一 トップの財務認識
企業の最高責任者が財務を重要視しているかどうかによって企業体質の強弱はわかれる。企業の三目的といえば、公共、堅実、営利であるが、財務が貧弱では一つの目的さえ達することはできない。
また、資金を人体にたとえれば血液、財務管理は心臓ともいえるが、案外軽視するものが多い。生産、販売など主力部門に傾き、財務を単なる決済処理、尻拭い的に考えるからである)。
さらに、昔の武士気風が残っているためか「武士は食わねど高楊枝」を気取るものもある。また、物欲から離れることが聖人君子と思いこみ、かね、もの、儲ける、ためる、など物財にかかわる表現さえ卑しいものと考えているものも少なくない。聖人孔子も、人間というものは、物財を欲し、地位名声を望むものと是認している。
ただ「利を考えるときは、人の道にかなっているかどうかを考えなさい」といっている。義にかなったことで得るなら、いくら多くともかまわない、ということである。「不義にして富み、かつ貴きはわれにおいて浮雲の如し」と戒めているのも同じである。
渋沢栄一翁の話に「粗飯を食い、水を飲み、肱を曲げて枕とするも楽しみ亦その中にあり」(粗末なものを食い、水を飲み、肱を曲げて枕とするほどの貧しい生活の中にもまた楽しみはある)とあるが、この「亦」を考えれば、理想的な楽しみは豊かな中にある、ということになる。決して貧乏の中にだけ楽しみがある、ということではない、という意味のことがのべてある。
いまの経営者のなかにも、亦を除いて読んでいる人が多い。そのため、財務の話などともなると「どうなっているのか、財務担当に任せっばなしにしているので」といっている。そうかと思うと「社長が財務の部屋などへいくと、よからぬ憶測がでたり、社員が心配するから」というのがある。こういう社長がいるほうが社員にとってはよほど心配なのである。
自分の品位を高めようと考えているのか、人格を損ねるとでも考えているのか、本音と建前を使い分けしている人もある。「当社は別に利益を追求しているわけではない」。それでいながら売上げ、利益ノルマを達成せよ、と尻を叩いたり、節約を徹底せよ、といっている。個人同土でもあること、「かねを貰うために協力したわけではない」というから出したものを引らこめると「なんと、もの知らずなんだろう」とくる。
本音は本音、建前は建前とはっきりしたはうが奇麗に見えるものである。あいまいにしておくから、財務管理もあいまいになりおろそかになる。そのあいまいは、命令の徹底にも影響を及ぼすことになる。
「売上げを伸ばせ」「商品在庫を減らせ」「支払削減を計れ」「設備を近代化せよ」「生産増加に努力せよ」「残業を禁止せよ」と次々に命令を出す。出されたはうは、どれから手をつけてよいかわからなくなる。いずれも矛盾したことが多いから、 一つプラスになれば一つがマイナスになる、ということで全体では骨折り損ということになる。
酉年は私のエト。この年の性格は、あれもこれもと手を出して、すべて中途半端になってことは成らない、とある。若いころこれを知って、それなら猪年に生まれ変わればよいと考えた。生涯設計も十年一科目の勉学と定めたのもそのためであった。経営にあたっても、 一石一鳥狙いで、 一つの目標を定めたら、それをあくまで貫く主義を通した。別項でのべた借金返済も、すべてを投げうって目的達成に集中したわけである。十の目的を抱えて、十年で全部を達成するよりも、 一つに集中して一年で一つずつ達成していくはうが会社にとってはプラスになるからだ。
中国の元の名宰相といわれた耶律楚材は「るは一事を減ずるに如かず」といっている。
一利を興すは一害を除くに如かず、 一事を生ずつまり、 一つの利を得ようとするよりも一つの害を取り除いたはうがよい。儲かるからといって一つのことを始めるよりも、損になっていることを止めたはうがよい、ということで、現代経営にも役立つ言葉である。
なるほど企業内には財務の足を引くものが少なくない。それを放任しておいて、新しいことに手を出そうとしている。
かつて、不振会社から経営相談を受けた。取扱い商品を増やしつづけてきたが、売れなくなった商品まで取り扱っている。そのため効率販売もできず人件費も減らない。悪循環が業績不振の原因で、商品を少なくしたら、たちまち収益が好転した。
昔から「器用貧乏」といわれている。なんでもできる人は何にでも手を出す、費用と手数はかかるが、かねにならない、ということである。
「一つの目的を達成するために全知全能を傾注する気力、これが根性である」と自分なりに定義づけているが、「一つの目的」に限って、すべてをかければ不可能ということはない。あれこれ手を出すから不可能になる。
財務が悪化してきたときは、 一つの目的に限って集中させることが大事であり、何に絞るかを見極めるためには、日常から財務というものに関心をもっていなければ、とても一つの目的に集中できないということである。
一一 かねは時なり
「時は金なり」は、寸暇を惜しんで稼ぎ、ためよ、という勤倹貯蓄の教えである。
また「かねは時なり」は私のいい出したことで、利息の高いのを選ぶのもよいが長い期間預け複利で増やせ、また、儲けるには時を選ばなければ効は少ない、という意味である。同じ百万円貯金しても年七%で十年複利では二百万円足らずであるが、年四%の低利でも三十年ともなれば三百万円をこすことになる。時間が稼いでくれるからだ。
かねを儲けるにも、時をうまく選んで投資したのと否とでは大きな違いになる。巧みにチャンスをとらえれば年に三倍、三倍にもなるが、高いときに買ってしまうと五年たっても儲けなし、ということになる。
一九二〇〜三〇年、つまり、世界大恐慌時代に蓄財利殖家として活躍し大成功した、ァメリカのハーバート・N ・カッソンという人は、著書でこうのべている。
「預金を減らさずに預けつづけることは、かねを儲けるよりも難しいことである。この理屈のほんとうにわかる人は大金持ちになった人だけである」と。いまの人なら、この低金利で緩慢だがインフレの進むなかで、なんとばかげたことだろう、と思うに違いない。
しかし、この文句のなかには隠された意味がある。その一つは、どれほどかねを儲け財産ができても、必要なもの以外にはかねを出さないで預金を増やしつづけること。
二つに、投資チャンスが到来したら、その預金で投資し、儲けて増やして預金しつづける。
三つに、預金を減らさず預けつづけ、銀行の信用を高めておき、預金額の二倍、三倍の借金をしてチャンスに投資する、ということで、いずれも、大儲けした人のやり方である。
「私が銀行預金しているのは利息をもらうためではなく、利息を払うためだ」といった大金持ちがいる。先日故人になった日本一の金持ちといわれた人である。昭和四十五年私が銀行を退いたときに、「僕は銀行へずいぶん儲けさせているよ。三億円か四億円長い間、通知預金に放りこんだままにしているから」といっていた。それからしばらくして聞いた話だが、低位株を買い集めて大儲けしたという。
それより、五年前になろうか、私の住む地方都市の駅前の土地を四億円で手放そうと思い、買い手を探していた知人がいた。
ある大会社にあたったところ三億なら買おうという。それでも売ろうとしたら分割払いだという。そこで人を介して、前述の大金持ちに会った。地図を見るなり「四億円で買いましょう。いま小切手を書きましょうか」ということで売り渡した。いまその土地は、 一%の面積で四億円はするだろう。 但
その当時、私はその知人に言ったものだ。「あの土地は将来有望な土地。私に、ひと言話してもらいたかった。ただその際、いますぐ小切手書きましょうか、とはいえなかった。私の当座預金の残高は十万円きりなかったから」といって笑い合ったことがある。
また、昭和の富豪といわれた高萩炭破の社長菊地寛実氏は「私は中年時代、事業に失敗し、墨染の衣を着て托鉢にでるほどおちぶれたが、いまでは昭和の富豪とかいわれるようになった。
しかし、それは、私が儲けようと思って儲けたものではなく、皆さんが儲けさせてくれたものだ。不景気、金詰まりともなると、土地から家宝までかねに変えようとして持ちこんでくる。それを安く買っておく。その値上りで儲けた」と話してくれた。それにしても、いくら安く売りにきても資金がなければ買えない道理。つまり、その時のくるまで預金を減らさずに預けつづけておくのである。いくらチャンスがきても先立つものがなければ買うことはできない道理である。かねを得る道は、勤労、嘆願、窃盗の三つといっていた人があるが、勤労で得るのはあたりまえのこと。
また、儲けるには、安い時に買って高くなったら売ればよい。これもあたりまえのこと。たまったかねを守るには、うまい話にかねを出さないこと。これも至極当然なこと。
しかし、このあたりまえが守れない。多くは大欲が災いしているのである。いまのべた菊地寛実翁に、私の生涯設計を話し、今年の五十才からは金儲け計画になっている、といったところ、
「井原さん、五十才からでは早かろう。六十から九十までの三十年間儲ければたくさんではないか」という。
「九十にもなって儲けたかねを何に使うのですか」といったら、「何に使うか、と考えているうちは儲からないものだ」といわれた。なるはど、自分なりに財産らしい財産ができたのは六十才半ば過ぎてからである。
チャンスの後を追っては儲からない。向かってくるチャンスを迎えうけることが肝心で、「前髪を掴め」と教えている。そのためには常に資金の準備が必要なのだ。
預金でかねを遊ばせておくのは勿体ないというが、預金にしてかねを休ませておくようでないと大儲けはできないものである。
本書の第四章「身を退くの勇」の項で、越王勾践から功臣砲贔が逃れて、斉の国へ渡ったとのべた。この話は、その花贔の後日談である。
施議は斉の国で名を鵬夷子皮と変え、物資の過不足を考え、安いときは、珠宝を求めるかのように惜しみなく買い入れ、高いときは糞土を捨てるように惜しみなく売り、数千万の富を築いた。
これを知った斉の国王は、宰相に迎えようとしたが「民間にあっては千金を儲け、官については卿相となるのは栄華の極み。久しく尊名を受けることは身のためではない」として辞退し、儲けたかねの全部を人々に与え、今度は陶(定陶) へ移って名を朱と変えた。
陶は交通の要所で物資交流の中心地。ここで、取引き先を選び、時機を見ては物資の売買をし、また、数千万の利益を得た。人々からは陶朱公とよばれた。
朱公は十九年間に三度も巨利をえ、うち三度は貧しい人に利益を与え、最後の利益を子孫に任せ、子孫もまた財を大きくしたという。
この陶朱公に、大金持ちになる法をたずねたのが猜頓という春秋時代の魯の人である。朱公に「五頭のメスの牛を飼え」といわれたのがきっかけで、塩と牧畜で巨万の富を築いたという。大金持ちのことを「陶朱猜頓の富」と、今でもいわれている故事である。それにしても、いまから約二千五百年前のかね儲けも現代のそれも儲け方は同じく、安いときに買って高くなったら売るだけのことである。
ただ、この話で注目されるのは、十九年間に三回巨利を得ているという点で、 一回平均だと六年余り。この通りの間隔ではなかったろうが、その間にチャンスのくるのを待っていた、ということになる。二、三年で、しびれをきらしている現代人とはだいぶ違っているようである。
三 財力充実への道
関係会社の幹部と雑談していたときである。
誰かが「貧乏よりつらいものはなし。この会社もなんとかならないものか」とボヤいている。もう一人は「働けど働けど楽にならぎる、じっと手を見るか。啄木の気もわかるよ」と同調している。 ・
そこで言った。「この会社は高収益会社で有名であったこともある。それが、だんだんじり貧になって、いまでは、その日暮らし。皆さんは儲かる会社にもしたが、じり貧にもしている。とすると皆さんは裕福よりも貧乏好みかと思っていたが、そうではなかったのかね」
「とんでもないこと。貧乏が好きという人は一人もいませんよ。ただ、どうしたら昔のように儲かる会社に戻すことができるのか見当がつかないで困っているだけだ」
「それは、皆さんが儲ける時代をつくり上げてきたことを再びやるように心がければよいだけではないのかね」
「そういわれれば、そうなんだが、どんなことをしていたかな」
「当時私は、この会社にいなかったが、どういうことをしていたか、おおよその見当はつく」「それはなんだか教えてもらいたい」
「会社が金持ちになる道は三つある。第一は″目先の利益にとらわれないこと″である。一つの例をあげてみるが、当社の創業は、世界的な医療機械の発明から出発している。そのため、製造するにも販売するにも初めての体験、まず社員の教育から始めなければならなかった。人材教育を優先したわけだ。ところが売上げも増え利益も増えてくるに従って人材教育など後まわし、速く多く造って売ればよいという目先ソロバン経営に堕落している。近年社内研究会など見たことはなかろう。新入社員が入ってきても、ロクな教育もせずに工場の作業を手伝わせる。月給を払っているのだから一日でも働かさなければ損というような目先の打算からだろう。遠謀深慮ある者なら、まず社員をみっちり教育することから始めるものだ。
ある著名な機械販売会社の社長は新入社員をまず教育する。ついでセールスに出す。六十円の機械部品一コでも売ってこい。売ってこない者は帰宅を許さぬ、としている。根性鍛練である。
また、この会社には見られないが、堅実な財テクなら許されるとしても、投機で儲けようとしているものもある。遠き慮りなく、近く憂いのあることを忘れているのである。
第二は、会社を食いものにしないことである。
当社も創業以来、高利貸しを頼るはど金銭的苦労をつづけてきた。その当時は、交通費、通信費にもこと欠くありさまであったから経費のムダ使い、公私混同は見られなかった。
ところがその後の高収益時代に入り、かねの有難みを忘れてからは、ムダをムダと思わない。逆境時のムダも好調のムダも、ムダに変わりはないが、好調になれた後はムダをムダと思わなくなる。
苦しい創業時期には公私混同はやりたくともできなかったろうが、いまでは、私を誘って堂々とやろうとしている。当然と考えて罪悪感さえなくなっている。
昔、唐の大宗は「国王が人民から税を重く取って財をつくり、贅沢をすることは自分の肉を割いて食ってしまうようなもので、食い切ったあとは自分が死ぬ」(肉を割きて以て腹に充つ)と戒めている。
こういう寄生虫がいるようでは会社も肥えることはない。
第三は、前にものべたが、まず出ずるを制すということだ。
この三点を守るようになれば、この会社も金持ち会社になれる。いっていることは、まことに当り前のことだが、当り前とは言うはやすく、行なうは難い、といえるだろう」と話した。東京大学名誉教授で林学博士の本多静六という先生は、生涯詰め襟で通したという。先生の著書からいくつか引用してみたいと思う。
「人間の一生をみるに、誰でも早いか晩いか、 一度は必ず貧乏を体験すべきものである。つまり物によって心を苦しまされるのである。子供の時や若い頃に贅沢に育った人は必ず貧乏する。その反対に、早く貧乏を体験した人は必ず後がよくなる。人間は一生のうち、早かれ晩かれ一度は貧乏生活を通りこさねばならぬのであるから、どうせ一度は通る貧乏なら、できるだけ早くこれを通りこすようにしたい」
「貯金生活をつづけて行く上に、 一番さわりになるものは虚栄心である。いたずらに、家柄を誇ったり、今までの仕来りや、習慣にとらわれることなく一切の見栄をさえなくすれば、四分の一天引き生活ぐらいは誰にでもできるのである」
こうして、月給の四分の一と、賞与、出張手当などの臨時収入はまるまる貯金し、これを株式や土地に投資した。そして、それが三倍に値上りすると、半分を売却して投資し資金を回収して、残り分はタダにしておく算用である。
月給の三分の一だけで生活し、よほど困っても貯金を引き出すことはなかった。月給日前になるとゴマ塩だけで過ごしたこともある。そのくらいであるから洋服も詰め襟で、それを十年も着つづけ、裏返してまた五年着たという。それでいながら、次のようにも書いている。
「あるとき、私の家内が少しばかり世話した苦学生がきて、肋膜で二〜三ヵ月はど転地療養の必要があるというから、自分の日光旅行の費用を出してもよいか、といい出した。実は家内は長年の慢性萎縮腎で、予後不良と断定されていた。まだ日光を見ないでヽあの世に行って結構といえないでは気の毒ゆえ、かねて日光行きの五十円を渡しておいたので『お前の好きにするがいい。しかし、それだけでは不足だろうから、僕の服を作る予定の分もやろう』と二人で百円にしてやったが、その後その学生は丈夫になり、立派に卒業して妻子もで 靱き、ついに博士になった、という報告をきく度に、私の家内はついに日光を見ずして亡くな ¨り、また私の服も長く染め直しのままであったが、そのこと柄は私どもの最も楽しい思い出の一つである」と。
こうして蓄積した財産を六十才のときことごとく公共事業に寄付し、あい変わらず詰め襟生活をつづけ、昭和二十七年に故人になっている。
先生はこうも記している。
「人生の最大幸福は、その職業の道楽化にある。富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。……かつて私が埼玉県人会で、この職業道楽説をのべた後に渋沢栄一翁が立たれて『若いとき、自分の故郷に、阿賀野九十郎という七十余になる老人がいて、朝から晩まで商売に励んでいた。あるとき孫や曽孫が集まり、おじいさん、そんなに働かないでも、家は金も田地もたくさんあるのだから、どうか伊香保へでも湯治に行って下さい、とすすめたところ、九十郎のいうには、おれの働くのは長年の癖で、まるで道楽なのだ、いまさらおれに働くなというのは、おれに道楽をやめろというようなもので、親不孝なやつらだ。それに、おまえたちはすぐ金々というが、金なんか、おれの道楽のかすなんだ、といわれたが、青年諸君は、本多君の説に従って、盛んに職業道楽をやられ、ついでにその道楽のかすも沢山ためるように』と説かれた」
四 かねはピンチに備えるもの
私は借金返済のために、これまでに三度も苦労を重ねた。
十八才から三十二才の十四年間祖父、父と三代ゆずりの借金返済で苦心し、六十才から七十才までの十年間、会社の借金返済で四苦八苦を体験した。苦しくもあったが、いい体験もしたし、変わった楽しい思いもした。僅かずつでも返済し借金が減っていくのをみているのは楽しいもので、返済経験のない人にはぜひ一度味わってもらいたいと思うほどである。いずれも私が借金したものではない。祖父の道楽と会社の放漫経営のあと始末である。といって、それを責めるつもりは全くない。「おかげさまで、いい勉強をさせていただきました」といいたいくらいである。
よく、経営者のうちには、借金は心を引き締めてくれるもの。返してしまっては心が緩む、という人があるが、私のように借金苦を体験したものは、借金を完済したはうが心が引き締まる。にがい体験が自動ブレーキ化しているからである。
よく、若いうちからかねをためているようではロクな人間になれない、という人がある。私も若い頃にさんざんいわれたものである。私の場合は貯金どころではなく、借金返済に追われていたのであるが、少しのかねも節約しているのをみて、他人は貯金とみてくれていたらしい。
そういう人たちのいいぶんは、貯金などよりも、自己形成に役立つことに使え、ということであったろう。しかし実は、自分を楽しませるための浪費にすぎなかったのではないか。
その証拠に、貯金するかねがあったら自己形成に使え、といっていた人に限ってロクな人間になっていない。
ここでいいたいことは、若いうちからの貯金の目的である。使うためのものではなく臆病避けのため、といいたいのである。
「サラリーマンもサラリーマン根性を捨てれば出世できる」といったのは阪急の小林一三氏である。サラリーマン根性のもとは″臆病″である。なぜ臆病になるのか。もっばら経済的理由からである。
もし経済的に不安がなければ、勇気に行動力も伴う。堂々と主張もすれば、思いきった計画もたてられる。
なにも、 一生食えるだけの準備をせよ、ということではない。大木の倒れるのを防ぐために、大木と同じ太さの支柱は必要ない。細い丸大三本あれば足りるのである。その準備もできないということでは、世の人の上には立てない。
私にとって、借金苦の中で売らずに持ち耐えた土地がどれはど度胸を大きくしてくれたか計り知れない。辞表を叩きつけて百姓をやっても食うぐらいは食っていける、という自信からである。備えあれば自信がつくから度胸がでるのである。
また、西郷南洲を気取って「児孫のために美田を買わず」といって老後の準備もしない者がある。こういう人間に限って、子や孫を頼りにしている。自分の老後のための美田ぐらいは買っておくべきだろう。
現代企業が求めている人材の要件は、創造性、執念、国際的人材などといわれる。これら一つを満たすにしても経済的不安のうちにかなえることは難しかろう。経済的不安をなくして心おきなく励むことでなければなるまい。
私は常に、個人、企業の両方の立場からも、「いかなることがあっても動じないだけの資 ・金的準備は怠るべきではない」「かねというものはピンチに備えるものである」といいつづけてきたc
このことを我々は、昔から蟻とキリギリスの寓話で教えられてきた。しかし、寒さを知らないキリギリスにはそれに備える能さえ神は与えていないのである。関係した会社で中間管理者を前にこう話したことがある。
「いまの時期を″天高く馬肥ゆるの秋〃といっている。秋は、食欲の秋、健康の秋といわれるように気分も爽快、湊刺を思わせるが、本来の意味は、危険信号、音の警戒警報にたとえられる文句なのだ。
昔の中国は、しばしば北方の異民族に侵され、その防戦に悩まされていた。秦の始皇帝が万里の長城を築いたのも、それらの侵入を防ぐためだった。
彼らは北方の草原で放牧、狩猟を主な目的としていたが、春・夏を過ぎるころには馬も肥え、冬越しの準備のため、集団となって本上に侵入し、財物をかすめとって風のように去って行く。これを恐れた住民は、秋になると、また、あの匈奴が襲ってくるぞ、防戦の準備はよいか、と戒め合って警戒を厳重にしたのである。
さて、こうした中国の悩みは二千年以上もつづいたが、いまは全く平和になり、昔話になっているに過ぎない。
ところが、現代のわが国の企業には、秋に限らず匈奴の襲来がある。企業収益を脅かす企業環境の変化である。戦後からでも、昭和三十年、四十年不況、四十六年のニクソンショック、四十八年の石油ショック、六十一、二年の急激な円高など。その間犠牲を強いられた企業は限りなくある。無防備を匈奴に襲われたからである。
また、乗馬と騎射を得意とする彼らの疾風の速さは、近年の技術革新の速さにもたとえられよう。これに対応するためには、頭脳蓄積とともに資本蓄積も怠ることはできない。とくに、ここで戒めたいことは、会社の好調のときに準備を怠るということである。好調に恵まれて得た会社の利益というものは、逆境のために備えよと神が与えてくれたものと考えるべきである」と。
菜根諄に「衰颯の景象は、すなわち盛満の中にあり、発生の機絨は、すなわち零落の内にあり。故に君子は安きにおりては、よろしく一心を操りてもって患を慮るべく、変に処しては、まさに百忍を堅くしてもって成るを図るべし」(衰退の兆候は最盛期に現われ、新生の芽は衰退ドン底期に生じる。そこで、順境にあるときは、心をきつく引き締めて逆境に備えるようにし、逆境のときは忍耐強くしてピンチ脱出に全知全能を傾けるべきである)。
健康でいるときは病気を忘れ、裕福になると貧時の苦を忘れる。順調に歩みつづけているときは、つまずくことのあるを忘れる。いずれも心のゆるなからである。心がゆるむから銘記している戒めまで忘れて悔いを残す。貧すれば鈍し、忘れっぼくなるというが、豊かになってからのほうが忘れることが多くなるのではないか。
貧時の忘れは、たわいもない笑い話ですまされることが多いが、豊かになってからの忘れは、身も企業をも亡ぼすほど大きいものである。
五 代価の高いのを嘆くな
「代価の高いのを嘆かず、時代の変化に対応せよ」とは創造的経営の条件といえる。変化の激しい時代に、代価の高いのを嘆いているようでは他に先んずることはできない。時代の進歩を先取りするために代価の高いのを嘆かず果敢に対応した企業と、嘆いて応じなかったものとでは大きな差になっていることは歴史が証明している。 ・
たとえば、第一次石油ショックの際など、抜本的な減量経営をしたものは、打撃も少なく回復も早く、それだけに、次の技術革新などの波に乗って飛躍している。思いきって業種転換を計って成功しているものも少なくない。反対に対応の遅れたものは回復も遅々として進んでいない。
昭和六十二年当時の円高に際しては、大小企業を問わず競って対応策を打ちだし、円高の進むなかで著しい業績回復を示している。石油ショック時の回復よりも速かった理由の一つは対応の速さにあったといえよう。関係した会社で昭和五十二年から三年の間に商用で五回中国を訪問している。輸出価額契約が主な用件である。
第一日日、有名飯店で朝食をしたとき、同行の輸出部長と商社マンの三人分の朝食代が五百円足らずであった。それでもわれわれは外人扱いで二、三倍高くなっているという。もっとも彼らの賃金も三十分の一程度であった。
同行の部長に「いま、われわれは、商品を売り込みにきているが十年もたてば、中国から日本へ売り込みにくるだろう。そのとき、東京のどのホテルに宿泊してもらうか、いまから考えておいたらどうか」と冗談を言った。部長は「そんな心配はありません」と強く否定していたが、その保証はない。
帰ってから早速、輸出商品生産担当者にきてもらい指示した。「当面二十五%の生産コストの引き下げを計ってもらいたい。中国製品と競争するためだ」「三十分の一の賃金の国と競争しても勝ち味はない」「先方はたとえ数千円とはいえ月給を払っている。省力化して月給をゼロにすれば太刀打ちできる。勝ち味がないということは死ぬことだ」と話した。
何日かして責任者がきた。「今日は、猫の首に鈴をつけにきました。なにしろ一億五千万円の機械化計画、社長は内諾しているが、副社長は便箋一枚にもうるさいから。いますぐ承認はもらえないと思いますが」。
それからしばらく説明をきいたあとで言った。「この計画は二十五% コストダウンにそうためのものだろうが、二つ条件をつける。それを呑んだら、いますぐ承認印を押そう。その一つは、二年計画になっているが、これを一年にすること。来年買う予定になっている機械を今日、これが終ったら注文してくること。
二つに、説明によると、設備後は、二十五人の技術者を減らすことができるというが、試運転のときから減らして、より高度の技術部門に配置転換を計ること、の二条件だ。なれてから逐次人を減らしていく考えは十年ひと昔時代のものだ。一年ひと昔の今日では″習うよりなれろ″ではなく″習ってからなれさせろ″でなければならない」と。この条件を承知したので印を押した。そのまま部屋から出てしまえばよかったのに、立ち上がりながら「せいぜい叩いて買いますから」といっている。安ければ安いはど私が喜ぶと思ってのことだろう。
再び席に戻して話した。「経営者ともあるものが叩いて買うとはどういう考えか。強力な者と一緒に交渉しても機械をタダにしてはくれないだろう。交渉しないでタダにすることを先に考えてはどうか。つまり、値を叩くより、自分の頭を叩くということだ。少々安く買うよりも、いかにして機械を効率化するかを考えよ、ということだ。いまも話したとおり、二十五人の技術者を最初から減らしただけでも年給与一人四百万円としても一億円、 一年半で機械代金は回収されたことになるだろう」と。
そのあと一枚のカタログを出して「この機械は、この計画には入れてありません。なにしろ、この機械は、当社グループ全体で使う、ある部品一年分を一ヵ月で作るほどの高性能機。買っても十一ヵ月も遊ばすことになり、とてもソロバンに合いません」。
「それなら近くの農家へ行ってきいてくるがよい。お宅では、何十万円もする耕転機や田植機を買っているようですが年間に何日使いますかと。おそらく十日前後と答えるに違いない。農家では高い機械を三百五十日も遊ばせている。作業が手遅れにならないようにして増収を計り、余暇を生みだして他で稼いで採算をとっている。十一ヵ月も遊ばせるほどの機械だから買う値打ちがある。 一年分を一年がかりで作る機械など、タダでも断る」
「この機械は二千万円もするので分割払いの回数を増やさなければならない」
「どうして、あなたがたは、何ごとも困難から考えるのか。可能から考えだせば、よい知恵もでてくる。そういう考えでは、おそらく酒を飲むにも顔で飲んでいるのじゃないか」
「われわれは、いつも顔ですよ」
「私も前職時代に、 一年間に限り顔で飲み歩いた。かねを払わないのだから、さぞポケッ卜が膨らんでいそうなものだが、いつも淋しい限りだった。一年後から今日まで自分も家族もクレジットカード一枚使っていない。そのほうがポケットの膨らみ具合がよい。心の持ちよういかんだ。分割払いにすると払いきれないが一括払いなら容易に払える」といっておいた。
その前に、こんな話もあった。
「ここまでは機械化されるが、この先は手作業になる」、ということは年々人件費が上がるからコストは上がる、という予防線に違いない。
「それでは漁港近くへ行ってメザシを作っている現場を見てきてはどうか」「精密機械作りとメザシ作りとなにか関係あるんですか」「おおいにある。メザシを作らしている人は、イワシを籠に入れ、 一人一人に、これが材料だという人はなかろう。バラ積みにしてあるはず。作る人は、早くつくらないと鮮度がおちる。手早く作らないと材料がなくなる、という不安がでる。それに多く作っている人は追い越されまいとし、少ない者は負けまいと急ぐことになる。つまり生産性が高まるというわけだ」
「メザシを作った体験があるんですか」「毎朝食べてはいるが作ったことはない。ただ若いころ母の百姓の手伝いをした。休日など二人で田植をすると一日に十アール植えられた。近所の人が二人手伝いにきてくれれば四人で二十アール植えられればよいはずなのに二十二アールも植えられる。手伝いの人と競争するつもりはないのだがお互いに手早になる」と答えた。
これが競争本能というもので人間だけにある本能といえるだろう。これから上に立つ者は、コスト削減の一環として、抵抗、不平不満の起らない競争本能をどのようにして呼び起すか、これも欠かせない任務といえるだろう。
六 見える損より見えない損
会社経営にあたって恐ろしいものは、見える損より見えない損、大きい損より小さな損、気づく損より気づかない損といえる。
「易きは易きにして易きにあらず」。たやすいようにみえても、そう簡単なものではないということだが、これを「少なきは少なくして少なきにあらず」に読み替えると、少ないものでも回数が多くなれば大きくなる、ということになる。一瞬とは、まばたきするほどの短い時間だが生死をわかつ一瞬のときもある。
前職時代上司であった人と、草野球をともにしていたが、ことあるごとに「タッチの差」の重要を説いていた。仕事も早かった。ところが、その上司、良くいえば熟考型、悪くいったら優柔不断。相談に行っても、決断を仰ぎに行っても、その場でイエス、ノーを言ったことがない。もったいぶってる、という部下もいたが、多くは脳血栓、血のめぐりが悪いといっていた。
そのこと私は前職時代「頼りない」といわれた。即断即決であったから。その度ごとにき 一くのは「いつ始めて、いつ終了するのか」というだけである。余分に時間をかけている場合 472など可能な限り、短縮を命じた。そして、よく尋ねたことは「一分間当りの賃金はいくらに 一ついているか」ということだった。時間は見えないものだが、これほど高価につくものはない。見える節約は徹底してやっているが、見えないムダのために大きな損を招いている。人件費が高くなっているからだ。
さらに、見えないものに、人的不良財産がある。別項でものべたが、賃金は上がるが生産性が伴わない。いわば不良財産である。物的不良資産を隠しておれば粉飾の指摘を受けるが人間の不良にはそれがない。価額償却もしないですむ。そのため見逃すことになる。
関係した販売子会社の決算報告をきいていたとき「当社役職員の平均年令は三十四才にもなったので利益が伸び悩んできた。来年は二十才ぐらいの若い新卒を入れて平均年令を引き下げようと思う」と、いかにも名案を考えだしたかのように言っている。よほど、四十才前後のあなた方が早く辞めたはうが平均年令は下がるだろうと思ったが、それでは角がたつ。こう皮肉った。
「あなた方の会社は独立早々ノーベル賞を貰うことになるかもしれない。来年入る若い人も、あなた方も、これから一才も年をとらないという前提でなければそうした考えは出ないはずだが、不老長寿の秘薬でも発明したのではないか」「そういうことはありません。どうしてですか」「戸籍年令の平均が三十四才になったからではなく、年令が高くなり賃金は上がったが利益がそれに伴わないからだろうと思う。平均年令よりも、 一人当りの利益を増やすことから考えるべきだ。言い換えれば、三十四才の平均年令を十七才にすることから考えるべきだ。一人当りの利益を三倍にすれば年令は半分になる」と話した。新人を採用するのはやすいが、生産性を倍にするのは難しい。やすい考えを許しては人は育たない。結局は割の高い人間になってしまうことになる。
また、知らない間に忍びよる恐ろしさに間断なく上がりつづけているコストがある。見えるものは目の敵にして引き下げる。しかし、見えないコスト増が恐ろしい。関係した会社の商品開発計画の原価計算について、なんの商品知識もない私が開発担当長にこう質問した。
「誰が、どういう方法で計算したのか」
「係長が計算、課長が概算し、部長が承認したもので、原材料、工賃、開発費等いっさい含めてある」「そういう計算は″原価計算〃ではなく″原始計算″というのではないか。時価でこれだけの費用がかかったから、原価はこれこれになるという計算は、ソロバンのできる人なら誰にでもできる。人の知恵も汗も入っていない原始的な計算といえるからだ。少なくも肩書きのある人がする計算は、どのようにしたら原価を引き下げることができるかの知恵と汗を加えたもので、文字で書くと、 ″原″ではなく″減″価計算とすべきではないのか」「数を多く売れば原価は下がることになっている」「そういうのを希望的観測原価計算という。第一、最初から原価高では売り値も高くなり、数多く売ることはできまい」。憎まれ者にはなったが、やり直しの結果二十%のコストダウンになっている。これは因襲を破れなかった過ちといえるだろう。
かつてのべたとおり、忍びよるコスト高を避けるため、 コスト高につながるいっさいの支出を断った。書画骨とう、貴金属、ゴルフ会員権、余分な土地などに投資しなかった。コス卜高による価額競争力の低下を恐れたからである。コスト高の恐ろしさを認識させるには、子供だましの計算をしてもらったことがある。
関係した会社の主力部門ともいえた生産部の年間実績の報告会に出たときである。昨年一年間の成果は売上高三十五億円、部員九十人で、二億円の純益ということである。
報告の終ったところで、こう話した。「今日の会議は、これで閉会にして一週間後に再開したい。そのときまでに、こういう計算をしてもらいたい。その計算の前提だが、 一つは、低成長時代ともなると売上げを伸ばすことは困難と思うので、前年の三十五億円の売上げが今後五カ年つづいたとする。また、売り値を上げることは困難なので今後五年間売り値は据え置きとする。これが第一前提。
しかし、物価は上がるので、人件費が五年間十%ずつ上がりつづける。物件費が七%上がるものとする。これが第二の前提。
第三の前提は、九十人の同じ部員が、同じ物を同じ方法で、同じ量を五年間作りつづけたとすると五年後の損益はどうなるか、という計算だ。
この計算の資料は、ここにあるだけで十分だし、ソロバンのできる人間なら誰にもできる簡単なものだ。
しかし、いまここに出席している係長から部長までの肩書きのついた人だけで計算してもらいたい。それに計算するときは、おしばりを用意したほうがよかろう。答えを見ると油汗が出ることになっているから」。
実績説明をしている間に私は暗算してみた。それで子供だましの計算を管理職にしてもらうことにしたわけだ。
一週間後に再開したとき、席に着くまえに「ただごとでないことを知りました。あの式で計算したところ、五年後には二億円の利益が、六億七千百万円の赤字になることがわかりました。そのついでに、去年発売開始の新商品は三百台販売して四千二百万円の利益を出しましたが、同じ方法で計算しますと五年後には二千七百万円の欠損になります。ただごとではありません」と。
「私は不景気だ、低成長だといわれても恐ろしいことはないが、間断なく上がりつづけるコストが恐ろしい。気づかないからだ。この恐ろしさを知ってもらうために、愚にもつかない計算をしてもらったというわけだ」
経済大国を誇ったァメリカの転落もコトス高に破れたことが大きな理由といえるだろう。七 覆水を盆に返せ行き詰まった会社を再建する妙手は、沈没しかかった船を救う要領でよい。
ムダをはぶき、重荷となっているものは人間以外すべて捨てることに尽きる。「入るを計って出ずるを制す」などと呑気に構えてはいられない。「出ずるを制す」に徹することである。
どれだけの人や経費が必要かなど甘い考えは許されない。どれだけの人の給料や経費が払えるか、でなければ辻棲は合わなくなる。
これには一人や二人の鬼の出現が待望される。つまり思いきって鬼のように切り捨てのできる人物である。 一時の孤独を恐れず、永遠の孤独を恐れる者がいなければ再建などできるものではない。
さて私も第二の会社で鬼と化して再建に取り組んだわけである。入社早々に再建のための会議が開かれたときのことである。
社長以下幹部そろっての会議の席上、議論百出するがこれといった決め手がない。再開の日を定め、当日の会議は終りということになった。最後に、無言でいた私に「なにか意見があったら」とうながされた。
「私は入社早々で詳しいことはわからないが、今日の会議は、ピンチ脱出という早急に解決しなければならない重要な会議ときいている。それなのに一つの実行策も決まらないようでは会議をしたことにならない。どんなことでも今日から実行することを、ここで決めてはどうか」といった。
「しかし決まらぬものをどう実行しようというのか」「ここで決めて、即実行ということにすればよい。会社再建の第一のカギが皆さんの前にある」「前にあるのは便箋とノートだけだ」「それが再建のカギだ。五十枚、百枚つづりの新しい便箋をメモ代わりに使っているようでは、再建は百年河清を俊つに等しかろう」。
次の会議からは、不用紙のウラをメモ用紙にした。僅かな倹約で九牛の一毛にも足らぬものだが、 一事が万事、影響するところは極めて大きくなる。ある時、多くの管理職を前にしてこう話したことがある。
「入るを計って出ずるを制す」というが、私は「まず出ずるを制して入るを計る」と入出を逆にしている。古今東西、入るだけを計って功を遂げたものはいない。入るを計る者は、安易な考え、希望的観測をもち、計画どおり入らないと溜息と不平不満がでる。出ずるを制する人からは、まず″知恵″がでる。忍耐力と細心の注意力が養われ、自信もでる。そのため思いきったことを成すことになる。
当社がジリ貧に陥った理由の一つは、不確実なことに全力投球して、確実なことを投げやりにしていたことだ。収入、儲けなど入るを計ることは不確実なことであり、節約してかねの出るのを抑えることは確実なことである。
これまで「売上げを増やせ、儲け仕事を探せ、そのためには経費を惜しまない」といって尻を叩いてきた。結果、売上げは伸びず経費だけ増えたということになっている。
この会社に入ってから、家の床の間の掛軸は、同じ軸をかけっ放しにしている。それは、鎌倉の円覚寺、朝比奈宗源師が書いてくれたもので「竹密なりといえども流水の過ぐるを妨げず」とある。竹がどんなに密生していても流れてくる水を止めることはできない、という意味だ。私はこの文句の下に「なにを以て、これを妨げん、なにを以て、これを補わん」と継ぎたして時おり読んでいるわけだ。
会社の経費というものは、竹が流水を妨げられないように、どうしても抑えきれないものがある。しかし、であるからといって出していたら収支の均衡を失なうことになる。そこで、「どうすれば抑えられるか、出ていったものを補うにはどうすべきか」を工夫せよ。出て行くものは仕方がない、これだけ出たのでこれだけ預金が減った、これだけ借金が増えた、と考えるだけでは経営者とはいえない。これを、どう穴埋めするかが経営者の任務だ。「覆水盆に返らず」ではなく「盆に返せ」といいたいのだと。「覆水盆に返らず」は大公望が言ったものである。
太公望は周朝初めの人で呂尚といった。若いころから学問に励み、働こうともしなかった。馬氏と結婚したが、妻は家計の苦しさに耐えかねて実家へ帰ってしまった。呂尚は、それでも貧に耐えて学問をつづけた。年老いて放浪していたのであろう、滑水のほとりで魚釣りをしていた。そこへ通りかかったのが周の西伯(後の文王)。話かけてみると、応答も立派で稀にみる人物。自分の父、大公は、いつか聖人が現われて周の国を興してくれると望んでいたが、それはこの老人に違いあるまい(釣り師を太公望というのもこの故事から)。そこで、今後、私の師と仰ぎたいからお導き下さいと王官に案内した。かくして呂尚は斉の諸侯として封じられることになった。
功成り名遂げた呂尚のもとへ、三行半をつきつけて帰っていた馬氏がある日訪ねてきて言った。「前のあなたは貧しかったので去っていきましたが、今はこんなに出世しているのですから、私はやはり、あなたの妻としてお側に仕えさせていただきます」と。呂尚はなにもいわず、器に水を汲み、それを庭先へこぼして、それを馬氏にすくわせた。
水は土に吸いこまれ、すくったものは土だけであった。そこで言った。「一度こばれた水はもとの器に返すことはできない。これと同じく一度別れた者とは再び一緒にはなれない」と。これが、「覆水盆に返らず」の故事だが、会社の経費も一度出したものは再び会社に戻ることはない。
しかし、こう考えたのでは、いつになっても会社を再建できない。こぼした水を再び盆に戻さなければならないのである。そのためには、知恵をださせることだ。
たとえば、期の途中で公共料金の値上りがあると、各部門からいかにも当然といわんばかりに追加予算の請求がでてくる。
ある年度に国鉄(現JR)、電話料金などが大幅に値上げされ、部門代表三人が経費予算の追加請求にきた。そこで、聞いた。
「公共料金が値上りすると、民間の個人も法人も負担増になるが、政府から補助金がでるか」
「値上りしただけ会社の損が増えるが、それを補うだけの利益が会社のどこからか湧きでてくるか」
いずれも、あるわけがない。「それでは公共料金が上がったからといって追加予算を認める理由はなにもない。不合理なかねは出さぬ」
「それでは、予算がなくなったら、出張も電話をかけることもできなくなるが、それでもいいのか」「なんにもしなくともよい」。そういう人間に、「うまく予算内でやりくってくれ」といっても無駄である。
「銀行育ちだから知っているだろうが、おかねの別名は、おあし、といっている。おかね一には足があるから出るものは出ていく」 け
「そういう考えだから、この会社は貧乏会社なんだ。おかねに足があるとは好都合、おかねの足の爪先を会社のほうに向けろ。おかねは自然に会社に向かって歩いてくる、と考えるべきだ」と。結局その年度は、各部門長の工夫で、出張も電話代も欠くことなく終えている。
八 節約とは大志を果たす準備である
第二の会社を再建するために、私は憎まれ役をつづけながらケチ経営に徹した。欠けたら補充する。減ったら満たす。常に充足しておくことは準備である。悪いことに悪いことが重なったので失敗した、倒産したという言い訳が経営者に許されるわけがない。悪いことがあれば、何をおいても良くしておく心がけを欠くことはできない。会社が悪くなっている 一のであるから、欠けているものを満たす他にない。そのための徹底した節約1倹約であった。 部十一年間その会社に関係したが、期首に定めた経費予算の増額を認めたことは、ただの一度もなかった。ある時など、「うちみたいにケチ会社ばかり増えると物の売行きが悪くなる。そうなれば商店泣かせとなり、日本経済全体も売行き不振、ジリ貧となる」などと真顔でいう幹部がいた。
「自分の会社は火の車経営、自分の頭の上の蠅も追えないくせに生意気いうな」と思ったが、こう話した。
「近年、日本企業のうち半数は赤字会社だといわれている。もし、これらの会社が合理化に徹して黒字になり、日本の全会社が黒字になったら日本経済はどうなるか。
反対に、いまの黒学会社が浪費を重ねて全部赤字会社に転落したらどうなるか、を考えてみるがよい。全社赤字ということになれば、法人税収入はなくなり、政府支出も減らさざるをえなくなる。民間の配当支出もなく、従業員給与も減って消費は極端に落ち、失業者は増え、不況は深刻化するだろう。
逆に、全部が黒字会社になれば、物は売れ、個人消費はさらに増え、商店も大繁昌ということになる。一時の思いきった節約は大切なことだ」と。
またある時、部門長が「経費の締めつけがきつすぎて、部下からケチ部長などといわれて情けない」と嘆いていた。
「ケチといわれることは名誉なことだ」と私。「ケチだとけなしている人と、いわれている人では、どちらがケチか考えたことがあるかね。今どき、飲まず食わず、義理人情に欠いて恥までかきながらケチっている人はない。ムダなことをやらない、節約ということだ。それを浪費家からみるとケチにみえるだけだ」と。
サラリーマンにしても、月給、ボーナス、退職金、年金など一生の総収入が一億円あったとすると、ケチといっている人は、たったの一億円使って死んでいくだけだ。ケチといわれている人は、節約して貯蓄し、利息を増し、儲けて増やし、事業を始めて増やす。 一生の間に使うかねは一億円どころではない。何億、何十億も使うことになる。どちらがケチかわかろうというもの。
小咄に「川に落ちて賜れかかっている男に″百文出せば手をかして助けてやろう″といったところ″百文出すくらいなら〃といってそのまま沈んじゃった」というのがある。必要なことにも出し惜しむのがほんとうの吝薔というものだ。
節約している人は、会社を大きく発展させよう、海外進出を果たそうなど、大きな志を抱いている人だ。また、ピンチに備えようとしている人で、経営者の条件を立派に備えた人と価いえるだろう。名誉この上なしである。あるとき、社長訓示のあと時間が余ったから、なにか話してくれといわれた。
「ここにおいでの社長を皆さんは、ケチ社長と陰口いっているようだが、私からみたら、このくらいかね使いの荒い社長はいないと思う。 一割五分配当が一人前の会社といわれているのに三割の配当を払い、二回ボーナスが常識になっているのに三回にしている。新設備にも半年に十数億ものかねを出している」と。ケチならぬ節約をしなければ、こうした結果は得られないことを知ったに違いない。
ある本に「倹約とは財貨に淡白なものである」とのべていた。倹約していれば、生活にこと欠くことはないし、貯蓄もでき不安もうすらぐ。おかねにガツガツしなくてもすむ。倹約しないものは、何事にも「それにつけてもかねの欲しさよ」と、 一見かね払いが良くみえて、かえってかねにきたないものである。言い換えれば節約・倹約は品性を高めるもの、人格を養うものともいえよう。
第二の会社再建がなって、法人税ゼロからここ数年十億円以上払っている。株の配当も無配から二割となり、社員ボーナスも二回を三回にしている。過去にケチった何倍、何十倍か支出増となるだろう。それは政府・株主・社員の収入増となり、消費を増やす結果となっている。価節約とは、大志を果たすための準備なのである。 .
九 余裕資金の運用と準備
関係した会社が若干の余裕資金をもつに至ったころである。
財務担当者を中心に打合せ会を開いたときであった。私は部外者として参加していたに過ぎなかったが、余裕資金の運用を巡って楽しそうに話し合っている。その日暮らしから借金を完済し、創立以来初めて公称資本金を越す余裕資金をもったのであるから乞食が大名、金持ちに出世したようなものである。
借金やりくりの知恵は人並以上だが、運用ともなると、乞食が馬を貰ちたより始末に困る。そのかわり話はおもしろい。バラ色の夢、虹だけを追っているのであるから楽しくもある。
「狭い土地を買うより、大牧場がつくれるほどの北海道の土地を買っておくのも将来有望だ」 好
「イラン、イラク戦争が始まって金が一オンス八百五十ドルにもハネ上がっている。これからでも遅くない。三倍になる可能性もある」
「○○会社へ行ったら応接室に絵が掲げられていたが、音、何万円で買ったが、最近一千万円でも買えないという。絵一枚だけで何百万円の合み資産だ」
「僕の友人が、埼玉西部のゴルフ会員権を二百五十万円で買ったが、最近一千万円でゆずってくれ、という手紙がくるという。あいつ、ひと財産つくってしまった」といかにも、私の賛同を求めるかのように言っている。
しばらくして休憩に入った。そこで、「それはど有望なら皆さんで買って会社に寄付してくれないか」と冗談をいった後で付け加えた。
「当社の余裕資金はまだ、資本金ぐらいなもので一ヵ月分の売上高にも満たない。一ヵ月の体業で吹っ飛んでしまう少額でしかない。ということは万一の用意金で、余裕資金といえるものではない。いまの状態では、この十倍ぐらいになってから、それを越した分について運用を考えてもよいものである。つまり、現在の余裕資金の十倍まではピンチに備える準備金ということだ。
そこで、当社にはまだ財務憲章なるものはないが、作る場合には第一条として『近く十倍、百倍に値上りするものであっても、天災地変などのとき損なしに即時換金できるもの、銀行借入れの適格担保になるもの以外は一万円なりとも投資してはならない』と書いておくことだ」
「せっかく儲かるのに勿体ない話だ」
「利を思うときは義を思え。利の裏は損、という教えもある。軽々しく利益だけを考えなさんな。
それに、あってはならないことだが、万一大地震にでも見舞われたらどうなるか。工場がつぶれ、生産販売活動もできなくなるかもしれない。そのとき、そこに働いている人たちに、いま営業活動休止中だから、皆さんの胃袋も再建するまで休んでいてくれ、といえるか。企業の責任の最たるものは、そこに働く人たちの生活を守ることにあることを忘れるべきではない。
また、そうした天災で大混乱のときに、それらの物を高く買う人もなかろう。もし、銀行担保になるものであれば、緊急融資も即時受けられ、社員の生活も保障できれば、工場再建も早くすることができる。『企業の勝敗を決するものは変化対応の遅速である』とは私の持論だが他に先んずることもできるだろう。日先の利を追って堅実優良会社に成長したものは古今東西一社もないものだ。
ある著名会社の社訓に『恐るべきは日々軽々の損。望むらくは日々軽々の利、恐るべからぎるは一時の大損、恐るべきは一時の大利』とある。一時の大利が、見えない悪影響を及ぼすことを知らねばならない。
また、将来北海道の土地は有望といっていたが、 一年先も将来、百年先も将来だ。欲がからんでくると遠近の見境さえつかなくなり、日の前の深いドブさえ見えないものだ。
それに、北海道では地域外ということで銀行は担保にもとるまい。急場に間に合わなくなる危険もある。 ″遠水は近火を救わず〃の教えのとおり、ピンチの準備を旨としている当社の投資対象には不適当ではないか。
昔、魯の国の穆公は、常に隣国の斉におびやかされていたので、晋と荊の強国と同盟を結んでおこうと考え二人の公子に両国に使いさせようと考えた。これを知った梨鉦が諌めた。
『人が溺れようとしているのを助けようと思い、越の人は泳ぎが上手だからといって呼びに行っても間に合いますまい。火事を消そうとして海には水が多いからといって汲みに行っても、その間に家は燃えてしまいましょう。晋と荊は強国ですが遠く離れています。斉は隣で 一とうてい間に合いません』。これではかねに換えられない死んだ財産ということになる」と。 倒一同がだまり込んでしまったのでこう話をつづけた。 .
「皆さんは、 ″金色夜叉″という、尾崎紅葉の小説を知っているだろう。あの小説の主人公は間貫一と鳴沢官の二人だ。この官さんが富山からダイヤの指輪をもらって貫一を袖にしてしまったわけだが、このダイヤは三百円だったとか。私の祖父が道楽のために旧制浦和高校近くの土地五反歩(千五百坪)を百二十五円で売却している。三百円の値打ちがわかる。″ダイヤモンドに目がくらみ″という歌があるから一カラットかニカラットぐらいはあったろう。
さて、そのダイヤをいままで持っていたとすれば、三百円に対してどれだけの値上り率か。時価一千万円にしても三百円の三万三千倍、二千万円で六万六千倍になる。
もし、宮さんが、ダイヤでなく明治の十円金貨で錦の御旗のついたものであったら、紙幣と等価交換できたから三十枚の金貨。これは、稀少価値で一枚百四十万円もする。三十枚で四千二百万円、三百円に対し十四万倍になる。
もし、宮さんに先見の明があって東京都下の土地を買っておいたらどうなっているだろうか。かりに一坪(三・三平方米)二円で買っていたとすれば三百円で百五十坪、時価一坪百万円にしても一億五千万円で三百円の五十万倍。土地が一番インフレに強かったことになる。
これは小説だから何ともいえるわけだが、もし官さんに事業欲があって三百円で事業を始めていたらどうなるか。西濃運輸の創業者田口利八社長が昭和二年、中古トラックを千百円で買って創業している。現在は年商一千億円、千百円に対して九千万倍、利益は九十億円で八百万倍になる。追加投資もあるから一概に言えないが、数字だけではこうなる。土地の五十万倍など小さい小さい、ということになるだろう。
会社というものは、会社から生み出されたものはすべて会社に直接役立つことに使えば間違うことはないものだ」と話しておいた。
「逆境を切り拓き、これを次の飛躍の踏み台とすることのできる者は真の経営者である」といった人がある。次の飛躍のために、踏み台を準備することが、その第一歩なのである。
十 財テクの是非
昭和六十三年二月四日に東京商工会議所が、「財テクに対する企業経営者の意識調査」の結果を発表している。
この調査は、前年十二月中旬、資本金三百万円以上の企業、二千八百六十社を対象にアンヶl卜で経営者の意見を求めたもの、と説明している。
その中で、財テク、つまり企業が株式債券などによる資産運用を行なうことの是非について、「財テクは、本来の業務とはいえず望ましくない」という回答が六十四%を占めている。「企業経営の一環として積極的に行なうべきである」との回答は四・九%と低い。これは、前年十月のニューヨーク、東京市場を中心とした株価の記録的暴落の直後でもあり、反省も加わっての回答でもあろうが、それにしても、財テク美徳論者の少ないことには驚かされた。同時に「本来の業務とはいえず望ましくない」といっているように、経営に対する考え方が健全であることを示すもので、 ″さすがに″の感を深くしたものである。
財テクの今後の動向について「沈静化する」が四十九%と多く、「ますます盛んになる」は十一%と少ないところからも、慎重さがうかがえるのである。これを見て「わが意を得たり」というのが実感であった。財テクと称するものの多くは、利を追うだけで損を考えない。
昭和四十六、七年当時、日本列島改造論を背景に″一億総不動産業″などといわれたように、土地の思惑投資が全国で盛んにおこなわれた。その後の石油ショックで思惑外れとなって会社を窮地に陥れたものも少なくない。
昭和六十二年の財テクブームでまず馬脚をあらわしたのがタテホ化学。優良な中堅企業であったが、利に眩んだ恐ろしさを知らずもかな、借金までして株式や債券を買いあさり、結局三百億円近い欠損を出して天下のもの笑いになっている。この会社にしても、最初は資本金と同額程度の儲けを出した。これがいけなかった。さらに儲けようとして、年商の五倍近くの損を出すまでストップできなかったわけである。
競馬の予想屋が、「この商売でかねをためるには、絶対に馬券を買わないことだ」と達観していた。こうも言っていた「競馬場へ来て確実に儲けているのは地面師だ」と。馬券を買う人の中には、少額の当り券は捨ててしまう人や、よく確かめないで当り券を外れたと思って捨ててしまう人がいるそうである。この捨てられている券を拾い集めて、家に帰ってから当り券を探しだす商売で、場所代も元手もいらないから、確実に儲かることになる。
財テクにしても、損得をわきまえて最初は堅実本位の投資から出発するが、これに、飽き足らなくなるのが、この道の常である。儲けの世界に絶対ということはないのであるが、絶対ということもある、と思いこむようになったら危険信号で、ここらで停止すべきだが、ブレーキがきかない。結局は転覆してから止まることになる。
ところが、実際に経営にあたってみると、 一時の大利ほど魅力に感ずるものはない。環境不良の時期など利幅も小さくなり、営業利益も伸び悩んでくると、 一時の大利を狙いたくなる。しかし、思いをかなえてくれないのが儲けの社会である。
それよりも、日々軽々の利を重ねることは待ち遠しくもあり、煩わしくもあるが、これでこそ、企業の基礎固めは密になって強くなる。一時の大利で基礎を固めることはできないことも知っておきたい。
鉄鋼王カーネギーは、大実業家になる条件のひとつに、投機的事業にたずさわらないことを挙げているのも、これらの事情を含めてのことである。
関係した会社が、巨額の借金を完済し、幾分の余裕資金ができた頃である。財務の担当長から相談を受けた。
「この余裕資金で株式に投資して儲けたい、われわれにも手柄を立てさせてくれませんか。副社長は株に明るいから、よろしくご指導願いたい」というものだった。
「私は株で儲けた体験もあるし、儲ける自信もある。しかし、この会社のかねで儲ける自信はない」「同じかねではないですか」
「いや違うかねだ。この会社のかねは目的のあるかねで、使い道のないかねではない。当社ではまだ、設備の近代化や、技術開発を進めなければならない。そのかねで一年間に二倍に増えたとしても一時的儲けに過ぎない。しかし、設備の近代化などは一年遅れることになり、永久に取り戻せない損を受けることになるだろう。
近代化、技術開発から生まれる利益は確実だが、株式投資の利益は不確実。確実を選ぶほうが賢明な経営といえるのではないか。
それに、儲けて担当長の手柄にしたい、という面もうかがえた。手柄の陰には引責辞職のあることも忘れてはなるまい」と。功を先にするから暴虎潟河の勇になる。
そのとき話したわけだが「財務部課長として手柄を立てようとするなら、タダのかねを作って投資すればよかろう。 一年に一千万円経費を節約すれば十年で一億円。使ってしまったと思えばタダのかね。タダのかねなら丸々損してももともとだ」「気の長い話だ」「節約したかねには、かねのありがた味がある。そうしたかねで危ない橋は渡れないものだ」と。といっても、資産運用として株式や債券を買うことすべてを好ましくない、というわけではない。かね儲け、投機目的の投資は厳に慎むべきだということである。
万一の場合の準備として、債券や株式を取得、会社の資産として保有することは健全な財テクのやり方である。これからの日本経済の発展を思えば、財産価値も高まり、儲けようとしなくても儲かることになる。ただし、長い日でみた採算であって、短期間に危険を冒してまで儲けを急ぐことは全くないのである。
関係した会社でも、先にのべたように、投機的な株の売買を厳禁していたが、同じく貴金属、不動産、書画骨とう、ゴルフの会員権まで禁じていた。しかし、取引金融機関の株を中心に健全な財テクはやっていた。その場合も、経理上所有証券は、流動資産として処理されているが、固定資産として考えるべきだ、と担当長に言っていたものである。
それに、企業が投機的な財テクを常としていることはイメージダウンにつながる、ということも知っておかなければならない。昔から、トバク、競馬競輪などを常習としている者は周囲から信用されなかったと同じく、企業も同じ目で見られるからだ。また、いかに業績が順調であっても、いつ逆境になるか計り知れない。こうした不安がつきまとうからである。それ以上に企業の信用をおとすのは、不労所得に頼ろうとする経営姿勢と、頼らねばならない企業体質である。
一夜漬けの勉強で試験に挑むようなもので、かりに山が当って及第したとしても、卒業は危ぶまれるのと同じである。
利を追うだけで、損を考えない財テクというものは、単に、かねの損得よりも、本業を疎かにする損、依存心や士気の低下を招くなどの″見えない損〃のあることを忘れてはならない。たとえ財テクが一時的にうまくいっている時でも、会社のあちこちに″見えない損″が発生して、結果的には差し引き大損、ということになりかねない。
「世の知は却って愚なり」「世の愚は却って知なり」というが、企業が一時の大利を狙うことは、いかにも知恵者のようであるが、結果は、愚者と世間のもの笑いになる懸念も多いということである。
十一 財を得て財に頼らず
会社経営上、より多く資産をもつことは望ましいことで経営基盤の強化にも欠くことはできない。
また、多くの資産が生み出す果実は収入源となり、トータルコスト引き下げにも役立ち競争力強化の役割を果たす。そのため企業は競って資産の増加に努めるわけで好ましいことといえる。
ただ、ここで戒めたいことは、それに頼ってはならないということである。その昔、ある繊維会社の社長と話し合ったとき、その鼻息の荒いのに驚いたことがある。
「世間では、首きりだ、倒産だ、と四苦八苦しているが、うちでは何千人かの従業員が一年二年遊んでいても立派に給料は払える」とうそぶいていたが、十年後には身売りしている。土地を切り売りしても経営できる、といっていたが一括で売らねばならなくなっている。いうまでもなく、資産に頼って、時代の変化に対応しなかったからである。
また、私の銀行時代のことである。
ある中堅会社社長から借入れ申込みがあった。担保余力も乏しい。しかし、個人所有の書画骨とうなど家宝としているものは捨て売りしても一億円はある。ただ、それを売るわけにはいかない、という。しばらく話した後、極力売掛の回収を急いでやりくってみますということで帰った。それからしばらく音沙汰なし。一ヵ月後に現われた社長曰く「私が売掛回収にとび回っている間に家内が、画商をよび集めて、全部売ってしまった。それでピンチをきり抜けた」と話していた。
後日、その夫妻とあるパーティーで会ったとき奥さんがこう話していた。
「主人は古美術マニアで集めているが、会社がつぶれたら、それらをおく場所もなくなるのに売ろうともしない。たぶん未練があって売れないのではないかと思って、私が売りました。
それに、いまから、ああいう物に目を細めているようでは、いつになっても会社の芽は開かないでしょうから。でも、色紙一枚だけは残しておきました。 ″色即是空″と書いてある色紙です」
「奥さんが社長になられてはどうです」といったら「余計なこといわんで下さいよ」と。私の知人がもと勤めていた会社の業績は長年赤字つづき、売上げも伸び悩んでいるが払込資本金の二十倍相当の借金を抱えて気息奄奄。それというのも土地を持っていたからだ。年々土地が値上りするため、担保余力が増える、増えるをいいことにして借金してきたからである。
これらはいずれも物財に頼った悔いといえる。
昔から知っているいくつかの地方都市の目抜き通りは、地主・金持ちが軒を並べていたものであった。由緒ある店構え、看板を掲げて、ご主人は何人もの丁稚小僧を顎で使っていた。
近年では一軒も見当らない。なかには、近代的店舗を建て、昔丁稚であった人が社長に納まっているものさえある。丸々相続税に取られたはずもない。端的にいえば、財産頼りに暮らしている間に時代にとり残されたのである。
あるところに、地主村といわれる地域がある。何ヘクタール、何十ヘクタールという田地持ちが、昔ながらの門構えを誇り、雇われている者などはすべて呼び捨て、大猫同様に扱われていたものである。
近年では主従逆転。主の中には夜逃げした者もある。それにしても時代の進歩にとり残されたといえよう。現代のように進歩の激しい時代、競争の厳しい時代に生き残るためには物財を持つ者、持たない者ではスタートで大差がつくことになる。しかし、それに頼っているようでは物財のない者に追い越されることになる。この話は二十年はど前になる。
プロセールスマンでトヨタ自動車のナンバーワンといわれた中村賢作氏と対談したことがある。
「昨年は七百五十六万円稼いだが今年は一千万円に挑戦するつもりだ」といっている。年は三十才を過ぎたばかり。当時としては中堅会社の社長クラスの所得である。
「そうした根性はどうしてでるのか」
「私は茨城の結城高の普通科を出て、ガソリンスタンドのパート、自動車修理見習いとセールス体験はない。主任の肩書きはあるが一匹狼、固定給は月四千円でないに等しい。決まった得意先もない。ないないづくし。なにもなければ、攻撃だけが飯の種。もっている者は守ることから考える」といっている。乱世を生き抜く力は無から出るとでもいえようか。財を得て財に頼らず、玩味したい言葉である。
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十二 財を得て財に湯れず
十八史略は西漢の五世、文帝について、次のように記している。
「漢が興り、政治をとるようになってから、くどくどしい苛酷な法を取り除き、人民とともに、長い戦争の疲れを取った。その上文帝は、慎み深く、倹約であったため、国の基礎は固まった。六世景帝が帝位を継承するまで五、六十年の間は、悪い風俗を改め、人民は純朴で人情に厚く、国家は無事太平に治まり、人々も、なんの不自由はなく、家々も豊かで、都会、田舎の米倉、野外の米倉にも米が温れた。役所の倉庫には財貨がはいりきらず、朝廷に集まった銭は何億貫という巨大な額に達し、永い間、積み重ねておいたので銭さし紐が腐って数えることもできない。
朝廷の米倉も、穀物が上へ上へと積み重ねられ、しまいには、外にはみ出し野積みにしたので、赤いカビが生えて腐り食べられなくなった。
また、 一度役についた役人はその子供が成長するまで、その職にとどまっていたので、自分の官職を倉氏、庫氏というように自分の姓とするものが現われるようになった。人々は行ないを慎んで法にふれるようなことをしなかった。
しかし、無事太平に慣れて法律はゆるみ、人民が富んだので騎り、わがままをする者も現われるようになり、貧乏人の土地を買い占めた富豪な連中は、村でわがまま勝手なことをし、皇族・諸侯・公卿以下に至るまで騎り、贅沢をして限度がなかった。
およそ、物事が盛んになると、やがて必ず衰えるのは当然の変化であって、免れることのできない運命である」
これから教てもわかるように、倹約をつづけて、満ち足り、これになれて騎り、衰えていく。歴史とは、この繰り返し、ともいえるのである。近年、わが国の将来を憂える人が多くなってきている。敗戦、貧困倹約から、経済大国、人々は満ち足り、飽食を嘆くありさま。
前記の言葉をかりれば「京師の外貨巨万を累ね、貫朽ちて校すべからず。太倉の栗陳々相因り、充温して外に露積し、紅腐して食うに勝うべからず」ということになる。
満つれば欠くる世のならい、ということからすると、現在のわが国の状態は憂うに足るといえるからである。企業にしても同じで、最好調とは最悪調への一歩であって、決して喜ぶべきことではないのである。
易経に「安けれども危うきを忘れず。存すれども亡びるを忘れず。治まれども乱れるを忘れず」という文句がある。
会社再建に協力した第二の会社を去る日、社員代表に″安けれども危うきを忘れず〃と書いた色紙を渡して、こう話した。
「私の入社前にピンチに陥ったのは、 ″安きにいて危うきを忘れた″からである。当社は、昭和二十六年に創業、十年後の三十六年に上場し、額面五百円の株が一万円に迫る勢いであった。
それから九年後の四十五年に私が入社した時、実質は赤字、株価も暴落し、借金過多で内外の信を失なっていた。それというのも三十年代の高成長で、危うきを忘れたからだ。
″会社とは潰れるものだ〃ということを強く認識している会社は、つぶそうと思ってもつぶれないものである。危うきを忘れなければ、会社経営にあたり″困難だ〃″不可能だ″という言いわけは許されないことである」と。
誰にしてもつぶれないと思っていた国鉄もつぶれた。うちの会社はつぶれることはない、と考えている者が多い企業は、つぶさなくてもつぶれていくものである。
「安けれども危うきを忘れず」の言葉がこの世に現われてから三千年、その間どれはどの国・企業o人間の興亡があったか。読んで行なわなければ、読まないのに同じ。読まなくとも、亡びた国や企業の原因について人からきいて知ることもあろう。にもかかわらず、自分も同じ轍を踏もうとしている。愚か、という以外にない。
「前車の覆轍は後車の戒め」ということがある。前の車の転覆したわだちの跡は、後から行く車にとっては良い戒めになるという無言の教えともいえる。
祖父が死んだのは、私がまだ小学校へ入る前のことであった。この祖父、中年から遊興に走って百ヘクタールともいわれた田畑を売って、なお借金まで残して死んだ人である。その後を継いだ父母の貧困を知りつくしている私は、祖父の覆轍だけは踏むまいと、自分を戒めてきた。今日まで麻雀や競馬などの賭事にいっさい手を出さないのも、このためである。
第二の会社が再建なって、再建のコツを問われることが多い。別に説明するほどのことではない。前車の覆轍を踏まないようにする、従来やってきたことの逆をやればよい、と答えるだけになる。
寺田紡績を興した寺田興茂七氏は、潰れそうになった会社を合併して大きくなった。合併するか、しないかを見定めるために、自分でその会社のすみずみまで見て回り、ムダがある会社と合併したという。前者のわだちの跡が大きいようなら、それを埋めれば立派に立ち直ると考えたからだ。
昔、中国戦国時代、 一方の雄、魏の文侯が、下っ端役人の不仁という男にとりもちさせて大臣たちと酒宴を張ったときである。
文侯が「ただ飲んでいるだけでは面白くない。味わわずに飲んだ者には、罪として大杯で一杯飲ませることにしよう」といった。ところが、 一同が賛成したが、最初に禁を破ったのは、言いだした文侯。
そこで、御前にまかり出た不仁が、大杯を文侯に差し出したが、侯は見ただけで、受け取ろうとしない。並み居る家臣も日々に、「いいかげんにしないか。わが君は、すっかり酪酎している。無理強いするな」といっている。
それに対して、不仁は言った。
「前者の覆轍は後車の戒めということがあります。前例を顧みて注意しろ、という意味です。家臣となることも、主君となることも、ともにやさしいことではありません。いま君が法を設け、その法が守られないような先例をつくられては、将来どういうことになるか、よくお考えになられ、どうあっても罰杯をお受けいただきたい」
文侯も、なるほどと考え、大杯を飲み干し、不仁を重く用いた、とある。現代社会にも、こうした場面をよく見うける。
酒席の冗談ごとぐらいに軽くみるべきではない。むしろ、酒席の冗談ごとでも守ることが肝心で、部下は一事が万事と受けとめるものである。
ところが、前者の覆轍を何回となく犯している者がある。性懲りもなく、と陰口きかれ、もの笑いの種にされている。その度に、ああ、いい勉強をした、といって失敗を繰り返している。成功することが勉強になるということを知らないのである。
これが酒席の失敗ならまだしも、同じ会社が同じ理由で二度も倒産寸前まで追いこまれた例がある。いずれも、倹約で起きて、奢多で倒れている。同じ轍を踏むにしても何をかいわんやということになろう。
企業が物財を蓄えることは、逆境に備えることで怠るべきではない。しかし、これに溺れ自分の志まで失なうことは厳に慎まねばならない。だいたい、財に溺れる者は創業者に少なく、二、三代目に多い。これは、創業者は穀難辛苦のうちに財を築くため、財貨の有難味を知りつくしていて、疎かにすることはないからである。
二、三代目の失敗の多くは、甘い考え方、言い換えれば己に克てない心の弱さからである。創業者は老いて、築いた財産を子にゆずるが、創業精神ともいえる根性までゆずっていないことが多い。ここに二、三代目の弱点がある。後を継ぐ者が、創業者の心を心として努めれば、財をさらに増やして次にゆずることができる。財を得て財に溺れず、に心してもらいたいと思う。
十三 財を任す者
自分の財布を人に任すには慎重であるが、会社の金庫を社員に任す場合は案外無関心な経営者が多い。
それなりに部下を信頼していることで悪いということではないが、ただ、真面日で、間違わなければそれでよい、というものではない。福を招くも災いを招くも、財務責任者の適否によることも少なくない。優れた企業体質を誇るもの、発展力に優れている企業を見ればすぐわかる。優れた財務管理者が金庫の前にいることに気づくだろう。
さらに、その管理者が、計数に明るく、計算が正確で、金銭その他物財の保全も健全というだけではない。 ″徳性″ ″知性″ ″公共性″ ″柔軟性″ ″先見性〃などを兼ね備えていることを知るに違いない。
そして、企業の盛衰は、この一心に存す、というほどの責任感を秘めていることも推察するだろう。
つまり、財務責任者は、その地位のいかんを問わず、仁・知・勇を備えた経営者であり、戦略者でなければならない、ということである。只は古来財貨を意味するが、貝を得るには才が必要で合わせて財という字になっているという。
しかし、その財も、用いようによっては福ともなれば災いともなり、味方ともなれば備ともなる。かねは魔物と考えさせるか、人の命の次と考えさせるかも財務責任者の腕次第ということになる。
そこで、私なりに考えたわけだが、会社の財務担当者として、どういう人間を選ぶか。大げさにいえば、会社の将来の勝敗をわかつ重要問題である。そこで、まず、第一の条件としたのは″徳〃である。立派な人格の持主である。
まず私は、別項で「企業のかねは仁に使え」と書いた。仁は忠と恕である。かねを忠に使えとは、いうまでもなく自分の会社、そして国家社会のためである。 ″恕〃は、思いやり、相手の立場になるという意味で、企業の相手、つまり、顧客・株主・従業員のために使えということになる。
当然のことと言うかもしれないが、当然でない経営者、中間管理者も少なからずいると思えるからである。
社長から、金庫・社印o社長の個人印鑑まで預けられていたのを幸いに会社のかねを横領したという新聞記事を見るにつけ、悪心を起した人間を怨むより、悪心を起すようにした者のほうを怨みたくなる。
また、ある会社の支払いは百二十日手形払いにしていたが、現金で払ってもらえる手もある。財務部長に利息を払えばよい。でなければ相応の接待をすればよいという仕掛けである。前職時代「新聞紙部長」という話をきいた。リベートとか袖の下を新聞紙に包んで持ってくる。なにげなく部長は机の引出しに入れるから、といっていた。それが上場会社であったから驚く。もっとも、その会社は間もなく倒産している。
こうした、ドブ鼠、白蟻を飼っていると、知らぬ間に大黒柱も空洞にされることになる。これは例外だろうが、会社の幹部がしている経費の公私混同を見逃し、諌言のできない財務責任者もいれば、はなはだしいのは、社内の公私混同を発見できない盲目財務責任者もあれば、判っていても止めさせられない者もある。同じ穴の鼠としか思えない。
次に、財政を健全化するため企業がムダを省き倹約するのは当然であるが、これを進める勇気もないものもいる。倹約が人の徳を高める道であることを知らないからである。
財務責任者の心しなければならない第一は信義を守ることで、いわば約束厳守の精神である。企業財産の最たるものは内外の信用といえる。これを損なうものの多くは、金銭に原因していることを肝に銘じなければならない。次に″知性″についてである。
前に、管理者は戦略者であれとのべた。戦略者とは、相手に勝つための経営資源を見いだして、それを巧みに利用することのできる者である。
これを端的にいえば、財務責任者は、会社の営利、健全、公共性の三目的を達するために、いかにすべきかを考え、実行することといえる。
たとえば、資金不足を解消するために、金融機関に頼みこむだけでは能がない。貸借対照表の資産の部にあるものはすべて資金である。
また、損益計算書の支出の部、場合によっては収入の部からも資金は捻出できる。それらは、自分の管轄外などといっている者に財務を任せておくわけにはいかない。
不渡りはどこから出るか。財務の窓日からだ。それを自分の管轄外とは、自ら自分の肩章を外しているようなものである。
次に、これは公共性とも関連するが、財務担当者は常に、会社の営利、健全、発展に心くばりをしていなければならない。その場合、正しさを失なってはならないということである。とかく、早く利益を増やしたい。少しでも支出を減らしたい。責任者として当然なことで、結構なことである。
たとえば、節税に過ぎて税のがれを計ったり、収益の伸びにブレーキをかける。逆に投機までして利益を高めることを考える。経営上、いずれも正を失しているものである。
第二の会社で私は、絶対に投機に走ってはならない、と戒めたことは前項でのべたが、「ギャンブル」とは何か。「知性の足らざるを自ら暴露するもの」と話した記憶がある。
また「会社はなんのためにあるか」。一つは利益をあげるため、つまり本業から利益をあげるのが正しい、ということになる。従って、本業から利益をあげることに全知全能を傾けることが正しい。余裕資金を投資して得た利息・配当などは自然にでてきた副産物と考えればよい。
また、財務責任者は、蓄え備える、という女性本能を常に発揮せよ、と戒めた。男性は、原始時代から、いつでも食糧が得られる、衣・住も得られるという自信かうぬばれがある。そのため、将来に備えようという本能が大きく現われてこない。その点女性は、出産・育児など、食の得られない時もある。そのために、何ものでも蓄えておこうと考える。
財務担当者は、夏きり知らないキリギリスであってはならない、ということである。ただし、ためる知恵はでるが、出す知恵もなければいけない。
かねを残す秘訣は、入ったかねを絶対出すな、ということにつきるが、これでは命が危うくなる。「必要以外は」とつけ加えれば、生きながら残すことができる道理。このバランスを計る知恵も必要になる。
さて、「かねは時なり」とのべた。かねをためて、有効に運用して利益を得るにも時を見る目が肝要、ということである。
ということになれば、財務責任者には、先見力も要求されるということになる。経費支出、設備投資、借金の時期、余裕資金を運用するにしても、先の見通しもなく行動することは、危険極まる。まず、先々の変化を予測する能力が必要ということである。
よく、財務・経理などは、各部からの入金・出金を正確に処理しているとすればと考えがちである。社内各部門の尻拭い役と考えている者など早く交替してもらわねばならない。近年では銀行がサービスしてくれることになっている。また、才・知のなかに、柔軟性、弾力性、機動性と表現されることも含めると、経営上の進退がある。進み退くは兵法の常。経営にも進退の時がある。「危」を常に予測しているのが、財務責任者といえる。しかし、この危をあまり意識しすぎると好チャンスを失なう危険がある。時には、危を冒すための支出を惜しんではならないこともあり得る。要は、進退両面に配慮する人が好ましいということである。
以上、財務責任者の適格性についてあれこれのべた。尽きるところは、人格・才知・進退の勇ある者となる。言い換えれば「己に厳しい、細心大胆なもの」といえるのではないか。
十四 備えあれば憂なし
別項でのべたとおり、私の二十才当時は貧困失意のドン底であった。
発心して生涯設計を定めた頃、「人生とは何か」と考えたものである。何とか貧困失意から脱したい、ここから人生を発想することも無理からぬことであった。結局「人生とは準備である」ということに落着いたわけである。
人生わずか五十年、平均寿命が五十才といわれた頃に、五十才までを法律・哲学・経済・経営の勉学に費やしたのも「人生は準備」の現われといえるだろう。
病気・災害・貧困・失敗などの体験者は再びそれをくり返さないように、あらかじめ注意するようになるものである。人間は誰しも危険を避ける本能がある。体験者にはことに強く現われる。
かつて関係した会社で、埼玉の西北に分工場を建てた時のことである。室内貯水池を造るよう指示をした。何のために造るのか、専門の設計士にも判らない。製品の設計図をコピーして保全するのが目的であった。地震o火災の際に東京の本社工場一カ所に保存しておくだけでは万一の場合、生産に戸惑うことになる、と説明した。私には関東大震災で住宅が倒れ苦労した体験がある。若い人にはそれがない。
「震災なんかありませんよ」と一笑に付していたが池は造らせた。その池が無用の長物で終ればこれに越した幸いはない。
荘子という哲学者は金銭にも淡自で、自由気ままに生きることを楽しんだ。そのため、 一食代にもこと欠くことも少なくなかった。これが何度もつづいて、さすがの荘子も餓えに勝てず、代官のところへ借金に出かけた。代官も迷惑と思ったが断りきれず逃げ口上を言った。「承知した。二、三日中に領民から税金が入ってくるから、三百金ぐらいなら用立てよう、それまで待ってもらいたい」。
荘子にしてみれば三百金の大金より、いますぐ一食代がはしいのである。そこで荘子はこういってやり返した。
一吾輩がお前さんのところへくる途中、往来の車の轍の跡の水溜りにいる一尾の鮒から呼びとめられた。『こんなところへ迷いこんで水が少なくて息苦しくてたまらない。何杯かの水を運んできて私を助けてくれませんか』と。
そこで吾輩は面倒くさいから、こう答えた。
『二、三日のうちに南の方へ遊説に行くことになっているから、そのついでに西江の水をいくらでも流しこんでやろうじゃないか、それまで、二、三日待っていてくれたまえ』そしたら鮒のやつ、ぶんと怒って『私の必要なのは何杯の水で足りるんだ。それなのに二、三日待てというならもう要らないよ。あとで、乾物屋の店先へ私の死骸を見にきたらどうだ』と。いや、お邪魔したね」といって出て行った。これが「轍鮒の急」のいわれだが、いまでもさし迫った困難欠乏の意味に用いられている。
荘子の時代のように名利の達観が看板になっている人なら、これで通用するだろうが、いま時では乞食扱いされて相手にもされなくなるだろう。
また、個人ならいざ知らず会社などでは成り立たなくなる。少額でも不渡りを出せば何十年の歴史を誇る会社でも一巻の終りになる。それを防ぐ道はたった一つ″準備〃だけである。
関係した会社が資金ぐりに困難している当時、給料日の到来がなんとも早い。不安がそうさせるのである。
労働組合とボーナス交渉をしている最中に、財務担当部長から「なるべく交渉を長びくように努力してもらいたい」と頼まれた。前職時代から組合交渉は限りなくやったが、こういう依頼ははじめてであった。いうまでもなく、交渉が妥結しても払うかねがないからである。
ボーナス、給料、株主配当などは、それまでに得た利益から払うもの。かねがないという理屈はなり立たないわけだが、入ったかねを行方不明にして、払わなければならないかねに戸惑うのである。
昔、ある主婦は主人が給料を持ち帰ると古封筒に、これは米代、これは電気代という具合に入れ、支払いに支障のないようにしているときいたが、 一カ月の準備をまずしておくのである。
いまも昔も同じだが、裕福でなくとも、裕福になっても人の心は変わらないらしく、病気・災害・老後のために貯蓄をつづけている。
女房の顔を見ていると飽きるが、福沢諭吉の顔は見飽きることはない、といった人があるが考えようによると、準備には限度がないともいえそうである。
ある大金持ちにきいたことがある。「莫大な財産があるというのに、まだ儲けようとしているが、儲けてどうなさるつもりか」「損することもあるからだ。わしの財産はあるといっても限りがある。しかし、これから、いくら損するかわからない」と答えてくれた。
さて、私の準備癖ともいえるほどのものは若いころの貧困時代に芽生えているようであるが、なんとか生活できるようになった今日でもなおらない、不治のものらしい。五十才までを自己形成、五十才以上を蓄財とし、六十才からを晴耕雨読としたとのべたが、この晴耕雨読準備もちょうど五十才からである。
晴耕相手として椿を選んだ。上が適している。花・葉も美しい。将来住宅が増え、近所の人にも楽しんでもらえる。椿は整枝など植木専門家の手を借りないですむ。落葉がなく近所迷惑にならない。高く育たない。老後手入れがしやすい、などなど先々まで考えて選んだわけである。
雨読の準備として、梱包のといてない本が何百冊か買いだめてある。第一の私の人生は銀行、第二の人生はメlヵl、第二が講演執筆、第四が晴耕雨読。第五の人生と家内にきかれたので、「死んだときは冥土というからには土があるだろう、あの世とやらで百姓をやるから野菜の種を棺桶へ入れてくれ」といってある。こうなると準備病も「病膏盲に入る」とでもいうのであろう。
著者 井原隆一氏について
十四歳で埼玉銀行(現りそな銀行)に入行。十八歳で夜間中学を卒業するも、父親の死後莫大な借金を背負い、銀行から帰ると家業を手伝い寝る間も惜しんで借金完済。その間、並外れた向学心から独学で法律。経済。経営・宗教・哲学・歴史を修めた苦学力行の人。最年少で課長抜擢、証券課長時代にはスターリン暴落を予測し、直前に保有株式証券をすべて整理、経理部長時代には日本で初めてコンピュータオンライン化するなど、その先見性が広く注目され、筆頭専務にまで上りつめた。
六十歳のとき、大赤字と労働争議で危地に陥った会社の助っ人となり、 一挙に四十社に分社するなど独自の再建策を打ち出し、短期間に大幅黒字・無借金の優良会社に蘇えらせる。その後も数々の企業再建に尽力。名経営者としての評判が高い。
一九一〇年、埼玉県生まれ。主な著書に「人の用い方」「社長の財学」「財務を制するものは企業を制す」「危地突破の経営」「危機管理の社長学」「帝王の経営学CD」…他、多数。二〇〇九年逝去。
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