レイキの起源
レイキ(霊気)というエネルギーがいつどのようにして発生したのかは、誰にもわかりません。しかし、宇宙空間に不思議なエネルギーが存在することは、古くから世界各地で体験的に知られていました。
このエネルギーを、ある国ではプラーナと呼び、別の国ではマナと呼び、プネウマ、バラカ、ムゲベ、ハシナ、オキと呼ぶ国や部族などもあり、中国では気、日本では霊気と呼んで活用していました。
数え上げれば、まだまだ多くの名前を見つけることができるでしょう。このエネルギーは宇宙生命エネルギーとして宇宙に満ちており、完全な状態で体内に取り込めれば、内在する生命力を高めることができるとされていました。
古来、ひとりひとりに内在する生命力を高めることが、すべての治療法の基本でした。
釈迦やキリストは手当てによって癒しを行ったと伝えられ、古代ギリシャの神文には「合掌して按手すれば万病癒ゆ」(合掌し、手を当てれば、すべての病が癒える)と書かれています。
中世のヨーロッパ(イギリス、フランスなど)では、代々の国王が手を当てて国民の難病(頸部リンパ節の結核など)を治したと記録されており、ロイヤルタッチ(王の手当て)としてシェークスピアの作品にも登場しています。
そのような能力をもっていることが、王位を継承する資格の一つであったともいわれます。
また、近代文明と接点をもたず、古来の伝統を継承している原住民の人たちの中にも、このエネルギーが活用されている事実を発見することができます。
このように、さまざまな名前で呼ばれていたり、エネルギーに対する理解が異なったりしていても、宇宙に満ちる生命エネルギーの存在はあらゆる地域で認知され、活用されていました。
現在、レイキ(臼井レイキ)と呼ばれて世界に普及しているのは、一九二二年(大正十一年)に臼井甕男先生が創始した癒しの技法ですが、このようにエネルギーそのものは有史以前から存在し、日本では古くから霊気の名で活用されていたものです。
これについては、私がレイキ関係者のためにまとめた『レイキのエッセンス』という小冊子の中の、「レイキとは何か」と題した部分を、序章の最初に紹介しておきました。
明治から昭和初期の霊術ブーム
明治時代は、維新によって日本の政治体制が一変し、従来の価値観が大変革を遂げた時期でした。
欧米列強の軍事的・経済的圧力に対抗するため、天皇を中心とした中央集権国家の構築をめざし、富国強兵を国の重要施策として、海外の優れたシステムや技術を大胆に吸収し、国力を増強していきました。
国民には、江戸時代の身分制度を撤廃して四民平等とし、日本全国の往来の自由を認め、職業選択の自由を与えるなど、さまざまな改革を行いました。
その後、国内外とも多くの変遷を経て、一九二〇年(大正九年)に設立された国際連盟には常任理事国として参加し、明治維新から約五十年という速さで、世界の列強と肩を並べるまでに成長しました。
大正時代は、大正デモクラシーを基礎とした安定期とみなされる反面、近代日本の象徴であった明治天皇の崩御と、即位された大正天皇の病弱などから、潜在的な不安感がただよった時代ともいわれます。
都市部には享楽的な文化が栄え、その裏にはスラムが形成され、騒乱や労働争議なども多発して政治的な混乱も起こりました。
この大正時代を中心にして、明治末期から昭和十年代(第二次世界大戦前)まで、霊術家と呼ばれる多くの治療家たちが出現し、大活躍して日本国内で大ブームを巻き起こしました。
これらは、日本古来の伝統的な古神道、修験道、仙道、呪術、占術などに、西洋から輸入された心霊思想(スピリチュアリズム)や心理療法などを融合させて独自の技法を編み出したもの。
一群の民間療法(代替療法)を総称して霊術と呼んでいました。
霊術は整体、催眠術、呼吸法、静座法、念力、気合術、エネルギー療法など多岐にわたりますが、その中心は手当て・手かざしなどの手のひら療法であったといわれます。
有名な霊術家だけでも数十人に上りますが、少しだけ名前を挙げてみますと、精神霊動法(桑原俊郎)、江間式心身鍛練法(江間俊一)、人体放射能療法(松本道別)、高等催眠学(古屋鐵石)、岡田式静坐法(岡田虎二郎)、肥田式強健術(肥田春充)、霊感透熱療法(石抜霊覚)、太霊道(田中守平)、生気療法(石井常造)、整体操法(野口晴哉)、洗心流霊気療法(松原皎月)、心源術(西村大観)、生道霊掌術(大山霊泉)、森式触手療法(森美文)、気合術(浜口熊嶽)などなど。
列挙するときりがありませんが、霊術の名前を見ているだけで何となくイメージが湧き上がり、当時の人々の心を魅了したと思われます。
このような霊術ブームといわれる時代の真っ只中、一九二二年(大正十一年)四月に数え年で五十八歳(満五十七歳)の臼井甕男先生が、「心身改善臼井霊気療法」という新しい癒しのシステムを世に問うべく、東京の原宿に本部を構えることになったのでした。
すでに多くの霊術家が、霊気、霊気療法という言葉を使っており、宇宙霊気の活用という点では目新しいものではありませんでしたが、病気治療にとどまらず、霊気を活用して「手当て療法を入り口に、安心立命(心の平安)の境地をめざす」という臼井霊気療法は、当時の海軍関係者が注目し、海軍士官たちが多数入会してきました。
臼井霊気療法(伝統霊気)の発祥
臼井霊気療法はどのようにして生まれたのか、創始者臼井甕男とはどのような人だったのかについて、『レイキのエッセンス』の中の「臼井霊気療法の発祥」の項で、次のように解説しました。
《現在世界に普及しているレイキ法は、臼井霊気療法ともいい、一八六五年(慶応元年)に生まれた臼井甕男という人が始めました。
若いころ、郷里の岐阜県を離れ、各種の職業を体験するうちに、「人生の目的とは何か」と、深く考えるようになりました。長い探求のあと、「人生の目的は、安心立命を得ることである」という結論に達しました。
それは「人は自分の力で生きているのではなく、宇宙から使命を与えられ、生かされている」という真実を知ること。
そして「人を生かしている宇宙が、人の不幸や病気を望むことはない。宇宙を信頼して、人生でなにが起こっても動揺せず、いつも安らかな心を保ちながら、自分の役割を果たして行けばよい」ということでした。
このように理解した臼井先生は、安心立命の境地を求めて、京都の寺で 3年間の座禅を行いました。
しかし、めざす心の境地は得られず、ついに死を覚悟して鞍馬山で断食の結果、体内の波動と宇宙の波動が共鳴して、自己と宇宙との一体化が得られ、求めていた境地が完成しました。
臼井先生は、宇宙と共鳴した高い波動をレイキだと直感しました。
そして「レイキは宇宙の導きの波動であり、レイキと響き合う生き方こそが、健康と幸福への道である」と悟りました。帰宅の途中、次々と癒しの体験が続き、宇宙から癒しの力が与えられたことに気づきました。この癒しは、鞍馬山での体験と同様、レイキの波動と響き合うことで、効果的に起こるものでした。
「これは、自分の体験を多くの人と分かち合えという、啓示である。誰でも出来る手当て療法を入り口にして、人生の目的である安心立命を伝えていこう」と臼井先生は決意されました。
これを臼井霊気療法と名づけ、「この力を多くの人に伝えたい」と、一九二二年(大正十一年)四月、東京で臼井霊気療法学会を創設し、多くの人に霊気療法を教えました。臼井霊気療法学会は現在も存続し、伝統霊気と呼ばれています》
創始者・臼井甕男が得た境地
臼井甕男先生は、一八六五年(慶応元年)八月十五日に岐阜県山県郡谷合村(現在の山県市谷合)で、父・宇左衛門と母・さだとの間に生まれました。
両親と姉(しゆう)、弟二人(粲哉、邦茲)の六人家族で、父は小さな日用雑貨店や木材の販売などを手がけて生活していました。
祖父は桂泉という地酒の醸造家でしたが、長男の宇左衛門は後を継げず、家業は弟の丈右衛門が相続したため、経済的に豊かとはいえなかったようです。
臼井先生はこのような環境の中で、幼少の頃から勉学に励み、その実力は友人の中で群を抜いていました。近くの寺子屋で学びましたが、さらに向上の機会を求めて郷里を離れました。
経済的な困難の中で欧米や中国に渡航し、歴史、医学、宗教、心理学、神仙術、易学、人相学などの知識を深め、職業も官吏、会社員、実業家、新聞記者、政治家の秘書、宗教の布教師、刑務所の教誨師など、多くの体験を積み重ねたことが、臼井霊気療法を創設する基礎になりました。
人生の裏表を深く知るにつれて「人生の目的とは何か」と考えるようになったのは、自然の成り行きでした。「人生の目的は、安心立命を得ることである」という結論に達するまでにそれほど時間はかからず、それを体得するために苦心されたように感じます。
一寸先は闇といわれるように、私たちはいつ何が起こるかもわからない世界に住んでいます。その中にあって、常に安らかな心を維持し続けることは私たちの共通の願いですが、逆境の中を生き抜いてきた臼井先生の思いはとくに強いものがありました。
臼井先生は、安心立命の境地(大安心の境地ともいう)を獲得しようと、禅の道を選びましたが、期待に反して困難な道でした。
「人を生かしている宇宙が、人の不幸や病気を望むことはない。宇宙を信頼して、安らかな心を保てばよい」と頭で理解しながらも、何かあるごとに心が揺れ動き、怒りや不安の思いにとらわれる日々でした。
三年間の座禅も成果が得られず、師の禅僧にアドバイスを求めたところ、「一度死んでみることだな」と突き放されたのを機に、「人生の目的である安心立命が得られないなら、このまま生きていても仕方がない。自分の人生はもうこれまで」と心を決め、一九二二年(大正十一年)の早春、京都郊外の鞍馬山上で断食に入りました。
三週間目の深夜、脳の中心を落雷が貫いたような衝撃を受け、意識不明となりました。気がつくと、東の空は白々と明けはじめており、今まで味わったことのない透明な、爽やかさに満ちた意識状態の中にいました。
このとき、体内レイキと、鞍馬全山に満ちた宇宙レイキが共鳴して、「私は宇宙だ、宇宙は私だ」という宇宙との一体化が得られ、求めていた安心立命の境地に到達しました。
「いま、体内レイキと宇宙レイキとが完全に響き合い、深い安らぎと至福の中にいる。これこそが安心立命の境地であり、健康と幸福の道である」という気づきを得た臼井先生は、それ以来、常にレイキとの響き合いが保たれ、安らかな心を維持し続けることができたといわれます。
帰宅の途中、木の根につまずいて足の爪を傷め、思わず手を当てると痛みが消え、虫歯で苦しんでいた茶店の娘に手を当てると腫れと痛みが去り、病床にあった妻の肩に手を置くと瞬時に癒えるなど、次々と不思議な体験が続いたため、癒しの能力が与えられたことを自覚しました。
安心立命への到達は、内外のレイキの共鳴で達成されましたが、癒しも同じように、内外のレイキが共鳴したときに起こることが体感できました。
臼井霊気療法学会の設立
「手当て療法を入り口として、多くの人に安心立命の道を伝える使命を与えられた」と認識した臼井先生は、教え(五戒)と指導体系をつくって「心身改善臼井霊気療法」と名づけ、一九二二年(大正十一年)四月、東京・原宿に臼井霊気療法学会を設立して、公開伝授(会員制により霊気療法を指導すること)と、公衆治療(希望する人に霊気治療を行うこと)を開始しました。
臼井霊気療法に関心をもつ人たちが多数入門するとともに、治療を受けたい人たちが各地から集まり、戸外に長い列をつくりました。
一九二三年(大正十二年)九月に関東大震災が発生し、負傷者や病人が市中にあふれたとき、臼井先生は門弟とともに連日市中を巡回して治療に当たり、多くの人を救いました。
これを機に霊気療法の効果が認識され、入門者が増えたといわれます。
会員の増加に伴い、一九二五年(大正十四年)二月に本部を東京・中野に移転し、各地に支部が設立され、学会は発展の一途を辿りました。
この頃、二十一名の師範が誕生して会の運営や会員の指導を手伝うようになり、臼井先生は各地に出かけることが多くなりました。
一九二六年(大正十五年)春、師範会の席で牛田従三郎氏を第二代会長に指名してから臼井先生は東京を出発。呉・広島・佐賀を訪れたあと、三月九日に福山の宿で逝去されました。数え年で六十二歳(満六十歳)、門弟は二千人余と伝えられています。
日本国内での霊気の普及
臼井霊気療法の公開伝授が開始されると、当時の霊術(民間療法)ブームもあり、世間の注目を集めましたが、目立った特徴は、民間人に混じって海軍の高官たちが多数入門したことでした。
そのため、海軍の意思が働いていたという人もいますが、スタートしたばかりの民間療法に国家機関が関与することは考えられず、多くの民間療法の中で精神性向上を重視するシステムに魅力を感じた結果と思われます。
また、海軍関係者は狭い艦内で長期の海上生活を強いられ、病気のときも次の寄港地まで完全な治療が受けられないため、レイキの活用で自己の生命力を高めることの重要性に着目したことは、自然の成り行きといえるでしょう。
臼井先生から最高段階の神秘伝を授けられ、師範に認定された海軍関係者は、海軍中将(和波豊一)、海軍少将(牛田従三郎、武富咸一、今泉哲太郎)、海軍大佐(林忠次郎)などで、いずれも臼井霊気療法を普及させる原動力となりました。
牛田従三郎(海軍少将)が第二代会長として臼井先生の後継者となり、逝去から三年後の一九二九年(昭和四年)末には、全国に六十ヵ所の地方支部と約七千名の会員を擁するまでになりました。
牛田会長になってから、初期の会員が独立する動きもあり、旧制甲府中学の校長であった江口俊博氏が「手のひら療治研究会」を設立して会員五十万人以上、大阪の公務員であった富田魁二氏が「富田流手あて療法」を創始して会員二十万人以上を集めたといわれています。
また、師範であった林忠次郎(海軍大佐)が「林霊気研究会」として独立していますが、これは他の二人と異なり、臼井霊気療法を世界に普及させるための大きな使命を与えられての独立行動であったと思われます。
他にも臼井霊気療法の流れをくむ療法家もあり、それらを合わせると百万人以上の実践者があったといわれます。
しかし本家の臼井霊気療法学会は、「たとえ霊気療法の素晴らしさを認識させる目的であっても、効果を宣伝してはいけない」という臼井先生の指示を守って宣伝せず、口コミだけで普及したため、大きな組織にはなりませんでした。
今の感覚では、効果的なものを多くの人に知らせるための PRや情報提供はむしろ必要なことだと思いますが、効果を宣伝して人集めをしようとするのは卑しい行為だという臼井先生の価値観・潔癖感が、そのような指導になったのでしょう。
劇作家として有名だった松居松翁氏は、『サンデー毎日』一九二八年三月四日号に「隻手萬病を治する療法」と題して次の一文を寄せています。
《この隻手万病を治する療法なるものは、霊気療法という名の下に、或る特殊の人々によって行われているものである。
これを発見したというか、または創見したとでもいうか、ともかくその療法の開祖(このグルウプでは肇祖といっている)は臼井甕男という人で、すでに三年ばかり以前に他界し、今はその弟子であった人々が治療所を持ち、或いはその療法の伝授をも行なっている。
しかし、隻手よく万病を治するほどな療法でありながら、未だ余り世間に知られていない。
何故かといえば、この臼井なる人が特にこれを吹聴することを嫌ったから、その末流を汲む人々もまたなお宣伝することを避けているがためである。しかし、わたしは、その宣伝嫌いがどうしても判らない。(中略)
そのことが真理で人類の幸福に寄与するものがあらば、これを宣伝するが人間としての義務ではないか。だからわたしはこの療法について、他人から尋ねられれば親切に宣伝をする。雑誌新聞から寄稿を求められれば、わたしは喜んで書く。
だもんだから、わたしに対して相当に反対があるそうだ。或いは異端者の様に思われているかも知れぬ。
しかしこんな立派な療法が世にありながら、これを一般に知らしめないということは、頗る遺憾千万な話だと思っている。
道徳的にも、世間的にも、如何にも惜しいものである。
そこでわたしは多くの人々のため、喜び勇んで宣伝をするのであるが、特に大毎東日ほどな大新聞の読者から、この療法について質問されて、「いや、てまえの療法は宣伝が嫌いですから、何事も申し上げられません」と断わったら、記者諸君なり、読者諸君なりは、それこそ霊気療法を山師の仕事と思うかもしれない。
「あらゆる病気を癒すなどと広言を吐いても、さあという時には、責任を負った発表が出来ぬじゃないか」といわれても仕方がない。
だからわたしは、霊気療法そのもののためにも宣伝する、真理を公表する。この意味で喋るのだから、わたしの態度は、本療法関係者の意志に基づくものではない。全然わたし一個の思考から独自の立場にあって、あえてこれを発表するものである。
病魔に悩む多くの人々のため、わたしは、どう考えて見ても、この口を緘してはいられない、わたし自身について見ても、この療法を知って以来のわたしの気持は、とても凝乎として芝居なんか書いていられない様な、実際を告白すれば、まあそんな風な気持になっている。
わたしが一生懸命にこの療法を宣伝して、自分の理想を実現する時が来れば、日本は実に極楽になるのだ。いや、延いては世界中が無病息災のパラダイスになるのだ、ああ、一人にでも多く宣伝したい。(以下略)》
ちなみに臼井霊気療法学会は、第三代会長・武富咸一(海軍少将)、第四代会長・渡辺義治(哲学者)、第五代会長・和波豊一(海軍中将)、第六代会長・小山君子(大学教授夫人)、第七代会長・近藤正毅(英文学者)と継承されましたが、現在は家庭療法としての会員研鑽に限定して、一般への公開伝授は中止されています。
レイキが日本、アメリカ、海外へ
日本発祥のレイキが海外に普及した経緯を、『レイキのエッセンス』の中では「西洋式レイキへの流れ」として次のように解説しています。
《国内で伝承されている伝統
霊気に対し、西洋式レイキという系統があります。
臼井先生の門下生は約二千人、うち師範(指導者)は二十一人でしたが、臼井先生から最後の師範として認定された林忠次郎(元軍医・海軍大佐)が、臼井霊気療法をハワイに伝えました。
林先生は臼井先生の死後、林霊気研究会として独立しました。
ハワイから日本へ病気治療に来た高田ハワヨの難病が完治したあと、彼女は林先生からレイキを学び、林霊気研究会の霊気マスターとなりました。
彼女はハワイでレイキ治療を行い、二十二名の霊気マスターを養成しました。高田先生の死後、指導者たちは二つの団体に分かれ、レイキ療法の普及を始めました。レイキの学びやすいシステムと、高い効果性が多くの人に認識され、瞬く間に世界中に普及しました。
現在、レイキ実践者の数は、五百万人以上といわれています
》 林忠次郎(海軍大佐)は臼井先生の門弟の中でも特筆すべき存在で、後述の高田ハワヨ先生とともに「西洋レイキの祖」といわれています。
高田先生はハワイで二十二名のレイキマスターを養成し、そのマスターたちが臼井霊気療法(臼井式レイキ、臼井レイキ)を世界に普及させましたが、彼女にレイキ療法を教え、世界最初のレイキマスターとして認定したのは林忠次郎先生でした。
林先生は一八七九年(明治十二年)生まれで、一九〇二年(明治三十五年)に海軍兵学校を卒業。
将官でないため詳しい軍歴は不明ですが、現役時代は軍医であったといわれ、予備役の海軍大佐となった後の一九二五年(大正十四年)に臼井先生から神秘伝を与えられて師範となりました。
神秘伝者は役員として会の運営に当たり、師範として会員の指導を行いますが、臼井先生から「医学的な知識経験を生かし、霊気療法をやさしく、より効果あるものにするための研究を行い、学会にフィードバックするように」と特別な役割を与えられて、東京・信濃町に霊気治療所を開業し、同時に「林霊気研究会」を立ち上げて、臼井霊気療法の効果を高める新しい試みを次々に導入しました。
臼井先生の死後、牛田会長の方針との違いから、学会を離れて「林霊気研究会」として独立しましたが、独立後も臼井先生を尊敬し続け、「臼井甕男先生遺訓・五戒」と書いた自筆の軸の前で治療や講習を行いました。
その結果、独立した人たちが新しい名前をつけ、独創性を前面に出して活動したのとは異なり、革新的で独創性にあふれた内容に進化させつつも、臼井先生の教えと、臼井霊気療法の名を世界に広めることに貢献しました。
林先生は、健康と幸福の道である臼井霊気療法の「健康への道」を進化させ、世界に受け入れられるシステムを構築した功労者といえるでしょう。
西洋式レイキの確立
林忠次郎先生と高田ハワヨ先生との出会いも、レイキを世界に普及させるための必然の仕組みだったのかもしれません。
高田先生は日本人を両親に持ち、一九〇〇年(明治三十三年)にハワイで生まれた女性ですが、二十九歳のときに幼い二人の娘を残して夫に先立たれ、彼女も胆石、喘息、腫瘍などの病状が悪化しました。
医師から余命わずかと宣告され、三十五歳になった一九三五年(昭和十年)に、子供とともに両親の故郷である日本の土を踏みました。
この前後の事情は彼女自身が詳しく語っており、西洋の多くのマスターたちも伝えていますが、赤坂にある前田整形外科で手術を受けることになります。
手術台に横たわった瞬間、「手術を受けてはならない、それは必要ない」という威厳のある声が内側から三度聞こえて彼女は手術台から降りました。
前田医師は手術以外の治療法を選択したいという彼女の希望を受け入れ、栄養士として勤務していた妹の志村夫人を紹介しました。
志村夫人は、赤痢で昏睡状態になって林先生のところへ運ばれ、奇跡的に回復した経験があり、林先生の霊気治療所へ同行してくれました。
三ヵ月後には症状が消え、八ヵ月後に完全な健康を取り戻した彼女は、自分も霊気療法を学ぶことを決意し、林霊気研究会に入門して一年間の学びを終え、奥伝の資格を認定されました。
一九三七年(昭和十二年)に二人の娘たちとハワイに帰り、レイキクリニックを開きました。
林先生は霊気療法を普及するために何度もハワイを訪れ、講習会を高田先生に手伝わせてマスターとしてのトレーニングを行いました。
そして一九三八年(昭和十三年)二月二十一日に、世界で最初のレイキマスターに認定しました。
高田先生はマスターになった後もレイキクリニックでの治療が中心で、一部の人に個人指導をする程度で本格的なセミナーを行いませんでした。
そのため一九七五年(昭和五十年)の段階では、彼女が世界で唯一人の臼井式レイキマスターでしたが、一九七六年(昭和五十一年)頃からマスターの養成を始め、他界するまでに二十二名のレイキマスターを認定したといわれます。
三十五歳のとき余命わずかといわれた高田先生は、一九八〇年(昭和五十五年)十二月十一日、八十歳の天寿を全うされました。
その翌年、高田先生の孫娘であるフィリス・レイ・フルモト女史が中心になってレイキ・アライアンスが設立され、高田先生の養成した二十二名のマスターのうち、二十一名が参加しました。
文化人類学者であるバーバラ・ウィーバー・レイ女史は、異なる意見を主張してアライアンスに加わらず、一九八二年にアメリカン・インターナショナル・レイキアソシエーション(米国国際レイキ協会。のちにラディアンス・テクニークと改称)を設立しました。
レイキ・アライアンスとラディアンス・テクニークが、二大団体としてよく知られていますが、このほかにも二大団体の流れを引く著名なレイキの団体が各地に存在しています。
つまり、どのような名称で呼んでいても、海外に伝わった臼井式レイキは、「臼井 →林 →高田 →二十二名のマスター」という流れの中にあり、この流れのレイキを総称して「西洋レイキ(西洋式レイキ)」と呼んでいます。
また二大団体は、品質保証の意味で統一料金を設定し、一定のカリキュラムを厳守していますが、中小団体の中には料金設定やカリキュラムを変更して、二大団体と異なるシステムを提供しているところもあります。
これらの変更は二大団体が認めず、「臼井 →林 →高田 →二十二名のマスター」というエネルギーの流れを示す系統図を示すことができないため、単に臼井式レイキ(臼井レイキ)と称することが多く、これらを総称して「フリーラインのレイキ」と呼んでいます。
フリーラインは何の制約も受けないため、自分の価値観で思想や技法を取捨・変更するところが多く、二大団体と遜色のない優れた特長をもつ系統も存在する反面、首をかしげたくなるような怪しげなことを教える系統まで、多様なレベルのレイキが存在しています。
日本にも、フリーラインを中心に、各国を経由して多くの系統のレイキが輸入されていますので、学ぶときは事前によく検討することが必要です。
西洋式レイキとして再び日本へ
最初に日本に輸入されたレイキは、ラディアンス・テクニークでした。
バーバラ・ウィーバー・レイ女史が、ラディアンスの前身であるアメリカン・インターナショナル・レイキアソシエーションを設立した一九八二年に『ザ・レイキ・ファクター』というタイトルで、世界最初のレイキ解説書を発行しました。
五年後の一九八七年に、ニューヨーク在住の三井三重子さんというラディアンスのティーチャーが、これを日本語に翻訳して『レイキ療法』として自費出版し、精神世界系の雑誌に繰り返し登場するようになりました。
当時は、日本にもニューエージの波が押し寄せて、スピリチュアルなものがブームになり、進化した星からのメッセージを伝えるチャネラーが活躍し、ヨガや気功も普及しつつあった時期で、日本生まれで西洋育ちの上、訓練不要で効果絶大と謳うレイキ療法は大きな反響を呼びました。
彼女が教えたのは、レベル 1(ファースト)の手当て療法と、レベル 2(セカンド)の遠隔療法だけで、かなり高額なセミナー料金にもかかわらず、受講できるまでに数ヵ月待ちという盛況ぶりでした。
彼女は日本人が忘れていたレイキの名を再認識させ、レイキ実践者を増やすことに貢献しましたが、指導者を養成する資格をもたないため、彼女のほかに日本人マスターは存在せず、幸福への道を伝えることはできませんでした。
彼女の成功を見て、いくつかのセミナー会社が西洋のレイキ指導者を招いてセミナーを行いましたが、ラディアンスとは異なる系統のレイキ療法を伝えただけで、いずれもセミナーが終わると帰国してしまい、ヒーリングの実践や、継続したフォローを行わず、この状況は数年間続きました。
一九九三年(平成五年)一月にドイツ人のフランク・アジャバ・ペッター氏が、当時のチェトナ・小林真美夫人とともに札幌へ移住し、西洋式レイキ(フリーライン)の「入門から指導者養成まで」の全システムを持ち込み、ここにはじめて日本人の西洋式レイキ指導者(マスター、ティーチャー、師範など)が誕生することになりました。
伝統霊気と西洋式レイキの違い
伝統霊気も西洋式レイキも、ルーツは臼井先生ですが、どのような違いがあるのでしょうか。『レイキのエッセンス』では『伝統霊気と西洋式レイキの違い』として次のように解説しています。
《このように臼井霊気療法は、日本からハワイに渡り、アメリカから世界各地に伝わるうちに、少しずつ変化して行きました。日本にも一九八〇年代の後半から、さまざまな考え方やテクニックを持つ西洋式レイキが伝えられました。
伝統霊気療法も、西洋式レイキも、それぞれ優れた特徴をもっています。
伝統霊気は、まず「病気の原因であるマイナス波動を見つけ、消滅させる」、次に「マイナス波動と共振しないよう、意識を高めていく」、さらに「宇宙の波動と響き合い、安らかで豊かな人生」をめざします。
西洋式レイキには、「現代医学を補う有効な療法として、積極的に医療と関わって行こう」という姿勢があり、心と体の治療に大きな成果を上げています。
日本では、複数のレイキのネットワークが NPO法人として認証され、医療機関とのタイアップも徐々に進んでいますが、全面的な認知には、まだまだ時間が必要です》 臼井先生のシステムを継承する伝統霊気療法と比較して、西洋式レイキは明らかに異なった発展を遂げています。
自由に設計されたフリーラインと比較することは無意味ですが、高田先生の教えを基礎にしている二大団体も、伝統霊気と異質なものを随所にもっています。
伝統霊気のヒーリングは「病腺を見つける」ところから始まります。心身に不調があれば、病源(原因箇所)にマイナス波動が発生しています。
自覚症状がない未病の段階でも、原因があれば必ずマイナス波動が存在し、これを病腺といいます。手のひらで病腺をとらえたとき、感じられるのがヒビキです。
原因箇所から響いてくる感覚(ヒビキ)をキャッチしたら、それを感じ続けながら手を当てていると、ヒビキが消えます。これを「ヒビキが抜ける」といい、抜ければヒーリング完了です。
大正十一年以来、多くのレイキヒーラーがこのやり方で病気を癒してきました。
極めてシンプルで効果絶大ですが、問題は「ヒビキを感じられないと、手を当てる位置がわからない」という点です。これに対して西洋式レイキは病腺を探さず、「ヒビキがわからなくても、レイキの回路が開かれれば、その日からヒーリングができる」技法です。
やり方は、第一章で紹介した「基本 12ポジション」を活用して、「どのような病気や症状にも、決められたポジションに、決められた時間、決められた順序で手を当てる」という簡便さですが、効果が弱いということはありません。
このやり方を続けているうち、自然に手の感覚が鋭敏になり、ヒビキがわかるようになります。その段階で、ヒビキ中心のヒーリングをするか、基本 12ポジションを活用し続けるかを選択すればよいのです。
何といっても西洋式レイキの強みは、レイキの効果に関する医学的検証が積み重ねられ、現代医療の現場で活用されているという実績です。
一定条件のもとに健康保険が適用される国があるということも、伝統霊気では考えられない事実です。一方、臼井霊気療法が創始されたのは、「多くの人に安心立命の境地を伝えよう」という理念からでした。
伝統霊気からこの理念が消滅しない限り、私たちの精神性向上に役立つ生涯学習のシステムとして、今後も生き続けていくことでしょう。
レイキにまつわる誤伝
ひと口に誤伝といっても、「誤解して伝えたもの」「真実でないと知りながら伝えたもの」の二種類があります。
誤解であれば、真実が判明した時点で修正すれば簡単ですが、伝えた人が権威者であったり、信じている門下生たちが修正を拒んだりすれば、意外に面倒です。
誤解でない場合は、「真実が不明な点を想像で補ったもの」「何らかの意図をもってつくり上げたもの」などがあります。
私は想像で補った創作を神話と呼んでおり、「不明な間は夢のある神話で飾り、真実が判明したときに修正すればよい」といっていますが、十年間にわたる海外での講演活動から、刷り込みを修正することの困難さを実感しています。
特に「何らかの意図をもってつくり上げたもの」の修正は、容易ではありません。
西洋式レイキにも、このようなものが数多く存在しますが、そこには「戦争で悪化した対日感情の中でレイキ療法を普及するため」と、「正統な継承権を主張したい」という意図が読み取れます。
誤伝をあげると膨大なものになりますので、ここではよく知られている十項目だけを取り上げ、簡単な解説にとどめます。
●レイキの起源は古代チベット →不思議なエネルギーの存在は各地で知られていた
●臼井先生は十九世紀に活躍した →十九世紀に生まれたが、二十世紀前半の四年間活動
●京都の大学教授だった →職を多数経験したが教職関係はなく、博士でもなかった
●キリスト教の聖職者だった →宗教の布教経験はあるが、キリスト教ではなかった
●癒しを長年研究した →研究したことはなく、断食中偶然与えられた力だと明言
●断食中にシンボルを見た →シンボルは途中から導入されたもので、完全な神話
●シンボルはサンスクリットから発見した →二千五百年前の文献からという神話
●京都で七年間治療した →安心立命到達の翌月上京、四年後に死去で物理的に無理
●体だけの癒しを反省し五戒を定めた →教義五戒を定めてから学会を設立した
●林先生が臼井先生の二代目を継いだ →林先生は独立して学会を離れた
レイキにまつわる珍説
珍説と誤伝とは紙一重ですが、珍説をもとに多くの生徒を集めている海外のレイキスクールもあり、珍説といって笑っていられないのが実情です。
●臼井先生から神秘伝を受け、学会師範であった女性(百歳を越えた奈良の尼僧)から習ったという系統があり、欧米で多くの信奉者があります。
同じ主張をしている二つのグループは相手を認めておらず、それぞれ「まり子おばあさん」「テンオンイン」と呼んでいます。
日本では、百歳を越えている奈良の尼僧をチェックするのは簡単なので、調べてみましたが、そのような尼さんは存在しません。
メールのやり取りをしているうちに、尼僧は亡くなったといわれてしまいました。
●ある系統の主宰マスターが、「日本に臼井神社があり、天皇も参拝している」と主張しています。
私たちも参拝したいので場所を知りたいというと「 M先生が案内してくれたが、東京駅から目隠しをしてタクシーに乗せられたので、正確な場所はわからない」といいます。この程度の主張でも、かなり多くの生徒を集めています。
●同じマスターが、「臼井先生は、柔道の嘉納治五郎と親友で、レイキ療法の資格制度も、柔道と同じ段級制度を取り入れている」と主張し、自分を八段としています。
●「旧海軍で、レイキを使って、敵の飛行機を撃墜していた」というナンセンスな主張が、あるレイキの本に載っていました。
愛と調和のレイキ活用法でなく、まるで陰陽道の世界です。その本には、日本から軍事色を一掃しようとした GHQ(連合国最高司令官総司令部)が、旧海軍と関係の深い霊気療法を封印した可能性もあると書いてありましたが、これは事実無根の話です。
学会には何の圧力もなく、戦犯指定の可能性を感じて会長職から身を引いていた和波海軍中将も、何の問題もなく会長職に復帰しています。
●臼井先生が「安心立命の境地を求めて、禅の道に入った」と伝えられていますが、外国ではこれを「臼井先生は禅僧になった」と解釈して、伝えているところがあります。臼井先生は浄土宗ですが、日本では昔から宗派に関係なく、禅寺で修行することはよくあったことです。
しかし、臼井先生の修行が完成したあと、虫歯の娘に手を当てて治したとき「あなたは普通の坊さんではありませんね」と言われたといいます。
●「日本留学中に、臼井霊気療法学会から師範を与えられた」「小山会長から励まされた」という触れ込みで、伝統霊気療法と称するものを広めはじめた人がいました。それに飛びついた人たちもいましたが、いつの間にか姿を消してしまいました。
●日本のホームページで発見したものですが、次のような面白い主張をしていました。
「イギリスから帰国した海軍士官が、生活に困っていた臼井氏に『これで食えるだろう』と手当て療法を教えました。
臼井氏は習った手当て療法に、いろいろ味つけをして臼井霊気療法をつくり上げました」
●これも日本のホームページですが、「臼井先生は、古神道系の霊学者である松本道別氏の思想、技術を元に、乗鞍岳で二十一日間の断食修行を行い、レイキを編み出しました。
乗鞍岳での修行の後、臼井氏は患部に手を触れるだけで治してしまう能力を持つことになります」と記載しています。
桃太郎の話や、浦島太郎の話は各地にあると聞きますが、臼井先生の修行の地が鞍馬山でなく乗鞍岳というのは、珍説の最たるものといえるでしょう。
一般的なレイキの特徴
レイキ関係の書籍やホームページなどをみると、「レイキの特徴」が列挙されています。中には大同小異の表現もありますが、おおむね次の五項目に集約できます。
- 1 修行不要で、能力は一生有効
- 2 使い方は簡単で、悪影響なし
- 3 効果絶大で、活用法は無限
- 4 エネルギーの高度活用が可能
- 5 自己向上、自己実現に有効
これらは、薬でいえば効能書きに当たると思われますが、誤解を招きやすい表現も含まれており、効果を知るとともに、使用上の注意点も理解する必要があります。
1 修行不要で、能力は一生有効
これは「レイキはアチューンメントからスタートする」「得られた能力は一生失われない」というもので、次のような説明が含まれています。
●アチューンメントを受ければ、その日から誰でもヒーリングができる
●使わなくても永久にパワーが消えない、極端に能力が落ちない
●トレーニングや修行・訓練など一切不要「誰でも、その日からヒーリングができる」というのは、レイキ法の特徴です。
アチューンメント(波長合わせ)によって、レイキを受信して自他へのヒーリングができるように設定します。これは専門家であるマスターの仕事ですが、レイキを有効に活用するのはアチューンメントを受けた人自身です。
たとえば、パソコンの設定は専門家がしてくれますが、それを使いこなせるようになるには、自分なりのトレーニングが必要になるのと同じです。
2 使い方は簡単で、悪影響なし これは「レイキ法は、簡単で安全なヒーリングである」ことを説明しています。
●ヒーリング中に、意識集中や努力は不要
●気を入れたり、抜いたりする必要がない(自動調整)
●邪気を送ったり、受けたりしない
●いくらヒーリングをしても、疲れない レイキヒーリングは、レイキと響き合い、レイキにすべてを任せて行うもので、念(意識)を使ったり、イメージを使ったりしません。
このルールを守るかぎり、ヒーリングはシンプルで安全です。
このシンプルさにあき足らず、自分の判断でエネルギーを強めたり、気を入れたり抜いたりし始めると、レイキの流れが止まり、自分のエネルギーによるヒーリングが始まります。
以後は、すべてのコントロールを自分で行わなければなりません。
こうなると「必要なときに必要なことが起こる」「両者が同時に癒される」という、レイキヒーリングから離れることになります。
3 効果絶大で、活用法は無限 これは「レイキは無尽蔵であり、無条件で活用できる」ことを説明しています。
●流せば流すほど、エネルギーにあふれてくる
●信じなくても、必要なエネルギーが流れる
●効果例、実践例が豊富である
レイキの回路は、ヒーリングの実践によってどんどんクリアになっていき、これを「レイキのパイプを育てる」といいます。
個人のエネルギーと違い、レイキは無限に存在するので、使っても不足することはなく、大宇宙からの愛のエネルギーなので、信じない者には与えないということもありません。
しかし、人は選択の自由を持っており、拒否する人に送っても受け取りません。ヒーリングは、希望しない人にはしないのが原則です。
効果例、実践例が豊富というのは確かですが、当事者にとって真実であっても、客観的な検証が不十分な事例が多数です。今後具体的な効果例や実践例について、科学的な検証を積み重ねる必要があるでしょう。
4 エネルギーの高度活用が可能
これは「レイキは遠隔ヒーリングもでき、他の技法との併用効果も期待できる」ことを説明しています。
●シンボル活用で時空を超えたヒーリングができる
●他の技法(気功・瞑想・ヒーリングなど)と併用できる
レイキには、シンボルという初心者用の有効なツールがあり、エネルギー強化や、時空を超えたヒーリングが簡単にできるようになります。シンボルは効果的ですが、成長にともなって不要になってきます。
またレイキは、医薬の効果を高め、他の技法との併用で相乗効果を高めます。ただし、意識を使ってコントロールする技法とは併用できません。
意識を使い始めると、即効性や目に見える効果を追い求めるようになり、レイキにすべてを任せるという方向性を見失うことになります。
5 自己向上、自己実現に有効 これは「レイキの究極の活用法」について説明しています。
●カルマ(業)やトラウマを消滅させる
●その人の、素晴らしい本質を開花させる
●願望達成や、能力開発に役立つ
●人生の質を向上させる
レイキの真の活用法は、日常生活を通じてレイキと響き合い、人としての真の幸福である「安らかで、豊かで、喜びに満ちた人生」を完成させることで、これが安心立命(心の平安)の境地と呼ばれるものです。
レイキと縁を得た方たちは、効果的なヒーリングの実践とともに、真の幸福をめざして自己研鑽を深めていただきたいと思います。
コメント