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第八章命の主人は誰か?

目次

心の平安が保てるのは……

……あなたの心の平安を奪っていくものは、何であれ、あなたの人生の最も大きな富を奪っていくことになる。

あまり熱心に金を追いかけたり、賢い使い方ができる以上の金を得ようとすれば、心の平安を失ってしまうかもしれない。

建設的な仕事で得た金は、最もあなたのためになる金である。

誰でも金を貯めることができる。

収入の何パーセントかを貯蓄にまわす努力によって、金の価値が本当にわかるものだ。

貯蓄はまた、貯蓄をしていかなければ逃げていたであろう多くの機会をうまくつかまえることができる。

若い人の考え方を聞いて見ると、金そのものに重きをおいている人はあまりいないことがわかる。

まだこれからたっぷり稼げると思っているときは、なおさらだ。

これはまともな考えだろう。

金が不足すると生活が苦しくなり、心の平安が保てなくなる。

入ってくるだけのものを使うのは難しいことではない。

たとえ自分で使いきれなくても、結婚すれば家族が使い方を教えてくれる。

一方、成功する人は、まだあまり歳のいかないうちから、当座の必要分と生活費用以外の金を貯め始める。

その金は、投資や不動産などに使われることが多い。

彼が本当に積極思考の人間なら、やがて金も不動産もかなり所有するようになるだろう。

途中のどこかで、見えない境界線を越えてしまうだろう。

そして彼は金持ちになる。

必要分を越えてかなり余裕があるという意味での「金持ち」である。

もう彼は、たいていの必要なものは何でも満たせるのだ。

このようにして、彼は申告書の数字の上でも金持ちであると同時に、心の平安を持った人になることができる。

心の平安が保てるのは――彼が金の主になったときだ。

心の平安が保てないのは――金が彼の主になったときだ。

大きな水しぶきの音をたてる者

「大きな水しぶきの音」とは、自分の物質的な富を見せびらかすことである。

私がキャッスル・マウンテンズに豪邸を持っていたころ、派手に水しぶきを上げていた自分の弱さを、すでに率直に認めた。

この豪邸は幸運にも、私を永久にダメにしてしまう前に私の手から離れていった。

もっとも、富を誇示すれば誰でも危険な目に遭うというわけではない。

中には力強く生きている人もいるようだ。

だが多くの場合、あまりにも人目につく見せびらかしをやってしまうと、彼の魂は、甲板を飛び越えて金の海の中で溺れてしまうのだ。

何年か前のことだが、何百ドルも稼いだ人が突然破産した。

弁護士たちが債務弁済のために彼の財産を調べて驚いた。

彼の屋敷内には大きな倉庫があって、その中には高価なアンティーク家具だの素晴らしい絵などがぎっしり詰まっていた。

これらはすべて彼が現金で購入したものだという。

彼は、それらの家具や絵を楽しんだことがあったのだろうか。

それらの高価な品々は、荷ほどきもされていなかったのだ。

生前の彼は、自分は正真正銘の金持ちだと言っていた。

まるでクロイソス王〔訳注…リュディア最後の王。

小アジアの海岸にある都市国家を征服。

その富はことわざになるほど巨大なものであった。

BC五九五〜BC五四六〕のような口ぶりだった。

このようなため込みマニアと心の平安を知る心とは、まさに両極端である。

「自分の財産が取られてしまう!」

「」貧困の恐怖には、同類がいる。

醜いという点ではそっくりである。

それは、自分の金が取られてしまうのではないかという恐怖である。

金持ちの持つ恐怖だ。

あるいは、自分が使えるより一〇倍も、二〇倍も、三〇倍も金をうず高く積み上げることができないのではないか、という恐怖である。

私は、あの巨大会社コカ・コーラ社の大株主の一人と会ったことがある。

彼はさまざまな方法で金を集め、その財産は二五〇〇万ドルにもなった。

その彼に、心の平安があっただろうか。

彼の心は憎しみと不信でいっぱいだった。

彼が最も憎んだ相手は政府だった。

彼はそのとき齢すでに八十代に入っていたが、政府のせいで自分が死ぬときは生活困窮者になるのではないかと恐れていた。

私が最後に会ったとき、彼はきわめて意味深長な質問をした。

「もし君が私の立場だったら、心の平安と金をどうやって守るかね?」「本当に私の思っていることを答えていいのですか?」と、私は聞いた。

「もちろん!当然だ」「では」と私は、思いきって言った。

「もし私があなたの立場にいて、しかも心の平安がほしいと思ったら、お金のほうを守ろうとは思いませんね。

あなたの心の平安とあなたの財産は敵同士のようですね。

共存はできません。

私があなただったら、まず、お金をすべて政府発行の国債に換えてしまいます。

そうすれば、私のお金はすべての人のために役立つでしょう。

次にその国債を全部暖炉の中に積み上げて、それに火をつけます。

自分のお金が煙になって煙突を昇っていくのを眺めながら、私の不幸の大部分も燃えてなくなっていくのを見ることになるでしょう」「冗談を言うな!」と、彼は私の話を遮って怒鳴った。

「今までにないくらい、大真面目ですよ」私はことさら冷静になって続けた。

「もし私にあなたほどの財産があって、そのことが私の心の平安を奪っているとしたら、まずその金がみんなに広くいきわたるところに置いてから、その証拠として政府の借用証明――国債ですが、それを全部燃やしてしまいます。

それから寝床に入って、子供みたいにぐっすり眠ります。

目が覚めたら、心は平安になって自由になっているでしょう」もちろん、彼が私のアドヴァイスを受けないことは最初からわかっていた。

とうとう彼は死ぬ日まで恐怖と苦しい思いの中で生きざるを得なかった。

死ぬまでの間に、彼に長くつきまとっていた恐怖と衰弱は、彼の愛に――人類に対する愛ではなく、金に対する愛に根ざしていたものと私は思っている。

金を燃やしてしまえというアドヴァイスがふさわしいと思われる人は、そう滅多にいるものではない。

だが、この考え方は誰にでもあてはまる。

心の平安ほど大切なものはないのだ。

若い人でこの考え方がわかる人はあまりいない。

経験を積むとわかる人もいるが、多くはわからないままだ。

覚えておいてほしい。

あなたは、心の平安を保ちながら富を得ることができる。

だが、もし金やそのほかのものがあなたの心の平安の邪魔をするなら、心の平安のほうを選んで、残りは手放してしまうことだ。

あのコカ・コーラ社の大株主が政府に対して持っている不満そのものを、私が取り上げなかったことについて注目してほしい。

彼の不満に同調するのは簡単だ。

だが、私はあえてそうしなかった。

それどころか、矛先を彼の姿勢に向けたのだ。

彼は、そこらの億万長者の二・五倍以上もの資産を持ち、それを有効に使えば多くの人々を幸せにすることができたのに、彼はそうしなかった。

恐怖と不信が彼の心を支配していたのだ。

一〇〇〇億ドルほしがった男

私のプログラムを実践した人で、貿易の仕事をしていた男がいる。

あのとき彼は、滞在中のインドから飛んできて、私に会いにきた。

その前に彼は私に手紙をよこしたが、その中で彼はこう言っていた。

「私の人生の主な目的は、ヘンリー・フォードが貯蓄した富の一〇〇倍、つまり一〇〇〇億ドルも金を作ることです」彼はなんと、いわゆる億万長者の一〇〇〇倍の金持ちになりたがっていたのだ。

書斎に入ってきた彼に、私は聞いた。

「そんなはした金で何をしたいのかね?」彼は少しためらって、「実を言えば、よくわかりません」と白状した。

「それなら」と私は言った。

「一人の人間が一〇〇〇億ドルも持つのは、世界に脅威をもたらすことになるよ。

ま、それは別としておこう。

もしそれだけの金額の金を君がインドの人々(古い迷信や時代おくれの因習を克服したがっているインドの人々)を救うのに使うのだとしたら、私は君に共感するね。

だが、どうやら君は、ヘンリー・フォードを抜くだけのためにその金をほしがっているようだね」彼はしばらく考え「そうです」と言った。

次に私は、PMAプログラムの中のノウハウを用いて、彼が自分自身を見つけることに、手を貸してやった。

すると彼は、馬のような勢いで駆け出した。

彼と話し合ってみてわかったことだが、彼が本当にほしいものを手に入れるためには二五万ドルもあればよかった。

彼自身にもそれがわかったらしい。

それがわかって、彼の心の緊張はほぐれたようだ。

彼は「ずっと気分が楽になりました」と言った。

私は、彼がインドに戻る前に、自分の国でアメリカ製品の販売ができるように、いくつかの契約を結ぶ手伝いをしてやった。

彼の利益は二五万ドルを少し上回った。

なんという偶然の一致だろう!心が想像の中で作ったものは、現実に作ることができる。

だが、この場合の心とは、バランスのとれた心のことである。

あなたにいちばん有益な金は、あなたに有益な仕事から得ることが多い

、私は前章で、人は死後、財産が自分の選んだ人の元へいくのをはっきりさせておくことができると述べた。

死そのものはコントロールできないが、遺産はコントロールできる。

遺言をすればいいのだから。

そのとき気をつけてほしいのだが、財産の遺贈を受けた人が、そのことによって心の平安を奪われてしまわないようにすることだ。

金持ちの息子は、父親ほどの才能を発揮しないものだと、よく言われている。

もっともなことである。

多くの金持ちの息子たちが才能を発揮できないのは、彼らが父親の財産を引き継ぐからだ。

おおむね「おやじ」は立派な仕事をして財を成した。

彼の洞察力や脳力、それに人を見る目や世間を見る目が成長するのと肩をならべて、利益を上げてきたのだ。

「おやじ」は、そのまた「おやじ」からの富を受け継いだのではない。

自分で働いて富を得たのだ。

息子のほうはどうだろうか。

彼はずっと、金と金で買える快適なものの中で暮らしてきた。

彼はまた、自分が膨大な財産を継承することを知っている。

仮に、彼が「進んでよく動く」という性質を受け継いだとすると、その性質は莫大な財産を受け取るということに影響されはしないだろうか。

苦労しないでも金が儲かるという現実が、その性質と置き換わることはないだろうか。

多くの場合、置き換わってしまうのだ、そこで彼は、人生の最も基本的なレッスンを学ぶことができなくなってしまう。

莫大な財産であっても、ささやかな財産であっても、その大部分がほかの人々のためになるような使い方をして始めて祝福の対象となる。

どんな父親も、息子から主導力を奪っては、子供のためにはならない。

遺産の受け取り手が働かなくなってしまっては、子供のためにならないのは当然である。

あなたは、自分の後継者たちをみじめな貧困から守りたいと願っているだろう。

それはいい。

だが、それが度を越して、財産という壁で彼らを人生から隔離してしまわないようにしてほしいのだ。

彼らが自分で人生から学んだ知恵と、建設的な仕事を通して、より良い生活を築こうとする機会を持たせてやってほしい。

それは貴重な機会なのだ。

私は若いころ、裕福な弁護士で銀行家でもある人の秘書をしていたことがある。

この弁護士には、私より少し年上の息子が二人いた。

この二人の若者はヴァージニアの大学に行っていた。

その二人に毎月小遣いとして一〇〇ドルの小切手を送るのが私の仕事だった。

当時の一〇〇ドルといえば、大金である。

私は、二人のことをどんなに羨ましく思ったことだろう!ビジネスカレッジに通って、生活するためになんらかの技術を見につけようとしていた私は、文字どおりポケットに一セント玉すらなくて、空腹を抱えていたことがよくあった。

そのとき思い出すのは、果物屋の店先で六個一〇セントのりんごを見つめていたことだ。

たまらなくなって私はその店に入っていった。

私はアイディアを店の主人に売ろうとしたのだ。

私が学校を出て稼ぐまで、私を信用して一〇セント貸してもらえないかと言った。

だが、この願いは空しかった。

そういう思い出を抱きながら、私はこの途方もない金額の小切手を送っていた。

やがて、私の雇い主の息子たちは、卒業証書を手にして帰ってきた。

彼らは気楽な生活に慣れ、仕事とは何かということは、ほとんどわからないままで帰ってきたのだ。

彼らは父親のような有能な資質を受け継いでいたのだろうか。

それはわからない。

一人は、父親が所有していた銀行でいい職につけてもらったし、もう一人は、これもやはり父親が持っている鉱山の重役にしてもらった。

あとになって聞いたことだが、その二人は、父親の財産をすっかり食いつぶしたばかりか、父親の健康まで損ねてしまったという。

私はもう誰も羨むことはしない。

なぜなら羨望は、心の平安ではないからである。

振り返ってみると、私は一〇セントの長期借金の交渉をするといった経験を経てきたことを、ありがたいと思っている。

金を稼ぎ始めたとき、私が発揮した力が私自身の自己充足の一つになったことをありがたく思っている。

私は逆境の中から強力な先生を見つけることができたのだ。

私の著書『思考は現実化する』は、おそらく一二〇〇万人以上もの男女が読んでくれたと思う。

この本が出版されてから二〇年の間に、何人かの読者の人たちと話し合う機会を持つことができた。

この本だけを活用して、本当に裕福になった人々を目の前に見ることは本当にうれしいことだ。

しかしなかには、金だけの裕福さを得るために本を活用した人がいることも事実である。

そこでもう一度、人生の最も素晴らしい豊かさについて述べておこうと思う。

①②③④将来の成功への希望⑤⑥⑦⑧いかなる状況でも自制心を持つこと⑨⑩⑪⑫以上が心の平安と共にある、また、あらねばならぬ豊かさである。

私が金を最後に挙げたことに注意してほしい。

これは、「十分な金がなくては、心の平安を保つのは難しい」という私の主張とは矛盾するようだが、もし私がこれを最後に挙げなかったら、おそらくあなたは、これを最初に挙げてしまうだろう。

私はこのことをあまり強調しすぎないようにしているのだ。

あなたの注意を促すために、次のことを覚えてもらわなければならない。

金で買えるものはたくさんあるが、心の平安は金では買えない、金は、あなたが心の平安を見つける手助けをするだけだ。

ただしあなたが自分自身の内部の力を出さないかぎり、たとえお金でもその手助けはできないのである。

収入の道を拓く基本ステップ

「十分な金を持たないうちから、間違った使い方を説くのは、あまり論理的ではない」と言われたことがある。

もし私が金儲けの仕方だけを書いているのなら、私はこの忠告に従っていたかもしれない。

しかし、この本は、あなたの行き先や、そこに行きついたら世界がどんなふうに見えるか、ということに力点をおいている。

最初の出発点から正しい姿勢を打ち出すことは大切なことである。

その姿勢をしっかり身につけている人に私は教えよう。

それは、ほんの少しの資本かあるいはまったく資本を持っていない人でも富を築くための実際的な方法である。

これらの方法の一つひとつはそれなりの特殊性を持っているが、無限といっていいくらい修正可能だ。

本書を読み進む途中で立ち止まって、これらの方法をあなた自身に適用してみるのは、あなた次第である。

その適用はあなた自身、あなたの才能、あなたの周囲の環境、そして特にあなたの願望や目標にまで及ぶことだろう。

①他人に、あなたの仕事の手助けをしてもらって、しかも、その人自身のためになることをする生命保険の若いセールスパースンが、ある家の主人に保険に入ってもらうことができないため、大変な苦労をしていた。

この苦労の中から一つのアイディアが彼にひらめいた。

それは人を直接対象とせず、ビジネスの道具として保険を活用することを経営者に提案することであった。

一家の主人として保険に入る場合、保険料は家計から支出する金だ。

しかしビジネスとして保険を活用する場合、それは経営にも形を変えて何倍かになって戻るチャンスがある。

そう決心した彼は、改めてセールスを開始した。

最初の客は町の代表格のレストランだった。

彼はレストランの主人にこういった。

「こちらの料理は大変健康的で、身体にいいですね。

それでしたら、このレストランで食事をするお客さまは、長生きをする可能性が大きいということを宣伝なさってはいかがですか」レストランの主人は、「本当にそのとおりだよ。

これからもいつもそういう料理を出すようにするさ」「それはいいことですね」と保険マンは言い、次に自分の考えたアイディアを話し始めた。

いろいろ話し合った結果、特別な保険メニューができあがった。

いつもよく利用してくれる客に、一〇〇〇ドルの生命保険をサービスにつけるというアイディアだった。

レストランの主人も乗り気になり、さらに細かく打ち合わせた。

このレストランは大繁盛となった。

いうまでもないが、この若い保険マンも利益を得た。

彼はこのアイディアを、ガソリンスタンドやスーパーマーケットなどにも拡げていった。

さて、ここで少しとどまって考えてみてほしい。

どうすれば、他人にあなたの仕事の手助けをしてもらって、なおかつその人自身の仕事のためにもなるアイディアが見つかるだろうか、ということである。

②同じ金額で、もっといいものが手に入ることを相手に教えるここにある人の実例がある。

その男は、ある雑誌の販売代理店で働いていた。

給料は安かったが、さまざまな印刷物に関心を持っていた。

彼は、印刷のやり方に感性とスタイルを活かせば、その雑誌はもっとよく売れると思っていた。

さらに彼は、その雑誌の作り方全般について考えてみた。

すると、どの面でもこれで精一杯というところまで仕事がなされていない、ということに気がついた。

このことは重大である。

青年は印刷のことについて、さらに勉強をした。

印刷についての知識をマスターすると、今度はある大手の印刷会社へ出かけていった。

そこである交渉をした。

印刷の仕事を一〇パーセントの手数料で持ち込むことで話をまとめた。

それから印刷の大口需要家のA社のところへ行き、今まで彼らが発注した印刷物の見本をどっさりとかき集めて、家に持ち帰った。

彼の研究が始まった。

明らかに手直しをしたほうがいいと思われるパンフレットを二、三点、選んだ。

彼はフリーの商業デザイナーに、それぞれのサンプル・レイアウトの制作を依頼した。

そして、仕事がうまくいったら、高いギャラを払うという約束をした。

コピーライターにも同じような条件で仕事の依頼をした。

今までのものよりずっと見栄えのするサンプルを持って、再びA社へ行った。

レイアウトに感性を活かせば、どれほどいいものができるかということを、見本で実証したのだ。

結果をお話しする前に、客の立場として、どんな心理が働いたのかを検討してみよう。

第一に、人でも会社でも、「まあまあ」のやり方で通っているという現実がある。

なんとなく不満があっても、どこがどうなのか、はっきりしない。

あるいは気がついていても、面倒くさくてそのままにしているのかもしれない。

第二に、そこへ誰かがやってきて、現在のものに対する不満をはっきりさせてくれる。

同時にもっとうまくやる方法を示してくれる。

そればかりでなく、それを手直しするお膳立てがすっかりできあがっている。

だったらそれを利用しない手はないではないか。

もし、あなたが彼の立場だったらどうだろう。

どうすれば同じ金額で、もっといいものが手に入るのか、相手に教える方法を考えるだろう。

もう少し突っ込んでみよう。

同じ金額で、もっといいものが手に入るように相手を助け、それ以後もあなたを頼って、繰り返し教えてほしいと言わせるようなやり方が考えられないだろうか。

これらを考えることによって、人間の幅を大きくすることができる。

③製造者と消費者を結びつけるかつての農夫は、自分の作物をマーケットに持って行くのに大変な苦労をした。

ポツンと離れた山あいの土地にある畑を想像してみるとよい。

ぬかるみの道を、馬車だけを頼りにして行くのだ。

それでも農夫は、自分の作ったものを町へ運ばなければならなかった。

なんとしてでも行かなければならなかった。

我々の経済社会では、何もかもが互いにからみ合っている。

自動車が生産されれば道路を良くしなければならないし、そのとおりになった。

そうなると、農夫は収穫物を今までより五、六倍も遠い所へ運ぶことができて、その日のうちに家に帰ることができる。

やがて誰かが、町と町との間に市場のようなものを作ることを思いつく。

買い手のほうが車で来るのをあてにできるし、農夫は定期的な供給先ができたので喜ぶ、というわけだ。

また、以前の農家は生活の必要品を買うのに、年に二、三度やって来る行商人に頼っていた。

行商人は、背中に大きな荷をかついで歩いてやってきた。

行商人が拡げる荷の中には、農家の奥さんのための針や糸、布などの品物、それから農夫のためにはタバコや釣り針などがあった。

それらの品物以上に大切なのは、ニュースであった。

そのころの人たちは、ニュースに飢えていたのだ。

行商人たちは農夫たちよりたくさん金を持っていた。

なぜなら、彼らは製造者と消費者を結びつけるという大切な役目を果たしていたからだ。

農夫が馬を買ったり売ったりするときには、よくブローカーの助けを借りた。

ブローカーは、売り手と買い手の値段が折り合うように手助けをし、二人を握手させて取り引きを完結させたものだ。

ブローカーもまた、農夫たちより実入りがよかった。

製造者と消費者を結びつけるからである。

最近私は、ロシアにおける買い物客の不満がレポートされている記事を読んだ。

ロシアの人たちは特定の食料を売る店ごとに行列を作って、何時間も待つようだ。

多くの人は仕方がないとあきらめているようだが、不満を持つ人だって少なくない。

いずれは、多くの製品と消費者を便利なスーパーマーケットに一緒に集めるという、自由世界風の考え方を採用することになるだろう。

流通過程が変化する時代には、ひと財産がいくつも築かれている。

広い駐車場を必要とするスーパーマーケットは郊外へ移転し、田舎の奥にまで作られるようになった。

そのためかどうか時流にのる方法がわかった土地所有者は、その利用によって稼ぐことができた。

ある婦人が二〇エーカー(約八ヘクタール)の土地に住んでいた。

その土地は、背の低い松の木ばかりが茂っているだけだった。

彼女は、その土地と古い家を売る決心をした。

隣人たちは大した金額になるまいと言って同情した。

確かに近くの不動産屋がつけた値は、情けなくなるほどのものだった。

しかし、この婦人は何ごとも抜け目なく考える人だった。

彼女は、自分の土地は何かに適しているはずだと自分に言い聞かせた。

彼女は三十日間と期限を定めて、その土地に何が向いているかを徹底的に調べることにした。

やがて期限が迫ったころ、ようやく結論が出た。

乗馬の練習場にしてはどうだろうか、ということだった。

馬上からの景色もいいし、今のままでコースになる。

それなら不動産屋の言い値の二倍にはなるだろう、と彼女は思った。

だが、結論はそれだけではなかった。

彼女は近くにあるスーパーマーケットをいくつか調べてみた。

そしてこの土地は、スーパーマーケットに適しているとの結論を出した。

結局彼女は、不動産屋の言い値の五倍の値段でスーパーマーケットにその土地を売ったのである。

道路が舗装され、交通が便利になると、通信販売の会社は消滅するのではないかと予想されていた。

店へ行って直接品物を手に触れて買えるのに、なんでカタログで買う必要があるのか、ということだ。

だが、シアーズ・ローバックやモンゴメリー・ウォードといった通信販売会社は変わらず繁盛している。

郵送料や発送費は確実に上がり続けているにもかかわらず、メールオーダー・ビジネスは花盛りだ。

扱う商品も広範囲に広がり、家具、保存食料、趣味の品、電化製品やボートまで売っている。

なぜなのだろうか。

それは、時代が変わっても需要はいつも続くからである。

注文リストに住所と氏名と名前を書いてポストに入れるか電話をかけるかすれば、ほしい物がすぐ配達される。

これもまた、製造者と消費者をつなぎ合わせる方法として存在し続けているのだ。

ときには製造者が消費者に直接売ることもあるが、それよりずっと多いのは、消費者と製造者との間にいる者から買うことだが、それは小売店のときもあれば製造者の代理店の場合もある。

さて、ここで考えてみよう。

どうすれば製造者と消費者を結びつけることができるか?

、。

稼いだ金の一部は、手元に残さなければならない。

確かに、金儲けの題材はまだ尽きない、私がこの主題に軽く触れただけにしておくと不満を持つ人もいるかもしれないが、先ほど述べた三つの項目を読み返し、思い当たるフシがいくつあるか考えてほしい。

この中にはきわめて普遍的なテーマが入っている、それをふくらませていくと、広範なビジネスの場にわたっていることがわかる。

地平線上にチャンスが点々として見えてくる。

注意してほしいのは、どの項目も特別な技術や知識を必要としていないことだ。

それは今まで私が述べた実例でもわかってもらえるはずである。

あなた自身の事業の中で、これらの三つのカテゴリーにあてはまるものがいくつあるか、実際にやってみると面白いと思う。

自分の仕事をひとまず脇において、自分自身を消費者として考えてみると、いくつか思い当たることがあるだろう。

収入の一部を手元に残しておけということは、不測の事態に備える意味でのことだ。

そうしなければ、いらざる負債を抱えることになり、面倒なことになる。

貯蓄は、貯めたお金で何かを買うこと以上に効果的な面がある。

貯蓄をすると、それを使って何かを買う場合、必要品かどうかをチェックする習慣がつくのだ。

金が役立つのは、品物を買ったり、サービスを受けたりすることだけであるということを再認識することができる。

貯蓄の習慣は、浪費の習慣を一掃してしまう。

貯蓄が習慣化するにつれ、物価が上がっても同じ給料で前と変わらない生活をしていけることがわかる。

なぜか?それは、不必要なものやつまらないことに金を捨てることを止めるからである。

買い物の仕方も賢くなる。

衣類やそのほかのものはとっておくようになる。

そして自分にとって最も有効な金の使い方を見つける。

だが、無理に銀行の預金を繰り入れようと、爪に火をともすような生活をしたりはしない。

今までどおりの生活をして、貯蓄もできることがわかるのだ。

貯めたお金で何をすればいいのだろう。

残念なことには、誰にも当てはまるような考えを一つ、というわけにはいかない。

私が今までに見たり聞いたりしてきた中には、わずかな貯蓄額(それもたった二〇〇ドルというのさえ)を元手にして、将来性のある事業を始めたという例が多い。

それらの投資の中には、何万倍にもなって戻ってきたものもある。

もちろん、確実に期待できることではないが、機会が訪れたとき、貯蓄のある人は借金をしなくてもその機会を利用することができるのだ。

このことは心に留めておいてほしい。

サクセス・エッセンス⑧

1あなたは金の主人か?それとも金があなたの主人か?自分の必要額を超えてかなりの金額を稼ぐようになったら、富と心の平安の両方を享受すべきである。

金の主人になれば、心の平安は保てるが、金があなたの主になると、心の平安はなくなる。

人目につく消費をする人間が多すぎる。

もし、金なりそのほかのものがあなたの心の平安の邪魔をするなら、心の平安のほうを選び残りは捨ててしまうほうがよい。

2あなたにいちばん有益な金は、あなたに有益な仕事から得ることが多いあなた自身の金銭哲学を持って、使い切れる金の何倍もの金のためにあくせくすることをやめれば、思ったよりも多くの金を得ることができるものだ。

どんな父親でも、息子の周りを金で囲ってしまうのは、息子のためにはならない。

真面目に働いてこそ、人生の貴重な教訓を学ぶことができるのだ。

人生の最も素晴らしい一二の豊かさをすべて心に留め、豊かさへ向けたあなたの旅は、あなた自身の中から始めなければならないことを知ってほしい。

3富への道を拓く基本ステップ富への道を拓く一つの方法は、相手の成功により、あなた自身も成功する方法を知ることだ。

もう一つの方法は、同じ金額でもっといいものが得られることを、他人に教えることだ。

さらにもう一つの方法は、製造者と消費者を結びつけることだ。

これにはさまざまなやり方がある。

稼いだ金の一部は、使わずに残しておかなければならない。

借金は心の平安を奪うことがある。

4稼いだ金の一部は、手元に残す習慣をつけよう金が不足がちの人は、無駄使いをやめるべきだ。

節約は富への道でもある。

 

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