1収納・整理の「段取り力」
収納・整理は要・不要の判断がしやすい物から手をつける
収納や配置の段取りでまず最初に行うのは、残すのか、捨てるのかという決断だ。
収納名人と言われる近藤典子さんの例(『近藤典子の快適!生活Gメン収納編』レタスクラブ・SSCムック・SSコミュニケーションズ)で言うと、キッチンにあふれるたくさんの物を片づけるには、まず残す物と捨てる物を仕分ける作業から始める。
その際、キッチンの場所別ではなく、物の種類によって分けることがポイントだ。まず棚やシンク下、食器棚回りの食品を全部出す。
賞味期限があって、要・不要で悩むタイプの人でも、迷う余地なく仕分けをすることができる。要するに片づけのウォーミングアップということだ。
私は片づけが苦手だが、一番恐ろしいのは生ゴミだということは知っている。食品は必ず腐る。
本や衣類はいくらあふれても深刻な事態にならないが、部屋のどこかに食べかけのものが残っていると、ウジがわいたり、ゴキブリが集まったり、大変なことが起きる。
私も学生時代、そういう経験があって、生ゴミだけはチェックする生活をしていた。冷蔵庫があるとついつい食品をためこむので、最後は冷蔵庫を靴箱にしてしまうという荒技に出た。
生ゴミの元となる食品自体を置くことを放棄したのだ。よくそれで暮らせたと思う。
迷わず仕分けができる食品群が終わったら、次に、よく使っている物、使っていない物が判断しやすい調理器具に手をつける。
そこがポイントだ。ただし、あくまでも物別に片づけていくこと。要するに頭の整理がしやすいのだ。その次に食器、雑貨の順に片づける。
最後になぜ密閉ケースかというと、多くの人が必要以上のケースを貯めこんでいるので、残った収納スペースに合わせて調整しながら捨てることができるからだ。
最初に迷わず仕分けできる物からやり始める、これがキッチンや部屋の収納のコツだ。これは、書斎や仕事場の整理法にも通じる。
『「超」整理法』(野口悠紀雄著・中公新書)は、時間がたったら捨てるという原理だった。
物ごとに寝かせておく期間を決め、その期限を過ぎたら捨ててしまう。トヨタの経営もその方式だ。一年に一度か二度しか使わない物はリースですませる。
それが多少高いリース代であっても、いらない物、あまり使わない物は社内に置くなという方針だ。
「権利の上に眠れるものは、その権利を保障されない」という法律の格言がある。
権利を保障されていても行使しないと権利を剝奪されるという意味だが、要するに整理・収納術においては、あまり使わなかった物は、いくらいい物でも捨てていくということだ。
これは紙の整理にも通じる。そのときは大事だと思ってしまっておいた資料でも、3年たってそれが出て来ると、全部いらない。3年間見なかったということは必要ないということだ。
身体知や経験知のしみ込んだものを優先するもっとも、私は物を捨てる習慣のない家に育ってしまったので、やはり捨てるのが苦手だ。
捨てずに物に埋もれていくことが、一種の精神安定になってしまっている。人間にはすっきり整理されているほうが安定するという人と、物に囲まれているほうが安定する人がいる。
私は家具メーカーの家に生まれた宿命か、家中を家具や物で埋めつくさないと安心できない。どこに引っ越しても部屋を家具でいっぱいにしてしまう。そのほうが落ちつくのだ。
旅館に着くと、まず部屋に自分の荷物をばらまき、空間を自分の物で満たす将棋の羽生名人と同じだ。
しかし、物で埋めつくされているように見えても、なんとか暮している。よく使う物とほとんど使わない物に自然に分かれてくる。よく使う物をより磨いていくのはスポーツと同じ考え方だ。
テニスで言えば、サーブやフォアハンドは毎回打たなくてはいけない。そういうものはかなり重要なよく使う器具のようなもので、技術を磨く必要がある。ところがバックハンドスマッシュは、10試合に1回も打たないような技術だ。
私はその練習をせっせとやっていたことがある。今思うとまったく無駄なことだった。そういう無駄をせず、優先順位を決めて、そこに絞り込み、あとのものは切り捨てていく。
整理整頓の基本的な原理はそこにある。まず、許される時間の期限を物ごとに決める。食品の場合で言う賞味期限だ。要するにその場所を占拠していてもいい有効期限とでも言おうか。
もらいものの食器のように、自分が欲しくて買ったものではない物に場所を占拠されているとしたら、そういう物は処分していく。そして自分の身体知、経験知がしみ込んだ使いやすい物は大事にする。
たとえ新品の物でも自分が使いにくければ捨て、古くても身体知がしみ込んだ物は価値があると考え、とっておくのがいいと思う。
財布でもいい物を買って長くもたせるのが賢いと思うのだが、それはその財布に使い方の経験知や暗黙知が全部つまっているからだ。
そういう物を大事に残していくと、使うことによって経験が呼び覚まされ、自分にとって使いやすい状況がさらに作られていくのだ。
2書く「段取り力」
まず3・3・3でテーマを絞り込む
私はものを書く前に、まずテーマをはっきりさせるために、自分の脳みそにあるものをテーマごとに全部吐き出す作業をする。
それも人と話をしながら、紙に単語やキーワードを書いていく。1人でやってもいいのだが、自分だけで眠っている経験知を引きずり出すのはけっこう疲れる。
人にいてもらうとテンションが上がって、ひらめきやすくなる。人と話すことで気づきを生む、「マッピングコミュニケーション」というやり方だ。
学者の中には、最初に結論となるテーマを決めて、そのテーマからトップダウン式におろしていく「ピラミッド方式」のほうが効率的だと言う人もいるが、私はカオス的に吐き出す作業のほうがクリエイティブだと思う。
ピラミッド式にやっていく場合の脳みその働き方は、どうしても早く秩序に行きすぎてしまう。すると、とんでもないアイディアが入り込みにくくなってくる。
しかし最初は秩序を求めず、蜘蛛の巣のように、あるいはどこからでも繁殖していく菌類や地下茎という感じでイメージを増殖させていき、蜘蛛の糸の限界までイメージを出しつくしてから配列し直すと、飛躍したアイディアも取り込める。
ピラミッド方式より時間はかかるかもしれないが、ひらめきや創造性が無駄にならない。そしてネタを全部散らし終わったら、今度はそれを大きく3つのグループに分ける。あるいはその中のベスト3を選び出す。
ベスト1ではなく3にするのは、1つに絞るとけっこうまともなものを選んでしまい、斬新なものが落ちてしまうからだ。3つという数に絞り込むことが必要十分条件だ。それをキーワードにして、3つの章を立てる。
各章は重なり合わない構成にするから、ちょうど柱が3本立っている形になる。
柱が2本だと建物は倒れてしまうし、4本だとしっかり立つが、必要最小限ということで考えると、三脚のように3点で立っているのが一番シンプルで分かりやすい。
しかしその3本が直線状に並んでしまうと、つまり似たような柱を立てると、倒れてしまう。「努力」と「やる気」と「根性」のような立て方だ。
一方「心」「技」「体」のような上手な立て方をすると、文章はしっかりする。ここで注意したいのは、どんなものでも3つに絞り込むことが重要だということだ。
5つに絞り込もうと思えば5つにできるし、2つにも1つにも絞り込めるものでも、3つに分ける。1つに絞り込むと抽象的になりすぎてしまうし、5つにするとメリハリがなくなる。
とりあえず3という数字でまとめ上げていくことで、いらないもののグレードをはっきりさせることができるのだ。
そして、各章ごとに3節立て、さらに各節ごとに3項目立てるという具合に、3・3・3で分けていく。
すべてが3つずつ機械的に分けられないときもあるが、いちおうそれを基本として、パソコン上に数字を打ち込んでおく。
つまり、1-1、1-2、1-3、2-1、2-2、2-3、という要領だ。
そして雑多に書いたマップの単語を、章や節にあてはめて配列し直す。
マップのほうはアトランダムに空間的に散らばっているから、それらを順序立て、秩序立てるという作業をするわけだ。
そのとき、いろいろな項目が相互に重なり合わないように、似たような言葉はひとまとめにする。
こうして、単語を章ごとに振り分けることができたら、あとはどこからでも、自分の書きたいところから書いていく。
1章から書き始めて順番に最後までを書くとなると、どこか自分が苦手なところが出てきたとき、詰まってしまう。
そうではなく得意なところ、やりやすいところから埋めていく。ちょうどおいしいものから食べていくという感覚だ。すると、半分くらいはあっという間に埋まってしまう。
ここまで来ればしめたもので、あとは最初から順番通り書いていってもいいし、章によっては興が乗ってふくらんでしまえば、それを分離させて、再構成することもできる。
拙著『読書力』(岩波新書)では完璧に項目を決めてやった。小項目主義というコンセプトでどこから開いても読める本にするためだった。
『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書)のときは、徒然草と村上春樹の章を別立てにした。
もともとはある章の一部に含まれていたのだが、その要素が大きくなりすぎて、一つの章に収めるよりは独立させるほうがクリアになると思ったので、別々にしたのだ。
つまり育ちすぎた木を植え替えたわけだ。
このように流れの中で出てきた考えや、ふくらんできた要素を摘み取らないで育てていく構造にした上で、自由な発想がどんどんわいてくるような、つまり木が育って伸びていくような生き物の要素を組み合わせていくのが、書く段取りのいい例だ。
3色ボールペンを使えば、誰でも即書けるようになる書くのがどうしても苦手という人のために、もう少し簡単に書ける段取りを説明しよう。
まず前提として、書く行為は読む行為と極めて親和性が高いことを認識すべきだ。だから書く段取りが苦手な人は、まず読む行為からスタートし、その延長線上に書く行為を置けばいい。
どういうことかというと、まず本や資料を読んで、気になる部分や重要だと思う部分に3色ボールペンで線を引く。
そして線を引いた部分を「かぎかっこ」で引用して、パソコンに打ち込む。同時になぜそこに線を引いたのか、つまりなぜ面白いと思ったのかも書き込んでおく。
すると引用+コメントである種のまとまりができてくる。引用だけで、全体の1、2割は埋まるだろうから、精神的にも安心する。
文章は最初の2割までがつらい。でも2割を超えてしまうと、マラソンと同じで途中からはリズムに乗っていける。
走り出しのローギアーからセカンドギアーに切り替えるところが一番エネルギーを使うのだが、そこのところを「引用」という形で人にやってもらえるのだから、これは楽だ。
どの部分を抜き出して引用するかは、その人の読みの力や経験と直結するから頭を使わなければならないが、それでも引用なしでゼロから書く
よりはるかに楽だし、それについてコメントするのも比較的楽なはずだ。少なくとも、本はすでに文字になっているからコメントも文字にしやすい。
それに対して、一番困難で頭を使うのは自分の身の回りに起こった出来事を文字化し、面白おかしく書くことだ。
しかし世間では、知的な本を上手に引用しながら書いたほうが、自分の身の回りの出来事を苦労して文字化するより高級だと評価する傾向がある。
頭の働きとしては大したことがないのに、評価は高いのだから、引用したほうが絶対得である。引用するテキストは1冊だけでは淋しいので、とりあえず3冊くらいは用意する。
読みながら3色ボールペンを使って線を引いていけば、読んだということがすなわち書くことに直結していくので、安心して読んでいける。
先の見通しも立つだろう。また最後の落ちを決めて書くことも、書く段取りとしては重要なポイントだ。
しめの一文や全体を要約する一文を思いつき、それを冒頭に持ってきてあとはそれを説明する、というやり方を私はする。
最後に持ってくるのも一つの方法だが、忘れてしまうこともある。日本人の多くは前置きが長くなってしまう悪い癖があるので、なかなか本丸に行き着けない。
最初に結論を持っていけば、途中で枚数がつきても大事なことはいちおう冒頭で言ってあるので、安心できる。
つねに本丸から攻めるというのは書く段取りで大事なことだ。
文章を書くとき、どうしても作家のように一行書いては紙をくしゃくしゃにして、頭をかきむしるイメージがあるが、段取りとしては苦しい。
今はもうパソコンの時代だ。いくらでも挿入、分割、編集ができるのだから、最初の一行目から書かなくてはいけないということはない。
作文でも最近は自由に感想を書くというやり方が主流だが、書くやり方をまったく教えないと、自由に書こうにも限界がある。
むしろ昔のように、書く手順をちゃんと指導したほうがたくさん書けるのである。
私は子どもに作文指導をすることがあるので分かるのだが、自由に書けと言うと、書けない子は全然書けない。
ところが準備作業をして段取りを組んでおくと、どの子もある程度は書けるようになる。
その段取りとは、まず本を読んで3色のボールペンで線を引かせることから始まる。
一番重要だと思うところは赤、重要だと思うところは青、自分が面白いと思ったところは緑で線を引く。
そしてまず赤線を引いたところをノートに書き写させて、なぜ赤線を引いたか、理由を書かせる。
次に緑のところを写して、なぜそこが面白いと思ったのか書かせていく。
どこが重要か線を引くことは、どの子にもできる。
自分が面白かった部分に線を引くこともできる。
もちろん、それを書き写すことも機械的にできるし、なぜそこに線を引いたかを説明することもできる。
そこでまず口で理由を言わせ、それから作文を書かせると、どの子どもでも相当な分量を書くことができる。
軽く原稿用紙4、5枚を書いてしまう子もいるくらいだ。普通にしていたら、そんなに書く子は出てこないだろう。私は世の中の情報はすべて3色に分かれると思っている。
このことは『三色ボールペン情報活用術』(角川oneテーマ21)に書いたが、どういうことかというと、赤は非常に重要な情報、青はまあまあ重要な情報、そして緑は客観的に見てそれほど重要な情報ではないが、自分から見て主観的に面白い情報である。
それ以外の引っかからない情報はすべて黒として流してしまう。私は本や資料を読むときは必ず3色ボールペンを持ち、線を引きながらチェックしている。活字を見ると、条件反射のように3色ボールペンでチェックせずにはいられない。
なぜ色分けをするかというと、色は匂い、味、性別による識別などと同様、脳の一番原始的な部分に働きかけているもので、強く印象に残るからだ。
たとえば人と会ったとき、どんな人だったか、何歳くらいだったかは忘れても、男だったか女だったかは忘れない。
色も同じだ。
信号機がそのいい例だが、「行け」「注意」「止まれ」が文字だけで出ていたとすると大変危険だ。あれが「青」「黄」「赤」の色に分けられているからこそ瞬間的に判断ができる。私は書くときも読むときも、できるだけ脳の根源的な部分に働きかける道具や手法を使うようにしている。
そのほうが思い出すのが楽だからだ。
トラブルに強い「3」の段取りを作る話は横道にそれるが、「3」という数字の持つ意味は大きいという話を、大工道具を作っているメーカーの人に聞いたことがある。
たいていの製品はSMLの3種類を作っておけば大丈夫なのだそうである。
1種類、2種類だけでは少なすぎて苦情が来るし、4種類、5種類に増やしていくと、メーカー側が大変になってしまう。
SMLと3種類用意しておくと、消費する側も作る側も両方のニーズを満たせるという。段取りもとりあえず「3」の概念で大づかみにとらえておくと、いろいろな状況に合わせて対応できる。
つまりトラブルに強い段取りが組めるわけだ。トラブルはつねにある。
完璧に段取っていても、何かのアクシデントで急に仕事が中断されたり、病気になったり、いろいろなリスクが考えられる。
トラブルが起きたとき、すぐに修復できる強い段取りを組む力が大切だ。そのためには細かな段取りや順番にとらわれないことだ。ミクロなことにこだわると、そこで滞って次に進まなくなってしまう。そういうものはすっ飛ばして、とりあえず骨だけしっかり押さえておく。
これは試験の勉強法と同じだ。
配点の軽い最初の問題でつまずいて時間をとられてしまうと、肝心の配点が高い問題まで行き着けない。
そうではなくてイメージとしては、三脚を立てるように大事なポイントを押さえて、そこから細かい部分にらせん状に進んでいく。
もし途中で倒れたとしても、三脚の基礎部分は残るだろう。それがトラブルに強い段取りだ。つまり「段取り力」とは時間的な順番を作るというより、むしろ重みづけが中心になる。
3コミュニケーションの「段取り力」
空間配置と「偏愛マップ」を意識する
何人か知らない人が集まる会議があったとする。段取りとしてはまず最初に自己紹介をするだろう。そのとき紙に自分の席から見た空間配置と名前、所属、特徴を書いておけばいい。
しかし、これをする人が少ないのにはいつも驚かされる。空間配置をメモしておかないと、一周回った時点で誰が誰だったか分からなくなってしまう。
それでは自己紹介の意味がない。大切なのは、空間配置で認識することだ。名前を縦に順番にメモしていくだけではイメージがわきにくい。
とても面白い意見が左のほうに座っている人から出た、というように空間は色や匂いと同様、認識されやすい感覚である。
人をまず自分から見た空間配置で認識し、名前と配置を書いてその人の意見を名前の近くにメモしていくと、誰からどんな意見が出たのか、が分かる。
名前つきでその人の意見を引用しながら話をすれば、対話が一つの織物のようになる。まずは相手の存在をきっちり認知することが、コミュニケーションの段取りのスタートだ。
そもそも座るときに空間の配置が大切で、最初に机が並べられたままの状態で始めてしまうと、非常に効率の悪いままで会議をすることもある。
大きい会議室でお互い3メートル以上離れて会話をするのはかなり苦しい。中身を濃くしようと思っても無理だ。そういうときはもっとコンパクトに座り直すよう、最初に配置を組み替える。
それが段取りとしては大切だ。要するに、ポジショニングの感覚だ。座る位置は大きな構造と言える。
そこがエネルギーの有効利用にとって一番重要なポイントだが、多くの人は机や椅子を動かさない。
前の人が使ったままの状態で始めてしまうが、その配置は自分たちの人数や組み合わせや、やるべき仕事の質から見て最適とは限らない。
いつも自分の都合のいいように、配置を組み替えることが重要である。
さて会話が始まったら、最初は相手の好きなものについて語る。
人は自分の好きなものに対して語るのは楽しい。
私は自分の授業で、お互い自分の好きなものをぎっしり書いた「偏愛マップ」を作らせておいて、それを相手に見せながら話をする方法をとっている。
するとお互いに好きなものについて聞きながら会話をするので、つねに笑顔が絶えない。
初めて会う人同士でも、数分でかなり楽しい会話ができる。
これがないと「よろしくお願いします。えーと、何から話しましょうか」ということになるだろう。「偏愛マップ」は潤滑油というか、最初に会話の滑りをよくするシートのような存在だ。
現実の対話では互いに「偏愛マップ」を出し合わないが、そういう紙が相手の中にあることが分かっていれば、それに糸を垂らしてみることはできる。
何本か糸を垂らしているうちに、そのうちの一本に魚がかかってくれば、対話の糸口になる。そういうイメージで好きなものについて語り合うことが、コミュニケーションの段取りの基本だ。
食事をしながら対話をするのは、その典型例だ。食事は、次から次へと出てくる食べ物が共通のテキストになる。共通の経験をしているものに対して語るということで、きっかけがつかめるのだ。
4仕事の「段取り力」
1日を90分のブロックで区切り、3色に分類する私の手帳を見ると、予定が3色に分けて書き込んである。
つまり私の仕事のやり方は1日を3色に分けているのだ。緑のない1日はつらい。緑というのは自分が楽しいと思う仕事、または遊びだ。
どうしても外せない用事、たとえば講演会など行かないと人に迷惑をかけてしまう仕事は赤で書いてある。「まあ大事」といったレベルの用事は青だ。
青、赤、緑の配分を上手にすると仕事はかなり進むようになる。それから仕事や用件をブロックで区切ることも、効率的に仕事を進める上で重要だ。
だいたい1時間半くらいのブロックが適当だろう。授業も90分、つまり1時間半がほとんどだが、そのくらいが集中力が続き、かつまとまった仕事ができる最適な時間だと思う。
そのブロックを1日のうちでいくつかに割り振り、ブロックごとに赤、青、緑で囲んでいく。そう考えると、時間割はなかなか優れた考え方だ。
私たちは学校教育でずいぶん鍛えられているが、時間割は馬鹿にできないパワーを持っている。たぶん時間割を持っている民族と持っていない民族が戦争をしたら、持っている民族が勝つのではないかと思う。
私たちは時間に縛られない自由な感覚をつねに求めているが、しかし段取りよく物事が進むと気分がよく、自由な感じを味わえる。
つまり上手に時間が割り振れると、とても快適で自由な気持ちになれるというわけだ。
たとえば1日実働12時間あったとして、それをブロックごとに分けないでずっと1色でやってしまうと、意外に人は仕事をしない。切迫感がないので、最初の5時間くらいはさぼってしまう。
その結果、予定の仕事のいくつかはその日のうちにこなせないことになってしまう。
しかし時間割りのようにブロックごとに分けておけば、さぼっていると次のブロックの仕事が来てしまうので、そこまでに一応のけりをつけなければならない。
けりをつけるとは後戻りしないところまで進めて仕事を終えることだ。
けりさえつけておけば、ブロック内で完全に仕事を終えることができなくても、次の機会にまたそこから再開することができる。
段取りというのは階段を上っていくようなものだから、下がらないところまで進めておかないと、沼地のようにずぶずぶと沈んでまた最初から始めなければならない。
それではまずいので、仕事をいったんレジメ化してそのブロックを終えるのが、けりをつけるということだ。
たとえば考えた項目を構造化して、章だけでなく、もう少し細かい内容まで詰めておく。
すると、それから1、2週間、間があいても、思い出すきっかけがその項目にたくさん入っているので、継続して仕事に取りかかることができる。
フォーマットを作るフォーマットを作る強さと仕事の「段取り力」は、密接に関係している。何かについて一生懸命取り組んで成功したら、そこからフォーマットを引き出すということだ。
仕事は最初に一つやり遂げることが大変だ。新しい体験はあまりにも効率が悪い。段取りとしては最初の1回目はチャレンジと割り切り、脳みそを使い果たして一つ結果を出す。
それができたら、次は別のものを入れて、同じ作業をやってみる。すると今度は格段に速い。半分以下、場合によっては3分の1くらいの速さでできてしまう。
そこでうまくいったら、その成功体験を型にして材料を入れ替えてみる。するとどんどん速くなっていく。
フォーマットを出すまでが大変だが、一度できてしまえばあとは無駄が少なく資料集めができる。
情報はある程度見通しを持って集めないと、よけいなものまで集めてから整理して考えることになり、効率が悪い。
仕事の段取りとしては、まず自分たちに必要な情報とは何かについて追い込むことが大切だ。次に集まるときには、分担して絶対必要な情報だけを持ち寄る。
つまり情報の精度を高めていくのだ。精度の高い情報なのか、そうではないのかは情報の側にあるのではなく、こちらの意図にあるわけだ。
こちらのデザインがはっきりしていれば、そこにはまるべき情報の条件がはっきりする。
その条件に引っかかったものだけをザルのように取っていくことができる。情報を集めるときの基準をクリアに共有してやるのが、仕事のコツだ。
5会議の「段取り力」
具体的かつ本質的なアイディアを出す会議は複数の人とやるので、お互いに時間を調整するのは大変だから、一緒に会った時間は純粋に作業にあてるべきだ。
あらかじめ共通したテーマに関する材料を持ち寄り、その場で材料をあれこれ動かしながら進めていくのが会議である。
その貴重な時間を「これからどうしていこうか」という手続き的な確認で浪費するのは時間の無駄だ。
あるいは共通のテキストやネタがなく、言葉を空中でやり取りしているだけではほとんど前に進まない。そういうときは最低限、2人か3人の間に紙を置くか、ホワイトボードを使う必要がある。
文字は非常に優れた性質を持っているので、作業を定着させるためにはホワイトボードを使って会議をするのが基本だ。皆が何かを共有して次に行く。
そこで出たアイディアに軽重をつけ、今日の収穫はこれとこれといった具合に確認しあい、今日は貴重なアイディアが1つ2つ出たから、この1時間半は収穫があったという終わり方をするのが、建設的な会議の段取りだ。
これを間違うと、記録が議事録のようになってしまう。議事録は必要なときもあるが、少なくとも会議の前に読み上げる必要はない。
よく「これは前回の議事録です」と言って、愚にもつかない意見も全部入っている議事録を延々と読み上げることがあるが、これは時間の無駄だ。
多くの会議や会合は、意見を残そうとするから駄目なのだ。これは私の持論だが、意見を言っている暇があればアイディアを出せ、ということだ。
反対意見を言うなら代替案を出してほしい。物事はつねにアイディアで乗り越えていかなければならないものだ。
それが分かっていればねらいがはっきりするので、作業に無駄がなくなる。
現実を乗り越え、課題をクリアするアイディアをどう生み出すのか……人がわざわざ集まって会議を開く目的もすべてそこにかかっているわけだから、ぐだぐだと状況を説明したり、一般論を述べたりする時間が無駄だということが分かる。
そういう意味では会議をするときの段取りは、具体的かつ本質的なアイディアを出していくというねらいをはっきりさせることだ。
図①の座標軸を見てほしい。
Aゾーンが具体的かつ本質的なゾーンで、ここが求められるアイディアのストライクゾーンだ。
Bゾーンは具体的かつ瑣末なアイディアで、これは脈絡のない思いつきや情報のようなもの。
たとえば報告事項の類がこれに該当する。
Dゾーンは本質的かつ抽象的なもので、単なる意見の類がこれに該当する。
会議では具体的かつ本質的なAゾーンのアイディアをたった一つでもいいから出す。それが出せれば、その一打ですべてが変わることもある。そういうアイディアが出せれば、会議の意味がある。
子どもたちに読書を勧めるには?これは余談だが、私は子どもたちに読書を勧める会議に参加したことがある。そこで出されたのが、「なぜ読書をしなくてはいけないか、を考えよう」という意見だった。
私に言わせれば「これは読書を推進するために作られた会議なんだから、そもそもそういう議論は省いて出発するものではないか」ということだった。
だがその人は「読書なんかしてもしなくても関係ない」という意見で、なかなか私の言うことを分かってもらえなかった。
結局、私は読書を勧めるために「通知表に読書欄をつける」というアイディアを出した。それがどれほど画期的なアイディアか分かるのは、マーケットにさらされている人だろう。
ある人は「PTAの意識を高める」という意見を出したが、いったいどうやってPTAの意識を高めるのだろうか。
常に必要なのは具体案だ。
通知表に性格、素行の欄があるように、あるいは教科の欄があるように、読書の欄を設けたら必然的に親の意識が変わる。
教師の意識も変わる。意識を高めようとか、がんばろうという抽象的なことではなく、その一手を打てば、すべての意識が変わっていくのだ。
その具体的かつ本質的なツボを探すために脳みそを使うのだ。
しかし私の意見に対して、「そういうことは強制的だから危険がある」とか「安直だ」と反対意見が相次いだ。
「影響がありすぎて、しかも安直である」。
最高のほめ言葉だ。何が悪いのだろう。
会議に出ていた数学者の藤原正彦さんは「そのアイディアさえ出せればよかったのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう」と言ってくださった。
アイディアを批判するのは簡単だが、それでは何も生み出さない。アイディアの批判は、別のアイディアを出すことによってなされるべきだ。
どのアイディアが具体的かつ本質的であって決定打になるのか、分かるセンスも必要だ。それがあればアイディアを思いつくことができる。仕事とはそういうものだ。
コメント