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第三章 語彙の「質」を高める

第二章では、語彙力を支える両輪の一つ、語彙の量、すなわち豊富な語彙知識の増やし方について考えました。第三章では、語彙力を支える両輪のもう一つ、語彙の質、すなわち精度の高い語彙運用の方法について考えます。

最初にご紹介するのは、語の正確さです。書き手と読み手の言葉の使い方が一致して初めて、言葉は伝わります。書き手が言葉の使い方を間違ってしまい、読み手の使い方と一致しなくなると、言葉は伝わらなくなります。このため、言葉を正確に使うことは、コミュニケーション上きわめて大切です。

「①誤用を回避する」では、誤解されない正確な言葉の使い方を考えます。「 ②重複と不足を解消する」では、情報の面で無駄になる重複と、反対に足りなくなる不足を考えます。

いずれも言葉の正確な使用を妨げる要因です。

「 ③連語の相性に注意する」では、「お金を出す」「お金を払う」「お金を使う」のような語の組み合わせを考えます。

これもまた、言葉の正確な使い方と関連します。次にご紹介するのは、語のニュアンスです。どんなニュアンスの語を選ぶかで、読んだときの印象がかなり違ってきます。

「④語感のズレを調整する」では、語が使われている環境と語のニュアンスのミスマッチを調整する方法を考えます。

「 ⑤語を適切に置き換える」では、ある語を別の語に置き換えることで、意味をぼかしたり、反対に明確にしたりする方法を考えます。

「 ⑥語の社会性を考慮する」では、語がその背後に持っている文化的背景について考えます。こうした文化的背景が語のニュアンスに微妙な影響を与えますので、語彙選択のさいには無視できない要因です。そのあとにご紹介するのは、語の意味の幅です。

語の意味というものは、文脈のなかで拡大したり変化したりする生き物のような存在です。語の意味の幅と、意味の揺れを計算できるようになると、語彙選択の精度が上がってきます。

「⑦多義語のあいまいさを管理する」では、多義の意味の揺れと、その揺れを抑える方法を考えます。「 ⑧異なる立場を想定する」では、読み手を意識した語彙選択を考えます。

どのような読み手を想定するかで意味の解釈の幅は異なり、それにおうじて語彙選択は自然と変わってきます。最後にご紹介するのは、語の感覚的側面です。

「⑨語の感性を研ぎ澄ませる」では、比喩とオノマトペに代表される感覚表現について考え、言葉の感度を高めます。「 ⑩相手の気持ちに配慮する」では、敬語の選択について考えます。

とくに、上から目線の敬語使用と、慇懃無礼な敬語使用に注意を喚起します。

「 ⑪心に届く言葉を選択する」では、言葉選びの過程もふくめて文章のなかに表現し、重層的に読み手の心に言葉の意味を刻みこむ方法を考えます。

以上、本章では「 ①誤用」「 ②重複と不足」「 ③連語の相性」「 ④語感のズレ」「 ⑤語の置き換え」「 ⑥語の社会性」「 ⑦多義語のあいまいさ」「 ⑧異なる立場」「 ⑨語の感性」「 ⑩相手の気持ち」「 ⑪心に届く言葉」という計十一の観点から、文脈に合った、精度の高い適切な語彙選択の方法をマスターすることを目指します。

目次

(一)誤用を回避する 留学生と子どもに学ぶ

語彙の質を高める方法の第一は、「誤用を回避する」です。語彙の精度を高めるには、語を正確に使う必要があります。

留学生に日本語を教える日本語教育に携わっていると、留学生たちは誤用という興味深い間違いを提供してくれます。

そうした間違いを修正するのが、日本語教師の仕事の一つです。私が初めて日本語を教えたとき、日本に来て一週間も経たない学生に、「先生、いただきます」と言われて驚いたことがあります。

どうも「おはようございます」と言いたかったようなのですが、一瞬食べられてしまうかと思いました。友人の日本語教師は、よく相談に来る親しい留学生に「私はいつも先生に迷惑をかけて、ごめんください」と言われ、家に上げてあげたくなったといいます。

日本語力の高い留学生でも、ときどきおもしろいことを言ってくれるので、楽しみです。休み明け、ある留学生に、「先生、やけどしましたね」と声をかけられました。

夏季休暇中、家族で沖縄に行って黒くなっていただけなのですが、日に焼けすぎて「日焼け」が「やけど」に近くなっていて、妙に納得できました。

また、別の留学生には、「人の悪口ばかり聞いていて、気持ちが悪くなりました」と言われ、惜しいと思いました。

「気持ち」ではなく「気分」だったら満点です。「気持ち」は生理、「気分」は心理です。

でも、ひょっとしてほんとうに悪口の聞きすぎで、「気持ち」が悪くなったのかもしれません。幼い子どももおもしろいことをいろいろ言ってくれるので、メモ帳が手放せません。

虫捕りをしていて「つかまえる」という語がマイブームになった我が家の二歳児は、「髪の毛をつかまえる」「どんぐりをつかまえる」と言っています。

髪の毛は「つかむ」、どんぐりは「拾う」です。

小学一年生の娘は、沖縄行きの飛行機に乗っていたとき、「飛行機がだんだん落ちてきた」と言っていました。怖いことを言うものです。

「降りてきた」でなければなりません。もちろん、語彙の正確さを欠くのは留学生や子どもに限りません。

アナウンサーも間違える

テレビのアナウンサーでさえ間違えます。

文化放送で二日、箱根駅伝の解説を務めた東洋大 OBの柏原竜二(二四) =富士通 =が、テレビで「柏原なき後…」と実況されたことを受け、自身のツイッターで「テレビ実況では死んだことになっているらしいアカウントはこちらです」と、シュールにつぶやいた。

その直後にも「妹から『お兄ちゃん死んだことになってるよ』と連絡がきました」と、投稿した。その後も、「全国ネットで亡き者にされてから街中を歩くってすげぇ寂しいよ(笑)」などと、〝騒動〟をネタにツイート。

反響は大きく、ツイッターのフォロワーは九万人を突破。

柏原は「いつの間にやら九万人になってますが、どうしよう」と反響の大きさに驚いていた。柏原は二〇一二年に東洋大四年時に往路四連覇に貢献、史上八人目となる四年連続区間賞をマークし〝山の神〟の異名をとった。

卒業後、実業団の富士通入りした。(〝山の神〟柏原「死んだことに…」『デイリースポーツオンライン』二〇一四年一月二日)

大学を卒業して実業団に入った選手を「なき後」と表現してしまったことで、誤解を招いてしまったわけです。中心選手を失ったことを表現したかったのでしょうが、やや無理があるように思えます。

箱根駅伝関連では、同日、やはり実況中継を聞いていた私が気になった表現がありました。駒澤大学、東洋大学、日本体育大学という当時の三強の「三すくみ」という表現です。

「三すくみ」は、たとえば、駒澤大学が東洋大学に強く、東洋大学が日本体育大学に強く、日本体育大学が駒澤大学に強いといった、じゃんけんのグー・チョキ・パーのような関係を表します。

おそらく実況では、三者の戦いを表す「三つどもえ」と言いたかったのだと思いますが、生放送という即興の場では、とっさの語彙選択に迷いが出るものです。

言い間違いと書き間違い

日常生活で人が話す言葉に耳を傾けていると、言い間違いの収集にも事欠きません。音位転換(メタセシス)と呼ばれる現象があります。

「したつづみ(舌鼓)」が「したづつみ」、「あとずさり(後退り)」が「あとさずり」、「ふんいき(雰囲気)」が「ふいんき」になってしまうような例です。

ワープロソフトに間違いを指摘されて、初めて気付くこともしばしばです。

ほかにも、「まいいん」と「まんいん(満員)」、「ふぐわい」と「ふぐあい(不具合)」、「うるおぼえ」と「うろおぼえ(烏鷺憶え)」、「ねんぼう」と「ねんぽう(年俸)」、「人間ドッグ」と「人間ドック」、「シュミレーション」と「シミュレーション」、「アボガド」と「アボカド」、「カピパラ」と「カピバラ」など、自分が憶えやすいように音を変えてしまっているケースは少なくないでしょう。

いずれも後のものが正しい形です。

書き間違いも気をつける必要があります。

「清貧の思想」をメーカー勤めの人が「製品の思想」と打ち間違えたり、失業者が「ただいま求職中」を「ただいま休職中」としてしまったり、「仮面ライダーが変身する」が「仮面ライダーが変心する」と突然心変わりしてしまったりする、いわゆる変換ミスはみなさんご経験が豊富でしょうから、詳しくは述べません。

気をつけたいのは、誤りであるにもかかわらず、文脈にうまくはまっていて、不自然でないので思わず見逃してしまうミスです。

一見して、次の ①~⑤のミスがおわかりになるでしょうか。

① EXILEのファイルをもらった。

②ネガティブ・スピーカーに英語を教えてもらう。

③トイレに載っているポテトが出てきた。

④デパートの屋上の古い小屋に入ったことがある。

⑤就職活動で成功するためにはまずは働け。

①は「 EXILE」が誤りで、「 EXCEL( Excel)」です。もちろん、「 EXILE」のクリアファイルか何かであれば正しいです。

②は「ネガティブ・スピーカー」ではなく、「ネイティブ・スピーカー」です。もちろん、「ネガティブなネイティブ・スピーカー」もいる可能性はあります。

③は「トイレ」ではなく「トレイ」です。「トイレ」に載っているポテトはさすがに食べる気にはならないでしょう。

④は「古い小屋」ではなく「占い小屋」です。斜陽のデパートなら、屋上に「古い小屋」があるかもしれませんが、そこに入ることはちょっと考えにくそうです。

⑤は「働け」ではなく「動け」です。もし働いているのであれば、就活の必要はありません。新卒の就活成功の極意は、早め早めに「動く」ことでしょう。

類似表現の混同

表現の正確さで失敗しがちなのが、表現の混同です。東京ビッグサイトに行きたいと思い、「国際会議場駅」を検索したのですが、さっぱりヒットしません。それもそのはず、「国際展示場駅」でした。

京都市営地下鉄の「国際会館駅」や大阪の京阪電鉄の「中之島駅(大阪国際会議場)」と混乱していたようです。「おてふき取って!」と頼んだら、「おしぼりでいい?」と言われたこともあります。

手を拭くための湿ったものという点では同じですが、「おてふき」は紙製の使い捨てで、個別包装されている感じがします。

これにたいし、「おしぼり」は布製で、「おてふき」よりも高級感があり、冷えたものや熱いものがサービスで出されることもあります。

最近は、「おてふき」と同じ紙製でありながら、個別包装ではないという点で異なる「ウエットティッシュ」もありますから、事情はさらに複雑です。学生のレポートを添削していると、「著書自身」や「著者自体」のような表現もしばしば目にします。

「自身」は直前にヒト、「自体」は直前にモノが来るという使い分けが一般的だと思うので、こうした細かいところにも配慮が必要でしょう。

住民票の「写し」という表現も、若い学生には理解しがたいようだという話を、大学の事務の方から聞いたこともあります。

「写し」はあくまでも原本の「写し」であり、市役所などの公的機関が発行するものですが、住民票の写しの「コピー」を持ってくる学生が後を絶たないのだそうです。

「写し」と「コピー」は別物なのですが、単なる語種の違いだと勘違いしてしまうのでしょう。

「さておいて」と「さしおいて」の区別もやっかいです。「先輩をさておいて、先に食事を始めるとはいい度胸だ」の場合は、「さしおいて」です。

「いわゆる」と「いわば」の区別も難しいと感じている人が多いようです。

「いわゆる」は、みんながそう呼んでいるということを意味し、自分はそうは呼ばないと考えている場合もあります。

「うちの弟は大学に入学しながら再受験を考えている、いわゆる仮面浪人だ」のような例が適切でしょう。

一方、「いわば」は「あえて言えば」という意味を表し、「うちの弟は働きながら苦労して大学に通っている、いわば苦学生だ」となります。

こうして並べると似ていますが、「いわゆる」と相性がよいのは通称・俗称であり、「仮面浪人」という俗称は「いわゆる」と相性がよさそうです。

一方、「いわば」と相性がよいのは、比喩的で象徴的な言い回しであり、「苦学生」という象徴的表現は「いわば」と相性がよさそうです。

格言もうろおぼえで使いがちなものです。

「雪辱を晴らす」か「雪辱を果たす」か、「的を得る」か「的を射る」か、「汚名挽回」か「名誉挽回」か、どちらが正しいか、おわかりになるでしょうか。

いずれも後者が正解です。

「屈辱を晴らす」と「雪辱を果たす」、「当を得る」と「的を射る」、「汚名返上」と「名誉挽回」のように、正しいものどうしの対にして並べると誤解がないでしょう。

つまり、うろおぼえによって、この両者の混同が起きているわけです。間違いが定着すると、次第に正しい用法が駆逐されます。

私は次のような文を読んで違和感を抱きました。

・私たちに払える住宅ローンの金額はどれくらいかなどと、夫婦であれこれ話しているうちに、重要なのは家ではなく、子どもが無事成長することではないかと考えが煮つまりました。

しかし、これは違和感を抱いた私が問題で、本来は正しい用法です。

結論が出ずに立ち往生する「行きづまる」の言い換えとしての「煮つまる」は、以前は間違いとされていた新しい用法で、もともとは「そろそろ結論が出る」という意味だったのだそうです。

自分の語感だけを頼りに判断すると、思いこみで誤った判断をしてしまうことがあります。誤用をしないためには辞書を引く習慣が重要だと痛感した次第です。

(二)重複と不足を解消する重複表現――表現の力を信頼せよ

語彙の質を高める方法の第二は、「重複と不足を解消する」です。語彙の精度を高めるために気をつけなければいけないのは、重複と不足です。

まず、重複表現、すなわち重言から見てみましょう。

・起業は最初の出発点が大切だ。

この文を読んで、おやっと思う感覚が大切です。

右の文は、「起業は最初が大切だ」や「起業は出発点が大切だ」ならばわかるのですが、「最初の出発点」と書かれると、「二番目の出発点」や「三番目の出発点」は何だろうかと混乱してしまいがちです。

余計な情報が正確さを欠く原因となるわけです。

「落ち葉が落ちる」「違和感を感じる」「筋肉痛が痛い」「最も最強」のように、漢字が重なる重言はすぐに気づくのですが、漢字が重ならない重言は気づきにくいので、注意が必要です。

では、早速、練習問題に挑戦してみましょう。

①まず最初に課長のあいさつがある。

②各自治体ごとにそれぞれ喫煙防止教育プログラムがある。

③来所によるご相談は事前予約をお願いします。

④コーヒーのミルク、いっぱい入れすぎてしまった。

⑤二人は長い時間おたがいに見つめあっていた。

⑥この手作りケーキ、プロ並みのレベルの腕前だね。

⑦購入したばかりの新しいパソコンが壊れてしまった。

①の「まず最初」は有名ですので、ご存じの方も多いでしょう。

「最初」があれば、「まず」は不要です。「第一回目」のようなパターンも同じです。「第一回」か「一回目」で十分です。

②の「各自治体ごと」も、 ①に近いパターンです。「各自治体」か「自治体ごと」で「一つひとつの自治体」の意味になります。しかも、この文脈では「それぞれ」がありますので、「自治体には」としてしまえば、「各」も「ごと」も不要です。

③の「事前予約」はよく使われる表現ですが、「事後予約」はできない以上、「事前予約」は重言だと思われます。「事前登録」や「事前申し込み」であれば、まとめて予約の意味になるので OKです。「あらかじめ用意する」「あとで後悔する」など、時間の先後による重言は案外多いものです。

④は「いっぱい入れすぎ」が引っかかります。「入れすぎて」いたなら、「いっぱい」に決まっているからです。類例としては「あまりにも忙しすぎる」や「過半数を超える」のようなものがあります。量の表現は過度であることを強調しがちなので、重言に注意が必要です。

⑤は「おたがいに見つめあう」に重複感があります。「おたがいに」なので「見つめあう」のは当たり前だからです。

副詞的な語と複合動詞の組み合わせで起きる重言は、ほかにも「あらためて数えなおす」「家のなかにずっといつづける」「徹底的に調べつくす」などがあり、よく見られる重言です。

⑥の「プロ並みのレベルの腕前」もまた重複表現です。あっさりと「プロ並みの腕前」か「プロのレベルの腕前」でよいでしょう。「食後のデザートにチーズケーキを食べた」のような例も似ています。「食後に」か「デザートに」で表現可能です。

⑦は「購入したばかりの新しいパソコン」もよくみると重言です。「購入したばかりの古いパソコン」は中古品でないかぎり、ありえないからです。「購入したばかりのパソコン」で十分でしょう。

重言を減らすポイントは一つひとつの表現の力を信頼することです。そうすることで、過剰な表現が減り、すっきりした表現になります。

過度の省略表現

一方、情報の不足につながる過度の省略表現についても注意が必要です。日常会話では、目の前の相手が理解できれば済むため、表現の省略が過度に進んでいます。専門的には換喩(メトニミー)と呼ばれ、隣接するものに言及することで済ます表現です。

たとえば、「冷蔵庫を開ける」「扇風機を回す」「電話を取る」は、正確を期すと、「冷蔵庫の扉を開ける」「扇風機の羽を回す」「電話の受話器を取る」ですが、そこまでいちいち厳密に言う人もいないでしょう。

しかし、書き言葉は不特定多数に伝える表現ですので、文脈を共有していない相手には、できるだけ正確な言葉遣いをしたほうが無難です。

したがって、換喩的な省略を含む表現は避けたほうがよいでしょう。

次の ①~⑧には、過度な省略表現が含まれています。

読み手に誤解されることのないように、省略されている部分を補ってください。

①ハラスメント研修会にかならず出席のこと。

②ホテルで挙げる結婚式は高い。

③第一志望の会社、一次は無事パスした。

④店に入ってカウンターに座った。

⑤調子が悪くてうかがえません。

⑥机にむかって、ひたすらパソコンを叩いた。

⑦図書利用アンケート調査のお願い ⑧一六〇キロ中学生が迫力始球式 ①のような内容の案内をもらったとき、私は半信半疑でしたが、研修会に実際に参加して、ほっと胸をなでおろしました。

なぜなら、ハラスメントの手口を教える「ハラスメント研修会」ではなく、ハラスメントを防ぐ手立てを教える「ハラスメント防止研修会」だったからです。

②では、「結婚式は高い」ということはないでしょう。

高いのは、「結婚式の挙式費用」です。

③では、「一次はパスした」とありますが、パスしたのは「一次の(筆記)試験」だと思います。

こうした省略した表現は話し言葉では自然ですが、書き言葉では不十分でしょう。

④では、「カウンターに座った」のではテーブルに座ったようになってしまい、お行儀が悪くなります。

座ったのは、カウンターのまえにある「カウンター席」ですので、そのように正確に書いたほうが、表現としての座りがよさそうです。

⑤の「調子が悪くてうかがえません」では、なんの「調子」かわかりません。

「体調」と明示したほうがよいでしょう。

⑥の「パソコンを叩いた」で、もし「パソコンをがんがん叩いた」のであれば、パソコンが壊れてしまいます。

事実にそって、「パソコンのキーボードを叩いた」としたほうが穏当でしょう。

⑦の「図書利用アンケート調査のお願い」は、最近私のところに回ってきたメールの件名ですが、私は、自分が回答を求められているのか、自分の周囲の人たちを対象にした調査の実施を求められているのか、わかりませんでした。

「アンケート調査ご協力のお願い」「アンケート調査用紙記入のお願い」となっていれば誤解はないでしょう。

⑧の「一六〇キロ中学生が迫力始球式」は、あるスポーツ紙の見出しで見たものです。

一六〇キロメートルのスピードボールを投げられる中学生が出てきたのかと思って、びっくりして読んだら、中学の相撲大会で活躍する自称一六〇キログラムの中学生でした。

おそらくその記事はそのような誤読を狙ったものと思われ、タイトルに惹かれて記事を読んだ私も、やられたと思いました。

ただ、この種のレトリックは頻繁に使うとあざとくなりますので、その点は注意が必要です。

略語の問題 日本語では語を短くする略語が好まれますが、語は短くすると、一つの語がさまざまな意味を帯びる多義語になりがちなので、注意が必要です。

とくに外来語の場合に、それが顕著に見られます。

次の ①~⑤の「ソフト」の意味をそれぞれ確認してください(藤原二〇一六)。

①うちの父は声も性格もソフトなほうだと思う。

②小学生は観光地に行くと、すぐにソフトを食べたがる。

③高校生の娘は、ソフト部に入ってがんばっている。

④パソコンにソフトがうまくインストールできない。

⑤私はハードが目に合わないので、ソフトを使っている。

①は本来の「柔らかい」という意味のソフトですが、ほかはすべて特殊な意味が付加されています。

②は「ソフトクリーム」の略、 ③は「ソフトボール」あるいは「ソフトテニス」の略、 ④は「ソフトウェア」の略、 ⑤は「ソフト・コンタクトレンズ」の略です。

このように、形容詞のあとを略してしまうと、多義語になってしまうのです。

②~⑤は文脈がはっきりしているので誤解の余地はありませんが、文脈によっては両義に読めることがありますので注意が必要です。

もう一つ、例を挙げておきましょう。

今度は「ブラック」という語の意味の違いを一つひとつ確認してみてください。

⑥トナーは高いので、たいていブラックのインクのみで済ませる。

⑦クリームも砂糖もカロリーが高いので、ブラックで飲みたい。

⑧私はビートの利いたブラック・ミュージックが好きだ。

⑨一度ブラックに載ると、クレジットカードが作りにくくなるらしい。

⑩今度の土曜日、河口湖にブラックを狙いに行きたい。

⑪彼は一見優しそうに見えて、じつは辛辣でブラックだ。

⑫大量採用・大量解雇する企業の体質は、だいたいブラックだ。

ブラックも多様な意味の広がりを持っています。

⑥の「ブラック」は通常の「黒い」という意味ですが、 ⑦の「ブラック」は「ブラック・コーヒー」、 ⑧の「ブラック」は「黒人」、 ⑨の「ブラック」は金融の「ブラックリスト」、 ⑩の「ブラック」は「ブラックバス」、 ⑪の「ブラック」は「腹黒い」、 ⑫の「ブラック」は「ブラック企業」です。

外来語でなくても、略し方によって戸惑うことがあります。

「取説」「ハロワ」「百均」など、見る人が見れば当たり前でも、文章では誤解される可能性がありますので、略語は基本的に避けたほうがよいでしょう。

また、正確な表記をきちんと調べる習慣をつけることも必要で、同じ野菜でも「アスパラ」「エンドウマメ」はいずれも正しくありません。

「アスパラガス」「エンドウ」とする必要があります。

「エンドウ」は漢字にすると「豌豆」で、重言になってしまいます。

個人的な例ですが、私がまだ働きはじめて間もないころ、「有給休暇」を取ろうとして事務方にメールを書こうとしたときに、「有休」なのか「有給」なのかでキーボードの上の指が止まってしまいました。

「有給」「休暇」の頭文字を一つずつ取って「有休」にしようかと思ったのですが、字を見ると「休み有り」ですからひょっとして給与が支払われないかもしれないと思いました。

しかし、「有給」だと「給与有り」ですから、休みの申請だと思われないかもしれないと思ったわけです。

そこで、仕方なく「有給休暇」と書き、ことなきを得ました。

今思えば、いずれも正しく、事務方はいずれでも正しく解釈してくれたと思うのですが、「有給休暇」の正式名称が「年次有給休暇」だと知ってからは、「年休」と略すようにして万が一の誤解を防ぐようにしています。

(三)連語の相性に注意する連語のパターン

語彙の質を高める方法の第三は、「連語の相性に注意する」です。

語彙の精度を高めるには、連語、すなわち「お金を出す」「お金を払う」「お金を使う」のような語の組み合わせのうち、文脈に合わせてどの組み合わせを使うのが適切か、センスをみがく必要があります。

留学生が初めて日本語を学んで一ヶ月ほどすると、動詞を使って、身の回りのことを言えるようにするための文法を学びます。

そのときに困るのが、日本語の「身につける」表現です。

留学生の第一言語では、「身につける」表現は、だいたい一語か二語で済むようなのですが、その点で日本語は複雑です(金田一一九八八)。

まず、上半身に身につけるものは「着る」と言います。

「服を着る」「シャツを着る」の「着る」です。

それにたいして、下半身に身につけるものは「はく」と言います。

「ズボンをはく」「靴下をはく」の「はく」です。

これだけでも留学生は混乱しますし、ズボンやパンツをはくのと靴や靴下をはくのは違うのでは、という質問も出ます。

「だから、日本語では漢字を『穿く』と『履く』で区別するんだよ」と言うと、さらに驚かれます。

日本語の「身につける」は、「着る」と「はく」の違いにとどまりません。

帽子やヘルメットは上半身に身につけますが、「かぶる」です。

メガネやサングラスは「かける」で、ネックレスやマスクは「つける」です。

ネクタイは「締める」で、手袋は「はめる」です。

ネックレスやマスク、ネクタイや手袋は「する」でも大丈夫ですし、蝶ネクタイや手袋なら「つける」もよさそうです。

ちなみに、北海道では手袋は靴下と同様に「はく」を使います。

あらためて考えるとかなり複雑な組み合わせですが、こうした組み合わせに違反したものを並べてみましょう。

・シャツをはく・ズボンを着る・帽子をつける・メガネをかぶる・ネクタイをはめる・ネックレスを締める こうした組み合わせのことを連語(コロケーション)といいます。

右に挙げた連語はどれも、日本語の文法に反するので変でしょう。

こうした違いを留学生は学ばなければいけないので、大変です。

しかし、日本人であっても、慣れない語の場合、どのような連語にしたらよいか混乱することがあり、それが読み手に違和感を与えることがあります。

たとえば、次の ①~⑥の[ ]には、それぞれ「食べる」に関連する動詞が入るのですが、どんな動詞を入れたらよいでしょうか。

(例)お昼ご飯をエキナカで[食べる]。

①肉に飢えていたので、焼き肉をがつがつ[ ]。

②落ち着いた空間で上品な和食を[ ]。

③阿蘇のふもとで馬たちが草を[ ]。

④栄養のバランスを考えて野菜を中心に[ ]。

⑤時間がないので、卵かけご飯を慌てて[ ]。

⑥体調が優れないので、少量のおかゆだけを[ ]。

①は、「がつがつ」という言葉がありますので、かなり乱暴な食べ方を想像します。

そうした食べ方にふさわしい語は「食う」「食らう」でしょう。

「食う」は、本能に任せて食べているような印象で、空腹のときにがつがつと胃に食べ物を詰めこんでいる感じがあります。

「食らう」になると、野性味がさらに増し、肉食獣が食べている印象になります。

いずれも、「めし」「弁当」「ラーメン」のような語と相性がよい傾向があります。

②は、「上品な和食」とあるので、洗練された感じの出る「いただく」がよいでしょう。

「いただく」は、高級感のある場所で上品なものを食べているか、自然の恵みを感謝して食べている感じがあります。

「大地の恵み」「新鮮な魚介類」「フレンチのフルコース」のような語が前に来ると落ち着きがよいでしょう。

③は、「馬たちが草を」とあるので、「食む」がよいでしょう。

「食む」には、馬や牛が牧場でのんびり草を食べているような響きがあります。

④は、「栄養のバランスを考えて」とあるので、必要な食べ物をバランスよく食べている印象のある「摂る」がよいでしょう。

やや科学的な響きがある語です。

「食事」「朝食」「間食」などの食事や、「野菜」「果物」「海草」などの身体によいもの、「ビタミン」「ミネラル」「タンパク質」などの栄養素などが直前に来ることが多い傾向があります。

⑤は、直前の「慌てて」が鍵になります。

慌ただしく食べている感じが出る「かきこむ」がよいでしょう。

かきこむのは、どんぶり飯や味噌汁、うどんやそばなど、どんぶりやお椀に入ったものを一気に流しこむ感じのあるものです。

⑥は、「少量のおかゆだけを」とあるので、「口にする」くらいが適切でしょう。

「口にする」は「かきこむ」とは対極にある表現で、少しずつ味を確かめながら食べていくような印象のある語です。

連語のこうした適切な組み合わせがすぐに出てくる人は語彙力が高いといえます。

こうした組み合わせがすぐに出てこない人は、国立国語研究所の「現代日本語書き言葉均衡コーパス( BCCWJ)」での検索がおすすめです( http:// www. kotonoha. gr. jp/ shonagon/)。

実例を前後の文脈とともに確かめられます。

インターネットで「少納言」という語で検索するとすぐに出てきます。

大人の組み合わせ

仕事で文章を書くようになると、あまり子どもっぽい表現を使うわけにはいかなくなります。

とくに、ある名詞を書いたときに、それに続く動詞をどうするかで迷うことが多いものです。

次の ①~⑤で、[ ]内の表現を適切なものに直してください。

①決められた予算を[きちんと使う]。

②パソコン本体の特殊な設定を[やめる/外す]。

③哺乳類の体内には体温を自律的に[保つ]働きがある。

④まちおこしの参考に、青森のねぶた祭を[見物する]。

⑤年度末に帳簿の辻褄を[なんとかする]。

①は、「酷使する」でもないし、「消耗する」でも「消費する」でもないし、とあれこれ考えていくと、適切な選択に近づきます。

「消化する」がよいでしょう。

②は、「やめる」から出発すると「無効にする」に、「外す」から出発すると「解除する」に辿り着けそうです。

③は、「保つ」から「整える」が思いつけば「調整する」が思い浮かびます。

温度は一般に「調節」を使うので、「調節する」まで行きつけば二重丸でしょう。

もし公務でねぶた祭を見に行っている人が、 ④で「見物する」「観光する」などと書いたら大変なことになります。

しかし、「見学する」だと、小学生の工場見学のようで、大人が今さら学ぶのは勉強不足のそしりを免れません。

そこで、「視察する」とすれば、穏当な表現になるでしょう。

⑤は、「辻褄」はどうするものか、わかっていれば、答えはすぐ出てきます。

「辻褄」は「合う」「合わせる」ものなので、ここでは「合わせる」が入ります。

さて、ここでもう一つ、組み合わせで動詞を強化するという方法をお伝えしましょう。

単純な動詞を使うと、それだけでは力が弱く感じられることがあります。

そうしたときは、その動詞の意味に含まれる名詞、とくに身体名詞を使った組み合わせにすると、読み手にたいする印象が強まります。

たとえば、「見る」を「目にする」とすると、単純でありながら、洗練された印象になります。

ほかには「目に触れる」という表現もありますし、「よく見る」だったら、「目を凝らす」とすることも可能です。

「聞く」ならば「耳にする」が一般的ですし、噂などが「耳に入る」ことがあるかもしれません。

積極的に聞くのなら、「耳を貸す」「耳を傾ける」です。

一方、「話す」ならば「口にする」で、「話しはじめる」ならば「口を開く」です。

もちろん、「話しおえる」ならば「口を閉じる」で、「かたくなに話さない」のなら「口を閉ざす」となります。

「手」や「足」を使った慣用句は多く、「(作業を)する」のは「手を動かす」で、「(作業を)止める」のは「手を止める」「手を休める」です。

「忙しい」ときは「手がふさがる」ですし、「(悪いことを)始める」のは「手を染める」です。

ちなみに、「(悪いことを)止める」のは「足を洗う」になります。

一方、その「足」ですが、「行く」ことは「足を運ぶ」、「歩きまわる」ことは「足を動かす」となります。

かなり特殊なものとしては、「腐る」の言い換えの「足が早い」もあります。

このように、身体名詞と単純な動詞の組み合わせは、大人の表現にしたいときに便利ですので、発想として頭に入れておいて損はないと思います。

ちぐはぐな組み合わせ

きょうだいげんかをしている長女が言いました。

「うちはなにも悪くない。

善良な市民なのに」。

思わず笑ってしまいました。

おそらく「悪くない」という語が「善良な」という語を引きだし、「善良な」という語が「市民」を引きだしたのだと思います。

私たちのあたまのなかの辞書はきっと、一語一語別々に収まっているのではなく、「善良な」とくれば「市民」、のような組み合わせで入っているのでしょう。

「軽快な」とくれば「リズム」や「フットワーク」が、「平易な」とくれば「文章」や「説明」が、まず思い浮かびます。

「出没注意」とくれば「熊」か「ちかん」でしょう(中川二〇〇五)。

こうした語の組み合わせは社会的慣習として決まっていますが、時代の変化とともにずれていく気がします。

・お米を洗い、鍋に入れて火にかけ、ゆであがったご飯を茶碗に入れる。

という文を見て、どう思われるでしょうか。

私にとって、お米は「洗う」ものではなく「研ぐ」ものであり、ご飯は「ゆでる」ものではなく「炊く」ものです。

そして、炊きあがったご飯は茶碗に「よそう」ものです。

「つける」でもよいですが、「盛りつける」だと、しゃれた炊き込みご飯でもないかぎり、少々抵抗があります。

・お米を研ぎ、鍋に入れて火にかけ、炊きあがったご飯を茶碗によそう。

これがかつての社会的慣習だったと思うのですが、主食の多様化に伴い、そうした文化が失われつつあるのかもしれません。

よく引き合いに出されながらも、むしろ定着しつつある表現「耳ざわりのよい」も、抵抗を覚えます。

漢字で書くと、「耳に障る」となるわけですが、「障る」の意味が現代の日本語話者には希薄で、むしろ「触る」と理解されているのかもしれません。

一方、ちぐはぐな組み合わせが、おかしみを醸しだすこともあります。

「渋滞の名所」という表現を見て、不自然さを感じながらも、たしかに渋滞を楽しむぐらいの心のゆとりを持たなくてはという気にさせられました。

もう二十年もずっとメールのやりとりをしている友人がいます。

その友人は、几帳面にも私の書いたメールを可能なかぎり保管してくれているようで、「現存する最古のメールは」という表現で、彼の手元にあるもっとも古いメールを送ってくれました。

その友人はおそらく二人のやりとりに歴史を感じていたのでしょう。

さて、お菓子の作り方を書いたある本のなかに、「怖い菓子」というおもしろい表現を見つけました。

「まんじゅう怖い」とは異なる怖さです。

・ドゥミ・セックの材料は実にシンプル、作り方もいたってシンプル。

焼いた生地がそのまま商品になるので、ごまかしのきかない怖い菓子です。

吟味した材料を使うのはいうにおよばず、生地の合わせ方、メレンゲの立て方、焼き方、保存にいたる各プロセスを正しく、真面目に行わないと、結果にすぐに表れてしまいます。

まず、基本に忠実に。

これが大切です。

(『多様化するドゥミ・セック』旭屋出版) シンプルな料理ほど、基本をしっかりしないとおいしくできないのは、オムレツなどでもよく言われることです。

それを、ごまかしのきかない「怖い菓子」という組み合わせで表現するところに、独特の趣があります。

トイレ機器のメーカーの宣伝に、「つまらない便器」というのも見たことがあります。

二重の意味を込めたのでしょうが、この組み合わせもなかなか秀逸で、記憶に残るキャッチコピーです。

語は単独で存在しているわけではありません。

現実の文章ではいつも組み合わせとして存在しています。

その組み合わせが自然だと、読み手が内容を理解しやすくなりますし、あえて不自然にすると、読み手をはっとさせる印象的な表現も作れるのです。

(四)語感のズレを調整する文脈との相性

語彙の質を高める方法の第四は、「語感のズレを調整する」です。

第二章では、語彙の量を増やす十一の方法を考えました。

そこでわかったことは、語彙の量を増やすことは、言葉のレパートリーを増やすことだということです。

同じ食材が与えられたとしても、腕の立つ料理人は、そこからさまざまな料理を作ることが可能です。

これは料理のレパートリーです。

同様に、同じ内容を描くにしても、語彙のレパートリーが多い人は、それを多様な方法で描くことができます。

しかし、そこで問題になるのは、その多様な選択肢のうちのどれを選ぶかで、その基準が重要となります。

料理には TPOというものがあります。

パーティのためには豪華な料理を作る必要があるでしょうし、家族のためには栄養のバランスの取れた料理を作る必要があります。

育ち盛りの子どもには、高タンパク質のボリュームのある料理を、高齢者には、野菜中心の胃に優しい料理を作らなければなりません。

同様に、語の選択も、豊富な語彙のレパートリーのなかから、 TPOに合わせてどの語を選ぶかがポイントになります。

文章における語彙選択の基準は、文脈に合うかどうかです。

次の ①~⑩では、文脈から考えて、不自然な語彙選択があります。

その語を指摘し、自然な表現に直してください。

①子どもの入学式には参列すべきか。

②不正な操作を行ったので、終了します。

③私は五年前に大学院を卒業しました。

④こちらのファイルが最新版です。

先ほどのものは廃棄してください。

⑤希望まみれの若者たちに出会った。

⑥美人すぎる保育士さんにドキドキした。

⑦パートナーの言動に救われた。

⑧研究に打ちこむ態度がすばらしい。

⑨安易に解決できる問題ではない。

⑩若狭湾のカニずくめの料理を堪能した。

①は、「参列」が引っかかります。

「参列」は葬儀がイメージされ、やや違和感を覚えます。

「出席」「参加」くらいがよさそうです。

②は、コンピュータで以前よく見かけた表示です。

「不正」というと法に反するような犯罪を想起させますので、心穏やかではいられません。

せめて「誤った」「間違った」ならば我慢もできそうです。

③は、「卒業」が問題です。

大学院は決められた年限在学して、単位を取得しても学位はもらえません。

学位論文が認められて初めて、学位を手にすることができます。

「卒業」としてしまうと誤解を招くので、「修了」という表現を使わなければなりません。

④は、「廃棄」に違和感を覚えます。

「廃棄」というと「産業廃棄物」のイメージがあり、大きいものを捨てる感じがします。

「ファイル」という表現から考えて、 Eメールのやりとりでしょうから、「破棄」か「削除」くらいが適切だと思われます。

⑤「希望まみれ」はおかしな表現です。

「まみれ」は「汗まみれ」「泥まみれ」「油まみれ」「血まみれ」といったものと相性がよいものです。

「希望まみれ」は、かんぽ生命の広告のキャッチコピー「人生は、夢だらけ。

」と重なるものであり、異化効果を狙うものとしてはありえますが、それでもやや無理のある印象です。

「希望にあふれた」くらいが適切でしょう。

「~だらけ」の場合は、「 ~まみれ」よりも結びつきの幅が広く、「汗だらけ」「泥だらけ」「油だらけ」「血だらけ」のような具体物以外にも、「失敗だらけ」「欠点だらけ」「不安だらけ」「不満だらけ」のような結びつきがよく見られ、逆説的な「夢だらけ」が可能になっているように思われます。

⑥「美人すぎる」も最近見かけるようになってきましたが、違和感がある表現としてしばしば取りあげられます。

もともとは「厳しすぎる」「寂しすぎる」「難しすぎる」「忙しすぎる」のようなネガティブな形容詞との結びつきがふつうで、そこから「優しすぎる」「嬉しすぎる」「楽しすぎる」「美しすぎる」のような、よい面が不釣り合いなほど目立つという意味に変わってきたように思います。

しかし、「便利すぎる」「親切すぎる」「きれいすぎる」「簡単すぎる」のような形容動詞と結びつくことはあっても、「美人すぎる」「天使すぎる」のような、肯定的な意味の名詞と結びつく用法は最近目にするようになりました。

「美人すぎる」は「超美人の」くらいが現時点では穏当でしょうが、今後は違和感がなくなっていくかもしれません。

⑦「言動」は、「救われる」との相性が悪そうです。

「言動」に付く形容詞は、「軽はずみな」「過激な」「異常な」「不快な」などが多く、よい意味の形容詞と共起することはほとんどありません。

したがって、ここでは「言葉と行い」とするか、「助力」や「励まし」など、「パートナー」と相性のよい言葉を探すしかなさそうです。

⑧「態度」もあまりよい意味では使われません。

もちろん、「毅然とした態度」「自信に満ちた態度」などのようにも使われますが、「態度がいい」と「態度が悪い」とどちらが落ち着くか考えてみれば、かなりネガティブな意味に偏っていそうです。

「姿勢」という語に変えると、落ち着きがよくなります。

⑨「安易に」は「簡単に」という意味で使っているものと思われますが、「安易」というのは、重大な問題を気軽に「考える」という、不当な軽視というニュアンスがあり、「解決する」という結果を問題にすることは難しいでしょう。

「容易に」が適切です。

⑩「 ~ずくめ」と「 ~づくし」は混同しがちな表現です。

「カニずくめ」ではなく「カニづくし」でなければなりません。

「~ずくめ」は、「黒ずくめ」「異例ずくめ」「規則ずくめ」「働きずくめ」のように、「 ~だけ」「 ~ばっかり」という意味を表します。

「 ~づくし」は、「ホタテづくし」「豆腐づくし」「甘いものづくし」のような料理をはじめ、「ないないづくし」「初物づくし」「ディズニーづくし」など、「どれを取っても例外なく ~」という意味になります。

語感と違和感

①~⑩の問題を解いてみて感じることは、それぞれの語には語感があるということです。

語感というのは、語の意味そのものではなく、その語にまとわりついているイメージや、使用環境、プラスマイナスの評価のようなものです。

ニュアンスと言ってもよいでしょう。

この語感が文脈とずれると、読み手の心に違和感が生じます。

私の勤務先である国立国語研究所には、図書室があります。

日本で唯一の日本語の専門図書室で、書籍だけでも十五万冊以上が所蔵されています。

しかし、それは「図書室」であって「図書館」ではありません。

たしかに独立した建物ではなく、表現としては正しいのですが、赴任当初は違和感が拭えませんでした。

私にとって「図書室」の語感は、学校などにある小さな閲覧室で、十五万冊以上の蔵書がある図書室がイメージできなかったからです。

コメダ珈琲店で、バナナチップスの「個体差」という表現に出会ったときにも、違和感を覚えました。

モン・バナナというおいしそうなケーキの紹介がテーブルにあり、バナナマフィンのうえにたっぷりのクリーム、さらにそのうえに形の違うバナナチップスが三枚載っている写真が添えられていました。

たしかにその三枚に「個体差」はありました。

しかし、「個体差」が生じるのは、一般には生物です。

バイクや電車の車両、ラジコンなどにも使われることはありますが、せいぜいそうした工業製品どまりでしょう。

とはいえ、バナナチップスの「個体差」というのはユニークな表現で、そこには比喩的な狙いがあるのかもしれません。

研究をしていると、情報を提供してくれる人にたいする「聞き取り調査」が不可欠です。

それを、「聞き込み調査」と言われたときに一瞬「えっ?」と思いました。

「聞き取り」をするのは研究者の仕事、「聞き込み」をするのは警察の仕事という使い分けが私の頭のなかにあったからです。

公共の交通機関を利用するときに使う ICカードも、最近ではかなり普及してきましたが、「タッチしてください」という表現にはいまだに違和感があります(山田二〇一二)。

手を使った身体的な接触をイメージするからです。

バスを降りかけた若い女性の乗客に、男性の運転手が、「タッチ、タッチ」と叫んでいる状況をたまたま目にして、違和感が募りました。

語感が問題になりやすいのは、語の評価に関わるものです。

プラスの語感のある語がネガティブな文脈で使われていたり、反対にマイナスの語感のある語がポジティブな文脈で使われていたりすると、読み手に違和感を与えやすくなります。

たとえば、仕事をしていて、「ご処理のほう、よろしくお願いします」と言われて違和感を覚えたこともありました。

「処理」というと、「処分」や「始末」というマイナスのニュアンスがついて回るからです。

「お手続きのほど、よろしくお願いします」と言われていれば、そうした違和感はなかったでしょう。

「わからないことがあったら、いちいち聞いてね」と言われて、首を傾げたこともありました。

相手は親切で言ってくれているので、目くじらを立てる必要はないのですが、「いちいち」と言われると、「聞くな」と言われているような気がします。

「逐一」であれば無難でしょう。

定着した専門語のなかにも違和感があるものがあります。

一つは経済用語の「マイナス成長」です。

「成長」というプラスの語感に、「マイナス」という表現がそぐわないからです。

コンピュータ用語の「水平線効果」にも違和感があります。

コンピュータの能力が有限であり、ある一定ラインよりも先の探索を、そこに水平線があるかのように放棄し、結果的に不適切な選択をするという問題です。

「効果」というのは通常プラスの結果をもたらすものであり、このようなマイナスの「影響」を「効果」という語で表すのは、何となく落ち着かない気がします。

ただ、ここまでお読みになってわかるように、語感は主観的な印象を多分に含みます。

つまり、人によって揺れるわけです。

語感の辞典(中村二〇一〇)を独力で編まれた中村明氏に個人的にうかがったところでは、語感は人によって違うから、語感の辞典は複数の執筆者では書けないとのことでした。

したがって、その語感の辞典は、中村明という方の語感を反映した辞典です。

ところが、その本がよく売れ、多くの読者の共感を得たことで、語感は個人的なものである一方、ある程度、社会的に共有されているものでもあることがわかります。

以上からわかるように、語のイメージを喚起する語感というものに敏感になり、語感と文脈の相性を考えれば、語の選択の精度を上げることが可能になります。

(五)語を適切に置き換える ぼかす置き換え

語彙の質を高める方法の第五は、「語を適切に置き換える」です。

それぞれの語に語感というものがあり、それが語のイメージを喚起する以上、そのイメージ喚起力を強める、あるいは弱めるために、語を置き換えることで、語の精度のピントを合わせる必要があります。

ピントを合わせるといっても、ピントを正確に合わせ、語の意味をくっきりと浮かびあがるようにしたほうがつねによいとはかぎりません。

ときには「ぼかす置き換え」も必要です。電車に乗っていると、「人身事故」という語をよく耳にします。「人身事故」は多くの場合「飛び込み自殺」です。

しかし、もし駅の構内放送で「飛び込み自殺」という語を繰り返し聞かされたら、どうなるでしょうか。

日常的にその言葉を耳にする乗客一人ひとりの心に好ましからざる影響を与えることは必定です。「人身事故」にかぎらず、人の死に関わる語は忌み言葉として避けられる傾向にあります。

専制的な政治体制の国では、「粛清」が行われることがあります。

これは、ときの政権の意に反する政治的な主張を持った人たちに、政治犯のレッテルを貼り、「処刑」することを意味します。そうした生々しい現実を「粛清」という語でコーティングするのです。

「生命保険」も、よく考えるとおかしな語です。内容から考えると「死亡保険」であり、事実、そうした語も存在します。

しかし、「生命保険」という語を保険会社が選択するのは、商品に「生命」という前向きな名称を冠することで、その魅力を高める工夫であると見ることができるでしょう。

超高齢社会の到来に伴い、「メモリアル」という語をよく目にするようになりました。

「メモリアル・ホール」と言えば葬儀場、「メモリアル・パーク」や「メモリアル・ガーデン」は、墓地・墓園を指すと考えなければいけません。

外来語には語感をぼかす働きがあり、それを活用した例でしょう。語感をぼかすのは、死を想起させる忌み言葉にかぎりません。

たとえば、女性ファッション誌では、体型のコンプレックスを刺激する語彙は極力避けられます。

以下が、女性ファッション誌に見られる置き換え例です。

「背が低い」 →「ミニーちゃん」「小柄さん」「 Sガール」

「背が高い」 →「背高さん」「のっぽさん」

「太っている」→「ぽっちゃりさん」「ふくよかさん」

「やせている」 →「細身さん」「華奢さん」

「胸が大きい」→「グラマーさん」

「胸が小さい」 →「プチ胸さん」

間違っても「おちびちゃん」「おでぶさん」「ガリガリさん」などと呼ぶことはありません。体型にたいするコンプレックスを刺激しないようにしつつ、そうした体型をカバーするコーディネートをさりげなく提案するのが、女性誌の特徴です。

気をつけたいのは、政界・財界が庶民に不都合な制度を押しつけようとするときのレトリックです。

タダ働きの残業を「サービス残業」と呼び、「リストラ」という名で一方的な解雇を実施します。

残業代を払わない残業代ゼロ制度を「ホワイトカラー・エグゼンプション」や「高度プロフェッショナル制度」などと名づけ、制度導入への抵抗感を下げようとします。

増税であっても「軽減税率」と言い、減税部分に注目するように仕向け、課税強化を目的とした「国民総背番号制」を「マイナンバー制度」と呼び変え、その定着を図ります。

不自然に語感が穏やかな制度の導入は、中身の厳しさとセットになっていることが多いので、注意が必要です。

明確化する置き換え

もちろん、官公庁が提案する言葉の置き換えのなかには、まっとうな考え方に基づくものも多いことを指摘しておかないと公平性を欠くでしょう。

中身をぼかす置き換えにはごまかしが目立ちますが、中身を明確化する置き換えは、真剣な検討を経て提案されるものが少なくありません。

たとえば、「オレオレ詐欺」を「振り込め詐欺」と置き換えたのは、手口が巧妙化するこの種の詐欺被害がこれ以上拡大するのを防ぐためであり、その適切な名称によって、より高い抑止効果が生まれたと考えられます。

また、「脱法ドラッグ」という名称は、違法ではないという意味で抜け道を示唆しており、かえってドラッグへの好奇心をあおる面がありました。「危険ドラッグ」という名称で注意を喚起したことは意味のあることでしょう。

「成人病」を「生活習慣病」とすることで、その病気にかかる対象の限定を外し、「生活習慣」という原因に注意を向けるのと似た面があるように感じます。

最近は、「 ○ ○は犯罪である」という表現も多く目にするようになりました。「いじめは犯罪である」「ちかんは犯罪である」「万引きは犯罪である」のたぐいです。

いじめは「いじめ」と呼ばれることで、「子どもがやっている意地悪」程度に見られてしまい、深刻に受け止められるケースは少ないものです。

しかし、殴る、蹴るといった暴力行為を伴えば暴行罪ですし、それで怪我をさせたら傷害罪です。相手の嫌がることを脅して無理強いすれば脅迫罪ですし、さらに金銭を出させれば恐喝罪です。

いじめられっ子の所持品を壊せば器物損壊罪ですし、 LINEや SNSなどをつうじて悪口を広めれば名誉毀損罪です。

いじめの被害を受けている子どもたちの苦しみを考えると、そうした行為を「いじめ」というあいまいな語で一括りにせず、暴行・傷害・脅迫・恐喝などと置き換えることで、エスカレートするいじめがいかに大きな問題かを、いじめに関与する少年たちに伝えられるかもしれません。

「ちかん」は迷惑防止条例違反であり、エスカレートすれば強制わいせつ罪になりえます。「万引き」にしても立派な窃盗罪です。

「いじめ」「ちかん」「万引き」は、語感がさほど強くないので、「犯罪」として刑罰に訴えてその抑止を図ろうとするわけです。

「いじめ」も「ちかん」も「万引き」も、被害者にとっては大きな肉体的苦痛、精神的苦痛、経済的苦痛を受けるわけで、それを食い止める有力な工夫としてはありうる考え方だと思います。

しかし、こうした語彙の語感に頼る方法には、限界があると言わざるをえません。

「犯罪」という語を目にすると、当初はどきっとし、一定の抑止効果は期待できるでしょうが、使われつづけると、見慣れることで語感が次第にすり減り、インパクトが弱まります。

「刑事罰」「損害賠償」のように、言葉を変えていっても、いずれは同じ末路を辿ります。

つまり、言葉を置き換える方法は、決定的な解決策にはならないのです。その解決策は、そうした犯罪的行為が、相手にとっても自分にとってもどのような悲惨な結果を招くかという、健全な想像力を醸成する社会を作っていくことしかありません。

言葉の置き換えによってすべての解決を期待するのではなく、そうした想像力を喚起する一助として、語感を使うという考え方が穏当だろうと思います。

ブランド戦略としての置き換え

ここまで「ぼかす置き換え」と「明確化する置き換え」について述べました。

忌み言葉など、強い語感を避ける場合には「ぼかす置き換え」も必要でしょうが、「ぼかす置き換え」には弊害が多く、「明確化する置き換え」のほうが情報伝達のうえでは重要です。

ここでは「明確化する置き換え」の代表として、ビジネス上のブランド戦略を考えます。

次の文が、ある料亭のウェブサイトに載っていたとして、この料亭に行きたくなりますか。

・熟練した職人が、厳しい目で選びぬいたこだわりの素材を使い、卓越した技術でじっくり調理した本格的な料理を提供します。

一見おいしそうな料理を提供してくれそうな気はするのですが、よく読むと、何の実質もないことに気づかれるのではないでしょうか。

「熟練した職人」「厳しい目」「選びぬいた」「こだわりの素材」「卓越した技術」「じっくり調理した」「本格的な料理」は、すべて現実の担保を必要としない空疎な表現です。

どんな料理を提供しても、言い逃れができてしまう表現なのです。

これでは、集客は見込めないでしょう。

私はビールが好きで、近所にあるサントリー武蔵野ビール工場にときどき見学に出かけるのですが、ザ・プレミアム・モルツ、通称プレモルのブランド戦略には感心させられます。

ここでは、ウェブページに掲載されている文章をもとに、説明を試みましょう( http:// www. suntory. co. jp/ factory/ beer/ guide/ [ ]部分は著者による補足)。

「ザ・プレミアム・モルツ」ができるまで ~ビールの最高峰を目指すつくり手たち ~日本国内でつくられているサントリーのビールは、全て天然水 100%で仕込んでいます。

もちろん「ザ・プレミアム・モルツ」も天然水 100%仕込。

「水」や素材(麦やホップ)、製法にもこだわってつくられた「ザ・プレミアム・モルツ」の製造工程をご紹介します。

素材選び →製麦 →仕込 →発酵 →貯酒 →ろ過 →缶詰・箱詰 →出荷【素材選び】 サントリーのビールづくりは、素材選びから「ザ・プレミアム・モルツ」の原料は、「天然水」「大麦(麦芽)」「ホップ」。

厳選した素材のみを使います。

[天然水]水はビール・発泡酒の約 9割を占める、大切な原材料。

サントリーのビール工場では、すべて地下深くから汲み上げた良質の「天然水」 100%で仕込んでいます。

[大麦(麦芽)]大麦は、味や香り、色、泡持ちなど、ビールの特徴や品質に大きな影響を与えます。

「ザ・プレミアム・モルツ」は、粒の大きさにまでこだわり厳選した、二条大麦を、使用しています。

ピルスナービールの香味特長を決定づける個性的な麦芽であるダイヤモンド麦芽を加えております。

[ホップ]ビール独特の苦味や香りのもととなるホップは、摘みたての鮮度が命です。

厳選されたホップは、産地から低温輸送で鮮度を維持したまま工場へ。

「ザ・プレミアム・モルツ」には、香り高い欧州産のアロマホップを使用し、華やかな香りを実現しています。

ここではプレモルの製造工程の「素材選び」だけですが、具体性に乏しい先ほどの料亭の例にくらべ、いかに具体的で語感を喚起させる表現に富んでいるか。

また、その語感が響きあい、いかに全体として一貫したブランド・イメージを作りあげているか、実感していただけると思います。

(六)語の社会性を考慮する言葉と文化――背景がわからないと理解できない表現

語彙の質を高める方法の第六は、「語の社会性を考慮する」です。

言葉は文化だと言われます。

しかしながら、その文化のなかにどっぷり浸かって暮らしていると、そのことはあまりピンときません。

私も日本文化にどっぷり浸かっているので、外から日本文化を眺めている留学生の一言にハッとすることがあります。

ある女子留学生から、「女性は『かばん』という語を使わないのですね」と言われてハッとしました。

そういえば、男性は「かばん」というのですが、女性は自分の使う「かばん」を「バッグ」と呼び、「かばん」とは呼ばないことに気づきました。

似たような例としては、女性は「散髪」には行かず、「カット」に行くことがあります。

「散髪」は床屋で、「カット」は美容院でするものだからでしょう。

そう考えると、「バッグ」や「カット」は女性語です。

また、別の留学生から「『やんちゃする』ってどういう意味ですか。

男子にしか使わないみたいなんですけど」と言われて驚きました。

たしかにそうです。

「やんちゃ」「わんぱく」は男子専用形容詞、「おてんば」「お茶目な」は女子専用形容詞です。

最近では、「お茶目なおじいさん」もいるようですから、少しずつ時代は変わっているのかもしれませんが、「おてんばなおじいさん」や「じゃじゃ馬のおじいさん」まではさすがにいないようです。

留学生に文化を説明するのには苦労します。

私は、「義理チョコ」の説明をして、留学生になかなか理解してもらえなかった経験があります。

好きでもない人になぜ自分のお金でチョコを買って配らなければならないのかが理解できなかったようです。

・ダイヤが乱れても、迂回ルートをすぐに検索 という NAVITIME(電車や車、徒歩などによる経路を一度に検索できるサービス)の広告を見たことがあります。

これも、留学生に説明するのは相当骨が折れそうです。

「ダイヤ」がダイヤグラムであること、「迂回ルート」が、確実に到着できる遠回りのルートであることは説明できても、以下のことをすべて前提としなければ、理解できないと思うからです。

①首都圏の公共交通網は複雑である ②日本人はスマホで路線検索をする ③日本の鉄道は時間厳守で運行される ④人身事故などでダイヤがしばしば乱れる ⑤鉄道会社は振替輸送を行う ⑥日本の会社員は状況を問わず時間を守ろうとする 留学生の出身地で、この六つの条件を満たすところはまずありません。

そのため、語彙がわかっても、その背景がわからないため、留学生はなかなか理解できないのです。

もちろん、日本人であっても、首都圏に来て間もない地方出身者の場合であれば、わからないこともあるでしょう。

留学生は大学から日本に来るため、日本人学生の高校までの学校文化がわかりません。

「運動会」と「体育祭」、「文化祭」と「学園祭」、「運動部」と「文化部」などの違いは難しそうです。

「『帰宅部』は何をする部ですか?」と真顔で聞かれたこともあります。

日本語が国際化していく昨今、こうした読み手が自分の書いたものを読むかもしれないという意識は必要になってきていると思います。

有標と無標 このように、文化というものは、自文化にどっぷり浸かっている人には見えにくいものですが、そうした隠れた文化をあぶりだす概念があります。

それが、有標と無標です。

無標は典型的・一般的なもの、いわばデフォルトの場合で、とくに標識がつかないのにたいし、有標は典型的・一般的でないものの場合で、特殊な標識がつきます。

「ポスト」や「消防車」は、日本文化のなかでは通常赤い色をしていますので、わざわざ「赤いポスト」「赤い消防車」と言ったりしません。

「ポスト」「消防車」のなかに赤いという意味が含まれているからです。

これが無標です。

一方、「黒いポスト」や「青い消防車」があった場合、これは珍しいものですので、「黒い」「青い」という標識を加えて有標として表現します。

有標と無標の議論でよく問題になるのが、女性が有標になる語です。

「女医」「女優」「女子大生」「女流作家」「女流棋士」「婦人警官」「女性自衛官」などは、女性のときだけ有標になるからです。

「男医」「男優」「男子大生」という言葉はないわけではありませんが、「医者」「俳優」「大学生」という無標の場合、男性がイメージされがちです。

まして、「男流作家」「男流棋士」「紳士警官」「男性自衛官」などとはまず呼ばれません。

つまり、こうした職業では男性が無標、女性が有標だと考えられているわけです。

こうした語を性差別語(セクシスト・ランゲージ)と見なし、その改善を目指す政治的公正性(ポリティカル・コレクトネス)という考え方が広まり、こうした習慣は変えられつつありますが、それでも、根本的な発想まではなかなか変わらないように感じられます。

たとえば、「サラリーマン」や「カメラマン」には「マン」が入っています。

「サラリーマン」は「ビジネスパーソン」に、「カメラマン」は「写真家」や「フォトグラファー」に言い換え可能ですが、「サラリーマン」という和製英語は今でもよく使われますし、「女性カメラマン」という矛盾した言い方もしばしば耳にします。

もちろん、有標であることが悪いということではありません。

特殊が「例外」である場合は問題視されがちですが、特殊が「特別」であればむしろ有標のほうが望ましくなります。

スーパーやデパートに行くと、有標なものがたくさん並んでいます。

・産地―――国産若鶏、駿河湾産桜エビ、地場産ほうれん草・新しさ――新米ササニシキ、新鮮イワシ、朝採りダイコン・量――――徳用タマネギ、業務用チーズ、特大海老・安さ―――特価アイス、格安コーヒー、激安パスタ・健康―――有機納豆、減農薬トマト、無添加ソーセージ・高級感――プレミアム・ビール、特選サラダ油、極上焼きそば たんに「若鶏」とするより「国産若鶏」、「ササニシキ」とするより「新米ササニシキ」、「タマネギ」とするより「徳用タマネギ」、「アイス」とするより「特価アイス」、「納豆」とするより「有機納豆」、「ビール」とするより「プレミアム・ビール」とするほうが、お客の手が伸びるでしょう。

産地、新しさ、量、安さ、健康、高級感など、その商品の特徴を語の前に付加することで、有標であることを示しています。

もちろん、その商品の特徴が特別な感じを与え、付加価値を生み出し、商品の購入意欲をそそることになるわけです。

ただ、問題は、言葉の場合、いくら派手にしてもコストがかからないという点です。

そのため、売り場が有標な表現で溢れかえってしまいます。

これでは、言葉のインフレです。

最近、「プレミアム普通紙」というおもしろい言葉を見つけました。

質の高い普通紙なのでしょうが、少々行きすぎの感があります。

ちなみに、保険会社に勤務していた父によれば、「プレミアム」はもともと保険用語だそうです。

それが、高級感を演出できる名前として定着した結果、ここまで普及したと考えられます。

悩ましいのは、有標な商品がヒットすると、それが普及し、無標になるというジレンマです。

ブランド戦略のところで紹介したザ・プレミアム・モルツはよく売れていますが、その結果、ふつうのモルツが売れなくなり、ザ・プレミアム・モルツが高級ビールのスタンダードになっています。

スタンダードになるということは無標になることであり、それが続くと、消費者に飽きられてしまいます。

そこで、サントリーは、さまざまな限定商品、つまり有標となる商品を開発することで、新たに差別化を図っているように見えます。

その行く末は、プレモルの一ファンとしても気になるところです。

JRでは、特急が普及した結果、急行がほとんどなくなりました。

特急のほうが料金が高く、経営上好都合だったのでしょう。

しかも、かつては夢の超特急であった新幹線が、今では全国に張りめぐらされることで無標になりつつあり、もともとの「特急」は、「特別急行」どころか、単なる遅い「特急」になりつつあります。

悲惨なのは「急行」と「快速」です。

本来は「現場に急行する」「快速を飛ばす」のように速い語感を持っていたこの二つの語が、なんとなく遅く見えてしまうのも、時代の流れでしょうか。

こうした社会的風潮も、有標と無標というフィルターを通すと、的確に捉えることが可能です。

(七)多義語のあいまいさを管理する多義語の広がり

日本語はあいまいな言語だとよく言われます。

どの言語にもあいまいな部分はありますが、日本語は島国で育まれた言語であるため、あうんの呼吸で聞き手に伝わることが期待され、文脈依存性の高い、あいまいさが大きい言語の一つだと考えられます。

「すみません」で謝罪と感謝の両方を表したり、面接室を入るときも出るときも「失礼します」の一語で済ませたり、「けっこうです」でイエスもノーも表したり、「適当」が適切だったりいい加減だったり、「やばい」がまずかったりすごかったり、「ちょっと」の量が案外多かったりするのも、日本語の特徴です。

しかし、書き言葉は、こうしたあいまいさをできるだけ排除するように働きます。

書き言葉は、情報をできるだけ正確に、不特定多数に伝えることを目的に発達してきた言語なので、文脈に依存しない、一義的に決まる表現が好まれるからです。

したがって、書き言葉をおもな対象とする本書でも、あいまいになりがちな多義語を的確に発見し、早めに手当てをするという、あいまいさを排除する方向で考えます。

ただ、多義性を使った興味深い表現があるのも事実です。

そうした例をまずはいくつか紹介して、多義語とはどんなものか、イメージをふくらませたいと思います。

次の例文は、二〇一五年の八月に行われた将棋の対局、第五十六期王位戦七番勝負第四局、羽生善治王位・広瀬章人八段戦の中継ブログからです。

・3五銀は遊び駒だが、銀得は銀得だ。

おいしくいただく。

そして、羽生はミルフィーユに手を伸ばして、こちらもいただく。

広瀬もショートケーキを食べる。

局面が終盤に入りつつあり、表情は険しい。

盤上の銀を取ることを「おいしくいただく」という比喩を使って表現し、ケーキのミルフィーユの「いただく」とのつながりを際だたせています。

最初の「いただく」は「もらう」、次の「いただく」は「食べる」の意味で、多義語だと考えられます。

同じく、将棋の対局の観戦記で見かけた表現です。

・一連の折衝で後手が先手を取った。

「先手」「後手」というのは対局の最初に決まっているもので、「羽生」「広瀬」といった対局者の固有名詞のかわりに使われます。

ところが、じつはもう一つ意味があり、局面が一段落した段階で主導権を握り、新たな局面に先着できる手番のほうを「先手」ともいうのです。

ここでは、そうした「先手」の両義性をうまく利用しています。

JR東海の伊勢・志摩のキャンペーンも秀逸でした。

たった一言、「参りましょう。

」です。

伊勢・志摩に「行きましょう」という誘いと、伊勢神宮に「お参りしましょう」という参拝をうまく重ねています。

「参る」はたしかに、「行く」と「お参りする」の二つの意味を持つ多義語です。

「『日本の食事はアブナイ』⁉」というタイトルに惹かれて読んだ記事の小見出しに、「インド人には日本食は『危険』」とありました(鵜飼秀徳「記者の眼」『日経ビジネスオンライン』二〇一六年一月十五日)。

なぜインド人にとって、日本食が危険なのでしょうか。

本文を読んでみると、インド人の約半数は菜食主義者であり、宗教によってはかなり厳格に守られていることがわかります。

「だから、出汁など、見えないところで魚や肉類を使う日本料理は、『インド人にとっては大変危険で、とても手を出せる代物ではない』」というのです。

「危険」という語自体は、多義語とは言いにくいのですが、食事が危険であるという文脈のなかで、「危険」という語の背景にまで踏みこんでみると、危険の背景として一般に連想されるのは、食事の材料が腐っていたり、不衛生であったり、アレルギーを引き起こしたり、農薬まみれであったり、食品添加物が過剰に含まれていたりといったことだと思います。

ところが、ここでは、宗教上の理由で徹底した菜食主義を行っている人にとって危険だということが示されており、「危険」という語のあいまいさを利用して、何でも食べる日本人の盲点を突くことに成功しています。

多義語を知る方法

あるとき、車の修理屋さんからメールが入りました。

・集中していて対応できないときがあるので、ご来店の時間をあらかじめご連絡いただけると助かります。

このメールを見て、修理屋さんはいったい何に集中しているのだろうと疑問を持ちました。

作業に集中しているのかもしれませんし、依頼が集中しているのかもしれません。

来店時間を連絡すればよいという用件はわかっているので問題はないのですが、職業柄、ついそうしたところに引っかかってしまいます。

かく言う私も、次のようなメールを書いて読みなおし、我ながら読みにくいメールだなあと感じました。

・教えていただいたメールアドレスは念のため控えさせていただきますが、私のほうから直接メールをお送りするのは控えるようにいたします。

最初の「控える」はメールアドレスを記録するということで、二番目の「控える」はメールを送るのを遠慮するということです。

一つの文のなかで同じ語を二回、しかも別の意味で使うと読み手は混乱しますので、避けたほうがよいでしょう。

「控える」にはこのほか、背後で出番を待つという意味もあり、複雑です。

つまり、「注文の控え」「控えめな人」「控え室」の「控え」は、すべて意味が違うのです。

意味の異なる多義語が並んでいれば、その意味の違いに気がつくことができますが、そうでない場合には、見落としがちなものです。

どうしたら多義語に気づくことができるでしょうか。

一つ目の方法は、対義語を考えることです。

対義語を考えると、その語が多義語であることに気づきやすくなることは、第二章の「対義語」のところで見たとおりです。

「高い」が多義語であることは、対義語の「低い」と「安い」から、「薄い」が多義語であることは、対義語の「厚い」と「濃い」から、「冷たい」が多義語であることは、対義語の「熱い」と「優しい」から、それぞれわかります。

また、名詞でも、「中」が多義語であることは、対義語の「外」と「端」から、「退社」が多義語であることは、対義語の「入社」と「出社」からわかります。

二つ目の方法は、同訓異字を考えることです。

同訓異字については、第二章の「文字種」のところで説明しました。

和語に漢字を当てるときに複数の当て方をするものであり、とくに動詞に多く見られます。

たとえば、「とる」でいえば、「取る」ならば「取得」、「採る」ならば「採集」、「捕る」ならば「捕獲」、「摂る」ならば「摂取」、「撮る」ならば「撮影」、「録る」ならば録音、「執る」ならば「指揮」、「采る」ならば「采配」、「盗る」ならば「窃盗」、「摸る」ならば「掏摸」など、同訓異字の書き分けを考えれば、動詞の多義性を捉えやすくなります。

三つ目の方法は、他の言語への翻訳を考えることです。

多くの方は英語でしょうか。

たとえば、「公園」ならば parkか playgroundかという区別がありますし、「時計」ならば watchか clockかという区別があります。

「起きる」ならば wake upか get upか、「寝る」ならば sleepか lie downかという区別があるわけです。

日本語のなかに区別がないのは形式上の問題で、意味の使い分けは確実にありそうです。

たとえば、「公園のなかを散歩する」のは parkでなければできません。

近所の小さな公園を散歩しても、三十歩も歩けば砂場にはまるか、ベンチにぶつかってしまうでしょう。

「公園で幼児を遊ばせ、ママ友とおしゃべりに興じる」のは playgroundでなければできません。

国立公園で幼児を遊ばせておいたら、広い森のなかで迷子になってしまいかねません。

「寝るまえに時計のアラームをセットしてから寝た」のなら、ふつうは clockを想像するでしょうし、「時計をポケットに入れた」のであれば、 watchであることは確実です。

また、多義語であっても、日本語でも使い分けを考えれば、「起きる」は「目を覚ます」と「起きだす」に、「寝る」は「眠る」と「寝そべる」にそれぞれ区別が可能です。

英語以外の言語が得意な方は、それぞれの言語に訳してみると、それぞれの言語の線の引き方の違いが浮かびあがってくるに相違ありません。

多義語が多い外来語・固有名詞

留学生に日本語を教えていると、苦労する多義語は外来語と固有名詞です。

漢字の場合は数がたくさんありますので、音声の場合は同音異義語の衝突が起きてしまいますが、文字にすればすぐに意味の微妙な区別ができます。

しかし、片仮名は数が限られていますので、どうしても同じ形のバッティングが起きてしまいます。

とくに、最近は英語から外来語がばんばん入ってきますので、数が急増しているぶん、同形語が増えがちで、その解釈を文脈に依存する割合が高くなります。

とくに、留学生の場合、英語の能力は高くても、文脈を読み取る力が弱いので、表記も意味も略し方も日本語化している外来語を正確に理解するのは、なかなか困難です。

次の例は外来語の多義語です。

右から順に、 ①「ネット」、 ②「オフ」、 ③「カード」、 ④「トップ」、 ⑤「タイム」、 ⑥「マッチ」が多義語になっています。

①ネットで検索する/ネットで五〇万円の利益/ネットにボールが引っかかる ②スイッチをオフにする/バーゲンで三〇%オフになる/三月からオフに入る ③受付でカードに記入した/カードで決済する/今日一番の好カードだった ④トップでゴールした/銀行のトップに収まった/トップでアクセルを踏んだ ⑤試合中にタイムを取る/五〇 m走のタイムが早い/タイムを使った料理を食べた ⑥マッチを擦って点火する/タイトル・マッチを見る/映像と音楽がマッチする こうした外来語が出てきた場合の対処方法は二つです。

一つの方法は、言い換えられるものはわかりやすく言い換えることです。

①の「ネットで検索する」は「インターネットで検索する」、 ②の「スイッチをオフにする」は「スイッチを切る」、 ③の「カードで決済する」は「クレジットカードで決済する」にそれぞれ言い換え可能です。

もう一つは、文脈を強化する方法です。

④の「トップでゴールした」は「出場全選手のトップでゴールした」、 ⑤の「タイムを使った料理を食べた」は「ハーブのタイムを使った料理を食べた」、 ⑥の「映像と音楽がマッチする」は「映像と音楽が見事にマッチする」のように説明を加えれば、多義語を解釈する文脈が強化され、誤解のおそれはほぼなくなるでしょう。

書き手は多義語に気づきにくい

また、留学生が弱いのが固有名詞です。

以前、留学生用の読解教材を作ったときに、友人がおもしろ半分で「愛」と「真理」という私の二人の娘の名前を使い、「いもうと」というタイトルの文章を書きおろしました(石黒圭編著『留学生のための読解トレーニング』凡人社所収)。

その文章を使って留学生に授業をしたところ、たいして難しい内容でもないのに、誤解が続出するという現象が起きました。

誤解は中国人留学生に顕著に見られました。

なぜそうした誤解が起こったかというと、「愛」と「真理」という固有名詞を普通名詞と思いこみ、「愛」と「真理」、すなわち love & truthの哲学的な文章として読んでしまったのです。

とくに中国人の場合、漢字を見ると無意識に意味に変換してしまうので、そうした誤解が起こりがちです。

やはり、中国人留学生の作文を添削していて、「日本大学」と書かれていたので、「日本の大学」と直したことがあります。

中国人留学生にとって「の」を入れるかどうかはなかなか難しい問題ですが、この場合は「の」が必須です。

「の」がないと、日本にある大学ではなく、日本大学という固有名詞になってしまうからです。

しかし、固有名詞の難しさは留学生にかぎりません。

つぎは、渡辺明という強い将棋棋士を夫に持ち、『将棋の渡辺くん』という漫画を書いている「伊奈めぐみ」さん(この固有名詞も難しいのでカギカッコをつけました)のブログからです。

近所のケーキ屋さんでシンプルなチョコレートケーキを買い、それっぽいオシャレな感じに小枝を載っけて、旦那に出してみた。

食べ終わった後に「実はあれは小枝でした‼」と言おうとワクワクしていたのだが、旦那はケーキを見てすぐに「…何で小枝が載ってるの?」と気が付いた。

「何で小枝だって分かったの??」と聞くと、「俺が何年小枝食べてきたと思ってるの?」と当然の顔で言われた。

(「ケーキ」『妻の小言。

』 http:// inaw. exblog. jp/ 21751431/) ブログのこの文章を読みはじめたとき、なんてひどいことをするんだと思いました。

チョコレートケーキのうえに食べられない小枝を載せるなんて、と思ったのです。

しかし、それは私の勘違いでした。

最後まで読めば、「旦那」である渡辺明さんの「俺が何年小枝食べてきたと思ってるの?」という言葉に出会います。

つまり、「小枝」はチョコレートの小枝、森永製菓の商品名だったわけです。

この文章を、早速ある留学生に読んでもらったのですが、あっさり理解できました。

聞いてみたところ、最近コンビニで「小枝」を買って食べていたのだそうです。

第二章の「実物を考える」で見たように、現実世界での経験が語彙力に必要なことがわかります。

また、金本知憲氏が阪神タイガースの監督に就任したころ、「金本監督、球児との接触認める」というタイトルのスポーツ紙の記事を見て、これはよくないなあと思いました。

いくら将来性のある高校生をドラフトで取りたいからといって、プロ野球の監督がひそかに高校球児と接触するのは問題だと考えたからです。

しかし、これも私の誤解でした。

金本監督が接触していたのは、以前のチームメートであり、阪神に戻ってきてほしいと願っていた藤川球児投手だったからです。

これも、「球児」が固有名詞だとわからないことに由来する誤解です。

このように、多義語は私たちの生活に深く入りこみ、誤解の要因となっています。

しかし、多義語は気づかれにくい宿命にあります。

語の意味は、その置かれた文脈に関連するものだけが呼びだされるので、書き手は、自分が書こうとしている以外の意味に意識が向かないのです。

したがって、多義語による誤解を避けるには、自分の書いた文章をほかの人に見てもらったり、時間を置いてから一人の読み手として自分の文章を読みなおす必要があります。

そして、ここで学んだように、どんな語が多義になりやすいのか、ふだんから意識しておくことが大切です。

(八)異なる立場を想定する 人によって語の意味は変わる

語彙の質を高める方法の第八は、「異なる立場を想定する」です。

書き手の立場と読み手の立場が異なると、語の意味はズレをきたします。

同じ言葉なら、書き手と読み手が同じ内容を想像すると考えるのは幻想です。

同じ言葉でも人によって感じ方はさまざまです。

そのため、書き手としては、自分の選択した語の解釈の幅を計算し、読み手の目にその語がどう映るかを冷静に計算する必要があります。

私の住んでいる家のそばに両親が引っ越してきました。

歩いて七 ~八分の距離です。

子どもを預かってもらうのに便利であり、首都圏から離れたところに実家のある近所の親たちからは「近くていいわねえ」とうらやましがられています。

そこで、ある人に「うちのすぐそばに両親が引っ越してきまして」と話したところ、「すぐそばってどのくらい?」と聞かれ、「七 ~八分です」と答えたら、「遠いわねえ」と言われてしまいました。

聞けば、その人は、同じ敷地のなかの二世帯同居なのだそうです。

また、ある人のブログを見ていたら、「最近、事情があって、都心から横浜の奥地に引っ越してきました」と書いてあり、親近感を覚えました。

私は長いこと横浜の「奥地」に住んでいたことがあるからです。

横浜市の南西のはずれにある泉区というところで、以前は区のシンボルマークが「トムトム」という豚でした。

高座豚という豚の産地で、相鉄線の駅を降りると、その臭いが漂ってきました。

区内の道路を散歩中に、牛に追いかけられて怖い思いをしたこともありました。

九〇年代の話です。

しかし、その人のブログを見ると、横浜の「奥地」というのは青葉区の青葉台だったのです。

青葉台は、たしかに横浜の中心部である横浜駅やみなとみらい地区からは離れていますが、都心へのアクセスもよいおしゃれな住宅街です。

私にとってはだんじて横浜の「奥地」ではありません。

以前よほど交通至便なところにお住まいだったのでしょうが、私はその人とはお近づきになれそうもないと思いました。

奮発して食べた一五〇〇円のランチが「安い」と言われたときの驚きに近く、住んでいる世界が違うと感じられたからです。

書き手と読み手の感性の開きは土地の問題にかぎりません。

私の教え子に中高一貫校の国語の先生がいるのですが、その先生から、「古典は生徒にとって外国語学習なんですよ」と聞いたことがあります。

なぜかというと、古典を訳すときに、生徒は一様に「現代語に訳す」ではなく、「日本語に訳す」と言うのだそうです。

「現代語」ではなく「日本語」という語を選んで言うところに、生徒たちにとって、古典はもはや日本語ではなく外国語なのだという意識が表れているわけです。

ここからしばらくは、野球を例に話を進めます。

以前、 WBCという野球の世界大会の開催期間中に、調子の上がらなかった田中将大投手の処遇について、日本のマスコミが「中継ぎ降格」と報じたことがありました。

それにたいして嚙みついたのが上原浩治投手でした。

上原投手はツイッター上で、「先発の調子が悪いから、中継ぎに降格??降格って何やねん(-_-#)中継ぎをバカにするなよ。

野球を知らない奴が、記事を書くなって思うのは俺だけ??」と思わず感情を爆発させました。

野球では、最初に投げる先発(スターター)が試合を作り、中継ぎ(セットアッパー)が試合をつなぎ、抑え(クローザー)が試合を締めくくります。

先発と抑えはスポットライトの当たる花形であるのにたいし、中継ぎは重要な役割を担っているにもかかわらず、地味な日陰者として見られがちでした。

上原投手の批判は、中継ぎが正当に評価されていない日本国内のスポーツ・メディアの現状に向けられたものだったわけです。

あらためて考えてみますと、野球についてはそうした見方がはびこっているようにも思えます。

たとえば、「外野」です。

「外野」というのは、打者から離れた守備位置で、打力の低い草野球では、あまりボールが飛んできません。

そのため、低く見られやすく、野球以外の文脈でも比喩的に、「当事者でない人」という意味を指します。

「外野の意見に耳を貸すな」「外野の雑音に惑わされるな」「外野は黙っていろ」となるわけです。

「外野」は「内野」と同様、立派な守備位置なのに、低く見られてしまうわけで、それは「外野」に誇りを持つ人にとってがまんできないことでしょう。

語の意味をプラスに変える

人によって語の意味が変わるということは、読み手にとってよい語感の語を選べば、それだけ書き手の思いが伝わることになります。

野球の名監督として知られた野村克也氏は著書『野村ノート』(小学館文庫)のなかでこう書いています。

もっとも最近の若い選手はこの「ヤマを張る」というのを嫌がる。なんかずるいことをするような錯覚に陥るのだろう。

何も悪いことはないし、ヤマを張る =賭けなのだが、子供のときから野球一筋できた選手というのは、純粋で一途な性格の子が多く、正々堂々の勝負がかっこいいと思い込んで野球をしてきただけに、なかなか受け入れてくれない。

そこで私は「ヤマを張れ」ではなく、「勝負してみろ」ということにした。そうすると「勝負? よし、やってみようじゃないか」と乗り気になる。

もう一つ、野球の例です。

甲子園の高校野球で四強進出を果たした早稲田実業の和泉実監督が、中心選手である清宮幸太郎を評した言葉に続き、記者(中村計氏)が記します。

監督の和泉実が言う。

「彼は抑えられたら、次の打席、必ずそのボールをねらって行くんですよ」 清宮にとっては「四強進出」ではなく「四強止まり」。仕留められなかった残りの二勝は、次の機会でねらいに行く。(「甲子園の風」『 Number Web』二〇一五年八月十九日)

甲子園で四強に残るということは、全国のベスト四ですので快挙ですが、それでも清宮選手は満足しないわけです。目標はあくまで、深紅の大優勝旗なのでしょう。「四強止まり」は前向きな語彙選択です。

透けて見える本音

語の選択には、書き手のものの見方が無意識のうちに反映されます。

夏の暑い時期、妻に「クーラーが勝手に切れる設定になっているよ」と言われ、「自動で切れる設定にしてあるんだよ」と思わず言い返してしまいました。

妻の言葉には、この暑いのにクーラーが切れてしまうのは困るという意識が「勝手に」に反映され、私の言葉には、高い電気代を少しでも節約するために努力しているのにという意識が「自動で」に反映されているわけです。

パリのシャルル・ド・ゴール空港を歩いていたら、片思いしている相手が向こうから歩いてきたとします。

あなたはそれを「運命」と感じるかもしれませんが、相手はそれを単なる「偶然」と捉えるかもしれません。

また、あなたが小説を書き、その出版が決まったとします。

そして、あなたはその本がミリオンセラーになる「理想」を想像するかもしれませんが、第三者から見れば、それは単なる「妄想」に映るでしょう。

一方、立場によっても、ある事態の捉え方が変わってくるでしょう。

民衆が圧政に耐えかねて起こす内戦は、「革命」「運動」として捉えられますが、支配する体制側には、社会秩序を乱す「内乱」「反乱」としてしか映りません。

政府の高官は、一般市民が知りえない機密情報を入手できる特権的な立場にあり、それを自らの立場の強化に役立てることがあります。

そのため、一般市民はそうした情報を広く共有する「情報公開」を求めますが、「由らしむべし、知らしむべからず」という高官の立場からすれば、それは「情報漏洩」に映るかもしれないのです。

そうした違いを端的に示したのが次の文章です。

巻き網によるクロマグロの乱獲が進み、資源の枯渇が懸念されるという文脈で引用された発言です。

現在、境港の漁獲枠(三〇㌔以上のクロマグロ)は年間二〇〇〇㌧。

昨年六〇〇㌧の水揚げであったことを勘案すると、漁獲枠は意味をなしていない。

境港の属する山陰旋網漁業協同組合は「漁獲枠は最盛期よりは少ないので管理していると言える。

巻き網を『根こそぎ獲る』と捉えるか、『効率良い』と捉えるかは立場の違い」と話す。

(「クロマグロ一網打尽世界中でウナギ乱獲」『 WEDGE』二〇一三年八月号) たしかに、立場の違いを知ることは重要で、一方的な正義の押しつけは危険をはらみます。

しかしながら、この例からもわかるように、立場の相対性をあまりにも前面に押しだした相対主義もまた、大きな危険をはらむとも言えます。

少なくとも私たちは、一つひとつの言葉の選択に書き手の意識が反映されるという事実を踏まえ、言葉を選ぶ必要があると思います。

他者を傷つける言葉

文章は言葉の記録なので、不特定多数の人が読むことを前提として書かれます。そのため、どのような読み手が読むか、その可能性を広く考えておかなければなりません。

つまり、ハラスメントになるおそれを想定して書く必要があるわけです。たとえば、セクシャル・ハラスメント。私が最近気になるのは「劣化」という言葉です。

「劣化」は、本来ものにたいして使われる語ですが、最近では、女優・モデル・アイドルといった有名人女性の容姿にたいしても使われるようになっています。

「容姿が衰えた」「不細工になった」というのも十分にひどい言葉ですが、それでもまだ人間扱いです。「劣化」はもの扱いですから、書かれたほうはかなりショックでしょう。

こうした書き込みを見た当人、あるいは周囲の親しい人がどう思うかという想像力を欠いています。

「有標と無標」のところで見たように、政治的公正性(ポリティカル・コレクトネス)の観点から、「看護婦」を「看護師」、「保母」を「保育士」、「父兄」を「保護者」とする置き換えが進められています。

しかし、ある言葉を使わないように制限したからといって、それで問題がすべて解決すると思うのは錯覚です。

言葉は特定の文脈で意味を発現するものなので、使われている文脈が差別的であれば、また、読んだ相手がそこに差別を見いだせば、そこに不快感が生じてしまうのです。

「女子力高いね」がほめ言葉だと素直に受け取れなかったり、「寿退社だね」と言われて複雑な気持ちになったりする女性は、健全なのかもしれません。

そこには暗に、女性に期待される社会的役割が込められ、それが社会の圧力として働いているからです。セクシャル・ハラスメントと並んで問題になりがちなのは、エイジ・ハラスメントです。

日本は若さを称賛する社会であり、「老けた」ということを意味する語は可能なかぎり避けないと、無用のトラブルを招く原因になります。

「おじいさん」「おばあちゃん」「老人」のような語はもちろん、高齢者に向けた語には配慮が必要ですし、「おかあさん」という語でさえ問題になるということを知りました。

「おかあさん」というのは本当のおかあさんではなく、芸能人がテレビで年配の女性に親しげに声をかけるときに使う「おかあさん」です(『朝日新聞』二〇一五年四月二十九日朝刊「声」)。

この呼びかけの本質的な問題は、「おかあさん」と声をかけられる人の年代は、幼児・児童の子どもを抱えているくらいの年代ではなく、現実には孫がいてもおかしくないくらいの年代が対象だということです。

「子どもでもない人に『おかあさん』と呼ばれるような年代になったのか」という現実を突きつけられる不快感が、その根底にあるようなのです。

そう考えていると、甥や姪ができて叔父(伯父)・叔母(伯母)になった人も、自分が未婚の場合、「おじさん」「おばさん」と呼ばれるのを嫌がることが多いですし、孫ができて祖父・祖母になったときも、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれることに抵抗を覚えるものです。

自分がそこまで歳を取ったのかという現実を突きつけられるからです。「後期高齢者」という科学的な呼び方にも抵抗を感じた方が多かったようです。

「高齢者」という括りのなかで、六十五歳から七十四歳までを「前期高齢者」として歩み、それ以降、七十五歳からは「後期高齢者」として歩まなければなりません。

「後期」のあとに控えるのは「末期」だけで、もう後がないという語感。これが「後期高齢者」と括られた方が感じた抵抗感の源だったのだろうと思います。

「加齢臭」などもそうですが、科学的な呼び方だからといって差別感から自由であるとはかぎりません。エイジ・ハラスメントの対象は、高齢者ばかりではありません。

私自身は「オヤジ」であり、「オヤジ体型」を指摘され、「オヤジくさい」と言われ、「オヤジギャグ」を笑われます。職場で働く独身女性への風当たりもきついものです。

長く勤めていると、「未婚」の理由を聞かれ、「お局さま」扱いされ、イライラしていると「更年期障害」だと後ろ指を差されます。

子どもでさえもエイジ・ハラスメントの対象になりえます。

「ガキのくせに」と言われ、「子どもは口を出すな」とのけ者にされ、「子どもっぽい」「子どもじみた」と子どもの悪い面ばかりに言及されます。

会話であれば、目のまえに相手がいますので、相手の反応を予想して、ある程度抑制が利きます。

しかし、文章の場合は目のまえに相手がいないので、書く内容がエスカレートしてしまいがちです。

文章を書くときは、読む可能性のある相手を思い浮かべ、それぞれの立場の人が読んだらどう思うだろうとその表情を想像し、引っかかる表現があれば避けるのが賢明です。

『天空の城ラピュタ』の主人公シータは言います。

「いいまじないに力を与えるには、悪い言葉も知らなければいけないって。でも決して使うなって」

滅びの言葉を口にしかけたら、その言葉をぐっと飲みこんで、かわりに救いの言葉を口にする。そうすれば、人との関係が変わるはず。なかなかできないことですが、私自身も日々自分にそう言い聞かせています。

(九)語の感性を研ぎ澄ませる比喩――斬新な見立てによる表現効果

語彙の質を高める方法の第九は、「語の感性を研ぎ澄ませる」です。具体的には、代表的な二つの感覚表現、比喩とオノマトペを考えます。話の上手な人の話を聞いていると、比喩の使い方が絶妙です。

ボキャブラリーの豊富な女性どうしの雑談に、こっそり耳を傾けていると勉強になります。

「旦那さん、ちゃんとうちに帰ってくる?」「大丈夫、餌づけしてあるから」 旦那の好みに合う、おいしいご飯を準備しておくことは「餌づけ」だったのかあ。

そう言われてみると、旦那であれ、息子であれ、「餌づけ」されている男子は多いなあと、世の中が少し見えるようになった気がします。

「うちの旦那ったら、あれ買ってやる、これ買ってやるって言うけど、実行したためしがないのよ」「あるある。口だけパーティね」 たしかに「口だけパーティ」だなあと思いつつ、ひそかに我が身を省みます。

「こんど来た上司、絶対変。語尾が何でも、何とかですうって」「それ、おねえ入ってるし」「おねえ」って「入る」ものなんだという新たな連語の登場に心動かされつつ、気づかれないようにメモをします。

「あたしの部署さあ、大量のメールが来て返信が追いつかない。あっぷあっぷだよ」「そっかあ。メールの海で溺れてるんだ」「うん、そう。メールの森に迷いこんで、抜けだせなくなった感じ」「あっぷあっぷ」という語から、「メールの海で溺れている」が誘発され、「メールの海」から「メールの森」が喚起されます。

適切な語彙連鎖に感動を隠せません。このような即興的な比喩は、言葉に勢いを与えます。

つづいて、プロの作家の即興的な比喩を見てみましょう。

比喩の屈指の使い手である村上春樹氏の発話からの引用です(傍線は著者による。以下同)。

なぜ小説を書きはじめたかというと、なぜだかぼくもよくわからないのですが、ある日突然書きたくなったのです。いま思えば、それはやはりある種の自己治療のステップだったのだと思うのです。

二十代をずっと何も考えずに必死に働いて過ごして、なんとか生き延びてきて、二十九になって、そこでひとつの階段の踊り場みたいなところに出た。

そこでなにか書いてみたくなったというのは、箱庭づくりではないですが、自分でもうまく言えないこと、説明できないことを小説という形にして提出してみたかったということだったと思うのです。

それはほんとうに、ある日突然きたんですよ。

必死で働いてきたあとの人生の小休止のステージを「階段の踊り場」と表現し、その「階段の踊り場」で「箱庭づくり」のようなことを始めます。

「箱庭づくり」は、「箱庭療法」と呼ばれる精神治療の方法で、まさに自己治療を表しています。

しかも、本書は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)であり、対談の相手は「箱庭療法」の大家である著名な臨床心理学者、河合隼雄氏であるわけです。

的確な比喩選択だと感じます。比喩選択はいつもこのようにうまくいくとはかぎりません。新聞を読んだりニュースを聞いていたりすると、陳腐な比喩のオンパレードにがっかりすることがあります。

政治家の不正経理が報道されると、「腐敗した」政治について識者がもっともらしく解説します。

少年犯罪が起これば、少年たちの深い「心の闇」をワイドショーが喜々として取りあげ、経済状況が悪くなると、庶民の「台所」事情は悪くなり、家計は「火の車」になります。

もともとはセンスのよい比喩だったのでしょうが、何度も使われているうちに陳腐になっていきます。比喩は斬新な見立てを伝えて初めて、高い表現効果を得るのです。

ネーミング――名前で損をしたり、得をしたり

語の感性が問われるのは、ネーミングです。とくに、商品名はブランド・イメージを形作り、売り上げに直結するので、各社ともブランド戦略に懸命です。

農業分野でも、農業試験場などが開発した新たな品種にどのようなネーミングをするか、全国各地の農業関係者が知恵を絞っているように見うけられます。

もともと、ブランド・イメージを意識したネーミングは、かつては贅沢品だった果物が中心だったような印象があります。

「紅玉」「ふじ」「スターキング」のようなリンゴ、「幸水」「菊水」「ラ・フランス」のようなナシなどがその代表でしょう。

その後、「ササニシキ」「コシヒカリ」「あきたこまち」といったブランド米の定着によって、そうした動きが加速しました。

最近の動きとしては、栃木の「とちおとめ」、福岡の「あまおう」、佐賀の「さがほのか」、静岡の「紅ほっぺ」といった、ご当地と結びついたイチゴの品種が増えたことが興味深いですし、「男爵」「メークイン」で知られたジャガイモにも、さらにおしゃれな「インカのめざめ」「きたあかり」がラインナップに加わり、競争が激化しています。

ホームベーカリー愛好家のあいだでは、「はるゆたか」「春よ恋」「ゆめちから」「ミナミノカオリ」といった国産小麦粉が人気を集めています。

こうした名称の多くに比喩が使われていることは言うまでもないでしょう。

車のネーミングにも、変化の兆しが見られます。

車のネーミングといえば、かつては「クラウン」「カローラ」「マーク Ⅱ」や、「スカイライン」「ブルーバード」「フェアレディ Z」のような外来語ばかりで、日本語由来のものは、北米市場で人気のあったトヨタの「カムリ」(「冠」に由来)くらいだったように思います。

ところが、一九九四年に、「ゼロワン」の発表により、光岡自動車が十番目の国産自動車メーカーに加わったことで、潮目が変わりました。

こだわりぬいた外装と、「優雅」(ユーガ)、「凌駕」(リョーガ)、「我流」(ガリュー)といった、漢語を使った独特のネーミング・センスが、注目を集めています。

また、一時期注目を集め、流行語大賞にもノミネートされた「おにぎらず」は、「握る」という意味の「おにぎり」という名称をあらためて考えさせてくれるきっかけとなりました。

もともとは、漫画『クッキングパパ』(講談社)の二十二巻に出てくる「超簡単おにぎり」に由来します。大阪の有名な水族館、海遊館に行ったときのことです。

特別展示室という学習コーナーがあり、そこで「アユモドキ」という淡水魚が絶滅の危機に瀕しているというパネルを見ました。

西日本に生息する貴重な在来種で、展示を見ているうちに、なんとしても保護しなければならないという気持ちになりました。

ところが、隣で見ていた女の子たちが、「『アユモドキ』って名前が悪いよね」と話していたのです。たしかにそうかもしれません。

「アユモドキ」という「アユの偽物」みたいな名前だと、貴重な在来種という印象が薄れ、保護活動に水を差してしまうかもしれません。

名前で損をすることはたしかにあります。そんなことを考えながら歩いているうちに、北極圏エリアに入りました。部屋もクーラーが効いており、肌寒さを感じます。

そこにある水槽のなかでは、「ハダカカメガイ」がふわふわと水のなかを漂っていました。貝殻のない貝で、体が透き通っていてとてもきれいです。でも、どこかで見たことがあります。そうです、「クリオネ」です。

英語名を確認すると、たしかに「クリオネ」でした。「ハダカカメガイ」では、「クリオネ」の持つ、あの美しい幻想的な雰囲気が出ません。「クリオネ」は名前で得をしていると感じました。

あるとき、板橋雅弘氏の『パパのしごとはわるものです』(岩崎書店)という絵本が家に置いてあったので、タイトルに惹かれて手に取ってみました。

タイトルから、パパの仕事は強盗か何かなのかな、と思って読みはじめたところ、ヒールの覆面プロレスラーの話でした。ポイントは、「パパのしごとは悪役です」としなかった点です。

「悪役」と書いてあれば、すぐにプロレスラーや役者だろうと見当がついたと思うのですが、その点をぼかして、読者に何だろうと思わせる力があったから、思わず手が伸びてしまったわけです。ここにもネーミングのセンスが生かされています。

オノマトペ――生の感覚を言葉にする

オノマトペという表現があります。擬音語・擬態語とも呼ばれ、感覚の描写に向いている表現です。まずはオノマトペの名手、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を見てみましょう。

傍線を引いたところがオノマトペです。

効果的なオノマトペのおかげで、視覚的な印象が強まり、臨場感にあふれた描写になっています。カムパネルラが指さした方向をジョバンニが見て、銀河の美しさに心動かされるところから引用します。

「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」 そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。

「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」

ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。

けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。

遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。

ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。

するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫えたりしました。

「さらさら」「こつこつ」という擬音語にはじまり、「はっきり」しなかったものが「はっきり」する過程で、「だんだん」「どんどん」というオノマトペが加速感を与え、「ちらちら」「ぎらっ」という視覚的なオノマトペが描写を彩ります。

そして、「はっきり」したあとに、ジョバンニが「どきどき」して首を振ると、野原いっぱいに光る三角標が「ちらちら」ゆれたりふるえたりする様子が描かれます。

ジョバンニが子どもらしく無邪気にはしゃぐ様子がオノマトペに表れています。

私たちも自分の体験を、臨場感とともに伝えたくなるときがあります。

たとえば、おいしいものを食べたとき、 SNSにアップしたくなります。和食の名店で、おいしいエビフライを食べたときの感動を文章にしてみました。

①~⑨に当てはまるオノマトペを考えて入れてください。

・職人さんがパン粉をまぶした車海老を油のなかに[ ① ]と入れる。[ ② ]という音を立てたかと思うと、[ ③ ]衣がきつね色に。目の前で[ ④ ]と揚げたエビフライ。[ ⑤ ]のところを早速いただく。一口嚙むと、[ ⑥ ]とした衣の歯ごたえに、[ ⑦ ]とした身の食感が絶妙のハーモニーを奏でる。その切り口からは[ ⑧ ]湯気が上がって、お口のなかも[ ⑨ ]。

これならいくつでも食べてしまいそう。

私が考えた答えは、次のとおりです。答えはいろいろあってよいと思いますので、あくまで解答例としてご覧ください。

・職人さんがパン粉をまぶした車海老を油のなかに ①さっと入れる。②ジュッという音を立てたかと思うと、 ③みるみる衣がきつね色に。目の前で ④カラッと揚げたエビフライ。⑤あつあつのところを早速いただく。一口嚙むと、 ⑥サクッとした衣の歯ごたえに、 ⑦プリッとした身の食感が絶妙のハーモニーを奏でる。その切り口からは ⑧ほかほか湯気が上がって、お口のなかも ⑨ほっくほく。これならいくつでも食べてしまいそう。

①には、職人さんの熟練の手さばき、行動の素早さを表すために「さっ」を入れました。

②には、高温の油に海老の入る音を表すのに「ジュッ」を入れました。

①との相性も意識しています。

③には、衣の色の急激な変化を表すために「みるみる」を入れ、 ④には、エビフライがおいしく揚がった感じを出すために「カラッ」を入れました。

⑤には、オノマトペかどうか微妙ですが、温度の高さを表すために「あつあつ」を入れました。「ゆるい」から「ゆるゆる」ができるように、「あつい」から「あつあつ」が生まれます。形容詞の語感を活かしたオノマトペです。

⑥には、衣のおいしそうな歯ごたえを表すために、「サクッ」を入れました。「ざくっ」というのも考えられそうです。

⑦には、「サクッ」に合うオノマトペを入れたいところで、「プリッ」がよいでしょう。⑧には、「ほかほか」が入りそうです。⑨に合わせる意味で、「ほくほく」でもよいでしょう。

⑨には、「ほっくほく」を入れてみました。「ほくほく」や、 ⑧に合わせた「ほかほか」「ほっかほか」もありそうです。日本語はオノマトペの宝庫であり、日本語の感覚表現を華やかに彩っています。

四千五百語ものオノマトペを掲載する辞典(小野編二〇〇七)が編まれるほどであり、ファッション誌などでは、そこにない新たなオノマトペが日々生みだされています(赫二〇一六)。

読者の感覚に訴えられるかどうかは、その場の雰囲気やディテールをリアルかつ鮮やかに再現する適切なオノマトペを選べるかどうかにかかっているとさえいえるのです。

(十)相手の気持ちに配慮する 敬語の使い方

語彙の質を高める方法の第十は、「相手の気持ちに配慮する」です。

相手の気持ちに配慮するときに重要なのが敬語の使い方です。

敬語の基本を簡単におさらいしておきましょう。

敬語は通常、文に登場する人物に使う素材敬語、聞き手に使う対者敬語に分かれます。

対者敬語は、常体にたいする敬体、いわゆるデスマスのことですので、説明は不要でしょう。

一方、素材敬語は尊敬語と謙譲語に分かれます。

動詞の素材敬語を考えると、行為の主体、すなわち主語にたいして敬意を示すのが尊敬語、また、行為の対象、すなわち主語以外にたいして敬意を示すのが謙譲語です。

次の例では「召しあがる」が尊敬語、「いただく」が謙譲語です。

・お客さまがお食事を召しあがる。

(尊敬語)・お客さまのまえでお食事をいただく。

(謙譲語) 動詞を尊敬語にする方法は三通りです。

「食べる」を例に取ると、 ①「お食べになる」という形にする(「お ~になる」)、 ②「食べられる」という形にする(「 ~れる/られる」)、 ③「召しあがる」という形にする(特殊な語)の三通りになります。

一方、動詞を謙譲語にする方法は二通りです。

やはり「食べる」を例に取ると、 ①「お食べする」という形にする(「お ~する」、「食べる」の場合は実際には使われません)、 ②「いただく」という形にする(特殊な語)の二通りになります。

本書はあくまで語彙の本ですので、尊敬語、謙譲語それぞれの特殊な語を考えてみましょう。

特殊な語は、よく使われる動詞にしかないのですが、特殊な語があるものの場合、そちらを使ったほうが洗練された印象が出ますので、憶えておくと便利です。

次の動詞について、尊敬語、謙譲語それぞれの特殊な語を考えてみてください。

①飲む ②行く ③来る ④訪問する ⑤する ⑥いる ⑦言う ⑧見る ⑨聞く(謙譲語のみ) ⑩察する(謙譲語のみ) ⑪知る ⑫わかる(謙譲語のみ) ⑬あげる(謙譲語のみ) ⑭もらう(謙譲語のみ) ⑮くれる(尊敬語のみ) ⑯受ける(謙譲語のみ) ⑰受け取る ⑱寝る(尊敬語のみ) ⑲住む(尊敬語のみ) ⑳着る(尊敬語のみ) ㉑買う(尊敬語のみ) ①「飲む」は「食べる」と同じで、尊敬語が「召しあがる」、謙譲語が「いただく」です。

②~④は往来動詞です。

②「行く」は尊敬語が「いらっしゃる」、謙譲語が「うかがう」「まいる」です。

「去る」「帰る」に近い意味ならば、「失礼する」も使えます。

③「来る」も「行く」とほぼ同じですが、「いらっしゃる」以外にも尊敬語に「お出でになる」「お見えになる」「お越しになる」が使え、レパートリーが豊富です。

④「訪問する」は「来る」とほぼ同じですが、謙譲語にさらに「お邪魔する」が使えます。

⑤~⑦は基本的な動詞です。

⑤「する」は尊敬語が「なさる」、謙譲語が「いたす」です。

⑥「いる」は尊敬語が「いらっしゃる」、謙譲語が「おる」です。

⑦「言う」は尊敬語が「おっしゃる」、謙譲語が「申す」「申しあげる」です。

⑧~⑫は認識動詞です。

⑧「見る」は尊敬語が「ご覧になる」、謙譲語が「拝見する」です。

⑨「聞く」は謙譲語が「うかがう」「拝聴する」、 ⑩「察する」は謙譲語が「拝察する」です。

⑪「知る」は尊敬語が「ご存じだ」、謙譲語が「存じる」「存じあげる」です。

⑫「わかる」は謙譲語が「かしこまる」「承知する」です。

「了解する」が癖になっている人もいますが、多少失礼に響きます。

「了解しました」よりも、「かしこまりました」「承知しました」がおすすめです。

⑬~⑰は授受動詞です。

⑬「あげる」は謙譲語が「差しあげる」、 ⑭「もらう」は謙譲語が「いただく」、 ⑮「くれる」は尊敬語が「くださる」です。

⑯「受ける」は注文などを受ける場合、謙譲語が「うけたまわる」です。

⑰「受け取る」は「確認のうえお受け取りください」の意味で尊敬語が「ご査収ください」の形でよく使われます。

謙譲語は「拝受する」です。

⑱~㉑は尊敬語のみの動詞群です。

⑱「寝る」は尊敬語が「お休みになる」、 ⑲「住む」は尊敬語が「お住まいになる」です。

「お住みになる」というのはあまり使いません。

ショッピングの場面で店員さんがよく使う、 ⑳「着る」の尊敬語は「お召しになる」、 ㉑「買う」の尊敬語は「お求めになる」です。

なかなか複雑ですが、尊敬語と謙譲語の語彙をこれだけ体系的に知っている人はほとんどいません。

すべてマスターすれば、できる大人の言葉遣いに近づけます。

上から目線の敬語

敬語は使っていても、使い方が不適切で、上から目線になってしまうことがあります。上から目線は読み手にもすぐに伝わり、不快感の原因になります。

次の例を見比べてください。

  • ・うちの社の者の対応が不十分で、ほんとうに{ごめんなさい/すみません}。
  • ・うちの社の者の対応が不十分で、まことに{申しわけありません}。
  • ・うちの社の者の対応が不十分で、まことに{失礼しました/遺憾です/残念です}。

「ごめんなさい」「すみません」「申しわけありません」は、あらたまり度にこそ差がありますが、いずれもお詫びの表現です。

このなかでは「申しわけありません」がもっとも丁寧で、「すみません」が多少丁寧さが薄れ、「ごめんなさい」はややぞんざいですが、それでも、どれも自分の責任で正面から謝ろうという姿勢があります。

ところが、「失礼しました」「遺憾です」「残念です」は、お詫びかどうかは判断が分かれるでしょう。

「失礼しました」がもっともお詫びに近いのですが、相手に迷惑をかけたことを謝っているだけで、自分に責任を感じているかどうかは微妙です。

「遺憾です」「残念です」だとさらに怪しくなります。迷惑をかけた事実は認めつつも、それにたいして謝ってすらいません。責任逃れの感が強く、これでは相手が気分を害してしまうでしょう。

したがって、きちんと謝罪したいときに、「失礼しました」「遺憾です」「残念です」は避けたほうが賢明です。言葉こそ丁寧ですが、心からの謝罪になりにくく、かえって相手に不快感を与えるおそれがあるからです。

また、メーリングリストで、同意を求められることもあります。こちらも次の例を見比べてみてください。

  • ・ご提案の内容に{賛成です/同意します/異存ありません}。
  • ・ご提案の内容で{結構です/かまいません/よろしいです}。

「賛成です」「同意します」「異存ありません」は相手にたいする積極的な賛意を表します。提案の内容をまとめた相手にたいする敬意も、ここに含まれていると見ることができるでしょう。

一方、「結構です」「かまいません」「よろしいです」というのは「問題ない」という評価を含みます。

この評価という視点に、上から目線が含まれるのです。対等な立場でこのように書かれたら、カチンと来る人もいるでしょう。一見敬語風でも、上から目線が入ることがありますので、注意が必要です。

慇懃無礼な敬語

慇懃無礼という表現をご存じでしょうか。丁寧な言葉を使うからこそ、かえって失礼になるということです。

三・一一のときに問題になった表現に、東京電力の「ご被害者のみなさまへ」があります。この表現が、原発の事故で被害を受けた方々の怒りに油を注ぐことになりました。

言葉だけ丁寧にすればうまくいくというわけではないのが、敬語の難しいところです。

私の研究室には大学院生がたくさんいるので、大学院生が書いた論文を年中チェックしているのですが、その論文に「玉稿」という語を使ったところ、学生たちに嫌がられました。

私のほうに他意はなく、学生たちの実力を評価して、ほめるつもりでそう書いていたのですが、学生たちにとっては「嫌味」か「皮肉」にしか聞こえないのだそうです。

言葉は丁寧だけれども、有無を言わせない一方的な要求も慇懃無礼になりがちです。

「ご理解・ご協力のほど、よろしくお願いします」と言われ、ほんとうは「理解」も「協力」もしたくないのに、と思うことはないでしょうか。

「事情ご賢察のほど、よろしくお願いします」と言われ、自分はそうした事情を察するほど賢くはない、と感じることはないでしょうか。

「ご了承いただけますよう、よろしくお願いします」と言われ、「了承できない」と思うのは私だけでしょうか。

「そうしたご要望にはお応えしかねます」と言われたとき、それならば、「そうしたご要望にはお応えできません。すみません」とはっきり断ってもらったほうがかえってすっきりするのに、という気にならないでしょうか。

最終的には先方の自己都合の押し付けなのに、言葉の形だけ体裁を整えられると、読み手には慇懃無礼に感じられてしまいます。

敬語の過剰使用も問題になります。

「おっしゃられます」や「お出でになられます」のような二重敬語ならばまだしも、「お召しあがりになられます」や「お辞めになられていらっしゃいます」のような三重敬語はさすがにやりすぎでしょう。

下手をすると、皮肉になりかねません。

また、「謙譲語 +尊敬語」の敬語は、丁寧さを装っているようで、「謙譲語」によって相手の行為を低めてしまうため、馬鹿にしていると受け取られるおそれがあります。

「いただかれる」「参られる」「拝見なさる」などがそのパターンです。

もう一つ、「ご」のつく名詞にも注意が必要です。相手が書いた「ご返事」はよくても、自分が書いた「ご返事」はおかしいかも、と思ったことはありませんか。

じつは、これ自体はおかしくありません。相手が受け取る「ご返事」であり、「ご返事する」の「ご返事」なので、自然です。

「ご提案」「ご説明」「ご紹介」「ご案内」「ご報告」「ご確認」「ご相談」「ご連絡」「ご返信」などは、相手が行為者の場合も、自分が行為者の場合もいずれも使用可能です。

ところが、「ご検討」「ご協議」「ご都合」「ご予定」「ご教示」「ご指導」「ご要望」「ご要請」などは、相手の行為には使えますが、自分の行為には使えません。

「ご検討」「ご協議」「ご都合」「ご予定」のように、相手と関わりなく、自分たちのなかだけで行為が完結する場合は、「ご」はつけにくいのです。

それが、「私どもでご検討の結果」「私のご都合」などがおかしい理由です。

また、「ご教示」「ご指導」は、そもそも立場が上の人がする行為ですので、自分の行動を「ご教示」「ご指導」とは言いにくいですし、「ご要望」「ご要請」の場合は、相手に不利益を押しつけることになるので、やはり自分の行動を「ご要望」「ご要請」とは言いにくいように感じます。

このように敬語は、ルールを憶えたうえで、上から目線にならないように、慇懃無礼にならないように語を選択することが大切です。

(十一)心に届く言葉を選択する 対立候補を並立する

語彙力を高めることを目的として、ここまでさまざまな方法をご紹介してきましたが、とうとう最終項目を迎えました。

語彙の質を高める最後の方法として紹介するのは、「心に届く言葉を選択する」です。しかしながら、心に届く言葉を確実に選択する方法など、存在しません。

第三章をとおして見てきたように、語彙の精度を高め、ぴったりした言葉を選ぶのは、ほんとうに困難な作業です。ところが、この困難な作業を逆用する方法があります。そこに入ってもおかしくない言葉を並べて見せる方法です。

二〇〇〇年代の阪神タイガースの黄金期を支えた選手に、扇の要として活躍したキャッチャーの矢野燿大、代打の神様として知られた関本賢太郎という二人の選手がいました。

矢野選手が先に引退し、その後、関本選手が引退しました。

次の文章は、辞めることが先に決まった矢野選手にたいする関本選手の思いを綴った文章です。

チーム内から相次ぐ惜別、ねぎらいの言葉。でも、この男は少しだけ違う。試合前の打撃練習を終えた関本が、大きなため息をつきながらこうつぶやいた。

「ファンの人と同じ思いですよ。『やめないで』って…」 前日の夜に、矢野本人からメールが届いた。

覚悟していたこととはいえ、ショックで眠れなかったという。休日には一緒に釣りに出掛けるなど、プライベートでも親交が深かった師弟コンビ。

「僕の中には二人の矢野燿大がいるんですよ」とヤツは言う。「矢野さん」と「矢野選手」。時には矢野選手を心の底から尊敬し、時には矢野さんを実の兄のように慕っていた。ベンチで二人笑い合う光景。

それはオレら記者にとっても、日々の取材の中で当たり前のようにある景色だった。

「寂しいじゃなくて…『悲しい』ですね」 猛虎の黄金期を支えた男の引退。確かに寂しいというより、悲しい。

(松下雄一郎「トラ番二五時コラム」『デイリースポーツ』) チームのなかで、引退する矢野選手にかけられるのは「惜別やねぎらいの言葉」ですが、関本選手の思いは違っていました。

それはファンの人と同じ思いである「やめないで」でした。また、関本選手のなかには二人の矢野燿大がいるといいます。

一人は、野球選手として心から尊敬する「矢野選手」、もう一人は、プライベートをふくめて兄のように慕っている「矢野さん」です。

そして、関本選手は最後に「寂しい」と「悲しい」を並べて終えます。

残された者が振り返って感じる「寂しさ」ではなく、大切な人が失われるまさにその瞬間に感じる「悲しさ」が関本選手の心を支配しているわけです。

「寂しい」人は「惜別やねぎらいの言葉」をかけられますが、「悲しい」人はそうした言葉さえかけられません。

その心にあるのは「やめないでという思い」だけです。

「矢野選手」と「矢野さん」、二人の矢野燿大が心のなかに同居する関本選手は、ただひたすらに「悲しい」のです。「惜別やねぎらいの言葉」ではなく、「やめないでという思い」、「寂しい」ではなく「悲しい」。

このように、対立する言葉を並べ、打ち消しながら進む展開のなかで、言葉は力を帯びてきます。

逡巡を言葉にする

サラリーマンから将棋のプロ棋士になった人に瀬川晶司さんがいます。

将棋のプロ棋士になるためには、三段リーグと呼ばれる、年齢制限のある厳しいリーグ戦を勝ち抜かなければなりません。

瀬川さんはその三段リーグでの戦いに最終的に敗れ、いったんは将棋のプロ棋士になるという夢を絶たれました。その三段リーグの荒波にもまれ、苦労していた当時、すでにプロになった兄弟子である小野敦生五段が声をかけてくれます。

小野さんは、弟弟子である瀬川さんのことをたいへんかわいがっていました。ウェイトレスがおずおずと、閉店の時間になったことを知らせた。すると小野さんは、妙に明るい声になって、奇妙な話を始めた。

「瀬川くん、言葉って難しいよね」 僕とは目を合わせず、下を向きながら話す小野さんは、まるでコーヒーカップに語りかけているようだった。

たとえば、がんばれっていう言葉がある。あれは、いわれたほうはかえって困ると思うんだ。いわれなくても本人はそのつもりなんだし、いうほうは具体的にどうしろとは何もいってない。ある意味、無責任な言葉だよね。だけど、本当はいうほうもそれはわかっているんだ。もっとぴったりした日本語があればいいと思いながら、それが見つからないから、しかたなくそういうんだろうな……

話の途中から、小野さんの気持ちは痛いほど伝わってきた。

不器用な小野さんは、いままで決して僕にいわなかったことを、いま、なんとかして伝えようと、こんな回りくどいことをいっているのだ。

本当はただひとこと、こういいたいのだ。がんばれ、と。(瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』講談社)

そうした言葉をかけてくれた小野敦生五段は、その後、三十一歳で急逝します。

瀬川さんは三段リーグで敗退し、プロ棋士への登竜門である奨励会の退会を余儀なくされますが、その後、アマチュアの棋士として活躍し、並みいるプロ棋士を破り、高い勝率を上げるようになります。

その結果、プロ棋士になるための編入試験が例外的に認められ、その試験で見事に勝利を収め、小野五段の遺志を継ぐのです。

苦境にある人に、「がんばれ」という言葉はかけてはいけないというのが現代の常識です。すでにがんばっている人にたいして、「がんばれ」は酷な言葉です。

しかし、心から応援している相手が苦しんでいるとき、「がんばれ」という言葉をどうしてもかけたいときがあるのです。

小野五段は逡巡しながら、その思いを言葉にします。そして、その逡巡のなかで、瀬川三段(当時)もその真意を汲みとります。

立板に水のごとく流れでる言葉は、一見美しく見えますが、そこには力がありません。それは受け売りの言葉だからです。

迷い、悩み、ためらうなかから出てくる言葉こそが、真に力のあるものになるのです。そのことを最後に強調し、本書を締めくくりたいと思います。

あとがき

本書は、言葉について私が最近感じている、ある危機意識に基づいて書きました。

その危機意識は、コラムニストの小田嶋隆氏が的確に言い当てておられるので、それを引用します(二〇一五年八月十六日のツイートより)。

インターネットの世界で「発狂」や「土人」のような過剰に強い言葉が好んで使われるのは、文字に依存する度合いの高いコミュニケーションが、インパクト至上主義に陥りがちであることを物語っているのだと思います。

言葉はどうせタダなのだから、人目を惹きつけられれば何を言ってもいい。言った者勝ちである。そんな刹那主義が、政治の世界でも、ビジネスの世界でも、メディアやネットの世界でも横行しています。

その結果、偉そうな言葉や凝った言葉、威勢のいい言葉が巷に溢れるようになりました。

現実世界の反映であるはずの言葉が現実世界をねじ曲げ、言葉だけが過剰なインフレに陥っている状況に、不安を覚えざるをえません。

本書は、一見そうした風潮に加担するものに見えるかもしれませんが、実際はその逆です。

そのことは本書、とくに第三章を注意深くお読みになった読者にはおわかりになるでしょう。

「はじめに」でお示ししたように、本書が考える語彙力は次の等式で示されます。

語彙力 =語彙の量(豊富な語彙知識) ×語彙の質(精度の高い語彙運用)

「語彙の量」については第二章に、「語彙の質」については第三章にそれぞれ示しましたが、筆者である私がどちらを重要視しているかというと、「語彙の質」です。

「語彙の質」は、読者の心に届くかどうかという定規で測られます。だとすると、偉そうな言葉も凝った言葉も、威勢のいい言葉も必要ありません。ごくふつうの地味な言葉で十分です。

読者の心に届く言葉にするためのコツは、文脈に合った等身大の言葉選びをすること。それに尽きます。読者の想定する文脈に沿った言葉が選ばれていれば、それで言葉は確実に読み手の心に届きます。奇をてらう必要はないのです。

本書は、

①言葉の形に価値があるという「信仰」

②言葉の形を変えれば中身まで立派になるという「幻想」

③目を惹く表現を生みだせば偉くなれるという「風潮」

という、言葉をめぐる現代社会の病と戦うために書きました。無理な背伸びをせず、文脈に合った言葉を選ぶだけでよい。変に着飾らず、シンプルな言葉を選ぶだけでよい。

言葉の形を強く意識させることを目指すのは素人の発想であり、言葉の形を意識させずに内容がすっと頭に入ってくる言葉選びを目指すのがプロの発想です。

ところが、この単純で、当たり前のことが難しいのです。私自身もいつもその壁に跳ね返され、試行錯誤をしています。

本書をつうじてこの難しさを読者のみなさまと共有できたなら、本書の目的の大半は達せられています。

本書の原稿は、柏野和佳子さん(国立国語研究所)に読んでいただきました。柏野さんは語彙論の専門家であるだけでなく、研究所やその近隣の小学校で辞書の引き方を教えておられます。

もし、本書が専門的な水準を保ちつつ、かつ、わかりやすいものになっているとしたら、それは柏野さんのおかげです。

また、本書の刊行にさいして、光文社新書編集部の草薙麻友子さんにお世話になりました。草薙さんとは、これで四冊目のコラボになります。これまでの三冊ともっとも違う点は、原稿を長くお待たせしてしまったことです。

前三作以上に辛抱強く、温かく見守ってくださったことに心から感謝申しあげます。本書の真の目的が、読者のみなさまの心に届くことを願いつつ、筆を擱かせていただきます。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

二〇一六年四月 SDG石黒 圭

参考文献

飯間浩明(二〇一四)『辞書には載らなかった不採用語辞典』

PHP研究所石黒圭(二〇一三)「『やさしい日本語』と文章の理解――背景知識の重要性――」『「やさしい日本語」は何を目指すか多文化共生社会を実現するために』

ココ出版石黒圭(二〇一六)「日本語教育専攻大学院留学生のための語彙シラバス」『ニーズを踏まえた語彙シラバス』

くろしお出版石野博史(一九八九)「外来語」『講座日本語と日本語教育(六) 日本語の語彙・意味(上)』明治書院糸井重里監修、ほぼ日刊イトイ新聞編(二〇〇五)『オトナ語の謎。』

新潮文庫今村和宏(二〇一四)「社会科学系基礎文献における分野別語彙、共通語彙、学術共通語彙の特定――定量的基準と教育現場の視点の統合――」『専門日本語教育研究』一六、専門日本語教育学会小野正弘編(二〇〇七)『日本語オノマトペ辞典』小学館赫楊(二〇一六)「若者向けファッション誌と大人向けファッション誌におけるオノマトペ使用上の差異」『表現研究』一〇三、表現学会勝田耕起(二〇一二)「将棋の用語――気づかない位相語とその用法の成立――」『フェリス女学院大学文学部紀要』四七金田一春彦(一九八八)『日本語 新版(上)』岩波新書窪薗晴夫(二〇〇二)『もっと知りたい!日本語 新語はこうして作られる』岩波書店佐野彩子(二〇一六)「ビジネス分野における外来語『リスク』に関する一考察――企業の年次報告書を分析対象として――」『一橋日本語教育研究』四、ココ出版篠崎晃一、毎日新聞社(二〇〇八)『出身地がわかる!気づかない方言』毎日新聞社田中克彦(一九八一)『ことばと国家』岩波新書田中ゆかり(二〇一一)『「方言コスプレ」の時代――ニセ関西弁から龍馬語まで――』岩波書店陳力衛(二〇一一)「第六章 ことばの変遷」『図解 日本語の語彙』三省堂中川正之(二〇〇五)『もっと知りたい!日本語 漢語からみえる世界と世間』岩波書店中村明(二〇一〇)『日本語 語感の辞典』岩波書店藤原未雪(二〇一六)「中国語を母語とする上級日本語学習者が学術論文を読むときの困難点――名詞の誤った理解を中心に――」『日本語/日本語教育研究』七、ココ出版三井はるみ(二〇一三)「リレー連載 おくにことばの底力! 第六回 首都圏の方言より ズルコミ? ヨコハイリ?――首都圏のことばの地域差――」『 WEB国語教室』大修館国語情報室( http:// www. taishukan. co. jp/ kokugo/ webkoku/ relay 002_ 06. html)宮島達夫(一九九四)『語彙論研究』むぎ書房三輪卓爾(一九七七)「外行語の昨日と今日――海を渡った日本語――」『言語生活』三一二、筑摩書房山田進(二〇一二)「『ゲットする』と『タッチする』――外来語動詞の新用法――」『聖心女子大学論叢』一一九

【あ】あいまいさ A、 B【い】意味 A忌み言葉 A意味の幅 A意味の揺れ A【え】エイジ・ハラスメント A【お】置き換え A、 B、 C、 Dオトナ語 Aオノマトペ A音位転換 A音声 A、 B【か】外延 A下位語 A、 B概念 A外来語 A、 B、 C、 D書き言葉 A、 B、 C、 D、 E、 F、 G学術専門語 A雅語 A片仮名 A、 B、 C、 D感覚表現 A漢語 A、 B、 C、 D漢語副詞 A漢字 A、 B、 C、 D、 E換喩 A慣用句 A【き】擬音語 A擬態語 A

【け】経験 A敬語 A、 B敬体 A形態素 A、 B形態素解析 A言語弱者 A検索 A検索エンジン A謙譲語 A現代日本語書き言葉均衡コーパス A【こ】語 A語彙 A語彙の質 A、 B、 C語彙のネットワーク A、 B、 C語彙の量 A、 B、 C語彙力 A、 B、 C、 D合成語 A拘束形態素 A誤解 A、 B語感 A、 B、 C、 D語基 A国語辞典 A語形 A、 B古語 A、 B語構成 A、 B、 C語種 A、 B言葉狩り A固有名詞 A、 B誤用 A、 Bコロケーション A混種語 A【さ】差別語 A【し】指示語 A実物 A、 B、 C、 D社会性 A、 B社会的慣習 A

借用語 A自由形態素 A重言 A、 B上位語 A、 B畳語 A使用語彙 A、 B使用語彙数 A常体 A少納言 A省略表現 A女性語 A新語 A、 B、 C身体名詞 A【せ】正確さ A性差別語 A政治的公正性 A、 Bセクシスト・ランゲージ Aセクシャル・ハラスメント A接辞 A接続詞 A接続助詞 A接頭辞 A接尾辞 A専門語 A、 B、 C【そ】造語力 A素材敬語 A尊敬語 A【た】対義語 A、 B、 C対者敬語 A対象 A対立関係 A多義語 A、 B、 C、 D立場 A、 B単純語 A【ち】重複 A重複表現 A

【つ】対関係 A【て】 TPO A提喩 Aデフォルト A、 B【と】同音異義語 A、 B同義語 A同訓異字 A、 B同形語 A登録商標 A【な】内包 A内容語 A【に】二字漢語 A、 B日常語 A、 B日本語教育 Aニュアンス A、 B、 C【ね】ネーミング A【は】派生語 A派生的意味 A話し言葉 A、 B、 C、 D、 E反義語 A反対語 A【ひ】 BCCWJ Aビジネス専門語 A否定関係 A比喩 A表意力 A、 B、 C表現効果 A標準語 A、 B平仮名 A、 B、 C

【ふ】複合語 A不足 A普通名詞 Aブランド戦略 A、 B文化 A文語調 A文体情報 A文法力 A文脈 A、 B、 C文脈依存性 A【ほ】方言 A、 Bぼかす置き換え Aポリティカル・コレクトネス A、 B翻訳 A【み】未知語 A、 B【む】無標 A【め】明確化する置き換え A名詞 Aメタセシス Aメトニミー A【も】文字種 A、 B【ゆ】有標 A【り】理解語彙 A、 B理解語彙数 A略語 A留学生 A、 B、 C【る】類義語 A、 B、 C、 D

類語辞典 A、 B類推 A、 B【れ】レパートリー A、 B、 C、 D連語 A、 B、 C【わ】ワードハンター A和語 A、 B、 C、 D和語副詞 A和製英語 A和製外来語 A和製漢語 A

石黒圭(いしぐろけい) 1969年大阪府生まれ。

神奈川県出身。

国立国語研究所研究系日本語教育研究領域代表・教授、一橋大学大学院言語社会研究科連携教授。

一橋大学社会学部卒業。

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。

博士(文学)。

専門は文章論。

著書に『文章は接続詞で決まる』『「読む」技術』『日本語は「空気」が決める』(以上、光文社新書)、『よくわかる文章表現の技術 Ⅰ[新版]―表現・表記編―』『同 Ⅱ[新版]―文章構成編―』『同 Ⅲ―文法編―』『同 Ⅳ―発想編―』『同 Ⅴ―文体編―』(以上、明治書院)、『「予測」で読解に強くなる!』(ちくまプリマー新書)、『この 1冊できちんと書ける!論文・レポートの基本』(日本実業出版社)など多数。

語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング 2016年5月 20日初版 1刷発行 2016年6月 10日電子書籍版発行著 者―石黒 圭発行者―駒井 稔装 幀―アラン・チャン発行所―株式会社光文社東京都文京区音羽 1-16-6( 〒 112-8011) http:// www. kobunsha. com/電 話―編集部 03( 5395) 8289メール― sinsyo@ kobunsha. com ®本書の全部または一部を無断で複写複製(コピー)することは、著作権法上での例外を除き、禁じられています。

© Kei Ishiguro 2016

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