社長っていったいなんでしょうか? 代表っていったいなんでしょうか? 社員っていったいなんでしょうか? 働くっていったいなんでしょうか? 日々、仕事に追われる社長業、そして社員業。では、「業」ってなんでしょうか? もう一度一緒に考えてみませんか? お釈迦様は業のことを「人間は生まれによって尊いのでも賤しいのでもない。その人の行為によって尊くも賤しくもなる」と言っています。 仏教では心を造作せしめる働きとして、思考する行為が先に来ると考え、これをまず「思業」と名づけ、後に起こる身口の所作を「思已業」と名づけました。 バラモン教では、「善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。浄行によって浄たるべく。汚れたる行によって、汚れをうくべし。善人は天国に至って妙楽をうくれども、悪人は奈落に到って諸の苦患をうく。死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられ、それに応じて賞罰せられる」(『百道梵書( Zatapathaa-braahmana)』より) このように、行い、行為のことを「業」と呼んでいます。 そして、よい行いは「善生」を受け、悪い行いは「悪生」を受けると考えられています。 当たり前のことですが、会社は、よい仕事をし、よい仕事は多くの人々に喜ばれ、感謝され、人々を幸せにするものです。 もちろん、人々が幸せになれば、対価をいただき会社もよくなり、社長も社員もよくなります。 しかし、この当たり前のことが実際にはなかなかできません。 私たち中小企業、自営業者は、世の中の流れやしくみが変わると簡単に流され、大切な経営の本質を見失います。 ましてや、この大不況の最中、会社経営も就職さえもままなりません。 でも、人に喜ばれるというのは、生きていく中で一番嬉しいことではないでしょうか。 あれもほしい、これもほしい、こんなことしたい、あんなことしたい、と夢が膨らみますが、本当は誰かに喜ばれることが一番幸せを感じるときかもしれません。 会社経営というと、思い浮かべることは、 会社を安定させる 売り上げを確保する 社員教育をする 給料を払う 社員の生活を護る など、さまざまなイメージがありますね。 でも、それはいままでの古い考え方の一つです。 本屋に行けば膨大なビジネス書や経営指南書が置かれています。さらに成功者の考え方、成功例、こうすれば儲かる、経営者のマインドなどといった本もあります。 みなさんは、本当にその通りになれるのでしょうか? 本当にそのようになりたいのでしょうか? 私はそうなると信じてきました。 小さな会社はいずれ大きな会社となり、大きな世界に向かうのだ、というロマンを信じ、それが私の目標となりました。しかし、得るものが多くなれば失うものも多くなるという当たり前のことには気づきませんでした。 会社を大きくするというのは大変なことです。成功者は何十万人、何百万人に一人という確率かもしれません。 でも、そもそも成功者ってなんでしょうか。大金を掴むこと、大きく儲けること、それも成功者ですね。 私はそのような成功者ではありませんが、かなり成功しました。 しかし、成功と同時に失うものも多く、さらに精神が不安定となり「社長という病」の重度の障害者となってしまいました。 それは、私が社長の器でなかったからかもしれませんし、みなさんのように心が強くなかったためかもしれません。 また、私の社長というものの考え方に大きな誤りがあったことも関係があるでしょう。 おそらく、人生で私ほど偏った考え方を持ち、失敗をたくさん経験した者はいないでしょう。読者の方が束になってかかってきても、私に勝てる人はいないと思います。それだけ酷すぎた、失敗しすぎた結果があります。これは悔し紛れの自慢にならない自慢の一つです。 しかし、あるとき、このようなことを発見しました。 それは、失敗の反対が成功だということです。 そう、私の失敗は成功のための財産になったのでした。無限で膨大な数の失敗を経験した後、失敗しないためのメカニズムが失敗の中にあることを知ったのです。
私は、そこから社長として再出発を望みました。 これからお話しするのは、新しい会社のあり方、新しい社長の考え方、新しい社員の人たちについての考え方です。 社長も、働く人も、新しく起業しようと考えている人たちにも関係する、仕事業のあり方です。
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