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第六章自分の声とは

「人間として何をしたいのか」、それを表現するのがあなたの声声はひとりの人間にとって、要求や思いを他者に伝える最小単位のメディアです。「あなたは人間として何をしたいのか、そのためにどのように声を出し、どのように使っていくのか」これは人間が言葉という大いなる力を手に入れたときから、自らに問い続けるべき課題だと思います。しかし、声は楽器のようにどこかに行って買ったり音の出し方を習わなくても、身体に備わった器官を利用して出すことができるために、そんな課題については考えもせず、もちろん学ぼうともしないし教育もされません。たとえばあなたに2通の手紙が届いたとしましょう。ひとつは封筒と揃いのセンスの良い便せんに読みやすい文字が書かれている。そしてもう片方は封筒と合わない汚れてしわくちゃな便せんに書き殴ってある。あなたはどちらを先に読むでしょうか。同じ内容が書いてあったら、どちらを好ましく思うでしょうか。答えは決まっていますよね。どんなに素晴らしい言葉が書いてあっても、しわくちゃで書き殴ってあるような手紙なら読む以前に放り投げたくなるでしょうし、なんとか読んだとしても心を動かされることはないでしょう。声とは大切な言葉を伝えたり人や社会とコミュニケーションをとるための直接的な媒体です。手紙における封筒があなたの外見だとしたら、声は便せんや文字のようなものなのです。欧米では5~6歳にもなれば、TPOによってどんな便せんを使いどのように書くのか、つまり「どのように発声し自分の言いたいことを表現するのか」をきちんと教えられます。それが国語や算数より優先され、なにより最初に行われるべき教育の基礎なのです。そこから勉強を始め技能を学び、あるいは自分の好みや才能を見極め、「自分が何をしたいのか」を表現していくのです。あなたは人間として何をしたいですか?どう生きていきたいですか?あなたの声を、そのために使えているでしょうか。自分の声を知っていますか?さて声とはなにかということが、ずいぶんわかってきたのではないでしょうか。ではここで質問。あなたは自分がどんな声で話しているのか、他の人にどう聞こえているのか知っていますか?…………どうでしょう。自信を持って「自分の声を知っている」と言える人は少ないのではないでしょうか。なぜなら自分が話しているときに聴いている声と、他人に伝わる声は違うからです。録音した自分の声を聴いたことがあるでしょう。まるで別人のようだと思ったのではないでしょうか。たいていの人は録音した自分の声を聴くと、「こんなにキンキンしていない」とか「こんなに鼻にかかった声じゃない」と嫌悪を露わにします。自分で聴いている自分の声は、骨などを伝わる「骨導音」ですが、録音したものは空気を伝わる「気導音」です。骨導音のほうが低い周波数帯を響かせて伝えるので、録音した声のほうが薄っぺらく聞こえてしまうのです。声にはあらゆる情報が表れてしまうことは前章までに述べました。しかし究極の個人情報をさらしているにもかかわらず、ほとんどの人は「自分の声がどんななのか」を知らずにいるのです。それはまるで背中に履歴書を貼って歩いていて、自分では何が書かれているのか見えていないようなものなのです。服を着ていてもあなたの体格・骨格は透けて見え、内臓の状態や体調も、今までの経歴や性格、生き方までも見えてしまう。声には人の本質のすべてが表れるのです。これはかなり怖いことではないでしょうか。生まれっぱなしの声は、裸で外に出るようなもの朝、起きたら顔を洗い歯を磨き、身支度を整えます。仕事に行く人は、職場にふさわしい服装をして鏡を見てから出かけるでしょう。女性ならちょっと時間をかけてお化粧をしたり髪を整えたりしますよね。買い物に出るにも、友人とお喋りをしに出かけるときも、ゴミ捨てでさえ、たいていの人は家を出る前に鏡を見て自分の姿をチェックするのではないでしょうか。会社やレストランやデパートのトイレには必ず鏡があり、女性なら一日に何度かはお化粧を直したり髪型をチェックしたりしているはずです。では声はどうですか?…………ふつうはチェックしませんよね。声を映してくれる鏡なんてありませんからね。人は服装や髪型やお化粧を気にするのに、なぜ声だけはほったらかしなのでしょう?服装やお化粧をどんなふうにしているのか確認できなかったら、外に出られないのではないでしょうか。鏡を見てくるのを忘れて、バス停に着いてふと足元を見たらパジャマのズボンをはいていたらどうでしょう。声もそれと同じです。会社のプレゼンテーションで、スーツ姿でびしっと決めているのに、声はパジャマ。あるいは制服を着て学校に行ったのに、声はお父さんが着古したステテコとか。リクルート・スーツを着て髪もきちんとまとめて、品の良いパンプスを履いて背筋を伸ばしているのに、面接で発した声はショッキングピンクに染めた髪にミッキーマウスのお面をつけたようだったり。女性は声を無意識に作っています。だけど自分がどんな声を出しているのかを知らず、どういう声を出すべきなのかも考えずに声を作るので、そんなちぐはぐな恰好(=声)のままで外に出ていってしまうのです。逆に男性の多くは、スーツにネクタイをしているのに声は生まれっぱなしの裸みたいなもの。まあ恥ずかしい。これではいくら仕事で成果を出そうとしても、就活を頑張っても、気になる相手に告白しようとしても、残念な結果に終わるような気がしませんか?「そんな馬鹿な。たかが声じゃないか」ほとんどの人がそう思っています。だからかえって無防備に自分の声をさらしているのです。朝、出かけるときには鏡を見て、髪型や服装やお化粧はチェックするのに、あなたの本質をさらけ出す声は放ったらかし。声を侮ってはいけません。人は声に含まれる情報を受け取る能力を持っています。しかも聴覚は無意識なだけに、そこで作られた印象や評価は、見た目や言葉よりも脳の深い場所、好き嫌いや感情をつかさどる本能的な領域に働きかけます。これではどれほど努力しても、目標地点の手前で大きな落とし穴に落ちるようなものです。

8割の人は自分の声が嫌い?

自分の声についての意識調査を行ったところ、約80%の人が自分の声を嫌いだと回答しました。自分の声が好きだという人はわずか5%。あとの15%ほどは「よくわからない」という回答。その後、自分の声を録音して聴いたことがある人を対象に再調査を行ったところ、なんと90%超の人が自分の声を嫌いだと答えたのです。生まれたときから死ぬときまで、つまり生きている間ずっとともにある声を多くの人は嫌悪しながら使っている。しかも客観的に録音された声、つまり自分以外の人に聴こえている声をより嫌う。これはとても残念なことです。なぜそんなに自分の声が嫌いなのでしょう。決して目立って特徴的なガラガラ声やかすれ声というわけでもないのに。自分の声のどこが嫌いなのか、なぜ嫌いなのかと訊いても、具体的に「ここが嫌い」と返答できる人はほとんどいません。「なんとなく嫌い」「気持ち悪い」「いやな声だと思う」そんな漠然とした答えが返ってくるばかりでした。自分の声が嫌いな人は、自分自身に対しての否定感も強く持っていることがほとんどです。調査を進めた結果、大きくは二つの理由によって、声を嫌っていることがわかりました。①声の中に「自分が嫌っている自分の本質」が表れているから。②声が「本当の自分のものではない」と感じるから。第四章で述べたことを思い出してください。声にはその人のすべてが表れています。だからもちろん良い面もたくさん表れているはずなのです。①の人は向上心が強く、なにか失敗をすると自分のどこが悪かったのだろうと反省する、とても真面目な人です。だからこそ、心根が優しいのに「優柔不断」だと落ち込んだり、じっくりと考えて行動するのに「のろま」だと思ってしまったりします。自分への否定感情が、声に出る自分の性質までも否定し、嫌悪してしまうのです。②の人は唯一無二である自分自身を磨きたい、そして表現したいと願っている人です。集団に埋もれたくない、人に迎合したくない。なのに声はどこかからの借り物のように感じる。真似をしているつもりはないのに、自分自身だという感じがしない。自分の目指すような個性が出ていないと感じています。①と②のどちらかではなく、両方という人もいます。「自分の声を好きか嫌いか」という簡単な問い。これを突き詰めていくと、実はその人の心の奥底が見えてきます。なぜなら声はその人のすべて。その人の本質であり、声に対する意識は、その人の生き方そのものだからです。自分の声が嫌い=自分自身への否定感誰しも普段は「自分の声が好きか嫌いか」なんていうことに関係なく毎日を過ごしています。声を意識することなく日々をやり過ごすのに慣れてしまっています。だから否応なく声を意識しなくてはならないこと──スピーチやプレゼンテーション、面接といった機会に直面すると、にわかに困ったり焦ったりしてしまうのです。なんとか話し終えても、満足感や達成感を得るどころか自己嫌悪に陥ってしばらくは落ち込んでしまう。でも、「それは自分だけじゃない、みんなそうなんだ」と思うことでなんとか立ち直る。しかし、なかなかうまくいかない。そんなことを何度か重ねるうちに自分の声がもっと嫌いになる、そんな悪循環にはまり込んでしまいます。人前で話さなくてはならない職業の人でも同じです。年に何十回もの講演をこなす人やテレビにコメンテーターとして頻繁に登場する人ですら、言いたい内容を伝える以前に声で失敗しています。話すだけで精一杯、終わってから自己嫌悪に陥っても、「自分はタレントやアナウンサーじゃないんだからいいんだ」と自分を慰め、あるいは開き直って帰路につく。さらに驚くことに、日本人は小学生のうちから人前で話すことに苦手意識を持っています。「声が好きか嫌いか」という調査は、小中学生には、変声期があるために行っていませんが、「人の前で話すことが嫌い」という子どもは、小学校5年生ですでに50%を超え、中学3年生では70%に達しました。これは10年ほど前の調査で、学校数も少なかったため、あらたなリサーチの必要がありますが。財団法人日本青少年研究所が行った調査によると、日本の中高生の自己肯定意識は諸外国の中でも圧倒的に低く、「自分は人並みの能力がある」と答えたのはアメリカの55・6%に対して日本はわずか13%。「自分はだめな人間だと思う」と答えた割合は「とても思う」と「まあ思う」の合計で日本が56%、アメリカは14・2%です。これからどんな未来でも切り開いていくことができる10代前半に、自分はだめだ、自分は能力がないと思いながら過ごすのはどんなにつらくつまらないことでしょう。人前で話すことに対して、アメリカでは面白い結果が出ています。「人前で話すことが嫌い」という生徒は、やはり10年前の調査ですが15歳でわずか5%ほど。この結果を見ると、人前で話すことの苦手意識が無能感や「自分はだめだ」という劣等感に直結しているように思われます。平成26年版自殺対策白書によると、平成25年の自殺者は2万7283人。15歳から39歳の若い世代では死因のトップが自殺です。これは先進7ヶ国で日本だけが突出している異常事態だそうです。40歳~49歳の死因のトップは癌ですが、2位はやはり自殺です。自殺の理由はさまざまであろうと思います。しかし衣食住に不自由がなく、教育の機会にも恵まれ、家族からも愛されている若い人たちから、「生きにくい」「自分などいなくてもいい」という言葉を聞くにつけ、自己無能感と自己否定感の大きさに背筋が凍る思いがするのです。自分自身の声を持っていることは、牢獄のカギを持っているようなもの19世紀後半に活躍したフランスの小説家アルフォンス・ドーデの作品に「最後の授業」という短編があります。ご存知の方も多いと思いますが、簡単に内容を書いておきましょう。フランス領アルザスに住むフランツ少年は、フランス語の授業が大の苦手。その日も宿題をやっていないまま授業に遅刻して、アメル先生に叱られるのを覚悟していた。その日の先生はなぜか正装しており、教室の後方には村の人々が悲しそうな顔をして並んでいた。教室全体が何かふだんと違って、厳かな感じだった。先生は遅刻したフランツを叱りもせず、静かに話し出した。「みなさん、アルザスとロレーヌの学校では、これからはドイツ語だけを教えること、という命令が、ベルリンから来ました。今日はみなさんの最後のフランス語の授業です」そして先生はフランス語について話した後に、こう言った。

 

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