上司をヨイショするなら「客の前で」
部下の人望力とは「上司を喜ばせる技術」のことだ。喜ばせる――と言っても、宴会芸のことではない。「おっ、彼、なかなかいいねぇ」という人物評価である。
「喜ばせる技術」に欠ける部下は、いくら仕事ができても、「よくやっているけど、ちょっとなァ」と敬遠されたりする。
能力主義といいながらも、日本企業の多くはまだまだ人間関係がモノをいい、上司に可愛がられる者が出世していくのだ。では、どうすれば上司を喜ばせることができるか。
関東某組の若手である K君と、カラオケスナックで一杯やっていたときのことだ。
「あら、親分さん、いらっしゃい!」 ママの弾んだ声で、 K君が弾かれたように立ち上がるや、「お疲れさまです!」 最敬礼したところが、「おいおい、バカでかい声を出すんじゃないよ。お客さんがたに迷惑だろう」 と言ってから、親分は連れだって入ってきたカタギの社長を振り返って、「客に迷惑をかけるなって、いつも言ってるんですがねぇ。困ったもんです」
「なにをおっしゃいます。親分さんを尊敬してるから、若い衆も自然に頭が下がるんじゃないですか」「いやいや、あたしなんか、できそこないの親分ですよ、アッハハハ」
上機嫌で奥のボックス席に陣取ったのである。親分が上機嫌なのは、 K君が立ち上がって挨拶をしたことにあるのではない。
口とは裏腹に、「これこのとおり、ウチの若い衆は私を見ればこんな挨拶をするんですよ」――と社長に自慢できたことが嬉しいのだ。
こんな例もある。
1984年、山口組が四代目組長をめぐって分裂し、一和会が結成されたときのことだ。
双方合わせて死者二十九人という激しい抗争事件を起こすのだが、この緊迫した状況のなかで、当時、週刊誌記者だった私は、機動隊が盾を持って警戒する物々しい雰囲気の一和会幹部宅に取材で訪れた。
応接室に通され、インタビューを始めると、若い衆がスーッと親分の背後――窓辺に立ったのである。
「何しとんのや」 親分が振り向いて若い衆に問うと、「ハッ、ライフルで狙われたら危険だと思って……」「なんや、ボディーガードかいな」 顔をしかめ、私に向き直ると、「身体張って、わしを守っとるつもりでおるんやからね、しょうもないやっちゃ。目障りやから、そこをどかんかい」
叱責の声は、どこか弾んで聞こえ、(ハハーン、こんな子分を持っているのだと、親分は私に自慢しているんだな) と思ったものである。
このとき私は、「上司を喜ばせる技術」の極意とは、自慢ネタの提供であることを判然と悟ったことを、いまも鮮明に覚えている。
先の K君もそうなのだ。
もし親分がひとりで入ってきたのであれば、彼は最敬礼はしても、あんな大きな声は出さなかったろう。
「おいおい、バカでかい声を出すんじゃないよ」と、親分が客人にカッコつけるセリフ――すなわち自慢ネタを披露できるように、あえて大声を出したのだろうと私はニラんでいる。
実際、「 Kは気のきく野郎だ」という親分のホメ言葉を私は聞いたことがあるのだ。
私の知る限り、ビジネスマンでこのことに気がつく人は少ない。ゴマをするのは一対一のときで、上司が客と一緒のときは遠慮している。逆なのだ。
客と一緒にいるときこそ、上司が自慢ネタにできるようなパフォーマンスをするべきなのだ。
たとえば、上司が客とタクシーをつかまえようとしていたならば、「部長! タクシーですか?」 と言って駆け寄り、通りに飛び出して行けばいいのだ。
「あの男、おっちょこちょいでしてねぇ」「なにをおっしゃいます。上司思いの部下じゃないですか。あなたの人徳でしょう」「ならいいんですがねぇ」 こんな会話がかわされ、上司に笑みがもれるのだ。
〝人脈のダボハゼ〟は一生雑魚
ビジネスは人脈勝負だ。正面切って依頼すれば門前払いの案件も、「キミの頼みじゃ断れないな」 ということも少なくない。だから、ビジネスマンの多くは人脈を築こうと鵜の目鷹の目。
「凸凹社の会長を紹介しましょうか?」 と言われれば、「ぜひ!」 パクリと〝人脈のダボハゼ〟になってしまう。
だから雑魚で終わってしまうのだ。ヤクザで、志のある人間はそんなことは絶対にしない。一例としてこんな話がある。
居酒屋で、若手の K組員と私、そしてヤクザ業界を専門に取材する旧知のライターとともに一杯やっていたときのことだ。
「Xさんをご紹介しましょうか?」 とライターが好意で K組員に言った。X氏は資産家で、地上げ資金を提供するなどウラ社会のダンベエ(金主)として知られた人物。知り合って損はない。
いや、 K組員にしてみれば、ぜひとも人脈に連なりたいところだろう。ところが、「そのうちにな」 気のない返事をしたのである。
「なぜ断ったんだい?」 ライターが帰ったあとで私が訊ねると、「あいつの紹介じゃ、俺が安くなっちまうから」 K組員は小さく笑って、「会社員だってそうでしょう。エライさんの紹介となりゃ、そいつがデキの悪い若造でも粗末にゃできない。だけど、下っ端が連れてきた野郎だったら気なんかつかわないもの」 誰が紹介したかによって自分の値打ちが決まる、というわけだ。
この資産家といずれ知り合う機会があるだろう。
そのときは大事にされる立場、少なくとも一目置かれる立場でありたい――という心意気に私は感心しつつ、安藤昇氏が語った言葉を思い浮かべていた。
周知のように安藤氏は東興業(通称、安藤組)を率いて波乱の昭和を駆け抜け、組を解散した後は、映画俳優に転じて一時代を画した人物だ。
昭和三十三年六月、〝横井英樹襲撃事件〟で世間を震撼させるのだが、全国指名手配のさなか、安藤氏は五島慶太を脅迫する。
五島慶太といえば東急コンツェルンの総帥にして財界の大立者。
その五島慶太に対して、命と引き換えに、当時の金で一億円を要求するのだが、こんな意外なことを安藤氏は口にした。
「俺は五島慶太のことが好きだったんだ。さっぱりしていて豪快な人間だから。当時、五島慶太を紹介してくれる人間は何人もいたけど、紹介されて会ったんじゃ意味がない。相手は財界の大立者で、こっちは若いヤクザだ。
となれば、俺のほうが〝よろしく〟と頭をさげなくちゃならないから、爺さんの風下に立ってしまう。そうじゃなく、何かやって(嚙みついて)引っかかりをつければ対等だもの」
このあたりのいきさつについては、私が構成させていただいた安藤昇著『安藤昇の戦後ヤクザ史 昭和風雲録』(ベストブック)にくわしいが、人ひとり知り合うにも、ここまで神経を配ることに驚いたものだった。
「紹介しましょうか?」「ぜひ!」 という〝人脈のダボハゼ〟をやっている限り、雑魚で終わってしまう。「人と知り合う」ということにやり直しはきかないのだ。
ひたむきな「若い衆」が信頼される
「男は出世魚でなくちゃだめだ。メダカになるなよ」 すでに故人になった関東ヤクザの長老が、生前、口グセのように若い衆に言って聞かせていた。
出世魚とは、成長に応じて異なる名前で呼ばれる魚のことで、たとえばブリはワカシ →イナダ →ワラサ →ブリと成長していく。
あるいはクロダイはチンチン →カイズ →クロダイとなる。スズキやボラも名前が変わっていく。ところがメダカは、どんなに成長してもメダカのまま。
「だから男はメダカになったら駄目なんだ」 と、この長老は諭すわけだ。
ちなみに、昔の武将は成長するにつれて名前を変えた。
たとえば、かの豊臣秀吉は幼名が日吉丸。足軽になって名字がついて木下藤吉郎、ひとかどの武将に出世して羽柴秀吉、そして天下を狙うころには豊臣秀吉という立派な名前になっている。
「エッ? あの日吉丸が」 と、幼少期しか知らない人は、その大変身ぶりにさぞや驚いたことだろう。
これをサラリーマンに置き換えれば、ヒラからスタートして主任 →係長 →課長……とステップアップしていき、最後は社長――ということになるだろう。
ならば、どうすれば男は出世魚になれるか。長老の生前、麻雀卓を囲みながら問うと、「努力――」 と短く答えた。
「月並みですね」 私が茶々を入れると、「月並みだけど、実行するのは至難のワザだ」 と言って、一例としてこんな話をしてくれた。
修業時代のこと。「おう、 × ×に電話しろ」 親分に命じられ、若い衆が急いでアドレス帳を繰る。携帯電話がなかった時代だ。頻繁にかける相手以外は、手書きのアドレス帳を見なければならない。
ところが、せっかちな親分は、「まだか」 とイラつく。「い、いま……」「もういい、バカヤロー!」 怒鳴りつけられることになる。
それを見ていて、駆け出し当時の長老は、(よし!) と一念発起。組と関係する電話番号を片っ端から暗記し始めたのである。
ヒマさえあれば、アドレス帳をポケットから出してブツクサ口に出しておぼえる。酔ってアパートに帰っても、寝入るまで布団でアドレス帳を眺めたという。
夢にまで電話番号が出てきたというが、こうした努力で百件の電話番号をおぼえたのである。「おう、 ○ ○に電話しろ」 親分が言えば、電話帳を見ないで即座にダイヤルを回す。
「おめえ、電話番号を覚えているのか?」 これには親分が驚き、感心したという。「自分で言うのもなんだけど、こいつ、使えると親分は思ってくれたんだな。目をかけてもらえるようになったんだ」 と懐古しながら、「人間、努力が何より大事。このことはヤクザもカタギも同じさ。ところが、誰もが楽をしたがるんだな。要領よく立ちまわろうとする。メダカを見てみろよ。右に左にチョロチョロと器用に動きまわってばかりいる。だから、いつまでもメダカのままなのさ」
愚直な努力を続けていれば、必ず上の人間の目に留まる。自分は出世魚になるのか、メダカで終わるのか。我が身に問いかけてみろと、長老は言うのだ。
見えない努力「アヒルの水かき」のススメ
若い衆の態度を見て、(おや?) と思ったことがある。
都内下町のホテルで、格闘技団体を主宰する S氏と、そのタニマチである企業舎弟の X社長をまじえ、大会パンフレットの製作について打ち合わせをしていたときのことだ。
話が一段落したところで、 X社長が腰を上げて首をめぐらせた。
「トイレですか?」 お付きの若い運転手が小声で問いかけ、 X社長がうなずくや、「こちらです」 すぐさま先導していったのである。
私が「おや?」と思ったのは、雑談のなかで「このホテルは初めてだ」と X社長が話していたからだ。
ところが、若い秘書役の運転手は迷わずトイレに案内したではないか。その確信に満ちた態度が、何となく気になったというわけである。それから二週間後のこと。
運転手クンがパンフレットの試し刷りを受け取りに私の事務所にやってきた。コーヒーを飲みながら彼と雑談していて、ひょいとホテルでのトイレの一件を思いだし、「あのホテル、よく行くの?」 と訊いてみた。
「いえ。初めてです」 と彼は否定してから、私の質問の意図を素早く見抜いたのだろう。
「実は前日、時間があるときに下見に行ったもので」 とテレ臭そうな顔をして言ったのである。
これが二十余年前、編集企画会社をやっていた私と運転手――すなわち現在、広域組織三次団体を率いる Z組長との出会いである。いまはカーナビがあるので、初めてのホテルでも場所はわかる。
だが、社長にトイレの場所を訊かれて、「えーと、トイレはどこかな……」 とキョロキョロしたり、「フロントで訊いてきます」 と、あわてて腰を浮かすようでは〝社長付〟としては失格。「この男は使えないな」と社長に舌打ちをさせることになる。
あるいは、「じゃ、軽くメシでも」 と X社長が我々を誘い、「このホテルはどんな店が入っているんだ」 と問われて、「えーと……」 とまごつくようでは、社長に恥をかかせることになる。
「だから、時間があれば、初めての場所は下調べしておくんです」 と、当時、運転手だった Z組長は語ったものだ。
もちろん、社長がトイレに行くとは限らないし、食事に誘うかどうかはわからない。
下調べは時間と労力の無駄になるかもしれない。だが、可能な限り事前準備をしておくのが若い者の務めではないか――というわけである。「黄門さま」で知られる水戸光圀が、次のような和歌を詠んでいる。
ただ見れば 何の苦もなき 水鳥の 足にひまなき わが思いかな 意味は「川面に浮かぶ水鳥は、のんびりとして優雅に見えるが、足は水面下でせわしく水をかいている。
それと同じように、この自分も、他人から見れば気楽な境涯のように見えるだろうが、人知れずものを考え、思いをめぐらせて、心休まる暇もない」というもので、ここから転じて「人知れぬ努力」――すなわち〝アヒルの水かき〟の大切さを説く教訓となっている。
この努力によって運転手クンは、みどころのある若者として組長に可愛がられ、出世の階段を駆け上っていくのだ。
「場面」を読んで上司をフォロー
ひところ「 K Y」という言葉がはやった。
周知のとおり「空気(状況)が読めない」という意味だが、ヤクザ社会では「空気」に相当する言葉を「場面」と言い、 KYのことを「あの野郎、場面が読めねぇんだ」といった言い方をする。
もっとも、「場面」という言葉の意味は曖昧で、「話をつけようと思ったが、場面が違うだろう」「オレも場面だから、飲み代は全部面倒をみたんだ」「そうは言うけど、場面つくってくれねぇと、オレも話しにくいじゃねぇか」 口に出さなくてもわかるだろう――といったニュアンスは、すべて「場面」という言葉に置き換えられる。
「何でぇ、その場面ってな」 とヤボなことを訊くヤクザは、もちろんいない。何となくわかるような気がする――という、言わずもがなの機微が「場面」なのである。
「よそ者が元気に × ×町を飲みまわっとるそうやな」 たとえば、親分のさり気ないひと言は「 × ×町はウチの縄張やないか。
他組織の連中が大手振って飲み歩いとんのに、おのれらは黙っとるんか」――ということを言外に含んでいるわけで、組員は〝道具〟を抱いて現場へ飛んで行って正解となる。
こんなヤクザ社会で、「あいつは若いが使える」と親分のおぼえめでたいのが、関東某会の F君である。たとえば、親分のお伴をして喫茶店に入ったときのことだ。
コーヒーを飲み終わると、親分は、分厚いクロコの長財布から一万円を引き抜き、「釣りはいいぜ」 マスターに鷹揚に告げて店を出ると、こうつぶやいた。
「コーヒー二杯で一万円か」 それから三十分後、「これ、マスターから差し入れっス」 F君が、ケーキの箱を抱えて事務所にもどってきたのである。
本当に差し入れだったか、あるいは F君がマスターにコワモテで督促したか――。真相はわからないが、「なかなか気がきくじゃねぇか」 親分は上機嫌で笑った。
差し入れに喜んだわけではない。場面を読んで気を利かせた F君に対し、笑顔をもって褒めたのである。
あるいは、こんなこともあった。親分が組員たちを引き連れ、焼肉店へ行ったときのことだ。さんざんっぱら飲み食いしたあとで、 F君が店長を店の隅に呼んでインネンをつけた。
「てめぇ、この野郎。換気はどうなってんだ。煙たくて、肉の味なんかしねぇだろう」「す、すみません。換気にはじゅうぶん気をつけているんですが」「じゃ、どうして煙るんだ」「少しは煙は出ると思いますが……」「てめぇ、まさか金を取る気じゃあるめぇな」「そ、そんな……」 そこへ「どうしたんだ」と親分が登場。
事情を知るや、「バカ野郎! カタギ衆に迷惑をかけんじゃねぇ」と F君を叱責してから、店長に向き直り、「こいつも、みんなのためを思ってのことなんでしょう。悪く思わんでください。短気だけど、根はいい奴なんですよ。おい――」 F君をうながし、頭を下げたのである。
これには店長も大感激。「あの親分さんは、たいした人だ」と、あちこちで感心してみせることになる。まともに料金を払っただけなのに、親分は地元でますます評判を取ることになる。
店長にインネンをつけたのは、 F君が場面を読んでのことで、親分もまた、咄嗟にそれに応じたということだ。
「この見積もりじゃ、高すぎますよ!」 上司に同伴した交渉の席では、ケツをまくってみせるのも一法だ。
「言葉を慎みたまえ」 上司が叱責し、「申しわけありません。仕事熱心な男でして、他意はありませんので、気を悪くしないでください」 先方にいい顔をしつつ、一方で、上司は部下を頼もしく思うことだろう。
悪い知らせは、「次善の策」とセットで知らせよ
結果だけが問われる。これが大人社会だ。
「死ぬほど頑張ったんですが、契約は取れませんでした」「そうか、よくやったな」 と上司に評価されることは、まずありえない。
口でこそ「ご苦労さん」と言うかもしれないが、腹のなかでは、(しょうがねぇな) と舌打ちである。
まして、違法・脱法、何でもありのヤクザ社会では、結果を出せなければ、舌打ちどころか、我が身がヤバイことになる。
だから騙そうが、脅そうが、それこそズドンとピストルで撃とうが、目的を達成するための手段やプロセスは一切問われない。
たとえて言えば、木になったリンゴを取る場合、手を伸ばして届かなければ木を切り倒しちまえ――というのが、彼らの思考法なのである。
だが、ヤクザは、額に汗して働くことの少ないビジネス形態なので、ドジを踏むことが少なくない。そこで問題になるのが、上の人間に、そのことをどう報告するか。
報告の仕方ひとつで、評価は百八十度変わってくるのだ。まず、悪例から。
都内の盛り場に事務所を構える A組が、風俗店のオーナーからキリトリ(債権取り立て)を頼まれたときのことだ。
暴対法で債権取り立ては禁止されているが、それは表社会の話で、裏社会の住人同士の貸し借りでトラブれば、ヤクザの出番となる。
風俗店のオーナーがホストクラブ社長に一千万円ほど用立て、それがコゲついたというわけである。
幹部の命を受け、さっそく K組員がホストクラブに乗り込んだところが、店は閉店。
自宅マンションも引っ越し。
トンズラしていたのである。
K組員は事務所に帰ってきて幹部にそう報告して、「野郎、頭にきますね」 と、立場上、息巻いてみせたところが、「てめぇ、ガキの使いか!」 灰皿が飛んできた。
(つまんねぇ報告なんか持ってくるんじゃねぇ) というわけだ。
古代ギリシャでは、悪い知らせを伝えた使者は殺されたというが、「何とかするのが、てめぇの仕事だろう!」 という苛立ちが、幹部に灰皿を飛ばさせたというわけだ。
K組員にもうちょっと知恵があれば、とりあえずの報告ということにして、「野郎に女がいるらしいんで、そっちを当たってみます」 とか何とか善後策を伝えることで、幹部の怒りを封じられたことだろう。
そして、あっちを当たった、こっちを捜した、女をシメたし、野郎のダチをボコボコにした――と、やるべきことはすべてやりつくした、ということにでもすれば、「そうか」 不承不承ながらも、幹部は納得することだろう。
さらに――。
K組員がキレ者であれば、依頼主の風俗店オーナーをガジり(脅し)、いくばくかのカネを出させたはずだ。
実際、同じようなキリトリ案件で別組織の Q組員は、依頼主にやんわりこう言って、カネを取っている。
「どのみち野郎はウチが見つけ出すが、組長の手前もあるんで、経費をいくらか持ってくれねぇかな」 そうして、そのカネを組長に渡し、「お世話になっているんでよろしくとのことです」「そうかい」 上機嫌になるのだ。
仕事でドジを踏んだら、たとえ不可抗力であっても、上司は部下に不満をいだく。
だから悪い知らせは、必ず「善後策」や「お土産話」とセットで報告すること。
災いが転じて福になることがあるように、失敗も報告の仕方で、お咎めなしになるのだ。
上司の服装のマネをするのも一手
「この命、兄貴のためなら捨てても惜しくありません」「そうか!」 と感激するほど、ヤクザは甘くはない。
言葉とは噓も方便というように、重宝なものであることを、彼らは経験で熟知しているからだ。
今日ほめて 明日わるく言う人の口 泣くも笑うも 噓の世の中 とは一休禅師が詠んだ戯れ歌だが、権謀術数渦巻き、「鉄砲の弾は後ろ(身内)から飛んでくる」と揶揄されるヤクザ世界で生き抜いていくには、言葉を鵜呑みにするわけにはいかないというわけだ。
元ヤクザ幹部で、いまは事業家に転じた知人は、「ウワサや他人の評判なんか、いっさい耳を貸さないね。
オレが信じるのは、自分のこの目で実際に確かめたことだけだ」 というのが口グセだが、これはヤクザ社会で身についた習い性ということか。
だが、言葉を換えれば、自分の目で実際に確かめたことは誰が何と言おうと信じるということでもある。
ここに、目上の人間から信頼され、可愛がられる〝目下の人望力〟が潜んでいるのだ、 某組の U本部長は、若手の N組員を本部長付に抜擢し、ことのほか可愛がっている。
傍目には調子がいいだけの若者に見えるし、そんな風評も U本部長は承知しながらも、「野郎は見どころがある」 と信頼を置いているのだ。
それがなぜなのか不思議に思っていたが、あることに気づいた。
似ているのだ。
スーツの色とデザイン、ネクタイ、さらにワイシャツのネーム刺繡の位置も U本部長と同じ袖口で、しかも糸の色は濃紺、そして、頰には本部長と同じ切り傷……。
拙著『 1分で「みどころがある!」と言わせる仕事術』(青志社)のなかで、《あるヤクザ幹部の頰に切り傷があるのだが、若い衆がそれをマネて、ナイフで自分の頰に傷をつけたということがあった。
「バカな野郎で」と幹部氏は苦笑して見せるが、やはり可愛いのだろう。
手もとに置いて、何くれとなく面倒をみている。
》 と書いたが、この若い衆が N組員なのだ。
マネされて、気をよくしない人間はいない。
なぜだかわかるだろうか。
それは「推測」にある。
(おっ、 Nのヤツ、オレのマネしてやがるな) と気づいた段階で、(ハハーン、 Nのヤツ、オレのこと尊敬してんだな) という思いをいだく。
嫌いな人間のマネなどするわけがなく、したがってその逆は「好き」と「尊敬」ということになる。
「本部長のこと、尊敬しています」 と言ったのでは、(この野郎、調子こいてやがる) と思われてしまうが、(ハハーン、オレのこと尊敬してんだな) という思い――つまり「自分の判断」は、無条件に信じてしまうのが人間なのである。
先に紹介した元ヤクザ幹部で、いまは事業家に転じた知人がいみじくも「オレが信じるのは、自分のこの目で実際に確かめたことだけだ」と語ったように、 N組員は、ヤクザのこの価値観を見事、逆手に取ることで U本部長の心をつかんだということになるだろう。
ビジネスマン社会も同様だ。
「この上司に可愛がられたい」――と思うなら、上司のマネをすればよい。
スーツの色からネクタイ、カバン、手帳まで徹底してマネをする。
(あれ? オレと同じネクタイだな) という何気ない思いが、やがて、(カバンも同じ、手帳も同じ……。
こいつ、オレのマネをしてるな) という確信に変わったときから、可愛がられていくのだ。
「将」を落とすには「馬」にゴマスリの矢を射よ
「将を射んと欲すればまず馬を射よ」――とは使い古された格言だが、「上の人間に取り入る」ということにおいて、これにまさるものはないのではあるまいか。
馬上の将軍を弓で射るのは至難のワザだが、馬を射殺して将軍を落馬させれば、容易に仕留めることができることになる。
だから「馬」――すなわち、カミさんに取り入るのが出世の早道となる。
「誠実な人ね」 という社長夫人の何気ないひと言で、昇進への足かがりをつかむ社員もいれば、「あの人、虫が好かないわ」 というひと言で気が変わり、内定していた昇進を見送ることもある。
ここに、上司に可愛がられる〝部下の人望力〟がひそんでいる。
インターネット関連企業の社長が言う。
「何事においても決定というのは、前提をベースとして、その上に思考を重ねていって下すものでしょう? だから結果が〝ピサの斜塔〟になってしまうことが少なくない。
これを防ぐには、積み重ねていった思考をもう一度、吟味する必要があるんだけど、ついそのことを忘れてしまっているんですね」 だから女房の何気ないひと言でハッと気づかされることがある――と、この社長は言うのだ。
これは社長でなく、上司であっても同じことで、カミさんのひと言は千鈞の重みを持つこともあるのだ。
ヤクザ社会は、カミさんが稼業のことに口出しすることは、まずない。
意見することもない。
「あんた、そんなことして大丈夫やの?」 心配して口をはさもうものなら、「女は黙っとれ!」 目を三角にして怒るだろう。
ミエとプライドで渡世を張っているだけに、女房ごときに四の五の言われたのでは頭にくる――というわけだ。
だが、そこは夫婦。
稼業のことには口出しはしないが、ちょっとしたときに組員のことを話題にすることはよくある。
「あの子、なんやの。
お使い頼んだら、いま忙しいやて」「みな忙しゅうしとんのやから、つまらんこと言うたらあかんで」 面倒なものだから、そう言って一度はたしなめるが、「せやけど、あの言い方はなんやの。
うち、ああいうの、好かんわ」 そこは夫婦の会話。
ごちゃごちゃ言われると組長も鬱陶しくなり、そのハケ口は女房ではなく、当の若い衆に向かい、(あのアホだらが) ということになる。
姐さんのちょっとしたボヤキが、組員の評価に大きく影響するというわけだ。
反対に「 ○ ○ちゃん、素直で、いい子ね」――と姐さんが上機嫌で目を細めれば、 ○ ○組員の評価は上がる。
夫婦の機微とは、そうしたものなのである。
「女は黙っとれ!」 という〝男尊女卑〟のヤクザ社会においてすらそうなのだから、一般社会はそれ以上に、奥さんのひと言が、社員や部下の評価に大きくかかわってくることになる。
だが、ちょっと目端の利く人間であれば、「将」を射るため、女房という「馬」にせっせと〝ゴマすりの矢〟を飛ばしているものだ。
ただ、ここでよく見落とされるのが、いつも将のそばにいる「世話人」なのである。
某組の理事長は実力者として聞こえた大物で、彼の事務所には社会の裏と表を問わず、いろんな人間が出入りしている。
平身低頭する者もいれば、モミ手する者、お世辞の連発でヨイショする者など、みんながすり寄ってくる。
この理事長には、「理事長付」という肩書きを持つ Wという古参組員が秘書役でついているが、腰が低く、存在感が薄いこともあって、客はもちろん、組員たちも軽く見ている。
長いものには積極的に巻かれ、短いものには目もくれないのが人情であれば、それも当然だろう。
ところが、若手組員の O君は違った。
W組員に積極的になついていったのだ。
W組員も O君を可愛がり、やがて O君は W組員の口添えで役付に抜擢されることになる。
客も、他の組員たちも、 W組員がいつも理事長のそばにいる――という当然の事実を見落としていたため、理事長にはシッポを振っても、 W組員のことは無視していたのである。
これは私の想像だが、おとなしい W組員が、組の重要事項について理事長に進言することはなかったろうが、ちょっとしたときに、組員たちの話題を口にしたことだろう。
前記のごとく、〝夫婦の会話〟のようなもので、 「Oのヤツ、なかなか見どころがありますね」「そうかい」「これからが楽しみです」 といったような会話がなされたことだろう。
事実、理事長に「 O君は大出世ですね」と水を向けたところ、 「Wがずいぶん買っているからさ」 と言って笑ったものだ。
「将を射んと欲すればまず馬を射よ」とは、こういうことをも言うのだ。
「大変だったスよ」――手柄のアピールは逆効果
褒められてうれしいのは、子供も大人も、みな同じだ。
それも、「よくやったな」 という通り一遍の褒め言葉でなく、「本当によくやった!」 と絶賛して欲しいものだ。
ことに上司の期待に応えたと自負している場合は、なおさらである。
だから「大変でした」「疲れました」「徹夜つづきでヘロヘロです」――と、無意識に手柄をアピールしようとする。
誰しも、そんな経験はあるだろう。
人情としてはわかるが、これは逆効果になってしまうのだ。
この心理を、ヤクザも見どころのある若い衆は心得ている。
たとえば、 A組の若手である U組員が、キリトリ(債権取り立て)で債務者の自宅に徹夜で張り込み、回収に成功したときのことだ。
「ご苦労だったな」 幹部のねぎらいに、ニカッとうれしそうな顔を見せるようでは、これから先も一目置かれることはないだろう。
「大変だったスよ。
ゴミ置き場のところに隠れて……」 いかに苦労したかを滔々と語れば、幹部はうんざりして、「てめぇ、安い男だな。
その程度のことで喜んでいるのかよ」 と、口には出さないまでも、確実に評価を下げることになるのだ。
上の人間に可愛がられる若い衆は、手柄を立てたときは謙遜する。
少なくとも、私がこれまで会った若い衆で、見どころがあると評価される人間はそうだ。
「ご苦労だったな」「いえ」「疲れたろう」「もっと早くにカタをつけられるとよかったのですが、申しわけありません」 こう言われれば幹部も、「なあに、よくやったぜ」 本心から褒めることになる。
ところが、なかなか謙遜はできないものだ。
まして、ねぎらいの言葉が足りなければなおさらで、つい「大変だったスよ」と言いたくなる。
だが、それでは逆効果になることを肝に銘じておくことだ。
「どうしましょうか?」という問いかけの賢い使い方
親分の顔色をみて判断する。
これがヤクザの鉄則だ。
「どうしましょうか?」 と、いちいち判断を仰ぐようではヤクザ失格。
まして、使用者責任が厳しく問われる現代にあって、「殺りますか?」「おう、殺っちまえ!」 と命じる親分などいるわけがないし、そんなことが話し合われたこと自体、親分にとってヤバイことになるのだ。
さりとて親分は、組員が襲撃することを知らないで〝寝耳に水〟ということもない。
(殺れ!) という親分の気持ちを顔色から察し、行動に移してこそ、一人前のヤクザということになる。
余談ながら、人間心理に疎く、気がきかない若い衆のことをボンクラと言う。
一説によると、ボンクラは「盆暗」と書き、賭場の状況や勝負の流れなどが読めず、客の応対やゼニ勘定も満足にできない者のことを指すとされる。
いまでは広く一般に使われているが、元は主として関西方面で使われる業界用語で、いまふうの言い方をすれば、「野郎、使えねぇな」 といったところか。
ボンクラは論外として、本当の意味で上の人間に可愛がられる若い衆は、顔色を読んで行動するだけではない。
「どうしましょうか?」という問いかけを、実は巧みに用いているのだ。
関西系 A組が街金に頼まれ、飲食店経営者に債権取り立てをかけたときのことだ。
飲食店経営者は、ケツ持ち(用心棒)の V会を出してきた。
組同士で何度か話し合いがもたれたが、組織力に勝る A組が圧倒的に優勢で、結局、 V会から「この一件から手を引くから、何とかウチの顔も立ててもらえないか」という泣きが入った。
さて、ここである。
現場責任者である A組本部長は、独断でここまで話を進めておいてから、組長に「どないしましょうか?」と、あえて判断を求めたのである。
「せやな。
今後のこともあるやろ。
ゼニ、半分に負けたれや」 組長は上機嫌で言った。
すでにおわかりのように、好結果が見えたとき、あるいは確定したときだけ組長の判断を仰ぎ、いい気分にさせるというわけだ。
「V会が出てきよりました。
どないしましょか?」 という相談は N G。
「V会が泣いてきよりましたが、どないしましょか?」 あえて組長に花を持たせて、おぼえめでたくなるという次第。
「部長、先方から見積もりの件でクレームが来ていますが、どう対処しましょうか」 という相談はもちろん NGで、「見積もりの件で、先方と話がまとまりました。
値引きの幅はウチに一任すると言ってきていますが、どう返事しましょうか?」 これなら上司は喜ぶのだ。
成功が確実で、もう少しで成功というときを見計らって上司に相談し、花を持たせる。
つまり、ダルマに目を入れさせてやるのだ。
反対に、ヤバそうな案件は――たとえ上司が知っていても――独断専行の体裁を取り、失敗したときに上司の逃げ道をつくってやるのが、賢い部下の処し方というわけだ。
「なぜ勝手なことをしたんだ!」 という上司の叱責は、(やれやれ相談されなくてよかった) という安堵の裏返しであることを知っておくべきだろう。
上司の本当の怒りは、成功することが見えた段階で、ひと言の相談もないことなのだ。
「なぜオレに花を持たせないんだ!」 とはもちろん言わないが、腹の中で怒っている。
だから、あえて「どうしましょうか」という相談が必要というわけだ。
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