MENU

第七章新技術にふりまわされない──促進剤としての技術

目次

第七章新技術にふりまわされない──促進剤としての技術

技術と針鼠の概念技術の罠取り残されることへの恐怖心ニューコアVSベスレヘム・スチール

第七章新技術にふりまわされない──促進剤としての技術

ほとんどの人は考えるぐらいなら死ぬほうがいいと思っている。

そして、死んでいく人が多い。

バートランド・ラッセル(1)

一九九九年七月二十八日、インターネット薬局の草分けの一社、ドラッグストア・ドット・コムが株式を公開した。

取引開始の直後から同社株は公開価格の三倍近くまで上昇し、六十五ドルになった。

四週間後には六十九ドルになり、株式時価総額が三十五億ドルを超えた。

営業をはじめて九か月にもならず、従業員が五百人以下、配当は少なくとも数年にわたって期待できず(数十年にわたってかもしれないが)、黒字転換を果たすまでに数億ドルの赤字を出す計画をたてている企業にしては悪くない株価だ(2)。

この異例の株価が正当だとする理屈は、どのように組み立てられていたのだろうか。

「新技術によってすべてが変わる」と主張された。

「インターネットはすべての事業に革命をもたらす」と教祖が唱えた。

「インターネットで未開の巨大市場の開拓がはじまった。

この市場に一番乗りを果たし、素早く動き、市場シェアを獲得すれば、それにどれほどのコストがかかっても、勝利を収められる」と起業家が叫んだ。

歴史のなかでもめったにない時期にさしかかり、偉大な企業を築こうと努力するという考え方自体が時代後れでかび臭くなったように思えた。

「株式を公開できる企業を築け」が合言葉になっているようだった。

どんな事業でもかまわないから、インターネット関連の事業をしていると吹聴すればいい。

利益をあげていなくても(会社といえるほどになっていなくても)、株式公開で金持ちになれる。

準備から突破への苦しい道を歩み、ほんとうに有効な事業方式を苦労して組み立てる必要などあるのだろうか。

「新技術」と叫ぶか、「ニュー・エコノミー」と叫ぶだけで、数億ドルが流れ込んでくるのだから。

なかには、まともな企業を築く意思すら示さず、ましてや偉大な企業を築こうなどとは考えてもいない起業家もいた。

二〇〇〇年三月には、情報提供用のウェブ・サイトと事業計画があるだけで、他には何もないまま株式公開を申請した起業家がいたほどだ。

この起業家はインダストリー・スタンダード誌のインタビューで、事業をはじめる前に株式を公開するのは奇妙に思えるかもしれないと認めたが、それでも、売上も従業員も顧客もなく、会社の実態すらない状況で、百十万株を一株当たり七~九ドルで投資家に売りつけようとした(3)。

インターネットの新技術の時代に、オールド・エコノミーの遺物のような古臭い考えをだれが必要とするだろう。

そう考えられていた。

熱狂の最盛期に、ドラッグストア・ドット・コムがウォルグリーンズに挑戦状を突きつけた。

ウォルグリーンズ株はドット・コム株ブームで打撃を受け、ドラッグストア・ドット・コムの株式公開までの数か月に四十パーセント以上、株価が下落した。

一九九九年十月、フォーブス誌はこう伝えている。

「インターネット事業の競争に勝つのは、元気のいい新興企業だと投資家は判断しているようだ。

たとえばドラッグストア・ドット・コムがそうで、株価は一株当たり売上高の三百九十八倍に達していて、ウォルグリーンズの同一・四倍を大きく引き離している」(4)。

証券会社のアナリストはウォルグリーンズ株の推奨を引き下げ、同社株の時価総額は百五十億ドル近く減少して、インターネットの脅威に対応するよう同社に求める圧力が強まっていった(5)。

この狂乱のなかで、ウォルグリーンズはどう対応しただろうか。

「当社は、這い、歩き、走るを信条としている」と、ダン・ジョーントがインターネットに慎重に組織的に取り組む姿勢をフォーブス誌に語っている。

同社経営陣は天が落ちてきたと騒ぐのではなく、当時としては異例の動きをとった。

立ち止まって考えることにした。

頭を使って熟慮することにしたのである。

はじめはゆっくりと(這うように)、ウェブ・サイトの実験を開始し、その間に社内でインターネット事業の意味について、自社の針鼠の概念との関連で徹底した議論を行った。

インターネットが利便性の概念とどのように関連するのだろうか。

どうすれば、来客一人当たりキャッシュフローという指標に結び付けることができるのか。

インターネットをどのように使えば、世界のどの企業よりもすぐれている点をさらに強化でき、情熱をもてる方法で事業を進められるのだろうか。

この議論を進めるとき、同社経営陣はストックデールの逆説を信奉していた。

「当社がインターネットの世界で傑出した企業になりうるとの確信は揺るがない。

そして同時に、インターネットの厳しい現実を直視しなければならない」。

同社経営幹部のひとりが、この歴史的な時期について面白い話を聞かせてくれた。

インターネット時代を代表する人物のひとりが、「ウォルグリーンズか。

インターネットの世界にはいかにも古臭く、泥臭い会社だ。

時代の流れに取り残されるだろう」といった発言をした。

同社の人たちは、インターネットのエリートによるこの傲慢な発言に苛立ちはしたが、公の場で反論しようと真剣に考えたことはなかった。

「やるべきことを静かにやっていけばいい。

連中がとんでもない犬の尻尾を引っ張っていたことが、いずれはっきりしてくる」とある幹部が語った。

やがて少し動きが速くなり(歩くように)、同社はインターネットを自社の高度な在庫・物流管理システムに直接に結び付ける方法を見つけ出し、やがて、利便性の概念とも結び付ける方法を見つけ出した。

処方をオンラインで入力し、車に乗り込んで近くのウォルグリーンズのドライブスルー店に行けば(そのときたまたま、どこかの都市に行っていても、近くにある店に行きさえすれば)、窓口でほんの少し待つだけで薬を受け取れる。

その方が便利なら、発送してもらうこともできる。

大あわての右往左往もなければ、大げさな宣伝もなければ、虚勢もない。

現実を理解するために静かに努力し、考え抜かれた手段を静かにとっていった。

そして最後に(走るように)、ウォルグリーンズは大きな賭にでた。

ほとんどのドット・コム専業企業に負けないほど、高度でうまく設計されたインターネット・サイトを開設したのだ。

二〇〇〇年十月、この章を書く直前に、われわれはウォルグリーンズ・ドット・コムを使ってみた。

使いやすいし、その時点で電子商取引の雄だったアマゾン・ドット・コムとくらべても遜色ないほど、配達の仕組みが信頼でき、よく考え抜かれている。

フォーブス誌の記事からちょうど一年たって、ウォルグリーンズはインターネットを利用して勢いをさらに強める方法をみいだし、同社はさらに強固になった。

求人を大幅に増やすと発表し(それもインターネット・サイトで)、一層の成長を支える人材を集めている。

一九九九年にドット・コムの脅威への懸念が最高潮に達した時点から一年以内に、株価は二倍近くに上昇した。

では、ドラッグストア・ドット・コムはどうなったか。

巨額の損失が続いたことから、資金を節約するためにレイオフを発表した。

株価は最高値をつけてから一年少しで二十六分の一に下がった。

時価総額のほとんどを失ったのだ(6)。

ウォルグリーンズは這い、歩き、走るようになったが、ドラッグストア・ドット・コムは逆に走りから歩きになり、ついには這うようになった。

ドラッグストア・ドット・コムが今後、すぐれた業績を持続できる方法を見つけ出し、偉大な企業になる可能性もある。

しかし、派手な技術や、大げさな宣伝や、株式市場の根拠なき熱狂によって偉大になるのではない。

偉大な企業になるとするなら、それは、三つの円の理解に基づく一貫した概念を実現するために、技術をどのように適用するかを見つけ出したときである。

技術と針鼠の概念こういう意見もあるだろう。

「インターネットへの熱狂は投機のバブルにすぎず、それがはじけただけのことだ。

それがどうしたというのだ。

バブルがいつまでも続くものではないことは、だれでも知っている。

良好から偉大への飛躍について、そこから何を学べるというのか」はっきりさせておこう。

この章の要点はインターネット・バブルでみられた具体的な事例に直接に関係しているわけではない。

バブルは膨らんでははじける。

鉄道が登場したときにそうなった。

電気の登場でもそうなった。

ラジオでもそうなった。

パソコンでもそうなった。

インターネットでもそうなった。

今後も、新しい技術の登場とともにバブルが膨らみはじけるだろう。

しかし、技術がさまざまに変化しても、偉大な企業は変化に適応し、乗り切っていく。

過去百年間に登場した偉大な企業は、ウォルマートからウォルグリーンズまで、プロクター&ギャンブルからキンバリー・クラークまで、メルクからアボットまで、どの企業も電気、テレビ、インターネットなど、いくつもの技術変化を乗り切っている。

これまでも技術の変化に適応して偉大さを維持してきた。

今後も適応していくだろう。

技術の進歩による事業環境の変化は決して新しいことではない。

だから、ほんとうに問題になるのは「技術はどのような役割を果たすか」ではない。

「偉大さへの飛躍を遂げた企業が技術について、通常とは違った考え方をしているのはどの部分か」である。

ウォルグリーンズがいずれインターネットを理解することは、事前に予想できたはずだ。

同社は長期にわたって情報技術分野に巨額を投資してきており、業界の他社が情報技術を活用するようになった時期は、同社よりはるかに遅かった。

一九八〇年代初めには、インターコムと呼ぶ大がかりなネットワークを他社に先駆けて構築した。

これは単純明快な考えに基づくものだ。

自社の店舗すべてを結ぶネットワークを構築し、顧客データを中央に集めておけば、顧客は全米のどの店舗に行っても、地元の店舗と同じサービスを受けられる。

たとえば、フロリダ州に住む顧客がアリゾナ州フェニックスに旅行したときに処方薬を切らしてしまったとしよう。

フェニックスの店舗に行けば何の問題もなく、自宅近くの店舗と同じように、データを調べて必要な薬をだしてくれる。

そんなことはごく普通ではないかと思えるかもしれないが、それはいまの感覚で考えるからだ。

ウォルグリーンズが一九七〇年代後半にインターコムに投資したとき、業界にはこれに似たシステムをもっている企業はまったくなかった。

インターコムには最終的に四億ドル以上を投資しており、うち一億ドルは自社の衛星通信網への投資であった(7)。

インターコムの中央管理センターは「ウォルグリーン地上局」と名付けられていて、ここを見学すると「高度な電子機器が大量に並んでおり、NASAの管制センターを見学しているかのように感じられる」と、ある業界紙が伝えている(8)。

同社の技術陣は情報システムのすべてを保守管理する能力をもつようになり、外部の専門家には頼っていない(9)。

それだけではない。

スキャナー、ロボット、コンピューター在庫管理、高度な倉庫管理システムの利用でも、同社は先頭を切っている。

インターネットは、それまでの動きを一歩前進させるものにすぎない。

ウォルグリーンズがこれらの先進技術を取り入れてきたのは、先進技術に夢中だからではないし、時代に取り残されるとの恐怖心をいだいたからでもない。

技術は、突破段階に入った後、その勢いを加速するための手段として使われている。

そして、利便性の高いドラッグストアによって来客一人当たりの利益を増やしていくという針鼠の概念に、直接に結び付けて使われている。

余談ながら、一九九〇年代後半に同社が情報技術力を高めていったとき、その指揮をとる最高情報責任者(CIO)は薬剤師であって、情報技術の専門家ではなかった(10)。

同社の姿勢はいつもはっきりしている。

針鼠の概念が情報技術の利用方法を決めるのであって、その逆ではない。

ウォルグリーンズだけではない。

飛躍した企業はいずれも、技術力を高めてきている。

しかし、技術一般ではなく、慎重に選択した分野の技術の応用で、先駆者になっている。

飛躍した企業はいずれも、技術の応用で先駆者になったが、どの分野の技術なのかは会社によって大きく違っている(「各社が促進剤とした技術」を参照)。

たとえばクローガーは、バーコード・スキャナーを逸早く利用し、店舗での販売と裏方の在庫管理を結び付けて、A&Pを追い抜く動きを加速させた。

面白くもないと思われるかもしれない。

在庫管理なぞに胸踊らせる人はほとんどいない。

だが、こう考えてみるべきだ。

倉庫に入って、そこに積み上げられた箱に入っているものがコーン・フレークスでも野菜の缶詰でもなく、じつは紙幣なのだと。

手が切れそうなパリパリの紙幣が、パレットに乗せられて天井まで積み上げられているのだと。

これこそが、在庫についての正しい見方なのだ。

野菜の缶詰の箱は、ただの野菜の缶詰の箱ではない。

現金である。

現金が倉庫に眠っており、野菜の缶詰を売るまでは何の役にも立たない。

前述のように、クローガーは暗くて古くて小さな食品雑貨店を組織的に閉店し、明るく大きく快適なスーパーマーケットに置き換えていった。

この目標を達成するために、総額九十億ドルを超える投資を行っており、これだけの資金を粗利益率の低い食品雑貨小売り事業で生み出さなければならなかった。

投資額がいかに大きかったかは、同社が年間の税引き利益の平均二倍を超える設備投資を、三十年間にわたって毎年続けてきたことをみれば理解できるだろう(11)。

さらに印象的な点をあげるなら、同社は一九八八年、買収攻勢を撃退するために、五十五億ドルの高利回り債を発行し、株主に一株当たり四十ドルの現金と八ドルの劣後債を特別配当として支払いながらも、八〇年代、九〇年代に巨額の現金を必要とする店舗の入れ替えを進めている(12)。

同社は店舗をすべて一新し、楽しく買い物ができるようにし、扱う商品を飛躍的に増やすと同時に、数十億ドルの負債を返済しているのだ。

バーコード・スキャナーの技術をうまく使い、手が切れそうなパリパリの紙幣を倉庫から運び出し、活用して、帽子から一匹ではなく、二匹でもなく、三匹の兎を取り出す見事な手品を成功させた。

ジレットも技術の応用で先駆者になった。

しかし、ジレットが促進剤としたのは、情報技術ではなく、主に製造技術だ。

低コストで耐久性のある剃刀の刃を文字通り何十億枚も製造するのに、どのような技術が必要かを考えてみればいい。

ジレットの剃刀を手に取るとき、その刃はもちろん完璧だし、髭剃り一回当たりのコストは低いと消費者は考えている。

センサーを例にとるなら、ジレットは総額二億ドル以上を設計と開発に投資した。

その中心は製造過程の革新であり、二十九の特許権を取得している(13)。

レーザー溶接技術を髭剃り製品の大量生産に応用したが、この技術は通常、心臓用ペースメーカーなど、高度で高価な製品の製造に使われているものだ(14)。

ジレットの髭剃り製品のカギは製造技術の独自性にあるため、同社はコカ・コーラが調合の秘密を守るのと変わらぬほど厳重に製造技術の秘密を守っている。

警備員は武装しているし、秘密情報を扱う従業員に対する身元調査まである(1

)。

各社が促進剤とした技術企業名促進剤とした技術アボットコンピューター技術の先進的応用。

これにより従業員一人当たり利益という財務指標を向上させた。

医薬品の研究開発では最先端ではなく、この点でメルク、ファイザーなど、針鼠の概念が違う企業と競争しない姿勢をとる。

サーキット・シティPOSと在庫管理の高度な技術の先駆的応用。

大型家電製品の小売りで、マクドナルドに匹敵する企業になるとの概念に結びつき、地域的に分散した事業を一貫した方式で管理できるようにした。

ファニーメイ高度な数式とコンピューター分析の先駆的応用。

住宅ローンのリスクを正確に評価できるようになり、リスク水準当たり利益という財務指標を向上させた。

リスク分析のエクスパート・システムで低所得者層が住宅ローンを借りやすくし、国民すべてが住宅を所有できるようにすることへの情熱と結び付ける。

ジレット耐久性がきわめて高い製品を低コストで大量に製造する高度な技術の先駆的応用。

コカ・コーラが調合の秘密を守るのと変わらぬほど厳重に製造技術の秘密を守る。

キンバリー・クラーク不織素材を中心とする製造技術の先駆的応用。

製品の品質を追求する情熱と結び付ける。

高度な研究開発施設をもち、「体温と湿度をはかるセンサーをつけた乳児が遊んでいる」クローガーコンピューター・情報技術の高度な応用。

これによりスーパーマーケットをたえず改良。

バーコード・スキャナーの本格的導入で先頭を切り、キャッシュフロー・サイクルを向上させ、店舗網の大規模な更新のための資金を生み出した。

ニューコア最先端の電炉製鋼技術の先駆的応用。

世界中を探し回り最先端技術を導入。

薄板連続鋳造といったリスクが高いとみられていた技術に純資産の五十パーセントを投入するなど、思い切った投資を行う。

フィリップ・モリス包装・製造技術の先駆的応用。

ボックス型包装技術を導入し、タバコの包装に二十年ぶりの技術革新をもたらす。

製造工程へのコンピューター利用で先駆者になった。

最先端の製造・品質管理技術の実験・試験・改良を担う製造センターに巨額を投資。

ピットニー・ボウズ郵便業務への先端技術の先駆的応用。

当初は機械式の郵便料金メーターを開発。

後に、電気・ソフトウェア・通信・インターネット技術の開発に巨額を投資し、高度な事務機器を開発。

一九八〇年代には郵便料金メーターの根本的な改良に巨額の研究開発費を投じた。

ウォルグリーンズ衛星通信とコンピューター・ネットワークの技術の先駆的応用。

利便性の高いドラッグストアの概念に結び付け、顧客層と立地によるニーズの違いに対応。

衛星通信網への思い切った投資によって全店舗を結び、巨大な「街角の薬局」を作り上げた。

「NASAの管制センターのようだ」と評されている。

業界他社より少なくとも十年先行。

ウェルズ・ファーゴ情報技術の先駆的応用。

従業員一人当たり利益を増加させる。

二十四時間の電話バンキング、ATMを早期に導入、ATMでの投資信託商品売買で先頭を切り、インターネット・バンキング、電子バンキングで先駆者に。

貸出のリスク評価を向上させる高度な数学モデルで先駆的。

技術は業績の勢いの源ではなく、促進剤ジム・ジョンソンはデービッド・マクスウェルの後任としてファニーメイ(連邦抵当金庫)のCEOに就任した後、コンサルティング会社に自社の技術監査を依頼した。

監査を担当した主任コンサルタントのビル・ケルビーは四段階の評価を用い、四を最先端、一を石器時代並みとした。

ファニーメイの評価は二にすぎなかった。

そこで「最初に人を選ぶ」原則にしたがって、同社はケルビーを雇って技術水準を向上させることにした(16)。

ケルビーが入社した一九九〇年には、同社は技術の利用でウォール街の大手に十年ほど遅れていた。

その後の五年間に、ケルビーは組織的な努力によって、ファニーメイの技術水準を四段階評価で二・〇から三・八まで引き上げていった(17)。

三百を超えるアプリケーション・ソフトを開発した。

たとえば六千億ドルのモーゲージ・ポートフォリオを管理する高度な分析ソフト、六千万の物件のデータを収めたオンライン・データベースを開発し、業務の合理化によって、書類作成と事務作業を大幅に削減した。

「事務部門が中心だった情報技術の利用を他の部門にも広げて、事業のすべての部分を変えていくのに活用した。

エクスパート・システムを開発して、住宅購入のコストを引き下げた。

当社のソフトを利用すれば、金融機関は住宅ローンの承認に必要な時間を三十日から三十分に短縮でき、それに要するコストを一件当たり一千ドル節減できる」とケルビーは語る。

現在までに、このシステムによって住宅購入者が負担するコストが累計四十億ドル近く節減されている(18)。

ファニーメイの転換は一九八一年、デービッド・マクスウェルがCEOに就任したときにはじまっているが、九〇年代初めまで、同社が技術の利用で大幅に後れをとっていた事実に注目すべきだ。

情報技術の利用がファニーメイにとってきわめて重要になったのは事実だが、そうなったのは針鼠の概念を発見した後、突破段階に入ってからなのだ。

情報技術の利用は、同社の経営陣がいう転換の「第二の風」で主要な要因になり、促進剤の役割を果たした(19)。

クローガーでもジレットでもウォルグリーンズでも同じであり、飛躍を遂げた企業のすべてで同じである。

技術の利用で先駆者になるのは、転換期の始点ではなく、そのかなり後である。

この点から、この章の中心になるテーマを導き出すことができた。

技術は適切に利用すれば業績の勢いの促進剤になるが、勢いを作りだすわけではない。

偉大な業績に飛躍した企業が、先駆的な技術の利用によって転換をはじめたケースはな

い。

理由は簡単だ。

技術をうまく活用するにはまず、どの技術が自社にとって重要なのかを判断できなければならないからだ。

ではどのような技術が重要なのか。

針鼠の概念の三つの円が重なる部分に直接に関係する技術、重要なのはそういう技術だけである。

偉大な企業への飛躍に際して、技術をうまく活用するには、以下のように問いかけるべきだ。

この技術は自社の針鼠の概念に直接に適合しているだろうかと。

この問いへの答えがイエスであれば、その技術の利用で先駆者になる必要がある。

ノーであれば、その技術は必要なのかと考えるべきだ。

この問いへの答えがイエスなら、ごく普通に採用すればいい(偉大な企業になるために、最先端の電話システムをもつ必要はない)。

答えがノーであれば、その技術は自社にとって無関係であり、無視できる。

技術の利用で先駆者になることも、飛躍を遂げた企業が針鼠の概念の枠内に止まる規律をもつ点のあらわれのひとつなのだと、われわれは考えるようになった。

概念的にいえば、これら企業が技術分野の判断をくだすときの考え方は、他の分野の判断をくだす際の考え方と何ら変わらない。

規律ある人びとが、規律ある考えをし、規律ある行動をとっている。

ある技術が三つの円の重なる部分に収まらないのであれば、大騒ぎや恐怖心を無視し、事実の認識に基づいておどろくほど落ちついて事業を進めていく。

しかし、どの技術が重要なのかを理解したとき、その技術の適用に熱狂的ともいえるほど熱心に取り組み、創造性を発揮する。

これに対して比較対象企業では、技術の利用で先駆者になったケースは三つしかなかった。

クライスラーのコンピューター援用設計(CAD)、ハリスの印刷への電子技術の応用、ラバーメイドの先進的製造技術である。

いずれも持続できなかった比較対象企業であり、技術力だけでは偉大な業績を維持できないことを示している。

たとえばクライスラーは、CADなどの先進的設計技術を見事に利用してきたが、この技術力を一貫した針鼠の概念と結び付けることができなかった。

一九八〇年代半ば、ガルフストリームのジェット機やマセラッティのスポーツカーなど、三つの円から外れる部分にさまよい出るようになって、先進的な技術力だけでは業績がふたたび大幅に悪化するのをくい止めることはできなかった。

針鼠の概念が明確になっておらず、三つの円の重なる部分に止まる規律がない場合、技術力で偉大な企業を築くことはできない。

技術の罠この章を執筆しながら、頭を離れない出来事が二つある。

第一は、タイム誌が一九九九年に、「二十世紀を代表する人物」にアルベルト・アインシュタインを選んだことである。

「その人物がいなければ、現在の世界がどれほど変わっていたか」という基準で二十世紀を代表する人物を選ぶとすれば、アインシュタインが選ばれたのは意外だ。

チャーチル、ヒトラー、スターリン、ガンジーらの指導者が、良い方向であれ悪い方向であれ、人類の歴史の方向を変えてきたからだ。

物理学者によれば、アインシュタインがいなくても、相対性理論がいずれ確立されたのは間違いない。

その時期はたぶん五年遅れであり、十年遅れなら確実で、五十年も遅れることはありえないという(20)。

この時期が遅れていれば、広島と長崎に原爆が投下されることはなかっただろう。

しかし、アインシュタインが選ばれたのはなぜなのか。

タイム誌はこの選択について、こう説明している。

「政治家の影響力と科学者の影響力を比較するのはむずかしい。

とはいえ、政治が特徴になった時代もあれば、文化が特徴になった時代もあり、科学の進歩が特徴になった時代もある。

……では将来、二十世紀はどういう時代だったとみられるだろうか。

民主主義の時代として。

たしかにそうだ。

公民権の時代として。

これも正しいだろう。

だが、二十世紀は何よりも、科学技術の進歩が世界を震撼した時代として後年、記憶されることになるだろう。

……科学技術の進歩はある意味で、どの政治家よりも自由の拡大に貢献している。

何よりも科学技術の進歩の時代として記憶されるこの世紀に、……時代を象徴する人物として傑出しているのは……アルベルト・アインシュタインである」(21)要するに、タイム誌の編集部は二十世紀を代表する人物を選ぶのではなく、二十世紀を代表するテーマとして科学と技術をまず選び、つぎにこのテーマでもっとも著名な人物を選んだのである。

面白いことに、二十世紀を代表する人物にアインシュタインを選んだと発表した直前に、タイム誌は一九九九年を代表する人物を発表している。

だれを選んだのだろうか。

電子商取引の顔、アマゾン・ドット・コムのシェフ・ベゾスだ。

これもまた、技術による変化に執着する文化を反映した選択である。

はっきりさせておきたいが、わたしはタイム誌の選択に賛成したいわけでも反対したいわけでもない。

この二つの選択が興味深いと考えているだけである。

この選択は現代人の心理を見事に映し出している。

現代に生きる人間が共通にもつこだわりのひとつは、技術とそれが与える影響なのである。

この点から第二の出来事を思い出す。

この本の執筆という厳しい仕事から短期間離れて、わたしはミネソタ州に行き、マスターズ・フォーラムで講演を行った。

マスターズ・フォーラムは十五年近く、経営者向けのセミナーを続けており、その間に繰り返し取りあげられたテーマが何なのかにわたしは興味をもった。

責任者のジム・エリクソンとパティ・グリフィン・ジェンセンが答えてくれた。

「いつも取り上げられるテーマに技術、変化、両者の関係がある」「どうしてだと思いますか」「自分に何が分かっていないかは、分からないものだ。

そして経営者はみな、新しい技術が知らぬ間に背後から近づいてきて、自分を引き倒すのではないかと恐れている。

技術を理解しておらず、技術を恐れている人が多い。

そして技術は変化をもたらす重要な要因で、技術に注意を払っておくべきだと全員が確信している」このように技術が強迫観念になっていることを考えれば、そして、良好から偉大に飛躍した企業が技術の利用で先駆者になっていることを考えれば、これら企業の経営陣にわれわれがインタビューを行ったとき、「技術」が話題のうちかなりの部分を占めていたはずだと思えるかもしれない。

まったく意外なことに、われわれが偉大な企業への飛躍を導いた経営幹部を対象に行ったインタビューでは、全体の八十パーセントは、飛躍をもたらした上位五つの要因のなかに技術をあげていない。

さらに、技術をあげた場合にも、順位の中央値は第四位にすぎなかった。

インタビューを行った八十四人のうち、技術を第一位にあげた人は、二人にすぎなかった。

技術が決定的に重要であれば、飛躍を遂げた企業の経営陣はどうして、技術についてほとんど触れていないのだろうか。

技術を無視しているからではないのはたしかだ。

これら企業はいずれも、高度な技術力をもち、この点で比較対象企業を大きく引き離してい

 

 

 

 

る。

何社かは、技術の先駆的な利用についてマスコミに大きく取り上げられ、賞を受けている。

ところが、経営陣はほとんど技術の問題について語っていない。

マスコミと経営者とでは、まったく違った企業について論じているかのようだ。

たとえばニューコアは、電炉製鋼技術を積極的に利用した先駆者として広く知られており、数十の記事と二冊の本で連続鋳造と電炉への大胆な投資が褒めたたえられている(22)。

経営学大学院では、新技術の導入によって古い秩序を打ち壊した決定的な事例だとされている。

しかし、われわれが偉大な企業への飛躍をもたらした要因を上から五つあげるよう求めたとき、ニューコアの転換期のCEO、ケン・アイバーソンは、技術力を第一位にはあげなかった。

第二位にもあげなかった。

第三位でもなかった。

第四位でもない。

では、第五位だろうか。

これも違っていた。

「主要な要因は、会社の一貫性、組織全体にわれわれの考え方を浸透させる能力、それを可能にした要因として、経営階層がなく官僚主義がない組織だ」(23)この点について、少し考えてみよう。

完璧な事例研究があり、新技術によって古い秩序を覆したとされている。

ところが、その中心になった経営者が、飛躍をもたらした上位五つの要因のなかに、技術をあげることすらしていない。

ニューコアの他の経営幹部にインタビューを行った結果も、これと変わらない。

対象にした七人の経営幹部と取締役のうち、技術力を第一の要因としてあげた人はひとりだけであり、ほとんどの人は他の要因を指摘している。

新技術に大胆に投資したことに触れた人は何人かいたが、他の要因の方が重要だったと語っている。

農民の労働観をもつ人たちをバスに乗せ、適切な人を経営の主要な地位につけ、組織を単純にして官僚制をなくし、業績重視の厳しい企業文化で製品一トン当たりの利益を増やしていったといった要因である。

技術力はニューコアにとって成功をもたらす要因であったのはたしかだが、副次的な要因にすぎなかったのだ。

ある経営幹部がこう要約している。

「当社の成功の二十パーセントは、採用した新技術によるものだが、……八十パーセントは企業文化によるものだ」(24)

ニューコアとまったく同じ技術を、まったく同じ時期に、まったく同じ資源をもった企業が採用したとしても、ニューコアのような実績をあげることはできなかったはずだ。

デイトナ五百に似ているともいえる。

このレースに勝利を収めるためにもっとも重要な要因は自動車ではなく、ドライバーとチームだ。

自動車は市販車を小幅改造したもので、重要でないというわけではないが、副次的な要因にすぎない。

業績が凡庸なのは何よりも経営の失敗によるものであり、技術力が低いためではない。

たとえばベスレヘム・スチールが低迷しているのは、電炉技術に押されたことよりも、長年にわたって労使関係が険悪なことの結果であり、労使関係が悪いのは経営の考え方が遅れており、非効率なためである。

同社はニューコアなどの電炉メーカーがかなりの市場シェアを握るようになる以前から、長期低落をはじめている(25)。

一九八六年にニューコアが連続鋳造を導入して技術面で飛躍した時点では、ベスレヘム株は六六年からの運用成績でみて、市場平均に対して八十パーセント以上も下落していた。

とはいっても、ベスレヘムの苦境に技術が無関係だったというわけではない。

技術は要因のひとつだったし、やがては大きな要因になった。

だが、技術は同社の没落を促進した要因であって、原因ではない。

ここでも同じ原則がはたらいている。

技術は促進剤であって原因ではないのだ。

ただし、この場合には技術の影響が逆方向になっている。

われわれは比較対象企業のすべてを検討していったが、業績低迷をもたらした主因が、新技術という魚雷に吹き飛ばされたことであった事例はひとつも見つからなかった。

R・J・レイノルズが世界一のタバコ会社の地位を失ったのは技術の変化のためではない。

経営陣が規律を欠いた事業多角化で混乱したからであり、後には、経営陣が会社を食い物にして金持ちになろうとしたからだ。

A&Pがアメリカ第二位の座からほとんど影響力をもたない企業にまで転落したのは、バーコード・スキャナーの導入でクローガーに遅れをとったからではない。

食品雑貨小売りの性格が変化した厳しい現実を直視する規律を欠いていたからだ。

今回の調査では、かつて超優良であった企業の没落(そして、ほとんどの企業が凡庸さから抜け出せないこと)が技術の変化を主因とするものだとの見方を支える事実はでてこなかった。

たしかに技術は重要だ。

技術面で遅れていては、偉大な企業にはなれない。

しかし、技術そのものが偉大な企業への飛躍や偉大な企業の没落の主因になることはない。

経営史をみても、新技術の先駆者が最終的に勝者になった例はきわめて少ない。

たとえば、パソコン用スプレッドシート・ソフトで先陣を切ったのはビジカルクであった(26)。

いま、ビジカルクはどうなっているのか。

周囲にビジカルクを使っている人がいるだろうか。

このソフトを開発した企業はどうなったのか。

消えてしまった。

いまでは存続すらしていない。

ビジカルクはやがてロータス1‐2‐3に負け、ロータスはエクセルに負けた(27)。

ロータス社は業績が急激に悪化し、IBMに身売りしてようやく生き残った(28)。

同様に、ポータブル型のパソコンを初期に販売していたのは、オズボーンなど、いまでは姿を消した企業だ(29)。

現在ではデル、ソニーなどがこの市場で有力になっている。

二番手(あるいは三番手、四番手)の追随企業が新たな市場を切り開いた企業を打ち負かすパターンは、技術と経済の変化の歴史に繰り返しあらわれている。

IBMは当初、コンピューターの商業化で先頭を走っていたわけではない。

コンピューターではじめて商業的に成功を収めたのは、ユニバックを開発したレミントン・ランドだ。

IBMは大きく遅れたため、同社のはじめてのコンピューターが「IBMのユニバック」と呼ばれたほどである(30)。

ボーイングはジェット旅客機の先駆者ではない。

先駆者はデ・ハビランドだが、コメットがつぎつぎに空中分解を起こし、ブランド・イメージが傷ついて失速した。

ボーイングは市場への参入は遅かったが、航空機の安全性と信頼性の向上に投資し、三十年以上にわたって市場で圧倒的な地位を占めている(31)。

このような例は、何ページでもあげていくことができる。

GEは交流電力の先駆者ではない。

先駆者はウェスチングハウスである(32)。

パーム・パイロットは携帯情報端末の先駆者ではない。

先駆者はニュートンを開発して注目を集めたアップルだ(33)。

AOLはパソコン通信の先駆者ではない。

先駆者はコンピュサーブとプロディジーだ(34)。

技術面では先頭を走っていたが、結局は勝利を収めて偉大な企業になることができなかった企業なら、長い長いリストを作ることができる。

こういうリストを作れば、きわめて興味深いものになるだろうが、どの例も基本的な真実を示すものになろう。

技術そのものでは、凡庸な企業を超優良企業に飛躍させることはできないし、企業の没落を防ぐこともできないのだ。

歴史は繰り返しこの真実を教えている。

ベトナム戦争を考えてみよう。

アメリカには最先端の技術力をもつ軍隊があった。

超音速ジェット戦闘機があった。

戦闘ヘリコプターがあった。

先進的な武器があった。

コンピューターがあった。

高度な通信機器があった。

何百キロにもわたる国境にセンサーを設置した。

ところが、圧倒的な軍事技術力に依存したために、負けるはずがないとの驕りが生まれた。

アメリカに欠けていたのは技術力ではない。

戦争についての単純で一貫した概念、技術力の活かし方を決める概念が欠けていた。

いくつもの効果のない戦略の間を揺れ動き、主導権を握ることができなかった。

一方、技術力に劣る北ベトナム軍は、単純で一貫した概念を信奉していた。

ゲリラによる消耗戦によって、戦争に対するアメリカ国内の世論の支持を低下させていくことである。

戦争に利用したささやかな技術は、この単純な概念に直接に結びついていた。

たとえばAK47ライフルは戦場で、複雑なM‐16よりはるかに信頼性が高く、修理も簡単だ。

そして周知のように、アメリカは高度な軍事技術をもちながら、ベトナム戦争で敗北した。

技術こそが企業の成功のカギだと考えているのであれば、ベトナム戦争についてじっくりと考えてみるべきだ。

技術への闇雲な依存は、強みではなく、弱みになりかねない。

もちろん、深い理解に基づく単純明快で一貫した概念に結び付けた形で使えば、技術力は業績の勢いを促進する不可欠な要素になる。

だが、使い方を間違えれば、単純明快で一貫した概念にどう結びつくのかを深く理解しないまま、安易な解決策として技術に飛びついた場合には、みずからが招いた転落を促進する要因になる。

取り残されることへの恐怖心調査チーム内で、技術の問題が独立した章として扱うほど重要かどうか、激しい議論が戦わされた。

スコット・ジョーンズがこう主張した。

「技術の問題を扱った章は不可欠だ。

いまでは経営学大学院でみな、技術の重要性をたた

き込まれている。

この問題を扱わなければ、大きな穴を残したままの本になる」ブライアン・ラーセンが反論した。

「だが、技術に関する結論は、規律ある行動の特殊例にすぎないと思う。

規律ある行動の章に書くべき点だ。

規律ある行動とは三つの円が重なる部分に止まることであり、技術に関する結論の要点もそこにある」スコット・シーダバーグが指摘した。

「たしかにそうだが、きわめて特殊な例だ。

偉大な企業はすべて、技術の応用で先駆者の中の先駆者になっており、その時期も、だれもが技術に執着するようになるはるか前だ」「しかし、第五水準、針鼠の概念、最初に人を選ぶといった原則にくらべると、技術の問題ははるかに小さいと思える。

ブライン〔ラーセン〕の意見に賛成だ。

技術の問題はたしかに重要だが、規律ある行動の一部か、あるいは弾み車の一部として重要だというにすぎない」とアンバー・ヤングが反論した。

この議論は夏中続いた。

そしてクリス・ジョーンズが例によって静かに、思慮深く、決定的な問いをだした。

「飛躍した企業はなぜ、技術の問題について均衡のとれた見方を維持できているのだろう。

インターネットへの反応が典型だが、ほとんどの企業が受け身の姿勢になったり、揺れ動いたり、あわてふためいたり、天が落ちてきたかのように行動しているのに」いったいなぜなのだろう。

この問いによって、われわれは偉大な企業と凡庸な企業との決定的な違いに注目するようになり、この違いを考えれば、技術の問題を単独の章にすべきだとする意見が大勢を占めるようになった。

もし読者に機会があって、飛躍を導いた経営幹部の二千ページを超えるインタビュー記録を読みとおすことがあれば、「競争戦略」がまったく話題になっていないことにおどろくはずだ。

たしかに、戦略については語っているし、業績についても語っているし、世界一になることについても語っているし、勝利を収めることについてすら語っている。

しかしだれも、受け身の姿勢を示してはおらず、他社の動きにどう対応するかという観点から戦略を考えてはいない。

何かを作り上げようと試みたとき、改善しようと試みたときはいつも、何らかの絶対的な基準に近づこうとしている。

一九八〇年代にピットニー・ボウズを変身させたとき、何が動機になったのかとジョージ・ハーベイに質問したところ、こういう答えが返ってきた。

「わたしはつねに、ピットニー・ボウズが偉大な企業になってほしいと考えてきた。

これを出発点にしよう。

そこから出発する。

これは正当化する必要もなければ、説明する必要もないことだ。

いまは偉大ではない。

明日も偉大にはなれない。

つねに変化を続ける世界で偉大な企業になるには、やるべきことがいつもやまほどある」(35)。

ウェイン・サンダーズがキンバリー・クラークの社内の動きを典型的に示すようになった精神をこうまとめている。

「われわれは決して満足しない。

喜ぶことはあっても、満足はしない」(36)飛躍を遂げた企業は、恐怖によって動かされてはいない。

自分たちが理解できないことへの恐怖によって動かされてはいない。

馬鹿にされることへの恐怖によって動かされてはいない。

他社が大成功を収めるのを指をくわえてみる羽目になることへの恐怖によって動かされてはいない。

競争で打撃を受けることへの恐怖によって動かされてはいない。

偉大さへの飛躍を導いた経営者は、何かを作り上げたいという深い欲求と、高い理想を純粋に追い求める自分自身の衝動とに動かされている。

これに対して、凡庸さに陥り、凡庸さから抜け出せない体質を作った経営者は、取り残されることへの恐怖に動かされている。

この違いを示す例としては、一九九〇年代後半、今回の調査を行っていたまさにその時期に起こった情報技術バブルに勝るものはない。

偉大な企業と凡庸な企業の違いを観察するには、まさに完璧に近い舞台になった。

偉大な企業がウォルグリーンズの例にみられるように、静かに現実を理解し、考え抜かれた手段を静かにとっていったのに対して、凡庸な企業は恐怖にかられて、あわてて行動した。

実際のところ、この章の要点は技術そのものに関することではない。

コンピューターだろうが電気通信だろうがロボットだろうがインターネットだろうが、どのような技術も、いかに素晴らしいものであっても、それ自体で飛躍のきっかけになることはない。

どのような技術力があっても、それで第五水準の指導者になれるわけではない。

どのような技術力があっても、不適切な人たちが適切になるわけではない。

どのような技術力があっても、厳しい現実に直面する規律をもたらしてはくれない。

どのような技術力があっても、最後には勝つという確信をもたらしてはくれない。

どのような技術力があっても、三つの円が重なる部分に関する深い理解に代わるものにはならず、その理解を単純明快な針鼠の概念にまとめる作業を不要にすることはない。

どのような技術力があっても、規律の文化を作りだしてはくれない。

どのような技術力があっても、可能性を実現しようとしないのは許しがたい罪悪だとの信念、超優良になれるのに凡庸のままに止まっているのは許しがたい罪悪だとの信念をやしなってはくれない。

変化が大きく、混乱が生まれている時期にすらも、これらの基本をあくまでも守り、バランスを維持していれば、業績に勢いがつくようになり、やがて突破段階に入る。

そうはせず、受け身になって右往左往していれば、悪循環に陥り、凡庸の状態に止まる。

この点は、大きな構図でみたときに偉大と良好を隔てる決定的な違いであり、今回の調査のこの核心は弾み車と悪循環の比喩によってとらえることができる。

次章では、全体を包括するこの違いについてみていこう。

章の要約

促進剤としての技術要点・偉大な業績への飛躍を遂げた企業は、技術と技術の変化について、凡庸な企業とは違った考え方をしている。

・飛躍した企業は技術の流行に乗るのを避けているが、慎重に選んだ分野の技術の利用で先駆者になっている。

・どの技術分野に関しても決定的な問いは、その技術が自社の針鼠の概念に直接に適合しているのかである。この問いへの答えがイエスであれば、その技術の利用で先駆者になる必要がある。ノーであれば、ごく普通に採用するか無視すればいい。

・技術は適切に利用すれば業績の勢いの促進剤になるが、勢いを作りだすわけではない。偉大な業績に飛躍した企業が、先駆的な技術の利用によって転換をはじめたケースはない。しかし、三つの円を理解するようになり、業績が飛躍するようになった後に、どの企業も技術の利用で先駆者になっている。

・飛躍した企業が開発した最先端技術を直接比較対象企業に無料で提供しても、比較対象企業は偉大な企業に近い業績をあげることはできないだろう。

・技術の変化にどのように反応するかは、偉大な企業と凡庸な企業の動機の違いを見事に示すものになる。偉大な企業は思慮深く、創造性豊かに対応し、自社の可能性を実現したいとの動機によって行動する。凡庸な企業は受け身になって右往左往し、取り残されることへの恐怖によって行動する。

予想外の調査結果・かつて超優良であった企業の没落(そしてほとんどの企業が凡庸さから抜け出せないこと)が技術の変化を主因とするものだとの見方を支える事実はでてこなかった。

たしかに技術面で遅れていては、偉大な企業にはなれない。しかし、技術そのものが偉大な企業への飛躍や偉大な企業の没落の主因になることはない。

・偉大な業績への飛躍を導いた経営幹部を対象に行ったインタビューでは、全体の八十パーセントは、飛躍をもたらした上位五つの要因のひとつとして技術をあげていない。ニューコアのように、新技術の利用の先駆者として有名な企業でも、この点は変わらない。

・技術が急激に大幅に変化する時期にすらも、「這い、歩き、走る」方法がきわめて効果的になりうる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次