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第八章性格の病

人格の要素だけでは説明がつかない行動をとる人がいます。何の得にもならないウソをついたり、人間関係を破壊するのが目的かのような人たちは、通常の人格読みだけでは理解する事ができません。彼らの不可解な行動は、身を守る咄嗟の防衛反応のようなものです。その行動は本人にも制御ができません。彼らを理解するキーワードは、性格の病と言われるパーソナリティ障害です。『パーソナリティ』は日本語だと人格の意味ですが、『人格障害』と言うとストレートすぎるために、パーソナリティ障害という言葉が使われます。こんな風に呼び方からして腫物に触るような扱いを受けていることが、パーソナリティ障害がどのようなものかをあらわしています。 8- 1自己愛性パーソナリティ普通に働く人が自己愛性パーソナリティと遭遇する機会は、割と多くあります。偉そう・鼻につく・ネチネチ説教をする・勝手にヒートアップするクレーマー。これら嫌な性格を持ち合わせているのが自己愛性パーソナリティです。彼らは自分が特別な存在だと思う事で、自分の心を守っています。・店員に横柄な人普通に働く人の感覚では、店員に横柄な態度を取る者は程度が低くて、白い目で見られます。そういった感覚を持っていないのが自己愛で、共感性が乏しく、人間性の回路が一つ抜けているかのような考え方をします。彼らは大人になり損ねた人たちで、自分の精神状態を自己完結でコントロールできないため、見下すための他人を必要とします。特権意識によって未熟な自分の心を守っているので、店員に特別扱いを求めます。店員にわがままを聞いてもらえないと幼稚な姿があらわれ、おもちゃを買ってもらえない子供のように憤慨します。・話が回りくどい自己愛の者は話の主旨と外れて自慢や嫌味を織り交ぜるため、話が長くて回りくどくなります。いわゆるネチネチしたしゃべり方です。

隙あらば批判をしようとするので、会話をする相手は気分が悪くなります。自己愛の者は相手が辟易しても気付かないくらい鈍いので、おべんちゃらを言っておけば真に受けます。自己愛の者は自分に自慢するものがなければ、親の職業とか『東京に三代住まないと江戸っ子ではない』とか、そういうもので特権意識を持とうとします。・どんな地位でも自己愛はいる自己愛の者は実力よりも大きな自分を思い描いていて、そのギャップを埋めるために傲慢な態度をとり、他人に特別扱いされることを求めます。客観的に見れば高い地位にいる者でも、本人の理想に達していなければ自己愛らしい振る舞いをします。あるいは何も積み上げたものがない者も、激しい自己愛で自分を守ろうとします。例えば売れないバンドマンで、バイトの態度が不貞腐れている者がいるのも、一種の自己愛と言えます。『自分はこんな所にいるべき人間ではない』という態度を表に出してしまうので、バンドでもバイトでも浮上するキッカケが作れません。・悪気はない自己愛性パーソナリティは他人の気持ちを踏みにじっているわけではなく、自分を守っている感覚なので悪気はありません。セクハラやストーカーなど、他人の気持ちを考えられない犯罪の加害者にも自己愛は多いです。自己愛の者は会社では成果のアピールになりにくい仕事は知らんぷりをして、他の人に押し付けてしまいます。これも汚い事だとは思っておらず、ハチがミツしか取らないように、本能的に自分本位な行動をしているだけです。だから彼らは一時的に評価されたとしても、長期的には悪い評判が定着します。・人前で怒る理由普通に働く人は誰かに注意する時、不要な辱めを与えないよう他の人がいない場所を選ぶのではないでしょうか?しかし自己愛は自分の権威をアピールするために、わざと他の人にも聞こえるよう人前で説教をします。こんな事をしているので周りから人が離れて、敵を増やしていきます。・エリートの自己愛が悪化するシチュエーション自己愛性パーソナリティでも、プライドの拠り所となる肩書があって仕事も上手くいっている時は、満たされているので自己愛は目立ちません。店員やタクシー運転手に対して横柄かなと感じるくらいです。しかし仕事でつまづいて自信が揺らぐと、途端に他人へのコキおろしが激しくなります。

それで人が離れていくと、見下す相手がいなくて抑うつ状態になっていきます。会社で人が離れると、私生活で接している家族へのコキおろしが激しくなります。家族も離れると抑うつ状態が悪化して、本人も不調を感じるようになります。このあたりで自己愛は精神科の世話になる事がありますが、そこでも医師や看護師をターゲットにしてネチネチと攻撃をします。学歴でマウントをとったり、世話をしてくれる看護師を人前で批判したりしますが、あまりにひどいと強制退院させられます。・味方がいなくなっていく自己愛は人を貶(けな)してマウンティングを取る事がやめられないので、だんだんと味方がいなくなっていきます。社会人生活では自分がつまづいた時、それまでに関わった人たちに助けられる事があります。例えば勤めている会社が倒産した時、信頼関係を築いていれば取引先の人にスカウトされたりします。しかし自己愛の人間がコケた時は、誰も手を差し伸べません。そういう時でも自己愛は、周囲の愚民は優秀な自分に嫉妬していると考えて、自分のプライドを守ろうとします。最後まで自分を省みないのが自己愛です。 ・SNSで観察できる自己愛自己愛の SNSアカウントは、大体いつも何かに説教をしています。その主張の壮大さに反して、聴衆が少ない場合が殆どです。ここで少し SNSにおけるフォロー(お気に入り登録)とフォロワー(他人にお気に入り登録される)について考察します。自己愛のアカウントはフォロー数に対して、フォロワー数が少ない傾向があります。 SNSはフォローをすると、お返しで相手もフォローをしてくる場合があるので、それを引くと自己愛の語りを聞きたがる人は少ない事がわかります。これを指摘すると自己愛は恐らく、『ツイッターはフォロワー数を稼ぐものではない』と説教で返すでしょう。実際にフォロワー数を競うものではないし、普通の人が気にする必要もありません。しかし、自己愛が SNSを使う理由は多くの聴衆に自論を聞かせるためなので、フォロワー数は気になっているでしょう。社会に説教をするジャーナリストっぽい仕事をしている者には、一定数の同調者がつくのでフォロワーが多い傾向があります。同調している人の投稿には『政治に喝』とか『経営者が無能』とか書いてある事が多く、大上段から批判する割に年収に不満があったりして、彼らにも自己愛の傾向が見られます。・一般的でない単語を使いたがる自己愛のメッセージは他人に伝わるのを第一にしているのではなく、自分が賢いと思われるためのものです。

そのため漢字でも横文字でも、一般的でない単語を使いたがります。それらを解読して彼らのメッセージを読むと、大したことを言っていません。例えば『頑張らないよりは頑張った方がいい』といった当たり前の事を、難解な単語を使って回りくどく言っているだけだったりします。一行で済むことを五行で言うのが彼らです。・政治を語りたがる自己愛の者は政治や企業などを説教すれば、一足飛びでそれらの人と同格になれると考えます。それに彼らは日本社会で疎外感を感じているので、海外を権威として崇める事が多いです。それらが合わさると海外を引き合いに出して難解な言葉を使い、政治家や企業をバカにする行動に繋がります。・説教すれど、自分ではやらず自己愛は自分で上手くできない事でも、他人に上から説教します。そういう口先ばかりのところを指摘されると、『それはわたしの仕事ではない』などと言って正当化します。自己愛は理不尽な説教が多くて中年になるにつれて煙たがられますが、 SNSでもブロックされがちです。ブロックはいわば門前払いのようなもので、された自己愛は憤慨します。結局、彼らは話を聞いてくれる人がいないと、自分の小ささに耐えられなくなってしまうのです。 8- 2演技性パーソナリティ演技性パーソナリティは人生を舞台にして、ドラマチックな役を演じ続ける人です。彼らは現実の自分を覆い隠す虚構のキャラクターになることで、未熟で弱い心を守ろうとします。そのキャラこそが自分の本当の姿だと思い込むには観客が必要なため、演技性の者はあらゆる方法で人々の注目を集めようとします。観客の同情や羨望によって、演技性の者の中で虚構のキャラクターが本物になっていきます。演技性パーソナリティは人口の 2 ~ 3%くらい存在しています。彼らは部屋に閉じこもっているようなパーソナリティではなく、積極的に人を魅了しようと動き回るので、皆さんが遭遇する可能性が高い人々です。・誘惑をする演技性パーソナリティは、自分の価値を確認するために異性を口説き落とす事に熱心で、心を揺さぶるポイントを心得ています。例えば女の演技性パーソナリティは男性に対し、酒に酔って隙を見せたりボディータッチを上手にします。

さらに男性の地位・能力を誉めて、何らかのお願いごとをして庇護欲(女の力になりたい欲)を満たします。男が演技性パーソナリティの場合は、金持ちや高い地位を演じる事が多いです。服装やハッタリなどの演技力で、本物の金持ちより金持ちっぽく見せる事ができます。彼らは観客が期待する姿を心得ていて、その役になりきれます。演技性パーソナリティの中でも才能があるものは俳優になり、名優と呼ばれるまでになった者もいます。彼らは異性関係に大らかだった時代は多くと交際したり、結婚・離婚を繰り返しました。演技性パーソナリティは、ホストやホステスにも向いています。口説き落とすことが上手でも彼らの結婚が長続きしないのは、一人の観客では満足しないためです。演技性パーソナリティは多くの人に注目をされ、賞賛されなければ意味がないのです。・印象づくりが上手い彼らは条件反射的に感情を表現します。演技性の者は相手のしゃべりに対し、その内容に合わせて惜しげもなく感情を表現して返すので、相手は会話が弾んでいるような印象を受けます。逆に彼らがしゃべる内容は雰囲気だけで、よくよく内容を考察すると薄くて結論を避けるような話をしています。彼らは C P(断定)が低いので、仕事でも責任を取らされるような断言を避ける傾向があります。しかし雰囲気作りが上手なので、対面ではアラが目立ちません。・友達が多そうに見える演技性本人は『友達が・・』で話はじめる事が多いので友達が多そうな印象を受けますが、相手はただの顔見知り程度にしか思っていなかったりします。演技性にとっては友達さえ小道具の一つで、虎の威を借るキツネのように友達(顔見知り)の名前を出したり、一緒に写った写真を使います。・暗示にかかりやすい演技性は騙す側ですが、自らも暗示にかかりやすいという性質があります。自分について盛って話しているうちに、自身でもそれが本当の自分だと思い込んでしまいます。被暗示性の高さは言い換えれば憑依(憑りつかれる)体質です。周囲の人や環境からの影響も受けやすく、何かの社会問題で注目されている人がいたら自分もその人と同じだと思い込みます。悲劇の主人公や何かの活動家など、演技性の者はその時々で注目を浴びるタイプになりきります。何かの運動をしても無意識的に自分が注目を浴びる事を目的にしているので、そういう人間が集まった運動はいつも仲たがいしていきます。

・身の丈に合わない生き方をする普通の人は地道な努力によって、身の丈(地位・収入)を大きくしようとします。しかし演技性パーソナリティは身の丈以上の生き方をし、そのツケの支払いを他人に回します。ツケを回された人は地位か財産を損ない、演技性の者は願望を叶えます。しかし彼らは中身が伴っていないため、普通の社会人には活動が評価されずにフェードアウトしていきます。・震災時に現れたニセ医者東日本大震災の時に、被災地でニセ医者として診療活動をした 40代の男がいました。この男はでたらめな医師免許を持ち、海外で医療に従事していたというウソの経歴で自治体を騙して活動を始めます。被災地に来る前はカナダの病院に所属していて、そこからルワンダの医療支援に参加をしたという経歴にしていました。そして休暇に戻った日本で、震災に遭遇したという劇的なストーリーです。海外を織り交ぜると経歴の追跡がゆるむため、演技性の者が話すエピソードにはチラホラ海外が出てきます。彼の話に大手新聞社やテレビ局が騙されて紹介し、これがウソにハクをつける事となりました。『まさか震災のこんな時に騙すはずがない』と思うのは社会性のある一般人だけです。演技性の者は社会より、主役である自分を何より大事にします。演技性パーソナリティの者は観客の欲するものが救いなら、救世主の役になりきります。しかしこのニセ医者の医療行為はデタラメで、赤チンを塗るだけとか患者を前に症状をネット検索したり、対処法がわからなかったら救急車を呼んで丸投げしてしまうなどでした。冗談のような活動内容ですが、中には命の危険につながりかねない処置もあったので笑えません。男は医者の肩書で女性から金を借り、さらに別の女性とも交際していました。異性の獲得に熱心な、演技性のテンプレート通りです。診療活動で助成金を受け取るなど金銭的なメリットはありましたが、それよりも医者を演じる事が快感だったのでしょう。彼はニセ医者の疑惑が高まり追求されると、医師免許を持っていない事を認めた上で気持ちよさそうにテレビカメラの前で「困っている人が目の前にいて、見捨てられますか?」と言っています。彼は逮捕をされると『善意の気持ちから引けなくなった』と言っていますが、その前はパイロットと名乗って女性から金を騙しとった罪で服役していた過去が出てきました。このように演技性パーソナリティは、架空の人物になりきって人生の歩みを進めています。・婚活サイト連続殺人事件

婚活サイトで男性を見つけては自殺に見せかけて殺害し、金品を手に入れていた 30代の女がいました。彼女は万人受けする容姿ではありませんでしたが、それを補う演技力で魅力的な女性を演じました。ブログで料理上手をアピールして、さらに上品な言葉遣いとパーティーへの参加など、上流階級のお嬢様感を演出しています。彼女のブログでは愛車のベンツを『スリーポインテッド・スターのエンブレムがついている車』と言っています。こういうのが演技性特有の、回りくどくて自慢たらしい言い方です。ベンツと伝わらないと困るので車内の写真を掲載して、ハンドルのエンブレムをしっかり見せてベンツである事をアピールしています。美容室で髪をセットした写真をアップした時には、美容師の名前に先生をつけて紹介し、先生を指名する自分にハクをつけています。彼女はお嬢様に見せながらも婚活においては、男女の肉体関係について『お互いの気持ちが合えば長い交際を必要としない考え』と、フランクな考えを表明していて男性に期待を持たせます。彼女は結婚したがる中年男性が求める、上品で料理上手でセックスさせてくれそうな女性という理想を演じています。このあたりは演技性パーソナリティが観客の要望を察知し、それを表現する能力に優れているところからきています。彼女は精神的な接触だけでなく身体的な接触の仕方も上手で、彼女と接触した男性は魅了されています。たとえ肉体関係がなくても相手を魅了できる彼女は優れているように見えますが、結局は刑務所に入る末路を迎えてしまいました。犯罪者レベルまでいかないまでも、演技性の者はあちこちで虚飾を混ぜながら人に近づきます。 ・SNSの中の演技性パーソナリティネットにより個人が発信できるようになって、演技性パーソナリティが観客を獲得する機会は飛躍的に増えました。その中でも虚構の自分をアップしやすい SNSは、演技性パーソナリティにはピッタリのツールです。指先をポチポチ動かしてキラキラした生活や悲劇の主人公として投稿すると、それを見た SNSユーザーが観客となって、羨望や同情の反応を返してくれます。投稿した時は本人さえ少し盛った内容かもしれないと思っていても、観客の反応によってキャラクターに現実味が生まれ、本人も信じ込みます。・のめり込む観客演技性パーソナリティの SNSに魅入られる観客は、少なからず演技性の者に似た憑依体質をしています。

そういう観客は色々な事があまりうまくいっていなくて、素の自分を認めるのが怖いと思っている人が多く見られます。彼らは演技性の者が SNSに投稿する高級車やホテルの画像を見ると、自分も同じ事が出来そうな気になってきてます。教祖と信者のような関係性ができますが、 SNSには監視の目も多いため、演技性のウソは数ヶ月 ~数年でバレてしまいます。それまでは演技性パーソナリティの者とその取り巻きは、一種の集団ヒステリーのように虚構の世界観を支えあいます。信者たちは大人の世界で上手くいかず、社会がひっくり返れば生きやすくなると思っているので、演技性の非常識な話を進んで信じようとします。それを国のレベルでやった東南アジアのある国は、子供を兵士や看守にして、知識を持っている大人を抹殺していきました。眼鏡をかけているだけで知識層とされて、国民の 4分の 1以上が処刑されたので医者も子供がやるようになり、国の機能が止まってしまいました。このように演技性の者や観客になる者は、ヒステリックな考えに陥りやすいです。・演技性と自己愛の違い SNSで注目を集めるという点で演技性と自己愛性は似ていますが、決定的な違いがあります。それは自己愛性が権威性のある人物になりたがるのに対し、演技性の者は注目を浴びるためなら役柄を選ばないという事です。プライドの高い自己愛が選ばない可哀そうなキャラクターでも、演技性の者は選びます。・素顔を暴く人を許さない演技性パーソナリティは弱い素の自分を隠すために、偽りの仮面をかぶっています。この仮面を好ましく思わないのは、実力で人生の階段を上ってきた CP(向上心・誠実)が高い人です。普通の会社で働く人は、ある程度の CPを備えている事が多いです。だから演技性の者を糾弾して仮面をはがそうとしますが、素顔が晒されることは生きていけないくらいの恐怖なので、演技性の者は必死に抵抗します。仮面を剥ごうとする人物がいかに非道な人物か、演技性の者は泣いたり怒りに身を震わせたり、表現力豊かに社会に訴えます。演技に魅了されやすい層がそれに反応し、一緒になって仮面を剥ぐ人を糾弾します。・真実がウソに負ける事もあるモンスターペアレントに虚偽の内容で訴えられ、懲戒処分を受けた教師がいました。教師を糾弾する弁護団が結成され、教師は実名で全国に報道されて殺人教師のレッテルを貼られ、懲戒処分を受けました。この時も演技性のウソを信じて騒ぎ立てる観客が、騒動を大きくしました。後に虚偽の告発だとわかると教師への処分は撤回されましたが、深い心の傷は残ったでしょう。一時的でも真実がウソに負ける事はあります。特に捨て身でウソをつく演技性パーソナリティに、守るものがある一般人が一人で戦うのは分が悪いです。・一般人が身を守る方法

そういう観客は色々な事があまりうまくいっていなくて、素の自分を認めるのが怖いと思っている人が多く見られます。彼らは演技性の者が SNSに投稿する高級車やホテルの画像を見ると、自分も同じ事が出来そうな気になってきてます。教祖と信者のような関係性ができますが、 SNSには監視の目も多いため、演技性のウソは数ヶ月 ~数年でバレてしまいます。それまでは演技性パーソナリティの者とその取り巻きは、一種の集団ヒステリーのように虚構の世界観を支えあいます。信者たちは大人の世界で上手くいかず、社会がひっくり返れば生きやすくなると思っているので、演技性の非常識な話を進んで信じようとします。それを国のレベルでやった東南アジアのある国は、子供を兵士や看守にして、知識を持っている大人を抹殺していきました。眼鏡をかけているだけで知識層とされて、国民の 4分の 1以上が処刑されたので医者も子供がやるようになり、国の機能が止まってしまいました。このように演技性の者や観客になる者は、ヒステリックな考えに陥りやすいです。・演技性と自己愛の違い SNSで注目を集めるという点で演技性と自己愛性は似ていますが、決定的な違いがあります。それは自己愛性が権威性のある人物になりたがるのに対し、演技性の者は注目を浴びるためなら役柄を選ばないという事です。プライドの高い自己愛が選ばない可哀そうなキャラクターでも、演技性の者は選びます。・素顔を暴く人を許さない演技性パーソナリティは弱い素の自分を隠すために、偽りの仮面をかぶっています。この仮面を好ましく思わないのは、実力で人生の階段を上ってきた CP(向上心・誠実)が高い人です。普通の会社で働く人は、ある程度の CPを備えている事が多いです。だから演技性の者を糾弾して仮面をはがそうとしますが、素顔が晒されることは生きていけないくらいの恐怖なので、演技性の者は必死に抵抗します。仮面を剥ごうとする人物がいかに非道な人物か、演技性の者は泣いたり怒りに身を震わせたり、表現力豊かに社会に訴えます。演技に魅了されやすい層がそれに反応し、一緒になって仮面を剥ぐ人を糾弾します。・真実がウソに負ける事もあるモンスターペアレントに虚偽の内容で訴えられ、懲戒処分を受けた教師がいました。教師を糾弾する弁護団が結成され、教師は実名で全国に報道されて殺人教師のレッテルを貼られ、懲戒処分を受けました。この時も演技性のウソを信じて騒ぎ立てる観客が、騒動を大きくしました。後に虚偽の告発だとわかると教師への処分は撤回されましたが、深い心の傷は残ったでしょう。一時的でも真実がウソに負ける事はあります。特に捨て身でウソをつく演技性パーソナリティに、守るものがある一般人が一人で戦うのは分が悪いです。・一般人が身を守る方法

演技性パーソナリティの者につるし上げられた場合、一般人は彼らと同じ舞台に上がると分が悪いです。一般人は彼らの作る奇妙な世界観に引きずりこまれることなく、現実世界に踏みとどまることで身を守る事ができます。他の動物よりも力が弱かった人間は、社会性でつながる事によって互いの身を守ってきました。演技性パーソナリティ同士はどちらも主役になりたがるため、一時は共闘しても仲たがいしていきます。演技性を取り巻く者は声が大きくて、彼らと対峙すると一時的に気圧されるものの彼らは視野が狭くて間違いばかり選択をするので、やがてトーンダウンしていきます。彼らは負の感情が行動原理のため、否定・糾弾ばかりで建設的な思考ができません。そういうおかしな部分が露呈してくるので、ちゃんとした社会人はターゲットにされた側の人を支持します。・最近は海外を巻き込む事が多い SNSの発達は演技性の者にアピールの場を与えたと同時に、彼らの発言を検証する目も増えました。そこで最近の演技性パーソナリティの者は、海外メディアを利用するケースが増えました。日本人同士なら違和感となる部分でも、文化的背景が異なる海外メディアに話を持ち掛ければアラが目立ちません。海外メディアが日本の闇として発信するのを後ろ盾にして、演技性の者はウソを真実に変えてしまいます。後に日本国内で真実が暴かれたとしても、海外には日本の闇の印象しか残りません。 8- 3境界性パーソナリティ境界性パーソナリティは身近な人に対して些細なことで感情を爆発させたり、ひどい時は手首を切ったりするという特徴があります。彼らがそういう過激な行動を取るのは、人に見捨てられる事を恐れる気持ちからです。ならば最初から他人と距離を置けばよいのですが、彼らは寂しさに耐えられず誰かと付き合ってしまい、それゆえに見捨てられる恐怖が生まれます。不安が爆発するのは同棲している相手が出勤するとか、会話の中で反対意見を言われただけなど些細な出来事です。彼らは不安定な時は悪魔が取り憑いているかのように暴れますが、安定している時はパートナーと甘いひと時を過ごせます。この感情の波に翻弄されて、パートナーは共依存(互いに必要)の関係に陥ってしまいます。・最初は普通に見える職場で境界性パーソナリティの人と遭遇しても、おかしなところは無いように見えます。彼らは親しくなると見捨てられ不安を起こすため、職場で事務的な付き合いをしてる分には普通の人と変わりません。少し会話をするようになった時に、彼らは相手が依存しやすいか試す事をします。例えば関係値があまり深くないのに、過去の悲惨な境遇を打ち明けたりします。そのリアクションによって依存に適した相手かどうかを判別します。

さながら超音波を発してエサを探すコウモリのように、境界性パーソナリティには面倒見が良い人を感知する能力があります。・可哀そうな話に反応する人彼らの重たい話に涙をうるませたり、ショックを受けるような NP(共感性)・ A C(協調性)の高い人が執着をされます。境界性パーソナリティはそういう優しい人を見つけると、同性なら『出会った中で一番良い人』、異性なら『理想の人』『運命の人』などと持てはやします。これは芝居ではなく、迷子の子供のように不安を抱えた彼らには、面倒見の良い人の事が本当に救いの神に感じます。境界性パーソナリティは女性の方が多く、男性は女性に頼られると承認欲求が満たされるため、男性と境界性の女性の組み合わせは簡単に交際に発展します。・関係が進むと見捨てられ不安が起こる交際するなどで関係性ができると、境界性パーソナリティは見捨てられる事を恐れるようになります。愛情を確かめようとする事が増え、例えば待ち合わせに毎回遅刻をしたりします。彼らは全てを許してくれる相手を求めているので、相手が少しでも注意してくると見捨てられる兆候だと思って怒りくるいます。この段階で相手が別れないのは、境界性の者から悲惨な過去の話を聞かされていて、逃げ出したら罪悪感を抱くよう良心を人質に取られているからです。・エスカレートする行為境界性パーソナリティは相手を確かめる、『試し行動』をエスカレートさせていきます。彼らは相手がワガママを許容してくれると、次はもっと厄介なワガママを言い出します。これは相手が嫌な顔をするまで続きます。そして相手が『いい加減にしてほしい』と言うと見捨てられ不安が爆発して、激しく暴れたり手首を切ったりします。相手が大事にしている物を壊したり住居を破壊するため、金銭的な被害も発生します。ワガママで厄介ですが機嫌良い時には天使のようになるため、相手はそれが本当の姿だと期待して関係を長引かせてしまいます。・怒るけど離れない境界性パーソナリティは相手を罵りながらも、自分から離れようとはしません。もし離れるとしたら相手が廃人のようになって、自分を保護してくれる役割が期待できなくなった時か、より理想的な相手が見つかった場合です。それ以外は別れる事を許してくれません。第七章の『事件の人間学』で解説した、角田美代子の行動に重なります。・優しい人ほど疲弊する優しい人ほど境界性パーソナリティのことを背負いこみ、面倒を見るのが自分の使命だと思ってしまいます。そういう人は境界性パーソナリティの者が経済的に困っていたら生活を支え、結婚まで進む場合もあります。

しかし、どんなに面倒をみても境界性パーソナリティは愛情に関して『底がぬけたバケツ』と称されるほど、満たされることがありません。結局、優しい人が押しつぶされるまで要求をエスカレートさせ続けてしまいます。・相手の人間関係を断ち切る境界性パーソナリティは相手の人間関係を断ち切って、自分にだけ注意を向けさせようとします。相手の友人や家族関係は元より、会社さえも切り離そうとします。彼らは自分が無職で相手の経済力に依存をしていたとしても、相手を会社から切り離そうとします。一緒に住んでいなかったとしても、夜中に長時間の説教をして眠らせないで衰弱させたり、同居していたら出がけにケンカを仕掛けたり、手首を切ったりして出勤を阻止します。手首を切るまで苛烈な行動をしないとしても、境界性パーソナリティはパートナーを孤立化させる傾向が強いです。・ある女の例ある男性がネットで離婚歴のある女と知り合い、遠距離交際の後に結婚しました。女は当初穏やかで、『前夫にひどい暴力を振るわれた』という話に同情したのもあって、男性は結婚に踏み切りました。そして女は男性が住んでいた家を解約させて、自分の家に転居させる形で同居が始まると、頻繁に騒ぎを起こすようになりました。例えば女が作った料理に男性が調味料を加えただけで、チンピラのような暴言と暴力に発展します。そういうキッカケがない時でも女は何の脈略もなく男性に絡み、反論でもあろうものなら騒動に発展しました。男性が反論せず我慢しても、その我慢した顔に腹を立てて女は爆発します。これは境界性パーソナリティのテンプレート的な行動で、自分がひどい事をしても相手に見捨てられないかを試す行為です。女のワガママに逆らうと何倍もの仕返しがかえってくるため、男性はひたすら我慢をしますが、疲弊していって精神が参ってしまいます。石橋を叩いて渡るということわざがありますが、境界性の者は石橋が壊れるまで叩いてしまいます。女は家庭内で騒ぎを起こすのと並行して、男性を会社や実家から引き離し孤立するよう仕向けます。外出先でも騒ぎを起こす時は周囲の人に聞かせるように、男性のことを糾弾します。街中で事情を知らない第三者から見た場合、男性が何か悪い事をしたように映ります。境界性の者はそういったネガティブな印象操作に長けています。

女の感情が爆発して暴力を振るうのを男性が防御したり、取り押さえるとそれを DVとして告発します。境界性パーソナリティは自分が危害を加える側だったとしても、他の人に説明する時は真逆にして、自分が被害者だとアピールをします。しかし、この女のケースでは一度目の結婚で同じような事をしていたので、周囲の人には女が問題を起こしている事がわかっていました。そして男性は様々なものを失いながらも致命的な事態は免れ、離婚をしてほうほうのていで女から逃げました。離婚して数か月で彼女は再びネットで交際相手を見つけ、前夫に DVを振るわれたと言って同情を誘い、また結婚しました。その後の事は、前夫の時と同じです。彼女にとってもこんな事は幸せにつながりませんが、それでもやめられません。・対策は早期に逃げること境界性パーソナリティ障害の者は、知り合ってすぐとは思えないほど距離をつめてきます。以前のパートナーの暴力・金銭・過去の犯罪被害など、すぐに重い話をしてきます。これらの話をされたらあなたが彼らにとって、ターゲットの候補になっている事を意味しています。ターゲットの候補の段階でも、あなたが関係をフェードアウトさせようとしたら、彼らは周囲の人にある事・ない事を言うかもしれません。彼らと離れる時に社会的信用が損なわれるかもしれませんが、より関係が深まってから距離を置こうとすると、財産や仕事を失うリスクが高まります。親密になった後で逃げようとすると彼らは刺し違える覚悟で追いかけてくるので、肉を切らせて骨を断つ、くらいの感覚ですぐに逃げ出した方が安全です。・矛盾点で早期に見抜くあいさつ程度の関係になってすぐに、あなたに親しげに話をしてくる人がいたとします。この一点だけを見ると相手はフレンドリーで、好ましい人物のように映るでしょう。しかし、それほど社交性があって積極的なのに、相手に親しい人がいなければ矛盾しています。境界性パーソナリティは、あるコミュニティで人間関係を壊しては別のコミュニティに乗り換える性質があるので、人間関係が希薄です。こういった矛盾点を見ることで、早い段階で彼らに気付くことができます。乗り換えた場所では恐らく前に居たコミュニティの悪口や、自分が被害者になった話をすることでしょう。 8- 4反社会性パーソナリティ反社会性パーソナリティは、他人から尊厳や金銭を奪うことで幸福を感じるパーソナリティです。社会性と真逆の、悪魔のような性格をしています。皆さんの中にもわずかながら、相手を負かすことで喜びを感じる部分があるかと思います。例えばトランプのババ抜きをした時、相手にババ(ジョーカー)を引かせたら罪悪感より

「よしっ!」という気持ちにならないでしょうか?無論、遊びだからこそ相手にババを引かせても気楽に喜ぶことができます。しかし、そんなババ抜きのルールを現実の世界で実践しているのが、反社会性パーソナリティです。反社会性パーソナリティは誰かを不幸にすることが、自分の幸福感につながるのです。・男性に多い反社会性パーソナリティは、男性が女性の三倍の割合を占めています。彼らは他人を騙す割りに、自分がコケにされたと思ったら憤怒して暴力を振るいます。人間としてやってはならない事の基準がないので、殺人や性犯罪を起こしやすいです。反社会性パーソナリティは人口の 1 ~ 3%くらいで、かつ服役したり普通の会社には入社できにくいので、遭遇率は低いかもしれません。しかし、山の中で稀に熊と出くわす事があるように、出会ったらひどい目に合う可能性は高いです。・ルールを破るのが気持ちいい反社会性パーソナリティは、ネコが障子を破くように娯楽としてルールを破ります。法律はもちろん、社会の不文律のルールなども無視します。名刺代わりにウソをつくので、名乗った名前さえ偽名の可能性があります。彼らは『騙された方が悪い』と、心の底から思っています。・信頼関係を築けない彼らは信頼感という絆が存在しない世界に生きてます。彼らは情をかけてくれる相手を、都合の良い存在だと解釈します。騙しても許してくれる優しい人がいたら、もう一度騙すだけです。社会性で相互に協力しながら発展してきた人間という種の中で、まったく反対の事をするので反社会性パーソナリティと呼ばれます。・座間 9人殺害事件座間で二十代の男が、 SNSで精神が弱っている人を呼び寄せて、のべ 9人を殺害して金品を奪う事件がありました。これも弱っていて自分を頼ってきた相手を殺害する、普通の人とは逆さまの反社会の世界観です。犯人の家庭環境は一般的で、親と家庭環境を見ただけでは想像もつかない残虐性です。・交際女性さえ利用する

反社会性パーソナリティにとって自分以外の人は道具のため、普通なら情がわきそうな相手でも利用します。例えば反社会的勢力と言われるヤクザですが、交際女性を水商売や風俗で働かせる事に抵抗がありません。女性が稼いできたお金で、また別の女性をひっかけに行くことも平気でやります。ヤクザ =反社会性パーソナリティというわけではないですが、その行動様式は反社会のため、例としてあげました。 ・SNSも犯罪ツール割り箸さえ凶器に変える反社会性の人間にとって、 SNSを犯罪ツールにすることは簡単です。自分を偽る道具に SNSを使うところは他の性格の病と同様ですが、反社会性パーソナリティに騙された方が被害は大きいです。あるいは反社会性の者は、 SNSを威嚇のツールに使用する場合もあります。タトゥーや格闘技や、悪そうな友達を SNSにアップして、周囲にヤバい奴だと思わせようとします。反社会性パーソナリティは周囲を威嚇した方が自分の要求が通りやすい、という認識で生きています。 8- 5回避性パーソナリティ今まで紹介したパーソナリティは、弱い自分を守るために他人を必要とするものでした。それとは逆に回避性パーソナリティは目立たず、他人との関係を避ける選択をします。引きこもりになりやすく、ならなかったとしても積極的に他人と関わろうとしません。彼らは普通の人々にとって脅威になりにくいパーソナリティですが、本書で紹介する理由は、読者の中に自覚のない回避性パーソナリティの方がいるかもしれないからです。回避性パーソナリティは対人関係で傷つきたくないため、人を見抜く方法に興味を持ちやすいです。もし挑戦する前に心が折れたり人との接触を避けたがる方は、回避性パーソナリティの可能性があります。・自信が持てないと人付き合いができない回避性の人は自分が他人の役に立っていないと感じたり、好かれていると実感できないと人間関係を避けたくなります。人間関係を築いた後でも嫌われる事を恐れ、遠慮ばかりするので気疲れして、それもまた人を避ける要因になります。・やる前から失敗を恐れる彼らは失敗して傷つくことを恐れる気持ちが強いので、最初から挑戦しようとしません。自分は能力が低いと思っていて、失敗によってそれが他の人にバレる事を恐れます。失敗した時にショックを受けないよう、やる前から最悪の事を考えますが、そうして悪い事を頭に浮かべる内に疲弊して行動が消極的になります。・社会は苦痛に満ちている

回避性パーソナリティの人は社会で楽しみを感じるより、対人的なストレスを大きく感じてしまいます。大勢の人と一緒にいて、楽しい事が 9あっても嫌な事が 1あったら嫌な思いが勝ってしまい、部屋でじっとしていた方がマシだとなります。普通の人が旅行でストレスを解消するように、回避性は部屋で穏やかに過ごすことで精神が回復します。・自分から人間関係を広げない回避性の人は傷つくのが怖いので、自分から交友関係を広げようとしません。空気が読めないから人付き合いができないのではなく、気を使いすぎるからコミュニケーションが疲れるのです。回避性パーソナリティの人は会話をした後に、相手に嫌悪感を持たれたのではないかと不安に思い、一人で反省をします。・引きこもりになりやすい会社で失敗したら職場の全員に蔑まれていると感じて、一回の失敗で引きこもったりします。普通の人なら大した失敗でなくても、回避性の人は失敗を他人に知られるとダメな自分が見つかったような気になります。結果、安全な隠れ場所である部屋に引きこもります。・恋愛・結婚さえ回避動物の本能である繁殖さえ、回避性パーソナリティは逃げ出したくなります。恋愛では好きな人に嫌われるのを恐れるあまり避けたり、相手が好意を返してくれたら気持ちが冷めてしまったりします。動物的な本能でパートナーを作らなければという思いはあるので、大して好きではない相手と付き合ってしまいます。しかし結婚には憧れよりも不安を感じます。交際が進んで結婚を互いに意識する頃になると、結婚後の逃げ場のなくなる環境を想像して恐れ、フイに関係を解消してしまいます。 8- 6 SNSの病カタカナ語になってしまいますが、『ルサンチマン』という言葉を紹介します。この言葉は身分制度が残っていた時代に生まれ、低い身分の者が強者に抱く恨みを意味します。この言葉は時代と共に再定義されてきましたが、身分制度が薄らいだ現代でも形を変えて残っています。身分制度というわかりやすい恨みの対象を失った分、ルサンチマンの矛先は至るところに向かうようになりました。 SNSでは時に人を悩ませ死に至らしめる、怨霊となってあらわれます。・垣根のないネットの世界誰にでも不遇な時はあるものですが、この時に臥薪嘗胆して成功する人もいれば、他人への妬みで自分を慰める者もいます。

彼らのように浮上することを諦めてルサンチマンを抱えて生きる者は、誰かを攻撃して自分と同じ位置に引きずり降ろそうとします。リアルな社会では彼らと隣り合うのは電車くらいなものですが、 SNSの世界には境界線がないため、同じ空間に魔界の住人かと思うような者がいたりします。ルサンチマンは経済的なことばかりでなく、対人関係がいつも上手くいかないなどの理由でも抱くようになります。現実社会で誰にも話を聞いてもらえなくなった者は、その熱量を全てネットにぶつけます。誰もが平等に参加できる SNSは、とんでもない怪物が潜むパンドラの箱でもあるのです。 ・SNSは現代の呪術かつて都が長岡京から平安京に遷都されたのは、呪いが大きな理由だったとされています。当時の人々はそれほど呪いや祟りを現実的に捉え、本気で呪いをかける人も存在していました。現代の呪術は SNSを使って、相手が思い悩んで死ぬことを考えるほど呪いの言葉を浴びせ続けます。ただ、呪いの言葉を浴びせる本人もその言葉を目にしているので、昔の呪いと同じように自身にも返ってきてしまいます。だから本人も不幸になっていきます。・アニメアイコン SNSのアカウントには名前の他に、アイコンという画像を自分で選択できます。このアイコンにどんな画像を使うのかに、本人の個性の一端が伺えます。『アニメアイコンの人は攻撃的』と言われたりしますが、これは正確ではありません。選択の結果だけを見て人格を決めつけるのは、『団地住まいの人はダメ』という偏見と変わりません。単に好きなアニメをアイコンにしていたり、同じ趣味の人とつながるためにアニメを使っている人もいます。アニメ好きと攻撃的な人は、切り分けて考えなければなりません。ただ、多くの人からメッセージを受ける有名人が、『攻撃的なのはアニメアイコンばかり』と言うことからもわかる通り、沢山のアカウントを見ると一定の相関性は浮かび上がってきます。今までの人を見抜く方法と同様に、アニメアイコンを選ぶに至る『理由』に注目をします。現実の対人関係で空気が読めなかったり、無自覚に暴言を吐いてしまう人は反発を受けたりして、人間関係が上手くいきません。そういう人にとって非日常のアニメの世界は否定されることがないため、現実より居心地が良い世界です。無自覚に攻撃的で現実世界を追われた人が、現実を思い出す写真ではなくアニメのアイコンを選ぶ傾向があるので『アニメアイコンの人は攻撃的』という印象が広がりました。

つまりアニメアイコンを選ぶのは『アニメが好き』という人と、『現実世界が憎い』という理由の人に分かれます。この内、攻撃的なのは現実世界が憎くてアニメアイコンを選んだ人なので、単なるアニメ好きの人とは分けて考える必要があります。ちなみに猫のアイコンを選ぶ中にも人間関係が苦手で猫に執着して、人には攻撃的な者が見られるため、アニメ特有の問題というわけではありません。・投資をやっているアニメばかりがヤリ玉にあげられやすいですが、 SNSで攻撃的な人物の中には投資をやっている者も見られます。投資をしているのであれば A(論理・計算高い)と判断しがちですが、投資をしようと思った理由の方に、より強く人格があらわれます。攻撃的な人物のプロフィールや投稿を見る限り原資が乏しく、一発逆転を狙っているようなことが伺えます。原資が乏しいのは本業の仕事で稼げていないためで、それゆえにルサンチマンを抱いて攻撃的になります。百万人に一人は原資が乏しくても勝てるかも知れませんが、仕事で稼ぐ能力が上がって原資を作れるくらいにならないと、投資で勝ち続けるのは難しいです。仕事では稼げないけど投資なら稼げると考えるのは、論理が飛躍しています。これは逆境にある時、人がオカルトを信じやすくなるのに似た状態です。何か目に見えない力で自分の人生が妨害されているように感じ、その現状の打破もオカルトで考えるため、自分だけは投資で儲けられると思い込みます。しかし、実際は今までの人生と同じく失敗をしてしまい、怒りがわいてきます。その怒りを失敗した自分ではなく、 SNSで目についた誰かにぶつけるので攻撃的なのです。 ・SNSで見ず知らずの人を恨む理由 SNSは他人との接点が増える道具ですが、そんな薄い関係性の相手にひどく恨みの念を抱く人がいます。そういった恨みがましい人は現実の人間関係でも不和が生じやすい人格で、関係が上手くいかないことに常にイラ立っています。そんな中で SNSで前向きな発言をする人を見ると、上手くいっていない自分が『恥をかかされた気持ち』になり、恨みを抱きます。前向きな発言の人は気づいていませんが、それを自分への恥辱と受け取る者もいるのです。 ・SNSで説教をする病い SNSでは道徳的優位に立って、罵倒のような説教をする人がいます。 SNSでの説教に無意味なものが多いのは、人生が上手くいっていない人ほど他人に説教をしたがるからです。自分の事でさえ選択ミスの多い人が、他人が間違っているのかを判別するのはもっと難しいことです。それでも彼らが見ず知らずの人に説教をするのは、常に自分が社会全体から否定されているように感じているからです。彼らは現実世界で周囲に評価されず、注意を受けることもしばしばで不満が募っています。

本人は真面目にやっているつもりでも、多くの人が言われなくてもわかっている事を理解しておらず、非常識ととられる態度や言動をとってしまっています。本人からすると周囲の人が常に注意してくるので、自分の存在が間違いのように感じてきます。評価が上がらず収入も増えないことで、ますます自尊心が傷つけられていきます。否定され続ける彼らの人生の中で、 SNSで他人に説教する時だけが自分を肯定できる救いになっています。 ・SNSで政府や企業を罵倒する理由彼らが罵倒をする相手は一般人だけでなく、政府や企業に対しても行われます。正当な批判は発展を促す意味のあるものですが、 SNSで罵倒をする病いの人は、恨みが根底にあります。例えば自分が生きづらいのは社会の枠組みを作っている政府が悪いと考えて、呪いの言葉を浴びせ続けます。企業に対しては、自分が人並の給料をもらえないのは、会社に搾取をされているからだと考えます。彼らは自分に関わるもの全てに恨みを抱きます。この習慣の怖いところは他者の悪いところを探し続ける内に、何でも悪い部分にしか意識が向かなくなることです。そのため自分の人生に訪れる良い選択肢が目に入らなくなり、悪い方しか選べなくなります。昔から言われている、『人を呪わば穴二つ』(人を呪ったら相手だけでなく、自分の墓穴も必要になる)という言葉の通りになってしまいます。・批判と誹謗中傷の違い批判は C P(厳格な父性・自他に厳しい)の要素が高い人に多く見られる行動様式です。 CPが高ければ堅い職業に就いていたり、管理職のポジションに就きやすいです。一方で誹謗中傷は子供の人格要素が高い人がするもので、内容は幼稚です。不満が口をついて出やすい F C(自由な子供性)が誹謗中傷するのは当然ですが、 A C(場に合わせる子供)もひねくれると誹謗中傷をします。子供の気質で生きる彼らは地に足がついておらず、職業が定まりにくいです。・クソリプ(暴言コメント)への対処方法クソリプというのは SNSで誰かの投稿に対し、暴言のコメントを残す行為です。クソリプを発信する者は、読んだ側がつい「違う、そうじゃない」と反論したくなる事を書き込みます。

これは彼らが普段から、人の神経を逆なでしてしまう性質があるからです。それゆえに居場所が限られていき、発言できる場所が SNSくらいしかなくなります。 SNSを観察すると通り魔のようにクソリプをする者に対して、反論している人がいます。しかしクソリプをする者は、自分のクサクサした気持ちを他人にも抱かせるためにやっているので、怒って反論したら喜ばせるだけです。彼らは元々、実社会で話がかみ合わないから SNSの世界にいるので、反論しても内容は伝わりません。対処法はクソリプを読んでも異世界の言葉と思って受け流し、即ブロックをして彼らとの接点をなくすことです。もしあなたがクソリプを経験したければ SNSのアカウントを作成し、適当なニュースにポジティブな感想を書き込んでみてください。ほどなくしてクソリプを体験する事ができるでしょう。・知識を蓄えるだけでアウトプットができない人社会人の勉強がアウトプットを前提にしたものであるのは、忙しい中で本書を読んでいる皆さんならご存じだと思います。しかし知識を蓄えるだけでアウトプットが上手くない人は、まるで宿便のように行き場のない知識が溜まっていくだけです。知識の活用が苦手なのは思考に柔軟さがないからで、そのことは仕事の不器用さにもあらわれます。そういった不満も相まって彼らの知識の使い道は、他人に議論をふっかけて用語によるマウントを取ることに限られます。・暴言を吐く割にブロックされると憤怒する理由一日中 SNSで誰かに噛みついている人は、誰かに怒りをぶつけて自分が正しいと思いたがる、自己不全感の強い人です。例え相手に反論されても『図星だから怒っているのだ』と解釈して、自分は正しい存在だと感じる事ができます。しかし、にべもなくブロックされてしまうと自分を否定された事しか残らず、不全感に覆われます。彼らは他人を嫌っているようで、他人がいなければ自分が壊れてしまうため、ブロックされて関係を断ち切られると憤怒します。・レビューの病い相手の発言の一部分だけを抜き出して糾弾するキャンセルカルチャーは、 SNSだけでなく書籍のレビューでも見られます。キャンセルカルチャーというのは商品の注文を取り消すという意味ではなく、大勢の前で相手を全否定することです。その手法は相手の主張の一部分だけを抜き出し、そこにもっともらしい異説を引っ張ってきて間違っていると糾弾し、全体を否定する方法です。通常の批判のレビューと違い、彼らは長文でいかに自分の方が優れているのかを示すのが目的なので、最初から批判的な目で物事を見ます。そんなに熱意があるならどこかで自説を発表すればよさそうなものですが、彼らは自分が審査される側には立とうとしません。

なぜなら彼らは実社会で否定をされ続け、これ以上の否定には耐えられないからです。レビューで他者を否定する立場になることで、自分を保っています。彼らは故意に相手の発言の一部を抜き出しているのではなく、文脈で理解できない節があります。彼らは断片的な知識はあっても、それらを組み合わせて活用する知恵が働きません。会話でも話の流れを理解できず、否定的な評価を受けていて地位に不満を感じています。彼らは這い上がることを諦めていて、他人を見下すことで相対的に自分の方が上だと感じることができて救われます。こういったレビュワーが他にどんな商品のレビューをしているのかを見ると、彼らの境遇が浮かび上がってきます。・読解力の低下原始人の脳は現代人よりも大きかったのだそうです。文字がなかった頃は記憶に頼る必要があり、紙やスマホに記録できる我々よりも脳の容量が必要だったのでしょう。それが文字の発明により本などの外部記憶装置が使えるようになり、記憶に頼る領域が少なく済むようになりました。こんな風に人間の能力は、時代によって変化します。短文の SNSが発達した現在、読解力の低下は自然な流れかも知れません。しかし、読解力がある人とない人が接する時、さまざまな軋轢が生まれます。文章を読んでも読解力がない人は一部分に反応して、まったく違う意味で認識してしまいます。彼らは前後の文字が見えなくなるほど興奮しやすく、誤解をもとに炎上騒ぎに発展させてしまいます。・金持ちの SNSを観ただけで、自分もなれると思う病い SNSで誰かがアップしている高級車やリゾートの写真を見るとテンションが上がり、頭がスパークして自分も手に入れられると思う人がいます。金持ちの SNSに興奮してしまうのは F C(感情的・幼児性)が高い人か、 A(論理性・客観性)が低い人です。子供は怪獣の存在を信じてしまうものですが、 FC(自由な子供性)が高い人も自分のことを儲けさせてくれる誰かが、どこかに存在すると考えてしまいます。白馬の王子様を待つ乙女のように、いつか自分に儲け話を持ってきてくれる人があらわれると思っています。それを知っているからペテン師は豪華な写真を上げて、テンションが上がった人に『こうすればあなたも儲かる』という情報を売りつけます。・一日中、小難しい事をつぶやく人 SNSで一日中、世間を憂いて小難しいことをつぶやき続ける人がいます。彼らは 1行くらいで言えるようなことを、回りくどく 5行くらいで書きます。彼らは読み手などいらないように見えて、積極的に誰かのつぶやきに対してリプ(返信)をつけて議論に持ち込もうとします。

難解な言葉を知っている方が勝ちと考えていて、一般的でない用語を使います。ですが社会人はマネタイズ(収益化)という言葉を知っているかより、実際に収益を上げる実力の方が重要です。彼らの発言は難解な言葉を使う割に中身がないため、話を聞く人がいなくなっていきます。すると自分を慰めるかのように独り言を投稿するようになります。こうして SNSには、広辞苑を持ってトイレに 1時間くらいこもって書いたような、難解なポエムが生まれます。 8- 7日常で遭遇する困った人たちここでは困った人たちについて様々な事例をあげていきますので、雑学程度に読み流してください。何ごとにも例外的なことはありますが、一つ一つ『無論、例外はありますが』と注釈をいれていったらリズムが崩れるので省略します。ここに書かれていることや 8- 7の SNSの病で取り上げた内容は、ブログでは自分が非難されているように感じて憤る人が多かった箇所です。有料の本を購入する皆さんなら、事例の一つとして読んでいただけるバランス感覚をお持ちだと思います。 ・「キモい」が口癖の人「キモい」というのは容姿が気持ち悪いとか、欲望が前面に出ているような相手に使われる言葉ですが、その範疇を超えて何でもかんでも「キモい」と言う人がいます。そういった人の生い立ちを見ると家庭が荒んでいたり、親との不和などが見られることが多いです。そんな彼らが深層心理の中で一番キモいと思っているのは、ヘドロのような家庭環境から生まれた自分自身です。その自己嫌悪から逃れるために、自分以外の他者にキモいというレッテルを貼っているのです。誰かを憎む気持ちであればそうそう長続きしませんが、常に湧き上がってくる自己嫌悪から逃れる行動だから、彼らは飽きることなく「キモい」と言い続けるのです。・新興宗教にハマる理由まともに見える人でも宗教のことになると不合理な行動をとってしまうのは、新興宗教への傾倒が強迫性障害と同じメカニズムだからです。強迫性障害とは、例えばドアノブを触ったら 1時間以上も手を洗い続けてしまうなど、行動が止められなくなる病気のことです。手を洗い続けてしまう人が雑菌を恐れているのと同じように、新興宗教にハマる人は地獄を恐れて、穢れ(けがれ)を洗い流すために献金を続けます。安倍元総理を銃撃した Yの母親は、新興宗教に多額の献金をしたことによって破産しています。その新興宗教は悪霊を封じ込める壺を売ったり、先祖の霊が地獄で苦しんでいるからと水晶を売ったりする霊感商法を行っていました。お金を捧げることで神の子になれるという献金制度も盛んで、地獄や霊といった恐怖の因子を植え付けると、信者は強迫観念から大金を払い続けます。

あくまで本書の見解ですが、新興宗教への傾倒が強迫性障害の一種だとすれば、信者の不合理な行動や、説得だけでは脱退させるのが困難なことも説明がつきます。強迫性障害は発症しやすい遺伝特性と、不安な環境や出来事が結びついた時に起こりやすい病気で、その治療はカウンセリングだけではなく不安を抑える薬も用いられます。新興宗教からの脱退に関しても、強迫性障害の治療というアプローチが考えられます。たとえ不安を感じやすい遺伝特性がなかったとしても、立て続けに親族に病気や不幸が起こると、不安感で心が押し潰されていきます。不安な精神状態は思考力を衰えさせ、不幸の連鎖は目に見えない力のせいだと思い始め、オカルトに原因を求めるようになります。そこに霊感商法や新興宗教が入り込む余地が生まれます。精神の不調も他の病気と同じように、初期段階で治療する方が治りやすいので、不安感が続いたらすぐにメンタルクリニックに行くのが有効です。医師は壺も水晶も売らず、健康保険の範囲内で適切にケアしてくれます。・回転寿司店などで迷惑行為をする人回転寿司店で湯呑やレーンを回る寿司にツバをつけたり、あるいは牛丼店やラーメン店でも似たようなことをする者が出ましたが、コロナ後の衛生観念ではイタズラでは済まず、彼らは大きなペナルティを受けることになりました。彼らが何の得にもならないことをした理由を考察します。十代の中後半は、自分は独創的で特別な存在だという気持ちが強くなります。普通の人は特別になろうと努力をすることで一回り大きな大人へと成長していきますが、そういった努力ができないか、あるいは諦めてしまう子もいます。すると自分が特別な存在になるためには、自分は無傷で周囲の人が被害を被る状況を作るしかありません。彼らはツバがついたものを他人に使わせることで、相手を自分より身分の低い存在に貶めることができます。何が面白いのかわからない迷惑行為は、本人が特別な存在になるために行われます。・誇大妄想誇大妄想とは、自分を大人物だと妄想している人の事です。例えば相模原市の障がい者施設で 19人を殺害した犯人は、事件以前に衆議院議長に手紙を送っています。その手紙には総理やフリーメイソンや革命など、壮大なスケールの話が書いてありました。これは一貫性のない職を転々とした、 26歳の無職の犯人には合わないスケール感です。犯人は偏差値から勉強ができるタイプではなく、更に大学では入れ墨や大麻をやっていながら教員志望という矛盾した進路を希望しています。しかし教員に採用されることなく、大学の学部とは無関係の職を転々としています。こういう風に何もかもが上手くいかない者は、陰謀や不思議な力に人生が妨害されていると思いはじめます。この犯人も UFOなどオカルトや陰謀論に憑りつかれ、ついには無抵抗の障がい者を殺害するに至りました。

身の丈に合わない発言の裏には、強いフラストレーションが溜まっています。・自分の問題を他人に回す人能力が低い人は頭のどこかで、自分の問題は誰か得意な人が解決した方がいいと思っています。だから純粋な気持ちで、他人に責任を回してきます。彼らは論理性が低いですが、自分を保護してくれる優しい人をかぎ分けてすり寄っていく能力はあります。そして助けてもらう経験を繰り返すうちに、何か問題があったら自分でやるよりも誰かが現れるまで先送りする方が、成功の確率が高いと思うようになります。だから誰かが気づいた時には放置された虫歯のように問題が悪化していて、解決するのが厄介な状態になっています。彼らに悪意はないですが、関わった人を疲弊させる疫病神のような所があります。・ギブ&テイクができない人ギブ&テイクはドライに見えて、公平な人間関係の基本です。もらうだけの人は得をしているように見えて、生涯に渡って地位が上がらなかったりします。これは義理堅さと向上心が、同じ CP(厳格な父性)の要素に含まれる気質だからで、お返しが出来ない人は向上心が低い事が多いです。 CP(責任感)が高い人は他人から何かを受けたら、それを恩義に感じて自分の得意分野で返そうとします。この恩の返し合いで相手と相互扶助の関係が築け、互いに豊かになっていきます。・優しさを振りかざす人例えば地球の裏側の事故のニュースのコメント欄で、やたら他人に『人が亡くなっているのに不謹慎だ!』と叱りつける人がいます。彼らは地球の裏側の人の死にも心を痛める N P(優しい・共感性)や、 CP(正義感)が高い人のように見えて、『親、早く死なねぇかな ~』と投稿していたりします。もし NP(優しさ)や CP(義理堅い)が高ければ、親に対して恩義を感じているはずだから、早く死ねというのは矛盾しています。結局、親子関係の不全から人格の土台が未発達で、それゆえに大人になってからも職場でうまくいかずルサンチマンを抱えているのです。彼らは別に博愛主義だから地球の裏側の人に優しいのではなく、親や周囲の人とうまくいかないから、遠くの人にシンパシーを抱くのです。 ・【プライド】が高い人何かの事件で無職の犯人が捕まり、周囲への取材で「〇〇容疑者は非常にプライドが高く」という人物評がされる事がありますが、無職でプライドの拠り所がないのに、プライドが高いというのは矛盾しています。

彼らはプライドが高いのではなくて、逆に築き上げたものが何もないコンプレックスにより、過敏に反応してしまうのです。自分の心を守る壁がないので、何かを言われるとダイレクトに心を揺さぶられてしまうため、感情が爆発しやすいのです。自分の心を守る壁は幼少期からの積み上げで築くものですが、それが出来なかった者は幼児の心がむき出しのまま社会に出ます。だから彼らが怒るさまを見ると、大声を出したり後先を考えず手を上げたり、まるで幼児のようです。彼らはすぐに感情が爆発するので、社会性が必要な仕事に就くことができません。例えば煽り運転の犯人は無職か、簡単に就ける職業の者が多いです。逮捕時に経営者という肩書の者がいましたが、よく調べると祖父の代が資産家で、相続財産のマンションを管理する名目で法人化しただけでした。経営者になる前の経歴は社会人 1年目から上手くいかず、就職した会社をすぐに辞めています。彼はマンション管理でもトラブルを起こすなど、自分でやる事はことごとく失敗していました。資産だけが彼の劣等感を紛らわしてくれていたので、その資産が減るに従い煽り運転がエスカレートし、ついには事件化しました。以前から様々な支払いが滞っていたため、逮捕されてほどなく、マンションは競売にかけられています。逮捕時に彼が乗っていたのはディーラーの試乗車で、返却要請を無視して 20日間も乗り回していました。彼らが社会で上手くいかない原因は認知能力に難がある場合が多く、人に怒られるような行動が目につきます。別の煽り運転の犯人は、パーキングエリアで他人の邪魔になる所に車を停めていて、注意されたのを恨んで高速道路上で煽り運転をしました。これもまた、邪魔になる場所がわからない認知能力の低さが疑われます。認知能力とは、例えば普通の人がホールケーキを三等分にする時はベンツのエンブレムのように切ろうとしますが、認知能力が低い人はそれができません。半分に切ったケーキの片方を更に半分にしたりして、大きさが全く違う三つに切り分けてしまいます。万事がこの調子で間違いだらけのため、心を守る自尊感情の壁が失われていきます。そしてもう他人に責められることが耐えられない状態になると、相手を攻撃することで自分を守ろうとします。それが【プライド】が高い人の正体です。・警察に対する感情の違い CP(厳格・規律)の象徴である警察に対する感情は、人によって異なります。社会で上手くいっている人は CPがそれなりにあるので、警察に対して『社会の治安を守ってくれる存在』などの好意的な感情を抱きます。それに対して上手くいっていない者は、社会がひっくり返れば自分の人生も逆転すると思っているので、社会の番人である警察を憎みます。その怒り方は感情的で、切り分けられたケーキが自分の分だけ小さいと憤る子供のようです。 F C(自由な子供)の高い人が、 CP(厳格な父性)に抗う構図です。

・ピークを過ぎると不安定になる人人気が落ちた芸能人・曲が売れなくなった音楽関係者・論文が評価されなくなった教授など、一時期脚光を浴びた人ほど下り坂に差し掛かると不安定になります。いわゆる承認欲求が満たされなくなった状態です。なまじ脚光を浴びた分だけ、自分を認めない普通の人々を恨むようになり、説教する材料を探します。彼らが『日本を嫌う国』にシンパシーを抱くのは、自分と同じように一般の日本人と折り合いが悪いからです。中には勝手に日本人を代表して土下座をして、日本人は悪だという構図を作る者もいます。こうすることで自分を認めなかった日本人を、間違った存在だと貶めることができます。理解に苦しむ行動ですが、承認欲求とはそれほど強い欲なのです。人生は山登りのようなもので、脚光を浴び続けて山から下りられないのは遭難の状態です。下っていくことを受け入れることでピーク時とは違った余裕が生まれ、黄金期にはない『いぶし銀』の境地に達することができます。その境地に達せなかった者はさまよい、憎悪をまき散らす怨霊のようになってしまいます。・正義になりたがる人の心理理想の自分になれなかった場合、多くの人は挫折の経験を糧に次の道に進みます。しかし、第六章『年代の人間学』で述べたように、幼少期の親子関係が上手くいかなかった者は、失敗を認めたら自分の存在が脅かされると思いがちです。彼らは挫折を受け入れられないので、自分が成功しないのは社会が間違っているからだと責任転嫁をします。自分を崇める宗教のようなもので、彼らは『社会正義』の名を借りて他人に噛みつく活動を始めます。もし彼らが本当に正義感が強いのであれば、第四章『経歴によって人を見抜く』で述べたように CP(正義感・責任感)が高い経歴になるはずです。 CP(向上心・規律)が高ければ学校から就職まで直線的な足跡となり、サークル活動や金遣いにも C P(厳格)が見受けられます。しかし、劣等感から正義を振りかざす者を見ると、学歴から職歴・転職歴まで一貫性がありません。他にも学歴に海外旅行みたいな留学があったり、イベントに熱心な F C(自由な子供性)的な足跡が見られます。彼らの生業は一般的な実業ではなく、よくわからない法人の代表や思想家など、収入源がハッキリしない職業が多いです。これは一般企業で働けるほど、社会性が高くないからです。最初は注目されても、社会経験が少ない彼らの発言内容は幼稚な要求が多いため、普通の人は離れていきます。すると承認欲求が満たされなくなり、正義の振りかざしがエスカレートしていき「自分は正しい存在だ」と叫び続け、ますます先鋭的な行動をとるようになります。こういう人は環境問題・ジェンダー・ LGBT、その他あらゆる社会問題の界隈で見られ、無理やり争点を作り出しています。彼らは浅く的外れな視点しか持っていないため、結局は当事者のためにならず、対立を深めたり状況を悪化させるだけになります。この現象は日本のみならず海外でも見られ、ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(社会正義戦士)と呼ばれています。・優しい人になりたがる心理

正義になりたがる人と似たような原理で CP(正義感・責任感)の代わりに、 NP(優しさ)的な行動をするメサイア(救世主)・コンプレックスというものがあります。人を救済するためには、本人が物心共に満たされている余裕が必要です。例えば富を築いた人が多額の寄付をしたり、特権階級に生まれた人が貧困救済の運動をしたり、他人に分け与えることが出来る余裕です。しかしメサイア・コンプレックスの人は因果関係が逆さまで、自分が満たされていると思いたいがために、他人を救済しようとします。彼らの行いは善行に見えて自分を救う行為なので、行動や言動に矛盾が多くて誰の助けにもなりません。その割に過度な賞賛を求めるため、トラブルを起こしやすいです。正義になりたがる人もメサイア・コンプレックスも、自分を認めることができない強い劣等感からきています。・対話をしようと言う人『対話をしよう!』と叫ぶ人に対し、普通の社会人の反応はあまりよくありません。普通の社会人はわざわざ『対話をしよう』などと言わなくても、日々のコミュニケーションで自然とやっている事です。社会人はまず仕事で実績と地位を上げて、周囲の人に自分の話が聞くに値する事を証明します。当然、相手にもそれを求めるので、よくわからない仕事の人が『対話をしよう』と言ってきても相手にする優先順位は低いです。『対話をしよう!』と言う人の対話とは『わたしの話を聞け』の意味で、聞いたからには意見を通せという傲慢なものです。どこの会社でも通用しない理屈なので、普通に働く社会人はスルーします。女性にフラれた男性がしつこく『俺の話を聞け!』と言っても、女性の心が動かないのと一緒です。そうすると今度は無関心は悪だと責めて、無理やりにでも自分の方を向かせようとします。・会話がズレる理由会話にならない人は、会話の主旨から外れたところで興奮する傾向があります。興奮して言葉が溢れ出した後は、もともと何について会話をしていたのか忘れてしまうので、本筋に戻れなくなります。例えば【バイト先の社員に意見を取り入れてもらうには?】という主題の会話で、普通の人が「普段の仕事で実績を上げて・・」くらいを言った所で会話にならない人は興奮して『実績を上げなくても、アルバイトには表現の自由がある!』と、権利関係の話に移ってしまい、普通の人が「表現の自由があっても社員に聞く義務はないから、耳を傾けさせるために実績・・」

と言っても会話にならない人の耳には入りません。彼らの頭の中では普通の人が『バイトには表現の自由がない』と言った事になっていて、その間違いを正す事に会話の主旨が移っています。こうして彼らの周りには、結論まで至らなかった話が散らかっています。・上手くいかないと、社会を変えると言い出す人仕事や学業が上手くできないと自尊心を守るため、社会が悪いと考える人がいます。彼らは維新の志士くらいの熱量で『社会を変える』と言いますが、明治維新の志士と違って説得力がないので、社会はあまり変わりません。普通の人からすると彼らの主張は、夏休み最後の日に溜まった宿題を前にした小学生が『宿題のない世界に変える』と言っているようなものばかりです。こういう人たちは、例えば学校で勉強が苦手ならテストを廃止させようとし、スポーツが苦手なら運動会の順位付けに反対します。このように自分に不利な分野があった場合、その分野ごとなくそうとします。将棋で不利になると将棋盤をひっくり返すような、強引な考え方です。その考えが支持されないと、普通の人々が無知であるから理解できないのだと蔑みます。彼らが幼稚なのは F C(自由な子供性)が突出しているためで、それは街でパフォーマンスをする姿でも確認できます。大人の世界を子供の人格で生きることは、色々とうまくいかない事があってフラストレーションが溜まるものです。そういう人たちが同病相憐れむようにグループ化する事がありますが、各々が自分は特別だと思っているため、結局は険悪になって仲たがいしていきます。自ら手を動かして汗をかかない者の発言は、場末で語る憂国論のようなもので、普通に働く人々の心を動かしません。結局、世界を変えているのは地道に仕事をする社会人で、『世界を変える』と言うだけの人はフェードアウトしていきます。そして彼らは実績が見えにくいあいまいな NPOを立ち上げたりして、自己陶酔の世界にひきこもります。 ※NPOはボランティア活動が母体になって出来上がった制度なので、本来は崇高なものです。・うつ病の告白かつてうつ病は理解されず、病気でもないのにサボるナマケ者の扱いでした。うつの状態を簡単に説明すると、恐怖で体は動かず、眠ることもできない状態です。

例えばワニが沢山いる沼に首までつかった状態を想像してみてください。水面下にいるであろうワニの恐怖に絶えず怯え、頭の中ではずっと危険を知らせる情報が飛び交っています。現代人にとってワニの沼は、ブラック企業のようなところです。長いことストレスに晒され続けることで、脳のネガティブな情報が通る回路が太くなり、何に対しても恐怖してしまいます。うつ病が認知されていなかった時代、症状を訴えても気のせいと言われていました。そういう時代に自分がうつ病と言う事は、とても勇気のいることでした。自殺者が続出してようやく病気が認知され、うつ病患者に心無い言葉をかける人は非難されるようになりました。しかしそうなると今度は、うつ病を都合よく名乗る人が出てきました。この流れだと本当にうつで苦しんでいる人が、再び白い目で見られかねません。ただこういった事例は、うつ病が血液検査で判別できるようになってきたため改善されると思われます。・ツケで帳尻を合わせようとする人普通の人は『 1万円昇給したら発泡酒をビールに変えよう!』など、頑張りの後に報酬が得られるという順番を理解しています。だからビールを飲みたい ⇒仕事を頑張る ⇒昇給する ⇒発泡酒をビールに変えるこのようにビールを飲むために、仕事を頑張る事ができます。しかし、頑張れない人はビールが飲みたかったら即飲んでしまい、ツケで帳尻を合わせようとします。ビールを飲みたい ⇒ビールを飲むという単純な思考なので、仕事を頑張る事ができません。これは脳の報酬系というものがバグっているからで、現代社会では貧窮しやすい性質です。お金が欲しい ⇒盗むという、泥棒にも見られる行動原理です。・困っている人たちここまで述べてきた『困った人たち』は、わたしたちを困らせる人たちという意味合いでした。しかし『困った人たち』とは、困って途方に暮れている人たちをさす言葉でもあります。彼らは他人を困らせる人たちとは真逆で、誰にも頼れずにひっそりと倒れていきます。生活保護の不正受給をする者がいる一方、制度さえ知らずに命を絶ってしまう人がいます。どの時代にも一定の割合で、その時代の社会に適応できない人格の人が生まれます。

他害行為をしない真の弱者に手を差し伸べることで、社会全体の NP(共感・優しさ)が高まり、普通の人にとっても居心地の良い世界になります。

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