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第三話なぜ、従来の「無意識を変える方法」が効果を発揮しないのか

すでに述べたように、無意識の世界をポジティブな想念で満たすことの重要性は、昔から多くの書籍や文献で語られており、同時に、「無意識を変える方法」についても様々な方法が語られてきた。

例えば、世界中で多くの人々に読まれている著名な書籍としては、ジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する』や、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』、さらに最近では、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』などがあり、それ以外にも、枚挙に暇がないほど多くの書籍が世に出されている。

そして、それらの書籍で共通に語られているのは、無意識の世界にポジティブな想念を浸透させることが「良い運気」を引き寄せるために不可欠の方法であるということである。

そのため、これらの書籍は、いずれも、表面意識の世界でポジティブな想念を強く持てば、それが自然に無意識の世界にも浸透し、「ポジティブな出来事」や「ポジティブな出会い」を引き寄せることを述べており、そのための具体的な方法としては、「ポジティブな想念を、強く抱く」「ポジティブな言葉を、何度も語る」「ポジティブな言葉を書いて、繰り返し見る」「ポジティブなイメージを、心に焼き付ける」といったことを語っている。

例えば、新たに起こした事業に成功したければ、「この事業は必ず成功すると、心に強く抱く」「この事業は必ず成功するという言葉を、口に出して何度も語る」「事業成功という言葉を書いて壁に貼り、毎日、繰り返し見る」「事業が成功したシーンを具体的にイメージし、心に焼き付ける」といったことを実行することを勧めている。

そのため、「無意識の世界をポジティブな想念で満たす」ことの大切さは、多くの人が理解しており、そのために提案されている方法についても、多くの読者が実践しているが、実は、こうした「無意識を変える方法」を素朴に実践しただけでは、決して、無意識の世界を変えることはできない。無意識の世界をポジティブな想念で満たすことはできない。

では、なぜ、これまで語られてきた「無意識を変える方法」では、無意識の世界を変えることができないのか。

その世界をポジティブな想念で満たすことができないのか。それには、大きく三つの理由がある。

  1. 第一の理由は、我々の無意識の世界には、日々、多くのネガティブな想念が刷り込まれ続けているからである。
  2. 第二の理由は、我々の無意識の世界には、すでに、かなりのネガティブな想念が染み込んでしまっているからである。
  3. そして、第三の理由は、我々の無意識の世界は、表面意識の世界と反対の想念が生まれる「双極的な性質」を持っているため、ポジティブな想念を抱こうとすると、逆に、心の奥深くにネガティブな想念が生まれてしまうからである。
目次

なぜ、我々の心は、常に、ネガティブな想念に支配されているのか

では、第一の理由、なぜ、我々の無意識の世界には、日々、多くのネガティブな想念が刷り込まれ続けているのか。

なぜなら、世に溢れる「ネガティブな情報」の洪水によって、我々の心の中に、毎日、大量のネガティブな想念が染み込んでくるからである。

特に深刻な問題は、毎日、何気なく目に入ってくるメディアの情報が、我々の無意識に、ネガティブな想念を刷り込み続けていることである。

例えば、たまたまテレビ番組で見た怖い病気のこと。新聞で何気なく読んだ悲惨な交通事故のこと。電車の雑誌広告で目にした陰惨な犯罪のこと。

こうした情報が、日々、気がつかないうちに、我々の無意識の世界に、不安感や恐怖心などのネガティブな想念を刷り込み続けている。

この問題の深刻さを論じたのが、ウィルソン・ブライアン・キイの『メディア・セックス』や『メディア・レイプ』という著書であるが、ブライアン・キイは、これらの著書を通じて、日々、メディアから大量に繰り返し流される情報が、気がつかないうちに、我々の意識下(サブリミナル)に刷り込まれていき、我々の行動を無意識に支配してしまうことの危険性に警鐘を発している。

すなわち、テレビやラジオ、新聞や雑誌、ウェブやSNSなどのメディアから、毎日大量に流される「ネガティブな情報」の洪水は、この「サブリミナル効果」を通じて、我々の無意識の世界に、多くのネガティブな想念を染み込ませてしまっており、それが、簡単な技法で無意識の世界をポジティブな想念で満たすことができない理由である。

では、第二の理由、なぜ、我々の無意識の世界には、すでに、かなりのネガティブな想念が染み込んでしまっているのか。

なぜなら、誰の中にも、過去の人生の「ネガティブな体験」があり、それが、心にネガティブな想念を固着させてしまっているからである。

例えば、子供の頃、いつも親から「お前は駄目な子だね」と言われ続けた人は、表面意識では忘れていても、無意識の世界に「自分は駄目な人間だ」という自己限定のネガティブな想念を抱えている。

また、例えば、子供の頃から、自分の容姿について強い劣等感を持っている人は、やはり、無意識の世界に「自分はこんな容姿だから」という自己否定のネガティブな想念を抱き続けている。

同様に、過去の人生において、貧しい家庭環境や家庭内での暴力、勉強ができない劣等感、進学や就職における挫折感など、極めてネガティブな体験を味わった人もまた、表面意識ではその記憶が薄れていても、無意識の世界に自己限定や自己否定のネガティブな想念を抱えている。

そして、何より怖いことは、こうした極端なネガティブ体験が無くとも、我々は、多かれ少なかれ、過去に味わったネガティブな体験に起因する不安や恐怖、不満や怒り、嫌悪や憎悪、そして、自己限定や自己否定といったネガティブな想念を、心の奥深くに抱いているということである。

実際、あなただけでなく、筆者も含めて、人間であるかぎり、誰もが、心の奥深くに、多かれ少なかれ、そうしたネガティブな想念を抱いている。

しかし、こうした想念は無意識の世界に存在するものであるため、当然のことながら、表面意識では、その存在にあまり気がつかない。

実は、そこに、このネガティブな想念というものの怖さがある。

例えば、傍目には、幸せな家庭に育ち、学業も優秀、人から好かれる性格であり、順風満帆の人生を歩んできたように見える人が、心の奥深くに、「親の期待に応えなければ、自分は価値の無い人間だ」といった強迫観念や自己否定の想念を持っていることは、決して珍しくない。

そして、その強迫観念や自己否定の想念が、恵まれた境遇にもかかわらず、その人の人生を不幸な方向に導いてしまうこともある。

それでも、もし我々が、少し時間をかけて専門的なカウンセリング(心理療法)を受けるならば、誰もが、自分でも気がつかなかったネガティブな想念を心の奥深くに抱いていることに気がつくだろう。

また、専門的なカウンセリングを受けなくとも、「内観」などの技法を用いて自分の心の奥深くを静かに見つめていると、それなりに、心の中のネガティブな想念を発見することはできるだろう。

人間は、生涯、その能力の数パーセントしか開花せずに終わる

では、なぜ、そうした「メディアのネガティブ情報」や「人生のネガティブ体験」によって生まれてくる心の中のネガティブな想念が、「良い運気」を遠ざけ、「悪い運気」を引き寄せてしまうのか。

その一つの理由は、ネガティブな想念が、我々の本来持っている力を萎縮させ、その力が十分に発揮されることを妨げるからである。

すなわち、第二話で、無意識の世界をポジティブな想念で満たすことは、「良い運気」を引き寄せるだけではなく、我々の「能力」を引き出すことにもつながると述べたが、これは、逆に言えば、我々が無意識の世界に抱いている、不安や恐怖、不満や怒り、嫌悪や憎悪、さらには自己限定や自己否定などのネガティブな想念が、我々が「能力」を発揮することを妨げてしまうことを意味している。

このことを、分かりやすい例で示そう。

もし、いま、筆者が、地面にチョークで三〇センチ幅の二本の線を引き、あなたに、その三〇センチ幅の道を踏み外すことなく歩くように求めたならば、あなたが健常者であれば、何の問題もなく、その道を歩くことができるだろう。

しかし、もし、目の前にあるのが、断崖絶壁の上に架けてある三〇センチ幅の板の橋であったならば、どうか。

おそらく、あなたの心の中に生まれる「落ちたら死ぬ」という恐怖感や、「こんな狭い橋、渡れない」という自己限定の意識によって、足が萎縮し、その橋を一歩も進めないだろう。

すなわち、本来、三〇センチ幅の道を踏み外すことなく歩ける能力を持っているにもかかわらず、心の中に不安感や恐怖心、自己限定や自己否定の意識を抱いた瞬間に、我々の能力はみじめなほど萎縮し、持てる能力を発揮できなくなるのである。

そして、これは、こうした肉体的能力だけでなく、直観力や想像力、発想力や創造力などの精神的能力も全く同じである。

このことを理解するならば、先ほど述べたように、我々は誰もが、無意識の世界に、多かれ少なかれ、不安感や恐怖心、自己限定や自己否定というネガティブな想念を抱いているため、実は、我々は誰もが、本来持っている能力を十全に発揮できていないのである。

実際、昔から、深層心理学においては、次の言葉が語られている。人間は、生涯において、その潜在能力の数パーセントしか開花せずに人生を終えていく。

たしかに、この言葉は真実であるが、逆に言えば、もし、我々が、心の奥深く、無意識の世界にあるネガティブな想念、不安や恐怖、不満や怒り、嫌悪や憎悪、自己限定や自己否定といった想念を消すことができるならば、そして、無意識の世界をポジティブな想念で満たすことができるならば、「良い運気」を引き寄せるだけでなく、我々の中に眠っている「潜在能力」が、想像を超えた形で開花するだろう。

実は、世の中で「天才」と呼ばれる人々は、この「潜在能力」を、普通の人の何倍も開花させた人々に他ならない。

それゆえ、我々も、もし心の中のネガティブな想念を消し、心をポジティブな想念で満たすことが十全にできるならば、同様の才能を開花させる可能性があるのである。

この「誰の中にも眠る『天才』の可能性」については、拙著『人は、誰もが「多重人格」―誰も語らなかった「才能開花の技法」』(光文社新書)において詳しく述べたが、しかし、残念ながら、無意識の世界のネガティブな想念を消し、その世界をポジティブな想念で満たすことは、極めて難しい。

その理由は、ここまで述べてきたように、第一に、我々の無意識の世界には、メディアを通じて、毎日、ネガティブな想念が刷り込まれ続けているからであり、第二に、過去のネガティブな体験の結果、すでに、かなりのネガティブな想念が染み込んでしまっているからである。

では、第三の理由は何か。

心の世界は、電気の世界と同様、プラスとマイナスが同時に発生するそれは、先ほど述べたように、我々の無意識の世界は、表面意識の世界とは反対の想念が生まれる「双極的な性質」を持っているからである。

すなわち、表面意識の世界で、どれほど強く「ポジティブな想念」を持っても、無意識の世界は、逆に、「ネガティブな想念」を持ってしまうのである。

それが、無意識の世界は「双極的な性質」を持つということの意味であり、従来の「無意識を変える方法」、すなわち、表面意識で強くポジティブな想念を持つという方法が上手くいかない最大の理由でもある。

では、なぜ、そうしたことが起こるのか。それは、心の世界は、電気の世界に似ているからである。

良く知られるように、電気の世界では、プラスの電荷とマイナスの電荷は、同時に、同じ量、発生する。

例えば、小学校の理科実験で習ったように、ガラス棒を絹の布でこすると、ガラス棒にプラスの電荷が発生する。

しかし、そのとき、必ず、絹にはマイナスの電荷が同じ量、発生している。

この現象と同様に、我々が、表面意識の世界に「プラスの想念=ポジティブな想念」を強く引き出すと、実は、無意識の世界に「マイナスの想念=ネガティブな想念」が必ず発生するのである。

分かりやすい例を挙げれば、我々が、無理矢理、周囲に決意表明をする瞬間に、そうしたことが起こる。

試験でも、試合でも、仕事の目標でも、難しい課題に挑戦するとき、「必ず、合格できる!」「必ず、勝てる!」「必ず、達成できる!」と周りに宣言すればするほど、心の深い所に「はたしてできるだろうか…」「できないのではないか…」「できなかったらどうしょう…」という迷いや不安が生まれる。

このように、表面意識の世界で、無理矢理、ポジティブな想念を引き出すと、無意識の世界に、必ずと言って良いほど、ネガティブな想念が生まれてしまうのである。

そして、こうした無意識の世界が持つ「双極的な性質」がゆえに、従来から提唱されてきた「無意識を変える方法」、すなわち、「ポジティブな想念を、強く抱く」「ポジティブな言葉を、何度も語る」「ポジティブな言葉を書いて、繰り返し見る」「ポジティブなイメージを、心に焼き付ける」といった方法が上手くいかないのである。

心の中に「ネガティブな想念」を持たない特殊な人間とはでは、どうすれば良いのか。こうした無意識の世界の持つ「双極的な性質」に対して、どう処すれば良いのか。そのことを考えるためには、一つの問題を考えてみる必要がある。

「人間は、誰もが、表面意識の世界にポジティブな想念を引き出すと、無意識の世界に、ネガティブな想念が生まれてしまうのか?」実は、人間の中には、表面意識にポジティブな想念を引き出しても、無意識の世界にネガティブな想念が生まれない人がいるのである。

それは、誰か。無邪気な子供である。例えば、無邪気な子供に、「君は、大人になったら、何になりたいの?」と訊いたとする。

もし、その子供が、「うん、僕は、大人になったら、宇宙飛行士になるんだ!」と答えたとしても、この子供の心の中に、「なれるだろうか…」「なれないのではないか…」「なれなかったらどうしよう…」といったネガティブな想念は、決して生まれない。

なぜなら、この子供は「無邪気」だからである。

すなわち、「無邪気」とは「邪気が無いこと」であり、無邪気な子供には、そもそも「邪気=ネガティブな想念」が無いからである。

これに対して、大人は、「無邪気」な子供時代を卒業しているばかりか、なまじ「分別」を身につけているため、心の中に、容易にネガティブな想念が生まれてしまう。

なぜなら、「分別」とは、その文字通り、「真と偽」「善と悪」「美と醜」、さらには「達成と挫折」「成功と失敗」「勝利と敗北」といった形で、物事を二つに分け(別け)てしまう営みだからである。

そのため、「分別ある大人」は、何かのポジティブな想念(真、善、美、達成、成功、勝利など)を抱いた瞬間に、心の一方に、対極にあるネガティブな想念(偽、悪、醜、挫折、失敗、敗北など)を抱いてしまうのである。

では、我々大人は、ポジティブな想念を心に抱くと、必ず、心の奥深くにネガティブな想念を抱いてしまうのか。

必ずしも、そうではない。大人でも、子供のように「無邪気な心」を持っている人は、この「想念の分離」が起こらない。実際、世の中を見渡すと、成功している経営者には、「無邪気な心」を持った人が多い。

特に、ベンチャーで成功する起業家などには、「この会社は、必ず大きくなるぞ!」「この事業は、絶対に成功するぞ!」といったことを無邪気に語り、この起業家の頭の中には「挫折」や「失敗」「敗北」といった言葉が無いのではないかと思いたくなるほど楽天的な人物が多い。

そして、これは、経営者や起業家だけでなく、芸術家でも、アスリートでも、一つの分野で成功する人物に共通の特長であるとも言える。

もとより、こうした人物が、単純に「無邪気な人格」だけで仕事をしているわけではない。

先ほどの拙著『人は、誰もが「多重人格」』でも述べたことであるが、こうした人物は、他にも「現実的な人格」や「緻密な人格」も持ち合わせており、場面と状況に合わせて人格を切り替えて対処しているということも事実であるが、ただ、この人物が様々な場面で「良い運気」を引き寄せ、仕事を成功に導いていけるのは、この人物の中にある「無邪気さ」や「楽天性」の力であることはたしかである。

心の中を「ポジティブな想念」で満たす「三つの技法」

しかし、こう述べてくると、あなたは、次の疑問を抱かれるかもしれない。

「けれども、誰もが、子供のように『無邪気な心』を持てるわけではない。では、そうした『無邪気な心』を持てない人間は、どうすれば良いのか?」それは、もっともな質問であろう。

そして、極めて大切な質問であろう。

ここで、もう一度、この第三話の主旨に戻り、我々が直面する問題を明確にしておこう。

第一表面意識の世界と無意識の世界をポジティブな想念で満たせば、「ポジティブな出来事や出会い」を引き寄せ、それが「良い運気」を引き寄せる。

第二しかし、表面意識の世界で、どれほどポジティブな想念を持っても、メディア情報や過去の体験から、すでに無意識の世界に多くのネガティブな想念が刷り込まれており、ポジティブな想念が浸透しない。

第三また、表面意識の世界で、どれほどポジティブな想念を抱こうとしても、必ず、無意識の世界には、その逆のネガティブな想念が生まれてしまう。

では、この悩ましい問題に、解決法はあるのか。その解決法は、ある。しかし、その方法は、従来の「無意識を変える方法」ではない。

従来の方法は、表面意識の世界にポジティブな想念を強く抱くことによって、それを無意識の世界に浸透させることを述べてきた。

しかし、そうした方法が上手くいかないのは、すでに無意識の世界に存在する多くのネガティブな想念が、そのポジティブな想念を打ち消してしまうからである。

従って、問題は、表面意識と無意識の世界にあるネガティブな想念を、いかにして消していくかである。

誤解を恐れずに言えば、「無意識を変える方法」として最も大切なのは、「ポジティブな想念」を抱く方法ではなく、「ネガティブな想念」を消す方法なのである。

すなわち、無意識の世界にポジティブな想念を浸透させようとするよりも、むしろ、無意識の世界に潜んでいるネガティブな想念に気づき、それを消していくことの方が、遥かに重要なのである。

では、その「ネガティブな想念」を消す方法とは、いかなる方法か。

本書では、その方法を述べよう。

それは、序話で述べたように「人生の習慣を改める」「人生の解釈を変える」「人生の覚悟を定める」という三つの技法であり、具体的には、次の三つである。

  • 第一「無意識のネガティブな想念」を浄化していく技法
  • 第二「人生でのネガティブな体験」を陽転していく技法
  • 第三「究極のポジティブな人生観」を体得していく技法

そこで、この後の第四話、第五話、第六話において、この三つの技法について、それぞれ述べていこう。

しかし、その前に、大切なことを、述べておきたい。

心の中の「ネガティブな想念」を消すという、この三つの技法は、実は、単に「良い運気を引き寄せる技法」ではない。それは同時に、「病気を克服する技法」でもあり、「才能を開花させる技法」でもある。それは、なぜか。

そのことを説明するためには、そもそも、なぜ、筆者が、この技法を学び、実践しているかについて述べなければならない。

「病気の克服」「才能の開花」「運気の向上」の三つが、同時に実現する技法

実は、筆者は、こうした三つの技法を、「良い運気を引き寄せる」ために、学び、実践し始めたのではない。その最初の目的は、「病気を克服する」ためであった。

三六年前、筆者は、生死の大病を患った。

医者からは、「もう、命は長くない」との宣告を受け、毎日、自分の命が失われていく不安と恐怖の中で、地獄の底を歩むような日々であった。

いま振り返れば、「このままでは、この体は、どうなってしまうのか」と、未来に対する不安と恐怖に苛まれるか、「どうして、こんな病気になってしまったのか」と、過去に対する後悔や自責の念に苛まれる日々を過ごしていた。

それは、言葉を換えれば、日々、最も重い「ネガティブな想念」に包まれて生きていた状態であった。

しかし、そうした日々のなか、いま思えば、何かに導かれたのであろうか、筆者は、ある禅師との邂逅を得た。そして、その禅師が教えてくれたのが、「心の浄化」の技法であった。

すなわち、心の中にある「負の想念」、不安や恐怖、後悔や自責、さらには、不満や怒り、嫌悪や憎悪という「ネガティブな想念」を根源から払拭していく様々な技法を、教えられたのである。

死が目前に迫っている状況、藁にもすがる思いで、教えられたその技法を実践し続けた結果、不思議なことに、まず、病の不安や恐怖が消えていき、後悔や自責の念が消えていき、さらには、自分の中から強い生命力が湧き上がり、少しずつではあるが、病が良い方向に向かっていったのである。

そして、一〇年の歳月、この技法を実践し続けた結果、いつか、病が消えていったのである。

いま、筆者が、生死の大病を克服し、こうして活力に満ち、執筆や講演、教育や社会貢献の仕事に取り組めるのも、三六年前に教えられた、この技法のお陰である。

それだけでも有り難いことであったが、この技法を実践することによって、もう一つ、不思議なことが起こった。それは、「才能の開花」とでも呼ぶべきであろうか。

本来、研究者の道を歩んできた人間が、実業界において、起業家として、経営者として、様々な仕事を成し遂げさせて頂いたことも不思議であるが、さらには、講演の講師として、また、私塾の主宰者として、様々な人材教育に携わらせて頂いていることも不思議である。

また、過去二〇年余りの間に、未来論、社会論、組織論、人間論など、様々な分野において、九〇冊余りの本を上梓させて頂いていることも、顧みれば、若き日に、自身の才能の無さを嘆いていた人間として、不思議である。

そして、この「心の浄化」の技法、心の中の「ネガティブな想念」を払拭する技法を愚直に実践し続けた結果、与えられたのは、この「病気の克服」と「才能の開花」だけではなかった。

本書の主題である「運気の向上」という点でも、不思議なことが起こった。

それは、「才能の開花」とも深く結びついているが、人生と仕事の様々な場面で、必要なとき、必要な人との出会いが与えられるのである。

また、人生と仕事の重要な場面で、まさに「シンクロニシティ」と呼ぶべき出来事が起こり、良き方向に導かれるのである。

その体験を述べると優に一冊の本が書けるほどであるが、それは、文字通り、「不思議な出会いと出来事の連続」とでも呼ぶべきことが起こるのである。

それは、すべて、三六年前に導かれた、あの禅師との出会いのお陰であるが、この禅師から学んだ「心の浄化」の技法を、永年にわたって日々実践し、筆者なりの思想で体系化してきたものが、これから本書において語る「人生の習慣を改める」「人生の解釈を変える」「人生の覚悟を定める」という三つの技法である。

このうち、第一の「人生の習慣を改める」という技法は、誰でも容易に取り組める技法であり、この本を読まれた後、すぐに実践をしてみて頂きたい。

必ず、何かの効果を感じられるだろう。

第二の「人生の解釈を変える」という技法は、少し難易度の高い技法であるが、ひとたび、ここで述べる「解釈力」という力を身につけるならば、心の中のネガティブな想念は、不思議なほど、速やかに消えていくだろう。

そして、第三の「人生の覚悟を定める」という技法は、最も難易度の高い技法であるが、ここで述べる「人生観」を身につけることができるならば、そもそも、ネガティブな想念そのものが心の中に生まれてこない「究極のポジティブ想念」を掴むことができるだろう。

それでは、次の第四話から、これらの技法について、それぞれ述べていこう。

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