第八話いかにして人間を高めるかでは、いかにして、その「人間としての成長」を得るか。いかにして、我々は、人間を高めていけるのでしょうか。
そのための方法は、決して、「人間学」の本を読むことではありません。また、「禅寺」へ行って修行をすることでもありません。そのための方法は、ただ一つです。それは、何か。
「格闘」することです。「人間の心」と格闘することです。
なぜなら、「人間の心」と格闘するとき、我々の心は、最も成長するからです。では、「格闘」とは何か。「正対」することです。相手の心と正対し、相手の心を理解しようとすることです。
そして、相手に心を伝えようとすることです。そのとき、そこには、「心の格闘」とでも呼ぶべきものが生まれます。その「格闘」をすることです。
では、どこで、その「人間の心」との格闘を行うか。「職場」です。我々が仕事をする「職場」です。我々は、毎日、職場の仲間と仕事をしています。
しかし、毎日一緒に仕事をしていても、実は、その職場の仲間の心は、分かっているつもりで、分からない。
そのため、仕事が壁に突き当たったとき、ときに、お互いの心が、摩擦で軋み、ときに、お互いの心が、誤解で離れる。
しかし、それにもかかわらず、我々は、その「軋む心」や「離れた心」に、どう処してよいか、分からない。そのとき、我々は、迷い、悩み、そして、苦しみます。
そして、そうした迷いや悩み、苦しみのなかで、我々は、職場の仲間の「見えない心」と格闘します。職場において「人間の心」と格闘し続けるのです。
例えば、職場において、五人の部署がある。しかし、たった五人の仲間でも、色々な「心の問題」が起こります。A君とB君の仲が悪い。C君が落ち込んでいる。D君が孤立している。
そうした「心の問題」に直面します。
そして、そのとき、我々は、その仲間の話を聞いたり、一生懸命に励ましたり、ときに、厳しく叱咤するときもある。
そうして、色々な努力を尽くしながら、我々は、その職場の仲間の「心」というものと向かい合って仕事をしていきます。
しかし、その職場の仲間の「心」というものと向かい合い、正対し、格闘するとき、ふと、一人で溜め息をつくときもある。
「ああ、たった数人のメンバーでも、その気持ちを理解してあげることができない。その心を支えてあげることができない。そして、自分の思いを伝えることができない。この未熟な自分が、どうしたらよいのだろう」そんな心境で、溜め息をつくときもあります。
しかし、実は、我々は、こうして「人間の心」と格闘しているときにこそ、「心の世界に処する力」を身につけているのです。
「人間としての成長」を遂げているのです。だから、我々は、「人間の心」というものと、格闘しなければならない。
もし、我々が、「成長」を求めるならば、「人間の心」という難しいものと、どこまでも深く、格闘しなければならないのです。
しかし、その仕事が、マネジメントの仕事になるとき、我々は、「人間の心」ではなく、さらに難しいものと格闘することになります。
それは、何か。「人間集団の心」です。我々は、マネジャーになると、何人もの部下やメンバーを預かることになる。
そのため、一人ひとりの「人間の心」だけでなく、「人間集団の心」とも格闘しなければならなくなります。
もとより、マネジャーは、一人ひとりの部下やメンバーを相手に、まず、「人間の心」と格闘しなければなりません。
そして、実は、それだけでも、マネジャーは、極めて難しい問題に直面します。「権力」という問題です。
マネジャーになるということは、人事権や決裁権など、何がしかの「権力」を持つことを意味しています。
そして、その「権力」が、難しい問題を投げかけてくる。例えば、仲間の気持ちが分からなくなる。誰でも、若い頃は、自分の未熟さゆえに、職場の仲間の気持ちが分からない。
そのため、しばしば、互いの気持ちが「すれ違う」。しかし、年齢を重ね、経験を重ねていくと、少しずつ、仲間の気持ちが分かるようになってくる。
ところが、いざ、マネジャーになると、それまで、仲間の気持ちが分かるようになってきたつもりが、分からなくなる。
かえって、それが、分からなくなる。そして、ふと、気がつく。部下は、上司だからこそ、本心を見せないときがある。
上司というものが、「権力」を持つ立場であるがゆえに、心を開いてくれないときがある。そのことに、気がつくのです。そして、そのとき、我々は、「人間の心」の難しさを、改めて感じるのです。
このように、その仕事が、マネジメントの仕事になると、「人間の心」と格闘するだけでも、難しい問題に直面します。
しかし、マネジャーの直面する難しい問題は、それだけではありません。
マネジャーは、「人間の心」よりもさらに難しい「人間集団の心」と格闘しなければならなくなるのです。
では、なぜ、「人間集団の心」と格闘することが、難しい問題なのか。それは、「人間集団の心」というものが、単に、メンバー一人ひとりの「心」の総和ではないからです。
では、何か。「心の生態系」です。職場には、「心」を持った仲間が集まっている。
その「心」が集まると、それらが互いに結びつき、影響を与え合うため、そこに、「心の生態系」とでも呼ぶべきものが生まれてくるのです。
例えば、職場の「空気」や「雰囲気」。さらには、職場の「文化」。そうしたものが、生まれてくるのです。
そして、その職場の「心の生態系」は、マネジャーの発したほんの一言で、生き生きと輝きだしたり、逆に、そのバランスが崩れたりする不思議な存在です。
例えば、マネジャーが不用意な発言をする。その一言で、職場の「心の生態系」に波紋が広がる。メンバーの中で、様々な不安や不満が広がっていく。
しかし、恐ろしいことに、その波紋は、その不用意な発言をしたマネジャーには、決して見えない。そうしたことが起こります。
しかも、職場の「心の生態系」は、マネジャーの「一言」で影響を受けるだけではありません。それは、ときに、マネジャーの「存在」だけで大きな影響を受けることがあります。
例えば、しばしば、部下から、こう評されるマネジャーがいます。
「あの課長が、出張から帰ってきただけで、なぜか、みんな元気になる」「あの部長は、席に座ってくれているだけで、職場のメンバーが安心する」このように、「心の生態系」とは、マネジャーの「存在」だけで、大きな影響を受けるときもある。
それほど、敏感で、繊細な性質を持っているのです。その「心の生態系」に処する。それが、マネジメントという仕事の難しさの本質です。
しかし、こうしたことを申し上げているのは、決して、マネジメントという仕事の「大変さ」を述べたいからではない。
そうではありません。
マネジメントという仕事の「素晴らしさ」を述べたいからです。
一生懸命に仕事に取り組んで歩むとき、我々は、ときに、マネジャーや経営者の立場に立つときが、あります。
そのマネジャーや経営者の仕事の本質は、部下や社員の「人間の心」と格闘すること、そして、職場や会社の「人間集団の心」と格闘することです。
その格闘は、文字通り、悪戦苦闘とでも呼ぶべき困難なものですが、その格闘を通じて、マネジャーや経営者は、「心の世界に処する力」を身につけ、その力を磨くことができるのです。
だから、マネジャーや経営者は、大きく「成長」できる。誰よりも大きく「人間としての成長」を遂げていけるのです。
そして、そのことを理解するとき、我々は、仕事をする人間にとっての「地位」ということの、本当の意味が分かってきます。
なぜ、我々は、マネジャーの「地位」を引き受けるのか。ときに、経営者という「地位」さえ引き受けるのか。それは、「名誉」のためでもなければ、「権力」のためでもありません。
では、何のためか。「成長」のためです。
マネジャーや経営者という「地位」は、職場や会社の仕事の重い責任を背負い、五里霧中のなか、決断し、組織を率いていく立場。
そして、何よりも、部下や社員のかけがえのない人生を預かり、その人間集団の心と格闘しながら、歩んでいく立場。
だからこそ、マネジャーや経営者は、大きく「成長」できる。誰よりも大きく「人間としての成長」を遂げていけるのです。そして、マネジャーや経営者にとっては、それこそが、「最高の報酬」。
我々が、その「地位」を引き受け、その重い荷物を担いで歩み続けることの「最高の報酬」なのです。
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