「子供っぽい」人は「人望」がある人
人望とは「稚気」のことではないか。そう思うときがある。稚気とは「子供っぽい」という意味で、組員に慕われる親分の多くは強烈なカリスマ性だけでなく、稚気にも富んでいる。
たとえば、武闘派にして人望家として聞こえる S組長が、古稀(七十歳)を迎えたときのことだ。幹部のひとりが一杯やりながらしみじみと語った。
「組長が七十ってことは、俺が盃をもらってから、ちょうど三十五年。あのオヤジの下で、よく続いたと自分でも感心するよ。短気というのか、早とちりというのか……。〝 × ×会の連中が〟と言っただけで〝よし、殴り込みだ!〟――なんてね。理由も聞かないで猛り狂っちゃうんだから、まわりにいる人間は大変だよ」
そう言ってから、「でも、そこがオヤジの魅力なんだね」 と語る。あるいは、老舗ヤクザとして名を馳せる H会長は、右と左をよく間違えるため、会長付の若い運転手は泣いている。
「会長、そこを左に曲がってよろしいですか」「右だ」「わかりました」 運転手がハンドルを右に切るや、「バカヤロー、右だ!」「ですから右に……」「右だと言ってるだろ、バカヤロー!」 運転席のバックレストをドンと蹴って、「おまえは右と左がわからんのか!」 どやしつけられるのだそうだ。
「マジ、まいっちゃいますよ」 と、当の運転手はボヤきながらも、「でも、そこが会長のいいところでもあるんですがね」 と言う。
先の幹部も、若い運転手も、言わんとするのは「ウチのオヤジはたいした人だけど、ちょっと子供っぽいところがあるので、俺たちが支えていかなくちゃならない」――ということなのである。
すなわち「稚気」とは「憎めない人間」という意味で、人望には不可欠の要素と言ってもいいだろう。
故・田中角栄元首相は「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれ、決断と実行力が高く評価された政治家だが、彼に稚気がなければ、国民的人気を得ることはなかったろう。
たとえば三十九歳で郵政大臣として初入閣したときのこと。NHKラジオ『三つの歌』に出演し、浪曲『天保水滸伝』をひとくさり唸った。
この浪曲は二人の俠客――笹川繁蔵と飯岡助五郎の勢力争いの物語であるため、「公共放送でヤクザ礼賛の浪曲とは何ごとだ!」 と抗議が殺到したが、この〝稚気〟によって田中角栄は国民に人気が出たのである。
医学博士にして推理作家の故・小酒井不木にこんな一文がある。
《英雄にはしばゝゝ愛すべき稚気がある。シーザーが嘗て帆船で海峡を渡らうとしたとき、突然大雷雨風が起つて船は転覆に瀕した。船長は絶望を叫び水夫は櫂を捨てゝうづくまつた。この時シーザーは立つて怒号した。
「馬鹿! 何が恐ろしい? シーザーが乗つて居るではないか。」と。かくの如き稚気はもとより凡人にもある。ただ、英雄と凡人の差異は、その稚気が愛すべきか又は笑ふべきかにあるのみだ。》 若い衆の人望を集める親分と、古代ローマ帝国に君臨したシーザー――。
愛すべきかどうかはともかく、上に立つ人間に「稚気」は不可欠ということなのである。
「白か黒、灰色は無し」とハラをくくる
(この人について行こう!) そう思う瞬間がある。心が震えるほどの感動と敬意で身が引き締まる一瞬だ。
「あれは、俺が盃を下ろされた直後のことだったな」 と、いまは引退して悠々自適の長老ヤクザが振り返る。
「飲み屋で代紋違い(他組織)とトラブってさ。ビール瓶でブン殴っちまったんだ。たいしたケガじゃないんだけど、治療費がどうのこうのという話になってさ。
どうしたもんか理事長に相談したところが」 理事長は世間話でもするかのような口調で、「殺るか詫びるか、ヤクザは二つに一つだろう。詫びんのか?」 と訊いてきたのだ。
これには生唾ゴクリで、「いえ」 と答えると、「道具は?」「ありません」「これを使いな」 拳銃をテーブルに置いて、「殺ったら自首するんだぜ」 こともなげに言ったのである。
「俺も二十三、四のガキだったからね。理事長はすっげえ人だって感激してさ。正直、恐くて震えがきたけど、ハラをくくったんだ」 チャカをズボンのベルトにねじ込み、事務所を出て行こうとしたら「待て」と理事長が呼び止め、「いい度胸だ。話は俺のほうでつけてやる」 そう言って、ニコリと笑ったのだという。
「この理事長はいつだって二つに一つなんだから。白か黒かで灰色は無ぇんだから、相手もヤバイやね。要するに度胸勝負のチキンレースだな。俺も理事長のようになりたいってね。心底、あこがれたもんさ」 たとえば、取り立てに代紋違いの事務所に乗り込めば、
「能書きはいい。払うか払わねぇか、返事だけ聞かしてくれ」 と迫る。「払う」と返事すればよし。「払わない」と居直れば席を蹴り、ドンパチが始まることになる。
ハラのくくりがなければできないことで、この度胸に若い衆はあこがれるというわけである。ビジネスマンも同じだ。
「白か黒か」――と明快に白黒を迫ったり、みずから判断を下す上司にあこがれる。さげすまれるのは保身に走る上司で、「二つに一つ」を相手に迫らないし、判断することもしない。
「白もいいし、黒もいいねぇ。灰色だってかまわないよ」 と、答えを求めず、答えを出さず。
将来に志をいだく若い部下は、この優柔不断さが我慢ならず、「ウチの課長はだめだな」と居酒屋で悪口のサカナになる。
保身のための優柔不断さが、実は保身になっていないという皮肉な結果になるのだ。
「単価、もうちょっと下がりませんかね」 取り引き先に言われたら、「無理です。この単価で取り引きしていただけないのでしたら白紙にもどすしかありません」 と迫る。
あるいは、「課長、先方から見積もりが来ました」「高いな。下げさせろ。イヤなら取り引きは中止と伝えろ」 と断固たる姿勢を見せる。
リスキーだが、リスキーであるがゆえに、毅然とした態度が人望を得るのだ。
迷わない、ブレない上司に人望が集まる
「優柔不断」と「朝令暮改」。嫌われる上司の双璧が、これだ。「課長、例の企画、進めてよろしいですか?」「ウーン」「何か問題点でも?」「そういうわけじゃないんだが……」「じゃ、進めてよろしいですね?」「ウーン」(イエスかノーかハッキリしろ!) と、部下としては内心怒鳴りたくもなるだろう。
反対に、テキパキと断を下しはするが、コロコロと指示が変わる上司も厄介だ。
「二割引きで見積もりをつくれ。大至急だ!」 ところがしばらくすると、「値引きなしでいくぞ!」「エエッ!」 優柔不断と朝令暮改は、人望どころか、部下たちによる居酒屋での上司の悪口談議に火をつけてしまうのだ。
実は、ヤクザの親分にも、このタイプは少なくない。
「組長、 × ×一家の連中ともめました。シメちまいましょうか?」「そうだな。ま、本部長と相談して、いいようにしな」 口調こそドスをきかせているが、要するに優柔不断。
「わしゃ、知らん」と言って逃げているのだ。シメて問題が起これば「バッキャロー!」、うまくいけばニンマリというわけである。
これが朝令暮改の組長であれば、「連中をシメちまえ!」 バーンと命じておいて、半日もすれば、「いいか、 × ×一家に手を出すんじゃねぇぞ」「もうシメちまいました」「バッキャロー! あれほど手を出すなと言っただろう!」 若い衆を啞然とさせることになる。
サラリーマン社会と違って、判断いかんによって組の存亡と命が懸かるだけに、トップや幹部連中は判断に迷い、その結果、優柔不断にもなれば朝令暮改もするだろう。
言い換えれば、判断が命がけであるからこそ、毅然と命令を下し、ブレない親分は若い衆たちから尊敬されるということでもある。関西某会の組長がそうだ。
「組長、どないしたらええですか?」 幹部から判断を仰がれれば、「拳銃、撃ち込んだらんかい」「静観や」「待っとれ、わしが話つけたる」――瞬時にして断を下し、〝暮改〟することもない。
だから組員から信頼され、敬われ、人望を集めている。かつて私は、断を下すに際して迷いが生じないのが不思議で、取材したときにそのことを問うたことがある。
すると組長は「迷わへん」と即座に言って、「先のことなんか、どうなるかわからへんやろ。わからんことを、あれこれ考えるから迷うんや。上が迷いを見せたら下も動揺するがな。そんなもん、直感で決めたらええんや」
――しかし、判断が間違っている場合もあるのでは?「そら、ぎょうさんあるがな。せやけど、物事は刻々と変化していきよるからな。いちいち気にせんかてええがな。どんな事態になっても、そんなもん、ハナから織り込み済みやいう顔をして見せとけばええ。上の人間が、若い衆の信頼をどれだけ集められるか。組の力はここで決まるんや」
そして組長は、こうつけ加えた。
「とは言うても、人間やから誰でも迷うがな。せやから迷うのはええ。不安も当然あるやろ。大事なことは、迷いと不安を下の者に絶対に見せんことや。ここで、上のもんは値打ちが決まるんとちゃうか」
迷いと不安を腹に呑み込み、決然と断を下す上司に人望は集まるのだ。
部下の〝持ち物〟を奪うなかれ
兄貴分が若い衆に嫌われる最たる理由は、何と言っても女癖の悪さだ。
「ヘソから下に人格なし」と昔から言うけれど、任俠道に生きるはずのヤクザが、若い衆の女に手を出すとは不届き千万であろう。
♪ 義理ィィィと 人情 秤ィィィにかけりゃァァァァ ~ カラオケで高倉健の『唐獅子牡丹』に酔いしれ、ジギリをかけて(組のために身体を張って)服役。
胸を躍らせながら出所してみると、兄貴が自分の女を寝盗っていた――なんて話はめずらしくない。「てめぇ、それでも兄貴か!」 若い衆がキレて、兄貴分をドスでブスリ――と刺し殺した事件もあるが、こうしたトラブルは表には出にくい。
身内の恥だから誰も口外せず、業界的には〝なかったこと〟にしてしまう。したがって組葬ではなく、個人葬になる。
余談ながら、組葬であれば結構な額の香典が集まるが、個人葬ではそうはいかず、組長にしてみれば人材を失い、香典を失い、ダブルパンチということになる。
ビジネスマンの場合、部下のカミさんを寝盗るということは、めったにない。だが上司はそうと気がつかないだけで、部下の〝持ち物〟を平気で盗っているのだ。
その結果、人望どころか、部下は怨みをいだく。住宅販売会社の部長氏が、宴会の流れで、部下が行きつけのスナックへ案内された。
部下はもちろん部長をヨイショし、ママさんもまた、上客ということで歯が浮くようなお世辞で歓待したのである。これにすっかり気をよくした部長氏は、このスナックにちょこちょこ顔を出すようになった。
部下も当初こそ、「部長に紹介してよかった」と喜んだが、ママさんも、店の女の子たちも部長べったり。部下が店に顔を出しても以前ほど歓待されなくなってしまったのである。
これは部下にとって面白くない。自然と足はスナックから遠のいていった。「庇を貸して母屋を取られた」――部下はそんな気持ちだったと振り返る。
「たかだかスナック一軒の話ですが、何となく部長の人間性を疑っちゃってね。この人、信用できないな、ってね。
もちろん、これまでどおり笑顔で接していますけど、腹のなかじゃ、嫌ってるんですよ」 あるいは、不動産会社の若手社員は、ある物件の売買で、商社に勤める大学の先輩を課長に紹介した。
先輩の尽力で売買はまとまるのだが、これを機に課長が先輩を自分の人脈として取り込んでしまったのである。
「それまでは僕の顔を立ててくれていたんですが、そのうち〝蚊帳の外〟。面白くありませんよ。課長ってそんな人だったのかってね。二度と人なんか紹介するものかって」
先の部長氏も、この課長氏も、部下がこれまで培ってきた人間関係を、いわば横っちょからひょいと〝寝盗った〟というわけだ。
ヤクザ社会のようにブスリと刺されることはないが、カタギ社会において部下がいだく恨みは、悪評という〝言葉のドス〟となって人望を刺し殺すこともあるのだ。
人望の基本は一に健康、二に健康
人生、太く短く――のはずのヤクザ親分が、意外に健康オタクだったりする。
ジョギングやウォーキングはもちろん、水泳、テニス、スキューバダイビング……等々、太陽の下で健全な汗をかいている。もちろん健康サプリも欠かさないし、深酒などもってのほか。
「ヤクザは畳の上じゃ、死ねやしねぇよ」と、いささかの自負と矜持を込めて自嘲してみせたのは、いつの時代だったろうか。
「そりゃ、何だかんだ言っても健康がいちばんだからね」 と、いまは亡き関東ヤクザ界の長老 M氏が、麻雀を打ちながら語ったものだ。
「人間、カネがあります、力があります、人望があります――と威張ってみたところで、病気にゃ勝てない。ましてオレたちヤクザが寝たきりになってごらんよ。そこいらのチンピラにだって相手にされなくなるさ」 だから健康に気をつかい、 M氏は毎日二時間以上のウォーキングを欠かさない。
エレベーターに乗るのは五階以上の場合だけで、それ以下は階段を使う。これは夏場も同じで、後退した額に玉の汗を光らせながら階段を上っていく姿は壮健で、七十歳を過ぎているとは思えないほどだった。
その M氏が、こんな話をしてくれたことがある。
「政治家とヤクザは〝健康不安〟がささやかれ始めたら周囲の人間は浮き足立つ。跡目問題が起こるからね。跡目を狙う者がいれば、それの尻馬に乗る者もいる。敵対組織にしてみれば、縄張を食い荒らすチャンスだと思うかもしれない。どっちにしろゴタゴタが起こり始める。親分の健康ってのは、それほど大きな意味を持っているんだね」
だから親分は、健康不安のウワサが立つことを嫌い、恐れるというわけだ。
そういえば、ある若手ライターが某組織の組長について《病に倒れはしたが、病院のベッドで元気に采配を振るい……云々》と、よかれと思って記事に書いたところが、当該組織から強烈なクレームがきて、大騒動になったことがある。
親分の健康は、対外的には秘中の秘というわけだ。このことは、ビジネスマン社会も同じだ。「部長、胃ガンらしいぜ」 というウワサが立てば、部下たちは神経をとがらせる。
「ヤバイの?」「再発らしいんだ」「じゃ、遠からず退職だな」 部下たちの気持ちだって離れていく。病気という現実を前にすれば、人望など木っ端微塵に吹き飛んでしまうのだ。
「人望なんざ、健康であってこその話だね」 と生前語った M氏の言葉が、いまも私の耳朶に残っている。
「お金」でヘタなミエを張るのは N G
「人望」と「お金」は密接に関わっている。お金の多寡ではない。〝使い方〟である。
札ビラを切ったからといって人望は得られるものではないし、フトコロが貧しく、下の者に満足に奢ることができなくても、人望は得ることができる。
では、どうやるか。
具体例で紹介しよう。中堅の Z兄ィと若手の K組員、それに私と三人で盛り場を歩いていたときのことだ。居酒屋の前を通りかかると、店の換気扇からプ ~ンと焼き鳥の匂いが漂ってきた。
K組員がクンクン鼻を鳴らして、「いい匂いっスね」 と、 Z兄ィの気を引くような言い方をした。
「そうだな。ちょっと飲っていくか――と言いたいところだが、昨日、競馬ですっちまってよ。ポケットで百円玉がチャラチャラ鳴ってるぜ、ガハハハハ」 豪快に笑い飛ばした。
フツーのヤクザなら、ここはミエを張って、「これからちょいとヤボ用があるんだ」 とか何とか言ってカッコつけるところだろうが、 Z兄ィは気さくに〝台所〟を全開して見せたというわけである。
「じゃ、取材のお礼に一杯やりましょう」 と私が言うより早く、「自分、麻雀で勝ちましたんで」 と K組員。
「そうか。じゃ、おめぇが立て替えということで飲むか」 ということで店に入り、そのあと Z兄ィの顔がきくクラブに流れ、夜遅くまで楽しく飲んだ。
そして、翌日――。
Z兄ィが事務所に顔を出すと、「おい、きのうの借りだ」と言って、十万円をポンとくれたのだと、 K組員が感激の面持ちで語ってくれた。
十万円という金額に感激したこともあるだろうが、それだけではない。
「ポケットで百円玉がチャラチャラ鳴っている」と、自分に〝台所〟を見せてくれたこと、「奢る」という僭越な申し出を気さくに受けてくれたこと――などが、 K組員をうれしくさせたというわけである。
あるいは、こんな例もある。
若手のフリーライターが、旧知の親分さんを取材したときのこと。親分はラーメン屋に彼を誘って、「せっかく来てもらったのに悪いな。このところ、ちょいと物入りでよ。ラーメン屋で申しわけないが、勘弁だぜ」
弱小組織ゆえ、シノギが苦しいのはわかっていたが、ヘタなミエを張らず、ホンネで接してくれたことに親分の誠意と人柄を感じ、「ますます好きになりました」 とライター君は語りつつ、「大手組織の親分さんに連れて行かれる店は、たいてい中華か焼き肉の高級店ですが、どんな豪華な料理より、あのときのチャーシュー麵のほうが何倍もおいしかったです」 と感激する。
まるで人情話のようなエピソードだが、「『人望』と『お金』は密接に関わっている」と冒頭に記した意味が、おわかりいただけるだろう。
「課長、たまには一杯いかがですか」 部下に声をかけられ、フトコロがさびしいときは、「それが、ちょっと用があってね」 と、つい逃げを打ってしまう人が多い。
だが、人間というやつは、どんなに言いつくろってみても、ホンネを敏感に察知するもので、「オレにウソをついている」――というガッカリ感で、部下の気持ちはいっぺんに離れてしまうだろう。
ここは、「行きたいけど、今夜は手元不如意。安月給のしがない亭主の悲哀を嚙みしめてるよ。ガハハハ」 これでいい。
「金がない」と言うのはカッコいいことではないが、「オレに心を開いてくれている」という部下の気持ちは、それにまさるのだ。
「今夜は、自分が――」「そうか。よし、今夜はご馳走になろうじゃないか」 そして、翌週にでも奢り返せばいい。
「人望」と「お金」の関係とは、人間関係の機微を言うのだ。
あるインテリヤクザの本音
人望のある親分は、本音を口にしない。自分の腹のなかを見せないのだ。
組員たちは常に親分の隻言半句に耳をそばだて、顔色を読み、それに応じて我が身の処し方を決めようとするからだ。
たとえば弱小組織が大手組織とトラブルを起こし、一触即発の状況のなかで、「ヤバイ!」 と親分が本音を口にすれば、組員は沈没船のネズミのごとく我先を競って逃げ出して行くだろう。
人望どころの騒ぎじゃない。
こういう場合、若い衆に信頼されている親分は内心の動揺をぐっと腹に呑み込んで、「心配せんでええがな」 余裕の笑みを浮かべて見せることで組員は安堵し、親分に信頼を寄せる。
「白、ポン!」 と麻雀にでも興じて見せれば、さらによし。その上で、穏便にコトを収めるべく奔走するのが、賢い組長の処し方なのである。一家を束ねていくには、相応の演出力を必要とするのだ。
だから、どんなに人望のある親分でも、腹を見せられないということにおいて孤独だ。
「× ×会の連中、このごろ目に余るな」 という本音を口にすれば、「親分がケジメを取れと言っている」 ということになって組員が走り、トラブルに発展するだろう。
反対に、「まっ、目くじら立てることもねぇか」 と言えば、「親分は弱気じゃねぇか。なにか事情があるのか?」 と組員たちの疑心を呼ぶことにもなりかねない。
だから腹のなかを見せず、曖昧な言葉を口にするのだが、「これが楽じゃないんですよ」 と言うのは、インテリにして人望家として知られる中堅組織の組長。
「幹部連中に相談するときも本音はもちろん言いませんし、悟らせないようにも注意します。『綸言汗の如し』ってやつでね。一度、口にした言葉は呑み込むことができませんから」 と、インテリらしく中国の格言を引いてみせる。
「綸言」とは「天子の言葉」のことで、『綸言汗の如し』とは「皮膚から出た汗が二度と体内にもどることがないように、君主が一度発した言葉は訂正したり取り消したりすることはできない」として、トップに立つ者の軽率な発言を戒める。
トップだけでなく、これは上司も同じだ。「契約を取ってきました!」「珍しいな」 と、言わずもがなの本音に、部下は頭にくることだろう。ここは、「そうか、よくやった!」 というウソをついて正解となる。
人望のある親分が自分の腹のなかを見せないのと同様、有能な上司も決して腹のなかの〝本音〟は口にしないのだ。
リタイアしてから分かるのが本当の人望
人間の評価は、棺を蓋いて定まる――。毀誉褒貶は世の習いで、生きているあいだは利害が絡むため、褒められたり貶されたりと、その時々で評価は変わっていくが、死んでしまえばそれもなくなる。
したがって亡くなったときが、その人間の真の評価である――と先人は教える。人望はどうか。棺を蓋うまで待たなくてもわかる。
退職など組織を離れたときに、それまでの人望がホンモノであったか、部下が地位にシッポを振っていただけか、すぐにわかるのだ。
義理だ人情だと、ウェットなイメージのあるヤクザ社会も、親分の引退となればドライなケースが少なくない。
組織の若返りという本家の大号令で、引退させられた傘下の H組長が、盛り場で元若い衆とバッタリ出会ったときのことだ。
「どや、おまえ、元気でやっとんのか」 と話しかけたら、「こらッ、おのれはいつまで親分ヅラしとるんじゃ!」 と嚙みつかれ、屈辱で身体が震えたと語ったものだ。
親分が絶対であるというヤクザ社会の規範は、親分でなくなれば「ただの人」ということでもある。
ことに「序列」より「実力」を重んじる関西ヤクザ界にこの傾向は強く、「引退と同時に借金の追い込みをかけられた」とか、前述のように元若い衆にケツをまくられたといった話はいくらでもころがっている。
反対に、引退後も「おやっさん」と呼ばれて人望を集めている元親分もいる。権力を失ってなお、若い衆から仰がれるか否か。親分の器量は引退してわかるのだ。
親分だけでなく、幹部や先輩ヤクザも同様で、現役時代に可愛がっていた若い衆に飲み屋で行き会い、「ひさしぶりやな」 と笑いかけたところが、「邪魔や。そこ、どかんかい」 と居丈高な態度をとられ、客たちの前で大恥をかいた元先輩ヤクザもいる。
会社だって同じだ。リストラにしろ定年にしろ、会社を去ってのち、部下や後輩たちがどういう態度を取るか。
「よう、ひさしぶり! 一杯やろうか」「こらッ、いつまで上司ヅラしとるんじゃ!」 とは、もちろん言わないだろうが、「急いでいるもので」 と、冷ややかな態度を取られるか、「ぜひ!」 と喜んでもらえるかで、在職時代の人望がホンモノであったかどうかがわかるのだ。
自分が退職したら、部下や後輩たちはどういう態度で接するだろうか。そんな醒めた目も必要なのではあるまいか。
「自分は人望がある」とうぬぼれるほど、楽なものはないからだ。
向谷匡史(むかいだにただし) 1950年生まれ。
広島県呉市出身。
拓殖大学卒業。
週刊誌記者などを経て、作家。
浄土真宗本願寺派僧侶。
保護司。
日本空手道「昇空館」館長。
著書は『会話は「最初のひと言」が 9割』(光文社新書)、『ヤクザ式 ビジネスの「かけひき」で絶対に負けない技術』『ヤクザ式 ビジネスの「土壇場」で心理戦に負けない技術』(以上、光文社知恵の森文庫)、『成功する人だけが知っている「ウソの技術」』(草思社)、『親鸞の言葉』(河出書房新社)、『ヤクザの実戦心理術』『ホストの実戦心理術』(以上、 KKベストセラーズ)、『人はカネで 9割動く』(ダイヤモンド社)など多数。
著者ホームページ: http:// www. mukaidani. jp/
ヤクザ式 一瞬で「スゴい!」と思わせる人望術 2012年9月 20日初版 1刷発行 2012年 11月 2日電子書籍版発行著 者―向谷匡史発行者―丸山弘順装 幀―アラン・チャン発行所―株式会社光文社 東京都文京区音羽 1-16-6( 〒 112-8011) http:// www. kobunsha. com/電 話―編集部 03( 5395) 8289メール― sinsyo@ kobunsha. com ®本書の全部または一部を無断で複写複製(コピー)することは、著作権法上での例外を除き、禁じられています。
© Tadashi Mukaidani 2012
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