社会を変えるために力を合わせる社会を変えるために、資金を集める対立や衝突を扱う対峙する相手を1人の人間として見るビジネスでの対立を変容する企業文化に変化をもたらす
当事者たちが顔を合わせようとしない場合感謝なぜ、称賛や褒め言葉が評価として有害なのかNVCで感謝を表現する感謝を受け取るおわりに訳者あとがき参考文献私たちが持つ基本的な感情私たちが持つ基本的なニーズNVCプロセスの活用方法
社会を変えるために力を合わせる意欲ある人が数名集まっても世界を変えられるのか、と疑ってはならない。
その少数の人々こそが、実際に変化をもたらしてきたのだから。
──マーガレット・ミード(文化人類学者)社会の変化を促すときに重要なのは、同じようなビジョンを持つ人たちとつながることです。
わたしたちはNVCトレーニングを通じて、NVCをどのように活用すれば、自分の望む世界像に共感する人々と協働しながら、この世界にもたらしたい構造を見いだせるのかについて紹介しています。
また、この変化に向けて協働するチームのつくり方についても伝えています。
変化に取り組むチームの初期に起こりやすいのが、メンバー同士の対立です。
わたしたちは、とかく、チームワークに適さないスキルを身につけてしまっています。
そんな人と人が、自分の外側にある巨大に見える構造を変えようとしているのです。
それだけでも大変だと感じるのに、そのうえグループ内にもめごとがあっては、なおさら難しい仕事になるでしょう。
そこで、社会変化をテーマにしたトレーニングでは、NVCをどう活用すれば、社会変化に取り組むチームとしてよりよく機能し、より生産的なミーティングを持てるのかについて伝えているのです。
以前サンフランシスコでマイノリティーの住民たちを支援したとき、彼らは子どもたちが通う学校に対して大きな懸念をいだいていました。
学校が子どもたちの精神を破壊していると考えていて、それにまつわる構造を変えようとしていたのです。
ところが、彼らの現状はこうでした。
「マーシャル、わたしたちは、社会を変えようとして、かれこれ半年ほど話し合いを重ねてきました。
でも、言い争いや不毛な議論に陥るばかりで、何も生み出せていません。
もっと効果的な話し合いができるように、NVCを活用したチームづくりを教えていただけませんか?」さっそくわたしは話し合いの場に足を運びました。
「いつもどおりにミーティングを進めてください。
見学させていただきます。
皆さんのチームワークを改善するために、NVCを活用できるかどうか見てみましょう」最初に話し始めたのは、新聞記事の切り抜きを持参した男性メンバーでした。
生徒を虐待した校長が保護者たちに訴えられたというニュースです。
その校長は白人で、子どもの1人はマイノリティーでした。
男性メンバーが記事を読み上げると、別の男性が応えました。
「そんなの、たいした話じゃないですよ。
自分も子供の頃その学校に通っていたんだ。
わたしがどんな目に遭ったか話してみようか」そこから、メンバーそれぞれの体験談が始まり、自分も過去にこんな目に遭ったとか、どれほど人種差別的な社会だったかという話が、10分ほど続きました。
しばらく見守っていたわたしは、やがて口を開きました。
「ちょっと失礼します。
皆さんのなかで、これまでのミーティングを生産的と思った人は手を挙げていただけますか?」誰も手を挙げません。
自分の体験談を語った人たちでさえもです。
この住民たちは、社会のシステムに変化をもたらそうとしてミーティングを重ねてきたのに、誰一人として、話し合いが生産的だと思っていないのです。
誰もが家族と過ごす時間を使ってまで、ミーティングに参加しています。
そこに割く時間とエネルギーを見つけるのは簡単ではありません。
ギャング構造に変化をもたらそうとしているのに、非生産的なミーティングでエネルギーを消耗している余裕などはないのです。
そこでわたしは、そもそもの会話のきっかけをつくった男性に尋ねました。
「あなたはこのグループにどんなリクエストがあるか、教えていただけますか?その新聞記事を読んだとき、グループに何を求めていたのでしょうか?」すると男性が答えました。
「それはまぁ、重要だと思ったからですよ。
興味深いんじゃないかなと」「あなたが興味深いと思ったというのは、わかります。
でも、いま教えてくれたのは、あなたの考えです。
わたしが尋ねているのは、あなたが何をグループに求めていたのか、ということなんです」「何を求めていたのかは、わかりません」「それこそが、非生産的な話が10分間も続いた理由だと思います。
グループの注目を集めて何かを提示するときに、自分が何を求めているのかが明確でないなら、生産的な集まりにはほとんどならないでしょう。
NVCでは、相手が個人であれ集団であれ、わたしたちが何かを伝える際には、相手に求めている反応を明確にしておくことが重要です。
だから、『あなたのリクエストは何ですか?』と聞いているのです。
明確なリクエストをせずに自分の苦痛や考えを表現すると、非生産的な話し合いにつながりやすいんです」これは、ミーティングの生産性を上げるために、NVCがどう役立つかを説明するときの一例です。
サンフランシスコで、あるギャングの雇用慣習を変えさせようとしていたマイノリティー市民グループを支援したときのことです。
そのギャングとは、市の保健医療部門でした。
市民グループは、当局の雇用慣習が特定の人々に対して差別をしており、抑圧的であると感じていました。
そこで、当局に自分たちのニーズをよりよく満たしてもらうためにNVCを活用したいと考え、わたしにその方法を教えてほしいと依頼してきたのです。
3日間、NVCの仕組みと応用方法を学んだところで、市民グループは、午後から活動に出かけ、翌朝にまた集まることになりました。
実践がうまくいったかどうかを確認するためです。
翌朝、集まったメンバーたちは意気消沈していました。
1人がこう漏らしました。
「みんな、やっぱりね、と思っています。
このシステムを変える方法なんてありっこないんですよ」わたしは「なるほど、皆さん、かなりがっかりしているようですね」と答えました。
「そうです。
そうなんです」「では、何があったか話してください。
経験から学びましょう」当局の責任者のオフィスを訪れた6人のグループメンバーは、彼らいわく、かなりうまくNVCを実践できたそうです。
いきなり、既存のシステムは抑圧的だと言って、診断を突きつけるようなことはしていません。
むしろ、実状の明確な観察を伝えたのです。
自分たちが差別的だと感じている具体的な法律の名前を挙げ、その理由として、特定の人々の雇用を許容していないということを伝えました。
そのあと彼らは、自分たちの感情を表現しました。
働く機会と平等を必要としているので、いかにつらい思いをしているかを訴えたわけです。
自分たちには当局の仕事ができると確信しているのに、排除されて苦しんでいるのだ、と。
そして、自分たちにも機会を与えるように雇用慣習を改善してほしいと、当局の責任
者に明確なリクエストをしました。
彼らがどう伝えたかを聞いて、わたしはうれしくなりました。
前日までのトレーニングを見事に実践していたからです。
自分たちのニーズとリクエストをはっきり述べる一方で、相手を侮辱するような言葉は使っていません。
わたしはこう伝えました。
「わたしは皆さんの伝え方が気に入っています。
でも、相手の反応はどうでしたか?」「ああ、彼はとても感じがよかったですよ。
来てくれてありがとう、とさえ言ってくれました。
民主主義においては、市民が自分の意見を表明することは重要だし、自分の組織の人間にもそうするように奨励しているくらいだ、とも言ってましたね。
ただし、あなたがたのリクエストは現実離れしているので、残念ながら、今すぐに実現可能とはいかない、でも、来てくれてありがとう、って」「それで、どうしたんですか?」「帰ってきました」「ちょっと待って。
ちょっと待って。
わたしがお伝えしたことのもう半分は?お役所言葉の奥にある心の声として、その人が何を感じ、どんなニーズを抱えているのかに耳を傾ける方法です。
あなたたちの求めに対して、その人は、役人としてではなく、1人の人間として何を感じていたんでしょうか」市民グループのメンバーの1人が答えました。
「あの人の内面で何が起きていたかなんて、わかってますよ。
わたしたちに出て行ってほしかったんです」「それがほんとうだとしても、内面で何が起きていたんでしょうか?何を感じていたでしょう?ニーズは?役人だって1人の人間なんですよ。
その人間は、いったい何を感じて、どんなニーズがあったのでしょうか?」このグループは、相手が役所という構造に属しているからという理由で、その人の人間らしさに目を向けることを忘れていました。
そして構造の中にいる相手も、人間の言葉ではなく、構造の言葉で話していました。
お役所言葉です。
歴史神学者のウォルター・ウィンクが指摘するように、組織や構造や政府には、それぞれ独自の精神性があります。
そしてそれらの環境下では、それぞれの精神性を支持するような形でコミュニケーションが交わされるのです。
NVCを活用すれば、どんな構造だろうと、その中に切り込んで、相手を1人の人間として見ることができるようになります。
でも、市民グループが実践するにはわたしのトレーニングが足りていないことがわかったので、追加のトレーニングを行いました。
つまり、お役所言葉の裏側にあるニーズに耳を傾ける方法、相手を1人の人間として見て、社会の変化に向けて協働する力が高まるようなつながりを、相手との間につくる方法を練習したわけです。
それらができるようになるまでトレーニングを行ったあと、市民グループは彼にもう一度会いに行きました。
そして翌朝、うれしそうな顔でわたしのところへやってきました。
彼の言葉の背後に目を向けたとき、怯えていることが見えたそうです。
実は彼は、市民グループと共通のニーズを持っていて、法律が差別的であることが嫌だったのです。
しかし彼には、自分自身を守るという、もう1つのニーズがありました。
彼は、自分の上司は市民グループの提案に激怒することがわかっていました。
その上司は、市民グループの目指す改革に猛反発していたからです。
彼には自分を守るニーズがあるので、上司にかけあって、社会を変えようとする市民グループの活動に協力したくありませんでした。
しかし、この市民グループの人たちが彼のニーズに目を向けたとき、全員のニーズが満たされるような形で、協力するようになったのです。
何が起こったかと言うと、彼は市民グループの助言者となったのです。
彼は市民グループに、望むものを得るためにはどんな手順が必要かを伝え、市民グループは彼の自分を守るというニーズを満たすために、助言を受けていることを誰にも明かさないようにしたのです。
そして最終的に、双方が求めていた変化を手に入れました。
効果的な社会変化をもたらすためには、その構造の内部にいる人を敵として見なさないようなつながりを、相手とつくることが必要です。
つまり、その構造の中にいる人々のニーズを聴きとろうとするのです。
そのうえで、相手と自分の双方のニーズが満たされるように、辛抱強く、コミュニケーションをとり続ける必要があります。
エクササイズあなたがつながりたいと思う一方で敵だと見なしている人を1人、思い浮かべてください。
対立をつながりに変えるために、最初に行うことはなんですか?
社会を変えるために、資金を集める我々が変わればものごとがよくなる、とは言えない。
しかし、よくなるためにはものごと自体が変わる必要がある、ということは言えるだろう。
──ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク(科学者)わたしが関わった社会に変化をもたらすプロジェクトには、第8章で紹介したストリートギャングの事例もあります。
このストリートギャング(ズールー)のリーダーは、わたしが教えていることを彼らの文化に合うように調整できれば、きっと変化の役に立つと考えていました。
すでに述べたとおり、彼とわたしは、何年も力を合わせて、アメリカ各地の学校で人種差別撤廃に取り組みました。
わたしたちのひとつの目標は、新しい学校をつくる、というものでした。
それは、教師が生徒をコントロールしようとするのではなく、教師と生徒が互いをパートナーと捉えて力を合わせ、他校から見放されたり追放されたりしている生徒でも学ぶことができるような学校です。
手始めに、他の学校から落ちこぼれた生徒たちにも手を差し伸べられる、ということを示すような実験校をつくろうとしました。
これが成功すれば、その経験を足がかりにして、学校制度全体の変化を求めていくことができるだろうと考えました。
最初の活動である実験校の教師たちの給料やさまざまなプログラムの費用をカバーするためには、5万ドルの資金を集める必要がありました。
必要なリソース(資源)をどのように獲得するかは、社会変化を目指す活動にとってきわめて重要な課題です。
わたしは例のギャングリーダーから、貴重な教訓を学びました。
社会を変えようとするときに、限られた時間をできるかぎり有効に使うための方法です。
時間の有効活用がとても重要なのは、社会変化を目指す活動には明らかに多くのコミュニケーションが求められるからです。
心をこめてNVCの言葉を話すだけでなく、明瞭簡潔に話し、わずかな時間も最大限に活かす必要があるのです。
つまり、「絶好の機会を逃すな」ということです。
これは、わたしが友人のギャングリーダーから学んだよい教訓です。
彼はこんなことを言いました。
「あんたがトレーニングをやった財団を訪ねたらどうだ。
財団って金を出すところだろ?直接会って、このプロジェクトに金をもらえばいい」「ああ、わたしもそうしたいのはやまやまなんだが、あと数カ月は申請を受け付けてもらえないんだよ。
今期は終わってしまったから。
それだけじゃない。
資金援助を得るには、ちゃんとした提案書が必要なんだ。
きみも知ってのとおり、わたしたちには、今、そんな提案書をつくっている暇もリソースもない」「うん、そうか。
そういうやり方もあるけど、とにかくアポとれないかな?」「ああ、たぶん担当者とアポはとれるだろう」「じゃあ、とろう。
会って、金を手に入れよう」「で、アポがとれたとして、その先はどうする?」「いいから、俺にまかせとけって」そこで、わたしは担当者に電話をかけました。
「ローゼンバーグと申します。
先月、そちらの職員の方々とご一緒した者です。
じつは理事長とお会いしたいのですが、ご都合はいかがでしょうか?」電話に出た秘書はこう答えました。
「ローゼンバーグ博士、ご存じかと思いますが、理事長は多忙をきわめておりまして……。
こちらでスケジュールを確かめてから、折り返しお電話いたします」しばらくすると電話がかかってきました。
「会議の合間に何とか時間をつくれそうです。
理事長は喜んでお会いしたいと申しております。
ただし、20分ほどしか都合がつかないのですが、いかがでしょうか?」「ありがとうございます。
それで結構です」車でミーティングに向かう途中、わたしは相棒であるギャングリーダーに尋ねました。
「この20分の間に、きみはどうするつもりだい?」彼はまた「いいから、俺にまかせとけって」としか言いません。
さて、ミーティングの席につくと、わたしは丁寧に2人を引き合わせました。
「〇〇理事長、こちらはわたしの相棒のアルです。
アル、こちらは〇〇理事長だ」アルは手を差し出して理事長と握手するなり、こう言い放ったのです。
「よう、兄弟。
金はどこだい?」その瞬間、手元にほうきがあったら、わたしはアルの頭を叩いていたでしょう。
真面目な仕事の話し合いだというのに、いきなりそんな調子で切り出すことをとても恥ずかしく思いました。
通常、わたしが資金援助を依頼する際には、資金提供の意義を相手に納得してもらえるように、提案書やらスライドやらを持参して説明するものです。
ところが、わたしの隣にいる男は、それとはまったく正反対のことをはじめました。
彼はこう言っているのも同然でした──俺たちは金をもらうためにここに来てる。
あんたは金を出すか出さないかを決めるために、何を聞く必要がある?それに対して、理事長はとても礼儀正しく、笑いながら「何のお金でしょう?」と言います。
すると相棒が答えました。
「楽しい学校のための金だ」「楽しい学校?何ですか、それ?」「ローゼンバーグと俺たちギャングで、学校をつくろうとしてるんだ。
よその学校から放り出されるようなガキどもだって、まともに扱われれば、ちゃんとやっていけるってことを証明するための学校だ」「その楽しい学校というのは、どんなものですか?」わたしの友人が何をやってのけたか、おわかりでしょうか。
相手が聞く必要がありそうだ、とこちらが推測する情報をくどくど説明することに貴重な時間を使うのではなく、アルはいかにも彼らしいスタイルでいきなり本題に入ったのです。
「こちらの求めに応じるために、あなたは何を聞きたい?」と本質から入ることで、相手に会話の行き先を決めさせました。
ミーティングを終えたとき、わたしたちは5万ドルを手にしていました。
30年ほど前のこの体験以来、わたしは何度も、同じアプローチを社会変化の活動に用いてきました。
必ずしもアルの文化のスタイルを踏襲しているわけではありませんが、社会を変えるプロジェクトへの支援を求めるときには、最初に、こちらが取り組もうとしている変化を支援したいかどうかを判断するうえで、わたしから何を聞く必要があるかを相手が見いだせるように、状況を整えます。
わたしは、スウェーデンの政府とビジネス界のリーダーたちで構成される重要な委員会でも、このアプローチを使いました。
ある社会変化を目指すプロジェクトに支援を求めるために、仲間たちと話をしに行ったときのことです。
先方と面会の約束を取りつけるのは一苦労だったのですが、何とか、20分だけ会ってくれることになりました。
仲間とわたしが待機していると、秘書がやってきました。
「ローゼンバーグ博士、申し訳ございません。
委員会が少々長引いておりまして、20分のお約束が5分になりそうです」
なるほど、5分しかないなら、なおさらアルから学んだ方法がよさそうです。
わたしは、ミーティングルームに入っていくと、まず、期待している支援を明確に伝えたうえで、5分で意思決定してもらうために、わたしから何を聞く必要があるかと尋ねました。
すると相手側の質問が40分間も続いたのです!たとえ5分しか与えられなかったとしても、こちらが役に立たない内容をくどくど話し続けるより、向こうが聞く必要があることを相手から質問してもらうことで、より多くのものを得られたでしょう。
これが、社会変化を目指す活動における、NVCのもう1つの活用方法です。
わたしたちはより生産的なミーティングができて、言葉の浪費を避けられるのです。
そのかわりに、協力の可否を判断するために何を知る必要があるかを、相手がこちらに伝えられるような流れをつくることができるのです。
エクササイズ今度、あなたが生産的でないミーティングに出席したら、話を進めるために何ができますか?(ヒント……観察、感情、ニーズ、明確なリクエストに焦点を当ててみましょう)
対立や衝突を扱う非暴力の対立では、恨みはいっさい残らず、最後に敵は友人に変わる。
それが非暴力の最終試験なのだ。
──マハトマ・ガンジー(政治指導者)社会を変えようとするとき、当然ながら、大きな衝突が起こることもあるでしょう。
相手がこちらの目指すものに反対していて、感情やニーズを明確にしながら自分を表現する方法を知らない場合におけるNVCの活かし方をわたしたちは学ぶ必要があります。
(こうした衝突においては)相手がどのようなコミュニケーションをとっているにしても、その奥にある感情とニーズに耳を傾ける方法を知る必要があるのです。
たとえば、イリノイ州で社会の変化を目指したあるプロジェクトで、こんなことがありました。
わたしたちは、自分たちが設立した学校でこのプロジェクトを進めていましたが、ゆくゆくは学校単体を越えて教育システムに働きかけ、システム全体がこの学校の原則を活用しながら調和したものになることを目指していました。
その学校の設立自体がひと苦労だったのですが、さまざまな抵抗に遭いながらも、ようやく連邦政府の資金援助を得て、開校にこぎつけたばかりでした。
ところが、設立後に行われた最初の教育委員会の選挙で、4人の委員が、わたしたちの学校と現職の教育長の排除を掲げて当選しました。
わたしたちの学校は成功を収めていたにもかかわらず、こういうことが起きたのです。
すぐれた教育実績で国内の賞を受賞したうえ、学力の向上や器物破損の減少という実績をあげていました。
その学校のプロジェクトを存続させるためには、猛反発している人たちとコミュニケーションをとる必要があります。
しかし、教育委員会に3時間の話し合いを求めるのは容易ではなく、約束を取りつけるまでに10カ月もかかりました。
わたしが電話をかけようが手紙を送ろうがなしのつぶてだったので、オフィスまで出向いたのですが、会ってはくれませんでした。
わたしたちは仕方なく、その10カ月の間に、教育委員会につてのある人物を探し出し、その人がミーティングの約束を取りつけられるようにNVCのスキルをトレーニングすることにしました。
その女性の働きかけで、最終的に、教育委員会は教育長とわたしとの面会に合意しました。
ただし、話し合いについてマスコミには知らせない、という条件付きでした。
教育委員会にしてみれば、自分たちが排除しようとしている人間と話し合っているところを見られるのは、まずいのです。
では、こういう状況で、NVCはどう役立ったのでしょうか。
まず、わたしは自分の内面に取り組む必要があるのがわかっていました。
教育委員会に対して敵のイメージを抱いていたからです。
相手を人間として見ることが難しかったのです。
わたしに対していろいろ言われたことで、たくさんの痛みを抱えていました。
たとえば、教育委員の1人は地元の新聞社のオーナーであり、こんな記事を書いたことがあります。
「我らの『愛すべき』教育長(彼は教育長を嫌っていることで有名でしたから、わざわざカギカッコをつけたのです)がまたもやユダヤ人を連れてきたのを知っているだろうか。
教師たちを洗脳して、その教師たちに生徒を洗脳させようとしているのだ」。
こんな記事は、この委員の発言のほんの一例にすぎません。
だからわたしは、自分の内面で多くのことに対処する必要があったのです。
それに、彼が地元の政治団体ジョン・バーチ協会(§)の会長であることも知っていました。
わたしのなかには、そんな団体に属している人間はきっとこうに違いないという、ある種の決めつけがありました。
だからわたしには、「絶望のワーク」が必要でした。
社会を変える活動に携わる人にとって、とても重要なワークです。
「絶望のワーク」はジョアンナ・R・メイシーが提唱するコンセプトです。
メイシーはわたしが敬愛する社会活動家であり、精神性と社会を変える活動は切り離せないものであるとして、「絶望のワーク」の重要性を説いています。
つまり、わたしたちの精神性がしっかりとした力強いものであればあるほど、社会を変えるという目標に近づく可能性が高まるのです。
§ ジョン・バーチ協会:反共産主義と小さな政府を掲げる右派の政治団体。
対峙する相手を1人の人間として見る思いやりは宗教の仕事ではなく、人間の仕事である。
贅沢品ではなく、わたしたち自身の平和と精神の安定を支える必需品なのだ。
思いやりは人の存続のために絶対に欠かせない。
──ダライ・ラマ(宗教家)わたしが実践した「絶望のワーク」がどういうものか、お話ししましょう。
教育委員会との面談を翌日に控えた晩、わたしはプロジェクトに関わる仲間たちと集まり、こう告げました。
「明日、あの男(例の新聞社のオーナー)と顔を合わせたとき、わたしは相手を1人の人間として見ることが難しそうだ。
憤りがあまりにも大きいので、自分の内面に取り組む必要がある」すると仲間たちは、共感をもって、わたしの内面に何が起こっているかに耳を傾けてくれました。
自分の苦痛を表現し、理解してもらえる、すばらしい機会をもらえたのです。
仲間たちはわたしの大きな怒りを聴きとり、さらには、その怒りの奥にある恐れにも気づいてくれました。
それは、当事者全員にとって満足のいく形で相手にわたしたちとつながってもらうことなど無理だろう、と絶望することへの恐れでした。
面談の前の晩に、これだけのワークをするのに3時間かかりました。
それほど、わたしの苦しみと絶望は深いものだったのです。
ワークの途中でわたしは、こんな提案をしました。
「あの男の言動を見たことがある人がいたら、ロールプレイを一緒にやってもらえないかな。
彼のいつもの話しぶりの向こうに、相手の人間らしさを見ることができるか、挑戦してみたいんだ」わたしはそのオーナーと面識がなかったのですが、直接会ったことのある仲間がいて、彼の話しぶりを再現してくれました。
わたしは、本人と会ったときに敵
と思い込むのを避けるために、相手の人間らしさを見ようと懸命に努力しました。
頑張っておいてよかったと思いました。
というのも翌日、話し合いの部屋に入ろうとするときに、当の本人と鉢合わせしたのです。
開口一番、彼はこう言いました。
「こんなのは時間の無駄だ。
もしきみと教育長が地域社会の役に立ちたいと思っているなら、出ていってくれ」わたしの最初の反応は、相手の胸ぐらをつかんで「おい、あんたが話し合いに応じると言ったんだぞ」と怒鳴りつけたい、という思いでした。
そこでわたしは深呼吸しました。
前の晩に絶望のワークをやっていたことが幸いして、自分の感情をうまくコントロールできるようになっていたわたしは、彼のなかの人間らしさとつながろうとしました。
「どうやらあなたは、この話し合いからは何も実りのある結果が出る望みはない、と感じているようですね」彼の気持ちにわたしが耳を傾けようとしたことに、彼は少し驚いたようでした。
「ああ、そうだ。
きみと教育長がやっているプロジェクトは、この地域にとって破壊的なものだ。
子どものやりたいようにやらせるなんていう自由放任主義は、ばかげている」わたしは、自分たちの学校が自由放任主義と見なされたことに苛立ったので、また深呼吸する必要がありました。
そこで気づいたのは、わたしたちはこのプロジェクトとは何かについて明確に伝えていなかった、ということです。
もし相手がそれを理解していれば、わたしたちの学校にはルールがあり、規則があるということを知ってもらえていたでしょう。
それらは懲罰や上からの管理に頼るものではなく、教師と生徒がコミュニティとして協力することでつくられてきたものなのです。
わたしは相手の言葉をさえぎって、弁解したくなりましたが、もう一度深呼吸することで、(前日のワークのおかげで)相手の人らしさが見えてきました。
「つまり、学校に秩序があることがどれだけ重要かを認識してほしいようですね」相手はまた怪訝そうな顔をしました。
「そのとおりだ。
きみたちはやっかい者でしかない。
きみと教育長がやってくる前、この地域にはすばらしい学校がいくつもあったんだ」またまた、わたしの最初の反応は、かつてこの地域ではあれほどの校内暴力があふれ、あれほど学力水準が低かったじゃないかと言ってやりたい、という思いでした。
でもわたしは、もう一度深呼吸して、こう伝えました。
「この地域の学校について、あなたが支えて守りたいことがたくさんあるようですね」話し合いはとてもうまくいきました。
実際の彼の話しぶりは、わたしにたやすく敵のイメージを抱かせるようなものではありました。
けれども、わたしが相手の内面で何が息づいているかに耳を傾け続け、敬意をもって彼のニーズにつながる努力を繰り返した結果、彼がより心を開いて、こちらの話を前よりも理解できるようになったのが見てとれたのです。
話し合いを終えたとき、わたしは手ごたえを感じていました。
うれしい気持ちでホテルに戻ると、電話が鳴りました。
先ほどの男性からです。
「すまないね。
今まで、きみのことをあれこれ言ってきたが、どうやら、わたしが誤解していたようだ。
いろいろ聞きたいことがある。
きみのプロジェクトの経緯とか、どこでこのアイデアを思いついたかとか……」それからの40分間は、まるで兄弟の会話のようでした。
わたしは彼の質問の1つひとつに答え、わが校への情熱をとうとうと語り続けました。
ほどなくして、わたしを空港まで送るために仲間が迎えに来ました。
空港への道すがら、わたしはどれだけ気分がいいか話し続けました。
「日頃、わたしたちの言っていることの証明だ。
相手を1人の人間として見れば、どんな状況であれ、誰であってもつながれるんだ!」最高の気分でした。
敵のイメージを克服できれば、わたしたちは誰とでもつながれるのです。
社会が変わる希望がますます強くなりました。
男性から電話があったことも伝えました。
翌日、チームのメンバーの1人が電話をかけてきました。
「マーシャル、悪い知らせがあるんだ」「何だい?」「あの男の手口を先に警告しておくべきだったよ。
彼は相手に電話をかけては、会話を録音するんだ。
その録音内容を一部だけ切り取って、相手を馬鹿にするような記事にする。
それが常套手段なんだ。
言っておくべきだった」はてさて、どちらを先に成敗してくれましょう。
あの男?それとも、わたし自身?あんな人間を信用して、変えられると考えた自分がばかなのか。
それとも、あんな人間でいる彼がいけないのか。
わたしは落胆しました。
事の重大さが身に染みてくると、もうすでに裏切られたかのような気分です。
ところが、蓋を開けてみれば、彼はわたしを裏切らなかったのです。
次の教育委員会のミーティングで、彼は、委員に当選したときに廃止を唱えていたはずのプログラムに、賛成票を投じてくれたのでした。
この一件は、社会を変える活動に関して貴重な教訓を与えてくれました。
話し合いの前日、相手に対する敵のイメージから、自分のなかにある苦しみや社会は変えられないという絶望感と向き合い、相手を1人の人間として見られるようになるまで3時間ものワークを要したこと。
そして、話し合いの翌日、たった5秒で噂話を根拠にこれまでの努力を失ってしまったこと。
これは、社会を変えようとする活動において、きわめて重要な要素です。
つまり、わたしが社会変化の土台として必要だと考えている精神的なエネルギーと、つねにつながり続けるということが大切なのです。
そしてそのつながりは、相手を倒すべき悪者と捉えてその醜さを見るのではなく、わたしたちが目指すことの美しさに目を向けることから生まれるのです。
ビジネスでの対立を変容するケンカってのは、2人の視点が限界まで遠ざかってしまうことなんだよ。
──ダン・ベネット(コメディアン)わたしは、ビジネスの世界でもミディエーションを依頼されることがよくあります。
世界には、社員同士のもめごとに手を焼いている企業がたくさんあるのです。
わたしたちは、そういう企業に出かけていって、NVCを使って対立の扱い方を教えています。
あるスイスの企業では、部内で15カ月間も対立が続いていて、毎日のように議論していました。
もめごとの種は、ある機能にどのソフトウェアを使うかということですが、決してささいな問題ではありませんでした。
既存のものから新規のソフトウェアに切り替えるには、何万ドルもの予算や莫大な時間が必要だったからです。
社員たちは二派に分かれていました。
かたや若手組、かたや年配組です。
そこで、わたしは尋ねました。
「どなたから始めても結構ですが、今の状況で、あなたがたのどんなニーズが満たされていないのか、わたしに教えていただけないでしょうか。
全員のニーズが特定できて、全員が自分のニーズを明確に表現できるようになれば、全員のニーズを満たす手段を見つけられると確信しています。
では、どなたから始めますか?」最初に発言したのは年配組の社員でしたが、その二言目で、ニーズが満たされていない理由がわかりました。
ニーズは何かという質問に対して、わたしが聴き
とったのはこんな答えです。
「わたしが思うに、新しいものが入ってきたからと言って、それが必ず効果があるとは限らない」そう言って彼は、回りくどい説明を続けました。
新しいものがよいとは限らないという考えの正しさを正当化しようとして、いくつかの例を挙げていきます。
やがて、わたしは若手社員たちが天井を見上げているのに気づきました。
同じ話をもう15カ月間も聞かされているのです。
さすがスイスだけのことはあります。
若手社員が話し始めたのは、先輩が終わるのを待ってからでした(ちなみに、わたしがある意味、中東で仕事をするのが好きな理由はここにあります。
あちらでは誰もが同時にしゃべるので、非生産的な話に費やす時間が半分で済むのです!でもそれはわたしの家族の話し合い方がそうだったからかもしれません。
何世紀にもわたって、わたしの家系には遮られずにしゃべり終えるという偉業を達成した人は1人もいないのです)。
それはともかく、ここはスイスですから、一方が話を終えるまで、他方は待ちました。
次に若手が口を開きます。
「わたしも、先輩が指摘された事実に同意します。
つまり、新しいものだからと言ってね……」「しかしわたしの意見としては……、云々」わたしはしばらく見守ったあと、おもむろに尋ねました。
「皆さんのなかに、ここまでで生産的な話し合いができていると思う方はいますか?」1人もいませんでした。
彼らの考えの奥には深い感情とニーズがあることが、わたしは明確に見て取れました。
そこで、わたしの助けによって、年配組はどれだけ傷ついているかを語ってくれました。
自分たちの開発したソフトウェアがどれほど会社に貢献してきたのか、それがきちんと認識されていないことに傷ついていたのです。
わたしはさまざまな職場を支援してきましたが、この事例のように、人は職場で感情について話せないのです。
誰も人の感情とニーズを気にかけません。
生産性が最優先されるからです。
しかし、感情とニーズを表現しないで知的な議論ばかり続けていると、遅かれ早かれこの会社のように、問題の核心にたどりつけず、時間の浪費で終わってしまうでしょう。
この会社の年配組の社員たちは、深く傷ついていました。
しかし、彼らが作り上げたものが認められることはありませんでした。
だからわたしの手助けが必要でしたし、そのことを掘り起こす必要があったのです。
これは、一筋縄ではいきません。
人はそのような状況において、自分の感情やニーズをさらけ出すことを恐れるものだから。
案の定、このときもお馴染みの答えが返ってきました。
「職場では感情なんて表現できない。
そんなことをすれば、ボロクソに言われるだろう。
軟弱なやつだとか何だとか」それでも何とか、認められたいというニーズが満たされないために傷ついていることを、年配組に同意してもらうことができました。
わたしは若手組に、こう問いかけました。
「そちらのどなたかにお願いします。
これが伝わっているかを確認したいので、今の言葉をただ繰り返していただけますか?」「ええ、ちゃんと理解していますよ。
でも……」「待って、待って。
今、彼が言った言葉を伝え返してほしいんです」「だから、先輩たちが考えているのは……」「いや、いや、そうではなくて。
先輩たちの考えじゃなくて、彼らの感情とニーズはなんでしょう?」簡単ではありませんでした。
若手社員たちに相手側の人間らしさをただ聴いてもらうだけでも、わたしの手助けがかなり必要でした。
それが終わると、今度は、彼ら自身の感情とニーズを表現してもらいました。
若手社員たちは、自分たちが若いからというだけで、新しいソフトウェアを採用してもらえないのではないかと恐れていたのです。
一方で、彼らは新しいソフトウェアが役に立つという自信を持っていました。
つまり、若いがゆえに、自分たちの見解に対して敬意が払われていない、と感じていたのです。
そこでわたしは、その若手の気持ちを年配社員側に聴いてもらいました。
そこまでくると、あとは1時間もかからずに、15カ月間の対立を解決できたのです。
企業文化に変化をもたらす組織の質は、その組織を構成する人間のマインドの質を、決して超えない。
──ハロルド・R・マカリンドン(実業家)多くの企業において、社員に感情とニーズのレベルで話し合ってもらうのは簡単ではありません。
神学者ウォルター・ウィンクは、あらゆる制度や組織に独自の精神性があることを知るのは重要だと提唱していますが、もちろん企業にいる人々にその認識はありません。
組織の精神性が「生産こそすべて」であれば、それが唯一重視されるものになってしまいます。
人間としての感情、人間としてのニーズ、人間らしさは重視されないのです。
そういう会社は、社員の意欲に加えて、まさに生産という点でも代償を支払うことになります。
なぜなら、社員が自分の感情とニーズが理解されていると信じられるようになったときこそ、生産性は上がるからです。
もうひとつ企業で教えているのは、社員が上司の望むように行動しない場合に、批判を交えずにパフォーマンス評価を行う方法です。
そういう意味では、教師の方々にも同じことを教えています。
そして親である人たちにも、批判せずに評価する方法を教えています。
ある会社で、管理職にこの方法を説明したときのことをお話ししましょう。
トレーニングの一環として、わたしはまず、明確な観察のやり方、すなわち、相手の行動の何を気に入っていないかを伝えることで相手の関心を引く方法について話をしました。
そして、こんな問いを投げかけました。
「たとえば、今日、皆さんが取り上げたいと思っている、社員同士に問題を起こしている行動とは、どのようなものですか?」1人のマネージャーが答えました。
「部下のなかには、上司に対して失礼な者がいます」そこでわたしはこう伝えました。
「ちょっと待ってください。
それはわたしが『診断』と呼ぶものです。
わたしが尋ねているのは、部下の行動なんです。
あなたが部下のパフォーマンスを評価する際、相手に『きみは失礼だ』と伝えれば、おそらく防衛的な反応を招くでしょう。
あなたが見ているものは、そのままあなたに返ってきます。
だから、相手のパフォーマンスを向上させるような形で評価をしたいなら、明確な観察から始めてみてください」そのマネージャーには、それができませんでした。
そこで別のマネージャーがこう発言しました。
「わたしの部下には怠慢な者がいます」「残念ながら、それも診断です。
どんな行動か、という質問に答えていません」すると、ついに1人が言いました。
「うーん……マーシャル、これはほんとうに難しい」
第2章で述べましたが、インドの哲学者クリシュナムルティによれば、評価を交えずに観察する能力は、人間の知性として最高のあり方なのです。
わたしが観察について説明しているとき、マネージャーの1人が飛び上がったかと思うと、文字どおり部屋から駆け出していきました。
翌朝、トレーニングに現れた彼は、いきなり退席したことを詫びながら、こう言いました。
「昨日、あのときあなたは、パフォーマンス評価の方法を説明していましたよね。
どうすれば明確な観察ができるか、批判と受け取られそうな言葉を使わずに済むかといった話でしたよね?」「ええ、そうですね」「昨日、わたしが途中で飛び出していったのは、トレーニングの前にオフィスに立ち寄って、パフォーマンス評価の書類をデータ入力するように秘書に渡してきたからなんです。
そのあと、あなたの話を20分ほど聞いているうちに、ああそうか、だから自分は、毎年、評価を悪夢のように感じるのかと気づきました。
評価の直前の時期は寝られなくなるんです。
わたしの評価で多くの部下が傷つき、腹を立てるのは目に見えています。
事態を悪化させてしまうだろうと。
でも、あなたの話を聞いてすぐに、自分は観察と評価を取り違えていたんだ、って気づいたんです。
それで、慌てて書類を回収しに行ったというわけです。
秘書が入力する前にね」彼の話は続きました。
「昨夜は午前2時まで考えていました。
どうすれば、診断や批判を交えずに、部下の行動のなかでわたしの気に入らないことを明確に伝えられるだろうって」当事者たちが顔を合わせようとしない場合リーダーにはどちら側につくか選ぶよりも難しい仕事がある。
両側を結びつけなければならないからだ。
──ジェシー・ジャクソン(公民権運動家)社会を変えようとする活動における最大の課題とは、突き詰めれば、当事者たちを──家庭でも企業でも政府においてでも──1つの場に集めることです。
真面目な話、実際にそれがいちばんの難題なのです。
スイスのあるリゾートホテルを支援しに行ったときのことです。
キッチンのマネージャーたちが、別の部署のあるマネージャーと対立していました。
ホテルのオーナーは、2つの派閥をミディエーションする場を設けることを望んでいましたが、どちら側も顔を合わせることを断固拒否しています。
そこでわたしは、片方のマネージャーの1人と会って、NVCを使って相手側の人のロールプレイをしました。
目の前のマネージャーに、わたしは共感をもって耳を傾け、その人のニーズへの理解を、批判や決めつけを交えずに伝えたのです。
わたしはこのやりとりをテープに録音していました。
そして、本人の許可を得たうえで、テープを相手側のところへ持参して再生しました。
そのあと、同じ手順をもう一方の側とも行いました。
わざわざこんなことをしたのは、両者が1つの部屋に集まってくれそうかどうか、見きわめたかったからです。
ところが、こんなふうにわたしが行ったり来たりしただけで、なんと、対立は解消されてしまったのです。
わたしが「一堂に会してもらう」ために創造的に工夫しなかったら、このようなことは何ひとつ起きなかったでしょう。
感謝感謝は豊かな人生の扉を開く。
わたしたちの持ち物を、満足以上をもたらすものに変える。
否定を受容に、混沌を秩序に、困惑を明確さに変える。
食事をご馳走に、家屋を家庭に、見知らぬ人を友人に変える。
昨日に意味を与え、今日に安らぎをもたらす。
そして、明日へのビジョンをつくり出す。
──メロディ・ビーティ(作家)感謝は、社会の変化に欠かせないもう1つの要素ですが、NVCの精神性を支えるうえでも重要です。
NVCのやり方で感謝を表明したり、感謝を受け入れたりできるようになると、膨大なエネルギーを得られるようになります。
そのエネルギーは、社会を変える活動を続けるのに役立ち、さらには、悪の勢力を倒そうという意識ではなく、つくりたい未来の美しさに寄り添い続けることを可能にするのです。
わたしが初めて感謝の大切さを思い知ったのは、アイオワ州で精力的に活動するフェミニスト・グループを支援したときです。
そのグループの実績を高く評価していたわたしは、社会を変える活動へのNVCの活用法を教えてほしいと依頼されて、たいへん光栄に感じていました。
ところが、いざ3日間をともに過ごしてみると、気がふれそうになることが1つありました。
その人たちは、毎日、少なくとも数回はワークショップを中断して、感謝を口にし、盛大に祝福し合うのです。
一方、わたしはというと、問題だらけの世界をどうにかしたいという思いで頭がいっぱいでしたから、いちいち中断して祝福を表現されたりすると、苛立ちを覚えずにいられません。
世のなかには人種差別や性差別が蔓延し、変えるべきことが山ほどあるのです。
何が必要なのかを考えることに没頭していたわたしには、喜びを称え合っている余裕などありませんでした。
3日目のワークショップを終えて、グループのリーダーと食事をしていると、こんなことを聞かれました。
「わたしたちとの時間は、いかがでしたか?」わたしはこう答えました。
「あなたたちの活動にはとても感心しているんですよ。
だから、呼んでいただいてうれしかった。
ただ、1つ戸惑ったことがあります。
皆さんは、ワークショップを頻繁に中断して喜び合ったり、感謝したりしていましたよね。
どうもわたしはそういうのに慣れていなくて」「マーシャル、その点を話題にしてくださってうれしいです。
お話ししたいと思っていたので。
あなたは、社会を変えようとする活動のなかで、こんなことが気になった経験はないでしょうか?おぞましい問題に没頭しすぎるあまり、そこからのエネルギーを拠り所にしてしまって、人生の美しい面に目を向けるのを忘れてしまっていることです。
わたしたちがこの活動において感謝を忘れないようにしているのは、そういうわけなんです。
もちろん、取り組むべき問題がたくさんあるのは、わかっています。
でも、誰かの行動がわたしたちの活動を支えてくれているなら、それが何であろうと、一度立ち止まって、その行動に感謝する時間を持つようにしているんです」この話を聞いて振り返ってみると、わたしの意識を形づくっていたのは、問題がどれほど悪化しているか、なすべきことがどれほど多いか、という思いでした。
この思いにとらわれることで、自分の中に怖い人間をつくり出していたのです。
このリーダーと話をしてから現在に至るまでの約30年間、わたしはNVCのトレーニングに感謝の表現をとり入れようと努力してきました。
わたしたちが実感しているのは、感謝を表現することで、人は精神的な価値観と調和した人生を維持できるようになる、ということです。
NVCのやり方で感謝を表明し、感謝を受け取れば受け取るほど、NVCが尊重している精神性に立ち返ることができるのです。
これまで述べてきたように、わたしたちが大切にしている精神性とは、人生の目的とは思いやりのある与え合いと、思いやりのある貢献からやってくることを、あらゆる瞬間において人々に意識させるものです。
命に貢献するために力を発揮することほどすばらしいものがあるでしょうか。
それこそ、人が持っている神聖なエネルギーの現れであり、無上の喜びなのです。
すなわち、命に貢献するために力を尽くすことが。
なぜ、称賛や褒め言葉が評価として有害なのか人と人が心の底から人間らしくつながるとき、神は電気となって2人の間を流れる。
──マルティン・ブーバー(宗教学者)わたしたちが人々に伝えているのは、NVCの精神性と調和した人生の維持に役立つような形で、感謝を表現する方法や受け取る方法です。
ただしそのためには、今まで教え込まれてきた感謝の表現方法が、その種の精神性とは真っ向から対立するということを自覚している必要があります。
NVCでは、褒め言葉や称賛は避けるように提案しています。
わたしが思うに、誰かに対して、「あなたはよくやった」と褒めたり、「あなたは優しい人だ/優秀な人だ」と称賛したりすることも、やはり道徳的な判断や決めつけなのです。
そのような褒め方であってもやはり、詩人ルーミーの言う「まちがった行い、ただしい行いという思考を超えたところ」とは別の世界をつくり出してしまうのです。
称賛や褒めるために評価するような言葉は、「あなたは不親切だ/愚かだ/自己中心的だ」と言うときと同じ型なのです。
肯定形の決めつけは、否定形の決めつけと同じく相手を非人間的に扱うことではないか、というのがわたしたちの提案です。
そして、肯定的なフィードバックをご褒美として与えることはひどく破壊的な行為ではないか、とも伝えています。
称賛や褒めることで相手を非人間的に扱うのは、やめにしましょう。
この話を企業の管理職や学校の先生にすると、たいていはショックを受けます。
多くの人は、社員や生徒のパフォーマンスを上げるために日頃からたくさん褒めなさい、という研修を受けてきたからです。
たしかに、大半の生徒や社員は褒められると頑張るようになった、という研究結果もあります。
ただし、それはほんのつかの間にすぎません。
当人たちが頑張るのは、自分は操られている、これは本心ではない、心の底からの感謝ではない、と気づくまでのことです。
つまりある種の操作であり、人に何かをさせるひとつの手段なのです。
そして人が操られていると感じとってしまうと、生産性は落ちていくのです。
こうした報酬の暴力について知りたい人は、教育理論家アルフィ・コーンの著書『報酬主義をこえて(§)』を読んでみてください。
報酬が懲罰と同じ種類の暴
力であり、同じくらい危険であることがわかるでしょう。
報酬と懲罰は、どちらも人をコントロールするための手段です。
わたしたちはNVCによって力を高めることをめざしていますが、その力は相手とともにあるパワー・ウィズであって、相手を上から押さえるパワー・オーバーではないのです。
§『』、、、NVCで感謝を表現する日々の生活が幸せだから感謝するのではない。
感謝するから幸せになるのだ。
そのことにわたしたちは気づかなければならない。
──アルバート・クラーク(作家)それでは、NVCではどのように感謝を表現するのでしょうか?まず、何よりも重要なのは、その意図です。
感謝はいのちを祝福するためであって、それ以外の何物でもありません。
相手にご褒美を与えるためではないのです。
相手の行動によって、どれほど自分の人生が豊かになったかをわかってほしい。
それがこちらの唯一の意図です。
自分の人生がどれほど豊かになったかを明確に表現するためには、3つのことを伝える必要があります。
称賛や褒めることでは、この3点は明確にはならないのです。
祝福したい相手の行動は何か、その人のどんな行動が自分の人生を豊かにしてくれたかを明らかにする。
相手の行動についてどう感じているか、相手の行動によって自分にどんな感情が息づいているかを伝える。
相手の行動によって、どんなニーズが満たされたかを伝える。
以前支援していた教師たちのグループでは、わたしはこの点を明確に伝えきれませんでした。
NVC式の感謝の表現方法を話しているうちに、時間切れになってしまったのです。
ミーティングのあと、教師の1人がわたしのところにやってきて、感謝の気持ちを表しました。
目を輝かせながら「マーシャル、あなたはすばらしい」と言います。
わたしは答えました。
「それでは、役に立たないんです」「えっ?」「わたしを『こういう人間だ』と評しても役に立たないってことです。
これまでにわたしは何度も『あなたは、これこれこういう人間だ』と言われてきました。
肯定的な内容だったり、まったく肯定的じゃない内容だったりしますが、どんな人間かを伝えられても、そこから価値ある学びを得た記憶がありません。
誰であっても、学ぶことがあるとは思えないのです。
人に『あなたはこういう人間だ』と伝えられても、情報としての価値はゼロじゃないでしょうか。
でも、あなたの目を見れば、感謝を表現したいってことはわかりますよ」すると、女性教師は困惑気味に言いました。
「ええ……」「わたしは、感謝を受け取りたいんです。
でもね、わたしがどんな人間かという言葉からは、受け取れないんです」「では、何と言えばいいんでしょう?」「今日のワークショップでわたしが話したことを、覚えていますか?わたしは3つのことを聞きたいのです。
第一に、わたしのどんな行動が、あなたの人生をよりすばらしいものにしたでしょう」その教師は一瞬考えてから、こう言いました。
「あなたはとても知的な方です」「いや、それではまだ、わたしがどんな人間かについて診断を下していることになります。
わたしが何をしたか、を伝えてはいません。
具体的にわたしのどんな行動が、あなたの人生をほんとうに豊かにしたかを伝えてくれたら、わたしはあなたのフィードバックから、もっと得られるものがあるでしょう」「ああ、そういうことですか。
やっとわかりました」そう言うと、彼女はノートを取り出して、メモした2つの事柄を指差しました。
その横には大きな☆印が付いています。
「あなたは、この2つのことを言いました」わたしはノートを覗き込みました。
「そう、これなら役に立ちます。
わたしが何らかの形で、あなたの人生をすばらしいものにしたことがわかります。
次に、あなたが今この瞬間にどう感じているかを知れたら、とっても役に立ちます」「ああ、マーシャル、わたしはほっとしているし、希望を感じています」「なるほど。
では3番目について。
わたしから聞いた2つのことによって、あなたのどんなニーズが満たされたのでしょうか?」「マーシャル、わたしは、18歳の息子とつながりを持てたことがありません。
いつも喧嘩ばかりしています。
それで、どうしたらあの子とつながれるのか、具体的な方法が必要だったんです。
あなたが言った2つのことは、そのニーズを満たしてくれました」「ありがとうございます。
辛抱強く、わたしがどのように貢献できたかを理解するお手伝いをしてくれて。
自分が具体的に何をしたかを知ることのほうが、はるかに満足は大きいんですよ」この話から、「あなたはこういう人間だ」という評価を聞かされるのと、具体的に3つの事柄を伝えられることの違いが見て取れるのではないかと思います。
NVCでは、このようなやり方で感謝を表現するのです。
感謝を受け取る自分を幸せにしてくれる人たちに、感謝しよう。
その人は、わたしたちの魂という花を開かせてくれる、魅力的な庭師なのだから。
──マルセル・プルースト(作家)つぎに、NVC流の感謝の受け取り方について説明します。
どの国の人であっても、感謝の受け取り方に苦労するようです。
自分は謙虚であるべきで、自分がたいした人間であると思うべきではない、という教育を受けてきたからです。
そういう訓練を施されてきた人にとって、感謝を受け取るのは非常に難しいことです。
たとえば英語圏の人は、こちらが感謝を伝えると、たいていは怯えているように見えます。
「いや、たいしたことじゃありません。
本当に何でもないんです。
たいしたことないんです」とか何とか言って。
フランス人もヒスパニック系の人もスウェーデン人も、同じことを言います。
わたしは、世界のあちこちで、こう尋ねてきました。
「感謝を受け取るのに、なぜそんなに苦労するんですか?」すると、「自分が感謝に値するとは思えないからです」という答えが返ってきます。
「値する」とは、とても恐ろしい考えです。
何かを得るには稼ぐべきだ、という考えです。
だから、自分がそれを得るのに十分稼いだかどうか不安があるうちは、感謝を受け取ることもできないのです。
あるいは、こう言う人もいます。
「謙虚でいることの、何が悪いんですか?」そこでわたしは答えます。
「あなたの言う謙虚さの意味にもよります。
謙虚さには種類があって、ある種の謙虚さは不幸であると思います。
なぜなら、わたしたちが持っている力を、美しさを、見えなくするからです」わたしは、イスラエルの元首相ゴルダ・メイアがある閣僚に語った、見せかけの謙遜についての言葉が好きです。
「謙遜する必要はありません。
あなたはそれほど偉大ではないのだから」。
そして、人が感謝を受け取ることに苦労する最大の理由は、(「内なる平安のための財団」が刊行した)『奇跡講座(§)』に力強く綴られた、「わたしたちを最も恐れさせるのは、闇ではなく光だ」という言葉に表れていると、わたしは考えています。
悲しいかな、わたしたちは生まれてこのかた、道徳的な判断・決めつけにもとづく世界で教育を受け、報復的司法、懲罰と報酬、「値する」という意識を植えつけられてきました。
そうした評価の言語を内在化してしまっているから、その枠組みの内部に身を置いたまま、自己の美しい本質とつながり続けることに苦労するのです。
NVCは、1人ひとりの内面にある力や美しさと向き合う勇気を、教えてくれるのです。
§『(テキスト普及版、上下巻)』、、、、
おわりに人類は、復讐、攻撃、報復を断ち切る方法を、人間のあらゆる対立において発展させなければならない。
その土台となるのは、愛だ。
──マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(公民権運動家)この本では、3つのレベルでいのちとつながれば、平和を生み出せること──そして、そのために1人ひとりがどうすればいいか、について見てきました。
自分の内面において、自分のいのちとどのようにつながり、自分を責めたり罰したりするのをやめて、至らなさや失敗から学べるか。
NVCのトレーニングでは、自分自身の内側に平和を生み出す方法を伝えています。
内側の世界を平和にできなくても外側の世界と平和的につながることはできる、という楽観的な考えは、わたしは持っていません。
相手との間に、思いやりのある与え合いが自然に発生するような、人生を豊かにするつながりをどのようにつくれるか。
企業や司法や政府のような、わたしたちがつくってきた構造をどのように変えていくか。
これらの構造は、平和で人生を豊かにするつながりを、人々の間に生む妨げになっているのです。
NVCのトレーニングでは、これら3つのレベルでの実践方法を学びます。
すなわち、思いやりのある与え合いを支えて生み出せるように、自分自身の内面で実践し、他者とともに実践し、構造のなかで実践する方法です。
わたしが読者に気づいてほしいのは、国内的にも国際的にも、既存のものとは違う経済システムが必要であるということです。
参考文献として、デビット・コーテンの著書『ポスト大企業の世界(§)』と『グローバル経済という怪物(§)』、ポール・ホーケンの『自然資本の経済(§)』、マーガレット・ウィートリーの著書をお勧めします。
これらの本を通じて、今とは違う経済システム、すなわち平和を格段にもたらし、この星を守るようなシステムは可能なのだ、と感じてくれることを願っています。
そして、その新しいシステムはすでに手の届くところにあると感じて、このゴールに向けてわたしたちの取り組みに参加してくれることを、切に願っています。
さらに、本書を通じて、修復的司法に対する理解が深まっていることを願っています。
現行の司法制度は、壊滅的なものです。
暴力を防ぐどころか生み出しているにもかかわらず、大半の人々は、無秩序か既存のシステムかのどちらか一択しかないと思っています。
つまり、罰や処刑がなければ無秩序状態に陥ってしまう、と考えているのです。
万人の安全性を高めうる修復的司法にもとづいて、司法制度をつくるためのより強力な方法はあるのだということに、気づいてほしいと願っています。
まとめると、わたしはすべての人に、以下の2点への理解を深めてほしいと願っているのです。
根本的に新しい経済システム 現在この地球に多大な苦しみを与えているものとは異なる、新しい司法制度わたしは、イエズス会の司祭テイヤール・ド・シャルダンがそうだったように、平和な世界は可能であるだけでなく、必然であると信じています。
わたしたちはその方向に進化しているでしょう。
もちろんテイヤール・ド・シャルダンは古生物学者だったので、非常に辛抱強かったのです。
何万年というスケールでものを考えていたのですから。
世界のいたるところで暴力が起きていることを知らなかったわけではありませんが、彼は暴力を、何万年という進化の過程のつまずきと捉えていました。
彼もわたしも、人類は平和に向かって進化していると捉えていますが、わたしは彼ほど辛抱強くないので、何千年も待ってはいられません。
どうすれば進化のスピードを上げられるかに、興味があるのです。
とはいえ、平和な世界は不可避であり、その方向に向かっているとは考えています。
ただし、その世界が実現する前に、人間が地球を破壊しなければの話です。
わたしは、CNVC(CenterforNonviolentCommunication)の仲間たちとともに、これからもこの知恵を広げ続けていきます。
外側の平和な世界を支え、維持していくための支えとなる、内面の世界を人々がつくり出すことができるように。
わたしたちがこの活動を続けていくのは、皆さんに、人間関係に平和をもたらす方法を知ってほしいからです。
そして、思いやりに満ちた交流、思いやりに満ちた資源の交換、思いやりに満ちた司法を可能にする構造をつくり出す力は、皆さん1人ひとりに宿っているのです。
§『──』、、、、§『──』、、、、§『──「」』、、、、
訳者あとがきこのあとがきを読んでくださる方へ、最初にお伝えしたいのは、感謝の言葉です。
私たちが情熱を傾けて学び、実践している「平和のことば=NVC」に興味を持ち、本書を手に取り、読んでくださって、本当にありがとうございます。
NVCは「人生をよりすばらしいものにする」ゲーム日本では今では、数多くの人がそれぞれの情熱を持ってNVCを伝え、豊かな多様性のある学びの環境が生まれています。
そして、それぞれの人が思い思いの形でNVCを伝える中で、その源流である、創始者のマーシャルが、どんな想いからNVCを作り、どのような世界を目指していたかを、この本を通じて受け取ってもらえたらと願っています。
私たちが皆さんに受け取ってほしいエッセンスは「人生をすばらしいものにする(makinglifewonderful)」という言葉に集約されると思っています。
著者のマーシャルがよく言っていたのは、「NVCを実践するあらゆる行動が、それを行うことによって自分や相手の人生をどのようにすばらしいものにするかというビジョンに動かされたものであってほしい」ということです。
この本の「はじめに」で示される2つの問いに、そのエッセンスが具現化されています。
まず「わたしたちの内面で何が息づいている・生き生きしているか?(What’saliveinus?)」という問いに答えることで、今この瞬間のお互いの感情とニーズにつながることができます。
そして、その感情とニーズにつながって初めて、今この瞬間のニーズを満たすためにいったい何ができるのか、「人生をよりすばらしいものにするために何ができるのか?(Whatcanwedotomakelifemorewonderful?)」ということを具体的に考えられるのです。
ここで大切なのは、自分ひとりのニーズだけではなく、関わっている人全員のニーズを大切にする形で物事を運ぶことです。
『人生』は、自分個人の人生だけではなくて、そこに関わる人たちの人生の総体を指しています。
私たちが慣れ親しんできた、「間違った行いをした人は、相応の罰を受けるべきだ」という報復的世界観のことをマーシャルは「どちらが正しい?ゲーム」と呼んでいました。
対立が起こり、お互いがわかりあえないとき、どちらが正しいのかで言い争いが起こってしまいます。
その代わりに彼が提案したのは、「人生をすばらしいものにするゲーム」です。
そのゲームは、全員が活かされ、より代償が少なくもっと効果的に物事を進めることができ、より楽しいものです。
それがNVCを動かすオペレーティングシステム(OS)なのです。
また、「どちらが正しい?ゲーム」では、正しい人の言うことに従う「べき」だという考えを持ちやすいのですが、マーシャルは「人生たかだか数十年、『するべき』や『しなければいけない』で生きるには、あまりにも短すぎるよ」ともよく言っていました。
では、「するべき」や「しなければならない」とは違うあり方で生きるためには、どうしたらいいのでしょうか?私たちは、自分の感情とニーズとつながって、そこから行動を起こすこと、つまりその瞬間自分の心に何が起こっていて、どこに行きたがっているかに耳を傾けることで、自分に正直に生きることだと思っています。
NVCを使って自分を、そして世界を、新たな目で見ることができるようになってもらいたい、というのが私たちの願いです。
実践を進めるためのヒントとはいえ、この本を読んだあとに日常生活で使いたいと思っても、何から手をつけたらいいかわからない、誰かと話すときに実践するのが難しい、と感じる方がいるかもしれません。
実は、私たちが最初にNVCに出合ったときも、そう感じました。
最初からすべてのことを理解できたわけではないし、今でもうまくできないと思うことがよくあります。
これから、私たちが少しずつ学ぶなかで見えてきた、日々の実践で役に立ったことを、いくつかご紹介したいと思います。
相手と対話する前に、「自分のなかで何が息づいているか」を言葉にすることを練習する日常生活でNVCを使おうとすると、「相手にとって自然な表現で伝えるのが難しい」と感じることがよくあります。
なぜなら、NVCの文法に沿った形で「感情」「ニーズ」「リクエスト」を伝えようとすると、どうしても日常的な言葉遣いとは異なる、独特な表現になるからです。
また、「相手から思ったような反応が返ってこないとき」も、NVCは難しいと感じるかもしれません。
せっかく勇気を出して、相手のニーズを尋ねてみたり、自分の中で息づいているものを表現してみたりしても、相手からの反応が、自分が期待していたつながりを作れそうなものではないと、がっかりしてしまうこともあるでしょう。
そんなときにお勧めなのは、まずは相手に何かを伝える前に「自分のなかで何が息づいているかを、NVCの文法を使って言葉にすることを練習する」です。
具体的には、「自分のなかでいま何が息づいているか」を意識するために、自分がいだいている感情やニーズを心の中で言葉にしてみてください。
すぐに適切な表現が見つからなかったら、本書の巻末にあるニーズのリストを眺めて、ぴったりくるものを選んでもいいでしょう。
たとえば、誰かから言われた言葉で自分が傷ついた、としましょう。
そのときは、「相手の何が悪いんだろう」「自分のどこがいけなかったんだろう」と考える代わりに、「自分の感情とニーズは何だろう」と考えたり、リストから探ってみてください。
ひょっとしたら、「悲しい」という感情が自分の中にあって、「思いやりを求めている」というニーズがあるのかもしれません。
このように、心の中で感情やニーズを言葉にすることができたら、次は感情やニーズをすぐに伝えるのではなく「自分の中で味わう」ということをやってみてください。
味わうとは、「自分には悲しみがあったんだな」と受け止めたり、「自分にとって、思いやりがどれだけ大切なことなのか」「相手から思いやりを持って接してもらえたら、それは自分にとってどんなにすばらしい体験だろうか」と思いを巡らせることです。
そうすることで、本書でも出てきたような、批判や非難を含まない純粋な「甘い痛み」につながって、その痛みの後ろにある、ニーズが満たされたらそれはどんなに素敵なことか、という思いから行動を起こすことができるのです。
「自分にとって、いま何が大切だろう?」と問いかけてみるときには、感情やニーズについて、考える時間や心の余裕がないこともあるでしょう。
そういうときには、シンプルに「私にとって(あるいは相手にとって)、いま何が大切だろう?」と自分に問いかけてみることが役に立ちます。
なぜなら、その瞬間に「自分にとって大切にしたいこと」は、ある種のニーズだからです。
もし大切にしたいことが、すぐにわからなかったとしても、「自分には、この瞬間に何かとても大切なことがある」と思うだけで、心を落ち着かせるのに役立つかもしれません。
社会独特の文化や振る舞いにも、ニーズがあると考える本書で勧められている対話の仕方は、日本文化でよしとされるやり方と合わないこともあるのではないか、と感じる方もいるでしょう。
たとえば日本における「恥をかか
ない(かかせない)」「言わずに察せよ」などの考え方は、NVCが勧める「大切なものについて正直に語る」という価値観と、一見矛盾しているかもしれません。
そんなときでも、「文化的な振る舞いの背景には、どんなニーズがあるのだろう」と共感を持って見ることが役に立ちます。
たとえば、結婚式に呼ばれたら「恥ずかしくないようにちゃんとした服を着なきゃ」というとき、その背景には、「周りに受け入れられたい」あるいは「その場の調和を大切にしたい」というニーズがあるかもしれません。
このように背景にあるニーズを意識できるようになったら、従来のコミュニケーションの仕方では満たされなかったニーズは何か、も探ってみてください。
ひょっとしたら、「気楽さ」のニーズや、自由に着たいものを着たいという「自己表現」のニーズが犠牲になっているかもしれません。
それが見えてくると、両方を大切にする新しい道を見つけることもできるかもしれないのです。
問題解決よりも、自然な分かち合いが起こるようなつながりをつくる日常生活でNVCを使うとき、私たちが特に心がけているのは、「問題を解決しようとするのではなく、自然な分かち合いが起こるようなつながりをつくる」ことです。
ここでの自然な分かち合いとは、自分から喜んで相手に与えたいという気持ちから行動することです。
わかりあえないとき、私たちは、なんとかして解決策を見出そうとして、言葉を重ねてしまいがちです。
ですが、私たちの経験上、解決策からいったん意識の方向を変えて、「自分自身と相手の内面で何が息づいているか」と真につながることができたときに、解決策があふれ出すような状態が自然と立ち現れてくるのです。
NVCのさまざまな手法は、解決策が生まれてくることができる、お互いの人間らしさが見える質のつながりをつくる目的でデザインされています。
「お互いにとって人生をよりすばらしくするために何ができるのか?」という問いを共に探究していくプロセスを、ぜひ楽しんでほしいと願っています。
仲間を見つけようひとりで実践することはとても難しいことで、孤独を感じるかもしれません。
そんなときは、想いを共有できるような仲間を作ることをお勧めします。
興味がある人を集めて、NVCの関連書の読書会を開くこともできるでしょう。
学びを深めるために、NVCの経験者やトレーナーが開催するワークショップに参加することもお勧めです。
仲間からのサポートとつながりがある環境の中で、より実践的、具体的に、NVCの対話のあり方を学ぶことができます。
たとえば、以下の情報をチェックしてみてください。
NVCジャパン・ネットワークhttp://nvcjapan.net/NVC大学https://nvcu.jp/NVCJapanコミュニティhttps://www.facebook.com/groups/102712906495737NVCセンター(CNVC)https://www.cnvc.org/(英語)共に歩む旅路本書の出版のための最初の話し合いから3年。
私たちはいま、大きな感謝と感慨の中にいます。
私たちにとって、この本の出版は、ただ1冊の本の翻訳を超えた、17年間の、多くの人たちの努力が織りなす壮大な物語のような、チームワークの成果なのです。
私たちとNVCの最初の出合いは、2004年、NVCセンター(CNVC)認定トレーナーのリタ・ハーツォグさんが来日したときでした。
安納が彼女の通訳を担当し、「その人の中に何が息づいているか」を何よりも大切にする彼女の佇まいに大きな感銘を受け、NVCのことをもっと学びたいと思うようになりました。
しかし、当時の日本では、学べる場所も日本語の資料もありません。
私たちは仲間を募り、海外へ学びに行ったり、また日本に講師を招聘してワークショップを開催したりしながら、手弁当で日本にNVCの知恵を共有していきました。
そのなかで気づいたのは、共に学ぶ場自体の価値です。
NVCを学び、実践する人が集う場には、ありのままをあたたかく受け入れてもらえる安心感と、共に未来を創っていける希望がある。
世界が、今までと違う、可能性に満ちた場所に見えてくる。
それが私たちに力を与え、周りに伝えたいという熱意を生み出したのだと思います。
草の根の活動は少しずつ実を結び、今や日本各地で自発的な勉強会やトレーニングが開かれています。
2012年には、日本で初めてのNVCの本となるマーシャル・ローゼンバーグの『NVC──人と人との関係にいのちを吹き込む法』(日本経済新聞出版、2018年に新版が出版)を翻訳出版しました。
2014年と2017年には、世界各地から実践者が集う100人規模、10日間の国際集中トレーニング(IIT)が日本で開催されました。
2021年9月現在、今井、鈴木、安納を含む6人の日本人認定トレーナーがおり、今後もさらに増えていくでしょう。
この17年を思い返すとき、私たちにとって感慨深いのは、その広がりのあり方です。
NVCは、誰かひとりの強力な人や、大きな組織が広めたのではありません。
最初のひとりが受け取って感激し、自ら場を作って伝える。
そこで次の人が受け取り、自らまた次の誰かに伝えてゆく。
そうして、いのちの灯がひとからひとへ灯るように、たくさんのひとの喜びからの努力で、大きな動きが起こっていったのです。
この本の出版の機会は、その積み重ねの上に生まれました。
本書は、マーシャルの前著『NVC──人と人との関係にいのちを吹き込む法』とともに、多くの日本人が翻訳出版を切望していた本です。
原題の「SpeakPeaceinaWorldofConflict」を短くして、私たちは「SpeakPeace」と呼んでいました。
2018年春、鈴木と安納は友人の信岡亮介さんから、海士町のまちづくりに取り組む「風と土と」という会社が新たに出版社を立ち上げることを聞き、思い切って「SpeakPeace」を出版の候補に入れてもらえないか、尋ねてみたのです。
そして、鈴木と安納が信頼する仲間であり、かねてからこの本の出版を望んでいた今井をこのプロジェクトに迎えました。
島根県の離島、海士町から、日本、そして世界へ、今の世界に本質的に必要な知恵の風を送る出版社、それが新しく生まれた「海士の風」でした。
私たち3人が、風と土と、そして出版をサポートする英治出版のみなさんに初めてお会いして、その志に心を打たれた日のことを、いまも鮮やかに覚えています。
「それぞれの土地の、それぞれの人が、自ら立ち上がって、望む未来を創るために行動を起こす」このビジョンはまさに「SpeakPeace」が伝える、NVCの根幹となるメッセージにぴったりだと思いましたし、海士の風での出版も決めてくださいました。
この本を出版する過程はそれ自体が、NVCのプロセスの実践でした。
訳者3人は、海士の風のプロジェクトメンバーと対話を重ね、人間的なつながりを創りながら、作業を進めました。
文字通り一文一文、一語一語について、ときにはたった一語に何時間も費やして、マーシャルの意図に沿ったものか吟味しました。
「マーシャルが生きていてくれたら、尋ねることができるのに!」と何度思ったことでしょう。
意見の齟齬が起こったときには、互いにとって大切なものをていねいに聴き、そこから、思いもかけなかった、新しいエネルギーあふれるやり方を見つけ出しました。
海士町にも何度も足を運び、顔を合わせて話し、勉強会をして、美味しいものを食べて過ごした時間も忘れられません。
出版というプロセスを通じて、深い信頼とつながりで結ばれた仲間を得たこと。
それが、NVCの精神を生きることで得られた、大きな収穫であり、感謝しています。
3年にわたる本づくりを支えてくれた方々に、心からの感謝を捧げます。
まず何よりも、初めての出版プロデューサーとして、すべてを一から学びながら、ときに複雑で困難な状況のなか、すべての人を大切にしてくれながら出版まで導いてくださった、萩原亜沙美さん。
編集者として、多くの経験に培われた、的確な助言をくださった下田理さん。
私たちの長い翻訳プロセスに、忍耐づよく、静かな存在感を持って共にいてくれ、その意図を十二分に表す、美しいデザインを描き出してくださった、香庄謙一さん。
そして風と土とと英治出版のみなさん。
この方々の尽力がなければ、本書がこのような形で世に出ることはなかったでしょう。
感謝を伝えたい人は、この紙面には到底載せきれません。
ここまでに名前を挙げた方々の他に、日本でNVCを実践し、紹介するために貢献している、認定トレーナーの小笠原春野さん、後藤ゆうこさん、後藤剛さん、そして本当はすべての方の名前を載せたい、日本のプラクティショナーのひとりひとりに。
この本の出版の機会をつくり、志半ばで亡くなった、親友の勝本敬造さん。
海外から日本のNVCコミュニティをサポートし続けてくれた、ミキ・カシュタンさん、ジム・マンスキーさん、ジョリ・マンスキーさん、ロキシー・マニングさん、キャサリン・シンガーさん、ほか多くの認定トレーナーの方々。
そして何より、すべてを生み出した、著者のマーシャル・ローゼンバーグさん。
そして最後に、私たちらしいやり方で、情熱を傾けて翻訳を成し遂げた、私たち自身に、万感を込めて、感謝を送ります。
この本は、マーシャル・ローゼンバーグ氏の、命をかけた人生の冒険の物語です。
また、「わかりあえない」状況を越えようとするとき、ひとりひとりの内面の深い癒やしから社会の変革に至るまで、さまざまな領域に光を灯す、深い世界観の提示でもあります。
そして同時に、きわめて実践的な、対話の方法の紹介でもあるのです。
どうぞ、何度でも、再びこの本を開けてみてください。
人間関係に悩んだときや、人生や世界への希望を失って落ち込み、インスピレーションが必要なとき。
対話に行き詰まり、それを打開する具体的なやり方を探しているとき。
本書での学びが、どうか、あなたの「人生をすばらしいものにする」助けになりますように。
マーシャルが繰り返し語った、この言葉を祈りとして、最後に皆さんに捧げます。
今井麻希子鈴木重子安納献
参考文献Baran,Josh(ed.).365NirvanaHereandNow:LivingEveryMomentinEnlightenment()Domhoff,G.William.WhoRulesAmerica?:PowerandPolitics()〔『』、、。
、〕Hawken,Paul.NaturalCapitalism:CreatingtheNextIndustrialRevolution()〔『──「」』、、、〕Katz,MichaelB.Class,Bureaucracy,andSchools:TheIllusionofEducationalChangeinAmerica()〔『──』、、、、〕Kohn,Alfie.PunishedbyRewards:TheTroublewithGoldStars,IncentivePlans,A’s,Praise,andOtherBribes()〔『』、、〕Korten,David.ThePostCorporateWorld:LifeAfterCapitalism()〔『──』、、、〕Korten,David.WhenCorporationsRuletheWorld()〔『──』、、、〕Macy,JoannaR.ComingBacktoLife:PracticestoReconnectOurLives,OurWorld()Szasz,Thomas.TheMythofMentalIllness:FoundationsofaTheoryofPersonalConduct()〔『』、、、〕Wink,Walter.ThePowersThatBe()Wheatley,MargaretJ.FindingOurWay:LeadershipforanUncertainTime()Wheatley,MargaretJ.TurningtoOneAnother:SimpleConversationstoRestoreHopetotheFuture()
NVCセンター(CNVC)についてマーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって1984年に設立されたNVCセンター(CNVC)は、「すべての人のニーズが平和的に満たされる世界」をビジョンとする国際的な非営利の平和創造団体です。
CNVCは、非暴力コミュニケーション(NVC)の世界的な普及を支援するために尽力しています。
NVCは現在、地域社会、学校、刑務所、ミディエーションセンター、教会、企業、専門家会議など、世界中で教えられています。
故ローゼンバーグ博士は、毎年250日以上を費やして、世界で最も貧困に追いやられ、暴力に苦しむ地域でNVCを教えてきました。
今では世界70以上の国で、数百名の認定トレーナーとそれを上回る数のサポーターたちが、何十万もの人々にNVCを教えています。
CNVCは、NVCのトレーニングが、思いやりのある平和な社会を作り続けるための重要なステップであると信じています。
米国での税金控除の対象となる寄付は、CNVCが世界の最も貧しく暴力的な地域でトレーニングを提供し続けるのに役立てられます。
またこの寄付は、必要性の高い地域や人々にNVCトレーニングを提供するための、組織的なプロジェクトの開発と継続にも活用されます。
CNVCは、世界のNVCの継続的な成長をサポートするために、多くの貴重なリソースを提供しています。
米国での税控除の対象となる寄付や、利用可能なリソースについての詳細は、CNVCのウェブサイトwww.CNVC.orgをご覧ください。
詳細については、CNVCにお問い合わせください。
電話:5052444041(米国内からのみ:8002557696)Fax:5052470414メール:cnvc@cnvc.org.ウェブサイト:https://www.cnvc.org/
NVCについて非暴力コミュニケーション(NVC)は、寝室から会議室まで、教室から戦場まで、日々、人々の人生を変えています。
NVCは、暴力や痛みの根本を平和的に理解するための、わかりやすく効果的な方法を提供します。
私たちの言動の背後にどんな満たされていないニーズがあるのかを再認識することで、NVCは、敵意を減らし、痛みを癒やし、仕事や個人的な関係を強めるのに役立ちます。
NVCは、私たちが表面下に到達し、自分の中の生き生きとした、大切なものを発見することを助け、あらゆる行動が、私たちが満たそうとしている人間のニーズに基づいていることを教えてくれます。
NVCでは、感情やニーズを表す語彙を身につけることで、自分の内面で起こっていることを、より明確に表現できるようになります。
自分のニーズを理解し、それを認めることで、より満足のいく人間関係を築くための共通の基盤を築くことができます。
このシンプルでありながら革命的なプロセスによって、人間関係と人生を改善した世界中の何千人もの人々に加わってください。
「わかりあえない」を越える目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC電子版発行日2021年12月8日著者マーシャル・B・ローゼンバーグ訳者今井麻希子(いまい・まきこ)鈴木重子(すずき・しげこ)安納献(あんのう・けん)発行人阿部裕志発行海士の風(株式会社風と土と)〒684-0403島根県隠岐郡海士町大字海士1700-2https://amanokaze.jp/発売英治出版株式会社〒150-0022東京都渋谷区恵比寿南1-9-12ピトレスクビル4Fhttp://www.eijipress.co.jp/プロデューサー萩原亜沙美スタッフ浅井峰光岡本夕紀佐川洋介長島威年吉村史子アドバイザリーチーム岩佐文夫香庄謙一原田英治眞鍋邦大編集協力下田理(英治出版)翻訳協力浦谷計子、株式会社トランネットhttp://www.trannet.co.jp/装丁香庄謙一校正小林伸子制作有限会社ワイズネット©2021MakikoImai,ShigekoSuzuki,KenAnno●海士の風『「わかりあえない」を越える目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』(2021年12月8日第1版第1刷)に基づいて電子版は制作されました。
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