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第六章みなみはイノベーションに取り組んだ

21三月に入って、野球部には二つの大きなできごとがあった。

一つは、病気で入院している宮田夕紀が手術をしたこと。

これは、本来なら昨年の暮れにする予定だったのが、彼女の体調が思わしくなくて延び延びになっていたものだった。

夕紀の手術は、それほど難しいものではなかったらしい。

それでも、慎重を期して、体調が回復するのを待って行われた。

おかげで、手術自体は無事終わり、とにもかくにも、治療は一歩前進することとなった。

手術が終わってから三日後の卒業式の日、この日は練習が休みだったので、みなみは夕紀をお見舞いに訪れることにした。

ところが、病院へ向かうバスの中で、思わぬ人物と遭遇した。

それは、キャッチャーの柏木次郎だった。

次郎も、やっぱり夕紀をお見舞いに行くところだった。

後からバスに乗り込んできた次郎は、みなみを見つけると、空いていた隣の席に座った。

「よう」そう声をかけた次郎に対し、しかしみなみは、「こんにちは」と他人行儀に返事をしただけで、後は目を合わそうとしなかった。

そのため次郎も、それ以上は何も言えず、二人は病院に着くまでほとんど会話を交わさなかった。

病院に着き、二人が病室に入ると、そこにも意外な人物がいた。

一年生の桜井祐之助だった。

彼は、ベッドの夕紀と何やら話し込んでいたが、入ってきた二人を見るとちょっと慌てたように立ちあがって、そそくさと帰り支度を始めた。

それを見て、みなみは「おじゃまだったかしら?」と言った。

すると祐之助は、顔を真っ赤にして、挨拶もそこそこに出ていってしまった。

それを見送ったみなみは、今度はベッドに寝ている夕紀に「本当におじゃまだった?」と聞いた。

すると夕紀は、手術直後でさすがに声は弱々しかったが、それでもおかしそうにくすくす笑いながら言った。

「からかっちゃダメよ。

彼、そういうの苦手なんだから」「あいつ、よく来るの?」。

そう尋ねたのは次郎だった。

「うん、たまにね。

ほら、去年の秋、また彼がエラーをして負けたでしょ。

その時、みなみがメールくれたの。

彼のこと、フォローしてやってくれって。

それ以来、ちょくちょく連絡を取り合うようになったかな」すると、みなみが驚いたような顔をして言った。

「私、そんなこと頼んだっけ?」それで、今度は夕紀が目を丸くした。

「え、覚えてないの?」「全然」それに対し、夕紀は「みなみらしいなあ」と微笑んだ。

それから、今度はみなみと次郎を交互に見比べると、こう言った。

「そっちこそ、珍しいじゃん。

二人で一緒に来るなんて」「一緒に来たわけじゃないのよ」と、みなみは真剣な顔をして答えた。

「バスでたまたま一緒になっただけ」それで夕紀は、またおかしそうにくすくす笑うと、こう言った。

「でも、こうして三人で揃うと、なんかホッとする。

昔を思い出すね」「確かにそうだなあ」と答えたのは次郎だった。

しかしみなみは黙ったままで、何も言おうとはしなかった。

それから三人は、しばらくさっき終わったばかりの卒業式のこととか、学校のこととか、野球部のことなどを話した。

ただ、この日は夕紀がまだあまり元気そうではなかったので、みなみと次郎は早々に引きあげることにした。

帰り道、二人はまたしても一緒のバスに乗ったのだけれど、やっぱりずっと無言だった。

ところが、とあるバス停に差しかかった時だった。

次郎が、こんなふうに切り出した。

「あ、ほら、あそこ。

見えてきた」「え?」次郎は、窓の外を指差しながら言った。

「ほら、あれだよ。

前に、二人でよく来たじゃん。

懐かしいなぁ」それでみなみが外を見てみると、そこにはバッティングセンターがあった。

「あ……」とみなみは、それでまたちょっと苦い顔になった。

しかし次郎は、なおも続けた。

「そうだ。

今からちょっと行ってみない?久し振りだし」それに対し、みなみはやっぱり黙っていた。

そのため次郎も、「まあ、いやならいいんだけどさ」と言って、それ以上は何も言わなかった。

ところが、バスがそのバッティングセンターにいよいよ近づいてきた時だった。

不意に次郎の方を向いたみなみは、こう言った。

「別に、いいよ」「お」、と次郎は意外そうな顔になったが、すぐに「よし」と言うと、降車のボタンを押したのだった。

バスを降りると、二人は歩いてすぐのところにあるそのバッティングセンターへと入っていった。

中に入った二人は、受付でプリペイドカードを買うと、みなみは一番奥のブースへ、次郎はその手前のブースへと入った。

プリペイドカードを機械に差し込み、スピードや球種の調整をすると、バッターボックスに立って、ピッチングマシンと相対した。

やがて、マシンからボールが投げ出された。

するとみなみは、その初球をきれいに弾き返した。

打球は、右方向へ糸を引くように伸びていった。

それを見て、次郎は思わず「おお」と声をあげた。

しかしみなみは、それにはなんの反応も見せず、次の投球動作に入ったピッチングマシンに集中した。

続いて、ボールが次々と投げ出されてきた。

それらを打ち返しながら、みなみは、子供の頃のことを思い出していた。

子供の頃、みなみは野球少女だった。

野球好きだった父の影響で、物心つく前からバットとボールに慣れ親しんで育った。

小学校にあがってからは、地域の少年野球チームに所属し、本格的にプレーするようになった。

男の子たちに交じって、毎日練習に励んでいたのである。

みなみは、三人姉妹の三女だった。

みなみの父は、息子が生まれたらプロ野球選手に育てたいという夢を持っていた。

しかし、生まれてくる子供生まれてくる子供女の子で、最後の望みを託したみなみもやはり女の子だった。

それで、彼の夢もついえたかに思えた。

ところが、諦めきれなかったみなみの父は、そこで末っ子の彼女に野球を教え始めたのである。

すると、もともと素直で、また運動神経もよかった彼女は、めきめきとその実力を伸ばしていった。

やがて小学校にあがり、地域の少年野球チームに所属するようになってからは、中心選手として活躍するまでになった。

柏木次郎は、その時のチームメイトだった。

みなみと次郎は、もともと家も近所で、夕紀も含めて幼なじみだった。

小さい頃は、よくお互いの家を行き来して

いた。

またチームメイトになってからは、よく一緒に練習もした。

このバッティングセンターには、その頃に二人で何度も来ていたのである。

当時のみなみは、発育が早かったこともあって、バッティングも守備も、次郎より一枚も二枚も上手だった。

彼女は、次郎がまだ補欠だった四年生の頃からレギュラーを張っていた。

そのため、どこか次郎を下に見ているところもあった。

この頃、みなみは本気でプロ野球選手を目指していた。

小学校の文集には、将来の夢の欄に「プロ野球選手」と書いたし、父親にもよくこんな質問をした。

「私はプロ野球選手になれる?」すると父は、決まっていつも「ああ、なれるさ」と答えた。

そうして一言、「この先も、一生懸命練習すればね」とつけ加えるのだった。

だからみなみは、ますます野球にのめり込んだ。

プロ野球選手になることを夢見て、日夜練習に励んだのである。

みなみのピークは小学五年生の時だった。

この時の市の大会で、レギュラーで六番を打っていた彼女は、決勝戦でサヨナラヒットを打ったのだ。

ところが、その後、伸び悩んでしまう。

周囲の男の子に比べ、成長が遅くなったのだ。

その違いは、六年生には決定的になる。

思春期を迎え、身体に大きな変化が訪れるようになってからは、もう以前のようにプレーすることはできなくなっていた。

ちょうどその頃、めきめきと実力を伸ばしレギュラー入りした次郎とは対照的に、とうとうレギュラーから外されてしまうのである。

そこでようやく、みなみは何かがおかしいということに気づき始める。

自分と周囲の男の子との間には、明らかに大きな違いがある。

今思うと当たり前のことなのだけれど、みなみは、この時までそれに気づかなかった。

身体の発育は早かったのだが、そうしたことには奥手だったのである。

そこでみなみは、父にこう尋ねてみた。

「私は、プロ野球選手にはなれないの?」すると、いつもはニコニコ笑って「なれるよ」と答えていた父が、この時ばかりは苦笑いのような表情を浮かべ、それには何も答えなかった。

そこでみなみは、今度は隣で聞いていた母親に、同じ質問をしてみた。

しかし彼女も、やっぱり悲しそうな顔をしてこちらを見返すばかりで、何も答えようとはしなかった。

そこでみなみは、初めて気づかされた。

――私の夢は、初めから叶わないものだったんだ……。

そして、こう思って絶望した。

――私だけが、知らなかったんだ。

この時の反動で、みなみは野球が嫌いになったのだった。

そればかりか、強く憎むようにさえなった。

それは、野球に裏切られたような気持ちだったからだ。

あるいは、野球によって人生をめちゃくちゃにされたような思いでもあった。

両親との関係は、この時のことがもとでぎこちなくなってしまった。

また次郎との間にも、ぬぐいがたいわだかまりが生まれた。

自分より下に見ていた彼が、自分以上に上手くプレーをすることが、どうしても受け入れられなかったのだ。

さらには、野球に関する全ての思い出も――市の大会の決勝でサヨナラヒットを打ったことまで含めて――つらい記憶に変わってしまった。

だから、野球をするのはもちろんのこと、関わることさえ拒むようになったのである。

この時みなみは、夢と、家族と、友人と、そして思い出を、いっぺんに失ってしまったのだった。

だから、そのショックは大きく、心にぽっかりと穴が開いたようになってしまい、しばらく何も手につかなくなった。

そんな時、支えになってくれたのが夕紀だった。

彼女は、失意のどん底にあったみなみを、ただただ受け入れてくれた。

みなみのそばにいて、何も言わず見守ってくれた。

時には、泣いている肩をやさしく抱いてくれもした。

みなみの心にぽっかりと開いた穴を、友情の水で満たしてくれた。

その時のことがあったから、みなみは、夕紀のことを一生裏切れないと思っていた。

夕紀だけは、何かあったら助けよう――恩返ししようと、その時固く心に誓った。

だから、夕紀が病気になって長い間入院しなければならないと分かった時には、マネージャーになって彼女の留守を守ろうと思った。

そうして、夕紀が帰ってくるまで安心してもらおうと思ったのだ。

またそこで、せっかくなら野球部を甲子園に連れていこうと考えた。

そうすることで、夕紀に喜んでもらおうとしたのだ。

あるいは、もし野球部が甲子園に行ければ、夕紀もそれに勇気づけられ、病気が全快するかもしれない――そんなふうにも考えた。

だから、みなみは野球部のマネジメントに全力で取り組んできたのである。

彼女にとっては、野球部を甲子園へ連れていくことが、夕紀への恩返しであり、また彼女の病気を治すことでもあったのだ。

十分後、打ち終わったみなみがロビーで休んでいると、次郎が飲み物を買ってきてくれた。

それで、みなみがお金を出そうとすると、次郎はいいよと言って受け取らなかった。

するとみなみも、この時は素直に「ありがとう」と言い、もらったそれを飲み始めた。

そんなみなみに、次郎が言った。

「おまえ、やっぱまだいけるね」「……」「やっぱ、忘れてないもんだな。

だって、もう何年ぶり?五年くらいか。

とても、そうは見えなかったけどな」「……」「さっきの流し打ちなんて、すごかったじゃん。

昔を思い出したよ。

そうだ、覚えてる?おまえが昔、市の大会の決勝戦で――」「それはいいよ」みなみは、次郎の言葉を遮るように言った。

「え?」「その話は、もういいから」「……そうか」しばらくの沈黙の後、次郎が再び口を開いた。

「まあいいよ。

おまえが何をどう考え、昔のことをどう思っていようと、おまえがやってることは、大したもんだよ」「え?」とみなみは、次郎のことをきょとんとした顔で見つめた。

しかし次郎は、そんなみなみを真剣な眼差しで見つめ返すと、こう言った。

「これは本気で言ってるんだぜ。

おれは、本当におまえを大したやつだと思ってるんだ」しかしみなみは、すぐにまた視線をそらすと何も返事をしなかった。

そうしてこの日、二人はほとんどしゃべらないまま、再びバスに乗り込むと、家の近所で別れたのだった。

22野球部に起きたもう一つのできごとは、二階正義がマネジメントチームに加わったことだった。

以前から、みなみは正義をマネジメントチームに引き入れたいと考え、何度かそのことを持ちかけたことがあった。

しかしこれまでは、正義がそれを頑なに拒んできた。

というのも、正義は正義で、せっかく野球部に入ったのだから、あくまでも一選手としてレギュラーを目指したいという、強い思いがあったからだ。

たとえ誰より下手であっても――いや下手だからこそ、実力で勝負したいというこだわりがあった。

そのことを知って以降は、みなみも正義をマネジメントチームに引き入れようとはしなかった。

それでも、マネジメントについて相談したり、アドバイスを求めたりすることはずっとしていた。

みなみの近くにいる人間で、ドラッカーに詳しく、またマネジメントに造詣が深いのは、正義をおいて他にいなかったから

だ。

しかし皮肉なことに、正義がマネジメントについてアドバイスすればするほど――みなみのマネジメントが進めば進むほど、部員たちの実力は向上した。

おかげで、正義が選手になれる可能性は一向にふくらまなかった。

もちろん、正義も実力を伸ばしていたのだけれど、他の部員たちの伸びはそれ以上だったのだ。

そんなある日、みなみがいつものようにマネジメントについての相談をしていると、不意に彼女の顔をまじまじと見つめた正義は、こんなふうに切り出してきた。

「あのさ……」「ん?」と、それで正義の様子がいつもと違うことに気づいたみなみも、彼の顔をまじまじと見返した。

すると、その視線を避けるかのように横を向いた正義は、言い淀むようにして少し沈黙した。

それでも、みなみが黙って待っていると、やがて視線を戻してこう言った。

「おれにも、マネジメントを手伝わせてくれないか?」こうして、それまで監督の加地、キャプテンの星出、それにみなみと文乃と三人の新人マネージャーを加えた七人で行っていたマネジメント会議に、正義も定期的に参加するようになったのだった。

すると正義は、そこでさまざまな取り組みを提案していった。

これまで溜めてきたものを一気に吐き出すかのように、次々とアイデアを提案し、またその実行にと動いていった。

正義は、もともと起業家になりたいと思って野球部に入ったほどで、何かを経営することに対する知識と情熱には人並み以上のものがあった。

彼には、マネジメントについてのさまざまなアイデアがあり、またそれを実行に移す強い意志と行動力も備わっていた。

正義はまず、「他の部との合同練習」というアイデアを打ち出した。

それは、みなみがコンサルティングを受け持っていたいくつかの部に対し、練習への協力を要請しようというものだった。

例えば、陸上部に対しては、野球部の「走力向上」についての協力を要請しようと提案した。

その頃、野球部の課題の一つに「走力向上」があった。

加地が打ち出した「ノーバント・ノーボール作戦」により、今後は送りバントをしないことが決められたのだが、それに伴って、盗塁やエンドランを重視するという方針が打ち出された。

そこで、部員たちの走力向上が次の課題となっていたのだが、それを、陸上部と協力して進めたらどうかと、正義は提案したのだ。

彼のアイデアはこうだった。

野球部と陸上部は、みなみのコンサルティングを通じて良好な関係にある。

その延長で、女子キャプテンの小島沙也香に、野球部員への走り方の指導をお願いするのだ。

彼女は短距離が専門だから、きっといい指導をしてくれるはずだ。

これは、野球部にとってメリットが大きいのはもちろん、沙也香にとってもメリットになるはずだ。

なぜなら、彼女の強みが生かされることによって、彼女自身を生かすことにもつながるからだ。

『マネジメント』には、「マネジメントの正統性」について、こんな記述があった。

そのような正統性の根拠は一つしかない。

すなわち、人の強みを生産的なものにすることである。

これが組織の目的である。

したがって、マネジメントの権限の基盤となる正統性である。

組織とは、個としての人間一人ひとりに対して、また社会を構成する一人ひとりの人間に対して、何らかの貢献を行わせ、自己実現させるための手段である。

(二七五~二七六頁)正義の提案は、沙也香の強みを生産的なものにすることに他ならなかった。

そこでみなみは、このアイデアを沙也香に提案してみた。

すると彼女は、これまでの関係もあってか、二つ返事で引き受けてくれた。

そのためこれ以降、野球部では週に一度、沙也香の指導のもと、走力向上の練習が行われることになった。

正義のこの企画は、陸上部だけにとどまらなかった。

柔道部へは、柔道家のような粘り強い足腰を作るという目的で、ピッチャーの浅野慶一郎と新見大輔の二人を送り込んだ。

そこで二人は、柔道部員たちと一緒に、畳の上で下半身の鍛錬に取り組んだ。

家庭科部には、定期的な料理の「試食役」を申し入れた。

家庭科部で作った料理を、練習でおなかを空かした野球部員たちに食べさせてほしいとお願いしたのだ。

その代わり、詳細な感想――つまりフィードバックを伝え、料理の腕が向上するような仕組み作りを手伝うことを約束した。

その通り、試しに行ったその試食会で、正義は、部員たちの感想を詳細な資料にまとめあげ、グラフや分析などもつけ加えて提出した。

するとそれは、家庭科部にとってはこれまでにない貴重なマーケティングデータとなったので、大いに喜ばれた。

おかげでその試食会は、週に一度、定期的に開かれることが決まった。

吹奏楽部には、試合用の応援歌のアレンジを依頼した。

これも、吹奏楽部にとって演奏しがいのある、本格的なものを頼んだ。

すると、これは夏の大会までに作りあげていこうということになり、その取りまとめは正義が担うことになった。

さらに正義は、みなみの進めてきた「社会の問題についての貢献」に関しても、その輪を学校内だけではなく、学校の外へと広げることを提案した。

正義はまず、地域の少年野球リーグに働きかけ、子供たちをグラウンドに招き、部員たちによる野球教室を開いてはどうかと提案した。

これについて、正義には一つの狙いがあった。

それは、子供たちを指導することで、部員たちの実力をも向上させる――というものだった。

そのヒントを、正義は陸上部の沙也香から得ていた。

野球部では、少し前から沙也香による走り方の指導が行われていたのだが、これによって、野球部員たちはもちろん、教えていた沙也香自身の走力も向上したのだ。

「これは、自分でも驚いたんだけど――」と沙也香は語った。

「私のタイムもあがったのよ。

きっと、みんなに走り方を教えているうちに、走るということをあらためて見つめ直すことができたからだと思う。

みんなの走りを見ていると、思いもよらないヒントを受け取ったり、アイデアが閃いたりしたの。

私は、教えることによって、逆にみんなから教わってもいたのね」正義は、これを部員たちにも応用できないかと考えたのだ。

部員たちにも、子供たちに野球を教えることによって、逆に子供たちから教わり、実力向上を図ってもらおう――そう考えた。

また、それとは別に正義は、近くの私立大学とも協力関係を構築することを提案した。

その大学の野球部は、全国に名を轟かせた強豪で、部員の中には何人かの甲子園経験者も含まれていた。

その甲子園経験者たちを学校に招き、講演をしてもらおうとしたのだ。

そうして、部員たちに「甲子園に出場する」ということをもっとリアルに、もっと身近に感じてもらおうとした。

そんなふうに、正義は次から次へとアイデアを出していったのだが、それに対し、みなみはそのほとんどを、なんの注文もつけることなく後押ししていった。

みなみは、沙也香に話を取りつけたのを皮切りに、陰に日向にと働いて、正義の提案の実現を次々と手助けしていった。

そうした時に、みなみは、正義の打ち出してくるそれらのアイデアについて良し悪しを判断しないよう心がけた。

時には疑問に思うものもないわけではなかったが、それを口には出さず、ほとんど無条件でその実行を手伝った。

それは、アイデアの良し悪しを判断するのは自分の役目ではないと思っていたからだ。

『マネジメント』にはこうあった。

あらゆる組織が、事なかれ主義の誘惑にさらされる。

だが組織の健全さとは、高度の基準の要求である。

自己目標管理が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。

成果とは何かを理解しなければならない。

成果とは百発百中のことではない。

百発百中は曲芸である。

成果とは長期のものである。

すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。

それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。

成果とは打率である。

弱みがないことを評価してはならない。

そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。

人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。

優れているほど新しいことを試みる。

(一四五~一四六頁)みなみは、正義のやろうとしていることの良し悪しは分からなかったが、それが「新しいことを試み」ているというのはよく分かった。

だから、彼の「意欲」や「士気」を大切にしようとしたのだ。

またそこには、もう一つの目論見もあった。

それは、野球部にチーム型の「トップマネジメント」を確立したいということだった。

『マネジメント』にはこうあった。

トップマネジメントがチームとして機能するには、いくつかの厳しい条件を満たさなければならない。

チームは単純ではない。

仲のよさだけではうまく機能しない。

人間関係に関わりなく、トップマネジメント・チームは機能しなければならない。

トップマネジメントのメンバーは、それぞれの担当分野において最終的な決定権を持たなければならない。

トップマネジメントのメンバーは、自らの担当以外の分野について意思決定を行ってはならない。

ただちに担当のメンバーに回さなければならない。

トップマネジメントのメンバーは、仲良くする必要はない。

尊敬し合う必要もない。

ただし、攻撃し合ってはならない。

会議室の外で、互いのことをとやかく言ったり、批判したり、けなしたりしてはならない。

ほめあうことさえしないほうがよい。

トップマネジメントは委員会ではない。

チームである。

チームにはキャプテンがいる。

キャプテンは、ボスではなくリーダーである。

キャプテンの役割の重さは多様である。

(二二八頁)これに従って、みなみは、自分の担当以外の分野については、その意思決定を行わないようにしたのである。

他のメンバーが担当することについては、最終決定権を彼らに持たせたのだ。

また、そうすることで自分の負担を減らすというメリットもそこにはあった。

最終決定権を分担することで、みなみがしなければならない仕事は減り、おかげで、自分の担当分野にこれまで以上に集中して取り組めるようになった。

責任を分担することには、そうした一石二鳥の効果もあったのである。

23四月になって、新年度がスタートした。

みなみたちはとうとう三年生になり、最後の夏の大会まで、あと三ヶ月あまりに迫った。

新年度になると、野球部にはまたいくつかの変化が訪れた。

そのうちの一つは、新入部員が入ってきたことだ。

この年の入部希望者は、例年の約三倍にあたる三十二名にもなった。

ほとんどなんの勧誘もしなかったのに、この人数は驚きだった。

どうやら、野球部のマネジメントは、みなみたちの知る以上に大きな評判となっているらしかった。

それを聞きつけた新入生たちが、大挙して押しかけてきたのだ。

しかしみなみは、これを単純に喜んだわけではなかった。

組織の規模というのは、大きくなればいいというものではないからだ。

『マネジメント』にはこうあった。

組織には、それ以下では存続できないという最小規模の限界が産業別、市場別にある。

逆に、それを超えると、いかにマネジメントしようとも繁栄を続けられなくなるという最大規模の限度がある。

(二三六頁)また、こうも書かれていた。

市場において目指すべき地位は、最大ではなく最適である。

(三一頁)野球部が目指すべき規模は、「最大」ではなく「最適」だった。

そこでみなみは、「野球部に最適な規模」というのはどれくらいなのかを考えた。

その手がかりも、『マネジメント』の中にあった。

実は、規模についての最大の問題は組織の内部にあるのではない。

マネジメントの限界にあるのでもない。

最大の問題は、地域社会に比較して大きすぎることにある。

地域社会との関係において行動の自由が制約されるために、事業上あるいはマネジメント上必要な意思決定が行えなくなったときには、規模が大きすぎると見るべきである。

地域社会に対する懸念から、自らとその事業に害を与えることが明白なことを行わなければならなくなったときには、規模が大きすぎると見るべきである。

(二四三~二四四頁)野球部の規模が大きくなることには、二つの懸念があった。

一つは、補欠選手が増えてしまうこと。

高校野球は、試合に出られる人数も、ベンチに入れる人数も初めから決まっていた。

だから、部員数が増えてしまえば、それだけ悔しい思いをしなければならない人間、つまり感動できない人間も増えてしまうのだ。

これは、野球部の「顧客に感動を与えるための組織」という定義からは離れてしまうことにもつながった。

もう一つは、他の部の部員数が減ってしまうことだった。

野球部が大きくなりすぎると、他の部が部員不足に陥るという弊害を招く。

これでは、「社会の問題について貢献する」というマネジメントの役割にはそぐわなくなってしまう。

しかもそれは、野球部の業績を下げることにもつながりかねなかった。

組織というのは、市場を独占するよりも、力ある競争相手がいた方が、業績はあがるからだ。

『マネジメント』にはこうあった。

しかも急速に拡大しつつある市場、特に新しい市場においては、独占的な供給者の業績は、力のある競争相手がいる場合よりも劣ることが多い。

矛盾と思われるかもしれない。

事実、ほとんどの企業人がそのような考えをとっていない。

しかし新市場、特に大きな新市場は、供給者が一社よりも複数であるほうが、はるかに速く拡大する傾向がある。

(三〇~三一頁)だから、こうした弊害を招くような規模の拡大は、どうしても避ける必要があったのだ。

そこでみなみは、入部希望者をそのまま入部させるのではなく、まず会って話し合い、彼らの要望や希望を聞き出していった。

そのうえで、彼らの現実、欲求、価値というものが野球部に適さないようであれば、他の部に入ることを勧めた。

そうやって、野球部にとっても、また入部希望者一人ひとりにとっても、最適な道を探そうとしたのだ。

これは難しい作業になった。

みなみがマネジメントに取り組んできた中で、最も困難な取り組みになったといってもよかった。

『マネジメント』にはこうあった。

規模の不適切さは、トップマネジメントの直面する問題のうちもっとも困難である。

自然に解決される問題ではない。

勇気、真摯さ、熟慮、行動を必要とする。

(二四四頁)また、こうも書かれていた。

真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。

それはまず、人事に関わる決定において象徴的に表れる。

真摯さは、とってつけるわけにはいかない。

すでに身につけていなければならない。

ごまかしがきかない。

ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。

無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。

だが、真摯さの欠如は許さない。

決して許さない。

彼らはそのような者をマネジャーに選ぶことを許さない。

(一四七頁)この言葉を胸に、みなみたちは入部希望者との話し合いに、また規模の問題の解決に取り組んでいった。

その結果、この年の新入部員は最終的に十二名になり、野球部の部員数は全部で三十八名となった。

新入部員たちが入ってくると、みなみたちはマネジメントの戦略を新たにする必要に迫られた。

それは、組織の規模が大きくなったからだ。

『マネジメント』にはこうあった。

規模は戦略に影響を及ぼす。

逆に戦略も規模に影響を及ぼす。

(二三六頁)そこで、次に取り組んだのが「自己目標管理」だった。

夏の大会までは、もう残りわずかだった。

その限られた時間を有効に使うには、あらためて部員一人ひとりが自分で目標を管理することが必要だった。

『マネジメント』にはこうあった。

マネジャーたるものは、上は社長から下は職長や事務主任にいたるまで、明確な目標を必要とする。

目標がなければ混乱する。

目標は自らの率いる部門があげるべき成果を明らかにしなければならない。

他部門の目標達成の助けとなるべき貢献を明らかにしなければならない。

(一三九頁)この言葉に従って、みなみたちは、組織としてはもちろん、部員一人ひとりに対しても、詳細で具体的な目標を決めていった。

まず、宮田夕紀を中心にマーケティングの目標を決めた。

これは、夏の予選が始まるまでにもう一度、お見舞い面談をするということとなった。

しかも今度は、みなみは立ち会わず夕紀一人で行うことに決まった。

夕紀が、これまで以上に大きな責任を担おうとしたためだ。

ただしそれは、予選前の三ヶ月間という長い時間をかけて行うこととなった。

お見舞い面談は、これまで夏休みに一度、冬休み前後に一度行われていた。

過去の二回は、だいたい一ヶ月をかけて行っていたのだが、今回は、三ヶ月をかけてゆっくり行おうということになったのだ。

これは、新入部員が入ったことや、夏の大会が差し迫ってスケジュール調整が難しくなったということもあったが、それ以上に、夕紀の体調を考慮してのことだった。

手術後の夕紀は、小康状態が続いていた。

彼女の病気は、手術をしたからといってすぐに治癒に向かうという種類のものではなかったらしい。

ここからさらに投薬治療を続け、回復を図るということだった。

なんでも、何かの数値がもっと下がれば退院の目処が立つらしかった。

そのためみなみは、その数値が夏の大会前までになんとか下がってくれることを祈った。

夕紀には、どうしても夏の大会のベンチに入ってほしかったからだ。

それはみなみの悲願だった。

次に、今度は文乃を中心に練習の目標を決めた。

これは、野球部の定義である「感動を与える」ということや、部全体の目標である「甲子園に出る」ということ、あるいは指針である「ノーバント・ノーボール作戦」などに基づいて決められた。

また、それを決める際には「集中の目標」について考慮された。

『マネジメント』にはこうあった。

これらマーケティングに関わる目標については、すでに多くの文献がある。

しかしいずれも、これらの目標が、実は次の二つの基本的な意思決定の後でなければ設定できないことを十分強調していない。

すなわち、集中の目標と市場地位の目標である。

古代の偉大な科学者アルキメデスは、「立つ場所を与えてくれれば世界を持ちあげてみせる」と言った。

アルキメデスの言う「立つ場所」が、集中すべき分野である。

集中することによって、初めて世界を持ちあげることができる。

したがって集中の目標は、基本中の基本というべき重大な意思決定である。

(二九頁)野球部の練習には、集中するポイント、すなわち「立つ場所」が必要であった。

夏の大会までに残された時間は、もうあと三ヶ月しかなかった。

その中では、できることが限られていた。

だから、何かに集中し、何かを捨てる必要があったのだ。

そこで文乃は、加地と話し合いながら、攻撃と守備について、それぞれ一つずつ集中するポイントを決めた。

そのうえで、残りは全て捨て、ここから三ヶ月は、ただそれだけに集中することにしたのだった。

まず、攻撃のポイントを「ストライクとボールを見極める」ということに決めた。

ストライクとボールを見極めるとは、つまり「ボール球に手を出さず、ストライクだけを打つ」ということだ。

これは、野球の初歩中の初歩であった。

誰もが知っている基本中の基本だった。

ボール球に手を出したのでは、自分にとって打ちにくくなるばかりか、相手投手のカウントを有利にもさせてしまう。

それは、バッターにとって最も避けなければならないことの一つだった。

しかし、だからこそピッチャーは、それを狙ってくるのだ。

微妙なところをついて、なんとかボール球を打たそうとする。

それが、昨今の「ボール球を打たせる投球術」の流行にもつながっていた。

文乃には、それを打倒したいという気持ちがあった。

もしボール球に手を出さないようになれば、「ボール球を打たせる投球術」は成り立たなくなる。

それは、加地の打ち出した「ノーバント・ノーボール作戦」ともつながって、高校野球の一つの常識を打ち破ることにもなった。

つまり、ここでもイノベーションを起こそうとしたのだ。

そのため野球部では、ボール球を見送る練習を集中して行うことになり、攻撃に関しては、それ以外の練習は一切捨てた。

続いて、守備のポイントを「エラーを恐れない」ということに決めた。

加地は、投手陣には「ノーボール作戦」という指針を打ち出していた。

これは、ボール球を投げずに、全球ストライクで勝負するというものだ。

だから、当然打ち返される可能性は高くなり、守備にかかる負担は大きくなることが予想された。

その際に、野手がエラーをすることはあまり問題ではなかった。

それはもう避けられないと考えていたからだ。

程高の守備を、残り三ヶ月で甲子園に出場できるレベルにまで引きあげるのは無理だった。

どうしたって、エラーはつきまとうはずだった。

だから、そこでだいじなのは、エラーをしても浮き足立たないことだった。

それを引きずって、連鎖反応を起こさないことだ。

また、エラーを恐れて消極的な守備をしないことだった。

この「エラーを恐れない」ということが、程高が甲子園に出場するための大きな鍵になると、加地と文乃は考えていた。

そこで、「エラーを恐れない」ことの練習を、徹底的にくり返すことにしたのだ。

具体的には、大胆な前進守備を練習させた。

選手全員に、定位置よりも二歩も三歩も前で守らせた。

それは、エラーをすることの言い訳を、彼らに与えるためであった。

前進守備をすれば、打球はその分早く到達することになるから、処理は当然難しくなる。

だから、エラーをする確率も高まるのだけれど、それを指示したのが監督だとはっきりしていれば、エラーをしてもそれは監督の責任であり、選手に責任はないということになる。

そのことが明確になっていれば、エラーをしても落ち込むケースは少なくなるだろうと考えたのだ。

また、前進守備によって気持ちを積極的にさせるという狙いもあった。

姿勢を前のめりにさせ、どんな打球に対しても失敗を恐れずに突っ込んでいかせようとした。

そうして、これもやっぱり他の練習は一切行わず、ただただ前進守備の練習をくり返し行うようにしたのだった。

その一方で、ピッチャーには「打たせて取る」ことの練習に集中させた。

夏の大会において、投手にとって一番の敵となるのは、相手バッターではなく「疲れ」だった。

容赦なく照りつける真夏の太陽によって、体力を奪われることだった。

試合を勝ち抜けば、そこに連戦の疲れが加わった。

これを解決するためには、スタミナを消耗しないことが一番だった。

そしてそれには、球数を少なくし、マウンドにいる時間を短くする必要があった。

そのためには、打たせて取ることがだいじだった。

そして、ボール球を投げないということも重要だった。

それもあって、加地は「ノーボール作戦」を打ち出したのだ。

遊び球を投げないことで、投球数を少なくさせようとしたのだ。

そこでピッチャーの二人――浅野慶一郎と新見大輔には、「打たせて取る」ことの練習が徹底的に課せられることとなった。

ボール球を投げずにバッターを「打たせて取る」ためには、低めへのコントロールと手元で鋭く曲がる変化球が求められた。

これをものにするためには、強靭かつ柔軟な足腰が必要だった。

そのため二人には、下半身の鍛錬が徹底的に課せられた。

それは全く過酷なトレーニングだった。

二人は、柔道部の練習に参加していたことに加え、他の部員が週に一度しか行わないロードワークを毎日行った。

チーム制練習に参加していない分、その練習は孤独かつ責任の重いものとなった。

しかし、二人はこれによく耐えた。

特に、慶一郎の取り組みはすさまじかった。

彼はある時、加地から桑田真澄の伝説を聞かされた。

元読売ジャイアンツのピッチャーだった桑田真澄は、ヒジを怪我して休んでいる間、ひたすら二軍の練習場を走った。

グラウンドの同じところを、何度も何度も行き来した。

おかげで、彼の走ったところだけ芝生がはがれ、くっきりとした跡が残った。

そこはやがて「桑田ロード」と呼ばれるようになり、彼の伝説の一つとなった。

加地は、これと同じことを慶一郎に求めたのだ。

学校の近くにあった公園の、同じところを何度も何度もくり返し行き来させた。

そうして、彼だけの道を作るよう促したのである。

慶一郎は、これによく応えた。

来る日も来る日も、同じ公園の同じところを、飽くことなく走り続けた。

あいにく、彼の走った跡は公園の管理人に見つかって、そこだけ芝生が張り替えられた。

そのため、道ができることはなかったが、それでもそこは、「浅野コース」と呼ばれ、その後もずっと野球部のピッチャーが走る道として伝統的に受け継がれるようになった。

そんなふうに、部員個々の練習メニューを組んでいく一方、文乃は、女子マネージャーたちを組織して、リサーチチームを編成した。

野球部が「甲子園に出場する」という目標を達成するためには、対戦校の詳細なデータが必要不可欠であった。

西東京は、行き当たりばったりに戦って勝ち抜けるような地区ではなかった。

それに、野球部が取り組もうとしていた「ストライクとボールを見極める」という作戦には、相手投手の配球やクセを知ることが欠かせなかった。

そこで文乃は、元問題児の三人の女子マネージャーたちと、新人の一年生女子マネージャーたちに手分けさせ、対戦が予想される全ての学校の調査に取りかかった。

合わせて六人になった彼女たちを、他校へと偵察に送り込み、データを収集していったのだ。

これは、思わぬ成果をあげることとなった。

三人の元問題児たちが、大きな活躍を見せたのだ。

彼女たちは、いずれも行動力と度胸を持ち合わせていた。

だから、普通なら立ち入るのがためらわれる他校の練習場へも積極的に出かけていき、その様子を詳細にレポートしてきた。

また、交渉術にも長けていたため、多くの学校で練習風景をビデオ撮影する許可も取りつけた。

おかげで、持ち帰ったその映像を加地や文乃が分析でき、より綿密な対策を練ることができたのである。

24夏の大会まで一ヶ月を切る頃になると、野球部にはさらなる変化が表れるようになった。

それは最初、小さな兆しにすぎなかった。

しかしやがてみるみるうちに広まると、いつしか野球部全体を覆うようになった。

それは「社会からの影響」だった。

野球部は、これまで社会の問題に貢献するようさまざまな取り組みをしてきたが、今度は逆に、社会から影響を受けるようになったのだ。

それは最初、毎週土曜日に行われていた少年野球教室で表れた。

指導していたチームの一つが、地区大会で優勝したのである。

すると、そのお礼に子供たちが手紙を書いてきてくれた。

それも、部員一人ひとりに宛てて書いてくれたのである。

それは、部員たちにとって大きな刺激となった。

彼らは、初めてもらう感謝の手紙に、大きな感動を味わったのだ。

そこで彼らは、野球部のマネジメントチームが何度となく唱えてきた、「社会の問題について貢献する」ということや、「顧客に感動を与えるための組織」という野球部の定義の意味を、初めてまざまざと実感したのである。

続いて、近くの私立大学の野球部に所属する甲子園経験者を招いて開かれていた講演会でも、変化が起こった。

この講演会では、終わると必ず部員全員が感想文を書くようにしていた。

すると、それを喜んだ講演者の一人が、大学の練習に野球部を招いてくれたのである。

そこで、部員たちを指導してくれたばかりか、非公式ではあったが練習試合までしてくれた。

これは異例のできごとだった。

その大学は、全国大会でも何度か優勝したことのある名門だった。

甲子園経験者が何人かいたし、過去には何人ものプロ野球選手を輩出していた。

そうした一流の大学と、無名の都立高が対戦させてもらったのだ。

結果はもちろん大差で負けたのだが、一段高いレベルの野球に接することができたことは、部員たちにとっては他にはない貴重な学びの場となった。

こうした現象は、校外だけにとどまらなかった。

野球部は、校内からも大きな影響を受けるようになった。

例えば、初めは週に一度だった家庭科部による料理の試食会は、今では毎日のように行われるようになった。

また、天気のよい日には吹奏楽部がグラウンドまでやって来て、その場で応援歌を演奏してくれた。

おかげで野球部の練習は、いつでも温かな料理と、賑やかな音楽にいろどられるようになった。

ちょうどこの頃、グラウンドにはチアリーディング部までがやって来て、吹奏楽部の隣でたびたび練習するようになった。

これは、実はみなみが裏でこっそり糸を引いていたのだけれど、おかげで部員たちは、その練習に一段と熱を入れざるをえなくなった。

こうして野球部は、夏の大会に向けて一層雰囲気を盛りあげていった。

ここからの一ヶ月は、まさに怒濤のように突き進んだ。

部員たちは、かつて体験したことのないような質と量の練習を、かつて体験したことがないほどの集中力でこなしていった。

やがて七月になり、いよいよ、夏の大会まであと一週間と迫った。

その日、野球部では夏の大会のベンチ入り選手が発表されることになっていた。

練習が終わった夕暮れ時、グラウンドのベンチの前に全ての部員が集合し、そこで、監督の加地の口から一人ひとり、ベンチ入り選手が発表されるとともに、背番号が配布されるのだ。

「これから、ベンチ入り選手を発表する。

名前を呼ばれた者は、前に出て背番号を受け取るように」その加地の言葉で、部員たちの間にはにわかに緊張が走った。

ところが加地は、続けてこう告げた。

「その前に、ちょっと発表したいことがある。

キャプテン、前に出て来てくれ」それを受けて、キャプテンの星出純がみんなの前に進み出た。

すると、部員たちからはざわめきが湧き起こった。

背番号を配布する前にキャプテンが何かを発表するというのは、これまでなかったことだった。

そのざわめきが静まるのを待ってから、加地は言った。

「実は、星出がキャプテンを降りることになった」それで、今度は「ええっ」というどよめきが起こった。

それに対し、加地は続けてこう言った。

「ああ、といっても、別に部を辞めるわけではない。

星出には、これまで通り部員としては続けてもらう。

これは、本人ともよく話し合って決めたことなんだ。

本人も了承済みのことだ。

星出には、キャプテンを辞める代わりに、試合やプレーに集中してもらうことになった。

そうだな星出」すると純は、黙ってうなずいた。

それを受け、加地はさらに言葉を続けた。

「では、次に新しいキャプテンを発表する。

ちなみにその新キャプテンには、背番号10を与える。

だから、名前を呼ばれたら前に出て、これを受け取ってほしい」そう言って、横に控えている文乃から受け取った、10番の背番号を掲げてみせた。

それで、ざわめいていた部員たちは、今度は一転、水を打ったように静まり返った。

加地は、その静まったのを確かめてから、おもむろにこう言った。

「新キャプテンは、二階正義」それで、今度は「おおっ!」という歓声が方々からあがった。

そうして部員たちは、正義の姿を捜したのだけれど、すぐには見つけられなかった。

部員たちの列に、正義の姿はなかったからだ。

正義は、部員たちとは別の、女子マネージャーたちの列に並んでいた。

その一番端のみなみの隣にいて、今加地が言った言葉を聞き、口をポカンと開けていた。

正義は驚いていた。

彼は、自分が新キャプテンに指名されることを知らなかった。

そればかりか、自分がベンチ入りのメンバーに選ばれるとも思っていなかった。

だから、部員たちからはあえて離れた場所に立ち、マネージャーの一人としてその発表を見守っていたのだ。

そんな正義をようやく見つけた部員たちは、興味深げな眼差しで見つめた。

すると正義は、まだポカンとした表情のまま、それらの視線を不思議そうに見返した。

それから、辺りをきょろきょろと見回して、最後に隣に立っていたみなみの顔を見た。

そんな正義に、みなみはこう言った。

「ほら。

二階くんの名前が呼ばれたわよ」それで正義も、ようやく「あ、うん」と返事をすると、おずおずと前に進み出た。

そうして加地の前に立ったのだけれど、この時はもうポカンとはしておらず、顔をぎこちなくこわばらせていた。

加地は、正義に10番の背番号を手渡すとこう言った。

「おめでとう、新キャプテン」すると正義は、やっぱり顔をこわばらせたまま、それを恭しく両手で受け取った。

その時だった。

突然、部員たちの間から拍手が湧き起こった。

しかもそれは、おざなりなパラパラとしたものではなく、熱く、心のこもった、大きな音のものだった。

それで、感極まった正義は、込みあげてくるものを抑えることができず、もらったばかりの背番号で顔を覆った。

すると、そんな正義を面白がって、部員たちの拍手は一段と大きくなった。

おかげで正義は、その背番号からなかなか顔をあげることができなかった。

そんな正義を見つめながら、みなみは不意に、「このチームは甲子園に行く」ということを予感した。

それは突然のことだった。

みなみはこれまで、野球部が甲子園に行くということを強く願ってはいたものの、それを予感したことは一度もなかった。

それは、心のどこかではまだ「本当に行けるのか?」と不安に思っていたからだったが、この時はなぜか、それをありありと予感することができたのだった。

そのことに、みなみは自分で驚かされた。

それで思わず「あっ」と声をあげると、まだ泣きやまない正義と、それを温かな拍手で包む野球部員とを、呆然と見つめていたのだった。

 

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