第三章恐怖を感じない女一見ごく普通の女性、リンダ。
実は彼女は危険や恐怖をほとんど認識できない。
彼女の脳は「扁桃体」が損傷しているのだ。
恐怖や不安の根源である扁桃体の働きが性格を左右することがわかってきた
激しい恐怖が人間にどんな作用をもたらすのか、わたしが初めて目のあたりにしたのは、社会に不安が広まりつつあった一九七〇年代のダブリンでのことだった。
そのころ、わたしが通っていた学校は北アイルランドから日常的に少女たちを受け入れていた。
北アイルランド抗争のただなかだった当時、最大の都市ベルファストでは日々爆弾騒ぎや銃撃が絶えなかった。
そのため、国境を越えたダブリン郊外の平和な環境に少女らを避難させることが奨励されていたのだ。
ベルファストからここまでは、車でわずか二時間の距離だ。
あるときわたしは数人の友だちと一緒に、昼食をとるために家に向かっていた。
ベルファストからこちらの学校にきて数週間になるサンドラという女の子も一緒だった。
おしゃべりをしながら歩いていたわたしたちは、さっきまでそばにいたサンドラの姿がないことにはっと気がついた。
あたりを見回すと、一〇メートルほど後ろの歩道で彼女はうつぶせになっていた。
わたしたちはだれひとり気づかなかったのだが、どこかで車がバックファイアする音がし、その瞬間サンドラは地面に身を伏せたのだ。
それは、彼女の脳の奥深くで発せられた警報のせいだった。
あの当時のベルファストでは、バックファイアと似た音は紛争の発生を意味していた。
そして、故郷でサンドラが経験していた恐怖とそのトラウマは、ただひとつのバックファイア音をきっかけに再燃したのだ。
彼女の瞬時の反応は、脳に緊急スイッチが入ったようすを如実にあらわしている。
スイッチが入るとすべてを支配する恐怖の回路緊急事態に対処する脳の領域──いわゆる〈恐怖の回路〉──は一瞬で作動し、危険な出来事を記憶の中から浮かび上がらせる。
あの晴れた日、みんなで家に向かって歩いていたとき、サンドラは銃のことなど考えていなかったはずだ。
けれどバックファイアの音が聞こえた瞬間、彼女の恐怖の回路は作動し、支配権を握った。
脅威が目の前にあるときや今にも起こりそうなときには、脳の原始的な領域にある緊急システムが血流内にアドレナリンを放ち、その結果、呼吸や心拍数が増大し、発汗が起こる。
これらの肉体的現象はいわゆるファイト・オア・フライト(=闘争か・逃走か)反応の準備を整え、危機への迅速な対応を手伝う。
何百万年もの進化の歴史の中で、人類はこの強力なシステムを発達させてきた。
これはいわば脳の非常ボタンであり、危機が眼前に迫っていることを脳の他の部分に知らせるはたらきをもつ。
非常ボタンを押すことで潜在的脅威が意識の中にクローズアップされ、それを詳しく見定めることが可能になる。
それと同時に恐怖中枢は、脳内で起きている他の活動をいったんすべて低下させ、瑣事にかまわず、危機の発生源に確実に焦点をあわせられるように仕向けている。
待ったなしの脅威に遭遇したとき、注意力を一気に集め、あらゆる手を尽くして危険な事態からすみやかに抜け出させるのが、恐怖の回路のはたらきなのだ。
いったんスイッチが入ると、恐怖のシステムは他のすべてを支配する。
数年前わたしが参加したある実験は、原始的な恐怖が人間の脳にどれだけ深く作用するかをよくあらわしていた。
その実験は恐怖の作用を直接計測するため、巨大なニシキヘビを首に巻きつけるというとんでもないもので、わたしは何をとち狂ったか、その被験者になることを了承してしまったのだ。
かくしてわたしの両手と胸には、ヘビを首に巻いたときの体の反応を計測する高機能のセンサーがとりつけられた。
ヘビは地元の動物園から借りてきたもので、毒はなく、こうした芸当に慣れっこであることは確認済みだった。
飼育係からは、この種のデモンストレーションのあいだにヘビはだいたい退屈し、眠ってしまうのだという説明も受けた。
けれど、そんな知識は何の役にも立たなかった。
ヘビを見たとたん、わたしの動悸は速くなりはじめ、呼吸も徐々に荒くなった。
ヘビが肩に乗ったときには、鼓動が激しく打つのが手にとるように感じられたし、両手にはじっとり汗がにじんできた。
そしてヘビがわずかに動いた瞬間、わたしはほとんどパニック状態になった。
体にとりつけられたセンサーは、脈拍の急上昇を示していた。
ようやくヘビが体から離されても、落ち着きを取り戻すにはしばらく時間がかかった。
わたしの脳の意識的な──あるいは理性的な──領域は、自分の身は絶対に安全だと理解していたのに、恐怖の回路は勝手に暴走をはじめてしまったのだ。
なぜ、怖いのか現代人の大半は安全な環境で暮らしているのに、恐怖や不安がいまだにこれほど大きな力を人間にふるっていることは、とても興味深い問題だ。
先進社会で暮らす人が、動物や他の人間に攻撃される確率はきわめて低い。
それなのに、人はさまざまな災いや個人的な失望を案じ、不安を抱く。
自然災害などへの原始的な恐怖感。
そして、他人にどう思われるかという心配。
「自分は人に好かれているだろうか?」「将来成功をおさめられるだろうか?」といった不安を抱くのはまだしも、なぜ人は、今日ではめったに脅威にならないようなものごとを、今も恐ろしいと感じるのだろうか?この質問に対するお定まりの回答は、次のようなものだ。
ヒトや他のおおかたの種に共通する脳の原始的な部分は、人類の祖先が激しい嵐や捕食者など、自然がもたらすさまざまな脅威とともに暮らしていたはるか昔に発達したものだ。
だから、扁桃体をはじめとする原始的な組織は現代でも、そうした脅威に出会うと脳内で発火する。
進化上古い領域にある恐怖の回路は現代でも、人類の祖先を脅かした各種の危険に出会うと活性化し、他の多くの領域のコントロールを奪う。
そうして重要でない活動をひとまずストップさせ、危機に対処できるようにするのだ。
この現象は多くの研究から実証されている。
だから、現代ではごくまれにしか遭遇しないのに、ヘビは今でも激しい恐怖の反応を引き起こす。
ヘビだけでなく、何百万年も前の先祖にとって脅威だったものごとは、みな同様の反応をもたらす。
このようにして脳は、何を恐怖すべきかを人間にあれこれ指図している。
だからこそ、閉所暗所恐怖症や広場恐怖症、あるいはクモやヘビに対する激しい恐怖感から、人々は今でも心理学のクリニックに駆けこんでくる。
原始的な危険が今なお人間の脳に強い力をふるっているのはあきらかだ。
遠い過去の脅威は今でも恐ろしいスウェーデンのカロリンスカ研究所の心理学部教授であるアルネ・エーマンはこのテーマについて一連の興味深い実験を行った(1)。
そこから浮かび上がってきたのは、現代人の脳は進化上の過去の脅威に非常に敏感だという事実だ。
エーマンの実験は次のように行われた。
被験者の前に大きなスクリーンを置き、そこに九枚の写真をほんの一瞬、映し出す。
写真がすべて同じものなら、被験者は左側のボタンを、一枚だけ別の写真が混じっていたら右側のボタンを押さなければならない。
被験者に求められるのは、〈反応のスピード〉と〈正確さ〉のふたつだ。
スクリーンにあらわれた九枚の写真が全部キノコだったり全部ヘビだったりしたら、被験者はできるだけ急いで左のボタンを押さなければならない。
興味深い結果が出たのは八枚の花の写真の中にヘビの写真が一枚混じっているというように、一枚だけ別の写真が紛れ込んでいたときだ。
エーマン率いるチームは何百回となく実験を繰り返して反応にかかる時間を測定し、はっきりしたパターンを発見した。
一枚だけ異なる写真が花やキノコではなくヘビやクモだった場合、人はよりすばやく反応したのだ。
たとえば、八枚のキノコの写真の中に一枚だけヘビの写真が混じっている場合と、八枚のキノコの写真の中に一枚だけ花の写真が混じっている場合を比較すると、反応にかかる時間は前者のヘビの写真のほうが短かった。
つまり恐怖を感じさせる写真はそうでない写真よりも、すばやく人間の注意を引くのだ。
この反応時間のわずかな差は進化上の過去を垣間見せると同時に、今日においてさえ人間の脳が、祖先の直面したのと同じ危険に多くの注意を注ぐことを物語っている。
要するに、こういうことだ。
人類の祖先の中で現代にまで子孫を残すことができたのは、ヘビやクモなどの脅威を巧妙に見つけ、回避することができた者だ。
だからこそその子孫には、より効果的な危機感知システムが備わるようになった。
わたしたち現代人の脳には今もなお、このはるか昔の記憶が刻み込まれている。
二十一世紀のストックホルムで、スウェーデン人学生がエーマン教授の実験に参加したとき、その反応をあやつっていたのは何万年も前の祖先の叡智だったわけだ。
レイニーブレインの中にあるこの回路がどのように作用し、どんな役目を果たしているか理解するには、まず、脳における恐怖の解剖学的な位置づけを、もっと詳しく理解する必要がある。
恐怖の中核にある組織「扁桃体」快楽をつかさどる領域と同じく、緊急事態に対処する脳の領域は、個々に分かれた──しかし強く関連しあう──多くの組織から成り立っている。
これらの組織の大半は皮質下の奥深くに埋め込まれており、たがいに密な関係をもつと同時に、上にある大脳皮質とも強く結ばれている。
これらはどれも恐怖反応において重要な役割を果たすが、いちばん中心にあるのは〈扁桃体〉と呼ばれる組織だ。
扁桃体はアーモンドのような形で、大きさは親指の爪くらい。
一三以上の部分から構成され、各部分がそれぞれ異なる機能をもつと考えられている。
扁桃体の機能は、生物工学の進歩によってあきらかになった。
この不思議な小さな塊にひそむ複雑さと巧妙さは、創意に富んだ実験を何百通りも繰り返すことで解明され、恐怖という感情についての科学的知識は飛躍的に増加した。
おかげでわたしたちは今、他のどの感情よりも恐怖について多くを知っている(2)。
そして扁桃体と恐怖についての、あるいは両者が人間の生活に与える影響についての知識は今、ほぼ毎日といってよいペースで実験室から世界へと発信されている。
恐怖の回路のつながり方を突きとめる恐怖の研究の最前線に立ってきたニューヨーク大学の心理学者ジョセフ・ルドゥーは、おもにラットを用いた実験で、扁桃体が恐怖の回路の中心にあることを突きとめた。
彼はさらに、五感から扁桃体に至るには速い道と遅い道のふたつがあるという重大かつ画期的な発見をした。
ルドゥーは速いほうの道を〈低位の経路〉もしくは〈泥だらけの近道〉、もう片方の道を〈高位の経路〉もしくは〈ゆったりした幹線道路〉と呼ぶ。
両者の仕組みを理解するために、危険に直面したとき脳内で何が起こるかを見てみよう。
すべては五感のどれかひとつからスタートする。
たとえば、ヘビのように危険なものを見たり、火災警報装置の音を聞きつけたり、真夜中に漂ってきたかすかな煙のにおいを嗅ぎつけたりというように。
これらの情報は、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚のいずれから来たものでも、すべて、脳内で視床と呼ばれる部分になだれこむ。
視床は頭のほぼ真ん中、脳幹のすぐ上に位置しており、リレーの中継地のような作用をする。
五感を通じてもたらされた情報はここに集まり、さらなる分析のために脳内で最適の部分に送り出される。
五感から送られてきた情報はこうして視床を通じて扁桃体に送られる。
そして扁桃体は、ほんの小さな危険の影も見落とさないように、それらの情報をスキャンする。
わずかでも脅威を感じとれば、扁桃体は猛スピードで作動を始める。
危機がすぐ目の前にあるときは一刻の遅れも許されないため、情報は近道の〈低位の経路〉を通じて直接扁桃体に送られる。
そして、人が何かを考える間もなく扁桃体には即座にスイッチが入る。
路上でヘビ(あるいはヘビかもしれないもの)に出くわしたときには、ほんの一秒の思考が命取りになりかねないからだ。
もうひとつの〈高位の経路〉も、けっしてスピードが遅いわけではない。
だがこちらの場合、視床に集まった情報は扁桃体に向かう前に、詳細な分析のためにいったん大脳皮質へ送られる。
このルートを経由すると、情報を高次で理性的な領域において綿密に調べることが可能になる。
たとえば視覚野は目の前の潜在的脅威を詳しく分析し、それがほんもののヘビなのか、草の上に落ちている木の枝にすぎないのかを見定めてくれる。
扁桃体は迅速に、そして人が意識しなくても自動的に作動しなくてはならない。
人の意識が何かにかかりきりになっているあいだも、脳のこの原始的な領域はつねに、身のまわりに危険はないか目を光らせている。
そしてひとたび危険を発見すると、それがふたつの経路のどちらを通ってきたものでも、扁桃体は脳の他の部分に向けて即、「今していることはストップ!集中しろ!」と合図を送る。
銀行に勤めていたわたしの友人は、数年前に強盗から銃を突きつけられるという恐ろしい経験をしたことがあるが、彼は今でも銃口が自分の額に向けられた瞬間の、体が凍りつくような感覚をはっきり覚えているという(3)。
その瞬間、彼のすべての注意は銃口の一点へと吸い寄せられていた。
あとで警察から侵入者について質問を受けたとき、彼らが覆面をしていたかどうかさえ友人は思い出すことができなかった。
いちばんの脅威である銃は、彼の注意を文字どおりぜんぶ奪ったのだ。
扁桃体の役割を明らかにした巧妙な実験恐怖反応の中心的役割は扁桃体が果たすという強力な証拠は、神経科学者レイ・ドランの研究からもたらされた(4)。
ドランは、ロンドンの中心部にあるロンドン大学ユニバーシティ・カレッジに神経画像の最新の設備を構え、脳が恐怖にどう反応するかを最前線で研究してきた。
ドランの考えでは、扁桃体が恐怖反応の中心にあることは動物実験で実証されてはいるが、人間についてはまだ未解明な部分が多かった。
そこで彼が行ったのは、恐ろしい状況に置かれた人間の脳をスキャンし、動物と同様、扁桃体が恐怖反応の中心的存在なのかどうかを調べる実験だった。
被験者を恐怖におとしいれるのは倫理上制約がある。
かわりに用いられる典型的な手法は、恐ろしい写真を見せることだ。
ドランの実験では、被験者が脳スキャナーの中に仰向けに寝転んでいるあいだ、すぐ上にあるスクリーンにさまざまな表情を浮かべた人間の顔が順にいくつも映し出された。
いくつかの顔は親しげな表情を浮かべていたり微笑んでいたりするが、いくつかの顔は怒りや悲しみや恐怖の表情を浮かべている。
実験後、脳スキャナーから得られた膨大なデータをドラン率いるチームが検証したところ、恐怖の表情がスクリーンにあらわれたときに被験者の扁桃体はいちばん活性化し、幸せそうな表情がスクリーンに浮かぶとその活動は弱まることがわかった。
興味深いのは、この実験の被験者がだれひとり恐怖を感じてはいなかったことだ。
それなのに彼らの扁桃体は、危険なサインをしっかり感知し、反応していたわけだ。
社会的な生き物であるわたしたち人間には、他者の感情を即座にすくいあげる強烈な力が備わっている。
そして、他者の恐怖の表情は、近くに危険が潜むことを知る有力な手がかりになる。
そうした潜在的な危険に気づくのを助けるのは、恐怖の回路の奥にあるこの扁桃体の反応であることが、複数の調査から確認され
た。
扁桃体は無意識の脅威にも──つまり人間が認識さえしていない危険の兆候にも──反応するのだろうか(5)?ドランとその同僚であるジョン・モリス、およびスウェーデンのカロリンスカ研究所のアルネ・エーマンは共同で、この疑問に取り組んだ。
エーマンがこれに先立ち、ストックホルムの研究室で行った実験では、クモやヘビの画像をサブリミナルでスクリーンに浮かび上がらせると、被験者にストレス反応が生じることがすでに確認されていた。
実験は次のようにして行われた。
まず被験者の手のひらに汗を探知するセンサーを取りつけたうえで、ヘビ、キノコ、花、クモなどさまざまな種類の写真を、何の写真か見わけることができないほどすばやく画面上に映し出す。
写真が映し出されたすぐあと──わずか一〇〇〇分の数秒後──には、意味のないグチャグチャの線画が続いて画面にあらわれる。
たとえば、ヘビの写真がわずか14/1000秒間画面にあらわれたあと、もつれた糸のような画像(マスク画像)が約1/2秒間映し出されるという具合だ。
この技法は専門的には、マスキングと呼ばれる。
被験者の目が認識するのは短い閃光と、続いてあらわれるマスク画像だけのはずで、どんな写真が映し出されていたか見わけるのは事実上不可能だ。
だがここでポイントになるのが、被験者の手のひらの汗だ。
たとえ被験者がそれを〈見る〉ことができなくても、ヘビやクモの写真が一瞬画面にあらわれると、手のひらには汗がにじんでいたのだ。
花やキノコの写真のときは、手のひらは乾いたままだった。
この一瞬の生理学的反応は、たとえ被験者が視覚では何も認識していなくても、危険がたしかに感知されたことを物語っている。
被験者の脳内で何が起きているかを知る唯一の手がかりは、fMRIだ。
ドラン、モリス、エーマンの三人の科学者はそこで、ドランが行った前述の実験をもとに、fMRIを使った実験を新たに考案した。
彼らはドランのオリジナルの実験と同じように、さまざまな表情の顔写真をひとつひとつスクリーンに映し出し、そのあとでエーマンの実験と同じようにそこにマスク画像をかけた。
こうして、恐怖の表情や中立的な表情の顔写真が目にもとまらぬ速さで映し出されたあと、グチャグチャの線のマスク画像があらわれるという仕掛けができた。
それらの顔写真を目で見ることはできないはずなのに、被験者の扁桃体は危険のサインを敏感に感じとった。
恐怖の表情が映し出されるたび、扁桃体は脳スキャナー上で何度も発光した。
彼らの恐怖の回路がきちんと目覚めていて、わずかな危険の兆候さえ見逃さないことを示す動かぬ証拠だ。
視覚的には見えていないはずの危機を、無意識が感知する脅威を探知する能力が恐怖の回路にあるおかげで、視覚を失った人ですら身のまわりの危険や他者の感情的サインを〈見る〉ことが可能になる。
脳に重度の損傷を負った人が他者の感情のサインをキャッチする驚くべき能力をわたしが初めて知ったのは、今から数年前、JBという匿名の温厚な老紳士に一連の実験を行ったときだ(6)。
初めて会ったときJBは七〇代半ばで、数年前に患った重い脳卒中の後遺症として、軽度の運動障害をかかえていた。
だが、彼を悩ませていたいちばん大きな障害は、卒中が脳右側の頭頂葉で起きたことに起因していた。
右側の頭頂葉が損傷したせいで、神経科学者のいう〈半側空間無視〉を患い、視界の左半分にあるものをいっさい認識できなくなっていたのだ。
これは、頭頂葉の右側を損傷したときに起こりがちな症状だ。
この病気の患者はたとえば食事をしているとき、皿に盛られた料理の右半分だけを食べ、左半分の料理にはまったく手をつけようとしない。
あるいは、ページに書かれた文字をぜんぶ消すように指示されても、右半分にある文字にしか気づくことができない。
これは視覚ではなく注意の問題だ。
もし皿の左側をだれかがコツコツと叩けば、患者は手つかずの料理にちゃんと気がつくことができるのだから。
JBの半側空間無視はかなり重症で、彼に協力してもらえば「恐怖の表情など危機のサインは、無意識に探知される」という仮説を検証できるとわたしは考えた。
わたしはJBの前にペアにしたさまざまな品物を、一つは右側に、もう一つは左側に同時に提示し、何が見えるか教えてほしいと頼んだ。
右側にリンゴを、左側にオレンジを掲げると、JBは「リンゴが見える」と答えた。
ほかに何か見えないかと念を押しても、彼は注意深く視線を巡らせたあげく、「見えるのはやっぱりリンゴだけだ」という回答をくり返した。
興味深い結果が得られたのは、さまざまな表情の顔写真を左右に一枚ずつ提示したときだ。
このときもやはり彼は、左側に置かれたものをだいたい見落としてしまったが、すべてを見落としたわけではなかった。
時には右側の顔写真だけでなく、左側の写真も認識できることがあった。
左側に置かれた顔写真が喜びもしくは恐怖の表情を浮かべた感情的なものである場合、JBがそれに気づく確率は大きく高まった。
だが中立的な表情の顔写真は、ほとんどいつも認識の網をすりぬけ、気づかれずに終わった。
これは、JBの脳が感情的なサインに感応したことを物語っている。
だがこの実験ではわたしは、当初予測していたようにJBの脳が、微笑んでいる顔よりも恐怖の表情の顔をより敏感に感知するという証拠を見つけることはできなかった。
ボディ・ランゲージについても同様のことがいえる。
恐怖を感じさせるボディ・ランゲージは危機の接近を示す明確なサインだ。
これを理解したうえで、オランダのティルブルグ大学の認知情動神経科学研究所のマルコ・タミエットとベアトリス・デ・ゲルダーは、JBと同じ半側空間無視の患者三人の協力を得て、先と類似の実験を行った(7)。
二人は被験者に、今度は顔の表情ではなくさまざまなボディ・ランゲージの写真を二枚ずつ提示した。
たとえば屈みこんだ不安げな姿勢の写真と、ダンスをしていたりくつろいでいたりするポジティブなイメージの写真が並んで被験者の前に提示される。
すると、片側の空間に置かれた写真は見えないはずなのに、それでも患者は、ポジティブな姿勢の写真よりも恐怖を感じさせるボディ・ランゲージの写真をずっと頻繁に探知することができた。
見えないのに、見えるティルブルグ大学の研究チームは、〈盲視(ブラインドサイト)〉と呼ばれる非常に驚くべき現象についても調査を行った。
人間の脳の後方には、視覚の認識をつかさどる第一次視覚野がある。
この場所が損傷を受けると、人はものを見ることができなくなる。
たとえ目の機能そのものに何も問題がなくても、脳のこの部分が傷つくと事実上目が見えなくなってしまうのだ。
だが、この種の損傷を受けた人々に実験を行ったところ、無意識がものを〈見る〉驚きの能力が発見された。
デ・ゲルダーが調査したのは、第一次視覚野に広範囲なダメージを受け、事実上目が見えなくなったTNという匿名の患者だ。
「わたしたちは衝撃を受けました」とデ・ゲルダーは語る。
「TNは、いろいろなものが散らかった廊下を何にもぶつかったりせずに歩いてくることができたのですから」研究チームがTNに質問を行ったところ、彼は、自分がどうやって見えないたくさんの障害物を巧妙に避けることができたのか、まるでわからないと答えたという。
二〇〇九年、デ・ゲルダーと研究チームはDBとGYというさらに二名の同じ症状の患者の協力を得て、感情的なサインが脳内でどう処理されているかについて調査を重ねた(8)。
そのさい研究チームが利用したのが、心理学の世界で〈情動伝染〉と呼ばれる現象だ。
情動伝染とは、人間が自分の顔の表情を他人の表情に本能的にシンクロ(同調)させる現象だ。
他人が微笑んだり顔をしかめたりすれば、人は自然にそれをま
ねてしまう傾向があるのだ。
これは、顔面のあちこちに小さな電極を貼りつけることでやっと測定できる、非常に微細な反応だ。
他人が微笑んだり顔をしかめたりするのを見ると起きる、ほんのかすかな筋肉運動の兆候をこの小さな電極は拾いあげてくれる。
デ・ゲルダーと研究チームはこの実験で、写真を見ることはできないはずのGYとDBが、感情的な表情の顔写真を提示されたときに情動伝染の反応を示す事実を発見した。
微笑んでいる顔写真があらわれると、それを意識の上では〈見て〉はいないはずなのに、被験者は誘われるようにしてほんのかすかに笑顔を浮かべた。
感情的なボディ・ランゲージについても同じことが起きた。
体を丸めた、恐怖を感じさせる写真があらわれると、被験者はそれに反応するようにかすかに眉をひそめた。
そしてここでもまた、見えていないはずの恐怖の映像はポジティブな映像よりも強い反応を引き起こした。
これは、恐怖が快楽よりも強い力をもつという証拠だ。
恐怖の表情は視覚を高める恐ろしい何かを〈見る〉能力がすぐれているのは、脳に損傷を受けた人だけではない。
健常な人も、恐怖によって視覚が強まることはすでにわかっている。
人がおびえたときの顔には、広がった鼻孔や大きく見開かれた目、ぽかんと開けられた口など、すぐに目につく特徴がある。
ダーウィンの時代から科学者らは、恐怖を感じているときに特有のこの表情は、社会的コミュニケーションにかかわりがあるのではないかと推測していた。
このおびえた表情を目にしたら、人はすぐに何かが起きたことを悟り、用心を始めるからだ。
トロント大学の心理学者アダム・アンダーソンはしかし、恐怖に満ちた顔の表情が進化上どんな意味をもつかについて異なる解釈をした(9)。
アンダーソンは同僚のジョシュア・サスキンドと一緒に研究を行い、恐怖を感じたときの典型である引きつった表情は、鼻孔を広げることで空気の流入量を増やす準備をし、目を見開かせることで視野を拡大する準備をしているのだと考えた。
実験でも、恐怖の表情をしたとき被験者の周辺視野は広がり、うんざりしたような表情をしたときには狭まった。
恐怖にはどうやら、迫りくる危険を見定めるのを手伝う役目もあるのだ。
ニューヨーク大学の心理学者リズ・フェルプスはさらに、おびえた顔をただ見るだけで、人間の視覚が向上するという発見をした(10)。
フェルプスの研究チームは、画面にあらわれる薄いグレーの線が傾いているか垂直か判断するという、たいへんむずかしい課題を被験者に与えた。
垂直か否かの差はごくわずかで、それを見分けるのは至難の業だった。
けれど、グレーの線があらわれる〇・〇五秒前に恐怖の表情が一瞬画面に映し出されると、それが中立的な表情だったときに比べて被験者の正答率は向上したのだ。
おそらくこれは、恐怖の表情が被験者の扁桃体を活性化させ、それがさらに視覚野を活性化させたからだ。
他人が恐怖の表情を浮かべているのを見ると、視覚野の活動は高まり、その結果、人はものをよりはっきり見定められるようになる。
恐怖は、人間に行動を起こす準備をさせるだけでなく、視覚を高めることによって、周囲に鋭敏かつ警戒的になるよう仕向けているわけだ。
恐怖を解剖学的に分析する恐怖の回路の中心にある扁桃体は、恐怖反応において重要な役割を果たす。
だが、扁桃体そのものの機能もさることながら、扁桃体が他の領域とどうつながっているかという構造的な面も非常に重要だ。
扁桃体から大脳皮質の各部に向かう経路が、大脳皮質から扁桃体へと戻る経路よりずっと数が多いことは、恐怖を科学的に解き明かすうえで大きな鍵になる。
こんなふうに考えてほしい。
脳の中で扁桃体と大脳皮質が水鉄砲合戦をしている。
扁桃体チームのメンバーは一〇人。
大脳皮質チームは四人。
当然ながら、人数の少ないほうのチームはいつも劣勢で、びしょぬれにされる。
人間が、「何も危険はない」と頭でわかっていても、たやすく不安や恐怖にのみこまれてしまうのはそのせいだ。
こうした解剖学的な事実があるからこそ、広場恐怖症の人はスーパーマーケットに行ったとき、何も危険はないと理解しているのに、恐怖で身動きさえとれなくなったりするのだ。
恐怖がこんなふうに脳の機能をハイジャックすることは、カメラマンのコリン・スタフォード・ジョンソンの体験にもよくあらわれている(11)。
彼がBBCの自然史班の仕事のため、インドでドキュメンタリー番組を撮っていたときのことだ。
ある暑い日、コリンは干上がった川底を歩いていた。
角を曲がったとき彼は、トラの母子が遊んでいるところにばったり出くわしてしまった。
母トラは即座にコリンを見とがめ、五メートルほど離れた場所でぴたりと静止すると、鼓膜が破れそうなすさまじいうなり声をあげた。
コリンは、母トラが彼を殺すつもりはないことを論理的には理解していた。
こんなふうにトラが別のトラを威嚇する場面は何度も目にしたことがあった。
トラはこの行為によって「失せろ!さもないと──」と叫んでいるのだ。
それはわかってはいたのに、彼は「恐怖のあまり、足に根が生えたようにその場から一歩も動けなくなってしまった。
体がふつうの状態に戻ったのは、二時間あまりもたったころだった」と言う。
トラに出会ったその瞬間、コリンの頭の中では扁桃体が他の部分に向けて警鐘を打ち鳴らし、「危険発生!ほかの仕事は当面ストップ!」と大声で警告していた。
大脳皮質の高次な領域からは「大丈夫、トラは攻撃してこない」というメッセージが送られてはきたが、原始的な恐怖の反応をとどめることはできなかった。
恐怖を先に感じているのか、肉体がまず反応したから怖いのか?これまでに示した例から、扁桃体のはたらきは主に、危険を探知し、人間がそれに反応するのを助けることだとわかる。
闘うにせよ、静止するにせよ、逃げるにせよ、ともかく恐怖は、人間が危機的状況から最速で抜け出す手伝いをする。
だが恐怖の作用は、そのとき人間を行動に向かわせることだけではない。
恐怖の記憶は人の思考や判断や行動や感情にまで長期的な影響を与える。
個々の性格形成にもその影響はおよぶ。
恐怖について話をするときよく質問されるのが、激しい恐怖のさなかに感情はどんな役目を果たすかという問題だ。
先に登場したジョセフ・ルドゥーによれば、恐怖の科学において感情は、注意を本題から逸らしかねないむしろ邪魔な存在だ。
恐怖のシステムにおいて肝心なのはともかく〈生きのびる〉ことであり、感情は、恐怖反応がもたらす生理現象──手のひらの発汗や血中アドレナリンの増加や鼓動の高まりなど──と同程度の重みしかもたない。
感情の出番がくるのは、恐怖のシステムが仕事を終えたそのあとだ。
恐怖の回路は人間が目の前の危機を切り抜けるのを助けるが、そうした切迫した状況下で重要なのは思考や感情ではなく、まず行動だ。
進化の過程で脳はそのように形づくられたのだとルドゥーは説く。
とはいえ、人間が恐怖を〈感じる〉のはあきらかだ。
凶暴そうな犬が怒り狂ったように突進してきたときの嫌な気持ちや、重要な試験の結果を待つ落ち着かない気持ちは、だれもが知っているはずだ。
こうした恐怖などの感情を、人間はつねに肉体的感覚の結果として経験するという説がある。
一九世紀に、アメリカの科学的心理学の祖であるウィリアム・ジェームズがそれを提唱した。
そこから、「人間は逃げるから恐怖を感じるのであり、その逆ではない」という、有名な言葉が生まれた。
ジェームズのこの説からはさらに、ある興味深い予測が生まれる。
もしも感情がほんとうに肉体的な感覚から生じているのなら、肉体の反応が鋭敏になればなるほど──そしてその感覚を認識すればするほど──人は恐怖を強く感じるのではないか?この仮説を検証するためにレイ・ドラン率いる研究チームは巧妙な実験を考え、被験者に〈心拍探索課題〉というテストを行った(12)。
まず被験者にfMRIの中で横になってもらい、一連の音を聞いてもらう。
音はあるときには間髪をいれずに鳴り、あるときは次の音が鳴るまでにしばしの遅れがある。
このテストの肝は、音が鳴るタイミングが自分の脈拍と同時であることに気づけるかどうかだ。
わたしも自分で試みてみたが、これは決して容易ではない。
この課題を非常にうまくこなす人々がいるいっぽう、まったくだめな人々もいることを、ドランの研究チームは突き止めた。
興味深いのは、音のあらわれ方と心拍との関連にうまく気づくことができる人は、「自分は恐怖や心配を強く感じるほうだ」と自認していたことだ。
先のジェームズの理論のとおり、自分の肉体の反応を敏感に認識する人は、本能的な感情をより強く経験していたのだ(13)。
注目すべき点がある。
この課題を行ったとき脳内でいちばん活性化したのは、脳の原始的な領域にある〈島皮質〉と呼ばれる場所だったのだ。
身を守るために恐怖反応をひきおこす重要な役目を果たすのは扁桃体だが、この島皮質という組織は、恐怖反応をいわゆる恐怖感──つまり、恐ろしいという意識──に移し替えるはたらきをしている。
扁桃体や島皮質などの皮質下の領域だけでなく、進化上新しい大脳皮質の領域も、恐怖の反応に重要なかかわりをもつことがわかっている。
前頭前野の特定の部分が活性化すると、扁桃体の反応を抑制できるのもその一例だ。
このときに起こる扁桃体と大脳皮質とのせめぎあいは、フロイトの有名な発見である第一のイド(=本能的衝動の源泉)と超自我(=自我を監視する無意識的良心)との戦いをほうふつとさせる。
快楽と同じく、恐怖をつかさどる回路全体にもアクセルとブレーキの両方の機能がある。
扁桃体からくる警報のスイッチを完全に切ることは大脳皮質にもできない。
そこには解剖学的な事情がある。
扁桃体から大脳皮質に向かう経路の数は逆方向の経路よりずっと多く、そのせいで、扁桃体という原始的な組織がもっと高次な大脳皮質に対して、過剰なほど大きな力をふるえるのだ。
だからこそ、トラに出くわしたコリン・スタフォード・ジョンソンは、相手が攻撃してこないと頭で理解していても、その場から一歩も動くことができなかった。
これはまた、恐怖などの原始的な感情がなぜ、認識や記憶に大きな影響を与えるのかも説明している。
恐怖の回路の弱点恐怖の中枢はすべての情報を平等には扱わず、危険にかかわる情報を優先的に処理する。
自動的に危機に対処するこの機能は、あらゆる局面で〈生きのびる〉可能性を最大化するうえで、非常に重要だ。
だが、強力でコントロールを奪われにくいこの防衛機能にも、弱点はある。
中心にある警報機能があまりに頻繁に活性化されていると、レイニーブレイン全体が過敏になったりバランスを崩したりするのだ。
レイニーブレインには、大脳皮質と皮質下を結ぶ無数の回路が潜んでいる。
警報の役割を果たす回路が必要以上に強くなり、抑制の中枢のはたらきが弱まると、人は総じて悲観的な思考形式へと押しやられ、ものごとを悪いほうへ悪いほうへと考えるようになる。
こうしてネガティブな思考が徐々に出現し、良い面よりも悪い面に目が行くようなバイアスが確立されていく。
これは結果的に、暗く憂うつな思考につながり、悪ければ慢性的な不安障害に発展してしまう。
これが、危機から身を守るため脳に備わったシステムの、負の側面だ。
恐怖についての神経生物学は、恐怖の回路がどのように人の心を乗っ取るのか、なぜそれが多くの人に、悲観主義という一種危険な人生観を抱かせるのかを説明している。
脳の原始的な領域にある恐怖の回路は、人間の注意を潜在的な危険に確実に引きつけるように作用している。
悪いニュースが良く売れるのは、当然だ。
危険が人の注意をひきつける力は強烈で、たやすく克服されるようなものではないのだ。
新聞やテレビやラジオは連日、ネガティブな話を山ほど人々に投げつけてくる。
金融危機、景気後退、地球温暖化、豚インフルエンザ、テロリズム、戦争。
ネガティブな話は文字通り枚挙にいとまがない。
そして悪い知らせについ波長をあわせがちな脳本来の傾向とあいまって、悲観主義は圧倒的な力をふるう。
なぜ悲観がこれほど強い力をもつのか、読者にはもうわかるだろう。
恐怖の回路は楽しそうな情報は二の次にして、危険を満載した情報ばかりにスポットをあてる。
わずかでも危険の影があれば即座にそれを拾いあげ、脳内で起きている他の作業を停止させ、すべてを危機に集中させる。
ポジティブなものよりネガティブなものに強く引かれるこの人間本来の傾向があるからこそ、ものごとを楽観的に考えるのは悲観的に考えるよりずっとむずかしいのだ。
人々を怖がらせるのは安心させるよりはるかに簡単であることは、政治家や聖職者が歴史を通じて示してきたとおりだ。
さらに問題なのは、ひとたび恐怖の回路にスイッチが入ると論理が遮断されてしまうことだ。
論理を無視して恐怖が作動すると、現代のさまざまな状況下では大きな問題が起こりかねない。
恐怖は、快楽を経験したり楽観的思考をはぐくむのを邪魔するばかりでなく、もっと巨大な恐怖や不安をひきおこし、人生から輝きを奪う可能性もある。
視聴者に恐怖の回路を作動させたコマーシャルエモリー大学の心理学者で政治評論家でもあるドリュー・ウェステンは、恐怖の回路をいったん覚醒させるとどれほど消し去りがたい影響が生じるかを、一九六四年にリンドン・ジョンソンが大統領選に出馬したときの悪名高い政党コマーシャル〈ヒナギク広告〉を例に示している(14)(訳注:じっさいに放送されたのは、九月七日の一回のみ)。
ジョンソンはこのコマーシャルの中で、政敵である共和党のバリー・ゴールドウォーターの名を出したわけでも、政策批判をしたわけでもない。
それなのにこのコマーシャルをきっかけに、ゴールドウォーターは攻勢から守勢に転じ、ジョンソンは政敵からリードを奪うことができた。
当時は冷戦のまっただなかで、核戦争への不安が社会に広がっていた。
ゴールドウォーターは核武装を支持しており、ジョンソンは広告宣伝で「核という大量破壊兵器をゴールドウォーターのような信用のおけない人間に与えてよいのか」というメッセージを人々に伝えようとしていた。
コマーシャルは、小さな可愛らしい女の子がヒナギクの花びらを一枚一枚むしっている場面から始まる。
女の子は花びらをちぎりながらあどけない声で数をかぞえているが、鳥の鳴き声に邪魔されて、いくつまで数えたかわからなくなってしまう。
次の瞬間、どこからか男の大きな声で突如「十、九、八……」とカウントダウンが始まる。
女の子は空を見上げる。
その顔には不安な表情がいっぱいに浮かんでいる。
カメラはゆっくりと少女の瞳へとズームインする。
瞳の映像は次第に別の何かに変化していく。
原子爆弾が爆発する鮮明な映像が画面にあらわれ、キノコ雲が画面いっぱいに広がる。
「運命の分かれ目です」。
ジョンソンの重々しい声が響く。
「この世界をすべての神の子が生きられる場所にするか、それとも闇に落ちるかの──」。
コマーシャルの最後には、「一一月三日はジョンソン大統領に一票を」という白抜きの文字が、黒い背景の中に浮かび上がる。
人々はそのとおりに、ジョンソンに票を投じた。
この〈ヒナギク広告〉が選挙戦の流れをジョンソンに引き寄せる重要な要因になったことはあきらかだ。
この広告の鍵は、たやすく作動する恐怖の回路を利用して有権者の心を瞬時に核の脅威に向け、他のすべてを不問に付してしまった点だ。
さらに、この広告でいったん恐怖の回路が作動すると、そこから生じた不安感はなかなか払拭されなかった。
そして消えやらない恐怖感は、ジョンソンの政敵であるゴールドウォーターに微妙に結びつけられていった。
恐怖を警戒する脳の回路をこのヒナギク広告が巧妙に操った結果、人々はゴールドウォーターを回避するよう無意識のうちに説き
ふせられてしまったのだ(15)。
これは恐怖中枢が作動したときに起こる典型的な現象のひとつだ。
恐怖の引き金を引くのは一瞬だが、その結果生じた不安は長く尾を引く可能性がある。
恐怖の記憶は簡単には消えず、そうして一度ネガティブな方向に向けられた心は、世界を悲観的に見るようになりがちなのだ。
過去に起きた危険な出来事や不快な出来事をたえず思い起こしていたら、世界をバラ色の場所として見られなくなるのは当然のことだ。
これはいわば、恐怖の回路のメリットのために支払わなければならない代価だ。
危機を探知するこれほど強力なシステムがもしもなかったら、人間はもっとずっと早くに命を落としてしまうだろう。
だがいっぽうで、このシステムが楽観的思考の妨げになっているのも事実だ。
さまざまな恐怖や不安は人間を立ち止まらせ、暗くネガティブな面へと目を向けさせる。
簡単に言えば恐怖が、そして恐怖をつかさどる回路こそが、楽観的に生きることの最大の障壁になっているのだ。
恐怖を感じない女それではもし、恐怖の回路のスイッチを切り、恐怖感を生活から一掃することが可能だったら?もしもそれが可能なら、人間はより幸福で、より充実した人生を送ることができるのだろうか?この質問への答えを見つけるためにわたしたちは、扁桃体に傷を受け、恐怖を感じることのなくなった人々に調査を行った(16)。
扁桃体を損傷したこれらの人々はだいたいが、ほぼ普通に近い生活を送っていた。
そのひとりであるリンダという女性は非常に若いころから重いてんかんの症状に悩まされ、ひどいときには日に八、九回も激しい発作に襲われていた。
そのせいで神経質になり、外出にもひどく気おくれするようになった。
てんかんとは脳全体に広がる大波のような電気的活動だが、それが発生するのはたいてい脳内の決まった場所だ。
その場所は人によって異なるが、リンダの場合、電気が発生するのはいつも、恐怖の回路の中心にあたる扁桃体の左部分、もしくはその周辺だった。
リンダは三〇歳のとき、てんかんの治療のために扁桃体と、記憶に重要な役目を果たす海馬の左部分を除去する手術を受けた。
手術は成功した。
わたしが初めてリンダに会ったとき彼女は四〇代前半で、手術から一〇年このかた、ほとんど発作を経験していなかった。
外科医は手術によって記憶の消失が起きることを心配していたが、おそらくは海馬の右側が無傷で残されたおかげで、とりあえずそうした問題は起きていなかった。
だが、左側の扁桃体を除去した結果、リンダは恐怖の回路の核を失うことになった。
リンダと会った人はおそらく、時おりぎごちない動作をすることやアイ・コンタクトのしかたが微妙にふつうの人とちがうことをのぞけば、彼女のどこかがおかしいとは気がつかないだろう。
リンダは幸せな結婚をし、扁桃体がないことを別にすれば、ごくふつうの生活を送っていた。
けれど、落とし穴がひとつあった。
扁桃体を損傷した他の人々と同じようにリンダは、微笑んでいる顔を見れば「フレンドリーだ」と難なく認識できるし、しかめ面を見れば「いやな感じがする」と認識できる。
嫌悪や驚きの表情を認識するにも、何ら問題はない。
けれど、おびえたような恐怖の表情に対しては、まるきり無反応だった。
「何も感情がないみたい」と彼女は言った。
「中立的な表情に見える」。
わたしはリンダに恐怖の表情の顔写真をつぎつぎ見せ、彼女はそのたび、そこに示されている感情を読みとろうと必死になった。
扁桃体に損傷を受けた人はどうやら、他者の恐怖を認識する能力を失ってしまうのだ。
扁桃体が恐怖の認識にかかわっているというこの発見は今では、定説になっている。
わたしはリンダが恐怖の表情を認識できないことを、心理学者のアンディ・カルダーに話した。
カルダーはケンブリッジにある英国医学研究審議会の認知脳科学科に本拠を置いて活動し、扁桃体を損傷した人々を過去に何人も研究してきた。
彼は、リンダのその症状は扁桃体を損傷した人に特有なのだと保証してくれた。
カルダーは言った。
「幸福や驚きや嫌悪などをあらわす顔写真を見せたときは、扁桃体に損傷がある人もない人も、ほぼ問題なくそれらの表情を認識できた」。
けれど、恐怖や怒りの表情の写真を見せたときには状況が変わった。
「扁桃体を損傷した人は、恐怖の表情を認識することがどうしてもできなかったし、恐怖と怒りの表情を区別することにもたびたび失敗した」という。
カルダーの研究チームはさらに、扁桃体を損傷した患者が認識できなくなるのは、恐怖をあらわす顔の表情だけではないことを発見した(17)。
研究チームは、幸福そうな笑い声や何かを吐き出すような嫌悪の声、恐怖の叫び声などさまざまな感情をあらわす音の断片を採集し、それを被験者に聞かせるという実験を行った。
次の表には、扁桃体を除去したDRという匿名の女性が一般の人々に比べ、音声にひそむ感情のサインをいかに苦労して読みとっているかが、浮き彫りになっている。
わたしはリンダとさらに会話を重ねるうちに、カルダーらが発見したのと同じ事実を確認した。
リンダは危険を示す一般的なサインを広範囲にわたって認識できなかった。
たとえば彼女は、うなり声をあげている犬を平気でなでようとした。
走っている車の目の前に歩き出そうとした。
熱い炭を素手でそのままつまみ上げようとした。
リンダの夫の話によれば、手術を受けてから最初の二年間、妻はしじゅう怪我をしていたという。
時間をかけてようやく、さまざまな危険に注意することをリンダはあらためて身につけたが、それでも、恐怖や不安などの感情を抱くことは今もいっさいないと彼女は語る。
リンダの夫はさらに次のように語った。
「今のリンダはあまりにも人を信用しすぎます。
だれかが自分をだましたり、ものを盗んだりするということを彼女は想像できないのです。
ほうっておいたら何のリスクも考えず、まったくの他人に自分の暗証番号だって教えかねないでしょう」
扁桃体は「信用できそうな顔」を見分けているカリフォルニア工科大学の心理学および神経科学科のラルフ・アドルフス教授は、扁桃体の損傷が、他者を判断する──とりわけ信頼できるかどうかを判断するさいに、大きな支障になることを発見した(18)。
わたしたち人間は日々たくさんの顔の表情を読み、相手がどのくらい信頼できそうかを判断している。
そして往々にして、判断の根拠は相手が「どう見えるか」でしかない。
プリンストン大学のアレクサンダー・トドロフと同僚は研究によって、「この人は信用できるか否か」という瞬時の判断につながる外見的要素をわりだした(19)。
「信用できる」とされる顔の特徴は、口角の上がった口もとや大きく見開かれた目、そしてはっきりした頰骨などで、逆に「信用できない」と判断されがちな特徴は、下がり気味の口角や眉尻の上がった眉毛、そして頰骨が平板だったり落ち窪んでいたりすることだ。
ロンドン大学のレイ・ドランとその同僚は研究の結果、脳の中でこうした「信用できない」顔にとりわけ強く反応するのは扁桃体であること、そして扁桃体が脳内の警報システムを作動させ、不吉な感覚をもたらすことを発見した(20)。
扁桃体が傷を受けると、この自然の警戒機能はなくなってしまう。
前述のラルフ・アドルフスはSMという女性患者について研究を行った。
扁桃体に損傷を受けた患者は前述のリンダのように片方の扁桃体は機能しているケースが多いが、SMは左右両方の扁桃体を損傷し、扁桃体の機能をすべて失っていた。
彼女は親しい人の顔を見分けることもできたし、おおかたの感情の認識にもとくに支障を感じていなかったが、他人の顔に浮かんだ恐怖を認識したり、相手が信用できそうか否かを判断したりすることはまったくできなかった。
他人に過剰にフレンドリーに接したり、人に対するとき──たとえ相手が赤の他人でも──社会的に許される距離をわずかに越えてしまい、相手を居心地の悪い気分にさせてしまうこともあった。
人と人との相互作用をコントロールする自然の警戒機能が、SMには欠落しているようだった。
扁桃体がリスク評価も変えるアドルフスはまた、扁桃体がリスク評価に関与しているかどうかを調べるために、ギャンブルを用いた巧妙な実験を同僚とともに考えた。
おおかたの人間は、勝っても負けてもあまり差がない賭けや負けたときの痛手が非常に大きい賭けには、積極的に乗ってこないものだ。
自分がクイズ・ミリオネアに出場して、五〇万ドルの質問に見事正答したと想像してみよう。
あなたはここで究極の選択を迫られる。
いちかばちかで最終問題にのぞむ道がひとつ。
正答すれば一〇〇万ドルの賞金を獲得できるが、失敗すれば三万二〇〇〇ドルを手に「さようなら」となる。
こういうときたいていの人は、五〇万ドルを銀行に預け、リスクを回避する道を選ぶ。
アドルフスの研究チームはSMともうひとり扁桃体を損傷した患者(APと呼ぼう)に、リスク選択に関する同様のテストを行った(21)。
すべての被験者──一二人の対照群と前述の二人の患者──は、実験開始時に五〇ドルを与えられる。
その後、コイン投げが行われ、被験者は表と裏のどちらかに賭けるよう求められる。
表が出るか裏が出るかの確率は五分五分。
ただし、コインを投げるごとに獲得できる金額と失う金額に変化がつけられた。
あるときには「賭けに勝てば五〇ドル獲得、負ければ一〇ドル損失」。
またあるときには「勝てば二〇ドル獲得、負ければ一五ドル損失」というように。
たいていの人がそうであるように対照群の被験者は、後者のような割の悪い賭けには乗りたがらなかった。
これは〈損失回避〉と呼ばれる現象だ。
だが、扁桃体に損傷を受けたSMとAPの二人の被験者は、どちらも損失回避の行動をいっさいとらなかった。
彼らは、潜在的利益と潜在的損失の不均衡にまったく影響されていなかったのだ。
SMもAPも、潜在的利益と損失については完全に理解していた。
にもかかわらず、潜在的損失が利益を上回るときでさえ、二人はやはり賭けに出るのをやめようとしなかった。
扁桃体はどうやら、リスク含みの行動をコントロールする重要な役目を果たしているらしい。
行動の結果が自分に不利益をもたらす可能性があるときには、とくにそのはたらきが重要な意味をもつ。
社会的な危険から身を守る作用リンダと接していて気づいたことだが、扁桃体に損傷がある人はけっして向こう見ずなわけではない。
ただ彼らは、日常生活にひそむ典型的な危険やリスクを認識することができない。
前述のアドルフスも、患者SMが日々の生活の中でだれにでも過度にフレンドリーに接したり、対人上快適とされる領域をわずかに踏み越えたりしがちな点に着目し、社会的な相互関係の調節に扁桃体が重要な役目を果たすかどうかを、実験でさらに検証した(22)。
アドルフスが実験で用いたのは、〈ストップディスタンス法〉と呼ばれる技法だ。
被験者はまず、実験者から一定の距離だけ離れた場所に立つよう指示される。
そして次に、実験者に向かって歩き出し、自分にとって快適と思えるぎりぎりの地点で止まるように指示される。
アドルフスの実験に参加した対照群の被験者二〇名は、相手から平均で約六四センチのところで歩みを止めた。
だが、患者SMが止まったのは相手からわずか三四センチの地点だった。
事実彼女は、赤の他人と鼻がぶつかるほどの至近距離に立たされても、まったく不快感を抱かなかった。
扁桃体の損傷は「個人的空間とはどのくらいの大きさか」という感覚を消し去ってしまうのだ。
扁桃体がなければ、人間は物理的な危険だけでなく社会的な危険にも丸腰でさらされる。
扁桃体が作動させる警戒用ブレーキがなかったら、人は何度でも懲りずに詐欺やペテンにひっかかることになるだろう。
恐怖の回路にはたしかに人間を悲観的な思考に押しやる欠点があるが、そうしたマイナス面を上回る有用性があることに疑いはない。
回路の反応性には個人差がある脳の回路の反応性によって、人がさまざまな状況にどう反応するかが決まる。
そして、その積み重ねから人格は形成される。
こうした反応性の相違は、ごく早い時期からあらわれる。
たとえば、ほんの小さな子どもの中にも、くすぐられればすぐに笑ったり吹き出したりする、反応性の高い子どもがいる。
そういう子どもはもうすこし大きくなると、自然によその子に近づき、一緒に遊ぶことができるものだ。
逆に内気で神経質で、いつもだれかになだめてもらわなくてはいけない子どももいる。
サニーブレインの反応性が非常に高い人は、ポジティブな状況に強く反応する。
いっぽうレイニーブレインが敏感に反応しがちな人は、どんな状況でもついマイナス面に着目し、危険を避けようとする。
たとえば、わたしの友人のひとりに、なかなか女の子をデートに誘えない人がいた。
相手に断られたり、ばつの悪い思いをしたりするのが不安だったからだ。
こんなふうに、失敗したり傷ついたりするのを恐れて、困難な状況に取り組むのを敬遠してしまう人はすくなくない。
こうしたレイニーブレイン型の人格は、心理学的には〈神経症〉あるいは〈特性不安〉と分類される。
人が状況にどう反応するかは、それぞれの人格の特性に規定される。
たとえば、歯医者に行くとき不安を感じる人は、わたしも含めてたくさんいるだろう。
映画館に行くときにイライラを感じてしまう人もいれば、高速道路で運転することに神経をとがらせる人も、あるいは地元の店に買い物に行くだけで不安でいらだってしまう人もいる。
こうした状況的な不安、いいかえれば状態としての不安を頻繁に感じていたら、それは持続的な不安度、つまり〈特性不安〉度が高いことを示す指標になる。
新しい状況や不安な状況に置かれたとき、動揺するのはふつうのことだ。
たとえば、重要な試験の会場に入る前、不安になるのは当然だろう。
だが、特性不安度がもともと高い人は日々のさまざまな、もっと他愛のない状況にも不安をかきたてられ、強い動揺を感じてしまう。
ウィスコンシン大学の心理学者リチャード・デーヴィッドソンは、こうした不安度のちがいに神経的な要素がどうかかわっているかを、脳波検査で調べてみた(23)。
不安がちで、しじゅう泣いている子どもの脳波を調べると、前頭前野の右側の活動性が左側に比べて高いことが判明した。
この右側への偏りは、大人の場合にも同様に認められた。
わたしの研究室でも、特性不安度が高い人と低い人に脳波検査をしたところ、たしかに同じ現象が確認された。
サルでさえ、脳の左右の活動度には大きな個体差があり、脳の右側の活動度が左側に比べて非常に高い個体は、左側への偏りが激しい個体と比べ、血流内におけるコルチゾール値がきわめて高いことがわかっている。
コルチゾールは不安やストレスの指標となるホルモンで、不安やストレスを強く感じていると、この値が高くなる。
不安度を測定するには脳の反応の計測は専門の機械がなくてはできない、むずかしい作業だ。
そのため心理学者は、神経症すなわち特性不安の度合いを、単純な質問票をもちいて測定することが多い。
質問票はこれまでにいくつも開発されてきたが、いちばん広く使われているのは、フロリダ大学の心理学者チャールズ・スピールバーガーが一九六〇年代に開発した〈状態/特性不安検査(StateTraitAnxietyInventory、以下STAI)〉という質問票だ(24)。
これまで世界中で使われてきたこの質問票は、今この瞬間に自分がどんな不安を感じているかという〈状態不安〉を測定する二〇の質問と、いつもどんな不安を感じているかという〈特性不安〉を測
定するさらに二〇の質問から構成される。
特性不安の項目はたとえば「わたしには自信が欠けている」というもので、これに対し被験者は、次の四つの中から回答を選ばなくてはならない。
・ほとんどまったくあてはまらない・ときどきあてはまる・たいていあてはまる・ほとんどいつもあてはまるわたしは自分の研究でもこのSTAIの質問票を日常的に用いている。
そのほかにもうひとつ、短めの質問票も独自に作成した。
これは講義の直前に学生たちに回答させ、彼らがSTAIで高い点数をとるか低い点数をとるかを大まかに予測するために使っている。
あなたの神経症の──いいかえれば、特性不安の度合いがどの程度か知るために、次のページの質問票に回答してみてほしい。
得点が高い人のレイニーブレインは低い人に比べ、ネガティブな状況に激しく反応する傾向がある。
得点が三五点以上なら、あなたの大脳皮質の活動は右側に大きく偏っている可能性が高い。
もしも前述の注意プローブ課題をあわせて行ったら、ほぼ確実に、ネガティブな写真や言葉への注意の偏向があらわれるだろう。
あなたの関心を瞬時にとらえるのは、「がん」「攻撃」「レイプ」などのネガティブな言葉のはずだ。
恐怖の回路は脅威を鋭く感知し、すみやかな対応をうながすはたらきをもつ。
捕食者や車がこちらに突進してきたとき、それに気づかなかったら大惨事になる。
だが、わずかな脅威に出会っただけで恐怖の回路が過度な警戒モードに入ってしまうなら、それはその人の特性不安度が高いことを示す証拠だ。
サザンプトン大学に拠点を置くカリン・モッグとブレンダン・ブラッドレイの二人の心理学者はこのことを調べるため、危険をあらわすさまざまな写真を用いた注意プローブ課題を作成し、実験を行った(25)。
写真があらわす危険度はさまざまで、切断された肉体や殺人事件の被害者など非常にネガティブで強い恐怖をかきたてる写真もあれば、銃をもった兵士の姿など、それほど強い不安をかきたてない写真もあった。
二人の心理学者は事前に何百枚もの写真を人々に見せてそれぞれの恐怖度を評価させ、「非常に恐ろしい」「やや恐ろしい」「中立的」の三つに分類しておいた。
実験の結果、非常に恐ろしい写真にはすべての被験者が注意を引きつけられたことがわかった。
だが、それほど恐怖度が高くない写真にも注意が向かったのは、特性不安度が高い被験者だけだった。
要するに、問題は下限なのだ。
大きな危険にはだれもが反応する。
だが、特性不安度が高い人はふつうの人に比べ、警戒モードに切り替わる下限が低いわけだ。
このように小さな危機にも反応しやすい敏感なレイニーブレインをもつ人は、危険を過剰に認識し、その結果、「世界は危険に満ちている」という見方に拍車をかけてしまいがちだ。
瞬間的すぎて「見えない」危険を、認知できる人とできない人がいる先の盲視の調査に似た研究で、〈注意の瞬きのテスト〉と呼ばれる実験がある(26)。
わたしはこの実験で、正常範囲内での特性不安の相違(極端な特性不安はここでの議論からは外す)が、見えない危険の認識にどう影響するかを調べた。
わたしたちは被験者を実験室に呼び、コンピュータの画面にあらわれる一連の顔写真の中に、感情のある顔がひとつ混じっているかどうかを判定するという一見簡単な課題を与えた。
顔のおおかたは中立的な表情を浮かべているが、ときにはそこに幸福な表情の顔か、恐怖の表情の顔がひとつだけ紛れ込んでいる。
顔写真が画面にひとつひとつ、全部でおよそ一五回浮かんでは消えるスピードにいったん慣れてしまえば、この課題はそうむずかしいものではない。
ところが、被験者が注意を払うべきポイントがふたつになると、とたんに難易度は上がった。
被験者に要求されたのはまず、顔写真の合い間に顔以外の何か(花かキノコ)があらわれた場合、それを特定すること。
そしてさらに、感情を浮かべた顔が出てくるかどうかを認識することだ。
実験の結果はどうだったかといえば、顔以外の何か(花かキノコ)があらわれてから〇・五秒以内に感情のある顔が出てきたときは、ほとんどの人がそれを完全に見落としてしまった。
この〇・五秒間で起きたことはすべて、被験者の目をすり抜けていたのだ。
注意の集中は一時的に人間の目を見えなくし、ものごとを目に入らなくさせていた。
次ページの図は、この実験がどんなふうに行われるか、おおよその流れを示している。
ひとつひとつの顔が画面に映し出されるのはわずか〇・一一秒。
図の中の一連の顔写真が画面の同じ場所に順に浮かんでは消えるまでの時間は、合計一秒にも満たない。
被験者はみな、この課題を何百回も繰り返さなければならない。
表情のある顔写真が一枚も出てこないタームもあれば、恐怖の表情か幸福な表情のどちらかを浮かべた顔写真が一枚だけあらわれるタームもある。
表情のある顔があらわれるのが、キノコもしくは花の写真が消えてから少なくとも〇・五五秒が過ぎたあとなら、被験者はみなそれに気づくことができた。
だが、〇・五秒以内のときには、おおかたの被験者がそれを見逃した。
これが古典的な〈注意の瞬き〉の効果だ。
興味深いパターンがあらわれたのは、被験者を前述のSTAIテストで特性不安度の高いグループと低いグループにわけたときだ。
特性不安度の高いグループは低いグループに比べ、恐怖の表情の写真を高い確率で発見できたのだ。
むろん特性不安度の高いグループにも見落としはたくさんあったが、前に述べた盲視の実験と同じように、特性不安度が高い人々は恐怖の表情を感知する能力が高かった。
これは特性不安度の低いグループには認められないパターンだ。
幸福な表情の顔が画面にあらわれるときにはこうした差はなく、どちらのグループもほぼ毎回それを見落とした。
被験者の特性不安度が高いほど、恐怖の表情の顔写真が〈注意の瞬き〉をかいくぐって認識される確率は高くなった。
これは、彼らの恐怖の回路が強い警戒態勢にある確かなサインといえる。
これについて直接的な証拠を得るため、わたしはケンブリッジ大学の認知脳科学科のアンディ・カルダーおよびマイク・ユーバンクと共同で次の研究を行った。
脳スキャナーの中に仰向けに寝た被験者に、さまざまな表情の顔写真を見せ、脳の反応を計測するのだ。
顔写真は、怒りや恐怖の表情のものもあれば、中立的な表情のものもある。
恐怖や怒りの表情を目にすると被験者の扁桃体が発光するのは、すでにレイ・ドランらが発見していた通りだった(27)。
だが、わたしたちの実験には、顔写真の視線の向きを変えるという独自の点があった。
〈特性不安〉と〈状態不安〉のレベルを脳スキャナーで測るための工夫だ。
顔写真の視線の向きを変化させたのは、被験者が受ける恐怖の度合いを変えるためだ。
カリン・モッグとブレンダン・ブラッドレイの研究結果から、こちらを直視している怒りの表情の写真がいちばん強い脅威になることは判明している。
恐怖の表情の場合、顔写真がこちらを直視していてもいなくても、被験者はそれほどはっきりした恐怖心を抱かない。
だが怒りの表情の写真は、視線がこちらに向いていなければ恐怖感を与えないが、こちらを直視しているときは明確な脅威になるのだ。
STAIによる状態不安の強弱は、被験者の扁桃体が──つまりは恐怖中枢が──どれだけ強く活性化するかにはっきりと差をもたらした。
不安度がいちばん高い顔写真への反応には、それがいちばん顕著にあらわれた。
怒りの表情でこちらを直視されたとき、扁桃体および関連する領域──つまり恐怖の回路は、即座に活動態勢に入った。
そしてこの反応は、被験者の状態不安度が高いほど、強くあらわれた(次ページの図を参照)。
わたしたちの推測通り、STAIによる不安度の(正常範囲内での)強弱は、恐怖の回路の反応性にあきらかに関連していたのだ。
ソニア・ビショップと認知脳科学科の同僚もまた、扁桃体の活動をどれだけ抑制できるかには不安度が関連していることを、実験によって突きとめた(28)。
fMRIを用いて調べた結果、特性不安度の高い人は前頭前野にある抑制エリアを、不安度の低い人ほど効果的かつスピーディに活動させられないことがわかった。
つまり不安症の人は、恐怖中枢(扁桃体)がふつうの人より鋭敏かつ強烈に作動するだけでなく、そうした反応を抑える抑制中枢(前頭前野)のはたらきが鈍いという、二重のハンデを抱えているわけだ。
だから彼らのレイニーブレインは、潜在的な危険に非常に敏感に反応する。
恐怖の回路は危機への対処をうながすように設計されている。
だが、その反応性は人によってさまざまだ。
危険を感じるや即反応し、それが長いあいだ持続する人もいれば、非常事態が起きてからやっと反応するような回路をもつ、のんびり落ち着いた気性の人もいる。
こうした差異は、それぞれの人生で起きた出来事と、それぞれの遺伝子の構成からもたらされる。
この二つの要因がたがいに微妙に作用しあううち、個々の性格や特徴は形成されていくのだ。
恐怖の回路は強力で、危険を見つけるやいなや、脳の他のはたらきを一時的に中断させる力をもつ。
ジョンソン大統領のヒナギク広告の例に見るように、不安や恐怖に火をつけるのはいとも簡単だ。
だからこそレイニーブレインは、明るくて楽観的な気質をはぐくむうえで大きな障害になるのだ。
■「エセックス大学版・神経症尺度(EssexNeuroticismScale)」とその採点方法についてわたしが同僚とともに考案したエセックス大学版・神経症尺度は、被験者の潜在的な特性不安度を簡単に評価するものだ。
この尺度は正式なものではないが、この質問票に回答した学生146人に、スピールバーガーによる状態/特性不安検査にもあわせて回答してもらったところ、82パーセントという非常に高い値の相関関係が認められた。
つまりエセックス大学版の尺度で高い点数だった人は、スピールバーガーの尺度でも高い点をとる確率が非常に高く、逆にエセックス大学版で低い点数だった人はスピールバーガー版でも低い点になる傾向が認められた。
エセックス大学版の神経症尺度の採点方法は、自分が丸をつけた数字を加算するという単純なものだ。
ただし、質問5、7、9、10については配点を逆にする。
つまりこれらの質問項目に関してあなたが「5」に丸をつけていたら、配点は1点になる。
「4」に丸をつけていたら配点は2点。
「3」は3点のまま。
「2」は4点。
「1」は5点ということになる。
学生を対象に行ったところ、合計点の平均はだいたい24点前後で、点数が低い人は18点かそれ以下だった。
40点以上なら、非常に高いスコアといえる。
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