第九話決して失われぬ報酬なぜ、我々は、働くことの喜びを失ってしまったのか。これほど忙しく毎日働いても、これほど一生懸命に働いても、なぜか、働くことの喜びを感じられない。
そう感じている方々は、決して少なくありません。なぜ、我々は、働くことの喜びを失ってしまったのか。それは、我々が、大切なものを見失ってしまったからです。
「仕事の真の報酬」その大切なものを見失ってしまったからです。例えば、いま、世の中の「常識」となっている考えがあります。
「仕事の報酬は、給料や収入である」その考えです。しかし、この考えには、大きな落とし穴があります。なぜなら、この考えは、我々の無意識に、ある「観念」を刷り込んでいくからです。
「仕事とは苦役であり、その苦役の代価として、金銭という喜びが得られる」その「観念」を刷り込んでいくのです。
そして、その「観念」は、我々から大切なことを忘れさせてしまいます。「仕事そのもののなかに、大きな喜びがある」そのことを、忘れさせてしまうのです。例えば、我々は、しばしば、こういった言葉を耳にします。
「仕事は面白くないけれど、給料が良いから我慢している」「仕事はつらいけれど、生活のためには、仕方がない」たしかに、我々の仕事の現実は、決して甘いものではない。
ときに、深く溜め息をつくときもある。ときに、逃げ出したくなる瞬間もある。しかし、溜め息をつき、逃げ出したくなる仕事の中にも、やはり、喜びが、ある。喜びを感じる瞬間が、ある。
例えば、上司の一言。
上司から贈られる「力をつけたな」の一言が、大きな喜びになる瞬間が、ある。「腕を磨く」ことの喜びを感じる瞬間が、ある。
例えば、顧客の笑顔。
顧客が笑顔でかけてくれる「ご苦労さん」の言葉が、爽やかな喜びになる瞬間が、ある。「良き仕事を残す」ことの喜びを感じる瞬間が、ある。また、例えば、仲間の思い。
仕事の壁に突き当たったとき、仲間から伝わってくる温かい思いが、深い喜びになる瞬間が、ある。「心の世界が広がる」ことの喜びを感じる瞬間が、ある。どのような仕事の中にも、そうした喜びの瞬間が、あります。
「腕を磨くことの喜び」「仕事を残すことの喜び」「人間を高めることの喜び」そうした喜びの瞬間が、あります。
そして、そうした喜びこそが、素晴らしい「報酬」。「仕事の真の報酬」なのです。しかし、それらは「目に見えない報酬」です。
「職業人としての能力」「作品としての仕事」「人間としての成長」それらは「収入」や「地位」などの「目に見える報酬」ではなく、「目に見えない報酬」なのです。
それゆえ、我々の中に、その「目に見えない報酬」を見つめる力がなければ、我々は、決して、その「真の報酬」を得ることはできません。
逆に、その「目に見えない報酬」を深く見つめ、それを求めて歩む「心の姿勢」があるならば、おそらく、我々は、日々の仕事の中から、「無限の報酬」を得ることができるのでしょう。
されば、問われているのは、何か。「目に見えない報酬」を見つめる力。「目に見えない報酬」を求める心の姿勢。その力であり、心の姿勢なのです。
では、その「目に見えない報酬」の中でも、「最高の報酬」は、何か。「人間としての成長」です。なぜなら、それは、「決して失われぬ報酬」だからです。
例えば、「給料」や「収入」。それは、言うまでもなく、使い果たせば、失われてしまう報酬です。そして、「役職」や「地位」。それも、その職を辞すれば、失われてしまう報酬です。
では、「能力」という報酬はどうか。一人の人間が、永年かけて身につけ、磨いてきた能力は、それほど容易に失われることはない。
しかし、ときに、技術の革新や仕事の変化のなかで、苦労して身につけた能力が、価値を失ってしまうときは、ある。
されば、「仕事」という報酬はどうか。もし、その仕事の作品が、建築物や製品などの作品であるならば、その作品は、永く失われることはない。
また、その作品が、形に残らないサービスなどの作品であったとしても、その作品に触れた人々の心に永く残ることは、ある。
しかし、やはりいつか、建築物は壊され、製品も壊れていく。そして、素晴らしいサービスの記憶も、いつか、人々の心から忘れ去られていく。
そのことを考えるならば、「収入」や「地位」という報酬はもとより、「能力」や「仕事」という報酬もまた、「いつか失われる報酬」なのです。
しかし、「人間としての成長」。それは、「決して失われぬ報酬」です。仕事を通じて、心の世界を広げていく。心の世界を深めていく。仕事を通じて、人間を磨いていく。人間を高めていく。
そうして得られた「成長」という報酬は、我々が、その生涯を終える日まで、決して失われることのない報酬です。いや、そうではない。
それは、我々が、その生涯を終えても、決して失われることはない。なぜか。後に続く人々がいるからです。振り返れば、我々の後には、多くの若き世代の方々が、いる。
そして、この方々は、我々の後ろ姿を、見つめている。我々が、一人の人間として、この「人間成長」という山の頂に向かって、どのように登り続けていったか、その後ろ姿を、見つめている。
たとえ、遅々とした拙い歩みであろうとも、たとえ、その道の途上で、力尽きようとも、「人間成長」をめざして登り続けていった一人の人間の後ろ姿を、見つめている。
そして、その若き世代の方々も、いつか、その山の頂に向かって、歩み始める。
我々の残した、その後ろ姿の記憶を、胸に。
その彼らの姿を、遠く見つめるとき、我々は、そこに、決して失われることのない報酬を見るのでしょう。
謝辞最初に、PHPエディターズ・グループの石井高弘さんに感謝します。
石井さんとは『なぜ、働くのか』に続く、二作目の「共同作品」です。
この書もまた、石井さんとの真摯な対話から生まれました。
そして、この書の文庫版を世に出していただいたPHP研究所の山田雅庸さんに感謝します。
素晴らしい編集者の方々と巡り会うこと。
それもまた、執筆という仕事の報酬であると感じます。
また、ソフィアバンク副代表の、藤沢久美さんに感謝します。
この「書籍講話」のスタイルは、藤沢さんの助言から生まれました。
そして、いつもながら、温かく執筆を見守ってくれた家族、須美子、誓野、友に感謝します。
この書を上梓した年、富士は、白銀の正月を迎えました。
雪に覆われた野原。
凛と立つ白樺の林。
深く輝く青空。
その景色が、心に残ります。
最後に、すでに他界した父母に、本書を捧げます。
生を終えるその日まで、「成長」に向かって歩み続けられた。
その姿が、私の胸に刻まれています。
二〇〇八年六月二日田坂広志
著者略歴田坂広志(たさかひろし)1951年生まれ。
1974年、東京大学工学部卒業。
1981年、東京大学大学院修了。
工学博士。
同年民間企業入社。
1987年、米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。
1990年、日本総合研究所の設立に参画。
民間主導による新産業創造をめざす「産業インキュベーション」のビジョンと戦略を掲げ、10年間に、異業種企業702社とともに20のコンソーシアムを設立・運営。
異業種連合の手法により数々のベンチャー企業と新事業を育成する。
事業企画部長、取締役・創発戦略センター所長を歴任。
現在、日本総合研究所フェロー。
2000年4月、多摩大学教授に就任。
現在、多摩大学大学院教授。
2000年6月、シンクタンク・ソフィアバンクを設立。
代表に就任。
2001年より、新しい時代の生き方と働き方を学ぶコミュニティ、「未来からの風フォーラム」を主宰。
現在、30000名のメンバーに対して、ネットを通じ、毎週、「風の便り」を配信し、「風の対話」を放送している。
2003年7月、「社会起業家フォーラム」を設立。
代表に就任。
現在、全国から12000名の社会起業家が集まり、様々な分野での社会変革に取り組んでいる。
2006年6月、シンクタンクとしては初の試みである、ネットラジオ局、「ソフィアバンク・ラジオ・ステーション」を開局する。
現在、上記の活動に加え、情報、流通、金融、教育、環境など、各分野の企業の社外取締役や顧問を務める。
著者へのご意見やご感想は、tasaka@hiroshitasaka.jpへ、お送りください。
著者のメッセージメール「風の便り」の配信と「未来からの風フォーラム」への参加は、サイトアドレスhttp://www.hiroshitasaka.jpで、ご登録ください。
著者の講演や講義は、「ソフィアバンク・ラジオ・ステーション」、サイトアドレスhttp://www.sophiabank.co.jpで、お聴きください。
主要著書仕事と人生を語る『仕事の思想』(書籍/文庫PHP研究所)『なぜ、働くのか』(PHP研究所)『仕事の報酬とは何か』(PHP研究所)『人生の成功とは何か』(PHP研究所)『これから働き方はどう変わるのか』(ダイヤモンド社)『なぜ、時間を生かせないのか』(PHP研究所)『未来を拓く君たちへ』(くもん出版)『知的プロフェッショナルへの戦略』(講談社)『プロフェッショナル進化論』(PHP研究所)『若きサムライたちへ』(PHP研究所)思想と哲学を語る『深き思索静かな気づき』(PHP研究所)『自分であり続けるために』(PHP研究所)『生命論パラダイムの時代』(ダイヤモンド社)『複雑系の知』(講談社)『ガイアの思想』(生産性出版)『こころの生態系』(講談社)『こころのマネジメント』(東洋経済新報社)『使える弁証法』(東洋経済新報社)社会と市場を語る『この国を良くするために、今やるべきこと』(ダイヤモンド社)『これから何が起こるのか』(PHP研究所)『これから知識社会で何が起こるのか』(東洋経済新報社)『これから日本市場で何が起こるのか』(東洋経済新報社)『これから市場戦略はどう変わるのか』(ダイヤモンド社)『まず、戦略思考を変えよ』(ダイヤモンド社)企業と経営を語る『複雑系の経営』(東洋経済新報社)『暗黙知の経営』(徳間書店)『なぜマネジメントが壁に突き当たるのか』(東洋経済新報社)『経営者が語るべき「言霊」とは何か』(東洋経済新報社)『意思決定12の心得』(書籍生産性出版/文庫PHP研究所)『企画力』(ダイヤモンド社)『営業力』(ダイヤモンド社)『なぜ日本企業では情報共有が進まないのか』(東洋経済新報社)
仕事の報酬とは何か――人間成長を目指して著者:田坂広志HiroshiTasakaこの電子書籍はPHP文庫『仕事の報酬とは何か』二〇〇八年七月一八日第一版第一刷発行を底本としています。
電子書籍版発行者:安藤卓発行所:株式会社PHP研究所東京都千代田区一番町二一番地〒1028331http://www.php.co.jp/digital製作日:二〇一一年八月一日本書の無断複写(コピー)は著作権法上での例外を除き、禁じられています。
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