第二章仕組みの構築
11アドバイスは結果ではなく計画に対して行う12顧客をセグメントして「行くべき顧客」に行く13顧客関係力のモノサシを創る14営業プロセスをガイド化する15顧客と価値観を共有するために共通言語を持つ16誰がやっても同じ成果が出る仕組みを創る17事実を積み上げて「受注確度判定」を共有化する18営業マンの仕事はお客様のところへ行くこと19案件レビューを仕組み化する
第二章仕組みの構築
11アドバイスは結果ではなく計画に対して行う五月第一週の朝九時。
大村専務、高橋リーダー、佐伯リーダー、中川リーダー、五十嵐の営業幹部五名に、各営業課から一名ずつの営業マンを加えた八名が、マネジメント研究会に参加するために集まった。
日常業務を遮断するために都内の民営研修施設に一泊二日で缶詰になって、営業力を強化するための仕組み作りについて討議を重ねる。
借りている施設には、複数の会議室と宿泊施設、それに食堂などが併設されていた。
二日目の夜まで、原則として携帯電話の電源もオフにする。
服装はビジネスカジュアルということで、ポロシャツにチノパンなどのラフな姿が目立つ。
ダークネイビーのシャツワンピースで不安そうな面持ちでいるのは、参加者の中で最年少であり唯一の女性でもある香乃だった。
化粧っ気のない童顔なので、ミニスカート姿になると社会人というよりはまだまだ女子大生のように見えてしまう。
公共営業課からは係長の上島順次が、地域営業課からは主任の加藤がそれぞれ参加していた。
もちろん三人とも、五十嵐が選んだメンバーだ。
上島は五十歳で、最年長のベテラン営業マンだ。
入社時には地域営業課に配属され、三十歳で大手営業課に異動になり、五年後にはふたたび地域営業課に戻っている。
さらにこの十年ほどは公共営業課に所属していた。
部署を渡り歩いたおかげで、すべての顧客層の特性について熟知している。
様々なケースにおける営業経験も豊富だった。
ただし、協調性に欠けるところがあって、自分の予算さえ達成できれば所属組織のことなど関係ないと平気で口にするような性格だった。
異動が多いのも、上司や同僚との関係に問題があるからだろう。
今回のメンバーへの選出を五十嵐が伝えたときも、あからさまに面倒くさそうな顔をした。
加藤は若手の有望株で、営業成績で全社を牽引している一人だ。
本多が懲戒免職になったあと、その顧客を引き継いだのも彼だった。
性格は温厚で実直。
市場や業界のトレンドにも明るい。
将来のリーダー候補筆頭といっていい。
仲のよい同僚からは、あだ名で「月9」と呼ばれている。
スリムなスーツをさわやかに着こなした姿は、まるでテレビドラマに出てくる俳優のようだった。
大村専務の冒頭の挨拶のあと、五十嵐が引き継いで研究会をはじめた。
「このマネジメント研究会の目的は、我が社の営業のあるべき姿を定め、現状とのギャップに対して、具体的に対策を講じていくことにある。
営業を強化するための仕組み作りといってもいい」「営業のあるべき姿って?」大村専務が質問する。
「まずはそれについて、議論してみたいんです。
我が社の営業のあるべき姿って、どう定義するべきなんでしょうか?」全員が黙り込んでしまう。
「そんなに大袈裟に考えないで、日常の仕事を振り返りながら、思いつくままに挙げてみようか」五十嵐の言葉に、大村専務が口火を切る。
「お客様にパートナーとして認められるような、価値提供ができる営業マンであるべきだよな」大きく捉えた定義なだけに、その場にいる誰もが大きくうなずいた。
「そうなると、営業マン個々のスキルに頼っていては、お客様への価値提供の品質に、どうしたってバラツキが出てしまう」「だから、我々リーダーがいるんですよね?」と、佐伯がすぐに反論した。
「それだけじゃなくて、組織全体で協力していく仕組みも必要だと思うんだ」「それはちょっと難しいかなぁ」誰に言うでもなく、佐伯が口にする。
「なぜ、みんなで協力しないんだ?」佐伯が言葉につまる。
代わりに加藤が答えた。
「他の営業マンがどんな案件を抱えているか、上司以外はわからないんで、協力しようにもできないんです」「商談中の案件を共有するような仕組みはないのか」「すべてが営業マンの頭の中ですね。
まあ、上司には何かあれば報告してますけど」「それじゃあ、過去に終了した商談の記録なんて呼び出せないな」「前の担当者に聞くしかないですね。
上島係長みたいなベテランの先輩がいればいいですけど、私なんて前任が退職しちゃってますからね」「情報が組織の資産になってないのか。
顧客に対する活動履歴や提案内容は、情報として蓄積していけば会社の財産になるんだけどな」中川が顔をわずかに歪めながら、「それはそうかもしれませんが、うちは個人商店の集まりみたいなものですから。
いったい、どこから手をつけていいのかもわからないし……」大村専務の表情を気にしながら言った。
「なるほど。
では、我が社の営業マンが、お客様のパートナーとして認められるような高品質の価値提供ができるようになることを狙いとして、どんな情報を『見える化』していけばいいのか、考えてみることにしよう」「情報の見える化って、どういうことですか?」佐伯が質問してくる。
営業プロセスにおいて、生産性を向上させるためには、本来は可視化されるべきであるにもかかわらず、それが日常的に見えていない項目が多く存在する。
これを手のひらに載せていくことが、情報の見える化であり、営業プロセス改革では、基本的な取り組みとなってくる。
「ビジネスというものは結果でのみ評価されるものだが、すべての結果には必ずプロセスがあるんだ。
プロセスをどうするかによって、結果は初めから決まっているといっても過言じゃない。
営業プロセスを見える化することが、営業力強化のまさに第一歩なんだ」大村専務が持っていた資料を、手でひらひらとさせながら、「保有案件や月末の着地予測なら、定期的に積み上げてもらっている。
もっとも、積上通りにならないことが多いんで、仕入れ予測が立たなくて苦労してるけど」チラリと佐伯の顔を見た。
「それも必要な情報ですが、私が言っているプロセスとは、もっと商談の中身についてのことになります」五十嵐の言葉に、佐伯が不服そうに顔を上げる。
「保有案件の状況を見て、私たちは部下に、適切なアドバイスをしてきたつもりですけど」「案件数や提案金額の積上は、管理の上では必要でも、営業プロセスとはいえないよ」佐伯に向かって尋ねる。
「営業マンたちの日頃の活動については、どのようにマネジメントしてるんだ?」「毎週月曜日の朝、週報を提出してもらっています」「週報?」中川が引き継いで答える。
「エクセルで作ったA4判の表で、一週間の活動予定や成約予定案件を入力してもらっています。
これを見れば、営業マンたちが今週どれくらい売上を持ってくるのか、すぐにわかります」「なるほどね。
じゃあ、加藤主任がそれら成約予定案件を作るために実施した、一カ月の総訪問軒数は何社かわかる?」「何社?」
中川と加藤が顔を見合わせている。
「訪問件数ではなく、訪問軒数だよ」「そ、それは……」中川が口ごもった。
「総訪問社数における新規開拓数の割合は?商談件数のうちの有効商談件数は?一つの商談が完結するまでの平均訪問回数は?当月案件のための訪問と将来のための継続訪問の割合は?案件の中で、担当者の上司に会えているのは?」思いつくままに営業プロセス上で、注目すべき項目を挙げていく。
中川は一つも答えられない。
表情を強張らせて固まってしまった。
「別に責めてるわけじゃないんだ。
ただ、マネジメントの現状を理解してもらいたくて」見えている結果ではなく、見えていないプロセスに注目することが重要なのだ。
五十嵐は、佐伯が手にしていた営業マンたちの週報と案件進捗表を受け取った。
「たとえばこの秋元さんだけど、三月の予算達成率は七十二パーセントだったよな。
先期はずっと苦戦しているね」「秋元はまだ三年目ですから、経験も乏しいので……」香乃の上司である佐伯がすかさず反論した。
「でも、三年目という経験を考慮した予算設定がされているはずだろう?」「それはそうですが」「現状の保有案件状況は、かなり厳しい。
先月が大幅未達なのに、繰り越し案件も少ない。
これでは今月も苦戦が予想されるね」「もちろん、それはわかってますから、もっと案件を増やすように指導してます」「具体的には?」「そ、それは……。
そもそも案件が出ないことには、アドバイスしたり、同行して助けてやったりもできないじゃないですか?だから、もっと頑張るようにって……」佐伯の声がだんだんと小さくなっていく。
自分のことを言われている香乃は、身体を硬直させてうつむいてしまった。
──成果が出ないのは、努力が足りないから。
だから、もっと頑張れ。
多くのマネジャーが陥りがちな錯覚だ。
五十嵐は香乃に向かって語りかける。
「秋元さんは、充分に頑張ってるよね。
そうだろう?」「えっ?はい……」「案件が出ないのは、営業マンの責任じゃない。
すべてリーダーの責任なんだ」「だけど、案件も出てこない部下に対して、どうしろって言うんですか?」佐伯が不満げな表情で顔を上げた。
部下の前で管理職としての能力を否定されたような気分だろう。
おもしろいはずがない。
しかし、現状の営業プロセスについて、徹底して議論していくことは必要なことだ。
ここで現状を認識できなければ、問題点が見えてこない。
「成果の考え方を変えてみないか?」佐伯の気分を損ねないように、言葉を選びながら説明していく。
「成約や案件の発生という結果系のものを成果としてマネジメントしようとするから、営業マンが持ってくる情報が少ないという判断になるんだ。
マラソンのゴールに向けて現状を報告させるのではなく、一キロごとにチェックポイントを置いて、タイムや体調を情報として共有していくような感じにすればいい。
次の一キロのペース配分をどうするかとか、水分補給はするかとか、細かくマネジメントできるよな?」「なるほど、小さな通過点をいくつも用意してやるんですね」「その通り。
さすがに佐伯リーダーは理解が早い」「ええ。
まあ」佐伯の表情がやわらぐ。
「営業マンに報告させる情報は、結果を管理するためじゃなくて、計画を事前に知ることにより、次に打つ手にアドバイスするために必要なんだ」「計画に対してアドバイスって、どういうことですか?」高橋がノートにメモを取りはじめる。
それを見て、他のメンバーもあわててボールペンに手を伸ばした。
五十嵐はホワイトボードに向かうと、営業活動を項目別の棒グラフにしてみる。
「これが、さっき佐伯リーダーが言っていた通過点ということになる」「そうか、ゴール直前である案件数について、いきなりチェックされても、営業マンは困るんだよな」佐伯が真剣な顔つきで、何度もうなずいていた。
「減衰を抑えるためには、それぞれの項目について、リーダーは部下と一緒になって計画を作っていくことが必要なんだ。
うまくいかなかった行動を責めるのではなく、うまくいくようにリーダーが部下の計画策定に対してアドバイスする。
佐伯リーダーがどんなに優秀でも、結果が出てしまったことを変えることはできないが、秋元さんがこれから立てる計画についてなら、豊富な営業経験を活かしてアドバイスすることはできるはずだ」「なるほど、これからやろうとしていることなら変えることができるわけか」佐伯が唸るように言った。
「だからこそ、それぞれの営業プロセスを見える化して、情報共有していくことが重要なんだ」五十嵐は全員の顔を順番に見ながら、さらに語りつづけた。
12顧客をセグメントして「行くべき顧客」に行く休憩を挟みながら、マネジメント研究会のアジェンダをさらに進める。
「そもそも営業マンたちは、行先をどうやって決めてるんだ?」五十嵐に質問された中川が答える。
「半期ごとに営業マンが五十社のターゲットリストをリーダーに提出し、その顧客を中心に我我リーダーと一緒に案件進捗を管理していきます」「営業マンが自分で決めるのか?」「そうです」「どうして?」「どうしてって……顧客のことは、担当している営業マンにしかわからないじゃないですか?」「それで、営業マンたちはターゲット顧客をどうやって選んでるんだ?」「それはまあ……過去の取引金額とか、お客様の購買ポテンシャルなどを考慮して……だと思いますけど」歯切れが悪い。
つまりは、営業マン任せなのだ。
「それじゃあ、新規開拓や競合他社のインナーシェアが高い顧客など、営業マンが行きにくい顧客への優先度は低くなるな」「そうかもしれませんけど……。
でも、どうせ営業マンが行きにくいと思ってるなら、そんなところから数字は上がりませんよ」「なるほどね。
じゃあ、短期案件として提案する顧客と、中長期的な大型案件として提案する顧客についての割合は?」「ターゲットの五十社の中から、さらに十社を重点顧客として絞り、『重点顧客攻略シート』を提出してもらっています。
私たちリーダーが、定期的にこれをチェックするようにしています」そう言いながら、中川がA3判のシートを広げた。
五十嵐は、数枚に目を通す。
「重点顧客を選ぶのも、やっぱり営業マンの判断なんだな」大村専務が口を挟む。
「重点顧客って言葉は普段からみんな使ってるけど、基準はないのか?」「ありますよ。
今期の半年間で、大きな商談になりそうな顧客を選ぶことになっています」「それだけか?顧客の特性については、とくに決まりはないんだな。
せめて、金額とか商品とかくらいの縛りは必要なんじゃないか?」「一応は重点商材は意識しているはずです」「はず……か」大村専務の言葉に、中川がうつむいてしまった。
「他の営業課も一緒なのかな?」五十嵐が高橋と佐伯にも確認すると、二人とも表情を硬くしてうなずいた。
「重点顧客攻略シートに顧客名を書かせてから、その後の攻略シナリオも営業マンが個々に考えるんだよな?」「もちろん、アドバイスはしてますよ。
でも、顧客ごとに商談の状況は違いますし……そもそも、どの顧客を重点顧客に選んでくるか、営業マンごとに基準がバラバラですから、統一して攻略シナリオなんて、作りようがないですよ」「それでいいのかな?」三人を代表するように、一番年長の高橋が、「リーダーとしては、月末にトータルで売上目標を達成してくれれば、正直言って、どこで売ってきてもかまいませんから」申しわけなさそうに答えた。
そこまで聞いていて、大村専務が小さく溜息をついた。
野放しになっていた問題や課題に気づきはじめたようだ。
リーダーたちを責めるつもりはなかったが、大村専務に危機認識を持ってもらうためには、必要なやり取りだった。
ターゲット顧客を営業マンに任せれば、個々の能力や経験値によって、案件の発生率や成約率が左右されてしまう。
大変な機会損失になっている可能性があるのだ。
行くべき顧客に行っておらず、行きやすいからといって行くべきではない顧客に行ってしまうことを失くすためには、会社や組織がターゲットの明確な基準を示してやる必要がある。
顧客特性、販売する商品、営業マンの経験や能力、競合他社の動き、市場のトレンドなどを考慮した上で、いつ、どこへ、なんのために行くのか、リーダーと営業マンが意思統合の上で計画していく。
ホワイトボードに、中川が言っていた、「取引金額」「購買ポテンシャル」と書いた。
取引金額のほうを横軸に、購買ポテンシャルのほうを縦軸にして、図表にしてみる。
「たとえばこんなふうにしてみると、すべての顧客は六つにセグメントできる」「営業マン個々によって、担当顧客の分布はかなり違ってきそうですね」加藤が目を輝かせている。
その隣の香乃も、真剣な表情でノートを取っていた。
「それが見えてくることが重要なんだ。
五十社のターゲットにしても、たとえばさらに大きな業績が期待できそうな重点顧客を十社、購買ポテンシャルは高いのに取引が少ない深耕顧客を二十社、新たな顧客を増やすために新規開拓顧客を二十社選ぶというふうに、ルールを決めてしまえばいい。
そしてそれぞれの顧客セグメントごとに、リーダーと相談して攻略シナリオを作成し、事前準備をしっかりとする」「なるほど。
さらに売上を増大させるために訪問する企業、インナーシェアを高めるために訪問する企業、新規の取引を獲得するために訪問する企業、それぞれ目的は違うわけですから、攻略シナリオも違ったものになるわけですね」高橋が感嘆した様子でホワイトボードを見上げている。
あらゆる業種において市場は縮小し、競争は厳しさを増すばかりだ。
営業マンが個々人の経験や能力によって顧客を好き勝手に選んでいては、市場をますます小さくしてしまうことになる。
会社やリーダーが戦略的な視点を持って、行くべき顧客や行くべきでない顧客を決めていくことは、営業マンを助け、営業生産性を向上させることになる。
「すべての顧客をこのセグメントに当てはめてみると、いろいろなものが見えてくるな」大村専務が腕組みをしながら、ホワイトボードをじっと見つめる。
高橋が立ち上がると、赤のマーカーを手にして、「営業マンごとに、どのセグメントの活動や売上が多いか、集計してみるとおもしろいですね」と、書き込んでいった。
「毎月予算を達成していても、売上のほとんどが重点顧客ばかりという営業マンもいるかもしれない。
営業努力を認めないわけじゃないが、先輩から受け継いだ遺産で食えているというところもあるな」「大村専務の言う通り、売上の中身を詳しく見ていくことによって、営業マンの評価も変わってくるかもしれない。
新規顧客を開拓して深耕顧客を増やしたり、深耕顧客でのインナーシェアを上げて重点顧客にランクアップしている営業マンは、評価を高くする必要があるかもしれない」五十嵐の言葉に、佐伯がノートから顔を上げる。
「セグメントごとに得意な営業マンがいれば、ノウハウの共有もできるってことですよね。
教育にも使えそうだ。
それこそ責任者制の中で、セグメント別に推進責任者を決めてもいいかも」「いろいろとアイデアが出そうだな。
この方向でセグメントを作るとして、縦横のそれぞれ軸の目盛りとなる具体的な数値を、みんなで話し合ってみよう」「縦軸の購買ポテンシャルは、年商と従業員規模をポイント化してかけ合わせればいいんじゃないか」「リース会社からもらっている与信評点ランクのABCDを使ってもいいな」「横軸の取引は、重点商品の導入可否を使ったらどうだろう」「重点商品は顧客関係力指標に取り入れたから、ここは単純に売上実績にしたほうがいい」「いや、やはり商品群を決めて、顧客内のインナーシェアを見るべきだ」気がつけば次々に意見が出てきて、議論は着実に熱を帯びたものになっていった。
13顧客関係力のモノサシを創る五十嵐は次のアジェンダへと議論を進めた。
「営業マンが報告してくる案件の進捗状況って、そもそも本当にその通りなのかな?」三人の営業マンは、誰も返事をしようとしない。
五十嵐が順番に視線を送ると、上島が白髪の多い髪を搔きむしりながら口を開いた。
「私たちがリーダーに噓をついているとでも?」「そうは言ってないけど、上島係長だって上司に報告したくないことの一つや二つはあるだろう?」「その質問に、どうしても答えなくちゃいけないですか?」上島の答えに、上司である高橋が苦笑いで溜息をつく。
「つまり、リーダーとしては、部下の報告が正しいのか確認するのは難しいってことだな」五十嵐の問いかけに、高橋と佐伯が顔を見合わせながら首を縦に振る。
「そうなんですよ。
実際に一度でも同行している顧客なら、だいたいの感触は摑めるんですけどね。
報告っていっても、営業マンごとに性格が違うっていうか、くせみたいなものがあるっていうか……」「そうそう。
別に噓をついているわけじゃないんだろうけど、絶対に決まりますって言いながら、成約率が半分にもならない人とか、弱気な感じで『だめかもしれません』なんて言いながら、普通に決めてきちゃう人とかね」三人のリーダーがうなずき合って笑っている。
「たしかに営業マンの性格の違いもあるかもしれないが、そもそも顧客との関係力が見えていないから案件の評価がしづらいんじゃないかな」営業マンの報告には、優先順位があることを説明する。
よいことは大きく先に、悪いことは小さく後まわしにする。
時と場合によって、黙っていたり、噓だってつくかもしれない。
それが営業マンというものだ。
「リーダーのマネジメントって、実は部下からの報告の上に成り立っているんだ。
リーダーがいくら経験豊富で能力が高くても、判断する材料は、所詮は営業マンからの報告に頼っているわけだからな」「私たちのマネジメントが、部下の報告に依存してる……」中川も佐伯も、少なからずショックを受けているようだ。
高橋は何度もうなずいている。
考えてみれば当たり前のことなのだが、管理職になると見落としがちな視点だった。
「じゃあ、部下の報告がだめだったら、マネジメントなんてできないじゃないですか」佐伯が一瞬、香乃に視線を送りながら言った。
「トップセールスというのは、上司への報告、つまりは情報提供が多くて早くて正確なんだ。
その反対に、業績に苦しんでいる営業マンの情報提供は、少なくて遅くて間違っていることが多い。
だから、トップセールスであり、業績低迷セールスである所以なんだけどな」ずっと腕組みをしてみんなのやり取りを聞いていた大村専務が、我慢しきれなくなったように五十嵐に尋ねた。
「営業マンの報告にバラツキがあることはわかったが、それでもリーダーは案件進捗について、アドバイスをしなくちゃならないだろう。
どうしたら、マネジメントの精度を上げることができるんだ?」五十嵐は高橋に向き直ると、相談口調で尋ねる。
「営業マンにアドバイスするためには、どんな基本情報があればいいと思います?」「従業員規模や取引商品、組織体系などの顧客情報は、既存取引があれば整理されているのでわかるんですけど。
それよりも、顧客と我が社の関係度みたいなものが見えないんですよね。
もっとも、日々変化するものだし、これこそ営業マンごとに報告はバラついてしまいますけど……」「そうはいっても、高橋リーダーが暗黙知でマネジメントしてきた基準はあるわけですよね。
営業マンたちだって、それを感じ取って、自分たちの基準にして報告してきたはずです。
それは我が社の文化といってもいい。
曖昧な部分も多いとはいえ、何も基準がなかったわけじゃないと思うんです。
せっかくですから、それを我が社の基準値にしてみませんか?」「基準値って、具体的にはどうするんですか?」佐伯がノートにボールペンを走らせながら尋ねた。
「我が社と顧客が、どんな関係になっているか、リーダーと営業マンが共通で認識できるようにするんだ。
顧客関係力の共通のモノサシを作るといえばいいのか
な」「たしかに、案件の報告を受けたときに、そのお客様とどんな関係を築いているのか、リーダーと営業マンが共通認識を持てれば、案件進捗の評価もしやすいし、適切なアドバイスができますね」佐伯の表情が、明らかに活き活きとしたものに変わってきている。
改革をするということは、現状の姿を浮き彫りにし、関係者がそれを共有するということだ。
しかし、潜在化していた課題や問題を顕在化することで、当事者たちは今までやってきたことを否定されることになる。
これは改革のスタートとしては、避けて通れないことである。
逃げてはいけない。
いっぽうでは、否定されたことにより、改革へのやる気を失ってしまうことも考えられる。
改革を進めるのは経営層ではなく、あくまで現場の責任者であるべきで、彼らのモチベーションについては、充分に配慮しなければいけない。
自分たちで問題に気づき、自分たちで改善に取り組んでいくという形で進めないと、営業革新など絵に描いた餅になってしまう。
高い料金を払ってコンサルタントを雇い、いろいろと教えてもらっても、なかなかうまく進まないケースは山ほどある。
裏を返せば、自分たち自身で問題に気づき、解決の道を探ろうとするならば、それは新たな意欲を搔き立てることに繫がるのだ。
顧客との関係性で重要なポイントについて、充分に時間をかけて話し合っていく。
全員の意見を集約していくと、「情報共有」「人間関係」「取引状況」の三つが重要だということになった。
とくに人間関係については、お客様側の担当者が代わることで、大きく関係力が変わってしまうことがあるという。
それまで長年に亘って良好な取引関係にあったにもかかわらず、新しい担当者が異動してきたとたんに、他社と競合させられてしまうとか、その担当者が以前から取引している業者が呼ばれるなどといったことは、よくあるケースだった。
みんなの脳裏に、本多のことが浮かぶ。
自社の営業マンが退職したり異動したりした場合でも、担当顧客はすべて後任に引き継ぐことになり、顧客関係力が一斉に低下することに繫がる。
五十嵐はホワイトボードに、「情報共有」「人間関係」「取引状況」の三つを横軸に、五段階のレベルを縦軸にして、図表を描いた。
みんなが思いつくままに、各レベルの達成条件について意見を出し合っていく。
だいぶ議論が白熱してきた。
日頃から顧客対応をしている加藤や香乃も積極的に意見を口にする。
一時間ほど議論を重ねた。
「顧客関係力指標ができましたね。
これを我が社の共通のモノサシにしませんか?」五十嵐が大村専務に提案した。
「いいんじゃないか。
これならお客様とどんな関係になっているのか、すぐにわかる。
お客様に同じ商品を提案する案件でも、半年前と現在では、顧客関係力が変わっていることも考えられるしな」「そうなれば当然ながら、案件進捗にも影響があるはずです」高橋が過去の案件を思い出すように言った。
「たとえば、お客様の担当者が代わったことにより、前回はなかった競合があるとかね」「お客様の担当者の上司が代わって、決裁に時間がかかるようになってしまうこともあるな」高橋と佐伯が、次々と顧客関係力が変わっていく状況を口にした。
「顧客関係力指標を使うことによって、全社で共通のモノサシを持つことができる。
今までは、『顧客』といってもバラバラな認識だったものが、初めて同じ尺度で見えてくるはずだ。
商談や顧客対応についての議論が、本当の意味で嚙み合ってくるだろう」五十嵐の言葉に、リーダーたちが満足そうに微笑んだ。
14営業プロセスをガイド化する休憩を挟んで、会議のメインテーマに入る。
「商談におけるシナリオは、どうなってるのかな?」用意したクッキーを勧めながら、五十嵐はリーダー三人に問いかける。
「それは案件ごとにケースバイケースですから、その都度、報告を受けながらアドバイスしてますね」佐伯の返答に、高橋や中川もうなずいた。
「事前に攻略シナリオを作って、活動計画を共有しておくわけではないのか。
営業マンだったころのことを思い出してほしいんだけど、一生懸命に頑張った商談なのに、結果としてうまくいかなかったことってあったよな?」「そんなのしょっちゅうでしたよ」「そんなとき、上司の評価はどうだった?」「むちゃくちゃ怒られましたね」佐伯が笑っている。
「反対に、それほど苦労していないにもかかわらず、結果として大きな売上が上がってしまったことだってあるだろう?」「ありました。
正直に言えば、適当にやっていたのに、すごく褒められました」「それって、どちらも営業マンのやる気をなくさせるだろう。
佐伯リーダーは今は部下を持つようになったけど、まさかそんなことはしてないよな」佐伯の顔から笑みが消えた。
「いや……でも、やっぱり営業マンは結果がすべてですから……」「今朝も話し合ったけど、事前に攻略シナリオで統合していれば、結果で判断するのではなく、プロセスで評価することも可能なんじゃないかな」「そうか。
結果として成約できていなくても、攻略シナリオをきちんと進められたのであれば、それは褒めてあげてもいいわけか」「反対に、無事に成約した商談でも、攻略シナリオと照らし合わせてみると、実は問題点がたくさん存在する場合もあるのかもしれない」「自分が営業マンだったときはすごくいやだったのに、いざリーダーになったら、結局は同じようなことをしていたんだな」これは営業マンの評価にも繫がるので、とても重要なポイントだ。
業績結果だけではなく、部下の仕事のプロセスに目を向けることは、リーダーの大切な仕事である。
営業マンのモチベーションに大きな影響を与えるし、案件の進捗管理においても非常に効果的だった。
「もちろん状況に応じて、リーダーが相談に乗ってあげることは大切だけど、商談プロセスって本来はやるべきことも、やるべき順番も決まっていると思うんだ。
それが体系化できていないと、見落としややり残しが発生しても気づくことができない。
商談進捗を営業マンの個人スキルに頼るのではなく、きちんと営業プロセスガイドを作ってあげれば、毎回の訪問目的も明確になり、事前準備もしやすくなる。
訪問結果に対する次回へのアドバイスも的確にできる。
売れてしまった、ではなく、きちんと売ってくるわけだ」「営業プロセスガイドって、セールスマニュアルみたいなものですか?」香乃が手を挙げて質問した。
「商談プロセスごとのToDoリストみたいなものかな。
顧客への価値提供をプロセスごとに決めておけば、営業マンは次に何をすればいいか迷わないし、リーダーもマネジメントの判断基準を明確にすることができる。
それならリーダーからチェックが入っても納得感があるだろう」五十嵐がホワイトボードに、営業プロセスの流れをイメージした図を描いていく。
大村専務が、それを食い入るように見つめていた。
「商談において、それぞれの段階でやるべきことが決まってさえいれば、次に何をするべきなのかとか、何ができていないかとかが、誰でもわかるようになるんだな」五十嵐が大村専務に向き直る。
「その通りです。
商談の流れを一本の線ではなく、階段のようなものだと考えればわかりやすいと思います。
一段ステップアップするために、いったい何をやればいいのかを、誰もがわかるように明確にしておくんです」「商談は階段か」「フールプルーフってありますよね。
コンピュータなどのシステムで、ユーザーが誤って操作しても致命的な障害が起こらないように設計しておくことです。
工場などの生産ラインでは、ポカヨケなんていってますが、人間がうっかりミスをしてしまっても深刻な状況になる前にそれが検知されたり、そもそも誤操作ができないようにする仕組みを作ってあります。
熟練工も人間なのでケアレスミスの可能性はあるという前提のもとに、効率的な生産管理をするための仕組みのことです」五十嵐の説明に、大村専務が大きくうなずいた。
人間は必ず間違いを犯す。
営業マン個々の経験やスキルには関係なく、誰がやっても同じ程度の成果が期待できる仕組みを作ることが、営業プロセス革新の基本的な考え方だ。
ひいてはそれがマネジメント品質の向上になり、営業マンを助けることに繫がるわけで、そんな仕組みを作ることが経営幹部やリーダーの重要な役割となる。
「商談って、案件発掘から受注までの一方通行だと思われがちだろう?」上島が首をかしげながら、ノートから顔を上げた。
「商談というのは、受注というゴールを目指して進むんですから、多少後戻りすることはあっても、基本的には一方通行でいいんじゃないんですか?」「実際には違うんだ。
受注はゴールであると同時に、次の商談のスタートでもあるんだから」五十嵐は、たった今描いたばかりの標準プロセスのイメージ図を消すと、丸く円になるように描き直した。
「そうか。
受注直後でお客様がいい気分になっているときだからこそ作れる人間関係もあるし、今までとは違った情報収集もできるってわけか」いつの間にか、上島の目つきもかなり真剣なものになっていた。
「だいぶお腹も空いてきたな。
とりあえず夕食を取ることにして、頭をリフレッシュさせよう。
夜のミーティングでは具体的にガイドを作っていくことにする。
かなりハードになるから、覚悟してくれよ。
とくに営業マンの三人には頑張ってもらうからな」香乃が背筋を伸ばして、しっかりとうなずいた。
15顧客と価値観を共有するために共通言語を持つ夕食後、夜のミーティングは十九時からはじまった。
それぞれの机の上に、七十五ミリ×七十五ミリの大判ポストイットが大量に配られる。
「一人につき二百枚ある。
今から私も含めて、全員で作業するから」研修室の壁には五枚のA0判の白模造紙が貼ってある。
左の白模造紙から順に「関係構築」「情報収集」「情報提供」「提案」「受注・アフター」と、営業プロセスの大項目カテゴリーがタイトルとして書かれていた。
「日頃の商談で行っていることを、片っ端から拾い上げて、そのポストイットにメモってほしい」「どんなことでもいいんでしょうか?」五十嵐の言葉をノートにメモしていた香乃が、手を止めて質問してきた。
「たとえば関係構築のプロセスなら、どんなことがあると思う?」反対に質問で返す。
香乃が一瞬考えたあと、「事前にお客様情報を調べる、とかですか?」不安げに答えた。
「それだと大きすぎるな。
もっと詳しくだと?」「お客様のホームページを見るとかでしょうか?」「それなら正解だ。
ちなみに、ホームページのどこを見る?」「どこって言われても、あまり意識せずにいろいろ見ていますけど……」「まずは企業情報を見るんだ。
経営理念、企業ビジョン、トップメッセージ、企業の沿革、社会貢献活動など、その会社がステークホルダー、つまりは顧客、従業員、株主、取引先、地域社会などに伝えようとしていることが書かれている。
それを確認する。
これができて、初めてお客様と共通言語を持つことができるんだ」「共通言語ですか?」「英語が母国語の外国人の友人と映画に行ったとして、観たあとでどこのシーンがよかったとかヒロインのどこの演技が素晴らしかったとか、感想を言い合いたいと思うだろう。
でも、秋元さんが日本語しかしゃべれなければ会話はできないよな。
お互いが片言ではコミュニケーションは深まらない」「デートの魅力も半減ですね」「映画の相手は異性が前提なんだな」全員が、どっと笑った。
香乃は頰を赤らめながらも、笑顔でつづける。
「価値観を共有するためには、最低限、共通言語を話せる必要があって、企業情報がそれに当たるわけですね」「その通りだ。
まずは企業情報から見て、その上で製品情報や採用情報を確認すればいい」香乃が不思議そうな顔をした。
「採用情報から何がわかるのでしょうか?」「加藤主任、答えてあげて」突然の指名にも、加藤はよどみなく答えはじめる。
「採用情報のページにどれだけ力を入れているかで、その企業の今後の事業展開が予測できるケースがあります。
募集しているのは開発職なのか営業職なのか、それとも事務職だけなのか、工場のライン職なのか。
募集規模や地域を公開している場合もあります」さすがはトップセールスだ。
よい視点を持っている。
「そうか。
営業職の募集に力を入れていれば、製品の拡販が次年度の主要施策である可能性があるということですね」香乃の反応もよい。
加藤がさらにつづける。
「ホームページだけじゃなくて、帝国データバンクやリース会社の資料を確認したり、導入機種や取引実績などの顧客情報も整理しておく必要があります。
地域営業課ではあまりないけど、大手営業課だったら上場企業もあるだろうから『四季報』も読んでおく必要があると思います」「いいね。
他には?」「導入機種や取引実績の確認をして、同業他社の導入事例集なども準備します。
それから実際の訪問では担当者だけでなく、複数部署のキーマンに会うようにして、情報の偏りをなくすようにもしますね」上島が口を挟んでくる。
「担当者の上司にも早い段階で会っておいたほうがいいんじゃないか」「あっ、そうでした」議論が白熱していく。
「なかなかいいじゃないか。
そんな感じでカテゴリーを気にせず、どんどんポストイットに書いてほしい。
二百枚書いた人から今夜の業務は終了だ」
「二百ですか?」佐伯が悲鳴に近い声を上げた。
「毎日やっていることだろう」「それはそうなんですけど」「食堂にビールとつまみが用意してあるから、終わった人から自由にやってくれ」一斉に全員がメモを書きはじめる。
大村専務も真剣な表情でポストイットに向かっていた。
シーンと静まり返った室内に、ペンを走らせる音が微かに響く。
それから早い人で三時間、最後の人は四時間以上をかけて、全員が二百枚のポストイットを書き上げた。
16誰がやっても同じ成果が出る仕組みを創る翌朝の九時に、朝食を終えたメンバーが研修室に集まった。
マネジメント研究会の二日目がはじまる。
「それじゃ、昨夜書いてもらったポストイットを、大項目カテゴリーごとに分けながら、白模造紙に貼っていってくれ」全員が立ち上がり、賑やかに話しながら、それぞれが二百枚のポストイットを貼りつけていく。
個々人によってカテゴリーに偏りはあるものの、八人全員が貼り終えると、すべての白模造紙がポストイットで溢れた。
そこから午前中いっぱいをかけて、二つの作業を行う。
まず、カテゴリーごとに重複した実施項目を一つにまとめていく。
全員が同じことを書いていればポストイットは八枚になる。
加藤が順番に読み上げ、全員の意見を聞きながら次々とポストイットを重ねていく。
それが終わると、次は一つのカテゴリーにつき十個を選び、他を剥がしていく。
枚数の多い順ではなく、あくまで重要な実施項目を全員一致を原則として選択するのだ。
侃々諤々の議論の末、昼前にようやく五十個の実施事項が決定した。
五十嵐は全員に向かって宣言する。
「この五十個を大村事務機の営業プロセスと決める。
もちろん商談はお客様が相手だから、状況に応じて実施の順番が変わることもあれば、これ以外の項目を行う必要が出てくる場合もあると思う。
それでもこれは、ここにいるマネジメント研究会のメンバーが議論を尽くして決定した我が社の営業プロセスガイドだから、リーダーと営業マンが計画や商談の進捗を共有するときの共通の基準としてほしい。
まずは各カテゴリーごとの十個が完了しているのか、それをマネジメントしていく。
未実施項目があれば、それが次回訪問の目的となり、事前準備もそれを意識したものになるはずだ。
そして十個がすべて埋まれば、次のカテゴリーへと進む。
営業プロセスの階段を一つずつ上がっていくんだ」
五十嵐の言葉に、全員が大きくうなずいた。
17事実を積み上げて「受注確度判定」を共有化する昼食を挟んで、午後のアジェンダに進む。
「最後は業績達成予測について、議論したいと思う。
現状はどうなってるのかな?」五十嵐は佐伯に質問した。
「積上ですね。
毎月二十日と月末前日に、リーダーと営業マンが打ち合わせをしながら作成しています。
手持ちの案件を、A、B、Cランクに分けて、現状の受注と合わせながら、月末の着地予測を立てていくんです」「A、B、Cランクの基準は明確に共有されているんだよな」「一応は受注確度の基準があって、Aが七十パーセント、Bが五十パーセント、そしてCが三十パーセントです。
Cだと当月に結果が出ないか、出ても競合状況が厳しいということで、実際にはAとBの中から、リーダーが選別しています」「一応は?つまり、選別するということは、営業マンによって、AやBの決定確率にバラツキがあるということなのか?」大村専務が口を挟む。
「Aは確率七十パーセントだし、Bは確率半々なんだろう?」「それはそうなんですけど……」佐伯の歯切れは悪い。
「要するに、人によってバラバラなんだな」佐伯が返事に言いよどむ。
高橋が後を受けた。
「営業マンにも性格の違いがありますから。
強気な人もいれば、必要以上に弱気な人もいます。
だから、私たちリーダーが判断するんです」「性格の問題で片づけていいのかな?」五十嵐の言葉に、返事をする者はいない。
大村専務が腕組みをして、深く息を吐いた。
「だから毎回毎回、月末着地が狂うんだな。
どうにかならないのか?」五十嵐に尋ねてくる。
「もちろん商談というものは、工場のラインとは違って人間を相手にしていますから、絶対というものはありません。
でも、会社で共通のモノサシを持つことで、予測の精度を上げることはできると思います」五十嵐はホワイトボードに、縦軸を顧客関係力指標に、横軸を営業プロセスにした図表を描き、受注確度判定が明確化できることを示す。
「顧客関係力がレベル1で、営業プロセスが情報提供の途中までしかできていないのに、受注確度がBということは考えにくい。
やるべきことが、まだ全然できていないんだからな」「でも、取引の長いお客様なら、なんとなく過去の経緯から、その後の展開が読めて、決まりそうかどうかわかるんじゃないですか?」佐伯としては納得がいかないようだ。
「継続取引をしている顧客だとはいっても、いつも必ず同じ流れで商談が進むとはかぎらないだろう。
お客様も市場も動いているんだから」「まあ、それはそうですけど……」「そういう感覚的なものも否定はしないが、それでは判断を営業マンの経験や力量など、個人スキルに依存してしまう。
マネジメントがぶれてしまうし、落とし穴がいっぱいあるんじゃないか」「たしかにそうです」じっとホワイトボードを見ていた高橋が、「俺たちの頭の中にある基準と、営業マンの報告してくる基準が一緒だったら、受注確度判定はかなり正確になるよな」佐伯に向かって言った。
「そうなれば、確度をランクアップするために、いろいろと手を打てるってわけですね」五十嵐はホワイトボードに、「推察」「思い」と書いて、それぞれに上から赤ペンで×印をつけ、その隣に大きな字で「事実」と書いた。
「確度判定は事実を積み上げて決めるんだ。
ここで全員で基準を決めてしまおう。
ABCそれぞれについて、顧客関係力指標と営業プロセスのカテゴリーを定義するんだ」「それもこのメンバーで決めてしまっていいんですか?」佐伯が大村専務に確認する。
「かまわないだろう。
やってみて合わなければ、修正すればいいんだから」「あとで変えてもいいんですか?」佐伯が五十嵐に視線を向ける。
「営業プロセスガイドでも受注確度判定でも、重点実施項目(KPI)については市場の変化や自社の事業戦略に応じて、その時々で変えることは問題ない。
KPIを変えることで長期的な変化を捉えにくいというデメリットを唱える人もいるが、それは経営的判断というより管理スタッフ側の都合によるところが大きいんだと思う。
もっとも重要視されるべきは、現場の営業マンやマネジャーがどれだけやりやすいか、生産性を上げることができるか、そういうことだろう」それから一時間ほど議論を重ね、ABCランクそれぞれに受注確度判定の基準を決定した。
加藤と香乃が実際に現在商談中である案件についてそれぞれ状況を説明し、受注確度判定に当てはめてみることで検証を行う。
加藤のほうは中川への報告通りのAランクだったが、香乃の案件は佐伯が聞いていたAではなくBに変わってしまった。
「だから秋元の報告は当てにならないんだよ」佐伯の言葉に、香乃はうなだれた。
「まあ、こうやって気づいていくことが大切なんだから。
一つ成長できたじゃないか」香乃に言葉をかけた。
「これで今回のマネジメント研究会のアジェンダは終了だ。
みんなの協力で、営業革新を進めるための仕組みを作ることができた。
だけど、これはあくまでもスタートラインに立ったにすぎない。
大切なのはここからなんだ」これらの仕組みを使って営業プロセスを見える化し、組織的に営業力を強化していかなければならない。
そのためにも、まずはSFAなどのインフラ整備が必要だった。
SFA(SalesForceAutomation)とは、営業の生産性を向上させることを目的とした、ITによる営業支援ツールだ。
顧客との接点活動を計画段階から組織で共有でき、過去の商談履歴や進行中の案件の進捗状況など、営業活動で知り得た情報を組織の資産として活用できる。
SFAを導入して、プロセスを可視化できる体制を作ることが急務だった。
せっかくガイドや基準を作っても、それが可視化されなくては意味がない。
インフラの導入は、基準作りとセットで考えなければならない。
さらには、一人一台ずつタブレットPCを配布して、社外にいながら、SFAの参照や入力はもちろん、メールや見積書、提案書の閲覧が自由にできる環境にすることも必要だ。
直行直帰を可能にし、メールチェックなどで日中に途中帰社しないですむような環境作りをしなくてはならない。
プロセスを可視化するためには、情報入力や情報共有など、どうしても仕事は増えてしまう。
新たに発生した業務の分、他の営業付帯業務を効率化しなければ、営業マンの仕事はパンクしてしまうだろう。
営業革新では、プロセスの見える化と付帯業務効率化は、同時に実現していかなければならない。
「それには金がかかるな」大村専務が渋い顔をする。
それまでは笑顔で議論に参加していたのに、経費にかかわることに話題が及ぶと経営者の顔になる。
「SFAといっても、今はクラウドで提供されていて、低額の月額費用で利用できるものも多いんです。
クラウドならバージョンアップやセキュリティ対策も管理されていますから、メンテナンス費用もかかりません。
タブレットPCのほうも、ハピネスコンピュータには、メーカーと交渉して特別価格を出させるように話を通してあります」「それでも、ただってわけじゃないだろう?」大村専務の言葉に、五十嵐は自分の顔色が変わったことを感じたが、憤る気持ちは抑えようがない。
「我が社は、いったいなんの会社なんでしょうか?ITの販売会社じゃないんですか?まずは自分たちの業務がITによって改善されてなくては、お客様の業務改善だってできるわけないじゃないですか。
販売するのは商品ではなく、商品が生み出す価値なんです。
お客様に一番信頼していただけるものは、私たち自身が実践し、体感した価値ですよね」ここまで強い言葉を使うことは、五十嵐にしては珍しかった。
自分でもよくないとは思いながらも、言い出したら止まらなくなってしまった。
得てしてこういうやり方をすれば、効果は狙った通りにはならない。
人は感情の生き物だ。
理で押しきられれば、それが正しいことだとしても、いや、正しいことなら余計に、相手に対して反発するものだ。
日頃からそんなことはわかっていたはずだった。
それなのに、大村専務に食ってかかってしまった。
それも部下たちの前でだ。
一番やってはいけないやり方だ。
自分でもまだまだだと思う。
「わかったわかった。
そう、ムキになるな。
俺だって、会社をよくしていきたいと思ってるんだ。
だけど経費のことは坂巻さんに任せてある。
俺ではなく、坂巻さんと話してくれ」五十嵐は思わず語気を荒らげたことを詫びる。
「失礼な言い方をして、すみませんでした」最後に空気が重くなってしまった。
こういうときは、流れを変えることが必要だ。
「それではこれで終わることにして、このあとは駅前の居酒屋で、軽く打ち上げといきませんか?」笑顔の五十嵐に対して、大村専務もすぐに賛意を示した。
18営業マンの仕事はお客様のところへ行くこと五月二十日の午前中。
月末の業績着地予測を立てる積上会議が営業部で開かれていた。
責任者の五十嵐に対して、高橋、佐伯、中川の三人のリーダーが各営業課の数字の読みを報告していく。
積上の段階から九十六・九パーセントと未達になっていた。
達成予測が立っているのは、高橋の公共営業課だけだ。
そもそも季節変動により三月に大型予算が組まれている公共営業課の予算比率は、営業部全体の二十パーセントほどしかない。
他の二営業課が予算を落とせば、営業部が積み上がるわけはなかった。
「それでも試験的にはじめてみた受注確度判定の共有によって、積上の確度としてはかなり正確なものになっているはずです」沈痛な面持ちで、中川が報告した。
「蓋を開けてみたら、全然違う数字になったなんてことはないってことだな」「今までのように、気合いで上乗せしたような数字は入ってません。
私なりに責任が持てる積上になっていると思います」「そうか。
まずはちょっと進歩だな。
それにしてもあと三パーセント、金額にしたら七百万もないんだ。
残りの日数でやれることを考えてみよう」佐伯が手元の資料から顔を上げた。
「実は、一つ、大きいやつがあるんですが」「隠し玉があるのか?」「というか、その……」どうにも歯切れが悪い。
五十嵐は大手営業課の案件一覧に視線を走らせた。
七千万円という大口案件が目に飛び込んできた。
ノートパソコンが二百八十台の一括案件だ。
営業部の五月度の売上予算が二億一千万円だから、三十パーセント超になる。
これが決まれば、大幅に予算を上まわることができる。
ハードの利益率は一パーセントとかなり低いが、保守契約が締結できればそれも補える。
保守契約はおよそ七割が粗利になるのだ。
「この株式会社ファンゲームって、今までは案件リストに載ってなかったな」「先週引き合いがあって、新規取引だったので、リーダー案件として私が別管理で対応していました」「リーダー案件?何か特殊な顧客なのか?」「総務課長が大学時代の友人なんです。
陸上部で一緒に箱根を目指して頑張った仲です」「駅伝の選手か」佐伯の出身大学は、箱根駅伝の出場校として有名な学校だった。
残念ながら佐伯が在籍した四年間は一度も出場を果たせなかったが、その前後の年では何度も出ているはずだ。
「卒業後も定期的に会っていました。
それで案件をまわしてくれたんです」佐伯から顧客情報の資料を受け取る。
株式会社ファンゲームは、アーケード向けのゲーム機器の開発・製造・販売をしている会社で、本社登記は東京都新宿区になっている。
従業員数四百三十名で、業界では中堅どころだ。
五十嵐も名前くらいは聞いたことがあった。
「状況は?」「ファンゲームはゲームセンターのゲーム機の開発をしています。
直営店舗はかぎられていて、リースを使った販売が事業の柱になっています。
この業界は流行の移り変わりが早いんです。
常に新しい機種を開発しつづけることが、メーカーにとっての生命線となるわけで、当然ながら競合メーカーとの開発競争も熾烈を極め、社員の引き抜きなど、情報漏洩には神経を尖らせています。
今回引き合いがあった案件ですが、今年度に投入した新型ゲーム機が大ヒットしたため、税金対策で来年度に行う計画だったセキュリティ対策の設備投資を、急遽前倒しすることが役員会で決まったことによります」「決算月は?」「六月です」「時間との戦いか」佐伯がうなずいた。
「実は友人が役員会の決定より五日ほど早く、未確定情報と断りながらも、こっそり私に相談してくれてたんです。
決算に間に合わなければ今年度の税金対策にはならず、導入はペンディングになってしまうそうなので、総務部としても進めておきたいという思惑もあったとは思いますが」やり方は正攻法ではないが、ビジネスの世界では珍しいことではない。
どんな商売でも、所詮は人と人が行っている。
人間関係が商談に影響を与えることは、むしろ当然のことだ。
「間に合うのか?」「社員向けのノートパソコンが二百八十台でP電機のYシリーズハイエンドモデルの機種指定ですが、セキュリティ対策として、全数がUSBポートとカードスロットルを物理的に潰した特注仕様の要望を受けています。
もちろん光学ドライブや無線LANも同様です。
メーカーのP電機には、事前にハピネスコンピュータを通して相談していて、大阪工場のラインを三本ほど確保してもらう確約は取ってあります。
今週末までに正式発注すれば、六月末までの納品は可能だとのことです。
他にも数社の販売会社から同様の相談が来ているそうですが、うちが一番だったということで、よそは断ってくれているそうです」「競合は排除できているのか」ここまではまったく問題のない商談だった。
導入目的も納期も提案機種も明確になっている。
顧客側の担当者との信頼関係も申し分なかった。
ならばなぜ、Aランク案件として積上に挙げてこないのだろうか。
「一つ問題があります」佐伯が難しい顔のまま、さらに資料を出した。
リース会社の与信調査票だ。
「否決か」五十嵐の言葉に、高橋が溜息をつき、中川が頭を抱えた。
「ファンゲームは昨年度まで三期連続の赤字決算だったんです。
家庭用ゲーム機の高性能化や通信回線の高速化によるオンライン対戦ゲームの普及、さらにはスマホの普及によってゲームがより身近なものになったおかげで、ゲームセンターの来場者数減少には歯止めがかかりません。
不採算店舗の閉鎖により全国の店舗数も年々減少の一途をたどり、アーケードゲーム機器の販売も落ち込みつづけ、業界はかなり厳しい状況になっています。
与信調査は昨年度までに公開されている情報に基づいています。
さっきも言ったように、ファンゲームとしては今年度に投入した新機種が爆発的に大ヒットして大幅な黒字に転じることは明らかなんですが、リース会社はそれを評価してくれません」中川が舌打ちをしながら、「金融屋は現場を見ないからな」悔しそうに言った。
「しかし、税金対策なんだから、契約はリースではなく、買取なんだろう」高橋が与信調査票を手にしながら言った。
高橋が担当する公共営業課は、市役所や学校が専門だった。
取引相手の信用調査に頭を悩ませることはほとんどない。
「社内起案を上げようと、事前に専務に相談したところ、その必要はないと言われました」初耳だった。
「何も聞いてないぞ」「すみません。
本当は部長を通して正式に起案すればよかったんですけど」社内ルールでは、五百万円以上の売買契約は部門長決裁で、一千万円を超えると専務決裁となる。
起案書にはリース会社の与信認可票の添付が義務づけられている。
裏を返せば、与信が否決された案件は、起案さえ上げることができない。
「しかし、与信が否決された理由は、明確になっているじゃないか。
それは説明したんだろう?」「それでもだめでした」「行くぞ」五十嵐は立ち上がった。
「どちらへ?」「決まってるだろう。
お客様のところだ」鞄を持って飛び出した五十嵐を、あわてて佐伯が追いかけた。
応接室に通されてすぐに、総務課長の田中英樹が入ってきた。
佐伯と同様にスポーツマンらしい精悍な顔立ちをしている。
名刺交換をしながらも、さわやかな笑みを絶やさない。
「うちの佐伯とは大学の陸上部で一緒だったそうですね」
「一緒に箱根を目指して、朝から晩まで練習に明け暮れた仲です。
学生生活では、親や彼女よりも佐伯といた時間のほうが長かったくらいですよ」五十嵐にお茶を勧めながら、田中が懐かしそうに目を細めた。
「パソコン導入の件、相談いただきまして、ありがとうございます」「最後になった四年のときの箱根の予選会で、うちの学校は十一位で出場を逃したんです。
佐伯はチームのエースで、私は十番目の選手でした。
私があと少し頑張れたら、佐伯は箱根を走ることができたんです。
これでやっと、借りを返せた気がしてるんですよ」箱根駅伝の予選会は、参加選手十名の平均タイムにより、上位十校が参加資格を得る。
あくまでも平均タイムなのだから、勝てなかったとしてもそれは一人の責任ではない。
それでも十番目の選手として、田中は責任を感じてきたのだろう。
「五十嵐さん、うちの会社はこれからまだまだ伸びていきます。
パートナーとして、ぜひ長くお付き合いください」田中が深く頭を下げた。
五十嵐は大村専務に報告に行く。
「また今月も積み上がらないか」大村専務の表情は曇っている。
「あの案件をやらせてくれれば、四月の落とし分まで取り返せます」「あの案件?」「ファンゲームの一括案件です」大村専務の表情が険しいものになる。
「あれはだめだ」「なぜです」「与信が通ってないじゃないか」「あの会社なら絶対に問題ありません。
それは佐伯からも説明があったはずです。
私も行って、自分の目で確認してきています」「だめなものはだめなんだ」「なぜなんですか!」大村専務が溜息をつく。
「坂巻さんが、うんと言わないんだよ」五十嵐の語気の強さに気圧されたのか、観念したように言った。
「坂巻部長が?」「本多の件がまだ片づいてないんだ。
自宅マンションの売却がうまくいってないらしく、入金の目処も立っていない」「一千五百万ですか……」「金の問題だけじゃない。
返済してもらうのは一千五百万だが、架空売上計上があったのは八千万だ。
事実が明らかになった以上は、会計上の処理をしなければならない。
それにあれだけの不正があったばかりなんだぞ。
銀行から派遣されている坂巻さんが、少しでもリスクのあるような商談を認めると思うか?」「リスクですか」なんともタイミングが悪かった。
「言われたよ。
万が一、ファンゲームに何か問題が起きて、七千万円の回収が滞ったらどうするのかってな。
二百八十台もの特注仕様のパソコンなんて、たとえ引き上げられたとしても、一台だって転売はできない。
仕入れ費用は全額損金になる。
そんなリスクは負えないそうだ」導入目的が明確になっていることが、かえって裏目に出た。
「それでも、あなたは坂巻部長の上司ですよ」「そんなことはお前に言われなくたってわかってる。
俺だってあの売上は喉から手が出るくらいほしいさ。
だけどな、銀行が金を貸してくれるから、うちはやっていけるんだ。
ハピネスコンピュータと違ってうちは吹けば飛ぶような小さな会社なんだ。
銀行に逆らっては生きていけない」「銀行がなんだ。
利益を上げれば、銀行に土下座して金を借りる必要だってなくなるんだ。
向こうから借りてくれって言ってくるだろう。
五十名の社員とその家族の人生が、あなたにかかってるんだ。
あなたが腹を括らないでどうするんだ!」「よそから来たくせに、俺に偉そうな口をきくな」五十嵐は、ぐっと拳を握り締めた。
「一緒に行きましょう」「どこへ?」「決まってるじゃないですか。
行きづまったときは、お客様のところへ行くんです。
営業マンの仕事は、お客様のところへ行くことです」大村専務が五十嵐を見つめる。
「俺も営業マンか?」「当たり前じゃないですか。
私たち営業マンのリーダーなんですから」少しの間があった。
「そうだな。
俺がリーダーなんだよな」大村専務が立ち上がった。
五十嵐が先に歩きはじめる。
「みんなを助けるんです。
さあ、行きますよ」19案件レビューを仕組み化する大村専務と五十嵐と佐伯の三人で、ファンゲームを訪ねた。
大村専務が挨拶にうかがうことを事前に伝えてアポイントを取ってあったので、田中の上司である取締役総務部長の葛西が同席してきた。
大村事務機の側からは、信用調査で与信が否決されたとは言い出しにくい。
しかし、さすがに葛西は総務の責任者だけあって、専務である大村と営業部長である五十嵐がそろって来訪した目的について察したようだ。
「我が社の先期までの業績が、御社にご迷惑をおかけしていますか?」「い、いや……それは……」葛西の言葉に、大村専務が口ごもる。
「大村さんがわざわざ来てくださったんだ。
協力できることはさせていただきますよ」冷や汗ものではあったが、葛西のほうから、最終決算前の途中段階という条件つきながら、財務諸表などの提出を進んで申し出てくれた。
商談は終始和やかなムードの中で進んだ。
帰社後、大村専務はそれらの資料をもとに、坂巻を説得した。
七千万円が払えないような会社ではないことは一目瞭然だった。
坂巻は渋々ながら納得した。
ファンゲームとの契約は、無事に締結することができた。
五月度、大村事務機は半年ぶりに単月予算を達成した。
それどころか通期では四月の借金を返し、六月にかなりの貯金を持ち越すことになった。
五月最終日の夜、大村専務に声をかけられ、五十嵐は寿司店で吞んでいた。
「達成してくれて、ありがとう」大村専務が五十嵐の杯に日本酒を注ぐ。
「専務のトップセールスのおかげですよ」「いや、俺だけだったら、きっと諦めていたと思う」大村専務が照れたように苦笑しながら、杯に口をつけた。
「これを機に、案件レビューを仕組み化しましょう」
「どういうことだ?」「案件に条件を決めておいて、見積提出前のレビュー会の参加メンバーをルール化するんです」「今だって五百万円以上は部門長決裁で、一千万円を超えると専務決裁になってるじゃないか」「それは売買契約の場合ですよね。
リースの場合は与信さえ通れば、リーダーが可決しているじゃないですか。
それに起案は、最終見積書を提出する段階になって初めて上がってきます。
つまりはほとんど成約することが前提になってからです」「そりゃそうだろう。
決まるかどうかもわからないのに、面倒な起案書を上げてくる営業マンはいないからな」「だから、高額の大型案件でも、商談が熟してくるまで、営業マンが単独で進めることになってしまうんです。
いいところ、リーダーが支援するくらいです。
しかし、大型案件ほど商談は高度であって、本来は組織ぐるみで商談を進めなければいけないんです」「たしかに、そうだよな」大村専務が五十嵐の杯に日本酒を注いだ。
両手で杯を持って受ける。
「案件発生の初期段階から特定条件でフィルターをかけて、それに引っかかったらレビュー会の実施を義務づけます。
参加者の中の最上位役職者は、必ずレビュー会の実施までに担当営業マンに同行して顧客訪問をしておかなければなりません。
営業マンに依頼されたから同行するのではなく、ルールだから行くのです。
特定条件は案件の金額で決めてもいいし、顧客セグメントを関連づけてもいいです」「なるほど、たとえば五百万円以上の案件は営業部長が、一千万円以上なら専務が商談に参加する、みたいな感じだな」「そうです。
商談が煮つまってから起案で最終判断をするのではなく、商談を進めるために最初からかかわっていくためのルールです」「いいな。
それ、すぐにルールを作ってくれ」「わかりました。
リーダーたちと話し合ってみます」大村専務が五十嵐に向かって杯を差し出した。
五十嵐も杯を持って合わせる。
「どんどんお客様のところへ行くよ。
俺も営業マンだからな」カチンッと陶器がぶつかり合う音がした。
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