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私は世界一のニコチン中毒患者だった

はじめに

「世界中の喫煙者にタバコをやめさせてみせる」こう宣言したとき、妻は私が気でも狂ったのかと思ったそうです。

そりゃあ私がタバコをやめようとしては挫折している姿を二年に一度は見てきたのですから、そう思ったのもしかたがないことです。

最後に六ヵ月の苦しい禁煙に耐えた末に失敗したときには、私は赤ん坊のように泣いてしまったほどでした。

「これで自分は一生タバコを吸い続けることになる、こんなに努力しても失敗したのだから、もうやめられっこない」そう思うと涙が出てきてしまったのです。

さらに妻の驚きがもっともなのは、私が最後の一本を揉み消した直後にこの宣言をしたことです。

禁煙を決意しただけでなく、世界中の喫煙者をやめさせると豪語したのですから―今考えると、私の一生は喫煙問題解決のためにあつたように思われます。

若いときつらい思いをした会計士の勉強でさえ、タバコの罠からの抜け道を探しだすための重要な一過程だったのでしょう。

万人をだませる罠などない、と言われますが、喫煙の民に関してはタバコ会社は万人をだますのに成功したと言えます。

私がその罠を暴くまでは……。

偉そうなことを言っていると思いますか?いいえ、私がタバコの謎を解けたのは私が偉いからではなく、私の置かれていた状況からの自然のなりゆきだったです。

その問題の瞬間は、一九八三年七月一五日にきました。

これは想像にすぎませんが、私が最後の一本を揉み消した瞬間の安堵感は、戦争中ドイツのコルデイツツ強制収容所を脱出した人たちの安堵感と同じくらい大きかったと思います。

私はすべての喫煙者が待ち望んでいたもの――やさしい禁煙法――を見つけたのです。

そして、友人や親類を実験台にしたテスト期間を経て、本格的に禁煙コンサルタント業を開始しました。本書の初版は一九八五年に発売されました。そのきっかけを作ってくれたのが二五章に出てくる男性患者です。

彼は私のセラピーを三度受けましたが、三度ともあまりにも動揺していたため私の話を理解できず、私も彼を何とかリラックスさせようと焦り、最後には二人とも泣いてしまいました。

私の考えを紙に書き留めれば、彼は自分の精神状態のいいときに何度も読むことができる。そうすれば私の考えもよくわかってもらえるだろう……。

こうして本書が生まれたのです。驚いたことにタバコの問題については毎日必ず何か学ぶことがあります。しかし本書の基本的考え方はいつも同じです。

世の中には一〇〇パーセント完全なものはないかもしれませんが、本書の二一章だけは絶対書き直すつもりはありません。

また、書くのが最も簡単で、そして読者が一番気に入つてくれるのもこの二一章です。禁煙セラピーでの経験と、本書に対する五年間のフィードバツクをもとに、初版にいくらか修正。

加筆したのが本書です。

セラピーの失敗のケースを参考に、本書では失敗がなくなることを目指しました。

私のセラピーが失敗に終わるほとんどのケースは、親に無理矢理連れてこられた、禁煙をする意志などこれっぽつちもない若者です。それでも、こんな若者たちの七五パーセントは成功しています。

ときには二五章の男性のように、真剣にやめたいのにやめられないケースもあります。

そんなとき、私の胸は痛み、どうやってその人を助けたらいいのか考えると夜も眠れなくなることもしばしばです。

禁煙はいかにやさしいか、やめればどんなに楽しい人生が待っているのかを私がうまく伝えられなかったのですから、患者さんの失敗は私の失敗と思っています。

しかし、禁煙はやさしいだけではなく楽しくもあるということは、タバコを吸う人なら誰でも理解できるはずです。

ただ、あまりにも自分の考え方に固執していて想像力を使えない人には理解できません。そういう人はやめるのが怖くて心を開けないのです。

実際にはタバコが恐怖心を作りだしているだけで、タバコをやめればその恐怖心もなくなります。

私は本書の初版を、禁煙のお手伝いが及ばなかった一六〜二〇パーセントの人へ献呈しましたが、この数字はセラピーが失敗した場合の料金返金制度にもかかわらず得られた実績です。

これまで私の禁煙法を批判する人もたくさんいました。でも私の方法はどの喫煙者にも効くのです。

「あなたの方法は私には効かなかった」というのが一番よくある苦情ですが、そういう人に限って私の指示に半分も従っておらず、それでいてなぜ自分がまだタバコを吸っているのか理解できていないのです。

一生抜けられない迷路に入ってしまったと想像してみてください。私が迷路の見取り図を見ながらこう言います。「そこを右、そこを左に曲がって……」。

わたしの指示の一つでも聞き逃したら、その後の指示はすべて無効になり、絶対に迷路からは抜け出せません。

私の禁煙セラピーはもともとマンツーマンで始まりましたが、一種のいかがわしいやぶ医者のように思われていたらしく、当時は本当に切羽詰まった喫煙者しかきませんでした。

しかし今では禁煙専門家のリーダー格と認めていただき、世界中から患者さんが飛行機でやってくるまでになりました。

現在のセラピーは八人のグループで行なっており、セラピーの広告は一切出していないのに、それでもウェイティングリストが消えません。

私の禁煙セラピーにはアルコールやヘロインの元中毒者、または複数の中毒症を克服した人もよく参加しにきます。

私の禁煙法をアルコールやヘロイン中毒にも応用してみてわかったのですが、アルコール中毒者更生会や麻薬中毒者更生会に参加したことがない人ならば、喫煙者を治すより簡単に更生させることができます。

私の方法はどんな中毒症にも応用できるのです。

私がもらう手紙の中で一番かわいそうなのは、本書を読んで、または私のビデオを見て一度は禁煙したのにまた始めてしまう人たちです。

禁煙できたときにはとても喜んでいたのに、また罠にかかってしまい、もう二度目は効かないのです。

私はこの問題を解決したい、そしてタバコとアルコール、その他の麻薬との関係も証明したいと思っていますが、それは二冊目に預けることにしましょう。

本書にはこれまで、たくさんのお褒めの言葉といくらかの批判の言葉をいただいています。初期のころは専門家に酷評されましたが、今では彼らが最も熱心なサポーターです。

これまでの一番の褒め言葉をくれたのも、ある医者でした。「私がこの本を書きたかつたなあ」と。

■もくじ■

  • 私は世界一のニコチン中毒患者だった
  • なぜこんなにやさしく禁煙できるのか
  • なぜタバコを吸うのか、理由が答えられますか
  • あなたは罠にはまっている
  • タバコを吸うのは、なぜ?
  • タバコは習慣ではない、麻薬中毒だ
  • タバコ会社の強烈な洗脳力
  • タバコは何も与えてくれない
  • ストレスを和らげるという幻想
  • 退屈を紛らすという幻想
  • 集中力を高めるという幻想
  • リラックスさせてくれるという幻想
  • コンビネーシ∃ン・タバコの悲惨
  • タバコをやめて失うものがあるか?
  • 自ら進んで奴隷生活に甘んじるなんて
  • 週××円節約しよう
  • タバコの害はすでに体に広がりつつある吸えば吸うほど疲労感が沈殿する
  • タバコ自身が生みだす恒常的不安感
  • 喫煙者の心の奥にひそむ不吉な黒い影
  • 喫煙の利点
  • 精神力でやめようとするな
  • 減煙は禁煙よりずっと難しい
  • とり返しがつかない「ちよっと一本」の油断
  • ときどき吸う人、一〇代の喫煙者、吸わない人自分の異常さに気づかない、隠れて吸う人
  • 社会的プレツシヤーに怯える喫煙者
  • 必ず成功する禁煙のタイミング
  • 麻薬中毒者をうらやむことはない
  • 禁煙すると太るって本当?
  • まやかしの動機で禁煙しても失敗するだけ
  • 禁断症状などもともと存在しない
  • 禁断症状からの離脱期間を乗り切る
  • 禁煙の意志を粉々にする「一服」の破壊力
  • 職業がら禁煙しにくい人
  • 禁煙に失敗する二つの理由
  • 代用品を使っても効果はない
  • もう吸う必要のないことを心から喜ボ
  • 素晴らしい真実が見えるとき
  • さあ、最後の一本を吸おう
  • 最後の警告
  • 五年間のフィードバック
  • 沈みゆく船に残された哀れな喫煙者を救え吸わない人へのアドバイス
  • タバコ・スキャングルに終焉を
目次

私は世界一のニコチン中毒患者だった

本書を始めるにあたって、まず私自身、いかにこの本を書く資格のある人間かをお話しましょう。私は医学博士でも精神科医でもありません。もつとふさわしい資格を持ちあわせています。

私は三三年もの間、どうしようもないヘビースモーカーだったのです。タバコをやめる直前は、多い日で一〇〇本、少ない日でも六〇本は吸っていました。禁煙は何度も試みました。いいときで六か月禁煙したこともあります。

しかしそのときもイライラするばかりで、タバコを吸っている人の近くに寄っていっては煙を吸い込もうとしたり、列車に乗ってもわざわざ喫煙席に座る始末でした。

ほとんどの喫煙者は健康のことを考えて「病気になる前にはやめよう」と思っています。私も「このままでは死んでしまう」というところまでいきました。

常に頭痛と咳に悩まされ、額を流れる血管がどくどくと波打つのを感じ、いつ脳いっ血で死んでもおかしくないと感じていました。

不安に怯えながら、それでもタバコをやめられなかったのです。もともと、タバコの味が好きだったわけではないのです。

ほとんどの喫煙者が「タバコは美味い」という錯覚に陥りますが、私は一度もそんな幻想は持ちませんでした。タバコの味や臭いは嫌でたまらなかったのです。

それでもタバコを吸えばリラックスできると思っていましたし、自信もつくと信じていました。タバコなしの人生など想像もつかなかったのです。

とうとう私は禁煙を試みることさえやめてしまいました。妻はそんな私を見るに見兼ねて催眠療法を申し込みました。

しかし、その頃の私には催眠療法の知識はこれっぽっちもなく、その効果なんてまったく信じていませんでした。

私は「自分は意志の弱い人間だ」とは全然思っていませんでした。タバコを除いては、人生すべて私の意志通りに動いていましたから……。そんな私にとって催眠療法は意志の強制でしかありませんでした。

「誰も私をごまかしてタバコをやめさせることなどできるものか」と居直っていました。

催眠療法士は私の腕を動かそうとしたり、いろいろなことを試みましたが、私は一度も意識を失わず、少なくとも私の覚えているかぎりでは洸惚状態のかけらも感じませんでした。

ところが、この催眠療法で私はタバコをやめられたのです。

それも、禁断症状からの離脱期間中さえ禁煙のプロセスを楽しめるほどに―ここまで読んで、すわ催眠療法だ、と走り出さないでください。

催眠療法はコミュニケーションに基づいた治療法であり、このコミュニケーションの内容が間違つていれば禁煙はできません。

私は催眠療法であったにもかかわらずやめられたのであって、催眠療法だからやめられたのではないのです。

また催眠療法をはなから否定するつもりもありません(私の禁煙セラピーでも一部この方法を使っています)。ただ、催眠療法で使われる暗示力はよい方にも悪い方にも利用できるため、危険性を免れないのです。

本当に信頼をおける人に紹介してもらつた催眠療法士以外は利用しないことをお勧めします。悲惨な喫煙時代、タバコなしで生きるぐらいならタバコで死んだほうがましだと思っていました。

タバコをやめた今日、「ときどきは吸いたくなりますか?」と聞かれることがありますが、そのときはこう答えます。「いいえ、全然」そう、本当に全然吸いたくならないのです。

私自身、科学的理性の持ち主ですから、この魔法のような出来事は理解に苦しみました。以前は何週間もの暗黒の苦しみの末、結局やめられなかったタバコが、あるときいとも簡単にやめられた不思議。

催眠術や禁煙に関する本を読みあさってみましたが、納得のいく説明は得られませんでした。どうしてやめられたのか、答はなかなか見つかりませんでした。

しかし、それは後ろから前へ答を探していたから、つまり「なぜ簡単にやめられたのか」ばかり考えていたからです。本当に大切なのは、「なぜ禁煙が難しいのか」を理解することです。

たとえばタバコをやめようとするとひどい禁断症状が出るとよく言いますが、私の場合、肉体的禁断症状はゼロでした。苦しいのは体ではありません。禁煙は心の問題なのです。

現在の私の職業は禁煙コンサルタントです。私のセラピーは大変高い成功率を誇っており、これまで何千という人々の禁煙をお手伝いしてきました。

本書を始めるにあたって、一つはっきりとさせておきたいことがあります。

「誰でもタバコはやめられる。それも簡単にやめられる」ということです。基本的に人は「恐れている」からタバコを吸います。

  • タバコがなければ人生つまらないのでは?
  • 損をするのでは?

喫煙者はそういう不安を持っています。

しかしそんな不安は意味がありません。タバコを吸わなくても人生は楽しいのです。それも吸っている人よりもずっと楽しいのです。

もちろん健康や活力やお金などは禁煙から得られる収穫ですが、禁煙にはそれ以上に素晴らしいことがたくさんあります。

誰でも簡単にタバコをやめられます。あなたもです―心を開いてこの本を読んでください。本書の内容をよく理解すればするほど禁煙もやさしくなります。理解できなかったとしても、本書の指示に従えば簡単にやめられます。

私の禁煙法で失敗するとすれば、それは次のどちらかが原因です。

①指示に従わなかった

私の指示は、ときに押しつけがましいと文句を言う人もいます。

たとえば、減煙しようとするなとか、お菓子・チューインガムといった代用品(特にニコチンを含むもの)を使うなとか……。私のやり方は確かに独断的です。

でもそれは私がタバコのことをよく知っているからです。確かに代用品などのトリックを使ってタバコをやめる人もたくさんいます。

でもそれはトリックなのにもかかわらずやめられたのであって、トリックだからやめられたのではありません。

ここで私がお話することにはそれぞれ意味があり、禁煙をより簡単にする、すなわち成功をより確実にするためなのです。

②正しく理解できなかった

何事も当たり前だと思ってはいけません。私の話を疑う前に、タバコに関するあなた自身の考えや世間一般の常識に疑いを持ちなさい。

たとえば、タバコはただの習慣に過ぎないと思っているあなた、思い込みを捨てなさい。他の習慣なら楽しい習慣でも簡単にやめられるではありませんか。

それなのに、ひどい味がして、お金がかかって、人間を死に至らしめる習慣をやめるのがどうしてそんなに難しいのでしょうら″?

・タバコはおいしいと思っているあなた。

人生にはもつとおいしいものがたくさんあって、それはあってもなくてもたいして気にならないのに、タバコだけはいつもなくてはならず、なければパニツクに陥るのはどうしてですか?

なぜこんなにやさしく禁煙できるのか

従来の禁煙法は、始めたときはエベレストにでも登り始めた気分、二、三週間後には無性にタバコが恋しく、吸っている人がうらやましくなる、そのようなものでした。

しかし本書は、あなたが悪い病気を克服したときのように意気揚々と、今すぐ禁煙を始めたい気分になれることを目的にしています。

本書の禁煙法でタバコをやめたあとは、タバコのことを考えるたびに「どうしてあんなものを吸っていたんだろう」と思うようになります。

そして、タバコを吸っている人がうらやましいどころか、かわいそうに見えてくるでしよう。ただし、現在タバコを吸っている人は、本書を読み終えるまでタバコをやめないでください。

矛盾していると思われるかもしれませんが、いいのです。私はこれからタバコに何も利点がないことを証明していきます。

吸っているあなた自身も指の間のタバコを見つめて「なんでこんなものを吸っているんだろう?」と思うことがあるでしょう(これは数あるタバコの謎の一つです)。

それでもタバコを取り上げられるともったいないことをしたと思えてきます。

また喫煙者は自分がタバコ中毒にかかっていると信じ込んでいますから、信じ込んでいるかぎリタバコなしでは、リラックスできないし集中もできません。

ですから、今すぐタバコをやめようとは思わず、まず本書を読み終えてください。

読み進むにしたがってあなたのタバコに対する欲望は少しずつ消えていくでしょう。

でも中途半端で走り出さないこと。それでは失敗します。あなたはただ私の指示に従えばいいのです。私が禁煙に成功したときには、友人や親類の数人も、ただ私がやめたからという理由で禁煙しました。

「アレンにできるなら僕にもできる」というわけです。

そのとき禁煙しようとしなかった人には、その後二、三年の間に少しずつアドバイスを聞かせて禁煙の素晴らしさに気づかせました。

そしてその後、本書が発売に至ったとき、まだぷかぷか吸っている強者に一冊ずつプレゼントしました。どんなにつまらなくても、友達の書いた本なんだから読んでくれるだろう……。

そう信じていた私は、彼らが数か月たったあともまだ読もうともしていないことを知って驚き、そして傷つきました。

そのときの私は、タバコの奴隷となった喫煙者の恐怖心に気づいていなかったのです。タバコは友情に勝る。夫婦の仲も然りです。

「タバコをやめなければ離婚するとアレンに言ってやったら?」と、私の母が妻に言ったとき、妻はこう答えたそうです。

「そんなこと言ったら彼の方から離婚を求めてきますわ」喫煙者はそれほどタバコを失うことを恐れているのです。

本書を最後まで読まない人がいるのは、タバコをやめなくてはいけなくなるからだ、ということは今の私にはわかっています。

最悪の日を少しでも先に延ばすため、一日一行しか読まない人もいるほどです。そういう人たちは、こう考えてみてください。

今、何を失うものがあるのですか?

本書を読み終えても禁煙できなかった場合、それまでと何の違いがあるでしょう?

・失うものは何もない、ただし得られるものはたくさんあります。

反対に、数日間たまたま吸っていないけれど、自分はスモーカーなのか、ノンスモーカーなのかまだ定かではない人は、本書を読む過程でわざわざタバコを吸う必要はありません。

こういう人はもうすでにノンスモーカーなのですが、頭が身体についていっていないだけなのです。本書を読み終えたときには、はっきりとノンスモーカーであることがわかるでしよう。

私の禁煙法は普通の禁煙法とは根本的に違います。

従来の禁煙法は、まずタバコの欠点を長々と並べたてたあと、「もしタバコなしで一定期間過ごすことができれば欲望は消えてくれる。そうすればタバコに拘束されることなく人生を楽しむことができる」と、謳います。

確かにこれは論理的方法ですし、毎日この方法でたくさんの人が禁煙しているのも事実です。しかしこのような方法で禁煙するのは本当はとても難しいのです。

なぜなら……

●今吸ってるタバコを消した瞬間、あなたはタバコをやめたことになります。そう考えると禁煙はたいして難しいことではありません。

たくさんあるタバコの欠点を考えて、禁煙一日目には「もう決して吸わないぞ」と思います。残された人生のことを思うとタバコは想像以上に恐ろしいですからね。

しかし問題は二日目であり、一〇日目であり、一万日日です。意志が弱くなった瞬間、酔った弾みに、ちょっと一本吸ってしまいます。喫煙は一種の麻薬中毒です。

一本のあと、もう一本吸ってしまいます。こうして喫煙者に逆戻りするのです。

②健康のことを考えればタバコは吸えないはずです。しかし、人は緊張したときにタバコを吸います。健康のことを考えると恐怖心で気持ちが張り詰め、かえって吸いたくなるのです。

2-なぜこんなにやさしく禁煙できるのか喫煙者に「タバコを吸うと死ぬぞ」と言うと、その喫煙者はまずタバコに火をつけるでしよマースデン病院(訳者注¨英国の有名な癌治療センター)の前の道には、他のどの病院よりも多くのタバコの吸い殻が落ちているのも事実です。

0「なぜタバコをやめたほうがいいのか」を考えるとかえって禁煙が難しくなります。なぜなら、タバコはある人にとっては古き良き友、またある人にとっては心の支えです。それはまた道楽であったり喜びであったりします。

いずれにしろ、タバコを欠点があるからといつて無理やり取り上げると、自ずと犠牲心が生まれます。

鮨やめる理由ばかり考えれば、問題の本質を見失ってしまいます。「どうして吸いたくなるのか、吸う必要があるのか?」を考えることの方が大切です。

私の「簡単メソッド」はこうです。まず、やめたい理由をすべて忘れてください。

そしてタバコの問題に面と向かい合い、次の問いを自分に投げかけます。

●何のためになるのか?

●本当に楽しんでいるか?

●大金を払ってこんなものを口にくわえてむせ返る必要があるのか?

タバコは何の役にもたたない。

これは素晴らしい事実です。タバコには利点より欠点の方が多いと言っているのではありません。

タバコには利点など一つもないということなど、吸っている人でもわかっていますよね。ただ一つ利点があるとすれば、それはつきあい上の助けになるということでしょうか。

しかし最近では喫煙者の間でさえ、タバコは非社交的と見なされるようになってきました。

喫煙者のほとんどはタバコに正当性を与えようとしますが、そんな正当性はすべて虚構であり幻想です。私たちは本書でまずこれらの虚構や幻想を破ります。

そうすると禁煙で失うものなど一つもないということが見えてくるでしょう。

失うものがないばかりか、吸わない人には素晴らしい利点がたくさんあることもわかるでしょう。健康やお金などは、そんな利点のほんの一部でしかありません。

まず、タバコをやめれば人生はつまらなくなるという妄想を取り除き、タバコを吸わなくても人生は変わらず楽しい、否、吸わない方がもつと楽しくなることに気づくはずです。

それはあなたの希望をかなえる大きな弾みになるでしょう‥

希望……つまり残りの人生をタバコの奴隷になることなく楽しむのです。

なぜタバコを吸うのか、理由が答えられますか

すでにお話したように、私は自分自身の経験から禁煙の問題に取り組むようになりました。

私が最終的に禁煙したときは、まるで魔法のように簡単でしたが、それ以前の禁煙では何週間も暗い憂うつな気持ちが続きました。ときどきは気分がよい日もありましたが、次の日には憂うつに逆戻り。

それはまるで足場のない穴にでも落ちたような感じで、やっと出口にたどり着き太陽が見えたかと思いきや、再び落ちていきます。

結局またタバコに火をつけ、「こんなにまずいものをどうして吸わなければいけないのだろう」と自分に問いかけたものです。私のセラピーでは禁煙希望者にまずこう質問します。

「あなたはタバコをやめたいですか?」ばかばかしい質問と言えばそうです。喫煙者なら誰だってタバコをやめたいと思っていますから。

タバコの常用者に聞いてごらんなさい。

「あなたはタバコ中毒になってしまつていますが、もし吸い始める前に戻れるとしたら、やつぱりまたタバコを吸いますか?」答はどんなによく吸う人でも「まさか」です。

確固たる喫煙者――つまリタバコが健康を害しているなどとは思ってもいない人、社会的汚名を気にしない人、タバコを買う十分な財のある人(最近はこういう人は減ってきていますが)に聞いてごらんなさい。

「あなたの子供さんにもタバコを吸うことを勧めますか?」答は「まさか」です。

喫煙者は皆、何か悪霊のようなものに囚われの身になったと感じています。

吸い始めて日の浅いうちは「もうじきやめよう、今日じやなくて明日やめよう」と思っていますが、ついには「自分は自制心がない」「喫煙は先天的に必要なんだ」「人生を楽しむためにタバコは欠かせない」などと思うようになります。

喫煙とは本当に不思議な行為です。

ただ他の人がそうしているというだけの理由で吸い始め、吸い始めた誰もが「こんなもの時間とお金の無駄だ、始めなければよかった」と悔やんでいます。喫煙者が喫煙を楽しんでいないなんて、おかしな話ではありませんか。

それでも誰もが若いときにはタバコは大人になった証拠だと信じ、必死で慣れようとします。そして時がたつと自分の子供には「吸うな」と説教し、自分は必死でやめようとするのです。

こうして喫煙者は一生を通してタバコに大枚をはたきます。

英国の喫煙者は一生に平均三万ポンド(訳者注¨約四人○万円)をタバコに使います。

それほどのお金があれば何ができるで・しよヽつ?喫煙者はそのお金でわざわざ肺を発癌性のタールで充満させ、血管を毒で侵し、痛めつけているのです。

毎日全身の細胞と臓器から酸素を奪っているのですから体はだんだんと弱っていきます。

不潔感、日臭、ヤニのついた歯、焦げのついた服、汚れた灰皿、古いタバコが放つ埃っぽい臭い……まるで一生涯奴隷生活に身を置いているようなものです。

喫煙者の人生の半分は喪失感に満ちています。教会、病院、学校、地下鉄、劇場など喫煙の許されていない場所にいるか、または減煙や禁煙をしようとしているからです。

残りの半分は喫煙を許された場所で過ごしますが、そのときも「吸わないですめばなあ」と思っています。

吸っているときは吸わないですむことを望み、吸っていないときは無性に吸いたくなるとは、いつたいこれで嗜好品と呼べるのでしょうか。

社会からはまるで病原菌のように扱われ、本当は賢明で理性的な人でも周りから軽蔑されてしまいます。

広告に添えられた警告文を読んだとき、癌予防や公衆衛生のキャンペーンに出くわしたとき、肺が苦しくなったとき、胸に痛みを感じたとき、集団の中で自分一人だけがタバコを吸っているとき……こんなとき、喫煙者は自己嫌悪に陥ります。

喜び、楽しみ、ゆとり、支え、興奮……すべて幻想です。脱いだときの快感を味わうためにわざわざきつい靴を履くような人以外には……。

何度でも言いますが、禁煙がなぜ難しいのかを説明するより、どうしてそもそも人はタバコを吸うのかを説明する方がよっぽど難しいのです。

きっとあなたはこうつぶやいているでしよう。

「確かにその通りだ。でも、一度病みつきになったらなかなかやめられないんだ」でも、どうしてやめられないのでしょう?。

それにどうしてタバコを吸わなければいけないのでしょう?

「やめられないのはニコチンの禁断症状が原因だ」とも言われています。

しかし実際の禁断症状は取るに足らないもので、ほとんどの人が麻薬中毒であることに気づかずに一生を過ごすぐらいです(6章参照)。

「タバコはおいしいからだ」と言う人もいます。しかし、タバコは不潔で忌まわしい代物です。喫煙者でタバコがおいしいと思っている人がいれば聞いてごらんなさい。

もしいつものブランドが手に入らなくなり、自分がまずいと思うブランドしかないとしたらタバコをやめますか?――いいえ。

喫煙者というのはタバコを吸わないぐらいなら古いロープでも吸っていたいものなのです。おいしいとかまずいとかは全然関係ないのです。

ややこしい心理学的根拠を求める人もいます。「フロイト・シンドローム」つまり「母親の乳房が忘れられないから」という理由です。でも、それは違うでしょう。

普通我々は成熟した大人であることを証明したくてタバコを吸い始めます。もし、他人の前でおしゃぶりをしゃぶらなければならないとしたら、どんなに恥ずかしいことでしょう。

その反対に「タバコの煙を吸い込んだり鼻から煙を吐き出すのは男らしいイメージがあるからだ」という人もいます。

しかしこれも根拠を欠きます。もし耳から煙を吐き出す人がいれば、それはたいへん愚かに見えるでしょう。

まして発癌性のタールを肺に吸い込むなんて、そんな馬鹿みたいなことがあるでしようか。こんな言い訳もあります。

「手元が淋しいから」。でも、手に何か持ちたいからといつて、どうしてそれに火をつける必要があるのでしょう。

「口が淋しいから」。同じく、どうして火をつける必要があるのでしょう。

「煙が肺に落ちていく感触がいいから」。なんと……、「窒息」するのがいい感触だなんて。

「退屈しのぎ」。これも本当は嘘です。退屈とは単に気持ちのあり方の問題なのですから。

体によくない、お金がかかる、とわかっているのに私が三二年間タバコを吸い続けたのは、タバコを吸うと気持ちがリラックスし、自信と勇気が出るからでした。

では、なぜかわりに医者へ行って、リラックスと自信と勇気を与えてくれる薬をもらわなかったのか?それは医者にタバコの代用品を勧められるのがわかっていたからです。

リラックス云々は喫煙の理由ではなく、単なる言い訳に過ぎなかったのです。

「友達が吸うから自分も吸う」ですって?・あなたはそんなに馬鹿なのですか?

そうだとしたら、せいぜい「友達が頭痛を治すために首を切ってしまいませんように」と祈るんですね。

喫煙者にタバコを吸う理由を考えさせると、だいたいが「習慣の問題」という結論に達します。

実はこれも十分な説明にはならないのですが、陳腐な言い訳を消去法で消していったらこれしか残らないのです。

しかし残念ながら、喫煙を「習慣」と見なすのも非論理的な発想です。だって我々は毎日習慣を変えていくではないですか。

ときには楽しい習慣ですら変えることができます。

たとえば私の食生活は喫煙者時代から同じ、朝食と昼食抜き、夕飯だけの一日一食です。しかし休暇中だけは朝御飯を大変おいしくいただきます。そして休暇が終われば何の苦労もなしに元の習慣に戻るのです。

ひどくまずくて、死の原因になり、お金がかかり、不潔で人をむかむかさせ、すぐにでもやめたいような習慣が、やめるだけでいいのにやめられないなんて、どうしたことでしょう。

どうして難しいのでしょう。いいえ、全然難しくないのです。馬鹿らしいほど簡単です。

どうしてタバコを吸っているのか、その本当の理由がわかればすぐにやめられます。長くても三週間で完全にやめられます。

そして「なぜあんなに長い間タバコを吸っていたんだろう」という謎だけが残るでしよう。さあ、読み進めてください。

あなたは罠にはまっている!

タバコの正体は、狡猾で邪悪な罠です。こんな精巧な罠は人類の能力では決して見破れないでしょう。

では誰が若者たちをこの罠に導くのでしょうか?それはすでに罠にはまってしまった大人たちです。

それもおかしなことに大人たちは「喫煙は不潔で忌まわしい習慣だ。人間を破壊し大金を巻き上げる」と忠告さえしてくれます。

罠は罠でもおとりのいらない罠、ニンジンをぶら下げる必要のない罠はタバコぐらいのものでしょう。

この罠の仕掛けは「おいしい」ことではなく、「まずい」ことなのですから。

人間は賢い動物です。もしタバコの味が素晴らしければ、一服吸っただけで心の警報ベルがなり、「ああ、だから大人の二人に一人は大金を払って自分の体を破壊してまでタバコを吸いたがるのだな」と思うでしょう。

しかし実際には初めてのタバコがひどくまずいものですから、「これではタバコ中毒などなるはずがない。こんなにまずいものいつでもやめられる」と、油断してしまうのです。

タバコという麻薬は、喫煙者の本来の目的をそう簡単には果たしてはくれません。

男の子は強い男に見られたい、ハンフリー・ボガードやクリント・イーストウッドのようになりたい、という目的でタバコを手にします。

でも一息吸ってみて、自分は男の強さなどとはほど遠いと知らされます。煙を吸い込むだけで一苦労、何本も吸おうものなら目がクラクラし、吐き気がします。

女の子は、モダンで洗練された女性に憧れてタバコを手にします。

それでもなんとか男の子のタフガイぶりが、女の子の洗練された姿がさまになった頃、彼らは「こんなもの、吸い始めなければよかった」と思うのです。

そして残りの人生、自分自身に言い訳し、ときどきは禁煙を試み、吸うんじゃないよと子供達を諭します。

この罠のずるいところは、ストレスがたまったときにのみ禁煙してみようかなと思えるところです。

たとえば、健康が心配になったとか、お金がなくなってきたとか、または単に自分が病原菌であるかのように感じたときとかです。

そしていざタバコをやめると、ニコチンの恐るべき禁断症状によってさらにストレスがたまります。

二、三日は拷間のような苦しみを味わいます。

そして結局は「時期が悪かった。ストレスがなくなるまで待とう」という判断が下るでしょう。でもストレスがなくなれば禁煙する理由もなくなるのです。それにもちろんストレスがなくなる時期などきません。

現代社会ではストレスが増えることはあっても減ることはないのです。

我々は親の庇護から離れた途端、家を建て、ローンを払い、子供を持ち、出世を考え……という自然のプロセスをたどるのです。

実際のところ、タバコを吸ってもストレス解消にはなりません。

現代社会がそう思い込ませているだけで、ニコチンは逆に、もっと臆病でイライラした人間を作るのです。喫煙とは巨大迷路に迷い込むようなものです。

一歩でも踏み込むと思考にもやがかかってしまい、死ぬまで抜け道を探さなければなりません。

無事抜け出すことのできる人もたくさんいますが、そういう人も時がたつとまた迷い込んでしまうのです。

私はこの迷路から抜け出すのに三二年かかりました。ようやく抜け出せたときも、なぜ抜け出せたのかわかりませんでした。

普通の人はここでやめられたという事実を素直に喜び、健康的かつ経済的な生活を謳歌するでしよう。

しかし私は、自分で何の努力もしなかったのに何か不思議なものの力でやめられたことに納得がいきませんでした。

タバコはこうもやめるのが難しく、いざやめてみるとこんなにも簡単で素晴らしく楽しいのはなぜか、どうしても知りたいと思ったのです。

タバコをやめてからは、このタバコの謎解きが私の趣味になり、ついには私の職業になってしまいました。

タバコの謎は複雑かつ魅力的なパズルです。ルービックキューブのように種はあるとわかっていてもなかなか解けないパズル。

しかしパズルというのは種さえわかれば簡単に解けるものです。私がここでその種明かしをしましょう。

あなたを喫煙の迷宮から導き出し、三度と逆戻りしないようにしてあげます。そのためには、私の指示に従ってください。

ただし指示に間違って従うと、その後の指示はすべて無効となりますので、気をつけてください。強調しておきますが、タバコをやめるのは誰にでも簡単なことです。

ただそのためにはまず幻想を取り除き、ありのままの事実を見つめる必要があります。タバコの害に関する本や情報は巷にたくさん出回っていますから、タバコの恐ろしさは皆さんもよくご存知でしょう。

恐ろしい事実を知ることでタバコをやめることができるのならば、皆もうとっくにやめています。

「禁煙はどうしてそんなに難しいのか?」この答を見つけるために、まず、「あなたはなぜタバコを吸うのか」その理由を考えてみましょう。

タバコを吸うのは、なぜ?

そもそも誰もが、つまらない理由からタバコを吸い始めます。だいたいが友人からのプレツシャーか付き合い上の成り行きからです。

では、タバコ中毒になりかけていると気づいてからも吸い続けるのはいったいなぜでしょう?タバコを常用する人で、なぜ自分がタバコを吸っているのかわかっている人はいません。

本当の理由がわかっていれば吸ってなんかいないでしょう。「どうして吸っているのですか?」セラピーの初めに私はまずこう聞きます。

答は一つしかないはずなのですが、患者さんたちは実にいろんな答を用意しています。セラピー中で一番おかしく、また憐れみさえも感じるのはこのときです。喫煙者は心の底では自分は愚かだと思っています。

タバコなんて吸う必要はこれつぼちもないということは中毒になる前からわかつていたのです。

初めて吸ったタバコはそれはひどい味で、慣れるのに大変な努力が必要だったことも覚えています。

そんな彼らを一番いらいらさせるのは、タバコを吸わない人たちが、「僕らは損することは何もない」と喫煙者のことをせせら笑っているのを感じるときです。

奥煙者も賢明で理知的な人達ですから、タバコが健康に多大な害を与え、お金もかかることはわかっています。

だからこそ喫煙にはもっともらしい理由づけが必要です。喫煙者がタバコを吸い続ける真の理由は次の二つです。

  • ①ニコチン中毒
  • ②洗脳

続く章で詳しく説明しましょう。

タバコは習慣ではない、麻薬中毒だ

ニコチンはタバコに含まれる無色の油性物質で、依存性があります。依存するまでのスピードはどんな麻薬よりも速く、タバコ一本でも中毒になります。

タバコを一服するごとに肺から脳へ少量のニコチンが運ばれますが、そのスピードは血管に注入されたヘロインよりも速いのです。

一本のタバコで二〇服すると、たった一本で二〇回分の麻薬を摂取することになります。

ニコチンの反応速度は速く、血液内のニコチン量は喫煙三〇分後には半分に、一時間後には四分の一に落ちます。したがつて、ほとんどの喫煙者が一日二〇本吸うというのも計算が合っているわけです。

タバコを一本吸い終わると体内のニコチンはすばやく減少し、禁断症状(離脱症状)を引き起こします。

ここでまず、禁断症状に関してほとんどの喫煙者が抱いている誤解を解いておきま6-タバコは習慣ではない、麻薬中毒です。

タバコをやめると禁断症状という大変な肉体的苦痛を味わわなければならないと思っている人は多いでしょう。

しかし実際の禁断症状は肉体的ではなく精神的なものです。これは楽しみや支えを失ったと感じることから生じます(これについてはのちほど詳しく説明します)。

ニコチンの肉体面での禁断症状はたいへん軽いので、自分がニコチン中毒だということに気づかないまま一生過ごす人もたくさんいるぐらいです。

しかし、「ニコチン中毒」はまちがいなく麻薬中毒なのです。幸いニコチンはやめるのがやさしい麻薬ですが、やめるためにはまず、自分が中毒であることを認めなければなりません。

ニコチンの禁断症状は肉体的苦痛を伴いません。

ただ何かを失ったような、落ち着かない感覚があるだけです。多くの喫煙者がタバコを「手」と関連づけるのもそのためです。

このような精神面での禁断症状を長時間味わうと、喫煙者は緊張し、不安に駆り立てられ、自信がなくなり、いらいらします。

これは飢えの状態と同じですが、食べものに飢えるのではなく、ニコチンという毒物に飢えるのです。

そこでタバコに火をつけると、七秒後にはニコチンが体中に供給され、飢餓感は安堵と自信に変化します。

喫煙とは本当に不思議な行為です。タバコを吸う人は皆自分はばかだ、悪いものの虜になっている、と思っています。

ただ喫煙によって得られる平穏がささやかな喜びをもたらしてくれると期待してタバコを吸うのですが、考えてみれば、そのような平穏や自信は、タバコを吸うようになる前から誰でも持っているものです。

こんな覚えがありませんか。小さくて特に注目はしないが、しかし何か気に触るようなもの(たとえば近所で一日中鳴っている警報器)が突然消えたとき、平静と安らぎの気持ちが体一杯に満ちるのを。

しかしこれは本当は安らぎなどではなく、ただ悪化しつつあるものの進行が止まっただけなのです。

清く完璧な体にニコチンを注ぎ、そのニコチンがなくなるころに禁断症状が現れます(肉体的にではなく精神的に)。

これは気がつかないほど弱く、体内に水滴がぽたぽた垂れている程度のもので、理性では理解できないものです。

いや、理解する必要もないのです。

タバコが吸いたくなる、火をつける、しばし渇望感が薄れ自信が蘇ってくる(タバコ中毒になる前にはいつも持ち合わせていた自信が)。

しかしタバコが与えてくれる満足感は一時的なもので、渇望感を癒すためには体内にもつともっとニコチンを送りこまなければなりません。

一本消すたびに渇望感が頭をもたげ、この悪循環はどんどん続きます。

一生……自分から断ち切らないかぎりは―喫煙者がこれに気づかないのには三つの理由があります。

①肉体的苦痛を感じないから。

②タバコは効果が逆方向に現れるから。

これはどんな種類の麻薬にも当てはまります。つまり、吸わないと苦しくなる←タバコのせいだとは気づかない←火をつけるとはつとする。したがってタバコが喜びや心の支えだと誤解する。

③生まれたときからタバコが身近にあったから。

タバコを吸い始める年代にはすでに生活習慣はほぼ確立されています。

しかし一度タバコを学習すれば、タバコが心の文えや喜びのように感じても何の疑間も持ちません。

これは小さいときからすでにタバコの洗脳を受けているからです。その段階で彼はもうすでに「楽しい」スモーカー仲間の一員なのです。さて、ここで皆さんがタバコに対して抱いている幻想を取り除いておきましよう。

タバコは「習慣」ではありません。「麻薬中毒」なのです。なんとしてもこの中毒症と戦う術を学ばなければなりません。

気づかないうちに、私たちはタバコを定期的に買うのではなく買わなくてはいけなくなっているのです。買わなければパニツクに陥りますし、年をとるにしたがって買う量も増えていきます。

これは他の麻薬もそうなのですが、体内にニコチンに対する免疫ができ、体が吸収できる量がどんどん増えるからです。

禁断症状はあなたがタバコに火をつけるたびにリラックスできるようタバコ自身が作り出すものです。ところが少し慣れてくるとタバコはこの離脱症状を完全に癒すことができなくなります。

吸い続けるにしたがってますます大量の痛みを体内に残していくのですから、これは小さすぎる靴を履くよりもっとばかげたことです。

また、一本吸い終わつたらすぐニコチンは体内から消えるのですから、ストレスのたまっている状況でチエーンスモーキングしてしまうのもあたりまえです。

もう一度言います。タバコは習慣ではありません。タバコを吸い続けるのは体の中に住み着いた小悪魔のせいです。小悪魔にはときどき餌が必要です。

いつ餌をやるかは喫煙者自身が決めるのですが、だいたい次の四つのどれか、またはその組み合わせのときです。

「退屈しているとき」または「集中しているとき」「ストレスを感じるとき」または「リラックスしているとき」ある効果を持っていたのが、二〇分後にはまつたく逆の効果を発揮している麻薬など、他に存在しますか,・また、人間の生活のなかで、これら四つの状態のどれも当てはまらない状態など、睡眠中を除いてありますか?

本当のところ、タバコは退屈やストレスを紛らわせてくれもしなければ、集中力やリラックス感を高めてもくれない……これらは皆、ただの幻想なのです。

ニコチンは麻薬であるだけではなく、強力な毒物でもあり殺虫剤にも使われています。

タバコ一本に含まれるニコチンを直接血管に注入することで人間を死に至らしめることもできます。またタバコには一酸化炭素をはじめいろいろな毒物が含まれています。

だからといつてパイプや葉巻に切り替えようなどと考えないこと。本書の内容はタバコの葉を使ったもの全体に当てはまります。人間はこの世で最も洗練された生物です。

アメーバーやミミズでさえ食べ物と毒物の見分けがつかないと生きていけません。

人類の何万年という歴史のプロセスを通して、人間は食べ物と毒物を見分け、後者を排出する術を身につけてきました。人間は依存症になるまではタバコのにおいと味を拒絶するものです。

タバコの煙を動物や子供の顔に吹きかけると、タバコに依存していない動物や子供は咳込み、ぺっぺと唾を吐き出すでしょう。

あなたも初めてタバコを口にしたとき、煙を吸い込もうとした途端ゲホゲホと咳込み、たくさん吸いすぎるとめまいがしたり気分が悪くなったりしましたね。

これは体が「毒を送り込むのはやめてくれ」と、叫んでいるからです。

この段階で喫煙者になるかならないかが決まります。肉体的、精神的に弱い人がタバコを吸うというのはウソです。強くなければあんなものは吸えないはずです。

タバコに関して一番悲劇的なのは、中毒症状にもってゆくために、自らすすんで大きな努力をはらっていることです。また、だからこそ一〇代の喫煙を阻止するのが難しいのです。

一〇代の喫煙者はまだ喫煙の学習過程にあり、タバコがまずいと感じているので、やめたいときはいつでもやめられると思い込んでいます。

喫煙者の多くは「タバコの味と香りが好きだ」と思っていますが、これも幻想です。タバコの覚え始めの時期、嫌な味とにおいに対する免疫を体に擦り込み、ニコチンに耐え得る体にしていくのです。

これはヘロイン中毒患者が注射漬けになっていくのに似ています。ヘロインの離脱症状はたいへん強いので、中毒患者はこの辛い症状を和らげる快感を楽しんでいるのです。

喫煙者は嫌な味やにおいに鼻をつまんでまでもタバコに依存しようとします。

巻煙草であれ、メンソールであれ、葉巻であれ、パイプであれ、初めは変な味だと感じても、しばらく我慢すれば好きになるものです。

また喫煙者は風邪やインフルエンザにかかっていても、喉が腫れていても、気管支炎や気腫を患っていてもタバコを吸おうとします。味なんて関係ないのです。もし関係あるなら誰もタバコなど一本も吸ったりしません。

なかには医者からニコチン入リチューインガムなどというひどい代物を勧められてそれに依存してしまった人もたくさんいます。また、その上にまだタバコを吸い続けている人もたくさんいるのです。

私のセラピーで自分が麻薬中毒であることを知らされ、それに非常に危機感を覚え、かえって禁煙が難しくなる患者さんがいます。

しかし、真実を知ることは次の二つの点からも大切なことです。

●ほとんどの人は喫煙には長所より短所のほうが多いとわかっていながら、タバコになんらかの楽しみを覚え、タバコがなんらかの心の支えになると信じてタバコを吸っています。

タバコをやめたら虚無感に襲われるのではないか、人生二度と同じように送れないのではないか、と心配します。

しかしこれは幻想です。タバコは我々に何も与えてはくれません。タバコは我々からすべてを奪い取り、そして一部を投げ返し、幻想を作り上げます。

これについてはあとで詳しく述べます。

②依存するまでのスピードで言うと、ニコチンは世界で一番強い麻薬であるにもかかわらず、悲惨な依存症にはなりません。体内のニコチンの九九パーセントを排出するのには三週間しかかかりません。

また肉体面での禁断症状も非常に弱く、喫煙者のほとんどは症状に気づかないですむぐらいです。それなら当然次のような疑問も生じるでしよう。

「どうして禁煙がこれほど困難で、ようやくやめられたとしても、ときどき無性に一本吸いたくなって何か月も苦しみを味わうことになるのか」

その答は、前章であげた二つめの理由、つまりあなたが「洗脳」されているからです。ニコチンの化学作用を抑えるのはそんなに難しくはないのです。

その証拠に、睡眠中にタバコを一本も吸わなくても禁断症状で目が覚めたりはしないでしょう。それにほとんどの人が朝一本目のタバコを吸う前にまず床を離れ、朝食をとります。仕事場に着くまで吸わない人もたくさんいます。

夜中の一〇時間なら禁断症状などこれつぽっちも気にかからないのに、日中の一〇時間なら髪の毛もかきむしりたくなるほど苦しむのです。

新車を買うと車内を禁煙にする人は、喫煙者の中にもたくさんいます。劇場やスーパーマーケットや教会では、禁煙でもさして気にはなりません。

地下鉄構内が禁煙だからといつて喫煙者の暴動が起こったという話も聞いたことがありません。タバコを吸えない理由があってかえって喜ぶぐらいです。

最近ではタバコを吸わない人の家に招かれたり、吸わない人と一緒に過ごすときは、たいした不満を感じずに自然にタバコを控える人が多くなってきました。

また特に努力しなくても吸わないでいられる時間も長くなってきているようです。

さきほども言いましたが、タバコの化学作用は、(中毒になってしまつてからも)解消するのは簡単です。

でも、その化学作用を完全に克服できず少量を一生吸い続ける人もたくさんいます。やはり彼らもヘビースモーカーと同じくニコチン依存症には変わりはありません。

また、ヘビースモーカーで禁煙に成功したけれどまだときどき葉巻を吸うような人も、やはり依存症なのです。

何度も言いますが、ニコチンの化学作用はたいした問題ではありません。ニコチンにできることは、真の問題を見つめようとする目を惑わせるいう程度のいたずらぐらいです。

では、その「真の問題」とは何か……。それは「洗脳」です。

長年吸っている人やヘビースモーカーが禁煙するのは軽度の喫煙者と同じぐらい簡単だ。そう聞いてあなたは慰められるかもしれません。

不思議なことに禁煙はヘビースモーカーのほうが簡単なのです。長く吸い続けるほど症状は重くなり、そうなるほどやめたときの収穫も大きくなるからです。

こんな噂を聞いたことがありませんか?体内の汚れをすっかり洗い流すのに七年かかるとか、タバコ一本吸うごとに寿命が五分縮まるとか……。

こういう言い方も正しくありません。

もちろん、このようなタバコのリスクについて聞かされても「大袈裟だなあ」と思ってはいけません。

タバコのリスクは控え目に語られることはあっても誇張されることはありませんから。

でも、縮まるのが五分かどうかはただの憶測にすぎませんし、それも致命的な病気にかかるか体内が汚れすぎてどうしようもなくなった場合の話です。

体内の汚れについて言うと、本当のところ汚れは完全にはなくなりません。誰かがタバコを吸えば、吸ってない人でも何パーセントかは吸い込んで肺を汚してしまいます。

でも我々の体は素晴らしくよくできた構造体であり、取り返しのつかない病気にかかってしまうまではたいへんな回復力を備えています。

今やめればあなたの体は数週間でもとの体に戻ります。何度でも言います。遅すぎるということはありません。

私の患者さんのなかには四〇代、五〇代で禁煙に成功した人もいますし、七〇代、人○代の人もいます。

最近では九一歳の女性が六五歳の息子さんと一緒に私のセラピーを訪れてきました。

なぜタバコをやめる気になったのかと聞いたところ、「息子に模範を示すため」という返事が返ってきました。タバコは長く吸えば吸うほど、やめたときの安心感も大きいのです。

私の場合、一気に一日一〇〇本からゼロ本に減らしたにもかかわらず禁断症状はこれつぽっちもありませんでした。そして離脱期間でさえ素晴らしい気分でした。でも「洗脳」された頭は元に戻さなければいけません。

タバコ会社の強烈な洗脳力

そもそも人はなぜタバコを吸い始めるのでしょう。この謎を解く鍵は、人間の『潜在意識』にあります。

人は誰でも、自分は賢明で、人生進むべき道を自分で選べる強い人間だと思っています。しかし本当は人間の性質の九九パーセントはあとから作られたものです。我々は単なる社会の製造物なのです。

これはどんな服を着てどんな家に住むかといった生活の基本パターンすべてにおいて言えることです。

また、信条のような人それぞれ異なると思われがちなもの、労働党を支持するか、保守党を支持するか、といったこともです。

労働者階級が前者を支持し、中・上流階級が後者を支持する傾向にあるのはただの偶然ではありません。

潜在意識は我々の生活を大きく左右しています。信条だけでなく、既成の事実でさえも実際は万人の誤解かもしれません。コロンブスが世界を航海するまで地球は平らだと信じられていました。今日では地球が丸いのは誰しも承知の事実です。

しかし、いったい何人の人が実際に宇宙に飛んでこの地球が丸いということを確認したでしょう。また、ほんとうに宇宙に飛んだり航海に出てみたところで、平坦な地球の上をくるくる回っているのではないとどうしてわかるでしよう。

広告業界の人間は潜在意識が暗示によっていかに操作され得るか、よく知っています。だから私たちは車を運転したり雑誌のページをめくるたびにタバコの広告にぶち当たるのです。

「そんなものでタバコを買う気になんかなるものか、広告費の無駄だ」と思っているあなた、それは違います。自分で試してごらんなさい。寒い日にパブかレストランに入ったとします。連れの友人が何を飲みたいか聞きます。

そのときただ「ブランデー?」と聞くかわりに「今日みたいな日には何がうまいと思う?・あの高貴に熱く燃えるブランデーさ」と言ったとしたら、普段ブランデーを飲まない人でも飲みたくなるでしよう。

我々の潜在意識は物心ついたときから毎日このようなメッセージにさらされています。

「タバコを吸うとリラックスできる、自信がつく、勇気がわく。この世で一番尊いもの、それがタバコだ」。

誇張しすぎだと思いますか?ではマンガや映画やドラマの中で死刑執行間際の兵隊が最期の望みを聞かれたときを思い起こしてください。

銃口を向けられた彼の最期の願いとは?そう、タバコです。このメッセージは表層意識は素通りするかもしれませんが、潜在意識ではしっかりと吸収されています。

メッセージの核は「この世で一番大切なもの、死に際の願いはタバコ。戦争映画でも傷ついた兵士はタバコを欲しがるではないか」ということです。

タバコの宣伝はテレビでは禁止されていますが(訳者注¨イギリスでは一九六五年から禁止。日本ではある時間帯にかぎり許されている)、ゴールデンタイムに放映されるスヌlヵlやダーツの試合では選手は常にタバコをふかしています。

そしてこういう番組はたいていタバコ会社がスポンサーについているのです。スポーツを利用する事業家たち――今日の広告業界の最も汚いやりかたです。

グランプリのレースカーもタバコと同じデザインのものがあり、中には同じ名前がついているのもあります。レースカーと同じ名前のタバコが出回っていると言ったほうが適切でしょうか。

最近のテレビドラマでは、明らかにセックスのあとだというなりの裸の男女がベッドの中で一本のタバコを一緒に吸うというシーンもときどき登場します。

このシーンが出している暗示は言わずもがなですね。

英国ではタバコのテレビ広告は禁止されていますが、葉巻の広告は認められています。

ある葉巻メーカーの広告作りの巧さには、私は舌を巻きます。その広告では、ある男が死の危険に瀕しています。

男の乗った気球に火がついて墜落しかけていたり、オートバイのサイドカーが川に落ちそうになったり、コロンブスに扮装した彼の船が地球の端から落っこちそうになったり……。

ナレーションは一切なしで、優しい音楽が流れるのみ。そこで男は葉巻に火をつける。輝くような喜びの笑みが男の顔に広がる……。

喫煙者は宣伝を見ているという意識はないかもしれませんが、そんなときも潜在意識はこの広告の暗示をじつくりと消化しているのです。

もちろん反タバコのキャンペーンもあります。癌は恐ろしいとか、足の切断にもなりかねないとか、日臭は周りに迷惑だとか……、でもこんな脅しで喫煙はなくなりません。

論理的にはなくなるはずなのですが、実際はなくならないのです。

若者が喫煙を始めるのを止めることもできません。

私は喫煙していた頃、「もし喫煙と癌の関連性を知っていれば吸い始めたりしなかったのに……」と真面目に思っていました。

でも今考えてみると、本当は知っていたとしても何の違いもなかったでしょう。反タバコキャンペーンは喫煙者に混乱を与えるだけです。

全部吸い込んでくださいとばかりにつるつる光るパッケージでさえ親切にも警告文が書いてあります。しかしどこの喫煙者がわざわざそんなものを読んだりするでしょう。

ましてや、そこに書かれた内容を自分自身に当てはめてみるはずがありません。

英国のあるタバコ会社はパッケージ上の警告文さえもタバコの販売促進に利用しているのではないかと私は思うのです。

その会社の広告には蜘蛛や竜や食虫植物といった恐ろしいイメージが使用されています。加えて、パッケージ上の警告文は大きな文字できつい文体になっていますから、読みたくなくても目に入ってきます。

これら広告のイメージや警告文を見たとき感じる恐怖感が、その商品のすべすべで金色のパツケージを思い出させ、結果的にタバコの販売促進になるのではないでしょうか。

また皮肉なことに、この「洗脳」作業にどんどん弾みをつけているのは喫煙者自身です。

タバコを吸う人は精神的にも肉体的にも弱い人間だ、というのは嘘です。あんな毒物を体に入れるのですから強くないわけがありません。

「フレツドおじさんは一日四〇本吸っていたけど病気ひとつせず八〇歳まで生きた」というような話は誰でも一つや二つは知っているでしょう。

しかし喫煙者は、フレツドおじさんの影に働き盛りで病に倒れた喫煙者が一〇〇人はいることを認めようとしないのです。

友人や同僚でタバコを吸う人をちょつと観察してごらんなさい。予想に反し、そのほとんどが意志の強い人達でしょう。

その多くは自営業、会社役員、医者や弁護士などの専門職、警察官、教師、看護婦、子供を持った主婦など、つまリストレスのたまる仕事をしている人達です。

人はタバコがストレスを解消してくれると錯覚しており、タバコを責任感とストレスを背負い込んでいる人と結びつけがちです。

タバコ中毒になりやすいもう一つのタイプは単調な仕事に就いている人です。なぜなら喫煙のもう一つの重要な理由は「退屈」だからです。

ただしこれも幻想にすぎないのですが。洗脳は実に広い範囲に及んでいます。社会はシンナーやヘロイン中毒には眉をひそめます。

しかしイギリス国内では実際にシンナーで死亡するのは一年に一〇人以下、ヘロインでも一〇〇人以下です。

ところが「ニコチン」という麻薬には英国国民人日の六〇パーセントが中毒を経験し、そのほとんどが一生それにお金を払い続けています。

小遣いのほとんどがその麻薬に消え、何十万人が中毒症が原因で健康を損なっています。

どうして我々はシンナーやヘロインは悪の根源であるかのように忌み嫌うのに、金食い虫の殺人犯であるタバコは社会的習慣として許容しているのでしょうか?最近でこそ、タバコは非社交的で健康に悪いことが認識されてきています。

それでもタバコは合法的嗜好品ですし、てかてかのパツケージに入って売店・パブ・クラブ・ガソリンスタンド・レストラン、どこでも売られており、その利益のほとんどは政府に入るのです。

政府は年間五〇億ポンドの歳入を得ますし、タバコ会社は広告費だけで一億ポンドを費やしています(訳者注¨日本政府が平成五年度にタバコ税から得た収入は一兆一九〇億円)。

こんな洗脳行為に対しては購買拒否を行うべきです。

ちょうど中古車のディーラーの話を聞いているときのように、穏やかに領きながらも話の内容は一つも信じないことです。

すべすべのパッケージに隠された毒と腐敗を見つめなさい。カットグラスの灰皿や金のライターにまんまと蝙されているその他大勢の人間に惑わされてはいけません。

自分に問いかけるのです。

  • 「どうしてタバコを吸っているのか?」
  • 「本当に吸う必要があるのか?」

もちろんタバコを吸う必要などありません。

それなのに、普段は理性的で聡明な人達が、どうしてことタバコとなると完全に愚か者になりさがってしまうのでしょう?

今まで私はたくさんの人々の禁煙の手助けをしてきましたが、恥を忍んで白状すると、実は一番の愚か者はこの私でした。

昔は一日一〇〇本も吸っていましたが、私の父も負けず劣らぬヘビースモーカーでした。父は強い男でしたが、壮年期に喫煙が原因で亡くなりました。

父が毎朝咳き込み咬を吐いていたのをよく覚えています。喫煙は到底楽しいことには見えませんでしたし、父の体に悪い影響を及ぼしているのも明らかでした。

「僕がタバコを吸い始めたら絶対止めてね」と母に言ったのを今でも覚えています。

一五歳のとき、私はスポーツに夢中でした。スポーツが生活のすべて、勇気と自信に溢れた少年でした。当時、私が将来一日一〇〇本のヘビースモーカーになることを誰が予想したでしょう。

ところが四〇歳のときには私は心身共に完全なタバコジャンキー、日常生活はすべて、タバコに火をつけないことには始まらないまでになっていました。

喫煙者は普通、電話に出るとか人に会うとかのストレスが元でタバコを吸いますが、私はテレビのチャンネルを変えるとか電気をつけるとかさえもタバコに火をつけずにはできなかったのです。

このままでは死んでしまう……それは自分自身も蝙せないほど明らかでした。しかしタバコが私の精神面も破壊していることにはちつとも気づきませんでした。

ほとんどの喫煙者が、タバコはおいしいという幻覚に時折陥ります。でも私はそんな幻覚は一度も味わいませんでした。

私の喫煙の理由は「タバコは集中力と勇気をもたらす」でした。

しかしタバコをやめた今、自分がタバコを吸っていたなんて信じられないことです。タバコは悪夢ですが、その悪夢は覚めてしまえばたいしたことはぁりません。

タバコは麻薬です。あなたの感覚は、味覚も、臭覚も、すべてその麻薬に侵されているのです。そしてなにより、タバコの最大の弊害は健康でもお金でもなく、心が奪われることです。

あなたの心はタバコを吸う正当な理由探しでいつぱいで、他のことを見つめる目を失っています。

私が一度禁煙に失敗したとき、紙巻煙草より煙の吸引量が少ないかもしれないと思いパイプに切り替えた時期がありました。

しかしパイプ用のタバコの葉は本当に汚らしいのです。香りは心地好いかもしれませんが、吸い込むと悲惨です。初めの三か月は舌の先が腫れもののようにひりひりしました。

パイプに慣れるまでに三か月かかりましたが、どうしてその間に「何のためにこんな拷間に耐えているのか?」と自分自身に問いかけてみなかったのか、自分でもわかりません。

慣れてしまうと人は誰よりも幸せそうにパイプをくゆらせますし、ほとんどの人が「自分はパイプを楽しんでいる」と信じ込んでいます。

しかしパイプなしでも十分幸せな人達が、わざわざパイプを好きになるためになぜそれほどまで苦心惨たんしないといけないのでしょうか?答はこうです。

一度ニコチンに依存してしまうと、すでに洗脳されているあなたの脳の洗脳効果はさらに上がります。

すでに述べましたが、人は恐怖心からタバコを吸います。ニコチンを摂取しないと空虚で不安な気持ちになるのではないかという恐怖心です。洗脳されているから禁煙できないのです。

子供のとき社会から受けた洗脳は、大人になってタバコを吸い始めるとさらに強化されます。そしてなにより、友達や家族や同僚からの洗脳がそれに追い討ちをかけます。

我々がタバコを吸い始めるきっかけはただ一つ、「みんな吸つているから」です。誰も疎外感を味わいたくないですからね。一生懸命に自分を中毒にし、かわりに何を失っているのかは気づきません。

そして誰かがタバコを吸っているのを見るたびに、「タバコには何かいいことがあるにちがいない。そうでなければあの人も吸うはずはないもの」と勝手に安心します。

洗脳の力はたいへん強烈です。我々はその威力はよく知っておかなければなりません。

英国では戦後の人気ラジオ番組に、ポール・テンプルの探偵シリーズというのがありました。

ある日のストーリーに大麻中毒に関するものがあったのを、私は今でも覚えています。よこしまな男達が密かに大麻入りのタバコを売る話です。

体に致命的害はないのですが、客は中毒になってこのタバコを買い続けるというのです。私がこの番組を聞いたのは七歳のときで、これが麻薬中毒についての最初の知識でした。

「中毒」――麻薬をやらなくてはいられない状態――この概念に私はすっかり恐れおののきました。

昨今は大麻に依存性がないことが証明されています。

私のセラピーでも多くの人が大麻入りタバコを吸ったことがあると告白しますが、大麻中毒になったと言う人はいません。が、それでも私はちょっと吸ってみたりする勇気はありません。

しかし皮肉なことに、その私がタバコという世界最強の麻薬のジャンキーになってしまったのです。

ポール・テンプルがあのときタバコの恐ろしさについても警告してくれていたらなあ、と思います。

そしてもっと皮肉なことに、四〇年たった今、人類は大金を癌の研究に注ぎ込み、同時に巨額のお金が健康な少年少女に忌まわしい麻薬中毒を推奨するのに使われ、そこから政府が最大の利益をあげているのです。

そろそろ洗脳を拭い去るときです。

  • 健康
  • 活力
  • 平静心
  • 自信
  • 勇気
  • 自尊心
  • 幸福

これらを一生得ずに過ごすのは、吸わない人ではなく、かわいそうな喫煙者達なのです。

こんな犠牲を払って何を得られるのでしょう?まったく何も得られません―吸わない人なら誰でも持っている平静心。おちつき・勇気をタバコで取り戻せるという幻想以外は……。

タバコは何も与えてくれない

喫煙者は「タバコはおいしい、リラックスできる、元気づけになる」と信じてタバコを吸いますが、これは単なる思い込みであることはすでに説明しました。

喫煙の本当の理由は、禁断症状を和らげることにあります。はじめは、人とおしゃべりしているときに気楽に吸う程度です。この段階では吸ってもいいし吸わなくても我慢できます。

しかしこのときすでに、潜在意識は「タバコもときにはいいものだ」と学習し始めます。

ニコチンヘの依存が強くなればなるほど、禁断症状が緩和されるときに得られる安らぎも大きくなります。だから実際には体は弱くなっているのに、自分ではまったくその逆だと勘違いしてしまうのです。それに衰弱の変化は緩やかなのでなかなか気づきません。

そうしていると禁煙したいと思う日まで自分が依存症になっていることに気づきません。また依存しているのが明らかなのに、多くはそれを認めたがりません。

頑固な人は事実から目をそらし、自分自身に「タバコは楽しい」と言い聞かせるのです。

私が今まで何百人ものティーンエージャーと交わしてきた次のような会話を聞けば、それがよくわかるでしよう。

私「タバコは麻薬であり、君はそれがやめられないから吸い続けているってことはわかっているね」彼「ちがうよ。好きだからだよ。好きじゃなければ吸ってないよ」私「やめたければやめられることを証明するために、一週間でいいから禁煙してごらん」彼「そんな必要はないよ。タバコが好きなんだから。やめたくなればやめるよ」私「一週間でいいんだ。タバコに依存してないことを証明してみてくれないか」彼「意味ないよ。僕はタバコが好きなんだから」

すでに述べたように、喫煙者はストレスがたまったとき、退屈したとき、集中しているとき、リラックスしているとき、またはこれらの組み合わせのときに禁断症状を和らげようとします。

では、次に、それぞれの状況について説明しましよう。

ストレスを和らげるという幻想

ここでお話しするストレスとは、人生を破壊せんばかりのストレスだけではなく、人に会うとか、電話に出るとか、主婦が赤ん坊の泣き声に困る、といった程度のストレスも含みます。

電話を例にあげてみましょう。誰にとっても電話は多かれ少なかれストレスの元です。特にビジネスマンにとってはそうです。

すべての電話が上機嫌のお客さんとかあなたを褒めてくれる上司からとはかぎりません。往々にして、苦情とか支払いの催促とか、非難・攻撃の電話がかかってきます。

そんなとき、タバコに火をつけます。なぜつけるのかはわかりません。

わかっているのは「どうもタバコが助けになりそうだ」ということだけです。実際はこういうことです。

彼はすでにニコチンの禁断症状であるイライラを感じています。

普段のストレスと一緒にその苛立ちを部分的にでも解消できれば心の安らぎが得られるはずでストレスを和らげるという幻想です。

喫煙者はタバコに火をつけることで気分がよくなります。しかしこの安らぎも本質的には幻想です。

なぜなら、いくらタバコで気分がよくなったといっても非喫煙者よりは心は緊張しているし、タバコにのめり込めばのめり込むほど禁断症状は増し、タバコで緩和できる量もだんだん減っていくからです。

私はショック療法などはしません。これからするお話であなたにショックを与えようなどとは思っていません。

ただタバコは神経を破壊するだけで決してリラックスなどさせてはくれないという事実を強調したいだけです。

次のような状況を想像してみてください。ぁる日医者が言います。

「もしタバコをやめなければ両足を切断することになりますよ」両足のない生活を思い浮かべてみてください。

医者からの宣告にもかかわらずタバコを吸い続けたせいで両足を切断されるなんて、どんな気持ちか想像できますか?このような話は私もよく耳にしましたが、そんなのは愚か者の話だと無視していました。

「医者がそんな宣告を私にしてくれたら私もタバコがやめられるのに」とさえ思っていました。

しかし実際は、私もいつ脳出血で両足どころか命を失ってもおかしくない愚か者の一人だったのです。しかし本当は愚か者などいません。すべてはこの恐ろしい麻薬がなせるわざなのです。

タバコはあなたから勇気と自信をどんどん奪っていきます。そして自信がなくなればなくなるほど、反対にタバコが自信を与えてくれるような錯覚に陥ります。

喫煙者が夜間外出しているとタバコがなくなる恐怖でパニツクになるという話は誰でも聞いたことがありますね。

吸わない人はそんなパニツクには無縁です。パニックはタバコのせいなのですから。また、タバコは勇気を打ち砕くだけでなく強力な毒物でもあり、あなたの体を徐々に破壊していきます。

喫煙者の体が死の危険にさらされ始めた頃には、タバコは自信の種だと信じ込んでしまっていて、そうなるとタバコはかけがえのないもの、人生それなしではすまないものと思い込んでしまうのです。

これは頭の中にしっかりと叩き込んでください。

タバコは決してストレス解消にはなりません。タバコはゆっくり確実に自信を消失させます。禁煙から得られる素晴らしい収穫の一つは、勇気と自信を取り戻せることです。

退屈を紛らすという幻想

今あなたはタバコを吸いながらこれを読んでいますか?・もしそうだとしたら、私が指摘するまで吸っていることに気がつかなかったのではないでしょうか。

喫煙にまつわる幻想に「タバコは退屈を紛らす」というのがあります。

しかし、今、自分はタバコを吸っている、とはっきりと意識してタバコを吸っている人は少ないはずです。実際、ニコチン中毒の人はタバコを吸わないと喪失感を味わいます。

何か楽しいことに心を奪われているときは、タバコなしでも長時間だいじょうぶなのですが、退屈しているともうだめです。

禁煙や減煙の努力をしていないときは、タバコに火をつけるのも無意識です。

一日に吸ったタバコを全部思い出そうとしても、たいてい朝の一本目と食後の一本ぐらいしか覚えていないでしょう。実はタバコが退屈感を間接的に増幅しているのです。

喫煙すると無気力感が起き、積極的な活動をするかわりに退屈したままだらだらと禁断症状を和らげることしかしないからです。

集中力を高めるという幻想

集中力を得たいがためにタバコを吸うのは、作家や芸術家など、精神的活動にたずさわリインスピレーションを求める人たちに多いようです。

しかしこれもとんでもない幻想です。タバコは集中力を促進するのではなく破壊するのです。

なぜなら、しばらく喫煙していると、喫煙中でさえ禁断症状を完全に癒せなくなるため、喫煙者はどんどん吸い込む量を増やし、それにつれて喫煙の問題もだんだん深刻になっていくからです。

また別の理由もあります。

タバコを吸うと血管が徐々に毒物で詰まっていき、脳にいく酸素の量が減ります。反対に血液の循環がよくなると集中力やインスピレーションはぐつと高まります。

私が精神力で禁煙を試みては失敗したのは、この集中力に関する理解が足りなかったからです。

イライラや不機嫌は何とか我慢できたのですが、何か難しいことに集中しようとするとタバコなしではいられませんでした。

会計士の試験を受けるとき、テスト中は禁煙と聞いてパニツクに陥ったほどです。その頃の私はすでにチエーンスモーカーになっており、三時間もタバコなしで試験に集中するなど不可能だと思い込んでいました。

しかし実際私は無事に試験に合格しましたし、試験中はタバコを吸いたいなど考えもしませんでした。

禁煙すると集中力がなくなるといいますが、これはニコチンによる肉体上の禁断症状ではなく、タバコが引き起こす不安定感が原因なのです。

しかしタバコを吸ったところでよくはなりません。

ならばどうしますか?できることはただひとつ、現状と折り合う……吸わない人もそうしているのですから。

タバコを吸う人は、何か不都合があってもそれをタバコのせいにはしません。常に咳をしていても風邪が長引いているからだと言います。しかしいつたん禁煙すると、どんな失敗もタバコをやめたことが原因になるのです。

精神的不安定が起こったらこう言うでしょう。

「ここで一本吸えればずっとよくなるのに」。そこで禁煙を決断したことに疑いを持ち始めるのです。

タバコは集中力を高めてくれると信じている人はよく聞いてください。集中できるだろうかと心配しているうちは絶対に集中などできません。

集中力を妨げるのは肉体上の禁断症状ではなく、「疑う」気持ちなのです。

常に覚えておいてください。

禁断症状を味わうのは吸わない人ではありません、タバコを吸う人なのです。私は一〇〇本から一気にゼロ本まで禁煙しましたが、集中力は少しも弱まりませんでした。

リラックスさせてくれるという幻想

喫煙者のほとんどが、タバコは人をリラックスさせてくれると信じています。しかしニコチンは刺激性の化学物質です。

脈を測りながら二本続けて吸ってみると心拍数がきわだつて上がつているのがわかるでしょう。食後の一服は心安らぐひとときだ、と喫煙者は皆言います。

食事の時間には我々は仕事をやめ、ゆったりとテーブルにつき、飢えと渇きを癒し、リラックスし満足感を味わいます。

しかし喫煙者にはもう一つ満たさなければならない飢えがあるので、まだ完全にはリラックスできません。心の奥にある渇望感です。

この飢えのためにニコチン中毒者は片時もリラックスできず、緊張度は年をとるにつれだんだんひどくなっていきます。

吸わない人がリラックスできない人ではないのです。

地球上で一番リラックスできないでいる人――それはいつも咳き込み、痰を吐き、高血圧で、常にイライラしている、チェーンスモーカーで五〇代の会社役員です。

この段階までくると、タバコが引き起こした症状をタバコをもつて部分的に和らげることさえできなくなっているのです。

私がまだ若き会計士だった頃、子供たちもまだ幼かったときのことを今でも覚えています。

子供が何か悪さをしたとき、私は病疲を起こし、ついにはその滴療が度を越し、もとの子供のいたずらと釣り合いが取れないほどになつたものです。

その頃の私は、自分の性格がよほどいじわるにできているのではないかと真剣に疑っていました。今思えばそれはタバコのせいだったのです。

当時は人生つらいことばかりだと思っていましたが、今振り返ってみれば、どこに悩むことなどあつたのだろうという感じです。

人生のすべてを私は上手にコントロールしていました……ただ唯一私をコントロールしていたタバコ以外は……。

しかし悲しいことに、今でも子供たちは昔の私の病療がタバコのせしでぁったとは信じてくれません。

それは周りの人間が自分たちの喫煙行為を正当化しようとするとき、決まってこう言うからです。

「あぁ、タバコを吸うと気持ちが落ち着くなあ。本当にリラツクスさせてくれるよ」

数年前、英国の養子縁組機関が喫煙者の養子縁組を拒否することを検討中だと発表したところ、それを聞いて怒った男性が電話をかけてきてこう言ったそうです。

「それはとんだ考え違いだ。私が小さかった頃は、母親が反対しそうな話をしなければならないときは、必ず母親がタバコに火をつけるのを待ってから話しかけたものだ。

そのほうが母親はずっとリラックスして聞いてくれたからね」なぜこの男性は、母親がタバコを吸っていないときに話しかけられなかったのでしょう。

なぜ喫煙者は、レストランで食事をとつたあとでさえタバコを吸わないとリラックスできないのでしょう。

なぜノンスモーカーは食後も完全にリラックスしているのでしょう。なぜ喫煙者はタバコなしではリラックスできないのでしょう。

喫煙者を観察してごらんなさい(特に喫煙の許されていない場所で)。

彼らは手を口に当てたり、ぶらぶらさせたり、足をこつこつ叩いたり、髪をさわったり、歯を噛みじめたりしているでしょう。喫煙者はリラックスできないのです。

彼らは完全にくつろぐというのがどういうことなのか忘れてしまっています。タバコをやめると、そのくつろぎが戻ってくるのです。

喫煙という行為は、まるで食虫植物に似ています。初めは虫も蜜を吸っていますが、気づかぬうちに植物が虫を食べているのです。そろそろあなたも食虫植物の中から這い出るときではありませんか?

コンビネーション・タバコの悲惨

コンビーネーション・タバコとは、タバコを二本も三本も同時に吸うことではありません。

もっともそういう失敗をしてしまったときには、なぜ一本目を吸っていたのかさえも覚えていないのですが……。

私もすでに一本くわえていながらもう一本口に入れようとして手の甲にやけどをしたことがありました。

愚かな失敗と思われるかもしれませんが、問題はもっと深刻です。

コンビーネーション・タバコとは、普段私たちが喫煙する理由の二つ以上が重なったときのタバコ、つまり祝典。

パーティー・結婚式・レストランなど、ストレスとリラックスの両方を感じる場所で吸うタバコのことです。ストレスとリラックスー上見矛盾するようですがそんなことはありません。

どんな社交の場でも(友人といるときでさえ)ストレスはあるものですし、同時にリラックスして楽しいときを過ごしたいという願望もあります。

喫煙の四つの理由(四三ベージ参照)がすべてそろう状況もあります。

車の運転がその一つです。

病院や歯医者などの緊張を強いられる場所の帰りなら、車中でリラックスできますが、同時に事故に遭う危険というストレス要素も伴います。

また運転には集中力も必要です。そして交通渋滞に巻き込まれたり、長い高速道路を運転するときには退屈するでしよう。

もう一つの典型的な例はトランプゲームです。ポーカーやブリッジには集中力が必要です。負けてきたときにはストレスが溜まりますし、よいカードがしばらく出なければイライラします。

一方で、これは遊びなのですからリラックスもしているはずです。

こんな状況に置かれていれば、禁断症状がたいしてひどくなくても喫煙者なら誰でも(日頃あまり吸わない人でも)チェーンスモーカーになってしまいます。

灰皿はまたたく間に一杯になり、頭上は煙で真つ自です。

コンビーネーション・タバコには、ときに特別な力がありますが、特別に思えるのはタバコではなく、そのときあなたが置かれている状況です。

タバコを吸う必要性をいったん取り除いてしまえば、どんな場も楽しくなるし、ストレスも減ります。次の章でこのことをもつと詳しく説明しましょう。

タバコをやめて失うものがあるか?

まつたく何も失いません―禁煙を難しくしているのは「不安」です。

慰みや支えを失うのではないか、楽しかった場も楽しくなくなるんじゃないか、ストレスに耐えられなくなるのではないか、という不安。

言いかえれば、我々は洗脳のおかげで「自分には弱点がある」とか、「タバコには何か特別のものが備わっていて、禁煙すると空虚な気持ちになる」と信じ込まされているのです。

よく覚えておいてください。

タバコは空虚感を満たしてはくれません。タバコが空虚感を作り出すのです―人間ほど精巧な体を持った生物はありません。

創造主を信じようが、進化論を信じようが、人間を作りだした神なり進化の過程なりは、人間よりはるかにすぐれていたに違いありません。

人間の能力では、細胞一つ、視覚器官、生殖器官、循環器官、脳など、奇跡ともいえる驚異的器官を作ることなど絶対できないのですから。

ただし、もし神様なり進化の過程なりが人間を喫煙するものとして作っていたなら、毒をシャットアウトするフィルターや煙突ぐらいはつけておいてくれたはずです。

体の安全装置として咳・めまい・吐き気などの症状があるのですが、人間はこの安全装置を勝手に無視してしまうのです。

禁煙で失うものは何もない。これは素晴らしい事実です。タバコを吸っても食事はおいしくなりません。まずくなります。

タバコが味覚と臭覚を壊すからです。レストランで食事の合間にタバコを吸っている人を見てごらんなさい。彼らは食事を楽しんでいるのではなく、食事が終わるのを楽しみにしています。食事がタバコの邪魔をしているからです。

それに、タバコが周りにいるタバコを吸わない人に迷惑をかけていることもわかっています。喫煙者が皆厚かましい人間というわけではないのです。ただタバコなしではどうしようもなく惨めでやってられないのです。

前門の虎、後門の狼。

タバコが吸えなくて惨めになるか、吸って周りの人に迷惑をかけて罪の意識と自己嫌悪を感じるかのどちらかなのです。また、パーティーなどの場での喫煙者をごらんなさい。

乾杯の音頭を待っている間にもトイレに行くふりをしてこっそり抜け出し、隠れてタバコをふかしています。まさにタバコ中毒。

喫煙者はタバコが好きだから吸うのではなく、それなしでは惨めだから吸うというのがよくわかります。

私たちの多くが若くてシャイな年頃にタバコを吸い始めるので、人と付き合うときはタバコがなければうまくいかないと信じ込んでしまいます。

喫煙をする女性を見ればよくわかります。女性は実に自分の外見を気にしますね。でも自分の息が汚れた灰皿のように臭うのはいっこうに気にならないようです。

もちろん彼女たちは髪や洋服にタバコのにおいがつくのは嫌がりますが、それでもタバコをやめるわけではありません。

これが「不安」のなせる技なのです。喫煙は社交上の助けではなく障害です。

片手に飲みもの、もう一方にタバコを持ち、常に灰や吸い殻を片づけることを考えなければなりません。

また、あなたの吐く煙が人の顔にかからないようにしなければなりませんし、タバコ臭い息や茶色くなった歯に気づかれないかも心配です。

タバコをやめるとそこには素晴らしい収穫物があります。禁煙したい人は、健康やお金や社会的評判ばかり考えがちです。

もちろんそれも妥当かつ重要なことですが、私個人は禁煙から得られるものは精神的なものだと思っています。

たとえば、

  • ①自信と勇気が戻ってくる。
  • ②奴隷的生活から解放される。

0世の中の半分の人から、そして自分自身からも軽蔑されているという思いで心の奥に暗い影を背負って生きていかなくてすむ。

タバコを吸わないほうが人生ずっと充実します。

健康とお金を手に入れるだけでなく、人生がより楽しいものになるのです(非喫煙者が享受できる素晴らしい利点については、あとで説明します)。

もし「空虚感」という概念がわかりにくければ、次のように考えてみてはどうでしょうか。あなたの顔に小さな発疹が出たと想像してください。私は魔法の塗り薬を差し出してこう言います。

「これを試してごらん」あなたがさっそくその薬を塗ると、発疹はすぐに消えます。一週間後、また例の発疹が出ます。

あなたは私に聞きます。「あの薬まだある?」私は言います。

「どうぞ、持ってていいよ。また必要になるかもしれないからね」薬を塗ると、あら不思議、またもや発疹は消えてなくなります。

ところがこの発疹は、出るたびに大きくなり、痛みも増し、間隔も短くなっていきます。

ついには顔じゅうが発疹だらけ、痛みも我慢できないほどひどく、これが三〇分おきに現れるまでになります。

薬を塗れば一時的に発疹は消えるのですが、とても心配です。

  • 痛みは体中に広がるのだろうか?
  • 出る間隔もゼロになってしまうのだろうか?

医者に診てもらつても原因はわかりません。

他の治療も試してみましたが、この魔法の薬以外効き目がありません。あなたはすでに魔法の薬に完全に依存しているのです。

薬を持たずに外出することすらできません。外国旅行のときはこの薬を何本か必ず携帯します。

この薬は体に悪いのではとあなたは心配になっていますが、それでもこの段階で私が魔法の薬を二万円で売ると言えば、あなたにはそれを買う以外の選択肢はありません。

このときあなたは新聞の健康欄で、この問題を抱えているのはあなただけではないこと、今や多くの人が同じ問題に悩んでいることを知ります。

また、魔法の薬が実は発疹に対して何の治療にもなっていないこと、逆にこの薬が皮膚の下に入り発疹を大きくしていたことを薬品会社が発見したことも知ります。

発疹をなくすためには、ただこの薬の使用をやめればいいのです。しばらくすると発疹は自然に消えるでしよう。

  • それでもあなたはこの薬を使いますか?
  • この薬の使用をやめるのに強い意志が必要ですか?

新聞記事の内容を信じない人は始めの二、三日は少し心配かもしれませんが、いったん発疹が消えていくのを確認すればもうこの薬を使う気も失せるでしょう。

それでもまだ惨めな気持ちですか?もちろん答はノーです。一生解決不可能な悩みを抱えていると思っていたのが、今や解決方法がわかったのです。

たとえ発疹が完全に消えるのに一年かかったとしても、症状が徐々によくなるのを感じるたびに「もう死ぬ危険もないなんて、なんて素晴らしい」と思うでしょう。

私が最後の一本を揉み消したときも、この魔法のような出来事が起こったのです。

ここでこの発疹と魔法の薬のたとえ話について一点はっきりさせておいてください。発疹は肺癌のことではありません。

動脈硬化でも肺気腫でも狭心症でも喘息でも気管支炎でも肝不全のことでもありません(これらの病気はすべて発疹の追加として起こるものです)。

また、この発疹はタバコに費やす大金でも、日臭と茶色い歯の一生でも、無気力感でも、ぜいぜいいうのどでも咳でもなければ、自分を窒息させながら「吸い始めなければよかつた」と思うことでも、ノースモーキングの場所で罰を受けていると感じることでも、そして(最悪なことに)自分を蔑むことでもありません(これらもすべて発疹の追加として起こるものです)。

発疹とは、我々をこれらすべての事実に対し心を開ざさせるもの、「タバコが吸いたい」というパニツクにも似た気持ちのことです。

吸わない人はこんな気持ちは味わいません。最悪なのは恐れであり、禁煙すればこの恐れを取り除けるのです。

私がこれらの事実に心を開いたとき、日の前の霧がすっと消えていくのを感じました。

タバコを欲しがってパニックに陥っていたのは私の弱点でもタバコの魔力でもない、ただ一本目のタバコがなした技であり、それに続く一本一本が(パニック感情を消すのではなく)引き起こしていたのです。

また、周りで楽しそうにプカプカ吸っている喫煙者たちも私が味わったのと同じ悪夢の最中にあることも同時に理解しました。

彼らは昔の私ほどひどい中毒ではないかもしれませんが、皆自らの愚かさを正当化するためにくだらない理由を並べているのです。タバコから開放されるのは本当にいい気分ですよ。

自ら進んで奴隷生活に甘んじるなんて……

喫煙者は普通、健康。お金・社会的評判などのために禁煙しようとします。しかし動機がなんであれ、喫煙者の実態は、恐ろしい麻薬に汚染された奴隷生活そのものです。

一九世紀、人類は奴隷制度廃上のために血の滲む努力をしました。それにもかかわらず、いまだに自ら進んで奴隷生活を送っている人がいます。それが喫煙者です。

喫煙者は、喫煙可能な場所では「自分はタバコをやめたい」という事実を忘れてしまうようです。ほとんどの場合、楽しんでいないだけでなく、吸つたことさえ気づきません。

しばらく吸つていないときに限って(朝一番とか、食事のあととか)タバコは楽しいという錯覚に陥るのです。

タバコが大切に思えるのは、減煙や禁煙をしているときか、教会・病院・スーパー・劇場など社会的に喫煙を許されていない場所にいるときだけです。

友人や知らない人の家を訪ねて、「吸っていいですか?」と聞けた時代はもう過去のことになってしまいました。

最近では初めての家を訪問したら、吸い殻の入った灰皿があるかどうか必死で探さなければなりません。灰皿が見つからなければ我慢する。

もし我慢しきれなくて許しを請うと、「どうしても、とおっしゃるなら」とか、「においが残りますので控えていただきたい」という答が返ってきます。

もうすでに冷や汗をかいているかわいそうな喫煙者は、この答に穴があったら入りたくなるものです。思い返してみると、私にとつて教会はいつも辛い場所でした。

自分の娘の結婚式でさえ、本当は威厳ある父親を演じなければいけないのに、心の中では何を思っていたと思いますか?「もう少しの我慢だ。そうしたら外に出て一服できる」教会のような場所での喫煙者の様子は大変参考になります。

彼らはたいてい一か所に群がり、会話はいつも同じです。

「おたくも吸いますか?」「ええ、どうぞ僕のを一本」「じゃ、あとで私のも吸つてください」彼らはタバコに火をつけ、深く煙を吸い込むとこう言います。

「僕たちにはこのご褒美がある。吸わない人はかわいそうですね」でも吸わない人はご褒美など必要ないのです。

人間はもともと、意図的に自らの体に毒を入れるようにはできていません。それに、吸わない人が一生通じて持つている平静心・自信・安定感を喫煙者は喫煙中でも得ることはできないなんて、哀れではありませんか。

吸わない人は教会で心を掻き乱されることもないし、人生をいつでも楽しむことができるのです。

私にはこんな記憶もあります。冬のある日、ボーリングをしている最中に、トイレに行くふりをして隠れて一本吸っていました。

一四歳の少年時代ではありません。四〇歳の会計士時代です。情けない話ですね。そしてゲームに戻ってもボーリングは楽しくありませんでした。

試合が終わってゆっくり吸えるのが待ちどおしかったからです。当時はボーリングが私のリラックス法であり、最大の趣味であったにもかかわらず……。

私がタバコをやめて一番よかったと思うのは、人生の半分をタバコ探しに費やす惨めな奴隷生活から解放され、生活全体を楽しめるようになったことです。

タバコを吸う人はよく覚えておいていただきたい。

吸わない人の家にいるときや、吸わない人と同席したとき、心を掻きむしっているのは善人ぶつた非喫煙者ではなく、あなたの中の「小悪魔」だということを……。

週××円節約しよう

何度でも言いますが、禁煙が難しいのは洗脳されているからです。禁煙を始める前にこの洗脳をよく拭いさればゴールは近くなります。

「確固たる喫煙者」……私が名づけたこの言葉の定義をめぐってときどき議論になります。私の定義では、浪費を気にしない人、タバコが健康を損なうと思わない人、社会での評判を気にしない人のことです(もっとも最近はこういう人は少なくなってきていますが)。

私のセラピーにくる若い男性にこう言ったとします。

「タバコに使うお金が惜しくないのですか?」たいていの人がこの質問に瞳を輝かせます。

もし質問の内容が健康面や社会面のことであれば不利な立場になるであろう人が、ことお金の話になると、「お金は十分あります。それに週たった一五〇〇円から二〇〇〇円位でしょう。タバコは僕の唯一の趣味であり道楽なんだから、払う価値はありますよ、云々……」

彼が一日二〇本吸う人ならば、私はこう言います。

「お金の心配をしないなんて、私には信じられませんね。だって一生で三万ポンド(訳者注一約四八〇万円)払うことになるんですよ。それだけのお金があったらどうします?しかも、そのお金で健康を害し、自信や勇気をそぎ、一生回臭や茶色い歯に悩み、奴隷の生活を送るのですよ。心配でないわけがないでしょう」

特に若い人はタバコを一生の問題として考えていないことがこの会話からもよくわかります。タバコ一箱でも安くはありません。一週間分の値段を計算してみると、これもかなりの金額です。

まれに(特に禁煙を考えるとき)一年分を計算してみると恐ろしくなります。でも一生分となると……考えもしないのです。しかしこれも議論のしようで、確固たる喫煙者はこう言います。

「お金のことなら大文夫。一週間たったこれだけだから」これではまるで百科事典のセールスマンです。

そこで私はこう言います。

「では、とっておきの話があります。今、私に二〇万円払ってください。そしたらあなたが死ぬまで、私が毎日ただでタバコを提供しますよ」

もしこれが二〇万円で一生電気代を払ってもらえる話だとしたら、彼は一も二もなく契約書に私のサインを取りつけているでしよう。

ところが確固たる喫煙者(ここで注意していただきたいのは、この人はあなたのように禁煙したいと思っている人ではなく、やめる気などさらさらない人だということです)の一人たりともこの提案を受けいれた人はいないのです。

なぜでしょう?セラピーもこの段階にくると、たいていの人が「お金のことは心配してないんです」と言います。

もしあなたも同じ意見なら、なぜ心配しないのか考えてみてください。

毎日の暮しでは細かい所で数百円節約するためにたいそう骨を折るのに、自分の体を汚すのにはなぜ何百万円ものお金を払って、それを気にもとめないのですか?人生の決断は、その長所と短所を天秤にかけ、それを分析し、論理的に下されます。

その決断が間違っていることもあるでしょうが、少なくともそれは論理的推論の結果なされた決断です。

タバコを吸う人が喫煙の長所と短所を天秤にかけた場合、答は明らかです――「タバコはやめろ。おまえはばかだ」でも、だからこそ、皆タバコを吸うのです。

吸いたいからでも、吸おうと決断したからでもなく、やめられないと思っているから吸うのです。

だから自分自身をごまかして事実から目をそらす必要があるのです。

不思議なことに、喫煙者同士では「最初に一本吸った奴は罰金一万円」などと約束するくせに、禁煙で節約できる何百万円では効果はないようです。

これは喫煙者が洗脳された頭で考えているからです。

ちょっと事実を見つめてみてください。喫煙は悪の鎖で、それは命につながっています。どこかで切らなければ一生吸い続けることになります。

残りの人生タバコにいくらお金を使うか計算してみてください。金額は個人によって異なるでしょうが、ここでは三〇〇万円と仮定しましよう。

もうすぐあなたは最後の一本を吸う決心をするでしょう。

(まだですよ。初めの指示を思い出してください)。

そのあとずっと非喫煙者でいるためには、罠にはまりさえしなければいいのです。

つまり最初の一本を吸わなければいいのです。もし最初の一本を吸つてしまえば、その一本の値段は三〇〇万円です。

もしこの考え方がペテンだと思うなら、それはあなたがまだ自分をだましているからです。あなたが最初の一本を吸わなければ今までにいくら節約できたか計算してごらんなさい。

16-駆×円節約しよう

もし、この考え方が正しいと思うなら、こう想像してみてください。

明日あなたの部屋に三〇〇万円の宝くじの当たり券が落ちていると想像してごらんなさい。あなたは喜びで踊り上がることでしょう。

ならば今踊ってください。もうすぐあなたにはその報奨が入るのですし、その他にもたくさんの特典が待っているのですから。

離脱期間には「あと一本だけ」という誘惑におそわれるかもしれません。

でもそんなときはその一本が三〇〇万円(またはあなたの計算した額)すると思えば我慢できるはずです。

先述の二〇万円で毎日タバコをただで供給するという話を私はこれまで何度もテレビやラジオで提案してきているのに、確固たる喫煙者の一人たりともがこれに乗ってこないのは本当に不思議です。

私の通っているゴルフクラブではいつもタバコの値上げについて愚痴る人が何人かおり、その愚痴を聞くたびに私は彼らを馬鹿にしているのですが、あまり彼らを怒らせるとそのうちの一人くらいは私の提案をのむのではないかと、実は秘かに心配しているのです。だって大変な金額がかかりますからね。

あなたの周りにタバコは楽しいと豪語する人がいたなら、一年間分のタバコ代を先払いすれば一生タバコをただで供給してくれる馬鹿な奴を知っているよ、と教えてあげてください。

ひょっとしてこの提案を受けようという人をあなたは一人ぐらい知っていますか?

タバコの害はすでに体に広がりつつある

タバコに洗脳されて一番大きな被害を受けるのは健康に対する認識力です。喫煙者はタバコが健康に及ぼす危険性をわかっているつもりでいますが、本当は何もわかつていません。私自身がいい例でした。

私の喫煙習慣はいつ頭が爆発してもおかしくない、そうなってもしかたがないというところにまで達していましたが、それでも「私の体はだいじょうぶ」と自分をだましていたのですから。

あの頃、私がタバコを一本取り出したときに、赤い警告灯が点滅じサイレンとともにこう警告を発したとします。

「オーケー、アレン。これが最後だ。警告を受けられたことを喜びたまえ。しかしこれが本当に最後の一本だ。今まではなんとか難を逃れてきたが、あと一本で君の頭は爆発する」

さて、私はその一本に火をつけたと思いますか?

・答に自信のない人はこんな場面を想像してみてください。交通量の多い大通りの歩道に目隠しをしたあなたが立っているとします。

その場でタバコをやめるか、それとも目隠ししたまま通りを渡って一本吸うか、二つに一つの選択があるとしたら、あなたならどうしますか?・答は決まっていますよね。

しかし、私がやっていたことは、すべての喫煙者がすることと同じ、つまり、心を閉ざし、現実を回避し、「ある朝目が覚めたら突然タバコ嫌いになっていますように」とただ祈るだけでした。

喫煙者は健康への危険性について考えることなどできません。

そんなことをすれば「タバコは楽しい」という幻想まで消えてしまうではありませんか。

こう考えてみると、喫煙者が「毎日四〇本吸って八〇歳まで生きたフレツドおじさん」の話をするとき、その影で働き盛りにタバコが原因で死んでいった何千人もの人々のことを無視する理由もわかります。私はセラピーで週に六回は患者さん(とくに若い人)と次のような会話をしています。

私「どうしてタバコをやめたいんですか?」患者「お金がないからですよ」私「体のことは心配じゃないんですか?」患者「いいえ。

明日バスにひかれるかもしれませんじね」私「自分からバスに飛び込むんですか?」患者「そんなばかな」私「道を渡るとき左右を見ないんですか?」患者「もちろん見ますよ」その通り。

喫煙者もバスにひかれないよう注意は払います。運悪くバスにひかれる人はほんの少数です。

それなのに、タバコで不具の体になるリスクは大きいにもかかわらず平気で冒し、気にさえもかけていないのですから、皆どれほど洗脳されているかよくわかります。

有名なイギリス人ゴルフアーでこんな人がいました。

彼はたいそうな飛行機嫌いで、アメリカでの大会には参加できないほどでしたが、そんな彼もゴルフコースではチェーンスモーカーでした。

飛行機は何か少しでも異常があれば離陸を取り止めますし、飛行機事故で死ぬ確率は極めて低いのです。

しかしことタバコとなると四分の一の確率の危険を冒し、それもその危険性を気にもかけていない様子です。

それでタバコから何の利益があるでしよう?まったく何の利益もありません!もう一つ、喫煙者が信じている神話、それは「咳が出なければだいじょうぶ」というものです。

でもその判断の仕方はまったくの間違いです。咳は肺から異物を吐き出す生来の安全機能です。咳そのものは病気ではなく単なる症状です。

咳が出るのは発癌性のタールや毒素を肺が吐き出そうとしている証拠です。咳が出なければタールも毒素も肺に残り、癌の原因になります。

買ったばかりの新車に錆がついたのに何の処置も施さない――これは愚かなことですね。そのうち全体が錆だらけになつて車の機能を果たさなくなるでしょう。

人間の体は人生の道のりをあなたを乗せて走る乗り物です。

喫煙とは人生を走るための乗り物に錆がつくのを許し、何も処置を施さないばかりか自ら進んでその乗り物を破壊していくようなものです。

そしてその車は一生に一台しか手に入らないのです。賢くなりましょう。タバコを吸う必要はないですよね。それに、タバコは何の役にも立たない―・ということを忘れないでください。

ほんの一瞬でいいですから、現実を見つめてみてください。

もし次の一本であなたが確実に癌にかかるとしたら、その一本を吸いますか?自分が病気になることを想像するのが難しいなら、この際病気のことは忘れましょう。

かわりに癌センターにいって辛いテストや放射線療法を受けなければいけないと想像してみてください。

もう未来設計などできません。あなたの家族は、愛する人はどうなるのか?・考えられるのは「死」だけです。セラピーにはすでにこんな状況にはまり込んでしまった人たちもきます。

この人達もあなたと同じで昔は自分が病気になるだろうなんて考えもしませんでした。つらいのは病気だけではありません。自分の責任で病気になったという事実のほうがもっとつらいのです。

「死へのボタンが押されてしまった―」と気づいたときの彼らの気持ちを想像してみてください。

この時点で洗脳の使命は果たされました。喫煙者はこのとき始めて喫煙の何たるかを知るのです。そこからはこう考えながら終焉に向かうでしょう。

「なぜタバコを吸わなきやいけないと自分をだましていたんだろう。もう一度人生をやり直せるチャンスがあつたならば……」でも、あなたにはまだチャンスがあります。

自分をだますのはやめましょう。喫煙は単なる連鎖反応です。

次の一本を吸うと、それが次の一本につながり、そしてまた一本……。この連鎖反応があなたにも起こっているのです。

ところで私は本書の初めに「私の禁煙法はショック療法ではない」とお約束しました。今の段階でもう禁煙を決意している人には、ここからの話もショックではないでしょう。

しかし私の禁煙法にまだ疑間を感じている人は、この章はここで切り上げ、残りの章を読み終わってからまたここに戻ってくることをお勧めします。

では本題に戻りましょう。喫煙の健康面での害については本などでたくさんのデータが出回っています。

しかし喫煙者はタバコをやめると決心するまでそんなデータは見ようともしません。喫煙者はタバコの害を一か八か、地雷を踏むかどうかぐらいの問題だと思っています。

でも、ここでしっかり考えてほしいのは、タバコの害がもうすでにあなたの中で広がり始めているということ。

タバコを一服するたびに発癌性のタールが肺に送り込まれています。そして癌はタバコが原因で起こる、文句なしに死因ナンバーワンの病気です。

それ以外にも動脈硬化、肺気腫、狭心症、血栓症、慢性気管支炎、喘息などもタバコが原因です。喫煙者はまた、タバコと病気の関連性が誇張されすぎていると勘違いしています。でも、タバコが西側諸国で一番の死因であることは間違いないのです。

ただタバコに起因する病気で死亡したケースも、統計上タバコが原因と見なされていないだけです。また、最近の統計では家屋の火事の四四パーセントがタバコが原因で起こっています。

交通事故の多くもタバコに火をつけるために道路から一瞬目を離したすきに起こるのではないでしょうか。

私は普段、車の運転は慎重なほうですが、今まで死に最も近づいたのは(喫煙していたことを除いて)運転しながら刻みタバコを巻こうとしたときです。

運転中咳き込んだときに火のついたタバコを回から落としたことも何度もあります。そんなときタバコはたいてい運転席と助手席の間に落ちてしまって困ったものでした。

また車を運転する喫煙者なら誰でも経験があるでしょうが、片手で運転しながらもう片方の手で火のついたタバコの置き場所を探すのも難しいものです。

百階建てのビルから飛び下り、五〇階を過ぎたところで「今のところはだいじょうぶ」と思っている――これが喫煙者の精神構造です。

ここまでなんとか難を逃れてこられたのだから、もう一本ぐらいならだいじょうぶだ、と思ってしまうのです。

皆、喫煙を単なる「習慣」ぐらいに思っていますが、その正体は、別の見方をすると「一生続く鎖」のようなものです。

この一本が次の一本につながります。初めて吸うタバコは爆弾の導火線です。導火線の長さは誰にもわかりません。

タバコを一本吸うたびにあなたは一歩一歩爆弾に近づいていきます。次の一本が最後の一本でないとどうやってわかりますか?

吸えば吸うほど疲労感が沈殿する

タバコを吸う人のほとんどは、タバコが肺をつまらせることは知っていても、喫煙が日常生活の疲労感を生んでいることまでは察していません。

喫煙すると肺だけでなく、体中の血管もニコチンや一酸化炭素などの毒素でふさがれていくので、酸素や栄養素が全身にいきわたらなくなります。

そのため日常の行動の機能は下がり、無気力感が増していきます。また、病気への抵抗力も落ちていきます。

しかしこの変化はたいへん緩やかなので喫煙者自身も気づきません。

私も一〇代のときはたいへん健康的な少年でしたが、それからの三〇数年間は常に疲れている状態でした。そのときは「元気があるのは一〇代までだ」などと思っていたのです。

それが、禁煙した結果、突然「元気」が戻ってきて、体を動かすのが好きになったのです。

タバコで体を虐待し元気を失うと、スポーツや娯楽の機会を避けるようになったり、暴飲暴食しがちになるなど、生活の他の面にも影響が出ることを覚えておきましよう。

タバコ自身が生みだす恒常的不安感

いいえ、これは喫煙に関する一番たちの悪い誤解です。禁煙によって得られる最大の利益は、喫煙者が味わう恒常的不安に悩まされずにすむことです。

「夜遅くにタバコがなくなってきたとき味わう不安感は、タバコ自身が生みだしている」と言うと、喫煙者はなかなか信じてくれません。

でも吸わない人はそんな不安感を持たないのですから、それはタバコが生みだしているのに間違いありません。やめるまでは禁煙の利点には気づかないものです。

私自身もタバコをやめてから何か月もたったあと、禁煙希望者との対話を通じて、禁煙には本当にたくさんの利点があることを知りました。

タバコを吸っていた三三年間、私は健康診断を拒んでいました。生命保険に入るときも、健康診断を拒否して高い保険料を払うはめになったほどです。

それほど病院は嫌いでしたし、医者も歯医者も御免こうむりたいと思っていました。また、自分が年をとっていくことを考えるとぞつとしました。

年金その他もろもろの問題など考えたくもなかったのです。当時は自分のこのような性癖を喫煙と結びつけて考えてはいませんでした。

でも、いざタバコをやめてみると、まるで悪い夢から覚めたように明るくなりました。

今では毎日が待ち遠しいぐらいです。

もちろん生きていくうちには嫌なこともありますし、日常のストレスや緊張感も感じますが、それに立ち向かう自信がついたことは本当に素晴らしいことです。

また健康・エネルギー・自信といったものは楽しいときをより楽しくしてくれます。リラックスして自信に満ちた生活――それは禁煙から得られるのです。

喫煙者の心の奥にひそむ不吉な黒い影

喫煙者は皆、喫煙の愚かさを知りつつも、タバコの持つ悪い面には目をつむっています。喫煙者はほとんど無意識にタバコを口に運びますが、心の奥には不吉な黒い影が隠れています。

しかしこの黒い影も意識の表面にひょっこり顔を出すことがあります。

たとえばタバコの広告に添えられた警告文を見たとき、咳が止まらないとき、胸に痛なが走ったとき、子供や家族や友達が嫌そうな顔をしたときなどです。

また歯医者に行つたときや恋人とキスするとき、吸わない人と話すときにも、日臭や汚れた歯が気になって陰鬱感が頭をもたげます。

そういうときにはただただ自尊心が傷つき、タバコを吸う自分に自己嫌悪を感じてしまうのです。この憎き陰鬱感から解放される素晴らしさ、もうタバコを吸う必要がないとわかったときの喜びは、口では説明できないくらいです。

さて、ここまで私は禁煙にいかに多くの利点があるかを説明しました。しかし吸う人と吸わない人に対しては公平であるべきでしょう。次の章では喫煙の利点をあげてみたいと思います。

喫煙の利点

喫煙の利点などひとつもない1

精神力でやめようとするな

「禁煙は難しい」これは社会の通説です。禁煙指導書はたいてい、その難しさを説くことから始めます。しかし禁煙は、本当は馬鹿らしいほど簡単です。

こう言うと、「本当かな?」とあなたがいぶかしがるのもよくわかります。

でも、ちょっと考えてみてください。禁煙はタバコを吸いさえしなければいいのです。

誰もあなたにタバコを強制していませんし、食べものや飲みもののように生きるために必要なわけでもありません。

なのに禁煙しようとすると、なぜそんなに難しいのでしょう?それはあなたが「精神力」でやめようとするからなのです。

「精神力」による禁煙法とは、タバコを吸う人に心理的負担感を感じさせるような方法のことです。ではこの「精神力禁煙法」について詳しく考えてみましょう。誰でも「タバコを吸おう」と決心して喫煙者になるわけではありません。

初めの二、三本はただ試してみるぐらいで、それもあまりにひどい味がするのでこれでは中毒にはなりっこないと確信します。

初めのうちは、他に吸つている人がいるからとか、付き合いの場所だから吸ってみよう、という程度のものです。

でもそれが知らないうちに定期的にタバコを買うようになり、吸いたいときだけ吸うのではなく、常用するようになってしまいます。

その頃はまだ「タバコは吸わずにいられないから吸うのではなく、おいしいから吸う」という幻想を抱いていますから、自分が中毒になってしまったことに気づくにはかなりの時間がかかります。

そして誰でも、ひどい中毒になる前に、たいてい一、二回は禁煙してみるものです。禁煙してみて初めてその難しさに気づきます。

そのきっかけは、普通、お金(ガールフレンドと会い、将来家庭を持つためにタバコで無駄遣いはしたくない)か、健康(一〇代の頃はスポーツもしたいし、喫煙すると息が切れる)でしょう。

理由は何であれ、喫煙者はまずお金や健康の心配がストレスを引き起こすのを待ちます。ストレスがたまっていざ禁煙を始めると、今度は小悪魔が餌を要求してきます。

ここで一本吸いたくなりますが我慢しなければなりません。こうして「ストレス・小悪魔の誘い・我慢」という三重の苦しみを味わうのです。

そしてしばらく拷間のような苦しみを味わつたあと、「減煙にしておこう」とか「時期が悪かった」とか「ストレスがとれてからにしよう」といった妥協に走るのです。

しかしいったんストレスがとれてしまえば禁煙の必要もなくなり、喫煙者は次のストレス期まで禁煙しようとは思いません。一方、人生は年を重ねるにつれストレスが増えることはあっても減ることはありません。

親の庇護を離れて家庭を持ち、家のローンを払い、子供が生まれ、仕事の責任は重くなり……と続くのですから、禁煙に絶好のチャンスなど決して訪れません。

またタバコ自体がストレスを増やす原因ですから、生活のストレスを減らすのはさらに無理ということになります。

それにニコチンの摂取量が増えると疲労感も増し、タバコが支えになるという幻想も大きくなるのです。

何回か禁煙に失敗した人は、「ある朝、日が覚めたときにタバコが吸いたくなくなっていればなあ」という望みにかけるようになります。

これは「しばらくひどい風邪にかかったら、もうタバコが吸いたくなくなつたよ」というような話をする人がときどきいるからです。

しかし、だまされてはいけません。実際の禁煙は話に聞くほど簡単なはずはありません。その人はもともと禁煙しようと決心していて、風邪はただその踏切台として使ったのでしょう。

タバコを「いとも簡単に」やめられた人も、実際にはなんらかの大きなショツクがきつかけになっていることが多いのです。

近い親戚がタバコが原因の病気で死んだとか、自分も危ない目にあつたとか……。

「ある日やめようかな、と思ったらやめられたんだよ。僕はそういう人間なんだ」と言うのは簡単です。だまされてはいけません。自分で努力しなければ禁煙は実現しません。

さて、「精神力禁煙法」がなぜ難しいか、理由はまだあります。

喫煙者のほとんどは事実から目をそらし、「明日にでもやめるさ」と思用E4月ι辺′っています。それでもときどきは、何かがきっかけで禁煙を決意するでしょう。

それは健康、お金、社会的評判かもしれませんし、ひどい咳が出て「これはいけない」と気づいたからかもしれません。

理由はともあれ、あなたは現実を直視し喫煙の利点と欠点を比べてみるでしょう。そうするとわかりきっていたはずのことが見えてきます。つまり冷静に判断した結果は「禁煙」しかないのです。喫煙の利点など何もないのですから……。

ところが、禁煙したほうがずつとよいとわかつていても、自分はそのために犠牲を払わなければならないと感じてしまいます。

犠牲心は幻想にすぎないのですが、その幻想の力は巨大です。

吸つている本人にもなぜだかわからないのですが、人生よいときも悪いときもタバコが自分を助けてくれていると思えるのです。

禁煙を始める前の頭はすでに社会に洗脳されていますし、ニコチン依存症がそれに追い討ちをかけてきます。

さらに「禁煙は難しい」という他人の経験話でもっと強力に洗脳されてしまうのです。何か月も禁煙しているがまだ吸いたくてたまらないという話。

禁煙に成功しても一生タバコが吸いたいと嘆いて過ごす不平

家の話。

何年間もタバコなしで幸せに暮らしていたのに、一本吸ってしまったばかりにたちまち中毒になり、それからずつとやめられないという話。

病気の末期状態まできていて、明らかに喫煙で体がぼろぽろになっており、どう見てもタバコを楽しんでいる様子じやないのに吸い続けているような喫煙者の話。

あなた自身も同じような経験を二度三度したことがあるかもしれません。

こういう話を聞いてしまうと、エベレストにでも挑むかのような暗い気持ちで禁煙を始めなければいけなくなります。

また、友人や家族には「禁煙することにしたから何週間か機嫌が悪くなるかもしれないけど、我慢してね」などと、いきなり謝る人もいたりして、まだ禁煙を始めてもいないうちから悲壮感が出てしまうのです。

さて、「精神力禁煙法」で二、三日タバコなしで過ごしたとします。

肺の汚れは急速に落ちていきますし、タバコを買わないのですからポケットにはいつもより多くお金が入っているでしよう。

しかし同時に、もともとの禁煙の動機も頭の中から急速に消えていきます。

ちょうど運転中に大きな事故を見かけて、しばらくはスピードを落としても、約束に遅れそうになるとすべて忘れてアクセルを踏み込むように。

精神力で禁煙しようとしている間、心理的イライラは消えませんが、身体的痛みは感じません。

感じたとしてもたいしたことはなく、もし風邪で同じような症状が出ても、仕事を休んだり落ち込んだりする必要はなく、笑ってすませてしまう程度です。

精神力で禁煙中に唯一本人が感じること、それは「タバコが欲しい」ということです。しかしそれを感じてしまうと終わりです。

なぜなら、そう感じてしまうと、体内の小悪魔が心に大悪魔を生み落とし、つい二、三日、いや二、三時間前まで禁煙するべき理由を並べていた人が、今度は吸い始めるに妥当な言い訳を探してしまうからです。

たとえば……、

  • 人生は短いし、何が起こるかわからない。
  • 明日バスにひかれるかもしれないし、もう手遅れになっているかもしれない。
  • それに近頃は何でも癌の原因になると言われている。

②禁煙の時期が悪かった。

クリスマスまで、休暇が終わるまで、このストレスが消えるまで待とう。

タバコを吸わないと集中できない、イライラする、機嫌が悪くなる、仕事がはかどらない。

そんなようでは友達や家族に迷惑がかかる。

皆のためにも吸わなくちゃ。

もう常用者になってしまっているのだから、タバコなしで楽しく暮らすなんて不可能だ(私もこう言いながら三三年間吸っていましたが)。

ここまでくるとあなたの負けです。タバコに火がつけられます。

すると小悪魔がとうとう餌にありつき、渇望感が満たされる一方、長期間の禁煙のあとの最初の一本はひどい味がするので、なんでこんなものを吸っているのか自分でもわからなくなり、精神の分裂が高まります。

そこであなたは自分が精神力のない人間だと思ってしまうのです。しかし実際は精神力がないわけではありません。

ただ考えを変えただけです。

それも「惨めな気分になるぐらいなら健康でいてもお金があっても意味がない。惨めで長い人生より、短くても楽しい人生の方がはるかにいい」という、最近の風潮に鑑みれば妥当な決心だと言えるかもしれません。

しかし、幸いそれは事実ではありません。タバコなしの人生の方が絶対に楽しいのです。

私は三三年間もその馬鹿な考えを信じてタバコを吸っていました。もしそれが事実なら、今でも吸っていることでしょう(いや、もうこの世にはいないでしょう)。

禁煙したとき感じる惨めさは、身体的禁断症状とは関係ありません。本当の苦しみは心の中にあり、それは猜疑心と不安感によって生み出されます。

つまり、犠牲心を持って禁煙を始めるから喪失感を味わい、それが一種のストレスを引き起こすのです。

脳が「一本吸いたいだろう」とささやくのはストレスがたまったときです。禁煙した途端に吸いたくなるのはそのためです。

でももう禁煙は始まっているのでその一本は吸えませんから、心はもっと憂欝になり、それがまた二重に苦痛を呼ぶのです。

もう一つ、「何かが起こるのを待つ」、これも禁煙を難しくします。もしあなたの目標が車の免許を取ることだとしたら、テストに合格した時点で目標は達成されます。

しかし「精神力禁煙法」では、「タバコなしで十分な時間を過ごせれば、吸いたい気持ちもなくなるだろう」と思ってやめようとします。

これではいつ目標を達成したとわかるのですか?何かが起こるのを待っても何も起こらないのですから、日標を達成できるはずはありません。

最後の一本を吸った時点であなたはもうタバコをやめたのですから、何かが起こるとしたら、それはいつあなたがギブアップするかだけです。

すでに述べたとおり、禁煙で感じる苦しみは心理的なものだけで、それは不安感から発生します。身体的苦痛はありません。

しかしこの不安感の及ぼす影響は小さくはなく、禁煙したあとの心は惨めさで一杯です。タバコのことを忘れるどころか、タバコにがんじがらめにされてしまいます。

心は疑いと恐怖でいっぱいです。

  • 「この渇望感はどれだけ続くのだろう?」
  • 「また幸せな気分になれるだろうか?」
  • 「食事もおいしく感じるだろうか?」
  • 「どうやつてストレスを解消したらいいのだろう?」
  • 「パーティーも楽しめるだろうか?」

現実を嘆いてばかりいたのでは、かえってタバコがどんどん貴重なものになってしまいます。また、禁煙すると実際には何かが起こっているのですが、本人はそれに気づきません。

ニコチンなしで三週間我慢できたら、身体的なニコチン依存症は消えます。しかし、ニコチンが起こす禁断症状はそれと気づかないほど弱いものです。

そして三週間もたつと、たいていの人は「成功した」と思い、それを証明するために一本吸ってみるでしょう。これで万事休す。

味は最悪、でもこの元喫煙者の体は温かい喜びと安心感で満たされます。

一度新鮮なニコチンを体内に入れてしまうと一本目を吸い終えたとたんニコチンが体内から消え始め、心の奥からはあの小さな叫び声が聞こえてきます。

「もう一本吸いたいだろう」普通はここで思いとどまるものです。「また中毒になるのはごめんだ」と思うからです。そこでいくらかの安全期間をおきます。

これは数時間かもしれませんし、数日か、数年かもしれません。

そしてこの安全期間が過ぎると「よし、中毒にはなっていなかったぞ。もう一本ぐらいなら大丈夫だ」と思ってしまいます。

これで最初にかかったのと同じ罠に再びはまったことになり、このときすでにつるつるのすべり台に乗っかった状態にあるのです。

「精神力禁煙法」で禁煙に成功しても、その道程は長く険しい――なぜなら喫煙の主な原因は洗脳であり、物理的依存症が消えてもずっとタバコが恋しくなるからです。

それでも長い間タバコなしで我慢できたら、もう失敗しないですむことがわかってきます。恋しさもなくなってきますし、人生はタバコなしの方がいいもんだと思えてきます。

このように精神力を使って禁煙に成功する人はたくさんいますが、この方法は難しいし骨も折れるし、なにより成功者より失敗者のほうが多いのが現実です。

成功した人も残りの人生かなり危うい状況で過ごさなければなりません。

頭の中にはいくらか洗脳部分が残っていますし、嬉しいときや悲しいときはタバコが精神の高揚を与えてくれるとまだ信じているからです。

非喫煙者はこのような幻想は持ちません。

彼らも洗脳されてはいますが、タバコはおいしいとはとうてい思えないし、タバコの悪い面を見て「こんなものは結構」と思っているのです。

これでなぜ長期の禁煙のあと、また吸い始める人がたくさんいるのかおわかりでしょう。

禁煙中につらい思いを味わったり、結婚式やクリスマスのパーテイーなどに出たときについ一本吸ってしまいます。

あるいはタバコのひどい味を自分に納得させるためにわざと吸う場合もあるでしょう。確かにその一本はひどい味がします。でもその火を消した途端ニコチンが体内から消え始め、心の奥からあの声がするのです。

「もう一本吸いたいだろう」。もう一本火をつけてみてもまだひどい味がします。

「よかった―こんなひどい味がするんだからもう中毒にならなくてすむぞ。クリスマスが終わつたら、休暇が終わつたら、心の傷が癒えたら禁煙するぞ」これでは手遅れです。

もうあなたは中毒になっているのです。

最初に吸い始めたのと同じ罠にかかっているのです。何度も言っているように、喫煙に「おいしさ」は関係ありません。

おいしいなんてことはありえないのですから―ただ「おいしくもないのに吸うほど自分が馬鹿だ」と認めたくないからおいしいと思い込んでいるだけです。

だから喫煙行為は無意識に行なわれるのです。

もし一本吸うたびに不潔な煙が肺に落ちていくのを意識していたら、あなたは自分自身にこう言わざるをえないでしょう。

「こんなものに一生で三〇〇万円も費やし、おまけにこの一本が癌を引き起こすかもしれないのだ」こう思えばおいしいなんていう幻想も消え失せてしまうでしよう。

タバコの悪い面に心を閉ざそうとすると、自分が愚かに感じます。面と向かい合おうとすると、恐ろしくて耐えられません。

社交の場などで喫煙者を観察すると、彼らはタバコを吸っていることに気づいていないときのみ楽しそうです。タバコを意識したときは居心地悪そうにしたり、周りにあやまったりしています。

減煙は禁煙よりずっと難しい

減煙は禁煙の足がかりとして、または小悪魔の活動をコントロールする手段としてよく使われる方法です。

医者や禁煙アドバイザーの多くが禁煙の補助的手段としてまず減煙することを勧めます。確かに本数は少ないにこしたことはありません。

しかし禁煙の足がかりとしての減煙は、決して禁煙に至ることはありません。あるいは、減煙しようとして一生そこで足留めを食うことになるでしよう。減煙とはだいたい禁煙に失敗した人が代わりにしようとするものです。

二、三日または二、三時間禁煙してみたあと、こう言いながら始まります。

「タバコなしだなんて、考えるだけでも恐ろしい。そうだ、これからは特別なときだけ吸うようにしよう。一日一〇本に減らそう。一日一〇本に慣れたらそのペースを維持するか、もうちょっと減らすかすればいい」この人には確実に不幸が見舞っています。

つまり、●これは最悪の状況です。

彼はニコチン依存症であり、そのうえ小悪魔が心の中に居座ることをも許しています。

0彼の人生は、次のタバコを待ちわびるのに明け暮れることになります。O減煙を始める前は、タバコに火をつけるたびに少なくとも禁断症状は緩和していました。

ところが今では通常の生活からのストレスに加え、ニコチンの禁断症状にも耐えなければならない状況を自分で作ってしまったのです。

●彼がタバコを吸いたいだけ

吸っていた頃は、おいしいと思わなかっただけでなく、吸っていることさえも気に留めませんでした。ただ機械的に吸っていたのです。

しかし減煙を始めた今、一本吸うのに前より一時間長く待たなければいけませんから、一本一本がとてもおいしく感じます。

長く待てば待つほど、次の一本がより貴重なものになります。

これは喫煙の「楽しみ」がタバコそのものにあるのではなく、渇望感からくる不安を消すことにあるからです。苦しみが大きいほど「楽しみ」も増すというわけです。

喫煙者でも新車を買うと車中ではタバコを吸わない人がたくさんいます。スーパーや劇場や病院などにいつても、吸えない不便さを味わわない人もたくさんいます。

彼らは吸わない人と同席するときはタバコは控えます。地下鉄は禁煙ですが、喫煙者の暴動が起こったという話は聞いたことがありません。

「吸わないでください」と言ってくれる人がいた方が喫煙者はうれしいぐらいなのです。

長時間吸わないでも大丈夫だったときは、将来やめられる希望が見えたとひそかに喜んだりするぐらいですから……。

本数を減らせば吸いたい気持ちも減るだろうと思っているのですから、減煙している人はこの上なく哀れです。

本当はまったくその逆で、本数を減らせば禁断症状の時間も長くなり、さらにタバコが貴重なものになります。

その一方で味はだんだんまずく思えてきますが、だからといつて禁煙できるわけではありません。味は禁煙とは関係ないのです。

タバコの味を味わうために喫煙するなら、誰も一本も吸わないでしょう。そんなの信じられないですって,・いいでしょう。とことん突き詰めて考えてみましょう。

一日で一番まずいと感じるタバコはいつ吸うタバコですか?そうですね。朝一番のタバコです。冬の寒い朝なんかには咳き込んでしまったりしますね。

では一番貴重に思えるタバコは?

そう、朝一番のタバコです―・これでも味と匂いのためにタバコを吸っていると思えますか?

・夜中の九時間にたまった禁断状態を癒すから吸うと言ったほうが理に適っていませんか?

減煙は効果がないだけでなく、最悪の拷間です。

喫煙の習慣を少しずつ減らしていけばタバコを欲する気持ちも減っていくだろうなんていう考えで減煙するのですから、うまくいきっこありません。

喫煙は習慣ではありません。「中毒症」なのです。そして中毒症の本質は、欲望がだんだん増えることであって減ることではありません。

だから減煙しようとする人には一生たゆまざる精神力と修練が必要になるのです。

禁煙の難しさは、ニコチンヘの化学的依存症とは関係ありません。依存症に打ち勝つのは簡単です。

そうではなくて、タバコが楽しみを与えてくれるという間違った観念が問題なのです。

この間違った観念は喫煙を始める以前から受けている洗脳によって生まれます。そして実際に依存症になってその観念はさらに強まります。

そこで減煙したらその観念がもっと強くなり、人生が完全にタバコによって支配され、「世界で一番大切なものは次の一本だ」と思えるまでになってしまうのです。

私も減煙の失敗例をたくさん見てきました。

確かに減煙でうまくいった例も少しはありますが、そういう人は短期間減煙をしたあとに麻薬患者の禁断治療さながらの禁煙を試みて成功した人たちです。

しかしそれは減煙したにもかかわらず禁煙できたわけであって、減煙したからやめられたのではありません。減煙はただ苦しみの時間を引き伸ばすだけです。

減煙に失敗すると精神的痛手は大きく、ますます一生タバコ頼りの人生になってしまいます。へたをすると、次の挑戦まで五年も吸い続けることになりかねません。

減煙してみるとタバコの無益さがよくわかります。

なぜなら「タバコはしばらくの間吸わなかったときのみおいしく感じる」ということがよく見えてくるからです。

コンクリートの壁に頭をぶつけるのをやめたときの嬉しさを味わうために、わざわざ自分から壁に頭をぶつける(禁断症状を味わう)のと同じです。

ここまでくると、選択肢は次の三つしかありません。

  • ①一生減煙して、自分で自分を拷間にかける(どっちみち耐えられるはずはないが)。
  • ②どんどんタバコを吸って、自分を窒息させる(何のために?)。
  • ③自分を大切にする、つまリタバコをやめる。

もう一つ、減煙が教えてくれる大切なことは、ときどき吸うなんてことはありえないということです。喫煙は一生続く連鎖反応です。

自分で積極的に切らない限り終わりはありません。「減煙すると禁煙がさらにずっと難しくなる」ということを忘れないように。

とり返しがつかない「ちよっと一本」の油断

「ちょっと一本ぐらいなら……」これもあなたの心から拭い去られるべき神話です。

もともと喫煙を始めたのも、一本のタバコからではなかったですか?困難な状況を切り抜けるためとか、特別の場だからと言って吸う一本が失敗の始まりです。

せっかく依存症を克服した人も、たった一本のために再び罠に引き戻されるのです。「もうタバコは必要ないだろう」ということを確認したくて一本吸うのも同じです。

一本吸ってみてあんまりひどい味がするので、もう二度と中毒にはならずにすむだろうと確認できたとしても、そのときもうすでに中毒になってしまっています。

よ―く頭に叩き込んでおいてください。

「ちよつと一本」なんて吸い方はありません。喫煙は連鎖反応ですから、完全に断ち切るまで一生終わりはこないのです。

「ちょっと一本」とか「特別の一本」なんていう神話を信じているから、やめたあとも吸いたくてたまらないのです。

タバコのことを考えるときは不潔な一生、大金を使って自分自身を心身共に打ち壊す一生、奴隷のような一生、臭い息の一生などを思い描いてください。

タバコにはもう一つ変わった側面があります。タバコを吸う人に尋ねてみてごらんなさい。

「タバコに依存する前に戻れるとしたら、それでもタバコを吸うと思いますか?」答は例外なくこうです。

「まさか、そんなわけないでしょう」しかし毎日誰にでも「吸わない」という選択肢はあるのです。

どうしてその選択をしないのでしょう?・それは恐れているからです。

やめられないだろうという恐れ、やめたら人生同じようには送れないだろうという恐れ。自分をだますのはいいかげんやめなさい。あなたにもできます。誰にでもできます。拍子抜けするほど簡単なのですから。

やさしく禁煙するために心に留めておくべき基本原則がいくつかあります。

そのうち三つはもうすでに見てきましたね。

  1. 禁煙で失うものは何もありません。あるのは素晴らしい利点だけです。
  2. ちょっと一本だけでも吸おうとしないこと。そんな吸い方はありません。一本吸えば、一生不潔で不健康な生活を送るのです。
  3. あなただけ特別なのではありません。誰でも簡単にやめられます。

ときどき吸う人、一〇代の喫煙者、吸わない人

ヘビースモーカーは軽度の喫煙者をうらやましがるものですが、本当はそんな必要はありません。奇妙なことに、軽度の喫煙者はヘビースモーカーよりもタバコヘの依存度は高いのです。

喫煙のしかたが軽度であれば、確かに恐ろしい病気にかかる確率も低いし、使うお金も少なくてすみます。

しかし他の面では軽度の人ほど厄介です。

「喫煙者は実はタバコを楽しんでいない」という話を覚えていますか?楽しんでいるのは禁断症状の緩和だけです。そもそも麻薬の本質はこの禁断症状の緩和にあります。

喫煙者は禁断症状の苦しさを避けるためにチェーンスモーキングになってしまうのです。ではチェーンスモーキングを抑制する要因を三つあげてみましよう。

①「お金」

経済的に十分余裕のある人はそういない。

②「健康」

主号物からの禁断症状を緩和するためにはその毒物を摂取しなければならないが、どれだけの量の毒物を摂取できるかは個人差がある。また時と場所によっても変わる。これが抑制作用として働く。

③「自制心」

社会的に、仕事上、または友達や家族から強く禁煙を強いられる、または喫煙者なら誰でも抱えている心の中の葛藤の結果、自分自身で禁煙を決心する。

ここで幾つかの言葉を定義づけしておきたいと思います。

A・非喫煙者……罠にはまったことのない人。ただし吸わないからといって、タバコの問題に無頓着になるのは禁物です。非喫煙者でいられるのは単に神様のおかげなのですから。今吸っている人も昔は絶対中毒にはならないと信じていたのです。

B・軽度の喫煙者……基本的に二種類に分類されます。

①罠にはまつてしまったけれど、そのことにまだ気づいていない人。この人達はまだ梯子の一段目にいるだけであって、必ずやすぐにヘビースモーカーになるでしょう。皆、初めは軽度の喫煙者だつたことをお忘れなく。

②元ヘビースモーカーでタバコをやめられず少しずつ吸っている人。これが一番哀れな人達です。このグループは次の五つのカテゴリーに分けられます。

「一日五本スモーカー」

もしタバコが好きなら、なぜ一日五本しか吸わないのでしょう?・もし吸わなくてもすむのだったらどうしてわざわざ吸うんでしょう?喫煙とはコンクリートの壁に頭を打ちつけて、それをやめたときの安堵感を楽しむに等しい習慣だ、というのを覚えていますか?一日で吸っていない時間は、自分では気づかないけれど、頭を壁に打ち続けているのです。それも一生そうし続けるのです。

一日五本しか吸わないのは、本数を増やすお金がないからか、健康面が心配だからです。

「タバコは楽しくない」ということをヘビースモーカーに認めさせるのは簡単ですが、軽度の喫煙者に対しては容易ではありません。

本数を減らす努力をしたことがある人なら、それがどんなにひどい拷間か、そしていくらそんな努力をしても、まず一生禁煙できないことをよく知っています。

「朝だけ夜だけスモーカー」

このタイプの人は一日の半分は禁断症状に苦しみ、もう半分では禁断症状を緩和する、という罰を自分に科しています。同じように尋ねてみるといいでしよう。

もしタバコが好きならばなぜ一日中吸わないのでしょう?

・もし好きではないならなぜわざわざ吸うのですか?

「六か月吸い、六か月禁煙スモーカー」

(今まで何回と禁煙してきたのでいつだってやめられると思っている人)もしタバコが好きならば、なぜ六か月も吸わないでいられるんでしょうか?・好きでないなら、なぜまた吸い始めるのですか?それはまだタバコに依存しているからです。

このタイプの人は物理的依存症からは抜け出すことができても、一番大切な問題――洗脳――を解決できていないのです。

だから禁煙するたびに「ずらとやめられたら」と思っていても、またすぐに罠にはまってしまうのです。「特別の機会にしか吸わないスモーカー」そう、初めは誰でもここから始まるのです。

しかし、その特別の機会の回数が増え、気がついたらどんな機会にでも吸っている……その変わり身の早さといったら驚きです。

「禁煙はしたけど、たまには葉巻を吸うスモーカー」このタイプの人達は一生喪失感を感じて過ごさなければならないのですから、ある意味では最も哀れな人達です。

それに特別なときの葉巻一本はよく二本になったりします。

こういう人達はつるつるのすべり台に立っているようなもので、進める方向はただ一つ……転がり落ちるのみ。

この人達は吸い始めたときにはまったのと同じ罠にかかっているのです。軽度の喫煙者にはあと二つのカテゴリーがあります。一つは社交の場でのみときどきタバコや葉巻を吸う人です。

この人たちは本当は非喫煙者であり、タバコを楽しんでいるわけでもないのですが、周りに取り残されたくないのです。その状況に溶け込みたいだけなのです。人は皆このようにして吸い始めます。

もう一つのカテゴリーはまったく珍しいパターン、私のセラピーを受けに来たなかでも一〇人ほどしかいないでしょうか。

最近あつたケースをご紹介しましよう。

ある女性が電話をかけてきて個人セラピーを申込みたいと言います。この人は女性弁護士で、一二年間吸っているが、その量は必ず一日に二本なのだそうです。彼女は(偶然にも)大変しっかりした女性でした。

ところがグループセラピーの方が成功率が高いこと、有名人であるためにグループセラピーに混乱をきたす恐れのある人のみ個人セラピーを行っていることを説明したところ、彼女は突然泣き出してしまったのです。

個人セラピーのほうがずっと高額ですし、そもそもなぜこの女性がタバコをやめたいのか、皆さん疑間に思うでしょう。

一日二本のスモーカーなんてうらやましい限りだ、と思うでしょう。そう思うのは軽度の喫煙者のほうが幸せで生活管理もよくできると誤解しているからです。この女性はタバコ中毒になる前に両親とも肺癌で亡くしているのです。

かつての私がそうであったように、最初の一本を吸うまでは、タバコに多大な恐怖心を抱いていましたが、周りからのプレツシヤーに屈し一本目をトライする気になったのです。

彼女も一本目のまずさはよく覚えているそうです。

しかし、すぐに罠にはまリチェーンスモーカーになった私とは違い、この女性はすべり台をすべり落ちるのに必死に耐えていたのです。

タバコの楽しさとは、タバコを欲しがる気持ちを満たすことであり、それ以外の何物でもありません。のどのかわきと同じで、長く苦しめば苦しむほど癒したときの喜びも大きいのです。

喫煙者はタバコが単なる習慣だと誤解しています。

「一定量だけなら、特別なときだけなら、頭も体も耐えられる。そのレベルを保てばいいし、必要ならもう少し減らせばいい」よく頭に叩きこんでください。

喫煙の「習慣」なんてものは存在しません。喫煙は麻薬中毒症なのです。人間の体は禁断症状に耐えるより、禁断症状を緩和することを求めようとします。

体が麻薬に対する免疫をつけていくほど禁断症状は強くはなっても減ることはありませんから、中毒症を現在のレベルに保つだけでも強い意志と鍛練が必要ということになります。

そしてこの麻薬は体と心を破壊し始め、神経系統も勇気も自信も破壊するため、一本一本の間隔が短くなるのに耐えることができなくなるのです。

またこんなケースもありました。

「一日五本スモーカー」の男性です。彼はガラガラのしわがれ声で電話してきてこう話し始めました。

「ミスター・カー、私は死んでしまう前にタバコをやめたいのです」そして彼自身の人生をこう語つてくれました。

「私は今、六一歳です。タバコが原因で咽喉癌にかかっています。体力的に一日五本の巻きタバコしか吸えない状態です。昔は毎晩よく眠れたのですが、最近は一時間ごとに目が覚めてタバコのことを考えずにはいられません。眠っている最中でもタバコの夢を見てしまうほどです。

一本目のタバコは朝一〇時まで吸わないことにしています。毎朝五時に起きるのですが、まず際限なく紅茶を飲みます。妻は八時に起きてきますが、私の機嫌があんまり悪いので家の中にいさせてもらえません。そこで私は庭の温室へいってぶらぶらするのですが、気持ちはタバコのことでいっぱいです。

九時になったら一本目のタバコを巻き始めます。それも完璧に巻けるまでやります。完璧にしなければならないわけではないのですが、そうすれば時間が潰せますから。

そして一〇時になるのを待ちます。その頃には手が震えて抑えがきかないぐらいです。でもまだ火はつけません。そこで吸ってしまえば次は三時間待たなくてはいけませんので。

やっと火をつけても、一服したらすぐに消します。それを繰り返して一時間もたせます。そして残り五ミリになるまで吸つたら次の一本を待つのです」

かわいそうなこの老人は巻きタバコがほんの小さくなるまで吸うものですから、日の回りにはやけどの跡がたくさんあるのです。

この話を聞くと、誰もが哀れでひ弱な人物を想像するでしょうが、実はそうではありません。この人は身長は一八〇センチ以上、元海軍の軍曹です。昔は陸上の選手で、タバコを始めたいとはつゆほども思わなかったそうです。

ところが第二次世界大戦の頃は、タバコは勇気を与えてくれると皆が信じていましたから、軍人には無料でタバコの配給があったそうです。

つまり、喫煙者になることを命じられたわけです。おかげで彼は残りの人生、大金を払って他人の税金を補助しなければならず、自身は心身共に破壊に追いやられたのです。

この老人の話は強調され過ぎだと思われるかもしれません。確かに極端な話です。しかし珍しい話ではありません。実際によく似た話は何千とあります。

こんなことは私には起こりっこないと思っているあなた。自分を偽るのはやめましょう。もうすでにあなたにも起こっているのです!とにかく喫煙者は悪名高い嘘つきです。自分自身にも嘘をつく。いや、つかざるを得ないのです。

軽度の喫煙者といっても、そのほとんどは自分が認めるよりもずっと多くの場でずっと多くの本数を吸っています。

自分では「一日五本スモーカー」だと言いながら、私と話している最中だけで五本以上吸う人もたくさんいるのです。とにかく、軽度の喫煙者をうらやましがる必要はないことをよく覚えておいてください。

そもそもタバコを吸う必要などないのです。タバコは幻想です。人生はタバコなしでも素晴らしいだけでなく、なしのほうがはるかに素晴らしいのです。

一〇代の喫煙者は普通大人よりもやっかいです。

それは彼らがやめるのを難しいと思っているからではなく、自分が中毒だと認めていないか、またはまだ自分は病気の初期段階にあると思っているので、第ニステージに達する前にやめられるだろうと錯覚しているからです。

子供を持つ親御さんで喫煙を嫌っている人達に特に注意したいのですが、「子供を守る」ことの意味を取り違えないでください。

子供は皆、タバコの味も臭いも嫌います(将来それに依存するまでは)。あなたも昔はそうだったでしょう。タバコが死の原因になることは子供も知っています。一本では死なないこともまた知っています。

しかし、ある時期が来るとガールフレンドやボーイフレンド、同級生や仕事仲間に影響もされるでしょう。

そんなときは一本吸ってみればいいのです。それはひどい味がして、こんなものに中毒なんかにはならないと確信するでしよう。子供には事実を隠さず、すべて教えてあげてください―

自分の異常さに気づかない、隠れて吸う人

隠れて吸う人は軽度の喫煙者と同じグループに入りますが、隠れて吸うタバコが持つ効果はたいへん複雑です。

人間関係の破綻につながることもあるほどです。私もそのせいで離婚までしかけたほどです。当時、私は三週間で禁煙に失敗したばかりでした。

そもそも禁煙しようと思ったのは、ぜ―ぜ―息をしたり咳き込んだりしている私を見た妻が心配して勧めてくれたからです。

私は「自分の体など心配ない」と豪語したのですが、「そんなことはわかっているわ。でも愛する人が自分で自分の体を破壊するのを見るのはどういう気分だと思う?」

と切り返されてしまい、そう言われると返す言葉もなく、禁煙するはめになったのです。私の禁煙も三週間はうまくいきました。ところがある日、ある友人とひどい口論をしてしまったのです。

実は何年もたつてから気づいて自分でも驚いたのですが、本当は私がわざと口論を仕掛けたのでした。とにかく、私はそれでタバコを吸い始める口実を得たわけです。

しかしこのことで妻をがつかりさせるには忍びなく、彼女には打ち明けませんでした。そして一人のときだけ吸うようになったのです。

そのうち会社にいるときや友達といるときにも吸うようになり、とうとう妻以外は皆知っているという事態になってしまいました。

そのときは「少なくともこれで量は減るな」と、ちょっと悦に入ったのを覚えています。しかしあるとき、「あなたまだ吸つているのじやないの?」と、とうとう妻に咎められてしまいました。

自分では覚えてないのですが、妻によると、その頃の私はたびたび自分から言い争いを始めては勝手に家を飛び出したり、つまらない買いものをしにいって二時間も帰ってこなかったり、いつもは妻を誘っていた場所にも下手な理由をつけて一人でいったりしていたそうです。

タバコを吸う人と吸わない人の間の溝が深まるにつれ、タバコのせいで友達や家族との同席の時間が短くなったり避けられたりするケースが多くなってきています。

隠れて吸うことの最悪の弊害は、喫煙者の心の内に「自分はかわいそうだ」という思いが生じてくることです。同時に自尊心を失い、それが原因で普段は正直な人も家族や友人をだましてしまうのです。

社会的プレツシャーに怯える喫煙者

英国内で一九六〇年代以降タバコをやめた人は一〇〇〇万人以上もいますが、その主な理由は現在進行中の社会の変化にあります。

もちろん「健康とお金」が一番の理由ですが、それはいつの時代でもそうです。癌の危険性を説かなくとも、タバコが命取りになることは誰でもわかっています。

喫煙するまっとうな理由が一つでもあるとすれば、それは友人から受ける社会的プレツシャーでしょう。

そもそも喫煙が「プラス」の面を持っていたのは、タバコが社会的習慣として受け入れられていた時期だけです。

今日、先進国では喫煙は一般的に(喫煙者からも)非社交的と見なされています。昔はタバコを吸うのは強い男でした。吸わない者は女々しいと思われたので、皆必死でタバコ中毒になろうとしました。

どこのパブやクラブやバーでも、男達の大半が誇らしげにタバコの煙を吸ったり吐いたりしたものです。

そういう場には、いつもきのこ雲のような煙が立ち込めており、天丼は定期的に塗り直さなければすぐに黄色か茶色になってしまいました。

しかし今ではタバコの地位も下落しました。現代の強い男はタバコに頼る必要はないのです。社会が変化して喫煙者は皆真剣に禁煙を考えるようになりました。

現代社会ではタバコを吸う人は弱い人間だと見なされるのです。

本書の初版が発売された一九八五年以降、最も顕著と思われる変化は、喫煙がいかに非社交的かが取りざたされるようになったことです。

タバコがスマートな女性や強い男の名誉ある勲章だった時代は終わりました。

次々とオフイスや公共の場が禁煙になり、元スモーカーの嘲笑にあうたびに、喫煙者の行動パターンはマンネリ化してきています。

たとえば、私は最近、子供時代に見て以来久しぶりにこんな場面に出くわしました。

喫煙者が灰皿を頼むのが恥ずかしくて、自分の手にタバコの灰を落としているのです。また、これは三年前のクリスマス、夜半頃のことです。

レストランでの食事も終わり、そろそろタバコや葉巻が充満してもおかしくない頃なのに、誰一人として吸っていないことに気づいたのです。(とうとう私の言い分も認められてきたか―)と私は内心にんまりとし、ウェイターに聞きました。

「ここは禁煙のレストランですか?」答えはノーです。

(こりゃおかしいぞ。いくら最近は吸わない人が増えてきているとはいえ、少なくとも一人くらいはいるはずだ。)そしてついに一人がタバコに火をつけました。

するとどうでしょう、レストラン中に次々とのろしが立つようではありませんか。「まさか吸うのは私一人だけではあるまい」皆、そう思いながら待っていたのです。

最近の人は、さすがに食事のコースとコースの間に吸つたりはしません。また、同じテーブルの人に謝るだけでなく、他のテーブルからも非難が飛んでくるのではないかときょろきょろしています。

毎日スモーカーたちが沈みかけた船を下りていくたびに、自分が最後の一人になるのではとびくびくしているのです。あなたがその一人になりませんように。

必ず成功する禁煙のタイミング

「タバコには何も良いことがないのだから、今すぐやめるべきだ」もちろんその通りですが、私はやめるタイミングも大切だと思います。

世間では、喫煙は「体の害になり得る、どちらかといえば不快な習慣」ぐらいに軽く扱われていますが、それは間違いです。

喫煙は麻薬中毒であり、病気であり、西側諸国で一番の殺人犯です。依存したままでいると、おぞましいことが起こります。

しかし人間には適切な治療を受ける権利があるのですから、タイミングも大切です。まずあなたにとってタバコがいつ、どんなときに大切に思えるかを考えてください。

ストレス解消になるという幻想を信じて吸っているビジネスマンなら、比較的仕事が暇な期間を選びましょう。

長期休暇を禁煙に当てるのもいいでしょう。退屈しているときやリラックスしているときによく吸う人は、その反対です。

とにかく禁煙を真面目に考え、そのための努力はあなたの人生のために最も大切なのだと思つてください。

これからの約三週間を視野に入れ、失敗の原因になりうる出来事には先手を打つよう努力しましよう。

結婚式やクリスマスなどの前には、「あらかじめ喪失感など感じないぞ」と思っておけば、禁煙の妨げにはなりません。

ただし「禁煙までしばらくは減煙しよう」などとは考えないこと。そんなことをしてもタバコは楽しいという幻想を抱くだけです。いや、かえってそれで吸えるだけ吸うはめになったりするのが現実です。

最後の一本を吸うときは嫌な臭いと味に気持ちを集中させ、これをやめられたらどんなに素晴らしいだろう、と考えてください。

あなたの禁煙予定日を今決めてしまいましょう。そしてそのときを楽しみにして待つのです。あなたは何も失おうとはしていないことを忘れないで。

そうではなく、あなたはもうすぐ素晴らしいポジテイブなご褒美を得るのです。

私は長年、喫煙の謎については地球上の誰よりもよく知っていると自負してきました。謎とはつまりこういうことです。

喫煙者は皆、単純にニコチンに対する肉体的禁断症状を癒すためにタバコを吸うが、タバコに依存してしまうのはニコチン中毒のためではなく、中毒の結果おこる洗脳のためなのなのです。

頭のいい人でもタバコの罠にひっかかつてしまうことはありますが、一度これが罠だとわかつてからも進んで罠にひつかかるのは愚か者だけです。

幸い、喫煙者のほとんどが愚か者ではありません。ただ自分で愚か者だと思い込んでいるだけです。

ただ、喫煙者の一人一人がそれぞれの方法で洗脳されていますから、世の中にはいろんなタイプの喫煙家がおり、タバコの謎を複雑にしています。

本書の初版が発売されてから五年間のフィードバックと、私が日々喫煙の問題に関して学んでいることから鑑みても、初版で提起した考え方は間違つていなかつたことに我ながら驚きます。

ただ一つ、経験から新たに学んだことは、喫煙についての知識の蓄積をそれぞれの個人にいかに伝えるかということです。

いくら私が「禁煙はやさしいだけでなく、楽しいものだ」と言つたところで、それを理解できなければ、そんな説明は意味がないばかりか、喫煙者をイライラさせるだけです。

これまで多くの人が私にこう言いました。

「本を読み終えるまでタバコを吸い続けなさいと言うが、それでは読み終えるのに非常に時間がかかるか、決して読み終えない喫煙者もでてくる。したがってこの指示はやめるべきだ」これは確かに論理的なのですが、しかし、もしわたしが「今すぐやめなさい」と書いたのでは本書を読み始めもしない人がでてくるでしょう。

私が禁煙セラピーを始めたばかりの頃、セラピーにきてこんなことを言う人がいました。

「ここにきてアドバイスを受けなければならないことに本当に憤りを感じるのです。私は意志の強い人間です。タバコ以外のことは人生すべてがうまくいっています。なのに、他の人は自“分の力でやめているのに、なぜ私だけがあなたの助けを請わなくてはならないのでしょう?」

彼はこう続けました。

「タバコを吸いながらでもいいならば、自分の力で禁煙できると思うのです」つじつまが合わないようですが、彼がどういう意味でそう言ったのか私にはよくわかります。

このあと、しばらくたってから、私の「吸い続けなさい」という指示の素晴らしさに自分自身ようやく気づきました。この指示のもとでは、禁煙の過程でもタバコを吸うことができます。

そして、迷いと恐れを取り除いてから最後の一本を消せば、その時点であなたはもうノンスモーカーであり、またノンスモーカーであることを楽しむことができるのです。

しかし本章の「タイミング」の問題についてだけは、私のメソッが本当に正しいのか、まだ自問していました。

本章ではすでに、あなたが仕事のストレス解消のためにタバコを吸うならば休暇を利用して(逆のケースの人は反対のときに)禁煙しなさいと言いましたが、実はこれが最もやさしい禁煙法というわけではないのです。

最も簡単にやめるためには、自分が禁煙の一番難しいと感じるとき(ストレス、社交、集中、退屈など、どんなときであれ)にやめるのがいいのです。

人生の最悪のときにでも禁煙でき、またそれを楽しめると一度わかれば、その他のときをタバコなしで過ごすのは簡単です。

しかし、この方法を絶対の方法として提案されれば、はたしてあなたは禁煙しようと思うでしょうか?たとえ話をしましょう。

私と妻がスイミングにいったとします。私達は同時にプールに着いても一緒に泳ぎだしはしません。妻は足の先を水に着けてから泳ぎ出すまでに三〇分はかかるのです。

ところが私はじわじわと拷間を味わうのは嫌いなたちで、いくら水が冷たいとしてもいつかは勇気を出して飛び込まなければならないことはわかっているのだから、一番やさしい方法を実行する……つまり真っ先にプールに飛び込みます。

さて、ここで私が妻に「今すぐ飛び込まないと一生泳げなくなるよ」と言ったとしたら……、妻は一生泳がないほうを選ぶでしょう。

タバコの問題も同じであることはもうおわかりですね。

読者からの反応でわかったのですが、多くの喫煙者がタイミングに関する私の指示を理由に、彼らが信じるところの嫌な日を先延ばしにしています。

そこで私が次に考えたのは、喫煙の利点の章で使ったテクニックを使うことです。

「タイミングはとても大切です。では次章であなたにとつて最もいいタイミングをお教えしましょう」と言っておいて、次のページに大きく「今だ」と書いておく。

実はこれが一番の方法なのですが、それを皆さん実行してくれますか?これは喫煙という罠の持つ微妙な問題です。

本当にストレスがたまったときは禁煙に向かない、しかしストレスがまったくなければやめたいとも思わない。自分自身に次の質問をしてみてください。

あなたが最初の一本を吸ったとき、その時点で残りの人生ずっと、毎日、一日中吸い続け、やめることなどできなくなると思っていましたか?―‐もちろん、そんなことは思いませんでしたね。

あなたはこれからの人生、毎日、一日中吸い続け、もうタバコをやめることはないですか?――もちろんそんなつもりはないですね。

ではいつやめるのですか?・明日?・来年?再来年?これは、あなたが中毒になっていると最初に気づいたときからずつと続けている問いではありませんか?・ある朝、目がさめたら突然タバコが吸いたくなくなっていることを願っているのですか?自分をだますのはやめなさい。

私は三三年も、こんな朝がくるのを待ち続けました。麻薬中毒というのは症状が進みはしても、軽くなることはないのです。

明日のほうが禁煙はやさしくなっていると思いますか?まだ自分をだましていますね。

今日できないなら、なぜ明日もっとやさしくなどなるでしょう?・致命的な病気になるまで待つと言うのですか?それはあまり意味がありませんね。

今はよくない、明日のほうが禁煙しやすい……こう思うことがタバコの本当の罠なのです。

現代社会はストレスだらけだと我々は信じこんでいますが、実はそうではありません。人類は生きることの本当の意味でのストレスをすでに克服しています。

家を出ても野生の動物に襲われる心配をしなくてもいいし、次の食事をどこから手に入れようか、今夜どこで眠ろうかと悩まなくてすみます。

第二次世界大戦が始まった年、私は五歳でした。当時の空襲で両親から二年間はぐれてしまい、引き取られた先の家族に冷たい扱いを受けました。

このときは人生のつらい時期でしたが、それでも私はこの二年間の困難に何とか対処しました。この経験が私の人生に傷を残したとは思いません。

かえって私を強い人間にしてくれたと思っています。しかし私の人生を振り返ってただ一つ対処しきれなかったことは、あの忌まわしい奴隷生活です。

タバコをやめる二年ほど前には、自分が世界中の悩みをすべて抱えているのではないかと思えて、自殺を考えるような時期もありました。

自殺といっても屋根から飛び降りるといった自殺ではなく、タバコが原因で近く死んでも構わないと思ったのです。

タバコという心の支えがあっても人生こんなものならば、タバコなしの人生なんて生きる意味がない……と。

しかし今の私は少年のような気分です。私の人生を変えてくれたのはただ一つ……喫煙地獄から這い出したことです。「人生、健康が一番」とは陳腐な言い回しですが、これはまったく本当のことです。

かつてはギャリー・プレーヤー(訳者注¨南ア共和国生まれのプロゴルフアー)のようなフィットネス狂はごめんだ、フィットネスより人生もっと大切なもの、酒とタバコがあるのにと思っていましたが、これはとんだナンセンスでした。

人は肉体的・精神的に強いとき、人生のよいことを楽しみ、悪いことを我慢できるのです。

責任感とストレスは混同されがちですが、責任感はその人の強さが足りないときにストレスに変わるのです。世界中のリチャード・バートン(訳者注¨英国人俳優)は肉体的にも精神的にも強い人たちなのです。

彼らを駄目にするのは人生のストレスでも、仕事でも、年齢でもない、幻想にすぎない「心の支え」に頼ってしまうことです。

ただ残念なことにリチャード・バートンの場合も、その他大勢の喫煙者の場合も、心の支えが死につながるのです。

次のように考えてみてください。残りの人生を罠にはまったまま過ごすことはしまい、とあなたはもう決意しましたね。

ということは、人生のいつか、やさしいときであろうと難しいときであろうと、自由への過程をいつかは通らなければなりません。

喫煙は習慣でも喜びでもありません。麻薬中毒であり病気なのです。

明日やめようと思っていると、禁煙がやさしくなるどころか、どんどん難しくなってしまうことはすでに説明しました。

喫煙は病気なのですから、どんどん悪くなっていきます。ですからやめるときは今です。

または、今に一番近いときで自分が実行できるときです。私達は普段、毎週毎週が飛ぶように過ぎていくと感じるではありませんか。禁煙もそれくらい早くできるのです。

あなたの人生に覆いかぶさっている黒い影、日々大きくなっていく黒い影、この黒い影を取り去って残りの人生を思う存分楽しめる……どんなに素晴らしいか想像してみるだけでいいのです。

そして私の指示に従えば、五日とかかりません。

最後の一本を揉み消したあと、あなたはきっと禁煙が楽しいと思うでしょう―

麻薬中毒者をうらやむことはない

いいえ、決して恋しくはなりません―・あのニコチンモンスターが死に、体がニコチンを求めなくなると、洗脳されていた脳は浄化されます。

そうすると、ストレスや緊張を自然に取り除く技量が心身共に備わり、人生を一〇〇パーセント楽しめるようになります。

しかし、まだ一つだけ危険が残っています。それは周りの喫煙者からの影響です。

「隣の芝生は青い」と言いますが、禁煙中の人は吸っている人をうらやましく思ってしまうのです。たいていそれは、付き合いの場で、特に食事のあとに起こります。誰かがタバコに火をつけると、元喫煙者の苦悶が始まるのです。

しかし次のような調査結果を照らし合わせてみると、その苦悶は理に適いません。

つまり、すべての非喫煙者はタバコを吸っていないことに満足しており、すべての喫煙者は、タバコ中毒になったことを後悔しているというのです。

なのに、どうして元喫煙者は喫煙者をうらやむのでしょうか?理由は二つあります。

①「一本だけ吸う」という吸い方をまだ信じているから

こういう人は、自分一人の狭い考えを捨て、吸っている人の立場に立って考えてみるべきです。あなたは彼がうらやましいかもしれませんが、彼は自分自身に満足などしていません。吸っている人達をよく観察してごらんなさい。彼らはあなたの禁煙を助けてくれる頼もしい反面教師です。

この社交の場でどれほど速くタバコが燃えていくか、どれほど早く彼らが次の一本に火をつけるかに着目しましょう。

特に彼らがタバコを吸っているのに気を留めるでもなく、火をつけるのも機械的であることに注目しましよう。

彼らはタバコを楽しんでいるのではなく、タバコなしでは楽しめないだけなのです。彼らはあなたと別れたあともずっと吸い続けなければいけないのです。

明日の朝、目がさめたら胸がごみ溜めのようになっているでしょうが、それでも彼らは自分の首を締め続けなければならないのです。

胸に痛みを感じるときも、パッケージ上の警告が目に入ったときも、癌の話を聞いたときも、地下鉄に乗るときも、病院、図書館、歯医者、スーパーにいくときも、吸わない人と同席するときも、大金を使ってこの連鎖作用を続けなければならないのです。

それも、心身共に自分自身を破壊するために、不潔な一生、臭い息と汚れた歯の一生、奴隷の一生、破壊の一生、心の奥に陰鬱を抱えた一生のために……。

一体何の目的で?それは「タバコに依存する前と同じようにリラックスできる状態に戻れる」という幻想のためです。

②マイナス志向になっているから

吸っていない自分は何もしていないと思うから喪失感を味わうのです。禁煙を始める前に、はっきりと頭に入れておきましょう。

何かを失っているのはタバコを吸わない人ではなく、かわいそうな喫煙者です。

彼らが失っているものとは……健康一π一■お金148自信平静心勇気落ち着き自由自尊心吸っている人のことをうらやむことなどやめて、かわりに「彼らは本当に惨めで哀れな奴らだ」と思うようにしましょう。実際そうなのですから。ヘロイン中毒者をうらやましいとは思わないでしょう。

一年間にヘロインで死亡する人は英国全体で三〇〇人以下ですが、タバコが原因で死ぬ人は一〇万人以上、世界では二五〇万人に上ります。

麻薬中毒が皆そうであるように、あなたの中毒もこれ以上よくはなりません。毎年だんだん悪くなっていくだけです。今日タバコを楽しめないなら、明日はもっと楽しめないでしょう。

ですから、吸っている人をうらやむのはやめ、哀れに思ってあげてください。あの人たちには、あなたの憐れみが必要なのです。

禁煙すると太るって本当?

これも禁煙にまつわる神話の一つです。

禁煙すると太ると信じられているのは、「精神力」で禁煙しようとする人が禁断症状を和らげるためにお菓子などを代用品に使うからです。

他の麻薬と同様、ニコチンは一度体に免疫ができてしまうと、禁断症状を完全に緩和することができなくなります。

タバコを消すたびにニコチンが素早く体内から消えるので、ニコチンに依存している人は常に飢えを感じるわけです。

したがって自然とチェーンスモーキングになってしまいます。

しかし喫煙者は普通、次の二つのどちらかの(または両方の)理由でチェーンスモーキングできません。

①お金……予算的に吸引量を増やす余裕がない。

②健康……禁断症状を緩和するためには毒物を摂取しなければならない。

そう考えると本数は自動的に抑えられる。

したがって喫煙者は、かわいそうなことに常に飢えに悩まされ、決して満たされることはないのです。

だから禁煙すると食べ過ぎたり飲み過ぎたり、ひどい人になるともつと強い麻薬で空虚感を癒そうとするのです(アルコール依存症患者のほとんどはヘビースモーカーです。こうなると、喫煙だけの問題とは言えません)。

私はヘビースモーカー時代、朝食と昼食を完全に抜き、昼間はずっとチェーンスモーキングをするというひどい生活をしていました。

晩は吸わなかったのですが、一日中夜になるのが待ちどおしかつたぐらいです。しかし夜は夜で、夜通しつまみ食いばかりしていました。

そのときは、おなかが空いているからだと思っていましたが、本当はニコチンの禁断症状のせいだったのです。昼間ニコチンで食べものの代用をし、夜は食べ物でニコチンの代用をしていたと言えます。

その結果、当時は吸っていない今より一三キロも太っていて、どうしても体重を減らすことができませんでした。

いったんあの小悪魔が消えてくれれば、嫌な不安感はなくなります。そして自尊心という素晴らしい感覚と勇気が戻ってきます。

そうすると食生活はもちろんのこと、その他すべての生活習慣を、つまり自分の人生を自信を持ってコントロールできるようになるのです。

禁煙にはたくさんの利点があると言いましたが、これもその一つに加えておきましよう。

まやかしの動機で禁煙しても失敗するだけ

「精神力禁煙法」では、間違った動機をいくつも並べたて、それで禁煙の意志を強くしようとする人がたくさんいます。

間違った動機づけにはいろいろな例がありますが、典型的なもので言えば、「タバコ代を節約すれば家族で楽しい旅行にいける」というものです。

これは一見論理的な賢いアプローチにみえます。

しかし、胸の奥では猜疑心が渦巻いていて「五〇週間も禁煙しなければならないなんて、タバコなしで休暇が楽しめるだろうか?」と思っているはずです。

そうなると犠牲心ばかりがつのり、心の中でタバコがどんどん貴重に思えてきます。

タバコ代を節約すれば新車に乗り替えられる」というのも一つの例です。

まあそれも真実ですから、新車を買うまではタバコも控えるかもしれません。

しかし、いったん新車を買ってしまい、新車の目新しさがなくなると、いずれはあの罠にはまってしまうでしょう。

「会社の同僚や家族と一緒にやめる約束をしたから」というのもいい例です。

確かにこれで何日間かはタバコの誘惑を免れられる効果がありますが、だいたいは次の三つの理由から失敗におわります。

①まず動機が間違っているから。

他人が禁煙するからといつてなぜあなたも禁煙しなければならないのですか,・心の準備ができていない人がこんな約束などしても、プレツシャーが増え、吸いたい気持ちが出てくるだけです。そしてついには隠れて吸うようになり、タバコヘの依存度もますます高まるでしょう。

②「他人に従属」しているから。

「精神力禁煙法」では吸いたい気持ちがなくなるまで苦行のような日々を過ごさなければならず、もしどこかで失敗したら挫折感を味わいます。

しかし「精神力禁煙法」ではどのみち誰か一人は失敗するのが目に見えており、そうなると他の全員が待ちに待った言い訳を手に入れます。

「僕らのせいじやない。フレツドが失敗したおかげで皆失敗したんだ。そうでなければ禁煙できていたのに」

③「評価の共有」になるから。

これは②の逆の理由です。

禁煙できたときの達成感というのは素晴らしいものです。

一人で禁煙を実行すれば最初の二、三日は友人・家族・同僚の注目を浴び、それが励ましにもなるでしょう。

しかし皆が一斉に禁煙を始めたら評価も共有ですから、やる気も減ってしまいます。また、失敗しても皆でわけ合えば面子もたいして傷つかずにすむというわけです。

もう一つ、昔からよくある例をあげておきましよう。最近私がテレビで見たこんなシーンを思い出します。

ある警察官がタバコの箱に二〇ポンド札を入れ、禁煙のために自分自身にこんな約束をします。

「吸ってもいいが、そのときはこの二〇ポンド札に火をつけること」彼はこの方法で二、三日は禁煙できるのですが、最後にはお札に火をつけてしまうのです。

間違った動機で自分をだますのはやめましょう。

一生でタバコに使う三〇〇万円、病気になる危険性、一生続く回臭、奴隷のような生活、周りの人達からの軽蔑でもってもやめられないなら、まやかしの理由を二、三個並べたところで意味がありません。

かわりに、問題の反対の面を見ることが大切です。

つまり……タバコが何のためになるのか?―まったく何にも!なぜ吸わなきゃならないのか?――吸う必要はない!ただ自分を苦しめているだけなのです―

禁断症状などもともと存在しない

本章ではタバコの『やさしいやめ方』について述べます。

私の指示にきちんと従えば、禁煙はやさしいはずですし、うまくいけば「楽しい」と感じることもできます。

ただし、髪をブロンドに染めたいと思った少女も、毛染め剤の説明書をよく読まなければブルネットの髪になってしまうということを忘れないでください。

禁煙は他愛もないほど簡単です。次の二つの指示に従えばいいのです。

  • ①もう二度と吸わないと決意する。
  • ②ふさぎこまない。
  • ③禁煙したことを喜ぶ。

「ならばこの本の後半は読むまでもないのでは?」「なぜ初めにただそう言つてくれなかったのか?」と思っているかもしれませんね。

しかし初めにそれだけ聞いただけで禁煙を始めていれば、すでにどこかで落ち込んでしまい、喫煙に逆戻りしているでしょう。

誰でも似たような経験があるはずです。何度も言っているように、喫煙とは邪悪で狡猾な罠のようなものです。

難しいのは化学的な依存を断ち切ることではなく、洗脳を拭いさることであり、そのためにはまず喫煙の神話と幻想を捨てることが大切です。

私は人生の大部分を禁煙に費やしましたが、心はいつも憂欝でした。しかし最終的に禁煙に成功したときは、一日一〇〇本からゼロ本へ何の苦労もなく移れたのです。そしてもう二度と吸わないことを確信しました。

離脱期間中も楽しかったですし、それ以来吸いたいと思ったこともありません。それどころか禁煙は私の人生で最高の出来事だったと思っています。

禁煙できたときはどうしてそんなに簡単なのか理解に苦しみましたし、答を探すのに時間もかかりました。答はこうです。

それ以前の禁煙では、できるだけ長くがまんすれば吸いたい気持ちが自然となくなってくれるだろうと思っていました。

「何かが起こる」のを期待していたために、気分が滅入れば滅入るほど吸いたい気分が増していき、決してなくなることはありませんでした。

しかし最後の禁煙は違いました。タバコの問題に真剣に取り組む最近の風潮にならつて、私も真面目に考えてみたのです。

それまでは失敗すると「次に禁煙するときはもっと簡単にできるさ」と自分を慰めていました。そんなことでは死ぬまで吸い続けなければならないということに気づいていなかったのです。

しかしそれに気がついてみると、私は恐怖心でいっぱいになり、この問題を深く考えざるを得ませんでした。

まず、無意識に一本火をつけるかわりに、その一本を吸っている自分の気持ちを分析してみました。

そうすることで、すでにわかっていたはずのことに改めて気づいたのです。タバコは楽しくないだけでなく、実は不潔で厭わしいものだということに。

また、吸わない人を観察してみました。

それまではタバコを吸わない人はひ弱で付き合いが悪く気難しいという印象があったのですが、よく観察してみると、彼らの方が強くてリラックスしているようでした。

人生のストレスや緊張感もうまくこなし、社交的な場では喫煙者よりも楽しそうです。絶対的に彼らの方がいきいきして魅力的でした。

昔は吸つていたという人にも話を聞いてみました。

そのときまでは、元喫煙者というと健康やお金が理由でタバコをやめざるを得なかっただけで、いつも心の中では吸いたくてたまらないのだろうと思っていました。

なかには「ときどきは吸いたくなるけど、そう滅多には起こらないから気にするほどでもないですよ」と言う人も二、三人いました。

しかし、ほとんどの人が「吸いたくなるかですって?ご冗談を。こんなにいい気分になれたというのに」と言うのです。

元喫煙者の話を聞いて、「私は生まれつき弱い人間だからやめられないのではないか」という疑間はふっ飛びました。

喫煙者は誰でもこの悪夢を経験するということがわかつたからです。

そこで私はこう思いました。

「この世の中たくさんの人がタバコをやめて、何の支障もなく楽しく暮らしている。そもそもタバコを吸い始める必要などなかったのだ。不潔なタバコになれるまであんなに昔労したのを今でも覚えてるではないか。ならばなぜ今も吸う必要があるのか?。

とにかく私はタバコを楽しんではいなかったのだ。あんな不潔な行為はうんざりだし、残りの人生をタバコの奴隷で終わるなんて真っ平御免だ」

そして自分自身にこう言ったのです。

「アレン、最後の一本はもう終わったぞ」その瞬間、もう二度とタバコを吸うことはないと確信しました。簡単にできそうもないと思っていたことが、実際はいとも簡単だったのです。

やめる前は、「何か月かは憂欝になるだろう、ときどきは吸いたくなるだろう」と覚悟していましたが、実際にはやめた瞬間から天国にでもいる思いでした。

なぜそんなに簡単なのか、なぜ悲惨な禁断症状が現れないのか――わかるまでに時間がかかりました。

禁断症状などもともと存在しないのです。猜疑心や不安があるから吸いたくなるのです。「禁煙はやさしい」これは素晴らしい事実です。

決意が足りなかったりくよくよしたりするから難しいのです。

体がニコチンに依存しているときでも比較的長期間タバコのことなど考えないでもすむときがあるでしょう。

苦しいのは「一本吸いたいけど吸えない」状況のときだけです。楽に禁煙するこつは「これで最後だ」と確信することです。

「やめる」と決心し、やめたことを「望む」のではなく「認識」するのです。決して疑間に思ったり考え直したりしないこと。禁煙したことを喜びましよう。

しかしこれは「鶏と卵」に少し似ていますね。

禁煙をするとしっかり決心できれば禁煙は簡単だ、というのはわかった。

でも簡単だと実際にわかるまでどうやってしっかり決心できるというのでしょうか……だから本書の後半も読む必要があるのです。

禁煙には基本的なポイントがいくつかあります。禁煙を始める前にそれをしつかり頭に入れておく必要があります。

つまり

①「あなたにもできる」ということを認識する。

あなたは他の誰ともかわりはないのだし、あなたに次の一本を吸わせるのもあなたしかいない。

②「禁煙で失うものは何もなく、あるのは多大な利益だけだ」と認識する。

禁煙すると健康になり無駄金を使わなくてすむだけではなく、楽しいときはもっと楽しく、辛いときでも惨めさが軽くなる。

③「ちょっと一本だけなら……」という吸い方はないことを認識する。

喫煙は麻薬中毒であり連鎖反応である。ちょっと一本だけ吸いたいとぼやくことであなたはいたずらに自分に罪を科しているのである。

④喫煙行為の意味を把握する。

世間で認められている「健康を害する可能性のある社会的習慣」というあいまいな定義を信じない。「西側諸国で致死率一位の麻薬中毒症」という喫煙の本質を知る。

望もうが望むまいが事実を正視すること。つまりこれはあなたの病気である。目をそらしていたのではこの病気は治らない。

他の持病と同じで、それは一生続く。そしてどんどん悪化する。だから一番いい治療のときは「今」である。

⑤ニコチン依存症と、自分は喫煙者であるという問題を区別する。

タバコに依存する前に戻れるチャンスがあれば、喫煙者は皆そのチャンスに飛びつくだろう。

そのチャンスが今日あなたに与えられた、と考えよう。

タバコを「やめる=失う」と考える必要はない。

「最後の一本を吸い終えた」と決めた瞬間から、もうあなたは非喫煙者なのだ。最後の決断をした瞬間にあなたは目標を達成できるのだ。

その事実を喜ぶこと。

化学的依存症がなくなるのをじつと待ちながらふさぎこまないこと。人生をいちから楽しみ直そう。

ニコチンに依存していても人生は素晴らしいのだから、やめれば毎日がもっと素晴らしくなるはずだ。

禁煙を簡単にする鍵は、まず「離脱期間中(長くとも三週間)は完全にタバコを断つ」と強く決心すること。そのときの気の持ち様が正しければ禁煙は馬鹿らしいほど簡単なはずです。

最初に私がお願いしたようにあなたがオープンな心で本書をここまで読んでこられたなら、もう今頃はタバコはやめる決心がついていることでしょう。

興奮して鎖を引っ張る大のように、あなたも毒物を体の中から追い出すのを待ち切れないはずです。

しかし、もしあなたが今、憂欝を感じているなら、それは次のどれかが原因です。

①「何かまだ心底理解できていないことがある」

先程の五つのポイントをもう一度よく読んで、そう思うかどうか自分に尋ねてみてください。何か疑いの残る点があれば、それに該当する章をもう一度読みましょう。

②「失敗そのものを恐れている」

心配せずに読み進んでください。

成功することまちがいなしです。喫煙行為は自信に対する巨大なトリックです。賢い人でもこのトリックにひっかかることはあります。

しかし、種明かしをみたあとも自分で自分をだまし続けるのは愚か者だけです。

③「私の意見に賛成はするものの、まだ惨めさを感じる」

くよくよしないで―目をしっかり開きましょう。素晴らしいことが起ころうとしているのです。そしてあなたはもうすぐ囚われの身から解放されるのです。

気持ちを正しく持って禁煙を始めることがなによりも大切です。

「非喫煙者になった。なんて素晴らしいことだろう1」と思うのです。

その後は、その気持ちを離脱期間中も保ち続けるだけです(どうやって正しい気持ちを持続するかについては、このあと考えてみましょう)。

離脱期間が終われば、努力をしなくても自然にそういう気持ちになることができます。そうすると人生の謎が一つだけ残るでしよう。

つまり「こんなの当たり前じやないか。どうしてこんなことがわからなかったんだろう?」ということです。

しかし、ここで二つだけ注意してはしいことがあります。

①最後の一本を吸うのは本書を読み終わってからにすること。

②何度も言いましたが禁断症状はせいぜい三週間です。

だからといつて、「三週間は苦しまなければいけない」とか「なんとか三週間だけ我慢すれば解放される」と思うのは間違いです。

三週間たっても何かが起こるわけではないのです。また三週間たつと急に非喫煙者の気分になるわけでもないのです。非喫煙者は喫煙者となんら気分に変わりはありません。

最初から「もうタバコを吸わないなんて、なんて素晴らしいんだろう」と思って禁煙を始めれば、三週間後には吸いたい気持ちはきれいになくなります。

しかし「なんとか三週間だけ我慢すれば……」と思って始めていたのでは、三週間たったあともまだ「死ぬほど」吸いたい気分でしょう。

禁断症状からの離脱期間を乗り切る

禁煙を始めてから三週間は禁断症状があるかもしれません。禁断症状には次の二つの側面があります。

①ニコチンの禁断症状。空腹感に似た空虚感や不安感。

タバコを吸わないと手もとが寂しくなると感じるのはこのため。

②心理的トリガー(誘因)機能。

ある状況(たとえば電話での会話)になると自動的に①の症状を緩和しようとする心理が働くこと。

「精神力禁煙法」が難しいのは、この二つがまったく別の側面だということを理解できないからです。

また、いったん禁煙に成功した人がまた罠にはまってしまうのもこのためです。ニコチンの禁断症状は肉体的苦痛は伴いませんが、だからといつて甘くみてはいけません。

たとえば、一日何も食べないでいるとおなかはグーダー鳴るかもしれませんが、実際の痛みはありませんね。

それでも空腹感が人間に与える影響力は大きく、食べないでいるとイライラが起こります。体がニコチンを求めているときもこれに似ています。

ただ違うのは、食べものは必要ですが、毒物は必要ではないという点です。

気持ちを正しく持てば肉体的禁断症状を抑えるのは簡単ですし、時間もかかりません。「精神力禁煙法」でも、二、三日もすればニコチンに対する肉体的飢えは消えてくれます。

しかし、本当に禁煙を難しくしているのは先ほどあげた②の要因(心理的トリガー機能)です。

喫煙者はある特定の時間や状況で禁断症状の緩和を連想する習慣がついてしまっています。たとえば「タバコがなければお酒がまずくなる」というふうに。

わかりやすい例をあげてみましょう。

あなたが二年間ある車を運転していて、その車のウィンカーのレバーはハンドルの左側に付いていたとしましょう。

しかし今度買った車はハンドルの右にレバーが付いているとします(こういう不一致はやむを得ないことです)。

すると、あなたはウインカーが右にあることはわかっていても、最初の二、三週間はウィンカーを出そうとするたびにワイパーを作動してしまうでしよう。タバコもこのウィンカーレバーに似ています。

禁断症状の初期には、その人がある状況下におかれると、トリガー機能が「タバコが欲しい」と作動するのです。もっとも禁煙を始める前に洗脳を拭い去っていれば、このトリガー機能も働きません。

しかし「精神力禁煙法」では何か犠牲を払っていると思ってくよくよしてしまうので、トリガー機能はなくなるどころか、反対に増幅してしまうのです。

たとえば、レストランでの食事の最中に、同席の友達が一服するのを見たとします。

精神力で禁煙中の人は、タバコを「取り上げられた」と感じていますから、すでに惨めな気持ちになっています。そこで友達がタバコに火をつけるのを見て余計に惨めになります。これでは食事も楽しむどころではありません。

それでも禁煙の決心が堅く、長い問我慢できる人は、ついには悲運を受け入れ、人生なんとかやっていくでしょう。

しかし洗脳も一部は残っていますし、多くの場合、健康やお金のために禁煙しているので(これは禁煙に関して二番目に情ないことだと思うのですが)、何年たっても食事のたびにタバコが恋しくなってしまいます。

自分の心の中にだけ存在する幻想に恋い焦がれ、不必要に自分を苦しめているのです。ところで、禁煙した人はタバコを一種のプラシーボ(気安め薬)のように思いがちです。

「タバコは実際は何の役にもたたないのはわかっている。でも、『タバコには益がある』と信じる人には、何らかの状況で役にたつのではないだろうか?」こういう人は本書を読んで禁煙しても結局は失敗に終わることが多いのです。

気安め薬は物理的には何の役にもたたないけれど、使い方によっては心理面から症状を治すという効能があります。でもタバコは気安め薬ではありません。タバコは自ら症状を作り出し、また自らそれを緩和します。

そしてしばらくするとその症状も完全に癒すことができなくなるのです。吸わない人や禁煙して何年もたつ人と比べてみると、もっとわかりやすいかもしれませんね。夫を亡くした女性がいるとします。喫煙者がこういう場面を見れば親切心でこう言うでしょう。

「一本吸ってごらん。気持ちが落ち着くよ」。

彼女がこの親切を受け入れたとしても、ニコチンには依存していないし緩和すべき禁断症状もないのですから、タバコを吸って気持ちが落ち着くはずはありません。

その一本を消せば、目の前には現実の悲しみがあるだけです。

それにこのとき彼女にはすでにタバコの禁断症状が出てきていますから、悲しみは前よりもっと大きくなることでしょう。

ここで彼女に残された選択は、禁断症状に耐えるか、もう一本吸ってとりあえず禁断症状を解消し、その後苦痛の鎖につながれるか、どちらかです。

タバコにできるのは一時の心の傷を和らげるだけです。それなら慰めの言葉や一杯のお酒でも同じでしょう。しかしこのような状況からタバコの中毒になる人が大勢いるのです。

禁煙はスタート地点で頭の洗脳された部分を叩き壊すことがたいへん重要です。よく覚えておきましょう。タバコを吸う必要はありません。

タバコが心の支えであるとか景気づけになるなんて信じていると、自分を苦しめるだけです。自分から惨めになることはありません。

食事の席で喫煙している人はタバコが楽しいから吸っているのではありません。吸わなければいられないから吸っているのです。

彼らは麻薬中毒者なので、麻薬なしでは食事も人生も楽しめないのです。

「きれいなタバコがあればいいなあ」と思っている喫煙者は多いことでしょう。きれいなタバコは存在します。ハーブタバコです。

しかし一度でもハーブタバコを試してみれば、誰でもとんだ時間の無駄だと思います。つまり、タバコは単にそれに含まれるニコチンを摂取するためだけに吸っているのです。

ニコチンヘの飢えさえ捨ててしまえば、タバコを吸う必要もなくなるのです。自分をだますのはやめましよう。

肉体的苦痛はないのですから、気持ちを正しく持てばタバコなんて何の問題にもなりません。気分が悪くなるわけではないのです。

「タバコが吸いたい」と連想し、「吸つてはいけない」と否定する、これが問題なのです。くよくよするかわりに、その反対の気持ちを持ちましよう。自分自身にこう言うのです。

「何が原因かはわかっているんだ。ニコチンの禁断症状だろ。喫煙者はそれで一生苦しみ続け、そのために一生吸い続けなければならないんだ。吸わない人はそんなことで苦しんだりはしない。これもこの麻薬の数ある邪悪の一つなんだ。体内から邪悪を追い出そうとしているなんて素晴らしいことではないか―」

禁煙すると三週間はニコチンの禁断症状を感じますが、その三週間からその後一生、素晴らしい出来事が起こり続けるのです。

あなたは悲惨な病気を克服しようとしているのです。このボーナスをつかまない手はありません。そう思えば禁断症状も楽しめるでしょう。そう、禁煙は喜びに変わるはずです。

禁煙のプロセス全体をエキサイテイングなゲームだと思うのです。そして、ニコチンモンスターはおなかに住むサナダムシみたいなものと考えましょう。

サナダムシには三週間餌を与えず飢え死にさせなければなりません。

でもサナダムシも生き延びるためにあなたをだましてタバコに火をつけさせるよう仕組むでしょう。

ときにはあなたを惨めな気分にさせるでしょうし、あなたも油断してしまうかもしれません。

誰かにタバコを勧められれば禁煙していることを忘れてしまうかもしれませんし、思い出したときには少し邪魔された気分になるでしょう。

だからこういう「おとり」には前もって心の準備をしておかなくてはなりません。どんな種類の誘惑も、あなたの体内の小悪魔が起こしているのです。

そしてあなたはその誘惑を阻止するたびに、この戦いに一歩一歩勝ち進むのです。何をしているときでも、タバコのことを忘れようとしてはいけません。

「精神力禁煙法」でやめようとする人はそのために憂欝な気分になるのです。「いつかはタバコのことを忘れてしまいますように」と願いながら毎日過ごす。

これは眠れない夜に似ています。心配すれば心配するほど実現は難しくなるのです。要は忘れる必要などないのです。

何も悪いことが起こっているのではなく、素晴らしいことが芽生えているのですから。一日千回タバコが頭に浮かぶなら、その一回一回をじっくり味わいなさい。

自由な体に戻れるのはどれだけ素晴らしいか考えるのです。そしてもう自分を窒息させる必要がなくなった喜びをかみじめるのです。

そうすれば苦痛も喜びに様変わりし、その後あつという間にタバコを忘れてしまつている自分にびっくりするでしよう。

どんなことがあっても、自分の決断に疑いを持たないこと。一度疑いだすと気持ちが暗くなり禁煙が難しくなります。

疑間がわいてきたら、それを元気づけに使いましょう。憂欝な気分になったなら、それはタバコの仕業だと思うのです。

友達に一本勧められたら、「嬉しいことにもうタバコは必要ないんだよ」と誇りを持って言いなさい。

何よりも、気分が落ち込むのは今だけであつて、一瞬一瞬ゴールに近づいていることを忘れないでください。

なかには、心理操作で「タバコは必要ないんだ」と自分をだましだまし一生乗り切らなければいけないと思っている人もいます。しかしそれは間違いです。

心理操作とは、楽観主義者が「水の半分入つた瓶」と呼ぶのを悲観主義者が「半分空になった瓶」と呼ぶようなものです。

自分自身に「タバコは必要ない」と言い聞かせれば、まもなくそんなことを考える必要もなくなるでしょう。それほど単純なのです。

なぜなら「タバコなど吸う必要もない、最も必要ないことだ」という美しい真実があるからです。

禁煙の意志を粉々にするク一服クの破壊力

一服だけ……。この一瞬の油断が失敗に導きます。

その一服が禁煙の意志を破壊する力に気づいていないのです。

このようにして吸う一服は、だいたいまずく感じます。

「よかった、おいしくないぞ。タバコに対する衝動が減ってきているんだ」しかし実際は逆なのです。

よく覚えておいてください。タバコはおいしいはずはないのです―喫煙の唯一の理由は小悪魔に餌をやることです。

四日間も餌をやらなかったあとの一本は小悪魔にとってどんなにありがたいか、考えてごらんなさい。

本人は自覚していなくても、体が摂取したその一服は潜在意識へ伝えられ、これまでの強固な決心がもろくなってしまうのです。

この一服には次の二つの悪影響があります。

  1. 体内の「小悪魔」を温存する。
  2. もっとひどいことに、心の中に「大悪魔」を飼ってしまう。
  3. 一服したなら次の一服はもっと安易に吸ってしまう。

皆、初めはたった一本のタバコから始めたことを忘れないように。

職業がら禁煙しにくい人

禁煙の難易度を決定する要素は、禁煙しようとする人の数だけあります。人それぞれ性格も違いますし、仕事も、私生活の事情も活動時間もさまざまだからです。

たとえば、医者にとって禁煙は特に難しいようです。

タバコの害を知りすぎるほど知っているのだから禁煙はやさしいはずでは、とも思われるのですが、実際それは禁煙を始めるもっともな理由にはなっても、禁煙をやさしくするわけではないようです。

なぜなら、

  1. タバコに恐怖感を覚えると禁断症状を緩和したくなる。
  2. 医者の仕事はストレスがたいへん大きいので、禁断症状のストレスまでは仕事中に解消することはできない。
  3. 罪の意識からストレスがさらにたまる。

「医者は患者の模範であるべきだ」という考えがプレッシャーになり、喪失感を増大させる。医者は忙しい合間をぬつて休憩を取り、しばし仕事のストレスを解消します。

このとき禁断症状を癒してくれるタバコはなんて貴重なんでしょう。長時間タバコが吸えない状況にあるのですから、これは「軽度の喫煙者」の場合と同じです。

お茶やコーヒーがあつても、タバコがなくては楽しいはずの休憩も逆に惨めになるばかりです。それで喪失感はさらに増幅され、想像力が高まって、タバコがその場で一番の重要性を持ってしまうのです。

しかしあらかじめ洗脳を拭い去り、くよくよしたりしなければ、体がニコチンを求めていても、休憩時間はお茶だけで十分楽しいのです。単調でストレスがたまる仕事に従事している人も、禁煙は難しいと言います。

典型的な例は、運転手や子供のいる主婦です。

だから、たとえば主婦が「精神力禁煙法」で禁煙すると、喪失感で気分が暗くなり、憂欝がどんどん広がってしまいます。

しかしこれも気持ちを正しく持てば簡単に克服できます。「自分は禁煙中だ」と常に考えてしまうからといつて心配することはありません。

そういうときには自分の体から邪悪を取り除いているという事実を喜びましょう。前向きな態度でいれば、吸いたい気持ちも喜びに変わります。

覚えておきましょう。

年齢、性別、知性、職業にかかわらず、禁煙はやさしく、かつ楽しいのです……私の指示に従いさえすれば。

禁煙に失敗する二つの理由

禁煙の失敗にはおもに二つの理由があります。

一つは、周りの喫煙者からの影響です。

弱気になっているときや社交の場で誰かがタバコに火をつけたときの対処法はすでにたくさんのページを割いて説明しました。

自分はタバコの鎖を断ち切ったという事実を喜ぶのでしたね。

吸っている人はあなたのことをうらやましがるでしょうし、本当のところ彼らこそ、あなたの憐れみを必要としているのです。

失敗のもう一つの理由は、「今日は嫌なことがあったから」。

しかし、タバコを吸おうが吸うまいが、いい日や悪い日はあるものです。すべて程度の問題です。嫌なことなしによいことは得られません。

「精神力禁煙法」の欠点は、嫌なことがあった日には途端にタバコを思い出して「くよくよ」が始まり、嫌な日がもっと嫌になってしまうことです。

離脱期間中に嫌なことがあっても、それを冷静に受け止め、吸っていたときでも嫌な日はあったことを思い出しましょう。

そしてくよくよしないで、その反対になるよう努めましよう。

「今日はあまりいい日じゃなかったけれど、タバコを吸ってもそれでよくなったりはしないさ。あしたはいい日になるだろう。少なくとも今の私には、あの忌まわしいタバコを捨てた、というボーナスがあるんだから」

タバコを吸っている人はタバコの悪い面に心を閉ざします。

咳が出てもタバコのせいではない、ずらと風邪をひいているだけなのだ、などというふうに……。逆に、タバコをやめると、何かがうまくいかないときにすべて禁煙のせいにしようとします。

禁煙中に車が故障すれば「やめる前はここでタバコに火をつけていたのになあ」と言います。確かにその通りです。しかしここで忘れているのは、タバコが何か問題を解消してくれたことなどかつて一度もなかったこと、そしてあなたは幻の心の支えを思うことで自分を単に拷間にかけているということです。

タバコが心の支えになるなんて、勝手に作りあげた想像です。タバコが吸えないと惨めだけれど、吸っているときはもつと惨めではありませんでしたか?

タバコをやめると決意したのは正解だったとわかっているのですから、その決意を疑うことで自分をいじめるのはやめましょう。

前向きな姿勢が大切であることを忘れないように。

代用品を使っても効果はない

代用品とはチューインガム、キャンデイー、ペパーミント、ハーブタバコ、薬などのことです。しかし、どれも使わないこと。

吸いたい衝動に駆られたときに代用品を使うと、その衝動が長引き、禁煙しにくくなるのです。

あなたの心は「タバコを吸つてくれ。そうでなければ何かで空虚感を満たしてくれ」と言っています。

ここで代用品を使うことは、ハイジャック犯や機嫌の悪い赤ん坊の言いなりになるようなものです。次のことを頭に入れておきましょう。

①ニコチンの代替品はない。

②タバコは食べものではなく毒物なのだ。「禁断症状に悩むのは吸わない人ではなく吸う人だ。これは麻薬がなせるいたずらだ。小悪魔が死にかけている証拠だ」

③・タバコは空虚感を満たしはしない、空虚感を生むだけだ。

吸う必要などないことを自分の頭に早く教えてやれば、早く自由の身になれる。

ニコチンを含んだガム、その他のニコチン入り製品は特に避けましょう。

このような製品は、禁煙中に体内にニコチンを供給して禁断症状を起こさせないという原理に基づいています。しかし実際にはその原理ゆえにかえって禁煙が難しくなります。

喫煙とはつまり、禁断症状を緩和することです。ニコチンには何の利点もなく、タバコはただ肉体的な禁断症状を癒すために吸うのです。

タバコヘの衝動が消滅すると喫煙習慣も終わりです。実際、ニコチンに対する禁断症状はたいへん弱く本当は緩和する必要もないほどです。

喫煙の真の問題は(これはもうすでに説明しましたが)、肉体的依存症ではなく心理的なものです。

ニコチン入リガムを噛んでも化学的依存を長引かせ、その結果心理的依存も長引かせるのです。せっかく禁煙したのにニコチン入リガムの中毒になった人もたくさんいます。

またニコチン入リガムの中毒者で、かつまたタバコも吸っている人もいます。「ニコチン入リガムはまずいから中毒なんかにはならないだろう……」と思わないこと。初めてのタバコもそうだつたことを忘れないでください。

代用品の最もやっかいなところは、喫煙の問題(=洗脳)を長引かせることです。

精神力で禁煙したとき憂鬱になるのは、自分が犠牲を払わされていると信じこんでいるからでしたね。代用品を使うことは一つの問題を別の問題に置き換えているだけなのです。

お菓子も無理矢理に口に押し込んでいたのではおいしくないですよね。

それにそんなことをしても、体重が増えて惨めになるだけ、またすぐにタバコに逆戻りするのがおちです。代用品などいらないのです。

欲しいと感じるのは毒のことであり、その気持ちはすぐになくなります。反対に禁断症状を利用しましょう。

毒を体から排出するのを、そして心からタバコの奴隷を吐き出すのを楽しむのです。

タバコをやめてから二、三日のうちに食欲が出て食事の量が増え、体重が二、三キロ増えたとしても心配することはありません。

のちほど説明する「真実が見える瞬問」を経験したあとのあなたには自信が備わっているため、ポジティプシンキング(前向きな姿勢)で解決できるようになります。

ただし間食はいけません。

間食すると体重が増え、惨めな気持ちになり、それではいつタバコをやめたのかわからなくなってしまいます。

問食とは喫煙の問題を解決するかわりに、解決をあと回しにしていることと同じことなのです。

もう吸う必要のないことを心から喜ぶ

ここまで、私から皆さんへのアドバイスはかなり命令的だったと思います。

しかしそれは皆さんには私のアドバイスを提案ではなく「指示」として聞いてほしいからです。

私が命令調になるのは一つに、経験に即した正当な理由があるから、もう一つに、その理由はたくさんのケーススタディーに裏打ちされているからです。

しかし「離脱期間は誘惑のある場所を避けたほうがいいか?」という質問に関しては、残念ながら命令口調にはなれません。それは一人ひとりが決断することです。

この章では、役に立つであろうアドバイスをあげるにとどめておきます。

まず、何度も言っているように、タバコを吸うのは恐れているからです。恐れには二つの種類があります。

①「タバコなしでどうやってサバイバルできるか?」という不安。

これは喫煙者が夜、遊びにいっていてタバコがなくなってきたとき、パニツクと共に感じる不安です。この不安の原因は禁断症状ではなく、「タバコなしでは生きられない」という心理的依存です。

持ち合わせの最後の一本を吸ってしまったとき、禁断症状は最も低いにもかかわらずこの不安はピークに達します。

これは未知のものに対する恐怖心、飛び込みを習うとき味わうのとよく似た恐怖心です。

高さ三〇センチの飛び込み板が三メートルに見え、水深三メートルのプールが三〇センチに見えるようなものです。

踏み切るには勇気が必要です。しかし踏み切る勇気さえ得られればあとは簡単なのです。

一日二〇本から禁煙しようと決心しても、二、三時間しかもたず、次の一本を禁煙する以前より早いペースで吸ってしまう人もいるぐらいです。

これは禁煙の決意でパニックを起こしてしまい、それがストレスになるからです。

ストレスはトリガー機能を作動させます。そして脳が「一本吸え」と命令してきます。しかしもう禁煙は始まっていますのでその一本は吸えません。

すると喪失感が出て、ストレスがますます増え、またトリガー機能が働き、ヒューズが素早く切れてタバコに火がつくのです。

でも心配しないで。

このパニックは単に心理的なもので、タバコに依存していることに対する不安からくるのです。

しかし、喜ばしいことにあなたは依存などしていません。ニコチンにはまだ依存していても、心理的にはしていません。パニックにならずに、私の言うことを信じて飛び込んでください。

②将来を長い日で見て感じる不安。

今後はある特定の状況がタバコなしでは楽しめなくなるとか、精神的に傷ついたときにタバコがなければ立ち直れなくなる、といった不安。しかし心配は御無用。

いったん飛び込んでしまえば実際はその逆であることがわかるでしよう。タバコの誘惑をかわす方法としては、次の二つの方法があります。

一、タバコをいっさい手元に置かない。

禁煙してからもいちおう手元にタバコを置いておく人がいます。もう吸うつもりはないけれど、タバコが近くにあったほうが落ち着くからという理由からです。

しかし、このような禁煙方法はタバコをすつかり手放してしまった場合より失敗率がずっと高くなっています。離脱期間に嫌なことがあれば簡単に一本吸ってしまうからです。

反対に、吸いたければ外にいつてタバコを買ってこなくてはいけないという不名誉をこうむるようにしておくと、誘惑を克服しやすいのです。

もっとも、手元にタバコを置くと失敗率が高い本当の理由は、初めからやめようという意志が足りないからです。

成功の二つの鍵を思い出してください。

  1. 決心に疑いを持たない。
  2. もう吸う必要がないことは素晴らしい、と思う。

どっちにしろ、いったいどうしてタバコなど吸う必要があるのでしょう。それでもタバコを常に身につけておく必要を感じるなら、この本をもう一度最初から読むことをお勧めします。まだ何か理解できていないことがあるはずです。

二、離脱期間中に「ストレスのたまるような状況」(たとえば歯医者)を避ける。また「社交の場(たとえば結婚式)」に行かない。

ストレスのたまる状況を避けるべきかについては、私のアドバイスは「イエス」です。できれば避けたほうがいいでしょう。余計なプレッシャーを自分にかけても意味はありませんから。

しかし社交の場を避けるべきかにについては、「ノー」です。禁煙開始直後でもどんどん出ていってお付き合いを楽しみましょう。ニコチンに依存していてもタバコは必要ありません。

パーティーでもタバコを吸う必要がない、という事実を喜びなさい。タバコなどないほうがずっといい、という美しい事実が見えてくるでしょう。

素晴らしい真実が見えるとき

禁煙を始めて約二週間たつと、真実が見える瞬間が訪れます。

空がやがて明るくなってきたと感じるとき、それが洗脳の完全に消え去る瞬間です。吸う必要はないと自分に言い聞かせるのももう終わり。

その瞬間、最後の糸がぷちんと切れるように、自分に言い聞かせてきたことが正しかったと悟り、「これからの人生三度とタバコを吸わずに楽しく生きていける」と確信するのです。

他の喫煙者が憐れみの対象に見え始めるのもこの瞬間です。「精神力禁煙法」で禁煙を試みてもこの瞬間は訪れません。タバコをやめたことを喜んでいても、犠牲を払わされていると思っているからです。

喫煙期間が長ければ長いほど、この瞬間はより輝き、また一生輝き続けてくれるでしよう。

私自身、これまで幸せな人生を送ってきたと思いますし、よいこともたくさんありましたが、この真実が見えた瞬間ほど素晴らしいときはありませんでした。

私のセラピーを受けてタバコをやめた人の半数がセラピー後も連絡をくれますが、彼らもまったく同じことを言います。

この瞬間が人生で一番幸せなときであつたと……。あなたにもそんな幸せが待っているのです。

さきほど、この真実の見える瞬間は禁煙後三週間でやってくると言いました。

ところが、本書や私の行っている禁煙セラピーに対する五年間のフィードバックからわかつたのですが、多くの人の場合、この瞬間は二、三日でやってくるようです。

私の場合は最後の一本を消す前にやってきました。

セラピーの開設当時、まだマンツーマンのセツションをやっていた頃は、終わりにくる前に多くの参加者がこう言ったものです。

「先生、もう何も言わなくて結構です。よくわかりました。もう三度とタバコを吸うことはないとはっきり思えます」

またグループセラピーでは、この瞬間がセラピーの参加者にいつ起こつているか言われなくても読み取れるまでになりました。

また本書を読んでいる途中にこの瞬間が訪れた、という手紙もよくもらいます。

基本的には、本書の指示に忠実に従い、そこに含まれる心理学的論理をすべて理解すれば、この瞬間はすぐにやつてくるはずです。

最近のセラピーでは、肉体的禁断症状が消えるのがはっきりわかるのに五日、ハ元全にタバコから¨開¨放されるのに三週間かかると言っていますン。

ある意味ではこういうガイドラインを提示するのはよくないことです。それは二つの問題を引き起こす恐れがあるからです。

一つは、五日ないし三週間は苦しまなくてはならないと思わせてしまうこと。

二つめは、「五日間、三週間我慢できれば、その後素晴らしい高揚がやってくる」と勘違いされゃすいこと。

しかし、三日ないし五週間を素晴らしい気分で過ごしたとしても、そのあと最悪の日が偶然くるかもしれません。

そうしたら、真実の見える瞬間を待っていたこの喫煙者は、かわりに憂鬱な気分になり、自信を失ってしまうでしよう。

一方、私が何のガイドラインも示さなければ、喫煙者は禁煙後の残りの人生をずつと、何かが起こるのを待ちながら過ごすかも知れません。特に精神力を使って禁煙しようとしたときによく起こることです。

一時は「この瞬間は禁煙後ただちにやってくる」と言ってしまおうかとも思いましたが、もし私がそう言って、患者さんにそれが起こらなかったら、その人は自信を失い、もうそんな瞬間は自分にはこないと思ってしまうでしょう。

始めの三週間が最も失敗しやすい時期です。

これは私が以前意志の力で禁煙しようと何度も試みた経験と、私の禁煙メソッドに対するフィードバックから証明済みの数字です。

やめてから約二週間たつとタバコを吸いたいという衝動もなくなるため、それを自分に証明しようとしてタバコに火をつけてしまうのです。その一本は変な味がします。もうタバコをやめられたことがわかります。

しかし同時にあなたはニコチンを体内に入れてしまいました。その一本を消した瞬間、ニコチンが体内から消え始め、心の奥からこんな声が聞こえてきます。

「おまえはもう一本欲しいだろう」あなたはもう中毒になるのはいやだと思っていますから、すぐにもう一本吸つたりはせず、安全期間が過ぎるのをまず待ちます。

そして次に誘惑にかられたときはこう言うのです。

「やっぱり中毒にはなってなかった。もう一本ぐらい吸っても大文夫だろう」もうあなたはすべり台をすべり始めているのです。

ここで大切なのは、真実が見える瞬間を待つことではなく、最後の一本を消した瞬間、すべて終わっているということです。

さあ、人生を楽しみましょう。一からやり直すのです。そうすると真実は自然に見えてきます。

さあ、最後の一本を吸おう

いよいよ最後の一本を吸うときですが、その前に基本的な点を二つだけ確認してください。

  1. 成功すると確信が持てますか?
  2. 気持ちを正しく持っていますか?
  3. 憂欝や悲壮感を感じていませんか?
  4. 素晴らしい収穫を得ることにわくわくしていますか?

少しでも疑いのある人はもう一度この本を読み直してください。準備ができたと思う人は最後の一本を吸いましょう。

ただし、一人で吸うこと。無意識に吸わないこと。一服一服に集中すること。味と臭いに集中すること。発癌性の煙が灰に入っていく感じに集中すること。毒素が血管に詰まる感じに集中すること。ニコチンが体中にいきわたる感じに集中すること。

その一本を消すときに、もう二度とこんな感覚を味わわなくてすむことの素晴らしさを感じること。奴隷生活から解放される喜びを味わうこと。

それはまるで真っ暗闇から日光のさんさんと降り注ぐ世界に抜け出したようではありませんか?

最後の警告

タバコ中毒になる前に戻れるチャンスが与えられたとします。ここまで読んできた人なら、絶対に吸い始めたりはしないでしょう。

私のセラピーにくる人にも、「禁煙の手助けだけしてもらえればいい。もう三度と吸ったりしないから」と自信ありげに帰つていく人がたくさんいます。

彼らは実際それで禁煙に成功し、何年間もタバコなしで幸せな生活を送るのですが、最後にはまた罠にはまってしまうのです。

本書を読んだ人は簡単に禁煙ができるはずです。

でも油断は禁物。簡単にやめられる人は、また簡単に始めてしまうものです。

三度と罠にはまるな!どんなに長い問禁煙している人も、三度と吸わない自信がある人も、「何の理由であれ一本たりとも吸わない」これを人生の掟としてください。

タバコ会社が広告にかける何億円の大金に負けないように。そしてタバコが世界一の殺し屋の麻薬であり毒物であることを忘れないように。初めの一本には何の威力もないことをお忘れなく。

まだ緩和すべき禁断症状もないときだし、味もひどいからです。

しかし一本目のタバコが体内にニコチンを注ぎ込み、火を消したときには心の奥でこんな声がしています。

「もう一本吸いたいだろう」そのときあなたに与えられた選択肢は、しばらくの間惨めな気分でがまんするか、あの不潔な連鎖行為をもう一度始めるか、どちらかです。

五年間のフィードバツク

本書の初版が出版されてから五年間、私の禁煙セラピーの参加者、そして本書の読者からさまざまなフイードバックをいただきました。

開始当時はたいへんでした。いわゆる禁煙の専門家たちの間で私の禁煙メソッドは嘲笑の的になったのです。

しかし今では英国内で最も効果的な禁煙方法の地位を得ていますし、その評判は世界各国にも広がっています。

私は決して社会を変えようなどという空想にふけっているのではありません。

私の戦いは――これは特に強調しておきたいのですが――喫煙者に対してではなく喫煙そのものに対してなのです。

そして、ただ単に楽しいからという個人的な理由でその戦いに臨んでいるのですc誰かがタバコをやめたと聞いただけで、それが私に関係のない人であっても、とてもうれしくなるのです。

ですからここ数年に感謝の手紙をたくさんいただいて、私がどれだけ喜んでいるかご想像がつくでしょう。しかし同時にイライラすることもあります。それは次に説明する二種類の喫煙者からです。

一つ目のカテゴリーとは、最初は簡単にやめられるのだけれども、再び吸い始め、その後やめられなくなる人。

これは本書の読者だけでなく、セラピーにくる患者さんにもいます。

二年前のある日、一人の男性から電話がありました。

彼は気がたいへん混乱しており、泣きながらこう言うのです。

「一週間やめさせてくれるなら一〇〇〇ポンドでも払います。一週間吸わなくてすめばやめれることはわかっているのです」

私のセラピーは一定料金であり、それ以上は払う必要がないことを説明したところ、彼はグループセラピーに申込み、その結果、本人もびっくりするほど簡単にやめられました。

その後とても丁寧なお礼の手紙までいただきました。私はセラピーの最後にいつもこう声をかけています。

「これからはただの一本も吸ってはいけないことをよく覚えておいてください」「大丈夫ですよ、先生。やめられたからには、もう三度と吸ったりしませんよ」

しかし、こういう人にかぎって私の忠告はきちんと伝わっていないのです。

「そう豪語したい気持ちはよくわかるけれど、六か月後にはどんな気持ちでしょうね」「大丈夫、もう三度と吸いませんよ」そして一年後また電話が鳴りました。

「先生、クリスマスに葉巻を一本吸つてしまったばかりに一日四〇本に戻ってしまいました」「最初に電話をかけてきたときのことを覚えていますか?・一週間やめられたら一〇〇〇ポンドでも払うと言ったじゃありませんか?」「そのことはよく覚えています。本当に馬鹿でした」「セラピーのあと、もう二度と吸わないと約束しませんでしたか?」「その通りです。本当に愚かでした」

皮肉なことに、この男性が二回目のセラピーに参加したとき、こんなことを言うのです。

「聞いてくださいよ。息子に二一歳の誕生日までタバコを吸わなかったら一〇〇〇ポンドやると言つたら、本当に一〇〇〇ポンド払わされたんですよ。それなのに二二歳の今では煙突のごとくプカプカ吸っているのですよ。本当に馬鹿なんだから、こんなことって信じられます?」

私はこう答えました。

「どうして息子さんのことを馬鹿だなんて言えるんです?少なくとも息子さんは三二年間は罠にはまらなかったのだし、吸えばどんなに惨めになるのか知らずに吸い始めたのですよ。なのにあなたはその惨めな気持ちを他の喫煙者と同じくらいよく知っていたのに、一年しかもたなかったではありませんか」

こういう人はまだ中毒症が治っていず、タバコが恋しいから戻ってしまうんだろう、と思う人も多いのですが、実はその反対で、こういう人たちは禁煙が簡単なものだから、タバコヘの恐怖心も失ってしまうのです。

「ちょつとぐらいなら吸っても大文夫。また戻ってしまっても簡単にやめられるさ」ところが残念なことに、実際にはそうはいきません。

やめるのは簡単だけれども、中毒症をコントロールすることはできません。非喫煙者になる絶対の条件は「吸わないこと」なのです。

さて、私をイライラさせる喫煙者の二つ目のカテゴリー。それはやめるのを怖がっている人、やめてもまだもがき苦しんでいる人。その原因としては次の四つがあげられます。

①失敗するのを恐れている。

失敗は恥ずかしいことではありません。しかしやってみないのは愚かなことです。こう考えてみればいいのです。どうせ成功の見込みはない。

しかし最悪の場合でも自分が失敗するだけなのだし、失敗したところで今より悪い状況になるわけではない。でももし成功したら、どんなに素晴らしいか考えてごらんなさい。

②パニックに陥り、惨めになるのを恐れている。

次の一本を吸わなかったらどんな恐ろしいことが起きると言うのですか,・まったく何も起こりません。もう一本吸えば恐ろしいことも起こります。とにかく、パニツク感情はタバコが原因なのだから、やめればすぐに消えてくれます。禁煙の素晴らしいところは、この恐怖心がなくなることです。

喫煙者は喫煙の楽しみのためなら手足を切断されてもいいと真剣に思っていると思いますか?・もしパニックを感じたら、深呼吸すると楽になります。

もし周りの人に何か言われて惨めになるのなら、その場を立ち去りましょう。ガレージでも社内の空室でも、どこでもいいから逃げればいいのです。泣きたくなっても恥ずかしがらないで。

泣くというのは、緊張をほぐす自然の行為なのですから。思い切り泣いたあとは誰でも気持ちがいいものです。

人間は感情を内に閉じ込めるので―なく、外に表すのが自然なのです。叫び、わめき、痢療を起こせばいいのです。

ダンポール箱でもファイリングキャビネットでも蹴飛ばせばいいのです。この苦労は負けることのできないボクシングの試合だと思いましょう。そして、必ずやってくる勝利を味わうのです。

③私の指示に従っていない。

驚いたことに、私の所にやってきて「あなたのメソッドは私には効かない」と言う人がときどきいます。

そして自分が指示を一つだけ、ひどい人では全部守らなかったと言うのです(指示についてはのちはどのチェックリストでおさらいします)。

④指示を正しく理解できなかった。

その主な原因としては、次のようなことがあげられます。∽「タバコのことが忘れられない」と思っているから。忘れられないのは当然のことです。

忘れようとするから、タバコに対する恐怖心が出てきて惨めな気分になるのです。眠れない夜に必死で眠ろうとするのと同じで、努力すればするほどできないのです。

私などは寝ているときも起きているときも、一日の九〇パーセントはタバコのことを考えていますよ。大切なのは何を思うかです。

「ああタバコが吸いたいなあ」とか、「いつになったら自由の身になるのだろう?」などと考えているから惨めになるのです。

「やった―、私は自由だ―!」と思えば、幸せな気分になれます。

0「肉体的な禁断症状はいつになったら消えるんだろう?」と思っているから。ニコチンはとても速いスピードで体内から消えます。しかしあなたがいつニコチンを求めるのをやめるのかはあなた次第です。

あの空虚で不安な気持ちは、普通の空腹感や憂鬱感、ストレス等からも起こるもので、タバコは単にその程度を高めるだけなのです。

精神力で禁煙すると、体がニコチンを求めるのをやめても、普段の空腹感やストレスを感じるたびに頭が「それはタバコが欲しいからだよ」と言ってきます。

ところが、実際のエコチンの禁断症状はあることさえわからないほど軽く、「タバコが欲しい」という感覚でしか認知できません。

ですから、禁断症状が消えるのを待つ必要など実はないのです。い真実の見えるときを心待ちにしているから。

私がかつて「精神力禁煙法」で三週間だけ禁煙したときのことです。古い友人で元喫煙者の男に会いました。彼は私に聞きました。

「禁煙のほうはどうだい?」「もう三週間だよ」「それってどういうことだい?・三週間我慢したってことかい?」「三週間吸ってないってことだよ」「それで、これからどうするんだい?‘人生ずっと我慢するつもりかい?・何を待っているんだ。もう終わったんだよ。君はもうノンスモーカーなんだよ」

このときの私は「まったく彼の言う通りだ」と思いました。「何を待っていたのだろう?」と。

しかし残念ながらこのときはタバコの罠をまだ理解していなかったため、また吸い始めてしまいました。

でも問題の核心はこのときから心に残りました。つまり、最後の一本を吸い終わったとき、あなたはノンスモーカーなのです。大切なことは、最初から喜んでノンスモーカーになることなのです。

0「まだタバコが吸いたい」と思っているから。

こう思う人はたいへん愚かです。「ノンスモーカーになりたい」と言っておきながら、「まだタバコが吸いたい」だなんて、まったく矛盾しているではありませんか。ノンスモーカーはタバコなど吸いたいと思わないのです。

③「もう人生の楽しみも終わりだ」と思っているから。

どうしてですか?。自分を窒息させるのをやめればいいだけで、人生を楽しむことまでやめる必要はないのです。初めの二、三日は軽いイライラを感じます。

体が物理的にニコチンを求めるからです。

そこでこう思うのです。「前とたいして変わらないな」と。だって、この程度のイライラは喫煙時代にも、睡眠中や教会の中、スーパーや図書館にいくときにも感じていたではないですか。

タバコは食事や飲み会や社交の場を盛り上げてはくれません。台なしにするのです。体がニコチンを求めていたときでも食事や社交の場は楽しかったでしょう。

喫煙者が二〇人いるパーティーにでもどんどん参加しなさい。苦しんでいるのは、あなたではなく彼らであることをお忘れなく。彼らは皆、あなたのようになれればいいなあ、と思っています。

彼らの注目の的になって、プリマドンナの気分を楽しむのです。禁煙はパーティーの恰好の話題です。大切なのは、あなたがスタートから人生を楽しむこと。喫煙者をうらやむ必要はありません。彼らがあなたのことをうらやんでいるのです。

③「吸えないと惨めになる」と思っているから。

これは私の指示にきちんと従っていないからです。どこで脱落したのか考えてください。なかには私の言っていることはすべて理解しているし賛同もするのだが、いざやめると何か憂鬱な気分になる、という人もいます。

しかしあなたは自分だけではなく、世界中の喫煙者がやりたいと思っていることをやっているのですよ。

どんな方法であれ、禁煙するということは、いつ、何を考えているときでも「やった―、私は自由の身だ―」と思えるような精神状態になることです。

その精神状態をさっそく手に入れ、それを失わないようにすればいいのです。これ以外に禁煙の方法はありません。

チェックリストでそれを確認してください。

チェックリスト

0もう三度とタバコを吸わない、ニコチンの入った代用品も摂取しない、と固く誓う。そしてこれを守る。

②「何も失う物はない」ことを確認する。

これは吸わないほうがお金が節約できる(いつもわかっていたこと)とか、タバコには何らかの喜びや心の支えがあるはずで、そうでなければ誰も吸うはずがない、という意味ではありません。

私が言いたいのは、タバコには真の喜びや心の支えはない、ということです。喫煙はただの幻想です。頭を壁に打ちつけ続け、それをやめた時の喜びを感じるように。

O確固たる喫煙者は存在しない。

あなたは喫煙の狡猾な罠にはまってしまった大勢のうちの一人なのです。

世の中にはもう二度と罠から出られないだろうと思いながら出られた人がたくさんいるように、あなたも罠から抜け出したのです。

●)タバコの利点と欠点を比べてみよう、などという気がおきたら「馬鹿なことを考えるのはやめろ」と思ってください。

そんなことをしても結果は明白です。

もう禁煙を決心したのだし、その決心が正しいこともわかっているのだから、疑いをもったりして自分をいじめないでください。

0タバコのことを考えまいと努力しない。

また、タバコのことを常に考えてしまうからといって心配しない。考えるとしたら―今日でも、明日でも、一生ずっとでも――こう考えてください。

「やった―、タバコをやめたんだ―」

0どんな代用品も使わない。

タバコを身につけない。他の喫煙者を避けない。タバコをやめたからといつてライフスタイルを変えない。以上の指示に従えば、もうじき真実が見えるときがやってきます。

ただし、0そのときがくるのを待たない。

いつもの生活をいつも通りに続ける。よいことがあれば喜び、嫌なことがあれば対処する。そうすれば、すぐにそのときがやってきます。

沈みゆく船に残された哀れな喫煙者を救え

近頃の喫煙者はパニックに陥っています。社会の変化を感じるからです。今や喫煙は非社交的な習慣と(喫煙者からも)見なされるようになりました。彼らは自分たちの世界が終わりに近づいているのを感じています。

沈みかけの船から喫煙者が一人また一人と抜け出していくたびに、残された喫煙者は惨めな気分になります。

大金を払って発癌性タールを肺に送り込む……こんな習慣は馬鹿らしいと喫煙者の誰もが本能的に感じているはずです。

タバコを吸う人は他人にではなく、自分自身に嘘をついています。そうせぎるを得ないのです。洗脳されていなければ自尊心を保つことは不可能です。

そして、自分に対してだけでなく、周りの吸わない人に対しても喫煙を正当化しようとします。そうやってタバコの幻想を宣伝しているのです。

「精神力禁煙法」では喪失感から不平をもらしがちになり、「ああ、一本吸いたいなぁ」などと言ってしまいます。

しかしそのような発言は周りの喫煙者に「自分たちがまだ吸っているのは正当なことだ」と確信させるだけです。

本当に禁煙に成功した人は、もう自分で自分を窒息させたり無駄金を使ったりしなくてすむことをただ静かに喜びます。

禁煙の素晴らしさを吸っている人の前でわざわざまくしたてたりはしません。聞かれれば話すでしょう。

しかし、喫煙者はわざわざそんな質問はしません。答えを聞きたくないからです。タバコを吸うのは恐れているからだ、ということを覚えていますね。喫煙者は事実を知りたくはないのです。

しかし禁煙すべきときがきたら、喫煙者も質問してくるでしょう。そんなときはその人を助けてあげてください。その人の不安を取り除いてあげてください。

自分を窒息させないですむ人生がいかに素晴らしいか、教えてあげてください。

朝、ぜ―ぜ―言ったり咳込んだりせず、健康で元気な気分で目を覚ますことが、奴隷生活から解放されることが、人生を思う存分楽しめることが、心の中の陰鬱感を取り除くことがいかに素晴らしいかを話してあげてください。

または、この本を紹介してあげてください。

空気を汚しているとか不潔だとか言つて喫煙者をけなすのは禁物です。しかしタバコをやめた人は、よくこの間違いを犯してしまいます。

「精神力禁煙法」でやめた人ならそんな間違いを犯しても仕方がないかもしれません。

その人はタバコをやめたことを喜んではいるけれど、頭の一部はまだ洗脳されているので、心のどこかでまだ犠牲心を持っています。

それが彼を弱くし、本能的に自己防衛機能が働いて、周りの喫煙者を攻撃してしまうのです。しかし、それで自分自身は守れますが、周りの喫煙者には何の助けにもなりません。

攻撃を受けた喫煙者は怒り、もっと惨めになり、その結果喫煙の必要性がさらに増すからです。

今の時世、禁煙する人のほとんどが「健康のためにタバコをやめるのだ」と思っていますが、厳密にはそうではありません。

もちろん禁煙で健康を取り戻せるのも大きな利点です。

人々が禁煙する本当の理由は、社会が喫煙の本質、つまり愚劣な麻薬中毒だ、ということをあばき始めたからです。

タバコが楽しいなんて幻想にすぎなかつたのです。

社会の変化がこの幻想を拭い去った今、喫煙者には何も残されていません。

近頃ロンドンの地下鉄で喫煙が禁止されましたが、これに対する喫煙者の態度がよい例です。

「地下鉄でタバコが吸えないなら、他の交通手段で移動すればいいさ」そんなことをしてもロンドン地下鉄の収入が減るだけで、他に何もよいことはありません。

「構わないさ。タバコの量を減らせるんだから」しかし、一時間強制的に禁煙させられる間に精神的な喪失感を感じ、次の一本のご褒美を待ちわびるだけでなく、体もニコチンに飢えた状態になるので、やっとタバコが吸えるときがくると、その一本がたいへん貴重に感じてしまいます。

このように一時的に禁煙を強いられたあとは、かえってより多くのタバコを吸ってしまうので、タバコの摂取量を減らすには何の役にもたちません。

タバコがいかに貴重な存在か、自分がどれだけタバコに依存しているかを思い知らされるだけです。強制的禁煙の最も陰険な面は、妊娠中の女性に対する社会の態度に現れていると私は思います。

社会はまず、少女たちを大量のタバコの広告にさらし中毒にさせます。

そして彼女たちの人生が一番ストレスの多い時期にさしかかった頃、医者たちは「タバコは赤ん坊に悪いからやめなさい」と脅すのです。

やめられない人もたくさんいますが、そういう人は自分の責任でもないのに一生罪の意識に悩まされなければなりません。

しかし大半の女性はそこでタバコをやめるでしよう。

「今回は赤ん坊のためにやめるわ。そして九か月たてば、吸いたい気持ちなどなくなっていることでしょう」。

そしてついに陣痛の痛みと恐怖、それに続く人生最大の「洸惚」の瞬間。そこには生まれたばかりの美しい赤ん坊がいます。

このときがまさに、あのトリガー機能が作動するときです。彼女の頭はまだ一部洗脳されたままなので、へその緒が切れるやいなや、彼女の口にタバコが運ばれます。

出産の興奮でタバコの嫌な味も忘れているのです。「ちょっと一本だけ」これで彼女は依存症に逆戻りです。

ニコチンが体内に送り込まれてしまつたのですから、ニコチンに対する飢餓感が再び頭をもたげます。

このときすぐには中毒症に戻らないとしても、育児ノイローゼにでもなれば、タバコに打ち勝つことはもうできないでしょう。

ヘロイン中毒者は法のうえでは犯罪者ですが、社会は「このかわいそうな人達のために何をしてあげられるか?」と当然のごとく言います。

ならばかわいそうな喫煙者達にも同じまなざしを向けるべきです。喫煙者は吸いたいから吸っているのではなく、吸わなければいけないと思いこんで吸っているのですから。

それに中毒期間が比較的短いヘロイン中毒患者と違って、喫煙者は何年、何十年にも及ぶ精神的・肉体的苦しみを味わわなければならないのです。

長時間苦しんで死ぬより一瞬のうちに死ぬほうがいいと言うではありませんか。禁煙を始めたあなた、喫煙者をうらやましがつたりしないで。彼らこそあなたの憐れみが必要なのです―

吸わない人へのアドバイス

●友達や家族を禁煙に導くために―‐友達や家族でタバコを吸っている人にこの本を勧めるために……吸わない人もまずこの本をよく読み、自分を奥煙者の立場にあてはめてみてください。

友達や家族に本書を無理やり読ませたり、「健康を害している」とか「お金を無駄遣いしている」などと言って強制的にやめさせようとしないこと。

喫煙者ならばそんなことはあなたよりよくわかっているはずです。喫煙者はタバコが好きだからとか、吸いたいから吸っているのではありません。

本当は、「タバコに依存している」と感じるから、「タバコでリラックスできる、タバコが勇気や自信を与えてくれる、タバコなしでは人生楽しくなくなる」と思っているから吸うのです。

そんな彼らに禁煙を強制しても、檻の中に閉じ込められた動物のような気分になり、余計にタバコが吸いたくなるだけです。

そうなると隠れて吸うのがおちですし、心の中でもタバコがさらに貴重なものになってしまいます(二六章参照)。禁煙を強制するのではなく、逆の見方をしてみてください。

たとえば、禁煙に成功した元ヘビースモーカーに引き合わせてみてはどうでしょう。その人も昔は一生タバコ中毒で終わると信じていたこと、吸わなくなって人生いかによくなったかということを話してもらいましょう。

喫煙者も「自分にもやめられる」と気づくと、そこで初めて心を開いてくれます。そのときに禁断症状が引き起こす幻想について話してあげてください。

タバコでは高揚感は得られないこと、タバコのためにかえって自信を失ったリイライラしたリリラックスできなかったりすることを教えてあげましよう。

ここまでくれば友達や家族もこの本を読む気になってくれるはずです。でも本書が肺癌や心臓病などについてくどくど述べた本だと思っているかもしれません。

本書は他の本とまったく違うアプローチをとっていることや、病気の話題は本書のほんの一部にしか出てこないことを説明してあげてください。

●離脱期間中に協力できること……禁煙を始めた人が苦しんでいるかいないかよくわからないときは、苦しんでいるものと解釈すること。

でも「禁煙はやさしい」とか、「君にもできる」と言って苦しみを和らげてあげようとしないこと。かわりに、「君が禁煙したことを誇りに思うよ」と言ってあげてください。

前よりずつと元気そうに見えること、タバコ臭さがなくなったこと、呼吸も楽そうにみえることを知らせてあげましよう。ずっとそう言い続けることが大切です。

禁煙している人は、自分の努力から得られる幸福感と、周りの友人や同僚の支えによって禁煙を続けられるのです。しかし、その幸福感や支えは忘れるのも早いですから、常に褒め続けてあげてください。

禁煙中の人がタバコの話をしなくなったら、「もうタバコのことなど忘れてしまったのだろうから思い出させないほうがいい」とあなたは判断するかもしれません。「精神力禁煙法」でやめようとしている人はいつもタバコのこと以外考えられません。

しかし本書の禁煙法を実践している人には怖がらずタバコの話題をどんどん投げかけ、どんどん褒めてあげてください。

もし思い出させないでほしいと思っているなら、自分からそう言うでしょう。積極的に離脱期間中のプレツシャーを解いてあげてください。生活がおもしろく楽しくなるよう工夫してあげましょう。離脱期間中は吸わない人にとつても正念場です。

グループの中の誰か一人でもイライラしていたら、周りの人も惨めな気分になるのですから。禁煙中の人がイライラし始めたら、周リヘの影響を見越しておきましょう。その人はあなたに辛くあたるかもしれませんが反撃してはいけません。

あなたの激励と同情を一番求めているときなのですから……。もしあなたもイライラしてしまっても、それは見せないようにしてください。

私も「精神力禁煙法」でやめようとしていたときには、わざとむっと怒ったりしたものでした。そうすることで妻や友達が「あなたがそんなに苦しんでいるのは見るに忍びないわ。頼むからタバコを吸ってちょうだい」と言ってくれるのを期待していたのです。

そう言ってもらえれば自分から降参したのではなく人に頼まれたのですから面目を保てます。

もしあなたの友達や家族が同じ作戦を使おうとしても、絶対タバコを勧めてはいけません。かわりにこう言ってあげてください。

「タバコのせいでそんなにイライラするなら、もうすぐタバコから解放されるなんて本当に素晴らしい。禁煙する勇気と思慮があったなんてあなたって本当にすごいわ」

タバコ・スキャングルに終焉を

喫煙は私に言わせれば、核兵器にも肩を並べる西側諸国最大のスキャンダルです。

文明化の根幹をなしているのは、知識と経験を、同じ世代の者だけでなく未来の世代にも伝えることができる我々の能力であり、それゆえに人類はここまで発達することができました。

動物でさえ生命の危険を子孫に伝える必要性を知っています。

核兵器は使用しなくてすめば問題はありませんし、核兵器保持を唱える人達は、「核兵器で世界の平和は保たれている」と信じて疑いません。

もし核兵器が使用されたらそれで喫煙の問題もその他諸々の問題もすべて終わりになりますし、政治家たちには「あなたの政策は間違っていた」という人が一人も残つていないという、おまけまでついてきます(だからこそ政治家たちは核兵器保持を支持するのかもしれません)。

私は核兵器には反対ですが、少なくともその政治家たちは核兵器が人類のためになると信じて政策を決定したのだと思います。

ところが喫煙の問題に関しては、政府は実によく真実を知っています。確かに第二次世界大戦まではタバコが勇気と自信のもとだと政府も本気で信じていたかも知れません。

でも今日で21は、それはうそだとお役人さんたちも知っています。最近のタバコの広告を見てごらんなさい。

「この商品はあなたに安らぎと喜びを保証します」とはどれも言っていないでしょう。広告で保証できるのは成分の質と量だけ。

でも、どうして毒物の質と量などをわざわざ保証してもらわなくてはならないのでしょうか?これは偽善もいいとこです。

政府は何百人かの命を救うために、車のシートベルトを義務づけたり、社会全体でシンナーやヘロインに強腰でのぞんだりします。

また政府は麻薬密売人に対して終身刑に処すべきかどうかをもっともらしく話し合っているほどです。しかし喫煙の間題に比べれば、それらは現代社会のほんの小さな問題にすぎません。

英国では人口の六〇パーセントが人生に一度はニコチン中毒を経験し、その多くが大量の小遣いをタバコに費やし、それでタバコに依存してしまった多くの人が毎年命を落としているのです。

タバコは文句なしに西側諸国で一番の死因であるにもかかわらず、そこから一番利益を得ているのはほかならぬ政府なのです。

英国政府は哀れなニコチン中毒者から毎年五〇億ポンドを吸い上げ、タバコ会社はその醜悪な行為のために一億ポンドの宣伝費を認められています。

タバコ会社はパツケージに警告文を掲載さえしておけば、政府はタバコに癌や口臭や両足切断の恐れがあることをテレビの禁煙キャンペーンでお情けほど警告しておけば、それで「タバコの危険性は警告しているではないか。喫煙は個人の選択だ」

と、道徳的に正当化できるのですから、こんなあこぎなやり方はありません。喫煙者にはヘロイン中毒者と同様、選択の余地など残されていないのです。喫煙者はタバコ中毒になることを自ら選んだのではなく、巧みな罠にはめられたのです。

ヘロイン常習者は法律上は犯罪者であるにもかかわらず、中毒患者として登録すれば更生のために必要なヘロインを与えられたり適切な治療を受けたりできます。ところがニコチン中毒患者が助けを求めて病院にいくと医者はこう言います。

「タバコをやめなさい。このままでは死んでしまいますよ」そんなこと、とっくの昔からわかつています。だからこそ病院に来たんではないですか。医者のやることはせいぜい代用ガムの処方箋を出すぐらいでしょう。

処方箋代を払って、実際その治療薬には患者が断ち切りたくてたまらないあの麻薬が含まれているのです。いくら警告を出したところで喫煙者がタバコをやめられるわけではありません。かえって禁煙が難しくなるぐらいです。

喫煙者は警告に怯え、そのためにかえってもっと吸いたくなるのです。警告で一〇代の若者の喫煙を防げるわけでもありません。若者たちもタバコが命を奪うことはわかっています。

しかし一本では死なないということも知っています。

タバコはあまりにも社会に蔓延しているので、遅かれ早かれ一本トライしてみるのです。そしてその一本があまりにひどい味がするからこそ、依存症になってしまうのです。

こんなひどいスキャンダルがなぜ野放しにされているのでしょうか?

  • どうして政府は真実を明かさないのでしょうか?
  • タバコは致死率ナンバーワンの麻薬で、リラックスや勇気のもとになるどころか、人間の神経を破壊する。

それも依存するのにたった一本しか必要ない麻薬……こういう事実をどうしてはつきりと知らしめてくれないのでしょうか?H・G・ウェルズの「タイムマシン」という小説がありました。

その中で、ある男が未来の世界で川に落ちるシーンがあります。

しかし一緒にいた仲間は家畜のように川べりに件むだけで男の助けを求める叫びに微動だにしないのです。私はこの場面を読んだとき、仲間の非人情さに心が掻き乱されました。

しかし社会全体の喫煙に対する冷淡さもこれによく似ているのではないでしようか。

英国ではゴールデンタイムにダーツの試合が放映されていますが、だいたいタバコ会社がスポンサーについています。

そして「一八〇点!」という審判の叫びと共に選手がタバコに火をつけるのです。

これがもし、スポンサーががマフィアで、選手がヘロイン中毒者で、ヘロインの注射を打つシーンを大きく映し出すとしたら、どんな騒動になるでしよう。

私が事実を誇張していると思いますか?・いいえ、決して誇張ではありません。私の父はタバコのせいで働き盛りの五〇代に亡くなったのです。

父は強い人でした。タバコを吸っていなければ今もぴんぴんしていたことでしょう。私も四〇代のときは死ぬ一歩手前まで行っていたと思います。

もっとも死んだとしても原因は脳出血だと診断されていたでしょうから、タバコとの関連性は見えなかったかもしれません。

現在は、タバコが原因ですでに病気になっている人や体に障害の出ている人の相談をよく受けます。あなたの周りにも、同じような問題を抱えている人がたくさんいることでしよう。社会には変革の風が吹き始めています。

転がりだした小さな雪だるまを雪崩にまで発展させるのに、本書がお役に立てることを願っています。

本書を読んでくださつたあなたも、ぜひメッセージを広めるお手伝いをしてください。

最後に……

あなたもついにノンスモーカーの仲間入りを果たしましたね。

初めは皆できないと思っていた禁煙も、やってみればやさしいことがおわかりいただけたと思います。

おめでとう―さあこれからは残りの人生をノンスモーカーとして謳歌するのです。そのためにも、五つのちょっとした秘訣を守ってください。

  • ①本書をすぐに手の届くところに保管する。
  • ②なくしたり他人に貸したりしないこと。
  • ③周りの喫煙者がうらやましく感じたら、その人があなたをうらやんでいるということを思い出す。
  • ④心奪われているのは、あなたではなく喫煙者なのです。
  • ⑤タバコを吸っていた頃は楽しくなかったことを覚えておく。

だからやめたのでしたね。吸わない生活をすでにあなたは楽しんでいるのです。

・自分の決心に疑いを持たない。

正しい決断を下したのですから。

・万が一「吸ってみようかな」という考えが頭をよぎったときには、一本だけのタバコなんて存在しないことを思い出し、「また喫煙者になりたいか?毎日毎日あんなものを回に突っ込む生活に戻りたいか?」と問い直す。

答は……「いいや、私は自由の身なんだ―」あなたにもとうとう言えるときがきました。「やった―、タバコをやめたんだ!」本当に素晴らしい決断をしましたね。また一人沈みかけた船から抜け出した人がいるということは、私にとっても最高の喜びです。

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