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第六章 バカの脳

賢い脳、バカな脳記憶の達人脳のモデルニューラル・ネット意外に鈍い脳の神経方向判断の仕組み暗算の仕組みイチローの秘密ピカソの秘密脳の操作キレる脳衝動殺人犯と連続殺人犯犯罪者の脳を調べよオタクの脳

第六章 バカの脳賢い脳、バカな脳 賢い人と賢くない人の脳は違うのか。外見はまったく変わりません。もちろん、一定以上の限度を越えれば話は別です。前述した通り、チンパンジーの脳は人間の脳より小さいわけですから。人間の脳でいえば、通常の三分の一、四五 ○グラム、という例もありますが、これは小頭症という病気で、やはり機能には問題がある。しかし、逆に二 ○ ○ ○グラムも脳がある白痴がいた、という記録もあります。そういう極端な例を除けば大小は関係無い。 脳みそのシワが多いといい、という俗説もありますが、これも関係無い。なぜ脳にシワがあるのかといえば、一定の容量の頭蓋骨に沢山の脳を入れるためにクシャクシャにして収めているからシワになる。 新聞紙を小さな箱に丸めて入れるのと同じことです。シワの数だけなら人間よりイルカの方が多いくらいですから、頭の良し悪しとはまったく関係ありません。 では、利口、バカを何で測るかといえば、結局、これは社会的適応性でしか測れない。例えば、言語能力の高さといったことです。すると、一般の社会で「あの人は頭がいい」と言われている人について、では具体的、科学的にどの部分がどう賢いのかを算出しようとしても無理なことでしょう。そんなものの客観的、科学的な基準を作るのは難しい。しかも、無理やり客観的な基準を置いて測るなんてことをしたところで、あまり意味が無い。場合によっては常識と異なる、とんでもない結論が出ることが予想されます。記憶の達人 例えば客観的に測りやすい「記憶力」。これを機械的な記憶力で測っていったら、世間でいうところの「賢い」人が一番になるわけではない。 大概、一番優れているのは、実は社会生活に適応出来ないようなタイプの人です。一 ○ ○ケタの数字を、あっという間に全部暗記する、という能力を持つ人は現実に存在しましたが、この人は社会生活不適応者でした。 映画『レインマン』でダスティン・ホフマンが演じた主人公と同じです。この映画の主人公は、カジノで配られるトランプの並びをあっという間に憶えたりする驚異的な記憶力の持ち主として描かれていました。が、実生活は弟に面倒を見てもらわないと何も出来ない、というタイプでした。 ロシアのルリアという心理学者が、ある患者について丸ごと一冊本を書いています。その患者は、十年前に憶えた数字一 ○ ○ケタを逆から全部言えた。常人離れした記憶力を持っているから、その面だけを見れば優秀な頭脳の持ち主と言えそうなものですが、実際にはこの人もいわゆる社会生活不適応者だったそうです。 何かの能力に秀でている人の場合、別の何かが欠如している、ということは日常生活でもよく見受けられます。これは脳においても同じようです。 イルカは目が殆ど見えないが、その代わり耳の機能が素晴らしく発達している。コウモリも同様に、目は退化してしまっているが、耳の機能だけで張り巡らされたピアノ線の間を縫って飛ぶ、というような芸当が出来る。犬の嗅覚も同じことです。 従って、ある種の特殊な領域で秀でているからといって、「賢い」とはいえない。こう考えると、果たして何で頭の良し悪しを測るべきか、というのは非常に難しい問題だということがおわかりでしょう。 社会的に頭がいいというのは、多くの場合、結局、バランスが取れていて、社会的適応が色々な局面で出来る、ということ。逆に、何か一つのことに秀でている天才が社会的には迷惑な人である、というのは珍しい話ではありません。脳のモデル こうした特殊な能力というのは脳を調べてもわかりません。わからない理由には、そういう調べ方が一種のタブーになっているから、という面もあります。が、最大の問題は、脳というのは非常に均質なものだということです。 脳は人によってそんなに違うものではない。脳を構成しているのは、神経細胞とグリアと血管、それだけ。神経細胞というのは非常に大きな細胞です。 大きな細胞というのはタマゴもそうですけれど、栄養をとるとか、自分ひとりで生きていくのが難しい細胞なのです。それで、周りに補助的な細胞が張り付いている。グリアは脳の機能として直接には何もしておらず、神経細胞を生かすために働いているものです。 神経細胞とグリアの集合体のようなものが脳を作っていて他に必要な血管が入っている。脳を構成しているものはそれだけしかない。脳というものは複雑かというとそんなことはなくて、組織としては極めて単純なものなのです。 このへんは、「あんなに複雑な思考をするところだから作りも難しいに違いない」という風に勘違いされがちですが、そんなことは無い。ところが、そんな単純なものが意識を発生させる、というと訳がわからなくなってしまう。ニューラル・ネット ただ簡単だと言っても信用されないかもしれませんが、実際に、脳の仕組み、神経細胞の働きについては、既に「ニューラル・ネット」というモデルで説明がなされています。そしてこのモデル自体はかなり簡単な構造になっています。それをご説明しましょう。簡単とはいえ、なかなか専門的な話なので、「理系の話はどうも苦手で」という方はしばらく(「暗算のしくみ」あたりまで)読み飛ばして下さっても結構です。 脳にある神経細胞はどう働いているのか。神経細胞自体は興奮するかしないかのどちらかしかない。その二つの状態しかない。しかも、興奮しているのは非常に短い時間、一 ○ミリセカンド(ミリセカンド =一 ○ ○ ○分の一秒)以内に起こる。その時間内に興奮が起こって終わってしまうわけです。 その興奮が、大体、音の速さくらい、一秒間に二 ○○~三 ○ ○メートルという速度で線維を伝わって次の細胞に刺激を与える。その時に次の細胞は、一つの細胞からだけ刺激を受けるわけではなく、沢山の細胞から刺激を受ける。 例えば一 ○ ○ ○くらいの細胞からいろんな刺激を受けていくのです。そしてこの刺激を受ける細胞は、刺激の総和をとって、その総和がある閾値に達した時に、今度はその刺激を受けた細胞がシナプスを介して反応する。シナプスとは、神経細胞と神経細胞の間の接触部分のことです。 ひとつの神経細胞に一 ○ ○ ○から一万のシナプスがあります。このシナプスには興奮性と抑制性と二種類があって、かならずしも興奮するだけではなく、逆にマイナスに働く場合もあります。 こうした神経細胞の伝達行為を擬似的にコンピュータで作ろうというのが「ニューラル・ネット」という試みです。図式的に説明すれば、神経細胞に相当

するものを 1番から n番まで上下に並べたタテの列を何列も並べていく。 ある刺激があった場合、このタテの列から隣の列には連絡が行くようになっています。たとえば右端 a列の ①が反応した場合、 b列の ①から まで全てに、 a ①が反応したことが伝わります。ただし、そこに一定の係数が掛けられるようになっていて、たとえば a ①が 1反応した場合でも、 b ①~ には 0. 1しか伝わらなかったりします。そしてこの列の反応が、さらにその隣、 c列にも伝わります。 b ①から b の中で、受けた刺激が一定の値(閾値)を超えたものは反応して、次の列の、 c ①から まで刺激を伝える、という風になる。これで最終的に c列の細胞に伝わった刺激の総和が、ある一定の値を超えていれば、その神経細胞は発火して、反応をする。超えていなければ反応をしない。 ニューラル・ネットは簡単に言えば、こういう構造になっています。 しかし、これだけの単純なモデルが、脳のモデルたりうるのです。「ややこしくてよくわからない」という方は、とりあえずこのモデルによって脳の働きが説明できるということと、人間の反応は、刺激に対して神経細胞が反応するかどうかで変わる、というくらいにお考え下さい。 ともかく、この刺激が神経細胞に伝わる重みを調整すると、脳の働きのかなりの部分を再現することが出来ます。 例えば、文字を読ませること。これは単純に、文字を機械に読み取らせて反応させる、というような読ませ方ではなく、機械そのものに学習をさせていって文字を読ませることが出来るようになる。機械が間違った反応をした場合には、人間が「それは違うよ」と正します。 このニューラル・ネットの学習曲線は、子供が字を憶える時の学習曲線とほぼ同じだということがわかっています。子供が一 ○ ○%文字を憶えるまでの学習曲線は、単純な右肩上がりの曲線ではなく、いったん下がって、また上がる、という特徴があります。驚いたことに、ニューラル・ネットでの学習曲線もまったく同じようにいったん落ち込んだ後に上昇する。まさに人間の脳の働きを再現したモデルだと考えられます。意外に鈍い脳の神経 話を人間の脳に戻すと、神経細胞の興奮というのは一秒の一 ○ ○分の一くらいで終わってしまう。後は元の状態に戻る。この興奮の速さが頭の回転の速さに繋がるかというとまったくそんなことはなくて、これは化学的に速さは決まってしまっている。 神経線維の中を刺激が伝わる速さは、前述した通り、ほぼ音速です。この速さを調べた科学者、ヘルムホルツにはこんな逸話が残っています。 彼が、研究の結果を手紙で父親に報告した時のことです。その際の父親からの返事には、「神経の伝達速度ってそんなに遅いものか」と書いてあったそうです。つまり、感覚的には光速くらいあると思っていたのでしょう。しかし実際には、意外と伝達の遅いもので私たちは物を考えているのです。 音速などという速さを「遅い」といっても、なかなかピンと来ないかもしれません。日常生活の感覚からいえば大変なスピードには違いありませんから。 しかし、例えば音が聞こえてきた時のことを考えてみて下さい。私たちは音が鳴った時に、それが右から聞こえたか左から聞こえたか、すぐにわかり、反応が出来ます。 これは神経の伝達速度が音速だということから考えていくと少々不思議なことなのです。なぜなら例えば、右側で音がしたとします。その音が右耳に入る時間と左耳に入る時間には微妙な差があります。音速は秒速三四 ○メートルですから、右耳から一 ○~二 ○センチほど離れたところにある左耳には、三 ○ ○ ○分の一秒、約 0. 3ミリセカンドくらいのずれが生じるわけです。 ところが、その情報がシナプスを通って反応するのには、数ミリセカンドの時間がかかる。なぜならシナプスの反応というのは化学物質の放出ですから、刺激を受けて放出するまでに、そのくらいの時間がかかるのです。 つまり、実際の右耳と左耳との間の「ずれ」よりも十倍以上、反応するのにかかってしまいます。神経線維に刺激が伝わる速さと比べると、とんでもなく遅い。方向判断の仕組み そうすると、そんなに反応の鈍い機械で、どうして瞬時に音の来る方向を判断できるのか、ということが問題になる。私たちの脳は、どうやって音の方向を瞬時に判断しているのでしょうか。

その仕組みを簡単に解説するためには、右耳と左耳の間に一本の神経細胞のラインがあるというモデルを考えてみます。ここでは神経細胞が九九個並んだラインがある、ということにしておきましょう。 仮に、右耳に近い方の神経細胞から ①、 ②、 ③……と番号を振って一番左耳に近い細胞がナンバー だとします。それぞれの耳から入った刺激は右耳からのものは ①から の方向へ向かって伝わり、左耳からのものは から ①の方向へ向かって伝わっていく。その伝わるスピードは左右まったく同じです。 すると、右側からの音は、当然、右耳に先に入り、 ①から に向かって伝わり始めます。一方、ほんの少しだけ遅れて同じ音は左耳に入り、この刺激は から ①に向かって伝わります。伝わるスピードは同じですから、左右からの刺激がぶつかる場所、両方から叩かれる場所は、真ん中の の細胞を超えたところになります。 実はこのぶつかる場所で、私たちは音の位置を判断しているのです。つまり、ナンバー 以上の細胞で左右からの刺激が出会えば先に右から入った音、ということになるし、逆に より手前、 以下のところでぶつかれば左耳に先に入った音、左側の音ということになります。ステレオの中央で音を聞くように、真ん中から聞こえてくる音は、丁度真ん中、 の神経細胞でぶつかることになります。 神経の伝達でいえば、軸索の中では刺激が音速で伝わりますが、その後のシナプスの反応はもっと時間がかかる。こうした速度は全て化学反応ですから、個人差があるわけではありません。暗算の仕組み 脳についての仕組み、また反応の速さについては以上述べたようなことがわかっています。要は、脳の形状とか機能で特に個人差があるわけではない、ということです。とすると、頭の回転が速いとか、反応が速いという人がどうして存在するのか。その仕組みをどう考えればいいのでしょうか。 世間で言うところの頭の良さとか賢さということには、社会的適応性の問題が大きく関与するので難しいと書きました。第二章で触れた y = axの aが適正かどうか、ということにもなるのですが、科学的、客観的に評価できるものではないからです。科学的には、葬式で泣いていようが笑っていようが、どちらが正しいということは出来ない。また、芥川龍之介の文章と子供の作文との優劣も、科学的に評価できるものではない。 では、数学で暗算が速い、ということは計測できそうに見えます。しかし、これまたそう簡単な話ではない。なぜなら、同じ暗算でも、人によってまったく脳の中で違う部分を使っていることがあるのです。 私は、中学生の時に校内の暗算コンクールで優勝したことがありました。その時、決勝で対戦した相手は算盤の使い手です。ご存じの通り、こういう人は頭の中に実際に算盤を浮かべて暗算をする。つまり、どこか視覚的な部分を使っていると考えられます。 一方、私は算盤は上手ではないので、普通に頭の中で計算をしていく。同じ暗算をしていても脳の中で使っている部分は違うのです。コンクールでは結果を比較するだけなので優劣を決められますが、脳の働きとしては比較のしようが無い。 よく似た例が物理学者ファインマンの著書の中にも出てきます。「一、二、三……」という風に時間をカウントする際、彼は本を読みながらでも正確に出来るという。 それを聞いた彼の友人は、「自分は本を読みながらは出来ないが、お喋りをしながら頭の中でカウントをすることが出来る」という。嘘つけ、と思ったが本当だった。そこでこの友人に、どうやってカウントをしているのかと聞くと、「頭の中で日めくりカレンダーをめくっていった」と言ったそうです。 つまりこの友人は、算盤名人と同様、視覚的に数を数えていた。ファインマンは普通に数字を脳内で数えていたから、喋りながらカウントすることは出来なかった。イチローの秘密 とりあえず、抽象的な「頭の良さ」ではなく、客観的に測定できる「運動能力」の方で考えてみたらどうか。これも脳の「出力」には違いなく、その意味ではやはり一種の情報処理能力の問題になります。 いかにしてイチロー選手は、常人の能力を遥かに超えた「反応の速さ」を示せたか、という問題を考えてみます。投手から投げられた球を見て、手足を動かす、という行為は、脳が視覚的な刺激を受けて筋肉を動かす指令を出した、ということです。当然、それには脳のどこかで「速さ」が必要になってくる。こういうタイプの「天才」の脳の働きは、一体どうなっているのでしょうか。 普通の人と同じルートで、神経細胞から神経細胞に刺激が伝わるという行為をリレーしているだけでは、普通の反応になってしまうはずです。そうすると、普通の人より「速い」人はどうしているのか。 おそらく、このシナプスの部分をすっ飛ばしてしまっているのではないか、と仮定されます。知覚系の神経細胞から情報が入って、それが運動系の細胞に伝わるまでの間に、沢山のシナプスを経由すればするほど反応は遅れる。それが速いということは、いくつかのシナプスを途中で省略してしまっているのではないか、と考えられます。 普通ならば A → B → C → Dと進むところを A → Dという具合に Bと Cを飛ばしている。普通なら繋がっていないところを繋げてしまっているのではないでしょうか。 スポーツの天才は、まさにそういうことが出来る人なのでしょう。イチロー選手や松井選手の動きの説明は、こう考えないと説明がつかない。そして、こういう脳の中を一部「飛ばす」能力というのは、かなり先天的なものではないかと思われます。 脳は、往々にして運動に対して抑圧的に働きます。あくまでも一般論ですが、小学生ぐらいで活発で運動の出来る子はあまり勉強が出来ないし、勉強が出来る子は運動が苦手だったりすることが多い。「考える」ということは、大脳皮質の中で色々と刺激を出したり入れたりゴチャゴチャやっていることです。それと運動の速さとは、別のことになる。そういう意味では、脳の働かせ方の違いによる向き不向きというか、方向性の違いが出てくる。 何事も熟考するからといって、ピッチャーが投げてから「この球は外角のカーブだから右に流し打ちすればヒットの確率は高くなる」なんて考える人はまったく打てないでしょう。 ただし、そのどちらが利口だ、バカだという風に言い切れるかというと、そういう問題ではないのは言うまでもありません。もちろん、運動能力が凄い長嶋さんが、その分、脳の他の部分を壊しているということだったら、あんな名選手にはなれない。常人と異なっているのはごく一部。非常に微妙なところでバランスがとれているのだと推察出来ます。それでも長嶋さんの言語感覚が普通の人と違うのは、優れた運動能力のためにシナプスをすっ飛ばしていることと関係があるのかもしれません。 長嶋さんに限らず、言語能力が通常と異なる人が、その代わりに大変な才能を持っているというケースは実際に珍しいことではありません。記憶力の例

と同様、天才的な人が、どこかが発達している分、別のところで大きな欠如があったりするのと同じことです。 ただし、厳密にいえば、この運動で測る力にしたところで、長嶋さんとイチロー選手とが脳の別の分野を使っている可能性は十分にあります。片方は視覚で、片方は聴覚かもしれない。いずれにしても A → Dという「すっ飛ばす作業」が行われているのだろう、としか言えません。ピカソの秘密 天才というのはひらたく言えば、 A → Dというプロセスを省略してしまったり、あるいは一部の能力に欠けている人だ、ということができます。芸術の分野でいえば、ピカソがよい例です。ピカソの絵は、一見メチャクチャに見えるかもしれません。しかしよくよく見ていくと、やはり普通の人間ではない、天才の手によるものだ、ということがよくわかります。 ピカソの絵については、岩田誠・東京女子医大教授が興味深い分析をしています。例えばキュービズム時代の絵は空間配置がメチャクチャです。鼻が横を向いていて、顔が正面向いているというのがザラですから、メチャクチャだと見られても仕方が無い。 しかし、あれは一つ一つのデッサンはかなり正確に描いている。つまり、モデルである人間や物をあちこちから見て描いたものをゴチャまぜにして合体させたようなものになっています。 通常、デッサンに必要な空間配置というのは、視覚の大事な四つの機能のうちの一つです。それが壊れたままであると、その人にとって世界は、ピカソのキュービズムの絵になってしまいます。もちろん、ピカソ自身は日常生活を普通に営んでいたし、ご存じの通り、初期には非常に正統派のわかり易い絵を残しています。では、彼はどうやって、キュービズムの絵を描けたのか。 それは別に、一人のモデルをあちこちから見てデッサンしたものをツギハギであとで組み合わせた、ということではありません。おそらく彼は意識的に、絵を描く際に、ノーマルな空間配置の能力を消し去ったのです。ピカソはそれを意識的に行っていた。病気になると、ある能力が消えて、ひとりでにピカソの絵みたいなものを描くケースがありますが、ピカソ自身は、健康なのに意図してああいう絵が描けた。 おそらく彼は自分の視覚野というものを非常に上手にコントロールできていた。頭の中のリンゴのイメージを自在に変えるということは普通の人はできない。 空間配置がグチャグチャな絵を頭の中で浮かべてみろと言ったって、特定の機能を落とすということはできないでしょう。当然、目から入ってくれば、ひとりでに普通の像が脳の中で形成されてしまう。そこを上手に抑制して、一カ所をポーンと消すと、ああいう絵になる。それを経験的にちゃんと作ることができるというのは、大変な能力です。脳の操作 この種の天才は自分の脳を操作できる。確かに我々のように天才ではない人間も色々な意味で脳を操作している。しかし、それは、いわゆる意思というレベルのものです。例えば、「健康に悪いから禁煙する」という類の行為に過ぎない。しかし、ピカソの場合は、普通の人間にはいじれない空間配置の能力を自在に脳の中で変えて、絵として表現することが出来たのです。 サッカーの中田英寿選手は、車を運転しながら他所を見ていても、前が見えていると聞きます。彼も、おそらくは普通の人と空間認識の能力が異なる。 彼あたりになると、運転しながら鳥瞰図が見えているのかもしれません。即座に構成ができている。上から見て、この車はあの位置にあって、どのくらいの速さで動いているという具合に。それがわかっていれば、よそ見をしても事故は起こさない。これも常人とは異なる空間認識能力の一種でしょう。 様々なタイプがある「天才」の脳も、外見上は我々と何ら異なることはありません。運動能力や芸術家の能力については、こうした仮説を立てることが出来ますが、それにしても脳の物理的な構造によって差が出るものではない。いわんや「学業の成績」「 I Qの高低」といったことが脳を見てわかるというものではありません。 頭の良し悪しと脳との関連、というのはよく聞かれる問題なのですが、何をものさしにするかが規定しにくい。そのうえ、脳そのものは均質なので、外形や機能で「賢い」とか「バカ」とか判断することは実際には難しい、ということになります。キレる脳 賢さについては、このように脳から判別していくのは非常に難しいのですが、他方、昨今問題になっている「キレる」という現象については、実はかなり実験でわかってきています。結論から言えば、脳の前頭葉機能が低下していて、それによって行動の抑制が効かなくなっている、ということなのです。 これは教育関係の研究で様々なデータが残っていて、明らかになっています。一番わかりやすい例として、信州大学教育学部が長年にわたって行っている実験があります。 単純化して説明すると、こんな実験です。まず、子供の目の前に赤のランプと黄色のランプを置き、手元にはスイッチを押せるようにしておく。そして赤が点いたら何もせず、黄色が点いた時にだけ、スイッチを押すように指示をしておく。この時、スピードは競わない。ですから、子供はゆっくりでも正確に反応してくれればよいのです。 ところが、子供はどうしても手元にあるものをついつい押したがってしまう。赤ランプで押せば、当然、それは間違いということになる。この間違い率を測ることで、どのくらい正確に行動しているかがわかる、という仕組みです。 当然、正解率は小学生でも高学年の方が高くなります。ところが、約三十年前に小学校低学年が出していた正解率と、現在の小学校高学年が出している正解率とがほぼ同じ、という結果が出ているのです。簡単にいえば、この三十年間で四、五年は、発育が遅れていることになる。 この実験のポイントになっているのが「抑制」です。つまり、ランプが点いたけれども、それが赤ランプだという時には、子供は我慢をしなくてはいけません。実はこの時、前頭葉には、血液が集まっているのです。つまり、前頭葉が機能しているということです。その時には押さないで我慢をしている。 ここではスピードは競ってないのですから、簡単にスイッチを押さずに我慢をして判断するのが正解です。何ならランプが点いてから、じっくり考えて、「黄色だから押す」という風にすればよい。 それを我慢できないからついつい押してしまう。その我慢する能力の発育が三十年間で四、五年遅れていることが判明しました。 別の実験では、心理カウンセラーの三沢直子・明治大学教授が、一九八一年と一九九七年に行った比較があります。子供に「人間」と「木」と「家」の三つを絵にして下さい、と言う。その同じテーマの絵に、十六年間でかなりの傾向の差が現れた(『殺意をえがく子どもたち』学陽書房)。 例えば、昔の子の絵には、その三つのテーマについて一つのストーリーなりテーマがあった。つまり、家の中に人がいて、外に木が立っている、という当たり前の構図を描くわけです。当然、絵の中のバランスも現実に即したものになっている。人より家や木が大きくなっています。

ところが、最近の子供は、小学生にまでなっても、その三つのバランスが非常に悪い。極端に家が小さかったりする。他にも攻撃的な絵が多いといった特徴が見られるなど、昔の子供との違いが見事に現れていたそうです。こうしたことも、前頭葉の働きと関係があるのではないかと考えられます。衝動殺人犯と連続殺人犯 キレる脳、ということについていえば、別に日本でだけ問題になっているわけではありません。アメリカでの調査結果によると、衝動殺人の犯人の脳を調べてみると、皆、前頭葉機能が落ちていたそうです。これはつまり衝動殺人犯というのは脳から見て抑制が効いていない、我慢が出来ない人だ、ということです。 反対に、連続殺人犯は、前頭葉機能が落ちていない。考えてみれば、警察に捕まらずに犯行を続けられるということは、判断力は正常じゃなきゃいけないから当然です。 では、連続殺人犯の方はどこが普通の人と比べて違うかというと、扁桃体といって善悪の判断等にかかわる部分の活性が高い。そこが活発に動いているのです。 自動車に例えれば、この扁桃体は社会活動に対するアクセルで、前頭葉はブレーキにあたります。衝動殺人は、このブレーキを踏めない、即ち前頭葉がうまく機能していない人が行う犯罪。その逆で、連続殺人はアクセルの踏み過ぎ、つまり扁桃体が活発に働きすぎて犯してしまう。 ちなみに、これを調べた学者はロンドン生まれですが、「ロンドンは殺人が少ないから駄目だ」と言ってロスに引っ越して行きました。彼は、自分自身の脳も調べてみて、「自分は連続殺人犯型だ」とわかったのだそうです。 まあ彼の場合は、犯罪への旺盛な関心というか、扁桃体の活性というハンドルを研究という方向に向けたから熱心な研究者となり、良かったわけで、一歩間違えて逆の方向にハンドルを切っていたら連続殺人犯になってしまっていた、ということかもしれません。 このように、犯罪者に限らず、本当ならば、 CTなどの科学技術で人間の脳を調べていくのは必要ですし、様々なことがわかるはずです。が、一方で、こうした研究には危ない面がある。つまり、社会的に危ない行為だ、と問題視される可能性があるのです。 例えば容易に想像できるのは、仮に犯罪者の脳を調べて、そこに何らかの畸形が認められた場合、彼をどう扱うべきか、という問題が生じてきます。連続幼女殺害犯の宮崎勤被告は三回も精神鑑定を受けている。彼の脳の CTをとってみればわかることだってあるのではないか。 ところが、司法当局、検察は、それをやるのを非常に嫌がります。なぜならこの手の裁判は、単に彼を死刑にするという筋書きのもとに動いているものだからです。延々とやっている裁判は、結局のところある種の儀式に近い。そこに横から、 C T云々といえば、心神耗弱で無罪ということに繋がるのではないか、という恐れがある。だから、検察は嫌がる。犯罪者の脳を調べよ 本来ならば、そういう法律的な結論とは別のところで、彼の脳はどういう脳か、というデータはとっておくべきなのです。こういう犯罪に関しては強制的に脳の検査をされても仕方が無い、ということを法律的に決めてもよい、と思っています。それは、「こういう脳だからこの人は人を殺してもやむを得ない、だから無罪」ということにするためではありません。 犯罪者の脳について科学的にデータをとっておくということ自体は、社会にとって有用なはずです。責任能力云々ということとは別に、「反社会的行為」については脳のデータをとってもよいという合意を、社会的に形成すべきではないか、と思うのです。実際に、犯罪を犯せば、少なくとも指紋は強制的に押捺させられるのですから。 こうして集められたデータは、どのように使うことが出来るでしょうか。例えば、まだ何もやっていない若者の脳を見ることで、タイプがわかる。もちろん、危険だからといって、そこで逮捕せよという乱暴な話ではありません。しかし、脳のタイプがわかれば、それにあわせた教育も出来るようになる。 宮崎勤みたいな犯罪者が今後現れるかどうかはわかりませんが、出ないとは限らない。すると、同じような脳の持ち主に対して、警告したり、再教育したりすることが出来る。あえて言えば、見張ることも出来るのです。 こうしたやり方については様々な問題が想定され、批判されることにもなるでしょう。例えば、入社試験で脳を測定されてはねられた、訴えてやる、というケースが出てくるかもしれない。 しかし、そうした問題があるからといって、出来ないと早々に判断すべき問題でもない。実際、現実世界ではすでに身体の能力によって様々な制限が加えられているわけです。たとえば、色覚異常で「信号の赤青の区別が付かない」という理由で運転免許が取れない。脳のことだけを特別視する理由はありません。 ですから、犯罪者、反社会的行為を行った人間に対しての脳の調査という問題は、私は行うべきだと思いますし、その是非について議論するというのは大切なことだと思います。 こうした調査を本当に実施するかどうかは別として、議論できるということ自体が健全なことだと思うのです。今のところ、そうした議論自体が、差別用語同様にタブーに近いものとなっている。欧米でも、この件については、そうやって脳を調べた場合、人間の自由意思をどう扱うのか、ということが問題になっているようです。オタクの脳 昨今問題になっている無気力な子供、というのはどうか。入力にかかる係数 aがゼロだから、というケースもあるでしょうが、それだけではない。実はこれも、キレる脳同様、前頭葉の問題だと考えられます。 脳に情報が入力され出力が出てくるときには、脳のなかで刺激は一遍折り返して出てくる。つまり、入力というのは自分のほうに入ってくるもので、出力は自分から出ていく。脳というのは、そのちょうど折り返し点だといえます。 具体的には、脳の中での折り返し点になっているのが、前頭葉にあたります。結局、知覚系、目や耳から入った入力が、基本的には前頭葉に集中する。前頭葉から、今度は後ろへ向かって、最終的には真ん中から出てくる。真ん中という言い方も大雑把ですが、簡単に言えば、中央の溝のあたり。その寸前が運動野という部分で、そこから最終的に筋肉へ出ていく。 そうすると、前頭葉から折り返して、前のほうを順繰りに処理されていって、最後に具体的な運動として出ていく。 我々が「意思」、もっと平たくいえば、「やる気」などと呼んでいるところに問題がある人は、この折り返し点 =前頭葉のところに問題がある。この前頭葉機能が低下している時には、無気力の状態になる。

キレる脳と同様、無気力もまた前頭葉機能の低下によると考えられます。もはやカッとしてキレることすらなく、要するに脳の中で情報が折り返してこない。その辺りで入力がゼロにされてしまっている。 誤解されやすいのですが、「オタク」と言われる人たちはまた別種です。何かと家に籠もっているという点において共通する部分があるから混同されがちではあるものの、まったく違うと考えていい。 なぜかというと、彼らは特定のことに対しての興味の示し方、つまり出力が凄いわけです。特定のことに関しては、 aが大変なプラスの係数になっている。但し、そういうプラス方向で働く部分が非常に限定されている人たちだ、と考えればよい。 好きなアニメやマンガという情報に対しては aが一 ○ ○にも二 ○ ○にもなる。もちろん、普通の人だってマンガが好きな人は多いでしょうが、そういう人が一 ○とか二 ○とかいう係数の時に、文字通りケタ違いの興味というか、反応を示す。 ところが、一般の人が綺麗な女性に一 ○ ○とか二 ○ ○とかの反応を示すのに、彼らの係数はゼロだったりヒトケタだったりするかもしれない。この係数の偏りが極端な人が「オタク」と称される人たちで、それは別に特殊なものではありません。いわゆる専門家の類の人には、こういうタイプが沢山いるのですから。

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