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第二章意外性がある

誰も予想しない

旅客機が離陸するまでに客室乗務員は安全に関する機内放送を行わなければならないと米連邦航空局は定めている。

出口の場所や、「機内の気圧が急に下がった」場合の対処法、シートを水中で浮きとして使用する方法、トイレでタバコを吸ってはいけない(あるいは、煙探知機をいじってはいけない)理由などを説明する。

飛行中の安全に関する機内放送を取り巻く環境は厳しい。

乗客は誰も聞いていないし、当の客室乗務員も気にしていない。

これと比べれば、議会の長ったらしい演説の方がまだ面白いくらいだ。

あなたが安全に関する機内放送を頼まれたら、どうするだろう? しかも、乗客に本当にきちんと聞かせなければならないとしたら? カレン・ウッドという客室乗務員は、そんな状況に直面し、独創的にこれを解決した。

ダラスからサンディエゴへのフライトで、彼女はこんな機内放送を試みた。

しばしお聞きください。

ぜひ皆様に、安全面のご案内をしたいと思います。

一九六五年以降、自動車に乗ったことがないというお客様、シートベルトを正しく締めるには、平らな金具をバックルの中にスライドさせてください。

外すときは、バックルを持ち上げれば外れます。

また、歌にもありますように、恋人と別れる方法は五〇通りもありますが、この飛行機から脱出する方法は六つしかありません。

前方に出口が二つ、左右の翼の上に非常用脱出口が二つ、そして、後方に出口が二つです。

それぞれの出口の位置は、頭上の案内板と、通路沿いに設置された赤と白のディスコ調の照明で示されております。

ほら、思わず見てしまったでしょう。

ウッドのユーモラスな語りに、乗客はすぐ耳を傾けた。

彼女が放送を終えると、パラパラと拍手が起きた(安全に関する機内放送でさえ、メッセージを上手く組み立てれば拍手がもらえる。

誰にでも望みはあるということだ)。

コミュニケーションにおける最初の問題は、相手の関心をつかむことだ。

話し手の中には、自分に注意を向けさせるだけの権威をもっている人もいる。

例えば親がそうだ(「こっちを見なさい、ボビー!」)。

だが、たいていの場合、自分に注意を向けさせることなどできないので、関心をつかむことが必要になる。

だが、これが難しい。

「関心のない人に関心を持たせることはできない」とよく言うが、常識で考えてもそうだろう。

ところが、カレン・ウッドは、まさにそれをやってのけた。

彼女は、大声一つ出すことなく、乗客の関心をつかんだのだ。

目次

関心をつかむ

最も基本的な方法は、パターンを破ることだ。

人間は一貫したパターンがあると、すぐ順応する。

同じ感覚的刺激を繰り返し受けると、それに注意を払わなくなるのだ。

エアコンの音や、車の騒音、ろうそくの匂い、本の並べ方などがそうだ。

こうしたことを意識するのは、エアコンが急に止まったり、夫か妻が本を入れ替えたり、何かが変わったときだけだ。

メッセージを伝えるには厳しい環境にもかかわらず、ウッドが乗客の関心をつかめたのは、乗客が聞き飽きた決まり文句を使わなかったからだ。

ウッドはジョークで乗客の関心をつかんだだけでなく、その関心をつなぎとめた。

だが、関心をつかむことだけが目的なら、あそこまで面白おかしくする必要はなかった。

途中で急に黙り込んだり、何秒間かロシア語で話すといった方法でも、たやすく関心をつかめたはずだ。

人間の脳は変化に敏感にできている。

賢い製品デザイナーはそれをよく知っているから、消費者の関心を製品に向ける必要があるときには、何かを変える。

警告ランプが点滅するのは、点灯状態が続くとユーザーが注意を払わなくなるからだ。

昔、緊急車両のサイレンは二つの音階の繰り返しだった。

今のサイレンはもっと複雑な音で、前よりもさらに注意を引く。

車の盗難防止用の警告音が不快なのも、人間の変化に対する敏感さに訴えるためだ。

本章では、二つの重要な問題について考える。

一つは「どうやって関心をつかむか」という問題、もう一つはそれと同じくらい大切な「どうやって関心をつなぎとめるか」という問題だ。

雑然とした環境を突破して相手の関心をつかまない限り、メッセージは伝わらない。

また、メッセージの多くは複雑だから、相手の関心をつなぎとめない限り、やはり伝わらない。

この二つの問題の解決策を理解するには、驚きと興味という二つの基本的感情を理解する必要がある。

この二つは、もともと記憶に焼きつきやすいアイデアに共通する感情だ。

・驚きは関心をつかむ。

もともと記憶に焼きつきやすいアイデアの中には、驚くべき「事実」を紹介したものもある。

「万里の長城は宇宙から見える唯一の人工建造物である」、「人間は脳の一〇%しか使っていない」、「人間は一日にコップ八杯分の水を飲むべきだ」など。

また、都市伝説の多くは、筋書きに驚くべきひねりがある。

・興味は関心をつなぎとめる。

記憶に焼きつきやすいアイデアのなかには、人々の興味を長くつなぎとめるタイプのものもある。

人は陰謀説を耳にすると、新情報を熱心に集め続ける。

また噂話を聞くと、その後の展開を知りたくて何度もその友人に確かめる。

もともと記憶に焼きつきやすいアイデアの多くは、意外性がある。

アイデアの意外性を高めることができれば、もっと記憶に焼きつくはずだ。

だが、「意外性」を生み出すことなど可能だろうか?「計画的な意外性」という言葉には、矛盾があるのではないか? ◆関心をつかむ誰も予想もしない「エンクレーブ」というミニバンのテレビ CMは、公園の前にエンクレーブが停まっているシーンから始まる。

アメフトのヘルメットを抱えた少年と、二人の妹が次々に乗り込み、「新型エンクレーブ、登場」という女性のナレーションが聞こえる。

運転席には父親、助手席には母親。

車のあちこちにカップホルダーがついている。

父親がエンジンをかけ、車は車道を走り出す。

「エンクレーブ、それは究極のミニバンです」 車は郊外の道路を滑るように走る。

「リモートコントロールのスライディング・ドア、一五〇チャンネルのケーブルテレビ、大型サンルーフ、温度調節機能つきのカップホルダー、そして最大六地点表示のカーナビゲーション・システム……行動派ファミリーのためのミニバンです」 エンクレーブは交差点で停止し、車の窓から外を見つめる少年にカメラがズームインする。

窓ガラスには大きな緑の木が映りこんでいる。

父親は車を交差点の中へと走らせる。

そのときだ。

猛スピードの車が交差点に突っこんできて、エンクレーブの横腹に衝突する。

恐ろしい衝突音。

金属はねじ曲がり、ガラスは砕け散る。

徐々に画面が暗くなり、メッセージが現れる。

「予想もしませんでしたか?」

質問文が消え、代わってこんな言葉が現れる。

「誰もがそうなのです」 クラクションが鳴り続ける中、最後の一文が画面に現れる。

「シートベルトを締めましょう……どんなときも」 エンクレーブというミニバンは存在しない。

この広告は米広告協議会が制作したものだ(広告主は米運輸省)。

広告協議会は一九四二年の設立以来、多くの優れたキャンペーンを展開してきた。

第二次世界大戦中の「口の軽さは船を沈める」も、最近の「友だちなら飲んだら運転させない」も広告協議会の仕事だ。

広告協議会の多くの広告がそうであるように、エンクレーブの広告も、記憶に焼きつくアイデアの第二の特徴である意外性を用いている。

エンクレーブの広告に意外性を感じるのは、自動車の CMのイメージに反しているからだ。

私たちは、車の CMとはどういうものかを知っている。

ピックアップトラックは岩山を上り、スポーツカーは無人の道路のカーブを疾走する。

SUVはヤッピーたちを乗せて森の中の滝へと向かう。

そして、ミニバンは子どもをサッカー教室へと送り届ける。

誰も死ぬことはない。

この広告にはもう一つ意外性がある。

実生活で近所を走るときのイメージに反している。

近所を車で走ることは多くても、たいてい無事に戻ってくる。

この CMによって、事故とはそもそも意外なものであることに気づく。

だからこそ、万が一に備えてシートベルトを、というわけだ。

イメージとは、推測する機械のようなものだ。

私たちはイメージに助けられて、何が起き、その結果どんな判断を下すべきかを予測する。

エンクレーブは「まさかこうなるとは思いませんでしたか?」と問いかける。

実際、私たちはこうなるとは思っていなかった。

つまり、推測機械が正しく機能せず、そのために驚いたのだ。

危機的状況に私たちがうまく対処するように、もろもろの感情が巧みに調整される。

感情によって、私たちは行動や思考を用意する。

怒りは戦いの、恐怖は逃走の用意である。

だが、感情と行動の結びつきが微妙でわかりにくい場合もある。

例えば、怒りには自分の判断への確信を深めさせる二次的効果があると、最近の研究でわかった。

腹が立つと、自分は正しいと確信する。

これは、人間関係の中で誰もが経験していることだ。

感情に生物学的な目的があるとするなら、驚きの目的は何だろう? 驚きは注意を喚起する。

イメージが機能しないと私たちは驚き、機能しなかった理由を知ろうとする。

推測機械が働かないと、驚きが注意を喚起する。

そして、私たちは今後に備えて推測機械を修復できる。

驚きの眉

驚いたときの顔の表情は、あらゆる文化に共通している。

ポール・エクマンとウォレス・フリーセンは共著『表情分析入門――表情に隠された意味をさぐる』(誠信書房)のなかで、驚いたときに特有の表情を「驚きの眉」という造語で言い表している。

「眉毛が弧を描いてつり上がる……眉が上がることにより、眉の下の皮膚が引っぱられて普段より露わになる」 眉毛がつり上がると目が大きく見開かれ、視野が広がる。

驚きの眉は、体が人間にもっとしっかり見るよう強いる手段なのだ。

また、驚いて見直すことにより、自分の見たものを確かめることもできる。

反対に、怒ると目が細くなり、既にわかっている問題だけに意識を集中できる。

驚くと眉が上がるだけでなく、下あごが落ちて口が開き、一瞬、言葉を失う。

体は一時的に動きを止め、筋肉が弛緩する。

まるで、しゃべったり動いたりせず、しっかり情報を取り込みなさいと体が求めているようだ。

つまり驚きには、予想外のものと直面し、推測機械が機能しなかった場合の一種の緊急停止命令的な役割がある。

すべてが停止し、活動が中断されれば、自分を驚かせた出来事にいやでも注目する。

ミニバンのコマーシャルが戦慄の事故で幕を閉じると、私たちは立ちどまり、いったい、どういうことなのかと考える。

意外性のあるアイデアが記憶に焼きつきやすいのは、驚きが注意を喚起し、考えさせるからだ。

普段より高まった注意力と思考力が、意外な出来事を記憶に焼きつける。

驚きは関心を引きつける。

その関心は移ろうこともあるが、驚きが持続的な関心を生むこともある。

驚きをきっかけに、根本的な原因を追究したり、他の可能性を想像したり、今後驚かなくてすむ方法を見つけようとする場合もあるのだ。

例えば、陰謀説の多くは、魅力的な人物が若くして突然亡くなるなど、予想外の事件が興奮を引き起こしたときに生じる。

JFKやマリリン・モンロー、エルビス・プレスリー、カート・コバーンの死をめぐる陰謀説は存在するが、九〇歳の人の突然死をめぐる陰謀説にはあまりお目にかからない。

人は驚くと答えを見出そうとする。

いったい、なぜ自分は驚いたのか、という疑問を解消したくなるからだ。

驚きが大きければ、それだけ大きな答えを求める。

注意を払ってくれるよう相手を動機づけたいのなら、大きな驚きの威力を利用すべきだ。

受け狙いは避ける

とはいえ、大きな驚きばかり追求すると、大きな問題が生じる場合もある。

ついついやりすぎて、奇を衒いたくなるのだ。

一九九〇年代の後半は、 ITバブルの全盛期だった。

新興ベンチャー企業は自社ブランドの確立をめざして、何百万ドルも広告に注ぎ込んだ。

消費者の関心には限りがある。

その限られた関心を求めて広告がエスカレートするうちに、広告によって驚きや興味を誘うことが難しくなっていった。

二〇〇〇年のプロフットボール優勝決定戦「スーパーボウル」で、こんな CMが放映された。

競技場で大学のマーチングバンドが練習している。

一分の狂いもないメンバーたちの動きがクローズアップされる。

そして、場面はスタジアムのトンネルへ。

トンネルの向こうには競技場が広がっている。

すると、いきなり十数匹の飢えたオオカミがフィールドに駆け込んでいく。

バンドメンバーは怯えて逃げまどう。

オオカミの群れがその後を追い、襲いかかる。

いったい、何が言いたかったのか? 私たちには全くわからない。

確かに、見る人を驚かせ、記憶には残る。

怯えるバンドメンバーをオオカミが追いかけるという悪趣味で滑稽な映像は、いまだに記憶に焼きついている。

だがその驚きは、この広告が伝えるべきメッセージとは無関係であり無意味だった。

仮にこれが「噛まれても破れないマーチングバンド用ユニフォーム」の広告なら、受賞ものだっただろう。

オオカミの広告は、エンクレーブの広告とは対照的だ。

いずれも衝撃的な驚きを生むが、その驚きを利用して核となるメッセージを際立たせているのは、エンクレーブの方だ。

第一章で、アイデアの核となる部分を見つけることが重要だと述べた。

その核心的メッセージに役立つ形で驚きを利用すれば、大きな効果が期待できる。

HENSIONと PHRAUG

次に四つの単語が並んでいる。

一つずつ読んで、実際に存在する英単語かどうか判断してみよう。

HENSION BARDLE PHRAUG TAYBL この課題を考案した研究者のブルース・ウィトルシーとリサ・ウィリアムズは、こう述べている。

「PHRAUGと TAYBLを見ると、多くの人が眉をつり上げた後、『ああ、そうか!』 という反応を示す。

一方、 HENSIONと BARDLEを見ると、たいていの人は顔をしかめる」 PHRAUGと TAYBLが驚きの眉を生じさせるのは、見覚えはないが、声に出すと聞き覚えがあるからだ。

PHRAUGが FROG(カエル)をおかしな綴りで表したものだと気づいたとき、「ああ、そうか!」という反応が起きる。

HENSIONと BARDLEの場合は、もっと厄介だ。

英単語によくある文字の並びを借用しているため、妙に見覚えがある。

大学入試に出題される単語、たぶん知っているべきなのに、自分は知らないハイレベルな単語のような感じがする。

だが実は H ENSIONも BARDLEも、でっち上げの単語だ。

ありもしない答えを見つけようと悪戦苦闘していた自分に気づいたとき、人は苛立ちを感じる。

HENSIONと BARDLEは、洞察を得られない驚きの好例だ。

驚きには大きな効果があり、アイデアを記憶に残すこともあると述べたが、 HENSIONと BARDLEの場合、驚かせはしても記憶には残らない。

単にイライラさせるだけだ。

このことから、驚きだけでは不十分なことがわかる。

なるほどと思えるような洞察も必要なのだ。

人を驚かせるためには、先が読めてはならない。

驚きは、予測可能性の対極にあるものだ。

だが、相手を満足させるためには、驚きは「後から考えれば理解できる」ものでなければならない。

振り返れば「なるほど」と思うが、そのときは予想もしなかった、というようなひねりが必要なのだ。

PHRAUGは後から考えれば理解できるが、 HENSIONはできない。

映画『シックス・センス』は、エンディングでそれまで張り巡らされてきた数々の伏線が結びつき、あっと驚かせる。

こういう映画やテレビ番組を見終わったときの印象と、予想外だが受け狙いの結末(「それは全部、夢だった」)から受ける印象を比べればわかるだろう。

本章ではまず、驚きは推測機械が働かなくなったときに生じることを指摘した。

驚きの感情は、私たちが将来に備えて推測機械を改良できるよう、推測機械の故障に注意を向けさせようとするのだ。

本章ではさらに、オオカミの広告のような受け狙いの驚きと、後から理解できる意味のある驚きの違いも示した。

要するに、アイデアを記憶に焼きつくものにしたければ、相手の推測機械をいったん壊してから修理しなさい、ということだ。

とはいえ、驚かせたり推測機械を壊すといっても、オオカミの広告のような受け狙いになってはならない。

それを避け、予想外のアイデアから何がしかの洞察を得られるようにするには、聴き手の推測機械の核となるメッセージにかかわる部分を狙うのが一番だ。

本書では、このやり方の例を既にいくつか見てきた。

第一章で紹介した新聞発行人、フーバー・アダムズの「人名、人名、とにかく人名」がそうだ。

地方紙記者の多くは、このモットーを聞いても当たり前のことだと思うだろう。

彼らの「優れた地方記事」のイメージには、地域社会を取り上げた記事が当然含まれているからだ。

だが、アダムズが言いたかったのは、そういうことではない。

彼は、それよりずっと過激なことを考えていた。

そこで彼は、こんなふうに言うことで彼らのイメージを破った。

「できることなら、電話帳をそのまま印刷してでも人名を載せたいほどだ。

実際、人名を十分集められるなら、植字工を増員し、紙面数を増やしてでも全部載せるだろう」 ここで記者たちは、「人名、人名、とにかく人名」が自分たちのイメージと一致しないことに気づく。

彼らのこれまでのイメージが「できるだけ地域的な視点を強調する」だったとすれば、アダムズはそれを「人名は、たとえ収益を犠牲にしても、すべてに優先する」と置き換えた。

これは、意外性の威力を利用したメッセージの一例だ。

第一章で紹介したもう一つの事例は、サウスウェスト航空の「最格安航空会社」という評判だった。

ここでも、サウスウェストの従業員や顧客の多くは、同社が格安航空会社であることを知っている。

そういう文脈で見ると、この評判は当たり前のように思える。

だが、ケレハーが顧客の求めるチキンサラダを出そうとせず、この評判を押し通したとき、初めてこの評判の意味は深く理解された。

それまで、普通の従業員の推測機械が予測するのは、せいぜい「低コストで顧客を喜ばせたい」くらいのことだっただろう。

だが、ケレハーによって、彼らの推測機械は「一部の顧客の意向を無視してでも、最格安航空会社となる」と改良されたのだ。

つまり、アイデアを記憶に焼きつくものにするには、次のようなプロセスをたどるとよい。

(一)自分が伝えるべき中心的メッセージを見きわめる(核となる部分を見きわめる)。

(二)そのメッセージの意外な点を探し出す(核となるメッセージが言外に示す意外なことや、当たり前のようなのになかなか実現しない理由など)。

(三)どきりとさせる意外なメッセージの伝え方で聴き手の推測機械を破壊する。

推測機械が作動しなくなったら、今度はその修正を促す。

世間の常識は、記憶に焼きつくメッセージの大敵だ。

常識のように聞こえるメッセージが、右の耳から左の耳へと抜けていくのは当然だろう。

言われなくても直感的にわかることなら、わざわざ記憶に焼きつけるまでもないからだ。

危ないのは、常識のように聞こえても、実はそうではない場合が多いことだ。

フーバー・アダムズやサウスウェスト航空の例がまさにそうだ。

その場合、メッセージの常識に反する部分をさらけ出すことは、伝える者の仕事となる。

ノードストロームとタイヤチェーン

ノードストロームは飛びぬけた顧客サービスで知られる百貨店だ。

だが、通常以上のサービスにはそれなりの代価が求められるので、ノードストロームで物を買うと高くつくこともある。

それでも多くの人が喜んで高い値段を払うのは、他の店よりずっと快適に買い物ができるからだ。

ノードストロームの戦略が機能するには、最前線の従業員を顧客サービスの狂信的な支持者に仕立て上げることが欠かせない。

従業員は最初からそうなるわけではない。

サービス業経験者の場合、元の職場では上司が労働コスト削減に必死だったというケースが多い。

顧客サービスの一般的なイメージは、「お客はどんどん呼び込み、どんどん追い出すこと。

それも、なるべく笑顔で」といったところだ。

ノードストロームの採用面接を受けに来る人には、長年こういうイメージに基づいて行動してきた人が多い。

ところが、ノードストロームの理念は、それとは打って変わって「効率を犠牲にしても顧客を満足させること」である。

ノードストロームは、どうやって従業員のイメージを破壊し、別のイメージに置き換えているのだろう。

その方法のひとつが、意外性のある逸話の利用だ。

ジェームズ・コリンズとジェリー・ポラスは共著『ビジョナリーカンパニー――時代を超える生存の原則』(日経BP社)の中で、ノードストロームで語られる物語をいくつか紹介している。

それは、従業員の意外なサービスに関するものだ。

ちなみに、同社の従業員は社内で「ノーディー」と呼ばれている。

顧客が午後の会議に着る新品のシャツに、アイロンをかけたノーディー。

顧客がメーシーズで買った商品を、喜んでギフト包装したノーディー。

顧客が買い物をしているあいだに、車を温めておいたノーディー。

パーティ準備におおわらわの奥様に、なんとか間に合うギリギリのタイミングでドレスを届けることができたノーディー。

他店で買ったタイヤチェーンの返金をしたノーディー。

こうした物語がノードストロームの新入社員に、衝撃とは言わないまでも驚きを与えることは想像に難くない。

「メーシーズの商品にギフト包装だって? 理解できない。

そんなことをして何になるんだ?」 といった具合だろう。

これらの物語は「サービスは客が店を出るまで」、「買わない客に時間をかけるな」、「売ったらすぐ次の客にかかれ」といった顧客サービスの語られざる前提に修正を迫る。

ライバル店で買った商品にギフト包装をするなんて新入社員にとっては常識はずれで、「サービス」という既成概念からかけ離れているため、この物語を聞くと思考が停止する。

推測機械が壊れてしまうのだ。

従来の「優良サービス」の推測機械からは、どこを叩いても自己犠牲的なギフト包装という考えは出てこない。

これらの物語は、新入社員の「優良サービス」のイメージをノードストロームのサービスのイメージに置き換えるための第一歩なのだ。

ノードストロームはこうやって常識という思い込みを打破する。

「ノーディー」の物語を広める代わりに、「業界最高の顧客サービス」を提供することがわが社の使命であると言うことも可能だ。

だが、言葉は真実でも、 JCペニーやシアーズも残念ながら同じことを言っている。

メッセージを記憶に焼きつけるには、常識を脱して非常識にまで達しなくてはならない。

「優れた顧客サービス」は常識だが、冬に顧客の車を温めるのは常識に反する。

これがセブン‐イレブンの従業員の逸話なら、意外性はさらに高まり、ますます常識に反しただろう。

例えばこんな具合に。

「そうなんだよ。

タバコを買いに行ったら、店員がシャツにアイロンをかけてくれたんだ!」 だが物語の価値は、意外性自体が生み出すわけではない。

価値を生むのは、ノードストロームの目標と物語の内容との完璧な整合性だ。

これがセブン‐イレブンの物語なら、別の意味で問題だ。

セブン‐イレブンの経営陣は、ギフト包装する店員が続々と現れることなど望んではいないからだ。

ノードストロームの物語は、意外性が威力を発揮した好例だ。

これらの物語は、受け狙いと思われるおそれはない。

驚きの後で洞察が得られるからだ。

つまり、良きノードストローム社員はどうあるべきかを、これらの物語は教えてくれる。

これこそ、核となるメッセージに役立つ非常識だ。

ジャーナリズム基礎講座

ノラ・エフロンは、映画『シルクウッド』、『恋人たちの予感』、『めぐり逢えたら』の脚本でアカデミー賞候補にもなった脚本家だ。

彼女はニューヨーク・ポスト紙とエスクァイア誌の記者だった。

ジャーナリストになったのは、高校のジャーナリズムの教師のおかげだ。

エフロンは、ジャーナリズムの授業の初日のことを今でも覚えている。

生徒はジャーナリズムの経験こそなかったが、授業を受ける前からジャーナリストの仕事がどんなものかをある程度、感覚的に知っていた。

ジャーナリストは事実を入手し報告する。

事実を入手するために、誰が、いつ、どこで、何を、なぜ、の五つの Wを突き止める。

生徒が手動タイプライターの前に座ると、教師は最初の課題を言い渡した。

それは、新聞記事のリードを書くことだった。

教師は事実をまくしたてた。

「ビバリーヒルズ高校のケネス・ L・ピータース校長は今日、次のように発表した。

来週木曜、同校の教員全員がサクラメントに行き、新しい教授法の研修を受ける。

研修会では、人類学者のマーガレット・ミード、大学の学長であるロバート・メイナード・ハッチンス博士、カリフォルニア州知事のエドマンド・〝パット・ブラウンらが講演を行う」 ジャーナリストの卵らはタイプライターに向かい、人生初のリードを書いた。

エフロンを含め大半の生徒のリードは、事実を並べ替えてまとめたものだった。

「木曜日、サクラメントでパット・ブラウン州知事、マーガレット・ミード、ロバート・メイナード・ハッチンスがビバリーヒルズ高校の教員を前に講演をする……」 といった具合だ。

教師はリード文を集めると、さっと目を通して脇に置き、しばし沈黙した。

ようやく口を開いた彼は、こう言った。

「この記事のリードは、『来週の木曜は休校となる』だ」「一瞬、息を呑んだ」 とエフロンは回想する。

「あの瞬間、ジャーナリズムとは事実を反復することではなく、ポイントを見つけることだと気づいた。

誰が、いつ、どこで、何をしたかを知っているだけでは足りない。

それが何を意味するのか、なぜそれが重要かを理解する必要がある」 エフロンによると、その後の一年を通して、どの課題にも秘密が隠されていた。

生徒が良い記事を書くために理解すべきポイントが秘められていたのだ。

まさに、記憶に焼きつくアイデアの真骨頂だ。

この教師は生徒に大きな影響を与えたが、それは話が面白いからでも、面倒見のよい指導者だからでもなく(もちろん、それもあったかもしれない)、見事なアイデアを用意したからだった。

そのアイデアは、生徒の頭にあるジャーナリズムのイメージを一瞬で書き換え、一人の生徒の職業選択に影響を及ぼし、三〇年後も記憶に焼きついている。

このアイデアはなぜ成功したのか? この教師は生徒が抱くジャーナリズムのイメージが不完全なこと、どのように不完全かを知っていた。

次に、「リードを書く」という課題を出し、不完全なイメージに基づいて取り組ませ、結果を公表させた。

その上で、巧みに構成された驚きで生徒の足をすくった。

彼は、正しいリード(「来週の木曜は休校となる」)を示すことによって、生徒の頭にあったジャーナリズムのイメージに素早く喝を入れ、もっとよく働くようにしたのだ。

〔アイデア・クリニック〕米国の対外援助は多すぎる?

背景説明‥ここ数年の世論調査によると、米国民の過半数は政府の対外援助は多すぎると考えている。

九・一一の同時多発テロ後は、そのように考える人の割合が五〇%近くまで減ったが、米国民の半数は依然として多すぎると思っている。

次の二つのメッセージは、対外援助は多いどころか少なすぎることを、国民に納得させるためのものだ。

メッセージ 1‥このメッセージは、「コミュニティ間の平和と正義センター」というカトリック系団体が作成したものである。

国務省をはじめとする政府機関の誠実な情報提供努力にもかかわらず、米国民は依然、わが国の対外援助は多すぎると思っている。

ブッシュ大統領の対外援助増加案は歓迎できるものの、それでもなお米国の対外援助は多いとは言えない。

ブッシュ政権の二〇〇三年度の対外援助は約一五〇億ドルとなる見通しだが、約半分の七〇億ドル以上が経済援助ではなく軍事援助である。

連邦議会予算局の最近の試算によると、八〇億ドルという海外経済援助額は、イラク戦争の一カ月分の費用にも届かない。

先進諸国の中で米国の対外援助比率は最低、しかもその状態が何年も続いている。

サハラ以南アフリカ諸国への経済援助額は合計一〇億ドル強にすぎず、 B‐ 2爆撃機一機分の値段と変わらない。

米国は善行で世界に名を馳せる国であると国民は思っているが、対外援助計画を見る限りそうではない。

メッセージ 1へのコメント‥まず、リードが埋もれている。

一番効果的なのは最後の一文だ。

米国人の抱く米国のイメージは、寛大で思いやりのある国、「善行

で名を馳せる国」なのである。

このイメージを打破するには、米国の「対外援助比率が最も低く、しかもその状態が何年も続いている」という厳然たる事実を突きつけるしかない。

一〇億ドル単位の数字が記憶に残る可能性は低い。

大きな数字は実感がわきにくく、覚えにくいからだ。

このメッセージの中で、「大きな数字の問題」の克服に役立つのが、サハラ以南アフリカ諸国への援助と B‐ 2爆撃機一機分の値段を比較した部分だ。

この比較はとてもいい。

読んだ人が「自分なら、 B‐ 2爆撃機と引き換えにサハラ以南アフリカ諸国への援助額を倍増するか?」という意思決定モードに置かれるからだ。

このメッセージをもっと記憶に焼きつくものにするために、二つのことを試みてみよう。

まず、もともと書かれていた素晴らしい素材の位置を入れ替え、一〇億ドル単位の数字の位置づけを弱める。

次に、より共感を得られる具体的な比較対象を選ぶ。

B‐ 2爆撃機は、人によっては妥当な支出対象と見なす。

もっと意外性があり、誰が見ても重要性の低い比較対象を考え出そう。

メッセージ 2‥米国は善行で世界に名を馳せる国であると国民は思っているが、対外援助計画を見る限りそうではない。

米国は対外援助に相当な額を費やしていると国民は思いこんでいるが、実際の金額はそれよりはるかに少ない。

世論調査によると、米国人は連邦政府予算の一〇~一五%が海外援助に充てられていると思っているが、実は一%にも満たず、先進諸国の中で最低である。

サハラ以南アフリカ諸国への経済援助額は、合計一〇億ドル強にすぎない。

米国民全員が月に一度だけ缶ジュースを我慢すれば、アフリカへの援助額を二倍に増やすことができる。

また、一年に一度、映画を我慢すれば、アフリカとアジアへの援助額を倍増できる。

メッセージ 2へのコメント‥メッセージをもっと記憶に焼きつくものにするために、以下の工夫をした。

まず、「寛大な米国」というイメージを単刀直入に打破し、関心をつかむ。

また、一〇億ドル単位の数字よりもパーセンテージの方がわかりやすいので、そちらを多く使った。

次に、 B‐ 2爆撃機の類推を缶ジュースと映画の類推に置き換え、具体性を高めた。

B‐ 2爆撃機の値段や価値が「直感的に」わかる人はまずいないが、缶ジュースや映画なら身近でわかりやすい。

缶ジュースや映画は取るに足りない支出なだけに、アフリカの深刻な人道的ニーズとの対比を実感できる。

結論‥人々の関心をつかむ最良の方法は、既存のイメージを単刀直入に打破することだ。

◆関心をつなぎとめる土星の輪の謎

本章の冒頭に二つの問題を提起した。

一つは「どうやって関心をつかむか」という問題、もう一つは「どうやってその関心をつなぎとめるか」という問題だ。

これまで紹介してきた意外性のあるアイデアの多くは、どちらかというと基本を軽く修正しただけのものだった。

ノラ・エフロンのジャーナリズムの教師もそうだが、アイデアに深みはあっても、すぐに伝え切れる内容なだけに、短時間、関心をつかめばすむ。

だが、メッセージがもっと複雑な場合もある。

複雑なメッセージに人々の関心をつなぎとめるには、どうすればいいのか? どうすれば関心をつなぎとめることができるのか? 数年前、アリゾナ州立大学の社会心理学者でベストセラー『影響力の武器』の著者ロバート・チャルディーニは、執筆活動や授業で科学をもっとうまく伝えたいと思い立ち、ヒントを求めて図書館に行った。

彼は、科学者が素人向けに書いた本を手当たり次第手に取り、気に入った箇所をコピーした。

大量のコピーに目を通して、その共通点を探した。

面白くない文章の特徴は、だいたい予想通りだった。

何が言いたいかわからず、形式的すぎ、専門用語が多い。

一方、「これは」と思う文章の長所も、ほぼ予想通りだった。

構成が明確、事例に実感がわき、文章も流暢だ。

「ところが」と、チャルディーニは言う。

「意外なことに気づいた。

優れた文章は、すべて謎かけで始まっている。

つじつまの合わない問題状況を書いた上で、読者を謎解きの世界に誘って、物語を展開している」 チャルディーニの記憶に焼きついた文章は、天文学者が書いたもので、やはり冒頭に謎が示されていた。

太陽系の惑星にはそれぞれ特徴があるが、中でも最も目を引くのは土星の輪だ。

この輪はいったい何なのか。

このような輪は他には見当たらない。

そもそも、土星の輪は何でできているのか? この後、著者は次のように問いかけ、謎をさらに深めている。

「これについて、国際的に定評のある三つの研究チームが答えを出しているが、それがすべて異なるのはどういうわけだろう。

ケンブリッジ大学の研究チームに言わせれば、土星の輪はガスだが、マサチューセッツ工科大学のチームに言わせれば塵粒だし、カリフォルニア工科大学チームは氷の結晶だと言う。

同じものを見ているはずなのに、なぜこうも違うのか。

正解は何か?」 答えはミステリー仕立てで解明される。

三つの研究チームは、それぞれ有望な手がかりを追ったり、行き詰まったり、糸口を探したりと苦労を重ねた挙句、数カ月後、ついに謎を解明する。

チャルディーニは言う。

「二〇ページを読み進み、最後に明かされる答えは何だと思う? 塵だよ、塵。

実際には氷に覆われた塵だから、混乱があったのも無理はない。

それにしてもだ。

私は塵になど興味はないし、土星の輪が何でできていようと私の生活には関係ない。

なのに、この書き手のおかげで、速読家のような勢いで読み進んでしまった」 謎には威力があると、チャルディーニは言う。

結末を知りたいという欲求を生み出すからだ。

「『なるほど』と思わせるのが大事なことは、知っているだろう。

実は、その前に『はあ?』と思わせておくと、『なるほど』の満足度がぐっと増す」 書き手の天文学者は、謎を生み出すことによって、塵に興味をもたせた。

しかも、すぐに結論を明かすのではなく、科学理論や実験の説明が詰めこまれた二〇ページの文章を読むあいだ、ずっと関心をつなぎとめた。

チャルディーニが自分の授業で謎を提示してみたところ、効果はすぐに現れた。

授業の冒頭に謎を示し、講義中も折にふれ謎に立ち返り、最後に答えを明かす。

ところがあるとき、謎が解明される前に授業終了のベルが鳴った。

「いつもなら、終了時刻の五分か一〇分前には教室を出る準備を始める学生がいる。

やおら、鉛筆を片付けたり、ノートを閉じたり、バックパックのジッパーを開けたりするんだ」 だが、この日は教室じゅうが静まり返っていた。

「ベルが鳴っても、誰も動かない。

実際、謎を解明しないまま講義を終えようとしたら、抗議の嵐が起きた」 まるで、ダイナマイトを発見した気分だったと彼は言う。

チャルディーニによると、授業で謎を利用する最大のメリットは「謎解きのプロセスが科学のプロセスと驚くほど似ていること」だ。

だから、謎を利用すると、その日のテーマへの関心を高めるだけでなく、科学的思考のトレーニングにもなる。

謎は科学の専売特許ではない。

はっきりした答えのない問題には、謎がつきものだ。

動物園でパンダを繁殖させるのはなぜ難しいのか? わが社の新製品はなぜ顧客に人気がないのか? 子どもに関数を教える一番いい方法は? これは、今まで述べてきた意外性よりも、一つ次元の高い意外性である。

例えばノードストロームの場合、ノーディーの物語には即効性があった。

ノーディーは顧客の車を温める! そう聞けば、従来の顧客サービスのイメージが瞬時のうちに呼び起こされ、否定され、改良される。

だが、謎の働きは違う。

謎は、意外な一瞬ではなく、意外な旅から生まれる。

目的地はわかっている(要は謎を解きたいのだ)が、そこへたどりつくための道筋は定かではない。

イメージの打破は一度しか通用しないが、一撃で相手の何かを一変させる。

もし「土星の輪は乾燥機の糸くずでできている」と書いてあったら、読者のイメージは破られただろう。

これは「第一段階の」意外性とでも呼ぶべきものだ。

だが実際にはそうではなく、「土星の輪の謎」はもっと長くて複雑な話だ。

土星の輪が何でできているかは科学者にもわからないと聞かされ、結末の読めない旅へと誘われる。

これは第二段階の意外性だ。

こうして、一瞬の驚きは持続的な関心へと移行する。

ハリウッドの脚本はいかにして好奇心をそそるか

映画『大逆転』の前半、脚のない乞食ビリー・レイ・バレンタイン(エディ・マーフィ)がスケートボードのようなものに乗っかり、腕で地面を押しながら公園をうろついている。

通行人に金をせびったり、綺麗な女性をデートに誘って嫌がられていると、二人の警官がやって来て乱暴に彼の体を引っぱりあげる。

すると、何不自由ない両脚が露わになる。

バレンタインは詐欺師なのだ。

その後、老実業家のデューク兄弟がバレンタインの身元引受人となり、警官を説得して釈放させる。

いくつかのシーンの後、重厚なオフィスに三つ揃えのスーツ

スーツを着たバレンタインがいる。

デューク兄弟は彼を商品仲買人に仕立て上げたのだ。

脚本セミナーを主催するロバート・マッキーは、これを例に「ターニング・ポイント」の概念を説明する。

マッキーは、聴衆の関心をつなぎとめる方法を知っているようだ。

なにしろ、彼が脚本セミナーを開くと、五〇〇ドルの受講料を払って聴きにきた脚本家の卵で大ホールが満席になる。

ビレッジ・ボイス誌は、彼のセミナーを「脚本家だけでなく、俳優、監督、批評家、それにごく普通の映画ファンも必聴」と評している。

教え子の中からは、『 E R緊急救命室』、『ヒル・ストリート・ブルース』、『 Xファイル』などのテレビドラマや、映画『カラーパープル』、『フォレスト・ガンプ/一期一会』、『 13日の金曜日』などの脚本家、監督、プロデューサーが生まれている。

マッキーは言う。

「好奇心とは、疑問を解消し、曖昧な状況をはっきりさせようとする知的欲求だ。

ストーリーは、この普遍的欲求を逆手にとり、疑問を提示して状況を曖昧なままにする」 映画『大逆転』では、バレンタインとデューク兄弟の「ターニング・ポイント」が観客の好奇心を掻き立てる。

抜け目のない詐欺師のバレンタインが、商品仲買人としてどんな腕前を見せるのか、と。

マッキーに言わせると、優れた脚本はすべてのシーンが「ターニング・ポイント」だ。

「どのターニング・ポイントも好奇心をくすぐる。

『次はいったい何が起こるんだろう』、『この先、どうなるんだろう』と観客に思わせる。

その答えは、最終幕のクライマックスまで明かされない。

だから観客は好奇心のとりこになり、見続ける」 マッキーによると、「この先、どうなるんだろう」という疑問は、先が読めてもつい見続けさせるほどの威力がある。

「つまらない映画なのに、どうしても答えが気になって最後まで見てしまうことが君にもあるだろう」「次はいったい何が起こるんだろう」、「この先、どうなるんだろう」。

私たちは、この疑問への答えを求める。

その欲求が私たちの関心を持続させるのだ。

おかげで、つまらない映画を見続けてしまうこともあれば、長い科学論文を読み通せることもある。

マッキーとチャルディーニは全く異なる問題に取り組むうちに、同じ解決策に行き着いたのだ。

だが、こうした謎がなくても強烈な興味を掻き立てている分野がある。

ポケモンのキャラクターとその特徴を夢中で覚える子どもたちがそうだ。

彼らにも何らかの動機があるはずだが、それは「この先、どうなるんだろう」という疑問ではない。

カーマニアがカー・アンド・ドライバー誌を毎号読みふけるのは、謎が解き明かされていくからではない。

とはいえ、後で述べるように、ポケモン・ファンやカーマニアと、映画の観客や魅力的な授業を受ける学生とのあいだには、何がしかの共通点がある。

人はなぜ興味を持つのかについて心理学は何十年も研究してきた。

人間の興味をテーマとする研究の究極の目標は、状況的興味とは何かを説明することだ。

つまり、ある状況の中のどの要素が興味を点火し、強めるのか、ということだ。

何が状況を興味深いものにするのか。

実は、チャルディーニとマッキーは、かなりの線までそれを解明している。

好奇心の「隙間理論」

一九九四年、カーネギー・メロン大学の行動経済学者ジョージ・ローウェンスタインは、状況的興味をきわめて包括的に説明した。

その内容は、驚くほどシンプルだった。

好奇心が生じるのは、自分の知識に隙間を感じたときだというのだ。

ローウェンスタインによると、隙間は苦痛を生む。

何かを知りたいのに知らないというのは、どこかが痒くて掻きたくなるのと同じだ。

その苦痛を取り除くためには、知識の隙間を埋めなければならない。

くだらない映画を見るのは苦痛なのに、我慢して最後まで見るのは、結末がわからない苦痛の方がはるかに大きいからだ。

この興味の「隙間理論」こそ、いくつかの分野が熱烈な興味を掻き立てる理由だろう。

つまり、そうした分野はおのずと知識の隙間を生み出す。

映画についてもマッキーが同じことを言っている。

「物語の働きは、疑問を提示し、状況を曖昧なままにすることである」 私たちは、映画を観れば「次はいったい何が起こるんだろう?」と思い、ミステリー小説を読めば「誰がやったんだろう?」と思う。

スポーツの試合を見れば「誰が勝つだろう?」と思い、クロスワードパズルをすれば「『精神分析学者』がヒントの六文字の単語とは何だろう?」と思う。

そして、ポケモン・カードを集める子どもは、「足りないのはどのキャラクターかな?」と思うわけだ。

隙間理論は、ある重要なことを示唆している。

つまり、隙間を埋める前には、隙間をつくる必要がある、ということだ。

私たちは、ついたくさんの事実を告げたくなる。

だがその前にまず、その事実の必要性を相手に認識させる必要がある。

ローウェンスタインによると、メッセージの必要性を相手に納得させるための秘訣は、まず欠けている知識に光を当てることだ。

相手の知識の隙間を突く質問やクイズでもいいし、あなたの知らないことを他の誰かが知っていると指摘してもいい。

選挙やスポーツ、ミステリーのように、結末のわからない状況を提示したり、結末を予想させる手もある(そうすれば、「何が起きるのか」と「自分の答えは合っていたか」という二つの知識の隙間を生み出すことができる)。

地方テレビ局のニュース番組では、次の放送への期待を煽る CMが流される。

その煽り文句が笑えるほど大げさだ。

その夜のトップニュースの予告ならこんな具合だ。

「一〇代の若者に蔓延する新種の麻薬――あなたの家の常備薬は大丈夫か!?」「あの有名レストランの製氷機に細菌が!?」「家の中の目に見えない化学物質が、今この瞬間もあなたの体を蝕んでいる!」 これは隙間理論をセンセーショナルに利用した例だ。

こうした CMが効果を発揮するのは、視聴者が知らないことをちらつかせて悩ませるからだ。

それまで気にも留めていなかったことでも、自分が知らないという事実に気づくと、気になりはじめる。

「うちの娘も私の古い処方薬で中毒になっているのだろうか?」「細菌の出たレストランって、私の食べたことのある店?」 この CMのやり方をほんの少し真似れば、私たちもコミュニケーションをもっと面白いものにできる。

次のクリニックでは、そのやり方を説明しよう。

〔アイデア・クリニック〕資金調達に関する社内プレゼンテーション

背景説明‥あなたは地方の劇団の資金調達責任者である。

仕事は、劇団の活動資金となる寄付を集めることだ。

そろそろ年度末なので、あなたは劇団役員会への総括報告の準備をしている。

メッセージ 1‥(ここに挙げたメッセージはいずれも架空のものだ) 今年は、三五歳未満の演劇ファンをターゲットとして寄付を集めてきた。

われわれの目標は、若年層からの寄付を増やすことだ。

これまで若年層は、観客全体に占める割合が高いわりに寄付者に占める割合は低かったからである。

この層を獲得するために、われわれは電話での寄付依頼計画を実施した。

開始から半年でほぼ二〇%の反応があり、成功と考えている。

メッセージ 1へのコメント‥このメッセージは典型的な要約手法である。

事実を論理的に順を追って並べ、噛み砕いて話すやり方だ。

プレゼンテーションの進め方としては、無難でノーマル。

リスクは全くない。

このメッセージを改良するには、事実を無理やり呑み込ませるのではなく、興味を引き出す方法を考える必要がある。

そこで、ニュースの CMの手法をほんの少し、加味してみよう。

メッセージ 2‥今年は、ある疑問の解消に取り組んだ。

その疑問とは、当劇団の観客の四〇%は三五歳未満なのに、彼らが寄付者全体に占める割合がわずか一〇%なのはなぜか、という疑問である。

われわれは、当劇団の活動がどれほど寄付に支えられているかを、若年層は知らないのではないかと考えた。

そこで、この層に電話をかけ、当劇団事業の概要と今後の上演予定を伝えることにした。

この試みを始めて半年になる。

当初の予測では、反応率が一〇%なら成功と考えていた。

結果を報告する前に、まずどのようにこの企画を立ち上げたかを説明する。

メッセージ 2へのコメント‥この手法は隙間理論にヒントを得ている。

要約するよりも知りたいと思わせ、その上で、相手の知りたがっていることを教えようとしている。

土星の輪の謎と同じように、最初にまず謎を投げかけ(なぜ若年層はもっと寄付をしてくれないのか)、その上で仮説を提示し、その検証方法を説明する。

謎は聴き手を巻き込み、その後どうなったのか、仮説は果たして正しいのかなど、あれこれ考えさせる。

ここでは、内容よりも組み立てを改良している。

確かに、さほど興味深い謎ではない。

人気番組『ロー&オーダー』には、間違っても登場しないエピソードだ。

だが、謎が登場すると、誰もが俄然関心を持つ。

ミステリー形式には固有の魅力がある。

結論‥聞き手の興味をつなぎとめたければ、好奇心の隙間理論を利用すればいい。

ちょっとした謎が大きな効果を発揮する。

ニュースの期待を煽る CMの手法は、どんな文脈でも、またどんなタイプのアイデアにも利用できる。

コミュニケーションの効果を高めるには、「どんな情報を伝えるべきか」から、「どんな疑問を抱かせたいか」という考え方に切り換える必要がある。

自信過剰に打ち勝つ

隙間理論は、相手が知らないことを指摘できるかどうかにかかっている。

問題は、多くの人が自分はたいていのことは知っていると思っている点だ。

調査結果を見ると、人は通常、自分の知識量を過信していることがわかる。

例えば、こんな調査がある。

回答者に自分たちの大学で深刻化している駐車スペース問題について考えさせた。

回答者は一定の時間内に、できるだけ多くの解決策を考えるように言われる。

回答者が出した解決策の数は、合計約三〇〇。

これをおおまかに七つのカテゴリーに分類した。

駐車のニーズを減らす方法の提案(駐車料金の値上げなど)、駐車スペースの利用効率化(「小型車専用」スペースを設けるなど)などだ。

専門委員会が別途考えた最良の解決策のうち、回答者が解決策として出したのは平均三〇%未満だった。

これは、しかたのないことだ。

大量の解決策をひとりで考え出せというのは無理な話だ。

ところが、各回答者に自分の成果を評価してもらったところ、解決策の概ね七五%は提案したと考えていることがわかった。

回答者は、解決策の半数以上を見過ごしながら、半数以上を思いついた気になっていたのである。

自分は何でも知っていると思っている相手に、隙間理論は使いにくい。

そんな自信過剰に打ち勝つ方法がある。

例えば、ノラ・エフロンのジャーナリズムの教師は、生徒が抱いていたジャーナリズムのイメージを壊すことで、自信過剰を防いだ。

既成概念に基づいてリードを書かせたうえで、足をすくったのである。

自分の予想を責任を持って貫かせることは、自信過剰防止に役立つ。

ハーバード大学の物理学教授であるエリック・メーザーは、「コンセプト・テスト」という画期的な教育法を考案した。

メーザーは授業でよく概念的な質問をする。

そして、その答えに公開で投票させる。

一つの答えに肩入れするという単純な行為によって、学生たちの結果に対する関心や好奇心が高まるのだ。

自信過剰な人は、他人が自分に同意していないと気づいたとき、知識の隙間を認識する場合が多い。

ナンシー・ロウリーとデービッド・ジョンソンは、小学校五、六年生の児童が授業であるテーマについて話し合う様子を観察した。

一方のグループでは全員の意見が一致するよう議論が導かれ、もう一つのグループでは正解に対して異論が出るよう議論が導かれた。

すると、安易な合意に達した児童はテーマにあまり関心を持たず、調べ物もあまりせず、図書館で追加情報を得る児童も少なかった。

両グループの違いが最も鮮明に表れたのは、休み時間にテーマに関する専門的な映画を見せたときだった。

休み時間をつぶして映画を観た児童の割合は、意見の一致したグループでは一八%だったのに対し、異論の出たグループでは四五%。

知識の隙間を埋めたい、誰が正しかったかを知りたいという欲求を、すべり台やジャングルジムで遊びたいという欲求より強くすることは可能だ。

隙間は知識から

好奇心が知識の隙間から生まれるなら、知れば知るほど知識の隙間は減り、好奇心も薄れると考えるかもしれない。

だが、ローウェンスタインに言わせれば、実際はその逆だ。

人は情報を得れば得るほど、自分の知らないことに目を向けがちだと彼は言う。

全米五〇州のうち一七州の州都を知っている人は、自分の知識を得意がる。

だが、四七州の州都を知っている人は、自分は三つの州都を知らないと思うことが多い。

分野によっては、おのずと知識の隙間に脚光が当たる。

三面記事が魅力的なのは、人間がどういうものかはわかっていても、ドラマチックな体験をした人の気持ちはわからないからだ。

オリンピックでメダルをとるのは、どんな気持ちなのだろう? 宝くじに当選したときの気分は? シャム双生児のチャン・バンカーとエン・バンカーはどういう気持ちなのだろう?(どちらも結婚し、子どもを一〇人もつくったというのだから、別の意味でも興味がわくだろう) 人がゴシップ好きなのは、当の人物のことはよく知っているのに、足りない情報があるからだ。

だから、ちょっとした知り合いの噂話はしなくても、有名人のゴシップにはことのほか興味を掻き立てられる。

タイガー・ウッズやジュリア・ロバーツが何者かを知っているだけに、パズルの足りないピース、奇行や恋愛のもつれ、秘められた悪事を埋めたくなるのだ。

好奇心は、知識の隙間が生み出す。

といっても、もともとたいした知識がない場合はどうか? 一九六〇年代、当時設立されたばかりの民放テレビ局 ABCが、 NCA A(全米大学体育協会)のアメリカンフットボールの放映権を獲得した。

大学スポーツは典型的な内輪ネタである。

根っからのスポーツファンを除き、たいていのファンは母校のチームのことしか気にかけない。

しかも、 ABCが放映できるのは、一週間に各地区で数試合だけ。

採算をとるには、視聴者の関心を母校チーム以外の試合にも向けさせる必要があった。

テキサス州の小都市カレッジステーションの視聴者に、ミシガン大学とオハイオ州立大学の対戦を見てもらうには、どうすればいいのか? 二九歳のルーニー・アーレッジという社員が、大学アメフト試合の番組改善提案書を書いた。

それまでの彼の主な仕事は、野球とボクシングとアメフトの試合の撮影スタッフの割り振りだった。

アーレッジの目から見れば、改善の余地は十分にあった。

従来のスポーツ中継といえば、カメラを据え、フィールドに焦点を合わせ、何かが起きるのを待つだけだった。

それ以外はすべて無視。

ファンも、チームカラーも、応援合戦も視野に入っていない。

「まるで小さなのぞき穴からグランドキャニオンを見ているようだった」と、アーレッジは言う。

ある土曜の午後、朝からだらだらと過ごしていたアーレッジは、気をとり直してタイプライターの前に座り、上司への提案書を作成した。

これまでテレビは、視聴者に試合を届けるという偉業を成し遂げてきたが、これからは、視聴者を試合へと誘うことになる!…… オープニングの番組提供クレジットの後、いつものようにフィールドの全体像を映す代わりに、事前に撮影した大学キャンパスや競技場の様子を放映し、視聴者を誘いこむ。

熱狂的なアメフトファンの集うオハイオ州コロンバスにやって来た気分、あるいはオレゴン州コーバリスの小さくても熱狂的なファン集団に加わった気分を視聴者に味わわせる。

そして、周辺地域や大学キャンパスの風景、試合を見ている人々の数、試合を見に来た地元の人の服装、二つの大学にとってこの試合が持つ意味などを、視聴者に理解させる。

提案書は三ページから成り、カメラのアングル、激しいプレーの撮影、オープニング画像まで論じていた。

だが、なんと言っても提案書の要は、視聴者の関心を引きつける新しい手法だった。

視聴者は普段、オレゴン州コーバリスの大学スポーツ試合など気にもかけていない。

だが、試合の背景情報を十分に与えれば、気になりはじめる。

そこが狙いだとアーレッジは訴えた。

ABCの社内はアーレッジの提案に沸き立った。

二日後、ろくに実績もない二九歳のアーレッジが、自分の提案通りにアメフトの番組をプロデュースするよう

依頼された。

アーレッジは、ローウェンスタインの隙間理論を直感的に利用した。

テーマに関心を持たせるには、知識の隙間を指摘すればいい。

だが、相手にたいした知識がなく(例えばジョージア・ブルドッグというチームについてほとんど知らず)、隙間どころか大きな穴がぽっかりと開いていたら? その場合は、穴を埋めて隙間程度にするための知識を与えるしかない。

アーレッジは、大学のある地域について説明し、地元のファンの様子を見せ、キャンパスの風景を映し出した。

選手の気持ち、対抗意識、チームの歴史を興味深く語った。

その結果、試合がはじまる頃には、視聴者は勝利の行方が気になりはじめた。

それどころか、試合に釘づけになる視聴者もいた。

アーレッジが次に担当を命じられたのは、後に「ワイド・ワールド・オブ・スポーツ」と改称されたシリーズ番組だった。

この番組は自転車レースのツール・ド・フランス、ル・マン自動車レース、ロデオのチャンピオンシップ、スキーやサッカーの試合など、米国人がそれまで見たことのないスポーツイベントを紹介する内容だった。

アーレッジは、大学スポーツのために考案したやり方をここでも応用した。

文脈を設定し、十分な背景情報を与えれば、視聴者は知識の隙間が気になる。

ル・マン二四時間耐久レースで脱落するのは誰か? 教師から乗馬に転じた選手はロデオチャンピオンになれるのか? イエローカードとは何なのか? 二〇〇二年、アーレッジは他界した。

彼は ABCスポーツと ABCニュースを相次いで統括し、人気番組の「ワイド・ワールド・オブ・スポーツ」、「マンデー・ナイト・フットボール」、「 20/ 20」、「ナイトライン」を立ち上げ、エミー賞を三六回受賞した。

彼が大学アメフト試合のために考案した手法は、時代を経てその効果が実証された。

背景情報を与えて関心をつかむ。

これは、今ではどこでも使われているテクニックで、当たり前のように思える。

だが、背景情報をふんだんに与えるこのやり方は、二九歳の青年が大学アメフトを面白くする方法について書いた提案書に由来する。

教師の中にも、アーレッジと同様のやり方で生徒の関心を高めようとしている人が多い。

「アドバンス・オーガナイザー」とも呼ばれるこの教授法は、新しい題材に生徒の関心を引きつけるため、生徒が既に知っていることに光を当てるという考え方だ。

地学の教師なら、プレート・テクトニクスを論じる前に、地震の被害写真を生徒に持って来させてもいい。

アーレッジ風に背景情報を提供して、生徒に興味を持たせる手もある。

化学教師なら、メンデレーエフが元素の整理に長年情熱を燃やした話をしてから、元素の周期表を教えるのもいいだろう。

そうすれば、推理小説のような文脈の中で周期表を紹介することができる。

知識の隙間は興味を生み出す。

だが、知識に隙間があることを実証するためには、まず何らかの知識に光を当てる必要がある。

「あなたは、これだけのことを知っています。

でも、これは知らないでしょう」 というふうに。

文脈を設定すれば、相手は次に何が起きるか気になる。

ミステリー作家やクロスワードパズル制作者がヒントを提示するのは、たまたまではない。

あとひと息で謎が解けると思えば、好奇心に駆られて最後まで進めるからだ。

映画に出てくる宝探しの地図は、曖昧で判然としない。

描かれているのは、いくつかの目印と、宝のありかを示す ×印だけ。

最初の目印をどうにか見つけられるだけの情報を頼りに、主人公は長い宝探しの旅の第一歩を踏み出す。

これが地図サイトで作成した道順案内つきの地図だったら、冒険映画は成り立たない。

情報は順を追って提示してこそ価値がある。

大量の情報を一度に投げ与えるのではなく、ヒントを小出しにするのだ。

この手法は、授業というより異性の口説き方に似ている。

意外性のあるアイデアは知識に隙間を開け、じらしながら誘惑する。

発見すべきものは大きな赤い ×印で示しながら、そこにたどり着く方法は必ずしも教えるわけではない。

次に見るように、この巨大な赤い ×印は、何千人もの人々を何年にもわたって行動へと駆り立てることもある。

月面着陸とポケットサイズのラジオ

第二次世界大戦後、瓦礫と化した東京で、ある若い企業が倒産の危機に直面していた。

後のソニーである。

少数ながら優秀な研究者と技術者を擁していたが、第一号発明品の電気炊飯器が失敗し、短波ラジオの修理でなんとか生き延びていた。

技術部門を率いる井深大はその頃、米国のベル研究所で発明されたトランジスタに興味を持った。

井深には、五〇人の研究者と技術者を奮起させる一大プロジェクトがどうしても必要だった。

トランジスタに大きな可能性を感じた彼は、ベル研究所から技術ライセンスを取得しようとした。

ところが、通産省から待ったがかかった。

これほどの最先端技術が、この若い企業の手に負えるのかと疑われたからだ。

一九五三年、井深は無事、トランジスタのライセンスを取得する。

彼には、トランジスタを用いたラジオを開発するというビジョンがあった。

トランジスタラジオの利点は技術者には明らかだった。

当時のラジオは大きな真空管を用いていたため、かさばる上に感度が悪かった。

それがトランジスタなら、真空管をなくせるのだ。

ベル研究所からは「トランジスタラジオ」は不可能だと言われていた。

それでも井深の率いる技術者たちは、このビジョンを追究した。

ここでしばし井深の心境を想像してみよう。

会社は経営難、優秀な部下は奮起できる仕事を求めている。

考えられる方向性は無数にある。

炊飯器でもラジオでも電話でも、開発部門が開発できそうなものなら何でもいい。

だが、最も有望なのはトランジスタラジオのはずだ。

つまり、核となるメッセージはトランジスタラジオという夢である。

このメッセージに意外性をもたせるには、どうすればいいか。

どうやって部下の好奇心と興味を掻き立てればいいのか。

部下を動機づけるには、「トランジスタラジオ」の概念そのものだけでは弱い。

価値よりも技術が主眼になってしまうからだ。

「トランジスタラジオ? それがどうした?」で終わりかねない。

では、お馴染みの経営的概念を持ち出すのはどうだろう。

競争なら「トランジスタラジオの研究でベルに勝とう」、品質なら「世界一流のラジオメーカーをめざそう」、技術革新なら「世界最先端のラジオを開発しよう」というふうに。

だが、井深が部下に提案したのは、「ポケットに入るラジオ」 だった。

今では当たり前のことのように思えるが、初めてこれを聞かされたソニーの技術者たちは、「なんと不遜な(意外で非常識な)アイデアだろう」と思ったはずだ。

当時、ラジオはポケットに入れるものではなく、家具の一つで、ラジオ工場には専任の家具職人が雇われていた。

それに、優秀なベル研究所の人間が無理だと言っている大発明を、新興の日本企業がやってのけるなどというアイデアに、信憑性はなかった。

一九五〇年代の「メイド・イン・ジャパン」は粗悪品の代名詞だったのだから。

だが、ソニーの技術者には才能とハングリー精神があった。

「ポケットに入るラジオ」という井深のアイデアは社内に受け入れられ、ソニーを驚異的成長へと駆り立てることになる。

一九五七年には従業員が一二〇〇人にまで増え、同年三月、世界初のポケットサイズ・ラジオ「 TR‐ 55」を発売。

トランジスタのライセンスを手にして、わずか四年後のことだった。

TR‐ 55は一五〇万台を売り、ソニーは世界的企業の仲間入りを果たした。

ところで、「ポケットに入るラジオ」は「記憶に焼きつく」アイデアというより、優れた製品アイデアにすぎないのではないか? いや、そうではない。

その両方であり、どちらの要素も不可欠なのだ。

確かに、あのとき井深が世界最高級の炊飯器の道を選んだとしても、いずれ世界の誰かがトランジスタラジオを発明しただろう。

トランジスタラジオは、いつかは実現するはずの技術だった。

だが、最初に完成したトランジスタラジオは、ポケットサイズには程遠かった。

井深の意表をつくアイデアがなければ、技術者は本当に使いやすい小型サイズを実現する前に、技術の追究をやめていたかもしれない。

井深は、数百人の技術者に全力投球を迫る意外なアイデアによって、何年もかかる取り組みへと彼らを駆り立てたのだ。

一九六一年五月、ケネディ大統領は議会の臨時会議で演説を行った。

冷戦が国際政治を支配していた時代のことだ。

冷戦下では、国家の成功を勝ち負けで測れるような分野は限られており、中でも特に目立つ分野で米国は大きく出遅れていた。

その分野とは宇宙だった。

この演説の四年前、最大の技術先進国を誇る米国を驚愕させる出来事が起きた。

ソビエト連邦が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたのだ。

結局、米国も独自の人工衛星を打ち上げたものの、ソ連はその後も次々と世界初の偉業を成し遂げ、米国をリードした。

一九六一年四月、ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行を達成。

その一カ月後、米国の宇宙飛行士アラン・シェパードがこれに続いた。

ケネディはこの演説で、米国が冷戦下でリーダーシップを維持するために必要な国民の支援を説明した。

大統領は、国際開発庁プログラムの設立、 NATO拡大、中南米と東南アジアにおけるラジオ・テレビ局の開設、民間防衛の強化など、数々の戦略目標の達成に資金が必要なことを訴えた。

ところが演説の終盤、口調が微妙に変化した。

大統領が最後に提案したことは、国際援助とも民間防衛とも無関係だった。

「わが国は、六〇年代の終わりまでに人類を月に着陸させ、無事地球に帰還させるという目標の達成に、全力を尽くすべきだ……これに賛同するなら、一人のみならず国民全員が月に行くことになる。

一人を月に立たせるためには、われわれ全員の努力が必要だからである」 井深のアイデアもケネディのアイデアも、意外性があり驚きを生む。

ラジオは家具であってポケットに入るものではない。

人間は月を歩かない。

月はずいぶん遠いし、空気もない。

また、どちらからも洞察が得られる。

話を一歩ずつ進めるのではなく、いきなり劇的に今後の展開を垣間見せる。

それも、どんなふうに展開するかというだけでなく、なぜそうなるのかも示している。

どちらも知識の隙間を生み出す。

隙間理論の生みの親ローウェンスタインは、知識の隙間が苦痛であることを忘れるなと言う。

「好奇心が快適なら、それを解消しようとするはずがない。

なぜミステリー小説は、結末を読むまでやめられないのか。

なぜ野球の試合が接戦だと、最終イニングまでテレビを消せないのか」 井深のアイデアもケネディのアイデアも、意外なだけでなく知識の隙間を大きく開く。

ただし、埋めるのが無理と思えるほど大きな隙間ではない。

ケネディは「人類を水星に」とは言っていないし、井深は「人体に移植できるラジオを」とは言わなかった。

どちらも大胆で挑発的な目標だが、思考を麻痺させるほどではない。

「人類を月に」という演説を聞いた技術者らは、すぐさまブレーンストーミングを始めたはずだ。

「まず、この問題を解決して、それからこの技術を開発する必要がある、それから……」「ポケットに入るラジオ」というビジョンは、ある企業を困難な成長期を通じて支え、国際的な技術企業へと導いた。

「人類を月に」というビジョンは、ほぼ一〇年間にわたり何十もの組織、何万人もの人々を支えた。

いずれも壮大で強力、記憶に焼きつくアイデアである。

相手の関心をつかみ、その関心をつなぎとめられるかどうか自信のないときには、ケネディと井深からヒントをもらおう。

また、もっと身近な例なら、ノラ・エフロンのジャーナリズム教師やノードストロームの経営者がいる。

核となる部分に役立つ意外性は、驚くほどの持続性を発揮する場合もある。

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