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第Ⅱ部NVCの応用

内なる変化をもたらす自己教育による成長自分の「過ち」への自己共感過去の傷を癒やす──嘆きと謝罪の違い共感をもって他者とつながる相手のメッセージに応える他者の内面にある美しさを見る何に変化を起こしたいのかギャングとその他の支配構造わたしたちはどうしてこうなったのか学校で変化を起こすゲットーのギャングと対話する社会制度を変える敵のイメージを変容し、つながりを生み出す敵対する部族のミディエーションテロリズムに取り組む

内なる変化をもたらす自己教育による成長教育は人生のための準備ではない。

教育は人生そのものなのだ。

──ジョン・デューイ(哲学者)ここから、以下のようなものに変化を起こすためにNVCがどのように役立つか、見ていきましょう。

 自分自身の内面 自分の価値観とは相いれない行動をしている相手 自分が生きている社会構造第1部では、まずNVCの目的について述べました。

それは、「思いやりのある与え合いが可能になるようなつながりをつくり出すこと」です。

次に、そうした生き方に必要な、基本的なリテラシーを明確にしました。

つまり、「感情」「ニーズ」「リクエスト(要求・お願い)」がどういうものか、それらをどのように表現するかについて述べました。

表現する際に大切なのは、3つの要素を「贈り物」として差し出すことで、こちらの内面で何が息づいているかが相手に伝わるようにすることです。

なぜ「贈り物」なのでしょうか。

それは、どんな行動が人生をより豊かにするかを相手が理解できれば、相手はこちらの幸福に自らの意志で貢献するチャンスを得られるからです。

そして、すでにお話ししたとおり、共感的なつながりを通じて、人はその贈り物を他者から受け取ることができます。

たとえその人がきわめて暴力的な言語を使っているとしても、です。

これからNVCが変化にどう役立つかを見ていくうえで、覚えておいてほしいことがあります。

相手がこちらの望むように行動を変えるとすれば、その人の動機は「今よりも少ない代償で、自分のニーズを満たすよりよいやり方に気づいたから」であってほしいのです。

行動を変えなければ罰せられそうだからとか、「罪悪感」を抱かされそうだという恐れからではなく。

それではこれから、「自己の内面で生じる変化」「こちらの価値観と相いれない行動をしている相手」「こちらの価値観とは相いれない形で機能している社会構造」について、順番に見ていきましょう。

まずは、自分自身について。

最近、自分がやってしまった失敗、つまりやらなければよかったと後悔している行動を1つ思い出してください。

そして、「やらなければよかったと思う行動をしてしまった自分自身を、わたしはどう教育するだろうか」と考えてください。

つまり、その行動を後悔した瞬間に、あなたは自分に何を伝えるか、ということです。

以前のトレーニングセッションでこんなことがありました。

わたしは、NVCをどのように活用すれば、自尊心を失わずに自分の至らなさから学べるかについて、話していました。

すると1人の女性が、その朝、子どもに怒鳴り散らしてしまったと打ち明けてくれました。

彼女は、言わなければよかったことを言ってしまったし、子どもの眼差しからその子が深く傷ついているのが見てとれた、と話しました。

わたしはこう尋ねました。

「その瞬間、ご自分をどう教育しましたか?自分自身に何と言ったのでしょう?」すると女性は答えました。

「心のなかで『わたしは何てひどい母親なんだろう。

自分の子どもに向かって、そんなふうに話しかけるべきではなかった。

どうかしてるんじゃないの?』って言いました」残念ながら、多くの人がそうやって自分を教育しています。

権力者の好まない行動をとったときに他の人から受ける教育と同じことを、わたしたちは自分自身に施しているのです。

他者から非難されたことや罰せられたことを、自分の考えとして取り込んでしまいました。

その結果、罪悪感や恥の意識、あるいは別の暴力的で強制的なやり方で、自分を教育するようになってしまったのです。

自分自身でも、暴力的な方法で自分を教育していることに気づいています。

どうやってそれがわかるのかって?それは、3つの感情が教えてくれるからです。

気持ちの落ち込み、罪悪感、恥の意識です。

わたしが思うに、人がしょっちゅう落ち込んでいるのは、病気だからとか、何か問題を抱えているからではありません。

むしろ、道徳的な判断・決めつけによって自分を教育したり、自分を責めたり、この母親のような考え方を教え込まれてきたからです。

彼女は、わが子に怒鳴り散らすような行動をとるのは、自分がどうかしている、悪い母親なのだ、と自分に言い聞かせたのです。

ちなみに、わたしはよくこんな話をします。

「わたしは地獄についてこんなふうに捉えています。

子どもを持ったときに、『よい親像』というものがある、と考えることです」。

そんなふうに考えてしまうと、大半の時間を落ち込んで過ごすことになります。

なぜなら、「よい親」になるのは大変な仕事だからです。

それを重視しすぎるあまり、わたしたちは、やらなければよかったと思うような行動を何度も繰り返してしまうでしょう。

だからこそ、わたしたちは学ぶ必要があるのです。

ただし、自分自身を憎むことなく。

罪悪感や恥の意識からの学びの代償は、高くつきます。

今さら、これまでの学びをなかったことにはできません。

すでにわたしたちの内側に取り込まれてしまっているからです。

暴力的な決めつけによって自分を教育するように、わたしたちは訓練を受けてしまっているのです。

NVCのトレーニングでは、そんな風に自身に語りかけているときに一度立ち止まり、決めつけに光を当てて、自分が自分に何を語りかけているのかを見る方法を教えます。

そうすると、自分がどのように自己教育をしているか、どれほど自分を罵ったり自分がおかしいと考えたりしているかに気づきます。

つぎに、これらの決めつけの裏側を探り、根っこの部分にあるニーズに目を向ける方法をお伝えします。

つまり、「自分のとった行動によって、どんなニーズが満たされなかったのか」を探るのです。

わたしが例の母親に尋ねたのは、まさにそれでした。

「お子さんにそんなふうに話してしまったことで、あなたのどんなニーズが満たされていなかったのでしょう?」わたしが少し手助けすると、彼女は自分のニーズに気づきました。

「マーシャル、わたしには、人をリスペクトする、敬意をもって接するという心からのニーズがあります。

相手がわが子であればなおさらです。

あんな話し方では、人をリスペクトするというニーズを満たしていません」「自分のニーズに気づいた今、どんな気持ちですか?」

「悲しいです」「今のその悲しさを、さっき話していたことと比べると、どんな感じがしますか?先ほどは、自分はひどい母親だなど、いろんな言葉で自分を批判していました」「甘い痛み(§)のようなものですね」「そう、それは自然な痛みですからね」自分の行動によって満たされていないニーズがあると気づくことを、わたしは「嘆き」と呼んでいます。

自分の行動への嘆きです。

ただし、それは自分を責めずに嘆くことです。

あの行動は自分のどこかが間違っているせいだ、という考えを伴うものではありません。

わたしの手助けでニーズとのつながりに気づいた人は、たいてい、この母親と同じような痛みを口にします。

非難や決めつけによって自分を教育しているときに生じる、気分の落ち込みや罪悪感や恥の意識とは違って、甘い痛みのようなものを感じるようになるのです。

続いて、わたしはその母親に、自分がしたことへのもっともな理由に目を向けるように促しました。

すると彼女は「え?」と答えました。

わたしは繰り返しました。

「あなたがしたことのもっともな理由です。

それを考えてみましょう」「おっしゃる意味がわかりません。

自分の子どもにあんなふうに怒鳴り散らしたんですよ。

『もっともな理由』ってどういう意味でしょう?」「わたしたちは、それなりの理由もなく行動しません。

それを念頭に置いておいてください」どんな人であっても、もっともな理由もなく行動をとることはない、というのがわたしの考えです。

では、もっともな理由とは何か?ニーズを満たすことです。

わたしたちの行動はどんなことでも、自分のニーズを満たすための試みなのです。

「お子さんに今朝のような話し方をしたとき、あなたはどんなニーズを満たそうとしていたのでしょうか?」「わたしがやったことは正しかったと言うんですか?」「子どもにそういう話し方をするのが正しかった、と言っているのではありません。

その行動によって、どんなニーズを満たそうとしていたのか、それに気づけるようになりましょう、と提案しているんです。

自分の行動からできるかぎりの学びを得る方法が、2つあります。

1つ目は、自分の行動によって満たされなかったニーズに気づくこと。

2つ目は、その行動によって満たそうとしていたニーズに意識的であること。

この2つのニーズに気づきの意識を集中していられたら、自尊心を失わずに自分の至らなさから学べるようになるでしょう」わたしは続けました。

「では、あなたがお子さんに声を上げたとき、どんなニーズを満たそうとしていたのでしょうか?」「マーシャル、わたしには『わが子がいつでも守られていてほしい』というニーズがあります。

あの子が行動を改めてくれないと、たいへんなことになるんじゃないかと心配でたまりません」「なるほど、あなたはお子さんに健やかであってほしいという切実なニーズを持っていて、そのために尽くそうとしていたんですね」「でも、あのやり方はひどかったわ。

あんな風に怒鳴り散らしてしまうなんて」「やったことを心のなかで悔いている自分がいるという点はすでに確認しましたよね。

敬意をもって他者と接するというニーズが満たされていなかった、と。

では、その行動によって満たされたニーズが何だったのかに意識を向けてみましょう。

あなたはお子さんを大切に思っていますね。

お子さんに健やかであり続けほしい」「そうです」「そんなとき、『どのように行動していたら、両方のニーズを満たすことができただろう?』と自分に問いかけてみると、将来同じような状況に置かれたときにどう対処できるのかを、考えられるようになるでしょう。

その2つのニーズを思い浮かべると、自分にはもっと別の表現方法があったんじゃないかと思いませんか?」「ああ、そうか。

そうですよね。

2つのニーズに気づいていれば、まったく違う表現をしていたでしょう」このやりとりのような形で、自分の内面に取り組むときにNVCを使う方法を説明します。

まず、望ましくない行動をしてしまったときの第一歩は「嘆くこと」、つまり、ニーズが満たされずにいる自分自身に共感することから始めます。

そして、たいていの場合、それをするには、自分のなかに組み込まれてきた「決めつけ」に耳を傾け、しっかり「聞き届ける」必要があります。

そうすれば、気分の落ち込みや罪悪感や恥の意識さえも、うまく活かしていくことができるのです。

たとえばこれらの感情は、自分がいのちとつながれていないと気づくためのアラームとして使うことができるでしょう。

いのちとは、自分のニーズに触れることができている状態そのものです。

自分を非難する行為は、頭のなかで自分を相手に暴力的なゲームを繰り広げているようなものです。

自分のなかの満たされていないニーズと共感的につながることを学んだら、つぎに、そのニーズを何とかして満たそうとしていた自分にも目を向けます。

自分と相手の内面で何が息づいているかに目を向け、人生をよりすばらしいものにするために必要なステップを踏む準備をしていくのです。

そのようなニーズと共感的につながることは、多くの場合そう簡単なことではありません。

自分の内側に目を向けて、その行動をとってしまったときのことを振り返ってみると、たいていは、こんな言葉が浮かんできます。

「しかたがなかったんだ。

ほかに選択肢はなかった」。

そんなことは絶対にありえません!わたしたちはいつだって選択肢を持っています。

選択もせずに行動を起こすことはないのです。

わたしたちは、ニーズを満たすために、行動を選んでいるのです。

NVCが重視するのは、あらゆる瞬間に選択肢が存在すると認識することです。

どんなときにも、人は自分の選択で行動しているのです。

何の選択もなしに起こす行動など、何ひとつありません。

さらに言うなれば、人のあらゆる選択は、ニーズを満たすためのものなのです。

このようにNVCは、わたしたちの内面で活用することができます。

§ 甘い痛み:自分や他者への批判/非難をいっさい含まない純粋な痛み・悲しみをマーシャルは甘い痛み(SweetPain)と表現している。

自分の「過ち」への自己共感うれしいことに、わたしたちには過ちを犯すという、すばらしい特権がある。

そして、過ちに気づく知恵と、その過ちを、未来へと続く道を照らす明かりに変える力もある。

過ちは知恵の成長痛なのだ。

それなくしては、個々の成長も、進歩も、克服もない。

──ウィリアム・ジョージ・ジョーダン(作家)自分の過去の行動や経験をめぐって、たいへんな苦しみを抱えている人が大勢います。

そういう人に、苦しみの根源に触れる手助けをするときに最初に行うのは、その人が、苦しみをつくり出しているものをめぐって、どんな言葉を自分自身にかけているかに気づいてもらうことです。

その点で、NVCは、精神科医のトマス・サズが著書『精神医学の神話(§)』で述べたことと一致しています。

身体的な問題が心の健康を害する場合はたしかにありますが、精神病患者と呼ばれる人たちの大多数は、心理的な苦痛をみずからに引き起こすような思考とコミュニケーションの形を単に「たっぷり教え込まれている」にすぎません。

彼らは病気ではなく、人生をかなり悲惨なものにしてしまうような思考やコミュニケーションのあり方を習得してしまっただけなので

す。

したがって、最初のステップは、自尊心を失わずに自分の過ちから学ぶ方法を知ることです。

つまり、デトロイト育ちのわたしに言わせるなら、「ヘマすることを楽しむ方法」です。

そこで、ワークショップの参加者には、まず、自分の失敗を1つ思い浮かべてもらうことから始めます。

そういうわけで、完璧な方にはワークショップへの参加をお断りしています。

せっかく参加したのに、何にも題材がないというのでは困りますからね!まず、ワークショップ参加者には、やらなければよかったと思っている自分の行動を思い浮かべてもらいます。

つぎに、心のなかでどんな言葉を自分にかけているか、ほんの少し教えてもらえませんか、とお願いします。

人というのは、かなり乱暴な言葉を自分にかけているものですね。

乱暴な言葉を使うのは、どうやらゴルフのプレー中だけじゃないらしい。

こういう場合、皆さんからいちばんよく返ってくる答え、つねにナンバーワンのコメントは、「この大ばか者め!」です。

なんとまあ、この世は大ばか者であふれていることか。

そうかと思えば、暴力的な言葉を使う人もいます。

人間が発明した最も暴力的な言葉のひとつ「べき(should)」です。

たとえば「わたしはそうするべきじゃなかった。

もっと慎重になるべきだった」など。

「べき」という言葉は、暴力的なゲームから来ています。

そのゲームの背景には、この世にはよいものと悪いものがあり、「〇〇するべき」ものと「〇〇するべきでない」ものがあるという考え方があります。

そのゲームのもとでは、するべきことをしない人は罰を受けるべきであり、正しいことをする人は、報酬を与えられるべきなのです。

これはとてつもない苦痛を生み出します。

そこで、ワークショップの参加者には、自分が完璧ではないときに、自分に対してどんな言葉をかけているかに気づいてもらうのです。

すると、じつにさまざまな記憶がよみがえってきます。

たとえば、子どもの頃、親からしょっちゅう言われていて嫌だった言葉を、いまだに自分自身に言っていることがあります。

「そんなこと、わかってたはずでしょ」「だらしない」「ばかなやつだ」「わがままだ」「どこかおかしいんじゃないのか?」などなど。

今でも、自分が完璧ではないときに、親と同じようなやり方で自分を教育しているわけです。

失敗したとき、まず、自分自身をひどい言葉で叱責するのですから、医薬品の売り上げの41パーセントを抗うつ剤が占めるのも当然でしょう。

間違いを犯したら自分を責めよ、と教え込めば、一生の大半を抑うつ状態で過ごす人が大勢いる社会のできあがりです。

「するべきだ」の苦しみから抜け出すお手伝いをするために、NVCでは、この思考法に気づくことから始めます。

つぎに、その思考法は満たされないニーズの悲劇的な表現である、ということを示します。

つまり、自分がとった行動によって何らかのニーズが満たされず、そのニーズが特定できれば、その行動からもっと学べるようになる、ということです。

なぜなら、自尊心を失うことなく、そのニーズを満たすためにはどう行動すればよかったかを考え始めるからです。

このように、まずはその人が自分自身にどれほど暴力的な言葉をかけているかに気づいてもらい、それから、その言語をニーズの言語に翻訳する方法を知ってもらうのです。

つぎに、その人が失敗と呼ぶ行動をとったときに、どうすれば内面で息づいているものとつながれたか、について考えていきます。

言いかえれば、「その行動で満たそうとしていたニーズは何か」を明確にすることです。

こういう場合、母親はこんなふうに言うかもしれません。

「このトレーニングに遅刻しかけていて、今朝、家を出る前に子どもを怒鳴ってしまいました。

ほんとうはそんなふうに言うべきじゃなかったのに。

すごく罪悪感を感じています。

われながら、ひどい母親ですよね」「つまり、怒鳴ったことについて、あなたは自分に『ひどい母親だと思う』という言葉をかけているのですね?」「そうです」そこで、こんなふうにして、ニーズを明確にするお手伝いをします。

「あなたの何のニーズが満たされなかったのでしょうか?自分はひどい母親だ、あんな行動はとるべきじゃなかったという決めつけには、どんなニーズが表現されていますか?」「わたしは、どんな人に対しても敬意をもって接したいんです。

自分の子どもに対してはとくにそうです」「では、それが満たされなかったニーズですね」「はい」「今の気分はどうでしょう?」「ええ、さっきまでとはだいぶ違います。

悲しみを感じます。

落ち込みとか、自分に対する怒りとは違いますね」「なるほど。

では次に、考えてみてください。

怒鳴るという行動で、あなたは、どんなニーズを満たそうとしていたんでしょうか?」「ああ、それについては、どんな言い訳も許されませんよね」「とんでもない。

むしろ、もっともな理由があったはずです。

あなたがその行動をとった理由は、あらゆる人間がとる、あらゆる行動と同じ理由なんです。

つまり、その時点で自分が知っている最善の方法で、ニーズを満たそうとすることです。

その行動をとったとき、あなたにはどんなニーズがあったのでしょうか?」「そうですね。

あなたや他の参加者を尊重するために、トレーニングに間に合いたかったんです」こうして彼女は、自分が必死になっていた背景には「みんなで合意したスケジュールを守りたい」というもう1つのニーズがあったことを、明らかにできました。

このように共感をもって自分自身とつながれるようになれば、その人は、自分を批判し始めたときに、その自己批判を「満たされないニーズ」に翻訳する方法がわかるようになるのです。

自分自身に共感できるようになれば、自尊心を失わずに、つまり罪悪感を抱いたり落ち込んだりせずに自分の至らなさから学ぶことが、もっとうまくできるようになるでしょう。

それどころか、わたしに言わせれば、自分に共感できなければ、他人に共感することは非常に難しくなります。

自分の失敗について自分のどこかがおかしいと思い続けてしまうなら、相手の行為については相手のどこかがおかしいのだと思わずにいられるでしょうか?自分自身に共感し、いのちを豊かにするようなあり方で真の自己とつながり続けることができれば、「自分の行動では満たされていないニーズ」を感じとれるし、その時点で「その行動で満たそうとしていたニーズ」も見えてきます。

ニーズに意識を向けていれば、自尊心を失うことなく、ニーズを満たすことがもっとできるようになるし、他者の言動をあれこれと決めつけることを避けられるようになるのです。

NVCは、自分の実際の行動と望ましい行動が対立するときに、心の平和をつくる方法を学ぶのに役立ちます。

もし自分自身に暴力をふるってしまうならば、どうやって平和な世界づくりに貢献するというのでしょうか?平和は自分の内側から始まります。

わたしが言っているのは、心のなかの暴力的な習慣から完璧に自由になってからでなければ、自分の外に目を向けてはならないとか、より大きな社会の変化に貢献できないということではありません。

わたしたちはその2つに、同時に取り組む必要があるのです。

§『』、、、過去の傷を癒やす──嘆きと謝罪の違い嘆く暇のない者は治る暇もない。

──サー・ヘンリー・テイラー(劇作家)

NVCのトレーニングでは、「癒やし」を扱う機会がよくあります。

その癒やしは80人、90人もの参加者の前で起きるのですから、じつにたくさんの人がこのアプローチの効果を目の当たりにしていることが感じられるのではないでしょうか。

参加者たちは、それまで6年も7年も受けてきた従来の心理療法より、30~40分間のわたしのワークで得ることのほうが多いと話してくれます。

まず、ワークショップでは、過去に起きたことについてはほとんど触れません。

過去の出来事について語れば、癒やしにつながらないばかりか、心の痛みを永続化させ、増大させることも珍しくありません。

痛みを再体験するようなものです。

わたしが教わった精神分析の手法とはかけ離れていますが、長年の経験から、「今この瞬間に何が起きているかについて語ることが、癒やしにつながる」ということを学びました。

たしかに、現在の状態は過去に刺激されます。

過去が現在に影響していることは否定しません。

ただ、過去に「浸る」ことはしないのです。

では、具体的に何をするのでしょうか?わたしがよくやるのは、過去にその参加者に大きな苦痛を引き起こしていた人物の役を、わたしが演じることです。

その人物は参加者の親である場合も珍しくありません。

子どもの頃にその参加者を殴ったり、性的に虐待していたりした父親の場合もあるでしょう。

仮に、父親の行為によってずっと苦しんできた人が、今、目の前にいるとします。

わたしは苦しみの要因である人物の役を、NVCについて知っているという前提で演じます。

まず、共感をもって次のように語りかけます。

「父さんがしたことによって、A(当事者の名前)の中で今でも息づいているものは何?」このように、父親役のわたしは、過去の自分の行動について語るのではなく、過去の出来事によって、相手の心のなかに今も息づいているものについて語るのです。

参加者はNVCを知らない場合が多いので、自分の内面で息づいているものを語ろうとすると、どうしても診断を通して語ることになります。

「父さんはどうしてあんなことができたの?自分がどれだけひどい人間だったか、わかってる?父親が子どもをあんなふうに殴るなんて」そこでわたしは、まず、こう言います。

「Aが言っているのは、だと聞こえたよ」そして、NVCを使って、その「」の部分を相手の感情やニーズに翻訳していきます。

こんなふうに父親のロールプレイをしながら、当事者の表現が明確でなかったとしても、わたしは相手の心の痛みに共感的につながろうとします。

NVCでは、相手が下すこうした診断は、現在の感情やニーズの悲劇的な表現であることがわかっています。

そこでわたしは、相手の内面で今も痛みを伴って息づいているものが十分に理解されたと相手が感じるまで、続けます。

そして、相手が必要な理解をわたしが示し、相手がそれを受け入れることができたら、わたしは「嘆き」に移ります。

引き続き、その人の父親として、謝罪するのではなく、嘆くのです。

NVCでは、嘆きと謝罪には大きな違いがあると捉えています。

謝罪は基本的に、わたしたちが使う暴力的な言語の一部です。

謝罪は自分の悪さをほのめかします。

「自分は責められて当然だ」「自分は悔い改めるべきだ」「あんなことをした自分はひどい人間だ」といった具合に。

そして、自分をおぞましい人間だと認めて、十分に後悔したときに、あなたは許されるのです。

「ごめんなさい」はそういうゲームの一部です。

自分を十分に憎んだなら、許されるというわけです。

それとは対照的に、真の癒やしが起こるのは、自分がひどい人間だと同意するゲームによってではなく、自分の内面に目を向けて、自分のとった行動によって満たされなかったニーズが見えたときなのです。

そして、ニーズにつながったとき、これまでとは違う種類の苦しみを感じるでしょう。

それは自然な苦しみです。

自分自身に対する憎しみでもなく、罪悪感でもなく、学びと癒やしをもたらす苦しみです。

ロールプレイで父親役のわたしは、娘に共感したあとに、こんなふうに嘆きます。

「わたしは、ものすごく悲しい。

あのときの、わたしが自分の痛みを何とかしようとしてとった行動が、結果としてAにたいへんな痛みをもたらすことになってしまったから。

あの行動では、わたしのニーズは満たされなかった。

ニーズはまったく逆で、Aの幸せに役立ちたいということだったんだ」。

これが嘆きの一例です。

この嘆きに続いて、父親役は、過去におぞましい行動をとったときに、自分の内面で何が息づいていたかを、娘に説明します。

ここでは、過去に目を向けはしますが、出来事を語るのではなくて、当時、父親の内面で息づいていたことを娘が見ることができるようにするためです。

たとえば、父親はこう言うかもしれません。

「あの頃、父さんは人生でいろんな痛みを抱えて苦しんでいたんだ。

仕事がうまくいかなくて、落ちこぼれのように感じていた。

それで、子どもたちが騒いでいると、痛みから抜け出すために他にどうしたらいいかわからず、あんなにひどいことをしてしまったんだ」父親が自分の内面で息づいていたことを正直に表現できたとき、そして、娘がそのことと共感的につながって見ることができたときに、思いがけないほどの癒やしがもたらされます。

しかも、これが大勢の人が見守るなかで、1時間ほどのワークで起こることに驚く人もいます。

エクササイズ過去にあなたが関わりを持ち、今も痛みをもたらしている人物、もしくは出来事を1つ選んでください。

その人物、または、出来事について考えると、今あなたの内面で何が息づいていますか?当時、相手の内面で何が息づいていたかもしれないと思いますか?

共感をもって他者とつながる生命の網を編んだのは人ではない。

人は網糸の1本にすぎないのだ。

その網に向かって何かをすれば、それは自分自身に向かってするのに等しい。

万物は結ばれている。

すべては互いにつながっているのだ。

──シアトル酋長(北米先住民族の族長)ここまでの章では、自分の内面で何が息づいているかをどうやって表現するか、何が人生をよりすばらしいものにするかを見てきました。

観察、感情、ニーズ、明確なリクエスト(要求・お願い)が不可欠であることを見てきました。

ただし、ここまでは文法の話にすぎません。

つねに心に留めておいていただきたいのは、文法が力を発揮するのは、NVCのプロセスの精神的な目的を果たすために活用されたときだけである、ということです。

その目的とは、人と人との間につながりをつくり出し、人々が神聖なエネルギー、すなわち相手を思いやる喜びや与え合う喜びから行動を起こせるようになることです。

その目的を持たないままでは、全体像を見失ってしまいます。

たとえば、ワークショップの2日目に、ある母親がこんな話をしてくれました。

「マーシャル、わたし、さっそく昨日の晩に家で試したんですよ。

でも、うまくいきませんでした」わたしはこう促しました。

「じゃあ、その経験から学んでみましょう。

あなたはどんなことをしたんですか?」その母親は、自分の望みどおりのことをしなかった子どもに、どんなふうに話したかを披露してくれました。

前日に教わった文法を完璧に使っていました。

きわめて明確な観察をもとに、自分の気持ちとニーズとリクエストを伝えたのに、子どもは応じてくれなかったそうです。

「うまくいかなかった、とは、どういう意味ですか?」「だって、あの子は、わたしの求めていることをしなかったんですよ」「ああ、つまり、お子さんがあなたの望むことをしなかったから、うまくいかなかった、と定義しているわけですね?」「そうです」「なるほど、それはNVCではありません。

文法を使っていたとしても、そこが本質ではないのです。

昨日のわたしの話を覚えていますか?NVCの目的は、思いやりをもって喜びから与え合うことが可能になるようなつながりの質を、相手との間につくることなんです。

単に自分の求めているものを手に入れるだけが、目的ではありません」「え、それじゃあ、家のなかのこまごまとしたことは、いっさい、わたしが引き受けなくちゃいけないんですか?」彼女は多くの人と同じ勘違いをしていました。

自分の思いどおりに人を動かせないと、残る選択肢は、あきらめて放任して混沌に任せるしかないと考えるのです。

そこで、わたしが話しているような方法でつながりをつくれれば、相手と自分の双方のニーズが満たされうる、ということを実演してみせました。

しかし、リクエストに応じさせることに固執していると相手が感じた場合、やり取りの本質が変わってしまいます。

その瞬間、リクエストは「強要」に変化するのです。

相手のメッセージに応える人は自分のためだけに生きることはできない。

何千本もの糸がわたしたちと同胞を結びつけている。

共感という、その糸に沿って、わたしたちが行動すれば、それは原因となり、やがて結果となって戻ってくる。

──ハーマン・メルヴィル(作家)たとえば、あなたがNVCで定義されるような正直さを相手に示した、という状況を考えてみましょう。

このような形で自分を表現するのは、プロセスの半分です。

残りの半分は、相手のメッセージにどう応じるかということです。

「もし心を開いて自分をさらけ出したら、こんなことが起こるのでは」と、多くの人が恐れていることがあります。

それは、「これが、自分のなかで息づいているものです」「こうすれば、人生がよりすばらしいものになります」と正直に打ち明けると、相手が自由に診断を下してしまうのではないか、ということです。

たとえば相手から、自分が示した感情、ニーズ、リクエストを持っている事自体がおかしいと言われるのではないか。

あるいは、神経質すぎる、甘えすぎる、要求が多すぎるなどと言われるのではないか、と恐れているのです。

それはもちろん、ありえることです。

わたしたちは、そのような考え方が一般的な世界に住んでいるのですから。

だから、こちらがほんとうに心を開いて正直になれば、相手から「あなたは〇〇〇だ」という診断が返ってきてもおかしくありません。

でも、朗報があります!NVCを使うことで、どんな反応が返ってきても対処できるように準備ができる、ということです。

沈黙を恐れる人たちもいます。

「心を開いて自分をさらけ出しても、相手が何も言わなかったら?」と。

それにも対処できるようになります。

また、多くの人が、たった2文字の言葉を恐れています。

「NO」です。

「こちらが心を開いて、自分の望みやニーズを伝えたとしても、相手がノーと言ったらどうするんだ?」と。

これまでのエクササイズで自分の書いたものを、見返してみてください。

相手からどんな反応が返ってきても大丈夫なように備えるためです。

NVCのプロセスの残り半分は、「相手の内面で何が息づいているか」と「何が相手にとって人生をよりすばらしくするか」への共感的なつながりをつくることです。

共感的なつながりには、具体的な意味と目的があります。

「共感」とは、もちろん、特別な種類の理解のことです。

相手の言葉を頭で考えて捉えるだけの理解ではありません。

それよりもはるかに深くて、かけがえのないものなのです。

「共感的なつながり」とは、心で理解することであり、相手のなかの美しさ、神聖なエネルギー、その人のなかに息づいているいのちを、見つめるということです。

わたしたちはそれとつながるのです。

目標は、知性による理解ではなく、共感をもってつながることなのです。

とはいえ、相手と同じ感情を抱く必要がある、という意味ではありません。

それは同情であり、たとえば相手が動揺しているときに、こちらも悲しくなる類のものです。

相手と同じ気持ちになる必要はなく、共感とは相手とともにいることなのです。

このような理解ができるようになるには、人間が他者に与えられる最も貴重な贈り物が必要です。

それは、「今ここにいること」です。

強調しますが、相手を頭で理解しようとするとき、わたしたちは相手とともに「今ここ」にはいないのです。

相手を頭で理解しているときは、その人を分析し

ているのであって、「ともにいる」ことにはなりません。

共感的につながるとは、「今この瞬間に」相手の内面で息づいているものとつながることです。

ここでもう一度、先ほど列挙した、相手がこんな反応をしそうだという予想を見てみましょう。

仮に、あなたは上司に3日連続で残業を依頼されていて、不満を感じているとしましょう。

仕事以外にもこなしたい約束や必要事項があるので、あなたはいらいらしています。

そこで上司に、残業をしたくない理由を正直に明かして、今晩はほかの人に作業をお願いできないでしょうか、と明確にリクエストを伝えました。

あなたはあえて正直に自分をさらけ出したのですが、上司は「クビになりたいなら、好きなようにしろ」と言ったとします。

こんなとき、あなたはどんな選択肢を持っているでしょう?相手からやってくるすべてのメッセージに対して、あなたがとりうる選択肢をこれから考えてみましょう。

選択肢その1──自分の問題だと思う。

つまり、自分がリクエストしたことには自分の間違いが含まれているのかもしれない、と考えるわけです。

だから、上司に言い返されると、あなたはすぐに「自分はわがままだ」とか「自分はあまりいい社員じゃない」と考えます。

上司の言葉を、自分のどこかがおかしいことの指摘として受け取るのです。

わたしたちは、権力者からおかしいと言われると、自分のどこかがおかしいのだと考えるように教え込まれてきました。

でも、他者があなたについて考えていることに、決して、絶対、絶対に耳を貸さないでください。

他人があなたをどう思うかに決して耳を傾けなければ、もっと楽しく長生きできるでしょう。

それはともかく、絶対に自分個人の問題として捉えないでください。

選択肢その2──相手を批判する。

上司のような表現を投げかけられたときに取れる第2の選択肢は、相手が言ったことについて相手を批判することです。

たとえば、心のなかで、あるいは、声に出してこう言うかもしれません。

「それはフェアじゃない」「ばかげている」。

わたしたちは、相手の発言について相手を非難することはできます。

ですがそれは、お勧めしません。

わたしがお勧めしたいのは、相手からどんなメッセージが送られてきても、そのメッセージと共感的につながる方法を学ぶことです。

そのためには、相手の内面で息づいているものに、目を向ける必要があります。

ジョシュ・バラン編纂による『365日、今ここの涅槃──瞬間瞬間を悟りの中で生きる(§)』という本には、わたしが共感をサーフィンにたとえて話したときの一節が引用されています。

共感という行為は、波に乗るようなもので、ある種のエネルギーに触れることです。

そのエネルギーとは、あらゆる瞬間にあらゆる人間の内面で息づいている、神聖なエネルギーなのです。

残念ながら、多くの人は、これまで教え込まれてきた考え方があるために、その神聖なエネルギーとのつながりを絶たれています。

けれどわたしにとって共感とは、相手を通して伝わってくるエネルギーとともにいる、ということです。

それは崇高な経験であり、まるで神聖なエネルギーの流れに乗っているかのように感じられます。

人と人がそんなふうにつながれたなら、どんな対立においても、全員のニーズが満たされるような形で解決できるでしょう。

NVCで、好ましくない行動をとっている文化的背景の違う相手に共感する方法を教えると、互いの違いを平和的に解決していく道が見えてきます。

そう、共感が起きるとき、それはすばらしい体験なのです。

従来の敵対的戦術ではなく、共感にもとづいて外交関係に平和をもたらそうとするほうが、はるかに効果的です。

さて、相手の内面で息づいているものに共感的につながれるようになると、驚くほどの癒やしが起こります。

残念ながらこの世界では、人々が痛みに苦しんでおり、多くの癒やしが求められています。

だからわたしには、他の宗教の信者から犠牲を強いられた人たちを支援してほしい、という依頼がよく届きます。

たとえば、わたしはひとりのアルジェリア人女性に対して、癒やしのワークを行いました。

彼女は以前、友だちと一緒に車内にいたときに、男たちに囲まれ、服装が気に入らないという理由で外に引きずり出されました。

彼女は、友だちが車の後ろに縛り付けられ引きずりまわされ、そのまま亡くなるところを、無理やり見させられました。

そして男たちは、彼女を家に連れ戻し、両親の目の前でレイプしたのです。

襲った男たちは翌日の晩に彼女を殺害しに戻ってこようとしていましたが、幸いにも彼女は電話にたどりつき、スイスのジュネーブにいるわたしの仲間に助けを求めたのでした。

その仲間は、危機的状況から人々を救出する専門家です。

無事に女性の救出を終えたわたしの仲間が、電話をかけてきました。

「マーシャル、この女性に癒やしのワークをやってもらえませんか?ものすごく苦しんでいて、スイスに来てから、もう2週間も泣きどおしなんです」「わかった。

今晩、その人をよこしてください。

喜んでワークをしましょう」とわたしは答えました。

「マーシャル、1つ知っておいてください。

彼女は、あなたを殺してしまうんじゃないかと不安がっています」「ロールプレイがどういうものか、あなたから説明したんですよね?わたしは相手の役を演じるだけで、その人じゃないってことを」「ええ、その点は理解しています。

でも、あなたを相手だと想像しただけでも、危害を加えてしまうかもしれないと言っていました。

しかも、マーシャル、もうひとつ知っておいてほしいことがあって、彼女は体格がいいんです」「警告ありがとう」と言ったあと、そういえば彼女はわたしと違う言語を話すだろうと思い、こう付け加えました。

「では、通訳を用意すると伝えてください。

ルワンダ出身の男性で、午後にわたしがやるトレーニングの参加者です。

彼自身が今まで体験してきた暴力を踏まえると、彼はこの状況を恐れることはないでしょう。

わたしたち2人と同じ部屋でワークして、その女性が安心を感じられるか様子を見ましょう」というわけで、わたしはその女性に会い、服装と振る舞いが気に入らないという理由で彼女とその友人に暴力を働いた宗教的過激主義者の役を演じました。

これはかなり長くかかりました。

1時間半にわたり、その女性はわたしに自分の感じた苦しみを叫び続け、それに対してわたしは、この瞬間に彼女に生じた深い痛みにただ耳を傾けるという、NVCの共感を実践しました。

この瞬間の彼女の深い痛みに、ただ耳を傾けたのです。

すると彼女は大声で叫びました。

「いったいなんで、そんなことができたの!?」そこでわたしは、こう言いました。

「俺は、あのとき自分のなかで何が起きていたかを話したいと思っている。

でも、苦しんでいる今のあなたを見ていると、自分がどんなに悲惨な気持ちになっているか、そのことを先に言いたい」わたしはまず、嘆きました。

つぎに、自分の内面で何が息づいていたためにあの行動に至ったのかを話しました。

すると女性はひどく驚いて、こう言いました。

「どうしてそれがわかるの?」「と言うと?」「だって、あの男が言ったことと、ほぼそっくりそのままなんだもの。

どうしてわかったのかと思って」「どうしてって、わたしはその男だからですよ。

あなたもそう。

わたしたちみんなが、そうなんです」人間性の内面の核となるところでは、わたしたちは誰もが同じニーズを持っています。

だから、わたしはこういう癒やしのワークをする際に、自分が演じる人物の内面で何が起きているかを、頭で考えようとはしません。

代わりに、自分をその立場に置き、もし自分がそのようなことをしたなら、そのときに内面で息づいていたと思われるものを言葉にするのです。

この女性がそれに耳を傾けることができたとき、あれほど苦しんだ経験に対してようやく、驚くほどの癒やしが起こったのです。

それ以来、彼女とは8年近く連絡をとり合っていますが、あのときの癒やしは今も続いています。

§ 未訳。

Baran,Josh(ed.).365NirvanaHereandNow:LivingEveryMomentinEnlightenment()

エクササイズ相手の反応に対してどう応えるか。

その方法についてNVCで提案されていることを見る前に、事前準備として、あなたが選んだ状況にもう一度目を向けて、つぎのことを想像してみてください。

その状況で、今まで学んだ内容を実践することを、想像するのです。

あなたは、相手のところへ行って、例の2つの問いに答えるための4つのステップを使って正直に表現しよう、と決心しました。

そして、相手に対して、ここまでのエクササイズで書き留めておいた4つの事柄である、「その人のとったあなたの気に入らない行動」「それについて自分はどう感じているのか」「自分のどのニーズが満たされていないのか」「自分のリクエストは何なのか」を伝えることができたとします。

さて、相手はどんな反応を示しそうですか。

予想される反応を書き出してください。

他者の内面にある美しさを見る愛とは、他者のなかに自分を見出すこと、そしてそれを知ることの喜びにほかならない。

──アレクサンダー・スミス(詩人)NVCは、他者の内面で何が息づいているかを見つけるひとつの方法を、わたしたちに教えてくれます。

そして、相手の言動がどうであろうと、どんな瞬間にも、その人のなかにある美しさを見る方法も教えてくれます。

すでにお話ししたとおり、そのために必要なのは、その瞬間に相手が抱いている感情とニーズにつながることです。

それこそが、相手の内面で息づいているものなのです。

そして、相手の感情とニーズにつながったときにわたしたちは、その人がとても美しい歌を歌っているのが聞こえるようになるのです。

ワシントン州の学校で、12歳の子どもたちに、他者と共感的につながる方法を紹介したときのことです。

子どもたちは、親や教師との接し方を知りたがっていました。

自分の内面で何が息づいているかを正直に明かしたときに、どんな反応が返ってくるかを恐れていたのです。

生徒の1人が、体験談を話してくれました。

「先生に正直に話したことがあります。

先生の説明が理解できなかったことを伝えて、『もう一度説明してもらえますか?』って言ったら、『人の話を聞いてないのね?もう2回も説明したわよ』って言われました」別の男の子のこんな話もありました。

「昨日、パパに頼みごとをしました。

ぼくのニーズを伝えようとしたんだけど、『この家に、おまえほどわがままな子はいない』って言われたんです」この父親のような言葉を使う身近な人に対して、どうすれば共感的につながれるのか、子どもたちはその方法を切実に知りたがっていました。

なぜなら子どもたちは、自分個人の問題として受け取る、つまり自分の何かがおかしいのだと捉える考え方しか知らなかったからです。

わたしは次のように伝えました。

「他者と共感的につながったとき、その人がつねに美しい歌を歌っているのが聴こえてくるんだよ。

相手は、自分のなかで息づいている美しいニーズをぜひ見てほしい、とお願いをしているんだ。

もしわたしたちが、その瞬間に相手の心の中で流れている神聖なエネルギーとつながれたなら、相手のあらゆるメッセージの背後に流れる歌が聴こえてくるようになるよ」別の事例をお話ししましょう。

あるときわたしは、アメリカに対してあまり友好的でない国の難民キャンプを訪れました。

そこには170人ほどの人たちが集まっていたのですが、通訳がわたしをアメリカ人だと紹介すると、聴衆の1人が飛び上がって、叫びました。

「人殺し!」別の人が立ち上がって叫びます。

「子ども殺し!」もう1人は「暗殺者!」と。

わたしはその日、自分がNVCを知っていることをありがたく思いました。

NVCのおかげで、聴衆の言葉の向こう側にある美しさ、彼らの内面で何が息づいているかに目を向けることができたからです。

NVCでは、相手がどんなメッセージを発していても、その背後にある感情とニーズに耳を傾けることで、美しさを見ることができます。

そこで、わたしは最初に叫んだ男性に尋ねました。

「あなたが怒っているのは、あなたが支援を必要としているのに、わたしの国によってそれが満たされていないからですか?」そのときわたしに求められていたのは、その男性の感情やニーズを感じ取ろうと努力することでした。

間違えていた可能性もあります。

しかし、たとえ間違えても、相手の人間としての神聖なエネルギー、つまりその瞬間の感情やニーズに真摯につながろうとすれば、その人がどんな言葉をぶつけてきても、相手の内面で息づいているものを大切にすることはできるのです。

その意図を相手が信頼することができたとき、わたしたちは全員のニーズが満たされるようなつながりをつくる道程を、しっかりと歩んでいるのです。

この難民キャンプの集会では、そうスムーズに事が進んだわけではありません。

この男性は並々ならぬ苦しみを抱えていたからです。

幸いにも、わたしの推測は正しかったことが判明しました。

「あなたが怒っているのは、あなたが支援を必要としているのに、わたしの国によってそれが満たされていないからですか?」とわたしが尋ねると、男性は次のように言い放ったからです。

「そうに決まってるだろ、くそったれ!ここには下水もない。

まともな家もない。

それなのに、あんたたちは、なんで武器を送り込むんだ?」「なるほど、もう一度聴かせてください。

あなたは、下水や住まいなどが必要なのに不足している状況はとてもつらい。

さらに、それらの代わりに武器が送られてきていることに、大変な苦痛を感じてらっしゃるんですね」「まったくそうだよ!こんな暮らしを28年も続けるのがどういうことか、わかってるのか?」「ということは、あなたはとてもつらい思いをしていて、自分たちの置かれた状況の理解を必要としているのですね」このときわたしは、自分に向けられた「人殺し」という考え方ではなく、この男性の内面で何が息づいているかに耳を傾けました。

この男性が、わたしは彼の感情とニーズを真摯に大切にしていると信頼したとき、彼は次第にわたしの声に耳を傾けられるようになっていったのです。

そこで、わたしは言いました。

「いいですか。

わたしは今、遠路はるばるここまでやってきたので、不満に感じています。

皆さんにお伝えしたいことがあるんです。

しかし、わたしのことを『アメリカ人だから』というレッテルを貼ったがために、わたしの言葉に耳を貸そうとしてくれないのではないかと心配しています」「俺たちに何を言いたいんだ?」このようにして、彼は聴くことができるようになりました。

そのためには、彼がぶつけてきた非難の向こう側にいる、1人の人間の姿を見る必要があったのです。

1時間後、この男性はラマダンの食事をとるために、わたしを自宅に招いてくれました。

ちなみに現在、その難民キャンプにはNVCスクールというわたしたちの学校があります。

わたしは現地に足を運ぶたびに、その難民キャンプで温かく迎えられるようになりました。

わたしたちが互いの人間らしさとつながれたとき、つまり、あらゆるメッセージの背後にある感情やニーズとつながったとき、こういうことが起こります。

感情やニーズは、かならずしも口に出さなくてはならないわけではありません。

相手が何を感じ、何を必要としているかは、ときとして、言葉にしなくてもはっきりと伝わってきます。

わたしたちが相手に真摯につながろうとしているかどうかを、相手は目を見て感じとるのです。

ここで気をつけたいのは、相手の考えに同意する必要はないことです。

相手の発言内容を、好きにならなくてもいいのです。

相手と真摯につながるとは、あなたの存在、つまり「ここにいる」というかけがえのない贈り物を差し出すということです。

すなわち、相手の中で息づいているものと、今この瞬間にともにいて、それに関心を持っており、その関心は誠実なものだと示すことです。

この行為は、心理学的なテクニックとしてではなく、この瞬間に相手のなかにある美しさとつながりたいから行われるものです。

では、ここまでの話をまとめておきましょう。

相手と対話を始めるためには、まず、こちらの内面で何が息づいているか、そして、人生をよりすばらしいものにするために相手に何をしてほしいか、を伝えます。

つぎに、相手がどんな反応を返してこようと、その人の内面で息づいているものと、その人にとって人生をよりよくするものにつながろうとします。

そして、全員のニーズが満たされるような手段が見つかるまで、このコミュニケーションの流れを続けるのです。

相手がどんな手段に同意するとしても、それは、互いの幸福に貢献したいという気持ちから同意するのであって、ここまでに述べてきたような、懲罰や罪悪感に屈するなどの理由は避けてほしいのです。

多くの人は、そんなことができない相手もいると思い込んでいます。

相手が深く傷ついている場合、こちらがどんなコミュニケーションをとろうと、そこまでの関係にはたどりつかないと信じているのです。

しかし、わたしの経験は異なるものでした。

このようなつながりがいつも簡単に実現する、と言っているのではありません。

世界のあちこちで、わたしは服役囚の方々ともワークを行ってきましたが、相手からわたしに対して「この人は自分の内面で何が息づいているかに、真摯に関心を寄せている」という信頼を得るまでには、かなり時間を要する場合があります。

ときには、真摯に関心を寄せるという態度を示し続けるのに苦労することもあります。

なぜなら、わたし自身の文化的背景として、幼い頃からそういう態度でいることに慣れていなかったために、振る舞い方を身につけること自体が難しいからです。

それで思い出すのが、NVCを学び始めた頃のことです。

当時、わたしは上の息子と対立していました。

息子の言葉に対するわたしの最初の反応は、彼の内面で息づいている感情やニーズにつながろうとするものではありませんでした。

話を遮って、おまえは間違っている、と言いたくなりました。

深呼吸をしなければなりませんでした。

しばらく、自分の内面で起きているものに目を向ける必要があり、息子とのつながりを失いかけている自分に気づく必要があったのです。

そして、息子に意識を向け直し、こう伝えます。

「そうか、おまえは〇〇〇〇と感じているんだね。

おまえは〇〇〇〇を必要としているんだね」そうやってわたしは、息子とつながろうとしました。

すると、息子が別のことを言い、わたしはまたしてもかっとなります。

なので、スピードを落として、また深呼吸し、息子の内面で息づいているものに何度でも意識を戻しました。

当然ながら、会話がここへたどりつくまでに、普段より時間がかかっています。

しかも息子は、外に友だちを待たせていました。

ついに息子は言いました。

「パパ、話すのに時間がかかりすぎだよ」「だったらすぐに言えることがある。

言うとおりにしなきゃシリをけとばすぞ」「慌てなくていいよ、パパ、慌てないで」このように、NVCでわたしたちに必要とされるのは、文化的な植えつけではなく、1人ひとりが持つ神聖なエネルギーを出発点にできるよう、時間をかけることなのです。

何に変化を起こしたいのか変化せずに進歩することなどありえない。

自分の心を変えられない者は何ごとも変えられない。

──ジョージ・バーナード・ショー(作家)社会に変化をもたらす取り組みの効果を高めようとするなら、自分の内面での取り組みが必要だ、と意識しておくことが役に立ちます。

そして、内側に目を向けるときには同時に外側も見て、世界で起きてほしい変化に目を向ける必要があるのです。

では、そうした変化の事例をいくつか取り上げながら、NVCがどのように役立つかを見ていきましょう。

世のなかには、明らかに、わたしたちにとってきわめて恐ろしい振る舞いをする人たちがいます。

犯罪者と呼ばれるような、ものを盗んだりレイプしたりする人です。

不快感どころか恐怖心を感じる振る舞いをする人が身の回りにいたら、わたしたちは何をすればいいのでしょうか?どうすれば、そういう相手を変える、あるいは変わってもらうことができるのでしょうか?ここで必要となるのが、「修復的な正義(RestorativeJustice)」の使い方を学ぶことです。

誰かがこちらの気に入らない振る舞いをしたときも、罰しないようにする方法を学ぶ必要があるのです。

すでに述べたとおり、懲罰は勝ち目のないゲームです。

他者が行動を改めようとするときの理由は、その行動を続けると罰せられると思うからではなくて、こうすればより少ない代償で自分のニーズをよりよい形で満たせそうだ、という別の選択肢に気づいたからであってほしいのです。

以前スイスで開いたワークショップで、ある母親にこの点を説明しようとしました。

彼女とは次のように話しました。

「マーシャル、どうすれば息子にたばこをやめさせられるでしょう?」「それがあなたの目的なんですか?息子さんに喫煙をやめさせることが」「そうです」「じゃあ、息子さんはたばこを吸い続けるでしょうね」「え?どういうことですか?」「誰かに何かをやめさせることを目的にしたとたん、わたしたちは力を失います。

わたしたちが、自分であれ、他者であれ、社会的にであれ、何らかの変化をもたらすために真の意味で力を持つためには、『どうすれば世界は今よりよくなるか』という意識から出発する必要があるんです。

相手には、今より少ない代償で自分のニーズをよりよい形で満たせる方法がある、ということをわかってほしいのです」わたしとその母親は、彼女とその息子の置かれている状況に、どうすればこの考え方を応用できるか検討していきました。

彼女は息子の健康が心配で、ひどく悩んでいました。

喫煙が始まってから2年間、毎日のように親子喧嘩をしています。

彼女の目的は、息子にたばこをやめさせることです。

それを達成するために、彼女は、喫煙の恐ろしさを言って聞かせていました。

彼女は「マーシャル、こんな状況で、NVCはどんなふうに役に立つのでしょうか?」と述べました。

「まず、第1のポイントが明確になっているといいのですが。

あなたの目的は、息子さんにたばこをやめさせることではありません。

『喫煙によるニーズが何であれ、今より少ない代償でそのニーズを満たす方法を息子さんが見つけるお手伝いをすること』です」「それはいいですね。

すごく役に立ちます。

でも、息子にどう伝えればいいんでしょう?」「まず、あなたは喫煙が息子さんにできることの中で最もすばらしい行動だと捉えている、ということを誠実に伝えるところから始めてみてはいかがでしょうか」「はぁ?どういうことですか?」「喫煙が自分のニーズを満たしていないなら、息子さんはたばこを吸うことはないでしょう。

だから、彼が満たそうとしているニーズに対してこちらは共感的につながっているよ、と誠実に示すことができれば、息子さんは、自分の行動の理由をあなたが理解してくれた、と感じるでしょう。

わたしたちは彼を裁いているわけでも、責めているわけでもありません。

人はそのような質の理解を感じたとき、心を開いて、別の選択肢に耳を傾けてみようと思うでしょう。

逆に、『頑なに自分の行動を変えようとしているんだな』とか『自分は今の行動を責められているんだな』と感じると、変化は実現しづらくなります。

だから最初のステップは、息子さんに誠実に伝えることです。

あなたは彼の行動が、彼が知る中で自分のニーズを満たすための最もすばらしい方法だと捉えている、と」その母親は、昼食のあとワークショップに戻ってきたとき、顔を輝かせていました。

ほんとうにきらきらしていたのです。

「マーシャル、午前中に教えてくれたことに、すごく感謝しています。

ランチの時間に息子に電話したんですけど、こんなにすばらしいコミュニケーションがとれたのは初めてです」「ほう、詳しく聞かせてください」「家に電話をかけたら、13歳になる下の息子が出たので、『急いで、お兄ちゃんを呼んでくれる?話があるの』と言いました。

そしたら、下の息子が『えー、お兄ちゃんは今、裏のテラスにいるんだけど……』と言うんです。

だから、ああ、あの子は今ちょうどたばこを吸っているんだな、って思いました。

この2年間ずっと喧嘩を繰り返してきて、少なくとも家の外で吸うことには、同意してくれたんです。

それで、わたしは下の息子に言いました。

『わかったわ。

それは構わないから、お兄ちゃんに話があると伝えてくれる?』って」15歳の息子は電話に出るなり、「何だよ?」と言うので、母親はこう答えたそうです。

「今日ね、あなたの喫煙のことでちょっと学んだの。

それを伝えたくって」「ふうん、何?」「喫煙は、今のあなたにできる行動の中で、いちばんすばらしいことなんだってわかったわ」と、女性の話をここまで聞いたところで、わたしは遮りました。

「わたしがやってほしかったこととは、ちょっと違いますね。

わたしが言おうとしていたのは、共感的なつながりを通じてコミュニケーションをとりましょう、理解していることを示しましょう、ということなんです」すると母親はこう返しました。

「ええ、マーシャル、その点は理解しています。

でもね、息子のことはよくわかっているつもりです。

だから、喫煙は今のあの子にできる最もすばらしい行動だとわたしが捉えていると率直に言ったほうが、こちらの伝えたいことも手っ取り早く伝わるだろうと思って」「なるほど、あなたは息子さんのことをよくご存じでしょうね。

それで、どうなりましたか?」

「マーシャル、特別なことが起きたんです。

この件で喧嘩ばかりしてきたのを思えば、特別としか言いようがありません。

息子はしばらく黙りこくっていたんですけど、そのあと、こう言ったんですよ。

『それはどうかな』って」ご覧のとおり、こちらが相手を変える目的について頑なにならなければ、相手も身構える必要がなくなります。

そして自分の行動が理解されていると感じた瞬間、その人は、他の可能性に対して柔軟になることがはるかに簡単になるのです。

刑務所でワークショップするときにも、わたしは同じ原理を応用しています。

わたしの気に入らない行動をしている人がいるとしましょう。

そういう場合、わたしはまず、相手がその行動によって満たそうとしているニーズに共感をもってつながろうとします。

そして、それがどんなニーズか理解したら、つぎに、そのニーズを満たすために、より効果的で代償の少ない方法を探ってみませんか、と提案するのです。

ワシントン州の刑務所に招かれて、1人の若者とワークを行ったときのことです。

彼は児童への性的虐待の罪で3度目の服役中でした。

わたしはまず、彼がその行動をとったときに内面で息づいていたものに、共感的につながることから始めたいと思いました。

そこで、彼の内面でそのとき何が起きていたかをよりよく理解したいと伝え、その行動によって、どんなニーズを満たそうとしていたのか聞かせてほしいと言いました。

すると若者は唖然としています。

「何を聞きたいって?」「きみがそれをやるのには、もっともな理由があるはずだと思う。

この罪で刑務所に入るのは3回目だ。

性犯罪者の刑務所暮らしなんて、楽しくないでしょう、わたしに言われるまでもなく」「そんなこと、あたりまえだろ」「大きな代償を払いながら続けるってことは、その行動が何らかのニーズを満たしてくれるからにちがいない。

そのニーズが何なのかを明らかにしましょう。

なぜなら、ニーズが理解できれば、もっと効果的で、より代償の少ない方法を探すことができると信じているからです。

というわけで、きみのニーズは何だろう?」「俺がやったことは正しいと言ってるのか?」「いいや。

正しいと言ってるんじゃない。

わたしが言いたいのはこういうことです。

きみの行動の理由は、わたしが何か行動する理由とまったく同じです。

それはニーズを満たすこと。

なので、あの行動によってきみが満たそうとしているニーズは何だろう?」「俺がクズだからやっているんだ」「そうじゃない。

それは、自分は何者かという考え方だ。

いつから自分がクズだと思っている?」「生まれてこの方ずっと」「自分をそう思っているからって、あの行動をやめられたかい?」「ないよ」「ということは、自分を決めつけることは、きみのニーズも、きみの周囲の人間のニーズも満たすことにはならないでしょう。

しかし、きみが自分の行動で満たされているニーズが何かを理解するところから始めれば、みんなのニーズを満たすことができるとわたしは思う」明らかに彼は、わたしの助けを必要としていました。

自分のニーズが何かを考えるように訓練されていないからです。

刑務所も、学校も、家庭も、彼を自分はクズだと感じさせるような場所でした。

彼が施された教育は、自分は何者かを考えるものであって、自分のニーズとは何かを考えるものではありませんでした。

わたしと彼は、多くのニーズを発見することができました。

1人の人間の内面で何が息づいているか、その実例として、いくつかのニーズを紹介します。

まず、彼は子どもたちを自分のアパートに連れていって、とても優しく接しました。

子どもたちの好きなテレビ番組を見せ、好きな食べ物を与えたりしました。

わたしは尋ねました。

「それによって、きみはどんなニーズが満たされるだろう?」すると、彼がずっと孤独だったことがわかりました。

「コミュニティに属する」「人とつながる」「一緒にいる」というニーズが、満たされることがなかったのです。

これらのニーズを満たすために見つけた最善の方法が、子どもたちをアパートに迎えてもてなすことでした。

もちろん、性的虐待などせずに、そのニーズを満たすこともできたでしょう。

次にわたしたちは、彼の性的虐待について考えました。

「その行動によって、どんなニーズが満たされたんだろう?」彼にとって、自分の内面を見つめるのは簡単なことではありません。

だから、答えにたどりつくまで、しばらく時間がかかりました。

彼が気づいたのは、その行動の奥にあるニーズは、「理解されること」「共感されること」でした。

犠牲者である子どもたちの目の奥にある恐怖から、彼は、自分が幼い頃に父親から同じ行為を受けたときに感じたことを子どもたちに理解してもらえた、と感じたのです。

それが自分のニーズだと彼は気づいていませんでした。

そのニーズを満たす他の方法も知りませんでした。

わたしたちが彼のニーズを明確にできたとたんに、子どもたちを恐怖に陥れなくても、ニーズを満たす方法が他にいくらでもあることが明らかになったのです。

こちらの好まない行動をとる人と対話するとき、このようにNVCを使います。

わたしは、まず、相手がその行動をとることで彼らのどんなニーズが満たされているかに、共感的につながろうとします。

次に、その行動によって、わたしのどんなニーズが満たされていないかを伝えます。

その人の振る舞いによって、わたしが恐怖や不快感を感じていることを伝えるのです。

そして、相手とわたしの双方のニーズをより効果的に、より少ない代償で満たせる別の方法を、ともに探るのです。

この事例は、NVCの実践者が修復的正義の原則にとても調和していることを物語っています。

真の平和と調和を実現しようとするなら、わたしたちは、ただ悪者を罰するのではなく、平和を修復する方法を見つける必要があります。

NVCのトレーニングの大部分は、こうした原則と調和しているのです。

他者からひどいことをされた人とわたしが会うときに、修復的正義を実践することもあります。

たとえば、その人がレイプされたとします。

レイプした方を罰するのではなく、双方が修復的正義の試みに同意したうえで、その実践を始めるのです。

多くの場合、レイプした人は服役中で、修復的正義に関わるかどうかを選ぶ権利があります。

具体的な仕組みはこうです。

まずわたしは、被害を受けた人が、自分の体験した苦しみを表現するのを手助けします。

その痛みの多くが、とても、とても深いものです。

しかもNVCを知らないので、相手に配慮しながら苦しみを表現する方法も知りません。

たとえば、レイプされた女性だったとしたら、相手に強烈な言葉をぶつけるかもしれません。

「あんたなんか死んでしまえ。

拷問を受ければいいんだ、このろくでなし」つぎにわたしは、レイプした側の男性が、相手の苦しみに共感的につながるのを手助けします。

相手の苦しみの深さに、ただ耳を傾けるように促すのです。

彼らはそうすることに慣れていません。

まず謝罪しようとするのです。

「すまなかった。

あのときは……」そこでわたしは間に入ります。

「いや、ちょっと待って。

さっきわたしが何と言ったか思い出してください。

まずは、共感してほしいんです。

彼女の苦しみの深さを十分に理解していることを、示してほしいんです。

彼女の感情とニーズを、伝え返してもらえますか?」彼にはできません。

そこでわたしは「じゃあ、わたしが伝え返しましょう」と言って、彼女の語ったすべてを感情とニーズに翻訳します。

そして、彼がそれに

耳を傾けられるように手助けします。

これを通じてレイプされた人は、レイプした人から理解されるということを体験します。

続いてわたしは、レイプした人が自分の行為を嘆く手助けをします。

謝罪するのではありません。

それだと簡単すぎるからです。

わたしは彼に、自分の内面を探るよう促して、相手の苦しみを目の当たりにしたときに、何を感じるかを見つめる手助けをします。

そのためには、自分の心の奥深くに入っていく必要があるのです。

それはとてもつらいことですが、癒やしをもたらす痛みなのです。

だからわたしは、男性の嘆きを手伝うのです。

当然、女性は、男性が単に謝罪するのではなく、心から嘆いていることを目の当たりにします。

そこでわたしは男性に尋ねます。

「あの行為を彼女に対して行ったとき、あなたの内面では何が起きていたのでしょう?」このように、男性が当時の気持ちを感情とニーズの形で表現する手助けをしたあと、被害を受けた人がそれに共感する手助けをします。

ここまでくると、今ここにいる2人は、最初に部屋に入ってきたときとはまるで別人のように変わっているのです。

エクササイズあなたの気に入らない行為をした相手が、どんな方法をとれば、あなたを傷つけた行為をせずに相手自身のニーズを満たせたかを、考えてみてください。

その選択肢を、あなたはどのように相手に伝えられるでしょうか?ここまで学んだことを活かして、相手への伝え方を書き出してみましょう。

ギャングとその他の支配構造わたしたちはどうしてこうなったのか世界がよい方向に変化するのは、とにかく世界の現状にこれ以上うんざりするのにもううんざりだ、と人々が感じて、自分を変えようと決心したときである。

──シドニー・マッドウェッド(詩人)ここまでは、NVCが自己と他者の内面にどのような変化をもたらすかを見てきました。

そして、その変化をもたらすためには「ニーズの意識」が必要なこともわかりました。

つまり、あらゆる非難とあらゆる決めつけ、たとえば「わたしはクズだ」「わたしはアル中だ」「わたしは中毒者だ」という考え方は、学びの妨げになるし、より少ない代償でもっと豊かに生きる方法を学ぶのも難しくしてしまう、という意識が必要です。

では、その意識は個人以上のレベルにどう当てはまるでしょうか。

ここで少し、歴史を振り返ってみましょう。

歴史神学者ウォルター・ウィンクのような人たちによれば、およそ8000~1万年前に、いろんな背景が重なって、「善人が悪人を成敗することが、善き生き方だ」という神話が誕生しました。

その神話が、専制的な体制、つまり、王や君主を自称する人々による支配に甘んじて生きることを助長してきた、といいます。

そうした体制をわたしは「支配的社会」(優越意識を持つ人たちが他者をコントロールする社会)と呼んでいますが、人々に特定の思考法を植えつけて、虚ろな善人をつくり出すことにすぐれています。

その思考法を植えつけられた人々は、上から言われるままに従うようになります。

女性たちは「善良な女はニーズなど持たないものだ」と信じて、家族のために自分のニーズを犠牲にします。

一方、男性たちは「勇敢な男はニーズなど持たない」と信じて、王様の財産を守るために自分の命を喜んで捧げるのです。

そして人類は、報酬と懲罰の両方が正当化されることをほのめかしながら互いを決めつける、という思考法を発展させました。

「ある人が報酬や懲罰を受けるに値する」という考え方を強化するような、「報復的」正義にもとづく司法制度を作り出したのです。

わたしは、こうした思考法と行動様式が、現在の地球にある暴力の根底にあると考えています。

専制的な体制を維持したければ、人々を次のように教育すればいいでしょう。

物事には正しいものと間違っているものがあり、善と悪があり、利己的なものと利他的なものがある、と信じ込ませるのです。

では、誰がその違いを知っているのか。

それはもちろん、ヒエラルキーの頂点にいる人です。

このようにして、あなたのマインドは、「権威のピラミッドにおいて、自分より上の人からどう評価されるか」を心配するようにプログラムされていくのです。

そうしたマインドセットを育むのは、たいして難しいことではありません。

人々に、自分や他者の内面で真に息づいているものとのつながりを絶つように仕向ける、つまり、他者からの評価を絶えず気にするようにさせさえすればいいのです。

こうした権威の下で生きる人類は、自分自身や他者とのつながりを絶つような言語を発展させました。

これらすべてのことが、互いへの思いやりをとても難しくしているのです。

今も支配社会は続いています。

王様が一部の支配層に置き換わったくらいでしょう。

つまり支配する側が個人ではなく、わたしが「ギャング」と呼ぶ集団に入れ替わったにすぎません。

社会に変化をもたらす取り組みの多くはおそらく、個人の振る舞いよりも集団の行動に関心があるでしょう。

わたしの考えるギャングとは、「人々の好まない行動をする集団」です。

「ストリートギャング」を自称するギャングもいますが、彼らは、わたしが最も恐れるギャングではありません。

他のギャングは、「多国籍企業」や「政府」を自称する人々です。

この2つのギャングは、わたしが大切にする価値観とは相いれない行動を頻繁にとっています。

学校をコントロールし、教師が正誤や善悪を生徒に教え込むことを望んでいるのです。

多国籍企業と政府というギャングが学校に求めているのは、報酬のために働くような生徒をつくることです。

そうすれば、その生徒たちを将来労働者として雇い入れ、意味のない作業を1日8時間、人生の40年間も続けさせられるからです。

支配者が王様からギャングに置き換わっただけで、基本的な構造は以前と同じです。

この問題についてさらに知りたい方には、G・ウィリアム・ドムホフ著『現代アメリカを支配するもの(§)』をお勧めします。

ドムホフは政治学者ですが、この本を書いたのが原因で2つの職を失いました。

ギャングに属している人々は大金を持っており、自分たちギャングの存在を一般市民に知らしめようとする学者に資金を援助したくないからです。

とはいえ、支配者層に組み込まれている人たちが、生まれつき、あからさまに民衆を操作するような悪人だとは思っていません。

むしろ、彼らはその支配構造を発展させ、その構造を信じ、自分たちを大衆に比べて高い権威に近い恵まれた存在だと信じています。

だから、その高い権威の地上での影響を存続させるために、民衆を操作するような行動をとっているのです。

この世界観は連綿と受け継がれ、世界の大部分に浸透していますが、完全に行き渡っているわけではありません。

ルース・ベネディクトやマーガレット・ミードといった人類学者たちは、この思考法に毒されていない地域が残っていることを示しています。

そこでは、他の地域と比べてはるかに暴力が少ないのです。

NVCが支配構造に巻き込まれている人々に提案しているのは、ひとつの考え方とコミュニケーションのあり方です。

それは、きっと彼らの人生をもっとすばらしくするようなものなのです。

他者を支配したり、戦争を起こしたりするよりも、はるかに楽しいゲームを紹介できます。

もっと楽しい生き方が、本当にあるのです!では、NVCがどのように「ギャング」を変える役に立つかを、見ていきましょう。

わたしが気づいてほしいのは、ギャングの振る舞いが、人々の教育のされ方や人々が内在化することにどんな影響を及ぼしてしまうか、ということです。

詳しく説明しましょう。

わたしはこれまで、ある種の言語やコミュニケーション形式は、きわめて破壊的な影響を及ぼしてきたのではないか、とお伝えしてきました。

しかし、その言語はどこから来たのでしょうか?道徳的な判断・決めつけや懲罰と報酬の戦術は、どのようにして支配的になったのでしょうか?なぜわたしたちは、それらを使うのでしょうか?人々がその戦術を学ぶのは、それがギャングとしての振る舞いを支えているからです。

§『』、、、。

、。

学校で変化を起こす

早いうちに方向を変えなきゃ、今のままで終わっちまうぞ。

──アーウィン・コーリー(コメディアン)たとえば、学校について考えてみましょう。

教育史学者のマイケル・B・カッツによれば、教育改革はおよそ20年のサイクルで発生します。

約20年ごとに市民が懸念を持ちはじめ、大きなリスクをとって、学習水準を引き上げるとか、校内暴力などの問題を減らすといった観点で効果がありそうな教育改革に乗り出します。

そうやって改革に取り組むのですが、その効力は5年以内に失われてしまうのです。

カッツは、著書『階級・官僚制と学校(§)』で、その原因について述べています。

カッツによれば、改革者たちは学校の間違っている部分を指摘して変えようとするが、「何がその学校にとってうまくいっているのか」を見ていないのです。

しかし、アメリカの学校は、「ギャングとしての振る舞いを支える」という設立の意図を実行しているにすぎません。

どのギャングかというと、この場合は経済構造のギャング、つまりビジネスを仕切っている人たちです。

彼らはもともと3つの目標をもって、学校教育をコントロールしてきました。

第1の目標は、将来雇用されたら指示通りの仕事をするように、人々に権威への服従を教えること。

第2の目標は、外から得られる報酬のために努力するような人間をつくること。

ギャングが人々に学ばせたいのは、人生を豊かにするやり方ではなく、将来稼げる職に就くためによい成績を得る方法なのです。

仮にあなたがギャングの1人で、ある商品やサービスを提供するために誰かを雇おうとしているとしましょう。

ただし、その商品やサービスは真にいのちに貢献するようなものではありません(一方、ギャングの支配層には大金をもたらします)。

であれば、あなたが求めている人材は、「自分たちが提供するこの商品は、本当にいのちに貢献するものだろうか?」と疑問を抱くような人ではないでしょう。

ただひたすら命じられた仕事をこなし、給料のために働くような人を望むでしょう。

カッツの言う、学校の第3の目標は──これこそが、教育改革を短命に終わらせている原因なのですが──、カースト制度を維持しつつ、あたかもそれが民主主義であるかのように見せかけることです。

これは個々の人間の問題ではなく、構造の問題です。

教師や学校の運営者は、敵ではありません。

彼らは、子どもたちの幸福に心から貢献したいと思っています。

そこに敵はいません。

今のような経済を維持するためにわたしたちがつくりだした、ギャングの構造が原因なのです。

では、もっと人々のためになるように学校を変革したいなら、わたしたちは何をすればいいのでしょうか?単に学校を変えるだけでは、十分ではありません。

学校を含む、より大きな構造を変える必要があるのです。

よい知らせとして、この変革は実現可能です。

わたしたちはいくつかの国々で、学校で抜本的な変革を起こすための活動をしています。

学校、教師、生徒が、NVCの原則と調和しながら仕事や勉強ができるように、支援しているのです。

うれしいことに、セルビア、イタリア、イスラエル、コスタリカなど、世界各地で大勢の教師たちが、そのような学校の設立に尽力してくれています。

もちろん、わたしたちのビジョンは、この抜本的な変革が、次の世代の子どもたちの意識に受け継がれていくことです。

NVCは、他の年代と同じように幼い子どもたちに教えることができますが、その例をお伝えしましょう。

基本的な考え方としては、子どもたちでも対立が生じたときにNVCを使ってミディエーション(§)(調停・仲裁)ができる、ということです。

最近わたしはイスラエルに行き、4歳から6歳までの子どもが通っている幼稚園を訪れました。

そこでは、2人の女の子が口喧嘩をしていました。

わたしには2人の言葉はわかりませんが、言い争っているのは明らかです。

そのうち、女の子たちは1人の男の子に何かを言いました。

わたしが通訳を呼んで事情を聞いたところ、女の子たちが男の子にミディエーションを頼んでいるのだと言います。

「何だって?」とわたしは言いました。

全員が幼稚園児のその3人は、部屋の隅の「ミディエーション・コーナー」へ走っていきました。

ミディエーター役の男の子が、女の子の1人に、何を観察しているのか、相手の発言のなかで彼女の気に入らないことは何か、を尋ねました。

「〇〇ちゃんは今どんな気持ち?」と男の子が聞くと、女の子は自分の気持ちを話します。

さらに、男の子はその女の子に「〇〇ちゃんのニーズは何なの?」「〇〇ちゃんのリクエストは?」と聞いていきました。

男の子は本当に、女の子の力になっていました。

男の子が尋ねていたのは、NVCの基本的な問いかけです。

全員がNVCを学んでいる幼稚園なので、この女の子も返答に詰まることがありません。

それを聞き終えた男の子は、2人目の女の子に、1人目の女の子の言ったことを伝え返してくれるようにお願いしました。

1人目の女の子が自分の気持ちを理解してもらえると、男の子は、2人目の女の子が自分を表現できるように手助けし、1人目の女の子がそれに耳を傾けることを手助けします。

そうやってあっという間に喧嘩を解決し、3人は一緒に走り去りました。

オランダから来ていた女性(わたしと一緒に幼稚園を訪問して同じ通訳にお世話になっていた人)が言いました。

「実際にこの目で見なければ、信じられなかったでしょう」わたしたちは学校でも生徒にミディエーションのやり方を教えていますが、彼らにも実践は可能なのです。

いえ、可能などころか、とても上手だと言わなくてはなりません。

年齢に関係なく。

§『──』、、、、、§ ミディエーション:一般的には裁判などにおける調停・仲裁行為を指すが、NVCにおけるミディエーションとは、対立する当事者同士が、お互いの人間性に目を向け、ニーズや感情に耳を傾け、つながりを回復することができるような支援を指す。

ゲットーのギャングと対話する今となっては、選択肢は、変わるか変わらないか、ではない。

よいほうへ変わるか、悪いほうへ変わるか、なのだ。

──クリフォード・ヒュー・ダグラス(経済思想家)セントルイスのスラム街に暮らし、仕事をしていた頃のことです。

あるときわたしは、ゲットーの中心地にある黒人教会の牧師たちと話をしていました。

すると、ストリートギャングのリーダーが、自分の縄張りの人間に話をしている白人がいると聞きつけて自分も参加しようと思い、わたしたちが話していた牧師の執務室に乗り込んできました。

腰を下ろしたリーダーは、わたしがNVCのプロセスを紹介し、人種問題の解決に役立てられますよと提案している様子を、じっと見つめていました。

しばらくしてから、彼は口を開きました。

「俺たちは、白人のお偉い先生にわざわざコミュニケーションのしかたを教えていただく必要はないんだ。

そんなのとっくに知っているからな。

俺たちを助けたいなら、金をよこせ。

そしたらその金で銃を手に入れて、あんたらのような間抜けどもを始末できる」この手の言葉は何度も聞いたことがあったし、その日のわたしはあまり機嫌がよくありませんでした。

そのため、日頃自分が教えていることを実践するのではなく、リーダーを言い負かそうとして熱弁をふるい始めてしまったのです。

それはうまくいきませんでした。

すぐに自分がやっていることに気づいたわたしは、

立ち止まり、いのちとつながり直し、NVCのトレーニングで教えていることを実際に使い始めました。

1人の人間である彼が、どんな感情とニーズを抱えているのか、ただ聴こうとしたのです。

わたしは自分のあり方を変えて、こう伝えました。

「つまり、きみは、この街におけるコミュニケーションに対する一定のリスペクトを望んでいるんだね。

そして、これまできみたちを助けると言ってきた人たちが、ここの人たちをどれだけ虐げてきたかについて、気づいてほしいんだね」リーダーを言い負かそうとするのではなく、わたしは彼の感情とニーズをただ理解しようとしました。

これが変化を生んだのです。

彼はただそこに座り、話し合いの続きを眺めました。

ミーティングが終わると、外は暗くなっていました。

わたしは自分の車に向かって歩き出しました。

その地域は、白人にとって少し危険な場所です。

突然、「ローゼンバーグ!」と呼び止められ、内心「おっと、油断しすぎた」と思いました。

その声の主は「俺を乗せてってくれ」と言ったあと、行き先を告げました。

車に乗り込んだ彼は、すぐに先ほどの話し合いのやりとりを持ち出してきました。

わたしが相手を言い負かそうとするのをやめて、相手を理解しようと態度を変化させたときのことです。

「あのとき、あんたは俺に何をしていたんだ?」わたしは答えました。

「あれが、わたしが話していたプロセスだよ」そのあとの彼の言葉は、わたしたち2人のその後の13年間を大きく変えることになりました。

「そのプロセスとやらの教え方を俺にも教えてくれよ。

ズールーの連中に伝えたいんだ(ズールーというのは、彼が束ねているギャングの名称です)。

俺たちは銃で白人どもを倒すことはないだろう。

そういうプロセスを学ぶことが必要になってくるんだ」「じゃあ取引しよう。

もしきみが木曜日にワシントンまで一緒に来てくれたら、ズールーのメンバーへの教え方を教えよう。

わたしは教育関係者に、黒人たちが学校に火をつけている理由を話すために招かれているんだ」リーダーは笑いました。

「おいおい、俺は学がないんだぜ」「いいかい。

今みたいにこの話を理解できるなら、きみは立派な教育を受けている。

学校に通っていないかもしれないが、良い教育を受けているってことだ」ギャングのリーダーは、わたしとワシントンを訪れて、すばらしい仕事をやってのけました。

なぜ生徒たちが学校に放火するのかを、そこに集まった教職員たちが理解する手助けをしたのです。

それから13年間、彼とわたしはアメリカ南部のあちこちをまわり、学校内の人種差別を撤廃する取り組みを手伝いました。

連邦政府の依頼で対立の激しい地域に足を運んでは、黒人と白人の間の紛争解決に携わったのです。

その後、彼はセントルイスの公共住宅政策の責任者になりました。

数年前には、同じストリートギャングのメンバーの1人が、セントルイスの市長になる一歩手前まで活躍したのです。

社会制度を変える行動のないビジョンは夢にすぎず、ビジョンのない行動は暇つぶしにすぎない。

行動をともなうビジョンが、世界を変える。

──ジョエル・バーカー(未来学研究者)学校以外の大きなギャングについては、どうでしょうか?学校と同じくらい、わたしたちにとって変化が必要なもう1つの大きな領域が、司法制度、すなわち法制度を司っている政府機関のギャングです。

アメリカで行われた研究では、同じ罪で有罪判決を受けた2人のうち、1人は投獄され、もう1人は投獄されなかった場合、投獄された者のほうが釈放後に暴力をふるう可能性が高いという結果が出ています。

低所得者や有色人種は、死刑を言い渡される確率がはるかに高いこともわかっています。

おぞましいことですが、これは事実であること、また変化が必要なのはシステムであり、ギャングだということもわかっています。

ギャングに属している1人ひとりの人間は怪物ではありませんが、ギャングの一員として変化する必要があるのです。

わたしは、今や誰もが、この国の司法制度の一部である懲罰的な構造の失敗について気づいていることを願っています。

必要なのは、報復的司法から修復的司法へのシフトなのです。

では、わたしたちは、社会を変えるエネルギーとスキルをどこに求めればいいのでしょうか?これらのギャングによってあまりにも精神的に影響を受けてきたわたしたちは、自分自身と家族を立て直すだけで手いっぱいかもしれません。

自分の内側の世界を変え、身近な人たちと人間らしいつながりを築こうと試みたそのあとに、どうすればより大きなギャングたちに挑むエネルギーを残していくことができるのでしょうか?

エクササイズ何か自分の気に入らないことがあるとき、それを変える取り組みに乗り出す可能性を高められるような、具体的にできることを1つ考えてください。

紙に書き出したらどこかに貼っておき、その行動を思い出せるようにしておきましょう。

敵のイメージを変容し、つながりを生み出すわたしたちの世代における最大の革命は、人間の革命だ。

心という内側の態度を変えることによって、自分を取り巻く外側の世界を変えられるのだから。

──マリリン・ファーガソン(社会心理学者)NVCのトレーニングを行うとき、わたしたちは参加者に次のような状態で家に帰ってほしいと願っています。

それは、「NVCによって自分の内側の世界を変えられる」と意識できているだけでなく、「外側にも自分たちが住みたい世界をつくり出せる」と実感できている状態です。

NVCでは、「わたしたちには間違いなくその力があり、そのエネルギーがあり、なくても手に入れられる」と示すことができます。

では、その方法とは?まず、わたしたちに必要なのは、「〝敵〟のイメージ(エネミー・イメージ)」から自分を解放することです。

敵のイメージとは、ギャングに所属する人々のどこかがおかしいに違いない、という考え方です。

もちろん、簡単にはいかないでしょう。

ギャング的な行為を働く人を、自分と同じ人間として見るのは難しいことです。

ギャングという集団に対しても、それを構成する個人に対しても。

一例をお話ししましょう。

ノースダコタ州ファーゴの学校を訪れたときのことです。

仕事そのものはミディエーションが目的ではなかったのですが、学校に紹介してくれた女性から、個人的な頼みごとをされました。

「マーシャル、じつは父の引退のことで家族が揉めているんです。

父が農場経営から退こうとしたら、大きな農場の分割方法をめぐって、2人の兄が大喧嘩を始めて、ついに裁判沙汰にまで発展してしまいました。

ほんとうにひどいありさまです。

もしよければ、わたしがあなたのスケジュールを調整して、2時間半ほどランチの時間を確保するので、ミディエーションに来ていただけませんか?」「何カ月も続いているんですか?」「いいえ、何年も、です。

マーシャル、ランチタイムで申し訳ないけれど、助けていただけるのなら、どんなことでもありがたいです」というわけで、その日、わたしはその父と2人の息子が待つ部屋へ入っていきました。

ちなみに、父親は農場の敷地の真ん中に住み、息子たちはそれぞれ反対側に住んでいます。

なんと兄弟はもう8年間も口をきいていません!そんな2人に、わたしはいつもの問いを投げかけました。

「あなたがたは何を必要としているか、教えてもらえますか?」弟が突然、声を荒らげました。

「兄貴と父さんは、一度でも俺を公平に扱ったことがあるか?お互いのことばかりで、俺なんて構ったことがないじゃないか」すると兄が応酬します。

「ああ、おまえは一度たりとも農場の仕事をやってないじゃないか」その調子で兄弟の怒鳴り合いは2分ほど続きました。

問題の背景をそれ以上、聞く必要はありませんでした。

わたしにはその短い時間の中で、双方にどんなニーズがあって、それらが十分に扱われ、理解されていないことを推測できました。

あとの予定が詰まっていたので、さっそくわたしは兄に切り出しました。

「ちょっと失礼。

しばらくわたしが、あなたの役を演じてもいいでしょうか?」兄はとまどっていたようでしたが、肩をすくめて「どうぞ」と言います。

そこでわたしは、兄がNVCのスキルを身につけているという前提で、兄の役を演じました。

わたしは、弟の批判的な表現方法の奥に、どんな満たされないニーズがあるかを聴くことができました。

そして、わたしは兄のニーズについては十分聴いていたので、別の形で彼のニーズを表現することができました。

このようにして、兄と弟が互いのニーズを理解するのを手伝い、大きな前進が見られました。

しかし、その間に2時間半が過ぎてしまったので、わたしは学校のワークショップに戻らなければなりませんでした。

翌朝、兄弟の父親──先述のとおり、息子たちの話し合いに同席していた父親──が、教師たちにワークショップを行っているわたしのところへやってきました。

彼は廊下で待っていました。

わたしが行くと、目に涙を浮かべています。

「昨日、家でしてただいたことに、心から感謝します。

あのあと、8年ぶりにみんなで夕食に出かけて、食事をしながら和解できたんです」ご覧いただいたように、互いが相手に対して抱いている敵のイメージを乗り越え、相手のニーズを認識できれば、その先の段階、つまり、互いのニーズを満たす方法を探すという段階は、何もできていない状態と比べると、驚くほど簡単になります。

敵のイメージを乗り越えることが、大変なのです。

これは、「相手の犠牲のもとに自分だけ恩恵を得ることはできない」と、双方に理解してもらうことです。

一度、その点を明確にできれば、人間らしいつながりが生まれ、たとえ骨肉の争いのような複雑な事柄であっても、解決不能ではなくなるのです。

これと同じことが、ギャングにも当てはまります。

わたしはさまざまな対立のミディエーションを依頼されてきましたが、いちばん多いのは、誰もが──自分のニーズとリクエストを明確に表現する方法は知らずに──相手の病状診断においてきわめて雄弁である、という事実です。

つまり、相手の行動は相手自身のここがまちがっているからだ、と指摘することに長けているのです。

対立しているのが、2人の人間であれ、2つの集団であれ、2つの国であれ、人は相手に敵のイメージを抱き、まずは相手のどこが間違っているかを指摘することから始めます。

そんなやり方では、離婚訴訟や爆弾の落とし合いはもう目前です。

敵対する部族のミディエーション変わる必要はない。

生き残ることは強制ではないのだから。

──W・エドワーズ・デミング(統計学者)以前、ナイジェリア北部で対立する2つの部族のミディエーションを依頼されたことがあります。

かたやキリスト教徒の族長たち、かたやイスラム教徒の族長たちです。

市場でそれぞれの部族の商品を置く場所の数をめぐって、ひどい暴力が繰り返され、わたしが訪れた年には、400人の地域住民のうち100人が殺されたほどです。

ナイジェリアに住み、これらの暴力を目の当たりにしていたわたしの同僚は、たいへんな苦労の末にそれぞれの族長たちと会い、和解を探るための話し合いに

同意してもらえるよう説得を続けました。

説得には6カ月を要しましたが、ようやく双方が顔を合わせることになり、わたしが呼ばれたというわけです。

その会場に入っていくわたしに、同僚が耳打ちしました。

「マーシャル、覚悟しておいてください。

かなり緊張しているはずだから。

参加者のなかの3人は、自分の子どもを殺した人間が来ているのを知っているんです」なるほど、最初のうちはかなり緊張していました。

それまで2つの集団同士であまりにもたくさんの暴力があったなかで、いま初めて同じ席についたのです。

テーブルの両側には、それぞれの集団から来た族長たちが12人ずつ座っています。

わたしはいつものやり方でミディエーションのセッションを始めました。

「わたしは、誰のニーズであっても、それが表現されて理解されることができたら、全員のニーズを満たす方法が見つけられると自信を持っています。

では、どなたから始めたいでしょうか?ご自分の何のニーズが満たされていないか、教えていただきたいんです」残念ながら、族長たちはニーズを表現する方法を知りませんでした。

彼らが知っているのは、非難や決めつけの表現だけです。

キリスト教徒側の族長の1人が、わたしの問いかけには答えず、向かい側のイスラム教徒たちに怒声を浴びせ始めました。

「おまえたちは人殺しだ!」(前述のとおり、わたしの問いかけは「相手側をどう思いますか?」ではありません)「あなたがたの何のニーズが満たされていないのですか?」とわたしが問いかけても、すぐさま族長たちの頭に浮かんでくるのは、敵のイメージでした。

すると、間髪をいれずに相手側もやり返します。

「おまえたちは、わたしたちを牛耳ろうとしてきたじゃないか」これもまた相手に対する診断です。

このような敵のイメージを互いに抱き続けている様子から、人口の30パーセントもが市場の縄張り争いで殺されている理由を、わたしは見て取ることができました。

両者は罵り合い続け、秩序を取り戻すのはたやすいことではありません。

しかし、NVCのトレーニングが示すとおり、あらゆる批判、決めつけ、敵のイメージは、満たされないニーズの悲劇的で自滅的な表現方法なのです。

したがって、こういうミディエーションの場でわたしは、紛争の当事者たちのなかにある敵のイメージをニーズに翻訳するという形で、NVCのスキルを貸し出します。

これは相手が「おまえたちは人殺しだ!」と叫んだ紳士の場合、それほど難しいことではありませんでした。

そこで、わたしは尋ねました。

「族長、あなたは安全に対するニーズが満たされていないと言いたいのではありませんか?あなたは安全を必要としている。

問題が何であれ、非暴力的に解決できることを願っている。

そういうことですか?」すると男性は「そう、わたしが言っているのはまさにそれだ」と答えます。

いや、まさにそれ、ではありません。

実際には「おまえたちは人殺しだ!」と言ったのですから。

しかし、相手に対する敵のイメージよりも、ニーズに耳を傾けるほうが、真実に近づくことができます。

わたしは、NVCのスキルを使って、決めつけの裏側にあるニーズを聴きとることができました。

しかし、これだけでは十分ではありません。

その男性のニーズが、もう一方の部族からも聴かれるようにする必要があります。

そこで、わたしは、もう一方の部族のメンバーに、相手側の族長のニーズを復唱するようにお願いしました。

テーブルの向こうのイスラム側の族長たちを見やって、こう言ったのです。

「そちら側のどなたでも結構ですが、今この族長が言ったニーズを、伝え返していただけますか?」すると1人が叫びます。

「おまえたちはなぜ、わたしの息子を殺したんだ?」そこで、わたしはその族長に言いました。

「族長、その問題はまもなく取り上げます。

今は、こちらの族長がどんな感情とニーズを持っているか、伝え返していただけませんか?」当然ながら、その族長にはできませんでした。

相手を「こうだ」と決めつけるのに忙しくて、今しがたわたしが手伝って言葉にした相手側の感情とニーズを、彼は聴くことができなかったのです。

そこでわたしは繰り返しました。

「族長、相手側の族長から聞こえてくるのは怒り、強い怒りです。

なぜならこの族長は、全員が安全であるために、どんな対立であっても暴力以外の方法で解決されてほしい、というニーズを持っているからです。

話が通じているかを確認したいので、今の言葉を、ただ伝え返していただけませんか?」でも、その族長にはまだできませんでした。

彼が相手の感情とニーズを聴けるまでに、わたしは少なくとも2回、同じメッセージを繰り返さなくてはなりませんでした。

そしてついに、彼はみずからの口で言うことができたのです。

次にわたしは、この族長たちのニーズの表現を手伝いました。

「さて、相手方のニーズを聴きとったところで、今度はあなたたちの番です。

わたしに、あなたがたのニーズを聴かせてください」すると、最初に決めつけの言葉をぶつけてきた族長が、また訴えました。

「やつらはずっと前から、わたしたちを牛耳ろうとしてきたんだ。

これ以上、許しておくわけにはいかない」相手が悪いのだという決めつけの言葉の根底にあるニーズを察知して、わたしは、彼の決めつけをニーズに翻訳しました。

「あなたがお怒りなのは、このコミュニティが平等であることへの強いニーズがあるからですか?」「そうだとも」それを聞いたわたしは、もう一方の部族のメンバーに言いました。

「今の言葉を繰り返してみていただけますか。

コミュニケーションが取れているかを、確かめたいので」こちら側の部族も、最初は繰り返すことができませんでした。

さらに2回ほどわたしが繰り返したところで、ようやく、相手側には平等というニーズがあり、それが満たされていないことへの怒りがあるのだ、と理解したのでした。

こうして両者がそれぞれのニーズを明確にし、相手側に聴いてもらうことに、全部で1時間近くかかりました。

その間に、喧々囂々の言い合いが頻繁に起こったからです。

しかし、ようやく双方が相手方のニーズを1つずつ聞きとった時点で、族長の1人が勢いよく立ち上がって、こう宣言したのです。

「マーシャル、我々は1日じゃ学びきれない。

だが、双方がこういう話し合いのやり方を知っていれば、殺し合いをせずに済むだろう」そう、この族長は1時間ほどで理解したのです。

敵のイメージに押し込めることなく自分のニーズを表現できれば、平和的に対立を解決できるということを。

わたしはこう伝えました。

「族長、これほど早く理解していただいて、わたしはうれしいです。

じつはこの話し合いの終わりに、次に対立が起こったときに備えて、両方の部族の人たちがこのやり方を使えるように、ご希望であれば喜んでトレーニングしたいと提案するつもりでした。

今日のところは、わたしはミディエーションのために来ました。

トレーニングをするためではありません。

たしかにあなたの言うとおり、このやり方は1日で学びきれるものじゃありません」するとその族長が言いました。

「わたしはぜひ、そのトレーニングに参加したい」他にも何人かが、ぜひトレーニングに参加したいと申し出てくれました。

お互いのニーズと明確につながる方法を知っていれば、武力に訴えずに対立は解決できる、と理解したのです。

テロリズムに取り組む平和の革命を不可能にする者たちは、暴力の革命を不可避にするだろう。

──ジョン・F・ケネディ(元アメリカ合衆国大統領)多くの人が、テロリズムに取り組むためにNVCを活用する方法を教えてほしいと言ってきます。

まずわたしたちに必要なのは、「テロリスト」や「正義の味方」というイメージから脱却することです。

相手をテロリストと見なし、自分たちを正義の味方と考えている限り、わたしたちは問題の一部になってしまいます。

次に必要なのは、わたしたちをひどく恐怖させ傷つけるような行動を相手がとったときに、その人たちの内面で何が息づいていたかに共感することです。

つまり、相手側はその行動によって、どのような人間としてのニーズを満たそうとしていたのかを、見る必要があるのです。

相手の人間としてのニーズに共感をもってつながることができるまでは、わたしたちがどのような行動をとっても、その行動は、さらなる暴力を引き起こすエネルギーから生まれる可能性が高いのです。

では、わたしたちが「テロ」と呼ぶような行為をしてきた人々について、考えてみましょう。

わたしが確信を持っているのは、その人々は30年以上にわたって、さまざまな方法で自分たちの苦痛を表現してきた、ということです。

かつてその人々は、テロよりもずっと穏やかな方法で苦痛を表現していました。

わたしたちが経済的、軍事的ニーズを満たすためにとった行動によって、彼らは、自分たちの最も神聖なニーズがないがしろにされていると感じ、その痛みをわたしたちに伝えようとしていたのです。

ところが、わたしたちがその痛みを共感的に受け止めなかったため、彼らは苛立ちちを募らせていきました。

最終的に、その苛立ちちはおぞましい形に発展したわけです。

これが、最初にやるべきことです。

つまり、相手をテロリストと見なすかわりに、共感する必要があるのです。

これを聞くと多くの人は、「テロを容認せよ。

そして何千人もの人が殺されても笑ってやり過ごすべきだ」という意味に受け取るようです。

まったく違います!共感の次にわたしたちに求められるのは、自分たちがどんな苦痛を抱えているか、相手の行動によってどんなニーズが満たされなかったかを明らかにすることです。

そして、相手とその点でつながりが持てたときに、双方のニーズを平和的に満たす方法を見つけることができるのです。

一方、相手にテロリストのレッテルを貼って、テロリストであることを罰しようとするなら、結末は見えています。

暴力はさらなる暴力を生むでしょう。

「テロリストというギャング」への取り組み方をトレーニングする際に、必ず「絶望のワーク」から始めてもらう理由も、そこにあります。

絶望のワークというのは、自分の内面に目を向け、ギャングに対して感じている苦痛と向き合うことです。

今まで抱いていた敵のイメージの1つひとつを変容させて、自分のどのニーズが満たされていないかを明確にしていくのです。

つぎにトレーニングで皆さんに知ってもらうのは、どのようなレベルの社会の変化を目指しても──たとえ相手が政府や多国籍企業のような巨大ギャングであっても──基本的に勢いと数の問題である、ということです。

ギャング内の十分な数の人がものの見方を根本から変えて、「人間としてのニーズを満たすうえで、ギャング的な行動よりもっと効果の高い方法があるのだ」と理解したとき、変化が起こるのです。

この場合もやはり、わたしたちは、既存の構造を破壊するのではなく、その構造の内部にいる人々とつながって、より効果が高く代償の少ない形で彼らのニーズを(他者のニーズとともに)満たせるような方法を探します。

それによって、変化を起こそうとするわけです。

ある多国籍企業に対して、わたしたちは組織やビジネスのあり方を変えてほしいと思っています。

しかし、雇用や取引の商習慣によって環境を破壊し、他国の労働者たちを苦しめているからその企業の人々は邪悪だ、と説き伏せるようなことはしたくありません。

わたしたちは、「企業というギャング」の内部にいる人たちとつながり、他者を犠牲にして自分たちのニーズを満たすことはできないことを、彼らにわかってもらいたいのです。

彼らが自分たちのニーズを明らかにするための、手伝いをしたいのです。

そして、彼ら自身にとっても他者にとっても代償の少ないやり方でニーズを満たせるように、組織を変容させていく方法を見つける役に立ちたいのです。

これは、個人にも家庭にも、規模や複雑さの異なるさまざまな集団にも通用します。

さて、この種のコミュニケーションは時間がかかりやすく、困難がともなうかもしれません。

1人か2人の人間とつながって、内面的な変容を経験してもらえばそれで十分、とはいかないでしょう。

ギャング的な行動を変えさせるには、何百万人もの人々が行動を変える必要があるかもしれません。

たとえば、ギャングが政府だとすれば、人口の何パーセントかの人々に、自分たちのニーズを満たすうえで、今のギャングが採用している方法よりも効果の高い方法があるのだと、わかってもらう必要があるでしょう。

相手のギャングが、組織をコントロールしているトップの4~5人という場合もあります。

その人たちが、より代償が少なく効果の高いやり方で自分たちのニーズを満たせることに気づけば、わたしたちの求める社会の変化は、かなり短い間に実現するでしょう。

いずれにしても、ギャングを対象にした変革は、たいていは個人が起こせる変革よりもはるかに大きな仕事になります。

平和の実現には、復讐でもなく、単にもう一方の頬を差し出すことでもなく、はるかに難易度が高いものが求められます。

なぜなら、互いへの攻撃に駆り立てるきっかけとなっている、恐怖や満たされないニーズに共感する必要があるからです。

そうした感情やニーズに気づいた人は、人間の無知がこのような暴力を生み出していることが見えてきて、攻撃に攻撃で応えようという意欲を失います。

かわりに、暴力を乗り越えて協力関係を築けるような、共感的なつながりと教育を人々に提供することを目指すようになるのです。

人が自分のニーズとつながったとき、他罰的な怒りは失われていきます。

もちろん、自分のニーズについては、満たされているのか、いないのかを評価する必要はあります。

ただし、それは頭で分析して、何らかの形で自分のニーズを満たしていない人たちを敵視し、悪者扱いすることではありません。

心につながってニーズを見ようとするのではなく、頭のなかで他者を「こうだ」と決めつけるたび、相手が喜んでわたしたちに与えようとする可能性を下げてしまうのです。

怒り、不満、暴力の裏側にあるニーズにつながることができたとき、人は確実に、違う世界へ一歩踏み出します。

その世界を、13世紀に生きたイスラム神秘主義の思想家・詩人のルーミーは、こう表現しました。

「まちがった行い、ただしい行いという思考を超えたところに、野原が広がっています。

そこで会いましょう」

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