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第十一章成功のためのパフォーマンス

 

目次

自分の心と自分の進む方向を知ること

前にも述べたが、ここで再び、自分の心を知る必要と自分の進む方向を知る必要について話すことにする。

そこで、自我を考えてみよう。

自我とは、途方もなく大切なものであり、心の中心である。

私は自我を、「人間が自己主張する傾向」と解釈している。

心の平安を保っている人は、健全な自我を持っている。

ところが人によっては、「健全な自我」とは、声が大きくて他人の背中を気安く叩くようなタイプの人を想像するかもしれない。

自我とは、長い幼少年時代の影響、あるいはそのほかのさまざまな要因によって築かれたものである。

あなたの自我は、指紋のようにあなた固有のものである。

だが、あなたにとって「健全」な自我であっても、他人にとっては健全ではないかもしれない。

自我の中には、多少のうぬぼれもあるようだ。

自我は目には見えないが、あなた自身の身体の一部と考えてよい。

それはあなたを強くも、賢くもしてくれるし、障害になりもする。

優れた心を持っていても、ときどき自我が荒れ狂っているのに気がつくことがある。

本当に優れた人は、それを感じとって急速に自我を立て直すものだ。

この章では、ほかの人たちが使ってきた自我の推進装置をいくつか紹介する。

それは簡単なものだ。

その中からあなたに選んでもらって、あなた専用の推進装置を作り上げてほしいと思う。

きちんとした身なりよりも強力な自我

きちんとした身なりをして髪の手入れを怠らないことは、自我の向上に役立つという考え方がある。

これは古くからあるアドヴァイスだが、的を射たアドヴァイスだと思う。

そこで、このことを実践した人を紹介しよう。

もっともこの人の自我は、心の中に深く根ざしたものである。

それは清潔なシャツやきちんと剃った顔などよりもはるかに有効なものだった。

彼の名はエドウィン・C・バーンズである。

彼は当時、かのトーマス・エジソンの共同経営者であった。

バーンズはそのころ、三一着もの高級仕立服を持っていた。

一カ月間、二日続けては同じスーツは着なかった。

シャツは手に入るかぎりの最高級の生地で仕立てさせ、ネクタイはパリにオーダーしたものだった。

少なくとも一本、当時のレートで二五ドルはした。

ある日、私はバーンズに冗談半分に言った。

「スーツをどれか捨てる気になったら教えてください。

私が着ますから……」「あなたが冗談半分で言っているのはわかりますがね」とバーンズは言った。

「一つ話をしておきましょう。

もうかなり前のことですが、私は、トーマス・エジソンと提携をしようと決めたとき、エジソンに私のアイディアを聞いてもらおうと思ったのですが、そのときエジソンの研究所があるニュージャージーのイースト・オレンジまでの汽車賃がなかったのです」彼の話すところによると――、「エジソンのところへ行きたいという願いのほうが、貨車に乗ることの惨めさよりも強かったのです。

それで旅行カバンに身の回りのものを詰め込み、箱型貨車に乗ってイースト・オレンジまで行ったのです。

エジソンの研究所に入っていってエジソン氏に会いたいと告げますと、研究所の中で一斉にクスクス笑いが起こったのを今でも憶えています。

ようやく彼の秘書がオーケーしてくれましたので、私はこの偉大な発明家に会うことができました。

そこで私はいきなり彼に切り出しました。

『私の脳力を最初に使う人になるのですから、あなたは大変幸福な人です』すると、彼は立ち上がって私の周りをぐるっと回って私を見下ろしていました。

それから、ニヤッと笑いました。

『お若いの、何の用事で来たのかね?』と聞いたのです。

それで私は、彼が難聴だということに気がつきました。

私は大きな声で説明しなければなりませんでした。

すると急に、私は服はシワだらけで埃まみれ、靴はすり減り、二日も剃らなかったヒゲは伸び放題だったことを思い出したのです。

たちまち私はこれまでの意気込みが萎えてしまいました。

とはいえエジソンの偉いところは、服装を見て私を判断しなかったことです。

しかし私は、これからは絶対に惨めな服装で人の前に立つまいと決心しました。

で、私がなぜこれだけの服を持っているかおわかりでしょう。

というわけで、私の古服をあなたにお譲りすることは一向に構いませんがね、あなたの自我はその〝お古〟を着ることによって、かえって低くなってしまうのではないでしょうか」彼の長い話は終わった。

彼の言ったことは正論である。

私は身を飾りたてることで自我を強化する必要を感じたことはなかった。

だから私も間違っていない。

自我はきわめて個人的なものだからだ。

私も確かに、あの大邸宅と二台のロールスロイスで自我を刺激したことがある。

後に、私の仕事が広く世の中に受け入れられるようになってからは、私はもっと簡素な生活で満足するようになった。

といって、私は自我を無視したわけではない。

自我は、私の「案内役の騎士たち」によってうまく機能している。

それでも私は、バーンズやそのほかの人々と同じように、もはや困窮したくはないという気持ちを持っていることは自分でもわかる。

子供時代、私は貧乏と無学の中で、貧困に苦しむ隣人たちに囲まれて暮らしていた。

今では、自分の住んでいる環境が快適であることに非常に敏感になっている。

当然と言えば当然である。

あなたも小さいころに受けた影響を振り返ってみて、それが現在の自分にどの程度関係があるかを見てみれば、役に立つことがわかるだろう。

まずは手始めに、次の質問に正しく答えてみてほしい。

①衣・食・住は足りていたか?イエスノーもし答えがノーなら、足りないのは、何を基準としてなのか?□世間一般のまともな基準から□近所の特定の人と比較して□そのほか、自分で決めた基準から②両親など人生に影響を与える人たちがあなたを過小評価するあまり、兄弟姉妹や友人たちがあなたよりいい子で、賢い子だという気持ちをあなたに起こさせていたか?イエスノー③いたずらをしたとき(ア)根っからの「悪い子」と言われていたか?それとも(イ)ただその振る舞いにのみ、よくないことだと言われていたか?(ア)(イ)④「悪い子」と決めつけられていたなら、開き直ってそう決めつけられたとおりに、ずっと振る舞おうとしたか?イエスノー⑤読み、書き、計算という三つの教育を十分に受けてきたので、あとになって劣等感を感じることはなかったか?イエスノー⑥背が低すぎたり、高すぎたり、あるいは太りすぎたりしていて、自分は目立っているのではないかと感じているか?イエスノー⑦容貌に関して、ひどく劣っていると思うか。

あるいは傷あとがあったり、身体に不自由なところはないか?イエスノー⑧子供のころの家庭の雰囲気はおおむねどうだったか?(ア)反目し合っていたか、あるいは(イ)心配ごとが絶えなかったか?(ア)(イ)⑨両親は子供の前でしばしば喧嘩をしたか?イエスノー⑩自分をカモにしたり、こき使ったりする人間がある一定期間いたか?

イエスノー⑪ゲームやクラブでは、リーダーになるのが好きだったか?イエスノー⑫小さいとき、それを意識したしないにかかわらず、成功志向的な目標を持っていたか?例えば「ジョーンズさんの家みたいな大きい家に住みたい」とか、「ブラウンさんのように素晴らしい場所へ旅ができるような仕事をしたい」というふうに。

イエスノー⑬両親は、あなたに(ア)責任を持たせるようにしてくれたか?それとも(イ)心配して何もかもやってくれたか?(ア)(イ)⑭あまりに何もかも独力でやらなければならなかったので、自分に何が起こっても、本気で気にかけてくれる人がいないという気がしたか?イエスノー以上のような質問について考えてみると、あなたの現在の行動におのずと現われている過去の様相はわかってくるだろう。

だが、過去のことを心配しろと言っているのではない。

過去への扉を閉じれば、もしかすると、私たちが損ねているものを閉め出すことができるかもしれない。

これを覚えておいてほしい。

しかし、ときには過去の影響を理解することで、自我を励ましている現在のやり方に満足することができる。

例えば私は最悪の貧困下で育ったが、そのときの影響が大人になっても残っていることを理解していた。

だから一時期、二台のロールスロイスを乗り回したり、いわゆる大富豪のやりそうなことを一とおりやったが、それはそれで大いに満足であった。

セールスパースンは自我で売る

PMSプログラムの原型をまとめる仕事にかかっている間、私はセールスパースン向けのセミナートレーニングをして生活費を得ていた。

私の指導のもとに、三万人以上のセールスパースンがやって来て、訓練を受け、そして巣立っていった。

私がセミナー参加者たちに最初に教えることは、どんなセールスでも、売る前には、まず売る商品を自分自身に売り込まなくてはならない、ということだった。

つまり、自我を手なずけて、顧客に自信のある発言ができるような状態にするということだ。

さらに自分もまた、その商品を「いいもの」であると確信していなければならない。

ニューヨークの生命保険会社の重役が、面白い症状の人間を私のもとに送ってきたことがある。

その会社に三〇年以上も勤めている人間で優秀な販売成績を上げていた男だが、突然、成績がガタ落ちしてしまったのだ。

原因は誰にもわからない。

本人にもわからないし、重役たちも見当がつかなかった。

そこで会社は私を呼び寄せて、その患者の診断を依頼してきたのだ。

私はその営業マンと一緒に外出して、彼の仕事ぶりを観察した。

間もなく私には、彼の根本的な問題点がわかった。

彼はこの分野で三〇年間も働いてきたが、今になって、セールス活動をするには年をとりすぎているのではないかと恐れていたのだ。

彼は絶えず自分の年齢のことを言っていた。

彼の恐怖はノイローゼに近い状態にまで進み、歩き回るのでさえ何らかの助けが必要だと感じている状態であった。

彼は、自分はもう「だめだ」と思い込んでしまい、見込み客から断られるのを覚悟しきっていた。

自我をすっかり消沈させ、〝ノー〟の声が聞こえもしないうちから、〝ノー〟をある意味では期待していたのだ。

相手に〝ノー〟と言わせるためなら、これ以上確かな方法はまずない。

事務所に戻って、私は彼に言った。

「耳の悪い人が昔使っていた、旧式のラッパ型の補聴器を探してくれませんか」「私は耳なんか悪くありませんよ」と彼は抗議した。

「そのとおり。

あなたは聞こえすぎるのです。

客からノーと言われもしないのに、ノーが聞こえるんです。

だから聴力を落としてください。

人が話しているときには、ラッパ型補聴器を耳に当てて聞こえないふりをするんです。

相手がノーと言っても構わずに仕事の話を進めるんです」私たちは話し合って、強引な売り込みは、もちろんしないことを確認し合った。

やがて彼は、ばかでかい旧式のトランペット型補聴器を使って九人の有望な見込み客の中の六人から、契約をとりつけることができた。

次の週には、一二人に会って、八人と契約することができた。

それは、今までにない記録だった。

彼の自我は、ノーからイエスの習慣に戻ったのである。

やがて彼は補聴器を使わなくなった。

それ以後、問題は起こらなくなった。

私の聴力は正常だが、聴覚障害については詳しく知っている。

なぜなら、私の息子ブレアに生まれつき耳がなかったからだ。

それで耳がないのを隠すために、髪を長く伸ばして学校へ行っていた。

ほかの子供たちが彼の長い髪をからかった。

それは彼の自我をひどく損ねていた。

そこで私は、彼の髪を短く切ってやることにした。

そしてブレアに「もしほかの子が耳のないことを理解してくれたなら、それはお前にとって素晴らしいことになるよ」と教えた。

そして、そのとおりになった。

ほかの子供たちは今度は、優しくしてくれるようになった。

それで彼も、耳のある人との違いなどまったく気にしなくなった。

トーマス・エジソンが自らの聴覚障害をまったく気に止めていなかった態度に、私も大きな影響を受けていたのかもしれない。

私は、彼が困った顔や失望の表情を浮かべたのを見たことがない。

むしろ彼の表情は、こんなふうに語っていた。

「私の自我は私がコントロールしている。

荒れもせず、制限も受けず、私の命令どおりのことを行う」

自我を立て直すことにより富を得たレイ・カンリフの話

私は、他人の自我を立て直すための処方を何度かやったことがある。

もちろん、そのためには、その人をよく知らなければならない。

だから、あなたが自分自身のために処方箋を書きたいと思えば、あなた自身を知らなくてはならない。

あの、古くからある「汝自身を知れ」という教えの重要性をわかってほしい。

ときには、人は早すぎる引退をしてしまって、その後の生き方が定まらなくなることがよくあるようだ。

レイ・カンリフという名の男もそうだった。

PMAプログラムの古いユーザーである。

彼は、シカゴでキャデラックの代理店を経営していて、かなりの資産を作った。

そこで彼は、一年間の休暇をとることにして店を閉じてしまった。

彼の言葉によると、「休息して充電」なのだそうだ。

しかしその一年が終わらないうちに、彼は次第に落ち着きがなくなっていった。

やがて彼は、キャデラックの代理店でいい出し物はないかと探し始めた。

だが、適当な売り物はなかった。

また半年が過ぎた。

その間の生活費のために、蓄積した金は大幅に減ってしまった。

彼がPMAプログラムを用い始めたのは、そのころだった。

その前まで、レイ夫妻は、家に召使いをおくほどの生活をしていたのだが、そのころには召使いたちを解雇し、自分たちで食事を作らなければならなかった。

ある日レイは、地下室で洗濯をしていたが、そのとき、あることを思い出したそうだ。

PMAプログラムの中で言及している「間違い」についてである。

その同じ間違いを自分が犯していることに気がついたのだ。

彼は自我に栄養を与えることなく、自我を飢えさせていたのである。

つまり、自我を押さえつけていたのだ。

彼は興奮して私のところへやって来て、個人的な相談にのってほしいと言った。

そして語り終わると、「私はこれからどこへ行けばいいのでしょう?」と聞いた。

私は彼の妻が以前からミンクのコートをほしがっていることを聞いた。

そのコートは三〇〇〇ドル(当時)もする品だった。

また彼の車はキャデラックには違いなかったが、かなり古ぼけていた。

彼が着ている服にしてもそうだった。

そこで私は言った。

「レイ、ノートとペンを出してくれ。

富を得るための処方箋を書いてやるよ」私は紙に、四つの処方を書いた。

<その一>近くのキャデラックの代理店へ行って、今の車を下取りに出し、気に入った新車を買う。

<その二>たとえ三〇〇〇ドル以上であっても、町の高級毛皮店へ行って、ミンクのコートを買うこと。

それをプレゼント用の箱に入れてもらう。

<その三>仕立て屋に行って上等なスーツを五、六着新調する。

それからネクタイ、ワイシャツ、靴などを新しいスーツに合わせて新調する。

<その四>ミンクのコートをキャデラックの新車に積み、制服を着た運転手を雇う。

そして君が家を留守にしているとき、その運転手に新車とコートを奥さんに届けさせる。

というものだった。

さらに私は、追加文を書いた。

「この四つのステップを今すぐ実行しなさい。

それが終わったら、また私を訪ねてきなさい。

次の処方箋を書いてあげよう。

もっとも、次の処方箋が必要ならば……だが。

私はこの処方だけで十分だと思う」という内容だった。

新しいキャデラックとミンクのコートが届けられたとき、彼の妻は受け取りを拒否したらしい。

だが、運転手は、彼女に車のキーを渡したまま帰っていった。

コートは座席の上に置いてあった。

妻はコートを着てみた。

確かにそのコートは、数週間前に目に止まった素晴らしいコートだった。

突然彼女は、自信と幸福感がどっと湧いてくるのを感じた。

同じことがレイにも起こった。

まるで魔法のような話だが、これは決して魔法でもなんでもない。

間もなく、以前にカンリフ家で働いていた料理人と家政婦がやって来て、前の仕事をまたやらせてもらえないかと頼みに来た。

カンリフ夫人はためらうことなく、彼らを家の中に招き入れた。

一方、レイのほうといえば、友人が電話をしてきて「ボルチモアでキャデラックの代理店が買えそうだよ」と教えてくれた。

そこで調べてみると、なかなかいい話だった。

だが、取引には一五万ドル必要だった。

これは彼にとって調達の難しい金額だった。

そこで、彼の自我が頭をもたげて来た。

彼は自分自身に「誰が貸してくれるかわからないが、金は必ず手に入る」と言い聞かせた。

翌日、彼はある裕福な友人を訪れた。

その人はあまりにも裕福すぎたので、レイは以前から劣等感を感じていたのだ。

だが、今度ばかりは違っていた。

あれほど強かった劣等感は少しも感じなかったのだ。

彼は胸を張って融資を申し込んだ。

仕事に戻るためには一五万ドル必要だと説明した。

「よろしい!」とその人はレイの言葉を遮って言った。

「もういいよ。

君がビジネスに戻ると聞いて私はうれしい。

いつだって君はいい利益を上げていた。

よろしい。

投資しよう」彼はレイに十五万ドルの小切手を渡し、それから重ねて言った。

「返済は利益が出てからでいいよ」こうしてレイ・カンリフは再びキャデラックの代理店を持つようになり、仕事はうまくいった。

新しいワイシャツを全部着終わらないうちに、事が運んだのだ。

だが、たった一つだけ失望したことがあった。

それは、突然の運の変わりように、私が驚いてやらなかったことだ。

「それはね、レイ」と私は言った。

「私はそれと同じようなことを何百回も見てきたんだよ。

だから少しも興奮しないのさ」しかし、私自身だってうれしくないはずはない。

またもや成功意識、PMAが、貧困意識、NMAにとって代わるのを見たのだ。

この成功意識というのは、必ず成功を引き出すものだ。

そのキーが自我なのだ。

自信のある信念に満たされ、自分に合った手段によって支えられた自我なのだ。

レイが帰ってから、やっと私の頬がゆるんだ。

自我のイメージを描いて、最初の手当てを

、人は、たった一度の決定的な場面に遭遇することがよくある。

ところが、そういう場面には、たいていは別の人間がからんでいて、その人をなんとか説得しなければならないことがある。

また、その人のために場面を魅力あるものにしなければならないことがある。

もしあなたがその人をよく知っているなら、あなたの自我の力を使って、相手が見たがるイメージを見せればよい。

相手をよく知らない場合でも、その場の重要性をよく見極め、相手にとって魅力的な絵を描き出せばよい。

私自信も、ある段階で自我が揺らいだことがある。

そのときの話をしようと思う。

私が新聞社の社長だったドン・メレットとどんなふうに関係していたかは、すでに述べたとおりである。

彼が殺されたことで、私の最初の出版が遅れた経緯についても述べた。

そのことが契機となって、私は大企業「御用達」のラベルを貼られないですんだのだ。

そのとき話したように、密売の告発に私も関係しているのではないかと疑った殺し屋たちから身を隠すため、私は町を出なければならなかった。

逃避行中、当然のことだが私の気分はよくなかった。

そのとき私は、自分の才能についての信念を失いかけていた。

私は、自分をしっかりつかんで、恐怖の束縛を断ち切ろうと決心した。

新しい出版社を探さなければならなかったが、USスチールのギャリー会長(この人は判事もしていた)が亡くなっていたので、私はまた一から始めなければならなかった。

未開拓の分野で、しかも無名の私にとっては容易な仕事ではなかった。

私の自我が立ち直り、成功意識が再びはっきりと頭をもたげるにつれて、私の内部の声が私に話しかけてきた。

フィラデルフィアで出版社を見つけよ、というのだ。

私はフィラデルフィアの出版社はまったく知らなかったが、私の内部の声は高まっていた。

私は五〇ドルの金を持って車に乗り、フィラデルフィアへ行った。

フィラデルフィアは、クエーカー教徒の町だ。

心の中で、半ばうまくいくだろうとは思っていたが、あとの半分は狂気の沙汰だとも思っていた。

フィラデルフィアについて、私は職業別電話帳を調べた。

一日一ドルか二ドルで泊まれる安宿を探していたのだ。

そのとき、何が起こったか。

ここのところはよく読んでほしい。

そのとき起こったのは、今まで話した中で最も驚くべきことなのだ。

人生を変えることのできる〝大いなる秘密〟の啓示がここにある。

電話帳を操っていると、私の内なる声(思いつき、あるいはヒラメキといってもよい)がまたささやいた。

「安宿を探すのはやめろ。

この町いちばんのホテルへ行け。

そしてそのホテルの最高のスイートルームに入るのだ」私は電話帳を閉じて、瞬きをした。

ポケットにはもう三五ドルしかない!しかし、内なる命令には逆らえなかった。

私は荷物を持つと、胸を張って町いちばんのホテルへ行った。

そして、スイートルームをとった。

一日二五ドルだった。

宿泊カードにサインをしたとき、私は自分の選択が正しかったと確信を持った。

自我と信念が私の内部でふくらんだのである、そのときはまだ〝大いなる秘密〟という言葉を考え出してはいなかったが、そういったものに私がしっかりとつかまれているのを感じた。

当時、ルームボーイには二五セントもやれば十分だったのだが、私は一ドルを渡した。

豪華な椅子に腰を下ろすと、また私の内なる声が聞こえてきた。

声はさらに大きくなっていった。

「安いところに泊まれば、お前は抑圧される。

そういう環境では、出版社と交渉するには非常に不利だからだ。

お前に必要なのは、自我推進装置なのだ。

お前はこの立派なスイートルームから、それを得ているのだ。

さあ、お前の心はただ積極面についてのみ考えるのだ。

それが成功をもたらしてくれる。

用意はいいか?お前の研究を出版できるほどの財力のある人を、知っているだけ意識の中に呼び寄せるのだ。

さあ、その人たちの名前を思い出せ。

正しい名前が出てきたら、お前にもわかるだろう。

その人と連絡をとって、お前の希望を伝えるのだ」私は少しの疑いもなく、私の本を出版してくれそうな人の名前をたどってみた。

三時間それをやったら、頭の中が空白になった。

と、突然、ある人の名前が浮かんだ。

それが私の探していた人だということがすぐにわかった。

それは、コネティカット州、メリデン社のアンドリュー・ペルトン氏だった。

私はペルトン氏個人についてはほとんど何も知らなかった。

知っていることといえば、彼が『意志の力』という名の本を出版していることと、何年か前にその本の広告を私の雑誌『黄金律』(〝GoldenRule〟)に出してくれたということくらいだった。

私はすぐペルトン氏に速達を出した。

私の『人生の成功法則』についての研究成果を出版する、という栄誉をあなたに与えようと思っている旨を書いた。

二日後、ペルトン氏が私に会うためフィラデルフィアに向かったという電報を受け取った。

やがて私のスイートルームに案内したときの、彼の顔に浮かんだ表情を私は今でも忘れない。

そして、そのとき発した彼の言葉も……。

「なんと、こんなスイートルームに住んでいる作家なら、まさに本物だ!」原稿は一八〇〇ページ、重さは三キログラムもあった。

私はそれをペルトン氏に渡した。

彼は座ってページを繰り始めた。

およそ二〇分くらいたったろうか、彼はページを閉じると、原稿をテーブルの上に置いた。

「私はこのマニュアルを世に出し、あなたの規定どおりの印税を払いましょう」彼はタイプライターを持ってこさせると、契約書のタイプを打ち始めた。

その途中、彼は「印税の前払いを希望しますか?それなら今すぐ小切手を書きます」と言った。

私は何気ない素振りで「いくらでも、そちらの都合のよろしいように」と言ったが、内心では自我が打ち立てたイメージどおりになることを(もちろんのこと)望んでいた。

「五〇〇ドルでいいですか?」「結構です」数カ月後、そのマニュアルは日の目を見た。

〝TheLawofSuccess〟という名のマニュアルで全八巻であった〔訳注…現在、このマニュアルは時代にマッチするように大幅に改訂されHSSプログラム(ナポレオン・ヒル・サクセス・プログラム)の名で普及している〕。

あの契約の日から印刷されて世に出るまでは、満たされた数カ月だった。

私はこうして積極性を取り戻した。

私の〝成功〟はいわば回り道での結果だが、本書の読者がそのような回り道をしなくても積極的心構えを獲得できるよう、ナポレオン・ヒル財団では書籍やさまざまなプログラムを世に送り出している。

さて、私は何か目に見えない力の導きを受けていたのだろうか?何か外部からの力が働いてくれたのだと思う。

信念の心と心が鋭敏に反応したのだ。

物理的な次元を超えて波長が合ったのだという表現をしてもよいだろう。

だが、これは少しも神秘的なものではない。

こうすればこうなる、という原因と結果の問題なのだ。

ただその原因と結果を結ぶ過程が解明されていないだけのことだ。

自我の推進装置は、探せば見つかる

推進装置、自我を押し上げる方法は、実に多様である。

その中身の正体は不明であっても、外側ははっきり見えている。

次にその例を挙げてみる。

こうしたことは、普遍的に応用できるので、あなたは自分用のものを見つけるとよい。

私のプログラムで成功した保険マンは大勢いるが、これは、その中の一人の男の話である。

彼は高級車に乗っていた。

彼の「自我の推進装置」はちょっと変わっていた。

それは立派なゴルフバッグと、その中に入っている一式のゴルフクラブだった。

それがいつも車の中に、これ見よがしに置いてあるのである。

彼はこのようにして、自分がよくゴルフをすること、いつでもゴルフ場へ行ける用意がしてあるのだ、ということを印象づけているのだった。

それは自分に対してでもあり、他人に対してでもあった。

彼がこうまでして成功のためのパフォーマンスを行わなければ、はたして成功しなかったどうかは、私にはわからない。

しかし、その立派なゴルフセットが彼の自我の推進装置になっていたことは明らかである。

そして実際、彼も大金持ちとなった。

もう一人の男、保険代理店をやっていた男だが、彼は八カラットのダイヤモンドの指輪をはめていた。

見込み客と話をするときには、それが魔法の杖のような役割をしているようだった。

彼はマサチューセッツ・ミュータル生命保険会社の代理店の中でナンバーワンの成績を上げていた。

あるとき彼は、その指輪の台を新しく作り直してもらうために、指輪を宝飾店に預けた。

できあがるまでに数日かかった。

その間、彼は普段よりもよく働いた。

だが一向に仕事が取れなかった。

あらゆるプレゼンテーション(説得方法)を行ってみたが、客は話に乗ってくれなかった。

話をしている最中に、つい目を手にやる癖がついている。

が、そこには指輪はない。

そのため、歯車が狂ってしまったのである。

やがて指輪が自分の指に再び戻ってきた。

そしていつものように仕事に出た。

その日、六人の客に会ったが、六人全員とも商談が成立した。

そんなことは今までにない記録だった。

私なら、そんなサーチライトみたいな光を放つ指輪を人前にしていったら、気になってしようがないことだろう。

だが、人さまざまである。

頼もしい力は、自分自身を知っている人のところにやって来るのだ。

人が自分自身に気づき、自我を発見してそれらを自分のものにすると、それは周りの人すべてがそれと感知する。

ちょうど、近くにライオンが来たときのシマウマの群れのようにである。

それは声の調子になって現われるし、顔の表情や身体の動き、明確な思考、確固とした願望、積極的な心構え、PMAとして現われたりする。

それらが、相手の人に、この人を信用して一緒に仕事をしていこうという気持ちを起こさせるのだ。

あなたが自分の心の中心にある自我に命令を下す最高司令官になったら、あなたという国の領主になれるのだ。

あなたはもう不足を感じていない。

あなたは、物と心の双方の豊かさに向かって、ためらわずに進んでいるのだ。

あなたは恐れを知らない。

あなたの心は、恐怖から解放されて自由になったのだ。

あなたはもう自由だ。

輝かしい自由を持ち、好きなだけ良い報いを受ける人生を生きることができる。

ごく少数だが、自我の手綱を締め直さなければならない人もいる。

しかしそういう人はきわめて稀なので、その人たちのために本書の一部を割く必要はないと思う。

健全な自我は、健全で平安な心を得る手段として比類のないものだ。

だから、「自己主張のある人間」として満足な気持ちを抱くための方法、目的、条件などを、あなたなりに探すとよい。

これまで述べた例はその参考になるだろう。

あなたが知っている成功した人々――。

そういう人たちのやり方を研究するとよい。

おそらくその人は〝大いなる秘密〟を手に入れている人だ。

サクセス・エッセンス⑪

1健全な自我を持つとはどういうことか自我とは、自分自身と自分の望みを主張するのに助けとなる心の力である。

自我という箱に何を入れるかによって、自我は私たちを強くも賢くもしてくれる。

一方では、邪魔をすることもあるが、私たちは、立派な服装をすることが自我の推進力になることを知っている。

強い自我は、どのような制約をも乗り越えることができる。

自分の望む方法で自我を主張することができるのは、それらの方法が、長期にわたって作りだされたものだからである。

2セールスパースンは自我で売る優秀なセールスパースンは、自分も自分が売っている商品も、「いいもの」であると信じている。

その自信があれば失敗することはない。

セールスパースンの成功は、自我を支えるなんらかの要素(それはダイヤモンドの指輪かもしれない)にかかっている。

見込み客と話をするとき、ノーの声を通さないために、わざと耳の悪いふりをするのもいい。

セールスパースンにかぎらず、身体にハンディを持っていることは不利なことでもあるが、一生の励ましになることもある。

それは自我の力次第なのだ。

3自我の建て直しと富の獲得自我が強ければ、それは成功を呼び寄せる。

自我が揺らいだときは、自分の外観もイメージもすべて自我の気に入るようにしてやると、自我は回復する。

裕福な暮らしをしたあとで生活水準を落とした人は、自分にふさわしい買い物をしたり、ふさわしい行動をしたりして、そこから出てくる裕福の「感じ」を回復することによって、裕福さを取り戻すことができる。

たとえ裕福が束の間のものであることがわかっていても、自我にはそれが必要なのだ。

それが方向転換へのきっかけとなる。

自我とはそのように不可解で、人生の全体を包み込む力に導かれている。

4自我の推進装置は、探せば見つかる自我は、きわめて個人的なものだ。

他人が自我を押し上げる方法を観察すれば、自分のやり方の参考となる。

ときには話すよりも書いて、あるいはその逆のやり方をしてみて自己表現の方法を変えるのもよい。

それが自我を励ます手段になることがある。

自分にいちばん合った方法を見つけると、素晴らしい宝物を手に入れたことになる。

 

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