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第三章みなみはマーケティングに取り組んだ

目次

第三章みなみはマーケティングに取り組んだ

9それからみなみは、夕紀がマーケティングをするための段取りを精力的に組んでいった。

まずは、夕紀の母の宮田靖代に許可をもらった。

話すだけとはいえ、入院中の夕紀にとって、その負担はけっして小さなものではない。

なにしろ、二十人を超える部員たちと、一人ひとり話すのだ。

それも、ただ単に世間話をするというのではない。

彼らから、その現実、欲求、価値を引き出さなければならないのである。

それは、けっして生易しい作業ではなかった。

それでも、靖代はこれを快く了承してくれた。

靖代は、みなみに強い信頼を置いてくれていた。

だから、みなみのすることに注文をつけたことは、これまで一度もなかった。

それは幼い頃からそうで、遊びに行くといつも温かく迎えてくれたし、やさしくしてくれた。

それは、みなみが野球部のマネージャーとなってからも変わりなかった。

むしろ前よりやさしくなったくらいで、この時も、彼女はみなみの申し出を喜んで引き受けてくれたのである。

続いて、今度は監督の加地に許可を取った。

加地には、部員たちの悩みや要望を引き出す情報収集の場を設けたいのだと説明すると、すぐに了承してくれた。

加地自身も、部員との間に距離があるのは問題だと感じていたらしい。

ただ、自分ではそれを解決できずにいたのだが、唯一心を開いている女子マネージャーの夕紀が橋渡し役になってくれるというのなら、部員たちとの距離も縮められるかもしれないと期待したのだ。

また、部員が「お見舞い」をする日には練習を休むことの許可ももらった。

もともと、練習は無許可で休むことができたのだが、みなみは、その慣行は一刻も早くやめにして、ちゃんと出欠を取るようにしたいと考えていた。

だから、練習に出ないことの許可は、きちんと取っておきたかったのである。

次に、今度は部員一人ひとりにお見舞いに来てくれるよう頼んだ。

これは、何人かからは断られるかもしれないと考えていたが、意外なことに、全員が了承してくれた。

それも、あの慶一郎も含めて、全員が快く了承してくれたのである。

そこには、練習をサボる口実になる――という理由もあったろうけれど、大きかったのは、やっぱり夕紀の人柄だった。

みんな、夕紀の病状を心配していたのだ。

だから、本当はもっと早くお見舞いに行きたかったのだけれど、男子生徒が女子生徒のお見舞いに行くというのには少なからず抵抗があったらしい。

そこへみなみの方から誘ってくれたものだから、いいきっかけになったのである。

最後に、みなみは夕紀と綿密な打ち合わせをした。

そこでみなみは、「話の聞き方については、あくまでも夕紀に任せる」と言った。

部員一人ひとりについて聞きたいこと、引き出したいことなどについては話し合うが、そこから先は一任したい――と、彼女に担ってもらいたい役割については、特に明確に伝えたのだった。

こうして、野球部のマーケティングがスタートした。

みなみは、部員たちのスケジュールを調整し、一人ひとりを病室まで連れてくると、時間にして一時間ほど、彼らが何を求め、何を欲し、何を望んでいるか、夕紀とともに聞き取っていった。

みなみたちは、それを「お見舞い面談」と呼んだ。

お見舞い面談は、まずは一年生女子マネージャーの北条文乃から始められた。

みなみは、これから野球部のマネジメントを進めていくうえで、同じ女子マネージャーである文乃の協力は必要不可欠と考えていた。

もちろん、どの部員の協力も必要ではあったが、最も近くにいて、また最も多くの時間を共有する彼女は、特に重要だった。

合宿が明けてから十日ほど後、ちょうど夏の甲子園大会が開幕するその日に、第一回のお見舞い面談は始まった。

そこで、みなみに連れられて病室を訪れた文乃に対し、夕紀はこんなふうに切り出した。

「文乃。

今日は、あなたに聞きたいことがあって来てもらいました」「え?あっ、はい」夕紀のかしこまった言い方に、文乃はちょっと緊張したように背筋を伸ばした。

「今度ね、マーケティングを始めたんだ」「マーケティング――ですか?」「そう。

みなみと私で、野球部のみんなに、色々聞いて回ろうと思ったの。

野球部に求めるものは何か?』って」「え?」「それを聞いてね、参考にしたいと思ったの。

今後、野球部をマネジメントしていくにあたって、みんなの意見というのはすごく重要なの。

みんなが、何を考え、どうしたいかというのが、とっても大切になってくるの。

私たちは、それをもとに、野球部をどうマネジメントしていくか、決めたいと思ったの」「え、あ、はい」「それでね、文乃にも、協力してもらいたいと思ったんだ」「えっ、私にですか?」「そうよ」と夕紀はやさしく微笑んで言った。

「文乃も、マネージャーの一人だからね」「え、あ、はい」「で、その手始めとして、まずは文乃のことから聞きたいと思ったんだ。

文乃は、野球部に求めてるものって、何かある?」「え、あ、はい……求める――ですか?」「そう。

野球部に期待するもの、やってほしいこと、あるいは自分がやりたいことでもいいわ。

文乃は、野球部に何を求めてるんだろう?」「え、あ、はい……」そこで文乃は、しばらく考え込むように黙り込んだ。

眉間にしわを寄せ、口をきゅっと引き結ぶと、何かを一心に見つめるようにした。

そうしてたっぷりと時間をかけてから、やがて口を開くと、こう答えた。

「いえ、特にはありません……」それで、二人の会話を端で聞いていたみなみは、がっくりと肩を落とした。

みなみは、病室の隅の、なるべく目立たないところに座って、二人のやり取りを黙って聞いていた。

しかし、文乃のその答えを聞くと、落胆が顔に出るのを抑えることができなかった。

――ああ、やっぱり、たとえ夕紀でも、文乃からは本心を引き出すことはできないんだ……。

「あ、じゃあ聞き方を変えるね――」。

しかし夕紀は、表情を変えることもなく、なおも言った。

「文乃は、どうして野球部に入ったのかな?」「えっ?」「野球部に入った、そのきっかけはなんだったの?」「それは……」すると、文乃の表情がちょっと変わった。

視線を左右に泳がせ、うろたえるような表情になった。

夕紀の顔をちらちらと窺いながら、口を開いたり閉じたりし

た。

おかげで、鈍感なみなみにも、それが何を意味しているのかはすぐに分かった。

――文乃は、何かを言おうとしているのだ。

そして、言おうかどうか迷っているのだ!もう少し待てば、何かを言うかもしれない――と、みなみが思った時だった。

不意に、夕紀が口を開いた。

「あ、分かった!」それで、みなみはびっくりして夕紀を見た。

――え、なんで?ああ、もう少しで何かを言おうとしてたのに!しかし夕紀は、そんなみなみなどかまうことなく、なおも文乃の目を真っ直ぐに見つめると言った。

「やっぱり、内申書のためかな?」「えっ?」「ほら、文乃って、優等生じゃない?テストの成績はいつも一番だし。

だから、内申書の評価とか考えて、やっぱり部活に入っていた方がいいとか、そういう考えで野球部に入ったのかな?」みなみは、目をまん丸に見開いて夕紀を見た。

――優等生?何を言い出すんだ。

それは、文乃にとって禁句だったはずではないか!しかし夕紀は、なおも続けた。

「優等生って、やっぱり大変なんだよね。

そこまでやらないと、評価を維持できないって言うか、色々気を使ったりしなくちゃいけないしね。

やっぱり優等生は、私なんかとは考えることが――」「私、優等生なんかじゃありません!」案の定、文乃は、病室の外にも聞こえるような大きな声を出した。

おかげでみなみは、看護師さんか、あるいは席を外してもらっている靖代が、心配になってやって来るんじゃないかと思い、ヒヤッとした。

しかし、そうした思いも、文乃の顔を見た瞬間に吹き飛んでしまった。

彼女が、今にもあふれんばかりに、目に大粒の涙を浮かべていたからである。

その潤んだ瞳で、文乃は、夕紀のことを真っ直ぐににらんでいた。

「私、優等生なんかじゃないんです!その言葉、大嫌いなんです!」「え?」と夕紀は、しかし表情を変えることなく、文乃の顔を正面から見返すと言った。

「それは、どういう意味かな?」「私、ほんとに、ほんとに優等生なんかじゃないんです!アンドロイドでもないんです!人間なんです。

血が通ってるし、みんなとだって、仲よくなりたいんです!」「『アンドロイド』って?」。

すかさず、夕紀が問い質した。

「中学の時、言われたんです!」。

間髪を入れずに、文乃は答えた。

「あいつは無表情で、成績ばっかりよくって、人間じゃないって。

あいつは、アンドロイドだろうって。

血が通ってない、ロボットだろうって。

だから、成績はいいけど、誰とも仲よくできないんだって。

中学の時、さんざん言われたんです!みんなから、ずっとずっと言われ続けてきたんです!」「それで?――」と夕紀は言った。

「それで、なんで野球部に入ろうと思ったの?」「それは……」と文乃は、一瞬だけためらった表情を見せたが、しかしすぐに言った。

「私だって、みんなと仲よくなりたいんです!みんなと仲よくなれるんです!私だって本当は、みんなと仲よくなって、みんなの役に立ちたいんです!」文乃は、ついに堪えきれずに涙を流し始めた。

「私、夕紀さんが好きだったんです!」「えっ!」と夕紀は、今度こそ目をまん丸くして文乃を見た。

これにはみなみも、やっぱり驚きに目を見開いた。

文乃は、涙を流しながら続けた。

「私、私……夕紀さんが憧れだったんです。

夕紀さんみたいに、私も、みんなの役に立ちたいって……私も、みんなと仲よくなりたいって、ずっと思ってたんです!私、私……本当に優等生なんかじゃないんです!それを、それを、夕紀さんからそんなことを言われたら、私、私……」すると、その時だった。

いきなりベッドから起きあがった夕紀は、文乃のもとに素早く駆け寄った。

これには、文乃もそうだが、みなみもびっくりさせられた。

夕紀は、文乃の手を取ると言った。

「ごめんね、私の言葉が軽率だった。

あなたを傷つけてしまったみたい。

ごめん、つまらないこと言って。

もう……もう二度と言わないから、許してくれる?」この時、夕紀もやっぱり、目に涙を浮かべていた。

その涙を浮かべた目で、文乃のことを真っ直ぐに見つめた。

そんな夕紀を、文乃は食い入るように見つめ返した。

それから、ワッと泣き崩れると、夕紀の胸に飛び込んだのだった。

夕紀は、そんな文乃を抱き留めると、彼女の髪をやさしくなでた。

それから、みなみの方を見て、口の動きだけで「ゴメン」と言い、ちょっと申し訳なさそうな顔をした。

しかしみなみは、ただただ感心するばかりで、二人を呆然と眺めていた。

10それは全く予想外のできごとだった。

文乃がそんなことを話すと思わなかったのはもちろん、夕紀がそんな聞き方をするとも思わなかった。

夕紀のその聞き方は、もう十年以上もつき合ってきて、みなみが初めて見た、彼女の知られざる一面だった。

文乃が帰った後、病室に残ったみなみと夕紀は、今したお見舞い面談について感想を話し合った。

そこで夕紀は、自分のやり方をしきりに反省していた。

「自分で自分にびっくりした」と彼女は言った。

「あんなことを言うつもりはなかったのに……」夕紀には、文乃が傷つくと分かっていて「優等生」などと言うつもりは全くなかった。

ところが、それが咄嗟に出てしまったのだという。

そのことを、彼女はこう釈明した。

「必死だったのよ。

私、必死だったの。

やっぱり、任せられたからには、なんとか役に立ちたいって思ったから。

なんとか、文乃の本心を引き出したいと思ったから。

だから、気づいたらあんな言い方になってた。

気づいたら、あんなやり方をしてたんだ」「自分を責めることはないよ」とみなみは言った。

「私も、ちょっとびっくりしたけど、でも、結果的に、文乃も分かってくれたじゃん。

結果的に、本心を話してくれたじゃん。

私、よかったと思うよ。

文乃のためにも、よかったと思う。

これがきっかけになって、彼女も、もう少し本心を出せるようになるんじゃないかな」「そうだといいんだけど……」夕紀はその日、最後まで反省することしきりだった。

しかし結局、結果はみなみの言った通りになった。

その日から、文乃の態度が少しずつではあるが変化していったのである。

みなみの問いかけに対しても、「え、あ、はい」だけではなく、ちゃんと中身の伴った、はっきりとした言葉で返答するようになったのだ。

この文乃を皮切りに、夏休みの間中、みなみと夕紀は、部員一人ひとりのお見舞い面談を次々とこなしていった。

そして、目覚ましい成果をあげていった。

二人はそこで、これまで想像したこともないような、部員たちの知られざる一面というものを、次々と引き出していったのだ。

例えば、キャプテンの星出純について、こんな一面を聞き出すことができた。

彼は、野球部に入った理由をこう説明した。

「おれは、おれの実力がどこまでのものか、確かめるために野球部に入ったんだ」純は、野球部の中でも飛び抜けた存在だった。

その実力は際立っており、甲子園常連校のレギュラークラスといっても遜色ないくらいだった。

実際、中学の時には多くの名門私立からスカウトが来たらしい。

しかし彼は、それらを全て断って、普通に受験して程高に進学した。

その理由を、彼はこう説明した。

「そのまま野球を続けてプロ野球選手になるということに、リアリティを見出せなかったんだ」純は「リアリティ」という言葉を何度も使った。

とてもじゃないが、自分はプロ野球選手になれるような器ではない。

だから、野球で進学するよりは、将来を見据え、普通に勉強して進学した方がいい――そう考えて、程高に進んだという。

ところが、いざ程高に来てみると、今度は後悔の念が頭をもたげた。

――私立に進んでいたら、自分はどこまで行けただろう?そうした疑問が、むくむくと湧きあがってきたのだ。

そこで純は、その疑問を解消するために野球部に入ったのだそうだ。

野球部に入って実力を高め、自分が一体どこまでの器だったのか、見極めようとしたのである。

そのため純は、誰よりも一生懸命練習に取り組んだ。

そうして、入部早々レギュラーを獲得すると、すぐに誰もが認める中心選手になって、やがてキャプテンにも選出された。

しかし純は、そのことがまた、悩みの一つにもなっているのだと語った。

「自分の実力を見極めたくてやっている野球で、みんなのことにも気を遣わなければならないキャプテンであることは、はっきり言って負担なんだ」だから、このままではどちらもおろそかになってしまいそうでいやなんだ。

できれば、キャプテンは辞めたいくらいだ――そう語った純の姿は、みなみや夕紀にとって、彼の知られざる一面だった。

真面目で誠実な人柄の純が、キャプテンという役職に対しそうしたネガティブな思いを抱いているなどとは、想像もしていなかった。

しかしみなみには、一方ではそれが腑に落ちるところもあった。

これまでの純のよそよそしい態度はそれが理由だったのかと、納得することができたのである。

それから、外野手のレギュラーに朽木文明という二年生がいるのだが、彼の言葉にも、みなみと夕紀はびっくりさせられた。

文明は、自分がレギュラーであることに大いなる悩みを抱いているのだと言った。

彼は、その打撃成績がレギュラー選手中最低だった。

文明は、バッティングはもちろん、守備もそれほど上手いわけではなかった。

そんな彼がなぜレギュラーだったかといえば、それはひとえに足の速さに理由があった。

文明は、部一番の俊足を誇っていた。

それも生半可な速さではなく、学校の体力測定では陸上部員を抑えてトップになるほどのずば抜けたものだった。

おかげで、二年生になった時にはほとんど自動的にレギュラーが与えられた。

また試合では、盗塁を決めるなどその俊足を生かし、チームの勝利に貢献したこともあった。

ただ、彼の場合はそもそも塁に出ること自体がとても少なかったので、そうした活躍は希であった。

そのことが、彼の引け目となり、最近では悩みにまでなっていたのである。

「おれは、野球部を辞めた方がいいんじゃないかと思ってるんだ」。

お見舞い面談に来た折に、文明はそう語った。

「おれよりも、もっとレギュラーに相応しいやつはいる。

おれは、本当に足しか取り柄がないからな。

だから、いっそ野球部を辞めて陸上部に入ろうかとも考えてるんだ。

実際、誘われてもいるしね。

その方が、おれもスッキリするんじゃないかと思って」みなみと夕紀は、まさかレギュラーであることが悩みの部員がいるなどとは考えたこともなかったから、これにも大いに驚かされた。

さらに二人は、一年生の桜井祐之助からも知られざる一面を聞かされた。

彼は、野球が好きになれなくて、このところ悩んでいるのだという。

祐之助は、野球一家の三男坊として育ち、幼い頃から当たり前のように野球をやってきた。

その中で実力を伸ばし、小学校の頃からずっとレギュラーを張ってきた。

特にその野球センスはずば抜けており、チームメイトの中でも一、二を争うほどのものだった。

それは程高に入ってからも変わりなく、夏の大会では、一年生ながら六番ショートでずっと先発出場していた。

ところが、最近になって「自分は野球を面白いと思ったことが一度もない」ということに気づいたというのだ。

これまでは、野球をするのが当たり前であって、そのことを深く考えたことはなかった。

しかし、夏の大会でエラーをしたことで、それを考えさせられるようになったのだという。

実は、夏の大会でピッチャーの慶一郎が交代させられるきっかけとなったエラーをおかしたのは、この祐之助だった。

そこで彼は、野球を始めてから初めてともいえる大きな挫折を味わった。

自分のエラーがきっかけで、試合に負けたのはもちろん、野球部に不協和音まで生じるようになったからだ。

そこで祐之助は、初めて「自分はなんで野球をしているのだろう?」と考えるようになった。

その時に、理由を一つも思いつけなかったのだそうである。

そのため、野球を続けることに疑問を感じるようになり、部活動がすっかり楽しめなくなった。

それが、今の大きな悩みなのだという。

ではなぜ辞めないかといえば、それはそれで抵抗があるからなのだそうだ。

これまでずっと野球をやってきて、今では唯一の取り柄のように感じていた。

その唯一の取り柄から離れてしまうと、自分には何も残らなくなるんじゃないかという不安があったのだ。

そんなふうに、部員たちは大なり小なり知られざる一面というものを持っていた。

そうしたことをみなみと夕紀は、お見舞い面談を通じて、一つひとつ丹念に引き出していったのである。

11お見舞い面談で、部員の最後に病室を訪れたのは、エースの浅野慶一郎だった。

みなみは、慶一郎が最後に来るよう順番を調整していた。

それは、彼への面談が一番困難なものになるだろうと予想していたからだ。

今野球部にある不協和音の元凶となっているのが慶一郎だった。

彼のふてくされた態度が、部全体に悪い影響を及ぼしていた。

そういう人物から本心を引き出すのは、とても難しいだろうと思った。

だから、他の部員で経験を積んでからあたろうと考えたのだ。

ところが、予想に反して慶一郎との面談は、とてもスムーズなものとなった。

病室を訪れた彼は、明るく、開けっぴろげに、色んなことをためらうことなく話してくれた。

そればかりではなく、時には冗談を飛ばし、みなみと夕紀を笑わせてくれたりもした。

おかげでみなみは、拍子抜けするのと同時に、自分がいかに表面的にしか人を見てこなかったかということも思い知らされた。

これは慶一郎に限らなかったが、あらためて話してみると、部員たちは皆、話を聞く前は想像もしていなかった知られざる一面というものを持っているのだった。

しかも彼らは、ほとんどの場合、それをためらうことなく話してくれた。

引き出すのが難しかったのは最初の文乃くらいで、後はほとんど、自分の方から積極的に話してくれた。

そこには、もちろん夕紀の聞き上手ということもあったけれど、部員たちにしても、自分のことをもっと知ってもらいたいという思いがあったのである。

それは慶一郎も同様で、みなみは、お見舞い面談をするまでは、彼のことを意固地で取っつきにくい人間だと思っていた。

しかしいざ話してみると、そうした印象はまるっきり塗り替えられた。

彼は、聞けばなんでも話してくれる、とても親しみやすい人間だった。

ただそれは、ネガティブなことに関しても同様だった。

慶一郎は、話題が監督とのことに及んだとたん、顔を曇らせると、こんなふうに言った。

「あいつのもとでは、野球なんてやってられないよ」慶一郎は、キャプテンの星出純が教えてくれたように、夏の大会での交代をいまだに根に持っているのだった。

それ以前にも、監督に対するわだかまりは少なからずあったそうなのだが、夏の大会でそれが決定的になったのだという。

「あいつは監督の器じゃない」と、慶一郎は吐き捨てるように言った。

「あいつは選手の気持ちがこれっぽっちも分かってない。

ピッチャーの気持ちがどういうものかということが、これっぽっちも分かってない。

おれは別に、エラーをした祐之助を責める気持ちなんかは少しもなかったんだ。

むしろ、それをカバーしてやろうと燃えてたくらいだ。

ところが、あの試合に限ってはそれが裏目に出てしまった。

肩に力が入って、逆に打ち込まれてしまった。

それでこっちは、祐之助に悪いことをしたなと思ったくらいなんだ。

だから、それを取り返そうと、気合いを入れてピッチングを立て直そうとしていたんだ。

ところが、その矢先だった。

突然、交代させられたんだ。

その時の、おれの気持ちが分かるか?」慶一郎は、お見舞い面談の残りの時間一杯を使って、監督への不満をぶちまけ続けた。

おかげで最後は、ほとんど彼の愚痴を聞くような格好となってしまった。

慶一郎が帰った後、病室に残ったみなみと夕紀は、今のお見舞い面談についての反省会を開いた。

その席で、最初に切り出したのは夕紀だった。

「浅野くんは、まだ子供なんだと思う」と夕紀は言った。

「それは悪い意味でじゃなくてよ。

彼は、子供のように無邪気で素直なんだと思う。

だから、思ったことがそのまま態度に出ちゃうのね。

それが、明るい話題だったら明るい人柄になるけど、いやな話題だといやな人柄になっちゃうのよ。

彼がふてくされているのも、そうした気持ちがそのまま表れているからだと思うわ」「なるほど」とみなみはうなずいた。

「確かにそうね」「だから、彼がふてくされてても、周りは注意しにくいのね。

それは、彼が周りを困らせてやろうといじけた気持ちでいるのではなく、本当に、単純に心からふてくされているということが分かるから、意見しづらいのよ」「うんうん、なるほど、そうなんだねえ」みなみはいつも、夕紀のそうした分析に感心させられるのだった。

そうしていつも、その思いを素直に伝えるようにした。

また、疑問があれば口にしたし、自分の意見がある時には、それもはっきり言うようにした。

そうしたのには理由があった。

それは『マネジメント』に書かれていたある一節を参考にしたからだ。

『マネジメント』にはこう書かれていた。

マネジメントは、生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果をあげさせなければならない。

(五七頁)「働く人たちに成果をあげさせる」ことは、マネジメントの重要な役割だった。

そのためみなみは、「どうやったら部員たちに成果をあげさせられるか」ということを、ずっと考えてきた。

その中で、まずは最も近しい存在である宮田夕紀に成果をあげさせようとした。

その際、参考になったのはやっぱり『マネジメント』だった。

『マネジメント』にはこうあった。

焦点は、仕事に合わせなければならない。

仕事が可能でなければならない。

仕事がすべてではないが、仕事がまず第一である。

(七三頁)そのうえで、仕事には「働きがい」が必要であると言い、それを与える方法について、こう書かれていた。

働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。

そのためには、生産的な仕事、フィードバック情報、継続学習が不可欠である。

(七四頁)これを参考に、みなみは夕紀の仕事を設計していったのだ。

まず、彼女の仕事を生産的なものにしようとした。

だから、マネジメントにとって最も重要な仕事の一つである「マーケティング」を、彼女に一任した。

次に、フィードバック情報を与えた。

面談が終わると反省会を開き、自分の評価や感じたことを率直に伝えた。

また、部員たちからも感想を聞き、それらも全て伝えるようにした。

最後に、夕紀自身が学習を欠かさないよう気を配った。

彼女にも『マネジメント』を読んでもらったのはもちろん、どうやったらもっと部員たちの本心を聞き出すことができるか、話し合ったり、それ以外の本を読んでもらったりもした。

また、親や病院の人たちにも相談してもらうなどして、幅広く情報を蓄えさえた。

そうやって、みなみは夕紀の仕事に責任を持たせようとしたのだ。

すると、その効果は大きかった。

例えば夕紀は、文乃との面談において、自分でも驚くような聞き方をしたと言った。

それは、彼女の責任感がそうさせたものであった。

面談が終わった後の反省会で、彼女自身が「任せられたからには、なんとか役に立ちたいって思ったから」と語ったように、責任を持たされたことが、夕紀の新たな一面を引き出したのだ。

そんなふうに、夕紀に成果をあげさせたこととも相まって、「お見舞い面談」は大きな成功をおさめた。

これによってみなみは、自らのマネジメントへの自信を深めるとともに、『マネジメント』という本に対しても、ますます厚い信頼を寄せるようになったのである。

12慶一郎へのお見舞い面談が終わった頃には、二学期が目前に迫っていた。

そこでみなみは、マネジメントをさらに次の段階へ進ませようと考えた。

次にみなみが取り組んだのは、「マネジメントの組織化」であった。

これまで一人で取り組んでいた仕事を、何人かのチームで行うようにしようとしたのだ。

特にみなみは、監督の加地誠を、なんとかそこに参画させることができないかと考えた。

加地は、野球部においては最も重要な人物と言っても過言ではなかった。

野球部にとっての中心的な従業員であると同時に、大切な顧客でもあり、また文字通りマネジャー(監督)だった。

そんな加地の協力なしでは、甲子園出場はもちろん、マネジメントもままならなかった。

そこでみなみは、加地とどうしたら協力関係を築けるか、考えた。

すると、そのヒントとなりそうな一節が『マネジメント』の中にあった。

『マネジメント』の中に、加地にそっくりなキャラクターについての説明があったのだ。

それは「専門家」という言葉で説明されていた。

『マネジメント』にはこうあった。

専門家にはマネジャーが必要である。

自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ、専門家にとって最大の問題である。

専門家にとってはコミュニケーションが問題である。

自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。

専門家のアウトプットとは知識であり情報である。

彼ら専門家のアウトプットを使うべき者が、彼らの言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。

専門家は専門用語を使いがちである。

専門用語なしでは話せない。

ところが、彼らは理解してもらってこそ初めて有効な存在となる。

彼らは自らの顧客たる組織内の同僚が必要とするものを供給しなければならない。

このことを専門家に認識させることがマネジャーの仕事である。

組織の目標を専門家の用語に翻訳してやり、逆に専門家のアウトプットをその顧客の言葉に翻訳してやることもマネジャーの仕事である。

(一二五頁)この一節を初めて読んだ時、みなみは、そこに出てくる「専門家」という人物が加地とそっくりなことにびっくりさせられた。

あまりにも似すぎているため、「これは加地のことを書いたのではないか?」と疑ったくらいだ。

ここに書かれている通り、加地の問題はまさに「コミュニケーション」にあった。

加地は、さすがに東大に行ってまで野球をやっていたくらいなので、こと知識に関しては並外れたものを持っていた。

みなみはこれまで、加地に対して何度か野球についての質問をしたことがあったが、そのたびにいつも、豊富な知識に裏づけされた、ものすごい情報量の答えが返ってきた。

しかし多くの場合、みなみはそれを理解できなかった。

というのは、そこで加地が、いつも多くの「専門用語」を使うからだった。

しかもそこには、二つの専門用語が混在していた。

一つは、野球の専門用語。

もう一つは、勉強ができる秀才が使いがちな、独特の難しい言葉遣い。

おかげでそれは、本当に分かりづらい、理解しにくいものとなっていたのである。

だから、加地のアウトプットは少しも組織のインプットにならず、成果をあげられない状態だった。

加地は、彼にとっての顧客である部員たちが必要とするものを、ちっとも供給できていなかった。

そればかりか、部員たちの欲求――つまり顧客のニーズさえ少しも把握できていなかった。

だから、夏の大会の慶一郎のようなことが起こったのだ。

『マネジメント』にはこうあった。

言い換えると、専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事と統合するうえで頼りにすべき者がマネジャーである。

専門家が効果的であるためには、マネジャーの助けを必要とする。

マネジャーは専門家のボスではない。

道具、ガイド、マーケティング・エージェントである。

逆に専門家は、マネジャーの上司となりうるし、上司とならなければならない。

教師であり教育者でなければならない。

(一二五頁)これを読んだ時、みなみはさらにびっくりさせられた。

――加地はまさに、私たちの「教師であり教育者」ではないか!そこでみなみは、そんな加地の「通訳」になること――すなわち組織の目標を専門家の用語に翻訳したり、専門家の「道具、ガイド、マーケティング・エージェント」となったりすることが、自分たちの役割であるというのを確信したのである。

夏休みの終わりに、みなみは加地に、お見舞い面談の報告を夕紀と一緒にしたいので、と理由をつけて、病院に来てもらうよう話を取りつけた。

そこでみなみは、部員たちから引き出した悩みや要望を伝えるつもりであった。

特に慶一郎のことを伝えたかった。

夏の大会で交代させられた彼がどういう気持ちだったか、そして今それをどう思っているか――そうしたことを知ってもらいたいと考えたのである。

明日から二学期が始まるという八月三十一日、みなみは、加地を伴って夕紀の病室を訪れた。

この日、まずは夕紀がお見舞い面談について報告した。

そこで夕紀は、部員たちから聞き取った、彼らの現実、欲求、価値というものを、可能な限り伝えていった。

続いて、今度はみなみが、慶一郎のことについて話した。

夏の大会で慶一郎が思ったこと、その交代で感じたこと、それ以外にも、野球部や監督に対して思っていることなど、それらを、もちろん慶一郎の使った言葉そのままではなく、オブラートにくるんでではあったが、しかしなるべく率直に、ありのままを包み隠さず伝えるようにした。

すると加地は、こんなふうに言った。

「おれは、浅野がそんなふうに考えていたなんて、これまで全く知らなかったよ」。

加地は、きょとんとした顔で言った。

「むしろ、あいつは桜井のエラーで気分を害したから、代えてほしいのかと思ってたくらいだ。

だからおれは、よかれと思って代えたんだけどなぁ」それでみなみは、びっくりしてこう言った。

「え、だって、それ以来、浅野くんずっとふてくされて、練習も真面目にやってないじゃないですか」「え、そうか?あいつは、前からあんなじゃなかったっけ?だけど、いずれにしろ、ふてくされてるというのも全く気づかなかったよ」これには、さすがにみなみも呆れてしまった。

いくら部員と距離を置いているとはいえ、鈍感にもほどがあった。

みなみは、自分で自分を鈍いと思っていたけれど、加地ほどではないと思わされた。

しかし、それならそれで問題の解決も早いように思われた。

慶一郎の気持ちに気づかなかったことがここまで問題がこじれたことの原因なら、それを解消しさえすればいいだろうと思ったからだ。

そこで、みなみはこう提案した。

「監督。

一度浅野くんと話し合ってもらえませんか。

そこで、監督が今おっしゃったことを、浅野くんに伝えてほしいんです。

そうすれば、浅野くんの誤解も解けて、彼も気持ちよく練習に取り組めるようになると思うんです」しかし加地は、しばらく考えた後、言葉を選ぶように、ゆっくりとした口調でこう答えた。

「いや、しかし、それはどうだろう。

きみらの言いたいことは、理解したよ。

確かにそこには、誤解があったと思う。

ぼく自身にも、至らないこと、足りないことはあった。

そこは認める」。

それから、妙によそよそしい、他人事のような言い方でこう続けた。

「しかし、それを浅野と話し合うというのはどうだろう。

おれが言っても、結局あいつは、よくは受け取らないんじゃないかなぁ。

それで、かえって関係をこじらせるかもしれない。

だから、きみらからそれを伝えるというのならそれでもいいけど、ぼくが直接言うというのは、ちょっと賛成しかねるな。

それは、必ずしも得策とは思えないよ」そんなふうに、加地はあれこれと理由をつけて、結局慶一郎との対話を拒絶したのだった。

加地が帰った後の反省会は、お見舞い面談が始まって以来最も暗いものとなった。

「なんだかんだ言って、結局話すのが怖いのよ」。

この日は珍しく、みなみの方から切り出した。

「言い訳をして、逃げてるだけね」「確かにそうね」と、夕紀も相槌を打った。

「それに、そういう態度がまた、浅野くんを意固地にさせてるところもあるんだよね。

浅野くん、ああ見えて純粋なところがあるから、ちゃんと話せば、それを受け取ってくれると思うんだけどなぁ。

もったいないよね」「うん、その通り。

それを私たちが伝えたんじゃ、かえって逆効果になるのよね。

『なんで直接言わないんだ』って、ますますふてくされるだけだわ」それでもみなみは、結局「通訳」はマネジャーの大切な仕事の一つだと割りきって、慶一郎に加地の言葉を伝えたのだった。

それに対し、慶一郎は、表向きは素直に聞いていた。

しかしみなみには、彼がそれをどう受け取ったのか、よく分からなかった。

話を聞き終わると、彼はただ一言「ああ、そう」と答えただけで、後は何も言わなかったからだ。

 

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