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第五章 オーナー社長の処世哲学

オーナー社長の魅力と実務能力の高め方

長たる者の魅力の付け方

人間が人間についていくのは、何と言っても魅力のせいである。魅力があるから、その人についていく。

社長の場合は、個人的な魅力以外に、会社とか、商品とか、事業の将来性とか、色々な魅力の要素がある。給料が高いとか、知名度があるとかいうこともある。

しかし、本当の意味での魅力の根本は、社長の性格だ。性格が、魅力を形成する。

男と女が恋をする。はじめは顔だとか、体とかに魅かれるものだ。しばらくすると、性格に魅かれるようになる。特に、歳をとると、性格こそ一番の魅力である。

愛とは、この魅力に魅き込まれることをいう。魅力とは、その人の性格だから、結局、性格に魅かれていくことが愛である。

性格は、深く、広く、そして強くなければならない。強さとは、優しさのことだ。優しくなければ、強くなれない。

その性格を像どるものは、具体的にいうと世界観である。何回も言うが、たくさんの場数を踏んで、世界観を豊かにすることが、性格を像どる上で非常に大切だ。

社員は自分の子だと、私は思っている。当然、社員が私についてくる。合理化協会では、創業以来二十五年間、男性で辞めた者は一人もいない。うぬぼれて言うようだが、システムとか待遇とか、色々なものを魅力あるようにしている。しかし、最終的には私自身が、社員は自分の子だと思って、常に気をつけている。

だから、私は、これまでたった二回だが、子供、つまり社員を取って、お客様を切ったことがある。実に、悲しいことだった。お客様にたくさん文句を言われる。社長にとって、文句を言われるくらい苦しいことはない。私どもが悪いに決まっている。お客様を取りたいのだが、のどから手が出るほど大切なお客様だと分かっているのに、お客様を取らずに社員を取って、その社員を叱るにとどめたことがある。苦しい選択だが、そういうことがある。そうすると、私自身、また一からやり直すぐらいの苦しさは味わっても、社員も、「これは、本当の親だ」と思うようになる。そうすることによって、社員が社長についてくるのだが、魅力のあるなしは、社長の性格、要するに、どちらを取るかという選択で決定される。この点を間違わないで欲しい。

トラブルの処理が終わった後、酒を飲んで、こぶし振り上げ、ワアワア大声で泣いた。そういうことも必要だ。私も部下と一緒に泣きわめく場が、時々あってもいいと思っている。その子のために痛手をこうむっても、要するに、親だからいいではないか。子を殺せと言われても、親は子を殺さない。殺せるものではない。

昔の武将は、要求されて妻を殺し、子を殺したが、いまの幸福な世の中、何とも後味が悪く、そんなことをする人はいそうにない。ところが、集団となると、田中角栄さんを槍玉に挙げたように、平気で殺してしまう。涼しい顔をして、心の痛みなど少しも感じない人も結構いる。寄ってたかって、殺人を犯しているようなものだ。あるとき、キリストは、群衆が一人の女に石を投げているところを見る。その場に居合わせたキリストは、「この女は、何をした」と聞くと、「うそをついて、人のものをとった」と、みんなが答えた。

そこで、「みんなの中で、 一回もうそをついたことがない、 一回も人のものをとったことがない人だけ石を投げなさい」と言ったところ、石を投げる者は一人もいなかった。だから、そういう他責の付和雷同に付き合ってはいけない。自分の性格を磨く以外に、魅力はつかない。そういうことを、覚えておくべきだ。

人の痛味を知る

社長には、ある程度の学問も必要だが、ふてぶてしさも必要だ。「孔子」の愛情も必要だが、「韓非子」の非情も必要である。味方がいて、敵がいるからだ。

部下を持った時には、部下は味方だから、愛さなければいけない。ライバルは、冷徹に叩いていく。そして、お客様第一主義で、「お客様、お客様」とやっていくような器量も必要だ。

しかし、自分がお客になった時には、相手をいじめてはいけない。これが難しい。相手を目茶苦茶に言う人が結構いる。こんな狭量は、だめに決まっている。

胸に手を当てて考えた時に、誰しもお客様に叱られることが一番苦しいに違いない。自分がお客になったときに、相手を叱るなどということは、心の浅い人がすることだ。社長業は、高度な芸術のようなものである。いろいろな場面に遭遇しながら器量を磨いていく、そういう職業だ。

老子に、次のような言葉がある。

「兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。己むを得ずして

これ                 てんたん

之を用うるときは、悟淡を上と為す。勝ちて美とせず。而るに之を美とする者は、是れ人を殺すことを楽しむなり。夫れ人を殺すことを楽しむ者は、則ち以て志を天下に得べからず」

意訳すれば、「武器は不吉の道具であって、君子の道具ではない。本当にやむをえず、これを用いる時は、それに執着しないようにした方がいい。勝利しても、喜んではいけない。もし、喜ぶなら、人を殺すことを楽しむものである。人を殺すことを楽しむようなら、結局、志を天下に得ることなどできはしない」ということだ。

老子は、さらに続けて言う。

「吉事には左を尚び、凶事には右を尚ぶ。偏将軍は左に居り、上将軍は右に居る。喪礼を以て之に処るを言うなり。人を殺すこと多ければ悲哀を以て之に泣く。戦い勝つも喪礼を以て之に処る」これも意訳すると、「普通、吉事には左を貴ぶが、凶事には右を貴ぶものである。ところが、軍隊では、副将軍が左にいて、上将軍が右にいる。それは、戦争を葬式と同様に凶事として処するからだ。

多くの人を殺したなら、哀悼を棒げ、戦争に涙する。戦いに勝っても、葬礼をもってこれに処すべきである」ということである。

この老子の言葉を、非戦論者のシュヴァイツァー博士は、 一九四四年五月七日、ドイツ軍が降伏し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦が終了したとの報に接した時に、アフリカの奥地の病院で、ひときわ感慨深く味わったというエピソードが今に伝えられている。仏語訳の老子を読んだに違いない。

戦争では、勝つ方が、より多くの人を殺すことになる。殺したら、これを悲しいこととして泣く気持ちがないと、人はだめである。「勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らぎれば、害その身に至る」という一節が、徳川家康の「東照宮遺訓」にもある。老子と同じことが書いてある。

勝った者は負けた者に、喪に服する気持ちで当たっていかないといけない。成熟化市場で、ライバルを潰す。強くないと、社員を食わしていけないから、他社を潰していく。その時、ややもすると恨みを買う。恨みを買わないためには、「ごめん」という気持ちがないといけない。ライバルに対して勝つことは、非常に大切だが、「人の痛み」がわかる心を常に持っていることが、大将の器の一番の中心である。勝つことばっかりに夢中になっていると、必ずだめになる。

社長がこれから永く事業をやっていくには、人の痛みをよく理解しないとだめだということだ。大将の器量の中にもう一つ補足することがあるとすれば、先述したように、自分は村長だ、自分は網元だ、自分の懐に飛び込んできた者は食いっぱぐれさせないという基本姿勢を加えて欲しい。

感性と霊性の高め方

人間の能力は、大体、二つの分野に分かれる。

一番低いところに知性がある。正しいとか、正しくないという基準で物事を判断する。つまり、知性は知識、特に記憶力を中心にして成り立っている。知性の豊かな人たち、たとえば、漢字を一つ余計に知っているというような人たちは、事務方に合うタイプである。計算とか法律も、この範疇に入る。今までの日本では、記憶力の豊かな人たちが、頭がいいとされていた。試験制度もこれに基づいていたので、誰もが知性を磨いてきた。しかし、実は知性の上に感性がある。

感性は、好きとか嫌いとかが基準になっている。五官、すなわち目や耳や鼻や口や皮膚感覚を通して感じることを感性という。感性は、創造力が中心になっている。人間の脳でいうと、右の脳にある。知性は、左の脳にある。感性豊かな人は、とりもなおさず創造力豊かな人であるから、商品の開発とか、あるいは新規事業の開発とかに非常によく向いている。

この二つの能力は、脳みその置きどころも全く違っていて、知性豊かな人が感性豊かかというと必ずしもそうではない。感性豊かな人が知性豊かかというと、これも、必ずしもそうではない。両方がほどほどになっている人が多いのだが、なかには非常に偏っている人もいる。

戦後、四十年、五十年、 一貫して知性豊かな人が登用されてきた。ところが、いまの世の中では、感性が豊かでない人はだめである。

たとえば、以前は雨露をしのぐために衣類を買うとか、家を建てるとかいうように、必要に迫られて行動を起こす人たちが大半の時代であった。今は、結婚するのも、物を買うのも、ほとんど好き嫌いで判断する。つまり、正しい結婚というのはない。好きだから結婚する。好きな色や形や素材の衣服を買う。好きだから車を買う。要するに、社会全体が豊かになって、かなり消費の構造が変わってきた。それにつれて事業の構造も変えなくてはいけない時代に入っている。

男は女と喧嘩をしても、絶対に負ける。

男は、知性的である。つまり、理屈が中心になっている。正しいとか正しくないという基準で物事を判断する男が大多数を占めている。勉強でいうと、論理的な物理とか数学とか法律とかが得意だ。ところが、ほとんどの女は、感性、つまり好きとか嫌いとかが中心で物事を判断する。たとえば、私と妻が喧嘩をしたとする。

「君、こっちが正しいんだよ。こうしないと、絶対に損する」と、私が言う。「あなた、正しいとか正しくないとか言いますが、いくら言っても、私は大嫌いだもの」と言われたなら、 一発でおしまいになる。

つまり、正邪ということと、好き嫌いということは、交わることがない平行線である。しかも、知性より感性の方が上だと先述した。いくら喧嘩をしても平行線で、「大嫌い」と言われた途端に、選挙には落ちるし、物は売れないし、支持も得られない。だから、男は女と喧嘩をしても負けるという理屈になる。

お客様と社員が喧嘩したら、必ず社員は負けてしまう。嫌われたらおしまいだからである。

感性の上に霊性がある。

霊性は、善悪や好き嫌いとかいう領域を超えている。霊性は、「分からない」というのが正確な言い方で、たとえば、運が非常にいいとか、あるいは勘がいいとかいうことである。感性は五感だと言ったが、霊性は第六感である。

人間が論理的に関知し得ない分野がたくさん残されている。たった今、「霊性は分からない」と言ったのはそのことで、まさしく不明の分野である。霊性で物事を判断していく、これこそ、指導者に相応しい能力である。指導者は、理屈で「こっちへ行こう」と道を選ぶと同時に、「あっちへ行くと、どうも危ない」という第六感が働かないとだめだ。第六感は、指導者にとって非常に大切な能力である。

指導者たる社長は、感性と霊性とを身につけなければならない。

霊性、第六感を働かせるためには、物事を絶えず積極的で明るく考えていかなければ、それを発揮するチャンスが通過してしまう。「チャンスの女神に後ろ髪はない」……つまり、女神は、通り過ぎてしまったら、後ろ髪を掴もうと思っても掴めないということだ。チャンスをものにするには、すべて第六感に基づくわけだから、霊性を豊かにしていくことが必須である。

第六感の分野では、たとえば、高層ビルのエレベーターに乗る時でも、乗客が十人いたとして、「この人は何階で降りる。あの人は何階で降りる。この人は何階で降りる……」と、言い当てる訓練を常にしていると、いつの間にかそれが当たるようになり、第六感が働くようになる。

昔、禅は山水を用いた。野山に伏して、滝に打たれて修行をした。いま、禅は山水を必ずしも用いないということで、ほとんど道場で修行をするようになり、それだけ野性の感性が鈍ってしまった。後ろから弓を射かけられても、 一瞬の殺気を捉えて、パッと身を翻すような勘が非常に豊かだった時代があるが、今はそういう勘が失われている。確かに、現代人は野性の感性がだんだん退歩していっている。野性の感性を一番残しているのは運動選手で、次が経営者だ。

指導者になるためには、いつでも第六感を身につける訓練をすべきである。先述したように、エレベーターに乗る時、「この人、何階で降りるか」ということを言い当てる訓練をしておくことが大切だ。

自分自身を知る

分とか器量は、磨けば光ったり、育てれば大きくなる。しかし、「自分が何者であるか」は、なかなか分からない。

「自分自身」は、霊性を訓練することで、分かるようになる。たとえば、神様がいる。おかしなことを言うようだが、「神は、何のために自分をこの世に遣わしたんだろう」ということを、霊性を働かせるとだんだん悟るようになる。そうすると、多くの支持者が現れて、人々に自らの信念するところを説いて歩くことができるようになる。ただし、そうしているうちに、ややもすると自惚れが出てくる。自惚れは、厳しく戒めなければならない。そうしないと、逆に自分自身を見失うことになりかねない。とにかく、私は、次のように固く信じて、いつも行動している。

「企業が危機に瀕すると、多くの社員を食わせていけなくなるから、神様は、自分にコンサルタントという職業を与えてくださったのだ。たとえ、飛行機事故が起こっても、自分はまだ多くの会社から必要とされているから、死なないに違いない。それに、エイズだ、エボラだ、O1157だと、たくさんの病がはやっても、自分はかからないに決まっている」と。だから、01157の最中でも、堺にも、大阪にも行って、ガブガブ水を飲んでも平気だ。

飛行機に年じゅう乗っているが、平気である。「ヒョッとしたら……」と、自惚れてはいけないが、謙虚さを保ちつつ、そういう強い使命感を身につけていくことは非常に大切なことだ。会社にCI (コーポレイト・アイデンティティ)があると同様に、個人にもPI (パーソナル・アイデンティティ)がある。各人がアイデンティティを明確にする。そして、「人間一人ひとり、もし神が遣わしたとすれば、なぜ遣わしたんだろう」と考える。すると、「この商品を自分が売っているからだ」とか、「この商売を自分がやっているからだ」ということに突き当たっていく。それを大いに磨いていく。そういうところから自分自身を知っていく。誰もが自分を中心に物事を考えるが、そうではなくて、なぜ偶然にも人として生まれたかを知ることが大切である。

物事の本質を見抜く眼

千変万化の世にあって、固謳を脱ぎ捨て進取を身につけるのは、優れた処世であるが、不易のものを見失っては事を逸する。経営も同じである。この世界には、人間的要素=文化と、機械的要素=文明との二つの側面がある。

四書五経を初め、古今東西の色々な古典を経いてみても、人間の本質は、五千年も前から少しも変化していない。つまり、人間的要素は変化しない。

母親は子供を愛する。五千年前は愛していなかったかというと、やはり愛していた。いまでも愛しているし、将来も愛する。要するに、愛は不変の人間的要素の一つである。

ところが、機械とか物質は、どんどん変化していく。昔はのろしが通信手段だったが、いまは電波になっている。その電波も、PHSが普及するぐらい無数に飛び交っている。乗り物も、駕籠から馬車にかわり、そして機関車や電車になって、個人単位で乗れる自動車が走り、さらにプロペラ機がジェット機になって、世界中を飛び交っている。

まず、私たちは、古典の勉強をすべきだ。そうしないと、せっかく五千年の歴史があって、人間の本質を教えているのに、また一から研究しなければならなくなってしまう。馬鹿馬鹿しいことだ。

同時に、文明の本質についても勉強する。機械文明とか、物質文明とかは大きく変わっていく。だから、その分野における未来予知能力がないと経営はできない。未踏の分野にこれからどんどん進出していく文明や科学やシステムを、積極的に研究していくべきだ。

つまり、人間的要素プラス機械的要素、情プラス科学が必ずテーマとなる。換言すれば、文化にプラスして文明を勉強していかなければならないということだ。文化と文明とは、およそ違う。

情を中心に、五官を通して感じるものを文化という。日で見て、すばらしいと思うから、絵を描く。その極致に立つと、「文化」勲章をもらう。歌舞音曲を極めると、同様に「文化」勲章をもらうわけである。つまり、五感を反映したものが文化だ。

文化は、「不変」をテーマにしている。だから、私たちは近松門左衛門の心中ものを見ても、シェイクスピアの悲劇や喜劇を見ても、今でも感動する。一方、文明は、科学が中心である。科学とともに、機械文明、物質文明は発展していく。「変化」がテーマだから、止まるところを知らない。文明の範疇に属するものを変化させきれない会社は、必ず潰れてしまう。経営者には、そういう物事の本質を見抜く眼力が必須である。いたずらに時代の混沌に飲み込まれてはならない。変化の中にも不易を見逃さないことだ。

経営の王道と覇道

資本主義は競争が原理であり、赤字になってもだれも助けてくれない。この冷厳な現実を忘れてはならない。金儲けが下手な社長は、そもそも社長たる資格がない。そういう姿勢で事業を経営していけば、まず間違いない。儲けを目的とする経営には、王道と覇道がある。

王道とは、 一人当たりの売上、 一人当たりの粗利益、 一人当たりの経常利益、 一人当たりの給料を、できるだけ高くするように努力することである。規模よりも質を追求することを王道という。

ある社長が、「私のところは、ここずっとそれほど規模が大きくなっていない。でも、質はよくなりました。それは、儲けの薄いお得意さんをだんだん減らして、いいお得意さんだけを残していくことを繰り返してきたからです」と言っていた。まさにその通りである。

つまり、百社のお得意様があったとして、本当に儲けさせてくれるのはせいぜい十社とか二十社だ。あとの人割は、ほとんどだめである。

百社を新規開拓して、そのなかの二十社ぐらいが良かったら、その二十社だけを得意先としてつけ加える。後の残りは、ほんの少しだけしかつけ加えない。ただし、選外の得意先でも、A ・B 。Cのランクをつけていって、将来いいお得意様になるとか、ならないとかの分析だけはする。もし、なりそうなら、得意先として残しておく。いま儲かっていなくても、残しておく。質を追求する王道では、特にそういう見極めが大切である。もう一つの覇道は、文字通り「覇」を競って、儲かっても儲からなくても、市場占有率をどこまでも高めていくことである。つまり、敵が入り込む隙をつくらないために、あらゆる仕事を奪い取ってしまう。相手を叩いて、制覇するといういき方だ。

どちらを取るかは、自由である。とにかく、儲けの道には、二つがある。そして、繰り返すが、資本主義は競争が原理だということを知っておく。潰れても、だれも助けてくれないということである。

儲けるに当たって、経営で一番大切なことは、先述したように、いつでも開拓すべき市場が残ぅているということだ。

開拓すべきお客様がまだ残っている、こういう会社はこれからも非常に強い。店をつくろうと思っている場所にまだつくっていない、こういう会社も非常に強い。たとえば、現在、十店ほど構えているが、あと百店もつくれる場所があるという余裕が大事である。得意先として開拓すべき地域とか、増設すべき工場とか、売るべきお得意様が、まだ山ほど残っている……こういう会社は強い。

薬や酒のディスカウンターや背広の安売り店、ボーリング場などの分野は、もう成長産業ではない。成熟している。そうすると、生き残る道は、敵の市場を奪うしか残されていない。奪うためには、際立った商品をつくったり、際立った営業戦略を用いたりする以外にない。儲けの道は、すべてこうなっている。

だから、残された市場をたくさん持っていることが一番だということを肝に銘じておく。そして、金儲けは、社長である以上、上手であって当然だ。儲けが上手でない人には、社長は務まらないということだ。

これは、米をたくさんつくれない、あるいは魚をたくさん採れない人には、村長が務まらないのと同じである。自由競争が原理の資本主義は、そうなっている。だから、優勝劣敗の資本主義の原理を厳しく忘れないで欲しい。

危機の意識と対応

「危機に瀕したときには笑い、好機のときには、逆に叱咤する」という言葉がある。そういう態度が、事業経営のうえでは特に大切だ。

『菜根諄』に、こんな言葉がある。

「恩裡には由来害を生ず。故に快意の時は、すべからく早く頭を回らすべし。敗後には或は反りて功を成す。故に払心のところは、たやすくは手を放つことなかれ」意訳すれば、「失敗や災害は好調の時にやってくる。だから、好調の時こそ、よく頭をめぐらし、油断しないようにすべきである。また、失敗した後に、かえって成功することが多い。だから、失敗したからといって、投げ出してはいけない」ということである。本当に困っている時、周りからとやかく言われたりするが、そのときにこそ笑っている。しかし、事態がよくなった時は、逆にぶんどしを引き締め、叱咤激励しながら一軍を率いていくという心構えが大切だ。

具体的に危機に瀕した時には、分析が必要である。

どういう危機か、まず分析をする。分析をすることで、大事が大事に至らない場合がある。

たとえば、過日、メキシコで三洋電機の現地法人の社長が誘拐された。すると、世界中が「日本人は金を出すからだ」と言って、批判をする。ところが、日本人の国民性は、命のほうが大切だという感覚をもっている。日本人の中にも、金を出すことに反対の人がいたかもしれないが、大多数は命が一番大切だと思っている。確かに、誘拐は増えるかもしれないが、金はまた稼げばいいことで、命にはかえられない。

ただし、いつもいつも身の代金を渡していると、そのうちに甘く見られるに違いないから、

少しずつヘッジをする。誘拐されたら、そこにプロの誘拐団がからんでいるのか、命が助かるのか、助からないのか、 一切を警察に任せたほうがいいのか、警察に任せたなら確実に殺されてしまうのか……そういう分析が大切である。

情勢の分析と判断を間違うと、それこそ命がなくなってしまう。危機の場合は、情勢の分析と判断が、生死を決する。

事業経営でもそうである。

戦後五十数年の歴史の中で、いろいろな法律が変わり、たとえば、粉塵とか騒音とか、あるいは汚水とかの公害を防止する法律が施行された。そのさなか、私の知り合いの社長が、突然、槍玉に挙げられた。新聞やテレビで大々的にたたかれ、もう会社は潰れてしまうだろうと、社長本人も周りも思った。

社長は、手を扶いてオロオロするだけで、打つ手を知らない。要するに、状況の分析と判断が全然できなかった。そこで、私が乗り出すことになった。それまでにも、いろいろな危機に遭遇した会社を何件も手助けしてきたので、私は、こういう対応に慣れていた。

「何を措いても、 一週間以内に、大きな浄化装置をきちんとつくりなさい。金がなければ、銀行から借りてでも、早急につくる。つくったら、すぐにマスコミ関係者を一斉に呼んで、パーティーを開いて、完成した設備を報道してもらいなさい。自分たちでも写真を撮って、その写真を提供する」と、策を授けた。

実際に、パーティーを十日後にやったのだが、すると今度は、「あそこは立派な設備にした」という宣伝が行き届き、お得意様が増えたりして、たちまち災い転じて福となしてしまった。危機には、色々なケースがある。会社がピンチに立った時には、繰り返すが、情勢の分析が物すごく大切である。事あらば、何よりもまず冷静に分析することだ。次に、危機への対応について書いておく。

危機の対応では、どのような筋書きを書いていくかということが大切だが、それには予知する能力が不可欠である。つまり、実務処理能力がないとだめだ。業績が悪化している会社に行ったときに、どうすればよくなるかという予知能力がないと、コンサルティングはできない。

私は、「増客しなさい」と、まず言う。売上を伸ばしたいからである。同時に、「仕入れとか、あるいは製造原価といった変動費を大幅にダウン」させる。たったこの二つで粗利益が大いに増えていく。そうすると、いわゆるリストラなどしなくてもいい場合さえある。ただ、やむなく身軽にするためにリストラすることもあるし、資金が足りなければ資金調達もする。

そういうのは、すべて実務処理能力だが、その一番最初、根っこにあるのは予知能力である。 一日で「どこが悪い」と予知し、手際よく次から次へと直していく力がないとだめだ。だから、分析力の次に、そういう現実の対応力を身につけて欲しい。危機の中で一番大切な分析、それから予知能力、次に的確な手を打つ……そういうことを頭の中にしっかり入れておくことだ。

統率力と実務能力

統率力とは、概略、以下の一連の流れから成り立っている。

まず、ものを思考して、次に百計を立て、さらにそれを期行する。

一口に思考するというが、「思う」と「考える」とは全く違う。「思う」とは、「感じる」ほうに近い。感じるのは、ほとんど心で感じる。頭では感じない。「考える」とは、確実に頭で考える。「思う」と「考える」は違う。とにかく、心と頭を駆使して「思考」する。

次に、百計を立てる。計画をめぐらすという方がより正しい。環境の変化があったり、敵がいたり、事業経営は一筋縄ではいかないので、ここでは敢えて「百計」とした。権謀術数の限りを尽くして事業発展の計画を立てる。そして、それを蒻行する。

こういうことから事業経営は成り立っているのだが、統率力も、大きな意味で、「思考」「百計」「朗行」の二つから成り立っている。この二つは、順番を変えても、 一つを抜かしてもいけない。

もう少し具体的に言えば、まず、思考の中で経営者として最も大切なことは、直感力、ひらめきである。勘や先見性も、すべて直感力にほかならない。

思考を下に降ろし、広く伝達していくためには、発表力を身につけておく必要がある。

私の友人で、しかも、父親のように仲が良かった滝口長太郎さんという方がいた。小学校しか出ていない。そして、どもりだった。社長でありながら、社員の結婚式にさえほとんど出席しない。「挨拶をしろ、と言われるから出ない」ということで、長年、通してきた。あるとき、滝口さんは、話し方の先生と出会い、「人間味豊かなものをたくさん心の中に持っているのに、その発表ができないというのは、寂しいことだし、何とも惜しい」と言われた。それで、話し方教室で一年がかりで一生懸命に勉強して、どもりが治った。すると、結婚式に出たくて出たくてしょうがなくなった。果ては、全国の倫理法人会の会長になり、 一生懸命に活動をやっていた。

私は、この人が好きだった。まるで親子のように仲良くなって、 一緒に講演もやった。滝口さんが、私の話を最後に聴いてくれたのは栃木県の宇都宮市だった。それから、わずか一か月後に滝口さんは亡くなった。実の父親を戦争で失っていた私は、とても悲しかった。

滝口さんは、「打つ手は無限」というのが晩年の座右の銘で、その通りの言葉を自分の墓にも書いている。今の時代に最も相応しく、なおかつ、素晴らしい詩なので、ここで紹介しておきたい。

「打つ手は無限」

すばらしい名画よりも、とてもすてきな宝石よりももっともっと大切なものを私は持っている

どんな時でも、どんな苦しい場合でも愚痴を言わない

参ったと泣き言を言わない

何か方法はないだろうか、何か方法はあるはずだ

周囲を見回してみよう

いろんな角度から眺めてみよう

人の知恵も借りてみよう

必ず何とかなるものである

なぜなら打つ手は常に無限であるからだ

本題に戻るが、滝口さんは、それほどまでに発表力が豊かになった。どんなに頭がよくても、自分の思っていることを発表できないのでは、能力が半分になってしまう。説得力や発表力は、人を統率する時に非常に大切だ。

次に、百計の計画力では、「感じる」ことを「考える」ことに切りかえて、それを具体的に計画の中に流し込んでいくことが重要である。つまり、成功のシナリオをきちんと書けないといけない。

伊藤景パック産業という会社があり、お菓子や弁当のパッケージ類を売っている。パン店とか、お菓子店とか、ファーストフード店が主要なお得意先である。

ある時、そこの常務が、お得意様のお菓子店を訪問したところ、

「あなたね、パッケージを売りに来るんだったら、いつも常務様がわざわざ来る必要ないよ。面接して、お茶を飲んで、無駄な時間を費して、忙しくてしょうがない。パッケージのことだったら、ファックスとかカタログだけを送ってくれれば十分だ。あんたは、たくさんの店を回ってるんだろう。あんたが来るからには、どこの店がなぜ繁盛しているか、どういう商品を売って、どういう値段で、何時から何時まで売って、どういうお客さんが来ているか、それを教えてくれない限り、来る必要ないよ」と言われた。それでこの常務は、雷に打たれたようにショックを受け、考えに考えて、自分の会社の中に「繁盛店サポート部」をつくった。繁盛店サポート部は、正社員がたった四人で、そのほかに社外のスタッフでコピーライターとか、デザイナーとか、プランナーとかを置いて、活動を展開することになった。繁盛店サポート部の主な仕事は、どういうことか……。お菓子屋さんを訪問しても、どこでも似たような商品ばかりを売っている。形も、味までも似ている。それは、実にひどいものだ。

私は、過日、岐阜県の長良川に行ったが、そこで、竹かごに入ったアユの形をしたお菓子をお土産にもらった。それからしばらくして、今度は、伊豆のほうへ行った。その時に、行きつけの店があって、ぶらっと立ち寄ると、その店の社長がお土産に菓子をくれた。家に帰って開けてみると、長良川のお菓子と寸分変わらない。「互いにこんなに離れていても、同じものをつくっているのか」と、ほとほと果れ果ててしまった。お菓子屋さんはかくのごとく、どこも同じだ。売れると思うと、機械も全く同じものを買ってきて、全く同じ菓子をつくってしまう。これでは、長く、百年も、三百年も続くような会社は築けない。

そこで、繁盛店サポート部の登場となる。

部員が、お菓子屋さんの社長と面接をして、「どういうお菓子をつくりたいのですか?」と聞く。菓子職人にも同じことを聞くと、彼らは夢をいっぱい話してくれる。ただし、現実にはそういうものを少しもつくっていない。「じゃあ、私たちがサポートしますから、 一緒につくりましょう」と言って、五十回でも百回でも、心いくまで作り直す。 一年かかり、二年かかりして、特色のある味の菓子を作り上げる。他社が菓子を分析しても、「この味は、どうやって出したんだろう」と、首を傾げるくらいに分からない味をこさえてしまう。

そして、お菓子を五個なら五個、十個なら十個、パックに入れて試供品を作り、それを自店の半径五百メーターのところに、家が何百軒あろうとも、全社を挙げて配ろうと提案する。

「このお菓子は、おいしくて、こういう特色があります。私たちが命を賭けてつくったものです」という売り文旬も授ける。

さらに、試供品と併せて商品券、つまり三割引券(三割引券ではだめである。三割引はどこでも、何の商品でもやっているからだ)を持っていく。かなり多めにそれを持っていって、気前よくばらまく。商品券の有効期間が二か月であれば、私の経験から言えば、最低でも八割以上の人が商品券を使う。そして、その商品が、その地域で根づいていく。

こういうことが、「計画」とか「実行」とかいうことである。それができていない。いろいろな会社へ行くが、全然できていない。それは、全体的な思考の中に「味がみんな同じだが、どうしよう」という問題意識が不足していたり、戦略的に計画が立っていなかったり、計画を強力に実行する力がなかったりしていることが、主な原因である。つまり、実務処理能力と統率力が、うまくかみ合っていない。こういう不都合が、非常に多い。統率力は、社長とか、社長のすぐ下にいる人たちの問題である。実務処理能力は、社長を含めた全員の問題だ。

クリエイティブなものを十分につくれる実力があるのに、みんなと同じようなものしかつくっていない。売り方でも、お菓子を漫然と店頭に置いて、「やっぱり、売れなかった」と、すぐにあきらめてしまう。最初は、確かに、創作で特殊な味だから、なかなか売れないかもしれない。そうであるなら、なぜ全員で手分けをし、試供品を持って、家庭訪間をしないのか。そして、いいお菓子でおいしいということをわかってもらうキャンペーンを、社命をかけてやることを、なぜ社長は全社員に説得しないのか。こういう統率力と実務処理能力が不足しているのではないかと思う。

「思考」「百計」「蒻行」を実務で行わなければ、知っていても何もならない。絵に画いた餅である。

諌言を容れる度量

今から三千年以上も前のことだが、中国では国が乱れ、諸侯が相抗争する春秋時代を迎えた。

「呉越同舟」に讐えられるように、呉と越は特に犬猿の仲だった。たびたび小競り合いを繰り返していた。

ある時、呉王の間間は、越を撃とうと出兵し、逆に越王

こうせん

勾践に迎撃されて深手を負い、無念のうちに死んでしまう。臨終に当たって、聞間は息子の夫差に、「汝の敵は越王勾践なり」と耳に焼き付ける。父の恨みを抱いて夫差は呉の後を継ぐ。

すると、「夫差はまだ若く、力がないに決まっている」と、越王勾践は判断し、呉を一気に攻め滅ぼそうとした。そのきに、参謀の疱議は、「攻めてはいけない。父親が亡くなったときは気が引き締まって、 一層、強くなる。必死に頑張る」と、匂践を諌めた。諌言を無視して、勾践が軍を率いて呉に勢いよく攻めていくと、敵は最強の精鋭を結集して、これをたちまち撃破してしまった。勾践は、残兵を率いてこれを追撃して、完全に包囲してしまう。

会稽山に立て籠もる。夫差は、進退窮まった勾践は、疱量の献策に従って、和議を申し出る。 一切の財宝を夫差に献じ、夫妻ともに奴隷になることを条件に、懸命に命乞いをした訳である。夫差は、勾践を許そうとしたが、夫差の参謀・伍子膏は、「勾践を見くびってはいけない。この際、 一気に越を滅ぼして、禍根を絶つべきだ」と諌めた。この情報に接するや、勾践は決死の覚悟を決め、最後の戦いに挑もうとした。ここから、参謀同士の虚々実々の駆け引きが始まる。

はくひ   わいろ        かいじゅう

茫議は、勾践を諌めて決戦を思い止まらせると同時に、呉の重臣伯素に賄賂を贈って懐柔に回った。思惑通り、貪欲な伯率はすぐに靡いた。夫差を説いて伍子膏の諌言を退けさせてしまった。こうして、和議が成立した。勾践は何もかも失ったが、消量の術数で、国に帰ることだけは許されたのである。 一命は取り留めたとはいえ、王の身分から一挙に乞食の境遇に身を簑したも同じである。これを、「会稽の恥」という。

忠臣の伍子膏は、その後も、越を討つように繰り返し夫差に進言したが、ついに聞き入れられなかった。それどころか、夫差は、伯語の議言を聞き入れて、伍子膏を自殺に追い込んでしまう。

押しも押されぬ王者になった夫差は、ある時、今でいう国際会議みたいな集まりで諸侯を語らって北上し、晋と覇を争う。この隙に乗じて、勾践は呉を侵略する。伍子膏の諌言どおり、禍根が一気に芽を吹き出した訳である。慌てて帰国した夫差と一旦は講和を結ぶが、やがて越は呉を完全に蹂躙してしまう。越王勾践は、夫差を浙江の地に移そうとしたが、夫差はこれを拒否し、自刃して果てる。文字通り、「後悔先に立たず」である。これで、呉は消滅し、越はより大きくなった。

伍子膏は、死ぬにあたって、「自分の墓に梓を植えて欲しい。大きくなったら、呉王の相桶を作るためだ」と言い残した。忠臣の無念が思われてならない。

一方、越に勝利をもたらした名参謀の消量は、やがて勾践のもとを自ら去ってしまう(その理由については、「福相の作り方」の項で後述)。滝露と共に目覚ましい活躍をしたもう一人の参謀。文種は、池義の誘いを振り切って越に留まり、ささいな事を理由に勾践に首を斬られて、これまた無念の最後を遂げる。歴史上、参謀の不遇や受難は数知れない。

参謀を良く用い、末長く功に報いることは非常に難しい。議言を退け、忠言に耳を傾ける勇気と度量を持って欲しい。国でも、会社でも、大抵、参謀や右腕を失う時に乱れ、イエスマンや俵臣に取り囲まれて亡びる。忘れてならない歴史の理である。中国の故事が日本に伝わっている。家康も、秀吉も、中国の歴史や兵法に学んで多くの手法を採り入れた。『十八史略』や『史記』を初めとする様々な古典は現代でも非常に勉強になる。

「宋襄の仁」という言葉がある。宋の襄公は楚と争って大敗を喫し、その時の傷がもとで死んでしまう。戦いに臨んで、参謀の目夷が、敵の陣容が整わないうちに攻撃するよう進言したが、襄公は、他人の困難に付け込むのは君子の道ではないと、これを退けた。仁義を重んじ、楚軍が河を渡りきるのを待って決戦を挑み、逆に大敗したことから生まれた言葉である。情けをかけるにも程があるという戒めである。競争が原理の資本主義にあって、ライバルを遇する指針として欲しい。同じ轍を踏んではだめだ。度量がいくら大きくても、穴が開いていたら何にもならない。

また、呉王夫差と越王勾践に関連して言えば、「臥薪嘗胆」という故事成句がある。

「臥薪」とは、呉王夫差が、いつの日か越王勾践を討って父聞間の無念を晴らそうと、父の辛苦を忘れないために、朝夕、薪の中に臥して(寝て)復讐を誓ったという故事に由来する。

「嘗胆」とは、勾践が呉を討って「会稽の恥」をすすごうと、常住坐臥、飲食のときも肝を嘗めて苦しさを味わいながら、報復を忘れまいとした故事に由来する。

「臥薪嘗胆」とは、呉王夫差と越王勾践の故事から出た言葉で、・仇を討つために辛苦して自ら励ますとの意味である。

このように、歴史上有名な色々な戦いの中に、さまざまな戦略があったり、人生の機微があったりしている。遠くに旗を立て、後日を期して今に励む事業家の心構えとして大いに役立つ。参考にすべきである。

秘書の用い方と時間管理

秘書を置くか、置かないか……置いた方がいいに決まっている。社長の仕事が倍できるからだ。

お金の清算など、しわくちゃに丸め込んだ領収書をバサッと秘書に渡すだけで十分である。忙しくあちこち飛び回っている身には、当然のことだ。どこからどこまでタクシーに乗ったか、秘書に想像させて書かせればいいことだ。そんなことまで一々やっていたら、本来の創造的な仕事ができなくなる。

社長自ら、事務的な仕事やコピーなどの雑務までやっている姿を目にすることがあるが、狂っているとしか思えない。本気でそう思う。「もっと創造的な稼ぐ仕事に専念しなさい」と、言ってやりたい。

時間管理やスケジュール管理でも、私は手帳を持たない。アポイントが目白押しで忙しいからこそ、手帳を持たない。アバウトな人間が下手に手帳など持つと、かえってスケジュールがダブって、身動きが取れなくなる。キャンセルするのも非常に面倒だ。そこで、スケジュールは秘書に一元管理させている。

朝の八時、九時から、夜の十時、十一時まで、時間帯ごとに一日のスケジュールを一週間分まとめて、自宅にファックスしてもらう。それを、妻が自宅の壁に張っておく。同時に、拡大コピーした同じものが事務所の私の机の上に置いてある。私の頭の中には、四、五日先のスケジュールしか入っていない。それを、社長が鉛筆なめなめスケジュールのやり繰り算段しているようでは日が暮れてしまう。

秘書は、絶対に必要だ。しかも、優秀な秘書でなければならない。社長によっては、二人、四人、五人と秘書を抱えている。

また、秘書は女性ばかりとは限らない。ただし、男性の秘書には、秘書と称しながらも、単なる秘書業務だけではなく、社長室的なスタッフ業務をさせるようにする。社長の手元に置きながら、新事業の勘所や、経営のセンスや、見識を鍛えていく。だから、秘書から社長に抜擢された人も相当多い。

阪急電鉄創業者の小林一三さんは、大勢の秘書を置いていたが、その中の一人に前述の清水雅さんがいた。小林さんの跡を継いで、電鉄からデパート、宝塚まで任され、また、東宝の社長を久しく務め、衰退の映画産業にあってひとり気を吐いていたことは夙に有名であるが、その清水さんは秘書出身だった。

西郷隆盛も、島津斉彬のお庭番、今の秘書役であった。斉彬が取り立て、マンツーマンで教育したお陰で、西郷一個の命は一つの藩よりも重いと言われる位の人物にまで成長することができたのだ。

女性秘書を置く場合の注意を、 一言述べておく。とかく、不要な誤解を招かないようにするためだ。

まず、運転ができても、女性に運転をさせ、同乗するということは絶対にしないことだ。火のないところに煙が立ったり、尾鰭がついたりするものだ。用心して欲しい。女性秘書とは別行動をとることが原則である。もちろん、男性秘書の場合は、この限りではない。また、女性秘書を置くに際しては、妻に面接させ、了解を取っておくほうが無難だ。

秘書の主な業務について、以下に簡単に羅列する。

① スケジュール管理・時間管理

これは、今まで書いてきたことである。

②接遇

多忙で留守がちな社長に代わって、来客に対して粗相なく接待できなければならない。

③電話応対

電話の受け答えは、非常に大切だ。応対次第で、社長や会社のすべてが瞬時に判断、あるいは誤解されてしまう恐れがある。

また、社長が在席の場合の取り次ぎの可否について、あらかじめ判断の基準を設けて、指示しておく必要がある。

④名簿管理

色々な会合に出るたびに、名刺が山のようにたまるものだ。そうした名刺を放置しないで、すぐにキチッと名簿化し、お中元やお歳暮、年賀状や暑中見舞いなどが、必要に応じてタイムリーに送れるようにしておく。こういう些事が信用につながっていくものだ

⑤手紙の代書

ワープロを打てることが、秘書としての最低条件である。社長の手書きならば、本物とすぐに分かるが、ワープロだとだれの文章か分からないことが多いが、これもまた長所の一つでもある。確かに、個性がない、事務的で冷たい、いかにも手抜きだ……と、欠点も多少ある。大切な人や用件については、やはり社長直筆にすべきだ。その辺の判断が間違いなくできるように、意思の疎通を図っておく必要がある。

⑥社長の代理

社長の代理で慶弔に出席させる。

秘書に行かせるべきか、総務部長に行かせるべきか、判断に迷うこともある。失礼にならないようによくよく考えるべきだ。

たとえば、結婚式がダブって一方にどうしても行けないという場合は、総務部長でも秘書でもなく、自分の妻を措いて代理にかなう者はいない。結婚式は非常に個人的なものだから、間違っても秘書や総務部長を行かせてはだめである。身内という意識を中心に考えるべきだ。

病気見舞いなどは、秘書でも、総務部長でもかまわないが、秘書の方がいい場合がどちらかというと多いものだ。みっともないことがないように、ケース、ケースで、社長自ち判断して欲しい。

⑦贈答

贈答品の決定から発注、送り先の選択……の一切を安心して任せられるようにしておく。また、贈答を受けた場合の適切な対応も当然に含まれる。

③年賀状・暑中見舞いの手配

名簿管理のところでも触れたが、時宜を外さずに確実に手配する。社長が練った文案を印刷に回し、納品されたハガキに宛て名書きし、年賀状は元旦に、暑中見舞いは八月七日までに届くようにする。

⑨社長個人の身辺業務の世話

身辺の世話では、かなリプライベートな部分とラップすることがあるので、日が堅いことが秘書の大事な要件だということを知ってさえいればいい。

⑩個人資産の管理

会社の公的な領域と不可分に、社長の個人的な資産運用ということが当然に発生する。もちろん、公私混同は避けなければならないが、自分の妻が知識や経験不足で動きが取れない場合は、秘書に株の売買を研究させたり、有利な土地があれば実際に見に行って買わせたり……といったことが、会社の中でも割りと頻繁に起こるものだ。目端が鋭い、機転が利くということは、秘書業務の全般にとっても重要なことである。

①社長の健康管理

健康管理では、秘書は社長の食事とスポーツに気を配る必要がある。

私は、パーティー食や、移動の新幹線の中での弁当食が多く、栄養バランスが偏ったり、時間が不規則だったり、せわしかったりで、相当に食が乱れがちである。そこで、事務所にいるときの昼食は、家庭料理の店へ行って、玄米菜食をゆったり咀疇して摂ることにしている。店では、私が何も言わなくても、行けば必ず旬の菜が出てくる。そういう管理を、秘書がしていてくれるからだ。

また、 一日中講演で立ち通しだから、身体の筋肉を全然使わないこともしょつちゅうだ。だから、秘書にスケジュールを調整してもらって、意識的にゴルフをやるようにしている。もちろん、メンバーを揃えるのも、ゴルフ場を手配するのも秘書任せである。

⑫社内情報の伝達

秘書にある程度の社内情報は教えてもらうが、それに余り影響されてはいけない。情報の中に、個人的な感情が入っていると判断した場合には、聞き流すようにする。聞いても、割り引いて聞くようにする。

特に、女性には感情移入の性癖が強い。「そんなこと言うな」と、秘書を咎めても仕方ないので、聞き流すか、割り引いて聞くようにすべきだ。

⑬資料の収集

新事業。新商品の情報とか、ライバルの資料、業界全体の動向、官公庁発表の諸々のデータ、新聞・雑誌の切り抜き……必要に応じ、日頃から収集を指示しておけば社長の判断にとって便利である。

以上、事細かに秘書の業務について述べてきたが、こんなことまで一々社長がやってるようでは、いい仕事ができないに決まっている。私には、本当に解せないことだ。有能な秘書を置いて、健康を保ちつつ時間を有効に活用して、社長本来の創造的な稼ぐ仕事に遺憾なく邁進すべきである。

二、オーナー社長自身の豊かな人生を築く

「真の師匠」を得る

幾代にもわたる富や福を築くためには、「真の師匠」を得ることが、どうしても必要である。

社長として、どういう師匠を持つべきか。

第一番に、優秀な弁護士を持つ。トラブルの処理が有利になるからである。

二番目に、医者を持つ。人間は生身だから、健康が非常に大切である。

二番目に、会計±。財産を子孫に残すために必要である。

弁護士でも、医者でも、会計士でも、できれば自分より少し年下ぐらいが一番いい。本当に親しく、頼りにしてるのに、いよいよ相談しようと思ったら、その人が先に逝っていた…「あの世で待ってるよ」なんて言ったところで、シャレにもならない。だから、そういうことも、敢えてここに書いておく。

四番目に、絵の描けるコンサルタント。会計士も弁護士も絵は描けない。自由に絵を描くと、法律違反になってしまうからだ。事業経営には、ある程度、規則の枠を超えて処理せざるをえないことがつきものだ。処理がうまくいくかどうかを問われるコンサルタントと、処理が法律的に正しいかどうかを照らし合わせる人とは、まったく別である。特に、業績を向上させることなど、公認会計士や弁護士にいくら相談しても、そもそもが素人だから、 一切だめである。したがって、有能なコンサルタントを持っておくようにする。

五番目に、政治家。

六番目に、役人。

七番目に、学者。

人番目に、事業家。

以上のような師匠を、どの年代に、どのように得るかということが、非常に大切である。自らの人生計画の中に、それぞれ、きちんと織り込んで、オーナー社長として豊かな人生を築いていかなければならない。

本当の友人を持つ

親友とは、親のごとき友人を言うのであろうが、喜多方ラーメン本舗の塩見四子男社長には、親友が少なくても二人はいる。

アトピーなどに効果的な死海(イスラエルとヨルダンの国境にある)の化粧品や塩を扱っているアハバの山中英郎さん、山陰地方でナンバーワンのスーパーマーケット原徳チェーンを営む足立優さん、ドラッグストアで一部上場しているハックキミサワの後藤武茂さんといった、飲んだり、ゴルフをしたり、時には勉強したりするいい仲間がいる。

もともと塩見さんは、福島県出身であるが、岡山県の倉敷の麺作り家の娘さんと恋をして、嫁にもらった。倉敷の麺家で麺に惚れた塩見さんは、麺を福島の喜多方へもってきて、喜多方ラーメン本舗を築いたのである。したがって、自宅は倉敷にあって、最近では喜多方にも建てたので、二重にあるという変則的な生活をしていた。

奥さんは、倉敷にいるのがほとんどで、友人たちは彼の所在を聞いて倉敷へ行くか、喜多方へ行くかを決めていたわけだ。

しかし、ここ七、八年、仕事場が喜多方にあるので、自宅としての比重を倉敷よりも喜多方に置いていた。

塩見さんは、いわば素人から苦労して喜多方ラーメン本舗を創業したが、今日まで決して平坦な道ばかりではなかった。

年商が一億、二億、七億円と伸びて、これから本格的な成長期に入ろうという時に、ラーメンの販売を一軒の問屋にまとめていたのが災いした。問屋は、その成長に目をつけて、自分でラーメンエ場を作り、似たようなブランドでスーパーマーケットで売っていくという裏切りを行った。倫理感のないことだが、こういうことは結構多い。

その時に、私は出会ったわけだが、その苦労は大変なもので、これを乗り越えて新しい販売ネットを築いていった。多くの旅行代理店を廻り、観光地である会津若松のさらに先まで観光客を招いて、喜多方の繁栄を築いてきた。喜多方には、「吹雪亭」というラーメンを食べられる美しい店を築き、お土産店としてのルートも作った。塩見さんには、新しい別の夢もあって、それを実現しようと思っていた。その途上で、今、悲しい出来事が起こってしまったc

倉敷にいる奥さんが脳溢血で倒れてしまったのだ。

社長業は忙しいし、自宅が二軒に分かれていて、遊びが好きな仲間が周りにいれば、奥さんの心痛はいつも塩見さんのことだったと、塩見さん本人が言うのだ。奥さんが可哀想な立場だったことは言うまでもない。

ある日、突然、襲った脳溢血に気が顛倒して当たり前である。

友人たちは、「あの遊び人の塩見さんが、これを機に全く別人になってしまった」と、私に言うのだ。

それから六か月程たって、山中さんは喜多方に帰っているという塩見さんの自宅を尋ねた。夕方であった。

塩見さんと応接間で少し酒を飲んでいた。「ちょっと待っていてね」と言って、塩見さんが応接間を出て行ったが、なかなか帰って来ない。

そのうち、台所で夕飯の支度らしい音が聞こえてきた。トイレに立ったついでに、ふと覗いてみたら、何と塩見さん本人が夕食の料理を作っていたのだ。「やあ」と言いながら、手伝おうとしたら、「まあまあ、お客様はあっち」と、応接間に追い返されてしまった。しばらくして、塩見さんの手料理を山中さんは食べた。

会社の話や、遊びの話に……と、花が咲いたころ、また「ちょっと待ってね」と、塩見さんが席を立って行った。

今度は何だろうと思っていたが、なかなか帰って来ない。そのうち、風呂場らしいところから水の音が聞こえてきた。「俺が泊まるので、風呂の湯加減でもみているのか」と思い、覗きに行ったら、何と、塩見さんは倒れた奥さんを抱きかかえて背中を流していたというのだ。塩見さんは、倉敷で倒れた奥さんを、「俺が悪かった。俺が悪かったんだよ」と叫びながら、喜多方まで抱いて運んだらしい。

会社には、「妻の看病をしたいので、この一年間、迷惑をかける。月に一度程度しか会社に出ないけど、みんなよろしく頼む。頑張って欲しい」と伝え、看病に専念したのだ。社員は、その社長の言葉に良く応え、これまで以上に売上を伸ばし、味を磨き、「お客様、お客様」と一心不乱に頑張った。非常時に、全員が耐えて努力してくれた。

時々、女子社員が晩のおかずを自宅へ差し入れてくれたり、とても今まで考えられないことも数々起こった。

その後、足立さんと後藤さんは、山中さんと一緒に塩見さんの自宅を訪れている。塩見さんの自宅は、磐梯山のよく見える高台にあって、裏にある農家の方が、塩見さんに惚れて分けてくれた敷地である。

磐梯山を見ながら、廊下に並んだ四人は、大粒の涙を流してオイオイ泣いたというが、塩見さんは、「ありがとう、ありがとう」と言って、かえって慰めてくれたという。塩見さんに迷惑をかけるというので、二人はホテルを手配し、塩見さんに来てもらって夕食を一緒にしたが、「早く、お前、帰れ」と言って、帰したらしい。

二人は、「塩見さんは大きい人だ」と言ったが、塩見さんは、「友達が励みだ」と、私に言った。

今、奥さんは、塩見さんの親身の看病で、少しずつ快方に向かっているという。頑張れの声援を送りたい気持ちで一杯である。

一生に何回か、人生の岐路があったり、事業の成否を左右するような出来事が起こる。その時に助けてくれる本当の友人を何人か持っておくべきだ。もちろん、助けられているばかりでは能がないので、お互いに助け合うようにする。

困ったときに助けてくれる人が、本当の友人だ。文句をしょっちゅう言ったり、大げさに突ついてきたり、トラブルをつくるような人は友人ではない。そういう区別を日頃から持っておいて欲しい。

友達は、大切にしなければならない。危機に瀕したときなどには、特に友達の真価がわかる。また、祝いごととか、不祝儀とか、何かのきっかけに、本当の友達かどうかがわかる。そういう時でなければ、なかなかわからない。どうしても―平素の上辺に惑わされがちだが、人間性を見抜く眼力を普段の付き合いの中で養っておくべきだ。

家長としての心構え

オーナーシップ経営では、家庭生活とか親戚とのつき合い方が、永続繁栄の成否を決定するくらいに重要なポイントとなる。

親戚や一族の幸福を、自分がリーダーとして絶対に守っていく。

常に医者と仲よく友達つき合いをしていて、 一族のだれかが病気をしたら、その友達の病院へ入れてあげる。学校の受験で困っていたら、絶対に合格させてくれるぐらいの家庭教師をつけてあげる。就職で困っていたら、自分の責任で就職させてあげる。 一族の中で争いが起こったら、調停してあげる。どうしようもなければ、弁護士を立ててあげるが、ただし、そのときは、 一族から破門だということを教えておく。 一族の縁は、争い事で互いに弁護士を立てたら、そこで終止符が打たれ、以後、仲よく暮らすことなどできなくなる。ハッカ(客家)という一種の華僑や、あるいはユダヤやヨーロッパの長く繁栄している旧家には、 一家の掟が必ずある。そういうものをよく勉強すべきだ。

私には、こんな経験がある。中華街のハッカで、娘さんが日本人と結婚した。そして、日本人の男に中華店とビルの何軒かを任せた。ところが、その日本人は油断したのか、ハッカの人たちが爪に火をともすような生活から叩き上げてきたいろいろな苦労がわからなかったのか、とにかく競馬に明け暮れ、金を湯水のごとく使う。

ある時、「会社の経営者のことで、実は娘の婿なんだが、一家みんなで家族会議を開くので、来て欲しい」と言われた。、行ってみて驚いた。同席した中国の人たちが百人以上いる中で、親が娘に、

「お前の旦那もここに来てるが、お前に、今日この場で決断をしてもらう。 一家を取るか、旦那を取るか、いますぐ決めろ」と言った。

娘さんは、涙を流して、

「一家を取ります」と言った。

途端に、その一件はおしまいになった。要するに、旦那は放り出された。ただそれだけだ。非常に厳しい掟がある。

たまたま、日本人の男性は、 一族に立派なリーダーがいなくて、人間としての本来の生き方を修行できなかった。自らも経営者としての手腕を鍛え上げたり、あるいは、いろいろな友人や医者や弁護士を得て、十全に育つことができなかったのだ。娘が好きだというだけで、急に飛び込んできて結婚すれば、こういう失敗もする。だから、家長としての心構えを自分の息子にも注意深く教えておいて欲しい。

兄弟と同業への配慮

たとえば、自分が長兄で、次男、三男が同じ会社にいた場合は、ある年限がきたら、 一つの部門を切り離したり、別の会社をつくったりして、譲ってあげる。そういう同族の計画を明らかにしておくことが肝腎だ。

別会社をつくって譲る場合には、異業種に限る。しかも、地域が遠く離れている方がいい。

互いに全然影響を受けないような業種で、しかも多店舗化しないという取り決めがあるならば、地域を違えるだけでも構わない。ただし、相当に地域を違える。そういうことを計画にはっきり書いておく。自分がリーダーであれば、兄弟相争うことがないように、事細かに配慮しておく。

同業の場合、地域の問題は、兄弟ばかりではなく、 一種の師弟関係にも起こることがある。

たとえば、ある会社で業績が大きく伸び、これまでの自社のエリアでは狭すぎて近隣に進出しようとしたが、近隣は仕事上で恩を受けた人のエリアだったというケースがある。その社長は、エリアを拡大しなければと思いつつ、義理と人情の狭間に揺れていた。近隣の同業者と親交を結んではいけないと最初から分かっていながら、今更ながら後悔しているという図である。

こういう場合は、地域を一つ飛ばすようにする。その人の影響の及ばないところへ早く出ていく。そして、まずそこでエリアを拡大する。次に、その人のエリアを囲んでいく。そうすると、いじめてはいないという姿が相手にもだんだん分かってくる。一義理と人情の狭間に挟まりつつも、その相手方より売上が三倍、三倍、五倍と大きくなっていくことが大切だ。十年、二十年たち、こちらが大きくなっていくうちに、その人の代が替わる。息子とか孫の代になり、だれも知らないようになって、義理も人情もなくなった時には、本丸を攻めても構わない。時間がかかるが、相手が生きている間は決して手をださない。それが、事業のマナーというものだ。

オーナー社長の給料と金銭感覚

給料でも何でも、所得は多いほうがいいに決まっている。

月給が、少ない人もいるだろうが、社長としては、地方でも二百万円以上取らなければいけない。できれば、三百万円以上取るぐらいに、会社の実力をつける。私が知っている社長は、月給を五千万円、 一億円と取っている。そこまでとは言わないが、二百万円以下の社長は、「もっともっと努力しなさい」と言いたい。そうしないと、金が残らないようになっている。相続のためとか、借金のためとか、会社の礎を築くためとかに、それぐらいの給料が最低限必要である。

次に、金銭は上手に使わなければならない。

金をためるよりも、使うことのほうが非常に大切である。ただし、やたらにばらまくことは、厳に慎む。

江崎グリコ創業者の江崎利一さんは、てんびん棒を担いでアメを売った。そういうところからグリコをスタートさせたわけだが、 一日の売上のお金に、昔はアイロンがなかったので銀を当てて級を伸ばし、拝んでから、お金を使ったほどだという。世間から、どけちの元祖といわれた吉本晴彦さんさえ、江崎利一さんには頭が上がらなかった。そのけちが、大切な事柄には大枚の金を惜しみなく使った。大成した人はみんな、それぐらいの精進をしながら、使うべきところにはきっちりとお金を使っている。

個人資産の形成と運用

株は、安い時に買って、高い時に売るのが大原則だ。当たり前と言えば、当たり前である。ところが、土地は少し違う。安いときに買って、高くなっても売らない、これが土地の持ち方である。なぜかといえば、株と土地とでは、税制が全く違うからだ。株は売っても、税金が少ししかかからない。利益を得ても、全く所得に加算されずに、分離して課税される方法がある。総合か分離かは、選択制である。ところが、土地は逆である。買ってすぐ売れば、物すごい重加算税さえ課される。土地の税制は、そうなっているから、十分に注意する。

資産形成で、土地の場合は、利回りと資産価値の二つの尺度で見るようにする。利回りとは、マンションを建てたとか、ゴルフ練習場をつくったとかで、その土地を買って利用したときに、銀行から借りた金利よりも多くの収益が上がるかどうかという尺度で、もし収益が上回るのであれば、利回りがいいということになる。

資産価値とは、持っている土地の価値が上がったか、下がったかという尺度で、もし坪当たり百万で買った土地が、やがて三百万になったとすれば、資産価値が上がったということになる。このように、土地は利回りと資産価値の二つの観点から見る。次に、その資産を大きく運用していく。

たとえば、ゴルフ練習場とかマンションの経営をやる。資産は、できるだけ、固定費がかからないもので運用する。

マンションであれば、不動産流通会社などに頼んで、管理をしてもらう。部屋が空いたら、すぐに別の居住者を入れてもらう。こういうことを繰り返せば、固定費はほとんどかからない。それぞれの地方条例によって多少違うが、二十七所帯以上のマンションは、管理人を置かなければならない場合がある。その場合には、二十六所帯つくればいい。四十所帯、五十所帯となったら、管理人を一人置く。そういうことをきちっとやりながら、資産を形成していく。

私は、個人としても、会社としてもマンションを何棟か持っている。たとえば、個人的な資産では、秋田と、東京の下高井戸の駅から徒歩三十秒ぐらいのところに、土地付きマンションを持っている。それらは、 一棟買いしたものである。かなり前の話だが、銀行がやってきて、「一億円で買ってくれないか」と頼まれた。当時の一億円は、物すごい価値だったが、「元金は、 一切返さないで欲しい。利息だけで結構です」というので、家賃から利息を払うことにして引き受けた。いまだに、そのマンションの一億円の借金を抱えたままである。

しかし、私は、 一銭の持ち出しもしていない。そこの収益から利息を払っても、まだまだ余るものがあるから、金がどんどん増えていく。その分だけ、税金を持っていかれるが、それでも多少残る。その一億円で買った土地とマンションが、バブルのころは五億円とか十億円とかいわれたが、いま、バブルが崩壊しても、二、二億にはなるに違いない。もっとも、売るつもりは毛頭ないから、五億円になろうが、 一億円になろうが、私には全く関係ない。ただ、そこから家賃が確実に入ってくる。その家賃収入も、少しずう増えている。

このように、資産を少しずつ増やしていかないと、担保力も何にも付かない。社長は、自宅を担保にして事業をしなければならない場合もあるので、私は資産の形成を強く勧めているわけである。

「富」について語る場合、欠かせない人物がいる。

中国の春秋時代、越王勾践に仕えた忠臣の滝贔(前出)が、その人である。少し年輩の人なら、よく知っているはずだ。「天、勾践を空しゅうするなかれ、時に疱贔なきにしもあらず」と、昔の唱歌に出てくる疱量のことだ。この歌は、後醍醐天皇が政変に敗れて隠岐に島流しになったときに、児島高徳という武将が天皇に送った励ましの言葉でもある。「後醍醐天皇よ、島に流されても、あきらめないでください。時に池贔と同じような傑出した忠臣がいるのだから」という意味だ。児島高徳は、天皇が島に流されるその日の朝早く、桜の幹に件の言葉を彫ったといわれている。そして、後醍醐天皇はそれを見て、安心して流されていった。

とにかく、薄量は、匂践が呉を滅ぼして天下を取ると、その功績によって上将軍に任ぜられた。ところが、これを断り、財産をまとめると、逃げるようにして斉の国へ向かった(その理由については、「福相と笑顔」の項で後述)。そこで、 一から商売をはじめることになる。

商売にも聡く、物資の過不足を良く調べていた。物資が豊富で安くなると、どこまでも大事に大事に買い求め、不足して騰貴すると、何の惜しみも無く売り払う。かくて、たちまち数千万の富を築いてしまった。

斉では、滝量の手腕を見込んで、宰相として迎えようとしたが、彼は、「商売すれば巨万の富を築き、官につけば最高位の宰相となる。幸福に慣れ、名誉に甘んじていては、この身のためにならない」と辞退する。実に潔いものだ。また、築いた財産もことごとく人々に分け与えてしまう。

これに止まらず、当時、財貨物品の交易の中心地だった陶へ転出し、ここでもアッというまに数千万の財を得る。正業を治めて財を積み、時を逃さず真っ当な取引で利益を得て、人から搾り上げることは微塵もなかった。

こうして、落量は、十九年間に三回も巨利を得、そのうち三度は貧民に財を分け与えてしまった。富んで奢らず、好んで徳をなす……なかなか得がたい傑物ではある。後年には、事業を子孫に任せ、子孫もまたよく励み、億の富を築くまでに至る。実に教訓多い人物だ。

物資が豊富で安くなると、これを財宝のように大事に買い集めた。そして、値上がりすると、惜しみ無く一気に売り払った……ここに大きな含蓄がある。

現代でも、不動産や株式や貴金属などを投資対象に選ぶ場合は、安く買い集めて高く売るのが常道である。しかし、値上がりしても、先々もっと高くなるのではという助平心がついつい顔をのぞかせて、なかなか処分できないものだ。滝量の教訓は、安いときに惜しんで求めるということ、そして、値上がりしたら、タイミングを逃さずに、惜しみなく処分するということだ。ここに、すべての富の源泉がある。

さらに、十九年に三回、大儲けをしたのだが、ここにも大きな含蓄がある。いかに物資が安価でも、十分な資金を持っていなければ、ビッグチャンスをものにすることはできない。何も始まらない。だからこそ、私は、普段からの資産の形成を口酸っぱく勧めているのである。

とにかく、池議は、まれに見る異才の人物であった。越王勾践を良く助け、参謀の鑑であっただけではなく、致富の鑑でもあった訳だ。あくまで富を追求するが、少しもそれに囚われない。何としても、こういう逸材を求め、用いたいものだc

財産の相続

将来を考え、子供に美田を残してやるべきか否か。

「美田を残さず」というのは昔の話で、残したほうがいいに決まっている。できるだけ多く残していく。しかし、それは本当の財産ではないことも、きちっと教えておく。本当の財産は手腕であり、株であり、お客様である。

美田、すなわち、昔通りの不動産とか現金とかは、あっても役に立たないということはない。問題があるとすれば、美田を残された子供の性格の方である。その子が不正に流用するような軟弱な育ち方をしていたら、美田を残しても仕方がない。それは、むしろ親の責任である。その子に何かの会社をやりたい意欲があるなら、その子のために美田を残して、活かしてやる。

多くの二代目は、父親が財をたくさん残したから、それを土台となし、今日の事業を築けた。何にもないところからスタートしても、たちまちおしまいになるだけだ。サラリーマンの場合は、 一から一段一段と上へ上がっていく。その子供も、また一から一段一段と上へ上がっていかなければならない。何代にもわたって、 一から同じことを繰り返す。

ところが、事業家の場合、子供は残された財産や地位を起点にして、自分の才覚を継ぎ足していける。何代にもわたって、上へ上へと昇って行くことができる。サラリーマンと事業家とでは、この点が違う。

だから、できるだけ多くの株を残し、お客様を残し、そして余った金で種をまいていって、もしも一朝何かあったときにはそれを売って凌いでいく。それを売ってしまっても、何かで補完できるような財産であれば、いくらあってもいいに決まっている。

問題は、その子にそういう手腕があるかどうかだ。手腕をつけてやるためには、財産を上手に活用するやり方を教育していかなければならない。評論としてではなく、体系的に、しかも実務としてきちっと教える。事業に早く目覚めさせることが大切である。借金も財産の一つだ。借金がないなどというのは、決して自慢にならない。

土地とかは、大概、税務署は時価評価しないで、公示価格、つまり路線価で税額を決める。路線価と実売価格の逆転がバブル崩壊後あったが、いまでも多少そうなっている。そうすると、おかしなことが起こる。

借金は、大体、財産から控除できる。相続で、自分が死んだ時には、その借金分を控除して息子が税額を計算するわけだ。借金十億円と財産が十億円であれば、税金はただになる。また、時価評価と路線価のずれの分だけ、儲かることになる。実売価格が、たとえば十億円の土地で、路線価が五億円だとしたら、五億円は残る。そして、借金が五億円あった場合、税金はただになる。

ところが、すぐ十億円で売れることなどないから、売った時にまた別の税金がかかるが、そういう財産とか、相続とか、贈与とかの計算もきちっとやっておく。あとは、税理士とか公認会計士に相談をする。

しかし、計算の前に青写真が描けない人はだめである。すぐにそのような計算をするのではなくて、極端に言えば、どのようにしたら税金を合法的に安く払うかという青写真を描く。計算ではなくて、青写真を描くことのほうが大切だ。

先代に、青写真がなかったために、いざという時に、私に相談に来られる社長が引きも切らさないc

現在、自分が社長、父親が会長で、会長の持ち株が約八〇%あり、銀行の試算では一株当たり四万五千円ぐらいになるという。会長は七十三歳、社長が四十七歳で、自社株の譲渡の問題についての相談を、つい最近も受けたばかりである。

この問題は、非常に微妙だ。私は、税理士でも公認会計士でもないので、ほとんどその任の人を紹介することにしている。だから、以下の回答は、「こうしろ」ということではなく、事業の永続継承という観点から、「こういう方向もあるのでは……」というニュアンスで受け取って欲しい。この点、くれぐれも誤解がないようにお願いしたい。

まず、株式を八〇%ぐらい持っている場合、贈与にしろ、相続にしろ、物すごく税金が高い。事業を続けられないことも起こる。 一番のネックは、株価が高すぎることで、これをもっと落とさないといけない。そのために、 一つは、会社の借金で設備投資を過大にしてみる。あるいは、もう一つは、業績を意識的に落とす。そうすると、株価を落とすことになる。そうしておいてから、相続する。税理士や公認会計士、時には税務署そのものに相談しながら、

法律に照らし合わせてやっていくことを忘れないで欲しい。さらに、銀行から借金する。生前贈与や相続の税に見合った分をまともに借金する。銀行から大量の借金をし、それを何年にわたって年間いくら返していくかという計画をきちっと立て、その分だけ個人の給料を上げる。

あるいはまた、地道に少しずつ、少しずつ、父親の株を自分が買い取っていく。もしも、父親が亡くなり、母親が健在であれば、残った株の半分を母親が持つようになるかもしれないが、その辺のことは、相続税に詳しい税理士や公認会計士に相談する以外にない。歯切れが悪いが、私が税金のことを言うと、本当は良くないことになっている。とにかく、社長の人生計画の中で、財産とか、相続とか、贈与とかの計算を事前にきちっとやっておかなければならない。

五徳と人助け

「才は徳に及ばず」という言葉がある。「才」は才能の「才」である。才能がどんなに備わっていても、徳には全くかなわないという意味だ。

事業経営の根本に社長の徳がなければ、成ることも成らない。徳を欠く者が、人たる者の長となり、事業を興しても、永続繁栄を導くことなどできるわけがない。偶然のいたずらで目先の繁栄は築けたとしても、やがて人が去り、財物が失われ、 一切がうたかたのごとく消えてしまう。徳をもたない小人が事業をもてあそべば、天の報いを受けて、悲惨な最期を遂げることの方が、むしろ圧倒的に多い。それは、古今東西の歴史が雄弁に物語っていることである。

昔は、火鉢というものがあって、その中に「五徳」を据え、ヤカンを乗せてお湯を沸かしたものである。いまの人はほとんど知らないだろうが、ちょうど五本の足があって、ヤカンを乗せても倒れない。安定しているのだ。これを五徳といった。

五徳とは、文字どおり「五つの徳」で、 一つ目が「温」、穏やかで優しいことである。二つ目が「良」、質がいいことで、幾代も徳を積むことによって、質がだんだん高まっていく。三つ目が「恭」、人を敬うことで、そうすることによって、自分も敬われるようになる。四つ目が「倹」、倹約をすることで、五つ目が「譲」、譲ることである。この五つを五徳という。徳を積むとは、 一言で言えば、人を助けることである。

村長さんのことを先に書いたが、社長であれば、自分の懐に飛び込んできた社員たち、あるいは社員の家族や自分の親族を助けていくことが、要するに、長たる者の務めである。そうでなければ、徳を積んでいないことになる。世の中、ずいぶん変わって、日本でも多方面にわたってボランティアが出てきているくらいに、人助けが注目されるようになった。資本主義の大きな欠点は、貧富の差が出ることである。それをどうやって補っていくか、また、自分の懐に飛び込んできた人たちをどうやって助けていくかということが、すなわち徳を積むことの第一である。社長業のコンセプトの第一に、徳を積むことがなくてはならない。

福相と笑顔

人相ということが、よくいわれる。徳を積んだ人と徳を積まない人とでは、人相の違いがはっきり出てくる。特に、「男は四十歳を過ぎたら、自分の顔に自分で責任を持たなければならない」と、よく言われる。これはリンカーンの言葉だ。

四十歳を過ぎたら、政治家は政治家らしい顔になっていなければならない。事業家は事業家らしい顔になっていなければならない。それは、ハンサムとかハンサムではないとか、そんなことに関係なく、豊かな顔になっていなければならないということだ。

「皮膚の色つやとか、形とか、健康状態だけではなくて、その人の人生を刻んだしわが顔についてくる」と、人相学者も言っている。よく笑う人は、目じりにしわが寄ってくるのが当り前である。目じりにしわが寄ってない人はだめだと、よく言われる。それから、眉間に縦じわが入っているのも、やはり、悩みが多い顔で、だめだということになっている。

最近は、医学的にもいろいろな形で、そういうことが立証されている。顔には神経が非常に集中している。人相学は、医学と非常に共通点がある。特に、中国の東洋医学は、そういうことを色々なことに関連づけて明確に言っている。

四書五経の一つである『易経』をはじめ、いろいろな書物が、顔には形相、色相、心相の二つがあると言っている。大きな意味では、普通、福相と凶相の二つを人相と言う。どんなに地位が高くても、あるいは財産や名誉があっても、顔に凶相がついていたら、その人を友達に選んではいけないし、得意先のメインにしてもいけない。こういうことを、はっきり知っておくべきだ。

凶相の典型として、『史記』に「長頸鳥塚」という言葉が出てくる。その謂れはこうだ。滝議が越王匂践の参謀中の参謀だったことは前に書いた。ところが、疱贔は、匂践と手を切ることになる。

右腕としてひたすら戦に勝利をもたらした池議が、なぜ越王匂践と手を切ったか、これが非常に問題である。

ある時、疱議が自分の親友である文種に、「共に越を去ろう」と誘う。ところが、文種は断った。仕方なく、疱量は文種を残して去っていく。そして、間もなくして、文種は些細な出来事を理由に、越王に首を斬られて死んでしまう。なぜそんなことを越王がするか、滝量は知っていた。

滝量は、越王のことを「長頸鳥塚」の人、首が長くて鳥のようなくちばしをしている人物だと言っている。それは、象徴的に言っていることだが、結局、「苦をともにすべきも、楽をともにすべからぎる人物」という意味だ。

共に事業を興し、 一生懸命に苦労しながら、ある程度の規模になって事業が安定すると、兄弟を切り、仲間を切り、だんだん友達も失っていく人物が世の中に結構いる。長く一緒に事業をやってきた部下や、中には親兄弟までも疎んじて、クビにする人が多い。

大企業のなかにも、私は、そういう人を知っている。 一見、親しくしているが、あまり近寄らない。人相が悪いからだ。凶相、つまり、福相ではないからである。その典型が「長頸鳥隊」の人である。現実にも、「苦労をともにすべきも、楽をともにすべからぎる人物」がいることを忘れるべきではない。そういう人たちには、できるだけ近寄らないほうがいい。

福相を人相学では、まず第一に曲眉、眉が曲線を描いているといっている。それから、豊頬、頬が豊かだといっている。さらに、大耳、耳が大きいこともあげている。人相以外では、鞭体といって、体が鞭のようにしなやかで、あまり太っていない人は福だといわれている。また、清声、声が清いともいわれている。声に響きがある人に悪人はいない。以上の五つの要素があって、凶相と福相に区別される。

実際には、人相は、状況によって変化する。昼と夜で違ったり、あるいは苦労している時と苦労していない時でも変わってくる。

ところが、心豊かな人は、苦労してる時に笑っている。楽しい、多少油断してもいいような時には、むしろ苦虫をかみつぶしたような顔ができる。状況とは反対の顔ができる。こういうことが非常に大切だ。また、歌うとか、笑うとかできない人はだめである。生活が豊かにならない。

「上を向いて歩こう。涙がこぼれないように」とか、「一人酒場で飲む酒は……」と、涙を流しながら歌ってばかりいると、そういうことを心に念じた歌だから、その通りになってしまう。人間は、自分の心の中とか、自分自身が分からないものである。分かってると言う人ほど、本当に分かっていない。

風邪を引いた時は、ピンクっぽいパジャマを着て、ピンクっぽいシーツに、ピンクつぽい枕で寝るようにする。風邪がひどい時には、暖色に染まっていたほうがいいということを、脳が感知しなくても、人間の皮膚が感知している。逆に、暑くてしかたがない時は、空色や水色のシーツに包まれて寝るほうがいい。色の学者がそう言っているし、医者もそう言っているくらいだ。

これと同様に、自分が感知しなくても、人相が悪い人とつき合っていたらだめだ。たとえば、何か苦しい目に遭ったとする。その時、足を引っ張って、ますます苦しみを拡大するような人がいる。これは、友達ではない。顔を合わせたときに、どんなに上手を言っていても、友達ではない。人相から見抜くように心掛ける。

苦しい時に、陰で色々と支えて、助けてくれる友達も意外に多い。これこそ、本当の友達だ。そういう友達は、大切にしなければならない。

人相を良くしようと思うなら、鏡に向かい、いつも笑う練習と歌う練習をする。これは、非常に大切なことである。

先述した志水陽光さんのように、「心に歌がある」ということは非常にいいことだ。歌がない人はだめである。歌は、五官の中の口を通して耳へ響く。そして、心へ響いて、愉快になる。最初、声が出なくても、歌うにつれだんだん心が和んできて、福相になる。真理とは、こういうものだ。だから、歌を歌う練習をして欲しい。鏡へ向かって、笑う練習をする。

高島陽さんという、コンサルタントの大先生がいらっしゃる。

この人は、「地球と並行になって七年寝た」と言っている。その間、病院で周りの人がばたばた死んでいくので、ある時、鏡を見ると、自分も死にそうな顔をしていたという。戦後すぐ、肺結核で肋骨を六本取った。死の病だといわれていたが、肋骨を取ってから、鏡を見て笑う練習をした。陰気な病院をあわてて退院し、自分の家に鏡を二十枚以上も置いて、笑ったという。自然、自然に体が丈夫になり、いつの間にか病気も治っていた。肋骨を取り、しかも、当時三十歳を超えていたにも拘わらず、その人の身長が十二センチも伸びた。それからというもの、常に姿勢を正しくして、笑うことに努めている。いまでも、実に穏やかな人だ。そういう色々な工夫を試みて、心ができるだけ安らかになるようにして欲しい。

長い長いスパンで物事を考え、将来において我が家系から大人物を輩出しようとするなら、穏やかに生きることが、いかに大切であるかということを子孫に教え続けていかなければならない。

盛運の獲得法

私は二十歳の時に、中村天風先生に会って、積極心ということを教えられた。以来、心に強く念じ続けることによって、中村天風先生の本を四冊出版することができた。私共が、『成功の実現』『盛大な人生』『心に成功の炎を』『いつまでも若々しく生きる』の四冊を出版したからこそ、昨今の天風哲学ブームが起こったと自負している。

天風先生は、積極心を非常に力強く説いた人である。

先生も、奔馬性肺結核という絶対に不治の病にかかり、欧米に救いの道を求めて旅に出たが、ついに求めるものが得られず、エジプトのカイロで大喀血し、もはやこれまでという土壇場を経験している。ところが、偶然そこにヨガの聖者がいて、

「君は、何をしている」

「血を吐いて、もう間もなく死ぬかもしれない。どんな名医に診てもらっても、『これは治せない』と言われた。もうだめです」

「なんだ、そんな病はすぐ治る」と、ョガの聖者カリアッパ師が言い切った。

「どうしたら、治るんですか?」

「教えるから、黙ってついて来い」と言われたという。

何のためらいもなく、その言葉を素直に信じて、どことも知れぬ所へ付いて行くことにした。着いた所はインドの奥地で、身分戒律が非常に厳しかった。カリアッパ師のような聖者やヨガの大家が一番上の身分にいて、その下に貴族、何とその次に聖牛という牛がいて、そして平民、 一番下に奴隷や天風先生のようなよそ者などがいる。カリアッパ師は、全く雲をつかむぐらい遠くにいる人である。とても、直接に面会を申し込んで、話をできるような人ではなかった。

意を決した天風先生は、カリアッパ師が通る道を、毎日毎日、研究し、ある時、「ここを通る」という場所に待ち伏せをして、とっさに足もとにすがった。すると、「まだ、お前は分かってないのか」と、 一喝される。そして、「心と体は一体、『心身一如』であって、健康も運命も、何もかも心の思い通りになって実現する」ということを教えてもらう……というより、二年数か月の厳しい修行を通して自ら悟らされる。

それはどういうことか、天風先生は、概略、次のように説明している。

「健全な肉体に健全な精神が宿るとかよく言うだろう、あれは違うんだ。健全な肉体に健全な精神が宿るんだったら、体の不自由な人は健全な精神を持っていないことになるが、そうじゃないだろう。体が不自由でも、健全な精神を持っている人は、いっぱいいる。君たちはね、体が病になると、心までも病にしちゃってる。心が何もかもつくるということなのに、心まで病にしているからだめなんだ。だから、物事は積極的に考える。つまり、前向きのこと以外、後ろ向きのことは一切考えないようにするんだ」と。天風先生自身、あらゆることを前向きに考えていくうちに、不治の病が治った人だ。そういう人もいるぐらい、積極心は大切である。

詳しくは、『成功の実現』をはじめ『盛大な人生』『心に成功の炎を』『いつまでも若々しく生きる』が出版されているので、経営者たる者、それらの四冊を熟読していただきたいと、これは決して宣伝のためではなく衷心から、そう思っている。

積極心は、盛運をもたらすうえでの第一条件だ。ティアールド・シャルダンも、著『肯定の哲学』の中でそのことを強く説いている。

涙を流すような歌を歌うと、泣くような運命にしかならないと先述した。だから、私は、語弊があるかもしれないが、運の悪い社員はできるだけ採用しない。最初から、そういう人たちを外していく。採用面接のときに、そういうことをそれとなく聞いて、確かめるようにしている。

「運」には、「天命」と「運命」の二つがある。

天命とは、帝王の子供で生まれたら、帝王の子供であって、変えようがないということである。殊に陽明学が、天命という言葉を、江戸の後期から明治、昭和の初期ぐらいまで、好んで多く使った。中国から日本に入ってきて、当時、公認された唯一の学問となった陽明学は、政治的な意図もあって、天命につながる秩序保持の部分しか教えなかった。後に朱子学が入ってきて、天命を二つに分けた。つまり、天命そのものと運命との二つに分けた。朱子学では、「運命とは命を運ぶ」と書く通り、自分で変えることができるとした。自分の努力で変えようがあるものは、すべて運命だと教えた。しかし、江戸幕府でも明治政府でも、帝工学上、そんなことを教えられては困る。帝王と同じような立場をつくり、革命を起こそうとする勢力が、後から後から出るといけないから、朱子学は否定されてしまった。以後、帝王の息子であることを変えることはできない、社長の息子であることを変えることはできない……そういうきらいが多分に残っている。

運命は、文字どおり、自分の努力で変えることができる。私も、断じてこの立場をとる。

社長の息子として生まれた、サラーリーマンの息子として生まれたとしても、それは運命であり、運命は自分の努力で変えることができる。絶対的なものは、そんなに多くはない。むしろ、絶対的ではないものの方が、世の中には圧倒的に多い。それらは、運命であり、変えられるということを強く教えておくべきである。そして、盛運、要するに運を自分に持ってくるためには、積極的な心が一番だということを肝に銘じておいてほしい。物事を成就させる時に、その成功に欠かせない精神は、まず、「自分は運が良い」という信念を強く持つことである。

特に、子供を育てる時には、運が良いとか悪いとか、たったひと言、ふた言がその子の一生を左右することがあるので、言葉遣いには特に注意しなければならない。

なぜそんなことを言うかといえば、私は、「ひと言の災い」を身に染みて知っているからだ。私の知り合いで非常にできる子がいて、有名塾で「東大にも軽く受かる」と太鼓判を押されていた。塾で常にトップクラスだった。自信があるから、最初、その子が受けた大学は、東大のほかにほんの一、二校だった。ところが、すべてに落ちてしまった。 一浪して、受験して、また全部落ちた。二浪して、間口を広げ、かなリレベルを下げた大学を受けたが、やはり落ちる。塾のトップにいて、東大でも絶対に大丈夫だと言われたが、三流、四流大学を受けても落ちてしまう。

そこで、私が兄弟みたいに仲良くしている行徳哲男先生に内観、 一種の催眠をやってもらった。

すると、小学校の五年生の時に、学期末テストの直前に風邪を引いて、熱を出したということが分かった。そして、非常に尊敬していた担任の先生が、その子に、「君は、運が悪いなあ。こんなに努力したのに、ちょうど試験の時に熱を出して」と、ひと言いった。

「運が悪いなあ」と言ったそのひと言が、その子の一生を左右するぐらいの言葉として脳の中に残ってしまった。

行徳先生が催眠をかけた時に、自分は運が悪いと信じ込んでいるような言葉がたくさん出てくる。どうしてだろうと、さらに奥深く探っていくと、小学校の五年生のときの出来事に突き当たった。

人間とは不思議なもので、そういう性向がある。行徳先生は、その子の潜在意識の中のマイナス暗示を、 一種の催眠で取り除いてあげた。すると、その次の年、受けた大学のすべてに合格した。受験に臨むまでのその一年間は、ぜんぜん勉強しなかった。映画を見たり、旅行をしたりしながら、のんびり構えていた。運、不運なんて、そんなものである。

人間は生きていくうえで、「強い」「できるんだ」という信念を持たないとだめだ。「できない」と思えばできない。だから、「できる」という信念を強く持つことが非常に大切である。

二、格好いい生き方生き方の美とは何か

経営者には、美学・美意識が不可欠だ。

ある程度の規模の立派な会社をつくったら、社長は、心の内も外も「格好いい」ということを自分のテーマにすべきだ。格好よく生きていく。格好悪いことは、絶対にしない。良いものを見たり、おいしいものを食べたり、良い友人を持ったり、良い行動をすることをテーマにする。格好悪いことを人前でやったりすると、実にみすぼらしい。ちょっとした仕種で、すべてを評価されてしまう。

私は、絵が大好きだ。いい絵をたくさん見ることを心掛けてきた。私は、絵も描く。趣味の一端であっても、美学をちゃんと身につけていくことが必要だ。特に、リーダーたる社長には、美学をもった生き方が不可欠である。

絵では、手を描いたときに、マネキンのようなきれいな手を、私は芸術だとは思わない。

爪に垢がいっぱいたまって節くれている手の方が温かみを感じる。そういうのが美である。美を誤解してはいけない。人間の味というものを中心に考えて欲しい。ハンサムだとか、美人だとか、そういう薄っぺらなものではない。人間の本質を掴んだ、しっかりした美意識を持ってほしい。

私は、幸い佐賀県の生まれで、はがくれ『葉隠』を通して美学をもった生き方を随分よく身につけているつもりだが、すべての経営者に美学と美意識を持つことを強く勧めたい。

容貌や才能とも多少は関係するが、本当の「格好いい」とは、着飾って才にあふれていることではない。本当の格好よさは、「君子は鈍ガのとしといつがどちらかといつと鈍懸いぐらいの美学が必要だ。

私は、色々な社長の家に行くが、華美な家は大体においてだめだ。子供が育っていない。その家を見ただけで、家庭の内情がすぐにわかる。生活するのに、キンキラキンではだめだ。私の家には、金色のものは何一つない。金具でも、金色であれば使わないぐらいである。結構ぜいたくな家に住んではいるが、キンキラキンは一切やめている。

虎やクマの敷皮が玄関にあるとか、タカが羽を伸ばした置物が床の間にあるとか、そんなのを美と思っていたらだめだ。そんなのは、まったく美ではない。グロテスクなだけで、美学が微塵もない。そういう悪趣味は絶対にやらない。社長室などに、そういうものが置いてあると、「君には美学がない。もう少し勉強しなさい」と、私ははっきり言う。美がわからない社長が建築業者の中にいて、お城みたいな家をこれ見よがしにつくったりするが、「美を最初から研究し直しなさい」と言ってやりたい。美にはレベルがある。それから、言葉にも美学がある。

特に注意して欲しいのは、言葉は人に意思を伝達をする大切な道具だが、使いようによっては、人を活かしも殺しもするということである。最悪は、ガミガミ言われたことで悩み、血が酸性化していって、ついには死ぬこともある。つまり、殺人を犯しているわけだ。だから、 一時の風潮に迎合して、安易に発言しないで、冷静に状況を見てほしい。

例えば、田中角栄さんを、寄ってたかって騒いで、本当に殺してしまった。小佐野賢治さんも死んでしまった。剛の者で聞こえた児玉誉士雄さんさえ死んでしまった。叩かれて、叩かれて、死んでしまう。当たり前のように、反省も何にもない。自党がないのは、最悪である。叩かれて死んでしまう人間の痛みというものを知らない。

それが高じて、人を人前でどんどん叱る。叱られた人は小さくなり、血が酸性化して、病気になったりする。できるだけ、こういう行為はやらない。人目のないところに呼んで、こっそり叱る。特に、自分の妻に対してガミガミ言っているのは、非常に見苦しく、最低である。そういう自覚がなくて、社長が務まるなんて思ってはいけない。

社長は、米をつくったり、魚を捕ったりするかわりに、事業をやっている。社員やその家族を幸福に、豊かに暮らさせることが、社長の本来の目的であり、使命であるにもかかわらず、そこから逸脱していく。人を不幸にするのは、要するに、肝っ玉が座っていないからだ。そして、人間が小さい。

そういう不徳をできるだけ取り除いて欲しい。まったく叱らないことなどできないから、叱ってもいい。育てるために叱るのは、構わない。是非ともそういうことを頭の中に入れて、美というものを追求してほしい。

欲望の炎を

煩悩とは、普通、欲のことを言う。性欲もあれば、金銭欲も、名誉欲もある。私たちは欲のかたまりみたいなものだ。

欲を捨てることなどできない。人一倍、欲深の社長から欲を取り去ってしまったら、 一体、何が残るのだろうか。腑抜けの体から抹香臭が漂ってきそうだ。欲を捨てては絶対にいけない。持ち続けるべきだ。

つら

ただし、燃やせば燃やすほど楽しくなる欲と、真反対に辛くなる欲の二つがある。楽しくなる欲とは、世の進歩と向上に役立とうとする欲であり、辛くなる欲とは、他の犠牲のうえに成り立つ我欲、我執である。

その我欲を、ある程度、理性で抑制しつつ、楽しい欲を大いにかき立てること、つまり、事業経営に邁進しつつ、世の進歩と向上を実現していくことが社長たる者のテーマとなる。欲と同時に理性がなければならない。

女がもとで、就任早々でやめた総理大臣がいた。これは、敢えて言うが、断じて人の悪口ではない。女のやきもちをおさめられないような男は、やはり欲深で、上手に金を女に使わないから、女の恨みを買うことになる。そんな男は、女と遊ぶ資格がない。

男と女がいて、男が女と、あるいは女が男と遊ぶことがだめだと、無粋なことを言っているのではない。私は、遊び人をもって自認しているくらいだ。それはとにかく、女にやきもちばかりやかせている亭主は、ろくなものではない。男と女の機微を知らないから、そういうことになる。

私の若い友人で女にもてる男がいる。ある時、その男の浮気がばれた。ばれて、奥さんが家を出て、なだめすかしたが、出たり入ったりするばかりで、どうにもならなくなった時に、私が口を挟んだ。

「お前な、女房にばかりやきもちやかせてるから、だめなんだよ。女房に、お前がやきもちをやけ。今から具体的に教えてやる」と言って、知恵を授けてやった。

その男も奥さんも、二人が一台ずつ車を持っていると知っていたので、「『きょうは酔っ払ったから』と、車を会社に置いて帰って、次の朝、奥さんに駅まで送ってもらうようにしろ。送ってもらう時に、タバコのライターをポケットにしのばせて、それを、奥さんの車の助手席の下のところに置いておけ。お前は、タバコを吸わないから、ライターはどこからか都合しろ。そして、二、三日してからもう一度、酔っ払って帰って、次の朝、また駅まで送っていってもらえ」……事の顛末は、以下の通りである。

男は、車に乗るとすぐに、助手席の下に自分が入れておいたライターを取り出し、「なんだ、このライターは」と言った。

奥さんが、「ライターがそんなところにあるの?」「ライターがある……? ライターって、これは男物だぞ。どこでこんな物、手に入れたんだ。男を乗せたのか? お前、ちょっとおかしいんじゃないか。」と怒って、会社へ行った。午前十一時ぐらいに家に電話すると、「もしもし」と奥さんが出た。そして、男は、「ああ、お前、いたか」というだけで、電話をすぐに切ってしまう。午後の二時ぐらいに、また電話する。奥さんが出る。「お前、いたのか」といって、また電話を切る。

「それを二日に一回ぐらい繰り返して、 一か月もすれば、絶対に夫婦仲が直っていく」と言っておいたのだが、実際には一週間ぐらいで仲良くなってしまった。

男と女の間とは、そんなものだ。相手にだけやきもちをやかせるから、だめなのだ。バランスがとれていない人間の証拠である。

一事が万事、人間の機微がわからない者が経営していること自体がおかしい。だから、自分も自分の心に正直に聞いてみればいい。

遊ぶには、遊ぶだけの達人になっておかないとだめだ。ふところが浅いから、責められてばかりいる。遊ぶ資格がない人間が遊んだりするから、不始末ばかり起こす。煩悩は、理性で抑えていく。遊んだら、必ず理性できちんと始末をつけておく。特に、妻には大いに手厚く色々なことをやってあげることが大切だ。

とにかく、煩悩は理性でほどほどに抑え、できるだけ地位を追われることがないように忠告しておきたい。

龍女に真実の愛を知る

何事でも極めると、それまで付きまとっていた邪欲を律することができるようになる。別に勧める訳ではないが、たとえば、女遊びがある。女性の究極、あるいは恋愛の「あるべき姿」を知れば、女遊びをしなくなる。動物で一番位が高いのは、幻の獣、龍である。この龍になった女がいて、「龍女」と呼ばれている。この女が、女性の中では一番位が高い。

京都の栂尾に、国宝の絵巻「鳥獣戯画」を蔵している高山寺というお寺がある。「鳥獣戯画」は、カエルが跳びはねたり、ウサギが遊び歩いたりしている姿などが生き生きと描かれたもので、学校の教科書にも載っているくらいだから、誰でも知っているはずだ。高山寺には、もう一つの国宝、龍女の絵巻「華厳宗祖師絵伝」全六巻がある。この龍女の絵巻は、何を描いているか……。

昔の僧は、唐天竺、今の中国からインドヘ渡って、修行をしたものだ。今から約千三百年前、新羅の国の或る若い僧が志を立て、船で唐に入った。名前を義湘という。その地に一人の女がいて、名前を善妙といった。その名前のごとく、妙なる美しさをもった女性だった。

ある日、善妙は、托鉢に来た義湘と運命的な出会いをする。たちまち、二人は相思相愛となるが、仏法に仕える身である義湘は、善妙の想いに応じることができずに、別れを余儀なくされる。

義湘は、十数年間、世俗を離れてただひたすら修行に励み、仏法の一つである華厳の学を修めて帰国の途につくことになった。善妙は、帰国する義湘を見送るために港に急いだが、時すでに遅く、船は出帆していた。それを見て、悲しみにくれる善妙は、義湘のために用意した手縫いの法衣が入った箱を、荒れ狂う海に投げ込む。箱は、風に乗って波の上を走り、義湘の元に届くが、それでもいたたまれずに、愛する人を気遣う一心で、善妙は髪飾り、身につけた着物を海に投じ、ついに自らも海底深く身を沈めて、何としても義湘の安全を守り通そうとする。

沖合はるか、義湘の乗った船は、激しい嵐に遭遇する。ひたすら義湘の安全を祈る善妙は、やがて龍に化身して、義湘を救いに海上へと向かい、嵐を鎮め、義湘の船を背に乗せて新羅まで送り届ける。

龍となった善妙は、昇天する。善妙の献身のうえに、義湘は新羅の地において華厳経の開祖となった。これが、龍女の絵巻の粗筋である。

義湘と善妙の伝説は、日本の明恵上人に大きな影響を与えたことは、高山寺に残る龍女の絵巻を見れば、 一目瞭然である。この絵巻は、鎌倉時代に明恵が画僧に描かせたものだ。また、高山寺には、「善妙神」の彫像もあり、さらに、当時の戦乱で夫を亡くした未亡人のために「善妙寺」を建てるなど、明恵上人には善妙の名前が常につきまとう。明恵は、善妙に至高の愛を悟った。

明恵上人は、 一生不犯を通した清僧として知られている。だからといって、女嫌いではなく、情味豊かな人だった。性欲もあったし、何度も誘惑に負けそうになったと告白している。

セックスの夢も見ている。性欲を卑しいもの、汚いものとして抑圧していたのではない。むしろ、女性に対してもセックスに対しても、開かれた態度をもっていた。性欲の存在を認めつつ、もう一方で、どうしても守らなければならない仏の戒律と葛藤を続けながら、真摯に生き抜いた人だ。龍女の愛の極致を知っていたからこそ、煩悩の虜になることがなかったといえる。あるとき、私が講演していると、会場の後ろの方から、誰かが入ってきた。その人は、私の講演を最後まで熱心に聞いていた。何者であるかは知らなかったが、さりげないながら、とにかく風格があって印象に残る人だった。

それからしばらくして、電話がかかってきて、「松本明重と申します。この前、講演を聴かせていただきました。会場の後ろの方の席にいました」「ああ、あの時の……」と、すぐにピーンときた。「お話を聞いて、即座に、あなたには『心』があることが分かり、 一度お会いしたくなりました。突然、呼びつけて恐縮だが、帝国ホテルまで御足労いただけないでしょうか」と言われた。

その日、会って食事をした後、「新橋演舞場で『舞衣夢』という劇があるから、 一緒に見ませんか」と誘われて、見ることになった。パントマイムのマイムで、セリフは一つもない。

また、文字通り、「衣」装が「夢」のごとく華麗に「舞」う劇でもあった。久保田一竹という人が、「辻が花」という室町時代から桃山時代にかけて作られた絵模様染めを今に蘇らせ、その「辻が花」だけですべての舞台衣装をかためた。実に豪華絢爛で、衣装だけで何十億円もかかったといわれている。主役は三輪明宏、かつての丸山明宏で、なかなかの美形だったが、セリフは一つもなかった。

開演する前から、何か、えもいわれぬ異常さを感じていた。

すぐに緞帳があがったが、真っ暗な舞台で、三分ぐらい何にも音がしない。何も見えない。一心に舞台に集中していると、突然、チーン、チーン、チンチンと客席の後方で音がする。ハッとして振り返ると、座席の間の通路を通って、黒い袈裟を纏い、錫杖を持った百人くらいの僧たちがお経を唱えながら舞台に上がって行く。

最初から、物の見事に意表を衝かれた。チンチンチンという音は、錫杖をつく音だった。その僧たちが、スーッと天丼へ消えていく。舞台を見ても、暗くて仕掛けが分からなかったが、間の中に黒い階段が設えてあったらしい。ただ、僧たちが身につけた白い下衣を頼りに、その姿だけは追うことができた。実に巧妙な演出である。思わず息を呑んだ。

それから、また三分ぐらい沈黙が続いて、静かな時間が過ぎたところから始まった劇が、何と龍女だった。私は、そばにいる松本さんに、「これは、明恵上人に縁の深い龍女の話ではないですか」と聞くと、「よく知ってましたね」ということで、その後、ひとしきり話題に花が咲いた。

松本明重さんは、当時の佐藤栄作首相のブレーンとして沖縄返還で動いた人だが、その時、そんなことは、つゆ知らなかった。MOA美術館というのが熱海にあるが、そのMOA美術館のMは松本明重のMだそうだ。そして、救世軍をつくった人でもある。ちょうど、これに前後して、多田容幸さんに松本明重さんを紹介された。奇縁として心に残っている。そんなことがあって、龍女をもう一回確認したのだが、 一生に一度会えるか会えないかというぐらいの究極の女性だということが、つくづく分かった。

しかし、それまでは忘れていたが、龍女に限らず、ほとんどの妻は、最初、愛の化身だったに違いない。最初は龍女だったものを、だんだん龍女ではなくしてしまうのが夫だ。すべて、夫が悪い。女に勝てるわけがないのに、女と争ったりする。夫が妻にどういうことをするかというと、たとえば、ご飯が出ると、「お前の飯は、まずい」と言うから、

「あなたが、どこにも連れて行ってくれないからよ」ということで、ますますご飯がまずくなっていく。

「お前の飯は、世界一だ。うまいなあ」と言えば、妻は腕によりをかけ、龍女になって献身する。

何事もほめながら徐々に、「あるべき様」、すなわち龍女に象徴されるような究極に近づけていくようにする。

明恵上人も、「あるべきやうわ(阿留辺幾夜宇和)」の七文字を保つべきだと言っている。その意味は、「僧は僧のあるべき様に、俗は俗のあるべき様に、帝王は帝王のあるべき様にすることが大切だ。あるべき様に背くから、 一切が悪くなってしまう」ということだ。

男は理性的だが、女は感情的だ。だから、男は、頑なな理性で女の感情や感性を害してはいけない。そういうことに油断しないで、女性を、そのあるべき様に近づけてやるようにして欲しい。そして、自らは、事業家としてのあるべき様をひたすら追求する。

心のおしゃれ

第二章で、ロマンとか、思想とか、目的とか、宗教心とか、哲学とかについて詳しく述べたが、その中にもう一つ「心のおしゃれ」を書き加えておきたい。

ロマンとは、 一言でいうと夢のことだ。思想とは物の考え方、哲学とは原理原則、目的とは「何のために」ということである。宗教とは、「教え」のことで、日本には現在、儒教、仏教、道教(神道)の二つが教えの中心をなしている。こういうものをひっくるめて、私は、心のおしゃれといっている。

心がおしゃれな人は、見苦しいことをしない。そして、ユーモアがある。芸術とかスポーツとかを本当にやってる人は、情を知っているから、ユーモアがある。

私のところに、常務理事で宮下英弘というのがいる。時には、彼を叱ろうと思うのだが、叱れない。いつも冗談と駄洒落ばかり言っている。心がおしゃれだ。

ある時、私が叱りそうになって、彼の顔を見ると、「なぞなぞを出していい? 家の裏に、塩がいっぱい在庫されてる町って、知ってる?」と、不意に言う。

私は、考えて、「塩釜かな」と言うと、「だめだ。ウラジオストックだ」

私は、勢いをそがれて、叱れなかった。それからしばらくして、また叱ろうとしたら、「都市で、駕籠が四つもある町があるけど、知ってる?」「シカゴだろう」と、そのときは正解を出した。

下らないと言ってしまえばそれまでだが、こんな下らないことさえできない御仁がいて、周りをやたらとギクシャクさせているのが現実だ。

ユーモアは大切だ。怒りを忘れさせてくれる。自然自然と勇気がわいてくる。スマートだと思う。

王陽明という人が、「天下のこと万変といえども、わがこれに応ずるゆえんは喜怒哀楽の四者を出ず」と言っている。

世の中が、千々に乱れても、私がこれに応じていろいろな手が打てる……本書のテーマに沿って言えば、事業をやっていて有効な手が打てるのは、喜怒哀楽の四者を、つまり、情を知っているからだ。喜怒哀楽の中身とは、情に外ならない。

「これ、すべての学の要にして、 政もすべからくその内にあり」と、さらに続けて言っている。

「情のために、つまり人間が幸福感を抱くために学問をする。何事も楽しむためにやる。政治も、すべからく、その内にある。だから、政治家で情を知らない人間はだめだ。そういう喜怒哀楽を知って政治を行うべきである」と、王陽明は言っている。事業家も、その通りだ。心のおしゃれとは、情に精通することだ。社長は、心のおしゃれ、特に情を知っておくことが大切である。

卑近な例では、カラオケで一曲しか歌えないなどというのはよくない。五曲も、十曲も、二十曲も歌えるようにしておく。これは、冗談ではなく、心のおしゃれに直につながっていくからだ。したがって、少しずつレパートリーを広げていく。歌を歌うことは、本当に大切である。

余談になるが、私は、妻と一緒にアイルランドヘ行ったことがある。アイルランド銀行の経営者をはじめ、四十人ぐらいの人たちが出席して、歓迎パーティーを開いてくれた。その時、アメリカに二十五年も住んでいた義理の弟夫婦が一緒で、彼らが、パーティーの

最後に、「ミスター・ムタ」と、私を指名して、「何かコメントしてくれ」と、突然、言った。みんながしゃれたスピーチをたくさんした後だった。私は英語はそれほど堪能ではない。

義理の弟夫婦が心配して、すぐ私に、

「通訳するから、日本語でしゃべっていいよ」と、助け舟を出した。「おしゃれじゃない。二人とも、野暮だな」と思った。だから、多少しゃれたことを言わねばと思いつつ、女房と二人でパッと立った。

「アイ。キャント・スピーク・イングリッシュ(私は英語がしゃべれない)」とまず言った。続けて、「バット・アイ。キャン・スピーク・イングリッシュoオンリー・ワン・フレーズ(でも、たった一つだけ英語をしゃべれる)」と言った直後に、「イッツ・アイ・ラブ。マイ。ワイフ・ヒロコ」と、オチをつけた。

すると、 一斉にワーッと沸き立ち、ワイワイ次から次へと私のところにやって来て、みんなで抱き合った。だれのスピーチよりも、私のが一番だった。多少手前みそに聞こえるかもしれないが、やはり、しゃれていなければならない。たくさんじゃべったからといって、それでいいわけではない。

心の躍動と死生観

誰しもそうだが、特に事業家は、できるだけ積極的に物事を考えながら、自分の念ずるところをしっかり捉えておくことが肝要である。

たとえば、女の人がいる。母親という女は、自分の子が病気になると、夜も寝ないで看病する。その子が亡くなると、「自分も命を断ちたい。あの子にとってかわりたい」と思う。恋する女がいて、男に振られると、自殺する人もいる。そんなことが、古今東西、絶えない。それは、「命よりも大切なもの」が、各人にあるからである。妻という女は、主人に裏切られたら、恨みもするし、時には死にもする。

同様に、社長から金を取り上げると、社長は死んでしまう。きれいごとではなく、金は本当に大切だ。業績を落として、円形脱毛症になったり、胃潰瘍になったり、癌になったり、高血圧になったりしている社長を何人も知っている。

自分にとって一番大切なものが必ずある。その大切なものを悩みなく、心を躍動させて追求していく姿勢が最も大切だ。そうしないと、おもしろい会社はつくれない。

そのためには、きちっとした死生観をもっている必要がある。死を知っている人は、生を知っている。だから、 一生懸命にやる。自分の一番大切なものに没頭して、それを追求できる。そして、人を傷つけたりしなくなる。

生きる、死ぬという死生観が、事業経営では物すごく大切だ。どのように死ぬかということは、難しいことではあるが、社長たるもの、常に覚悟しておくべきである。前述したように、西郷隆盛の死生観は実にすばらしかった。

私は、友人の奥さんから、夜中に呼ばれたことがある。電話がかかって、私が病院に行くと、友人は、目をつぶっていて、もう虫の息だった。医者がそばにいて、「間もなくお亡くなりになりますから、お別れを言ってください」と言った。私がグッと彼の手を握ると、彼も少し握り返したような気がした。冷たくも何ともない手だった。「あれっ、元気だな」と思った。

そして、彼は、家族らを呼んで、お別れの言葉「ありがとう」と一言つぶやいて、目を閉じてしまった。

誰もが、それっきりだと思っていたら、実は、それで死ななくて、死ねなくてというべきか、 一年生きていた。おかしいと思うかもしれないが、これは本当の話だ。彼のことを、私は大好きだった。死ぬまでユーモアがあって、おもしろい男だった。ただ、本人は死ぬつもりで、遺書も書いていた。また、その時は、本当に臨終の気持ちでいたはずである。ところがどうして、生き返ってしまった。

それから、TさんというF社の社長が癌になり、末期で、やはり私は医者に呼ばれた。夜中の二時ぐらいに、埼玉の山奥の病院へ行った。奥さんも、子供たちも、みんな泣いている。ものは試しと思い、耳もとで、「Tさん、あんた、会社が大変なのに、いま死んじゃ、だめじゃないか」と十回ばかり叫んだら、パッチリロを覚まして、この人も二年生きた。本当に分からないものだ。

必要とされれば生き続けると前にも書いたが、それは真実である。「あんたは、いま死んだらだめだよ。必要なんだから」と言えば、必ず生きる、神が死なせない。

私は覚悟を決めていて、いまわの際に、家族、子供たちを枕もとに呼んで、「ありがとう。楽しい人生だったよ」と言いたい。そして娘や息子に、「お父さんは、立派なコンサルタントとして生きてきた。牟田學という名前を世間の社長さんたちに、高らかに言ってほしい。小さな会社を指導して、たくさんの上場を果たしてきた。いい会社をいっぱいつくってきた。誇りを持って、胸を張って、牟田學の息子だ、娘だと言いなさい」と結んで、死んでいきたいと思っている。

こういうセリフは、茶番にならないために、死ぬ間際の、間際の、本当の間際に言わなく

てはいけないから、なかなか難しいことも知っている。そういう生き方を―貫き通したい。

禅宗では、夜誓願を三回唱えて、チーンと鉦を鳴らす、その瞬間にスーッと息を引きとる
ことが大往生だといわれている。なかなか、そんなにうまくはいかない。私は、そういう死
に際に立ち会ってから、 一年生きた、二年生きたという人を、いままで何回も見ている。
どのように死ぬかは、非常に難しい問題だ。
時には、本当に涙にかきくれるような死もある。
こうう                               ちょうあい             ぐ び
中国で一番悲しい死は、項羽という武将の死だといわれている。寵愛を一身に注いだ虞美
I じ
ノヽん
との死別である。
自分のライバルの劉邦、後の漢の高祖と、項羽はいつも争っていた。武運が項羽に味方せ
ずに敗れ、敵の包囲を破って逃げる。逃げに逃げて、揚子江にたどり着く。鳥江という港で、
そこの漁師が向こう岸へ渡そうとする。しかし、虞美人がとらわれの身になっていることを
知り、立ち尽くしてしまう。そして、悲憤憾慨し自ら詩をつくった。
「力は山を抜き、気は世を蓋う
時、利あらず、離逝かず離逝かず、奈何にす可き虞や、虞や、若を奈何にせん」(我が力は山をも抜き、気概は世を蓋うほど灌っているしかし、時が我れに味方しないで、戦いに敗れ、愛馬の雛も進まなくなった離が進まなくなっては、どうすることもできないああ、虞や、虞や、お前をどうすればよいのだろう)これが『史記』にある有名な「槻山蓋世の歌」である。日本では、詩吟で「咳下(項羽が敗れた安徽省の地名)の歌」として広く親しまれている。そして、項羽は、自分の首に自らの刀を押さえ、 一思いに切って死ぬ。いわゆる「自到」をなした最初は、項羽だといわれている。人間の死に方には、いろいるある。おかしいことを言うようだが、死に際のことは、必ず一回、準備をしておいてもらいたい。ジタバタしたら、あの世まで格好悪い。いや、人間味があって、面白いかも……

リーダーとしての生き様

私が尊敬する人に、持丸寛二さんという方がいる。この人は、いろいろ紆余曲折はあったが、仙台に日本を代表するような電子専門学校をつくった。北九州市に生まれて、貧乏しながら身を起こし、自分は教育者だということに目覚めて、電子専門学校をつくった。

この人が六月頃のある日曜日に、新間を読みながら、「おいしいミカンが食いたいなあ」と、今時はないだろうと思いつつ、ただふとつぶやいたという。その当時は、ミカンを冷凍して保存する技術などなかった。ところが、ミカンが好きだということを、長いこと連れ添ってきた奥さんは知っていたのだろう、どこからともなく、つやつやしたミカンを持ってきた。それをむいて食べた。

そして、何げなく奥さんのほうを見ると、底のほうが青くなって腐っているような、しわくちゃのミカンを選って食べている。「あれっ、俺は、こんなにおいしいミカンを食べているのに」と思った。気になって、その晩のおかずもしげしげ見た。すると、奥さんの皿には、やはり魚のしっぼしか乗ちていない。自分のほうは、尾頭つきのものが乗っていた。また、「あれっ」と思って、それから気になって気になって、ほかにも色々と探してみた。

そうすると、奥さんは下着でも何でも、洗濯を何回もして、針を入れたものを着ている。自分は、きれいな下着を着て、糊がきいたワイシャツを、毎日毎日、着がえていることに気がついた。「ああ、この人がいたから、俺はいい事業ができたんだ。俺は、この人によって生かされていたんだな」と、つくづく感じた。それからというものは、奥さんを大切に、大切にした。

しばらくして、電子専門学校が県の払い下げの土地を買った時に、汚職に絡んでいるということで、持丸寛二さんは新聞やテレビで叩かれた。そんなことは決してしなかったのに…である。

そこで、多くの電子専門学校の生徒たちが、県の議会が開催される日に合わせて、議会やテレビ局へ宛てて手紙を書いた。「私が卒業した学校は、そんな学校じゃない。持丸さんという人も、そんな人じゃない」ということを、たくさんの生徒や卒業生が手紙にして訴えた。

一人の投書には約二千人ぐらいの人がその後ろにいる、と一般に言われている。だから、何通も投書が行くと、物すごい桁数の人達がバックにいることになる。いままでは汚職追及派の政治家がたくさんいて、重箱の隅をつつくような質問を繰り返していたのが完全に逆転して、「聞くところによると、あなたの電子専門学校は非常に成績がよくて、今年も国家試験にだいぶ多くの方々が合格されたらしいですね」ということになった。質問がほめるほうへ、ほめるほうへと変わっていった。そうしないと、バックにある大量の票をなくすからだ。そういうふうに状況が変わってきて、「生徒に助けられた」と持丸さんは言っていた。

それぐらい、家庭でも生かされている。そして、世の中に出てからも、生かしてくれる人が大勢いる。

事業経営では何が大切かというと、もう一度繰り返すが、存在する価値を磨くことだ。存在する価値をどこまでも磨いていく。

会社は、法人格という立派な人格を持っているが、その会社は何によって生かされているかといえば、とりもなおさず、お客様によって生かされている。お客様に、「君のところの商品はすばらしい。君のところからしか買わない」とか、「君のところの社員はすばらしい。あの人をうちによこしてください」と言わしめなければ、会社の繁栄など絶対にない。それが存在する価値である。それを、限りなく磨かないと、会社は続かない、生きていけない。存在する価値をどこまでも磨くことが実存主義で、これが二十一世紀の哲学であると、本書で何度も書いてきた。

ピンチになること、あるいは山があったり、谷があったり、風が吹いたりすることがたくさんある。そんな時でも、この実存主義の哲学を絶対に忘れない。会社は、何によって生かされているのか、どこにその存在価値があるのかということをもう一回つかみ直し、それを磨いていって、哲学として残していく姿勢が大切だ。

この章の最後に、私が理念とする言葉を紹介しておきたい。

たとえあす、この地球が破滅しようとも、きょう私はリンゴの本を植える

会社というのは、浮き沈みが、多かれ少なかれ必ずあるものだ。どんなことがあっても、巨大地震が起こっても、壊滅的な状態に陥っても、私はリンゴの木を植え続ける。あしたのために、未来のために、あきらめないでリンゴの木を植え続けるという生き様を、私は貫き通したい。

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