□朝飯前にひと儲けする「朝型人間」たち
「朝5時に出社して寝てればいい。
二番手三番手にまわってくるのは余りもののダシガラだけだよ」こう言うのは福冨太郎さんです。
キャバレーのハリウッドチェーンで一世を風靡しただけでなく、投資家や浮世絵の収集家という顔も持ち合わせていました。
福冨美術館のオーナーです。
彼の発言は経営トップや有力者に認めてもらうための行動論です。
なんでも一番がもっとも目立つに決まっています。
ならば、朝5時頃、一番早く出社しなさい、あとは寝ていてもかまわないから、と言うのです。
彼自身、若い頃はそうやって上層部の信頼を勝ち得た、と言います。
いつも朝一番に出勤してくるから熱心なヤツだ、と評価してくれたらしいのです。
実はお金がなくてアパートに帰る足代がもったいないので店にそのまま泊まっていたのだそうです。
ただしポーズでやっていたわけではありません。
起きたら店内をぴかぴかに磨く。
トイレ掃除もします。
つまり、勤勉に働いたのです。
この人が成功した理由は猛烈な勉強意欲と労を厭わない性格、誠実さ、そして先を読む抜け目のなさだ、と思います。
とくに、いつも笑顔を絶やさない愛嬌は人一倍でした。
これらの素質を裏付けるエピソードがあります。
まだ二十七~八歳の時のことです。
キャバレー経営をスタートさせてあまり日も経っていない頃です。
新橋駅のそばを歩いていると、向こうから邱永漢さんが歩いてきたそうです。
直木賞作家というよりも蓄財の神様、投資の神様といわれた人ですよね。
この瞬間、あなたならどうしますか?どんな行動をとりますか?「有名人だから遠巻きに見過ごす」という人もいれば、「サインをもらう」という人もいるでしょう。
福冨さんはすべての著作を読破しているほどの大ファン。
しかも、少ないながらも株式投資を始めようと考えている時でした。
となれば、教えを乞いたい。
いや、この人の話をなんとしても聞かなければいけないと思った、というのです。
「邱先生ですね?」と近づいていくと、どこのだれだ、と不審な目で見られるのがひしひしと伝わってきた。
「怪しいものではありません。
先生の本はすべて読んでいます」と懸命に話します。
「投資のことでお話を伺いたいんですが……」「いいですよ。
時間があるからそこの喫茶店で話そうか?」と言われたのを、「この先でキャバレーをやってます」と自分の店に連れて行くのです。
これはなかなかできません。
普通なら自分がキャバレーの経営者、しかも駆け出しなどとは知られたくありません。
しかし、この人は自分をすべてさらけ出すのです。
というのも、自分から胸襟を開いて洗いざらい話せない人間が、相手から大切な情報など教えてもらえるわけがない、と心得ていたからです。
これは学校で教えてくれる知識ではありません。
社会の荒波でもまれてつかんだ生きた知恵だ、と思います。
その日は夜中の三時まで手振り身振り熱を込めて教えてくれた、と言います。
その後、様々な機会に福冨さんを呼んでくれたというのですから、さすがに人物を見る目があった、と思います。
もちろん、この人が福冨さんの株式投資の師匠となったことは言うまでもありません。
□朝駆けで信頼をつかむ!
実は邱さんとはわたしも少なからずご縁があるのです。
というのも、わたしは昔、出版社に勤務していました。
ただし編集の仕事が嫌いで嫌いで(失敗ばかりしていました)、一年もたずに他部門に異動させてもらった落ちこぼれなのです。
ところが、いま、こうして本を書いたり、出版をプロデュースしたり、大手出版社を顧問先にしているのですから、人生はどうなるかわかったものではありません。
嫌いでも仕事は仕事ですから、売れる企画、売れる著者をつかまえなければ給料泥棒です。
そこで邱さんに目をつけたのです。
もちろん、金儲けとか蓄財の本を執筆してもらおうと考えたわけです。
アポだけは取れましたが、この提案はけんもほろろに断られてしまいました。
理由は二つ。
「蓄財という企画はもう古い。
手あかが付きすぎている」ということでした。
たしかにそうでした。
いまならわかります。
ヒット企画には二番煎じはありません。
「えっ、ウソだろ?」というほど、常識とかけ離れたものでなければホームランは打てません。
ただし、非常識ではなく、あとで考えれば、たしかにそうだよな、共感する、という企画や提案でなければいけないのです。
もう一つの理由は、「ボクは書き下ろしはやりません。
効率が悪いから」ということでした。
これにはぐうの音も出ませんでしたね。
しかし、超売れっ子の作家ならば当然の回答だ、と思います。
なぜならば、書き下ろしでは単行本の印税収入しかもらえませんが、雑誌の連載ならば、まず連載の原稿料が入ります。
その後、単行本化した時に印税も入ります。
さらに文庫化されればもう一度、印税収入がもらえるのです。
一粒で二度三度と美味しい仕事ができるのです。
「連載先を見つけてくれたら書いてあげる」将来的には自分の仕事になるとはいえ、ほかの会社の仕事をプロデュースしてあげるわけです。
たまたまわたしは新シリーズを発刊するチームに抜擢されてしまったので、彼の担当を外れることになり、後任はある先輩が担当してくれました。
そして、彼はほかの会社の仕事になるのにいとわず懸命に連載先を探したのです。
もちろん、朝か夜しかできません。
電話でアポを取るにしても、編集者は早朝出勤の習慣などありません。
それでもよくつかまえた、と思ったら、なんとその編集者は徹夜明けで在社していた、というわけです。
ようやく二つの課題をクリアして出版へとこぎ着けることができました。
仕事ぶりが認められて、以来、彼の本をもっとも多く出版することができたのです。
□「金儲けの神様」の生き抜く哲学
わたしは担当を外れましたが、なぜか邱さんは贔屓にしてくれました。
自宅のパーティや会合には必ず後任の先輩と一緒に招待してくれました。
別名、
「邱飯店」として名高い手料理は何度もご馳走になりました。
一度のご縁を重視する。
これが彼流の生きる哲学だったのかもしれません。
邱さんは台湾生まれです。
国民党政府から睨まれて香港に亡命し、そして日本に流れ着いたのです。
戦前は台湾も日本統治下でしたから、彼は東大に入学します。
文学かぶれとして全校に轟いていましたから、経済学部に進んだことはだれもが訝しがることでしたが、彼がいかに実際的な人間であるかがすでにかいま見える、と思います。
「そうしなかったのは、植民地台湾に生まれた人間が将来、文学を志しても生計を立てていく自信がなかったからです」砂糖の密輸に手を出して逮捕されたり、台湾独立運動に関係して中国政府から逮捕状が出たり、そのために香港に亡命します。
このとき、終戦直後で物資がなかった日本に郵便小包で商品を送る事業で大成功します。
その後、小説『香港』で直木賞を受賞します。
一九五五年のことでした。
外国人として最初の直木賞受賞者です。
文学が三度の飯より好きでも、それで食べられなければ深追いしない。
まずは生計の道を立てる。
そして、余裕ができたら夢にチャレンジする。
この姿勢は地に足のついた生き方だ、と思います。
夢に向かってしゃにむに突っ走る人はたくさんいます。
しかし、毎日の仕事をこなしながら、夢を忘れずに持ち続ける人も偉い、と思うのです。
なかなかできることではありません。
彼は時間活用の天才でもありました。
朝早く起きて散歩する。
アクティブに生きました。
人間についてよく知っている人でした。
人間通でした。
「金儲けの神様」としてあまりにも有名になってしまいましたが、その秘訣は人間通であること、そして勤勉であること、この二つが大きな要素だ、とわたしは認識しています。
□投資話で騙された老人が復讐に成功!
株式投資にまったく関心がない人には恐縮ですが、バブル崩壊後、マーケットは地盤沈下。
アベノミクスでようやく株価は持ち直していますが、それでもピークの半分以下です。
デフレ経済とリストラ旋風、そして年金破綻危機を考えれば、だれもが将来について不安と不審の念を抱くのは当然です。
金利は百万円預けても利子はATMで一回下ろせばすべてパーという情けなさです。
投資家は朝が早いです。
世界中どこかの株式市場がオープンしていますから、それをチェックして臨むからです。
ですから、投資関連の有料サイトも早朝にアップされています。
この情報を参考にするかしないかで成果も大きく変わるでしょう。
まさに早起きは三文の得、というわけです。
おかげで金融機関や証券会社に勤務するビジネスパーソンは朝が早いのです。
始業は九時だとしてもたいてい一時間前には出勤していますし、証券会社など六時出勤も珍しくありません。
彼らのお客さん=投資家は朝早いですから当然かもしれません。
ど素人から半年足らずで株式投資の世界で風雲児となって注目されたのは増田正美さんでした。
元々は東京工業大学の教授として超伝導では世界的権威でした。
この人が株式投資に関心を持ち始めたのは定年後です。
「わたしの第二の人生をがらりと変えてしまいましたよ」というのも、定年後、国立大学に勤めていたので、退職金で国債を買うのが最後の奉公と考えて証券会社を訪れたのです。
ところが窓口で「国債よりも株式のほうがお得ですよ」と誘われたのです。
株式投資の相談係と称する恰幅のいい紳士がのっそり奥から出てきたそうです。
鼈甲の眼鏡をかけ、腕には金ぴかのローレックス。
どこから見てもマネーの匂いぷんぷん。
なかなかソフトな話しぶりに引かれた、とも言います。
「ちょうどいいときに来られました。
いま大手企業の子会社でこれからの将来性もかなり期待できる銘柄があるんですよ」ある店頭登録銘柄を強く薦めるのです。
右も左もわからないので、どんな銘柄を勧められても判断のしようがありません。
立て板に水で説明する紳士を信じるしかないのです。
ところが、これが間違いの元だったのです。
購入後、日経平均株価は上昇しているにもかかわらず、この株価だけが下がっていったのです。
学生時代の友人である長谷川慶太郎さんからは、「窓口にやってくるような投資家は素人。
ゴミ投資家と思われてカモにされたんだろう」と増田さんの無知に呆れていました。
後日、マネーの匂いがぷんぷんする紳士の会社ではこの銘柄に疑問を持ち、「レーティング」を下げた直後だったということがわかりました。
つまり、専門家には株価下落は先刻承知だったのです。
早い話が、無知な老人がすっかりはめられてしまったわけです。
怒り心頭、復讐の念に燃えた彼は株式理論を猛勉強します。
PCもマスターします。
ネット取引も覚えました。
もちろん早朝に情報を入手し、取引は午前中だけと決めました。
連戦連勝の株式投資は彼の頭文字をとって「MM法」として確立しています。
そして、そのノウハウを投資家たちに指南するために証券会社は自社サイトに彼のコーナーを掲載したほどです。
マーケットで損したものをマーケットで取り戻したのです。
□アベノミクスでも賃上げは不可能!
牛乳を飲んでいる人より牛乳を配達している人のほうが元気です。
現代人はビタミンが足りないのか、サプリメントを服用している人も少なくありません。
そんなに健康が気になるなら、朝早く起きて新聞配達とか牛乳配達をしたらどうでしょうか?健康と蓄財を両立するにはいいアイデアです。
年金の強制徴収が始まりますし、アベノミクスでもデフレ経済からは脱却できない、とわたし考えています。
詳細はブログをチェックしていただくとして、東日本大震災の復興事業と二〇二〇年の東京オリンピック開催というトレンドがあろうと、賃上げがなければデフレ経済も不況も解決できないのです。
消費税率がアップすれば消費は頭打ちになります。
それがわかっている企業が設備投資などするわけがありません。
しかも円安で原油や天然ガス、海外の食料品などは高騰しています。
消費者物価指数は若干上がっていますが、かつてのオイルショック時と同じ
で、高騰分は国内ではなく海外にすべて還流しているわけです。
貿易赤字と経常赤字が増えるはずです。
給料が増えるはずがありません。
お先真っ暗です。
この時代、ビジネスパーソンの中で年収が増えている人は少ないです。
たいていの人は前年同期比で減っています。
だから、妻の就業率ばかりが年々高まっているのです。
家計は増えません。
前年を維持できれば御の字です。
□年収の三割は副業で稼ぐ!
となれば対抗策は一つ。
副業です。
実際、上場企業の中にも「副業自由」とおおっぴらに勧めている会社も増えてきました。
少し前なら考えられません。
つまり、会社はそこまで追い込まれてしまっているのです。
社員と会社との関係もどんどんドラスティックになっています。
では、どんな副業ができるでしょうか?それは得意技を駆使すればいいのです。
わたしが特派員を務めている某市では町全体が二足のワラジストたちでいっぱいです。
町民一人ひとりが得意分野を一芸として登録し、そのソフトウェアによっていつでもアルバイトができるという制度です。
「一芸ハンドブック」まで出版して、「これを覚えたい」というビジターの依頼に応えているのです。
雪国ならば「スキーが得意」という一芸町民はたくさんいます。
シーズンになるとスキーの指導員になります。
町民だけでなく、役場の人たちも休日に指導すれば一時間いくらでギャラが支払われます。
ビジネスパーソンなら自宅で塾を開いてはどうでしょうか?受験勉強など昔とった杵柄でいくらでも指導できるのではないでしょうか?はっきりいって、わたしの頃は受験生がたくさんいましたから、いまほど楽ではありませんでした。
一芸入試やAO制度、推薦入学など、こんなに入試が楽になるとは思いませんでした。
当時の受験戦士ならば、この緩い受験戦争を勝ち抜くスキルはたくさんもっている、と思います。
『僕って、何?』で芥川賞を受賞した作家の三田誠広さんは、わが子の受験生活時代を通じてつかんだ受験の知恵とノウハウを『パパは塾長さん~父と子の中学受験』(河出書房新社)として出版しています。
わたし自身、学生時代、小学生から高校生までの受験指導をしていた経験がありますし、子どもの中学受験で味をしめ、有名受験塾で御三家受験コースの特別講師も依頼されたほどです。
やりようによっては、「年収の三分の一を副業で稼ぐ」ということも夢ではありません。
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