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第六章人ではなく、システムを管理する──規律の文化

目次

第六章人ではなく、システムを管理する──規律の文化

自由は全体の一部でしかなく、真実の半分でしかない。

……だからこそわたしは、東海岸の自由の女神像に対して、西海岸に責任の女神像を建てるべきだと主張している。

ビクトール・E・フランクル『意味の追求』(1)

一九八〇年、ジョージ・ラスマンはバイオ企業、アムジェンの設立にくわわった。

それから二十年、生き残りに必死のベンチャー企業だったアムジェンは、売上高三十二億ドル、従業員六千四百人の企業に成長し、化学療法や血液透析で苦しむ患者の生活の質を高める血液製剤を製造している(2)。

ラスマンの指導のもと、同社は収益性と成長を一貫して達成している数少ないバイオ企業の一社になっている。

収益性が持続していることから、株価が一九八三年六月の株式公開から二〇〇〇年一月までに百五十倍以上になったほどだ。

株式公開にあたって七千ドルを投資した投資家は、百万ドルを超える利益を確保できた計算になる。

市場平均と比較すると、株式運用成績が約十三倍になる。

ベンチャー企業が偉大な企業になる例はきわめて少ないが、これはかなりの部分、成長と成功への対応を間違えるからだ。

ベンチャー企業の成功は、創造力と想像力、未知の領域への大胆な進出、先見性に基づく熱意によるものである。

会社が成長し、事業が複雑になると、成功によって足をすくわれるようになる。

新しい従業員が増えすぎ、新しい顧客が増えすぎ、新しい受注が増えすぎ、新しい製品が増えすぎるのだ。

かつては楽しくて仕方なかった仕事が、混乱の極みになって手に負えなくなる。

計画がなく、経理体制がなく、システムがなく、採用基準がないことから、摩擦が生まれる。

問題がつぎつぎに出てくる。

顧客に関する問題、キャッシュフローの問題、スケジュールの遅れの問題などである。

これら問題に対応して、たいていは取締役のだれかがこう言いだす。

「大人になる時期がきた。

経営管理のプロが必要になっている」。

こうしてMBA(経営学修士)を雇うようになり、一流企業で経験を積んだ経営管理者を雇うようになる。

手順や手続きやチェック・リストなどなどが雑草のようにはびこりだす。

なんでも平等だったかつての雰囲気がなくなり、階層構造が作られる。

指揮命令系統がはじめて姿をあらわす。

上司と部下の関係が明確になり、特権をもつ経営幹部の階層ができあがる。

「われわれ」と「やつら」の区別があらわれ、普通の企業に近づく。

やがて、経営管理者が混乱を収拾する。

秩序を作りだして混乱を抑えるが、同時に起業家精神を殺してしまう。

創業当時からの幹部が不満を口にするようになる。

「この会社も面白くなくなった。

以前なら仕事に必死だった。

いまでは、馬鹿げた書類を書くのに時間をとられ、馬鹿げた規則を守らなければならなくなった。

最悪なのは、何の役にも立たない会議で、馬鹿のように時間をとられるようになったことだ」。

創造力も衰えてくる。

とくに創造性の豊かな人たちが、官僚制度と階層制度の膨張に嫌気がさして、会社を辞めていくからだ。

興奮を呼んだベンチャー企業も並みの企業になり、これといって強みのない企業になる。

凡庸さという癌が猛烈に増殖する。

ジョージ・ラスマンは、起業家精神の死をもたらすこの悪循環をうまく避けてきた。

官僚制度が規律の欠如と無能力という問題を補うためのものであることを理解していた。

はじめに適切な人を選ぶようにすれば、この問題はほぼ解決するのだ。

ほとんどの企業は、ごく少数、バスに紛れ込んだ不適切な人たちを管理するために、官僚的な規則を作る。

すると、適切な人たちがバスを降りるようになり、不適切な人たちの比率が高まる。

すると、規律の欠如と無能力という問題を補うために、官僚制度を強化しなければならなくなる。

すると、適切な人たちがさらに去っていく。

まさに悪循環になるのだ。

ラスマンは、これに代わる方法があることも理解していた。

官僚制度と階層制度を避け、規律の文化を作り上げる方法である。

規律の文化と起業家の精神、補完関係にあるこの二つを組み合わせれば、すぐれた実績をあげ、しかもそれを持続させる魔法の妙薬になる。

この章の初めに、偉大な企業へ飛躍した事例ではなく、バイオ起業家の事例を紹介したのはなぜなのか。

それは、ラスマンが起業家として成功を収めたのはかなりの部分、アムジェン設立の前にアボット・ラボラトリーズに勤務していたときに学んだ点を実践したためだと語っているからだ。

アボットで学んだのは、一年の目標を決めたとき、それをコンクリートに刻んでおく考えである。

何か月かたって計画を変えることはできる。

しかし、実績を判断するときの基準を変えてはならない。

年末には年初に決めた目標をかならず達成する厳格さをもたなければならない。

目標を書き換えることは許されない。

目標を調整するか、細工して、その目標を達成するつもりはなかったのだと言いくるめたり、目標を再調整して見栄えを良くしたりすることは許されない。

その年の実績だけを強調することも許されない。

実績はかならず、年初に約束した言葉そのものと比較して評価する。

目標がいかに厳しいものであっても、この点に変わりはない。

これがアボットで学んだ規律であり、この規律をアムジェンでも維持した(3)。

アボットの規律はかなりの部分、一九六八年、おどろくべき財務管理者、バーナード・H・セムラーを雇ったときにはじまっている。

セムラーは自分の仕事について、ごく普通の管理会計や経理をこなせばいいとは考えていなかった。

そして、企業文化を変える仕組みの構築にとりかかった。

まったく新しい枠組みを作り上げて、「責任会計」と名付けた。

経費、売上、投資のすべての項目にそれぞれ、責任者をひとり決めていく(4)。

一九六〇年代にはまったく斬新な方法であり、アボットの管理職全員が、仕事の種類がどうであれ、それぞれの投資利益率に責任を負うようにするのが狙いであった。

しかも、投資家がみずからの事業への投資に責任を負うのと変わらぬ厳格さをもたせた。

通常の予算配分を隠れ蓑にすることはできないし、経営管理の非効率さを覆い隠すのに使えるあいまいな予算項目はないし、他人に責任を転嫁することもできない(5)。

しかし、アボットの仕組みの良さは、厳格さだけにあるわけではない。

厳格さと規律を基礎に、創造性と起業家精神を発揮できるようにした点にこそ良さがある。

ジョージ・ラスマンはこう説明する。

「アボットは規律がしっかりしているが、直線的な考え方はしない。

たとえば財務の厳格さと同時に、創造的な仕事に不可欠な多様な見方をもっている。

財務の規律によって、ほんとうに創造的な仕事のための資源を確保する」(6)。

アボットは売上高に対する一般管理費の比率を業界でもっとも低い水準に抑えている(第二位に大差をつけている)。

そして同時に、3Mと変わらぬほど新製品開発を活発に進めており、過去四年間に発売した製品で売上高の最高六十五パーセントを確保している(7)。

このような創造的な二面性は転換期のアボットのすべての側面に浸透しており、企業文化の奥深くに刷り込まれている。

一方では、アボットは起業家精神が旺盛な指導者を採用し、目標達成のために最善の道を決める自由を与える。

他方では、個々の幹部はアボットの仕組みを完全に受け入れなければならず、目標達成に対して厳格な責任を負う。

自由を与えているが、枠組みの中での自由なのだ。

アボットは柔軟に機会をとらえる起業家の熱意を重視している(「計画策定はきわめて貴重だが、計画そのものには価値がないことを認識している」とアボットの幹部が語る)(8)。

しかし同時に、三つの円の基準に合わない機会に対しては、「ノー」という規律をもっている。

各部門には幅広く製品開発を進めるよう励ましているが、同時に医療のコスト効率向上に貢献するという針鼠の概念を熱狂的ともいえるほどに信奉している。

アボット・ラボラトリーズのこの性格は、今回の調査で得られた主要な結論のひとつ、「規律の文化」を示す好例である。

「文化」はその性格上、この種の議論では若干扱いにくく、三つの円のような明確な枠組みにはなりにくい。

しかし、この章の要点はひとつの考え方にまとめることができる。

三つの円が重なる部分で、熱狂的といえるほど針鼠の概念を維持して、規律ある行動をみながとる文化を築き上げることである。

もう少しくわしくいうなら、これは以下の四点を意味する。

㈠枠組みの中での自由と規律という考えを中心にした文化を築く。

㈡この文化にふさわしい人材として、みずから規律を守る人たち、自分の責任を果たすためには最大限の努力を惜しまない人たちを集める。

「コッテージ・チーズを洗う」人たちだ。

㈢規律の文化を規律をもたらす暴君と混同してはならない。

㈣針鼠の概念を徹底して守り、三つの円が重なる部分を熱狂的ともいえるほど重視する。

これと変わらぬほど重要な点として、「止めるべき点のリスト」を作り、三つの円が重なる部分から外れるものを組織的に取り除いていく。

枠組みのなかの自由と規律

航空機のパイロットについて考えてみよう。

コックピットの機長席に坐ると、多数の複雑なスイッチや計器があり、八千四百万ドルの巨大な機械に責任を負う。

乗客が頭上のクローゼットに手荷物を押し込み、客室乗務員が乗客全員を席につけるために走り回っているころ、パイロットはフライト前のチェック項目を点検している。

ひとつずつ順を追って、組織的にすべての項目をチェックする。

離陸の準備が終わると、航空管制官と交信し、その指示に厳密に従う。

ゲートからどの方向に向かうのか、どの誘導路を使うのか、どの滑走路を使うのか、どの方向に滑走するのか、すべてを指示される。

許可が出てはじめて、エンジンの出力をあげて離陸する。

離陸後も、航空管制官とつねに交信して、民間航空機の航空路に指定されている狭い空域を飛行する。

しかし、着陸間近になって激しい雷雨に見舞われることもある。

機体は強風にあおられ、しかも横風が不規則に変化するので、右に左に傾く。

窓の外には地上は見えない。

灰色の雲が濃くなり薄くなり、雨が窓に叩きつける。

客室乗務員からのアナウンスがある。

「着陸まで、お席を離れないようにとの指示が出されております。

シートを一杯まで立て、お荷物はすべて前のシートの下に入れてください。

間もなく着陸します」「滑走路の手前に着陸したりしないだろうな」と、旅慣れない乗客は不安になる。

風が激しく、稲妻も時折光っているからだ。

しかし、旅慣れた乗客は雑誌を読みつづけていたり、隣の人と話し込んでいたり、到着後の会議に備えたりしている。

「こんなことは何

度もあった。

安全を確認して着陸するだろう」と考えている。

案の定、車輪をおろし、五百トン近い巨体が時速二百キロにまで減速して滑走路に近づいたとき、エンジン音が突然高まり、乗客はシートに身体が押しつけられるのを感じた。

航空機は加速して上空に戻る。

大きな円弧を描いて、空港に戻る。

パイロットはこの時間を使って、機内放送で状況を伝える。

「ご説明します。

横風が強かったため、着陸を中止しました。

もう一度試みます」。

次には風がちょうど弱まり、安全に着陸できた。

ここで、パイロットの動きについてちょっと考えてみよう。

パイロットはきわめて厳格な枠組みのなかではたらいている。

この枠組みから離れる自由はもっていない(パイロットが機内放送でこう話すのを聞きたいとは思わないはずだ。

「最近読んだ経営書に、エンパワーメントの価値が説かれていたんだ。

実験の自由、創造性を発揮する自由、起業家精神を発揮する自由、大量のものを試してうまくいったものを残す自由、今日はこれをやってみたい」)。

しかし同時に、離陸するかどうか、着陸するかどうか、着陸を止めるかどうか、別の空港に向かうかどうかといった決定的な判断は、パイロットに任されている。

枠組みは厳格でも、ひとつの中心的な事実ははっきりしている。

パイロットは航空機と乗客乗員の生命に対して、最終的な責任を負っているのだ。

ここで主張したいのは、航空管制制度のような厳格で厳密なシステムを作るべきだということではない。

航空機は企業とは違う。

ひとつ間違えれば粉々になって数百人が命を落とす。

だが、航空会社の顧客サービスはなんともいただけない場合があるとしても、安全に目的地に行き着けることだけはまずたしかだと安心できる。

ここでパイロットの話を持ち出したのは、良好から偉大に飛躍した企業の内部の動きをみていくと、航空機パイロットの方式のうち、最善の部分を思い出させるものがあるからだ。

つまり、高度に発達した枠組みの中での自由と責任である。

偉大な実績に飛躍した企業は、はっきりした制約のある一貫したシステムを構築しているが、同時に、このシステムの枠組みの中で、従業員に自由と責任を与えている。

みずから規律を守るので管理の必要のない人たちを雇い、人間ではなく、システムを管理している。

サーキット・シティのビル・リーバスはこう語る。

「はるか遠くにある店舗を、遠くから管理して経営できる秘訣はここにある。

優秀な店長が店舗経営に最終的な責任を負い、優秀なシステムの枠内で経営する。

経営幹部と従業員には、システムを信頼し、システムをうまく動かすために必要な行動はすべてとる人材を集めなければならない。

しかし、このシステムの枠内では、店長はその責任にみあって、裁量の余地を十分にもつようにする」(9)。

ある意味で、サーキット・シティは家電小売りの分野で、外食産業でのマクドナルドに似た位置を占めるようになった。

最高級というわけではないが、チェーン全体の一貫性が見事にとれている。

そしてシステムは進化を続けており、実験を重ねたうえで、コンピューターやVTRなどの新たな商品をくわえている(マクドナルドが朝食用のエッグ・マクマフィンをくわえたように)。

しかし、どの時点でみても、すべての店舗がシステムの枠組みのなかで営業している。

ビル・ツィーデンはこう語る。

「この点が一九八〇年代初めにこの業界で、当社と他社の最大の違いになっていた。

他社は店舗網を拡大できなくなったが、当社は拡大できた。

全米で同じ形態の店舗を、つねに一貫性を保って出店できた」(10)。

この点が主因のひとつになって、サーキット・シティは八〇年代初めに飛躍するようになり、その後の十五年間に、株式の運用成績が市場平均の十八倍にもなった。

ある意味で、この本の内容はかなりの部分、規律の文化をいかに作り上げるかに関するものである。

転換の第一段階は規律のある人材だ。

第一段階は、不適切な人たちに規律を課して適切な行動をとらせることにはなく、みずから規律を守る人たちをバスに乗せることにある。

第二の段階は規律ある考えだ。

厳しい現実を直視する規律が必要であり、同時に、偉大さへの道を作りだすことは可能だし、そうしてみせるという確信が確固としていなければない。

もっとも重要な点として、現実を理解するためにあくまでも努力し、針鼠の概念を確立する必要がある。

最後に、規律ある行動が必要であり、これがこの章のテーマになっている。

この順序は重要だ。

比較対象企業は、いきなり規律ある行動を目指していることが少なくない。

しかし、規律ある行動は、みずから規律を守る人たちがいなければ持続させることができない。

そして、規律ある考えがない状態で規律ある行動をとれば、悲惨な結果になる。

そう、規律だけでは、偉大な成果は生まれないのだ。

歴史をみていくと、おどろくほどの規律をもって、見事に隊列を組み、正確な足取りで悲惨への道を歩んだ組織がいくらでもある。

重要なのは規律自体ではない。

みずから規律を守る人たちを集め、この人たちが徹底的に考え、その後に、針鼠の概念に基づいて設計された一貫したシステムの枠組みのなかで、規律ある行動をとることが重要なのだ。

コッテージ・チーズを洗う

今回の調査の過程で、いくつかの言葉に繰り返しぶつかることが印象的だった。

「規律」「厳しい」「根気強い」「断固として」「熱心」「几帳面」「綿密」「組織的」「整然と」「職人のように」「厳格」「一貫性のある」「絞り込んだ」「責任ある」「責任をとる」といった言葉が、飛躍した企業に関する記事、インタビュー、原資料には繰り返し使われていた。

そして、直接比較対象企業の資料にはおどろくほど見当たらなかった。

飛躍を遂げた企業の人たちは、それぞれの責任を果たそうとする意欲が極端に強く、熱狂的ともいえるほどの場合すらある。

われわれはこの点を「コッテージ・チーズを洗う」と表現するようになった。

これはハワイの鉄人レースで六回優勝したトライアスロンの世界的なスター選手、デーブ・スコットの逸話に因んだ表現である。

スコットは毎日の練習で、平均して自転車で百二十キロ、水泳で二万メートル、長距離走で二十七キロを一日も欠かさずこなしている。

太りすぎるはずもない。

それでもスコットは脂肪分が少なく、炭水化物が多い食事をとれば、さらに能力が高まると確信している。

そこで、毎日の練習で少なくとも五千カロリーを消費していながら、文字通りコッテージ・チーズを洗って、脂肪分を少しでも取り除いた後に食べるようにしている。

鉄人レースに勝つにはコッテージ・チーズを洗わなければならないことを示す証拠があるわけではない。

核心はそこにはない。

チーズを洗うのは小さなことではあるが、この小さな方法によって自分の力がさらに少し強まると本人が確信している点にこそ核心がある。

この小さな方法を他の多数の方法に付け加えることによって、強烈なほど規律のある一貫した計画を作り上げているのだ。

わたしはいつも、デーブ・スコットが四十二・一九五キロを走っている様子を思い浮かべる。

四十度近い暑さのなか、黒い溶岩に覆われたハワイの海岸を走る。

しかもその前には、三・八九キロを泳ぎ、猛烈な逆風を受けながら百八十キロを自転車で駆け抜けている。

走りながらおそらく、「毎日、コッテージ・チーズを洗ってきたことを思えば、これぐらいはたいしたことではない」と考えているのではないだろうか。

突飛な比喩であることは承知している。

しかしある意味で、飛躍した企業はどれも、デーブ・スコットに似ている。

偉大になれたのはなぜか、その答えはかなりの部分、慎重に選び抜いた分野で世界一になるために必要なことはすべて行い、そして、一層の改善をつねに目指す姿勢、この規律にある。

秘訣はこれほど単純なのだ。

そして、これほどむずかしいことなのだ。

どの組織も世界一になれれば素晴らしいと考えている。

しかし、ほとんどの組織は、自尊心に目を曇らされることなく世界一になれる部分を見つけ出す規律と、可能性を現実に変えるために必要な点をすべて行う意思が欠けている。

コッテージ・チーズを洗う規律が欠けているのだ。

ウェルズ・ファーゴVSバンク・オブ・アメリカ

ウェルズ・ファーゴとバンク・オブ・アメリカを比較してみよう。

カール・ライヒャルトは、規制緩和による激動を経てウェルズ・ファーゴが強くなるのであって、弱くはならないことを決して疑わなかった。

そして、偉大な企業になるカギは、賢明な新戦略を打ち立てることにはなく、百年前から作り上げられてきた銀行家の考え方を一途な決意によって取り除くことにあるとみていた。

「銀行には無駄が多すぎる。

無駄を取り除くのに必要なのは粘り強さであって、賢明さではない」と語っている(11)。

ライヒャルトは率先垂範の姿勢を明確に示した。

経営陣が安穏としていながら、他の人たちに痛みを強いるようなことはしない。

経営陣が自分たちのコッテージ・チーズを洗うことからはじめる。

そう考えて、経営陣の報酬を二年間凍結した(この当時、ウェルズ・ファーゴは過去最高に近い利益をあげていたのだが)(12)。

経営幹部専用の食堂を閉鎖し、学生寮食堂の運営会社に社員食堂の運営を任せた(13)。

経営幹部専用のエレベーターを廃止し、社有機を売却し、水やりにコストがかかりすぎるとして経営幹部用オフィスに鉢植えの植物をおくことを禁止した(14)。

経営幹部用オフィスで無料のコーヒーをなくした。

経営陣用のクリスマス・ツリーを廃止した(15)。

美しいバインダーでとじた報告書が届くと、「こんなことに自分の金を使おうと考えるのか。

バインダーで何か良くなる点があるのか」というメモをつけて送り返した(16)。

経営陣の会議のときに坐る椅子はぼろぼろで、布が破れて詰め物が飛びだしている。

ライヒャルトはそんな椅子に坐り、詰め物を引っ張りながら、支出計画の提案を聞くこともある。

「こうして、必須とされた計画がいくつも葬り去られていった」とある記事が伝えている(17)。

通りを隔てたバンク・オブ・アメリカの本店では、やはり規制緩和に直面して、無駄をなくす必要に経営陣が気づいていた。

しかしウェルズ・ファーゴとは違って、経営陣がみずからのコッテージ・チーズを洗う規律をもっていなかった。

サンフランシスコ中心街にそそりたつ本店ビルに、豪華なオフィスを維持していた。

『巨大銀行の崩壊』によれば、CEOのオフィスは「東北の角部屋であり、大きな会議室が付属し、中東の絨毯が敷きつめられ、天井から床までのガラス窓があって、ゴールデン・ゲートからベイ・ブリッジまで、サンフランシスコ湾が一望のもとに見渡せる」という(経営陣の椅子で詰め物が飛びだしている話は、どこにもなかった)(18)。

エレベーターは経営陣用の階と一階とを直通で結んでおり、下々が入り込んでくることはない。

経営幹部用オフィスは

広くゆったりとしているので、天井も窓も実際よりも高いように感じられ、雲の上に浮かぶエリートの宮殿に坐って、異邦人が住む世界を支配しているように感じられる(19)。

これほど快適な生活を送っているのに、コッテージ・チーズを洗う必要があるだろうか。

バンク・オブ・アメリカは一九八〇年代半ばの三年間に十八億ドルの赤字を出した後、ようやく規制緩和によって不可欠になった改革に取り組むようになる(それも大部分、ウェルズ・ファーゴから経営幹部を引き抜いて可能になった)(20)。

しかし、経営困難に陥った最悪の時期にも、経営陣が現実の世界から遊離する原因になっている特権を取り除くことができなかった。

危機の時期に取締役会で取締役のひとりが、「社有機の売却」など、賢明な提案を行ったことがある。

他の取締役は提案をおとなしく聞きはしたが、何の行動もとらなかった(21)。

必要なのは文化であり、暴君ではない

この章のテーマの「規律の文化」を本書では取り上げないという決定をもう少しでくだそうとしたことがあった。

たしかに、良好から偉大に飛躍した企業は直接比較対象企業とくらべて、規律がしっかりしている。

ウェルズ・ファーゴとバンク・オブ・アメリカの違いがその好例だ。

だが、持続できなかった比較対象企業は、良好から偉大に飛躍した企業と変わらぬほど規律がしっかりしていた。

調査チームの会議で、エリック・ハーゲンがリーダーシップの文化を調査対象企業全体にわたって調べる特別分析の結果を発表した。

「この分析に基づけば、調査結果のひとつとして規律をあげられるとは思えない。

持続できなかった比較対象企業のCEOはそれぞれの会社に、きわめて厳しい規律を持ち込んでいると断言できる。

これら企業が当初に偉大な実績を残せたのは、そのためだ。

したがって、規律は違いをもたらす要因の基準を満たせていない」なぜなのか、興味をもったわれわれは、この問題をさらに追求することにした。

ハーゲンが一層深い分析を担当した。

事実をさらに検討していった結果、ひとつの点が明らかになっていった。

表面は似ているものの、飛躍した企業と飛躍を持続できなかった比較対象企業の間には、規律に関する考え方に大きな違いがあったのだ。

偉大な企業では、第五水準の指導者が持続性のある規律の文化を築き上げている。

これに対して飛躍を持続できなかった比較対象企業では、第四水準の経営者が強烈な力を発揮し、ひとりで組織に規律をもたらしていた。

典型例といえるのがレイ・マクドナルドである。

一九六四年にバローズを率いるようになった経営者だ。

優秀だが他人を苛立たせる人物で、ひとりでしゃべり、ひとりで冗談を言い、自分より頭が悪いと思える人(要するに自分の周囲にいるほぼ全員)を容赦なく批判した。

強烈な個性によって物事を動かし、「マクドナルドの万力」と呼ばれたほど強い圧力をかける方法をとった(22)。

任期中には、素晴らしい実績を残している。

マクドナルドが社長に就任した一九六四年から引退した七七年末まで、株式の運用成績は市場平均の六・六倍にのぼった(23)。

しかし、同社にはマクドナルドの引退後まで残る規律の文化がなかった。

引退の後、マクドナルドに仕えた経営幹部は何も決断できなくなり、ビジネス・ウィーク誌によれば、同社は「何をする能力もなくなった」(24)。

バローズは長期低落傾向をたどるようになり、マクドナルド時代の終わりから二〇〇〇年までの株式運用成績は、市場平均を九十三パーセント下回るまでになった。

スタンリー・ゴールトのもとでのラバーメイドも、同様の経緯をたどっている。

第五水準のリーダーシップを扱った第二章で紹介したように、ゴールトは暴君だとの非難に対して、「たしかに暴君だが、誠実な暴君だ」と答えている。

ゴールトは厳しい規律をラバーメイドに持ち込んだ。

厳密な計画と競合他社の分析、組織的な市場調査、利益分析、厳しいコスト管理などである。

「信じられないほど規律のある企業だ。

ラバーメイドの事業への取り組みは信じがたいほど徹底している」とあるアナリストが書いている(25)。

正確さと組織性を旨とするゴールトは朝六時半には出社し、いつも週に八十時間はたらき、経営幹部にも同じようにはたらくよう求めた(26)。

ゴールトは規律をもたらす中心であり、品質管理の中心でもあった。

あるときマンハッタンの街を歩いていて、ドアマンがラバーメイド製の塵取りに塵を入れながら、ぶつぶつと文句を言っているのに気づいた。

「すぐにその場に戻って、何が問題なんだと質問をはじめた」と、リチャード・ゲイツがフォーチュン誌に話している。

ゴールトは塵取りの縁の部分が分厚すぎるのだと判断し、すぐに技術者に命令して設計を変更させた。

「品質のことになると、わたしは猛烈にうるさくなる」とゴールトは語った。

最高業務責任者もこれに同意して、「顔が青ざめてくる」と語っている(27)。

ラバーメイドはひとりで会社に規律をもたらす暴君のもと、劇的な成長を遂げたが、暴君が去るとともに、やはり劇的に転落していった。

ゴールトのもと、ラバーメイドは株式の運用成績が市場平均の三・六倍になった。

ゴールトが去った後、市場平均より五十九パーセント低くなった段階でニューエルに買収された。

規律をもたらす経営者の例でとくに面白いのが、リー・アイアコッカだ。

ビジネス・ウィーク誌はアイアコッカを、「権力者、実力者、リー」と表現している(28)。

一九七九年にクライスラーの社長に就任すると、周囲を圧倒する個性を活かして組織に規律をもたらした。

「わたしはすぐに気づいた。

ここは混乱状態で、秩序と規律が必要だ。

それもただちに」と、アイアコッカは就任直後の状況について書いている(29)。

最初の一年に、アイアコッカは経営陣の構造を完全に改め、厳密な財務管理を導入し、品質管理を向上させ、生産スケジュールを合理化し、大量のレイオフを実施して現金流出を抑えた(30)。

「まるで野戦病院の外科医のようだと感じた。

……思い切った手術で救えるものを救うしかない」(31)。

労働組合との交渉では、こう通告した。

「協力なんかできないと言うんだったら、お前らの頭を吹っ飛ばしてやる。

明日の朝、倒産を宣言するからな。

全員失業するんだぞ」(32)。

アイアコッカは目ざましい実績をあげ、クライスラーは産業史のなかでもとくに有名な経営再建の事例になった。

しかし、在任期間のほぼ半ばになって、アイアコッカは焦点を見失ったようで、クライスラーはふたたび転落するようになった。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙がこう伝えている。

「アイアコッカは自由の女神像修復の責任者になり、予算削減に関する議会委員会の委員になり、二冊目の本を執筆した。

新聞にコラムを書き、イタリアに農園を買って自家製のワインやオリーブ油を作るようになった。

……これらの動きで注意が分散し、クライスラーが現在問題にぶつかる原因になっているとの批判がだされている。

……注意の分散の点はさておき、国民のヒーローの役割を担うのが、経営者にとって荷が重いことであるのは間違いない」(33)国民のヒーローという副業以上に打撃になったのは、世界一になれる分野に事業を集中させる規律がなく、まったく規律を欠いた事業多角化に乗り出した点だ。

一九八五年には、航空宇宙事業の魅力に引きつけられた。

ほとんどの経営者がガルフストリームのジェット機一機を保有して満足しているのに、アイアコッカはガルフストリームを会社ごと買う決定をくだした(34)。

やはり八〇年代半ばにはイタリアのスポーツカー・メーカー、マセラッティとの合弁会社に巨額を投じ、結局は失敗に終わった。

「アイアコッカはイタリア人に弱い」と、クライスラーの元経営幹部が語っている(35)。

「アイアコッカはイタリア中部のトスカナに小規模な地所を保有しており、イタリア企業との提携に熱心なあまり、経済的な現実を無視したと業界筋はみている」とビジネス・ウィーク誌が伝えた。

マセラッティとの合弁事業の失敗では総額二億ドルの損失が出たとの推定もあり、「高価で少量生産のスポーツカー事業ではとてつもない金額だ。

生産台数は数千台にすぎないのだから」とフォーブス誌が書いている(36)。

アイアコッカは、在任期間の前半には素晴らしい実績を残し、倒産寸前だった同社を、市場平均の三倍近い株式運用成績を達成するまでにした。

しかし在任期間の後半には、株式の運用成績が市場平均を三十一パーセント下回り、またしても倒産の危機に瀕するまでになった(37)。

「心臓病患者によくみられるように、数年前の手術で生き延びたのに、またも健康に悪い生活習慣に戻ってしまった」と、同社の経営幹部が書いている(38)。

これらの事例は、持続できなかった比較対象企業のすべてにみられるパターンの典型例だ。

暴君が持ち込んだ規律によって目ざましく上昇するが、その後やはり目ざましいばかりに転落する。

転落するのは、規律をもたらした経営者が去って、持続する規律の文化を残さなかったときか、規律をもたらした経営者自身が規律を失い、三つの円が重なる部分からさまよいでたときである。

偉大な業績をあげるために規律が必要なのは事実だ。

しかし、規律ある行動をとっていても、三つの円に関する規律ある理解がない場合には、偉大な実績を持続させることはできない。

針鼠の概念を徹底して守る

ピットニー・ボウズは四十年近くにわたって、独占という繭に守られてぬくぬくしていた。

郵政公社との密接な関係があり、郵便料金メーターの特許を握っていたことから、同社は重量制郵便物市場で百パーセントのシェアを獲得していた(39)。

一九五〇年代末にはアメリカの郵便物のうち半分近くで同社のメーターが使われていた(40)。

粗利益率は八十パーセントを超え、競争はなく、市場は巨大で、不況の影響は受けないのだから、同社は偉大な企業ではないが、偉大な独占市場を握る企業だったといえる。

しかしその後、独占という繭をはぎとられた企業のほとんどがそうなるように、ピットニー・ボウズは長期にわたる転落の道を歩むようになった。

最初に打撃になったのは、同意判決によって、特許実施権を競合他社に無料で提供するよう義務づけられたことだ(41)。

六年後には、十六社が市場に参入していた(42)。

天が落ちてきたと恐怖にかられたチキン・リトルのように、同社はあわてて事業多角化に乗り出し、お粗末な買収や合弁事業設立に資金をつぎ込んだ。

そのひとつ、コンピューター小売事業への進出では、七千万ドルの損失を出している。

当時の株主資本の五十四パーセントにあたる巨額の損失である。

一九七三年には、設立以来はじめての赤字決算になった。

市場の独占によって守られてきた企業が、市場の競争という厳しい現実に直面して徐々に解体していく、何度も繰り返されてきたこの動きの典型例になろうとしていた。

幸い、第五水準の指導者、フレッド・アレンが同社を率いるようになり、厳しい問いをたてて世界のなかでの自社の役割を深く理解するようになった。

自社を「郵便料金メーター」の企業だと考えるのではなく、もっと幅広い「メッセージ交換」の概念の範囲内で、企業の事務部門に製品・サービスを提供する企業として世界一になれるとみるようになった。

また、高級ファックス機や専用コピー機などの高度な事務機器を販売すれば、顧客一社当たり利益という経済的原動力にぴったりだし、広範囲な販売・サービス網を活用できるとみるようになった。

フレッド・アレンと後継者のジョージ・ハーベイは、規律ある事業多角化の方式を打ち立てた。

たとえば同社はやがて、大企業向けの高級ファックス機事業を四十五パーセントの市場シェアを握り、収益性がきわめて高いドル箱に育て上げている(43)。

ハーベイは、新技術と新製品の開発に組織的に投資する仕組みを作り、郵便物の封緘と発送を行うパラゴン郵便処理機などの開発を進め、一九八〇年代後半にはそれまで三年間に発売した製品が売上高の半分をつねに占めるまでになった(44)。

最近では、事務機器とインターネットを接続する動きで先頭を切っており、規律ある事業多角化の新たな機会にしている。

ここで重要なのは、事業多角化と技術革新の一歩一歩がすべて、三つの円の重なる部分のものであることだ。

同社株の運用成績は、同意判決の時点から一九七三年の最悪期まで、市場平均を七十七パーセント下回ったが、進路を変更したこの年から九九年初めまででは市場平均の十一倍以上になっている。

一九七三年から二〇〇〇年までの株式運用成績でみると、コカ・コーラ、3M、ジョンソン&ジョンソン、メルク、モトローラ、プロクター&ギャンブル、ヒューレット・パッカード、ウォルト・

ディズニーを上回り、GEすら上回っている。

独占の繭のなかでぬくぬくしていた企業が、独占を失った後、ここまでの実績を残している例が他に思い浮かぶだろうか。

AT&Tは低迷している。

ゼロックスもここまでの実績は残せていない。

IBMすらそうだ。

ピットニー・ボウズの動きをみていくと、三つの円が重なる部分に止まる規律を失ったときにどうなるか、逆に、この規律を取り戻したときにどうなるかがよく分かる。

偉大な実績に飛躍した企業は成長の過程で、きわめて単純な原則を守っている。

針鼠の概念に合わないものはやらない。

関連のない事業には進出しない。

関連のない買収は行わない。

関連のない合弁事業には乗り出さない。

自社に合わないことは行わない。

例外は認めない。

これに対して、三つの円が重なる部分に止まる規律を欠いていた点が、比較対象企業のほぼすべてで、業績低迷の主因になっている。

比較対象企業はいずれも、三つの円を理解しようとする規律を欠いているか、あるいは、三つの円が重なる部分に止まる規律を欠いている。

R・J・レイノルズが典型例だ。

一九六〇年代まで、同社は単純明快な概念を確立していて、アメリカで第一位のタバコ会社であることが概念の中心になっていた。

そして、この地位を少なくとも二十五年にわたって維持していた(45)。

ところが一九六四年、アメリカ保健教育福祉省公衆衛生局長が喫煙と癌の関係に関する報告書を発表し、同社は自衛手段として事業多角化をはかるようになった。

もちろん、このときタバコ各社はおなじ理由で一斉に事業多角化に取り組んでおり、フィリップ・モリスも例外ではない。

しかしR・J・レイノルズが三つの円から離れていった動きは、どのような論理でも説明かつかないものであった。

一九七〇年、R・J・レイノルズは総資産の三分の一近い資金を投じて、コンテナ船海運会社のシー・ランドと石油会社のアミンオイルを買収した。

生産した原油を自社で運送して利益をあげると説明された(46)。

この考え自体は、決して悪いものではない。

だが、同社の針鼠の概念に、いったいどのように関連するのだろう。

これはまったく規律を欠いた買収であり、シー・ランドの創業者がR・J・レイノルズ会長の親友だったことがきっかけになったものであった(47)。

買収後もシー・ランドに二十億ドル以上をつぎ込んだため、投資総額はR・J・レイノルズの株主資本に匹敵するほどになった(48)。

何年にもわたって不振の海運事業に資金を投入しつづけ、タバコ事業を資金不足に陥らせたあげく、同社は失敗を認め、シー・ランドを売却した(49)。

創業者のレイノルズの孫のひとりがこう嘆いている。

「連中はタバコの製造と販売にかけては世界一だが、海運と石油について何を知っているというのだ。

倒産の心配まではしていないが、世間知らずの少年が小遣いをもらいすぎたときのようではないか」(50)公正を期すために触れるなら、フィリップ・モリスも事業多角化では成功続きだったわけではなく、たとえばセブンアップの買収は失敗に終わった。

しかしR・J・レイノルズとは対照的に、フィリップ・モリスは一九六四年の公衆衛生局長の報告書に対応するにあたって、はるかに規律ある行動をとっている。

針鼠の概念を捨てるのではなく、それを見直し、健康的とはいえない消費財(タバコ、ビール、ソフト・ドリンク、コーヒー、チョコレート、チーズなど)で世界的ブランドの構築を目指すようになった。

このようにして、三つの円の重なる部分に止まりつづける規律を厳しく守りつづけたことが、六四年の公衆衛生局長報告書の発表後、まったくおなじ機会と脅威にぶつかったこの二社の業績が劇的に乖離した主因のひとつになった。

六四年から八九年まで(つまり、R・J・レイノルズがLBOによって株式市場から姿を消すまでの間)、株式の運用成績でみて、フィリップ・モリスはR・J・レイノルズの四倍になった。

針鼠の概念を見つけ出す規律をもった企業は少なく、その内部に止まりつづける規律をもった企業はさらに少ない。

この規律をもたない企業は、単純な逆説を理解できていない。

三つの円の重なる部分に止まる規律をもつほど、成長と貢献の魅力的な機会が増えるという逆説である。

偉大な企業は、機会が少なすぎて飢える可能性よりも、機会が多すぎて消化不良に苦しむ可能性の方が高いのだ。

だから、機会を作りだすことではなく、機会を取捨選択することが課題になる。

大きな機会にぶつかって「ありがたいが見送りたい」と言うには、規律が必要だ。

「一生に一度の機会」であっても、三つの円が重なる部分に入っていないのであれば、飛びつく理由はまったくない。

針鼠の概念を熱狂的といえるほど維持するとの考えは、戦略的事業の選択だけを対象にするものではない。

組織を管理し、築き上げる方法のすべてに関連しうるものである。

ニューコアは、文化と技術を活用して鉄鋼を生産するという針鼠の概念に基づいて事業を築き上げてきた。

ニューコアの概念の中心には、階層制がほとんどない平等主義と実力主義によって、従業員の利害を経営陣や株主の利害とを一致させるとの考えがある。

ケン・アイバーソンは、一九九八年の著書『真実が人を動かす』でこう書いている。

ほとんどの企業で、いまだに不平等がはびこっている。

ここでいう不平等とは階層制によるものであり、これによって「われわれ」対「やつら」という図式が正当化され、組織に定着する。

……企業の階層の最上部に位置する人たちは、自分たちの特権をつぎつぎに作りだし、実際の仕事を担っている従業員に特権を見せびらかしている。

そうしておいて、経費削減や収益性向上を経営陣が呼びかけても、従業員はなぜ動かないのかと首をひねっている。

……経営階層の最上部にいる人たちが、階層制によって従業員をつねに押さえつけていながら、従業員の動機付けに巨額を投じていることを考えるたびに、わたしは信じがたいと首をひねっている(51)。

われわれのインタビューで、ケン・アイバーソンは、ニューコアの成功の百パーセント近くが、単純な概念を、その概念に一致する規律ある行動の形で実行に移していった結果だと述べている。

売上高が三十五億ドルになり、フォーチュン誌の大企業五百社に入っても、経営階層はわずか四つしかない。

本社には経営幹部、財務スタッフ、秘書を合わせて二十五人以下しか勤務していないし、小さな歯科医院ほどの大きさしかない賃借のオフィスではたらいている(52)。

ロビーには安物の合板の家具しかなく、ロビー自体もクローゼットほどの大きさしかない。

豪華な食堂はなく、経営幹部への来訪者があると、向かいの商店街にあるサンドイッチ店、フィルズ・ダイナーでもてなす(53)。

経営幹部だからといって、現場の従業員よりも付加給付が手厚いわけではない。

それどころか、経営幹部の方が付加給付は少ない。

たとえば、経営幹部以外の全従業員は、子供が高校卒業後に教育を受けている場合、最長四年間にわたって子供一人当たり年に二千ドルを給付される(54)。

あるとき、従業員の一人がマービン・ポールマンのところに来て、こう質問した。

「うちには子供が九人いる。

子供が大学や専門学校などに進学するとき、九人の子供たちのひとりひとりに四年間、教育手当てを払ってもらえるのですか」。

ポールマンはその通り、ひとりひとりに払うと答えた。

「その従業員は坐り込んで泣きだした。

この場面は忘れられない。

われわれがやろうとしていることを、見事にとらえた瞬間だったからだ」(55)ニューコアでは、高収益をあげた年には社内の全員が潤う。

従業員の給与はきわめて高く、「ニューコアに解雇されたら、離婚だからね」と妻に言われた従業員がいるほどだ(56)。

しかし、景気が悪くなって苦しくなると、上から下まで全員の給与が減る。

たとえば一九八二年の景気後退の際には、一般従業員は二十五パーセントの減収になった。

経営幹部は六十パーセント、CEOは七十五パーセントの減収になっている(57)。

ニューコアはどんな組織にもいずれはびこる階層差を根絶するために、極端な方法までとっている。

七千人の従業員全員の氏名を年次報告書に記載しており、取締役と経営幹部の氏名だけを紹介する通常の方法はとっていない(58)。

工場では安全管理者と訪問客は例外だが、それ以外の全員がおなじ色のヘルメットをかぶる。

ヘルメットの色なんて小さなことだと思えるかもしれないが、これがかなりの物議をかもしている。

現場主任の何人かが、ヘルメットの色は一般の従業員より地位が高いことを示すもので、車の後部の目立つところにおけるステータス・シンボルとして重要なのだと抗議した。

ニューコアはこの抗議を受けて、何度も集会を開き、社内での地位と権威は指導力によるものであって、地位によるものではないと説明した。

それでは納得できないのであれば、階層差がどうしても必要だと感じるのであれば、ニューコアはふさわしい職場ではないと説明したのである(59)。

ニューコアの本社が歯科医院の規模であるのに対して、ベスレヘム・スチールは経営幹部用に二十一階建ての本社ビルを作った。

それも、普通の長方形ではなく、十字型のビルにし、建設費を余分にかけている。

角部屋を求める多数の副社長の要望にこたえるためである。

「副社長はみな……二方向に窓がある部屋でなければ納得しない。

この要望があるので、この設計を考えた」と同社の経営幹部が説明している(60)。

ジョン・ストロマイヤーが『ベスレヘムの危機』で同社の文化をくわしく描いており、ニューコアとは想像できるかぎり正反対の極にあるといえる。

社有機を多数抱え、経営幹部の子供が大学に行くときや、週末に保養地に行くときにすら、使われている。

経営幹部用に十八ホールのゴルフ・コースがあり、クラブは同社の資金で改装され、幹部の序列によってシャワーの順番まで決まっているという(61)。

われわれが達した結論を述べるなら、ベスレヘム・スチールの経営陣は、階層制度を永続化し、自分たちをエリートの地位に高めることを経営の目標にしている。

一九七〇年代と八〇年代に同社が低落傾向をたどった主因は、輸入でも技術でもない。

何よりも、幹部の関心が顧客でも競争相手でも外部世界の変化でもなく、社内の複雑な階層制度で細かな特権を獲得していくことに向けられていた点にこそある。

ニューコアは業績が好転しはじめた一九六六年から九九年までの間、三十四年連続して利益を確保しているが、ベスレヘム・スチールはおなじ三十四年のうち十二年に赤字を出し、累積損益は赤字になっている。

九〇年代には、ニューコアはどの年にもベスレヘムを上回る利益を出しており、十年前には三分の一しかなかった売上高でも、九〇年代末にはついに、ベスレヘムを追い抜いた(62)。

それ以上におどろくのは、従業員一人当たり利益が五年平均でベスレヘムの十倍近くに達していることだ(63)。

株式投資家にとっての運用成績は、ニューコアがベスレヘムの二百倍以上になっている。

公正を期すために触れておくなら、ベスレヘム・スチールはニューコアがぶつかっていない大きな問題をかかえていた。

労使関係が悪く、労働組合が強い力をもっているのだ。

ニューコアは労働組合がなく、従業員との関係がおどろくほど良い。

労働組合のオルグがある工場を訪れたことがあったが、従業員は会社への忠誠心がきわめて強く、オルグに怒号を浴びせて砂を投げつけたため、管理職がオルグを守らなければならなくなったほどである(64)。

しかし、労働組合が重荷になったという議論から、決定的な問いが生まれる。

ニューコアで従業員との関係がこれほど良いのはなぜなのかという問いである。

答えはこうだ。

ケン・アイバーソンらの経営陣が、従業員の利害と経営陣の利害を一致させるという単純明快な針鼠の概念を確立し、それ以上に重要な点として、この概念に一致した組織を作り上げるために、極端だと思える手まで使う意思をもっているからなのだ。

熱狂的だともいえるほどだが、偉大な業績を達成するには、針鼠の概念にのっとった一貫性という考えを、熱狂的ともいえるほど信奉していなればならない。

止めるべきことのリストを作る

やるべきことのリストがあるだろうか。

それだけではなく、止めるべきことのリストも作っているだろうか。

ほとんどの人は忙しいわりに、規律のない毎日を送っている。

「やるべきこと」のリストをたえず膨らませ、あれもやり、これもやり、さらにこれもやって勢いをつけようとつとめている。

しかし、めったに成功しない。

ところが飛躍を導いた指導者は、「やるべきこと」のリストと変わらないほど、「止めるべきこと」のリストを活用している。

無意味なことをあらゆる種類にわたって止める点で、おどろくほどの規律を示している。

ダーウィン・スミスがキンバリー・クラークのCEOになったとき、「止めるべきこと」のリストを大いに活用した。

ウォール街

と年間の業績を予想するゲームを続けていると、関心が短期的業績に集まりすぎるとみて、予想の発表を取り止めた。

「毎年、将来の利益の予想を発表することで、株主が全体として利益を得られるとは思えない。

したがって、予想を取り止める」とスミスは語った(65)。

職階を無意味に増やしていく動きは、階層へのこだわりと官僚的な階層制を示すものだと判断し、職階をすべて廃止した。

社外との関係でどうしても必要な役職にある場合を除いて、職階をもつものはいなくなった。

階層が増えていくのは、企業王国建設の自然な結果だと判断した。

そこで、単純で見事な仕組みを作って、何段階にもわたる階層を一気に廃止した。

自分の責任を果たすには部下が十五人以上必要だと同僚を説得できないかぎり、部下をなくすという仕組みである(これは一九七〇年代のことであり、階層の削減が最新流行になる前である点に注意)(66)。

自社を消費関連企業とみるべきで、製紙会社とみるべきではないとの見方を強化するために、製紙関連のすべての業界団体から脱退した(67)。

飛躍を遂げた企業は、独特の予算管理を通じて「止めるべきこと」を止める仕組みを作り上げている。

ここで考えてみよう。

予算編成の目的は何なのかと。

ほとんどの人は、それぞれの活動への資金の割り当てを決めるためか、経費を管理するためと答えるはずだ。

しかし、偉大な企業への飛躍という観点からは、このどちらの答えも間違いである。

超優良に飛躍した企業では、予算編成は、どの分野に十分な資金を投入し、どの分野に資金をまったく割り当てないかを決める規律の仕組みになっている。

言い換えれば、予算編成とは、それぞれの活動にどれだけの資金を割り当てるかを決めるものではない。

どの活動は針鼠の概念に最適で、したがって集中的に強化すべきか、どの活動は完全に廃止すべきかを決めるものである。

キンバリー・クラークは製紙事業から消費財事業に資源配分の重点を移したわけではない。

製紙事業から完全に撤退し、製紙工場を売却し、それで得た資金をすべて、成長している消費財事業に投入したのだ。

わたしは以前に、大手製紙会社の何人かの経営幹部と面白い会話をかわしたことがある。

この会社は良好な企業だが、偉大だといえるほどにはなっていない。

キンバリーが消費財会社になる以前には、直接に競合していた。

わたしは好奇心から、キンバリー・クラークについてどう思うかと聞いてみた。

「キンバリーの動きは公正ではない」という答えが返ってきた。

「公正ではないですか」とわたしは不思議に思って聞き返した。

「たしかにキンバリーははるかに成功を収めるようになった。

しかし、われわれも製紙事業を売却して、強力な消費財企業になれば、やはり偉大な企業になれたかもしれない。

ところがわれわれは、製紙事業への投資がはるかに多い。

だからとても、そこまで踏み切れなかった」飛躍を遂げた企業の動きを後から振り返ってみると、おどろくほど思い切った行動をとって、資源をひとつか少数の分野に振り向けている。

三つの円が重なる部分を理解できると、大胆な賭に保険をかけることはまずない。

クローガーは事業を完全に転換してスーパーマーケット網を作り上げていったが、A&Pは古くからの店舗にしがみつく「安全な」方針をとった。

アボットは診断と病院用栄養剤で世界一になるために資源の大部分を投入したが、アップジョンは医薬品という中核事業にしがみついた(世界一になれるはずがない分野だ)。

ウォルグリーンズは収益性の高い外食事業から撤退し、利便性の高い最高のドラッグストアというひとつのアイデアに全力を投入した。

ジレットはセンサーに、ニューコアは電炉に全力を投入しており、キンバリー・クラークは製紙工場を売却して消費財事業にすべての資源を集中させた。

どの企業も、針鼠の概念を理解すると、巨額の投資を進める大胆さをもっていた。

もっとも効果的な投資戦略は、「正しく選択した分野への非分散型投資」である。

冗談のように聞こえるかもしれないが、良好から偉大に飛躍した企業がとった方法はこれである。

「正しく選択する」とは、針鼠の概念を獲得することを意味する。

「非分散型」とは、三つの円の重なる部分に入る分野に十分に投資し、それ以外の分野の活動をすべて取り止めることを意味する。

もちろんここでカギになるのは、「正しく選択した分野への」という但し書の部分だ。

だが、選択が正しいかどうか、どうして分かるのだろうか。

各社を調査していった結果、すべての要素を揃えていけば、正しい選択を行うのはそれほどむずかしくはないことが分かった。

第五水準の指導者がいて、適切な人をバスに乗せ、厳しい現実を直視する規律をもち、真実に耳を傾ける社風を作りだし、評議会を作って三つの円が重なる部分で活動し、すべての決定を単純明快な針鼠の概念にしたがってくだし、虚勢ではなく現実の理解に基づいて行動すればいい。

これらのすべての要素を揃えていれば、大きな決定を正しく行えるようになるだろう。

最大の問題は、正しい選択が何なのかが分かったとき、正しいことを行う規律をもち、それと同様に大切な点として、不適切なことを止める規律をもつことである。

章の要約

規律の文化要点・偉大な業績を維持するカギは、みずから規律を守り、規律ある行動をとり、三つの円が重なる部分を熱狂的ともいえるほど重視する人たちが集まる企業文化を作り上げることにある。

・官僚制度は規律の欠如と無能力という問題を補うためのものであり、この問題は不適切な人をバスに乗せていることに起因している。適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろせば、組織を窒息させる官僚制度は不要になる。

・規律の文化には二面性がある。一方では一貫性のあるシステムを守る人たちが必要だ。しかし他方では、このシステムの枠組みのなかで、自由と責任を与える。

・規律の文化は行動の面にかぎられるものではない。規律ある考えができ、つぎに規律ある行動をとる規律ある人材が必要である。

・飛躍した企業は、外部からみれば退屈だとか月並みだとか思えるかもしれない。しかし内部をくわしくみていくと、極端なほど勤勉で、おどろくほど徹底して仕事に取り組む人たちが大勢いる(コッテージ・チーズを洗う人たちだ)。

・規律の文化と規律をもたらす暴君とを混同してはならない。このふたつはまったく違ったものであり、規律の文化はきわめて有益だが、規律をもたらす暴君はきわめて有害である。救世主のCEOが強烈な個性によって規律を持ち込んだ場合、偉大な業績を持続できないのが通常だ。

・偉大な業績を持続させるためにもっとも重要な点は、針鼠の概念を熱狂的ともいえるほど信奉し、三つの円の重なる部分に入らないものであれば、どんな機会でも見送る意思をもつことである。意外な調査結果・宗教的ともいえるほどの一貫性をもって、三つの円の重なる部分に止まる規律をもつほど、成長と貢献の魅力的な機会が増える。

・「一生に一度の機会」であっても、三つの円が重なる部分に入っていないのであれば、飛びつく理由はまったくない。偉大な企業になれば、そのような機会にたくさんぶつかるようになる。

・超優良に飛躍した企業では、予算編成は、それぞれの活動にどれだけの資金を割り当てるかを決めるものではない。どの活動は針鼠の概念に最適で、したがって集中的に強化すべきか、どの活動は完全に廃止すべきかを決めるものである。

・「止めるべきこと」のリストは、「やるべきこと」のリストよりも重要である。

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