第四章完璧主義を貫く【完璧主義の原則】
1マクロとミクロ2一〇〇パーセント達成でなければ3厳しいチェックでパーフェクトをめざす
第四章完璧主義を貫く【完璧主義の原則】
この章で述べる完璧主義とは、曖昧さや妥協を許すことなく、あらゆる仕事を細部にわたって完璧に仕上げることをめざすものであり、経営においてとるべき基本的な態度である。1マクロとミクロリーダーたるものはつねにパーフェクトな決断を求められる。たとえば、登山隊のリーダーは、判断を一つ間違えると、パーティー全体が死に直面することになる。同様に、会社を経営する社長も、その判断が会社の運命を左右する。社長は従業員とその家族、顧客、株主、協力会社などに対し、重大な責任を負っているのである。その重大な責務を果たすために、経営者たるものは会社全体のマクロな仕事と同時に、部下のやっているミクロの仕事も十分わかっていなければ、完璧な仕事はできない。部下が休んだときでも、自ら代わって仕事ができるくらいでなければ、本当の長たる資格はないとさえ言えるのである。通常、創業者の社長は現場の細かいことから会社全体のことまでよくわかっている。ところが、創業者のあとを継いだ二代目の社長、専務といった後継者たちは、現場のことをあまり知らないケースが多い。お父さんから、いやお祖父さんから、長として全体をまとめていくマクロの帝王学は教わっていても、ミクロの現場のことはわかっていない。そのため経営者として、本当の意味で会社を動かせないのである。もし、企業のトップとして本当に自分の思う通りに経営をしていこうとするのなら、足繁く現場へ出て、現場の雰囲気、現場のことを知らなければならない。そこからでなければ帝王学も生きてはこない。マクロだけでなくミクロもわかっていなければ、経営者は自由自在に会社を経営することはできないのである。2一〇〇パーセント達成でなければ
私が専攻した化学の世界では、多くの薬品を配合して新しい化学物質をつくる。そのとき、薬品の配合をちょっと間違っただけでも、何日もかけて一生懸命やってきたことが全部ダメになってしまう。もし、一年間かかって研究してきたものであれば、その一年間の努力が一瞬にしてフイになるのである。また、現代の製造業では、「不良がゼロ」というのが当たり前というほど品質に対する要求は厳しい。それはすべてのプロセスにおいて、完璧な仕事ができていない限り実現できない品質レベルである。このように、研究開発や製造では、わずかなミスさえ許されずつねに完璧な仕事が求められるのである。ところが経理などの事務職では、間違えば「すいません。直します」ですんでしまう。私はよく経理部長に「事務屋はそれだからいかん」と言って怒った。ミスを犯しても消しゴムで直せると思っていては、完璧な仕事は決してできない。少々の間違いぐらいは、仕方がないと思う人もいるかもしれない。しかし、投資計画にしろ、採算管理にしろ、基礎となる数字に少しでも誤りがあれば、結局経営判断を間違ってしまう。だから、研究開発や製造部門だけでなく、事務部門においても、真剣に経営をしようとすれば、ミスはまったく許されるべきではない。完璧主義をまっとうするのは難しいことだが、その完璧主義を守ろうとする姿勢があるから、ミスが起こりにくくなる。パーフェクトをめざしても、ミスがゼロになるわけではないかもしれない。しかし、だからといって九九パーセント正しければいいだろうということにはならない。九九パーセントでも結構だとなれば、今度は九〇パーセントでも仕方がないということになる。いや、八〇パーセントでもいいじゃないか、七〇パーセントでもいいじゃないかとなるだろう。そうすると会社の経営は甘くなっていき、どんどん社内の規律も緩んでいくであろう。一〇〇パーセントは一〇〇パーセントなのである。私は売上や利益の計画に対しても「一〇〇パーセントには達しなかったが、九五パーセントは達成できたので今回は許してください」という考え方は認めていない。製造や営業の経営目標に対する実績についても、開発スケジュールや管理の仕事の正確さについても、完璧な実行を要求している。3厳しいチェックでパーフェクトをめざす私は、よく経理に月次決算書の不明な箇所について説明を求めた。その際のことを当時の経理部長は「社長に資料を十分検討していないままに出した場合は、必ず厳しく内容をチェックされ、社長の質問にうろたえることがしばしばあった。厳しい追及に懲りて、次
回は万全を期して、事前にさまざまな面からチェックして資料を提出したときには、簡単に説明を聞かれる程度で、かえって拍子抜けしてしまうことが多かった」と述べていた。私の場合、真剣に資料を見つめていると、数字の間の矛盾やおかしな数字が、どういうわけか目に飛び込んでくる。精魂を込めて見ていると、パッと見ていても、間違っている数字や問題のある数字がまるで助けを求めるように目の前に飛び出してくるのである。反対に、事前に数字がすべて十分にチェックされた資料であれば、私がいくら見ていても気にかかる点は見出せない。だから、上司が部下にあわててつくらせた資料を、中身もろくにチェックしないで内心ビクビクしながら持ってくると、案の定、私に見せただけで叱られ、逆に、自分で隅々まで目を通し、問題点を詰めて持ってくると、質問もなく「結構」と終わってしまうのだと思う。経営において責任ある立場の人々が自ら完璧主義を貫くよう肝に銘じていれば、資料の中のつじつまの合わない部分や数字のバランスが崩れているところに鋭敏に注意がいくようになるはずである。また、そうすることによって、資料をつくる側も自然に完璧主義が身につくようになる。会社全体に完璧主義を浸透させようとするのであれば、それが習い性となるまで数字をつくる側とチェックする側が努力していくことが必要不可欠なのである。
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