っている。

特に金工と七宝焼の、所謂「超絶技巧」と呼ばれる品である。

金工品に就いて少し解説すると、その背景には江戸時代迄鎧や刀を作っていた人達が、時代の流れで明治時代ではそうした仕事が略無くなって仕舞った事がある。

しかし興味深い事に、当にその事にもよって、名もなき刀鍛冶や金工師、兜職人達が、自分の名前を出して腕前を見せる大チャンスが訪れたのだ。

その結果、ある意味その腕前を誇示するかの様な、ハイ・クオリティの作品が多く生まれた。

この時代の金工細工の技術は、恐らく世界の歴史を見渡してもトップクラス。

故に外国のマーケットでも非常に評価されている。

一方で、絵画・陶磁器・刀剣等は最近北斎の《神奈川沖浪裏》が一億円以上で売れた浮世絵を除いて、マーケットとして近年は難しい状況が続いている。

価格帯で云えば、仏像や屛風・掛軸の「最高級品」はプライヴェート・セール等では今でもかなり高額で売れるのだが、要は今のジェネラルなマーケットは「装飾美術」全盛時代と云え、所謂「ハイ・アート」はトレンドでは無いのである。

しかし、何のマーケットでも浮き沈みが有るし、売れ線のジャンルが変化する事も当然有る。

需要と供給の問題も有る。

当に今書いた明治期の工芸品は、実は今日本には余り残っていない。

明治政府による殖産興業に於いて、日本の工芸品を外国に積極的に売ろうという動きが有り、丁度、その頃万博参加も始まった。

日本館に工芸品を沢山持っていくと、物珍しいし、例えば「自在置物」みたいなものは「おっ、このエビ、鉄でできているのにこんなに動くんだ!」みたいな事で飛ぶように売れる訳である。

そうすると更にどんどん国外に持っていき、結果として日本には余り残らなかった。

その事実が貴重性を生み、今でも人気に繫がっている一面がある。

唯、今では以前述べた様な「3D」、コレクターの代替わり等で日本国外からオークションに出てくる事もあって、それを例えば京都の清水三年坂美術館の様な、この分野をコレクションしている日本の施設が買い戻すと云う状況も起きている。

総じて、私が今最も危惧するのは矢張り若年層のコレクターの減少である。

これこそ我々に課された大命題だと思う。

それはアートの「遺伝子を残す」と云う事であり、これに就いては、本書の第六章「美意識を生活に活かす」でも改めてお話ししたいと思う。

世界が注目する日本の現代美術

それでは、日本の現代美術はどうか。

これに就いては、村上隆、奈良美智、草間彌生、杉本博司の様なアーティストの作品には世界的に確りとしたマーケットがある。

因みに世代が上に為るが、岡本太郎の様に日本では非常に広く知られ、人気もある作家が、国際的なマーケットでは余り知られていないと云う事実も有る。

此処五~一〇年位では、一九五〇年代に兵庫県の芦屋市で結成された「具体美術協会」と云う前衛芸術グループが世界的なマーケットで再評価されると云う出来事も有った。

日本の戦後美術の重要な動きであった「もの派」に就いても同様の事が云え、これはヨーロッパで最初再評価され、世界マーケットに広がっていった。

例えば「具体」のメンバーであった白髪一雄の作品で云えば、私がクリスティーズに入社した一九九〇年代初頭は二、三〇〇万円有れば相当良い大きな絵が買えたが、今は三億円でも買えない程に値が上がった。

戦後現代美術のマーケットと云うのは、マーケットが頭打ちに為ると、その状況を打破する為に、新しい作家や忘れられていた作家・作品を、ニュートレンドとしてマーケットに投入すると云う側面が有る。

その時彼等が目をつけたのが「具体」や「もの派」だったと云えるだろう(これは売り買いしている人間の立場からの話で、美術史研究等の現場ではまた別の動きも有るが、両者が作用し合っているのも事実だ)。

岡本太郎が国外では知られてないと云う理由は色々有ると思うが、矢張り外国で展覧会をどれだけやったかが大きな分かれ目に為るとも思う。

例えば棟方志功の様な人の方が、アメリカでは結構知られていて、それは棟方がロックフェラー財団に招かれて渡米して、展覧会をやった事等が関係していると思う。

また藤田嗣治の様な人も居る。

彼の作品は、例えばオークションでは日本美術のカテゴリーではなく「印象派近代絵画」と云うジャンルでの出品に為る事が多い。

藤田はフランスに長く居た画家だし、エコール・ド・パリのグループに入っている人なので、そう為るのだろうし、実際、そちらで売る方が良い結果に為る事が多い。

村上隆は、こうした先達の評価のされ方も含めて、自国内だけのやり方で世界に打って出ても旨くいかない事を、重々判っていたのだと思う。

だからこそ、自分がアーティストとして世界に出ていく時に、それ迄の日本作家とは全く違うアプローチを取った。

彼がよく云っているのは、現代美術マーケットにおけるゲームのルールを知った上で参加しなくてはいけないと云う事だ。

それは日本国内でのやり方では全然通じなくて、だからニューヨークやロサンジェルスでは「マーケット・ゲーム・ルール」を基に勝負していかないといけないと云う考え方だろう。

奈良美智や草間彌生の評価も、こうした村上隆の動きと繫がっていると思うし、その事を考えても、彼の果たした役割は大きい。

ルイ・ヴィトンの様な海外のラグジュアリーブランドと本格的にコラボしたのも、これ迄日本の美術家では殆どいなかった筈で、それが他の作家にも広がったと見る事も出来る。

他方、今現在の作家で云えば会田誠は国内では広く知られているが、海外ではそうでも無い。

彼の作品は、モティーフやテーマが、外国の人々からすると難しい所が色々あり、ジェンダーやセクシュアリティーの表現も勿論そうだが、彼の作品が持つ批評性の様なものがどこ迄伝わるか、評価されるかと云う難しさが有ると思う(当然ネットが発達した今、コアなファンは外国にも居ると思うけれど)。

ただ、私にも彼の作品で凄く好きな作品が幾つか有って、例えばモノトーンの山々の風景が、近づいてみると無数のサラリーマンが倒れこんだ姿でできている《灰色の山》等は、実に日本社会を揶揄しているし、ああ云ったコンセプトは外国の人にもきちんと届くのではないかと思う。

写真家の評価にみる「アート」の線引きの不思議

写真の世界では、アラーキーこと荒木経惟はクリスティーズのオークションでも扱われてきた人だ。

国外でもファンが多く、評価もされている。

ただ彼も一部の作品に関してはジェンダー的な問題での壁は有る。

二〇一八年に、長年モデルと為ってきた女性からの「#MeToo」の告白が有った事は海外でも知られているが、そうした行いをアーティストだから、と肯定してはいけないとも思うが、作品は作品として一定の評価が有る。

それから、森山大道や細江英公も、其処迄数は多くないけれど、オークションに出てくる。

一方で、これは私も常に不思議だと思ってきたのだが、日本では彼等と同じか、それ以上に知られているであろう篠山紀信は、オークションに作品が出てこない。

彼は一時期美術館等での展覧会を引き受けてこなかったとも聞くので、何かそうした事も関係しているのかも知れないが……。

デザインや商業写真と、ファインアートとの境目は何かと云う事も、この仕事をしていてよく思う事だ。

例えば、アーヴィング・ペンやメイプルソープ等は、元々はファッション写真の人で、其処から所謂アートとして認められる様に為った。

しかし、同じくファッション写真の世界で活躍し、評価が高くても、所謂ファインアートのオークションに作品が出てこない人も沢山居て、その境目は非常に難しいと感じる。

これは絵の世界にも似た事があって、どう見てもグラフィックデザインではないか?という作品がオークションに出てくるかと思えば、それと似た様な作風で全く出ない作品も有る。

だが、クリスティーズでも、数十年前はアートとして認められなかったのに、今はアートとして認められていると云う事例も有る。

それは時代が変わる中で再評価、再解釈される等して、例えばファッション・フォトグラファーだったけど、今から思うと非常に斬新で、アートとして認めて良いのではと為る時代が来る。

リチャード・アヴェドンみたいな人がそうだろう。

もっと判り易く云うと、前述の通り、私の専門領域である日本の美術品は、多くが「道具」でもあった。

道具であったが美意識に貫かれた表現で作られていると云う事を以てして、日本美術と云っている。

江戸時代の硯箱は、今美術館で美術品として観る訳だが、実際今も使えるものでもある。

全てがアートと見做され得ると云う考えには賛同しかねる所も有るのだが(例えば、私は漫画は漫画で、グラフィックデザインはグラフィックデザインで良いと思うし、これらの表現は「アート」と呼ばずとも同等に尊敬に値する仕事だと思う)、嘗て優れた日本美術が実用性の中から生まれてきたと云う所に、面白さが有るのも確かである。

私の選ぶ「必見日本美術」ベスト30

この章の締めとして、私が現時点で必見だと思う、独断と偏見で選んだ日本美術(古美術から現代美術迄)を挙げてみた。

美術館等で実見出来る作品も有るので、皆さんに於かれましても機会が有れば是非ご覧頂きたい。

11曾我蕭白《富士三保図屛風》(一八世紀)紙本墨画淡彩・六曲一双:MIHOMUSEUM奇想の絵師、蕭白の秀作。

長い間アメリカの個人コレクターの手に在ったが、近年里帰りした。

日本の近代以前の絵画作品としては珍しい、美しい「虹」が描かれているのが見所。

12東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》(一七九四年)大判・錦絵:千葉市美術館数ある浮世絵版画の中でも、最も有名で最も手に入り難い作品。

レンブラント、ベラスケスと並ぶ「世界三大肖像画家」の名に恥じない作品だと思う。

13葛飾北斎《冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏》(一八三〇~一八三二年頃)大判・錦絵:各所世界で最も知られた「日本絵画」で、最近価格が高騰し一億円の大台を超えた初の浮世絵版画と為った。

この作品が作曲家ドビュッシーの部屋の壁を飾っていた当時の写真等を見ると、この作品の世界への影響力と重要性が窺える。

14長次郎《黒楽茶碗ムキ栗》(一六世紀)文化庁(重要文化財)私が最も愛するふたつの茶碗の内のその二。

長い間個人蔵だったので、価格を無視して「何時の日か!」と思っていたが、国の所蔵に為って仕舞った(笑)。

長次郎現存唯一の四方碗で、極めて日本的な「芸術家のエゴと伝統工芸の奇跡の融合」作品だと思う。

15《熊野速玉大神坐像》(平安時代前期)木造:熊野速玉大社(他三体の神像と共に国宝)「仏像」は知っていても、意外と知られていないのが「神像」だが、この男神像程威厳に満ち、神々しさの有る神像は中々無いのではないか。

16《待庵》(一五七三~一五九三年)妙喜庵(国宝)或る意味「日本建築の粋」とも呼べる茶室。

建築でもあるが、利休の晩年の思想を最も良く顕した「インスタレーション・アート」だと思う。

17狩野山雪《老梅図》(一六四六年)紙本金地著色・襖四面:メトロポリタン美術館在外日本美術品の中でも一、二のクオリティを争う、旧パッカード・コレクションの名品。

大画面に嘶く様に描かれる老梅木は、まるで生き物の様。

18《吉備大臣入唐絵巻》(一二~一三世紀)紙本著色・画巻:ボストン美術館これも在外日本美術の大名品で、日本に在れば国宝指定間違い無しではないだろうか。

日本で「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」ができる切っ掛けと為った、海外へ流失した重要日本美術品の先駆的作品。

19《如意輪観音坐像》(九世紀)木造:観心寺(国宝)如何なる仏像の中でも、私が最も「セクシー」と思う作品。

両性具有的で観る者を包み込む様な雰囲気は、それこそ仏の本性ではなかろうかと思わせる。

20会田誠《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》(一九九六年)ミックスド・メディア:高橋コレクション伝統的手法と革新的なモティーフによる作品自体の出来の良さもさる事ながら、二〇〇一年のアメリカ同時多発テロをニューヨークで経験した私に取って、一九九六年に制作された本作の衝撃の大きさはその予言性と共に計り知れない。

21黒田清輝《野辺》(一九〇七年)油彩・キャンバス:ポーラ美術館私に取って、女性を描いた如何なる日本近代絵画中でも最も美しいと思う作品で、構図も面白い。

ポーラ美術館所蔵も宜なるかな。

22《岩偶》(縄文時代晩期)日本民藝館縄文時代と云うと「土偶」を思い出すのが普通だが、これは「石製」。

染色工芸の芹沢銈介が所持していた物だが、柳宗悦が「日本民藝館の全作品と交換しても良い」と絶賛して入手した作品。

私も欲しい(笑)。

23横山大観《生々流転》(一九二三年)絹本墨画・画巻:独立行政法人国立美術館(重要文化財)日本画、特に墨絵は一般的に江戸期以前の作品の評価が高いが、この絵巻は伝統的手法を用いながらもモダニズム溢れる傑作だと思う。

24伝孫次郎《孫次郎(オモカゲ)》(一四~一六世紀)木造・彩色:三井記念美術館(重要文化財)数ある有名な能面の中でも、「生っぽさ」で本作の右に出るものは無いのではないか。

左右不均等な高さに彫られた眼が、却って異様に艶っぽく、写実的な雰囲気を醸し出す。

25《鳥獣人物戯画》(平安時代後期~鎌倉時代)紙本墨画・四巻:高山寺(国宝)アニメの原型とも云われるが故に、そのモティーフに眼が行きがちだが、その筆力とデッサン力、構成力は物凄い。

26岡本太郎《明日の神話》(一九六八~一九六九年)アクリル・壁画:岡本太郎記念現代芸術振興財団海外では殆ど認められていないが、極めて日本的な現代美術感を満喫出来る岡本の超大作。

渋谷駅と云うパブリック・スペースに在る事にも意味が有ると思う。

27《黒糸威胴丸具足》(一七世紀)個人蔵(重要文化財)本多忠勝所有のこの甲冑は、金工・漆工・木彫・金箔押・染織等、日本工芸の粋を極めた作で、鹿角の脇立も猛々しい。

戦国武将のファッションの白眉。

28《日月四季山水図屛風》(一六世紀中頃)紙本著色金銀彩・六曲一双:金剛寺(国宝)白洲正子を待つ迄も無く、或る意味「日本の自然美」を象徴する、金銀彩の屛風。

「草木国土悉皆成仏」を地で行く。

29《二月堂練行衆盤》(一二九八年)木造・朱漆塗:MIHOMUSEUM(重要美術品)根来塗の様に、黒漆の地に朱漆を塗っている。

僧侶の食事による長年の使用により、朱が禿げて下地が見える所が美しい。

30柴庵《柳燕・鶺鴒図》(室町時代)紙本墨画・双幅:個人蔵・千葉市美術館寄託(旧ドラッカー・コレクション)「マネジメントの神様」P・F・ドラッカー旧蔵で、観ただけでも「風」を感じる室町水墨画の名作。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次