自分自身の人生を生きよう
まず最初に、自分自身の人生を、主体性を持って生きるためのテクニックについて話そうと思う。そのためには、こういった例がわかりやすいと思う。
あなたがメンズショップへ出かけたとする。
そのとき、メンズショップの売り場の店員が「この品は今シーズン、非常に流行ってる商品なんですよ」などと勧めたとしても、それにのってはいけない。
他人の言葉に惑わされず、色、生地、スタイルなどが、本当に自分に合っていると思えるものを選ぶべきである。
もし、そいうことにあなたが疎いようなら、店員に「みんなが着ていないものがいい」とあえて言ったらいい。
そう言って売り場の店員が嫌な顔をしたら、何も買わずに店を出ればいい。とにかく自分の納得のいく、好きなものだけを買えばいいのだ。
次に、レストランに出かけたとしよう。ウェイターは、店主からある品目を勧めるように言われていることがよくある。
それは、その品が高い利益を上げるからとか、材料が余りすぎているからかもしれない(無論、本当にお勧めの品なのかもしれないが)。
いずれにしても、ウェイターがしつこく勧めるようなら、はっきり断り、自分が本当に食べたいと思うものだけを注文すべきなのだ。
最後に、あなたが、ある人が見せる特別な技術や才能にひどく感心したとしよう。そのときあなたは、同じような技術を身につけたくて、その人に「なりきろう」と考えるかもしれない。
しかし、仮にあなたが相当な時間と労力を費やして真似たところで、「なりきる」ことなどできはしない。人のパーソナリティというものはそれほど微妙なものである。
自分のパーソナリティを完全に破壊してまで他人になりきってみたところで、失うもののほうが多いはずである。
※一時期ある人になりきることが、よい結果をもたらすこともある。
成功者の言動や態度、意思決定の仕方を、意識的に真似する場合に、自分が真似しているということを自覚していれば、自分自身を見失わずにすむ。
しかし、ただ漠然と、余計なことまでも真似して、相手のパーソナリティそのものになろうとすることは間違っている。
私は若いころ、アーサー・ブリスベーンというジャーナリストの文体を真似ようと試みたことがある。
ブリスベーンは多才で、しかも有能な書き手だったため、非常にたくさんの読者を獲得していた。実際、彼のスタイルを真似てみると、我ながらいいものが書けた気がした。
しかし、私の友人はそれを見てあまりいい顔はしなかった。ブリスベーンのまねをしたら、自分のスタイルが作れなくなるぞ、と忠告してくれたのだ。そのお陰で私は、後に自分のスタイルを作ることができた。
私が書き手として成功できたのも、アーサー・ブリスベーンのコピーとしてではなく、ナポレオン・ヒルであり続けようとしたからであろう。
※物事の基礎を学ぶうえで、他人の真似をすることは、むしろ好ましいことである。問題は単なる物真似なのか、真似を通じて自分のスタイルを作っていくかである。単なる物真似は進歩の放棄でしかない。
他人の誘惑にのって、自分が自分であることを放棄してはいけない
あなたが何らかの事業に成功して、財をなしたとしよう。すると、そのとたんに多くの人間があなたのそばに寄ってくる。確かにそれは気分も悪くないだろう。
しかし、その時点で、多くの者が自分を見失ってしまうのである。
自分の中にある、優れた才能を上手に活かして世間の注目を浴びても、他人がちらつかせる甘い話をうっかり鵜呑みにすると、せっかくの才能を殺してしまうことを覚えておいてほしい。
自らの力で自分の富を築くのをやめて、大きな傘の下に入ることは確かに楽だが、それによってとてつもなく大切なものを失うことになるのだ。
こんなことがあった。ある大企業の豪華なオフィスにおさまっている重役がいた。
その会社は航空宇宙産業に不可欠な部品を作っており、黙っていても業績が落ち込む心配のない優良企業である。
彼は大して熱心に仕事をするわけでもないのに、何十万ドルもの収入を得ているのだ。
あなたの生活と比較してみればわかるとは思うが、このくらいの収入があればまずたいていのことには不自由しない。
実際彼は、ほとんど節約ということをすることなく、ありとあらゆるものを手に入れてきた。最高級の車、家、美しく知的な妻と、最高の教育を受けた子供たち。
しかし、彼が唯一買い戻すことができないでいるものがある。安定した生活と引き換えに彼が失ってしまったかけがえのないもの――。それは彼自身の可能性である。
若いころに犯したたった一つの過ちのために、現在彼は、五万ドルもする机の前で、毎日憂鬱な顔で座っていなくてはならないのだ。
かつて自分のものだった、あの小さな成長途上のベンチャー企業をなぜあのとき、大企業に買収させてしまったのか。あのころの自分は貧しかったかもしれないが、毎日が充実感に満ちあふれていた。
路頭に迷うリスクを冒して、必死になって開発した商品が大ヒットしたときのあのエキサイティングな快感、そして満足。それらは二度と戻ってはこない。飼い慣らされて、ぶくぶくと太ったペットのように、彼は一生後悔しながら生きていくことだろう。
昔の話なので多少、貨幣価値が違うが、当時の二万五〇〇〇ドルが今の七万五〇〇〇ドル相当だったころ、私の収入は、その二万五〇〇〇ドルにも満たなかった。
しかし、当時の私は自分の仕事に没頭していた。私は『ゴールデン・ルール(黄金律)』という雑誌を発行しようとがんばっていたのだ。苦しいが、それ以上に楽しく、やりがいのある仕事だった。
そのときアイビー・リーという広告業者が、私にとてもオイシイ話を持ってきてくれた。
リーは私に、彼のスタッフに加わって、ロックフェラー財団のためのゴーストライターになってほしいと申し出たのだ。
一瞬、私の心は動いた。何しろ年俸が二万五〇〇〇ドルで、契約期間が五年間もあるのだ。悪い話ではない。正直言って、当時の私は喉から手が出そうなほど、金がほしかった。
しかし、そのためには『ゴールデン・ルール』誌から手を引かなくてはならない。自分がこれまで、心血をそそいできた、自分の夢を捨ててしまってもいいのか?幸い、私は自分を取り戻すことができた。
「せっかくですが、お断りしなくてはなりません。ミスター・リー」必死の思いで自分を勇気づけて、電話でそう言った。
仮に年俸が一〇〇万ドルであっても、私の答えは同じだったろう。
実はその後、私は自分の意思で『ゴールデン・ルール』誌を手放したのだが、それならあのとき、アイビー・リーの申し出を受けていればよかったと思っただろうか。
決してそうではない。最終的に手放しはしたものの、『ゴールデン・ルール』誌では、私の名前と実績は、私のものとして残ったからである。
私はこれまで何をやるにせよ、自分の名前で好きなことができることを望んできた。
その結果、失敗したら全責任を負うことになるが、その代わり、成功と賞賛もすべて自分のものだ、と胸を張って言える権利を持っていたかったのである。
その姿勢は今でも変わらない。その当時、私は知人たちに、あのような破格の申し出を断ったのは間違いだったとしきりに言われた。
今からでも遅くないから、リーに連絡をとって、話を元に戻してもらえるよう頼んだらどうかなどと、勧められたものだ。
しかし私は、断ったことがたとえ間違いであったとしても「どんな不運にも、その中にはさらに大きな利益への種子が宿っている」という真理を忘れなかった。
もちろん、こうした教訓は、仕事やビジネスに限ったことではない。生き方全体において自分自身であらねば、肝心なときにそれを貫けるものではない。
だから、今すぐにでも、あなたが自分自身であるためにできるかぎりのことにとりかかってほしい。
メンズショップに入ったとき、あるいはレストランに入ったときに、静かに、そしてきっぱりと、自分自身になる決意を固めてほしいのだ。
他人と話をするときや個人的に関わるとき、また他人に影響を与えたりするときには、自分自身になりきることが、よりいっそう大切である。
なぜなら、他人との関係の中では、自分自身になることを特に忘れがちだからである。一〇人のうち九人までが白だといっても、あなたが本当に黒だと思うなら、黒だと言うべきである。
自分自身の判断を捨てて、納得できる理由もなく、他人に同調するのは無能な人間への第一歩だと思ってほしい。
他人に同調しているかぎり、結果が正解であろうと、間違いであろうと、そこから学ぶことは永久にできないからである。
あなたが完全に自分自身であり続ければ、いずれそのことが評価され、他人の権利を尊重することにもつながっていくはずだ。
それは恋愛や友人関係、遊びにおいても言えることである。このようにあなたが常に自分自身であれば、自然と心の中に自信が芽生えてくるはずである。
その自信は、常に自分で判断できるという心の平安へとつながってくるだろう。そしてその心の平安こそが、人生において大きな成功を勝ちとる際の基礎となるのである。
心の平安が保たれているか、チェックしてみよう
そこで私は、心の平安と関連するチェックリストを作成した。
このリストが完全に自分にあてはまるという人は滅多にいないだろうが、自分にあてはまるところを正直にチェックしていけば、さらにいろいろなことがわかってくるに違いない。
Aは10点、Bは7点、Cは0点とする。
1一貫して自分自身でいられる人間は、環境の善し悪しにかかわらず、落ち着きを保っていられるものだ。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
2常にどんなときでも、自分の感情をコントロールできる。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
3どんなことを引き受けても、完全に自信と責任を持ってそれを行うことができる。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
4不注意な行動には走らない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
5成功するにつれ、ますます自分の仕事時間と仕事の環境をうまくコントロールするようになると思う。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
6何についても、また誰のことも文句を言ったり、不平を言ったりしない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
7誰の悪口も言わない。誰のことも非難しない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
8心は開くが、必要なこと以外は、自分について喋らない。仮に喋っても自慢はしない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
9すべてのもの、すべての人に対して心を開いている。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
10何も、また誰のことも恐れない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
11確固とした目的を持って、物事を処理できる。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
12意見を述べるときは、事実関係を正確に把握している。そして、知らないことは恐れずに知らないと言う。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
13人種的、あるいは宗教的偏見を持たない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
14食べるものは適度にとどめ、そのほかのことも中庸を守る。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
15すべてのテーマの専門家であるというふりはしないが、すべてのテーマについて自分で考えてみる。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
16十分に信頼される市民である。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
17相手を敵にする理由を作らない(ただし成功したことをひがまれるのは仕方ない)。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
18自分を失うことなく、かつ、すべての人間と仲良くできる。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
20家族全員に好かれており、自分が帰宅する足音を聞きつけると、家族がわくわくするような人間である。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
21毎日、自分への恵みを感謝し、その恵みを受ける権利のある者にはすべて分け与える。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
22不当な目にあったり、不公平な扱いを受けたりしても、仕返しを考えない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
23他人と話すとき相手の欠点がいかに迷惑であろうと、その欠点には触れないようにする。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
24過去のことを学んで未来を予想する。歴史は繰り返すものであり、永遠の真実は決して変わるものではないと思う。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
25積極的な心構えを常に持っている。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
26人を責めるときは慎重に、人を許すときは素早く行う。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
27他人を傷つけるようなビジネスでは、利益を得ようなどとは考えない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
28借金に束縛されるような危険は冒さないように注意している。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
29有効に使えるだけの富を獲得したら、もうそれ以上はあくせく求めない。しかし、富が必要なときには、いつでももっと手に入れられることを確信している。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
30逆境や敗北を自分の財産としてとらえて、不必要にくよくよしない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
31仮に敗北を味わっても、世のすべての敗北は一時的なものであることを知っている。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
32人生に大きな目標を持ち、それを獲得するために忙しい。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
33自分の目的がかなわなかったとしても、その経験を後の利益に結び付けるようにする。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
34自分の望んだとおりの人生を送っており、今後もそうしていくつもりだ。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
35自分の考えがうまく的中して、成功を達成したら、自分の言葉ではなく、行動で他人に模範を示すつもりだ。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
36さまざまな種類の人間、すべての人種、すべての宗派の人によく好かれる。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
37自分自身の心を持ち、毎日を喜んで生きている。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
38不意の災害や仕事の不振があっても、心は動揺しない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
他人の全面的な心からの協力が得やすい。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
40敵とは公平に戦うが、自分には他人にない未知の力(潜在脳力)があるので、実際には負けるはずがない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
41物事の結果には、はっきりした原因がない場合があるということを知っているので、失望に対しても、常に十分な心構えを持っている。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらない
42常にベストを尽くしているので、状況が自分に対して不利になった場合にも、弁明する必要は感じない。
→あなたはこれにA□完全にあてはまるB□ほぼあてはまるC□あてはまらないさて、あなたはいくつあてはまっただろうか。
この質問で300点以上とった人は、自分の人生を生きており、自分の心がどこにあるかを知っていると判断していい。
また、恐れを感じたり、他人の目を気にすることなく、自分は「自分そのもの」であることがわかっている人である。このリストを見てみると、質問の内容がいかに広範囲にわたっているかおわかりだろう。
これらの項目別のテーマは、どれをとってみても、ちょっとした教訓話に発展させることができる。それは、これまで私がしてきた話の中にもいくつか含まれている。
さらに目次を見れば、「こころ」のあり方が、このリストにいかにたくさん関連しているかわかるはずだ。そもそも、私は人生の普遍的なあり方について語っているのだから、それは当然のことなのである。
私は私のために存在する
人は常に、人に助けられたり、人を助けたりして生きていかなくてはならない生き物である。しかし、本当に効果的な援助とは、相手に対して先生のように差し出がましく注意することではない。
その人の資質を見出し、成功のノウハウを教えてあげることである。相手に付き添って、成功への道のりをともに歩んであげることなどできやしない。
しかし、相手が自分の力で立ち上がり、進んでいくための力をつけるために、どうしたらいいかを教えてあげることはできる。
子供を殴ってその態度を変えようとしても、子供はそこから何も学ばない。私は子供のころ、教会へ行くのを嫌がって、父親にムチで打たれたことがある。
そのとき教会では、キリスト教の中でも非常に頑迷な宗派に属する五〜六人の信者が、ひどく熱心に地獄の悲惨さを説いている最中だった。
私はそういう押しつけがましい説教がたまらなく嫌だったのだ。そして、ある日曜日の朝(日曜は本来は教会に行くべきものとされていたが、私は行きたくなかった)、私は釣りに出かけた。
そこには、父にばれないように前もって釣り道具を用意しておいた。ところが、父はこっそり私のあとをつけていた。そのときの父の怒りようといったらなかった。彼は私の釣り竿を取り上げて折ってしまい、私をこっぴどくムチで打ちすえた。
もし、父の飼っている馬を私があのようにしてムチ打ったら、父はどんな気がするだろうか、とそのとき私は思ったものだ。もっともその前に、動物愛護協会が騒ぎ始めるだろうが。私は悲鳴をあげた。
その悲鳴を聞きつけて継母が助けに飛んできてくれた。彼女は身を挺して私を父からかばい、こう言った。
「この子をもう一度叩いたらどう?その代わり私はあなたを永久に捨てて出ていきますからね。あなたという人は、どうしてこの子の思いどおりの生き方をさせてあげないの!」
叩かれたことも覚えているが、それよりもこの継母の言葉のほうが、まるで輝かしい光のように幼い私の心の中に残った。
父は二度と私をムチ打つようなことはしなかった。私も叩かれるようなことをしなかったのだ。それでも私は、自分の生き方を貫いたつもりだ。もちろん、いろいろな部分で、子供としての妥協をしてはいたが。
このようにして私は「自分であること」への自由を獲得していった。私が望んでいたのは(他人のために存在するような自分ではなく)、自分自身そのものであることだ、とはっきり自覚していたからである。
継母の影響で、やがて父は立派な人間になった、ということもここでつけ加えておきたい。私はそういう意味で継母を尊敬してやまない。たった一人の美しい心の持ち主のお陰で、家族全員が幸せになれたのだから。
子供というのは、容赦なく叱られたり、「お前のためだ」などと諭されると、そのうち自尊心がダメになってしまうものなのだ。挙句にその子供が大人になると、他人に寄りかかるような人間になってしまうのである。
他人がその人自自身になりきることを妨害してはならない
あなたにもし、完璧主義的なところがあったとしても、他人に自分と同じように完璧であることを期待してはいけない。なぜなら、人はその不完全さに救われることもあるからである。
むしろ、その不完全さをバラエティだと思って楽しむくらいの寛容さが必要である。だから、あなたがプロの説教師でないなら、説教はしないことだ。
あなたが専門の牧師なら、しつこく容赦ない教え方はしないことだ。確かに教育は重要である。しかし、だからこそ教育は、技術と知識と経験の十分な人間のみが行うべきなのだ。
それ以外の人間が、狭い知識や経験の中から他人にとやかく意見したところで、つまらない衝突を生むだけである。ある人がこんなことを言った。
「もし天国というものがあったとしても、僕は死んでも天国にだけは行きたくないね」私はそれを聞いて「へぇっ?」と思い、その理由を聞いた。
「それはね、何でもかんでも完璧なところに住んだって、少しも面白くないからさ」その人はこともなげに答えた。
この人がアメリカでも著名な実業家であり、しかも心の平安をたっぷり維持しているというのは、決して偶然ではないと思う。
彼が誰かを教化したという話は聞いたこともない。きちんと自分自身である人間には、そんなことは必要ないのだ。
人は誰しも、長所と欠点を併せ持っているものである。欠点を改めることが、長所をも殺すことになる場合は多い。長所も欠点もないような人間とつき合って、いったい何が楽しいというのだ。
自分が自分の心を持ち続けつつ、他人にもその人自身の心を持たせるためのいちばん良い方法は、あなたが自分の考えの中のある部分を言わないでおくことである。
あなたは一生の間、自分自身の考えや信条を説明しつつ生きていく必要はない。むしろ、そうすることで不必要な衝突を引き起こすことのほうが多いはずだ。
これは例えば、宗教や政治など、論争の起こりやすい問題についてはそうである。誰も私の支持する政党については知らないはずである。
したがって、誰も私の見解について私を怒らせることも、腹を立てることもできないのだ。何人ものお節介な人間たちが私の心の中を覗いて、そこに何があるのか見ようとしたことがあった。かつて一度だけだったが、ある女性からこんな手紙をもらったことがある。
「あなたのどの著作にも、神様が出てこないのはなぜでしょうか」それに対して、私は次のような手紙を書いた。
「マダム、私が書いたときの精神で私の著作をお読みいただければ、どのページにも神様を見ることができるはずです。
ただし、そのためには、印刷された文字ではなく、行間をお読みください」
自分を失うことは、ほかのすべてを失うのと同じである。
人は自分自身でいるために自制心を働かせるものだ。誰も(肉体的な)行動をコントロールできないという人はいないだろう。
ところが多くの人は(肉体的な)行動はまず精神的な動機から始まるということに気づいていない。
ちっぽけで、おどおどした考えを持っている人は、いっさいの(肉体的な)行動の積み重ねである人生においても、やはりちっぽけで、おどおどした人のように振る舞うものだ。
繰り返して言うが、自制心のある人は、ほかの多くの人が持っていない力を持っている。とりわけその人たちは、状況をはっきりと見通す力に長けている。
また、状況を現実に即して正確に判断し、自分や周囲のために、目標を達成する力を持っているものだ。
この章の最初で書いた、42項目のリストをもう一度見てほしい。
22番は、自分自身の心(=主体性)を持っている人は誰に対しても仕返しを考えない、というものであった。
復讐とは、心の不安定さから生じる不満を、他人を害することで消化しようとする、まったく生産的でない行為だ。
心が平安な人なら、復讐などしたいとも思わないはずである。この点について、一つの実例を見てみよう。
エイブラハム・リンカーンが大統領に就任する五年前のころである。当時彼は、イリノイ州、スプリングフィールドで弁護士をしていた。
当時の大企業の一つが、あることで訴えられ、裁判所の命令でリンカーンはほかの二人の弁護士とともに、法廷で弁護に当たることになった。
二人の弁護士というのは、どちらも大都市からやってきた高名な弁護士で、リンカーンのような田舎者の弁護士をひどく軽んじていた。
リンカーンが苦労して作成した裁判資料を二人は読もうとしなかった。さらにひどいことに、彼らは裁判の場で、リンカーンと同じテーブルに着くことすら拒否したのである。
公の場で侮辱されたわけである。その仕打ちに、リンカーンはひどく傷ついたことであろう。
それから五年後、あの痩せた、いつも悲しげな顔をした弁護士あがりの男が大統領に選ばれた。当選後の彼の最初の仕事は、閣僚の人選であった。そしてそのとき、国防長官に一人の男が候補としてあがった。
エドワード・M・スタントンである。リンカーンはその名前を覚えていた。スプリングフィールドで彼にひどい仕打ちをした弁護士の一人だったのだ。
けれどもリンカーンは、そのことをおくびにも出さず、スタントンを国防長官に任命した。それが自分のためでもあり、人のためでもあるということを彼は悟っていたからである。
リンカーンが自分自身を完全にコントロールしきっていたことに疑いの余地はない。多くの人は、何か特別な経験をすることによって、セルフコントロールの大切さを知るものだ。
私の場合もそうだった。心の平安を学ぶまでに大変な苦労をさせられたものだ。次の話は、その好例である。私はかつて、ある古い建物の中にオフィスを持っていた。ある日、建物の管理人との間に誤解が生じることがあった。
それ以来、管理人は私に意地悪をするようになった。私が仕事で夜遅くまでオフィスにいると、彼は建物中の明かりを消してしまうのだ。そのため私は闇の中にとり残されることがよくあった。
そのころ、まだ私は、自分の怒りを抑えることを知らなかったため、私のストレスはどんどん溜まっていった。
ある日曜日のことである。私は、どうしても翌日までに届けなくてはならない書類を取りに、オフィスへ行った。だが、私が机に座ると同時に明かりを消されてしまったのである。
私は立ち上がると、前後の見境もなく、地下室へ駆け降りていった。そこでは、管理人が楽しげに口笛を吹きながら、ボイラーの番をしていた。
それを見て、抑えていた私の怒りが爆発した。私はボイラーの火よりも熱い文句を並べて相手をののしった。
私の言葉が出尽くしてしまうと、相手は背筋をピンと伸ばして、ニヤッと笑った。
「おや、今日はちいとばかりカッカしてなさるね」彼は冷静だった。逆に私は興奮しきっていた。
当時でも私は、高度な心理学を学び、成功哲学を提唱している人間であり、シェークスピアやエマースン、ソクラテス、聖書などにも精通している、いっぱしの文化人のつもりだった。
その私が見境もなく興奮しており、読み書きもろくにできそうもない管理人のほうが冷静でいる。その事実に私はハッとなった。私は自分の部屋に戻った。そしてそこで起きた出来事について考えた。
「私はひどいことを言ってしまった。あの男に謝らなくてはならない」という思いと、「いいや、謝るものか。先に意地悪をしてきたのはあの男のほうではないか」という思いが交錯した。
しかし、その心の葛藤にも、じき決着がついた。
私の心の中に平安を呼び戻す唯一の方法は、彼に仕返しをすることではなく、彼と仲直りをすることだとわかったからである。
再び地下室に行ってみると、管理人はすでに自分の部屋に引きこもっていた。私は彼の部屋のドアをそっと叩いた。彼は出てきて「何か用かね」と言った。それは静かな、やさしい声だった。私は、自分の失言をわびた。彼は笑っていた。人のよさそうな顔になっていた。
「この壁の向こうで、あなたの言葉を聞いた人間は誰もいませんよ。私も誰にも言いやしません。だから、お互いに忘れてしまいましょう」私たちは握手をした。
この出来事によって、私たちの間に摩擦はなくなり、管理人の意地悪も終わった。そのとき、私の心の中の何かが開いた気がした。私は二度と自制心を失うまいと決意した。
自分を見失うことがいかに恥かしいことか、そして怒りなどというものがいかに無益な感情か、悟ったのである。
いったんこのように決心すると、私の筆力は前にも増して強くなった。私の言葉がこれまで以上に人々に届くようになったのである。
この事件以降、友人も増えた。相手を尊重するというコミュニケーションの基本を理解したからであろう。
しかし、それ以来、まったく怒りを感じずにやってきたかといえば、そうでもない。私はかなり以前から、あるジャーナリストから強い批判を浴びていた。それは批判というよりは攻撃に近いものであった。
それでも四、五年の間は、私はその攻撃を無視することができた。
しかし、あるとき、あまりにもそれが目に余るようになってきたため、私はついに反撃を開始した。まずタイプライターで、何ページもの紙を、毒舌でぎっしりと埋め尽くした。
書けば書くほど怒りはつのってくるものだ。そして、最後の一行を書き終わって、一息ついたとき、私は一種不思議な気持ちに襲われた。
それは、私の評判を落とそうとしたジャーナリストに対する、同情と寛容の気持ちであった。そして結局、私はその手紙を投函しなかった。
いったい、何が起きたというのだろう?今だからわかることだが、そのとき私は自分の感情を、目に見える形に置き換えたことによって、怒りの感情から解き放たれ、冷静な自分を取り戻すことができたのである。
そして無意識のうちに、自分の精神分析を行い、潜在意識の中に黒くよどんでいたものを取り除くことができたのである。
この体験で、私は二つの有益なことに気づくことができた。いちばん大きな収穫は、怒りの感情は「書くことによって身体から出す」ことができるということだ。
これは誰にでもできる簡単な方法の割に効果は非常に顕著に現れる。あなたも一度試してみる価値はあるだろう。
また、日記をつける習慣を持つ人の中には、すでにこのことに気づいている人もいるかもしれない。
ちなみにこれ以外にも、同じような効果のある方法がある。長時間早足で歩いたり、激しい運動をすることで自制心を取り戻すこともある。
※長時間の速歩、あるいは激しい運動は、脳に麻薬物質、例えばベータ・エンドルフィン等のホルモン分泌を促すという研究結果が報告されている。
いわゆるランナーズ・ハイという現象はこれが原因である。
この種のホルモンは、人の心に高揚感や安息をもたらすことが多い。しかも麻薬とは異なり、短時間で分解されてしまうため、過度の中毒症状は起きない。
これと同様な心身状態は、(精神的な鍛錬を積んだ人にかぎられるが)瞑想によっても、もたらされることがある。
二番目の収穫は、怒りにまかせて書いたものを残しておいて、ある程度時間がたち、精神的に落ち着いた状態のときにもう一度読み直すと、さらによい結果が得られるということだ。
これもぜひ試してみてほしい。非常に客観的なところから自分自身を観察することができるはずだ。自分自身について知るための貴重な反省材料となることだろう。
私は幸いなことに、このような怒りの吐き出し方は、もう何年もしないですんでいる。
これはある程度、経験と学習を積んだ成果として、怒りの感情がわき起ころうとしたときに、すぐに冷静になって対処できるようになったからである。
そうなってくると、さほど無駄なエネルギーを奪われることもなく、トラブルに対処できるようになるものである。
自分の主人は自分だけである
当たり前のことではあるが、あなたは自分の親を選ぶことはできない。そして、死ぬ間際になって、もっと生きたいと思ったところで、どうすることもできはしない。
つまり、生まれることと死ぬこと、この二つはあなたの選択の外にある。しかし、生きている間は、あなたはあなたの人生をいかようにも、自分で選ぶことができる。
自分の人生の進路を決めるのは、ほかならぬあなた自身なのだ。
そして、そのことと、他人の人生に干渉すまいとすることとの間には、何らかの関連があることを覚えておいてほしい。
人が不幸になることの原因の多くは、他人の人生にばかり干渉して、自分の人生のための努力を怠ることである。自分のための努力を常に最優先することを忘れないでほしい。
人間以外の生物は、それぞれの種によって決まったパターンにセットされた本能によって、一生が決められてしまっている。
しかし、私たち人間は、そのパターンそのものを自分で選ぶことができるのだ。
※もちろん生来の性格というものは存在する。環境もあなたに大きな影響を及ぼすことだろう。しかし、それでもあなたは、自分自身が設定したパターンによって、それらの遺伝や環境の悪影響をはねのけることが可能なのだ。
心の平安は、農夫の心構えで得ることができる
農夫の心構えとは、畑を耕し、種を蒔き、作物の世話をして、その収穫を待つという辛抱強い姿勢のことである。これと同様に、願望の実現を一朝一夕にして得ようとすると必ず失敗する。
日々の努力の果てには、必ず収穫が待ち受けているという確信を持って待ち続けることが重要である。あなたが逆境に出遭ったら、それは貴重なレッスンだという見方をするといい。
私も若いころ何度となく逆境に出遭い、そこから逃げ出そうと必死にもがいたが、あまりうまくいったためしはない。
逆境に対しては、むしろどっしりと身構え、そこから得られる貴重な教訓を、余すことなく身につけるぞ、という気持ちを持つとよい。
いま、仮に私の身を逆境が襲ったとしても、「やあ君、今度はどんなレッスンを授けに来てくれたのか知らないけど、たとえそれが何であろうとも、僕はよく勉強するつもりだから、二度と来なくていいよ」と言うだろう。
「自分の生き方をする」ことを学んだあとでは、襲い来る逆境も、ますます小さくなっていき、ついには姿をみせなくなるものだ。
逆境というものは、あなたを確実に進歩させてくれる優秀な教師だと思ってほしい。
自分の人生を生きるためには、大掃除が必要になることもある
物事を効率的にするために、不要なものを捨てるということは、意外に重要なことである。自分自身を知り、自分が築きたい人生のイメージを得るにつれて、不要なものがはっきりしてくるものだ。
それは例えば人間についても言える。
あなたの貴重な時間をつぶし、あなたの努力を妨げ、あなたを管理しようとする人間との関係を、あなたは断ち切らなくてはならないときがくる。
無論、そういう人たちを敵にまわすことはないが、あなたがあなた自身になるために、切るべき人間は切るという勇気を持とう。
時間に関しても同じだ。毎日をどのように送るかは、人生の行方に大きな影響を及ぼす。自分がその日何をやるのか、はっきりした考えをもっていないと、不要なことに時間をとられることになる。
自分の人生を有益に、楽しく生きるために「不可欠なもの」のために、時間を割り当てる努力をしよう。
睡眠と休息は、一日八時間をあてれば十分だろう。仕事にも八時間が適当だ。しかし、人生の成功が進むにつれて、あなたの仕事時間は減らせるはずである。そうすると残りの八時間は特に重要である。
その時間は、あなたが「しなければならないこと」ではなく「したいこと」のために使える時間である。あなたは何をしたいのか、ここで考えてみてほしい。
例えば、次のようなリストを作ってみるといい。
書きもの家族と過ごす料理「ただ座って」雲や星を眺める繰り返すが、人生のために、この時間は特に重要である。
これはあなたの「自由時間」であり、純粋にしたいと思っていることに割り当てるべき時間である。
そのようにするには、勇気が必要かもしれない。なぜなら、あなたが周囲に対して、義務感を持ちすぎているかもしれないからだ。私が子供のころには、こんなナンセンスなことをよく言われたものだ。
「怠けている手には、悪魔が仕事を見つけてくれるぞ」
ちなみに、成功を勝ちとる初期においては、この時間の一部を仕事に役立つ教育を受けることにあてたり、出世のためのつき合いに使うことは仕方のないことである。
しかし、自分のための時間をまったくとらないで一日を過ごす、というやり方はよくない。なぜなら、あなたの中の本当に価値ある部分というのは、この時間に培われることが多いからだ。
にもかかわらず周囲の人間には、それが怠けていることと見分けがつきにくい。
会社においても、家庭においても、周囲との調和を保ちつつ、「自由時間」を確保するようにがんばってほしい。
そして、成功への道のりを進むにつれて、純粋な楽しみのための時間を増やしていくのが理想的だ。実際は仕事やそのほかの雑務に費やされてしまうことが多いものだが。
ところで余暇について、こんなエピソードがある。あるとき私の親友が家を訪ねてきた。私はそのとき、パンツ一枚で裏庭に寝っころがり、犬とボール遊びをしていた。それを見た友人は溜め息をついた。
「まったく何ということだ!まさか君はこんなところを大勢の人の目にさらしたくはないだろうね?」「いっこうに構わないよ」私は胸を張って答えた。
「私は今、自分が教えたとおりのことをやっているんだ、とみんなに知ってもらいたいくらいだよ。私はここにいて、この瞬間、私がやりたいことをしている。自分のやりたいことをしているときほど幸せなときがあるかい?」友人はけげんそうな顔をした。
私は彼に屁理屈を言ったわけではない。彼は特に忙しい人間だった。彼は大きな証券会社の重役で、一日八時間を大幅に超える仕事をこなしていた。徹夜もしょっちゅうである。
そんなことでは、何百ドル持っていても、心の平安はとうてい維持できまい。もちろん健康にも害があるはずだ。そんな彼のためを思って言ったことだ。はたして翌日、彼は電話をかけてきた。
「この一時間、私が何をしていたと思うかね?」「さあ」「犬と遊んでいたんだよ。ひさしぶりに本当に楽しかった」と彼は明るく笑って言った。
そして、しばらく黙ったあと、「信じてくれよ。僕はこれから、遊ぶことを忘れずに生きていくよ」と言ったのである。
あるとき、私が補佐官をしていたウッドロー・ウィルスン大統領(第二八代米国大統領。一八五六〜一九二四)は、この考え方を書いたものを読んで、こう言ったものだ。
「あなたは、この世になかった考えを生み出してくれた」後日、私は友人を迎えたときと同じようにして、ウィルスン大統領を迎えたことがある。
やはりパンツ一枚で、犬と遊びながらであった。大統領は、わずか数分であったが、リラックスした時間を持つ喜びをともにしてくれた。あのとき大統領は、ひどく悩み疲れていたのだ。
あなたが自分自身を主人公と見て、そのイメージどおりに行動すれば、きっと「大いなる秘密」を見出すことができるだろう。
サクセス・エッセンス②
1人間を形成する基本的動機
富を得るための「基本的動機」をいかにして自分の中に持つか、ということである。「基本的動機」こそが成功への第一歩なのだ。
メンズショップやレストランなど、どこへ行っても「自分である」という心構えを持っているべきだ。仕事をしていく中では、他人の真似をするということについて、十分に注意しなくてはならない。
なぜなら、安易に他人の真似をしてしまうと、自分特有の「財をなすための才能」を押さえつけてしまいがちだからである。
2他人の誘惑にのって、自分が自分であることを放棄しないこと
あなたは自分自身の仕事ではなく、(高額の報酬と引き換えに)他人のビジネスのために働かされることに十分注意しなくてはならない。
それは、うまくいくかもしれないが、場合によっては、その金額で自分の心の平安と貴重な個性を売り渡すことになることがある。
42項目のリストをチェックすれば、自分がどの程度自分自身であるかがわかるはずである。まことに自分の心を持っている人間であるべきだ。ほかの誰にも征服されない自己を持ってもらいたい。
3どんな人間も、自分の人生を生きる必要がある
他人に干渉するのではなく、その資質を見出し、それを伸ばしてやることで、あなたは他人を助けることができる。
子供はできるかぎり自由にさせてやることが大切である。あなたがプロの説教師でないなら説教をするべきではないし、厳しく教えすぎてもいけない。
人の欠点は美点と同じように受け入れるべきだ。なぜなら、欠点でさえも、この世界に変化をもたらし、興味深いものにしてくれるからである。
4あなたの主人はあなたの心だけである
あなたの心はまず、自分が成し遂げようとするものについて考えなくてはならない。自分を素直に見つめることができれば、おのずと目標は見えてくるはずである。
人間以外の動物は、一定の本能に縛られて行動するものだが、あなたは、あなたの心が決めた方針にしか縛られることはない。
心の平安は辛抱強く探さなくてはならない。とりわけ「個人の楽しみに、毎日多くの時間を割く」ということを心がけてほしい。
コメント