さて、この現象世界に存在する一切のものというものを造り出す「創作の力」というものの様子については、いままでの『真理瞑想行』の講演で相当明瞭に理解されたことと思う。
そこで、今日は宇宙生命と人間の生命とがいかなる関係をもっているかということを、科学的に説いて、諸君の人生に対する理解を一段進めて正当にしたいと思う。
人間の生命と宇宙生命とは、いかなる関係を有するか。
それは「一すじの流れの中にある」のである。
その理由として、まず第一に、人間の心というものの内容を正しく理解しなければならない。
最近の精神科学や実験心理学の研究で、人間の心のもつ性能や本質の様子はかなり奥深くまでわかってきて、特に人生というものを正しく研究しようとする者には、相当価値のある豊富な発見と参考とを提供している。
そしてその発見を土台として推論を進めていくと、心というものの内容を随分と広汎なる範囲にわたって知ることができる。
そしてその結果、人間の心というものは、実は二つの異なる作用を行なう意識の領域のあることが明らかになる。
その異なる意識の領域とは、そもそもいかなるものかというと、いつも講習会のときにいっている、「潜在意識」と「実在意識」という二つの意識である。
この二つの意識も厳密に議論するなら、結局、結合された相互作用をもつ一体のものなので、詳しくいえば、この二つの意識は名目の上からは別々のもののように考えられても、実は全然別個のものではなく、一個の精神を本としてただその働きの上で二つに分れているものなのである。
すなわち実在意識は、形と感覚の世界に、人間を不自由なく生活させるために働いているもので、しかも、この意識は常にその周囲の事物と接触することによって、間断なく切々として発達しているのである。
だから生まれたての赤ん坊のときには、その実在意識なるものは、むしろ全然有るか無きかのごとく、なんら役立つ仕事を行なえない。
否、極言すれば、赤ん坊は潜在意識でのみ生存しているといってよい状態である。
だから赤ん坊なるものは、第三者との交渉を開くことが出来るまでは、その実在意識は殆んど働かしていない。
働かすことが出来ないでいる。
がしかし、実在意識は生まれ出でたその瞬間から少しの休みなく発達し始めている。
そして赤ん坊が年長者達の活動、音声、表情などを見たり聞いたりするたびに、実在意識は次第に発達する。
だから厳格にいうと、人間の嬰児期や幼児期においては、環境が児童を作り、それから児童期に入ると、児童それ自身が児童を作るというのが一番正しい考え方である。
なお、次に知っておくべき大事なことは、実在意識が直接に行なった動作は、そのいかなることも問わず、それを数多く繰り返していると、いつかその動作が、今度は潜在意識の支配で行なわれるようになる。
するとその後その動作は半意識的にか、または、無意識的に行なえるようになり、実在意識は、以前のように直接監督の努力をしなくて済むようになる。
たとえば、何か慣れないことをするとき、最初の間は、実在意識で終始これを支配して、少しも心を離すことが出来ないが、だんだん慣れてくると、今度はたいして実在意識を使わなくとも、極めて容易にそのことを行なえるようになるのが何よりの証拠である。
だから習慣的動作というものは、自分の潜在意識に働かされてなすところの行ないなのである。
この事実によって考察を進めると、潜在意識なるものは、肉体の随意なる動作のみでなく、不随意なる動作をも支配するものであることが分明する。
すなわち心臓の鼓動、肺臓の伸縮運動、胃腸の消化作用などは、いずれもみな潜在意識の働きによって行なわれているのである。
こうした方面の作用は、意識的にこれを行なおうと考えるに及ばない。
それはみな無意識の中に行なわれているのである。
なお特に潜在意識について記憶すべき重大なる真理は、潜在意識こそは、肉体の建設者で、また広い意味においての人生の建設者であるということである。
いい換えると、創造の働きを司る心であるということである。
だから我々の肉体は、この潜在意識の支配の下に間断なく新しい細胞を生みだし、創り出しているといえるのである。
たとえば、人間の指が鋼鉄のようなもので造られていたとすれば、それは短時日に磨滅して使えなくなるに相違ない。
しかし幸いなるかな、潜在意識の支配の下に生み出された細胞の結合した、いわゆる、細胞の集積した肉で作られているために、日々刻々、肉体の建設者である潜在意識によって、修繕され、補給され、そのために擦り減るということがないのである。
しかも、このような不思議な働きは、寝ても、覚めても、間断なく我々の生命の中において行なわれているのである。
だがこの不思議な働きを、実在意識なるものは全然意識しない。
けれども、組織を形造る無数の新しい細胞は、常に潜在意識の支配で生み出され、それはあたかも勤勉なる労働者のように、刻々命じられた場所へと疾走しているのである。
それゆえに、真理の上から形容すれば、「日々我々は新しく生まれいで、朝ごとに甦っている」といってよいのである。
いつも講演のときに説いているとおり、このようにして我々の肉体生命の全器官と全組織は、一年ないし数年の間に全部新しく更生しているといってよいほどに、日々、新たになるのが真理なのである。
しかし、世の中にはこれと反対に、何年も何年も同じ病で苦しんでいる人がいる。
それは詮じつめると、肉体を更生する「再生力」という力が、「心の態度=精神状態」に、著しく関係しているという重大な事実を正しく自覚していないからである。
すなわち潜在意識の中にある再生力が実在意識の邪魔、悪同化によって充分働かない結果である。
たとえば、人間の血液の中にはバクテリアを殺してしまうある要素がある。
この要素はバイキンが襲ってくると直ちにこれを取り囲み、特殊な液体を注いで殺してしまうように自然に出来ている。
ところが、その人の心が、消極的で、ひ弱く、決断力もなくぐずぐずしていて、引っ込み思案的なものになると、その心持ちがすぐ潜在意識を同化して、潜在意識の再生力の発動を萎縮させてしまう。
だから、こうした事実のうえから考えても、「潜在意識はそのうえに映された印象のままに作用するものである」ということが、はっきりと分かる。
そして、神経過敏の人の病の癒りが遅い理由もこの点にあるのである。
それからさらに諸君はこういう経験を持っていることと思う。
例えば数学の公式は教わったが、応用問題をどうしても解くことが出来ない。
ところが眠りについて、夜中ふと眼が覚めたとき、はからずもその問題を解決する考えが心に浮かんだというようなことを……。
これは潜在意識の微妙なる作用の結果なのである。
したがってこうした真理を聴いている場合でも、わかる、わからないは第二で、心を打ち込んで聴いていると、潜在意識がそれを受け入れて、必要なときに実在意識によい合図を与えてくれる。
そして正しい自覚や悟りを促してくれる。
というのは、心を打ち込んで聴いていると、その心の態度が潜在意識に同化的に反映する。
すなわち、その実在意識の態度が自然に潜在意識にはっきりと反映して、それはちょうどカメラのシャッターを切ったと同様、実在意識に接触した一切のものが、潜在意識に印象されるからである。
ゆえに潜在意識というものは、肉体にも精神にも驚くべき影響を与えている。
それは建設と破壊との二方面に、ちょうど、ものの声がするように、深甚なる影響を有しているものなのである。
どういうわけで、このように潜在意識に、いろいろの効果や特徴があるかというと、それは潜在意識は、実在意識を通じて、宇宙大霊と結ばれているからにほかならない。
すなわち潜在意識は、宇宙霊と同様、一切のものを作り出し産み出す創造力を有しているわけである。
そして同時に、われら人間は、この意識を完全に整理することによってのみ、宇宙の究極的真理を知ることが出来るという偉大なる事実を悟らなければならない。
ない。
だからこそ、正しい自覚を人生にもとうとするには、この宇宙霊から、霊智の分与を受けている潜在意識なるものの一切の作用が、「実在意識の態度」というものに同化して、その作用を、あるいは良くもし、あるいは悪くもするということを決して忘れてはならない。
これはまさに重大な人生への理解である。
元来、潜在意識というものは、宇宙霊と直結して高い程度の作用を固有しているが、さらに実在意識の態度に同化的に活動するという自然傾向があるためである。
否、こうした事実があるからこそ、昔から洋の東西を問わず、哲学も宗教も修養法も、すべてが「心のもち方」「心がけ」ということを人生の一番重要なものとしているのである。
心理学では、これを暗示の無条件感化といっている。
われらぜひとも真人たらんと欲する者は、何人といえども、潜在勢力という驚くべき絶大な力が与えられているのである。
生まれながらにして宇宙霊から分与されているこの偉大な力は、人間の潜在意識の中に充満しているからこそ、この偉大なる力を発動させて人生を雄大に荘厳に活きねば嘘である。
そのためには、この力の発動を邪魔しているものをコントロールしなければいけない。
すなわちいかなる場合にも虚心平気の気持ちになれるように、実在意識の態度を入念に心がけ、訓練しなければならないのである。
人間本質自覚の誦句人は万物の霊長として、宇宙霊のもつ無限の力と結び得る奇しき働きをもつものを、我が心の奥に保有す。
かるがゆえに、かりにも真人たらんには、いたずらに他に力を求むるなかれである。
人の心の奥には、潜在勢力という驚くべき絶大なる力が、常に人の一切を建設せんと、その潜在意識の中に待ち構えているがゆえに、いかなる場合においても心を虚に、気を平にして、一意専心この力の躍動を促進せざるべからず。
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