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第三章具体的である

ある夏の暑い日、キツネがブドウ畑を歩いていた。

ふと見ると、高いところによく熟れたブドウがなっている。

「ちょうどいい、喉がカラカラだったんだ」。

キツネは二、三歩さがって助走し、ブドウに飛びかかった。

だが届かない。

引き返して、今度はもっと勢いをつけて助走し、再び飛びかかった。

また失敗。

キツネは何度も何度も飛びかかった挙句、疲れ果てて諦めた。

キツネは何くわぬ顔で立ち去りながら、こう言った。

「どうせあのブドウは、酸っぱいに違いない」 手に入らないものを蔑むのは簡単だ。

この『キツネとブドウ』は、イソップの寓話だ。

古代ギリシャの歴史家ヘロドトスによると、イソップは奴隷だった(後に解放される)。

彼は世界史上、最も記憶に根付いた物語をいくつも書いた。

『ウサギとカメ』、『オオカミと少年』、『金の卵を産んだガチョウ』、『羊の皮を着たオオカミ』など、イソップの代表的作品は誰もがどこかで聞いたことがあるはずだ。

本書では数々の逸話や物語を紹介しているが、数千年後にまだ語り継がれているものがあるとすれば、それはたぶん『キツネとブドウ』だろう。

英語圏の人なら、『キツネとブドウ』を知らなくても、この話の教訓を表した「酸っぱいブドウ( sour grapes)」という表現は知っているはずだ。

ハンガリーにも、「酸っぱいブドウ」という意味の「 savanyu a szolo」という言葉がある。

中国では「手が届かないブドウは酸っぱい」と言う。

スウェーデン語ではやや地域色が加わり、「あのナナカマドの実は酸っぱいと、キツネは言った」となる。

イソップはまぎれもなく、あらゆる人間が持つ弱点を示した。

人間性にまつわる深い真実を伝えた寓話でなければ、二五〇〇年以上も生き延びるはずがない。

だが、同様に深い真実でも、さまざまな文明の日常的な会話や思考に必ず浸透するとは限らない。

イソップの真実がことのほか記憶に焼きつくのは、記号化のしかたによる。

ブドウ、キツネ、酸っぱいブドウに対する負け惜しみといった具体的な情景を想起するからこそ、このメッセージは生き残った。

これが「失敗しても負け惜しみを言わないこと」などという「イソップの有益な助言」だったなら、アイデアの寿命はもっと短かったはずだ。

世界は、多くの寓話を求めている。

インターネットの風刺的なサイトに「ビジネス用語作成表」なるものが紹介されている。

三つの語群から一語ずつ選んで並べると、「相互・コストベース・リエンジニアリング」、「顧客志向的・ビジョナリー・パラダイム」、「戦略的・物流・価値」などの造語ができあがる(どの言葉も妙にそれらしく聞こえるから不思議だ)。

教師には教師向けの専門用語がある。

「メタ認知技能」、「内因性動機づけ」、「ポートフォリオ評価」、「発達上適切」、「テーマ学習」などだ。

医師に至っては、例を挙げるまでもないだろう。

私たちのお気に入りの医学用語は「特発性心筋症」だ。

「心筋症」とは患者の心臓に何らかの問題があるということで、「特発性」とは「その患者の心臓が機能しない理由がわかりません」ということだ。

言語は抽象的になりがちだが、生活はといえば、抽象的なものではない。

教師は戦争や動物や本について生徒に教え、医師は胃や背中や心臓の病気を治す。

企業はソフトウェアを開発し、飛行機をつくり、新聞を配達し、昨年のモデルより安く、速く、高性能な自動車をつくる。

どんなに抽象的な企業戦略も、最後は人間の具体的な行動に落とし込まれる。

そうした具体的な行動は、抽象的な戦略の説明より理解しやすい。

ブドウにケチをつけるキツネの方が、人間心理にまつわる抽象的な助言よりわかりやすいのと同じだ。

抽象的であれば、アイデアの理解や記憶が難しい。

同じ抽象的表現でも人によって全く違う解釈をすることがあるから、他人の行動と調和させるのも難しくなる。

具体的であれば、こうした問題を避けられる。

これこそ、イソップが私たちに残した最大の教訓かもしれない。

目次

自然管理委員会

自然管理委員会(ザ・ネイチャー・コンサーバンシー、 TNC)は、五〇年にわたり、世界各地の希少な自然環境をごく簡単な方法で保護してきた。

その方法とは、対象となる土地を買い上げることだ。

市場価格で土地を購入し、開発や森林伐採など環境を破壊する用途を禁じる。

TNC内部で「ドルとエーカー」と呼ばれるこの戦略は、寄付者や後援者にも受けがよい。

自分たちの寄付の成果が手に取るようにわかるからだ。

高額の寄付をすれば、広い土地を買うことができる。

少額の寄付なら、狭い土地を買うことができる。

ある寄付者の言葉を借りれば、 TNCは「自分の足で踏みしめることができる成果」を生み出した。

二〇〇二年、 TNCカリフォルニア支部の最高執行責任者( COO)であるマイク・スウィーニーは、大きな試練に直面していた。

カリフォルニアには重要な自然環境が多くあり、 TNCにとってとりわけ重要な地域だった。

同州は世界に五つしかない地中海性気候地域の一つだ(他の四つは、南アフリカのフィンボス、チリのマトラル、オーストラリアのクウォンガン、そしてもちろん地中海沿岸)。

これら地中海性気候圏が世界の陸地面積に占める割合はわずか二%だが、世界の植物種の二〇%以上がこれらの地域に生息している。

地中海性気候地域の土地を買えば、同じコストでより多くの種を保護できるわけだ。

二〇〇二年、スウィーニーらはカリフォルニアの地図を広げ、自然破壊が危惧される地区に色を塗った。

驚いたことに、地図の四〇%が塗りつぶされた。

これではお手上げだ。

こんなに多くの土地を買う資金はない。

とはいえ、同州の九%は「危機的状態」に分類されている。

九%でも広すぎて買えないが、どこも環境的に重要な地域だ。

TNCとしては、あっさり諦めるわけにいかない。

そこで彼らは新たな手法をとり入れた。

「ドルとエーカー」戦略はこれほど広大な土地には通用しない。

そのため、土地を所有する代わりに、危機的状態の地域を確実に破壊から守ろうとした。

地主から「保護地役権」を買い取り、土地開発をさせないようにするのだ。

州や地域に働きかけて政策を変え、私有地と公有地の環境保護を促す。

土地のように買い取ることのできない重要な海域にも応用する。

この新戦略は理にかなっていた。

これなら「ドルとエーカー」戦略よりも広い面積を保護できる。

だが、難点もあった。

寄付する側にとって、この戦略は具体性に乏しかった。

いくら政府が望ましい規制を定めても、寄付者はそれを「踏みしめる」ことはできない。

さらに、 TNC職員の士気が低下するおそれもあった。

成果が目に見えないからだ。

土地の買い取りだけやっていた頃は、「取引さえ成立すれば、祝うことができた。

『ジョンとメリーがどこそこの土地を手に入れた』と発表し、彼らをねぎらえばよかった」 と、スウィーニーは言う。

こうした「画期的瞬間」は士気の高揚に役立つ。

だが、新しいやり方では、そんな瞬間がなかなか訪れない。

新戦略にもっと具体性を持たせるには、どうすればいいのか。

あなたがこの状況に立たされたら、どうするだろう。

曖昧になりがちな状況の中で、「ドルとエーカー」戦略がもっていた具体性を取り戻す方法はあるのだろうか。

カリフォルニア州の四〇%(最低でも九%)を保護しなければならないのに、買い取ることはできない。

寄付者や提携先にどう説明すればいいのか。

チップはスタンフォード大学の授業でこの事例を取り上げ、具体性を持たせる方法を話し合った。

学生たちからは、こんな案が出た。

大きすぎて達成不可能な課題(カリフォルニア州の四〇%、危機的状況の土地が九%)を、もっと具体的な「小目標」に分割する。

例えば「今後二〇年間、毎年カリフォルニア州の二%を保護していく」というふうにだ。

また、「エーカー」のように理解しやすい単位を用いる案も出た。

米国人ならたいてい一エーカーがどれくらいの広さか想像できるからだ。

だが、カリフォルニア州の二%でも約二〇〇万エーカー。

スケールが大きすぎて、実感がわかない。

抽象的な大目標を具体的な小目標に分けようとするのは賢明だ。

これは正解である。

だがこの場合、数字が大きすぎた。

それに、面積で考えるのは、必ずしも最良ではない。

一五〇〇エーカーの土地の方が九万エーカーの土地よりも環境的価値が高い場合もある。

「一年に何エーカー」という考え方は、美術館の学芸員が作品の時期や様式、制作者にはおかまいなしに「一年に絵を何枚」入手しようとするのと同じだ。

では、 TNCはどうしたか。

彼らは土地の面積ではなく「景観」を語ることにした。

景観とは、独特の環境的希少性をもつひと続きの土地のことだ。

TNCは今後一〇年間に五〇の景観を保護するという目標を立て、そのうち二五カ所を緊急優先課題とした。

「年に五つの景観」は、「年間二〇〇万エーカー」より現実味があるし、はるかに具体的だ。

シリコンバレーの東に、茶褐色の丘陵地帯がある。

ヨセミテ並みの原生自然へと続くこの丘陵地帯は、サンフランシスコ湾の重要な分水界だが、シリコンバレーの拡大で急速に開発が進んでいた。

生態学的には重要な地域だが、セコイアの森林や海岸地区のように心を打つ美しい風景はない。

草に覆われた丘陵のところどころに、オークの木が数本生えているだけだ。

草はいつ見ても茶色い。

スウィーニーも、ここの景色があまり魅力的でないことを認めていた。

未開発地の保護に関心をもつシリコンバレーの地元団体でさえも、この茶色い丘陵は眼中になかった。

だが、スウィーニーは言う。

「われわれは、景色がきれいだから守ろうとするわけではありません。

自然界で生態学的に重要な位置を占める土地だから守ろうとするのです」 TNCはオークが点在するこの草原を「ハミルトン山原生自然地区」と名づけた(ハミルトン山はこの丘陵地帯において最も高い山で、展望台もある)。

ひと続きの景観として特定し、名前をつけたおかげで、この地区は地元団体や政策立案者の意識の中に位置づけられることになった。

シリコンバレーの団体は、以前からこの近辺の重要地区を保護したがっていたが、どこから手をつけていいのかわからなかったと、スウィーニーは言う。

「『シリコンバレーの東にとても重要な地区がある』と言っても、それでは具体性がなく、存在しないも同じ。

ところが、『ハミルトン山原生自然地区』と言えば、相手も俄然興味を持ってくれる」 シリコンバレーの団体で、ヒューレット・パッカードの創設者の一人が立ち上げたパッカード財団が、ハミルトン山原生自然地区の保護に高額の寄付をしてくれた。

サンフランシスコ湾岸地域の他の環境保護団体も、この地区の保護キャンペーンに乗り出した。

スウィーニーは言う。

「いつも笑うんですよ。

人の作った書類を読むと、ハミルトン山原生自然地区と書いてある。

『これは私たちが名づけたんだよね』と」 都市部の住民は、自分たちの住む地区に名前をつけ、定義づける傾向が強い。

「カストロ」、「ソーホー」、「リンカーンパーク」などだ。

こうした名称は、その地区と特徴を定義している。

地区には人格がある。

TNCはさまざまな景観を対象に、それと同じ効果を生み出した。

ハミルトン山原生自然地区は、面積何エーカーかの土地ではない。

環境保護界の「セレブ」なのだ。

この逸話の焦点は土地ではなく抽象性だ。

TNCは、地図上の抽象的で曖昧なエリアを、形のある具体的な景観へと変えることにより、「年間二〇〇万エーカーの保護」といった抽象性の罠を回避した。

状況や解決策が具体性を失っても、自分たちのメッセージを曖昧化させてはならないと気づいた TNCは賢明だった。

具体的であることは、記憶に焼きつくアイデアに欠かせない要素なのだ。

引き算の理解

何かを「具体的」にするにはどうすればよいのか。

五感で検証できるものは具体的だ。

V 8エンジンは具体的だが、「高性能」は抽象的だ。

具体的であることとは、つまるところ特定の人々の特定の行動である場合が多い。

「意外性」の章でノードストロームの一流の顧客サービスについて書いた。

「一流の顧客サービス」は抽象的だが、顧客のシャツにアイロンをかけるノーディーは具体的だ。

具体的な言葉は新しい概念の理解を助ける。

特に、相手が初心者の場合はそうだ。

抽象性は専門家だけの特権だ。

あるアイデアを大勢の人に伝えなければならないが、聞き手が何をどの程度知っているのかわからないといった場合、具体的に話すのが無難だ。

このことを理解するために、まずアジアの算数の授業を見てみる。

脂肪分たっぷりの食品の消費量を除くほとんどの面で、東アジアの子どもが米国の子どもを上回っていることは、何年も前からニュースで報じられてきた。

差が特に顕著なのが算数だ。

数学的技能において、アメリカ人は幼い頃からアジア人に水をあけられている。

小学一年生ともなると差は歴然とし、小学校の期間を通じてその差は広がっていく。

アジアの学校は何が違うのか。

アジアの学校は授業時間が長く、規律に厳しく、ロボットのように効率的に運営されているというのが米国人の固定概念だ。

東アジアの児童は「創造性」に劣るとも思っている。

アジア人の児童がアメリカ人の児童よりも優れているのは暗記力だと思いたいのだ。

ところが、事実は正反対だった。

一九九三年、ある研究チームが日本と台湾の学校一〇校ずつと、米国の学校二〇校を調査した。

各校二名ずつ算数の教師を選び、その授業を四回ずつ観察したところ、どの教師も暗記を多用していることがわかった。

どの国でも平均して授業の半分以上が暗記にあてられていた。

ところが、暗記以外のテクニックは、国ごとに大きく異なっていた。

例えば、日本のある教師はこんなふうに質問した。

「一〇〇円もっていましたが、七〇円のノートを買いました。

お金はいくら残っているでしょう」 また、台湾の教師はこんなふうに質問した。

「三人の子どもがボール遊びをしていました。

後から二人来ました。

それからまた一人加わりました。

今、何人で遊んでいるでしょう」 この教師は、話しながら黒板に棒を書き、それから「 3 + 2 + 1」という式を書いた。

これらの教師は、文房具の買い物やボール遊びといった身近で具体的な例を示すことによって、抽象的な数学の概念を説明した。

彼らの説明は、既存のイメージを利用している。

本書の「単純明快であること」の章で述べたやり方だ。

既存のイメージである六人のボール遊びの成り行きを取り出し、その上に新しい抽象的概念を重ねている。

研究者はこの質問様式を「文脈のなかの計算」と名づけた。

それは「暗記」とほぼ正反対だ。

米国人の固定概念とは裏腹に、アジアの授業でこうした質問が行われる割合は、米国の約二倍だった(アジアは全授業の六一%、米国では三一%)。

こんな例もあった。

日本のある教師が机の上にタイルを一〇個ずつ五列に並べ、そのうち三列を取り除いた。

教師は残ったタイルの枚数をある児童に尋ねた。

児童は正解を言った。

二〇個だ。

教師はその上で、この問題が引き算で解けることがわかるかどうかを児童に尋ねた。

教師は児童に引き算の視覚的イメージを提供した。

児童は、五〇枚のタイルから三〇枚のタイルを取り除く具体的な作業の様子を土台に、引き算という抽象的概念を構築することができた。

研究者はこうした質問を「概念的知識の質問」と名づけた。

この種の質問は、日本では全授業の三七%、台湾では二〇%あったが、米国ではわずか二%だった。

具体的なものを抽象性の土台として用いるやり方は、算数の授業に役立つだけではなく、理解の基本原則だ。

初心者は具体的なものを必死で求める。

学術報告や技術論文やレポートの抽象的で難解な言葉に面食らい、心の中で例を求めて叫んだことはないだろうか。

あるいは、料理のレシピが抽象的すぎて、イライラしたことはないだろうか。

「十分粘りが出るまで煮つめます」 と言われても、何分煮ればいいのかわからないし、どんなふうになるのか写真が見たい。

同じ料理を何度か作れば、感覚的なイメージがつかめてきて、「十分な粘り」の意味がわかってくるだろう。

だが初めてのときは、「 3 + 2 + 1」という式を見せられた三歳児と同じで、全く意味がわからない。

このように、具体的であることは理解を助ける。

既存の知識や認識を土台に、より高度でより抽象的な洞察が得られる。

抽象性には、何らかの具体的な土台が必要だ。

具体的な土台なしに抽象的原則を教えるのは、家を建てはじめるときに、空中に屋根を葺くようなものだ。

具体的であると覚えやすい

具体的なアイデアは記憶しやすい。

例えば、単語を考えてみよう。

人間の記憶の実験によると、人は視覚化しやすい具体的な名詞(「自転車」や「アボカド」)

アボカド」)を覚える方が、抽象的な名詞(「正義」や「人格」)を覚えるよりも得意だ。

もともと記憶に焼きつきやすいアイデアは、具体的な言葉やイメージにあふれている。

「ケンタッキー・フライド・ネズミ」もそうだし、「臓器狩り」の氷風呂もそうだ。

もし男が目覚めたときに盗まれていたものが腎臓ではなく自尊心だったら、これほど記憶に焼きつきはしないだろう。

イェール大学の研究者エリック・ハブロックは、『イリアード』や『オディッセイ』のような口承文学を研究している。

彼によると、こうした物語の特徴は、具体的な行動に富み、抽象性に乏しいことだ。

これはなぜだろう。

プラトンやアリストテレスを生んだ古代ギリシャ人が、抽象的概念の理解に苦労したとは思えない。

ハブロックは、時代を経るにつれ、物語から抽象性が失われていったと考えている。

物語が世代間で語り継がれるときに、記憶に残りやすい具体的な細部が生き残り、抽象的な部分は徐々に抜け落ちていったというのだ。

時は流れ、現代。

時代を超越したもう一つの美しい表現分野に目を向けてみよう。

会計だ。

会計学の教授は、大学生に基礎会計学を教えなければならない。

損益計算書、貸借対照表、 T型勘定、売掛金、自己株式……。

会計学は目まいがしそうなほど抽象的だ。

そこには、人間が感覚で確かめられるものも出てこない。

教師として活き活きとした会計の概念を学生に伝えるには、どうすればいいのか。

ジョージア州立大学の教授、キャロル・スプリンガーとフェイ・ボーシックは、全く新しい方法を試すことにした。

二〇〇〇年の秋学期を通して、あるケーススタディを中心に会計学を教えたのだ。

このケーススタディは、クリスとサンディという架空の学生の起業を取り上げたものだ。

ルグランデ州立大学二年生のクリスとサンディは、セーフ・ナイト・アウト( SNO)という新商品を考案した。

ターゲットは、車を運転できる年齢に達した若者の親だ。

この装置を車に付けると、運転ルートと速度が記録されるため、子どもが親の車を安全に運転していたかどうかがわかる。

ここで、基礎会計学の学生も物語の一員となる。

学生はクリスとサンディの友人という設定だ。

彼女たちは、学生が会計学の授業をとると聞いて助けを求めてくる。

自分たちの事業アイデアが実行可能だと思うか。

学費を稼ぐには製品をいくつ売らなければならないのか。

学生は、必要となる資材( GPS受信機、記憶用のハードウェア)や提携先(イーベイ)の費用を割り出すよう指導される。

一学期を通じて繰り広げられるクリスとサンディのドラマは、会計がビジネスにおいて果たす役割を浮き彫りにした。

会計学の授業では、必ず固定費用と変動費用の違いを学ぶが、ドラマでは学生が自分たちの手でそれを発見した。

クリスとサンディは、製品開発用のプログラミング料などの費用を何が何でも払う必要があった。

これが固定費用だ。

一方、原材料費やイーベイへの手数料などは、製品の製造時点や販売時点にのみ発生する。

これが変動費用だ。

友人が学費用の資金を投じて会社を立ち上げるとなると、その区別は重大だ。

このケーススタディは、アジアの算数の授業と同様、文脈における学びの一例だ。

ただし、算数の授業では一学期に三〇〇もの事例に取り組む。

この会計学の授業では事例はたった一つだが、そこに一学期分の題材が網羅されている。

学期が進むにつれ、学生はクリスとサンディの会計士という責任ある立場から事業の進展を目撃していく。

クリスとサンディは地方裁判所から連絡を受け、 SNOを仮出所者に使いたいと言われる。

ただし、商品は購入せずリースしたいという。

これにどう答えるべきか。

その後、事業は急成長するが、ある日、クリスとサンディが大慌てで電話をかけてくる。

小切手が不渡りになったというのだ。

商品の売れ行きは絶好調なのに、銀行には現金がない。

どういうことか(これは新興企業の多くが直面する問題だ。

学生はここで収益性とキャッシュフローの違いを学ぶ)。

一カ月分の支払伝票とイーベイの領収書にじっくりと目を通した結果、ようやくその答えがわかる。

ところで、この授業は成果を上げたのだろうか。

最初は何とも言えなかった。

授業内容が変わったため、期末試験の結果を前期と比べるのは難しい。

学生の中には、新しい授業に夢中になる者もいれば、ケーススタディは時間がかかりすぎると不満を漏らす者もあった。

しかし、具体性の高いケーススタディのメリットは、時間がたつにつれ明らかになってきた。

ケーススタディ導入後、成績平均点の高い学生が会計学を専攻するケースが増えたのだ。

具体性は、最も能力の高い学生に「会計士になりたい」と思わせる実効性があったわけだ。

一方、平均的な学生にも効果は現れた。

学生たちは通常、二年後に次の会計学講座を受講する。

講義の前半は主に基礎会計学で習った概念を土台として展開される。

その最初の試験で、ケーススタディを学んだ学生の得点が顕著に高かった。

実際、成績の平均が Cの学生の差が最も大きく、ケーススタディを学んだ学生は平均一二点も高い得点をとった。

しかも、ケーススタディ終了後、既に二年が経過しているのにである。

具体性は記憶に焼きつくのだ。

記憶のマジックテープ理論

具体性の何がアイデアを記憶に焼きつけるのか。

その答えは、人間の記憶の性質にある。

多くの人は記憶することを、倉庫に物を入れるようなものだと思っている。

ある話を記憶するのは、ファイルに入れて脳の書類棚に入れるのと同じ、というわけだ。

この類推に間違いはない。

だが意外にも、その書類棚は、記憶の種類に応じて全く異なるらしい。

これは実際に自分で試すことができる。

次のいくつかの文章を読んでみよう。

それぞれ異なるものを思い出すよう指示している。

先を急がず、各文章に五秒から一〇秒ずつかけて考えてみよう。

すると読み進むにつれ、種類の異なるものを思い出そうとすると、それぞれ違った感じがすることがわかるはずだ。

・カンザス州の州都を思い出してください。

・「ヘイ・ジュード」(またはあなたのよく知っている歌)の出だしの歌詞を思い出してください。

・モナリザを思い出してください。

・子どもの頃に一番長く住んだ家を思い出してください。

・「真実」の定義を思い出してください。

・果物の「スイカ」の定義を思い出してください。

デューク大学の認知心理学者デービッド・ルービンは、このテストを使って記憶の本質を明らかにした。

どの文章も、異なる精神活動を引き起こすように感じられる。

カンザス州の州都(トピーカ)を思い出すのは、抽象的な作業だ(あなたがトピーカの住民なら別だが)。

対照的に、「ヘイジュード」の歌を思い浮かべると、ポール・マッカートニーの声とピアノの音が聞こえてくるだろう(「ヘイ・ジュード」を知らない人は、この本を買うよりビートルズのアルバムを買った方がいい)。

モナリザの記憶は、あの謎めいた微笑の視覚的イメージを眼前に呼び起こす。

子どもの頃の家を思い出すと、匂いや音、光景などさまざまな思い出も一緒に呼び起こされる。

家の中を駆け回る自分に戻ったり、両親がいつも座っていた場所を思い出す人もいるだろう。

「真実」の定義を呼び起こすのは、ちょっと難しい。

「真実」の意味は何となくわかるが、モナリザのように記憶から引き出せる既存の定義がないため、自分なりの定義を考え出すしかない。

「スイカ」の定義も悩むところだ。

「スイカ」という言葉は、ただちに感覚的記憶を呼び覚ます。

緑に黒い縞模様の外皮、赤い果肉、甘い匂いと味、丸ごと手に持ったときの重み――。

ところが、これらの感覚的記憶をひとつの定義にまとめようとすると、ギアが入れ替わった感じがするのではないだろうか。

つまり、記憶は単一の書類棚ではないのだ。

むしろそれは、マジックテープに似ている。

マジックテープの両面をよく見ると、一方には無数の小さなフックが、もう一方には無数の小さな輪がついている。

この両面を押しつけあうと、大量のフックが輪にひっかかる。

マジックテープはこうしてくっつく。

脳には膨大な数の輪が用意されている。

だから、アイデアについているフックの数が多ければ多いほど、記憶にひっかかる。

頭に思い浮かべる子どもの頃の家には大量のフックがあるが、新しいクレジットカードの番号にはせいぜい一つしかない。

優れた教師はアイデアのフックの数を増やすコツを知っている。

次に紹介するアイオワ州の教師ジェーン・エリオットは、数多くの感情と記憶に訴えるメッセージを考案した。

彼女の児童は、二〇年後の今もこのメッセージを鮮明に記憶している。

茶色い目、青い目

一九六八年四月四日、黒人運動家の牧師であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された。

翌日、アイオワ州の小学校教師ジェーン・エリオットは、担任する三年のクラスに彼の死を説明したいと考えた。

ここアイオワ州ライスビルは白人ばかりの町で、児童はキング牧師を知ってはいても、誰がどんな理由で彼の死を望むのかは理解できるはずもなかった。

エリオット先生は言う。

「差別については、新学期の初日からクラスで話し合っていたので、そろそろ具体的に取り組むべきときだと思いました。

とはいえ、わずか二カ月前に『今月の英雄』として紹介したキング牧師が暗殺されたことを、アイオワ州ライスビルの三年生に説明するのは不可能でした」 エリオット先生はある計画を立て、翌日、教室でそれを実行した。

その目的は、差別を児童に具体的に実感させることだった。

彼女は授業の冒頭、茶色い瞳の子と青い瞳の子に児童を分けた。

そして、「茶色い目の子は、青い目の子より優れている」と衝撃的な宣言をした。

「この教室では、目が茶色い方が偉いのです」 二つのグループは隔離され、青い目の児童は教室の後方に座らされた。

茶色い目の児童は「あなたたちの方が賢い」と言われ、休み時間も長くもらえた。

遠くからでも瞳の色がわかるよう、青い目の子は特別な首輪をつけさせられた。

二つのグループは休み時間に一緒に遊ぶことも許されなかった。

エリオット先生は、クラスの急速な変貌ぶりに衝撃を受けた。

「三年生の子が悪意に満ちた差別的な人間に変わるのを見て、ぞっとしました。

友情はたちまち崩れ、茶色い目の子は昨日まで友人だった青い目の子を嘲るようになりました」 茶色い目をしたある児童は、エリオット先生にこう言った。

「先生は青い目なのに、よく先生になれたね」 翌日、エリオット先生は授業の冒頭、こう言った。

「自分は間違っていた、実は茶色い目の子の方が劣っていた」と。

子どもたちはこの運命の逆転を、たちまち受け入れた。

青い目の子は歓喜の叫び声を上げ、自分たちより劣る茶色い目の子に首輪をつけようと駆け出した。

子どもたちは、自分たちの方が劣っているときは悲しい気分になり、自分のことを愚かで意地悪な悪い人間だと思った。

ある少年は上ずった声でこう言った。

「自分が下のときは、嫌なことは全部、自分たちの身に起きるような気がした」 一方、自分たちが上のときは、児童は幸せな気分になり、自分は賢いよい子だと感じた。

変化は学業の成績にまで現れた。

国語の時間に単語のカードをできるだけ速く読むことになった。

青い目の子が下だった初日、カードを全部読むのに五・五秒かかった。

ところが、彼らの方が上だった二日目には、二・五秒で読めた。

「なぜ昨日は速く読めなかったの?」 エリオット先生が尋ねると、青い目の少女が答えた。

「あの首輪をつけていたから……」 そこへ、別の児童が口を挟んだ。

「あの首輪のことが頭から離れなかったんだ」 エリオット先生のシミュレーションは、偏見を残酷なまでに具体化した。

この経験は、児童の人生に後々まで影響を及ぼした。

一〇年後と二〇年後に行った調査によると、このクラスの児童は同年代の人々と比べてはるかに差別意識が低かったという。

子どもたちは、このシミュレーションをいまだに鮮明に覚えている。

公共テレビ PBSの番組『フロントライン』で放映されたこのクラスの一五年目の同窓会を見ると、彼らが深い感銘を受けていたことがわかる。

レイ・ハンセンは、自分の認識が一日で一変したのを覚えていた。

「それまでの人生で最も深い学習体験の一つでした」 スー・ギンダー・ローランドはこう語る。

「偏見は幼いうちに対処しないと、一生その人につきまといます。

私も時々、自分が差別をしているのに気づきますが、そんなときは三年生当時のことを思い出し、差別される側の気持ちを思い起こして自分を制します」 ジェーン・エリオットは、偏見というアイデアにフックを与えた。

授業で教える他のアイデア、例えばカンザス州の州都や「真実」の定義といった重要だが抽象的な知識と同じように偏見のアイデアを教えるのは簡単だっただろう。

また、第二次世界大戦中の戦闘の逸話と同じように学ばせることもできたはずだ。

だがそうする代わりに、エリオット先生は、偏見を体験に変えた。

友人が突然、自分をあざ笑う光景、首輪の感触、絶望的な劣等感、鏡で自分の瞳を見たときの衝撃。

それらはすべて偏見というアイデアに与えられた「フック」だ。

この体験は子どもたちの思い出に、何十年たっても忘れられないほど多くのフックを植えつけたのだ。

抽象性に陥るのはなぜか‥設計図と機械

ジェーン・エリオットの偏見のシミュレーションは、具体的であることの威力を見事に実証した。

それにしても、具体性にそれほど威力があるなら、なぜ私たちはいとも簡単に抽象性に囚われてしまうのか。

理由は簡単だ。

抽象的に考える能力こそ、初心者と専門家の違いだからだ。

陪審員を務める素人は、弁護士の独特の雰囲気や詳細な事実、法廷の儀式に圧倒される。

一方、裁判官は過去の訴訟や判例から得た抽象的な教訓に照らして、その時々の訴訟に判決を下す。

生物学の授業を受ける生徒は、爬虫類が卵を生むかどうかを覚えようとする。

生物学の教師は、動物分類学という大きな体系の中で考える。

初心者は、具体的な細部を具体的な細部として認識する。

専門家は具体的な細部を長年の経験から学びとったパターンや洞察の象徴として認識する。

専門家は高度な洞察力があるだけに、どうしても高度な話をしたがる。

チェスでビショップが斜めに動くことよりも、チェスの戦略を語りたがる。

ここに顔を出すのが、例の犯人「知の呪縛」だ。

ベス・ベッキーという研究者がある製造会社を調査した。

この会社は、シリコンチップ工場で使用する複雑な機械の設計と製造を行っている。

こうした機械を製造するには、二つの技能が必要だ。

一つは優れた設計能力をもつエンジニア、もう一つはその設計に沿って複雑な機械を組み立てる熟練工だ。

この会社が成功するためには、この二タイプの人材間の円滑なコミュニケーションが必要だった。

ところが案の定、彼らの話す言葉は違っていた。

エンジニアは、ものごとを抽象的に考える傾向があった。

なにしろ一日中、頭をひねりながら設計図を描いている人々だ。

一方、一日中、機械を組み立てている製造チームの方は、即物的なレベルで考える傾向があった。

「知の呪縛」が最も如実に現れるのは、工場で問題が起きたときだ。

製造チームは時々、部品が合わないとか電力が足りないといった問題にぶつかる。

製造チームがエンジニアに問題を報告すると、エンジニアはただちに作業に取りかかる。

何をするのかというと、設計書の手直しをするのだ。

例えば、部品が機械に合わなかったとしよう。

製造チームがその部品をエンジニアに見せると、エンジニアはやおら設計図を取り出して書き直そうとする。

つまり、

つまり、いきなり抽象的な次元で考えようとするのがエンジニアの本能なのだ。

ベッキーによると、エンジニアは図面を直せば問題解決のプロセスを製造チームにわかりやすく示せると考え、設計図を「どんどん複雑化していった」という。

すると、図面は徐々に抽象化し、コミュニケーションをますます阻んだ。

エンジニアの行動は、外国を訪れた米国人観光客が英語をゆっくり大声で話せば理解してもらえると思いこんでいるようなものだ。

「知の呪縛」にとらわれた彼らには、専門家以外の人の目に設計図がどう映るかが、想像できなくなっている。

製造チームはこう思っていた。

「とにかく工場に下りてきて、部品をどこにつければいいか教えてくれたらいいのに」 一方、エンジニアはこう思っていた。

「どうすれば、よりよい設計図になるだろう」 こうしたコミュニケーション不良は、シリコンチップ製造機に縁のない読者の多くにも心当たりがあるはずだ。

では、この状況をどうやって改善すればいいのか。

もっとお互いを思いやり、要は妥協するべきなのか。

実は、そうではない。

解決策は、エンジニアが行動を改めることだ。

ベッキーが述べているように、一番重要で効果的なコミュニケーションの場は、物質つまり機械だからだ。

機械のことは誰もがよく理解している。

だから、機械のレベルで問題を解決するべきなのだ。

無意識のうちに専門家らしい話し方をしてしまうことがよくある。

「叩き手と聴き手」ゲームの叩き手と同様、「知の呪縛」に陥りはじめているのだ。

長年のあいだに知り尽くしてきた題材を具体的に語るのは、不自然に感じるかもしれない。

だが、努力するだけの価値はある。

自分の言っていることを相手が理解し、記憶してくれるのだから。

この物語の教訓は「ものごとをやさしく噛み砕く」ことではない。

複雑な問題に直面した製造チームが求めているのは、賢明な回答だ。

この物語の教訓はむしろ、誰もが流暢に話せる「普遍的な言語」を見出すことだ。

その言語はおのずと具体的なものになる。

具体的であることは協調を促す

前章の終わりに、二つの意外性溢れるスローガンを紹介した。

大勢の賢い人々を奮起させ、協調させるために使われたそのスローガンは、「ポケットに入るラジオ」の開発と「一〇年以内に人類を月へ」という挑戦だった。

これらのスローガンには、見事な具体性があった。

ソニーのエンジニアが任務がわからず戸惑うことも、 NASAが「人類」や「月」や「一〇年」の意味に悩むこともなかったはずだ。

具体的であることは、目標をわかりやすくする。

専門家にもわかりやすさは必要だ。

新興のソフトウェア会社が「次世代の優れた検索エンジン」の開発を目標にしたとする。

この会社には、同レベルの知識を持つ二人のプログラマーがいて、隣同士の席に座っている。

一人は「次世代の優れた検索エンジン」を完璧な検索能力と受けとめ、少しでも関連性がありそうな情報はすべて拾い出す検索エンジンをめざす。

一方、もう一人はこれをスピードと受けとめ、検索結果はそこそこだが超高速の検索エンジンをめざす。

目標が具体的に示されない限り、二人の努力は噛み合わない。

ボーイングは一九六〇年代に、 727型旅客機の設計準備に取りかかった。

同社はこのとき、意識して具体的な目標を立てた。

それは「定員一三一人、マイアミ ~ニューヨーク間のノンストップ飛行が可能で、ニューヨークのラガーディア空港の四――二二番滑走路に着陸できる旅客機」だった(四――二二番滑走路が選ばれたのは、長さが一マイル弱と短く、既存の旅客機では着陸できなかったからだ)。

この具体的な目標のおかげで、技術部門や製造部門の専門家数千人が、足並みを揃えて行動できた。

この目標が「世界一の旅客機」だったら、こうはいかなかった。

フェラーリ一家、バーチャルにディズニーワールドを楽しむ

ストーン・ヤマシタ・パートナーズ社は、サンフランシスコの小さなコンサルティング会社だ。

アップルのクリエイティブ部門の元従業員、ロバート・ストーンとキース・ヤマシタが設立した同社は、具体性のある技術を利用して企業の変革を促す達人だ。

「わが社の提案のほとんどは、直感と視覚に訴えるものです」 と、キース・ヤマシタは言う。

コンサルティング会社の「製品」といえば、たいていはパワーポイントを利用したプレゼンテーションだが、同社ではシミュレーションやイベント、創造性溢れる展示物の場合が多い。

二〇〇二年頃、同社にヒューレット・パッカード( H P)から声がかかった。

HPの経営陣はディズニーとの提携を望んでおり、提案プレゼンテーションの準備に取りかかろうとしていた。

ついては、 HPの研究力をアピールし、ディズニーのテーマパーク運営にそれがどう役立つかを示す提案づくりに力を貸してほしいということだった。

I T企業の例にもれず、 HPも研究所の優れた成果が必ずしも具体的な製品に活かされていなかった。

研究者は技術の限界に挑戦し、複雑で高性能な製品を開発したがるが、顧客が通常求めるのは手軽で信頼できる製品だ。

研究者と顧客の欲求は必ずしも合致しない。

ストーン・ヤマシタが企画した「プレゼンテーション」は、五四〇平方メートルを占める展示物だった。

ヤマシタは、その趣旨をこう語る。

「フェラーリ一家という架空の三世代家族を生み出し、彼らの暮らしとディズニーワールド訪問をめぐる展示を制作した」 展示施設に足を踏み入れると、まずフェラーリ家の自宅居間があり、家族の写真が飾られている。

その後、一家がディズニーワールドで過ごした休暇のさまざまなシーンを各部屋で紹介する。

一家は HPの技術に助けられてチケットを購入し、スムーズに入園し、ディナーの予約をとる。

お気に入りの乗り物の待ち時間も短縮された。

ホテルの部屋に戻ると、最後の仕掛けが待っている。

デジタル写真立てに、ディズニーワールドのジェットコースターに乗る一家の写真が自動的にダウンロードされているのだ。

パワーポイントでも、提携のメリットを訴えるメッセージを説明できただろう。

だが、ストーン・ヤマシタは HPのエンジニアと協力して、メッセージを生きたシミュレーションへと変えた。

同社は電子サービスというアイデアにフックを与えた。

と同時に、強烈な感覚的体験によって抽象的なアイデアに具体性を与えた。

この展示には、二種類の観客がいた。

一つはディズニーだ。

ディズニー経営陣は技術に関しては「素人」だから、 HPの技術が彼らにどう役立つかを具体的に示す必要があった。

もう一つの観客は HPの従業員、とりわけ技術者だった。

彼らは素人ではない。

しかも、技術者の多くは「そんな展示に意味があるのか」という態度だった。

ところが、展示が公開されると、 HP従業員は揃って夢中になった。

当初はディズニーへの売り込みに必要な期間だけの予定だったが、あまりの人気にその後も数カ月間展示が続けられた。

展示を見たある従業員は言う。

「社内ですごい話題になり、皆口々にこう言いはじめました。

『研究チームのあれを見たかい? 素晴らしい出来栄えだよ。

うちの会社にあんなことができるなんて、知ってたかい? 連中はたった二八日であれを作ったらしいぜ』」 具体的であることは、専門家チームの協調を促した。

いつも難解な技術問題に取り組んでいる多様な技術者集団が、フェラーリ一家と出会い、チケットや予約や写真といった具体的なニーズに取り組むことによって、研究所で生まれた抽象的アイデアをジェットコースターに乗る一家の写真へと変えた。

目覚ましい成果である。

具体的であることは知識を総動員する‥白い物

紙と鉛筆、それに時間を計る道具(時計でも、数えるのが趣味の妻や夫でもいい)を用意してほしい。

これは、具体的であることに関する自己診断テストだ。

問題は二つ。

制限時間はそれぞれ一五秒だ。

用意ができたらタイマーを一五秒間にセットし、第一問をやってみよう。

第一問 白い物を思いつく限り書き出しなさい。

終了。

タイマーを再び一五秒間にセットし、第二問をやってみよう。

第二問 冷蔵庫の中の白い物を思いつく限り書き出しなさい。

興味深いことに、たいていの人は冷蔵庫の中の白い物もただの白い物も、同じくらいたくさん書き出すことができる。

冷蔵庫に入っている物の数が限られていることを考えると、驚異的な結果だ。

単なる白い物の方が多く書き出せた人でさえ、たいてい冷蔵庫の問題の方が「簡単だった」と答える。

なぜだろう? それは、具体的であることが脳の力を動員し、焦点を絞り込ませるための一手法だからだ。

別の例として、次の二つの文章を読んでみよう。

(一)過去一〇年間に世界の人々がした愚かなことを五つ思い浮かべなさい。

(二)過去一〇年間にあなたの子どもがした愚かなことを五つ思い浮かべなさい。

面白い脳のトリックだが、それに何の意味があるのだろう。

実は、このトリックを使って、海千山千の投資家から四五〇万ドルの資金を引き出した起業家がいる。

カプランと携帯型コンピュータ

起業家にとって、地元のベンチャーキャピタルに事業アイデアを売り込むチャンスを得ることは、駆け出しの俳優がインディペンデント系の監督からオーディションのチャンスを得るようなものだ。

しかも、相手がクライナー・パーキンス社ともなると、スティーブン・スピルバーグの個人的なオーディションに匹敵する。

なにしろ同社は、シリコンバレーでも超一流のベンチャーキャピタルだ。

成功すればスター、失敗すれば人生最大のチャンスを棒に振ったことになる。

そんなわけで、一九八七年初め、クライナー・パーキンスにやって来た二九歳のジェリー・カプランは緊張していた。

あと三〇分ほどでプレゼンテーションが始まる。

カプランはスタンフォード大学の研究員から初期のロータス社に転じた人物だ。

ロータスはその後、大ヒットした表計算ソフト「ロータス 1― 2― 3」のおかげで、株式市場の寵児となった。

そして今、カプランは次の挑戦に取りかかろうとしていた。

彼には、より小型で持ち運びしやすい次世代パソコンの構想があった。

カプランが会議室前をうろついていると、彼の前の起業家のプレゼンテーションが終わった。

その起業家を見ると、自分の準備不足をひしひしと感じた。

見れば見るほど緊張が高まり、パニックになってきた。

その起業家は、ピンストライプのスーツにいかにも仕事ができそうな赤のネクタイを締めていた。

それに引きかえカプランは、スポーツジャケットに開襟シャツだ。

その起業家は OHPで印象的なカラーのグラフをホワイトボードに写していた。

カプランのえび茶色の書類カバンには、白紙のレポート用紙が入っているだけだ。

先行きはかなり暗い。

カプランは、「お互いを知る」ための形式ばらない打ち合わせをするつもりだったが、そこに立っているうちに、自分がいかに世間知らずだったかに気づいた。

彼には「事業計画も、スライドも、グラフも、財務計画も、試作品もなかった」。

しかも、準備万端のその起業家でさえ、面接官から懐疑的な視線と厳しい質問を浴びていた。

いよいよカプランの順番が来て、共同出資者の一人が彼を紹介した。

カプランは深呼吸をして話しはじめた。

「タイプライターよりもノートに似たコンピュータ、キーボードではなくペンで操作できるコンピュータ――そんな新種のコンピュータがあれば、机を離れて仕事をするときのさまざまなニーズを満たせます。

メモを取ることもできれば、携帯電話につないでメールを送受信することもできます。

住所録や電話番号簿を見たり、価格表や在庫表を確認することもできます。

表計算ソフトも使えますし、その場で受注表に記入することもできるでしょう」 カプランは必要な技術をひと通り説明したうえで、最大の問題は、手書き文字の判読とコマンドへの変換が確実にできるかどうかだと述べた。

その後起きたことを、カプランはこう書いている。

聞き手は厳しい表情をしていた。

私の準備不足に苛立っているのだろうか。

それとも私の言葉に聞き入っているのだろうか。

……きっとだめだったのだろう。

それなら、どうせ失うものはない。

私はそう考え、思い切って芝居を打つことにした。

「もし、私が今ここに携帯型パソコンを持っていたら、きっとおわかりいただけるはずです。

未来のコンピュータの模型を持ってきているとは、気づかなかったでしょう」 私はえび茶色の革カバンを放り投げた。

カバンはドサッと音を立ててテーブルの真ん中に落ちた。

「皆さん、これがコンピュータ革命の次の一歩です」 やってしまった、会議室を追い出されるかもしれない。

一瞬、そう思った。

聞き手は唖然として、テーブルの真ん中に横たわる私のカバンを見つめていた。

地味な書類カバンに突然、生命が宿ったかのように。

見た目は若いが長年の共同出資者であるブルック・バイヤーズが、ゆっくりと手を伸ばした。

そして、不思議なパワーを持つ何かに触れるように、書類カバンに触ると、質問の口火を切った。

「これだと、記憶容量はどのくらいかな」 すると、私より先に、ジョン・ドーアという別の共同出資者が答えた。

「そんなことは関係ないよ。

メモリチップは年々小型化し、値段も下がっている。

同じ大きさと値段のマシンでも、容量は毎年倍増していくだろう」 別の誰かが口を挟んだ。

「だが、手書き文字の変換を効率化しないと、かなりの容量とスペースが必要になりそうだな」 それは、サン・マイクロシステムズの共同創業者で CEOのビノッド・コースラだった。

彼は同社が技術的な案件を審査する際の助言役だった。

あとは、カプランが言葉を挟む必要などほとんどなかったという。

聞き手が互いに質問や意見を交わし、カプランの提案に肉づけをしてくれたのだ。

ときおり、誰かが書類カバンに手を伸ばし、触ったり調べようとした。

「まるで魔法のように、ただのカバンが未来の技術のシンボルに変わったのだ」 数日後、カプランはクライナー・パーキンス社から電話を受けた。

アイデアを支援することになったという。

同社は、まだ存在もしないカプランの会社に四五〇万ドルを出資してくれることになった。

カプラン一人が質問攻めになるはずの会議を、ブレーンストーミングに変えたのは、えび茶色の書類カバンだった。

カバンは投資家に対する挑戦だった。

つまり、彼らの思考を集中させ、既存の知識を発揮させる一つの方法だったのだ。

その結果、聞き手の態度は受け身で批判的なものから、能動的で創造的なものへと変わった。

書類カバンの存在が投資家のブレーンストーミングを促したのは、私たちが「冷蔵庫の中の白い物」に限定した方がいろいろな物を思いつきやすかったのと同じだ。

書類カバンの大きさを目の当たりにすることで、彼らの頭に次々と質問がひらめいた。

このサイズでどの程度の記憶容量が可能か? パソコンの構成部品

の中で、今後数年間に小型化しそうなのはどれか? また、小型化しそうにないのは? このサイズを実現するにはどんな新技術が必要か? それは、「ポケットに入るラジオ」というアイデアを得たソニーの技術者がしたのと同じことだった。

具体的であることが生み出す共通の「場」は、人々の協力を可能にする。

同じ課題に取り組んでいるという安心感を全員に与えるのだ。

専門家でさえ、たとえそれが I T業界のスターとも言えるクライナー・パーキンス社のベンチャー投資家であっても、具体的な話から恩恵を受ける。

なぜなら、具体的な話は彼らを共通の場に立たせてくれるからだ。

〔アイデア・クリニック〕経口補水塩療法が子どもの命を救う!

背景説明‥世界では、毎年一〇〇万人以上の子どもが下痢による脱水で亡くなっている。

この問題は、しかるべき液体を子どもに投与しさえすれば、ごく安い費用で予防できる。

どうすれば、このアイデアに必要な資金を獲得できるだろう。

メッセージ 1‥これは、開発途上国の健康問題に取り組む非営利団体 PSIが行った説明だ。

下痢は開発途上諸国の乳幼児の最大の死因の一つであり、毎年一五〇万人以上の子どもが下痢で命を落としている。

死因は下痢自体ではなく、脱水、つまり体液の欠乏である。

人間の体の約四分の三は水でできているため、体液の一〇%以上が失われると主要臓器が衰弱し死に至る。

コレラのように症状が重篤な場合、わずか八時間で死亡することもある。

致命的な脱水症状を予防するには、液体の摂取量を増やし、下痢で失われた体液と電解質を十分補う必要がある。

それに最も適した液体は、電解質と糖と水を混ぜた経口補水塩だ。

病気で腸壁が荒れていても、経口補水塩は他の液体より素早く体液と電解質を補充してくれる。

メッセージ 1へのコメント‥要するに、どうすれば問題を解決できるのか。

仮に自分が開発途上国の保健所の役人だったとして、子どもを救うために明日何をすればよいのか。

公平を期するために書いておくが、これは PSIのホームページからの抜粋で、同団体の問題解決への取り組みを説明した文章だ。

したがって、必ずしも意思決定者を説得し、行動を促すためのものではない。

また、科学的な用語や解説が多いため、信頼性を感じさせる。

とはいえ、問題の複雑さを印象づけてしまうと、人々の解決意欲をそぐことになる。

メッセージ 2‥このメッセージは、長年ユニセフの事務局長を務めたジェームズ・グラントの言葉だ。

グラントは旅行に出かけるときには必ず、小さじ一杯の塩と小さじ八杯の砂糖を入れた箱を持ち歩いていた。

これを一リットルの水と混ぜれば、経口補水塩ができあがる。

彼は開発途上国の首相に会うと、決まってこの塩と砂糖の箱を取り出し、こう言った。

「ご存知ですか。

これにかかる費用はお茶一杯分にも及びません。

しかし、これであなたの国の子どもを何十万人も救えるのです」メッセージ 2へのコメント‥要するに、どうすれば問題を解決できるのか。

子どもを救うために明日何ができるのか。

グラントのメッセージは相手の参加を促し、知識を発揮させる。

相手はきっと、塩と砂糖の入った箱を学校に配る方法をブレーンストーミングしたり、母親に塩と砂糖の正しい配分を教える広報活動について考えるだろう。

グラントはアイデアを記憶に焼きつける達人だ。

具体的な小道具を取り出し、「お茶一杯より安いのに、大きな効果を発揮する」という意外性で関心をつかむ。

一国の首相は、いつもインフラ構築や病院建設、健康的な環境の維持といった複雑な社会問題について考えている。

そんな彼らにいきなり塩と砂糖の袋を見せ、これで何十万人もの子どもの命を救えますと言い放っているのだ。

PSIのメッセージは統計や科学的解説によって信頼性を感じさせていたが、グラントのメッセージにはそれはない。

だが、ユニセフの事務局長である彼には、発言に疑問を抱かせないだけの信頼性があった。

だから、わざわざ事実関係を説明するよりも、相手を行動へと駆り立てることに全力を傾けた。

塩と砂糖はカプランのえび茶色の書類カバンと同様、聞き手が専門知識を使って問題を検討するよう促した。

カバンも塩と砂糖の箱も、ひと目見ただけで、いろいろな可能性を考えずにいられなくなるのだ。

結論‥この事例は、アイデア・クリニックの中でも特に気に入っている。

具体的なアイデアの威力を如実に示しているからだ。

この事例の教訓は、相手を議論に参加させ、知識の発揮を促す方法を見出しなさいということだ。

ここでは、科学的解説よりも小道具の方が効果を発揮している。

アイデアに具体性をもたせる

メッセージを具体的なアイデアに近づけるにはどうすればよいのか。

特定の人々(読者、生徒、顧客など)のニーズを指針にすれば、判断がつきやすくなる場合もある。

ゼネラル・ミルズは世界有数の食品メーカーで、傘下にピルズベリー、チェリオス、グリーン・ジャイアント、ベティ・クロッカー、チェックスなど数多くの食品ブランドを擁している。

中でも最も売れているブランドの一つが「ハンバーガー・ヘルパー」だ。

二〇〇四年、ミシガン出身の二八歳、メリッサ・ストゥジンスキーがハンバーガー・ヘルパーのブランド・マネジャーに起用された。

当時、ハンバーガー・ヘルパーは一〇年来のスランプ状態にあった。

売上低迷に業を煮やした CEOは、同ブランドの改善と成長を二〇〇五年の最優先目標とした。

新入りのストゥジンスキーは、意欲満々で課題に取りかかった。

仕事を始めるにあたり、彼女はぶ厚いバインダー三冊分のデータと統計資料を手渡された。

売上と販売数のデータ、広告戦略の概要、製品情報、顧客の市場調査などだ。

バインダーは持ち上げることさえできないほど重く、まして中身を覚えるなど無理な話だった。

彼女はそれを「死のバインダー」と呼んだ。

数カ月後、ストゥジンスキーのチームは、データにとらわれず新しい手法を試すことにした。

ハンバーガー・ヘルパー・チームのメンバーであるマーケティング、広告、研究開発のスタッフを顧客の自宅に送り込むという計画だ。

このアイデアは非公式に「フィンガーチップ(指先)」と呼ばれた。

ブランドの顧客像を指で触れるように熟知する必要があったからだ。

主要顧客である母親層の中から、他人を家に招き入れ、料理中観察されてもかまわないという人を募り、合計二〇~三〇世帯を訪問した。

ストゥジンスキー自身も三軒訪ねたが、その経験は彼女の記憶に焼きついた。

「顧客に関するデータはすべて読み、空で言えました。

顧客の人口統計も暗記していました。

でも、顧客の家の中に入り生活のひと幕を体験するというのは、全く新しい経験でした。

特に、ある女性のことは決して忘れられません。

その女性は幼い子どもを抱いたまま、夕飯を調理していました。

『利便性』が重要な製品特性であることは承知していますが、それと利便性へのニーズを直接眼で見るのとは、全く違います」 何より参考になったのは、母親と子どもにとって「いつもの味」がいかに大事かということだった。

ハンバーガー・ヘルパーのパスタには一一種類の形があるが、それは子どもにとってはどうでもよいことだ。

子どもの好みは味で決まる。

だから母親は、子どもが嫌がらずに食べるいつもの味を買いたがった。

ところが、ハンバーガー・ヘルパーの味付けは三〇種類以上もあり、母親は大量の陳列商品の中から目当ての味を探し出すのに苦労していた。

食品や飲料のメーカーは、新しい味やパッケージの開発にいつも必死だが、それに流されないことが必要だった。

「母親たちは、新しい味は危険だと思っていたのです」 ハンバーガー・ヘルパー・チームは、母子に関する具体的な情報を使って、製品ラインの単純化を関係各部門(サプライチェーン、製造、財務など)に訴えた。

その結果、費用が「大幅に」削減され、母親も家族の好みの味を見つけやすくなり満足したと、ストゥジンスキーは言う。

製品ラインの単純化が必要という洞察は、価格設定や広告に関する他の重要な洞察とも相まって、ブランドの売上を好転させた。

二〇〇五年度末、ハンバーガー・ヘルパーの売上は一一%増を記録した。

ストゥジンスキーは言う。

「今でもブランドに関する意思決定を迫られると、あのとき出会った女性たちのことを考えます。

彼女らが私の立場ならどうするだろう、と考えるのです。

驚くほど役に立ちますよ」 この考え方は、宗教団体にも役立っている。

カリフォルニア州アーバインの郊外にあるサドルバック教会は、信徒数を五万人に増やすという大成功をおさめた。

教会指導部は、教会に来てほしい人物像を何年もかけて詳細に描きだした。

彼らはその人物を「サドルバック・サム」と呼んでいる。

同教会のリック・ウォーレン牧師は、こう説明する。

サドルバック・サムは、この地域の教会に行かない男性の典型である。

年齢は三〇代後半から四〇代前半、学歴は大学卒以上。

……既婚で、妻の名はサドルバック・サマンサ、子どもはスティーブとサリーの二人だ。

調査によると、サムは仕事にも自分の住む地域にも満足しており、自分は五年前より人生を楽しんでいると思っている。

今の人生に自己満足しており、うぬぼれさえ感じている。

職業は知的専門職か管理職、あるいは成功した起業家である。

……サムのもう一つの重要な特徴は、いわゆる「組織的」宗教に対する懐疑心である。

「神様は信じているが、組織的宗教は好きではない」と言いそうな人物だ。

サムのプロフィールは、さらに詳細に描かれている。

サムとサマンサの大衆文化の好みや、よく行く社交的行事のタイプなどだ。

「サドルバック・サム」は教会指導部にとってどんな意味を持つのか。

サムのおかげで、彼らは決定内容を嫌でも別の視点から見直す。

例えば、誰かが地域住民を対象としたテレマーケティング・キャンペーンを提案したとする。

信徒獲得の可能性が大いにありそうだ。

だが調査結果から、指導部はサムがテレマーケター嫌いだと知っている。

そこで、このアイデアは却下される。

サドルバック・サムとサマンサを想定しているのは、教会指導部だけではない。

サドルバック教会は、小中学校のクラスや母親のレクリエーション・プログラム、男子バスケットボール・リーグなど何百もの布教活動を行っている。

これらはすべて信徒のボランティアが運営しているが、彼らは日常的に教会職員の指示を受けているわけではない。

それでもこうした多様な活動の足並みが揃っているのは、教会中の人が対象とすべき人物像を知っているからだ。

「たいていの信者は、サムの人物像を難なく説明できる」 とウォーレンは言う。

同教会は、サドルバック・サムとサマンサを信徒にとってリアルで具体的な存在にすることで、五万人ものサムとサマンサを獲得できた。

具体的であることは、記憶に焼きつくアイデアの六原則の中でも、最も受け入れやすい原則だろう。

と同時に、最も効果的な原則かもしれない。

シンプルであること、つまり核となるメッセージを見出すことは、とても難しい(もちろんその値打ちはあるが、簡単だとは思わない方がいい)。

また、アイデアに意外性をもたせるには、かなりの努力と創造性を要する。

だが、具体性をもたせるのは難しくないし、それほど努力もいらない。

唯一の問題は、つい忘れてしまうことだ。

私たちは自分が抽象的な物言いをしていることを、つい忘れてしまう。

自分は知っていても他人は知らないということを、忘れてしまうのだ。

何かというと図面を引っ張り出し、熟練工の思いをよそに現場に下りていかないエンジニアと同じである。

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