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第二章 語彙の「量」を増やす

さて、ここからいよいよ、語彙力をつける方法について考えます。「はじめに」で示した語彙力の等式を思いだしてください。

語彙力 =語彙の量(豊富な語彙知識) ×語彙の質(精度の高い語彙運用)

この第二章では、この等式の前半、すなわち語彙の量を増やし、豊富な語彙知識を身につける方法を考えます。最初にご紹介するのは、語の意味の体系性に注目し、語彙のネットワークを鍛える方法です。

新しい語彙を一つひとつ憶えるよりも、すでに頭のなかにある語彙との関連で憶えたほうが効率的であり、かつ忘れにくくなります。

似た意味の語である「 ①類義語」、反対の意味の語である「 ②対義語」、その語の上位・下位に位置する「 ③上位語と下位語」の三つの観点を駆使して、脳内の辞書に語彙の網の目を張りめぐらせる方法を考えます。

つぎにご紹介するのは、語形を活用する方法です。日本語の場合、文字を意識することで語彙の使い分けにたいする感度が高まります。

和語・漢語・外来語という「 ④語種」、平仮名・片仮名・漢字という「 ⑤文字種」という二つの観点から、文字に注目して語彙を増やす方法を考えます。

三つ目は、文体情報を活用する方法です。語彙は使われる環境によって、出現に偏りが見られます。

文体情報は多岐にわたります(宮島一九九四)が、音声・文字のどちらに表れやすいかという「 ⑥話し言葉と書き言葉」、どのような対象・内容を表すかという「 ⑦日常語と専門語」、地域による違いである「 ⑧標準語と方言」、時代による違いである「 ⑨新語と古語」といった観点から、語彙のバリエーションを増やす方法を考えます。

四つ目は、経験を活用する方法です。言葉は内容を表すものなので、知識という言葉の海ばかり泳いでいても、生きた語彙は身につきません。多様な経験をすれば、語彙もまた増えます。

「 ⑩実物」として取りあげます。最後は、語の成り立ちを活用する方法です。語は形態素という、意味の最小単位の組み合わせでできています。その組み合わせの仕組みがわかれば、そこから語彙を増やすことができます。

「 ⑪語構成」で取りあげます。

以上、本章では「 ①類義語」「 ②対義語」「 ③上位語と下位語」「 ④語種」「 ⑤文字種」「 ⑥話し言葉と書き言葉」「 ⑦日常語と専門語」「 ⑧標準語と方言」「 ⑨新語と古語」「 ⑩実物」「 ⑪語構成」という計十一の観点から、頭のなかの使える語彙のレパートリーを増やすことを目指します。

目次

(一)類義語を考える 自分の言葉に満足できないとき

語彙を増やす方法の第一は、「類義語を考える」です。類義語とは、意味の似た言葉です。同義語という言葉もありますが、完全に意味が一致する別語はなかなかありません。

語形が違う以上、意味がずれることがほとんどですので、本書では、意味がだいたい同じであることを表す「類義語」を採用することにします。

類義語を知っているとよいことがあります。それは、適切な語彙が選べるようになるということです。ある対象を表すのに一つの語しか知らないと、対象を表す精度が下がってしまいます。

しかし、類義語という複数の候補を比較してよりよい語が選べると、それだけ言葉に説得力が生まれます。

また、文章を理解するときにも、類義語を知っていると、あやふやにしか知らない語でも、おおよそこの語に似た意味だろうという見当をつけることができます。

難しい語を易しい類義語に置き換えて理解できるようになると、読解力は確実に向上します。類義語を考えたくなる瞬間があります。

それは、今使っている言葉では満足できないときです。

たとえば、今使っている言葉があまりにも単純で、そのまま表現するのが気恥ずかしく考えられるときがそうです。私はしばしば大学院生に、彼らが書いた論文を読むように頼まれることがあります。そんなとき、こんな返信をします。

・すみませんが、今週は忙しくて、論文を読む時間がなさそうです。

わかりやすい日本語であり、これで読み手には十分伝わるのですが、日本語を専門とする教師として、あまりにも芸がない文面です。

そこで、「読む」の部分を別の動詞に変えてみることにします。ただ、「読む」を「見る」にしてみても、「読む」と同じくらい単純でおもしろくありません。

そこで、「見る」をひとひねりして、「目を通す」にすることにします。しかし、それでも満足できません。そこで、大学院生の論文を読んで、自分はいったい何をするのかを考えてみます。

論文を読んで、表現や内容をチェックするのが自分の仕事であることに気づき、それを書きくわえることにします。

・すみませんが、今週は忙しくて、論文に目を通して、表現や内容をチェックする時間がなさそうです。

となります。

「チェックする」のかわりに、「確認する」「修正する」「手を入れる」「検討する」などでもよいでしょう。こんな感じで推敲することができます。

使っている言葉がしっくりしないとき

類義語を考えたくなる瞬間はほかにもあります。使われている言葉がしっくりいかないときです。

たとえば、 2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、「オリンピック対策」という言葉を見かけるようになりました。

世界各地からさまざまな人がおおぜいやってきますので、会場周辺の混雑対策や、夏の暑さ対策、テロなどへの安全対策なども必要になるのだろうと思って、記事を見てみますと、「オリンピック対策」の中身は、合宿所や観光客の誘致であったり、地域の振興や活性化であったりするのです。

「対策」というと、深刻な問題が予想される場合にする処置のことです。

しかし、「オリンピック対策」が、よい成果を挙げるための積極的な対応策だとすると、意味がややずれるようです。

「対策」に相当するよい二字漢語はなさそうで、しいて言うなら「オリンピック準備」くらいでしょうか。

しかし、むしろここでは、「オリンピック活用策」「オリンピック振興戦略」のような言葉のほうが、はっきり内容が伝わりそうです。

よい言葉を見つけるのはなかなか難しい作業ですが、使っている言葉がしっくりしないと直感的に感じたら、それに優る言葉をあれこれ模索することが必要です。

検索で探す 言葉が見つからないとき

さらにもう一つだけ、類義語を考えたくなる瞬間を挙げておきましょう。それは、検索のさいに自分の探している言葉が見つからないときです。

たとえば、高校時代のクラスメートが急死し、お葬式に参列するのにいくらぐらい包んだらよいか、わからなかったとしましょう。

そんなとき、インターネットで検索するキーワードとして二語打ちこめるとしたら、どんな語を打ちこんだらよいでしょうか。

ここでは「葬式」「金額」にしてみたとします。その結果、必要な情報に辿り着くことはできますが、二種類の情報が出てきます。

一つは、今回知りたかった、お葬式のさいに持参する金額、もう一つは、遺族がお葬式を出すときにかかる金額です。

結論から申しますと、適切なキーワードは「香典」「相場」です。これで必要な情報が確実に入手できます。

ちなみに、遺族がお葬式を出すときにかかる金額の目安を知りたい場合は、「葬儀」「費用」が適切です。

以前であれば、適切なキーワードが思いつかなかった場合には、行きたい情報に辿り着けないということが多かったのですが、最近は検索の精度が上がり、そうしたことが少なくなりました。

たとえば、「お葬式に参列するのにいくらぐらい包んだらよいか」という一文をそのまま Googleに入れても、「香典」「相場」ほどではありませんが、そこそこ必要な情報は得られます。

むしろ、そこで大切なのは、「お葬式に参列するのにいくらぐらい包んだらよいか」という検索結果から、「香典」「相場」というキーワードがわかるということです。

つまり、 Googleをはじめとする検索エンジンは、自分が知りたい類義語を教えてくれる役割を持っているわけです。

類義語を探すときのもう一つの武器は類語辞典です。

一般の国語辞典は、文章を読んでいて難しい言葉に出会ったとき、その意味を調べる理解辞典であり、語形が五十音順に並んでいます。

これにたいして、類語辞典は、文章を書いているときに、文脈に合ったよりよい言葉を探したいときに使う表現辞典であり、語形が意味のカテゴリ順に並んでいます。

たとえば、類語辞典で「仕事」を調べると、「労働」の意味では「勤労」「業務」「事務」「雑務」「苦役」「作業」「働き」「手間」などが並び、「職」の意味では「職業」「天職」「生業」「稼業」「請負」「ビジネス」「パート」「アルバイト」などが並んでいます。

そこで、意味の説明や例文を比較しながら、文脈にふさわしい言葉を自分で選ぶことになります。

類語辞典は、国語辞典を出している大手出版社であればだいたい刊行しており、競争の激化につれ、その質もよくなってきています。

大きな書店でいくつか手に取り、それらを比較しながら自分に合ったものを一冊は手元に置いておくことをおすすめします。

(二)対義語を考える対義語と類義語はきょうだい

語彙を増やす方法の第二は、「対義語を考える」です。似た意味を表す類義語とは対照的に、対義語は反対の意味を表す言葉です。反対語や反義語とも呼ばれます。

対義語は、「内」と「外」、「大きい」と「小さい」、「笑う」と「泣く」のような対立関係、「男」と「女」、「歩く」と「走る」のような対関係、「可能」と「不可能」、「完成」と「未完成」のような否定関係の三つに分けて考えられます。

対義語と類義語はじつは似たものどうしで、きょうだいのような関係にあります。

「内」と「外」は仕切られた空間を問題にし、書き手がそこにいれば「内」、いなければ「外」という違いがあるだけです。

「大きい」と「小さい」はいずれも大きさを問題にし、ベクトルの向きだけが違い、「笑う」と「泣く」はいずれも感情表出を問題にし、その感情がプラスかマイナスかだけが異なります。

「男」と「女」は同じ人間であり、二十三番目の染色体が X X染色体か、 X Y染色体かだけの違いであり、「歩く」と「走る」も脚を使った移動を表し、その速さに違いが見られるだけです。

対義語で語彙のネットワークを意識する

対義語を考えることは語彙力強化につながります。その理由を三つほど示しましょう。

一つ目として、対義語を考えると、頭のなかの語彙のネットワークが意識され、記憶への定着力が高まることが挙げられます。それは、外国語、とくに形容詞を憶えるときに、多くの方が経験済みでしょう。

次の語の対義語を考えてみてください。

①細かい [ ] ②破壊的 [ ] ③生産 [ ] ④節約 [ ] ⑤けち [ ] ⑥個室 [ ] ⑦貸切バス [ ] ⑧路線バス [ ] ⑨建売住宅 [ ] ⑩つめこみ教育 [ ] ①「細かい」の対義語は「粗い」です。

漢字もポイントで、「荒い」だと対義語は「穏やか」になってしまいます。また、性格に意識が向いた人は「粗い」ではなく「大ざっぱ」を考えたかもしれません。

②「破壊的」の対義語は「創造的」です。

「壊す」と「創る」の組み合わせは向きが正反対です。気づきにくいのですが、「建設的」も有力です。

「破壊的」と「建設的」の対は、建物にたいしてよりも、発想や議論においてよく使われます。「建設的」の類語である ③の「生産」が目に入って、「生産的」と考えた人がいるかもしれません。

それもまたよいでしょう。

③「生産」の対義語は「消費」です。「生産」と「消費」という対関係の対義語は経済学でよく出てきますし、生物学の生態系の「生産者」と「消費者」でも問題になります。

④「節約」の対義語は「浪費」です。無駄をできるだけ省く「節約」と、無駄に使ってしまう「浪費」の対になっています。「浪費」ほどぴったりした対義語ではありませんが、「無駄使い」や「ぜいたく」なども考えられるところです。

⑤「けち」の対義語は「気前のいい」です。何でもおごってくれる、金離れのよい人です。「金持ち」を考えた人もいるかもしれませんが、「金持ち」で「けち」な人は少なくありません。むしろ、「けち」だからこそ「金持ち」になれるのかもしれません。

⑥「個室」の対義語は「大部屋」です。居酒屋などで「個室」というと、一人だけというよりも、仲間内だけでという意味になり、その場合の対義語は「相部屋」になるでしょう。

⑦「貸切バス」の対義語は「乗合バス」です。

ふつうに「バス」と言えば「乗合バス」のことを指しますので、あらためて区別を聞かれると難しいでしょう。ちなみに、釣り船で「乗合船」にたいする貸切船は「仕立船」といいます。

⑧「路線バス」の対義語は「観光バス」です。「高速バス」という考え方もあるかもしれませんが、「高速路線バス」もありえますので、ここでは「観光バス」を正解としておきます。

⑨「建売住宅」の対義語は「注文住宅」です。「注文住宅」という名前から考えて、自分のライフスタイルに合うように注文して設計してもらう「オーダーメイド」の住宅であることがわかります。そう考えて初めて、「レディーメイド」の住宅である「建売住宅」の意味も明確になります。

⑩「つめこみ教育」の対義語は「ゆとり教育」です。「ゆとり世代」などと評判が悪かった「ゆとり教育」ですが、「ゆとり教育」を止めると、結局「つめこみ教育」に戻ってしまうのかと思うと、「ゆとり教育」がほんとうに悪かったのだろうかという疑問が生じます。

「つめこみ教育」と「ゆとり教育」のあいだを行ったり来たりするだけなのであれば、そのはざまで揺れる子どもたちが被害者になってしまいそうで、気の毒な気がします。

対義語でもとの語の意味理解を深める

対義語を考えることの意義の二つ目は、対義語を考えると、もとの語の意味理解が深まることです。対義語を考えると、その語が多義語であることに気づきやすくなります。

「高い」「薄い」「冷たい」の対義語を考えてみてください。「高い」の対義語は「低い」と「安い」があり、高さと値段の両方を問題にしていることがわかります。同様に、「薄い」の対義語は「厚い」と「濃い」、「冷たい」の対義語は「熱い」と「優しい」です。

「静か」の対義語は「うるさい」と「にぎやか」のように思えますが、違う見方もできそうです。「静か」の対義語は「うるさい」のみとし、「にぎやか」の対義語は「寂しい」と考えると、うまくはまります。

「おもしろい」の対義語も「つまらない」と「退屈」のように思えますが、「おもしろい」の対義語を「退屈」のみとし、「つまらない」の対義語を「楽しい」とすると、やはりうまくはまります。

ただし、「楽しい」には別の対義語「苦しい」もあり、事情はさらに複雑です。

対義語で言葉と世界への感性を磨く

対義語を考えることの意義の三つ目は、対義語を考えると、想像力が刺激され、言葉、さらには世界にたいする感性が磨かれることです。

インターネットを見ていると、対義語をつぶやいている人の数に驚かされます。

「『赤の他人』の対義語って『白い恋人』?」

「『鳥貴族』ってもしかして『魚民』の対義語だったのか」

「『天使のブラ』の反対って『鬼のパンツ』ですかね」

「『黙れ小僧!』の対義語は『何か言えジジイ!』かな」

などを見ていると、笑いが止まりません。

私が以前、ある大学院生と、大企業が発行する年次報告書(アニュアル・レポート)の語彙を分析したとき、なぜ「危険」「危機」とは別に「リスク」という語が存在し、それが広く使われているのだろうかということを考えました(佐野二〇一六)。

その結果、「リスク」は「リターン」という対義語とセットで考えることで、初めてその存在意義が見えてくるという結論に落ち着きました。

つまり、「リスク」は、「危険」「危機」とは違ってつねに回避すべきものではなく、十分な「リターン」が得られると判断できたときには、あえて取るべきものであるということです。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という発想が「リスク」にはあり、「危険」「危機」ではそれを表すことができないのです。

「光」の対義語を考えると、日本的な伝統美と西洋的な宗教観の違いがはっきりと見えてきます。

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を見ると、「光」の反対は「陰」です。「陰」は「光」があって初めてできるものであり、日本の伝統美はそうした光と陰の微妙なコントラストによってできあがっていると谷崎は考えたわけです。

一方、『聖書』の「ヨハネによる福音書」によれば、「光」の反対は「闇」です。「闇」は「光」のない絶望的な状況です。

『聖書』は、神の支配による「光」の世界と、罪の支配による「闇」の世界のコントラストによってできあがっており、そうした世界観の相違が「光」の対義語の違いにも表れていると見ることが可能です。

類義語を考えることは語彙量を増やすのに役立ちますが、それとあわせて対義語も見るようにすると、頭のなかの語彙世界に、奥行きが加わるように思います。

(三)上位語と下位語を考える 語彙のタテ方向のネットワーク

語彙を増やす方法の第三は、「上位語・下位語を考える」です。孤立して存在している語はほとんどありません。語は通常、上位語・下位語という語彙のネットワークのなかに存在しています。

たとえば、「携帯(携帯電話)」を考えてみましょう。「携帯」の上位語は「電話」であり、「携帯」の下位語は「ガラケー」と「スマホ」です。

こうして見ると、ふだん使っている「携帯」という言葉が立体的に見えてきます。

たとえば、 iPhoneを指して「この iPhoneは」とも「このスマホは」とも「この携帯は」とも「この電話は」とも呼べるわけです。類義語だけでなく、上位語・下位語を考え、語彙のネットワークを想定することも、語彙を増やす有力な方法です。

提喩による遠近感の調整

全体と部分の関係に依拠した表現技法に、提喩があります。提喩は全体と部分という関係に基づくもので、上位語で下位概念を、下位語で上位概念を表すものも提喩に含まれます。

最近、五十歳に近くなった私は、「髪に白いものが交じる」ようになりました。「白いもの」というと、「雪」「灰」「ふけ」なども想像できますが、ここでは「白髪」をぼかして言っています。

また、私の財布には「免許証」が入っています。「免許証」といっても、船舶の免許証や医師免許証ではありません。自動車の運転免許証、それも普通自動車第一種運転免許証です。

しかし、わざわざ下位語で言うのは面倒ですので、誤解を招かないかぎり、「免許証」という楽な上位語を使うわけです。

反対に下位語を使って上位語を表すケースもあります。

ボリュームがあることで知られるラーメン屋、ラーメン二郎では、「ニンニク入れますか」で、ニンニクだけでなく、野菜、油、からめ(味の濃さ)といったトッピング全般の追加を聞かれていることになります。

また、『聖書』の「マタイによる福音書」四章四節の「人はパンだけで生きるものではない」も、「パン」は食事の代表です。ですから、そのあとの聖句は「ご飯や麺類もパンに劣らず大切である」とは続かず、「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と続くのです。

じつは複雑な上位語・下位語事情

上位語と下位語は、厳密に考えると、なかなかやっかいです。たとえば、比較的小さい荷物を各戸に配送するサービスを「宅急便」と呼ぶことがありますが、これは厳密には「宅配便」です。

「宅急便」はヤマト運輸の登録商標で、「宅配便」の下位語です。佐川急便の「飛脚宅配便」もそうですし、意外かもしれませんが、日本郵便の「ゆうパック」も「宅配便」の下位語になります。

「バンドエイド」や「ポスト・イット」なども登録商標で、厳密には「ばんそうこう」や「付箋」の下位語になります。また、実際には下位語ではないのに、名前に惑わされて下位語のように見えてしまうこともあります。

たとえば、「ノンアルコールビール」は、アルコールが入っていない「ビールもどき」であって、「ビール」の下位語ではありません。そのため、正確には「ビールテイスト飲料」と言います。

「みりん風調味料」も「みりん」の下位語とは言いがたいでしょう。

高いアルコール度数であり、お酒の一種ともいえる「みりん」とは異なり、「みりん風調味料」はアルコール度数も低く、糖類や化学調味料を添加したものだからです。

冒頭の「携帯」の例でも、「ガラホ」は、正確には「ガラケー」の下位語ですが、「スマホ」の機能を備えた「ガラケー」ですので、両者の中間のように感じている方もいるでしょう。

さらに、「スマホ」自体がもはや「電話」の下位語ではなく、「パソコン」の下位語である「タブレット」の下位語のように感じている方もいるかもしれません。企業社会と科学技術の進展が、上位語・下位語を複雑にしている気がします。

以上のように、上位語・下位語を考えることは、頭のなかに語彙のネットワークを作ることにつながります。

語彙を一つひとつ独立したものとして憶えるのでなく、ネットワークとして捉えることが、使える語彙力を考えるうえで重要です。

(四)語種を考える和語・漢語・外来語とその周辺

語彙を増やす方法の第四は、「語種を考える」です。日本語の語種は、日本古来の固有語である和語、かつて中国から渡ってきた漢語、比較的最近海外から入ってきた外来語に分かれます。

和語は平仮名や訓読みの漢字で表され、漢語は音読みの漢字で表され、外来語は片仮名で表されるのがふつうです。二つ以上組み合わさったものは混種語と呼ばれます。

「豚肉」は「和語 +漢語」、「送りバント」は「和語 +外来語」、「ジェット機」は「外来語 +漢語」です。漢語と外来語は本来日本語にはなかった言葉なので借用語と呼ばれます。

ただし、近代日本で作られた和製漢語もあり、中国に逆輸入されて使われています(陳二〇一一)。「科学」「哲学」「美学」「心理学」などの学問分野はもとより、「共産主義」「階級」「幹部」「組織」など中国政治の中心概念も和製漢語です。

一方、やはり日本で作られた和製外来語もあり、「アフターサービス」「コインランドリー」「フリーダイヤル」「タッチパネル」などが和製外来語(和製英語)です。

和製英語は英語として話しても、通じないことが多いようです。和製英語は外来語に分類されますが、厳密には「外来」ではありません。

和製英語にかぎらず、外来語はすべて日本語に入ったときから発音も意味も日本語化するので、二重国籍性を持つといえます(石野一九八九)。

語種への意識で語彙が増える

日本語は、漢字と片仮名があるため、借用語を語彙に取りこみやすい言語です。そのため、類語を、和語、漢語、外来語の三通りで表すことができます。

たとえば、「昼飯」(和語)、「昼食」(漢語)、「ランチ」(外来語)がその例に当たります。このように、語種を考えることで語彙量が増えるのが日本語の特徴です。

以下の ①~⑥は、和語―漢語―外来語の順に並んでいます。

[ ]に当てはまる語を入れてください。

【例】速さ ― 速度 ― スピード ① 台所 ―[ ]―[ ] ②[ ] ― 包丁 ―[ ] ③[ ] ―[ ]― デリバリー ④ 買い物 ―[ ]―[ ] ⑤[ ] ― 旅行 ―[ ] ⑥[ ] ―[ ]― ビーチ【答え】 ① 台所 ― 厨房 ― キッチン ② 刃物 ― 包丁 ― ナイフ ③ 出前 ― 宅配 ― デリバリー ④ 買い物 ― 購入 ― ショッピング ⑤ 旅 ― 旅行 ― トラベル/トリップ ⑥ 海辺/浜辺 ― 海岸 ― ビーチ 和語だと身近なイメージ、漢語だと厳密なイメージ、外来語だと新奇なイメージが出せるので、便利です。

和語―漢語―外来語をセットで考える習慣をつけると、語彙量を増やすことが容易になります。

語種別の長所・短所と勘どころ

和語の長所は、耳から聞いて、すぐに意味がわかることです。

漢語は同音異義語が多く、「こうかがある」と言われても、耳で聞いただけでは、「効果がある」なのか「校歌がある」なのか「硬貨がある」なのか「考課がある」なのか、わかりません。

「効き目がある」ならば耳で聞いてもすぐにわかります。

人前で話すときの原稿を作る場合は、漢語を和語に置き換えるようにすると、聞き手に親切です。

一方、和語の短所には、日常的で身近な内容を示すのが得意なぶん、抽象的な内容を表すのに向かないという点があります。

また、話し言葉でよく使われるため、書き言葉で使うと文体的に稚拙な印象を与えやすいという面もあります。

漢語の長所は、目で見て、すぐに意味がわかることです。

「アウトソーシング」では意味がパッとはわかりませんが、「外部委託」となっていると、すぐに意味がわかります。

初見の語彙でも漢字の表意力で、意味の類推が利きやすいのが漢語の特長です。

また、漢語は意味を精密に表すのが得意なので、比較的硬い文章で抽象的な内容を表すのに向いています。

一方、漢語の短所としては、和語の長所で述べたように、同音異義語が多いため、耳で聞いたときにわかりにくいという問題があります。

また、目で見て意味がわかりやすいと言っても、漢字が増えるとそれだけ漢字についての高度な知識が必要になり、文章が難解になりがちであるという問題もあります。

外来語の長所は、音との結びつきで、今海外で使われている概念をすぐに日本語のなかに取りこめるその手軽さです。

技術革新が著しい I T関連の用語、グローバルに展開されているビジネスの用語、日々流行が変わり、最新の傾向を取りいれる必要のあるファッション関連の用語などは、外来語なしでは表現することが難しくなってきています。

たとえば、女性の髪留めを考えると、昔からある「ヘアピン」「ヘアバンド」だけでなく、「バレッタ」「カチューシャ」「シュシュ」などの広がりを見せており、外来語が活用されています。

また、時代を反映した語を取りこむことができるため、そこには時代の感度を反映した斬新さが含まれているように見せることができます。

一方、外来語の短所は、目で見たときに意味の類推が利きにくい点です。

長くなると意味の切れ目がわかりにくくなるという問題もあります。

インターネットで見かける「スポンサードリンク」を「スポンサー・ドリンク」と読んでしまうと、意味が取れなくなります。

「スポンサード・リンク」というまとまりで理解しないと意味が通りません。

また、時代の感度に敏感なぶん、新陳代謝が激しく、新しい言葉がすぐに古くなったり、子どもや高齢者などの言語弱者にはついていきにくいという面もあります。

このように、和語・漢語・外来語にはそれぞれ長所と短所があります。

つまり、和語・漢語・外来語がおたがいの長所を生かし、おたがいの短所を補いながら日本語の語彙の体系を形作っているわけです。

したがって、一つの事象を三つの視点で捉えられる柔軟性が日本語の魅力であり、文章で表現するときにこの魅力を活用しない手はありません。

ぜひ積極的に活用してください。

(五)文字種を考える平仮名・片仮名・漢字の使い分け

語彙を増やす方法の第五は、「文字種を考える」です。

文字種を考えるとは、平仮名・片仮名・漢字の違いを考えることです。

語種のところで見たように、日本語の表記は平仮名・片仮名・漢字を使い分けますので、同じ語を最大三種類の表記を使うことで、別語のような印象を持たせることが可能です。

次の例文を考えてみましょう。

職場のバツイチ男性はすてきな人だけど、ふとっちょさんで食べる量が半端ない。

この文の傍線部を、平仮名、片仮名、漢字、それぞれの表記で書き分けてみましょう。

なお、「バツイチ」は漢字だけでは表しにくいので、記号の「 ×」を使っています。

職場のばついち男性はすてきな人だけど、ふとっちょさんで食べる量がはんぱない。

職場のバツイチ男性はステキな人だけど、フトッチョさんで食べる量がハンパない。

職場の ×一男性は素敵な人だけど、太っちょさんで食べる量が半端ない。

平仮名で書くと、易しく柔らかい印象が生まれます。

片仮名で書くと、コミカルでくだけた印象が、漢字で書くと、まじめで堅い印象が出ます。

漢字の長所

漢字というのは表意力が強いので、イメージを湧かせるのに向いています。

たとえば、「わしづかみ」という語がありますが、これを「鷲摑み」とすると、鷲が鋭い爪で獲物をがしっと「わしづかみ」する様子が想起され、意味が明確に伝わります。

花の「あじさい」と鳥の「あじさし」は文字にするとほとんど違いがなく、混同しがちですが、漢字で「紫陽花」と「鰺刺」と書くと、意味が明確に伝わります。

とくに、鳥の「鰺刺」は、上空から海面に頭から一気に飛びこんで、魚のアジを一刺しで捕らえる様子が文字に表れ、これならば意味を忘れなさそうです。

ほかにも、「いれたてのコーヒー」は、「淹れたての珈琲」とするだけで、香りと味がアップしそうです。

「ひっぱりだこ」も、「引っ張り蛸」とすると、人気者の蛸が八本の足を四方八方から引かれている様子が目に浮かびますし、「引っ張り凧」とすると、大空を舞う凧がやはり糸であっちこっちから引かれている様子を想像することができます。

両方とも間違いではないのですが、語源的には「蛸」のほうが「凧」よりも古いと考えられています。

さらには、物作りの職人「たくみ」は、動詞「巧む」の連用形に由来しますが、技巧の「巧み」か、細工の「工」か、意匠の「匠」かでイメージが違ってきそうです。

ただ、いずれでも、美を作りだす「たくみ」の技がいっそう引き立ちます。

同音異義にたいする同訓異字というものをご存じでしょうか。

「堅い」「硬い」「固い」のように、同じ訓を持つ異なる漢字の組み合わせです。

たとえば、「合併で会社が大きくかわる」では、変化なので「変わる」が、「部長にかわって出席する」では、代理なので「代わる」が、「我が社のトップがかわる」では、交替なので「替わる」が使われます。

このように、「かわる」という同じ語が、どのような漢字を選ぶかで、意味が違って見えるわけです。

これが同訓異字の力です。

「暑い」と「熱い」、「暖かい」と「温かい」の区別なども同訓異字によるものです。

漢字の弱点

一方、漢字の弱さは音声です。

もちろん、読めなくても意味は何となくわかるので、それで何とかなってしまう場合も少なくありません。

次の傍線部の漢字はどのように読むでしょうか。

①相好を崩す ②毒舌の友人 ③あなたとの続柄 ④写真の貼付欄 ⑤コンピュータの筐体 答えを順に示すと、 ①「そうごう」、 ②「どくぜつ」、 ③「つづきがら」、 ④「ちょうふ」、 ⑤「きょうたい」です。

①を「あいこう」、 ②を「どくじた」、 ③を「ぞくがら」、 ④を「はりつけ」、 ⑤を「くたい」のように読んでしまう人もいるのではないでしょうか。

もちろん、そう読んでも、意味さえわかっていれば、最低限の理解は可能です。

しかし、それでは、いざ声を出して読んだときに恥ずかしい思いをしてしまいますし、漢字によっては誤解を生んでしまいます。

たとえば、「紙魚」「衣魚」をご存じでしょうか。

「しみ」と読みます。

茶色がかった薄い銀色をした虫で、本を食い荒らすことから「紙魚」、衣類を食い荒らすことから「衣魚」と表記されます。

なかなかうまいネーミングだと思いますが、初めて見た人は、読み方がわからないために、魚の仲間かと思ってしまうおそれがあります。

また、「生物」も注意が必要です。

「せいぶつ」と読ませるのはよいのですが、「いきもの」「なまもの」と読ませたいときは避けたほうがよいでしょう。

「いきもの」は「生き物」、「なまもの」は「生もの」が安全だと思います。

「表面」や「空缶」も要注意です。

「表面」は、「ひょうめん」ならばこう表記するしかないでしょうが、「プリントの表面」のような場合は、「おもて面」のほうが安全です。

「プリントの表面」をなでても、すべすべしているだけで字は読めません。

「空缶」は、通常は「あきかん」と読むと思われるのですが、ビール工場に見学に行ったときに、「くうかん」と読むということを初めて知りました。

液体が入るまえのものは「くうかん」、液体を飲んだあとのものは「あきかん」という区別があるのだそうです。

そこで、「あきかん」と読ませたい場合は「空き缶」と送り仮名をあいだに入れたほうが、誤解がなさそうです。

漢字のクイズによく出てくる、漢字表現の和語副詞も読者泣かせです。

次の漢字はどのように読むでしょうか。

⑥固より ⑦偏に ⑧徒に ⑨頗る ⑩強ち ⑥は「もとより」、 ⑦は「ひとえに」、 ⑧は「いたずらに」、 ⑨は「すこぶる」、 ⑩は「あながち」です。

「徐に」「専ら」「挙って」「予て」「頻りに」は、順に「おもむろに」「もっぱら」「こぞって」「かねて」「しきりに」と読み、これらも難しいのですが、それでも漢字が意味を引きだす手がかりになります。

しかし、 ⑥から ⑩のようなものは、漢字から意味を引きだすのがかなり難しく、漢字表記がマイナスに働く例です。

また、すでに見たように同音異義語が多いのも漢字の泣きどころです。

「とうきは……」と言われても、状況に合わせて漢字を想起しなければなりません。

飛行機のなかでは「当機は」でしょうし、経済新聞を読んでいるときは「投機は」でしょう。

ゴミの話題ならば「投棄は」でしょうし、お金持ちのリビングでは「陶器は」でしょう。

不動産会社では「登記は」でしょうし、寒い地域では「冬期は」でしょう。

漢字の表意力が強いのも、ときには曲者です。

中国人は日本語についての知識がなくても日本語の文章がある程度読めますし、日本人も中国語の知識がなくても中国語の文章がある程度読めます。

しかし、有名な「手紙」(トイレットペーパー)や「汽車」(自動車)の例からもわかるように、意味の違う言葉もたくさんあります。

私自身は、中国人相手のときは、日本語ができる相手であっても、「ご自愛ください」という表現は避けるようにしています。

それは、中国では、乱れた生活をしている人に、「もっと自分を大切にしなさい」と、慎むように言うときに使う言葉だからです。

中国に行ったとき、中国人の大学の先生に、観光地の旅館にあった中国語「日式湯屋」の写真を見せてもらったことがあります。

もちろん「日本風温泉」という意味なのですが、そこに記されていた日本語の訳語は「和風のスープ屋」でした。

たしかに中国語の「湯」の第一の意味は「スープ」です。

日本語を知らない人が訳したのでしょうが、辞書の怖さを痛感する例です。

また、その漢字が派生的意味を表す場合、漢字を使わず、片仮名を使ったほうが意味を取りやすくなります。

たとえば、「山が外れる」「骨をつかむ」「壺を外す」「鴨にする」は、「山」「骨」「壺」「鴨」という漢字からすぐに意味が想起されるわけではありません。

そこで、「ヤマが外れる」「コツをつかむ」「ツボを外す」「カモにする」と書いたほうが、派生的意味を表していることがわかり、音から意味に結びつきやすくなるわけです。

このように、漢字は表意力の強い文字として意味の喚起に力を発揮する反面、その長所が弱点となる場合があります。

それを補う意味で、平仮名や片仮名を上手に取り混ぜることが語彙力強化にもつながります。

(六)書き言葉を考える 話し言葉と書き言葉の対応

語彙を増やす方法の第六は、「書き言葉を考える」です。

すでに述べた語種とも関係するのですが、私たちが日常的に話すのに使う話し言葉と、文章を読んだり書いたりするのに使う書き言葉とでは、語彙がかなり違います。

話し言葉は和語で易しい言葉が多く、書き言葉は漢語で難しい言葉が多いのが特徴です。

私たちは日常的には、話し言葉をベースに考えることが多いので、文章を書くときにはそれを書き言葉に変えてやる必要があります。

たとえば、和語名詞の「やり方」であれば、漢語名詞の「方法」に、和語動詞の「教える」であれば、漢語動詞の「指導する」に、和語形容詞の「いい」であれば、漢語形容詞の「適切な」に置き換えられます。

つまり、「いいやり方を教える」は、「適切な方法を指導する」と言い換えられるわけです。

和語を漢語に置き換えるときにはポイントがあります。

それは、和語のなかにある漢字一字を使った二字漢語を考えることです。

たとえば、「虫」という言葉を書き言葉に変える場合、「昆虫」という、「虫」の入った語にするとうまくいきます。

少し練習してみましょう。

つぎの ①~⑩を漢語の書き言葉に直してください。

①世の中 ②食べ物 ③水気 ④木 ⑤外 ⑥調べる ⑦腐る ⑧暖かい ⑨色々な ⑩人付き合い ①「世の中」は「世間」「世界」、 ②「食べ物」は「食料」「食糧」、 ③「水気」は「水分」、 ④「木」は「樹木」、 ⑤「外」は「屋外」「野外」、 ⑥「調べる」は「調査する」、 ⑦「腐る」は「腐敗する」、 ⑧「暖かい」は「温暖な」、 ⑨「色々な」は「様々な」「多様な」、 ⑩「人付き合い」は「人間関係」です。

このように、和語のなかの漢字一字を意識して二字漢語を作ると、書き言葉にふさわしい語彙に変更できます。

もちろん、「畑」と「農地」、「仕事」と「労働」、「育つ」と「成長する」、「書き留める」と「記録する」、「おいしい」と「美味な」、「強い」と「丈夫な」のように、漢字の対応のないものもあります。

こうしたものは、類語辞典の力を借りるとよいでしょう。

話し言葉になりやすい漢語副詞

このように、話し言葉と和語、書き言葉と漢語というのは強い結びつきを持っていますが、かならずしもそうした対応にならない場合もあります。

たとえば、「違う」と「異なる」や、「変な」と「変わった」は両方が和語ですが、前のほうが話し言葉的、後のほうが書き言葉的です。

また、「勉強」と「学習」、「天気」と「気象」のように、両方とも漢語でも、前のほうが話し言葉的、後のほうが書き言葉的になるものもあります。

なかには、「仲間」と「輩」、「頑固」と「頑」のように、和語のほうが書き言葉的になるものもないわけではありません。

「貧しい」「乏しい」なども、「貧乏な」という漢語のほうが話し言葉的です。

その傾向が顕著なのが、漢語副詞です。

「全然」と「まったく」、「全部」と「すべて」、「絶対」と「かならず」、「多分」と「おそらく」、「一番」と「もっとも」、「大体」と「ほぼ」のように、和語副詞のほうが書き言葉的なものが多いので、注意が必要です。

話し言葉・書き言葉と接続助詞・接続詞

内容語ではなく機能語の話になってしまいますが、接続助詞と接続詞は、話し言葉と書き言葉の形式が並行して存在することが多いので、文章を書くときには使い分けを意識する必要があります。

一〇分前に駅を{出たから/出たので}、間もなく家に着くと思う。

新築の家のなかは、{広いけど/広いが}、殺風景だ。

駅前の書店で単行本を{買って/買い}、喫茶店で読みふける。

うちの父は、お酒を{飲んだら/飲めば}、かならず陽気になる。

夫はヘビースモーカーだ。

{だから/したがって}高額納税者だとよく自慢する。

ご飯を三杯もおかわりした。

{でも/だが}不思議とお腹が満たされない。

昨日はフレンチのフルコースだった。

{あと/また}珍しいワインも堪能した。

この事業は成功の見こみはない。

{なら/それならば}撤退は早いほうがよい。

因果関係ならば「から」よりも「ので」、「だから」よりも「したがって」のほうが書き言葉にふさわしいでしょう。

同様に、逆接ならば「けど」よりも「が」、「でも」よりも「だが」のほうが、並列ならば「て」よりも連用形のほうが、「あと」よりも「また」のほうが、条件関係ならば「たら」よりも「ば」のほうが、「なら」よりも「それならば」のほうが書き言葉にふさわしいといえます。

このように、接続助詞と接続詞は、話し言葉と書き言葉の差が表れやすく、しかも話し言葉らしい表現と書き言葉らしい表現がセットになっていることが多いので、節や文の接続部は、校正のさいにとくに注意深く見ていく必要があるでしょう。

日本語は、話し言葉と書き言葉の差が大きい言語として知られ、それが語彙の面にも表れています。

文章を書くときに、話し言葉を適切な書き言葉に置き換える技術は、論文・レポートやビジネス文書など、公的性格の強い文章を書くときには必須の技術です。

(七)専門語を考える 学術専門語

語彙を増やす方法の第七は、「専門語を考える」です。

私たちはふだん、家庭内の会話や友人どうしの雑談では、日常語を用いて暮らしていますが、学校や会社、役所や病院などに行くと、その場にふさわしい専門的な用語である専門語を用いることになります。

書き言葉らしい表現は硬い表現になりますが、そうした硬い表現の多くが専門語です。

専門語は意味が厳密に定義されているのが特徴です。

専門語にはいろいろありますが、まず学術専門語から考えてみましょう。

たとえば、教育学では、「子ども」はかなり詳しく区分されます。

日常的には、「赤ちゃん」と「子ども」程度のぼんやりした区別しかないかもしれませんが、児童福祉法では、小学校に入るまでの子どものうち、出生から生後一歳未満を「乳児」、満一歳から小学校就学前までを「幼児」と呼びます。

小学五年の娘がすごろくを作っていて、「春のイベントって何かない?」と聞くので、「五月病があるじゃん」と茶化したところ、「未就学児用のすごろくなんだけど」と返され、思わず笑ってしまったことがあります。

「未就学児」は「幼児」とほぼ同義ですが、専門性の高い語は日常的な文脈で使われると違和感が生じ、おかしみが生まれます。

ちなみに、保育園では、三歳の四月に幼稚園の年少に入れる年齢に満たない子どもを、「未満児」と呼ぶこともあります。

一方、学校教育法では、小学生は「児童」で、中学生・高校生は「生徒」、大学生になれば「学生」、大学院生も「学生」です。

言い換えると、「児童」は初等教育機関である小学校に通う者、「生徒」は中等教育機関である中学校・高校に通う者、「学生」は高等教育機関である大学(大学院・短大を含む)・高等専門学校に通う者です。

自分のことを「生徒」と呼ぶ大学生がときどきいますが、あれは誤りで、「学生」と呼ばなければなりません。

しかし、やっかいなのは「児童」で、児童福祉法では、十八歳未満はすべて「児童」です。

したがって、児童買春・児童ポルノ禁止法での「児童」は、学校教育法の「児童」、すなわち小学生ではなく、十八歳未満の高校生以下すべてを指します。

また、 JRの「学生割引」は、「学生」だけでなく「生徒」である中学生以上が対象になりますし、「学生証」も、やはり「生徒」である中学生・高校生も持っています。

もちろん、厳密に分けたいときには「生徒手帳」と言うこともあるでしょう。

ほかにも、医学的には、生後四週間までの「新生児」はとくに大切に手当てされますし、小児科の「小児」は十五歳未満が対象になります。

十五歳以上は成人と同じ薬の量が飲めるようになるからです。

しかし、そうした専門語を日常的に区別している人は少ないでしょう。

何歳までは小児科にかかり、何歳から内科にかかるかは、正直なところ、多くの人は感覚的に判断しているように思われます。

こうした学術専門語は、それぞれの分野が扱う対象によって異なります。

たとえば、経済学では、お金に関わる語がきわめて豊富です。

「通貨」「貨幣」「為替」「資本」「資産」「資金」「利益」「利子」「利潤」「(売上)高」「(生産)額」「予算」「収入」「支出」「歳入」「歳出」「所得」「費用」「経費」などです(今村二〇一四)。

また、本書には、「形態素」「語」「句」「節」「文」「文章」などといった言語単位の名称や、「動詞」「名詞」「形容詞」「副詞」「接続詞」「助詞」「助動詞」などといった品詞名など、言語学にかんする名称が溢れかえっています。

こうした専門語に精通することが、特定の学術分野に精通する一つのカギになります。

学術専門語の使用にかんして一つ気をつけたいのは、使用上の注意が必要な言葉があるということです。

たとえば、言語学では、「母国語」という表現はほとんど使われません。

それは、田中(一九八一)以来の伝統で、国の公用語である国語と、自分の第一言語とが一致しないケースへの配慮が必要だからです。

そのため、「母語」と呼ぶのが一般的です。

また、心理学では「被験者」という表現は避けられる傾向があります。

英語にすると「 subject」であり、調査をされる側よりも、調査をする側のほうが上位に来るような語感があるからです。

そのため、「(調査/研究)対象者」「(調査/研究/実験)協力者」「(調査/研究/実験)参加者」「インフォーマント」といった語が、最近では好んで使われます(石黒二〇一六)。

ビジネス専門語

専門語が存在するのは学問の世界にかぎりません。ビジネスの世界でも専門語はあまたあり、分野によって多様な専門語が使われています。

金融商品を例に取るならば、まずは「預金」と「貯金」の違いを知らなければなりません。「預金」が一般の銀行、「貯金」がゆうちょ銀行や農協・漁協の銀行です。

そして、「預金」自体の種類も複雑です。「普通預金」「定期預金」「当座預金」「貯蓄預金」「積立預金」「外貨預金」などがあります。

そのほか、預金という形を取らない「株式」「国債」「投資信託」「 F X」などがあり、それぞれが下位語でさらに分かれていきます。金融商品を取り扱う担当者は、そうした専門用語をそれぞれの概念とともにきちんと把握していなければなりません。

また、ビジネス専門語には、そうした分野別のビジネス専門語に加え、どの業種でも共通してよく使われているビジネス共通語があります。

そうしたビジネス共通語を「オトナ語」と定義し、おもしろくまとめたのが、『オトナ語の謎。』(糸井二〇〇五)という本です。

そこで紹介されている、朝一番にという意味の「朝一で」や、午後一番にという意味の「午後一で」、相手の会社に敬意を示す「御社」や、自分の会社をへりくだって言う「弊社」などはよく使います。

また、ビジネス共通語には外来語が多いのが特徴で、懸案事項の棚上げを示す「ペンディング」、仕事の依頼を表す「オファー」、プロジェクトの開始を表す「キックオフ」などが目立ちます。

外来語の略語である、面会の約束を示す「アポ」(「アポイントメント」の略)、事前の根回しを示す「ネゴ」(「ネゴシエーション」の略)、能力の限界を示す「キャパ」(「キャパシティ」の略)などの略語も多く、さらには、「迅速に」という意味の「さくっと」、「概算で」という意味の「ざっくり」、「全体で」という意味の「まるっと」などのオノマトペも目立ちます。

すでにご紹介した学術専門語にも、こうした学術共通語はあり、「目的」「課題」「結果」「根拠」「資料」「方法」「分析」「考察」「文献」などといった専門語は、学術共通語として分野を超えて使われます。

趣味の専門語

専門語は、学術やビジネスといった分野にだけあるわけではありません。どんな分野にでも存在します。

朝、小学校に行くと、「朝の会」があり、その日の「日直」が「起立」「礼」「着席」などと「号令」をかけ、今日の「めあて」を決めたりします。

また、「給食」というものがあり、「白衣」を着て「三角巾」をつけた「当番」が「食缶」や「食器」を教室に運び、「配膳」を担当します。

さらには、クラスには「学級委員」を筆頭に、「保健係」「図書係」「生き物係」といったさまざまな係を担当する人がいます。

避難訓練の心得である「おかしも」(おさない、かけない、しゃべらない、もどらない)や、防犯標語の「いかのおすし」(知らない人についていかない、知らない人の車にのらない、おおきな声で呼ぶ、すぐ逃げる、何かあったらすぐしらせる)なども小学生ならみんな知っています。

小学校という場所は、専門語で満ちあふれているのです。趣味の世界の専門語もじつに多様です。

たとえば、スポーツやボードゲームで一般に「試合」と読んでいるものは、それぞれの分野によって異なります。

サッカー、野球、テニスでは、「試合/ゲーム」と呼びますが、陸上や水泳では「大会/競技会」、体操やスケートでは「試技/演技」と呼びます。

さらには、競馬や競輪では「レース/出走」と呼びますし、相撲では「取り組み/一番」、将棋・囲碁では「対局/手合い」と呼ぶなど、多岐にわたります。

さまざまな分野に関心を持てば、語彙はそれだけ自然と増えていくのです。

特定の趣味の分野をめぐっては、将棋の専門語について、勝田(二〇一二)を参考に考えてみましょう。

将棋は「指す」もので、「好手」を指すときは「指がしなる」そうです。自分が取った「手駒」を使うときは「打つ」と言います。ちなみに囲碁はいつでも「打つ」です。

将棋を「指す」には「定跡」(囲碁は「定石」)と「囲い」を知らなければならず、「囲い」には「矢倉」「美濃囲い」「穴熊」などがあります。

「戦法」もつねに開発され、大きくは「居飛車党」と「振り飛車党」に分かれ、「藤井システム」「中座飛車」「石田流」「ゴキゲン中飛車」などの個人が編みだした特殊な戦法もあります。

終盤戦は「寄せ」と呼ばれ、「王手」がかかりやすくなり、「詰み」を読みきるか、「詰めろ」や「必至」で迫ります。そのさい、「二歩」や「打ち歩詰め」という反則には気をつけます。引き分けはほとんどないのですが、「千日手」や「持将棋」になると引き分け再試合です。

「対局」が終わったら、勝敗の分岐点となったあたりを集中的に検討する「感想戦」があるのも特徴です。

おそらくこの文章は、将棋をご存じの方には当たり前の内容でしょうし、将棋をご存じない方にとってはちんぷんかんぷんでしょう。

自分の興味のある世界には、かならず詳しくなるもので、その世界にどっぷり浸かるなかで、大量の専門語を学んでいるのです。

したがって、語彙を増やす有力な方法の一つとして、「趣味を増やす」ということも考えられてよいだろうと思います。

よく読書が語彙力を増やすと言いますが、それはその世界にどっぷり浸かることにつながるからです。偏った読書は大量の専門語を吸収できますので、けっして悪いことではありません。ただ、飽きてきたら新しい専門分野に移り、そこでもまた大量の本を読みこむこと。それが語彙力増強の秘訣だろうと思います。

(八)方言を考える 南関東の方言

語彙を増やす方法の第八は、「方言を考える」です。私たちが文章を読んだり書いたりする場合、その多くはいわゆる標準語をベースに行っています。

しかしながら、日本には地域ごとに多様な方言があり、それが日本語の語彙を豊かにしています。もちろん、地の文を方言で書くことは少ないのですが、語彙として方言を交ぜることはよく行われます。

ブログなどでも、高知に行ってきたら「土佐の皿鉢料理を堪能したぜよ」と坂本龍馬のようになったり、北海道に行ってきたら「スキー場、なまらしばれたべや」と道民のように書きたくなるかもしれません(田中二〇一一)。

私自身は、小学校からはずっと首都圏なので、あまり方言を意識することはないのですが、横浜のはずれにある小学校・中学校では、汚いものに触ったとき、「メンキ」と言っていました。

しかし、横浜の中心にある高校に通うようになり、「メンキ」が通じなくて「エンガチョ」と言うことを知り、軽いカルチャー・ショックを受けました。

つまり、「メンキ」は方言だったわけです。「よこはいり」も方言の一種です(三井二〇一三)。

横浜ではふつうに使っていて、方言だとは気づかなかったのですが、高校生になって満員電車に乗るようになって、「『割りこみ』乗車はご遠慮ください」という駅のアナウンスを聞き、「よこはいり」以外の言葉があるということを初めて知りました。

「よこはいり」は、「 ~じゃん」と同様に、中部地方南部から入ってきた新方言と考えられていますが、一般には「よこはいり」も「 ~じゃん」も、横浜弁と意識されることが多いようです。

また、赤い大型のザリガニを「マッカチン」と呼ぶのが方言だということも最近知りました。私は、浦和、横浜、多摩と移り住んでいるのですが、どこでも「マッカチン」と呼ぶので、方言だと気づかなかったのです。

「気づかない方言」(篠崎二〇〇八)という考え方があり、それに基づく「出身地鑑定‼ 方言チャート」というウェブサイトが人気を集めています。そうしたサイトでは、こうした語彙の方言も組みこんで、出身地鑑定に役立てられています。

アクセントや文法に基づく明らかな方言とは異なり、語彙の微妙な差異に基づく方言は見すごされがちです。

関西と関東の方言差

私は、幼稚園までは大阪府で過ごし、両親も祖父母も関西人ですので、その意味でのギャップは感じたことがあります。

大阪から浦和に来たとき、「押しピン」と呼んでいたものが「画鋲」と呼ばれていることはすぐにわかったのですが、自分が使えるようになるのに時間がかかりました。

また、私には、今でも「シャベル」が大きいもので、「スコップ」が小さいものだという意識があるのですが、関東では「スコップ」が大きいもので、「シャベル」が小さいものだと考える人が多いようです。

「『スコップ』を取って」と言われて移植ごてを取ったら、「『シャベル』じゃなくて『スコップ』」と言われた幼少期の戸惑いは、今でも忘れられません。

また、トランプをやっているとき、最下位が「びり」「びりっけつ」と呼ばれ、当時は頭のなかで「べべ」「べった」などと翻訳していました。

食べ物の違いも大きく感じました。

関東に来てから戸惑った言葉はいくつもあります。

うどん文化の関西では、「うどん屋」のなかに、ついでに「そば」がある感じでしたが、関東では、「そば屋」のなかで「うどん」を出すところがあるといったおもむきです。

出されるうどんも、つゆの色の薄い「すうどん」ではなく、つゆの色の濃い「かけうどん」で、麺の上に乗っている「天かす」には「揚げ玉」というしゃれた名前がついていました。

「天ぷら」は、関東でも関西でも「天ぷら」なのですが、関西の「天ぷら」は多義語で、揚げかまぼこも含みます。

しかし、関東ではそれを「薩摩揚げ」と呼ぶのだということを憶えなければなりませんでした。

また、動詞の違いもありました。

「蚊に嚙まれる」は「蚊に刺される」ではないか。

イヌのように蚊に歯があるわけではあるまいしとツッコまれ、たしかにそのとおりだと思いつつも、「蚊に食われる」とも言うではないかと心のなかでひそかに反駁したりもしました。

「ものをなおす」は修理だけでなく、「ものをしまう」という収納の意味でも使われ、私だけでなく、やはり両親も祖父母も関西人の妻も家庭内で使い、我が家では「なおす」が主流です。

ちなみに、横浜では「かたす」と言っている人が多かった印象があります。

それもまた、一つの方言でしょう。

米国の方言

以前、一年ほど米国に滞在していたとき、英語ができなかった私は、もっぱら日本語の収集に努めていました。

日本語に入りこんでいる英語の外来語に比べたら数は少ないのですが、英語に入りこんでいる日本語の外来語もないわけではありません。

とくに、食べ物は多く、「すし( sushi)」「てんぷら( tempura)」「ラーメン( ramen)」「とうふ( tofu)」「みそ( miso)」などは定着しています。

こうした語は、「外来語」にたいして「外行語」と呼ばれることもあります(三輪一九七七)。

なかでもおもしろいのは「しょう油」です。

soy sauceが一般的で、 shoyuも使いますが、 Kikkomanとも言います。

ばんそうこうを BAND-AID、ティッシュペーパーを Kleenexと呼ぶのと同様の現象だと考えられます。

さらに、現地のスーパーにいくと、日本の食材がここまで進出しているのかと驚かされます。

「ダイコン」は daikon radish、「シイタケ」は shiitake mushroomと記されて売られています。

「多摩川」を Tamagawa River、「青梅街道」を Ome Kaido Avenueと書かれたような重複感ですが、そのほうが英語話者には親切なのでしょう。

日本産の品種も活躍しています。

リンゴには fuji(ふじ)、カキには fuyu(富有)があり、いずれもよく売られています。

ナシでは kosui(幸水)を見かけましたが、そちらは鳥取直輸入でした。

また、 satsuma(薩摩)という果物も広く売られています。

sweet potato(サツマイモ)ではなく、日本の冬によく食べられる小ぶりのミカンのことです。

かつて、苗木が鹿児島から米国に送られたことに由来するそうです。

ゴボウは日本でしか食されないと言われていますが、ふつうに売られていました。

繊維質が豊富で健康志向の人に食されているようです。

詳しい人は gobo(ゴボウ)という名も知っているようですが、そこでは burdock rootという名称で売られていました。

同じものを地域によって異なる呼び方をすることがあります。

そうした呼び名は、それぞれの地域の日常に根ざしたものであり、それが日本語に豊饒さを与えています。

関西では、「豚まん」「豚玉」のように、豚肉が入ると「豚」と言わずにはいられません。

それは、関西での肉の標準が牛肉であり、カレーの肉も肉じゃがの肉も、牛肉がデフォルトだからです。

そうした発想を全国に広げると、牛肉文化圏と豚肉文化圏の違いとなり、ものの見方にも多様性をもたらしてくれることに気づきます。

言葉の違いを知ることは文化の違いを知ることにもなるのです。

(九)新語と古語を考える 置き換わる新語

語彙を増やす方法の第九は、「新語と古語を考える」です。「真逆」という言葉が何となく気になっています。

大手新聞三社を見てみると、『朝日新聞』と『読売新聞』は二〇〇二年から、『毎日新聞』は一九九八年から用例が見られました。

書き言葉は保守的ですから、話し言葉ではもっと早い時期から使われていたはずですが、個人的な感覚からすると、九〇年代も後半のころから耳にするようになった語のように思います。

以前は「正反対」という語が使われていたと思うのですが、むしろ最近では「真逆」が主流であり、「正反対」という語のほうが珍しく思えるようになりました。

「正反対」が「真逆」に変わったのは自然発生的ですが、より正確な言葉遣いを求めて、語が変化することもあります。

「日射病」というのは最近耳にしなくなり、かわりに「熱中症」という語がよく聞かれるようになっています。「日射病」は医学用語としては存在せず、直射日光によってのみ体調が悪くなると考えると意味が狭くなります。

このため、「熱中症」という医学用語のほうがより広範な現象を指すことができ、適切だということが背景にあるようです。

パソコンのキーボードの右列のまんなかにあるキーを、私は「リターンキー」と呼んでいましたが、いつのまにか「エンターキー」になってしまいました。

最近の若い人にうっかり「リターンキー」といっても通じなくなり、ショックを受けたこともありました。

「リターンキー」は訳すならば「改行キー」、「エンターキー」は訳すならば「入力キー」くらいになると思いますが、現代の感覚では、「リターンキー」を押して「改行」という感覚が希薄になり、「エンターキー」という「入力」の感覚が強くなっているのかもしれません。

意図的に言葉が置き換えられる例もあります。

たとえば、「精神分裂病」という語は「統合失調症」という語に置き換えられました。

背景には、「精神が分裂する病気」という名称が非人格的な表現で、差別を生むおそれがあるという患者団体からの抗議があり、それを受けて日本精神神経学会が、患者の社会参加を妨げない名称を模索したことがあります。

そして二〇〇二年に「統合失調症」という語に決定されました。

「登校拒否」という語も、最近は使われなくなりました。

「登校拒否」という語は、「通って当然の学校という場に、本人や家庭に問題があって通うことを拒んでいる」というニュアンスが含まれていたため、「不登校」という語に置き換えられていきました。

差別語が置き換えられるときは、もともとの語が持っている感情的な語感を和らげ、事実だけを表す表現に置き換えようとする傾向があります。

語だけでなく字についても置き換わる例があります。

「障害者」を「障がい者」と表記する例が最近増えてきています。「害」という字が偏見につながるおそれがあり、それを避けたものと思われます。

現在ではそうした配慮もあって、常用漢字に「碍」を登録しようという議論も出てきていますが、まだ実現には至っていません。

差別語については、社会的な意識に基づき、自然発生的にではなく意図的に置き換えが進められます。しかし、そうした社会的な意識にたいしては、言葉狩りという目で見られることも多く、論争が絶えない領域です。

次々に生まれる新語

すでにあった語としてではなく、社会状況の変化や科学技術の進歩によって、新たな語が生まれることがあります。

地球も温暖化によって平均気温が急上昇しました。

「夏日」は最高気温が二五度以上、「真夏日」は同三〇度以上になる日のことですが、二一世紀になってから耳にするようになった「猛暑日」は、真夏の最高気温が三五度を超えるのが当たり前になってきたという気候の変動が、その背景にあります。

異常気象は猛暑だけにとどまりません。豪雨という形としても現れるようになっています。集中豪雨によって急激に水かさが増し、まるでダムの放水のときのような急な増水が起こることが増えています。

そうした激しい集中豪雨は、突然起こる予測不可能な豪雨であることから、「ゲリラ豪雨」と呼ばれるようになりました。

社会的な時代の変化によっても、新たな語が生まれます。

かつての「一億総中流社会」から、「富裕層」と「貧困層」に明確に分かれる「格差社会」が到来しました。「契約社員」や「派遣社員」などの「非正規労働者」が増え、「貧困」は「連鎖」するものとして意識されるようになりました。

こうした語は以前からあったものが多く、バブル絶頂期の人が読んでも、意味自体は理解できると思いますが、実感を伴って理解することは難しいのではないかと思われます。

新しい技術とともに、新語が生まれることも多いでしょう。ここに紹介する新語はすでに古いものであり、本書を読まれる読者の方はむしろ懐かしく思うかもしれません。

「 iPS細胞」「青色発光ダイオード」「ドローン」「ヒートテック」「 3 Dプリンタ」などがそれに相当します。いずれも現在では当たり前になった技術です。

新語を吸収するには、日々新しい情報に接し、自分の頭のなかの脳内辞書を更新していく必要があります。ワードハンターという語をご存じでしょうか。

虫が大好きな人が野山で昆虫採集をするように、言葉が大好きで、街なかで新語採集をしている人。それがワードハンターです。

『辞書には載らなかった不採用語辞典』(飯間二〇一四)は、新語を積極的に採用するので有名な『三省堂国語辞典』の辞書編纂者が、辞書に収録することを目指して新語採集に勤しんだ記録です。

そこで紹介されている新語は、辞書には結局採用されなかったのですが、街で出会った新語への愛が行間ににじみでています。

新語にたいするアンテナをつねに張っていれば、言葉の感度が自然と高まることが実感できます。

雅語の魅力

「わかりやすい文章」の弱点をご存じでしょうか。表現が定型化されていてつまらなくなることです。わかりやすい文章は、わかりやすさを優先するがゆえに、手垢のついた表現で構成されがちです。その結果、陳腐で脆弱な表現が増え、日本語の持っている豊かさが失われてしまいます。

読者を惹きつける文章にするためには、表現上ひとひねりし、読者の頭を使わせる工夫が必要です。そんなときに使いたいのが、昔から使われている和語です。

ここでは、古くから使われている上品で洗練された和語を雅語と呼ぶことにします。

雅語は、狭い意味では平安時代から使われる語を指しますが、ここでは古典的で優美な言葉全般を指して雅語としておきます。

たとえば、「春の宴会」という漢語、「春のコンパ」という外来語、いずれも即物的で、優美な印象に欠けます。そこで、「春の宴」としてみると、雅な感じが出てきます。これが雅語の力です。

また、「郷里の親へ便りを書く」はどうでしょうか。何だか事務的な印象です。「書く」をどう変えればよいでしょうか。

「郷里の親へ便りを綴る」とすることもできますが、やや落ち着かない感じです。「郷里の親へ便りを認める」がよいでしょう。「木の葉が風に吹かれる」はどうでしょうか。事実は描写できていますが、詩的なセンスが足りません。

「木の葉が風に踊る」とする方法もあるでしょうが、「木の葉が風に舞う」のほうが自然な感じがします。「木の葉が風にそよぐ」とする手もあり、木の葉が微風に揺れている感じで、柔らかな表現になります。

「試験前に読書に熱中する」というのは自然な表現ですが、普通すぎる表現です。「熱中する」をどうすればよいでしょうか。「試験前に読書にハマる」ともできますが、雅な感じに欠けます。

「試験前に読書に浸る」とする手もあるでしょうが、「試験前に読書に耽る」というのがもっとも熱中している感じが出てよさそうです。

「ほめられて何だか恥ずかしい」というのも素直ですが、常識的な表現です。ひとひねりすると「ほめられて何だか照れくさい」でしょうか。

これでもよいでしょうが、さらにひとひねりすると「ほめられて何だか面はゆい」という大人の表現にできます。「落ち着いた雰囲気の住宅街」に住んでみたいと思う人は多いでしょう。

しかし、住宅販売の広告としてはインパクトが不十分です。「落ち着いた風情の住宅街」ではどうでしょうか。あまりよくなった感じはしません。「落ち着いた佇まいの住宅街」として初めて、住宅の市場価値が高まりそうです。

「故人を振り返る会」はどうでしょうか。「振り返る」対象は通常、人ではなく出来事なので、何だか落ち着きません。

「故人を懐かしむ会」にするとよくなりますが、さらに「故人を偲ぶ会」とすることで、死者を弔う気持ちが強く表せます。

春は別れの季節です。転職者や退職者に贈る「別れの言葉」をどう表現すればよいでしょうか。「贈る言葉」は素敵ですが、海援隊の色が強すぎます。

「手向けの言葉」も悪くはないのですが、葬儀を想起させる点で今ひとつです。旅立つ相手に贈るのは、「はなむけの言葉」がよいように感じます。

雅語は表現にうるおいを与え、日本語の豊かさを感じさせます。表現にひとひねり加えることで、読者を飽きさせない詩的な効果が生まれます。

文語調の言葉

今度は、古い文法に踏みこんでみましょう。文語調の言葉遣いが表現の幅を広げてくれることがあります。

  • ①誰が為に鐘は鳴る(ヘミングウェイ) ― 誰のために鐘は鳴る
  • ②風と共に去りぬ(ミッチェル) ― 風と共に去った
  • ③若きウェルテルの悩み(ゲーテ) ― 若いウェルテルの悩み
  • ④ベニスに死す(トーマス・マン) ― ベニスで死ぬ
  • ⑤ツァラトゥストラはかく語りき(ニーチェ) ― ツァラトゥストラはこう語った

いずれも世界の名作とされる作品のタイトルですが、どれも文語調の言い回しのほうがしっくりきます。口語にしても間違いではないのですが、文語調に慣れていると、何だかしまりのない感じがします。

唯一、口語調でも通用しそうなのは、 ⑤の「ツァラトゥストラはこう語った」でしょうか。

事実、そのような訳も存在します。文語調は言葉に重みを与えます。

聖書に由来する格言は、日本社会のなかに入りこんでいますが、基本的に文語訳聖書からの引用が多く見られます。

  • ⑥働かざる者食うべからず
  • ⑦人はパンのみにて生くるにあらず
  • ⑧求めよ さらば与えられん
  • ⑨狭き門より入れ
  • ⑩はじめに言葉ありき

こうした文語調のタイトルは、テレビ欄にもしばしば現れます。

たとえば、二〇〇〇年から二〇〇五年にかけて放送された NHKの伝説のドキュメンタリー番組『プロジェクト X』の各回のタイトルにも、以下のような文語調が見られました。

⑪伝説の深き森を守れ

⑫エベレストへ熱き一四〇〇日

⑬女子ソフト銀知られざる日々

⑭霞が関ビル超高層への果てなき闘い

⑮父と息子執念燃ゆ大辞典

⑯わが友へ病床からのキックオフ

⑰ラストファイト名車よ永遠なれ

⑱炎なき台所革命

ここで特に目立つのは「深い森」 →「深き森」、「熱い一四〇〇日」 →「熱き一四〇〇日」、「果てのない闘い」 →「果てなき闘い」、「炎のない台所」 →「炎なき台所」のような、形容詞の古い形の使用です。

最後に、こうした文語調のレトリックを練習してみましょう。以下の表現を文語調にしてみましょう。

短い表現で重厚感を出すのに適しています。

⑲古い良い時代

⑳悪い慣習

㉑華麗な変身

㉒確固とした信念

㉓招かれない客

㉔目にも止まらない早業

⑲は「古き良き時代」、 ⑳は「悪しき慣習」、 ㉑は「華麗なる変身」、 ㉒は「確固たる信念」、 ㉓は「招かれざる客」、 ㉔は「目にも止まらぬ早業」となります。

お年寄りはたくさんの言葉を知っています。それは、それぞれの年代で多様な経験を重ね、そのたびに語彙を増やしてきたからです。

趣味の多い人が専門語を広く知り、引っ越しの多い人が方言を広く知るように、時代を超えて生きてきたお年寄りは、それぞれの時代の、いわば時代語を広く知っているのです。

そうした語彙の広がりが、その人の発想の広がりを保証しています。人生経験の浅い若い世代もまた、過去の歴史に目を向け、そこから学ぶことで、そうした語彙の広がりの一端に触れることができるのです。

(十)実物を考える 語彙を知ることは世界を知ること

語彙を増やす方法の第十は、「実物を考える」です。言葉に詳しくなるためには、現実世界の実物に詳しくなることが必要です。

評論家の小林秀雄は「美を求める心」という文章において、「言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。

諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難かしいことです」と述べています。

この話はなるほどと思いますが、小林秀雄は、名前を思いだすと思考が停まることを戒めただけで、語彙の重要性を否定したのではないと思います。

語彙を知ることは世界を知ることであり、語彙の知識を広げられると、花を見つけられるようになることもあると思うのです。

個室にこもって考えよう

私たちは毎日トイレに入りますが、そのなかにあるものの名称を案外知らないのではないでしょうか。

「便器」という本体があり、そこに「便座」と「フタ」が付いています。駅やデパートの男子便所にある「小便器」にたいし、座れるタイプは「大便器」「腰掛け便器」とも呼ばれます。

「和式/和風便器」と区別するための「洋式/洋風便器」という名称もあります。また、「便器」には種類があります。

便器のなかに詰まった異物を取り除くのに便利な「掃除口付便器」、車いすから便器に移動しやすい「車いす対応便器」、ベッドのそばで使える「ベッドサイド水洗トイレ」、小さい子どもむけの「幼児用大便器」など、さまざまなニーズに応えられるようになっています。

一方、男性用の小便器には、便器が足もとにあるタイプと、股間の少し下にあるタイプとがありますが、いざ名前を聞かれると困ります。

前者が「床置き型小便器」、後者が「壁掛け型小便器」となっており、なるほどと思います。さて、個室トイレに入ったとき、まわりを見回してみます。トイレットペーパーを入れるところがあります。

これは「トイレットペーパーホルダー」という名称が一般的で、「紙巻き器」とも呼ばれます。

字を見ればそれぞれ意味はわかりますが、ふだん名前を意識することはないでしょう。ちなみに、二つつながったタイプは「ツイントイレットペーパーホルダー」「二連紙巻き器」です。

トイレットペーパーの「芯」を通す部分は「芯棒」と呼ばれます。

最近は「芯なし」トイレットペーパーにも対応するようにできており、その場合は「芯なし用芯棒」という矛盾した名称になりますので、「アーム」と呼ばれることもあります。

ちなみに、「芯なし」には「コアノン」「コアレス」という名称もあります。トイレットペーパーホルダーの上部についているものは「フタ」と言い、「カバー」とは言いません。

「カバー」は「フタ」にかぶせる布製のおしゃれなものを呼ぶときに使うからです。また、この「フタ」は、トイレットペーパーをきれいに切るためについています。

そう考えると、この部分を「カッター」と呼ぶことも可能で、事実そのようにも呼ばれています。便器とトイレットペーパーホルダーを中心に、トイレにあるものの名称を考えてみました。

その結果、小林秀雄の指摘とは逆に、ものをよく見るようになった自分がいるのに気づかないでしょうか。日常生活のなかでものの名前を探すことは、ものに注目することにつながるのです。

身体の内側に目を向けよう

語彙に注目すると、名前を手がかりに、身の回りのものをよく見るようになります。しかし、それだけではありません。私たちの身体の内側をもよく見るようになります。

たとえば、歯を考えてみましょう。私たちに歯は何本ありますかと聞かれて、二十八本と即答できない人は案外多いように思います。親知らずも入れれば三十二本になりますが、ここでは親知らずを除いて考えます。

もちろん、人によって本数は違う可能性があり、現代人には少ない人が多いようです。

そのうち、まんなかにある「切歯」(あるいは「門歯」)が八本、その外側にある「犬歯」が四本、さらにその外側にある「小臼歯」が八本、もっとも奥にある「大臼歯」が八本です。

「切歯」は嚙み切るために、「犬歯」は切り裂くために、「小臼歯」は砕くために、「大臼歯」はすり潰すためにある歯です。

このように、歯が二十八本あることを知り、それぞれの歯の役割を意識してブラッシングをするだけで、虫歯(専門語では「齲歯」)が減るだろうと思います。

虫歯になり、歯の治療のために歯医者さんに行くようになると、歯の構造を意識せざるをえなくなります。

外から見ることができる歯の上部は歯冠部と呼ばれ、外側は鉄よりも硬い「エナメル質」、内側に「象牙質」、さらにその内側には「歯髄」、いわゆる神経があります。

虫歯が進行し、「エナメル質」を通り抜けて「象牙質」に至ると、痛みを伴うようになります。

一方、歯ぐきで覆われて外からは見られない歯の下部は歯根部と呼ばれ、外側の「歯肉」、いわゆる歯ぐきのなかは、「セメント質」「象牙質」「歯髄」の順に層をなしています。

歯の下は「歯根膜」を介して「歯槽骨」という骨のなかに埋まっています。歯ぐきの病気も虫歯と同様に深刻です。以前は、歯ぐきの病気は「歯槽膿漏」と呼ばれていましたが、最近では「歯周病」と呼ばれるようになっています。

すでに見た「日射病」と「熱中症」との関係に似て、「歯周病」のほうが包括的な概念で、より広い病状を指し、診断に便利だと考えられます。

歯の病気は予防するものであり、歯周病予防のための「プラーク・コントロール」という概念が浸透した結果、ふだんの歯みがきで「歯垢」を落とし、「歯垢」が硬くなって取れなくなった「歯石」を定期的に歯医者さんで除去してもらうのが一般的になりました。

語彙の変化は意識の変化に結びつき、歯周病予防にも役立ちます。

よく、言葉は言葉の世界だけで完結していると考える人がいますが、それは錯覚です。言葉は現実世界と密接に結びついています。

最近、高層マンションに暮らす子どもが、学力に伸び悩むという話を見聞きします。私自身もマンション育ちなので感覚としてわかるのですが、自然を肌で知る機会がどうしても減ってしまうのです。

水田を見たことがなく、お米がどのようにできるか、知識でしか知らない子どもが増えています。

そのように頭でっかちになると、語彙の身体的理解がどうしても浅くなり、たとえば水田の役割をテーマにした国語の教科書の文章を読んでも、理解できないということが起こってしまうのです(石黒二〇一三)。

語彙は机上ではなく現場で学ぶもの。そうした感覚がとても重要だと思います。

(十一)語構成を考える形態素とは何か――意味の最小単位

第二章「語彙の『量』を増やす」では、語彙のレパートリーを増やし、同じ対象を指す場合でもさまざまな言い方が可能であることを学んできました。

つまり、多様な観点から見ると、語彙にはさまざまな種類があり、その種類ごとに語彙のレパートリーの広げ方があることを学んできたわけです。

ここでは、語彙を増やす方法の最後の方法、「語構成を考える」を紹介します。ただ、これまでの見方とは異なり、自分で語彙を作って増やす方法です。語彙を作るためには語彙の仕組みから説明する必要があります。

そこから話を始めましょう。

私の勤務先は、「国立国語研究所」です。これは語と考えられます。この語を、意味に基づいてさらに細かく分割してくださいと言うと、おそらく「国立/国語/研究所」と三分割するか、「国立/国語/研究/所」と四分割するかでしょう。

文字にすると最大七文字に分割できますが、耳で聞いたときに「こく/りつ/こく/ご/けん/きゅう/じょ」としても意味をなしません。

したがって、意味の最小単位は「国立/国語/研究/所」という四つのパーツになります。このような意味の最小単位を「形態素」といいます。

「国立」「国語」「研究」「所」と四分割した場合、「国立」「国語」「研究」はそのまま語としても使えます。このように、単独で語として使えるものを「自由形態素」といいます。

一方、「所」のように、単独では使えず、「研究」という形態素と一緒でないと使えないものを「拘束形態素」といいます。

「所」は場所の名詞にする働きを持つもので、「所」のように、実質的な意味ではなく、文法的な機能を添えるものは、一般に「接辞」と呼ばれます。

接辞は「お菓子」の「お」のように語基(接辞がつく相手)である「菓子」のまえにつく「接頭辞」、「食べる」の「る」のように語基(語幹)である「食べ」のあとにつく「接尾辞」に分かれます。

「研究所」の「所」は接尾辞です。

ちなみに、「国語」「研究」のように一つの語基で一語を形成する場合は「単純語」、「国語研究」のように複数の語基で一語を形成する場合は「複合語」、「研究所」のように語基と接辞を組み合わせて一語を形成する場合は「派生語」と呼ばれます。

複合語と派生語、それと、「国々」や「ゆるゆる」のように同じ語基を反復して作る「畳語」の三つを合わせて「合成語」と呼ぶこともあります。

形態素や語基・接辞といった、要素の結びつきによる語の成り立ちは、「語構成」と呼ばれ、研究・教育に役立てられていますし、私たちは未知語に出会ったとき、語構成を分析して意味を理解しようとします。

我が家の子どもたちがおじいちゃんにクイズを出しました。「地球上で一番大きい生き物は何か?」というクイズで、答えはシロナガスクジラです。

ところが、おじいちゃんは「ジャイアント馬場」と答えました。その突飛な答えに子どもたちは大笑いしたのですが、子どもたちは伝説のプロレスラー「ジャイアント馬場」の生前の活躍を知らないはずです。

あとで子どもたちに「ジャイアント馬場」の意味を確かめてみたところ、小五の長女は「ジャイアント」が名字で「ババ」が名前の背の高い外国人だと思っていたようです。

一方、小二の次女は「ジャイアント・パンダ」の連想から、そうした変わった名前の動物がいると考えていたようでした。

子どもたちは形態素や語基・接辞という専門語はもちろん知りませんが、語構成をそれなりに適切に分析する術を持っていることに驚かされました。

文章の一部など、意味のある文字列が与えられたとき、形態素に分割して、それぞれの形態素の品詞などを判別する手法を形態素解析といいます。

その技術は Googleをはじめとする検索に利用されています。

たとえば、「国立国語研究所」で検索すると、「国立国語研究所」だけでなく、入試の話題も引っかかります。

それは「国立大学二次試験」「英語・国語・地歴公民の文系科目」「ベネッセ教育総合研究所」のように、「国立」「国語」「研究所」が分割されて検索されているからです。

もし「国立国語研究所」という語だけで検索していたとしたら、こうしたページがヒットすることはありません。

検索の精度を高めるために形態素解析が使われていることがわかります。もちろん、最近の検索技術は、形態素解析にとどまりません。

「もしかして ○ ○」と教えてくれる機能もありますし、私がエクセルを使ってまとめて割り算がしたかったときに、「まとめて」「割り算」「エクセル」と入力したところ、最初にヒットしたページは「エクセルでの一括計算方法」でした。

「まとめて」という語を「一括」という、より適切な類語に置き換えてくれていたわけです。私たちが気づかないだけで、本書に書いてある内容の一部は、すでにコンピュータの技術として実用化されています。

形態素の使い分け――「人」「者」「民」……

私たちは、自分の頭のなかにある形態素解析器を使って、語の意味を分析しますが、それだけではありません。形態素をつけて新たな語を作ることがあります。

ここでは、人につく形態素を例に考えてみましょう。

人につく形態素は「人」「人」「者」「民」があります。「人」と「人」は微差ですが、どちらが「人」でどちらが「人」か考えていると、次第にわからなくなります。

歴史的には「人」が呉音、「人」が漢音で、歴史的には「人」のほうが古いのですが、現代人にはそうした感覚はあまりないように思います。

二字の「人」の語は「職人」「商人」「町人」「住人」「役人」「芸人」「善人」「悪人」「浪人」「犯人」「本人」「他人」など、江戸時代的な、より古い語感があるような印象で、二字の「人」は「個人」「友人」「故人」「家人」「主人」「婦人」「法人」「老人」「賢人」「偉人」「才人」「凡人」「成人」「新人」「外人」「黒人」「白人」「文人」「詩人」など、それよりもあとの明治・大正期の語感があるような印象があります。

しかし、いずれも現代的な語感ではないところは共通しています。

一方、三字では、「人」は、「管理人」「案内人」「世話人」「支配人」「料理人」「商売人」「代理人」「使用人」「相続人」「保証人」など、「 ○ ○する人」という言い換えが可能なのにたいし、「人」では、「組織人」「社会人」「常識人」「知識人」「国際人」「教養人」「外国人」「中国人」「日系人」「関西人」「都会人」など、「 ○ ○する人」という言い換えが不可能です。

「(週刊)読書人」のような例外がないわけではありませんが、だいたいこの傾向が当てはまります。

「者」は二字の場合は職業が多そうです。

「業者」「学者」「記者」「医者」「役者」「易者」「芸者」などです。

三字の場合は役割を担うもの全般を指すようです。

「経営者」「所有者」「編集者」「質問者」「回答者」「生産者」「消費者」「調査者」「観察者」「研究者」「教育者」「出演者」「視聴者」などです。

「高齢者」「年少者」「身障者」「健常者」「初心者」「経験者」などはかならずしも役割とは言えませんが、三字の「者」は人を客観的に分類するときによく使われそうです。

「者」全体としては、「人」にくらべて抽象的で集合的であると感じられます。

職業・身分などによって人をまとめて分類するのが「者」の特徴なので、「人」にくらべて個人の顔が見えにくい印象があります。

「民」は、同一のカテゴリに属する人の集団です。

「国民」「県民」「市民」「町民」「村民」「島民」「住民」「農民」「漁民」「難民」「避難民」「ネット民」などがそれに該当します。

「者」と共通する部分もありますが、「者」は身分・役割によって人を分類するところに焦点があるのにたいし、「民」は対等な立場にいる人をまとめるところに焦点があります。

共同体意識が強い形態素でしょう。

ほかにも、前につくものが和語であれば、「村人」「旅人」「待ち人」「尋ね人」の「人」や「若者」「悪者」「曲者」「愚か者」のような「者」などもあります。

一方、職業では、「者」のほかに、「員」「官」「家」「手」「師」「士」など多様であり、選択に迷います。

たとえば、私は大学院の「指導教員」ですが、「指導教官」ではありません。

日本中の大学に、いまや「指導教官」はいません。

国立大学法人になり、国立大学の「教官」はすべて「教員」になってしまったからです。

また、「看護婦」「保母」という語から女性的な要素を除く言い換えが行われたとき、「看護師」「保育士」となりました。

「師」と「士」の使い分けもややこしそうです。

以下、順に見ていきましょう。

「員」はメンバーの訳語という先入観がありますが、「職員」「教員」「行員」「局員」「社員」「議員」「委員」「駅員」「調査員」「会社員」「事務員」「公務員」「乗務員」「学芸員」「図書館員」と見ていくと、むしろ組織のスタッフを表す言葉と考えるのがよいでしょう。

「官」は、「教官」「技官」「士官」「警察官」「刑務官」「自衛官」「裁判官」「外交官」「官房長官」「航空管制官」など、国をはじめとする公のスタッフを表す言葉です。

広義の「公務員」が「官」に当たります。

「家」は、想像力を発揮する芸術系の職業につきやすい形態素です。

個人で独立して生計を営む性格の職業につきます。

「作家」「小説家」「脚本家」「画家」「漫画家」「芸術家」「陶芸家」「建築家」「評論家」「実業家」「起業家」「投資家」などがそれに当たります。

「手」は、本人の持っている能力が問われる職業につきますが、あまり広がりはありません。

野球選手の守備位置に使われるのが目立つ程度です。

「歌手」「騎手」「技手」「助手」「運転手」「選手」「野手」「投手」「捕手」「内野手」「外野手」などです。

「師」は、文字のイメージから「先生」と呼ばれる職業につきそうですが、全体から考えるとそれはごく一部で、むしろ限られた専門領域で高い技量を持つ人と考えたほうがよいでしょう。

「教師」「講師」「医師」「牧師」「歯科医師」「獣医師」「看護師」「放射線技師」「指圧師」「整体師」「保健師」「薬剤師」「調理師」「理容師」「美容師」「絵師」「焼物師」「はり師」「庭師」「研ぎ師」など多様です。

「詐欺師」「ペテン師」「いかさま師」など、特殊技能を生かした、あまりありがたくない職業もどきにもつきます。

「士」も、専門領域で高い技量を持つ人につきますが、公的な資格を持つ人という意味合いが強いようです。

「士」のつく言葉一覧を作ると、さながら資格試験の通信講座の宣伝のようです。

「弁護士」「行政書士」「税理士」「公認会計士」「不動産鑑定士」「気象予報士」のような事務系の専門職、「介護士」「社会福祉士」「作業療法士」「歯科衛生士」「理学療法士」「臨床心理士」のような福祉・医療系の専門職、「操縦士」「機関士」「航海士」「航空士」のような乗り物系の専門職、さらに、「消防士」「栄養士」「建築士」「測量士」など、多岐にわたります。

なお、二字のものにかぎると、公的な資格を持つという印象は薄れ、「学士」「修士」「博士」「文士」「名士」のような頭脳系のもの、「武士」「力士」「騎士」「戦士」「剣士」のような戦闘的なものが目立つようになります。

形態素の造語力

形態素のなかでも、ある時代のなかで、新しい言葉を生産する造語力が高まるものがあります。

以前からあるものとしては、「初婚」「再婚」「早婚」「晩婚」から、「派手婚」「地味婚」「できちゃった婚」「おめでた婚」などへと広がっていった「 ○ ○婚」、「想像力」「行動力」「指導力」「忍耐力」から、「鈍感力」「老人力」「質問力」「女子力」など、売れる書名へと広がっていった「 ○ ○力」などがあります。

ここでは、最近の代表的なものとして、「 ○ ○ハラ」「 ○ ○活」「 ○ ○甲子園」を取りあげます。

「○ ○ハラ」は、「ハラスメント(嫌がらせ)」を短くした言い方です。

「セクハラ」(セクシャル・ハラスメント)、「パワハラ」(パワー・ハラスメント)、「アカハラ」(アカデミック・ハラスメント)、「モラハラ」(モラル・ハラスメント)、「マタハラ」(マタニティ・ハラスメント)などがよく知られています。

「ブラハラ」「オワハラ」をご存じでしょうか。

「ブラハラ」は血液型で相手の性格診断をし、それによって相手を不快にさせる行為です。

「あなたは B型だから……」のような言い方で傷ついた方は少なくないのではないでしょうか。

「ブラッドタイプ・ハラスメント」の略です。

また、「オワハラ」は、「就活終われハラスメント」の略で、企業が内定予定者に他社の内定辞退を強要したり、内定辞退者にたいして辞退撤回を迫る脅しをかけたりする行為を指します。

最近では何でも「 ○ ○ハラ」になり、いささか食傷気味の方も多いでしょうが、残念ながら、現代社会の多岐にわたる「ハラスメント」自体は衰える気配が見えません。

「○ ○活」は、「就活」すなわち「就職活動」から始まった言葉ですが、人生における新たなステージに移る活動全般に広がるようになりました。

結婚相手を見つけるための「結婚活動」である「婚活」、その前段階である素敵な恋愛対象を見つけるための「恋愛活動」である「恋活」、子どもを授かるための不妊治療を中心とした「妊娠活動」である「妊活」、生まれてきた子どもを預ける保育園を探す「保活」、離婚の準備を遺漏なく進めるための「離活」、人生の終わりを自分らしく迎えるための「終末活動」である「終活」などがあります。

「○ ○活」という語には、人生の多様な局面を積極的に捉えて乗りきろうとする前向きな語感があり、それは「離活」でも「終活」でも例外ではありません。

そうした前向きな語感が、これだけ「 ○ ○活」を広げるきっかけになったと思われます。

最近では、「 ○ ○活」の意味が女性を中心にさらに広がりつつあります。

女性としての美を取り戻す「美活」、身体を温めて冷えや生理痛を軽減する「温活」、質のよい睡眠をとってキレイを目指す「寝活」、キノコや発酵食品で腸内をきれいにして美肌を作る「菌活」などです。

人生の新たなステージだけでなく、日々の生活習慣改善のための「 ○ ○活」は、やや商業主義的な造語色も帯びていますが、しばらくはその勢いは続きそうです。

「○ ○甲子園」も、地味に広がっている名称です。

もちろん、もともとは「甲子園」は兵庫県西宮市の地名であり、阪神タイガースの本拠地である阪神甲子園球場に由来するもので、高校球児が全国一を目指す「選抜高等学校野球大会」(春の大会)、「全国高等学校野球選手権大会」(夏の大会)の別称です。

ところが、最近では、開催地が甲子園でなくても、高校生が全国一を決める大会には「 ○ ○甲子園」という通称が使われます。

「かるた甲子園」は、「全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会」の通称で、滋賀県大津市の近江神宮で行われます。

「俳句甲子園」の正式名称は、「全国高等学校俳句選手権大会」で、会場は愛媛県松山市です。

「ものづくり甲子園」は、「高校生ものづくりコンテスト全国大会」ですし、 TV系のものでは「ダンス甲子園」や「知力の甲子園(高校生クイズ)」がありました。

現在では、高校生日本一というところからも外れた「接客甲子園」「電車甲子園」「ビブリオバトル甲子園」など、さらに裾野が広がっています。

まったく新しい言葉を自分で創りだすことは難しいのですが、語構成を考えて形態素を組み合わせると、自分の感覚にピッタリくる言葉が作れることがあります。

「アウェー感」「着こなし力/着回し力」「街ラン/街 RUN」など、おもしろいと思える言葉が身の回りでも次々に生まれています。

こうした語彙を知ることもまた、語彙を増やす楽しみといえるでしょう。

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