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第二話腕を磨くことの喜び/職業人としての能力

第二話腕を磨くことの喜びそれでは、最初に、第一の報酬。

「能力」一生懸命に働くと、まず何よりも、「職業人としての能力」が磨かれます。そして、この「能力」というものは、まぎれもなく、一つの「報酬」。

なぜなら、我々は、「腕を磨く」ということそのものに、無条件の「喜び」を感じるからです。

特に、新入社員や若手社員の時代には、その「喜び」が大きい。例えば、営業に配属になった新人。上司と一緒に営業に行く。顧客に商品を売り込むための、提案営業の実地研修。上司の提案営業を見ていると、見事に売り込む。

しかし、いざ自分がやってみると、うまくいかない。そこで、上司を見習いながら、少しずつ「スキル」を学んでいく。

事前調査の方法、提案書の作り方、プレゼンテーションの技術、質疑の呼吸など、一つひとつのスキルを、工夫しながら、身につけていく。

そうして、何度も失敗を繰り返しながら、ある日、自分でも「うまくできた」という日がやってくる。そして、その日の売り込みは成功する。

こうした時に、我々は、「腕を磨く」ことそのものを「喜び」と感じる瞬間を体験します。それが素晴らしい「報酬」と感じられる瞬間を体験します。だから、「能力」というものは、それ自身が、まぎれもなく、仕事の「報酬」。

しかし、この「腕を磨く喜び」とは、単に新入社員や若手社員の時代のエピソードではありません。

実は、この「腕を磨く喜び」というものをどれほど深く体験しているか、それが、一流のプロフェッショナルになっていくための条件でもある。

一流のプロフェッショナルは、例外なく、若き日に、この「腕を磨く喜び」を深く体験し、それゆえ、いまも、その「喜び」を求めて歩んでいます。

それにもかかわらず、昨今、「腕を磨く」ということが、「手段」になってしまった。自分の商品価値を高め、給料や収入を高めるための「手段」になってしまった。

しかし、この「腕を磨く」ということが、単なる「手段」になってしまったビジネスマンは、ある領域を、決して超えられません。一流のプロフェッショナルの「高み」には、決して登っていくことができません。

だから、若き日の体験が、大切。

若き日の体験が、ビジネスマンの将来を、分ける。されば、新入社員や若手社員の時代には、「腕を磨く喜び」をこそ、求めて歩むべきでしょう。

例えば、一昔前、我が国の企業には、その喜びがありました。日本の企業では、若手社員は、どれほど一生懸命に働いても、給料はそれほど高くない。

また、毎年の昇給も、わずかなもの。

しかし、それでも、若手社員は、あまり不満に思わなかった。なぜなら、あの頃は、無条件の喜びがあったからです。

朝から晩まで一生懸命に働き、残業、残業で仕事をしていると、どんどん自分の能力が高まっていく、という喜びがあった。そして、それが「目に見えない報酬」だと感じていた。

そして、職場には、その「目に見えない報酬」を「報酬」として実感させてくれる瞬間があった。

何か。

「上司の一言」です。仕事に夢中になって取り組んでいると、力が磨かれていく。それは、自分自身も、それなりに感じている。

しかし、力のある上司は心得たもので、頃や良しというあたりで、声をかけてくれる。「お前も、なかなか腕を上げたな」という言葉や、「お前、力がついたな」という言葉。こんな一言が、とても嬉しい報酬だった時代がありました。

だから、皆さんも、いま、マネジャー、上司の立場に立たれている方ならば、逆に、そういう形での報酬を、部下の方に贈っているのではないでしょうか。現在の会社の給与体系では、上司の権限で、それほど給料を上げることはできない。

けれども、部下が一生懸命に仕事に取り組み、その仕事を通じて力を身につけたとき、この報酬を、心を込めて、贈る。

部下に対して、気持ちを込めて、「腕を磨いたな」という言葉や、「力をつけたな」という言葉を、贈る。それが、上司として部下に贈ることのできる精一杯の報酬であり、最高の報酬である瞬間が、ある。

そうであるならば、我々マネジャーは、もっと、そうした瞬間を大切にすべきでしょう。

一昔前、我々マネジャーやビジネスマンは、「なぜ、そんなに一生懸命に働くのですか」と聞かれたとき、胸中深く、「腕を磨けるからです」と呟いた時代があった。

「職業人としての能力を磨く」ということや、「プロフェッショナルとして力をつける」ということが、無条件に「喜び」であり、「報酬」であった時代が、ある。

しかし、最近の「能力とは経済価値なり」と考える世相の中で、「腕を磨く」ということが、自分の商品価値を高めるための「手段」になってしまった。

「腕を磨く」ことによって、「それで給料が、これだけ上がる」「それで収入は、これだけ増える」と考えてしまう風潮が生まれてしまった。

そのため、上司と部下の関係も、互いに切磋琢磨し、職業人としての腕を磨いていくための「師匠」と「弟子」という関係は希薄になり、「能力」という経済価値の「買い手」と「売り手」という関係になってしまった。

しかし、こう申し上げると、皆さんの中から、声が挙がりそうです。

「しかし、そうは言っても、そうして職業人としての腕を磨いていくことは、やはり、遅かれ、早かれ、給料や収入という経済的報酬に結びついていくのではないか」そうした声です。

この質問に、お答えしておきましょう。

たしかに、そうです。

「能力」という報酬は、多かれ、少なかれ、必ず、「給料」や「収入」という報酬に結びついていきます。しかし、先ほども申し上げたように、「給料」や「収入」という報酬は、「結果として与えられる報酬」です。

そのことを忘れ、それらの報酬を「自ら求めて得るべき報酬」であると考えた瞬間に、我々は、大きなジレンマに陥ります。それは、何か。

「能力」が、磨かれないのです。なぜなら、「早く職業的能力を磨いて、早く経済的報酬に結びつけたい」という性急な心の姿勢に陥った瞬間に、我々は、その「職業的能力」を磨いていくために不可欠な「忍耐力」や「粘り強さ」を失ってしまうからです。

そして、「少しでも早く、少しでも楽に」という安易な心に流されてしまうからです。それは、ジレンマです。

「能力」というものを、性急な心、安易な心で求めるあまり、結果として、「能力」そのものを磨くことができなくなる。その無残なジレンマに陥ってしまうのです。

いま、書店には、その我々の性急な心、安易な心に誘いかける本が溢れています。

「これで、誰でもプロのスキルを学ぶことができる」「こうすれば、容易にセンスを身につけることができる」「この方法で、すぐにプロのテクニックが真似できる」「どうすれば、簡単にノウハウを習得できるか」いま、書店には、そうしたメッセージの本が溢れています。

しかし、改めて言うまでもなく、「職業人としての能力を磨く」ということや、「プロフェッショナルとして力をつける」ということに、「近道」は、無い。

いかなるスキルも、センスも、テクニックも、ノウハウも、仕事の現場での厳しい修練を通じて忍耐力を持って、粘り強く学んでいかないかぎり、決して、身につくことは、ない。

そして、もし、こうしたスキルやセンス、テクニックやノウハウを身につけるために、「秘訣」とでも呼ぶべきものがあるとすれば、それは、ただ一つ。

「狭き門」より、入れ。それだけです。プロフェッショナルへの道には、「近道」も無ければ、「広き門」も無い。

そのことを愚直に信じること。敢えて言えば、それが、秘訣でしょう。

私自身、いまだ修行中のプロフェッショナルですが、永年、海外、国内のシンクタンクのプロフェッショナルの世界を歩んできて、見てきたものは、その事実です。

一流のプロフェッショナルは、するべき努力を、愚直なほどに、している。彼らは、決して、「近道」や「広き門」など信じていない。

そして、そうしたものを期待する心こそが最大の落とし穴であることを、知っている。その事実を、見てきました。

例えば、私自身が研究員として働いたアメリカのバテル記念研究所。

ゼロックスの開発や、ホログラム、バーコードの開発などで知られる世界最大の技術系シンクタンクです。

この研究所では、世界でもトップクラスのプロフェッショナルたちが、日々、極めて高度な技術開発の仕事やシンクタンクの業務に取り組んでいました。

しかし、彼らを見て感銘を受けたのは、単に、彼らの知的活動の素晴らしさだけではありません。むしろ深く感銘を受けたのは、彼らの愚直なほどに努力する姿です。

たしかに、彼らは、非常に仕事が速い。わずか数日間で、想像を絶する膨大な仕事をする。しかし、それにもかかわらず、なぜか、夕方は早く帰る。早く帰って、家族と楽しく夕食をとる。

それを見ていて、私は、最初、彼らが、非常に才能に恵まれた人々であると思っていました。しかし、ある日、気がつきました。彼らは、誰よりも長い時間、働いている。たしかに彼らは、家族を大切にするために、夕方は早く帰る。

しかし、忙しいときは、睡眠時間を削り、夜中の二時から研究所に来て仕事をしている。そして、たしかに彼らは、人並み外れた集中力がある。

しかし、彼らは、灼熱の真夏日においても、毎日、炎天下でのジョギングを自らに課し、体を鍛え続けている。最も高度な知的活動は、最も強靭な肉体に支えられる。そのことを、彼らは黙々と実践していた。

私が、そこで見たものは、「シンクタンク研究員」という言葉から日本人の多くがイメージする「知的職業」のホワイトカラーの姿ではありませんでした。

私が、そこで見たものは、アメリカの知の最先端の現場で働く「知的職人」とでも呼ぶべき、プロフェッショナルの姿でした。

そして、彼らの姿から学んだ最大のものは、「腕を磨く」ということに、「近道」も「広き門」も無いというプロフェッショナルとしての覚悟でした。

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