はじめに
本書は、日々の仕事に追われ、部下育成が後回しになってしまっているというマネジャーの方々に向けて、効果の高い部下育成法である「フィードバック」の技術を一から説明した本です。
いわば、多忙化するマネジャーのためのフィードバックの入門書です。
私は「人材開発」を専門にしている大学教員ですが、同時に十数名の助教や研究員等の研究スタッフを率いるマネジャー(研究部門責任者)でもあります。
この本は、私と同時代を生きるマネジャーの方々に対して、そして、他ならぬ私自身のために、書かせていただきました。
同時代を懸命に生きる多くのマネジャーの方々に手に取っていただけることを願っています。
とはいえ、この本を手に取ってくださった皆さんのほとんどは、「フィードバックってよく聞くけど、実際何なの?」といった印象をお持ちではないでしょうか。
本書のテーマである「フィードバック」は、あまたある部下育成手法の中で最も重要なものにもかかわらず、日本ではあまりこれまで注目されてこなかったものだと思います。
フィードバックとは端的に言ってしまえば、「耳の痛いことを部下にしっかりと伝え、彼らの成長を立て直すこと」です。
より具体的には、フィードバックは、次の二つの働きかけを通して、問題を抱えた部下や、能力・成果のあがらない部下の成長を促進することをめざします。
1.【情報通知】
たとえ耳の痛いことであっても、部下のパフォーマンス等に対して情報や結果をちゃんと通知すること(現状を把握し、向き合うことの支援)
2.【立て直し】
部下が自己のパフォーマンス等を認識し、自らの業務や行動を振り返り、今後の行動計画をたてる支援を行うこと(振り返りと、アクションプランづくりの支援)
「成果のあがらない部下に耳の痛いことを伝えて、仕事を立て直すこと」は、非常に現代的なテーマでありながら、これまであまり触れられてきませんでした。
書店に行っても、フィードバックという言葉を含む類書は非常に少ないと思います(コーチングなどと比べてみると書籍数の少なさは一目瞭然です)。
フィードバックは、海外では非常に一般的な用語です。
面談だけでなく、上司と部下の日常的な会話においても、フィードバックという言葉が頻出します。
「今からフィードバックをするよ」「ちょっとフィードバックを求めたいんだけれども……?」 といったセリフがしょっちゅう飛び交っています。
ところが先に述べましたように、日本ではフィードバックという言葉は、あまり一般的ではありません。
多くの人は、フィードバックと聞くと、「期末の面談で、評価結果を通知されること」を思い浮かべるのではないでしょうか。
たとえば、「あのさ ー、中原君。君、今期は、こうで、こうで、こうだったから、君の評価は、 Cにするよ」と、いったような具合に。
しかし、本来のフィードバックは、単に結果を通知するだけでなく、そこからの立て直しをも含む概念です。
本書は、このように日本の企業の現場ではあまり知られていないフィードバックについて、一から丁寧に解説しています。
▼ 私が、なぜ今、フィードバックについて筆をとり、一冊の書籍を編まなければならないと思いたったのか。それには、いくつかの理由があります。
ここでは五つの理由を述べさせていただきましょう。
まず第一の理由は、企業の現場において、フィードバックのニーズが非常に高まっているからです。
私は、東京大学で人材開発(経営学習論、人的資源開発論)の研究・教育に携わっており、長年、多くの企業のマネジャー・リーダーの育成に関わってきました。
そうした研究生活を送る中で、最近、「部下育成がうまくいかない」「経験の浅い部下がなかなか育たない」といった声を、あちこちの企業で聞くようになりました。
第一章で詳述しますが、成果のあがらない部下をどのように立て直していくかというニーズは、一個人の問題を越えて組織全体の問題として、あるいは日本全体を覆い尽くす問題として、近年非常に高まってきています。
第二の理由としては、「年上の部下」に代表される、職場の多様な人材に悩まされているマネジャーが増えているということが挙げられます。
「年上の部下」問題に関していえば、近年、一定の年齢に達したら役職を 奪される「役職定年」や、「定年退職者の再雇用」などによって、年配の元部長や元次長が肩書きのない一般社員に戻るケースが増えています。海千山千の彼らに対峙するのは、十歳以上も年下のマネジャーです。
そうした人たちの間で、元部長などに対して、なかなか言いたいことが言えない、耳の痛いことをきちんと伝えられない、という「年上に意見できない症候群」が蔓延しています。
さらに今後は、定年退職者の再雇用がますます進む一方で、年金などの社会保障の支給開始年齢や金額がより不透明になっていくことが予想されています。
そうした状況では、「できるだけ長く仕事の現場にいて、働かなければならない」と考える職業人が増えてくるのは、確実です。
そうなれば、こうしたマネジャーの悩みは一層深まっていくことでしょう。もちろん、問題を抱えた部下は「年上の部下」だけではありません。
外国人人材、雇用形態の多様な人々など、「職場の多様性」は広がり続けています。そうした職場の多様な部下に対して、しっかりと向き合い、フィードバックすることが求められています。
第三の理由は、ハラスメントに対する意識が職場で過剰に高まったことが挙げられます。
昨今、パワハラやセクハラなどのハラスメントに対する意識が強まり、世の中がフィードバック不足になっています。
「部下を傷つけるかもしれないことを、どこまで言っていいのか」「耳の痛いことを言ったとき、どこまでなら問題にならないか」……。
そうした懸念は、どの企業のマネジャーにも広がっています。下手に問題の火種をつくるよりは、何も言わない方が得策だと考える人が出てくるのも無理はありません。
第四の理由は、二〇〇〇年代に広まったコーチングなどの「気づき」を重視する部下育成手法の普及によって、言うべきことをしっかり言うという文化がおざなりになってしまったことです。
コーチングに代表されるように、近年の人材育成方法は、相手に「自分の力で気づかせること」を非常に重視しています。
しかし、きちんと成長に必要な情報を理解していない部下は、自分で「気づこう」にも限界があります。
これも後述いたしますが、二〇〇〇年代、不幸なことに「気づき」を重視した部下育成法が広まるあまり、「言いたいことを言ってはいけない」という思い込みが広まりました。コーチングという部下育成手法が悪いわけではありません。
コーチングが偏った理解のもとで普及したために、「言いたいことを言えないマネジャー」が増える結果になったのです。
かくして日本全国の部下指導を行う上司の間で、「言うべきだと思ったことすら言えない病」が広がっています。
第五の理由は、近年、外資系の企業を中心に、目標管理制度の運用を見なおすところが増えてきていることです。
かつて、評価は年に二回程度、上司と部下が面談をして、その場で業績成果を言い渡し、必要な場合には助言や指導を行う場合がほとんどでした。
しかし、近年は、この頻度を見直し、日々の業務の中で上司と部下が繰り返し面談を行い、フィードバックする事例が増えてきています。
頻度の高い日々のフィードバックは「リアルタイムフィードバック」と呼ばれることもあります。
このような人事施策の変更にともない、フィードバックの技術はさらに求められるようになることが予想されます。
以上、五点の理由から私はフィードバックの本を書くことにいたしました。このような現状を打破するお手伝いをしたいと考え、編まれたのが本書です。
▼ フィードバックに関する研究は非常に古い歴史があります。
これまでに膨大な量の研究がなされてきましたが、それらの成果をきちんと紹介したビジネス書や一般書が日本には存在しませんでした。
フィードバックに関する翻訳書はいくつか出ていますが、今一つ日本の会社の現状にはそぐわないところもあるように感じます。
一方、フィードバックは、学問的知見(科学知)だけでは、その実態や重要なポイントを語り得ぬところもあります。
学問的知見も大事ですが、それを現場でどのように行うかという「実践知」もセットで必要です。
すなわち、フィードバックは、「科学知」と「実践知」が融合して、ようやく語り得る分野なのです。
今の職場の現状に即したフィードバックをするためには、科学的な知見に基づきながらも、それを現場でどのように使うのかを想定した書籍が求められます。
本書を編むにあたり、私はこの点にも留意しました。
本書の特長は、 部下育成やフィードバックの基礎的な理論、学問的な知見(科学知) 現場のマネジャーからヒアリングを通して抽出した実践的な知見(実践知) この二つをバランスよく盛り込むことを意識している点にあります。
実践知に関しては、日々筆者が行っているヒアリング調査の知見を含めました。また、本書には最前線で戦っている現役マネジャー三名のフィードバック事例も収録しています。
フィードバックは、通常、「ブラックボックス」の中で行われるものですので、このような事例が表に出てくることはほとんどないのです。密室において上司と部下が相対し行われるフィードバック。
その実態は、内容が生々しいだけにオープンになることはめったにありません。かくして、フィードバックの手法というのは、これまで最も学習が困難な部下育成法の一つであったのです。
本書では、フィードバックにまつわるブラックボックスにスポットライトを当て、実践知をオープンにすることをめざします。
現場のマネジャーが実際に行っていることを把握し、理解することは、非常に大事な学習機会になるのではないかと考えています。
取材をさせていただき、その機会を与えてくださった三名のマネジャーの皆さんに、この場を借りて感謝いたします。本当にありがとうございました。
もちろん、フィードバックの科学的知見に関しても、なるべく重要なものを網羅することにいたしました。
人材開発の専門家や実務の長い方にもお読みいただけるよう、参考文献などの情報は脚注に示しています。
科学知と実践知がともに融合・補完しあうことで、フィードバックのリアルを読者の皆さんにお伝えできれば、と考えています。
▼ フィードバックとは「少しずつ軌道修正して飛んでいくロケット」に似ています。
一般に「まったく軌道修正せずに、空気中を直進できるロケットは存在しません。
ロケットは、下からそれを見つめるとき、一直線に飛んでいるように見えますが、実際には、空気抵抗やさまざまな空気の諸条件によって、少しずつ軌道が曲がっているそうです。
しかし、フィードバック機構によって、機体・軌道のズレや揺れを自ら感知し、さまざまな形で推進力を調整して軌道修正することで、真っ直ぐ飛んでいる(ように見える)のです。
ビジネスパーソンにもこれと同じことが言えると思います。黙っていても真っ直ぐ飛んでいける、すなわち軌道修正がまったく要らないビジネスパーソンなどいません。
その人の行動のクセ、認識の偏りなどにより、人間の行動は、ひずみやバイアスがかかっています。
その中で、真っ直ぐの方向に進んでいくには、自分に関するさまざまな情報を受けながら、すなわちフィードバックをしっかりと受容しながら、それを元に、自分を立て直していかなければなりません。
いつかは自律して、自分で自分を律さなければならないにしても、自律を獲得するには、若い時期に他人に律せられる「他律」の時期が必要です。
成長するためには、正しく進んでいるかどうかを誰かにチェックしてもらい、指摘してもらうこと、つまりフィードバックが欠かせません。
マネジャーがその手助けをすることは、部下を成長させ、組織が成果を出すために欠かせないことです。
ちなみに、フィードバックの良き伝え手になるためには、自らも良き受け手である必要があります。
フィードバックを正しく受容できない人は、他人に対して、フィードバックを正しく伝えることはできないからです。
本書の第五章では、良きフィードバックの受け手となるための方法についても述べています。そちらも合わせてお読みください。
▼ 我が国は、エネルギーなどの資源をそれほど多く持っている国ではありません。限られた資源をおぎなうべく、この国は、今後さらに人間の智慧や叡智を必要としています。人的資源こそが我が国の成長の源泉です。
正しく飛び、長く働き続けられる人が一人でも多く生まれることを願います。そして自らもフィードバックを受け、正しく力強く飛んでいきたいものです。
本書がそうしたことに貢献できたとしたら、これ以上、嬉しいことはありません。
二〇一六年十二月三十一日 年の瀬の迫る故郷、北の大地にて中原 淳
第一章なぜ、あなたの部下は育ってくれないのか?
日本のマネジャーが疲労している原因は「部下育成」にあり
「最近の俺……疲れ切ってるな。めっきり老け込んだ気がする」 眼力を失った目に、かつてのツヤをなくした肌。
クタクタになって帰宅した夜遅く、ふと鏡に映った自分の姿を見て、そんなことを思う……。
日々、マネジャーとして働いている皆さんなら、「あるある!」と感じる方は少なくないでしょう(こんなことを言われても、まったく嬉しくないでしょうが)。
著者である私も、研究部門の部門長を務めてはや十年。最近、とみに、そのように思うことが増えました。現代のマネジャーは、疲れ切っている。私の専門分野は「人材開発」。
仕事柄、さまざまな企業で、たくさんのマネジャーの皆さんにヒアリングをさせていただいたり、研修をさせていただいたりしていますが、そのたびに、このことを強く実感します。
取引先や他部署との折衝に骨を折りながら、同時に新規事業の企画提出も求められる。
コンプライアンスの強化などで事務作業にも追われ、部下のメンタルヘルスや、セクハラやパワハラにも気を配らなければならない……。
現代のマネジャーにはさまざまな問題・課題がのしかかっていますが、中でも最も頭の痛い問題は「部下が育たない」ことでしょう。
上からは「部下を育てろ」と言われるけれども、現実にはなかなか育ってくれない。アドバイスをしても聞いているのかどうかわからず、同じ失敗ばかりを繰り返す。
少しキツく言うと、落ち込んでしまうので、あまり強くは言えない。部下が育たないので、仕事を任せられず、自分でやるしかない仕事がどんどん山積みになっていく。
でも、これ以上実務をこなす時間の余裕なんて、どこにもない。かといって家に帰れば、「残業を減らして、早く帰ってきてほしい」などと家族に言われる始末。
こんなはずじゃなかったのにな、と思わずボヤいてしまうほろ苦い夜もあるでしょう。
こうした状況に対して、「私の育て方に問題があるのだろうか? 私はマネジャーに向いていないのでは……」と自分自身を責めている人もいるでしょう。
自分の部下に、メンタルをやられて、休職する人が出てくれば、なおさら自分に非があるのではないか? と思ってしまうかもしれません。今の中間管理職の悩みは、非常に根が深いものがあります。
しかし、そんな悩みを抱える中間管理職の方に、まずは、こうお伝えしたいと思います。
「若い部下が育たないのは、あなたのせいではありません。過剰に自分自身を責めないでください。それは、職場環境の変化によって構造として生まれている現象なのです」と。
ここでいう「職場環境の変化」とは何か。それは「長期間にわたって仕事をしていれば人が育つ仕組みが、うまくいかなくなっていること」を意味します。
今、この「職場の仕組み」が危機に瀕しているのです。この二十年間で日本企業の職場環境は激変しました。
かつては、職場で長く仕事をしていれば、とりわけ意図的に会社が人材開発を行わなくても「人が育った環境」が、急速に失われてしまったのです。
そもそも、「職場で人が育たなくなった」と言われ始めたのは、バブル崩壊後の一九九〇年代以降のことです。
新聞のデータベースを検索すると、この頃から、「人材開発」や「人材育成」の記事がものすごい勢いで増えています(図表 1)。
その背景にあるのは、九〇年代以降、日本の職場で起こった劇的な変化の数々です。その結果、優秀なマネジャーでも、部下を育てるのに四苦八苦するようになってしまったのです。
第一章では、日本の職場で部下育成が難しくなってしまった要因とは一体何なのか、見ていくことにしましょう。
これは、一見、遠回りのようですが、その背景を知っているのといないのでは、のちのち紹介する部下育成手法の理解に差が生じます。
何より、ほんの気休めにしかならないかもしれないのですが、私は、マネジャーの皆さんに安心してほしい、自分自身を過剰に責めないでほしいと思います。
部下育成に苦労しているのは、あなただけではありません。それは「あなた一人の課題」ではなく、「みんなの課題」なのです。
部下育成が進まないことで、過剰に自分を責めず、まずは、ぜひ、冷静になって事態を見つめましょう。
その上で、希望をもって部下を育成しましょう。今、必要なのは、「冷たい頭と熱い心」なのです。
「昔の上司は人を育てるのがうまかった」は本当か?
さて、まずタイムマシンに乗って、部下育成があまり問題視されていなかった頃に時計の針を戻します。
「かつての日本企業には、人材育成の仕組みが整っていた」 そんな通説が、特に年配者の間でよく語られています。
ここで言う「かつて」というのは、バブル以前の頃、日本が高度経済成長を遂げた時期を指しています。
また、上司から、「俺が中間管理職だった頃は、もっと部下の指導をしっかりしていたものだ」などという昔話をされたことのある人も多いと思います。
このような話を聞くと、「昔の日本企業は、定年まで雇うことを前提としていたから、人をしっかり育てる意識を持っていたんだな」とか、「昔の上司は、人を育てるのがうまかったんだな(正直、今の上司の姿からは想像できないけれど……)」と思った方もいるかもしれません。
しかし、これらの昔話が「正しかった」と判断できる根拠は、実はそう多くはありません。人には「昔」や「かつて」を美化して語る懐古趣味があります。
「昔の上司は人を育てるのがうまかった」というのも、その一つだと考えられます。そんな話は「眉唾」であると私は思います。では、なぜこのような「神話」がつくられてしまったのか。
それは、当時の職場には上司が特に意識して人材育成を行わなくとも、「部下が育つ」諸条件が一通り揃っていたからです。その条件とは、「長期雇用」「年功序列」「タイトな職場関係」の三つです。
新卒で入社したら定年まで雇用が保証される「長期雇用」、実績よりも年齢や勤続年数が役職や賃金を決める「年功序列」については、説明は不要でしょう。
三つ目の「タイトな職場関係」とは、長時間にわたって、同じ空間で行動をともにすることを意味します。
かつての日本企業では、今よりもずっと残業をいとわずモーレツに働いていて、一日十時間も十一時間も一緒に仕事をすることが珍しくありませんでした(注 1 )。
土曜日も午前中のみの〝半ドン〟ではありましたが、週休一日制を普通に敷いていた企業もたくさんありました。
そのことを肯定するわけでは決してありませんが、上司と部下が長時間一緒にいられる環境があったことは事実です。
さらに、いわゆる「アフター5」に同じ職場の人たちで飲みに行ったり、休日も上司と部下が釣りやスキーなどのレジャーに繰り出したりすることも当たり前でした。
社宅に住んでいれば、会社の枠を越えて家族ぐるみのつきあいにもなります。だから、上司と部下は、互いの性格を自ずと熟知していました。
実は、「長期雇用」「年功序列」「タイトな職場関係」の三つが揃うと、部下は勝手に育つ可能性が高まります。
第一に、「長期雇用」だと、すぐに結果が出なくても、長い目で見てもらえます。皆さんは、「人が大きく育つ瞬間」とはいつだと思われるでしょうか。それは、「成功体験」をしたときよりも、「大きな失敗」をしたときです。
たとえば、期日通りに注文した商品を納品できず、取引先に多額の損害を与えてしまったとします。
そんな経験をすれば、納期に間に合わないような状況を二度と起こさぬよう、綿密に手を打つようになるでしょうし、仕事に対する姿勢も変わってくるでしょう。このようなミスをしでかしながらも、それを乗り越えて人は成長していくわけです。
しかし、現在のように短期的な結果が求められる環境では、大きなミスをしたら、一発で見限られてしまう可能性があります。
長い目で見てもらえたのは、長期雇用が前提だったからです。だからこそ、若い社員は、失敗を恐れず何度も学ぶ機会を得られたのです。
第二に、「年功序列」の会社では、定年までの道筋が一定なので、部下から見て、上司は、自分の将来像を示したロールモデルになります。
だから、部下も「今がしんどくても、十五年も経てば、高級車のクラウンに乗れるようになる」と思えるので、モチベーションが高まりますし、「課長のような仕事をこなせるようになるためには、今、何をすべきか」が明確にわかりますから、正しい方向で努力できます。
上司と同じ道のりを歩んでいるので、上司が「俺の若い頃はこうやっていたんだ」という自慢話のようなものも、今後の参考になりました。
第三に、「タイトな職場関係」だと、上司や先輩が部下と職場で長い時間を一緒に過ごすので、上司や先輩の仕事ぶりをじっくりと観察できます。
反対に、上司や先輩社員も、若手社員のことを長時間見ていたので、特に意識しなくても、改善すべき点を的確に指摘できました。
今のように、皆が皆忙しいわけではなく、当時の部課長には時間的にも精神的にも余裕があったと述べる実務家も少なくありません(注 2 )。
このような環境が揃っていれば、人が勝手に育っていくのも納得でしょう。
つまり、すべての制度や環境が「整合的」に組み合わさっていたので、とりわけ人材育成を施策として推進しなくても、「人が育つ環境」が揃っていたのです。
つまり、「人が育つという現象」は、たまたま制度や環境が「整合的」であったことの「副産物」として生まれていた、ということになります。
バブル崩壊以前は、ほとんどの日本企業に、このような「人が育つ環境」がありました。ところが、バブル崩壊によって、ここに「軋み」が生まれます。
バブル崩壊後、企業に余裕がなくなったことで、「長期雇用」も「年功序列」も「タイトな職場関係」も徐々に「色あせて」きました。
早期退職制度などのリストラによって長期雇用が崩れたり、年功序列をやめ、若手の大胆な抜擢が行われるようになったのは、記憶に新しいでしょう。
また、同じく九〇年代から、一九八九年のトヨタ自動車における組織改革を皮切りにして、いわゆる「組織のフラット化」が進められてきました。
経営トップの意思を末端社員まで素早く伝えたり、逆に末端社員の情報を素早く吸い上げるために、いくつもの階層に分かれていたピラミッド型の組織から、階層を減らした文鎮型の組織に変えていったわけです(図表 2)。
階層が減れば、当然、中間管理職の数は少なくなります。その結果、一人の中間管理職が抱える部下の数が増え、一〇~二〇人もの部下を抱える管理職が急増しました。
中には、一〇〇人以上の部下を一人で抱えているマネジャーもいると聞きます。
しかし、一人のマネジャーが管理できる部下の数には限界があり、それを超えて過剰な人数を管理しようとするとパフォーマンスが下がってしまうという研究群があります(注 3 )。
「スパン・オブ・コントロール (Span of control) 」という古典的な研究です。
この研究群の知見によれば、「同じ目標を共有する五 ~七人の部下を直接管理することが一人の上司の限界」とされています。
にもかかわらず、組織のフラット化によって新人マネジャーが一〇人以上の部下をいきなり抱えれば、きちんと面倒を見られない部下が出てきて当たり前です。
また、長期雇用に関する慣行が徐々に失われて、かつ転職が当たり前になったことで、「この会社の人に、必要以上に気を遣うことはない」と考える若手が増え、残業やアフター5のノミニケーションを嫌がる傾向が出てきました。こうして「タイトな職場関係」も崩壊していきました。
以上のような経緯から、近年になって日本の若手が育つ「三つの条件」が失われたわけですが、そのことに当時の経営も人事もあまりに無頓着であったようにも感じます。
当時、こうした「意図せざる逆効果」に関してはあまり注目されてこなかった経緯がありますので、当時の若手、すなわち現在の中間管理職は、上位者から効率的かつ理にかなったやり方で「仕事を教わった経験」をあまり持っていません。
かくして、今の中間管理職は、どのように部下を育てればよいかがわからないまま、今の立ち位置に放り込まれてしまったのです。
若い頃に、「精神論」や「根性論」の教育を受けて嫌な思いをしているので、「あんなことはしたくない」と思っているものの、実際にどうすれば人が育つかという具体的な答えは見いだせていません。
私が、今の中間管理職の人に対して、「あまり自分を責めることはない」と言うのも、おわかりいただけるのではないかと思います。部下が育たないという現象は、構造として生み出されているのです。
突然化・若年化するマネジャーと、その場しのぎにもならない短期研修
ここからは、マネジャー側の役割変化や仕事の変化にも目を移してみましょう。
まず、組織がフラット化したことで、今の中間管理職はマネジャーとしての仕事をする準備期間がないままに昇進してしまっています。
「マネジャーになる」ということが突然起こるので、これを私は「突然化」と呼んでいます。
昔のピラミッド型の組織なら、係長や課長補佐など、マネジャーの入門編のような役職がありました(図表 3左の「線形成長」)。
この時期に、業務評価などのマネジメントの一部を任されたり、他部署との折衝の場に同席させてもらって上司の交渉術を学んだりすることが、一人前のマネジャーになる準備として、非常に役立っていました。
そもそもマネジャーは、社内調整や人間関係のトラブルといった、「ただちには白黒つけられない難しい問題」の解決を迫られる役職です。
部下が自ら意思決定できるような簡単な問題は、部下が解決してしまいますから、マネジャーの元には、「あっちが立てばこっちが立たない」ような、「ややこしい問題」しか上がってきません。
マネジャーの仕事とは「白黒つかないもの」なのです。マネジャーはいつだって「グレー」を生きています。
しかし、そうしたグレーな問題を解決するには、たいがい、役員や他の部署への根回しのような政治的な動きも必要になってきます。
そうした行動は、さまざまな経験を積んで、酸いも甘いも知っていないと、難しいことです。
ところが、組織がフラット化したことで、今は一般社員から、いきなり中間管理職に昇進しています(図表 3右の「非線形成長」)。
何の経験もないまま、役員や部長などの上位者や、他部門のマネジャーとのタフな交渉の席についたり、部下と面談して評価を下したりしなければならないのです。
当然ながら、どうマネジメントしていいのかの勝手がわからず、余裕がなくなってしまいます。くわえて、企業によっては、マネジャーの「若年化」も進んでいます。
大企業でも早いところでは三十代でマネジャーに昇進しますし、 ITベンチャーに至っては、二十代で課長相当、三十代で部長相当の職につくこともあるようです。
こうした人たちもまた、準備期間をほとんど経験しないまま、マネジメントをするわけですから、マネジャーとしての業務は簡単ではないでしょう。
さらにマネジャーの変化はこれだけにとどまりません。中でも最も大きな変化は「二重化」、つまり「マネジャーである中間管理職も、プレーヤーとして成果を求められるようになったこと」でしょう。
かつて、中間管理職に昇進することは、いわば「論功行賞」のようなものでした。
プレーヤーとして実績をあげた人に辞令を出し、マネジャーになった後にはプレーヤーとしての成果を求められることはありませんでした。マネジメントだけに集中していれば、何の問題もなかったわけです。
さらに言うと、マネジャーとしての成果があがらなくても、全体として利益が出ていたため、それほどとがめられないという会社や職場も多かったようです。
ともあれ、バブル崩壊以前は、プレイングマネジャー( Playing manager:プレーヤーとして成果を出すことを求められるマネジャーのこと)などという言葉は、そもそも日本に存在していませんでした。
ところが、今の中間管理職は、ほとんどが、自らも一プレーヤーとしての成績を求められるプレイングマネジャーです。
二〇一二年に、私の研究室(東京大学中原研究室)が、公益財団法人日本生産性本部( Japan Productivity Center)と共同で行った調査(マネジメント・ディスカバリー研究「マネジメントへの移行と熟達に関する共同調査」)によると、社員三〇〇人以上の企業で、人事考課対象となる部下を持つマネジャー(三十三 ~五十九歳。
マネジャー経験一年以上九年以下)のうち、プレーヤーとしての時間を過ごすことなく、純粋にマネジメントに徹している「完全マネジャー」は五一七人中一四人、わずかに全体の二・七%だけでした(注 4 )。
しかも、プレーヤーとしての比重はどんどん増す一方です。
特に営業部などに至っては、部下の一般社員よりも、はるかに高い営業成績をあげているマネジャーもたくさんいます。
こうなると、プレイングマネジャーというより「マネージングプレーヤー (Managing player :マネジメントという役割を担いつつも、プレーヤーである人のこと) 」と呼ぶ方が適切なくらいです。
今や、マネジメントは職位ではなく、プレーヤーに求められる役割になってしまったといっても過言ではないでしょう。
私たちの研究では、特に課長職でその傾向が甚だしいということもわかっています。
しかし、一般社員と同じ業務量をこなしていれば、それだけで時間はあっという間に過ぎていきます。
これでは、部下とじっくり向き合って育成することができないのも無理はありません。
かくして、部下育成の時間は失われていきました。
その結果、あちこちの職場で、本来の意味とはかけ離れた現場での部下育成、いわゆる OJT( On the Job Training)が行われるようになりました。
そう、こんなふうに。
「おまかせ( O)ジョブ( J)トレーニング( T)」「お前ら( O)自分でやれ( J)頼るな( T)」「教える( O)自信がないので( J)テストばかり( T)」「俺に聞くな( O)自分でやれ( J)頼むから( T)」 ……列挙していると悲しくなるのでこの辺にしておきますが、現代の日本組織において、この冗談のような状況が実際に起きている職場はすごく多いのではないかと思います。
また、「中間管理職が成果を求められる」という現象は、別の問題をも生み出しています。人材を育てられないために、最初からできる部下に頼りきりになってしまうという問題です。
その結果、できない部下はヒマになる一方で、できる部下に仕事が集中するようになります(注 5 )。
すると、できる部下とできない部下の間の実力格差がどんどん開いていくので、何年経っても若い部下が育たず、一部のできる部下に頼りきるといった状況が続いてしまいます。
しかし、こんな状態が長続きするはずがありません。できる部下も、長年激務にさらされていれば、体調を崩して倒れたり、メンタルをやられたりしてしまいます。こうして、できる部下ほど疲弊してしまうという問題が起きているのです。
一方で、あまり仕事ができない部下もまた、やりがいある仕事を任せてもらえないことからモチベーションを喪失し、結果「こんな職場ではやっていられない」と辞めていってしまいます。
そうなれば、その人が担当していた仕事は他の誰かがやらねばなりません。その尻拭いをするのは、結局のところ、中間管理職であるマネジャーしかいません。
しかし、そんな尻拭いをしていれば、ますます人を育てる時間がなくなり、さらに尻拭いの仕事が増えるという、恐ろしいデフレスパイラルに陥ってしまいます(図表 4)。そうなれば、やがて中間管理職も疲弊し、倒れてしまうのがオチです。
かつてよりも心を通わせるのが難しい若手社員
中間管理職とは、そもそもプレーヤー業務の片手間にできるほど簡単な仕事ではない。すでにマネジャー職についている人なら、そのことを嫌というほど体感していることでしょう。
中間管理職の仕事の難しさは、一言で言えば、「他者を通じて物事を成し遂げなければならない (Getting things done through others) 」ということです(図表 5)。
これは、最も有名なクーンツとオドンネルらによる「マネジメント」の定義ですが、この一文には、マネジメントの奥深さが秘められています(注 6 )。
もう少し別の言葉で言うならば「仕事を任せても、放置せず、他者に成果をあげさせること」です。
プレーヤーだった頃は、自分の力で物事を成し遂げればよかったのに対し、中間管理職は、自分が動くのではなく、他者を動かさなければなりません。
この「他者」の代表といえるのが「部下」ですが、一口に「部下」といっても、一人ひとり、能力も違えばモチベーションも異なります。キャリアに対する意識も、組織や職場に対するコミットメントもまるで違います。
このような人たちに、自分の望み通りに動いてもらうためには、個々の価値観の違いを理解しながら、それぞれにコミュニケーションの仕方を考えなければなりません。それが非常に難しいわけです。
たとえば、はじめて中間管理職に昇進すると、二十代の若手社員が部下につくことになるかと思いますが、上司の立場で彼らと接してみると、思ったよりはるかにコミュニケーションがうまくいかないというマネジャーが多い。
これは私自身も四十代になってからひしひしと感じていることなのですが、年齢の離れた研究スタッフの悩みを理解するのに時間がかかるのです。
仕事がスタックして頭を抱えている姿を見ても、同じ視点に立つことができず、何に悩んでいるのかがわからないこともあります。
何とか相手の立場に立って問題解決を支援したいと思っていても、「わからない」と言う相手が、「何をわからないか」が私には「わからない」。熟達は、熟達者から「非熟達者であった頃の思いや感覚」を奪っていきます。
どんなに彼らの立場に立って、彼らの抱えている問題を理解しようとしても、最初に直面する「わからない状態」自体がわからないのです。
そうした堂々巡りの状況に陥ったことのある方は、少なくないのではないかと想像します。
これにくわえて、よく言われるのは、年齢が十歳離れると、会話が難しくなってくるということです。
育ってきた社会状況や価値観が大きく違うので、お互いの話に共感しにくくなります。
特に今の二十 ~三十代と、バブル時代に青春を謳歌した世代では、キャリアに対する意識がまったく異なります。
今の若い世代は、高校や大学でキャリア教育が行われるのが一般的になってきた世代です。
「自分のキャリア・仕事人生は自分で切り拓く」という考えのもと、キャリアプランを自分で設計し、それに沿って会社を選んでいる人が以前ほど少なくありません。
さらには、その後の留学や起業などの計画もきっちり立てています。そこには、会社に対する帰属心は昔ほど強くは感じられません。
もちろん、かつての世代も、さすがにこのご時世ですので「自分のキャリアは自分で考えなくてはいけない」という意識は持っていますが、キャリア論が隆盛してきたのは二〇〇〇年代ですから、若い頃は、キャリアなど意識することなく、ひたすら組織の中で働いてきています。
つまり、会社に対する帰属意識の強い人が多いわけです。そして、自分のキャリアや能力は「自分自身で切り拓く」のではなく、会社が「丸抱え」してくれるはずであると思っている人も少なくありません。
そんな年配の中間管理職が、二十代の部下に「私、組織に身を埋める気とかないんで」と言われ、協調性のない行動をとられてしまえば、違和感を覚えずにはいられないでしょう。ときには、不快感すら抱くかもしれません。
また、今の若手社員は、パワハラやセクハラなど、「ハラスメント」にすごく敏感です。
今の四十代は、「精神論」や「根性論」を重んじるパワハラまがいの上司に育てられて、嫌な思いをしたので、「自分は下の世代にそんなことをしたくない」と考えている人が比較的多いようですが、中には「自らが受けてきた部下指導」を意図的か否かにかかわらず「再生産」してしまう人もいます。
かつて自分が上司から受けた「精神論」や「根性論」によるハラスメントまがいの部下指導を、無意識に自らも行ってしまうのです。
その結果、知らないうちに人事に駆け込まれたり、ソーシャルメディアに会社の悪評を書き込まれたりして、窮地に立たされることも珍しくなくなってきました。
このような部下の気持ちを汲み取って、動かさなくてはならないわけですから、それは大変に決まっています。
元上司、派遣社員、外国人……。部下の「多様化」で、指導はより困難に
さらに、今の中間管理職は、昔の中間管理職よりも、はるかに難しいマネジメントの問題を抱えています。
その一つが、「人材の多様化(ダイバーシティ化) 」という問題です。職場で一緒に働く従業員にさまざまな「違い」が顕在化してきているのです。
終身雇用や年功序列が維持されていた時代は、「部下」といえば、自分より若い世代であることが当たり前でした。社員の大部分は新卒入社の正社員ばかりです。
しかも、業種にもよりますが、一九八六年に男女雇用機会均等法が施行される以前は、主力業務を手がける部下は男性が主で、女性はまだまだ少数派でした。
ところが、終身雇用や年功序列が崩壊し、女性の社会進出も進んだ今は、「部下」の属性や価値観は非常に多様化しています。
男性よりも女性の方が多い職場は珍しくなくなりましたし、雇用市場の流動化が進んだことで、他社から転職してきた人や、契約社員や派遣社員といった非正規雇用の従業員も増えました。
たとえば、中途入社の社員は、新卒入社の社員と違って、その会社の色に染められていないので、まったく違ったモノの考え方をする人もいます。
「この会社に来たからにはこの会社のカラーに染まってほしい」という本音はあるにしても、相手の考え方も尊重しながら、教えたり伝えたりする必要があります。
しかし、人によっては、前職で培った仕事のやり方や仕事の信念を「変えてもらわなければならない」場合も出てきます(注 7 )。今や五歳も十歳も年上の人が部下になるケースも、日常的になりつつあります。
その理由は、年功によらない抜擢人事や降格人事が盛んに行われるようになったことに加えて、改正高年齢者雇用安定法が二〇一三年四月に施行されたこともあります。
この法律によって、定年を六十五歳未満にしている企業は、定年を六十歳から六十五歳に引き上げるか、定年制度を廃止するか、再雇用制度を導入することが義務付けられたので、いわゆる「シニアの一般社員 ≒年上の部下」が増えたのです。
この結果、以前は部長をしていた人が自分の部下になるという事態が、次々と起こっています。
くわえて、グローバル化に取り残されないために、外国人の社員を雇い入れる日本企業も増えてきました。
現在、日本企業では中国人や韓国人、台湾人など、東アジアの出身者たちがその多数を占めていますが、タイやベトナムなどの東南アジア、あるいは欧米人を雇う企業も増え、 IT企業ではインド人の姿もちらほら見かけるようになっています。
生まれ育った環境がまったく異なる外国人社員は、なおのこと、コミュニケーションに気を配る必要があります。仕事に対する考え方や感覚が、日本人とまったく異なることが多いからです。
たとえば、日本ではいまだに同じ会社に定年まで勤める感覚を持つ人が少なくありませんが、このような感覚を持った外国人は非常に限定的です。
彼らの関心事は「この会社にいる間に、いかに自分の能力を伸ばすか」です。だから、「十年後や二十年後、あなたはこの会社でどうなっていたいのか?」と尋ねても、ポカーンとされてしまいます。
また、時間に関する感覚がまるで違う人もいます。
これは、ある企業のマネジャーから聞いたエピソードですが、外国人の部下がミーティングに定刻よりも数分遅れてやって来たので、「ミーティングでは少し早く席に座ってくださいね」と伝えたそうです。
すると、その次のミーティングで、彼は素早くイスに座った、という笑い話もあります。結局その後、彼が定刻よりも早く来ることはありませんでした。
もちろん、マネジャーは定刻になったらミーティングが始められるよう、五分前には来て準備をしてほしい、ということを伝えたかったのですが、そうした「五分前行動」という概念がないので、理解してもらえなかったのです。
仕事の進め方に関しても、さまざまな価値観の違いがあります。たとえば、ある I T企業のマネジャーが、数年前に語っていた事例です。彼女は、外国人部下を含む数人の部下とミーティングでアイデア出しをしていました。
議論の結果、ある人のアイデアが採用されたそうですが、その後、外国人部下の一人が、それ以降のアイデアを深める作業に、参加しようとしなくなってしまったそうです。
会議終了後、その外国人部下になぜ沈黙しているのかを尋ねると、「私は意見を出しましたが、他の方の意見が採用されたので、あとは従うだけです」と言ってきたそうです。
最初は「自分のアイデアが採用されなかったから、すねているのかな」と思ったそうですが、その部下に真意を尋ねると、すねていたというのはまったくの勘違いでした。
「誰か一人のアイデアが採用されたら、その人に全面的に従う」というのが、その方の文化では支配的な考え方だったそうで、その通りにしていたそうです。
ミーティング一つとっても、まったくやり方が違うことがわかったよ、とそのマネジャーは話していました。
また、こちらはあるシンクタンクのマネジャーから聞いたエピソードですが、分析に使う高性能なコンピュータを数人のスタッフで「共有」して使うことになったそうです。
数人で共有するとなると、使った後は、さまざまな設定やデスクトップの状況を元の状態に戻すのが、一般的な感覚という人が多いと思います。
しかし、これも、そうした文化的前提を共有しないスタッフには通用しませんでした。
外国人スタッフの中には、「共有 =自分の好き勝手に使ってよい」ということで、アプリケーションの設定をすべて自分流にカスタマイズし、デスクトップも片付けない社員もいました。
つまり「共有」の概念がまったく違っていて、「共有したなら、何をやってもいい」というふうに解釈してしまったのです。
いずれも、本人にとって悪気はない行動なのですが、何も知らずにされたら、ムッとすることもあるでしょう。
私の研究室の OGで、現在は武蔵野大学の准教授をしている島田徳子さんが、日本留学後に新卒入社した外国人社員の研究を行っています。
彼女は、外国人社員を組織に溶け込ませるためには、「上司が相手の文化的背景を理解した上で、日本の文化を伝えることが大切」だとする研究知見をまとめています(注 8 )。
重要な指摘だとは思いますが、実現のために越えなければならないハードルは決して低くはありません。
「働かないおじさん」とどう接するか?
こうした多様化する部下の中でも、現代のマネジャーにとって特に強敵なのは、年上のいわゆる「働かないおじさん」です。
終身雇用を維持していた頃の日本企業の賃金体系は、「生産性に関係なく、若い頃は抑えめで、年を取るごとに上がっていく」というものでした。
図表 6に見るように、若い頃は生産性に見合う賃金を受け取れない「過少支払いの期間」が続くのですが、四十五歳ぐらいを境に、生産性よりも「過大支払いの期間」が続くということです。
過払いの状態になれば、働かなくてもお金がもらえるわけですから、当然、多くの人は組織にしがみつく「組織の捕虜 ≒ホステージ」状態になります。
働いても働かなくても、高い給料が保証されているので、給料に見合った働き方をしなくなります。これがいわゆる、最近人事・経営企画界隈をにぎわせている「働かないおじさん」が生まれるメカニズムです。
ちなみに、おじさんは組織を出ようにも出ることは難しい状態です。なぜなら、高給を支給してくれる組織は、今の組織以外には、市場には存在しないからです。
今現在のパフォーマンスで考えると、おじさんの給与水準は大きく下がってしまうのです。ですので、「働かないおじさん」は、組織にしがみつきます。
この「とらわれ」の状態をたとえて名づけられたのが、神戸大学名誉教授の加護野忠男先生らが唱えた「ホステージ理論」です(図表 6 )。
若手から見れば、「なぜこれだけしかパフォーマンスを出していないのに、働かないおじさんは、こんなに給与をもらえるんだ」と思うところでしょうが、昔はそんなに文句は出ませんでした。
なぜなら、自分もいつかそういうおじさんになる日──すなわちあまり生産性があがっていなくても給与が高止まりしている状況が、自分のもとにもめぐりめぐって来ることが予想できたからです。
ところが、終身雇用が崩壊したことで賃金体系は「 Pay for performance」、つまり生産性と賃金を同期させる方向に変わっていきつつあります。
若い人は将来、自分が「働かないおじさん」として組織にしがみつくことはできないと感じるようになってきています。
一方、低いパフォーマンスしか出していないのに会社でのうのうとしている「働かないおじさん」には、何らかの方法で生産性を高めてもらわなければならないことになります。
かくして、「働かないおじさん」が部下になったときは、マネジャーはなんとしても彼らに働いてもらうよう、さまざまに手を尽くさなくてはならないのです。
しかし、尻をちょっと叩けば働くようになるぐらいなら、誰も苦労はしません。
たいていの場合、「働かないおじさん」は社内事情に通じており、非常にしたたかであるといったケースも多く、ましてや元部長・課長ともなれば、それなりのプライドもあります。
そうした人たちを動かすには、相当な労力が必要です。
このように、現代のマネジャーは職場に生まれた「多様性( =ダイバーシティ)」と格闘していくことを余儀なくされています。
さまざまな思惑を持った人たちに合わせて対応するというのは、想像以上に疲れるものです。
昨今、ダイバーシティの重要性がしきりに叫ばれていますが、「言われなくても、毎日ダイバーシティと向き合ってヘトヘトだよ!」というマネジャーの方々も多いのではないでしょうか。
育ちにくい若手やテコでも動かないシニア社員に囲まれて、「僕の日常は、強敵だらけのロールプレイングゲームですよ」と嘆いていたマネジャーの方もいらっしゃいました。
現代のマネジャー層を支える、ポストバブル世代の孤独
中間管理職の中心世代は四十 ~四十五歳のポストバブル世代だと思いますが、この世代はただでさえしんどい世代でもあります。その理由の一つは、「社内に同世代が少ない」ことです。
この世代は、第二次ベビーブームの世代なので、人数自体は多いのですが、新卒入社のタイミングが就職氷河期で、採用が非常に抑制されていました。
そんな中で採用された方々ですので、優秀な人が多いのも特長です。
反面、組織の中に同期が少なく、中間管理職になっても相談しあえる人が社内におらず、非常に孤独に陥りやすいという面があります。
それなら社外の友人と飲みに行って、悩みの一つでも聞いてもらおうかなと思っても、なかなか時間が取れないし、時間が取れたとしても、友人は友人で忙しい。
くわえて、四十代は仕事だけでなく、プライベートでも子育てに追われたり、人によっては親の介護に奔走したり、と何かと忙しい世代です。
「この前、正月が来たと思ったら、もう年末か。毎日が恐ろしい早さで過ぎていく……」と感じている人も、少なくないでしょう。
そんな自分の状況を考えると、「あいつも忙しいだろうな」と気が引けてしまい、誘いにくいのです。
たまに Facebookで「いいね!」を押してあげるぐらいがちょうどよい距離感かな、なんて思ってしまいます。
一方では、四十代は「人生の正午」、すなわち仕事人生の中間地点でもあります。「ここまで無我夢中で走ってきたけれども、これからもこのままでいいのかな」と悩める人生のモヤモヤ期とも言えます。
定年まで二十 ~二十五年ありますから、「今ならまだやり直しがきくのではないか?」「人生のリセットボタンを押すべきでは?」と、ふと思う瞬間がありがちです。私自身も、一九七五年生まれの、まさにポストバブル世代です。
毎日ブレーキのないジェットコースターに乗って爆走しているような状態で、気づいたら二週間経っていた、ということも日常茶飯事です。時には「このままでいいのか?」という思いに駆られることもあります。
「これから先、二十五年もこの研究をやっていけるのか?」「人生の立て直しをするために、留学するべきでは?」「もう一回大学院に行って、学び直すべきでは?」などと、端から見ればいろいろと訳のわからないことを考えます。
でも妻子もいるし、今の生活を捨てるわけにもいかないし……と皆さんと同じようにモヤモヤしています。
部下が育たないのは「みんなの問題」──もてはやされた「コーチング」
さて、ここまで、部下が育たない原因になっているのが職場環境の変化であること、そしてまた、マネジャーとして部下を動かし、成果をあげるのは大変な苦労がともなうことを論じてきました。
ここだけ読んでしまえば、陰鬱な雰囲気になってしまうものですが、まずは私たちの置かれている状況を把握することが最も大切です。
先ほど述べた通り、部下を育成することや、部下を動かすことに苦労しているのは、あなただけではないことがおわかりいただけたかと思います。
これは、「あなただけの課題」ではなくて「みんなが直面している課題」なのです。
そして、それらは「あなた」が特に悪いわけではなく「時代の産物」として構造的に生み出されてしまったものなのです。だから、まずは自分を過剰に責めたり、自分の境遇を呪ったりしないでください。
しかし、一方で、私たちは問題を「把握しただけ」で終わるわけにはいきません。時代のせい、環境のせいにしていても何ら問題は解決しません。
私たちは、「動かなくて」はなりません。私たちは、「動く」ことで、「成果」を残さなければならないのです。
いつまでも、時代や環境のせいにして手をこまねいていては何も解決しません。何らかの方法で、今の時代に即した部下育成の技術、部下を動かす技術を身に付け、成果を残す必要があります。
企業の中にも、現代のマネジャーの置かれている状況に危機感を強め、二〇〇〇年代後半になって対策を講じる企業が多くなってきました。
管理職になっても、うまく部下を動かし育成することができない管理職が増えてきたので、管理職研修の強化や管理職の支援に乗り出しているのです。
中でも二〇〇〇年代後半から管理職研修に華々しく導入されたのが、「コーチング」でした。
コーチングにはさまざまな流派があり、またさまざまな定義があります(注 9 )。
が、コーチングを最も簡潔に要約してしまえば「他者の目的達成を支援する技術」です。
それは、育成する相手に「現状」と「めざすべきゴール」のギャップを、第三者からの「問いかけ」によって意識化させ、振り返り(リフレクション/内省)を促し、「今後、何を為していくべきか」の行動指針や行動計画をともにつくっていく技術です。
学術的には、コーチングは、資格を有する外部の専門コーチによって担われる「プロフェッショナルコーチング(注 10)」と、一般の職場の上長が行う「マネジリアルコーチング(注 11)」の二つに分かれ、その優劣が議論されています。
ここでは、前者と後者の優劣に関しては、紙幅の関係から述べることはしませんが、二〇〇〇年代後半に各企業がこぞって管理職支援として導入したのは、職場で上司が行う「マネジリアルコーチング」です。
要するに、職場の管理職が部下に対して効率的かつ効果的に育成を行うテクニックとして、これまでの「部下指導」とは異なるやり方を教えることにしたもの、それが「コーチング」です。
コーチングが導入される前の「管理職による現場での部下指導」といえば、「いかに教えるか」「いかに指導するか」「いかに伝えるか」という風に、「上司から部下への垂直的かつ一方向的な情報伝達」が重視されていました。
これをワンセンテンスで申しあげるならば、それまでの部下指導とは「ティーチング( Teaching:教えること)」の傾向が強かったということです。
コーチングが導入される前には、いかに情報を効率的に伝達するかという「ティーチング」のあり方が探究されていたのです。
これを別の名前では、「導管モデル(注 12 )」と呼ぶこともあります。
導管モデルとは、 情報はモノを受け渡すかのように「伝達」することができる 学習とは、「有能な人」から「有能でない人」に対する情報の「伝達」によって引き起こされる という考え方のことです。
ちょうど図表 7のように、上司の頭から部下の頭にパイプが伸びており、このパイプを伝って情報が上司から部下の頭めがけて「伝達 ≒注入」されるようなイメージです。
こうした一方向の部下育成手法や考え方が主流であった中で、コーチングという「学習者に気づきを促す部下育成手法」が、影響力を持ったこと自体は、まったく悪いことではありません。
コーチングは、上手に活用すれば、非常にパワフルな威力を発揮します。誤解を避けるために申しあげますが、私は、人材開発の専門家の一人として、部下育成手法としてのコーチングは効果があるものだと思っています。
しかし、当時のコーチングの「導入・紹介のされ方」は誤解も少なくありませんでした。
当時、コーチングはティーチングを「仮想敵」として、現場に導入される傾向がありました。
すなわち、「コーチングこそ部下育成の手法として素晴らしく、ティーチングは時代遅れの部下育成手法である」と喧伝されて、ティーチングを否定しつつ現場に導入されていったのです。
その結果、「今後の部下育成はコーチングでなければならず、ティーチングはやってはいけない」と現場のマネジャーたちに対して研修やセミナーなどが展開される傾向があったのです。
要するに「あなたは教えてはいけない、相手に気づかせるべきだ」というかたちで、コーチングは現場に普及していきました。
この背景には、「コーチング」をビジネスとして普及させる側の「論理」が透けて見えます。
要するに、二極化した議論を行った方がわかりやすいし、売れやすいのです。かくして、部下育成はティーチングが全否定され、コーチング一色になりました。
すなわち
、・これからの時代の育成手法はコーチングである。今後の部下育成では、ティーチングをしてはいけない。上司は、問いかけを行うことと、部下の話を傾聴することによって「相手の中にある答えを引き出さなければならない」
・コーチングではティーチングと違って、部下が自発的に語ることを重視しなくてはならない。
上司は喋ってはいけない といったかたちで、ティーチングを否定し、それを仮想敵にすることで、コーチングの普及が行われる傾向がありました。
もちろん、心あるコーチの方々、志あるコーチングの推進団体の方々は、上司による情報提供や指導が必要であることも、同時に主張していたのだと思います。
しかし、一 ~二時間程度のワンショットの即席コーチング研修が乱発され、コーチングの技術を短時間で身に付けてもらおうとした結果、参加者の頭の中には、「コーチングは良いもので、ティーチングは悪いもの」「部下が語ることは良いことで、上司が喋ることはダメなこと」 という認識が広がってしまったと思います。
そして、「部下に対してはコーチングが大切なのだから、ティーチングはいけない。上司は部下に教えてはいけない/情報提供をしてはいけない」といった具合に、「間違った育成神話」が広がることになりました。
「教えない上司」「言わない上司」が増え、むやみやたらに「気づかせようとする上司」が増えていったことに、コーチングの普及過程における行きすぎたロジックの展開があったことは明白だと思います。
しかし、冷静になって少し考えれば、こうした「二極化した部下育成」がうまくいかないことは誰にでもわかります。
部下育成には、ティーチングが必要な局面も、コーチングが必要な局面も存在するのです。それは「ケースバイケース」なのです。
たとえば、業務経験がまったくない新人に対して、「君はどうすればいいと思う?」などとコーチングの手法を用いて問いかけても、本人の中に蓄積されている業務経験がない状態では、問いに答えようがありません。何もないものの内面を「まさぐって」も、何も出てこないのです。
それでも、何か言わないとその場が収まりませんから、そうすると部下は、上司が満足しそうな答えを探して答えるようになります。
こうして、部下は、自分の頭で考えずに上司の顔色をうかがう思考停止状態に陥り、伸び悩む。一方、上司は本当に教えたり、言わなければならないことを手控えてしまう。
かくして、上司は上司で、研修で身に付けたコーチングを職場に導入しても人が育たないので、何をしていいのか、ますます混乱してしまったわけです。
読者の方の中にも、コーチングに対してネガティブな印象を抱いている方は少なからずおられるのではないかと思います。
先だっても、ある管理職の方から、こんな相談を受けました。
「先生、コーチングって知ってますか? いや、会社が研修を受けろっていうからね、研修を受けたんですけどね。教えちゃダメだって言うんですね。相手に気づかせるんだって。でも、知識もスキルも何にもない新人の内面をまさぐっても何にも出てきやしませんよ。教えたらダメって言われても、教えなきゃ仕方ないでしょうが。仕事、覚えられないですよ、そんなんじゃ。先生、どうしたらいいですか?」
フィードバックがこれからの部下育成のカギを握る
では、部下を育てるためには、どうすればいいのか──。
そこで重要になってくるのは、既述した二項対立である「コーチングなのか? ティーチングなのか?」という視点を越え、コーチングよりもさらに広い視座で、部下育成の問題をとらえることです。
くどいようですが、コーチングのような「相手本位」の手法を取り入れるということ自体は、間違っていません。
私は人材開発の専門家として、コーチングの効果性に関わる全世界の研究に目を通しています。
しかし、上司からの問いかけを通して相手から引き出そうとするだけでは、やはり限界があります。
ときには、ティーチングのように、こちらの意図や意見をしっかりと伝達することも必要です。
とりわけ、耳の痛いことであっても、本人の成長を考えるならば、伝達しなくてはならない場合もあります。一方、「一方向に情報を伝達すること」だけ行っても人は育ちません。
しっかりと相手に必要な情報を伝達したあとには、彼らに問いを投げかけ、「考えさせること」が必要ですし、自分の仕事のあり方を「振り返らせること」が必要です。
要するにコーチング的な要素も必要なのです。この十年の迷走を踏まえ、私たちは今一度この「二極化した思考」を改める必要があります。
「気づかせるのか? それとも教え込むのか?」という二項対立の状況に終止符をうち、これらのバランスをとりながら、部下育成を行う必要があります。
かくして注目されているのが、これら二つを大きく包含する概念であるフィードバックです。
フィードバックに関する定義は、学問分野ごとにさまざまにありますが、本書では、次の二つの要素から成立するものであると考えます(注 13)。
フィードバックとは、
1.【情報通知】
たとえ耳の痛いことであっても、部下のパフォーマンス等に対して情報や結果をちゃんと通知すること(現状を把握し、向き合うことの支援)
2.【立て直し】
部下が自己のパフォーマンス等を認識し、自らの業務や行動を振り返り、今後の行動計画をたてる支援を行うこと(振り返りと、アクションプランづくりの支援) の二つの要素から成立します。
これら二つの働きかけを通して、部下の成長を促進するのがフィードバックです。
このうち 1の「情報通知」はどちらかというと「ティーチング(一方向的な情報伝達)」に近いものがあり、 2の「立て直し」は「コーチング(振り返りの促進)」に近いものがあります。
図にしてみると、図表 8のようになります。
フィードバックの概念は、情報通知という側面(ティーチング的・一方向の情報伝達)と、立て直しの側面(コーチング的・振り返りの促進)の二つを含みうるものであるということです(注 14)。
要するに、フィードバックは「ティーチング」と「コーチング」を含みこむ、より包括的な部下育成手法なのです。
このフィードバックの考え方こそ、部下育成において必要性が高いにもかかわらず、現代の日本企業のマネジャーたちが最も苦手としている技術だと、私は考えています。
続く二章では、フィードバックを行う基礎的なテクニックについて論じていきますが、まずその前に部下育成の基本理論についてもおさらいをしておきます。
読者の中には、フィードバックのテクニックを手っ取り早く教えてほしい、という方もいらっしゃるでしょうが、「大人はどのようなときに学ぶのか?」という基礎的な知識がないままフィードバックのテクニックだけを学んでも、実際の部下育成はできません。
それは、「武器」を手にしていても、「武器の使い方」についてはまったく教わっていない状況に似ています。
いくら「鋭い武器」を持っていても、それをどんなときに、どのように用いればいいのか、また相手との間合いの取り方はどうあるべきなのかがまったくわかっていないのです。
続く第二章では「部下育成の基本理論」について学んだ上で、「フィードバックの技術」についてしっかりと学んでいくことにします。
注 1 労働時間がどのように変化してきたかに関する学術的分析は、左記の書籍に詳しいです。
かつての日本は今よりもずっと労働時間が長かったことがわかります。
長時間労働は、職場環境によって引き起こされることが指摘されています。
山本勲・黒田祥子( 2014)『労働時間の経済分析─超高齢社会の働き方を展望する』 日本経済新聞出版社注 2 本間浩輔・中原淳( 2016)『会社の中はジレンマだらけ─現場マネジャー「決断」のトレーニング』 光文社注 3 スパン・オブ・コントロールの古典的研究は、ギュリックらの研究が嚆矢となりました。
スパン・オブ・コントロールとは、上長が「直接管理できる部下の人数のこと」です。
「直接管理できる部下の数」には制約があります。
限界を超えて管理を行おうとすると、組織のパフォーマンスに大きな悪影響を与えてしまいます。
経験的基準としては、同じ目標を共有する五 ~七人の部下を直接管理することが限界であるとされています。
Gulick, L.( 1937) Notes on the theory of organization In Gulick, L and Urwick, L (Eds.) Papers on the Science of Administration, NY :
Institute of Public Administration, pp. 191-195 Gittell, J. H.( 2001) Supervisory span, relational coordination and flight departure performance: A reassessment of postbureaucracy theory Organization Science, Vol. 12( 4), pp. 468-483注 4 この調査は、マネジメント行動を変容させる管理職研修「マネジメントディスカバリー」の開発のために行われました。
現在は、日本生産性本部で、この調査に基づく研修が受講できます。
https:// jpc-management. jp/ md/注 5 労働政策研究・研修機構( 2006)『変革期の勤労者意識─「新時代のキャリアデザインと人材マネジメントの評価に関する調査」結果報告書』労働政策研究・研修機構注 6 Koontz, H. and O’ Donnell, C.( 1972) Principles of management: An analysis of managerial functions, McGraw-Hill Inc., US; 5 th Revised注 7 中原淳( 2012)『経営学習論』東京大学出版会注 8 島田徳子・中原淳( 2014)「新卒外国人留学生社員の組織適応と日本人上司の支援に関する研究」『異文化間教育』 Vol. 39, pp. 92-108 島田徳子・中原淳( 2016)「新卒外国人元留学生社員の組織社会化メカニズム─経験学習行動と異文化間ソーシャルスキルに着目して」『人材育成研究』 Vol. 12( 1) pp. 21-44注 9 O’ Connor, J. and Lages, A.( 2008) How coaching works: The essential guide to the history and practice of effective coaching, A& C Black注 10 プロフェッショナルコーチングは職階の高い上層部に提供されることが多いので、「エグゼクティブコーチング」とされる場合もあります。
エグゼクティブともなると、さまざまなストレスを抱え「毒性感情( Emotional toxin)」を抱えます。
またエグゼクティブは非常に迅速なアクションを求められますので、振り返りが苦手な人もおり、このことは、自己能力の過大評価につながります。
プロフェッショナルコーチングによるこのような毒性感情の解毒と振り返りの促進は、エグゼクティブの成長にとって重要であるという議論もあります。
Campbell, Q. J. and Macik-Frey, M.( 2004) Behind the mask coaching through deep interpersonal communication Consulting Psychology Journal: Practice and Research, Vol. 56( 2), pp. 67-74注 11 マネジリアルコーチングに関する研究は枚挙に暇がありません。
近年では、理論研究のみならず、実証実験が世界中で行われています。
Agarwal, R., Angst, C. M. and Massimo Magni (2009) The performance effects of coaching: A multilevel analysis using hierarchical linear modeling The International Journal of Human Resource Management, Vol. 20( 10), pp. 2110-2134 Ellinger, A. D. and Bostrom, R. P( 1999) Managerial coaching behaviors in learning organization Journal of Management Development, Vol. 18( 9), pp. 752-771 Kim, S. (2014) Assessing the influence of managerial coaching on employee outcomes Human Resource Development Quarterly, Vol. 25( 1), pp. 59-85注 12 Reddy, M.( 1979) The conduit metaphor : A case of frame conflict in our language about language In Ortony, A. (Ed), Metaphor and Thought, Cambridge University Press, pp. 284-324注 13 フィードバックにはさまざまな定義がありますが、一般的には「ある人の課題のパフォーマンスに関する情報を与えることをめざして、外的エージェントによってなされる行動・働きかけ・情報通知」を指します( Kluger and DeNisi 1996)。
フィードバックでは、まずは、「外部からの情報通知」によって、自分の行動に乗り越えるべきギャップが存在することを認識すること、自分の行動をモニタリングすることができるようになることが最大のポイントになります( Sadler 1989)。
しかし、単に「情報を通知」するだけでは「自己のモニタリング」が高まらない可能性があります。
自己のモニタリングが高まるためには、自分の行動やあり方を客観視し、メタに見つめることができなくてはなりません。
そのためには、情報通知のあとには、部下に振り返りを促すことにつきあう必要があります( Sadler 1989)。
フィードバックの効果は、今の自分の状況を振り返り、新たな目標設定とともに行うことで高まることも知られています( Kluger and DeNisi 1998)。
このような事情に鑑み、本書ではフィードバックを「情報の通知」「立て直しの支援」という二つの要素に分けて考えることにします。
Kluger, A. N. and DeNisi, A.( 1996) The effects of feedback interventions on performance: A historical review, a meta-analysis, and a preliminary feedback intervention theory Psychological Bulletin, Vol. 119( 2), pp. 254-284 Kluger, A. N. and DeNisi, A.( 1998) Feedback interventions: Toward the understanding of a double-edged sword Current Directions in Psychological Science, Vol. 7( 3), pp. 67-72 Sadler, D. R.( 1989) Formative assessment and the design of instructional systems Instructional Science, Vol. 18( 2), pp. 119-144注 14 マネジリアルコーチングの先行研究の中には「フィードバック」をコーチングの内部に位置づける考え方もあります。
筆者としては、それでもまったく問題ありません。
いずれにしても、最も重要なことは二極化した議論をしりぞけ、情報通知と立て直しという二つの側面をバランスよく保った部下育成を実現することです。
第一章 まとめ
●昔の部下が勝手に育っていた理由
・「長期雇用」/「年功序列」/「タイトな職場関係」 ⇒これらの崩壊
●マネジャー側の社会的変化
・突然化・若年化 ・マネージングプレーヤー化
●部下側の社会的変化
・若手社員とのコミュニケーションが難化
・部下も多様化 ⇒元上司、派遣社員、外国人
●部下育成の歴史
・もてはやされたコーチング、軽視されたティーチング ⇒「コーチングは良いもので、ティーチングは悪いもの」という認識が広がる
・しかし、コーチングとティーチング、どちらか一方だけでは部下は育たない
●フィードバックこそ、最強の部下育成方法 ・上記2つの部下育成を包含するのが「フィードバック」
1.【情報通知】 =ティーチング的たとえ耳の痛いことであっても、情報や結果を通知すること(現状を把握し、向き合うことの支援)
2.【立て直し】 =コーチング的部下が自己の業績や行動を振り返り、行動計画をたてる支援を行うこと(振り返りと、アクションプランづくりの支援)
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