すぐれた企業は、必ずすぐすぐれたビジョンを持っている。
会社は絶対につぶしてはならない。いつ、いかなる場合にも利益をあげて
存続させなければならない。これが経営者の最低限度の社会的責任である。
そこに働く人々の生活を保証するという社会的責任である。
次に、社会に貢献するという責任をもっている。そのためには、会社自体
が繁栄しなければならないのだ。繁栄は、社会がその会社を必要としている
なによりの証拠である。
経営者は、まず以上のような社会的責任を自覚してもらいたいのである。
さらに、従業員に対する人間的な責任がある。「とにかく食っていけばいい」
「もうこれ以上大きくしない。こぢんまりやるのが私の主義だ」というよう
な社長に、よくお目にかかる。こういう生き方は、個人としてなら結構である。
はたから、とやかくいうことはない。しかし、経営者は従業員をかかえてい
るのだ。社長がこのような気持ちでいたら、従業員は浮かばれない
人間はみな生活の向上を願い、自己の才能を発揮したいという欲求をもっ
ている。 一個の人間としての「自己拡大」の本能である。会社を発展させな
ければ、従業員の自己拡大の欲求は満たされない。
人間としての欲求を無視することになるのだ。いったん、経営者を頼って
入社してきた人間の欲求を満たしてやろうとしないのは、人間性無視もはな
はだしいといえよう。
経営者は、以上のような社会的責任と、従業員に対する人間的な責任の両
方を負っているのだ。そのためには、どうしても長期的な繁栄を実現させな
ければならないのである。
この自覚が経営者の使命感である。この使命感のない経営者は経営者の資
格がないのだ。この使命感の土台の上に、経営者のもつ人生観宗教観などの
哲学を積み重ねて「わが社の未来像」を心にえがく必要がある。
それを繰り返し反すうし、温め、次第に高めてゆく。その未来像は、自分
に言い間かせるだけでなく、絶えず従業員に語り、社外の人に話すのである。
それが従業員に希望をもたせ、社外の人々の援助や協力が得やすくなる。自
らは、それが潜在的に植えつけられて「必ず実現してみせるぞ」という信念
が生まれてくる。こうなればしめたものである。未来像に基づく、長期目標
が設定され、日標達成のための青図が引かれ、発展への軌道にのることにな
るのだ。
経営者の使命感を土台にした未来像のないところに経営はなく、繁栄はない。
すぐれた企業は必ずすぐれた未来像を持っているものである。
一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」より
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