人間の心はどんなコンピュータより素晴らしい
平安な心で富を享受できる人生は、PMAすなわち『積極的心構え』を持つ人間のもとに、最もよく訪れる。
確固とした願望や目標を持てば、心の姿勢はおのずとPMAとなり、願望や目標へと自分を推進してくれる行動力を持続させるパワーも、ここから生じてくる。
私たちの社会に不可欠なものとなっているコンピュータは、複雑な仕組みだが、基本的には非常に単純な原理のもとで構成されている。
「イエス」か「ノー」の二進法である。
電子回路を開くか閉じるかのどちらかであり、この過程の組み合わせによっていろいろな情報を吸収、選択する。
人間の心は、どんなコンピュータよりもはるかに素晴らしいものである。
しかし、その思考のメカニズムの根源には、多くの「イエス」と多くの「ノー」が激しく飛び交っているのである。
その中で積極的心構えを持っている人は、可能なかぎりの「イエス」を見つけて、それを人生の一部にしようとしている。
否定的心構え(これをNMA、NegativeMentalAttitudeという)を堅持する人は「ノー」の要素を無意識のうちに取り込み、多くの良いものを見逃し、多くの悲しみや不幸とともに生きようとする。
「それは、単なる心構えにすぎないのではないか?」と思われるかもしれない。
確かに単なる心構えにすぎない。
だが、成功か失敗か、心の平安か不安か、建康に恵まれるか病気がちか、ということは、この心構えから始まる〔訳注…この科学的裏付けに関心のある方は『<改訂新版>脳力革命』(田中孝顕著・きこ書房刊)を参照されるとよい〕。
幸いなことに、誰でもNMA(否定主義)からPMAに変わることができる。
PMA、つまり積極的心構えを持ちさえすれば、あなたの人生を十分成功に導けるほど多くの「イエス」を見つけることができる。
自分自身で脳をそのように調教できるのだ。
これらの事実を踏まえたうえでPMAプログラムは作り上げられた。
したがってPMAプログラムはまず第一歩として、あなたをPMAそのものとしてしまう役割を担っているのである。
人間の脳には一定の「成功あるいは失敗を目指す回路」のようなものが備わっている。
それがどんなものであるかわかれば、成功した人々が、それをどのように使っているかを調べることによってあなたもそれを活用することができる。
私はその一部をこの章で述べ、さらに、ほかの章でも扱って読者の記憶に確実に残るようにしたいと思う。
読者はすでに、本書の中で個人名や事例や実践方法が繰り返し述べられていることにお気づきだろうが、それは読者の記憶に役立つようにと考えたうえでのことである。
「世界は、自分の行き先を知っている人間には、道を開けてくれるものだ」という言葉がある。
「自分の行き先を知っている」というのは、どういう意味かをよく考えていただきたい。
そうすれば、願望や目標が確固としていれば、あなたの心の無限の力はかぎりなく一点に向かって集中する。
自分の願望や目標を知っていれば、行き先がわからなくなることはないし、願望や目標と何の関係もない言葉(誘惑)に迷うこともなくなる。
以前には、一日の仕事の中にかなり無駄な行動があったとしても、これからは、努力は一つに結集され、精神的働きも身体的働きも、それぞれがお互いに助け合うようになる。
心から打ち込んでいる人間は、他人の欠点を探したり、いい加減に仕事を進めて良心にやましさを感じたり、時計を見上げてばかりの生活とは無縁になる。
また、予期しない障害が起こったとしてもくじけることがない。
あなたの積極的な、一点に集中した心構えは、問題を処理し、それを克服するのに最適なポジションを取れるようにしてくれるのである。
これは「天才」だけの秘密なのだろうか
「」ずば抜けて成功した人々であっても、その脳力は普通の人と変わらない、と私は言った。
しかし達成したものを見ると、彼らは「天才」と呼ぶにふさわしい人間であることがわかる。
彼ら天才たちは普通の人の脳力よりことさら優れているわけではないが、その脳力を顕在化させ、十二分に活用させたのは彼らの積極的思考法、すなわちPMAにほかならない。
私はヘンリー・フォードやアンドリュー・カーネギー、トーマス・エジソンのような人物と話をしたが、彼らは例外なく、いかなる恐れや懐疑も持たず、望みのままに何でもできるという心構えを持っていた。
それこそまさにPMAなのだ。
アンドリュー・カーネギーが、PMAの必要性をよくわかっていたのを私は知っている。
カーネギーは私にあることを指示する前に、私がPMAを持っているかどうかを調べていた。
それはまさに〝出し抜け〟な調査であった。
その「指示」とは、成功者の分析であった。
ある日、デスクの向こう側から鋭い目で私を見つめながら、そのスコットランド生まれの大富豪はこう言った。
一九〇八年のことである。
「君とはこれまで長い間、話をしてきたね。
私は、人が有名に、金持ちに、そして社会に役立つ人間になるための秘訣を君に教えてきた。
実は、この仕事には二四〇人も希望者がいるのだが、私はあえて君を選ぼうと思う。
いいかね、私は世界的に傑出した人々を君に紹介する。
そこで君は、彼らに共通した成功の哲学を見つけるのだ。
君はこの仕事に今後二〇年間打ち込むことができるかね?といってもその間、私は君に金銭的援助はいっさいしないつもりだが……」「――」「私の考えは、もう十分に君に伝えたつもりだ。
あとは君が答えを出す番だ。
イエスかノーかを言ってほしい」私は、前途に立ちふさがる障害のすべてを、頭の中で猛スピードで考え始めた。
私が飛び越えなければならないすべてのハードルのこと、私が費やさなくてはならないすべての時間のこと、レポートをまとめるという大きな仕事のこと、そして、その間ずっと自分の生活費は別の方法で稼がなければならないということ、そんなことを考え始めた。
いろいろな否定的な考えとの格闘に二九秒もかかった。
もし私がこのとき、その否定的な考えに打ち負かされていたら、それ以降、私はその否定的な影響を受け続けてきたことだろう。
どうして、二九秒かかったことがわかったのかって?それは私が「イエス」と言ったとき、カーネギーが机の下からストップウォッチを出して見せてくれたからだ。
彼は私がPMA(つまりここでは積極的精神とでも言おうか)を見せるまで、一分間だけ待つつもりだったと言った。
一分間待っても返事がなければ、私をその仕事からはずすつもりだったそうだ。
私はたった三一秒の差で間に合ったのだ。
そのことが私自身も含めて何百万人もの人生を変え、向上させることになったわけだ。
あのとき、私はチャンスをつかんだことになる。
積極的心構え(PMA)は、別の人間のPMAに波長を合わせる
、いったんこの大きな仕事を引き受け、自信を持ってそれに専念するようになると、当初想像していたありとあらゆる障害が簡単に消えていくのがわかった。
そこで私は、PMAの助けによって、大富豪あるいは偉大な業績を残した五〇〇人以上の人々にインタビューをした。
そして彼らの成功の秘密を見つけ出したのである。
そればかりではない。
そのことによって私は生活費以上の収入を得ることになった。
私はこれらの成功例を自分にもあてはめ、活用した。
それで私もいわゆる〝大富豪〟の一人としてランクされるようになったのだ。
私は〝天才〟だったのだろうか。
私は自分が天才ではないということのはっきりした証拠を持っている。
それはさておき、私は多くの人物に会う中で、一つの貴重な事実を発見した。
その真実とは――「積極的心構え(PMA)の持ち主は、積極的心構え(PMA)の持ち主である別の人間から恩恵を自動的に手に入れる」ということだ。
テレビやラジオの一般的な原理はご存じだろう。
高周波の電磁的振動をアンテナに導くと、その振動は空中に飛び出して電波になる。
遠くにあるアンテナが、それをキャッチする。
こうしてメッセージなり映像なりが何百キロも遠くへ届くのだ。
宇宙時代では地球全体にも送信される。
ところで脳の中にも電気の流れがある。
ここには私設放送局があって、思うがままの思考の振動を発射することができる。
この放送局が積極的な考え、あるいは他人が得をするような考えを絶えず発信していると、こちらの波長と合ったほかの人から振動を受信することができる。
つまり、同類の思考をキャッチすることができるのだ。
これはむろん比喩ではあるが、同類同士が集まるという現象はよく経験しているところだ。
活動的な人間はやはり活動的な人間と、ネクラはネクラ同士で仲間になるのもこの現象である。
すでに述べたような成功者たちのほかにも、ジョン・ワナメーカー〔訳注…百貨店経営の先駆者、大富豪〕、エドワード・ボク〔訳注…ジャーナリスト、ピューリッツァー賞受賞者。
一八六三〜一九三〇〕、ウッドロー・ウィルソン〔訳注…米国第二八代大統領、教育家〕などといった著名な人々に会いに行ったとき、彼らも私もお互いに心と心の感応を感じたものだ。
そうでなければ、こうした超一流の人物に簡単に会えるわけがなかったし、私の仕事のために何時間も貴重な時間を割いてはくれなかったであろう。
そのうえ、生涯にわたって私の相談相手になってくれはしれなかっただろう。
しかも彼らは見返りの費用をいっさい要求しなかった。
自分のしていることに確信を持つこと。
そうすれば、信念は放っておいてもますます大きく強固になっていくのがわかるだろう。
自分を疑うと、心の中の「ノー」の部分がそれを増幅させ、敗北を引き寄せてしまうのだ。
これはPMAの影響力について、ほんの一部を述べたにすぎない。
さてこのPMA、つまり積極的心構えと結びついて富と心の平安の双方をもたらしてくれるほかの「コントロール・レバー」について、そのいくつかを見ていくことにしよう。
これらのコントロール・レバーは、あなたの一生に勝利をもたらしてくれるものだ。
人生における七つのヤル気の元
刑事裁判の法廷で「動機」にこだわるのは理由のないことではない。
人間のすることはすべて多かれ少なかれ、モティベーション(動機)が引き起こした産物なのである。
私たちは、人生におけるモティベーションを九つに分け、それらをいろいろ組み合わせて使っている。
このうち、積極的なモティベーションは「欲求」という形で七つあるが、それは次のようなものである。
人生における積極的な七つのモティベーション1愛情に対する欲求「愛」は無限の広がりを持っている。
おろそかに取り扱ってはならない。
愛は惜しみなく与えること。
そうすれば与えたのと同じだけが、あるいはそれ以上のものが自分に返ってくる。
愛を与えるのをやめれば、愛を受けられなくなる。
2性に対する欲求「性」は大自然の中の偉大な創造の力である。
その最も高い段階では、性は愛とペアになって現われる。
しかし、愛は性的でなくても存在できる。
性の強い力は、高い願望や目標の達成のための行動力に変換させることができる。
一方、性はのめり込んだり、間違った使われ方をすることがある。
こうした形で現われたときの性は、人間に悲劇や問題をもたらし、性そのものが不当な悪評をかうことになってしまう。
3物に対する欲求4自己保存に対する欲求「自己保存」は、もしそれをほかの人の権利を無視してまで求めようとすれば、否定的な力となる。
これは、人間が生き続けられるようにと、「自然」が教えたものである。
それなのに人間は、それ以上のところへのぼる特権があると思い込んでしまっている。
船が沈もうとしているときは、女性と子供を先に救命ボートに乗せなければならない。
これは人間としての崇高な精神によるものである。
こうした崇高な精神を引き出すような事例は、多いのだ。
5心身の自由に対する欲求6自己表現に対する欲求「自己表現」は、自己を発見するための手段である。
これは、自分自身であるための一つの自由なのだ。
だからこれは積極的であり、建設的であり、きわめて重要なものである。
ただ、自己表現で他人を貶したり、傷つけたりしないようにしなければならない。
7「永遠の生」への欲求「死後の生命の永続」は、人類の最も初期のころからの欲求である。
良識の範囲内にあるべきであり、死という肉体の変化に対して、自分はどのような関係を持つのかを理解していなければならない。
このモティベーションが疑念や恐怖に包まれていては、悲惨なことにしかならない。
そうなると人生は、死に先立つ準備にしかならない。
文明そのものを危機に落とし入れるのだ。
否定的動機には次の二つがある。
1怒りと復讐2恐怖これらの九つの動機の中に、自分がしたり、また、しないでおこうとするものすべての根拠が見つかる。
心の平安は、七つの積極的動機を人生の普遍的なパターンとして行使することによってのみ得られるのである。
心の平安を保っている人が、二つの否定的動機を行使することは、皆無ではないにしても、きわめて稀である。
復讐したい気持ち、他人を傷つけたいという怒りの気持ちがあったのでは、いくら正当化する理由をつけようとしても、心の平安は得られないのだ。
偉大な人々は、他人を傷つけたいという気持ちに時間を割いている暇などない。
そんなことをすればもはや偉大な人間ではなくなってしまう。
偉大な人々だからといって恐怖を感じないわけではないが、いつまでも張りついていてその人の人生を支配してしまうような類の恐怖ではない。
小心で卑屈な人々は、恐怖と怒りのパターンを生涯にわたって背負っている。
彼らの心は、これらの否定的な影響をあまりにも受けすぎているため、自分たちの望みどおりの状況に変える力を心の中に見出すことができないのだ。
ごく最近、私は十五年前に不動産投資で全財産を失った人の話を聞いた。
私がこの話を聞いたとき、彼は七〇歳であった。
この人は友人のアドヴァイスを受け、多額の借金をして沼沢地を買収した。
二年ほどたてば、その沼沢地にも建設の需要が起こるのだ、とその友人に勧められたのだそうだ。
だが、それが実現しないうちに借金の返済期限がきた。
彼は自分の生業だった靴屋の商売が、音を立てて崩れるのをどうすることもできなかった。
彼にとんでもない助言をした友人も大損をした。
だから一方的にだましたわけではなかったのだ。
しかし彼は、その友人に対して憎しみを燃やした。
いくら時間がかかっても「死ぬまでには必ず」仕返しをするのだと言っていた。
もう少しでそれは本当に起こるところだった。
憎み続けた五年間というものは、仕事も手につかないほどだった。
一方、友人のほうは間もなく経済的に立ち直り、ちゃちな復讐など手が届かないところへ行ってしまった。
財産を失くした男のほうはついに心のバランスまで失って、精神科の診察を受けるようになった。
そして郊外にある、高い塀に囲まれた静かな場所――精神科の療養所で半年以上も過ごさなければならなかった。
しかし幸いにも、最後の月には、担当医の意見に耳を傾けるまでに回復した。
財産を失ったことより、憎しみと復讐の気持ちのほうがより大きな損害を与えたのだと、その担当医は指摘した。
彼はそれを受け入れた。
医者はさらに、その友人を許してあげなさいと説得し、彼はそれを受け入れた。
やがて彼は、その友人に手紙を書いて、自分の心が変わったことを告げた。
同胞への愛と、積極的かつ建設的な心構えで彼は自分の仕事に復帰した。
六〇歳で新しい仕事を始め、七〇歳になった今、かなり裕福になった。
とりわけ、心の平安を得るようになった。
それは富の一つの形として欠かすことのできない要素である。
私自身もかつては否定的な心構えの影響を受けて苦しんだことがある。
前章で述べたように、逃避行の間は最初のうちこそ自己保存という賢明な本能に従って行動したが、間もなくそれが恐怖に変わり、それが惨めさに変わった。
幸いなことに、手遅れになる前日、自分がどうなってしまったのかに気がついた。
こんなことはもう二度と起らないだろう。
あなたを護衛する八人の騎士たち
あなた専用の案内役や護衛(例えば「心の平安」とか「忍耐」)についての一定の原則があることに気づいてほしい。
そして、それらの原則を現実にし、身につけやすくするために擬人化してみるといい。
原則と同じ数だけの騎士が武装して、あなたの心に通じる扉の前に一人ずつ立っていると想像してみよう。
この騎士たちは、中へ入ろうとするすべての思考に戦いを挑むことになる。
騎士たちは、あなたの心を積極的に有効に保ち、不調和のないようにしてくれるだろう。
私は、自分の騎士たちに名前をつけてリストにしてみた。
これをそのまま応用してもいいし、あなたの必要度に応じて修正してもよい。
そのリストは次のページのようなものである。
あなたを護衛する8人の騎士1心の平安の騎士この騎士は、いちばん外側のところにいる。
そしてすべての訪問者に対して、「私と心の平安を分かちにやってきたのかね」と尋ねる。
そうでない訪問客たちはすべて追い返してしまう。
2希望と信念の騎士彼は、人生での私の任務のために、私の神経を集中できるような影響だけに許しを与えて通す。
3愛とロマンスの騎士彼は、愛が私の胸の中で永遠に新鮮でいられるような影響だけを選んで、私の心の中へ通す。
4身体の健康の騎士彼は、健康を害する精神的な影響がどのようなものであるかを知っている。
身心が、その元気を維持するように役立つような影響だけを許して中へ通す。
5富の騎士彼は経済的な利益をもたらす考え以外は通そうとしない。
6全般的な知恵の騎士特定の考えが私に役立つということがわかったとき、彼はその考えを私の知識の倉庫に入れてくれる。
7忍耐の騎士彼は私の心の中の、急ぎたい衝動、つまり準備が整っていないうちに仕事にとりかかったり、性急になる衝動をすべて追っ払ってくれる。
8ノームヒルの騎士「ノームヒル」というのは、私が自分のために名づけたものである。
つまり私専用の騎士だ。
特定の名前同士を組み合わせたもので、ほかの人にはわからない意味を持っている。
これと同じようにあなたも自分だけの騎士を作って、特別な名前をつけるとよい。
この騎士は、ほかの騎士と一緒に護衛につく。
ほかの騎士たちは、ときどき任務から離れて休むことがある。
来るか来ないかわからないのに四六時中、緊張してはいられないからだ。
だが、私の個人的騎士「ノームヒル」は常にそこにいて、私の人生に起こる特別の影響すべてに対処してくれる。
「ノームヒル」はいわば私の無任所大臣である。
ほかの騎士たちに持たせられない任務を遂行する。
精神的な騎士団のことを十分意識したときは、彼らはあなたの力のすべてを結集させ、どんな問題でも解いたり、特別な防御ラインを張ったりする。
私は、ある人と話しているとき、その人と対立する考え方が私の心の中に侵入し始めるのに気がつくことがある。
よろしい。
私はすぐさま、心の平安の騎士たちに特別警戒警報を発する。
すると彼らは直ちに、普段の二倍の力で城壁の監視を強めにかかる。
そうして私は、再び自分自身の心を取り戻すことになる。
そうすることによって、私はいつも冷静で落ち着いていられるのである。
もし私が何か身体の痛みを感じていたとしよう。
私は身体の健康の騎士を呼び寄せて、過去にさかのぼって、原因を調べるように指示する。
そうすれば、よい結果が得られるようである。
私は、医学の説明を超えた自然治癒力の恩恵を受けられるものと信じている。
私の騎士たちは、その役目に対して一定の報酬を受ける。
彼らの「給与」というのは、私の絶えざる感謝の念である。
毎日、私はこの感謝の言葉を一人ひとりの騎士に述べ、それから全員に向かってその力強い団結に対して感謝をする。
この感謝の念を表現することは、本来の自分の力に注意を向けておくのに役立つことがわかったからだ。
もし私がそれを怠ったら、騎士たちもきっとサボッてしまうだろう。
私が精神的な力を使いこなすのを意識しだすと、騎士たちも力強く活動するのだ。
「物を獲得しようとする動機」と「自由を求める動機」の間の対立を防ぐ
身体の自由は見てわかりやすいものではあるが、心の自由には微妙な問題がある。
恐怖と怒りは、心を鉄格子の向こうに閉じ込めてしまう。
罪の意識は、心に足枷をはめてしまう。
物を獲得しようとする動機はそれ自体は優れていても、「身体と心の自由」の優れた動機と対立するものだ。
物質的なものを得ようとして、私たちは心の自由を放棄してしまうからだ。
正直な行動をとらなかったために、心に恐れと罪の意識を植え付けてしまうこともある。
そのうえ、他人に不正なやり方でつけ入って財をなした人間は、正当な方法で得た成功がもたらす本物の喜びを自分から取り上げることになる。
ルールに従って勝ったのなら、自分の心のためにいいことをしたことになる。
不正を働いて勝ったのなら、勝利ではなく敗北なのだ。
私は、人生の早い時期に働き始めてよかったと思っている。
そのため、人生の教訓を若いときに得ることができた。
そこで、最初の仕事に就いていたときのことを話そうと思う。
私はビジネスカレッジを出たばかりのティーン・エイジャーで、世の中のことも人間の性質についてもよく知らなかった。
私の雇い主は、銀行をいくつも所有していた。
彼は自分の息子に、離れた街にある彼の銀行の一つで出納係をやらせていた。
ある夜、この町のホテルの支配人が私に電話をしてきて、その銀行家の息子が面倒を起こしたと言ってきた。
事態は深刻であるとも言った。
支配人は銀行家と連絡が取れないため、私に連絡をしてきたのだ。
詳しい事情はわからなかったが、私はすぐに列車に乗って、翌朝早くその町に着いた。
その銀行に着いてみると、扉は閉まっていたが鍵はかかっていなかった。
それで中に入ってみると、金庫が開いたままになっており、緑色のドル紙幣が窓口のカウンターあたりにいっぱい散らかっていた。
ホテルの支配人が言ったのはこのことだったのか。
これをやったのは、雇い主の息子だったのか――。
私は扉を閉め、電話を取り上げた。
どうにか私は雇い主と連絡がとれた。
私がこの町に来た理由と、ここで見たままを告げると彼は狼狽して言った。
「すぐに金を数えて、帳簿と照らし合わせてくれ。
それで足りない分は私の口座から引き落として埋めてくれないか」私はそこで座りこんで金を数え始めた。
そして帳簿と照らし合わせると、驚いたことに一セントも紛失してはいなかったのだ。
雇い主の息子は札束を散らかしただけなのだ。
私はそこに座ったまま、積み上げた札束を見つめた。
そのころの私は貧乏で、悲惨で、みじめなものだった。
仕事にありついているとはいえ、やっと食べていける程度の生活だった。
それなのに、ここには五万ドル近い金が無造作に積み上げられているではないか。
このうち少なくとも半分を自分のポケットに突っ込んでも誰にもわからないだろう、と思った。
雇い主の息子は不安定な心の持ち主だということは、みんなが知っている。
もし金がなくなっても、みんなは彼の仕業と思うだろう。
彼が一セントも盗んでいないことは私しか知らないことだ……。
物欲という名の動機は、私を激しくせっ突いた。
しかし、自由を求める動機は「いけない」と言った。
また、心の中の「何か」が、私を正直なままでいさせてくれた。
「何か」と言ったのは、そのときはこの動機に名前をつけることができなかったからである。
たぶん、この「何か」は、私が家を出る前に継母と話し合ったことに関係があるかもしれない。
その話し合いの中で継母は、私が自分の心をコントロールすること、そして常に自分自身とともに生きなければならないことを教えてくれたのだ。
私は金を全部金庫の中に入れて、雇い主に電話をした。
不足額を補う必要のないこと、一セントも盗まれていなかったことを報告した。
私は心の平安とともにその銀行から立ち去った。
自由で、喜びに満ちた積極的な心が私の中で躍動した。
それ以来、私は「自由」の動機を物質面の動機の前におくことにした。
それで私は、自分の内部の自由も外部の自由も妨げることなく、必要な金はすべてうまく手に入れることができた。
これが、私を真っ直ぐアンドリュー・カーネギーのもとへ走らせた動機となった。
あるいは、私の人生の究極の目標へと導いた、と言ってよい。
私の雇い主は、息子の評判を守るために、私が最善を尽くしてくれたと言って感謝してくれた。
その感謝の印として、彼は後に、私がジョージタウン大学の法学部に入るのに力を貸してくれた。
これがカーネギーへのインタビューという私の仕事へのきっかけとなったのだ。
もし私があの日、物質的欲望に屈服してしまったら、PMAプログラムは決して誕生していなかったであろう。
エマースンが言うように、人間のすべての営みの中には、物言わぬパートナーが存在しているのだ。
人生での小ざかしい取引に走ろうとする者には、災いが訪れる運命になっている。
人生は、自分の考えを自分に送り返す
、思考は物質である。
物とは存在しているものをいう。
確かに、思考はそれ自体が存在しているのだ。
だから、呪いを吐けば自分に呪いが戻ってくるし、祝福を送れば祝福が返ってくる。
これは〝人生の鏡〟によって反射されるからである。
ある詩人はこうも言っている。
「私は、私の運命の主である。
私は、私の魂の舵取りである」これもまた真実である。
これらの二つの真実は、お互いに呼応し合っている。
積極的な傾向のある魂から積極的な思考を送り出すと、世界はますます積極性あふれる影響をあなたの役に立つように返してくれるだろう。
心の平安を見出す最も確実な方法とは、できるだけ多くのほかの人々にも心の平安を見出せるようにすることだ。
このことはモティベーションとなる七つの力を使うときの指針にしてほしい。
そうすれば、あなたは自分の力を正しく使っていることに気づくだろう。
心の平安は、祈りの中にあるだろうか。
ありうることだ。
いや、あるはずだ。
しかし、不運に見舞われたときだけ祈りに行く人があまりにも多すぎる。
そのような人は「恐怖」の動機が心を支配したときだけ祈るのだ。
祈りというのは、そういう意味で、方法としては否定的である。
したがって、結果も否定的にならざるを得ないだろう。
心の平安をもたらす祈りは、その心が問題を抱え、悲しみにさいなまれても、自信のあるメッセージを発することのできる心から出てくるものだ。
そしてまた、問題を解決することを知っている心の中から生じるのだ。
私は、人間の理性を超えた一つの「実在」(魂と呼ぼうが何と呼ぼうが自由だ)があるという証拠を実際に見ている。
積極的な状態になった心は、ときにはこの「実在」とぴったり波長を合わせることがあると思う。
もっとも、祈りや決心を通じて心を調整することは、各人が努力で成し遂げなければならないものだ。
人間が自分の運命を求めたり、善悪の判断をするのは自由であり、特権でもある。
人間が達成した優れた実績も、まず思考としての存在が先になくてはならないのだ。
さて、あなたに〝大いなる秘密〟は、見えるだろうか。
サクセス・エッセンス⑬
1積極的な心の姿勢を維持すれば、人生は「イエス」と答えてくれる人間の心は、どんなコンピュータよりも素晴らしいものである。
しかし思考の多くは、コンピュータのように「イエス」「ノー」で処理しているように思える。
積極的思考法、PMAは、あらゆる人生の状況の中で、可能なかぎり「イエス」を見つける手伝いをしてくれる。
あなたの姿勢が、現在は否定的であっても、それを積極的なものに変え、あなたの人生を豊かで報いの大きいものに向けて開くことはできる。
2確固とした願望や目標を持って、心構えをコントロールする有名な成功者は、自分の願望を実現しようとするときには、自分の脳力についていささかの疑いも持たないものだ。
誰でも、人生のいかなる段階においても、この心の変換法の恩恵を得ることができる。
ただ一つの目的に心を集中する。
そうすると、心は、はるかに効率のよい動き方をする。
そのため、天才的な力を発揮しているように見えるのだ。
これであなたを悩ませていた問題の扱い方と障害の取り除き方がわかったと思う。
積極的な心は、ほかの人の積極的な心と波長が合う。
このような心の放送局を通じて、あなたは貴重な情報を交換し、案内を得ることができるのだ。
3七つのモティベーションをコントロールする七つの積極的モティベーションと二つの否定的モティベーションは、あなたの行うすべての行動の陰に潜んでいる。
PMAを身につけていない人間は、怒りと恐怖という二つの否定的モティベーションによって心の平安を奪われているため、優れたアイディアを出したり、物事を達成したりする力が弱められている。
成功する人間は、七つの積極的モティベーションを用いて自分の望むような人生を築く。
心の扉のところに「あなたを守る騎士」たちを配置させ、否定的な影響が入り込むのを防ぐことができる。
このようなイメージ上の騎士たちを使いこなせば、どのような緊急時にも常に対応できる。
それは日々の事柄ばかりではなく、健康を維持するためにも活用することができる。
4自分のモティベーションが互いに対立するのを防ぐことができる物を獲得したいという願望は、自由への願望と対立することがあるかもしれない。
だが、身心の自由のほうが大切である。
愛の感情は、愛をほかの人間に与えるかぎりは、自分のものになる。
性は、それにふけったり、その使い方を間違ったりしてはならない。
死後のことについては、迷信や恐怖にとらわれてはいけない。
自己表現や自己保存は、他人を傷つけないかぎりは、あなたに恩恵をもたらす素晴らしい人間の権利である。
積極的モティベーションはすべて、あなたを導いてくれる。
否定的モティベーションは、たとえあなたに接近してきたとしても、次のことを覚えていれば、それによって害を与えられることはない。
「心の平安を見出す最も確実な方法とは、できるだけ多くの人々に、心の平安が見出せるようにすることである」
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