他人とチームを育てる「アファメーション」の法則〜他人を変えれば自分も変わる〜

大きな課題に取り組むには、能力の高い人たちを自分の周りに配した、勝てるチームが必要になります。
私は自分の人生の中で、教師兼コーチから独立したプロデューサーヘ、チームリーダーヘ、事業主へ、上司へ、指導者へと変わっていくときに経験した「成長痛」のことはよく覚えています。
しかし、その個々のステップのおかげで、より大きな影響力を身につけ、より大きな充足感を得ることができました。
第十六章では、自分が世界のキヤプテンになろうとしてしまう原因となる、「制限的空間」を減らすことの重要性について理解します。
同じ価値観を持った人たちを採用し、目標達成に向けて協力しながら停滞期を越えて成長していくために、それを可能にする「建設的空間」を生み出す方法を学びます。
第十七章では、チームリーダーとしての信頼性を高めることについて述べようと思います。
権威を持つ立場の人たちが、私たちの信じる力を制限することがあります。
このような間違った権威者や否定的な考えを植えつける魔法使いたちは、私たちの自己破壊的な考えを増大させる存在でしかありません。
自らが自分の信じる主張の権威者になることで、あなたはこの立場を逆転することができます。
第一六章 制限的空間と建設的空間
チームや組織の中では、そこに属する者が一定の能力基準を共有し、それに従って自己統制します。この基準は建物の自動温度調節装置のような働きをしています。
装置を特定の温度に設定すると、温度がその設定より上がれば空調設備が作動して温度を下げ、設定よりも下がれば暖房のスイッチが入ります。
チームや組織は文化的な温度調節装置を持っています。ひとたび基準を設定すると、全員がその基準に従うのです。
自分が基準を下回っていると気づいたら、上向きに修正するでしょう。基準を上回ったときにも、元へ戻るように修正するでしょう。
チームを成長させる秘訣は、単純な話、この設定基準をチームの潜在能力により近づけることです。そうすれば、全員がさらに高い能力基準に従って自己統制するようになります。
★共同責任を負うチームある
部署の人たちが、最終的な製品の質に対して共同責任があると感じていなかったらどうなるでしょう。
たとえば、 一万人の人員がいる工場で高性能車を製造していると考えてみてください。フェンダーやトランスミッションやタイヤの部署で働く人たちが何かおかしな点を見つけたら、その人たちは担当範囲外の問題まで突き止めて解決しようとするでしょうか。
それとも、「あそこの連中はなぜ自分のところの問題に対処しないんだ?いつになったらちゃんとやるんだろう」と言うでしょうか。それはその人たちが、最終製品の質に対して共同責任があると感じるかどうかに左右されます。
共同責任を負うチームなら、「この問題を解決しよう。これはわれわれ全員でやっていることだ。この製品に対してわれわれは共同責任があるんだ」と感じることでしよう。
自主的なチームという最近の新しいアプローチにおいては、古参というだけでチームの先頭に立つことはありません。
チームを先導するのは、何が問題であるかがわかり、その解決法を知っている者です。
正しい情報を手にして進み出る者です。その人物はまだ十八歳かもしれません。あなたの部署の者ではないかもしれません。あなたほど経験豊富ではないかもしれません。
では、なぜあえてどこかの若者の話に耳を傾けるのでしょう? なぜなら、そこにあなたの生き残りがかかっているからです。
世界市場で競争するには、個々の違いをたがいに尊重し合う、独創的な、共同責任を負う人たちが必要になります。
あなたは「わからないから教えてほしい」という姿勢で参加しなければなりません。
品位と尊厳と敬意のある態度で人々を扱うことで、そうした環境は生まれます。
同じビジョンと使命を共有しているかぎりは、違いは探し求め重んじるものとさえ言えるでしょうc追い求めるのは変化と進歩なのです。
あなたが柔軟性のあるリーダーなら、あなたの態度は、「君がこの組織やこの業界にどれだけ長くいるかは関係ない。すばらしい考えがあるなら聞かせてほしい」というものになるでしよう。
人々の自信を育て、目標の定め方を教え、組織内に信頼の雰囲気をつくれば、人々に進み出る力を与えることになります。
自分のコンフオートゾーンにはまり込み、古いやり方や手段に凝り固まって、別の選択肢が見えなくなれば、人々から力を奪うことになります。
さまざまな生い立ちの人を連れてきて、一つのプロジェクトチームに入れたらどうなるでしょうか。たとえそれまで会ったことや交流したことがなくても、新しいものをつくり出すでしょう。
イノベーションはあらゆる場所で起こっています。こうした人々は発明し、創造し、共有します。
あらゆる人々があらゆるレベルで、より競争力のある組織をつくるための力、スキル、姿勢、自信を持てるようにしなければ、どうしてこうした人たちと一緒にやっていけるでしょう?歴史的に見て、会社や教会や社会におけるいちばんの価値は、「予測可能性」と「安定性」です。
あなたの職場はどうですか? 「これがこの会社のやり方だ。今もそうだし、以前もずっとそうだったし、この先もずぅとそうだろう」というものでしょうか?現状を維持しようとする組織は、そこで働く人たちを分類整理します。
彼らに向かってこのように言うのです。
「よし、君は秘書、君は技術者、君は販売担当、君は管理者、君は電気技師、君は配管工。みんなずっとそのままだ。自分がほかの何かになっているところなんて考えてもいけない。そう、われわれには安定性と予測可能性が必要だからな」
安定性と予測可能性を得るためのもう一つの方法は、頭脳明晰で前途有望な若者を大学や神学校へ送り込んで歴史と法律を教え、それから彼らを組織の中へ連れてきて、未来への先導をさせるというものです。
それで歴史は繰り返し、ヒエラルキーは保たれます。型破りな人たちは、だいたいにおいて大学や神学校べたどり着くことはありません。陸軍には、「間違いを犯すな、さもないと将軍にはなれない」という言い習わしがあります。
百回の称賛や激励がなければ、一回のヘマは乗り越えられない。だから間違ったことはせずに、ほかの者が歩いたのと同じ道を歩め、ということです。
信頼度の高い社会では、リーダーシップに柔軟性があり、役割に柔軟性があり、富に柔軟性があります。今日の人々はそれを求めています。
予測可能性と安定性の代わりに、人々は変化を求め、進歩を求め、成長を求めているのです。
★リーダーとしての自分の成長
自主的なリーダーとして、あなたは自分の部署や組織を成長させることができます。
「いや、自分がリーダーかどうかわからない」とあなたは言うかもしれませんが、視覚化とアファメーションのプロセスを使い、リーダーらしく振る舞うことを始めれば、実際にそうなることができます。
多くの人が計画に加わるか、そうでなければ、あなたのビジョンが自分たちのコンフオートゾーンからかけ離れすぎているために、あなたや組織を押しとどめようとするでしょう。
彼らはあなたの提案のあら探しをしようとするはずです。そこではかの人たちにも、新たな状況を視覚化させ、あなたとともに成長するチャンスを与えることが必要になります。あなたはまた、周囲の環境の中であなたを押しとどめようとしたがる、自分本位で、意地の悪い、否定的なリーダーの存在を認識する必要があります。
おそらくあなたは権威を尊重するように教えられてきたでしょうが、指導的立場にあるすべての人に追随する価値があるとはかぎりません。
自分自身が著しい成長を遂げると、それと比較して、自分の知り合いや愛する人の多くが眠っているような状態にあることがわかります。
彼らは学校制度や政府、企業、産業界などの中で眠っています。家族や友人の中にも眠っている人はいるでしょう。
人は自分が不当な扱いを受けていると感じると、進歩を止めてしまいます。
そんな人たちにどう対処すればいいのでしょう? 無理やり引きずっていきますか? 家族や親友ならそれもいいでしょう。
でも、他者のために立ち止まることがあつてはいけません。
愛情を持って彼らに協力を求め、自分たちの属する地域社会なり環境なりを変えてもらうようにしてみてください。
こうした厳しい態度が成熟した愛情であり、効果的なリーダーシップです。周囲の人たちには、可能なかぎりふさわしい生活をしてもらいたいでしょう。
自分の成長を促す方法がわかっていれば、他人の成長を助ける方法もわかるはずです。私たちは誰一人として、自分だけの力で物事を行ってはいません。
私たちには夫や妻、チームメイトや同僚がいて、彼らは私たちが変化するのを望むかもしれないし望まないかもしれません。
途中で足手まといになるかもしれません。そんな人たちをどうやって一緒に連れていけばいいのでしょうか。私たちは彼らと一緒に続けるか、あるいは彼らなしで続けるかを決断しなければなりません。
そうしないと、「友人や家族を置き去りにする」のを避けたいがために、自分自身の成長を止めてしまうことになります。だから厳しい決断が必要なのです。
この決断をしなければ、その人たちについての不満を漏らすだけになるでしょう。自分の足を引っ張るからといつて、彼らに腹を立てるようになってしまいます。ここでは賢明な判断が必要です。
自分が成長しても、一緒にいる人の成長を妨げてしまったら、離婚や別離、関係の悪化といったことが起こるでしょう。
では、誰をどのようにして一緒に連れていきますか? 人々を置いていくことをいとわないほど、あなたにとって価値あるものとは何でしょう? あなたは誰を置いていきますか?
★変化を冒険にする
何年も前に学校で教師と副校長をしていたとき、私は勤続二十年の教師をそれまでの教室からもっと良い教室へ移らせるのがどれほどむずかしいかを知りました。彼らはそれに腹を立てたものです。
「この子たちの両親もこの教室で教えたんですよ」「でも、もっといい教室へ行けるんですが」「もっといい教室は必要ありません」
病院で良い待遇を受けていた人が、退院するとすぐにまた病気になることがあるのはなぜだと思いますか? また戻ってこられるからです― 高齢者が住み慣れた退職後の住居から引き離されて別の環境へ入れられると、たとえそこの環境がずっと良いものであっても、激しく動揺して、この移動がもとで死亡することさえあります。
なぜ人々を変化させるのはこんなにもむずかしいのでしょうか。それは、ほとんどの人にとって、変化はリスクや脅威や危険として認識されるからです。人々は変化のマイナスの側面だけを見ているのです。
自分の環境上のコンフオートゾーンから外へ出ること、物事はこうあるべきという狭い定義から外へ出ることを安全に感じるとき、変化は前向きな冒険になります。
生来の環境から連れ出されて、人々が異なって見える環境に放り込まれると、私たちは違和感を覚えます。
私たちのコンフオートゾーンは、物事はこうあるべきという私たちの考えに大きな関係があります。私たちは、自分が快適に感じるようなレストランを知っています。
自分が運転できるような車、自分が旅行のとき乗る気になるような飛行機、自分が行くような映画館やお店を知っています。
クラブや家の周辺には、特定の人だけがいることを望んでいます。これは自分が何をし、どこへ行き、どんな人間であるかに大きく関係しています。気づかないうちに、私たちは自分の頭の中に独自の境界線をつくり出しています。
なぜなら、ひとたび頭の中に店の様子や家の様子、自宅周辺の様子、地域環境などを取り込むと、その認識をつねに周囲の環境にぶつけて反応を見るようになるからです。
物事のあるべき姿との違いを感じ取ると、私たちは自分の内的システムの中で緊張や不安を感じます。場違いな感じを受けるのです。
私たちは日々の生活や仕事の周辺に境界をつくり出しています。
インドや南アメリカ、あるいは通りの向こう側でも、自分と異なる人たちとビジネスをするためには、この壁を、この境界線を壊していかなければなりません。
★チームをつくる
あなたは自分の組織の中で、なぜ今の仕事をしているのですか? あなたの力やエネルギーは、みんなが共有している使命から生まれます。
共通の使命のおかげで、立ち直る力を身につけ、ひたすら全力で打ち込むことができます。量ハ通の使命があるおかげで、底の浅いうわべだけの生活や共同作業をすることも避けられます。
人生のほとんどの物事は、一人で行うことはできません。ですから、共通の目標、動機、目的のもとに団結した人たちのグループが必要になります。
組織の中で集団的な効力を高めていくにはどうすればいいのでしよう?共同責任を負うチーム、変化や課題に前向きに挑むことのできる未来のためのチームをつくろうとするときは、まず組織の基本的な哲学や信条に目を向ける必要があります。
支配的なスタイルは二つ――統制と解放です。
解放のスタイルは、リーダーたちが手をっくしてアイディアや才能の表明につながるオープンな環境をつくり出そうとするもので、ややまれな部類に入ります。
教会、政府、チーム、企業、学校の大部分は、歴史的に見ると統制志向になっています。これらの組織では、想像力に富む、独創的なアイディアは歓迎されません。
「抑制と均衡をいくらか施して、想像力を抑制する必要があるな。せっかくだが、君の名案は必要ない。私が引退するまでほんの三年だというのに。こんな賢明な、分類もされていないアイディアを持ってくるとは、君は何様のつもりかね?」
統制志向においては、下の人間たちが走り回って管理職の理想の世界を台無しにすることは望まれません。誰かがその人たちを統制する必要があります。
チームはどのように扱うのが最善なのでしょう? 統制は有力な論点の一つでしょうか?「ここにもあそこにも統制が必要だな。誰がこいつとあいつを統制する?」あなたもそう言っている一人ですか?
★自称キャプテン
自分から進んで「世界のキャプテン」になることで、すべての人の行動を統制しようとする人もいます。この人たちは全世界に正しい行いをさせることを買って出ています。
世界そのもののためを思って。
組織内の規則のほとんどは、人々のためにあるというよりもむしろ、じゃまになるような行動を人々にさせないために存在しています。
シアトルのケネディ高校で副校長、教師、フツトボールのコーチをしていたころの私はなんとも変わった人間でした。
私は自分のクラスだけでも、三五個ほど規則をつくっていました。
もちろん、生徒たち自身のためを思ってです。
「ガムを噛まない!」「背筋を伸ばして座る!」「名前はページの左側に書くこと。椅子の背にもたれかからないこと」などといったことです。
生徒が規則を破るたびに、私はまともに頭が働かないほど腹を立てました。
規則を守らせるのに忙しくて、教える時間がほとんどなかったくらいです。
私は両親たちが子どもの行いを正してもらうことを期待して子どもを学校へ送っており、それをするのが自分の役目だと確信していました。
だから私は、あらゆる種類の制限的な規則を作りました。
一方通行の廊下さえあったのです― 学校は八時半まで始まらないのに、私は朝の七時にはそこへ行ってパトロールをしていました。
逆方向に歩いている生徒を見つけたら、「待て。この廊下は一方通行だ。ごまかせるなんて思うな。向こうに向かって歩きなさい」と言って、それから「まったく、いつでも規則を破ろうとするんだから」とつぶやいたものです。
女子に対しては、「スカートが短すぎる、髪の毛が長すぎる、化粧が厚すぎる」と言って、それから「まったく。イライラさせる」とつぶやいたものです。
世界のキャプテンとしての私の仕事は、午後三時のベルとともに終わったと思いますか? いいえ、終わりません。
もう一つの仕事であるフットボールのコーチとしても、さらに多くの生徒の行いを正す時間はたっぷりとありました。
「タオルを拾え」「パッドは正しくつけろ」「こっちへ走れ」「あっちヘパスをしろ」「何やってんだ!」私はこの仕事も気に入っていました。
さらに午後の六時になっても終わりません。家に帰る途中でも、人々の行いを正す時間はたっぷりとありました。なにしろ、車を運転しているときも、私の制限的空間を犯す者はつねにいたからです。
「おい、誰に運転を教わったんだ? 割り込んできたのは誰だ? ぶっとばすぞ!」車で家へ帰るときですら、私は神経過敏にならずにはいられませんでした。
知らない相手にさえわざわざ腹を立てることがありました。
地域社会の中で、どこかの若者が自分の車にもたれかかって、たばこを吸っているのを見つけると、私はそばに車を停めて車から降り、追いかけていって、たばこをもぎ取って放り捨て、こう言ったものです。
「家へ帰れ。両親はどこにいる? 両親は心配していないのか? 誰も気にかけなくても私だけは違うぞ!」一日忙しく働いたあとに疲れ切って家へ帰ると、ダイアンから聞かれました。
「どうしてそんなに機嫌が悪いの? どうかしたの?」私はこんな答えを返していたものです。
「今日一日で何があったか想像もつかないだろうね。今夜はまたあの少年二人がたばこを吸っているところを捕まえたよ。信じられる? 名前も知らない相手なんだ。全世界の振る舞いを正すのは楽な仕事じゃないね。外はまるでジャングルだよ」
私はなぜそんなに腹を立てていたのでしょう? その若者たちが行儀の悪い振る舞いをしていたからではなく、私の制限的空間を犯すことで私を苛立たせていたからです。
私の規則は建設的なものだったでしようか? 良い授業を行うことにつながっていたでしようか? 学校の授業に何か関係があったでしょうか? まったくそんなことはありません。
ばかげた規則です。なぜ私はそんな規則を課したのでしょう?「ああ、正当な理由はありますよ。この生徒たちは、実社会に出たときの振る舞い方を学ばなければなりません。私はそれを教えているんです」いいえ違います。
私が教えていたのは、私の制限的空間に踏み込むな、ということでした― ‐さもないと―私は何年も前に「世界のキャプテン」の職を辞任しました。
私に代わってその重荷と責任を引き継いでくれている人々に、私は感謝したいと思います。なぜなら、辞任してからというもの、私の世界はずっとうまく回るようになったからです。
★管理空間
管理職の中には、強迫観念が強すぎて、統制できないものがあると神経質になる人がたくさんいます。そこで彼らは制限を生み出します。
こうした制限的空間があると、彼らは自由がなくなり、簡単に、効果的に、柔軟に、自分の判断で動くことができなくなり、機会をとらえられなくなります。制限的空間をつくるのは避けましょう。
あなたが強迫的なまでに時間に几帳面だとしたら、自分が遅れたときに取り乱すだけでなく、ほかの誰が遅れても苛立つことになります。
そうなると、あなたはほかの人たちを自分の基準に従って行動させるための規則や制限を設けるようになり、結果として付き合いにくい人間になってしまいます。
アファメーションのプロセスを使って、自分自身や周囲の人の生活を台無しにするそうした愚かな制限的空間を、すべて消し去ってしまいましょう。
あらゆる人の行いを正そうとするのはやめて、彼らにすてきな家やきれいな庭を与えましょう。
最初は仲のよかった人々が、たがいの制限的空間を犯したために憎み合うようになるという例は多くの地域で見られます。
こうしたことはすべて、選択肢を検討したり、明白な機会をとらえたりするのを妨げます。あなたは誰かに悩まされる可能性のある環境を避けるようになるでしょう。異なった世界に身を置こうとはしないはずです。
あなたの両親や教師や上司が、数多くの制限的空間を持っていたらどうなるでしようか。彼らはこう考えます。
「今は私がボスだ。全員の振る舞いを正すことにしよう。これからは、全員規則に従うように。いくつかとても重要な規則を設けるつもりだ。まず、長髪と短いスカートは禁止。それに、ペンの代わりに鉛筆を使ってはいけない。来たときは署名をして、帰るときも署名をすること」
自分がボスになったとき、あなたも従業員に対して、両親や教師や上司が自分にしたのと同じことをするでしょう。目下の職務には何の関係もない制限的空間に無理やり従わせようとする、ということです。
実際、従業員がストライキを起こす原因の多くは、十分な手当てを与えられていないからではなく、頑固で独裁的で独善的な上司が多くの制限的空間を持っていて、それをほかの全員に押しつけずにはいられないからです。
従業員たちは仕事が楽しくなく、苛立ちを感じています。だからあなたの行いを改めさせ、さもなければ辞めさせようと決意するのです。
★人々を変えず、自分を変える
人々についての単純な事実を直視してください。
″彼らの″行いを正すことはできません。それなら、″自分の″行いを改めてみてはどうでしょう? 自分の制限的空間を変え、もっと気楽で、快適で、愉快な気分でいられるように努力するのです。
自分の制限的空間を知るためには、自分の習慣や態度のことを考えて、自分自身にこう問いかけてみてください。
「私はどんな形で強迫的な行動をとるだろう?その行動は意味のあるものだろうか」。
たとえば、あなたが強迫的なまでに時間に几帳面だとしましよう。そうなったのはどうしてでしょうか。
おそらく、「遅れるわけにはいかない、さもないと」という恐れのフィードバックによってでしょう。両親があなたの若いときに、遅れるといつも叱ったりたたいたりして、つねに時間に遅れないよう教育したのかもしれません。
それでもだめなときは、 一カ月の外出禁止にしたのでしょう。そこからあなたは何を学んだでしょうか。「遅れたら、恐ろしいことが起こる」ということです。
だから今三八歳か四八歳になって、時間に少し遅れそうになっていると、あなたは「まずい、遅れるわけにはいかない!」と考え始めます。
「さもないと、父親から罰を受ける」とは考えません。わかっているのは、「遅れるわけにはいかない、さもないと」ということだけです。
この強迫的で制限的な行動のせいで、あなたは分別ある行動がとれず、潜在能力を発揮できなくなります。なぜなら、あなたの行動は「さもないと」という条件づけされた反応に限定されてしまうからです。
時間厳守に対する強迫観念があると、あなたは不合理なことをしてしまう可能性があります。
たとえば、あなたが強迫的なまでに時間に几帳面な人間で、約束の時間に遅れそうになっていて、車を運転中に前方の踏切を先に通過して進路をさえぎりそうな列車が見えたとします。
すると、あなたは「遅れるわけにはいかない!」というフィードバックを得ます。そして踏切まで列車と競走をするのです。
遅れるのが怖いからというだけで、あなたは無謀にも、自分自身と同乗しているすべての人の命を危険にさらします。
そして列車に先に踏切を通られてしまうと、ばかみたいな振る舞いをします。
「列車が踏切を通過するのにこんなにかかるなんて、法に反してる! 当局に報告してやるぞ!」あまりに苛立っているため、あなたはまともに考えることができません。
列車が通過すると、なおいっそう強迫的に、いっそう無謀になります。制限速度が時速六〇キロの道を一二〇キロで運転するかもしれません。
そして約束の相手が遅れようものなら、あなたは激怒して「時間どおりに来られないのか?」と言うでしょう。誰が遅れた場合でも、あなたは気も狂わんばかりに取り乱す可能性があるのです。
明確な制限的空間を持っていると、自分にとって煩わしい環境に身を置こうとはしないでしょう。自分と同じような、気に障ることのない人たちと一緒にいようとするはずです。
あなたはすべての人の行動に責任を感じる必要はありません。わざわざほかの人のことでみじめな気分になって、 一日を台無しにしなくてもいいのです。
まずは、「ここではどんな規則が必要だろう?」と自分に問いかけてみてください。自分が家庭生活や、仕事や、社会生活をどのように行っているかを調べてみましよう。
そして自分が課している規則の中で、ただ自分が良い気分になるためだけに存在しているものを見つけましよう。ときに私たちは、自分の制限的空間を犯した人たちに報復します。
西部開拓時代には、誰かに敵意を持ったら、六連発拳銃を抜いて撃つことで問題を片づけられました。中世ヨーロッパでは、剣を振りかざして「奴らの首を切り落とせ!」と言えば、敵意を表すことができました。
でも、私たちのとても洗練された現代社会では、敵意を発散させるために銀行業に手を染めます。借金用の回座をつくるのです。
人々に苛立ちを感じたら、私たちは「そんなことは気にしない」と自分に言い聞かせます。しかし、潜在意識下では、そのことを考えるたびに「一つ借りができた」と言って、借金用の回座に預金をしていきます。
そして間もなく、その口座が満額に達すると、借りていたものを人々に返すときがやってきます。報復する方法の一つは、相手が腹を立てることを見つけ出して、それを実行することです。
私の友人に、連邦刑務所の刑務所長がいます。
彼の話によると、昔の規則では、受刑者たちは囚人服のいちばん上のボタンをつねに留めていなければなりませんでした。
受刑者が看守を困らせたいと思ったら、朝早くに起きて、囚人服のいちばん上のボタンを引きちぎって、投げ捨てるだけでよかったそうです。
看守は朝食の前に大きく開いた襟を目にとめ、「ボタンを留めろ!」と怒ります。
すると囚人は、「できません。なくしました」と答えます。看守は怒り狂って、 一日中不平を漏らしながらドカドカ歩き回りました。囚人たちはこれを一年中続けたといいます。
毎日「ボタンを留めろ」と言い続けて自分を苦しめるなんて、想像できますか? 私たちの中にもそういう人はいるのです。
ほかの人からの制限的空間の押しつけに対するもう一つの敵対行為は、与えないでおくことです。
あなたが人々に敵意を抱かせたら、人々はあなたが欲しいもの、あるいは必要なものを見つけ出し、それをあなたに与えないようにするのです。
小さな子どもたちなら、おもちゃを貸さない、協力しないといったように。大人なら、知識や経験を提供しないといったように。
会社の中で、ある部署が別の部署に対して腹を立てたら、その部署の人員は協力するのをやめるでしょう。いつも決まって商談に遅れてくる人たちは、敵意を持っているからそうしている可能性が十分にあります。
怒りや敵意の根底にある原因が見えなければ、どうやって問題に対処したらいいのかがわかりません。
そうなると、離婚する、解雇する、ベンチに下げる、押し返す、与えないでおく、あるいはさらに規則を課すといった、効果のない救済策を最後の頼みにすることにもなりかねません。
自分を悩ませている何事かを認識して、自分の内面をプログラムし直さなければ、あなたは不健全な状況を生み出し続けるでしょう。「したい」「選ぶ」「好きだ」「できる」という気持ちに基づいて、日標を定めることから始めてください。
その目標の有益なところや、それが自分やほかの人たちにとってなぜ得になるのかを思い描きましょう。これはただ何かを期待して待つという問題ではありません。どのように先を見据えるのかが違いをもたらします。
動揺と恐れを抱えて将来を見据えたくはないでしょう。それはただの心配― ‐あるいは後ろ向きな目標設定です。
たとえ選択肢が魅力のないものでも、利点に目を向け、その道を進むのがなぜ最善なのかを自分に言い聞かせましょう。
そして、そこに向かって積極的に進みましょう。価値に焦点を当ててください。価値重視の考え方を人生の基盤に据えれば、やる気や革新的なアイディアが生まれるでしょう。それこそが人生を壮大な冒険にするのです。
★一致団結する――建設的空間
マザー・テレサはかつて言いました。「私にはあなたにできないことができるし、あなたには私にできないことができます。だから私たちが一緒にやれば、すばらしいことができます」「現在地」から「目的地」まで行くためには、同じビジョン、使命、価値観を共有する人たちを周りに集める必要があるでしょう。
一人の人間が自分だけでやろうとしても、目的は遂げられません。意欲を持ち続けて前へ進める人たちの支援を受ける必要があります。
あなたは自分の周りに、目的を遂げられるだけの人員をそろえなければなりません。
その人たちは、自分なりのやり方で必要なあらゆる手段をつくして、共通の理想を目指す集団あるいは環境をつくろうとする人たちでなくてはいけません。
必要なのはたがいに補い合うチームです。誰もが脚光を浴びられるわけではありません。また誰もが同じことをし、同じ役割を担う必要もありません。
チームや会社は、目標を達成するために団結した人々のグループにすぎません。チームやグループはコンフオートゾーンを持っています。グループには有効性の水準があります。
グループは怖じ気づきます。グループにはセルフトークがあります。グループは重圧を感じます。グループはポジティブにもネガティブにも反応します。グループは恐れを感じます。
世界中どこでも、組織の中には何もしないで「経営陣がこれをやるだろう、あれをやるだろう」と言っている人がたくさんいます。
そうした人たちは何もせず待つことしかしません。国家や企業には文化規範、つまりそれらが自分のものとして取り込んできた独自の信条や姿勢があります。国家や企業はそうしたものがあることに気づいてさえいません。
こうした文化は、個人の成長や権限を奪ってしまう可能性があります。中には、人々に権利を与えないことを望む文化も存在します。
たとえば過去には、南アフリカの与党は黒人に権利を与えないことを望んでいました― ‐今は違います。同じように、人々を抑圧し立ち往生させることを望む企業もありました。
今では人々に成長してもらうことが必要になっています。日本は今まさにその問題に直面しています。
私たちは以前、日本で最大かつ最も収益を上げている米国企業、アメリカンファミリー生命保険会社で働いている日本人のグループを接待したことがありました。
大規模な販売スタッフ、同じ商品を売っている何千人というスタッフがいますが、この人たちにはグループの水準を越えることをしようという様子は見られません。
実際そうなった場合は、彼らは手柄を返上するでしょう。これが彼らにとって深刻な問題になっています。
日本は企業としてだけでなく、国家としても停滞期に入っています。
日本人は、この精神的な障壁を打ち破って個人的成功についてよく考え、それによって新たな規範、新たな目標、新たな成功の水準を定めるということができずにいるのです。
★環境上のコンフォートゾーン
あなたが自分の会社の中につくり出した環境をよく見直してみましょう。
あなたの経営しているのが、デパート、レストラン、銀行など、人々を引き寄せる事業、人々に入ってきてもらう必要のある事業ならば、自分のつくり出したコンフオートゾーンなり環境なりが、特定の人々を引き寄せようとしていたはずの人々を開め出していないかどうかを自問してみなければなりません。
あなたはレストランに入ったとき、その場の環境が客のためではなく、従業員のために用意されていると感じたことはありませんか? 「なぜあんなBGMが流せるんだろう?」と不思議に思ったことはないでしょうか? それは、従業員たちが大いに楽しんでいるからです。
そこで働かなければならない自分たちのために音楽を選び、すべての指示を与え、客に使宜を図ることは考えていないのです。
これでは客を追い払っているも同然でしょう。
音楽は彼ら自身が快適になるためにあるのですからcあなたは「自分たちはどんなビジネスを行っていて、どんな環境が人を引き寄せたり追い払ったりするのか」と考えてみる必要があります。
誰もが居心地よく感じられる環境をつくり出すのはむずかしいものなので、「この特定のエリアは、売り場を立派にしすぎちゃいけない、でないと客が来なくなる」といった判断をしてみるのもいいかもしれません。
引き寄せようとしている客にふさわしいコンフオートゾーンをつくり出すようにしましよう。
ロサンゼルスのある私たちの顧客は、大きな小児科病院を経営していました。
環境上のコンフオートゾーンについて学んだ彼らは、病院のロビーに目を向けました。
そのロビーは顧客たち、つまり死ぬほどおびえながらやってくる小さい子どもや、心配する両親や、一緒にいる兄弟姉妹のためのものではまったくありませんでした。
そこにあるのは臓器提供者の写真と背もたれの高い長椅子だけ――とても格式張っていたのです。
そこで彼らは、ビジネスをする相手に適した環境をつくり出すため、 一つのロビーには巨大なビッグバード(*子ども向けテレビ番組『セサミストリート』のキャラクターの一つ)のぬいぐるみを、もう一つのロビーにはマクドナルドのドナルド人形を置くことに決めました。
さらに、子どもではなく医療技術者の便宜のために母親が子どもから引き離されることをなくすため、救急病棟の配置を変えました。
このように、物事はどうあってほしいかという点に目を向けてみてください。そしてその考えにそって、ビジネス環境をつくり出していくようにしましよう。
★企業としての姿勢を切り替える
リーダーが「よし、あそこまでたどり着くぞ」と言って、達成すべきビジョンや目標について語り始めたとき、リーダーの周囲にはその目標に向かって進むプロセスの妨げとなるような、さまざまな態度の人たちが存在します。
有能なリーダーは、必要な数の信頼できる人たちに対して、企業としての姿勢を変えることを教えます。
彼らがそれに対して目標を定めなければ、個人としてどのような態度を変える必要があるかさえわからず、やがて道のりの途中で障害となるような態度が表に出てくることになるでしよう。
指導的立場にある者は、模範となる変化を態度で示さなくてはなりません。そうしないと、人々は不満を訴え、欠点をあげつらい、妨害し、成長すべきでない理由を指摘するでしょう。それでは目的達成の妨げになります。
私は以前、全米自動車労働組合とフォード・モーター社の内部の人間に会ったことがあります。
両者の態度はどんなものだったと思いますか? 全米自動車労働組合のメンバーは、自分たちがフォードではなく、全米自動車労働組合で働いていると考えていました。
ある人は休憩時間に近寄ってきて、「あなたはフォードの話をしていますが、自動車労働組合のことを話題にすべきですよ」と言いました。
私が「あなたはフォードに勤めているものと思っていましたが」と言うと、「いやいやいや」とその人は言うのです。私は最後には、全米自動車労働組合の人たちにたずねていました。
「フォードの経営が破綻したらどうなると思っているんです? 何をつくり、何に従事するつもりですか? どこに勤めるんですか?」。
ともあれ、組合は経営陣についてこのような考えを持っているのです。
それと同じように、フォードの経営陣もまた組合に対してこのような考えを持っています。両者が一致協力して働くためには、双方ともに態度を変える必要があります。
そうすることで、必要なものを与えなかったり、たがいに相手を妨害する方法を見つけようとしたり、相手を巧みに操ろうとしたりする代わりに、創意工夫を凝らして一緒に問題を解決する方法を見つけ出せるでしょう。
問題解決に取り組むには、まず態度を変える必要があるのです。私は組合の人たちに言いました。
「あなたたちにはとても重要な役割があるでしょう。今のあなたたちの役割は違ったものになっているようだから、このプロセス全体を違った日で見てみたほうがいい。
あなたたちの目的は、就職してから退職するまで、労働者の尊厳を守ることです。
不当な扱いがあったり労働条件が厳しかったりすれば個人の尊厳が脅かされるし、妥当な賃金があれば尊厳を持って家族を養えるようになることはおわかりでしょう。
不当な扱いを目にしたら、勇敢に割って入り改善するのがあなたたちの役目です。それだけのことですよ」この言葉は両者の涙を誘いました。
両者はそれまで敵対的な態度をとり、たがいに足を引っ張り合い、相手に必要なものを与えず、より多くのものを得ようとしてきました。
「いいえ、あなたたちの役割は労働者の尊厳を守ることです。労働者には若い時期における尊厳、仕事における尊厳、賃金における尊厳、労働環境における尊厳を手にする権利があります。退職したときにも尊厳が必要になります。さあ団結して、世界的な競争を目指しましょう。ともに私たちの未来をつくるのです」組合と企業の経営陣は、どちらも自分自身の視点を持っていて、それを越えて相手側の視点を見てとることができません。
だから両者は、同じ目標(職場の尊厳、妥当な賃金、不当な扱いに対する保護)のために努力していながら、本来の目標はそっちのけで、たがいを責めるためにあらゆる種類の愚かな行動をしてしまいます。
競争相手と張り合う代わりに、内輪で争っているのです。
この自分自身の盲点に気づかせてやると、両者は「これは驚いた」と言って、その後は協力し合えることを理解するようになります。
私はすべての問題は解決できるという前提に立ちます。学校の問題はすべて解決できます。労働者の問題はすべて解決できます。これらの問題はすべて解決できます。
私たちには創造の才能があります。必要なのは、解決を阻んでいるものを突き止めることです。
私たちが目的地へ着くのを妨げているものは何でしょう?あらゆる文化、国家、組織は、ある程度のスコトーマ(盲点)を抱えています。
さまざまなサブカルチャーは、各々のあいだに壁をつくって存在しています。
サブカルチャーに属する人たちは自身の視点から世界を眺め、ほかのばかどもにはどうしてわからないのだろうと不思議がります。
スコトーマだらけなのです。
その人たちは、あなたが手助けすることでようやく見えるようになりますc組織内で自分のコンフオートゾーンを広げていくと、あなたはより多くの人に影響を与えるようになります。
あなたが教会で、病院で、地域社会で、あるいは誰か一人のために行っていることは、何であれ拡大することができます。あなたはもっと大きな規模でそれを行うことができるのです。とくに、チームで取り組んでいるときには。
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