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第二章苦情社会がやって来た!

格差意識が苦情を生む?/新人とプロ/デリケートな対応が必要/誰の立場に立つのか/苦情処理のゴールとは/落としどころが見つからない/一般社会の苦情/「知識」の必要性/教師と医師をめぐる変化

目次

第二章苦情社会がやって来た!

◎格差意識が苦情を生む?ある懇親会での出来事です。ひとりの法学系の教授が、こんなことを言いました。「苦情の背景には少なからず、苦情申し立て者の経済的事由が存在する。そのため、そのような要因が除去されれば、苦情は減少するであろう」私は、この説には多少の留保を持ちたいと思います。しかし、経済的な要因は苦情を言う人を生み出し、クレーマーを生み出す要因になっているのだという考えには一理あると思うのです。急速に進むいわゆる「格差社会」が苦情増大を後押ししている、という見方には、一定の真実が隠されているはずです。たとえば三〇歳の社会人の年収は、二〇〇万~一〇〇〇万円までの開きがあるとされています。高学歴のフリーター、ニートが存在する今、卒業後数年で、同級生だった人との間に五倍以上の差があるのが「当たり前」となると、低い年収層のなかには、こうした格差を心理的ストレスと感じる人もいるでしょう。そのような人が、百貨店で買い物をしたとします。百貨店は顧客のために冷暖房管理、空調の行き届いた環境となっています。多くの場合、職場環境の快適さと収入には相関があると考えられているようで、「オレより良い条件で仕事をしているな」と思いながら、買い物をしてしまっている可能性があるのです。もちろん、それだけでは「苦情」には発展しないでしょう。年収が低く格差による差別意識を持った人が、「良い条件で仕事をしている人たち」になんらかのコンプレックスを感じているとしたら……。品物を決め、若い販売員が愛想よく接客をしてくれれば、気分も爽快になるのでしょうが、なんとなく見下したような接客をされた、「タメ語」と聞こえるような言葉使いをされたと感じたとたん、「こいつオレよりも若いのに(きっと年収もオレの倍はもらっているだろう)、むかつく」というような感情を抱くことがあり得ます。私が百貨店での苦情対応の第一線にいたころ、「困ったお客様」の多くは、むしろ高額所得者で、ゴールドカードをちらつかせるようなタイプでした。ですから、実感としては、教授の考えに同意しかねましたが、苦情を申し立てる人の階層もその内容も時代とともに変化しますから、このような、「嫉妬を背景とした苦情申し立て」は、最近、ケースとして多くなってきているのかもしれません。では、社会に対して「格差意識」を持ってしまう年収のラインは、どの程度でしょうか。もちろん、意識の問題ですから個人差が大きいでしょうが、くだんの教授によれば、一般的に若年層の単身所帯で年収四〇〇万円を超えると、精神的にゆとりができて穏やかになり、ほとんどトラブルにならないとのことです。

これを聞いたときは、なるほどと感じました。「金持ち喧嘩せず」ということわざが今でも生きているのでしょうか。しかし、現代は、「苦情社会」と言っていいほど、苦情やクレームが多くなってきています。誰もが苦情を言い、言われる人になる、また誰もがクレーマーになり、その被害者になる、そうした可能性が高まっていることは否めないと実感しています。◎新人とプロ百貨店や大型の商業施設は、苦情の宝庫と言われ続けています。過去においては、苦情を「面倒なもの」として避ける傾向がありましたが、しかし今では、苦情がもたらす内容の重要性に気づき、客からの営業提案の一環として捉えています。その現象はバブルの崩壊以降、とくに強くなりました。しかし、それを理解しているのは意外にもむしろ企業の幹部のほうで、現場にはあまり浸透していないように感じます。百貨店の「お客様相談室」に来る新人も、「苦情それ自体の重要性」の理解は簡単にはできないようです。だいたい「お客様相談室」は、企業の社員アンケートでは、常に行きたくない職場のトップです。しかし、私は、これほど面白い職業もないと思います。人が怒り文句を言うさまは、なかなかまともに見ることができないわけで、その対応のために、その場で立ち会うのであるから、リアリティーがあり、言葉はおかしいですが「楽しい」とすら感じられます。とはいえ、苦情に慣れていない人は大変でしょう。人が人を怒鳴るのに、喧嘩なら対等ですが、企業と客、医師と患者、教師と保護者では雲泥の差があります。慣れない者は、顔じゅう強ばって目は瞬きをやめ、全身が堅くなってしまいます。相手が、人差し指で軽くおでこなど突こうものなら、直立のまま倒れそうです。これが、新人が苦情を受けるときの「スタイル」です。ならばプロはどう受けるのか。相手が興奮してこちらにつばが掛かるほど怒鳴っていても、自然体で受けます。その程度は慣れればできるようになるのです。このような対応にあえば、苦情を言っている人も、逆に少し救われる。受ける側が素人で、直立不動、目が凝視の状態で対応されては、言う側も興奮を鎮める機会を失ってしまうからです。◎デリケートな対応が必要苦情や文句を喜ぶ人はいないでしょう。「クレーマー」という言葉もあり、企業からひどく毛嫌いされています。しかし、クレーマーはもちろん、一般の苦情に対しても、きわめてデリケートな対応が求められます。一歩誤ると、会社などの根幹を揺るがしかねないほどのリスクに直結する

からです。お客様から指摘された欠陥を隠蔽し、企業の信頼性を著しく失落させた例が、ここ数年の間に度々発生しています。「苦情は宝の山」とよく言われます。お客様から寄せられる苦情・クレームの中には、業務改善のきっかけや新製品開発のヒントになることがあるという意味です。確かにこれは事実であり、理想でしょう。だが、苦情を受ける現場では、理想どおりにはいかない。西武百貨店だからか、西武ライオンズが負けると、お客様相談室に、「いったいどうなっているんだ!」と当たり散らすお客様もいました。このレベルになると、場数を踏まないと慣れることは難しいようです。◎誰の立場に立つのか「お客様の立場で考える」または「顧客目線で対応する」というのも、よく言われることです。顧客対応の最前線に立つ販売員は、耳にタコができるほど聞かされているでしょう。顧客の立場になり、顧客のメリットをいかに追求するか、顧客自身の利益をどのように確保するかが、求められています。でも、「お客様の立場に立つ」ことは、実際には簡単なことではありません。「お客様相談室」に配属されると、どうしても店舗の利益を最優先に考えてしまうものでした。自分の言葉や態度が、店のリスクにつながらないように、最善の対処をしようとします。もちろん、この態度は賢明ではありますが、限界もあるのです。問題を解決できず、かえって大事にしてしまう危険性もあります。それでは、本当の解決には至りません。苦情を言う人やクレーマーを撃退して、「それで一安心」で終わってはいけないのです。私は、一年経って、ようやく店側でも顧客側でもない、中立の立場になれたと自覚できました。当初は当然、店側でしたが、これではいけないと、お客様の立場も考慮した中間に位置するようになったわけです。こうなると、冷静に苦情やクレームを処理できるようになりました。なぜ苦情を言い、クレームを言ってくるのか、その背景まで配慮することができるようになったからです。だが、これでもまだ不完全でした。二年もすると、かなり顧客側に立てるようになりました。「困っているのは、一刻も早く問題を解決したいお客様なのだ。お客様の苦痛を早くやわらげるには、お客様の立場になることだ」と悟りました。店側、または中立に位置していたころは、いただいた苦情を電話で処理できず、顧客へ粗品を持って駆けつけることが多かったと記憶しています。しかし三年も経つと、ほぼ顧客側の立場になりました。そうすると、不思議なことに八割は電話だけで解決できるようになったのです。残りの二割も、店内で調査して後日連絡

する、で解決できることがほとんどになりました。店側に立って苦情やクレームを処理するほうが、よほど時間がかかり、非効率的なのです。◎苦情処理のゴールとは苦情処理に欠かせないのが、「何をもって苦情処理のゴールとするか」という認識でしょう。ゴールは企業ごとに異なるし、場合によっては部門ごとにも異なることもあります。いずれにせよ、ゴールを確実に決め、これを目指して取り組むことが大切でしょう。百貨店の場合は、「お客様を離さないこと」だと私は考えています。苦情を解決するだけではいけないし、お客様の満足感を向上させるだけでもいけない。再び来店いただいて、初めて成功となるわけです。たとえばバッグが壊れたとします。なにしろ大枚はたいて買ったばかりのバッグです。買った顧客は、お店に怒鳴り込んでくるかもしれない。店側では、丁重に対応し、バッグを修理する、または交換する。これで、バッグは元に戻ったが、顧客の心の痛手は治っていない。これを処置しなければ、その顧客を失ってしまいます。顧客がこれから購入するであろう数百万さらには数千万の売り上げを、他店に取られてしまうかもしれません。そこで、誠意と真心を込めて対応し、心のしこりを取り除き、満足してもらいます。これでも、ゴールではありません。店員を怒鳴ったりしたものだから、また来るのが恥ずかしいのです。その恥ずかしさをも取り除き、再度来店していただいた時点で、ゴールとなるのです。「とはいえ、来店したそのお客様を見つけても、喜び勇んでお迎えしたら、やはり気恥ずかしさが先に立ってしまいます。必ず声をかけられますから、それを待って、前回のお礼も述べるのです」そのように私は説いている。これほど接客は、奥が深いのです。◎落としどころが見つからない本来、苦情には簡単に解決できる他愛のない事柄から、解決の糸口がなく、クレーマーの疑い濃厚というケースまでたくさんあります。大阪大学の「学校保護者関係研究会」という会の合宿で、講演をする機会がありました。その会は、阪大を中心とした各大学のさまざまな領域の教職員を中心に、精神科の医師や弁護士、市の教育委員会参事、高校の教師、それに阪大の研修生一〇名ほどで構成されており、初等・中等教育に属する学校に寄せられる苦情への対応を検討することを、目的としています。そこで紹介された保護者からの苦情例を挙げてみましょう。(小野田正利『悲鳴をあげ

る学校』より)「窓ガラスを割ったのは、そこに石が落ちていたのが悪い」「けがをした自分の子どもを、なぜ、あんなやぶ医者に連れて行ったのか」「学校へ苦情を言いに来たが、会社を休んで来たのだから休業補償を出せ」「運動会はうるさいからやめろ」「野良犬が増えたのは、給食があるからだ」「今年、学校の土手の桜が美しくないのは、最近の教育のせいだ」この申し入れを見たとき、多くの人は首を傾げるでしょう。しかし、いずれも実際に学校に寄せられたクレーム、苦情なのです。もちろん、これらのレベルでは、「クレームを情報資源にしよう」などと考えられるものではありません。また、ある県の公立学校では、近在の住人から「風で校庭の土ぼこりが舞うから何とかしろ」と言われ、スプリンクラーを取り付けたそうです。そして、その後統合された新学校にも、最初から取り付けたとのことです。これらは、サービス業の現場で起こっている苦情とは少し違います。保護者と学校だけの関係とも言い切れない問題のようです。学校に寄せられる苦情の特徴を挙げれば、対象が広範囲であり、焦点を絞り込むことが難しいものもあり、必ず返事をしたり、しかるべき対応をとったりする必要があるのかどうかも疑問だと思います。学校の苦情の難しさは、単に学校の先生方が苦情対応に慣れていないというだけでなく、「プロの苦情対応者でも判断に困るような内容である」というところにあるようです。落としどころが見つからないという側面に注目すれば、ある意味において「クレーマー対応」に近いものが延々と続くものとも考えられます。こんな「苦情」に付き合っていたのでは、教師や学校関係者の神経がどうかなってしまうのも、仕方ないようにも感じます。◎一般社会の苦情百貨店の苦情は第一章でも紹介したとおり、百花繚乱です。一般企業は百貨店ほどないでしょうが、当然苦情は来るでしょう。企業の苦情の世界はこのようなものですが、結局は形こそ違っても、売る側と買う側の双方の妥協点を見つけ平穏な形を持ち続けるわけです。ここで、一般世間に目を向けてみると、土地の境界の問題や、隣に出た木の枝や騒音に対し、相手に被害等を申し出るのには、なかなか度胸がいるものです。そこには世間という目が存在し、あまり些細なことを言うと逆襲されることもあり、地域社会に住みにくくなるからです。苦情を言ったことで、「あの人はクレーマーだ」と噂されるのは、気持ちのよいものではありません。そこで、近所同士、ややこしい問題が生じたさいは、相手に言わないで周りの人に愚痴

をこぼすことで相手の耳に入れる、という姑息な手段が正攻法のように生きてきます。会社の人間関係でも、このような手法が使われることは、少なくないようです。苦情社会の到来は、苦情の受けとめ方が苦手な業種に属している人たちにとってみれば、戸惑うことが多くなることを意味します。前述した教師と、そのほかには医師や歯科医師が、こうした人たちの代表だといえるでしょう。教師たちのいる学校は、最近、何かと新聞のネタになっています。学校の「いじめ」と「給食費の未払い」は、数多くいる専門家にお任せするとして、私の場合は、保護者が教師へ言う文句で対応に苦慮しているという問題を取り上げます。先ほど紹介した学校での苦情の例のうち、三つを取り上げてみましょう。保護者の台詞はこうなっています。●学校のガラスを割ったのは、校庭に石が落ちていたからだ。●うちの子が学校でけがをしたさい、なんであんなやぶ医者に連れて行ったのか。●学校へ苦情を言いに行ったのは、会社を休んで行ったので賃金を補償しろ。これと同じ事態が、三〇年前でしたら、こんな言い方だったと思われます。「貴重な財産である学校のガラスを、子どもの手元が狂い割ってしまいました。申しわけありません、お代金の請求をしてください」「けがの手当てが早かったおかげで、大きな傷は残らないそうです。担任の先生にもよろしくお伝えください」三つ目は言い換えることができませんし、当時はこんな申し出はなかったでしょう。それにしても大きく変わったものです。◎「知識」の必要性さてもう一方の医師の世界に目を転じると、そこにも形こそ違え、苦情が横行し始めてきたようです。私が担当しているのは、主に歯科ですから、そこの例で申し上げます。歯科医院への苦情は、こんな形のものが実例としてあります。「担当医が手袋を変えないで、私の口腔内を治療した。感染症の恐れがあるので検査費用三万円の要求をしたい」「作っていただいたデンチャー(総入歯)が合わないので全額返金しろ」「他の医院で確認してもらったら、このやり方はひどいと言われた。責任をどうとるのか」現代の歯科医師への苦情を見ると、入れ歯が少しでも合わなければ「作り直せ」とか、「合うように直せ」と絡まれる事例が多くなってきました。もちろん、入れ歯は違和感があるのが普通です。なぜなら元の歯は自生していたから、

神経を通じて異物と感じないでいました。その手入れが悪いか、体質などの原因によって喪失した歯の代理をしてもらっているのです。そう簡単には合わないのは、当然でしょう。しかし、そのように常識的に考えてくれない人たちが、増えてきていることは、心しておかねばなりません。並行して、医師に対しても、クレーマーらしき人間が増えだしました。電話攻勢をする。来院して怒鳴りちらす。約束も取り付けないまま、夜間電話や訪問を繰り返す。治療中にもかかわらず、呼び出す。まさに好き勝手です。医師もこういうクレーマーにぶつかると、思考回路が止まるようです。どうしていいのか、分からなくなる。学校の教師と同じです。その結果どうなるでしょうか。教師については、前に述べたとおりですが、歯科医師も同じように精神科の門を叩いています。その原因は、苦情への対応が未成熟、つまり、「苦情対応力欠如」の問題となるでしょう。対応力を付けるには経験に勝るものがないとするならば、その境遇になかった、教師と医師は、現代社会において、あるいは「気の毒な人」なのかもしれません。だが、苦情社会に慣れるまで今しばらく、本書第三章などを参考に、苦戦していただきたいと思います。解決の道はやはり、経験とともに、対応に必要な「知識」を知ることです。知らなければならない知識は幅広くあります。関係法令から始まり、個人情報保護法、消費者基本法、患者・保護者の心理、対応術、言葉づかい、そして、本書で随所に紹介されている「苦情対応の知識」です。これらが揃って、はじめてうまい対応ができることになるわけです。◎教師と医師をめぐる変化さらに付け足しておきましょう。繰り返しますが、苦情やクレームにさらされたとき、教師や医師には、うまく対応ができず、悩んでしまう人が多いようです。これまで「先生」と呼ばれ、尊敬を受けてきたわけですから、一転して苦情を言われる側に立たされると、どうしていいのかが分かりません。頭を下げる経験も少なかったでしょうから、お詫びの仕方からして、うまくないのです。組織的な大きな違いは、学校には校長も副校長もおり、相談もできるし会議も開けます。しかし、医院の多くは個人医院であり、相談窓口がほとんどなく、医師自身が対応責

任者であることでしょう。苦情クレーム対応アドバイザーとして、たまたまご縁があるこれらの世界、そこには共通した点があります。まずは、教師・医師ともに、申し入れに対し、あまりにも「まじめ」に取り組みすぎてしまう、ということです。次に、今までは教師・医師ともにいわば聖職で、立派な人が多かったのでしょうが、最近では、悪人も出現しているということです。教師であれば、平気で「いじめ」に加担したり、わいせつ行為で捕まったりしています。また医師であれば、不正な保険請求やカルテの改ざん等医療法規違反をする者があとを絶たなくなっています。そうしたことから、世間の信用を落とす結果になっているのです。クレームや苦情が平気で寄せられることになった背景には、これらを含めた「権威の失墜」があるのでしょう。「苦情」の講演や研究を続けていると、多くの人が苦情で病んでいるのが分かります。しかし、彼らは不勉強であることも事実で、苦情と苦情の対応というものをもっと学んでほしい、と痛感せざるを得ません。そして、苦情の対応では、相手の心理へ入り込まないと、解決に影を残すことにもなります。次章では、百貨店での苦情対応の技法について、取り上げてみました。これが教師・医師だけでなく、さまざまな職業に就く人にとって、道標になり、悩みを一日も早く取り去り、少しでも軽くなるようにと願ってまとめてみました。企業として、法人として、個人として、心から満足できるためには、「苦情」を挟んで対面した者同士が、屈託のない笑顔で会話ができるようになることです。どうか、表面だけでは解決できないこの世界をじっくり覗いてください。

 

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